
本日は長月(9月)晦日(みそか)。内外、まことに多事多端、応接に遑(いとま)なし、そんな日々の連続でした。ただ生きているだけでも一仕事の上に、そこに覆いかぶさるように戦禍の惨状、自然災害に追い打ちをかける人災の悲嘆。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」といわれる。生きていてこその俚諺の導き(教え)です。しかし、瞬時に襲う交通事故や自然災害の災厄をまともに受けて、あたら夭逝を避け得なかった若い、若すぎる人たちの運命を、ぼくたちはいかに受け入れられるか。
昨日のコラム「明窓」(山陰中央新報)、一読、我知らずしみじみとさせられました、出会いと別れのひと時の「夢幻」。こんなぼくにも、逢うは別れの因縁をこれまでに幾たび経験してきたことか。そのいちいちを数え上げることは今はできない。此岸(しがん・この世)に生きるのが現実かと、ぼくたちは疑いもしないが、よくよく考えれば、彼岸(ひがん・あの世)にこそ、わが終(つい)の棲家があるのではと、幻想の誘惑は根強くあります。「明窓」に語られた「花さき山」。大学入学のために上京し、しばらくは地に足のつかない「浮草」のような、あるいは「野良犬」のような居心地の悪さを覚えていました。

その後、ぼくは読書の愉楽や音楽鑑賞の三昧境を覚え、危うく放恣・放埓の陥穽に嵌りかけた瀬戸際で身を持することができたと思った。そんな時、今でもはっきりと記憶しているのが滝平二郎さんの「切り絵の世界」への没入だった。半世紀以上も前の「邂逅」だったが、今なお鮮明にその「世界の佇まい」を感覚の先端で、いや深部で記憶しています。それは当時購読してた新聞の連載で、毎週日曜の朝、「滝平夢幻」の境地に浸ることができたのは、今から考えても放浪癖のあるぼくには大きな救いだった。「人はつらさをこらえ、自分のことより誰かのことを思い、花を咲かせる。時には涙のつゆを載せて」と教える「花さき山」のかすかな記憶。

連載と同時期に刊行された絵本「花さき山」の醸す光と影の綾なす境界は、ぼくの中では微かな陰翳を残すのみとなっています。しかし二郎さんの「切り絵」は今でも溌溂として、あるいは深く切り刻まれた光と影の世界として、脳髄に把持されているのです。連載の「切り絵」は長い間、ぼくの宝物のようにして筐底にしまわれていたし、その当時から、何年もの間、ぼくの小さな書斎もどきには滝平さんの描かれた世界を飾る暦が月日を数えてくれたことでした。
「長月の空色袷(あわせ」きたりけり」(一茶) 「菊月の終りの頃の一つの忌 」(加藤 羝羊子)
(ただ今、午前5時半。室温24.1℃、湿度75%)

【明窓】胸に咲く花 「お彼岸を過ぎて少し過ごしやすくなりましたね」。取材先で交わしたあいさつに、「そう言えば」とうなずいた。窓を開けて寝ると明け方は寒いほど。米子市内から見える大山にかかる雲の“顔つき”も変わってきた▼秋彼岸は「秋分の日」を中日とする7日間。きょうで最後という日の夜に思いがけない電話があった。今は亡き恩人の家族からの着信。闘病中の見舞いも、訃報を聞いてからの弔問もできずにいた。スマホを耳に押し当て、つかの間在りし日をしのび、笑いながら泣き、泣きながら笑った▼彼岸といえば、あの赤い花、そしてある絵本を思い出す。斎藤隆介さん作、滝平二郎さん絵の『花さき山』(岩崎書店)だ。夢かうつつか人里離れた山中で咲き誇る一面の花。ヒガンバナとよく姿の似た、赤、青、黄の鮮やかな花は、麓の村の人たちが「やさしいことをひとつすると ひとつさく」▼10歳の子あやは貧しい家のことを考え、妹がねだった祭り着を自分はぐっと我慢。人はつらさをこらえ、自分のことより誰かのことを思い、花を咲かせる。時には涙のつゆを載せて-▼絵本の美しさが胸に染みる。読み返し、自省した。こんな気持ちでいられれば世界は優しい空気で満たされるだろう。かの人から受けた恩や励ましの言葉も胸で根付き、花を咲かせている。もし機会があっても面と向かっては照れくさくて、とても言えそうにはない。(吉)(山陰中央新報・2024/09/29)
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「徒然に日乗」(519~525)

〇2024/09/29(日)十時に猫缶購入のために土気へ。曇天の一日になりそう。時には小雨も降ってきた。▶米大統領候補者のD元大統領。いよいよ狂気が嵩じてきたように思われる。政策や政見はそっちのけで、意味の通らないしゃべりを脈絡なしに続けるだけ。このままで、投票日まで行くのだろうか(もちろん、各地では郵便投票や期日前投票が始まっている)。こんなに出鱈目な候補者がかつていただろうか。あるいは「痴呆症」が始まっているのかもしれない。その状態を悪用する政治家も腐るほどいるのだから、洋の東西を問わず、政治や政治家には発するべき適切な言葉もない。すべてではないけれど、今日の世界情勢に、悪い影響を及ぼしているのは確か。(525)
〇2024/09/28(土)ただいま、午後10時。室温25.4℃、湿度75%。▶予報ではで朝まで雨が残るとされていたために、雨が降るかと身構えていたが、ほとんど快晴といっていい天気だった。また南西海上には台風17号、18号が発生、来週半ばには劣島に影響がありそう。低気圧や前線の配置で、どうなるか、気は許せない。涼しくなってきたので、すっかり身体が寒がっている。油断していると風邪をひきそう。▶日米の権力者選びの経緯を見ているが、国力の強弱はあっても、権力争いはいずこも同じような、合従連衡というのか、勝ち馬探しというのか、節操も何もあったものではないという感想を持つばかり。「総裁」は新しく選ばれたが、選んだ母体は「旧態依然」、ということは、選ばれた当人も旧習に泥(なず)んだ御仁だということ。それで何か新しいことができるはずもないのだが。要するに「然るべき椅子」にたどり着きたかっただけの話。「椅子取りゲーム」に血道をあげるのが政治家の本望・本懐なんだろうか。(524)

〇2024/09/27(金)茂原のスーパーに開店と同時に入店。かなり激しい雨が予想されていた。帰路は予報通りの強雨だった。本日は一日中降る予想だという。台風から変化した熱帯低気圧と秋雨前線が合体して、激しい雨を降らせている。ただ今、夜の9時半。雨は止やんでいる様子。しかし夜半からはまた降るとの予報も出ている。▶自民党の総裁選で、石破氏が当選。予想通りだった。それにしても総裁=総理選びに誰が相応しいかではなく、並み居る老害ども(M.A.Sなど)が自らの党内力学における主導権争いに腕力を発揮したいがための選挙になっている。国民・国家のための代表を選ぶのではなく、たんなるコップの中の覇権争いだった。その争いにA元首相が惨敗を喫したというわけ。彼はこの十年以上も党内における訳の分からない「魑魅魍魎ぶり」を発揮していて、この国の「実力」をはなはだ低下させるに絶大な力を発揮してきた。浅ましい限りだが、そのために国力が著しく低下したのだから、その罪は大きい。(523)
〇2024/09/26(木)朝から降るような降らないような天候。明日の夕方から、台風十五号の影響で大雨の予想。翌朝も続くという。▶午後3時ころから、焼却炉の灰の処理と、イノシシが掘り出した穴を埋める作業をした。明日は大雨だそうで、不十分ながら、その対策も兼ねて。そして燃やせるごみを処分。ほとんどがパックや紙類。枝葉や草類は、水分を含んでいるので、今は燃やせない。別途に乾燥させておいたものも、本日は燃やさない。大雨が止んでからにしたい。(522)

〇2024/09/25(水)久しぶりに外での作業を始めた途端に小雨が降ってきた。「珍しい」と「降雨」が結びつけられて、世に伝わってきた理由は何だろう。おそらく降雨も四六時中ということではなかったから、たまに何かすると「雨が降る」と言われたのかもしれない。道路を挟んだ前の空き地の除草を少し。まるで樹木のように太く育った草、仮払い機でも簡単には切り取れないほどで、難儀する。200坪ほどのすべてを刈り取るには相当な日数がかかるだろう。そして拙宅敷地の東側の樹木や竹の伐採と枝下ろし。下草の刈り取り。3~40分もたつとはっきりとわかるほどの雨が落ちてきた。秋雨前線と台風の余波が強めた低気圧が劣島を襲来した後、はっきりと季節が一歩進んだのがわかる。気象庁の予報では、秋冷の候が明らかに感じられるのは11月からだというが。(521)
〇2024/09/24(火)驚くほど涼しい朝。25℃を切っていた。今日は終日、30℃を超えなかったのだから、記念すべき日だ。いつ以来だろうか。一週間前には静岡では39.1℃を記録していた。これですんなり秋に季節は切り替わるのかと思いきや、気象庁では10月に入っても真夏日・猛暑日は幾日もあるとの予報。▶庭仕事からすっかり遠のいていたが、そろそろ仕上げの作業に取り掛かる時が来たようだ。半分ほども刈り取っておいた草もすっかりもとに戻ってしまった。別種の草類が成長を始めている。植木の手入れ、竹の切り倒しなどなど、たくさんの仕事が残っている。▶能登半島の輪島・珠洲・能都町の水害の状況がさらに大きなものとして明らかにされている。犠牲者が何人も出ている。地区によっては集団移住(避難)を決めたところもある。同じような災難が次々に生じているのは、なぜだろうという大きな疑問や不安が消えないのだ。▶「【エルサレム時事】レバノン保健省は23日、イスラエル軍が同日レバノン各地に加えた空爆による死者が少なくとも492人、負傷者は1645人となったと発表した。AFP通信によれば、子供35人が犠牲となった。イスラエル軍は24日、過去1日で、イスラム教シーア派組織ヒズボラの拠点約1600カ所を攻撃したと明かした。ハレビ参謀総長は「次の段階に向け用意している」と表明しており、交戦が一層激化する可能性がある(以下略)」(時事通信・2024/09/24)「狂気」が地上を席捲している。(520)

〇2024/09/23(月)十時に猫缶購入のために土気のH.C.まで。▶昼過ぎに茂原まで。高師の「勢寿し」で食事会。小生の「傘寿」の祝いだとか。年齢に拘りたくないけれど、せっかくの申し出を受けることに。参加者は当方二人、娘(双子の二人)とそのうちの一人の娘(小生からは孫に当たる)の五人。娘たちも五十歳を超えた。何とか健康でやっているので、まずは安心。ぼくは性格からして、事細かく子どもたちに物を言ってこなかった。好きなことをしていい、と。もちろん、それでのんびりと暮らせるわけでもないだろうが、困ったときには何時だってリセットすればいいさ、そんな心持で生きていくといいと、自分の生き方の希望しているところを彼女たちにも話してきた。ゆっくりと話す機会もすっかり減ったが、元気(健康)が何よりだと思っている。食事会後、拙宅に戻り、雑談。五時前に帰宅していった。双子の一人は横浜、もう一人は埼玉草加市在。(519)(左写真は滝平二郎氏)
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◉ 滝平二郎(たきだいらじろう】(1921―2009)= 版画家、切絵画家、児童出版美術家。茨城県新治(にいはり)郡(現、小美玉市)の農家に生まれ、石岡農学校を卒業。18歳ころより版画に取り組み、第二次世界大戦後は人民美術を目ざして版画絵本『花岡ものがたり』(1951)を製作。1969年(昭和44)より9年間『朝日新聞』日曜版にさまざまな主題の「きりえ」を連載、読者より絶大な支持を得て一躍切絵の第一人者となった。絵本作品では斎藤隆介(りゅうすけ)の短編に絵をつけた『八郎』(1967)、『三コ』(1969)、『花さき山』(1969)などが著名。(日本大百科事典ニッポニカ)
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