世の事を心に懸けぬを第一の道とす

 尊き聖(ひじり)の言ひ置きける事を書き付けて、『一言芳談』とかや、名付けたる草子を見侍りしに、心に合ひて覚えし事ども。
一 しや、せまし、せずや、あらまし、と思ふ事は、大様(おほやう)は、せぬは良きなり。
一 後世(ごせ)を思はん者は、糂汰瓶(じんだがめ)一つも持つまじき事なり。持経・本尊にいたるまで、良き物を持つ、由無き事なり。
一 遁世者(とんぜいじゃ)は、無きに事欠けぬ様(やう)を計らひて過ぐる、最上の様(やう)にて有るなり。
一 上臈(じゃうらふ)は下臈(げらふ)に成り、智者は愚者に成り、徳人(とくにん)は貧に成り、能ある人は無能に成るべきなり。
一 仏道を願ふといふは、別(べち)の事無し。暇(いとま)有る身になりて、世の事を心に懸けぬを第一の道とす。
 この外も有りし事ども、覚えず。(「徒然草」【第九十八段】)

 ヘッダーの写真に出した「無常といふこと(事)」(唱和十七年発表)は、何度読んだかわからない。わからないから何度も読んだという方が正確でしょう。戦時中という「背景」が色濃く反映していると思う。それを掲出したのに深い仔細はない。ただ、これを高校性の教材にしていいんですかという懸念のようなものがあるからです。ぼくは特別に不勉強者だったから、高校時代に「徒然草」はお呼びではなかった。もちろん「一言芳談」は尚更でした。ここに敢えて出したのは、小林さんが「一言芳談」の文章を「『徒然草』の中においても遜色がない」と書かれていることに、ぼくは刺激されてきたからです。兼好の「芳談」からの箇条書きは五つ。まだ他にもあるけれど、「覚えず〈忘れた〉」と断っている。そのいちいちに注釈は要らないでしょう。「こうしたい、ああすべきだ」「それはならぬ」などとは言いますが、兼好自身が実践できたから、世の迷い人に忠告を下すというものではなかったでしょう。こうしたい、ああしたいというのは、できなかったことの裏返しです。

 これまでにも何度か「徒然草」に触れてきました。その都度、念押しするように、兼好さんは「人生の達人」と称されているけれど、決してそうではないということを言ってきました。神官を望んで果たせず、文芸に精進するも身の丈にあった地位には着けなかったという、若い日の鬱屈は、おそらく晩年に至るまで続いたはずです。「時宜を得れば、きっと」と、熱い心を滾(たぎ)らせてもいた。いつの世にも存在する「栄達」「立身」、つまりは自己実現への憧憬を隠さなかった、一人の人間の全姿が、この「徒然草」に現れていると、ぼくは見てきました。もちろん、晩年に至るまで「枯れて」などいなかった。だからこそ、世間へのつきせぬ想いを断ち切ろうと足掻いたとも読めます。兼好さんは出家遁世の人ではなかった。

 出家者の中には稀有な「覚者(buddha)」もいます、当然ですね。「真理を体得した人」です。でも、それはあくまでも「稀有」であって、出家者がすべてそうだというのではないでしょう。いや、出家を隠れ蓑にして「俗物」をまっとうしようという輩のほうが圧倒的に多いはずです。それは鎌倉時代でも今の世でも変わらないと思う。これを、世に「生臭坊主」という。 

 「しようか、すまいか」と迷ったら、まず「しない」ほうがいいのだ。「死んだ後(極楽往生)」を心に懸けようとする人は、どんなつまらぬものでも持つ(所有する)のはよくない(「糂汰瓶」とは「味噌瓶」)。お経本でも仏像でも立派なものは要らない。世捨て人は「物を持たない(執着しない)」のを最上と心がけて過ごすべし。「上臈」(高僧・身分の高い人)は「下臈」(修行の足りないもの・位の低い人)になったつもりで生きる。智者は愚者になり、富者は貧者になる必要がある。「得道」、つまりは「悟り」を開きたいと願うためには、特別に何かをするのではなく、閑暇を求めて「世の事を心に懸けぬを第一の道とす」となり、です。

● 一言芳談(いちごんほうだん)= 中世の念仏行者らの信仰をめぐる法語類を集録した書。もと一巻。編者は不詳。頓阿が編集したとの説もあるが信じ難い。『徒然草』に本書からの引用があるので、『徒然草』成立時を最下限としてそれ以前半世紀ぐらいの間(一二八〇―一三三〇)に成ったと思われる。法然をはじめ浄土信仰者三十余名の法語を百五十三ヵ条にわたって記録している。おおむね短小簡潔な法語で、名利を離脱すべきこと、無常を深く認識すべきこと、ひたすら念仏行を実践すべきことなどを説いたものが多い。収載法語数の最も多い者は敬仏(三十二条)で、以下法然(十六)、明禅(十五)、聖光(七)、明遍(七)、然阿(六)、行仙(五)の順で次第し、他は一、二条の収載にとどまる。先行の類書『祖師一口法語』と重複する項が六十三条ある。『続群書類従』釈家部所収の本(一巻)が古体と思われるが、本文は慶安元年(一六四八)の板本(二巻)の方が信頼できる。他に刊本として『日本古典文学大系』八三などがある。〈国史大辞典〉

 兼好さんが坊さんだったと、ぼくには思われません。「道(方法)」を得たいと願ったことはあるでしょう。しかし、それだからと出家を選び、修行専心という流行りの法(生き方)はとらなかった。早い段階で「出世」を諦めたのにはいくつかの事情があったでしょう。しかし、だからといって仏門に入った形跡もないし、世の縁者とは疎遠を貫いたとも思われません。世間とは付かず離れず、文人・歌人としての修行に励んでいます。まして、この「徒然草」執筆の動機や経過、存命中にあるいは発表されたかどうか、疑わしいのです。公刊を目的に書かれたとも思われません。細かく言えばきりがないでしょうが、要するに、兼好という人は文人であり、批評家であった人で、世の中の不都合や矛盾、不正や不合理を鋭く射抜く正義の人(モラリスト)でもあったとは言えるでしょう。例えて言うなら、「合気道」流に生きようとした。

 結論は出ない。どんな人でも、人それぞれの見られ方(世の評価)がありますから、さまざまな「人物像」がありえます。はるか昔の時代を生きたことは事実だとしても、その行脚や意識の姿は、余人には杳(よう)として知れないのは当たり前だという気もします。ぼくが「徒然草」を読み続ける理由は単純です。吉田兼好は激しく「無常」を感じつつ生きた人ではあったろうが、「無常観」を説いた人ではなかった、それだけのことです。実に安直な結びになりそうですね。いつの世にも存在する一人の人間として、彼に、ぼくは親しささえ感じている。

(余談 何事にも色気満々でありながら「悟り」を講釈する者はいる、掃いて捨てるほどいる。「政道とは誠の道を歩くことだ」と嘯(うそぶ)いて、悪を働く政治家もいる、嫌になるほどいる。それが世の中、世の常です。兼好さんもそんな世の中に生きた、当たり前の感覚を有していた人間でした。「世の事を心に懸けぬを第一の道とす」と物申して、世間を意識して生きたのではなかったか。不思議でもなんでもありません。それが「生きること」だから)

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日本人はどこへ行くのか

【小社会】2枚の地図 「旅する巨人」とも呼ばれた民俗学者、宮本常一の古里を過日、訪ねた。山口県の周防大島。瀬戸内海に浮かぶ島の海沿いに記念館はある。▶最初の展示パネルは生涯かけて歩いた彼の足跡を年代ごとにたどる。赤や青で印(しる)された旅の痕跡は列島の地図を塗りつぶす。「日本列島の白地図に宮本の足跡を赤いインクでたらすと日本列島は真っ赤になる」と彼の恩師が語った言葉が大げさではないことを実感させる。▶宮本の鼓動が聞こえるような地図を眺めながら、ふとそれとは全く違う無機質な日本列島の地図が脳裏をよぎった。▶将来的に「消滅の可能性がある」と人口戦略会議が見なした744市町村の一覧。そのデータを基に描かれたグラフィック地図だ。「消滅」の可能性の強弱が色の濃淡で表現されており、日本列島は寒色のまだらに染められていた。▶同会議の報告書をめぐっては「日本全体の問題を自治体の問題であるかのようにすり替えている」といった反発もある。自治体の内発的な振興策をしっかりと支える国の施策がない限り、そのまだらは解消されるはずもない。▶「国がゆたかになるということは隅々にまでゆたかになることでなければならない」と訴えた宮本が没して40年余り。生涯をたどった記念館の最後のパネルには直筆のメモで「われわれは本当に郷土を知っているだろうか」。その問い掛けは「古里の豊かさを掘り返せ」という伝言のように思えた。(高知新聞・2024/05/18)

 いろいろな観点で、この劣島の行く末が案じられています。もちろん、人口減少と高齢化という一筋縄ではいかない大きな難題に急(せ)かされてのことです。各方面で、そのための解決策が構想されたり施されたりしていますが、いずれもこの社会の右肩下がりという「趨勢」に棹さしているとしかぼくには思われません。問題の解決に資するのではなく、より一層、問題を深く大きくしているという皮肉に映るばかりです。つまり、終末を急いでいるとしか思われない。その心根の中に「日本民族は不滅」という奇妙な迷信・神話が生きているのでしょう。だから、何もしないで平気でいられるのですね。なにかしても、結果は同じようなもの。

(*棹さす=①棹を水底に突いて舟を進める。「流れに—・す」②調子を合わせて、うまく立ち回る。「時流に—・す」)(デジタル大辞泉)

 大きく言えば、日本という国や人民の将来がどうなるかという問題でしょうが、ぼくの気になるのは、むしろそれよりも、「日本人」と呼ばれる民族集団の「姿」です。いずれ、この地球上からは消えてなくなる「絶滅危惧種」だろうとは想いますが、ぼくを含めて多くの人にはその実感はないか、ほとんどないでしょう。(これは「日本民族」に限りません。どこの国も民族も、いずれは溶けて流れて、混在するのです)この劣島に存在している「少数民族」の運命のようなものを考えれば、決してありえないことではないでしょう。一例としての「アイヌ民族」を思い浮かべるといい。いずれにしても「純粋アイヌ」とか「純粋日本人」などと言う存在は、どこにいるのか、いたのか、今ではほとんど痕跡すら認められなくなっているのです。A+B=AB、AB+C =ABC…。この足し算の累積が「日本人」であり「日本民族」だとすると、A・B・Cの前歴が問われるし、どこが出発点か、おそらくウィルスか、細菌か。それともアメーバーか、…。人種や民族ってなんですかいな。

 何気なく用いる「日本人」とは誰のことか、改めて問われるまでもないのかも知れないが、しかし、「日本人」は純粋であると錯覚している人がほとんどであるのかもわからないとすると、ずいぶん呑気だとも思われる。仮にこの劣島に渡来してきた「旧石器人」と「新石器人」が混血し、さらに「縄文人」と弥生人」が混血し、そのまた先で、いくつもの「人種」が雑婚を繰り返して、そして今の「日本民族」に至ったとみなせば、「純粋日本人」は多彩な血液の混交人であることは否定できません。したがって、ぼくたちが使っている「日本人」は、高々百年か二百年(3代前か、5代前程度の長さの単位で、この島に住み着いていた人々の末裔であるという根拠しか持たないのではないかでしょうか。

 「近代国家」としての「日本国の国民」、それが「日本民族(日本人)」であるというのは、ただそう言っているだけの約束に過ぎないのです。「日本民族」というのは幻の存在だったというべきでしょう。いま盛んに使われる「日本人」とは、法的にみて「日本国籍」を取得している者、その程度の規定しか持たないのですが、それをして「日本民族」と詐称しているとも言えそうですね。(かなり以前、奈良時代の劣島の人口は約百万人と、歴史学者が算定されているのをみました。樹の実や魚などの収穫可能量からの推定だった。仮にそうだったとして、この雑種人から、やがて「日本人」と「日本民族」が誕生したとするなら、今度は、そのような初期の雑種人へと戻っていくのではないですか。「日本人はどこへ行くのか」、辿るべき一つの方向です)(そして、ここに宮本常一さんの、遺言のような言葉「「われわれは本当に郷土を知っているだろうか」をとりだし、その「郷土」を「日本」と置き換えてみるとどうでしょうか。

 「われわれは本当に日本を知っているだろうか」

 「日本人」はどこへ行くのか。それは、この社会に住み着き今に至っている「日本人」の来し方(歴史)を逆に遡(さかのぼ)ることになるのではないでしょうか。生老病死が人の一生だとするなら、その歴史を逆(終わりから誕生)に下がっていくことが「一生」をよりよく見ることになるはずです。いずれ滅びることは避けられないなら、今に至る「歴史」を学ぶことからしか「滅び方」を知ることができないのかも知れません。ぼくの勝手な見立ては、この先も「日本人」は繰り返し、多様多彩な民族混交(混血)を重ねて、細く長く生き延びていくのでしょう。しかしその時に「純粋日本人」「大和民族」と信じられている存在は、今以上に、その痕跡は跡形もなく消えゆくことは不可避だと思うのです。もちろん、日本社会の「固有の文化」とされるものも、その純粋性を維持することは困難で、広く多様な生活様式を受け入れざるを得なくなってくるのでしょう。(おそらく、このような純粋と混交のせめぎあいがこれまでにも何度となく繰り返されてきたのだろうと想います)

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「徒然に日乗」(565~571)

◯2024/05/19(日)午後一時過ぎに土気へ。昨日から銚子に来ていた手島夫妻を迎えに、そして自宅に案内。帰路の電車の時間を確認すると、大網発15時10分すぎに特急東京行きの乗車券を購入済み、それで帰りたいと言う。ほとんど時間がなく、やむなく、一時間ほど滞在して、大網駅(特急停車駅)へ。その近くまでは何度も出かけたが、駅の構内に入ったことはなかったので、なかなかたどり着けなかった。モタモタしているうちに、予定時刻を過ぎて、乗るはずの特急列車が駅に入るのを、離れた場所から眺める羽目に。それでも、夕方五時前には東京駅から、新幹線に乗る直前に電話をもらったので、一安心。ほとんど落ち着いて話す時間がなく、まるで顔を合わせた途端に別れてしまったような塩梅。しかし、わざわざ出かけてくれたことにはいたく感謝。お二人とも、くれぐれも息災であられることを祈るや切。(571)

◯2024/05/18(土)一日快晴。日差しが強く、外出はしなかった。過日、日照りの中を除草作業など、長い時間かけてやり、そのために体調が崩れたと思った。自己判断では「前熱中症状」だったと見ている。まず無理をしないこと、それがこのところのモットーだ。夜、八時頃、卒業生のF君から電話。今月の25日(土)に誉田まで来るので、「会いたい」と言うことだった。もう何度目になるか、毎年の誉田詣で。祖母君は百才になるそう、施設に入っておられるのだ。孫として、顔見世の孝行ぶり。(570)

◯2024/05/17(金)一昨日に続き、自宅前の空き地の除草作業。法面を除けば、ほぼ半分は終了したか。いつの間にか、かなりの数の「桑の木」が大きくなっている。繁殖力が旺盛で、あっという間に桑畑になるかも。加えて、空き地の東側からは竹が侵入しており、二、三年でかなりの本数が伸びている。おそらく、空き地全体に地下茎が張り出しているのではないか。南側の眺めが一切塞がれてしまい、かなり息苦しくなるのは決定的。他人の土地ながら、放置して荒れ放題になるのを眺めるだけでは脳がないということになる。桑の木も竹も、どちらの根も深く伐採しておきたいもの。(569)

◯2024/05/16(木)午前中もわずかながら雨が降っていた。いつも通りに土気のHCへ、猫缶を買いに。ついでに近所のHCでは猫のトイレ砂とドライ・フードを。雨模様でもあり、今日の庭作業は中止。午後の三時ころか、役場からの依頼で、敷地斜面(法面)の調査に業者が二人。かなり長時間の調査だった。後日、何かあれば役場から連絡が入るだろうということだった。災害時の危険箇所に指定されるかどうか、詳細はわからない。早い段階で、土留等の工事をしようとも考えたが、費用的にも大事(おおごと)になりそうだったので、手を出さなかった。(568)

◯2024/05/15(水)快晴。朝食後に、家の前の空き地の除草作業を少しばかり。約150粒ほどの土地があるが、ここに雑草が生えて成長すると、家の前の眺望が著しく損なわれる。他人の土地だが、放置しておくわけにも行かず、毎年のように除草している。体力もなくなって、とても一日仕事というわけには行かないが、なんとか、数日がかりで片付けてきた。今年も、すでに三分の一は済んでいるので、ゆっくりと作業をしていくつもり。昨日は裏庭の作業にかかり、刈払い機を使ってやった。鎌を使うほうが仕上がり的にはいいのだが、腰に大きな負担が罹るので、第一次の除草作業として器械を使用。この後、法面の作業にも取り掛かる予定。近々、役場からも、斜面(がけ)の危険度(状況)調査が来る予定になっているので、それまでにも大方の除草は済ませておきたい。(567)

◯2024/05/14(火)珍しく「ゴミ出し」の時間が遅れた。大体は、起床(3~4時頃)後に猫への食事やり、トイレの砂替え、あるいは飲水の取り換えなどをし、五時前にはパソコンを開く。ざっとネットでニュースなどを眺め、それから、駄文のテーマを選ぶ。時には、事前にいくつかそれらしき問題を選定してあることもある。そして綴りだすのが、六時ころから。(週三回の「生ゴミ」収集日は火・木・土)ほとんど、6時半ころに出しに行く。締め切り(?)は八時だから、いつもぼくはトップ。少し距離があるのと、やたらに重量がかさむようになったので、大袈裟だが、車で出しに行く。7時過ぎたら、まず、出さないことにしている。本日は綴方に夢中になり、気がついたら8時だったので、次回(木)に回した。▶お昼ころに買い物。帰宅すると、京都からメールが。十九日に来る予定のT君のお孫さんからの「日程及びJRの予定時間」だった。改めて確認し、折り返し電話をする。わずか一時間足らずの時間的余裕しかない拙宅訪問になっているが、さてどうなるか。(566)

◯2024/05/13(月)昨夜来の雨が続く。時には激しく降った。幸いにも、予想されていたほど強風が吹き荒れなくて、それだけでも助かった。すっかり夏の陽気に移った気もするが、まだまだ不純な天候が続くだろう。海水温が高温状態を維持していると、気をつけなければならぬのが「線状降水帯」とかいう局地的豪雨のこと。庭の草取りも半分も終わっていない段階で、また振り出しに戻るような仕儀にならないとも限らない。本日は終日自宅内に。(565)

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変わらないのは「現し身」の意識だ

<金口木舌>一字一句変わってないのに 1968年2月、倉石忠雄農林大臣は記者会見でこう発言して更迭された。「こんなばかばかしい憲法を持っている日本はめかけのようなものだ」「軍艦や大砲を背景に持たなければだめだ。憲法は他力本願だ」▼前月、日本海で米海軍情報収集船プエブロ号が北朝鮮の艦船に拿捕(だほ)された。余波で洋上が緊迫する中、日本漁船の安全操業に絡んで農相発言が出た▼国会では野党が「憲法9条の否定だ」と指摘したのに加え、天皇や公務員が憲法を尊重し、擁護する義務を定めた99条違反を批判した。条文は今も一字一句変わらないのに義務を忘れてしまったか▼与那国町長が都内の集会で、9条二項の交戦権について「できれば『認めない』の部分を『認める』に改める必要がある」と発言した。対中国を念頭に「日本国の平和を脅かす国家に対しては、一戦を交える覚悟が今、問われているのではないか」とも▼法のおかげで「一戦」を交えずに戦後を送ってきたのではないか。戦争で失っていい命はない。義務を棚上げにして「覚悟」を説かれても困る。(琉球新報・2024/05/16)(右写真は与那国町全景)

めかけ(妾/目掛(け))= 《目をかけるところから》正妻のほかに、愛し養う女性。二号。(デジタル大辞泉)

週のはじめに愚考する (第弐拾)~ 憲法改正は罷(まか)りならぬとは思わない。変えるべき箇所はいくらもある。だから、この問題の核心は「憲法」にあるのではないだろう。国防専一、専守防衛を頑(かたく)なに守って、その挙げ句の到達点が「集団的自衛権」であり、「積極的敵基地攻撃能力」の称揚だった。これをして「積極的平和主義」と強弁する。武力・軍事力で「平和」を確保する、いや勝ち取るという勇ましい「大和魂」の発意・発揚である。この空虚な「尚武精神(military spirit)」は、奇っ怪な話だが、アメリカ(現宗主国)の後ろ盾あっての物種だという。この「矛盾」「不本意」「歴史の諧謔」をわざわざ隠している▶与那国町長は「日本は旧宗主国として台湾に対する責任を放棄してはならない」と宣(のたま)う。そこには、不思議なことに「鬼畜米」は微塵も見られない。「憲法」は「鬼畜」に「かすめとられた」と異なことを仰るのに、だ。その「旧鬼畜」は決して中国と一戦を交える覇気はない。「利(理)あらず」と踏んでいるからだ。故に、旧植民地国・現属国・手下・腰巾着を煽(おだ)て、その気にさせつつ旧式武器の強制的高価売り込みに躍起になり、対中戦の橋頭堡に、ともちあげる。(「台湾有事は日本有事」と誰がいい出したか)▶変わらぬのは、「憲法の条文」(無論、変わっていない)の方ではなく、勇猛過激な「VR(仮想現実)」に実践さながらの作戦を展開している歴々・面々だろう。これをして「君、国を売り給うな」と「諫言」したいほど。

 ▶与那国は人口およそ1700名、加えて自衛隊関係者が250名(約15%)。町の活性化と詐称するか。「沖縄は戦場だった」と過去を偲ぶのではない、実は沖縄戦は終わっていなかったのだ。敵は「鬼畜」ではなく、当時と同じく「ヤマトンチュウ」と、どれだけの人が意識し(見透かし)ているか▶「日本国の平和を脅かす国家に対しては、一戦を交える覚悟が今、問われているのではないか」と武張るのは「祝女(のろ)」、いや「ユタ(巫女)」の「口寄せ」の所業か。大臣や町長の口を通して、誰かが言わしめている。「こんなばかばかしい憲法を持っている日本はめかけのようなものだ」「軍艦や大砲を背景に持たなければだめだ。憲法は他力本願だ」と吠えたのはの倉石某などではなく、死にきれなかった現し身(うつしみ)・空蝉(うつせみ)の「御霊(みたま)」だというほかない▶「戦争(いくさ)する身はかねてから 捨てる覚悟でいるものを 鳴いてくれるな草の虫 東洋平和のためならば なんの命が惜しかろう」(「露営の歌」1937年)今も尚、盛んに「露営の歌」が唱和されている。「勝ってくるぞと勇ましく!」

 与那国町長、交戦権「認める」訴え 「一戦交える覚悟、問われている」 都内の憲法改正集会で 与那国町の糸数健一町長は3日、都内であった憲法改正の発議を求める集会で登壇し、「日本は旧宗主国として台湾に対する責任を放棄してはならない」などと述べた上で、台湾海峡問題を踏まえ新しい憲法には「最低でも自衛隊の明記と緊急事態条項を盛り込む必要がある」と提言した。加えて国の交戦権を認めないと規定する憲法9条二項に言及し「できれば『認めない』の部分を『認める』に改める必要があると思う」と改定を求めた。 /対中国を念頭に「全国民がいつでも日本国の平和を脅かす国家に対しては一戦を交える覚悟が今、問われているのではないでしょうか」とも述べた。/現行憲法については「だれが読んでもおかしな日本語で書かれた現憲法前文からして、現憲法は先の大戦における大和民族の命を惜しまぬ勇猛果敢さに恐れをなしたマッカーサーをはじめとするGHQにかすめとられた、一部のばかな日本人も加担して」作成されたものとの認識を示した。(琉球新報・2024/05/04)

(前文)日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。(日本国憲法)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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春愁のかぎりを躑躅燃えにけり

 この季節、色とりどりの草花が開花して、なんとも気持ちのいい時間に恵まれています。小さいときから親しんできたものに「躑躅」があります。難しい漢字を2つ並べて「てきちょく」と読みます。「躑」は「たちもとおる」と訓読みし、「たたずむ。たちどまる」の意です。「躅」は「ふむ」で、その意は「ふむ。足ぶみする。立ち止まる。たたずむ」とされています。どちらも足踏みし、立ち止まるということで、それがなぜ「躑躅(つつじ)」となったか。(左写真はレンゲツツジ・右はシャクナゲ)(ヘッダー写真は、しばしば訪れたことがある都内根津神社境内のヤマツツジです)

 物の本には、元来この植物(花)は「羊躑躅」と呼ばれていたそうです。この花には毒性があり、それを食べた羊が足踏みしてやがて死んだということからの命名です。今でもある種の躑躅(つつじ)類には毒性があり、触る時には気をつけなさいと、ぼくは、誰彼となく教えられました。特に「レンゲツツジ」や「シャクナゲ」などがそうです。羊だけではなく、人もまた植物を食用にします。昨日でしたか、北海道で間違って野草を食べで二人が亡くなっていたことが報道されました。

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 毒草「イヌサフラン」を誤食し 2人死亡…札幌市が発表 市民に注意呼びかけ…ギョウジャニンニクと間違えるケース多発 札幌市は5月17日、市内でイヌサフランを誤って食べた2人が死亡していたと発表しました。 札幌市によりますと、道警から「5月上旬の通報により2名が死亡したことが分かった。調査の結果、事件性はないことから、イヌサフランの誤食による食中毒の可能性が高いと思われたため連絡した」との報告がありました。 札幌市保健所で調査を行ったところ、イヌサフランを原因とする食中毒事件と断定しました。/イヌサフランはアルカロイド性有毒成分「コルヒチン」を全草に含み、嘔吐、腹痛、下痢、けいれん等の症状を引き起こします。 葉をギョウジャニンニク等の山菜と、球根をミョウガ、ジャガイモ等と誤認して喫食した食中毒例があり、死者も発生しています。 北海道内では過去10年間でギョウジャニンニクと誤認してイヌサフランを喫食した事例が7件、球根を喫食可能として誤認した事例が2件発生しています。(UHB 北海道文化放送・2024/05/17)(左・右写真は「イヌサフラン」)

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 薔薇の花には棘(とげ)があるといいます。「美しい」「すてきだ」と手を出すと、痛い目に遭うというのですが、身に覚えがありますか。ぼくがいつも手こずっているのが「ノイバラ」です。とても可憐な白い花を咲かせてくれるのですが、その棘の鋭さは、大変なものですね。「野薔薇(野ばら)」(ゲーテ詞・シューベルト曲)という歌曲がありますが、どこかで触れましたが、これもまた、「茨に注意」というものでした。(これを小学生に歌わせていいんですか、そんな感想を持ったものです) (※ シューベルト「野ばら」リタ・シュトライヒ/ヴェルバ:https://www.youtube.com/watch?v=m7m8hR35lyA&ab_channel=)

 さまざまな花 さまざまなツツジかな(無骨)それこそ、数えられないほどの多種多彩を誇る「ツツジ」の一族です。もちろん「石楠花(シャクナゲ)」も「満天星(ドウダンツツジ」も同族ですよ。「ドウダンツツジ」、元来は「灯台躑躅」と書くようです(左写真)。

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 さて、その躑躅(つつじ・ツツジ)、たくさんの俳人が競ってこの花や木を詠み込んでいます。思いつくままに、十句ばかり。解説は省略と言うか、不要でしょう。昨日は、ある女性詩人の若い頃の作品を読んでいました。なかなかの「感性の鋭さ」と言うべきか。評価の定まっている大詩人たちが挙って称賛していましたが、ぼくにはどこかよくわからないと言うか、腑に落ちない評価ぶりだった。まるである時期までの「ユーミン」のような鋭意な言葉使いと、それを可能にしてくれる感性の豊かさは感じましたが。ぼくは「短歌」も苦手です。作ることは愚か、読むことさえ避ける傾向にあります。生意気なことを言うようですけれど、大半の「短歌」は、まるで「対象」についての感想(文)のようであり、物事の説明に終止しているように感じられて、…。「雨が降る日は天気が悪い」みたいに、です。

 以下に掲げた十句。言うまでもなく、感性ではなく、感性に支えられた「経験」がものを言っていると、ぼくには読めました。もちろん、一瞬の感性のなせる業(技)と思えるものもないとは言えません。しかし概ね、ツツジに対する、ツツジを通した経験が、句の豊かさを左右しているのはまちがいないようです。若い頃、リルケが「詩は感性ではなく、経験なのだ」と語っているのを読んで、今もなお忘れないで肝に銘じてきました。(ぼくが小説家になろうなどという「野望」を早くに諦めたのが、この「経験」の量と質の決定的な不足だったと言えます)

うつうつと大嶽の昼躑躅さく(飯田蛇笏) 
・春愁のかぎりを躑躅燃えにけり(水原秋櫻子) 
・山つつじ照る只中に田を墾く(飯田龍太)  
・つつじ燃ゆ海の夕日の惜しみなく(枡田国市)  
・吾子の瞳に緋躑躅宿るむらさきに(中村草田男)  
・大岩に挿したるごとく岩つつじ(鈴木貞雄)
・死ぬものは死にゆく躑躅燃えてをり(臼田亞浪)
・紅つつじ花満ちて葉はかくれけり(日野草城)
・雨雲に又燃え立ちぬ山躑躅(長谷川かな女)
・日の昏れてこの家の躑躅いやあな色(三橋鷹女)

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「弱さ」を隠さぬ教師でありたい

【水や空】でもしか先生 他にやりたい仕事もないから学校の先生にでもなるか、とか、特別な技能はないから教員にしかなれない、とか…。消極的な動機で教職に就いた人たちを指す「でもしか先生」という言葉が昭和の時代にあった▲背景には、戦後のベビーブームや学制改革などによる教員数の不足があったとされる。大量採用の時代。極端に言えば、誰だって先生になれたのだろう▲きっと、筆者の学校時分にもそうした先生は教壇にいたに違いない。でも、幸いなことに誰が「でも・しか」で、誰がそうでないのか、子どもの目には分からなかった。先生方は皆、とても立派に見えた▲人間が相手のとても大変で、とても忙しく、とても大切な職業だ。「でも」だの「しか」だのと教師になった動機を振り返っている暇はなかったのかもしれない。生意気を承知で言わせてもらえば、立場と現場が人を育てていたか▲令和の今、「でもしか」は死語になり、先生のなり手不足が指摘されて久しい。給与の底上げなど教員の確保に向けた処遇改善策をまとめた中教審の提言の記事と、本県の教員採用試験の志願者が初めて1000人を割った-と伝える記事が同じ日の紙面にあった▲「でも」でも「しか」でもいいから教員を志してくれないか…関係者の悲痛な声が聞こえる気がする。(智)(長崎新聞・2024/05/16)

 「教育ってなんだろう?」 こんな疑問は誰にも、何時だって生じている。それに対する「正解は一つ」という迷信(神話)が、じつは学校や教育問題をことさらに面倒なものにしているんじゃないですか。もちろん、学校教育の惨状(といっていいでしょう)、これは今に始まったことではなく、おそらく「教育制度」としての学校が開始されて以来、途絶えることなく連綿と続いてきている見飽きた問題でもあるのです。時代とともに、あるいは問題の傾向やその内容が変わることはあっても、結局のところ、「学校問題」は大きな枠の中に閉じ込められ、上から抑圧された「教育と教育者(教師)」が抱えている問題であり、その悪循環を断ち切るためには、そこ(学校)を超えたところからしか明るい先行きは見通せないのではないかと、ぼくは長い間考え続けている。

 「学校教育」などと簡単に言いますけれど、それは方向や色合いの異なる「価値観」が強制的に同居させられている、どうかすると間尺に合わない無理が罷り通るような問題にも思われます。わかりやすく言うなら、「学校」は一つの「器(うつわ)」「入れ物」であり、そこには「教育(行為)」という、形状定かならぬものが入れられる。もっと単純化するなら、学校(教室)という建物に「教育」という営み(機能)が求められていると考えられます。どこから、誰が見ても「学校」という「器物」は目に見えますが、「教育という機能」はそれほど単純に捉えることはできないでしょう。ここで言う「教育」とは、私見によれば「教育という機能」を果たす場である「人間関係(付き合い)」を意味します。教師対生徒、教師対教師、…、それぞれの関係(付き合い)は「役割」や「地位」同士の関係にあり、固定して捉えきれないものなのです。肝心なポイントは、それぞれが担わされている「役割」や「地位」を超えて付き合えるかどうか、です。学校という場所は「分際論」万能の観がありますから、ね。

 まず、教師自身が「教育とはこういうもの」という教育哲学と言うか、教育観を持っている(いてほしい)し、それに基づいて授業を実践するでしょう。その教師のもつ教育観は大筋(大枠)では個人差は消されることはあっても、実際に行われる仕事(授業)の中ではそれぞれの差異はあって当然だと、ぼくは考えます。学校・教育問題の根っこに、「持つべき教育観」、あるいは「教育目標」はたった一つという強制力が働いていないかどうか。ここに、この社会の学校教育が陥っている困難さ・滑稽さの大方の原因や理由があるのは否定できないでしょう。教育行政などという領域で強調される「教育観」「教育目標」は千差万別と言えるかどうか、大いに疑わしい。「望ましい日本人」「期待される人間像」を養育・養成する、それが目標だというところまでは構いませんが、さて「日本人」という言葉に含まれる内容は、一筋縄では行かないのです。「日本人とはかくあるべき」となれば、もう御免被りたいと言うばかりですが。そうも言っていられないのが、学校問題の面倒くささですね。

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 長崎県公立教員 倍率最低2.1倍 2023年度採用試験 新卒の志願者は増 長崎県教委は16日、2023年度の県公立学校教員採用選考試験の志願状況を発表した。全体の志願者数は1062人(前年度比32人減)で、採用予定者数503人に対する志願倍率は2.1倍(同0.3ポイント減)。記録が残る1980年以降最も低かった。一方、例年430人前後で推移してきた新卒の志願者数は478人で過去5年で最多。志願者の45%を占めた。/県教委によると小学校の志願者数は336人、志願倍率は1.3倍(同0.2ポイント減)。5年連続2倍を下回り、過去最低を更新した。小学校以外の学校別では▽中学校289人、2.2倍(同0.7ポイント減)▽高校271人、4.3倍(同0.6ポイント減)▽特別支援学校73人、2.4倍(同0.6ポイント増)。養護教諭は93人、4.7倍(同0.2ポイント減)。/県教委によると、22年度採用から導入している大学推薦特別採用選考には同年度より25人多い100人が志願。制度が浸透し、新卒の志願者の増加につながっているとみられる。今回新設した中学・高校の英語教諭に、一定の英語力を有する民間人材などを対象にした特別採用選考には10人が応募した。22年度採用から年齢上限を59歳未満に引き上げ、50代の志願者は36人だった。ほかにも採用の門戸を広げており、志願者数の減少に一定、歯止めをかけている。/県教委高校教育課は「倍率だけでは判断できない。(教諭の)数と質の両面をしっかり確保していけるよう取り組みを考えていきたい」としている。(長崎新聞・2022/06/27)

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 国とか国家というものが作られて以来、さらに「教育」は面倒なものになりました。もっとも大事なことは、学校が存在する時代より、存在しなかった時代は遥かに長く続いたという点です。今日の教育制度としての「学校」創設は明治五年とされます。1872年ですから、たかだか百五十年です。それが「万古不易」と錯覚されているところに教育問題の複雑怪奇さがあるとぼくは考えている。そんなことはありないのですが、そう固く信じられている。第一、この「日本」という国ができたのも、ほぼ「学校制度」と同時期です。その意味では実に「若い」と言うか、「幼い」と言うか。そもそものまちがいは、この幼い国を守り維持するためにすべてが利用されるべきであるという迷信が疑われないままで来てしまっているという点でしょう。「国家国民」とか「国民国家」などという囃子詞が、本来は極めて「私的領域」の教育の部分に、偉そうに押し寄せてきたのです。

 あまり面倒なことは避けたいので、手短に言っておきます。もともと「教育は私事」でしょう。それを「教育は国事」と、権力を行使する側が無理矢理に宗旨替えをさせてきたところに問題の発端があるのです。いうまでもなく、一人ひとりの「民」をいやでも「国民」にするための装置として学校は作られ、その後は一貫して「国民づくり教育」を掲げて疾駆してきたのでした。もちろん「集団(社会)」の一員であることを免れないのが個人ですから、その範囲での「公共性」を失うべきではないと言うべきでしょうが、それが一足飛びに「国民」「国家」へと飛躍する、私的領域への過激な越境・介入が問題を深化させてきたのです。それは戦前・戦後を問わず、でした。

 繰り返し綴っていること。「私とあなた」という「私人(private)」同士で作るのが「公共(public)」空間ですから、そこに、いきなり「国家(nation・state)」が登場する、幅を利かせる余地はないにも関わらず、残念ながら「公共」を超越して「国」が覆いかぶさってきた。不幸なことに、大方は疑問も不信も抱かなかったのです。とても迂闊でしたね。つまりは、個人が育ち切っていなかったからです。個人であるより前に「国民」、つまりは「日本人」であることを求められ、時には強制されてきた。しばしば「公教育」と称されるけれども、そのときの「公」は「国」「国家」を指していることに、もっと留意し、それぞれは気がついてもよかったのです。

 はっきりとした自覚があるかどうか、それは問われないままです。しかし「学校教育」の諸問題の大半は「国の強制力」が生み出してきたとも言えるでしょう。学校教師の地位が決して高くなく、社会的にも尊重されてこなかった事情はさまざではあって、根本には「国家の意思」が学校教員にのしかかりすぎてきたからだと言えそうです。「でもしか先生」と蔑まされてきた教職に魅力がないのは、仕事における当事者の「自由」「自己判断」が極めて限定されているからです。国家行政の「下請け」に甘んじてきた、甘んじさせられてきたのです。自らの判断や行動に依拠する部分が大幅に狭められている、そんな堅苦しい、狭苦しい、階級集団(社会)の一員になりたいと思わない若者が増えるのは避けられないでしょう。自由の空気を奪われれば、窒息する他ないのは当たり前。

 もちろん、子どもたちの親の存在も無視はできない要因であるのは事実です。要は、一人の子どもが十分に尊重される社会的存在になる、そんな、成熟した「つきあい(教育)」が求められていることの裏返し、それが学校教師・教職に対する不信の、小さくない要因だとは言えるでしょう。

 教師は「師範」ではないし、まして、お仕着せの「教師服」を着せられる存在であってはならない。自分は欠点も弱点もある、弱い人間であることを隠さないで、子どもと付き合う、そこから生まれるものがあるはずだ。それが何であるか、実際に経験してみることです。

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私流のやり方があるんじゃけん

 ◉ 「老い」について、「コラム」二題 乳幼児が育つ環境はさまざまです。しかし、よりよく健全に育つにはそれなりの条件の備わった環境や背景(家庭や地域社会を含めて)が必要であることは言うまでもないでしょう。保育園・幼稚園や学校も、その大事な育児環境の中核になるものです。これと同じように、人が老いてくると「病気」にもなり、心身の健康を損ねることになりがちです。その際、老人医療や老人ケアの制度や仕組みが十分に備わっているかといえば、残念ながら、学校・教育制度ほどにはお金も人もかけていないのが実情です。不安をいっぱいにしながら、多くの老人(ぼくも、もちろん入っている)は、仕方何に歳を取っていかざるを得ないのだと言ったら、罰当たり目と、嘲笑・非難の矢をあびるでしょうか。

 (ヘッダー写真・老施協「映像作品から学ぶ介護の世界 」:https://roushikyo-digital.com/news/4421/)

 自分自身が「後期高齢者」だという理解・認識が不十分だという感覚はあるものの、いつ何時病気になったり、大怪我をするかも知れない、いわば「危険水域」に入っているのをつくづく知らされてもいるし、信友直子さんの監督された記録映画のように、我が家は「老老夫婦」でありますから、どちらかが健康を損ねたら、それこそ「一大事」と覚悟・準備(心構え)はしています。子ども教育(学校教育)に「絶対」とか「確実性」というものが存在しないように、「老人介護」にも「伝家の宝刀」「奥義」があるとは思われないのです。いずれの場合も、「人それぞれ」です。教育関係も介護関係も、当事者のどちらか一方が主導権を握るものでもなく、いかなる「関係」が、両者の間に生まれるか、それが決め手になりうると、当たり前のこととしてぼくは考えている。

 「天風録」に書かれている「私流のやり方があるんじゃけん」「洗濯の仕方を教えてくださいや」というのは、その典型ではないでしょうか。この「私流」というのは「生き方」と捉えてもいいでしょう。「お母さんが一番不安なんじゃけんの」と、包み込むような父(夫)の言葉が胸に刺さります。こういう言葉は、普段からの関係があって初めて出てくることを考えると、ぼくは途端に自分が不甲斐なく、不親切であることを恥じ入るばかりです。もちろん、かみさんが「認知症」になるのか、いや「お前のほうがなるのじゃ」と、今のところは先陣争いをしているつもりもありませんが、どちらであれ、そうなった場合には、長年の付き合いから作られてきた「夫婦の関係」が試される、そんな予感・直感がしきりにする、その場になってジタバタしても始まらない、その長年の関係の「延長」を歩く他にはないのですから。

 「家族だけで解決しようとするのは無理がある。介護保険サービスや近所の人の声かけで救われ、母らしい生き方を支えた。社会の準備はできているだろうか」という件(くだり)で、はたと考え込んでしまうのです。子育てにもそっくり同じ雰囲気があるでしょう。その狭い枠を超えられる気安さが、残念だけれど、欠けているのが現実です。さらに、街中によく見かけた「ケアハウス」「介護施設」「デイサービス」の看板が徐々に減っている。それは一時的なものなのか、それも、…。「待機児童」の問題が、そのまま「大気老人」に被さっています。「裏金作りに現(うつつ)を抜かす」政治家に何が期待できよう。悔しいけれど、できる範囲でしかできないことを知悉しつつ、それでも、ぼくは「無理をしない」「自分たちのペースで」を、今でも心がけている。今のところは、その歩調や歩幅を変える必要もないとも想っている。

【天風録】社会の準備 呉市出身で映画監督の信友直子さんの実家にヘルパーが来た初日の出来事だ。「私流のやり方があるんじゃけん」。洗濯機前で通せんぼする認知症の母。ヘルパーは「洗濯の仕方を教えてくださいや。水道代の節約になるんじゃってね」と切り返す。完璧な主婦だった母は笑い、受け入れた▲ドキュメンタリー映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」の信友さんがかつて本紙連載につづった。介護した父はどの言動も尊重した。「お母さんが一番不安なんじゃけんの」▲介護現場の取材で得た学びと重なった。介護福祉士がお年寄りの経歴や趣味を深く尋ね、介助や接し方に生かしていた。目からうろこだった。その人らしさまで奪われるわけではないのだと▲認知症になる人の政府推計が9年ぶりに公表された。2040年に584万人と、変わらない傾向を思い知る。一歩手前の軽度認知障害を含めると、65歳以上のおよそ3人に1人に上る▲「ぼけますから…」にもう一つ大事なことを教わった。家族だけで解決しようとするのは無理がある。介護保険サービスや近所の人の声かけで救われ、母らしい生き方を支えた。社会の準備はできているだろうか。(中國新聞・2024/05/14)

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 中村桂子さん、1936年生れだそうです。現在八十八歳。たくさんの仕事をされた方で、その触りの部分だけをぼくは学んできたような塩梅です。そんな不勉強な人間ではあっても、この駄文集録の何処かに、中村さんに触れながら、人間も含まれる「生物」の姿や歴史を考えてきた気がしています。「老いを愛づる」というタイトルに、中村さんの意図が現れているように感じます。老いは経験するものであって、愛づる・憎む・嫌うものではないと、ぼくたちは思いがちです。まして、望んだわけでもないのに「ぼけますから、…」という境遇に生きているような人には「愛づる」などということは無縁だと、どうしても考えてしまいます。だが、それはは誤りではないかと、ぼくは立ち止まらされたのです。

 「私流のやり方があるんじゃけん」という強い意志の言葉に、それは端的に示されているでしょう。「認知症」を患われる、全ての方がそうではないだろうという思い込みこそ、ぼく(たち)が落ち込んでいる「隘路」「袋小路」であり、それが「老いの問題」を必要以上に、針小棒大に、そして理解困難にさせているのではないかという、深い自省の念もある。

 庭の草取り、こんなことにも人それぞれの姿勢や態度が出るのが面白くもあり、身につまされもする。中村さんは「年齢を重ねるうち、雑草は『また生えてくるんだから』とか、葉っぱも『明日も落ちてくるんだから』と考えが変わってきた」といわれる、環境との付き合い方の軌跡がぼくには面白く受け止められたのです。環境には有害そのものの、強烈な『除草剤」は論外で、生えてくるのを邪魔しない程度に、せっせと除草する、それぐらいのペースをぼくは崩したくない。体力は確実に落ちている、それは隠せない。「体力が衰えるのは年を取ること」だから、と受け入れるのが大事であって、老齢や弱体化に抵抗しないこと、それこそが中村さんの言われる「老いを愛づる」態度(思想)につながるのかもしれません。

 これ以上は無駄に流れる駄文を綴るより、以下に中村さんのお話をうかがえる格好の「対談」が残されていますので、問題を考えるヒントや材料は、その「対談」に譲ります。

 (※ 「生きものは弱いから生きのびる|生命誌研究・中村桂子 × YAMAP 春山慶彦」:https://www.youtube.com/watch?v=NvqTRrxVlB4&ab_channel

【有明抄】やらなければと義務感にさいなまれながらも、現実から目をそらしたくなるのが、庭の草取りである。生命誌研究者の中村桂子さんは、それが若いころから苦にならず、徹底的にやらなければ気が済まなかった◆年齢を重ねるうち、雑草は「また生えてくるんだから」とか、葉っぱも「明日も落ちてくるんだから」と考えが変わってきた。以前は100%取り除いていたところを97%ぐらいで済ます。たった3%でもこの差は大きい。多少、草が残っていても、「体力が落ちた」などと嘆いてはいけない。「これでいいのだ」が大事だと(『老いを愛づる』)◆哺乳類は生まれてからの心拍数が20億回ぐらいに達すると止まってしまうらしい。それが寿命である。人間は50歳前後で20億回を迎えるが、例外的に長生きをする。進化の過程で老いた人のいる社会が安心でき、繁栄すると学んだからなのだとか。それは「ほどほど」を許容する居心地のよさだったかもしれない◆誰もが介護の世話にならず、できる限り自立した暮らしがしたいと願う。そのためには1日9000歩を目標にすればいいという研究もある。頑張ってそれ以上歩いても効果は変わらないそうである。キリのいい1万歩には届かなくても、いくらか気持ちは楽になる◆無理はしないけれど、あきらめもしない。これでいいのだ。(桑)(佐賀新聞・2024/05/14)

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