
(ただ今、午前7時。室温25.2℃、湿度79%)昨日、静岡地裁で袴田事件」再審の判決が出された。「無罪」判決に文句のあろうはずはありません。ぼくは勤め人時代に、この袴田事件に、自分としてもよく肩入れをしたなと思うほど、関心を持ち続けてきました。弁護団の出される資料などにも目を通し、かなり早い段階から「冤罪」の確信を持っていました。担当する授業でも何度か扱った事件でした。今回の「判決」で、少なくとも刑事事件としての法的手続きに終止符が打たれることを懇願しています。

この駄文集録に何度も書いていることです。ぼくは「死刑制度廃止」を一貫して支持してきました。もちろん裁判制度を否定するものではありません。その制度を認めるにしても、「死刑」制度は断じて廃止すべきであるとずっと考えてきました。この問題に関しても、このブログの中で何度も触れています。「死刑廃止」は「重大かつ凶悪な事件を増加させる」という、しばしば存置派の論拠となるものが現実を証明しているとは思えない。人間が人間を裁く、その根底にあるのは「国家権力の行使」を無条件で容認する教条(イデオロギー)があるでしょう。袴田さんに下された「判決」で、戦後五人目の「死刑から無罪へ」の生還がもたらされました。その意味するところは、「無実で死刑」になるという「冤罪」が否定しようがないほどに存在してきたということでしょう。

「死刑判決」から「無罪」までに五十八年間の拘束があったことをどのようにして清算するのでしょうか。これは明らかな「国家の犯罪」だというべきでしょう。「世界で最も長く拘置された死刑囚、袴田巌さんに再審無罪判決 事件から58年」というイギリスメディアの報道がありました。(BBC・2024/09/26)(https://www.bbc.com/japanese/articles/czeglyr5xjeo)(右写真は、巌さんの姉の秀子さん)
「死刑廃止」の後はどうするかに関しても自論を、何度か述べてきました。いずれ、この問題いついては、丁寧に論考したところを述べる機会を持ちたいと思っている。(ヘッダー写真=証拠捏造を断罪した無罪判決、捜査機関に衝撃広がる…静岡県警幹部「正直納得いかない」:読売新聞・2024/09/26)
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【産経抄】司法の「過ち」、袴田さんに再審無罪 古代中国に、「廌(たい)」と呼ばれる神獣がいた。顔と体は鹿、足は馬に似ていたという。噓をつく者の前に立ち、頭の角で突く。そんな伝承が信じられ、真偽を見極める場で重宝された。裁判で角に突かれた者は川に流されたらしい。▼その場面を字に置き換えると、「水」「廌」「去」。これらを組み合わせた「灋(ほう)」が、やがて「法」になった(『部首のはなし2』阿辻哲次著)。無実の罪など、昔の人は疑わなかったのだろう。〝神聖な角〟への信仰は、高い有罪率を誇るいまの刑事裁判に通じるものがある。▼罪を暴き刑罰を科す司法機関の職責は、それゆえ重い。その過ちがどんな悲劇を生むか、法に携わる人々は胸に刻んでほしい。昭和41年に静岡県で起きた一家4人殺害事件の再審で、静岡地裁は死刑が確定した袴田巌さん(88)に無罪を言い渡した。▼「犯行時の着衣」とされた5点の衣類や自白調書などを、判決は「捏造(ねつぞう)」と断じた。無罪の可能性が限りなく高い再審で、有罪立証を試みた検察の姿勢自体は否定しないが、衣類について地裁は、捜査機関が血を付けて隠した―と踏み込んでいる。▼上級審で争うにしても、失う信頼は大きいようにみえる。控訴の可否と検察のメンツは、切り離して考えるべきだろう。袴田さんは意思の疎通が満足にできない。刑の執行におびえながら、長く獄中で過ごした影響といい、歳月の無情を思う。司法の過ちが人の一生を狂わせた。▼吉野弘さんの詩の一節を思い出す。<日々を過ごす/日々を過(あやま)つ/二つは/一つことか>。自白に囚(とら)われ、捜査を尽くせなかった過ち。この日を迎えるまでに、長い春秋を費やした過ち。真犯人を突き止めることも恐らくかなわない。重い教訓が残された。(產經新聞・2024/09/27)

【日報抄】「どのように悪い結果に終わったことも、そもそもの動機は善意であった」。古代ローマの礎を築いたカエサルの言葉である。作家の塩野七生さんが以前、雑誌の企画で紹介していた▼塩野さんは弾圧や粛正を繰り返したヒトラーとスターリンを引き合いに述べた。「善意で始めたことが何で悪い結果になったのか考えない限り、われわれは歴史から一つも学べない」▼一度は死刑が確定した袴田巌さんに再審無罪の判決が下った。事件発生から58年。袴田さんは47年7カ月にわたって自由を奪われ、拘禁症で心を病んだ。意思疎通も難しい。取り返しのつかない冤罪(えんざい)の罪深さを踏まえ、塩野さんの指摘を反芻(はんすう)する▼警察の非人道的な取り調べや見込み捜査が明らかになり、26日の判決は証拠衣類と自白調書の捏造(ねつぞう)を認めた。暗たんとする。ただせめて、捜査員らの悪意から始まった過ちではないと信じたい▼当時の捜査機関は惨殺された一家4人の無念、遺族の悲しみを晴らすべく、事件解決へ執念を燃やしていたはず。どこで何を間違えたのか。正義の実現がメンツの死守にすり替わりはしなかったか。虚心坦懐(たんかい)に司法関係者は見つめ直してほしい▼人は間違う。それを認めた上で、悲劇を繰り返さない仕組みを作らねばならない。審理が途方もなく長期化しがちな再審制度の改善に手を尽くしたい。メディアの安易な犯人視報道の検証も必要だ。「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」。司法界の格言の重みをかみしめる。(新潟日報・2024/09/27)

【有明抄】死刑判決を書いたひと 重大事件の裁判は裁判官3人の「合議」で行われる。法壇の真ん中が裁判長。その右側、傍聴席から左が「右陪席」で裁判長に次ぐベテラン。反対側の「左陪席」には一番若手が座る◆1967年、静岡地裁で一家4人殺しの裁判に、左陪席を務めたのが唐津市鎮西町出身の熊本典道さんだった。まっすぐ裁判長を見つめ、否認を続ける被告人の目。「僕たちが裁かれている気がする」。熊本さんは語ったという◆不自然な証拠、強引に取られた自白調書…。判決文の起草を任された熊本さんの心証は無罪だった。しかし、先輩2人は有罪で譲らなかった。合議は多数決で決まる。言い渡されたのは「死刑」。意に反する判決文を書いた熊本さんは半年後、裁判官を辞めた◆弁護士に転身した熊本さんはやがて酒におぼれて心身を病み、家族とも離散。90年ごろ一時、故郷に身を寄せた。「胸に何か抱え込んでいたのか、ほとんど話をしなかった」と弟の典宏さん(84)はいう。熊本さんが「罪の意識から」判決の過ちを告白したのは、2007年である◆その被告人だった袴田巌さん(88)にやっと無罪が言い渡された。判決を受けた側、下した側をも苦しめ続けた長い長い歳月。「裁判とは何か、法とは何か、ひとの道とは何か考えさせられた」と典宏さん。ねぎらいの言葉をかける兄はもういない。(桑)(佐賀新聞・2024/09/27)

日本:「袴田事件」静岡地裁が再審無罪の判決 検察は控訴するな 本日9月26日、静岡地方裁判所は、逮捕から58年を経て、ついに袴田巌さんに再審無罪の判決を言い渡した。アムネスティ・インターナショナル日本は、この決定を歓迎するとともに、静岡地方検察庁に対し、控訴を行わないよう強く求める。/逮捕から58年、死刑判決が確定してから44年、2023年10月の再審開始から15回の審理を経て出されたこの判決は、これまで一貫して無実を訴えて闘い続けてきた袴田巖さん(88歳)及び彼を支えた姉のひで子さんや弁護団など国内外のすべての支援者たちの勝利を決定づけるものとなった。/しかし、逮捕と死刑判決によって袴田さんが失った膨大な時間を取り戻すことはできず、拘置所で長年自由を奪われたことによって引き起こされた拘禁症とは今後も闘い続けることになる。/これで袴田さんは、死刑確定後に再審無罪判決を受けた5人目ともなったが、日本の司法の下で起きたこの残酷な過ちを二度と繰り返してはならない。/アムネスティ・インターナショナル日本は、静岡地方検察庁に対し、袴田さんの人権を第一に考え控訴しないよう求める。また、日本政府に対し、半世紀の人生を奪った取り返しのつかない人権侵害を引き起こした死刑制度の廃止を直ちに求める。同時に、廃止に至るまでの間、死刑執行の停止、精神障害や知的障害が懸念される死刑確定者の判決の見直し及び日本の刑事司法制度の改革を求める。(以下略) 2024年9月26日 アムネスティ・インターナショナル日本
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本日は、早い段階で「袴田事件」を扱った各紙の「コラム」の二、三を出すにとどめておきたい。なお、さらに各紙のコラムが、この後にも続く予定であること、あらかじめお断りしておきます。(2024/09/27・A.M.7:15)
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