長月の空色袷きたりけり (一茶)

 本日は長月(9月)晦日(みそか)。内外、まことに多事多端、応接に遑(いとま)なし、そんな日々の連続でした。ただ生きているだけでも一仕事の上に、そこに覆いかぶさるように戦禍の惨状、自然災害に追い打ちをかける人災の悲嘆。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」といわれる。生きていてこその俚諺の導き(教え)です。しかし、瞬時に襲う交通事故や自然災害の災厄をまともに受けて、あたら夭逝を避け得なかった若い、若すぎる人たちの運命を、ぼくたちはいかに受け入れられるか。

 昨日のコラム「明窓」(山陰中央新報)、一読、我知らずしみじみとさせられました、出会いと別れのひと時の「夢幻」。こんなぼくにも、逢うは別れの因縁をこれまでに幾たび経験してきたことか。そのいちいちを数え上げることは今はできない。此岸(しがん・この世)に生きるのが現実かと、ぼくたちは疑いもしないが、よくよく考えれば、彼岸(ひがん・あの世)にこそ、わが終(つい)の棲家があるのではと、幻想の誘惑は根強くあります。「明窓」に語られた「花さき山」。大学入学のために上京し、しばらくは地に足のつかない「浮草」のような、あるいは「野良犬」のような居心地の悪さを覚えていました。

 その後、ぼくは読書の愉楽や音楽鑑賞の三昧境を覚え、危うく放恣・放埓の陥穽に嵌りかけた瀬戸際で身を持することができたと思った。そんな時、今でもはっきりと記憶しているのが滝平二郎さんの「切り絵の世界」への没入だった。半世紀以上も前の「邂逅」だったが、今なお鮮明にその「世界の佇まい」を感覚の先端で、いや深部で記憶しています。それは当時購読してた新聞の連載で、毎週日曜の朝、「滝平夢幻」の境地に浸ることができたのは、今から考えても放浪癖のあるぼくには大きな救いだった。「人はつらさをこらえ、自分のことより誰かのことを思い、花を咲かせる。時には涙のつゆを載せて」と教える「花さき山」のかすかな記憶。 

 連載と同時期に刊行された絵本「花さき山」の醸す光と影の綾なす境界は、ぼくの中では微かな陰翳を残すのみとなっています。しかし二郎さんの「切り絵」は今でも溌溂として、あるいは深く切り刻まれた光と影の世界として、脳髄に把持されているのです。連載の「切り絵」は長い間、ぼくの宝物のようにして筐底にしまわれていたし、その当時から、何年もの間、ぼくの小さな書斎もどきには滝平さんの描かれた世界を飾る暦が月日を数えてくれたことでした。

 「長月の空色袷(あわせ」きたりけり」(一茶)    「菊月の終りの頃の一つの忌 」(加藤 羝羊子)

 (ただ今、午前5時半。室温24.1℃、湿度75%)

【明窓】胸に咲く花 「お彼岸を過ぎて少し過ごしやすくなりましたね」。取材先で交わしたあいさつに、「そう言えば」とうなずいた。窓を開けて寝ると明け方は寒いほど。米子市内から見える大山にかかる雲の“顔つき”も変わってきた▼秋彼岸は「秋分の日」を中日とする7日間。きょうで最後という日の夜に思いがけない電話があった。今は亡き恩人の家族からの着信。闘病中の見舞いも、訃報を聞いてからの弔問もできずにいた。スマホを耳に押し当て、つかの間在りし日をしのび、笑いながら泣き、泣きながら笑った▼彼岸といえば、あの赤い花、そしてある絵本を思い出す。斎藤隆介さん作、滝平二郎さん絵の『花さき山』(岩崎書店)だ。夢かうつつか人里離れた山中で咲き誇る一面の花。ヒガンバナとよく姿の似た、赤、青、黄の鮮やかな花は、麓の村の人たちが「やさしいことをひとつすると ひとつさく」▼10歳の子あやは貧しい家のことを考え、妹がねだった祭り着を自分はぐっと我慢。人はつらさをこらえ、自分のことより誰かのことを思い、花を咲かせる。時には涙のつゆを載せて-▼絵本の美しさが胸に染みる。読み返し、自省した。こんな気持ちでいられれば世界は優しい空気で満たされるだろう。かの人から受けた恩や励ましの言葉も胸で根付き、花を咲かせている。もし機会があっても面と向かっては照れくさくて、とても言えそうにはない。(吉)(山陰中央新報・2024/09/29)

IIIIIIIIIIIIIIIIIII

「徒然に日乗」(519~525)

〇2024/09/29(日)十時に猫缶購入のために土気へ。曇天の一日になりそう。時には小雨も降ってきた。▶米大統領候補者のD元大統領。いよいよ狂気が嵩じてきたように思われる。政策や政見はそっちのけで、意味の通らないしゃべりを脈絡なしに続けるだけ。このままで、投票日まで行くのだろうか(もちろん、各地では郵便投票や期日前投票が始まっている)。こんなに出鱈目な候補者がかつていただろうか。あるいは「痴呆症」が始まっているのかもしれない。その状態を悪用する政治家も腐るほどいるのだから、洋の東西を問わず、政治や政治家には発するべき適切な言葉もない。すべてではないけれど、今日の世界情勢に、悪い影響を及ぼしているのは確か。(525)

2024/09/28(土)ただいま、午後10時。室温25.4℃、湿度75%。▶予報ではで朝まで雨が残るとされていたために、雨が降るかと身構えていたが、ほとんど快晴といっていい天気だった。また南西海上には台風17号、18号が発生、来週半ばには劣島に影響がありそう。低気圧や前線の配置で、どうなるか、気は許せない。涼しくなってきたので、すっかり身体が寒がっている。油断していると風邪をひきそう。▶日米の権力者選びの経緯を見ているが、国力の強弱はあっても、権力争いはいずこも同じような、合従連衡というのか、勝ち馬探しというのか、節操も何もあったものではないという感想を持つばかり。「総裁」は新しく選ばれたが、選んだ母体は「旧態依然」、ということは、選ばれた当人も旧習に泥(なず)んだ御仁だということ。それで何か新しいことができるはずもないのだが。要するに「然るべき椅子」にたどり着きたかっただけの話。「椅子取りゲーム」に血道をあげるのが政治家の本望・本懐なんだろうか。(524)

2024/09/27(金)茂原のスーパーに開店と同時に入店。かなり激しい雨が予想されていた。帰路は予報通りの強雨だった。本日は一日中降る予想だという。台風から変化した熱帯低気圧と秋雨前線が合体して、激しい雨を降らせている。ただ今、夜の9時半。雨は止やんでいる様子。しかし夜半からはまた降るとの予報も出ている。▶自民党の総裁選で、石破氏が当選。予想通りだった。それにしても総裁=総理選びに誰が相応しいかではなく、並み居る老害ども(M.A.Sなど)が自らの党内力学における主導権争いに腕力を発揮したいがための選挙になっている。国民・国家のための代表を選ぶのではなく、たんなるコップの中の覇権争いだった。その争いにA元首相が惨敗を喫したというわけ。彼はこの十年以上も党内における訳の分からない「魑魅魍魎ぶり」を発揮していて、この国の「実力」をはなはだ低下させるに絶大な力を発揮してきた。浅ましい限りだが、そのために国力が著しく低下したのだから、その罪は大きい。(523)

2024/09/26(木)朝から降るような降らないような天候。明日の夕方から、台風十五号の影響で大雨の予想。翌朝も続くという。▶午後3時ころから、焼却炉の灰の処理と、イノシシが掘り出した穴を埋める作業をした。明日は大雨だそうで、不十分ながら、その対策も兼ねて。そして燃やせるごみを処分。ほとんどがパックや紙類。枝葉や草類は、水分を含んでいるので、今は燃やせない。別途に乾燥させておいたものも、本日は燃やさない。大雨が止んでからにしたい。(522)

2024/09/25(水)久しぶりに外での作業を始めた途端に小雨が降ってきた。「珍しい」と「降雨」が結びつけられて、世に伝わってきた理由は何だろう。おそらく降雨も四六時中ということではなかったから、たまに何かすると「雨が降る」と言われたのかもしれない。道路を挟んだ前の空き地の除草を少し。まるで樹木のように太く育った草、仮払い機でも簡単には切り取れないほどで、難儀する。200坪ほどのすべてを刈り取るには相当な日数がかかるだろう。そして拙宅敷地の東側の樹木や竹の伐採と枝下ろし。下草の刈り取り。3~40分もたつとはっきりとわかるほどの雨が落ちてきた。秋雨前線と台風の余波が強めた低気圧が劣島を襲来した後、はっきりと季節が一歩進んだのがわかる。気象庁の予報では、秋冷の候が明らかに感じられるのは11月からだというが。(521)

2024/09/24(火)驚くほど涼しい朝。25℃を切っていた。今日は終日、30℃を超えなかったのだから、記念すべき日だ。いつ以来だろうか。一週間前には静岡では39.1℃を記録していた。これですんなり秋に季節は切り替わるのかと思いきや、気象庁では10月に入っても真夏日・猛暑日は幾日もあるとの予報。▶庭仕事からすっかり遠のいていたが、そろそろ仕上げの作業に取り掛かる時が来たようだ。半分ほども刈り取っておいた草もすっかりもとに戻ってしまった。別種の草類が成長を始めている。植木の手入れ、竹の切り倒しなどなど、たくさんの仕事が残っている。▶能登半島の輪島・珠洲・能都町の水害の状況がさらに大きなものとして明らかにされている。犠牲者が何人も出ている。地区によっては集団移住(避難)を決めたところもある。同じような災難が次々に生じているのは、なぜだろうという大きな疑問や不安が消えないのだ。▶「【エルサレム時事】レバノン保健省は23日、イスラエル軍が同日レバノン各地に加えた空爆による死者が少なくとも492人、負傷者は1645人となったと発表した。AFP通信によれば、子供35人が犠牲となった。イスラエル軍は24日、過去1日で、イスラム教シーア派組織ヒズボラの拠点約1600カ所を攻撃したと明かした。ハレビ参謀総長は「次の段階に向け用意している」と表明しており、交戦が一層激化する可能性がある(以下略)」(時事通信・2024/09/24)「狂気」が地上を席捲している。(520)

2024/09/23(月)十時に猫缶購入のために土気のH.C.まで。▶昼過ぎに茂原まで。高師の「勢寿し」で食事会。小生の「傘寿」の祝いだとか。年齢に拘りたくないけれど、せっかくの申し出を受けることに。参加者は当方二人、娘(双子の二人)とそのうちの一人の娘(小生からは孫に当たる)の五人。娘たちも五十歳を超えた。何とか健康でやっているので、まずは安心。ぼくは性格からして、事細かく子どもたちに物を言ってこなかった。好きなことをしていい、と。もちろん、それでのんびりと暮らせるわけでもないだろうが、困ったときには何時だってリセットすればいいさ、そんな心持で生きていくといいと、自分の生き方の希望しているところを彼女たちにも話してきた。ゆっくりと話す機会もすっかり減ったが、元気(健康)が何よりだと思っている。食事会後、拙宅に戻り、雑談。五時前に帰宅していった。双子の一人は横浜、もう一人は埼玉草加市在。(519)(左写真は滝平二郎氏)

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◉ 滝平二郎(たきだいらじろう】(1921―2009)= 版画家、切絵画家、児童出版美術家。茨城県新治(にいはり)郡(現、小美玉市)の農家に生まれ、石岡農学校を卒業。18歳ころより版画に取り組み、第二次世界大戦後は人民美術を目ざして版画絵本『花岡ものがたり』(1951)を製作。1969年(昭和44)より9年間『朝日新聞』日曜版にさまざまな主題の「きりえ」を連載、読者より絶大な支持を得て一躍切絵の第一人者となった。絵本作品では斎藤隆介(りゅうすけ)の短編に絵をつけた『八郎』(1967)、『三コ』(1969)、『花さき山』(1969)などが著名。(日本大百科事典ニッポニカ)

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捲土重来と合従連衡と

▣ 週の初めに愚考する(第参拾八)~ このところ、暇にあかせて米国大統領選挙の現地ニュースを拾い見しています。候補者に興味があるからというのではなく、いってみれば借家住まいの住人(日本国民)が「大家」(米国大統領)の人品・骨柄を気にせずにはいられない、そんな心境からだ、と言っておきます。「大家」の一存で、少なくとも自分(住人)の生活が左右されるのですから、できるなら、大家さんには善意の人が願わしいと思う。それにしても、アメリカ国民も大変な事態に陥っているのだと、まるでわがことのように心を痛めているのも事実です。「ガラスの天井」だの「女性初」だのと呼び声は高いが、なんのことはない、この十年ほどは極めつけの「破落戸(ごろつき」」に家作を乗っ取られてしまった感がある。無法・無規律が罷り通っています。「悪質犯罪者が大統領選に」という、何とも凄いデモクラシー社会ですよ。

 ルールも何もあったものではない。選挙運動はどこ吹く風、とにかく「俺が親分だ」とばかりに吠えるだけ、それ以外は断固拒否する暴挙は目に余る。選挙(勝ち負け)など最初から問題にしていないのだ。なにがなんでも「俺は大統領だ」と傍若無人の非道徳。その破廉恥な振る舞いを連邦裁判所(大目付)が、それこそ大目に見ているのだから目も当てられません。「民主主義のリーダー」と自他ともに認めていたのは事実で、それを否定する理由もない。つまりは、「民主主義」からはなんだって生まれるということ。数多の鬼っ子、つまりは「暴力・略奪・虚偽・詐欺・無規則・独裁」等々、それこそ忌まわしい前世の記憶や経験がよみがえってくることを止められないのです。

 それに対して、属国(被植民地国)はなす術(すべ)もない。いわば極東の「関所の代官」、そんな塩梅の「総裁」が決まった。ぼくはだれが当選するか、最初から一切関心を持たなくなっています。「自民党」という米国将軍麾下(旗本)の代官政治党派の「統領選び」、外観も中身も何一つ変わらないままに、そこで育てられた「代官候補」がまるでじゃんけんで勝ち負けを争ったようなもの。誰がなろうが、犬や猫がやったところで、政治の本質は変わらない、そんな「総裁(代官)」選びだったでしょう。落ちるところまで落ちたという実感が否定できない。

 案に違わず、「旧態依然」「因循姑息」という惨状が世間に余すところなく暴露されたのです。この「代官選び」を傍目にして、ぼくは「捲土重来」と「合従連衡」という古びた言葉を思い出していました。その意味は、くどくど言うまでもない。コップの中の淀んだ水は、どんなに揺らそうが、かき回そうが、その水質はまったく変化しようがない。その汚水を飲んだ候補者から、驚くべき「政論」や「政見」「清談」が出てくる気づかいは一切なかったのです。

 「源清ければ流清し」、すなわち、その心は「清水に魚棲まず」です、そんな極東小島の政治環境ではあります。悔しいこと、限りなし。

 「戦い済んで日が暮れて」とはならないのが、この「汚染・汚濁政党」の特質です。終わった瞬間から「合従連衡」「捲土重来」が再開されるのが常。派閥解消は、派閥再生の別名です。そして「一致団結」は「論功行賞」の代名詞でもあるでしょう。かくして、党内争い(コップ内の内輪もめ)はこれまで通り継続されるし、かなりひび割れがしているコップですから、いずれ遠くない時期には粉々に割れることは確実です。コップの水を飲まされてきた国民は、汚水とはいえ飲む水に不自由することは間違いのないところ。「民主主義」とは「衆愚政治」の温床であり、独裁制は全体主義の双生児でもあります。

 「蛙の子は蛙(世代交代)」(オタマジャクシは蛙の子)というのは一面の真理。そして「魚屋がひばりを産む(突然変異)」(美空ひばりさんの生家は横浜の魚屋でした)もまた別の真理。真理は無数にあるのです。もちろん、今回の茶番劇は「蛙の合唱劇団」の、爛(ただ)れた一幕物だったというわけ。そこには「トノサマガエル」も「イボガエル」も「アマガエル」も「ヒキガエル」も登場しました。もちろん、そこから生まれた「オタマジャクシ」もウジャウジャ、「やがて手が出て足が出て」、蛙の二世、三世、四世となり、同族一家は衰退してゆく。

・捲土重来=敗北や失敗によって一度は落ちた勢いを、再び取り戻して反撃することのたとえ。一度静まった土煙が、再び巻き上げられるという意味から。「捲土」は土煙が舞い上がる様子のことから、勢いが激しいことのたとえ。「重来」は去ったものが、もう一度やって来ること。「巻土重来」とも書く。(杜牧「題烏江亭」)(四字熟語辞典オンライン)
・合従連衡=その時の利益と損害などの状況に合わせて、国や組織などが手を組んだり、離れたりすること。「従」は縦という意味。「合従」は強大になった秦に対して、周辺の六カ国が縦(南北)に同盟を組んで対抗するという蘇秦の策略のこと。「衡」は横という意味。「連衡」は合従の対抗策として秦の張儀が使った策略で、秦と組む利を説いて合従から抜けさせ、秦と各国が横(東西)に同盟を組むというもの。(「史記」「孟子伝」)(同上)

 「総裁選」に関して、たくさんの「コラム」が趣向を凝らし、奇を衒(てら)うことのない「感想」「寸言」「至言」「名言」「愚論」「暴論」を披歴されていました。その中から勝手な好みで、二・三の引用を。どなたも、腐敗政治に「見切り」「見極め」をつけたものはなかったし、「汚染水」の「処理」方(海洋投棄など)に言及されたものもなかったようです。かくして、「線路は続くよ いつまでも」ということでありましょうし、「この道はいつか来た道」と、途中で気づくかもしれません。でも、再生の時(ルネッサンス)はとっくに過ぎたのです。「奈落の底へ まっしぐら(straight to the depths of hell)」ですね。(ただ今、午前5時50分。室温24.4℃、湿度75%)

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【天地人】「総裁選の名を借りた権力闘争。負けたら冷や飯を食う」。3年前の自民党総裁選。告示前日の派閥総会で領袖(りょうしゅう)の麻生太郎氏が言明した。総裁選は派閥の争いと知ってはいたが、重鎮のすごみある声を聞き派閥の本質を垣間見た。▶麻生派以外の「派閥解消」の流れで9候補が乱立した今回の総裁選。きのうの投開票までの報道から、有力・長老議員がにらみを利かせる派閥の呪縛にとらわれたままの党の姿がほの見えた。▶1回の投票では決まらずと目されていた。国会議員票が地方票より重みを増す決選投票は派閥幹部ら重鎮の動向が鍵となる。投票直前まで接触を重ねた陣営もあったようだ。結局は派閥回帰か。▶新総裁に決まった石破茂氏は、裏金事件で損なわれた信頼を取り戻す政治改革の本気度が問われよう。前提として未解明のままの裏金事件の真実を国民に示すべきだ。政権批判をいとわず「党内野党」とも言われた石破氏の手腕に国民の目が集まる。日本の政治を真に刷新する覚悟やいかに。呪縛を断てず、おざなりな「刷新感」で茶を濁すなら国民は見限る。▶2009年まで4年近く津島派領袖だった津島雄二氏はかつて「派閥が総裁選びの単位になる時代は終わった」と述べた。ただ派閥には政策研究など議員の政治活動を支える使命があるとも。津島氏が世を去り来月で1年。古巣の党の姿はどう見えているだろう。(東奥日報・2024/09/28)

【水や空】逆風満帆の人 訪日客よ、再び日本へ-と願いを込めて「遠客再来」。「千客万来」をもじった創作四字熟語だが、秀作はほかにもある。昨年は野球の侍ジャパンの活躍を「獅子奮迅」ならぬ「侍士(しし)奮迅」とする佳作もあった▲ひと文字やふた文字の違いで言葉は表情を変える。「逆風満帆」という創作熟語もある。健康面か仕事のことか、人には順風ではなく逆風に身をさらし、帆を膨らませることもある▲「政治とカネ」という向かい風に「謙虚で、誠実で、温かく実行力のある自民党」という理想の帆を高く掲げる。「逆風満帆」の人かもしれない。自民の新総裁に石破茂氏が選ばれた。10月1日の臨時国会で首相に就く▲派閥に縛られず、過去最多の9人が立候補したのに、総裁選の終盤では、石破氏を含む何人もの候補者が「派閥の有力者詣で」を続けた。「なりふり構わず」の見本市を見た気がする。それでも組閣や党人事で「脱派閥」に胸を張れるのかどうか。早々に覚悟が問われる▲波風を受けて転覆しないよう、船に砂利や水を積んで重心を下げることがある。これを底荷(そこに)と言う。論戦に強く、政策に通じているのは新総裁の強みであり、底荷だろう▲ずしりと底荷を重くして、信頼や安定感、重量感を得られるか。逆風満帆の船出はもう針路を誤ることができない。(徹)(長崎新聞・2024/09/28)

【天風録】自民党は変わるか スマホの使用は控えてください―。コンサート前などに会場で聞かれるお願い。きのう実質的な次の首相を決める場でも申し合わされた。自民党総裁選で投票先の指示や最後のお願いのメッセージを送れないように▲9人が立候補。「派閥なき総裁選」といわれた。麻生派以外、派閥は解散したから。議員それぞれが共感する人に入れる本来の選挙に。派閥トップの指示に「右へ倣え」で票を投じる、あしき慣習は消えたはずだった▲自民党も変わった―と思われたが現実はどうか。終盤には「重鎮詣で」が目立った。首相経験者や派閥を率いた重鎮の元へ、候補者が続々と。派閥・旧派閥の力は生きており、実力者に頼めば票が動くと考えたのだろう▲首相が選ばれる「力学」は変わらぬようだ。事前の打ち合わせもあったか。あるいは将来、「選挙の顔」として自らの当選に有利なのは誰か―。打算を働かせた議員がいたかもしれない▲「ルールを守る党、政治に」。そう訴える石破茂氏が新総裁になった。裏金事件に関係した議員は「公認にふさわしいか、徹底議論する」。先月語っていたが、翌日にはトーンダウンさせた。自民党の政治は変わるか。国民は見ている。(中国新聞・2024/09/28)

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The falling leaves drift by the window

<あのころ>「ジャズの帝王」が死去 33年前の9月28日 1991(平成3)年9月28日、「ジャズの帝王」と呼ばれたトランペッター、マイルス・デイビスさんが米カリフォルニア州の病院で65歳で死去した。40年代にデビューし、クールジャズ、ハードバップ、クロスオーバーなど時代に応じてさまざまな革新的なスタイルに取り組み、ジャズ界をリードした。(ゲッティ=共同)(共同通信・2024/09/28)

 ここに一枚のレコードを紹介します。マイルスのトランペット(ミュート)による「Autumn Leaves(枯葉)」。レーベルはブルーノート。もちろんシャンソンの名曲ですけれど、どういうわけか、アメリカのジャズミュージシャンたちが競って演奏する曲になっています。数あるマイルスのレコードの中でも、ぼくが最も多く聴いてきたものです。兄貴のコレクションで聞き始めてから、六十年は経っているでしょうか。マイルスが亡くなってもう三十三年が過ぎました。若いころは実に興奮して彼のトランペットを聴いたものだし、あろうことか、どこから持ってきたか、トランペットを手にして、トラックの運転席で吹かしていたことも思い出されます。遠い遠い昔、中学生の頃のこと。                                                                   (「Autumn Leaves」in「Somethin’ Else」・Cannonball Addeley)(https://www.youtube.com/watch?v=CpB7-8SGlJ0&ab_channel=CannonballAdderley-Topic

 マイルスについてもいくつもの記憶がよみがえってきます。ビル・エヴァンスやジョン・コルトレーンとの関係など、いずれも「薬」にまつわる記憶です。このレコードも、CannonballAddeleyの「Somethin’ ELSE」として発売されたものです。この背景に関しては、次の解説に譲ります。「枯葉」についても、何かと駄弁りたいのですが、今日は止めておきます。昨夜来の雨が間断なく続いており、室温が25.4度、湿度が80%の雰囲気では、ひたすらマイルスの沈んだ音色を聴くばかりです。それにしても、なんともすごいメンバーがそろったもの。ハンク・ジョーンズのピアノも素晴らしい。この季節、ぼくはどれくらい、このレコードと出会って来たでしょうか。

 「秋をテーマにした楽曲は、洋の東西を問わず、あるいは日本国内にもさまざまあるが、私が即座に思い描くのは、ジャズのスタンダードナンバー。とりわけ“Autumn”の文字が浮かぶのは、“Autumn Leaves”、いわゆる邦題<枯葉>である。数多くの名演がある中で、真っ先に頭をよぎるのが、マイルス・デイヴィスのミュート・トランペットが印象的なブルーノート・レコードの「Somethin’ Else」に収められた演奏だ。/本作のリーダー名義はアルトサックスのキャノンボール・アダレイだが、実質的な統治はマイルスである。(↴)

 この録音当時、マイルスは麻薬中毒の渦中にあり、ライブや録音といった演奏活動が完遂できない状況にあった。そんなマイルスに手を差し伸べたのが、ブルーノート・レコードのオーナー兼プロデューサーのアレフレッド・ライオンで、この頃米コロムビア・レコードと契約状態にあったマイルスのアルバムという形でなく、キャノンボールをリーダーに据えることで(マイルスをサイドメンとして)録音を進め、この世紀の名盤を生み出したのである。/録音は、ブルーノートのほぼすべての作品を担当したジャズ・レコーディングの開祖ルディ・ヴァン・ゲルダー。彼のニュージャージー州ハッケンサックのスタジオにて1958年3月9日に収録された。他のメンバーは、ピアノ/ハンク・ジョーンズ、ベース/サム・ジョーンズ、ドラムス/アート・ブレイキーのクインテット編成である。(以下略)」 (Draw your sound!)                                           (https://www3.jvckenwood.com/accessory/headphone/lifestyle/musicjourney/special02.html

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 おまけです。Bill Evans Trio – Autumn Leaves (Take 2)(https://www.youtube.com/watch?v=D_Xbiwl4vWg&ab_channel=Bruningable

 ある時期、エヴァンスはマイルスの楽団に入っていたことがあります。彼はその当時も作曲を手掛けていました。有名な逸話ですが、エヴァンスが書いた「名曲」が公表されたときには「マイルス作」となっていたことがあった。そのエピソードを知って、ジャズの世界における「白人差別」のようなものを、ぼくは感じたことがありました。見当違いかもしれませんが、エヴァンスの苦悩の中にも、その意識もあったように思ってきました。

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死刑制度と再審制度の矛盾(承前)

 「人は盗人火は焼亡= 人を見たら盗人と思い、火を見たら火事と思って用心せよという意。何ごとにも用心が第一であることのたとえ」(精選版日本国語大辞典)こんな諺(ことわざ)があるくらいですから、さぞかし「裁判官」などはとても猜疑心の強い人間になるのでしょうか。それ以上に、お巡りはもっと強い「人間不信」に傾いているのかもしれない。それにしても、十分に犯罪を成り立たせる証拠が集まらない中で、「こいつを犯人に仕立て上げる」とばかりに証拠をでっちあげる、つまりは捏造するという「心理」はどういうものなのでしょうか。世に「冤罪」の種は尽きません。「やってもいないのに、やったことにする」という感情は、誰もが持つというものではないでしょう。歪んだ正義感、そんなものがあるとすれば、この「袴田事件」の初動捜査に当たった警察官や刑事は、間違いなしに「歪んだ正義感」の主だったと思う。(ヘッダー写真は「福岡地裁前では、支援者らが「不当決定」と書かれた紙を掲げた=2024年6月5日午前10時5分、福岡市中央区、日吉健吾撮影、朝日新聞・2024/06/05)(https://www.asahi.com/articles/ASS644S0MS64TIPE00NM.html

 その上に、三審制という法廷判断の積み重ねがある、その裁判が、まったく機能していないという、これまた歪んだ正義感に満たされた裁判官がいたのでしょう。一審が下した判決は容易に覆せない。それでも「逆転判決」がないわけではない。しかし、起訴した検察には「抜きがたい無謬性」がこびりついているのです。日本の刑事司法は、いったん起訴された事件・事案は99%は有罪であるという「神話」があります。その神話に生きている検察官や裁判官は、時には「白を黒と言いくるめて」まで、その「無謬神話」の信仰を欲しいままにしているのです。個人の権利を何とも思わなければ、そんな判断はできないのですが。

 「雪冤(せつえん」」という言葉があります。八十八歳生きて来た人生のうち、五十八年も拘禁されていた「死刑囚」が、幾多の苦難を克服して「冤を雪(そそ)いだ」のが袴田事件でした。この経緯を知るにつけ、姉の袴田ひで子さんの「執念」にはひたすら頭を下げるばかりです。「濡れ衣を晴らす」、その一点で彼女は人生を賭けたという思いが強くぼくには働くのです。「冤罪」は「やっていない人に着せる罪」です。国家権力が総力を挙げて、一国民(一私人)を踏み潰す、そんな印象すら湧いてきます。「濡れ衣」を着せられたのは「巌さん」だけではなく、「ひで子さん」も同様だったでしょう。死刑台からの生還といえばいいのか。その時、国家(裁判官や検察官、あるいは警察官)が犯した誤判という「犯罪」の始末はどうつけるのでしょうか。

 最悪の「冤罪」は「作られた犯罪で死刑」の判決を受けることかもしれません。権力は(警察・検察・司法)は踵(きびす)を接して、「濡れ衣」を着せる。それを晴らす手立ては、着せられた側のどこにあるのか。司法に信が置けないなら、この世は地獄ということになるでしょう。明らかに犯罪の証拠や事実が存在するにもかかわらず、公権力はそれを見逃す「不作為」もいつでも見られます。政治家や公務員の犯罪が起訴もされない立証もされないのは日常茶飯に類するでしょう。それに反して、いったん法網にとらえられると三十年、五十年に及んで、自由(人権)が無慈悲にも拘束され、奪われる。今回で戦後四件目の「冤罪から無罪へ」の判例にたどりつきました(この後、検察が控訴しないことを願うばかり)。

 犯罪事実があるにもかかわらず検察が起訴しない事案と犯罪事実を捏造されて死刑台にまで連れていかれる、このギャップは何を意味しているのでしょう。幸いなことに、袴田さんは「無罪」を勝ち取られた。そうではなく、大いに怪しい「冤罪」のままで絞首刑になった「死刑囚」が存在する・したと疑われています。さしずめ、福岡の「飯塚事件*」はその典型だと思われます。

*飯塚事件32年前の「飯塚事件」で再審認めない決定 福岡地裁 1992年、福岡県飯塚市で小学1年生の女の子2人が登校途中に連れ去られ、遺体で見つかったいわゆる「飯塚事件」では、殺人などの罪に問われた久間三千年元死刑囚の死刑が2006年に確定し、その2年後に執行されました。/元死刑囚は一貫して無罪を主張し、3年前、新たな目撃証言を証拠として、家族が2度目の再審=裁判のやり直しを求めていました。/これについて、福岡地方裁判所の鈴嶋晋一裁判長は5日、再審を認めない決定をしました。/決定では、弁護側が新たな証拠とした、事件当日に通学路で被害者の女の子2人を最後に見たとされる女性が「目撃したのは事件当日ではなかったのに、捜査機関に無理やり記憶と異なる調書を作成された」と、当時の調書の内容をみずから否定した証言など2つの証言について、いずれも「信用できない」と判断しました。(以下略):NHK・2024年6月5日)(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240605/k10014471411000.html

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【天風録】検察の理念 われわれの想像が及ばぬほどの苦しみだったに違いない。いつ執行されるか分からぬ死刑の恐怖と長年、向き合わされ続けた。無罪判決を受け、かける言葉さえ、なかなか見つからない▲静岡県一家4人殺害事件の再審公判で袴田巌さんの無実がようやく認められた。逮捕から58年。あまりにも長い。袴田さんの代わりに出廷した姉ひで子さんたち支援者に喜びが広がった。だが、ぬれぎぬを晴らせたとしても奪われた時間は戻らない▲刑事司法には「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」という格言がある。無実の罪を強く戒めたものだ。判決によると、捜査機関は有罪を決定づける証拠を捏造(ねつぞう)してまで、袴田さんを犯人に仕立てた▲袴田さんは88歳、ひで子さんは91歳に。せめて残りの人生は心穏やかに過ごしてもらいたい。判決後、裁判長はひで子さんに語りかけた。「巌さんの自由の扉は開けた。ただ、閉じる可能性もある」と。検察が控訴すれば、死刑囚の立場はなお続く▲検察官の指針「検察の理念」前文は、自分の名誉や評価が「傷つくことをもおそれない胆力が必要」とうたう。過去の誤りを認める胆力を見せてほしい。遅過ぎたとしても。(中国新聞・2024/09/27)

【雷鳴抄】冤罪と謝罪 刑事裁判の取材で忘れられない場面がある。2010年3月に宇都宮地裁で開かれた足利事件の再審判決で、裁判長が菅家利和(すがやとしかず)さん(77)に無罪を言い渡した後、「17年半もの長きにわたり自由を奪い、誠に申し訳なく思う」と謝罪した▼さらに裁判長ら3人の裁判官は、法壇から菅家さんに深々と頭を下げた。判決後、主任弁護人は「最後の最後に素晴らしい裁判官に巡り会えた」と声を震わせた▼1966年の静岡県一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巌(はかまだいわお)さん(88)の再審判決で、静岡地裁が26日に無罪判決を下した。事件から58年。裁判長は「巌さんの自由の扉は開けた。審理に時間がかかり本当に申し訳ない」と謝った。袴田さんを支援する菅家さんも、その姿を法廷で見つめた▼足利市に暮らす菅家さんは、各地で冤罪(えんざい)を訴える人のサポートを続ける。「袴田さんの無罪を信じている」と、静岡県にも十数回足を運んだ。今春に一時体調を崩したが、再び駆け付けた▼支援活動で菅家さんが何度も繰り返す言葉がある。「検察は誤りを認めて謝罪すべきだ」。自身の体験と重ね合わせ、拘禁症状が残る袴田さんの思いを代弁する▼刑事司法の最大の使命は、冤罪を生まないことだ。もし誤ったのなら、捜査機関も謝るのが筋だろう。奪われた人生の月日は、二度と戻らない。(下野新聞・2024/09/27)

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●「正義の行方」:https://seiginoyukue.com/

 冤罪を生み出す権力の構造・・・<飯塚事件について、元東京高裁判事の木谷明弁護士は「DNA鑑定の信用性に疑いが出て、再審請求されるのが確実だったのに、死刑確定の2年後という早い段階で執行された。この事件だけ特に執行を急いだ理由は見当たらず、DNA再鑑定をできなくさせるためと疑われてもやむを得ない。せめて、死後でもうやむやにせず、しっかり結末を付けるべきだ」と話す。/青山学院大の葛野尋之教授(刑事法)は「本人の死後、近親者の死亡や高齢化、事件後の関係悪化で再審請求人が不在になりがちだ。弁護士会などの公益的な立場にある機関が請求人になれる法整備が必要だ」と指摘し、こう続ける。/「死刑確定後の再審無罪は4件あるが、どの事件も最初から明らかに無罪と分かっていたわけではない。受刑者の死亡後に有力な新証拠が出てくるケースもあり、死刑執行については慎重に吟味しなければならない。飯塚事件の例は、死刑制度と再審制度を並行する限り不可避的に起きる問題をはらんでいる」>(東京新聞・2024/02/25)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/311256

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世界で最も長く拘置された死刑囚

 (ただ今、午前7時。室温25.2℃、湿度79%)昨日、静岡地裁で袴田事件」再審の判決が出された。「無罪」判決に文句のあろうはずはありません。ぼくは勤め人時代に、この袴田事件に、自分としてもよく肩入れをしたなと思うほど、関心を持ち続けてきました。弁護団の出される資料などにも目を通し、かなり早い段階から「冤罪」の確信を持っていました。担当する授業でも何度か扱った事件でした。今回の「判決」で、少なくとも刑事事件としての法的手続きに終止符が打たれることを懇願しています。

 この駄文集録に何度も書いていることです。ぼくは「死刑制度廃止」を一貫して支持してきました。もちろん裁判制度を否定するものではありません。その制度を認めるにしても、「死刑」制度は断じて廃止すべきであるとずっと考えてきました。この問題に関しても、このブログの中で何度も触れています。「死刑廃止」は「重大かつ凶悪な事件を増加させる」という、しばしば存置派の論拠となるものが現実を証明しているとは思えない。人間が人間を裁く、その根底にあるのは「国家権力の行使」を無条件で容認する教条(イデオロギー)があるでしょう。袴田さんに下された「判決」で、戦後五人目の「死刑から無罪へ」の生還がもたらされました。その意味するところは、「無実で死刑」になるという「冤罪」が否定しようがないほどに存在してきたということでしょう。

「死刑判決」から「無罪」までに五十八年間の拘束があったことをどのようにして清算するのでしょうか。これは明らかな「国家の犯罪」だというべきでしょう。「世界で最も長く拘置された死刑囚、袴田巌さんに再審無罪判決 事件から58年」というイギリスメディアの報道がありました。(BBC・2024/09/26)(https://www.bbc.com/japanese/articles/czeglyr5xjeo)(右写真は、巌さんの姉の秀子さん)

 「死刑廃止」の後はどうするかに関しても自論を、何度か述べてきました。いずれ、この問題いついては、丁寧に論考したところを述べる機会を持ちたいと思っている。(ヘッダー写真=証拠捏造を断罪した無罪判決、捜査機関に衝撃広がる…静岡県警幹部「正直納得いかない」:読売新聞・2024/09/26)

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【産経抄】司法の「過ち」、袴田さんに再審無罪 古代中国に、「廌(たい)」と呼ばれる神獣がいた。顔と体は鹿、足は馬に似ていたという。噓をつく者の前に立ち、頭の角で突く。そんな伝承が信じられ、真偽を見極める場で重宝された。裁判で角に突かれた者は川に流されたらしい。▼その場面を字に置き換えると、「水」「廌」「去」。これらを組み合わせた「灋(ほう)」が、やがて「法」になった(『部首のはなし2』阿辻哲次著)。無実の罪など、昔の人は疑わなかったのだろう。〝神聖な角〟への信仰は、高い有罪率を誇るいまの刑事裁判に通じるものがある。▼罪を暴き刑罰を科す司法機関の職責は、それゆえ重い。その過ちがどんな悲劇を生むか、法に携わる人々は胸に刻んでほしい。昭和41年に静岡県で起きた一家4人殺害事件の再審で、静岡地裁は死刑が確定した袴田巌さん(88)に無罪を言い渡した。▼「犯行時の着衣」とされた5点の衣類や自白調書などを、判決は「捏造(ねつぞう)」と断じた。無罪の可能性が限りなく高い再審で、有罪立証を試みた検察の姿勢自体は否定しないが、衣類について地裁は、捜査機関が血を付けて隠した―と踏み込んでいる。▼上級審で争うにしても、失う信頼は大きいようにみえる。控訴の可否と検察のメンツは、切り離して考えるべきだろう。袴田さんは意思の疎通が満足にできない。刑の執行におびえながら、長く獄中で過ごした影響といい、歳月の無情を思う。司法の過ちが人の一生を狂わせた。▼吉野弘さんの詩の一節を思い出す。<日々を過ごす/日々を過(あやま)つ/二つは/一つことか>。自白に囚(とら)われ、捜査を尽くせなかった過ち。この日を迎えるまでに、長い春秋を費やした過ち。真犯人を突き止めることも恐らくかなわない。重い教訓が残された。(產經新聞・2024/09/27)

【日報抄】「どのように悪い結果に終わったことも、そもそもの動機は善意であった」。古代ローマの礎を築いたカエサルの言葉である。作家の塩野七生さんが以前、雑誌の企画で紹介していた▼塩野さんは弾圧や粛正を繰り返したヒトラーとスターリンを引き合いに述べた。「善意で始めたことが何で悪い結果になったのか考えない限り、われわれは歴史から一つも学べない」▼一度は死刑が確定した袴田巌さんに再審無罪の判決が下った。事件発生から58年。袴田さんは47年7カ月にわたって自由を奪われ、拘禁症で心を病んだ。意思疎通も難しい。取り返しのつかない冤罪(えんざい)の罪深さを踏まえ、塩野さんの指摘を反芻(はんすう)する▼警察の非人道的な取り調べや見込み捜査が明らかになり、26日の判決は証拠衣類と自白調書の捏造(ねつぞう)を認めた。暗たんとする。ただせめて、捜査員らの悪意から始まった過ちではないと信じたい▼当時の捜査機関は惨殺された一家4人の無念、遺族の悲しみを晴らすべく、事件解決へ執念を燃やしていたはず。どこで何を間違えたのか。正義の実現がメンツの死守にすり替わりはしなかったか。虚心坦懐(たんかい)に司法関係者は見つめ直してほしい▼人は間違う。それを認めた上で、悲劇を繰り返さない仕組みを作らねばならない。審理が途方もなく長期化しがちな再審制度の改善に手を尽くしたい。メディアの安易な犯人視報道の検証も必要だ。「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」。司法界の格言の重みをかみしめる。(新潟日報・2024/09/27)

【有明抄】死刑判決を書いたひと 重大事件の裁判は裁判官3人の「合議」で行われる。法壇の真ん中が裁判長。その右側、傍聴席から左が「右陪席」で裁判長に次ぐベテラン。反対側の「左陪席」には一番若手が座る◆1967年、静岡地裁で一家4人殺しの裁判に、左陪席を務めたのが唐津市鎮西町出身の熊本典道さんだった。まっすぐ裁判長を見つめ、否認を続ける被告人の目。「僕たちが裁かれている気がする」。熊本さんは語ったという◆不自然な証拠、強引に取られた自白調書…。判決文の起草を任された熊本さんの心証は無罪だった。しかし、先輩2人は有罪で譲らなかった。合議は多数決で決まる。言い渡されたのは「死刑」。意に反する判決文を書いた熊本さんは半年後、裁判官を辞めた◆弁護士に転身した熊本さんはやがて酒におぼれて心身を病み、家族とも離散。90年ごろ一時、故郷に身を寄せた。「胸に何か抱え込んでいたのか、ほとんど話をしなかった」と弟の典宏さん(84)はいう。熊本さんが「罪の意識から」判決の過ちを告白したのは、2007年である◆その被告人だった袴田巌さん(88)にやっと無罪が言い渡された。判決を受けた側、下した側をも苦しめ続けた長い長い歳月。「裁判とは何か、法とは何か、ひとの道とは何か考えさせられた」と典宏さん。ねぎらいの言葉をかける兄はもういない。(桑)(佐賀新聞・2024/09/27)

  日本:「袴田事件」静岡地裁が再審無罪の判決 検察は控訴するな 本日9月26日、静岡地方裁判所は、逮捕から58年を経て、ついに袴田巌さんに再審無罪の判決を言い渡した。アムネスティ・インターナショナル日本は、この決定を歓迎するとともに、静岡地方検察庁に対し、控訴を行わないよう強く求める。/逮捕から58年、死刑判決が確定してから44年、2023年10月の再審開始から15回の審理を経て出されたこの判決は、これまで一貫して無実を訴えて闘い続けてきた袴田巖さん(88歳)及び彼を支えた姉のひで子さんや弁護団など国内外のすべての支援者たちの勝利を決定づけるものとなった。/しかし、逮捕と死刑判決によって袴田さんが失った膨大な時間を取り戻すことはできず、拘置所で長年自由を奪われたことによって引き起こされた拘禁症とは今後も闘い続けることになる。/これで袴田さんは、死刑確定後に再審無罪判決を受けた5人目ともなったが、日本の司法の下で起きたこの残酷な過ちを二度と繰り返してはならない。/アムネスティ・インターナショナル日本は、静岡地方検察庁に対し、袴田さんの人権を第一に考え控訴しないよう求める。また、日本政府に対し、半世紀の人生を奪った取り返しのつかない人権侵害を引き起こした死刑制度の廃止を直ちに求める。同時に、廃止に至るまでの間、死刑執行の停止、精神障害や知的障害が懸念される死刑確定者の判決の見直し及び日本の刑事司法制度の改革を求める。(以下略) 2024年9月26日 アムネスティ・インターナショナル日本

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 本日は、早い段階で「袴田事件」を扱った各紙の「コラム」の二、三を出すにとどめておきたい。なお、さらに各紙のコラムが、この後にも続く予定であること、あらかじめお断りしておきます。(2024/09/27・A.M.7:15)

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一切のものは無常である(ブッダ)

 日常の感覚では、死は遠ざけたいものとしてありますが、仏教ではこの死を積極的に位置づけます。…死の問題を通路として、人間存在のことを考えます。(中村元)
 <解説>生と死は別物としてあるのではない。生まれは死を内包している。だから死に眼を背けておびえている人には、死を見つめさせ、見つめることのうち生きることの意味を明らかにさせようとする。(「慈しみの心 No.3151」山陰中央新報・2024/09/26)

 なんでもない書きぶりですね。「死を通路として」とりこむこと、それこそが人間が生きていることの意味だとでもいうのでしょうか。「死を積極的に位置づける」、それが仏教だというのなら、生は死の懐(ふところ)に閉じ込められているともいえそうです。「生の全(まっと)う」「生の完成」「生の終焉」は、「死」が成し遂げる、死があって初めて、それぞれの生が完成するということです。「生死一如(しょうじいちにょ)」という言葉が仏教の世界ではしばしば聞かれます。「生と死は同じ縁起の両面」だとも言います。それをさらに進めて、自己流に言い直せば、「生」にはいつも「死」が伴奏している、まるで影法師との二人三脚のように、ということでしょう。ほとんどの場合、生の伴奏者は目にも見えないし、意識にも上らない。それが健康に生きているという意味です。しかし、「事故」「災厄」に遭遇して生命の危機が訪れる、それが死を意識する機縁となるでしょう。さらに言うなら、自覚があるかないかに無関係に、何時だって生きているそのさなかに「死」は含まれているのです。

 「…だから死に眼を背けておびえている人には、死を見つめさせ、見つめることのうち生きることの意味を明らかにさせようとする」と「解説」は教示しています。「生きることの意味」などあるのでしょうか、とぼくは問う。人間の側が問いかけることによって「生の意味」が明らかになり、問いかけなければ意味はないとでもいうようです。ぼくの心持としては、人間の一存で「意味と無意味」が分かれるものではないのであって、どんな生き方をするにしろ、そこに認められるのは「諸行無常」であり、「寂滅為楽」「寂滅涅槃」だというのが、大方の仏教の最奥にある教えでしょう。この先は語る必要もなさそうです。

 (どこかで触れたことをもう一度。「しょぎょうむじょう‐げ〔シヨギヤウムジヤウ‐〕【諸行無常×偈】=涅槃経にある4句の偈。諸行無常・是生滅法・生滅滅己・寂滅為楽のこと。釈迦が過去世に雪山(せつぜん)として修行中、羅刹に姿を変えた帝釈天からこの偈の前半を聞いて感動し、後半を聞くために我が身を捨てたという。いろは歌はこの偈の意を詠んだものという」(デジタル大辞泉)

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