世界で最も長く拘置された死刑囚

 (ただ今、午前7時。室温25.2℃、湿度79%)昨日、静岡地裁で袴田事件」再審の判決が出された。「無罪」判決に文句のあろうはずはありません。ぼくは勤め人時代に、この袴田事件に、自分としてもよく肩入れをしたなと思うほど、関心を持ち続けてきました。弁護団の出される資料などにも目を通し、かなり早い段階から「冤罪」の確信を持っていました。担当する授業でも何度か扱った事件でした。今回の「判決」で、少なくとも刑事事件としての法的手続きに終止符が打たれることを懇願しています。

 この駄文集録に何度も書いていることです。ぼくは「死刑制度廃止」を一貫して支持してきました。もちろん裁判制度を否定するものではありません。その制度を認めるにしても、「死刑」制度は断じて廃止すべきであるとずっと考えてきました。この問題に関しても、このブログの中で何度も触れています。「死刑廃止」は「重大かつ凶悪な事件を増加させる」という、しばしば存置派の論拠となるものが現実を証明しているとは思えない。人間が人間を裁く、その根底にあるのは「国家権力の行使」を無条件で容認する教条(イデオロギー)があるでしょう。袴田さんに下された「判決」で、戦後五人目の「死刑から無罪へ」の生還がもたらされました。その意味するところは、「無実で死刑」になるという「冤罪」が否定しようがないほどに存在してきたということでしょう。

「死刑判決」から「無罪」までに五十八年間の拘束があったことをどのようにして清算するのでしょうか。これは明らかな「国家の犯罪」だというべきでしょう。「世界で最も長く拘置された死刑囚、袴田巌さんに再審無罪判決 事件から58年」というイギリスメディアの報道がありました。(BBC・2024/09/26)(https://www.bbc.com/japanese/articles/czeglyr5xjeo)(右写真は、巌さんの姉の秀子さん)

 「死刑廃止」の後はどうするかに関しても自論を、何度か述べてきました。いずれ、この問題いついては、丁寧に論考したところを述べる機会を持ちたいと思っている。(ヘッダー写真=証拠捏造を断罪した無罪判決、捜査機関に衝撃広がる…静岡県警幹部「正直納得いかない」:読売新聞・2024/09/26)

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【産経抄】司法の「過ち」、袴田さんに再審無罪 古代中国に、「廌(たい)」と呼ばれる神獣がいた。顔と体は鹿、足は馬に似ていたという。噓をつく者の前に立ち、頭の角で突く。そんな伝承が信じられ、真偽を見極める場で重宝された。裁判で角に突かれた者は川に流されたらしい。▼その場面を字に置き換えると、「水」「廌」「去」。これらを組み合わせた「灋(ほう)」が、やがて「法」になった(『部首のはなし2』阿辻哲次著)。無実の罪など、昔の人は疑わなかったのだろう。〝神聖な角〟への信仰は、高い有罪率を誇るいまの刑事裁判に通じるものがある。▼罪を暴き刑罰を科す司法機関の職責は、それゆえ重い。その過ちがどんな悲劇を生むか、法に携わる人々は胸に刻んでほしい。昭和41年に静岡県で起きた一家4人殺害事件の再審で、静岡地裁は死刑が確定した袴田巌さん(88)に無罪を言い渡した。▼「犯行時の着衣」とされた5点の衣類や自白調書などを、判決は「捏造(ねつぞう)」と断じた。無罪の可能性が限りなく高い再審で、有罪立証を試みた検察の姿勢自体は否定しないが、衣類について地裁は、捜査機関が血を付けて隠した―と踏み込んでいる。▼上級審で争うにしても、失う信頼は大きいようにみえる。控訴の可否と検察のメンツは、切り離して考えるべきだろう。袴田さんは意思の疎通が満足にできない。刑の執行におびえながら、長く獄中で過ごした影響といい、歳月の無情を思う。司法の過ちが人の一生を狂わせた。▼吉野弘さんの詩の一節を思い出す。<日々を過ごす/日々を過(あやま)つ/二つは/一つことか>。自白に囚(とら)われ、捜査を尽くせなかった過ち。この日を迎えるまでに、長い春秋を費やした過ち。真犯人を突き止めることも恐らくかなわない。重い教訓が残された。(產經新聞・2024/09/27)

【日報抄】「どのように悪い結果に終わったことも、そもそもの動機は善意であった」。古代ローマの礎を築いたカエサルの言葉である。作家の塩野七生さんが以前、雑誌の企画で紹介していた▼塩野さんは弾圧や粛正を繰り返したヒトラーとスターリンを引き合いに述べた。「善意で始めたことが何で悪い結果になったのか考えない限り、われわれは歴史から一つも学べない」▼一度は死刑が確定した袴田巌さんに再審無罪の判決が下った。事件発生から58年。袴田さんは47年7カ月にわたって自由を奪われ、拘禁症で心を病んだ。意思疎通も難しい。取り返しのつかない冤罪(えんざい)の罪深さを踏まえ、塩野さんの指摘を反芻(はんすう)する▼警察の非人道的な取り調べや見込み捜査が明らかになり、26日の判決は証拠衣類と自白調書の捏造(ねつぞう)を認めた。暗たんとする。ただせめて、捜査員らの悪意から始まった過ちではないと信じたい▼当時の捜査機関は惨殺された一家4人の無念、遺族の悲しみを晴らすべく、事件解決へ執念を燃やしていたはず。どこで何を間違えたのか。正義の実現がメンツの死守にすり替わりはしなかったか。虚心坦懐(たんかい)に司法関係者は見つめ直してほしい▼人は間違う。それを認めた上で、悲劇を繰り返さない仕組みを作らねばならない。審理が途方もなく長期化しがちな再審制度の改善に手を尽くしたい。メディアの安易な犯人視報道の検証も必要だ。「10人の真犯人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」。司法界の格言の重みをかみしめる。(新潟日報・2024/09/27)

【有明抄】死刑判決を書いたひと 重大事件の裁判は裁判官3人の「合議」で行われる。法壇の真ん中が裁判長。その右側、傍聴席から左が「右陪席」で裁判長に次ぐベテラン。反対側の「左陪席」には一番若手が座る◆1967年、静岡地裁で一家4人殺しの裁判に、左陪席を務めたのが唐津市鎮西町出身の熊本典道さんだった。まっすぐ裁判長を見つめ、否認を続ける被告人の目。「僕たちが裁かれている気がする」。熊本さんは語ったという◆不自然な証拠、強引に取られた自白調書…。判決文の起草を任された熊本さんの心証は無罪だった。しかし、先輩2人は有罪で譲らなかった。合議は多数決で決まる。言い渡されたのは「死刑」。意に反する判決文を書いた熊本さんは半年後、裁判官を辞めた◆弁護士に転身した熊本さんはやがて酒におぼれて心身を病み、家族とも離散。90年ごろ一時、故郷に身を寄せた。「胸に何か抱え込んでいたのか、ほとんど話をしなかった」と弟の典宏さん(84)はいう。熊本さんが「罪の意識から」判決の過ちを告白したのは、2007年である◆その被告人だった袴田巌さん(88)にやっと無罪が言い渡された。判決を受けた側、下した側をも苦しめ続けた長い長い歳月。「裁判とは何か、法とは何か、ひとの道とは何か考えさせられた」と典宏さん。ねぎらいの言葉をかける兄はもういない。(桑)(佐賀新聞・2024/09/27)

  日本:「袴田事件」静岡地裁が再審無罪の判決 検察は控訴するな 本日9月26日、静岡地方裁判所は、逮捕から58年を経て、ついに袴田巌さんに再審無罪の判決を言い渡した。アムネスティ・インターナショナル日本は、この決定を歓迎するとともに、静岡地方検察庁に対し、控訴を行わないよう強く求める。/逮捕から58年、死刑判決が確定してから44年、2023年10月の再審開始から15回の審理を経て出されたこの判決は、これまで一貫して無実を訴えて闘い続けてきた袴田巖さん(88歳)及び彼を支えた姉のひで子さんや弁護団など国内外のすべての支援者たちの勝利を決定づけるものとなった。/しかし、逮捕と死刑判決によって袴田さんが失った膨大な時間を取り戻すことはできず、拘置所で長年自由を奪われたことによって引き起こされた拘禁症とは今後も闘い続けることになる。/これで袴田さんは、死刑確定後に再審無罪判決を受けた5人目ともなったが、日本の司法の下で起きたこの残酷な過ちを二度と繰り返してはならない。/アムネスティ・インターナショナル日本は、静岡地方検察庁に対し、袴田さんの人権を第一に考え控訴しないよう求める。また、日本政府に対し、半世紀の人生を奪った取り返しのつかない人権侵害を引き起こした死刑制度の廃止を直ちに求める。同時に、廃止に至るまでの間、死刑執行の停止、精神障害や知的障害が懸念される死刑確定者の判決の見直し及び日本の刑事司法制度の改革を求める。(以下略) 2024年9月26日 アムネスティ・インターナショナル日本

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 本日は、早い段階で「袴田事件」を扱った各紙の「コラム」の二、三を出すにとどめておきたい。なお、さらに各紙のコラムが、この後にも続く予定であること、あらかじめお断りしておきます。(2024/09/27・A.M.7:15)

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一切のものは無常である(ブッダ)

 日常の感覚では、死は遠ざけたいものとしてありますが、仏教ではこの死を積極的に位置づけます。…死の問題を通路として、人間存在のことを考えます。(中村元)
 <解説>生と死は別物としてあるのではない。生まれは死を内包している。だから死に眼を背けておびえている人には、死を見つめさせ、見つめることのうち生きることの意味を明らかにさせようとする。(「慈しみの心 No.3151」山陰中央新報・2024/09/26)

 なんでもない書きぶりですね。「死を通路として」とりこむこと、それこそが人間が生きていることの意味だとでもいうのでしょうか。「死を積極的に位置づける」、それが仏教だというのなら、生は死の懐(ふところ)に閉じ込められているともいえそうです。「生の全(まっと)う」「生の完成」「生の終焉」は、「死」が成し遂げる、死があって初めて、それぞれの生が完成するということです。「生死一如(しょうじいちにょ)」という言葉が仏教の世界ではしばしば聞かれます。「生と死は同じ縁起の両面」だとも言います。それをさらに進めて、自己流に言い直せば、「生」にはいつも「死」が伴奏している、まるで影法師との二人三脚のように、ということでしょう。ほとんどの場合、生の伴奏者は目にも見えないし、意識にも上らない。それが健康に生きているという意味です。しかし、「事故」「災厄」に遭遇して生命の危機が訪れる、それが死を意識する機縁となるでしょう。さらに言うなら、自覚があるかないかに無関係に、何時だって生きているそのさなかに「死」は含まれているのです。

 「…だから死に眼を背けておびえている人には、死を見つめさせ、見つめることのうち生きることの意味を明らかにさせようとする」と「解説」は教示しています。「生きることの意味」などあるのでしょうか、とぼくは問う。人間の側が問いかけることによって「生の意味」が明らかになり、問いかけなければ意味はないとでもいうようです。ぼくの心持としては、人間の一存で「意味と無意味」が分かれるものではないのであって、どんな生き方をするにしろ、そこに認められるのは「諸行無常」であり、「寂滅為楽」「寂滅涅槃」だというのが、大方の仏教の最奥にある教えでしょう。この先は語る必要もなさそうです。

 (どこかで触れたことをもう一度。「しょぎょうむじょう‐げ〔シヨギヤウムジヤウ‐〕【諸行無常×偈】=涅槃経にある4句の偈。諸行無常・是生滅法・生滅滅己・寂滅為楽のこと。釈迦が過去世に雪山(せつぜん)として修行中、羅刹に姿を変えた帝釈天からこの偈の前半を聞いて感動し、後半を聞くために我が身を捨てたという。いろは歌はこの偈の意を詠んだものという」(デジタル大辞泉)

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私たちにできることは何だろう

 奇しくも9月21日、奥能登地方を猛烈な豪雨が襲った。いわゆる線状降水帯が発生し、あらゆる地上の存在を押し流す勢いで打ち付け続けた。四日も経つのに、日に日に、千葉の辺地に住む一老人の元気が失われてゆく。自らが被災したかのように、すっかり打ちひしがれている。日を追うにつれて、被災の大きさ、惨(むご)さが明かされてきます。それを目の当たりにするにつけ、いろいろな感情が生まれてくる。「産経抄」氏は書く、「輪島市では3地区の仮設が、ハザードマップで浸水想定区域とされる場所に建てられていた。ただでさえ平地の少ない能登半島である。生活再建のスピードが求められる中、行政を責めるのは酷な気もする」と。確かにそうかもしれないが、浸水想定区域とわかっているところに仮設住宅を建てて、それで事足れりとするなら、なんだって用が足りるだろう。(ヘッダー写真「能登半島地震で被災する前の、石川県輪島市の白米千枚田」(白米千枚田愛耕会提供)(西日本新聞・2024/09/25:https://www.nishinippon.co.jp/image/759434/

 悪いのは平地の少ない能登半島であり、突然降って湧いた如くの線状降水帯であり、危険を承知で仮設住宅に入居した住民だ、とでも言っているような気がするのだ。產經新聞をとやかく言っても始まらないし、事が起った後だから、なんとでもいえるという話なら、犠牲者は救われない。一日も早く集団避難生活を終わりにして、狭くても「仮設」にと望むのは人情だ、けれど、水害の危険性がある場所に建てることはないだろうと、ぼくは言ってみたくなる。好き勝手なことを放言して、それで気が済むものではない。言うだけ空しさが募る。だから、行政や政治に託されている願いを、関係する人々は普段から真面目に受け止めてくれないかと、役所の人間にも政治家を名乗る人間にも、機会があるごとに、直接に間接に、ぼくは言い続けているのだ。どこにでもいる、いかにも見すぼらしい老人であることを隠さない。それだからこそ、当たり前に生きている人間の心情を足蹴にしたくないし、されたくないのだ。

 下に引いた中日新聞に、地震で被災した地区の漁師が「5月に入居する際、川が増水したらどうなるか、市の担当者に聞いたが『前例がないから大丈夫』と言われた」と語っている。(本当に前例の有無)を調べたか、調べて応じたか)役場の人間としてはそういうほかなかったのだろうか。「この交差点は重大な交通事故が起こる危険性があるから」と警察や行政に改善方を陳情したとして、「それほどの重大事故が起こっていないから、このままでも大丈夫」と返答されたらどうだろうか。今回も「1000年に一回の雨」との想定らしいが、その「1000年に一回」が立て続けに発生している現実をなんと見るのだろうか。地震でも津波でも、「想定外」だと、自らの想像力や惻隠の情の希薄さを誇ってどうするのだと文句も言いたくなる。

【産経抄】無情な「氵」の仕打ち、能登地方の豪雨災害 常用漢字は全部で2136字ある。中でも部首として多くの字を持つのが「氵」(さんずい)という。「水」(みず・したみず)などを含めると、その数は約120に上る。河、海、泉…。水との関わりが一目で分かる字も多い。▼元日の地震で打撃を受けた被災地が、「氵」の無情な追い打ちに苦しんでいる。石川県能登地方を襲った豪雨である。街に流木や土砂が押し寄せ、濁流が家屋を根こそぎさらい、水が引いた後の床には泥が残った。復旧も復興も遠のいた観がある。▼犠牲者の中には、地震で崩れたトンネルの開通に向けて作業する人がいた。中小の河川が短時間で水かさを増したため、逃げ遅れた人もいるとみられる。「下が海のようになっていて逃げられない」。輪島市内の女子中学生は、父親に電話で告げたのを最後に行方が分からない。▼床上まで水に浸(つ)かった仮設住宅もある。輪島市では3地区の仮設が、ハザードマップで浸水想定区域とされる場所に建てられていた。ただでさえ平地の少ない能登半島である。生活再建のスピードが求められる中、行政を責めるのは酷な気もする。▼マップのただし書きには、「1000年以上に1回の雨」が降った場合の被害想定とある。それが、今回だったのか。大地震で緩んだ地盤と記録的な豪雨は、「時間差で起きた複合災害」との声も聞かれる。避難を含む防災のあり方を、もう一度問い直す時期なのかもしれない。▼同じ「氵」でも「添」という字は優しい。つくりの部分は「天」と「心」を合わせた字で「平気ではいられない気持ち」を表すという。空の仕打ちを甘受するしかない人々の心情に、避難先からまた避難しなければならない人々の心情に、いまは寄り添いたい。(產經新聞・2025/09/25)

【夕歩道】▲秋雨前線が通り過ぎれば秋らしくなる。もうひと息だ…。猛烈な残暑が続いた先週は一日も早い前線の到来を期待したものだが、こんなことになるのなら、猛暑に居座ってもらった方がよかった。▲東海地方などは本日、秋雨前線の北側に入って爽やかな朝を迎えたが、その前線が日本海から東日本に延びていた先週末、能登半島方面では線状降水帯が発生し、目を疑うような大雨を降らせた。▲「能登はやさしや土までも」とうたわれた能登の土が、震災で傷ついた能登の里に土砂災害の追い打ちを掛けてしまった。こんな無慈悲があっていいはずがない。私たちにできることは何だろう。(中日新聞・2024/09/24)

 <石川県輪島市を流れる河原田川。そのすぐ横の仮設住宅「宅田町第2団地」では川の氾濫から一夜明けた22日、住民らが熊手やスコップで軒先や屋内にたまった泥をかき出し、家財が散乱する部屋を片付けた。/ 団地に妻(69)と娘(33)の3人で暮らす刺し網漁師の早瀬賢生さん(71)は5月に入居する際、川が増水したらどうなるか、市の担当者に聞いたが「『前例がないから大丈夫』と言われた」。だが、実際に21日は胸の位置まで水位が上がった。「まさかこんなことになるとは。このままほっといたら輪島の市民はいなくなる。早く生活を保障してほしい」と願う。/ 今回の大雨で床上浸水した石川県内の仮設住宅は、輪島市の5カ所と珠洲市の4カ所。このうち輪島市の3カ所と珠洲市の1カ所はハザードマップで豪雨による洪水の浸水想定区域に含まれていた。その理由について、県建築住宅課の担当者は「能登地方には安全な平地が少なく、必要戸数を確保できなかった」と、山間部が多く用地確保が難しい地域性を挙げる>(中日新聞・2024/09/22)

 「空の仕打ちを甘受するしかない人々の心情に、避難先からまた避難しなければならない人々の心情に、いまは寄り添いたい」(「産経抄」)と言われる。また中日新聞の「夕歩道」氏も「『能登はやさしや土までも』とうたわれた能登の土が、震災で傷ついた能登の里に土砂災害の追い打ちを掛けてしまった。こんな無慈悲があっていいはずがない。私たちにできることは何だろう」と、その苦衷の心中を表白している。無慈悲は「自然現象」ではないだろうに。「寄り添う」といい、「何ができるだろう」と自問すること自体は、とても大切だとぼくも思う。

 心は急くのだが、この老齢(80歳になりたて)で能登に馳せ参ずることはできないし、できたとしても他人の「足手まとい」になるのが落ちだろう。自己流の「何ができるか」を求めること、それが今のぼくに可能な、数少ない「寄り添いの仕方」だと、悔しいけれども自らを励まし、叱咤しているのだ。もちろん、ますます細る貧者の、そのささやかな「一燈」を辛うじて灯し続けること、それこそがなけなしの、我が「寸志」でもあると、今もなお考えている。

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曼殊沙華の咲く頃、豪雨が急襲…

 ただ今午前8時すぎ。室温22.7℃、湿度67%。一気に秋がやってきたというのでしょうか。何とも肌寒い昨日今日です。人間というのはいい気なもので、死ぬほどの酷暑に見舞われていた時には、とにかく涼しくなってくれ、と。ところが、望み通りの秋冷の候が訪れかかると、途端にあの夏の灼熱の太陽が懐かしくなるのですから。性懲りもないというか、勝手なものだと思う。この数日、奥能登の豪雨被災状況の報道を見るにつけ、悲しみや怒りが湧き出してきます。仮設住宅建設地の何割かは「浸水」の恐れが想定されていたという。その仮設住宅に入居できず、地震で被害を受けた損壊住宅に寝起きしていて、今回の豪雨水害で家屋ごと流された方もおられる。暑いの寒いのと、呑気なことを言っていたら罰が当たる、とぼくはしきりに反省もする。

 先日も触れましたが、拙宅の近辺でも「曼殊沙華」の花は見られません。酷暑のせいで開花が遅れているのでしょうか。田んぼの畔(あぜ)道には格好の花ですが、酔狂にも、それを植え込んで一大花園にしたところが各地にあります。ぼくにはそれを見物に行く人の気が知れない。このブログでも何度も「彼岸花」には触れています。ぼくの好きな歌謡曲では「長崎物語」、「赤い花なら曼殊沙華  阿蘭陀屋敷に雨が降る」と謡われた、戦時中の流行歌。小学校に上がらないぼくはこの歌を口ずさんでいたのですから、なんという愚者・痴者だったか。長崎の「遊女」とイタリア人の船員との間に生まれたハーフ、それが「お春」。この江戸寛永期の国際結婚譚についてもすでに駄弁っていますので、本日は触れません。彼女は寛永16(1639)年から始められた混血児・者海外追放で、今のジャカルタへ流された。その顛末を歌ったのが「長崎物語」で、この歌一曲でぼくはいろいろなことを教えられたと思う。

 当時の長崎(オランダ屋敷)近辺にも「曼殊沙華」が咲き乱れていたのでしょう。歌詞を読むだけで、ぼくには「濡れて泣いているジャガタラお春」の時代に一気に連れ戻される(変な表現です)気がします。400年前の長崎にも「人種差別」や「いじめ」があった、その痕跡を知る機会にもなりました。ぼくが見た限り、レコードでは一番から四番までを歌いきるものがありません。これが戦時中の昭和十四年に発売されたというのも、何かの因縁でしょうか。例えば日独伊三国同盟に結びつけて、というように。

 それはともかく、能登半島です。「震災から徐々に立ち直りかけていた石川県能登地方を、今度は豪雨が襲った。自然の猛威と無情さに胸がふさがる」とコラム氏は書かれている。ぼくは胸が塞がれ、涙が流れてきます。「おととい墓参りの途中、数輪のヒガンバナを見かけた。姿も色も美しい花なのに、なぜか寂しさを覚える。能登の被災を思うと、その赤がまた目に染みる秋である」と続く。ぼくが初めて見た「彼岸花(曼殊沙華)」の不思議な花の姿、それは能登半島の中央部に当たる「鹿島郡中島町字上町」という生地でした。現在は七尾市に編入されています。幼いなりに、ぼくは何年間も、この七尾湾を遠望する農山村を歩き回りました。遠い昔の少年の徒歩圏、それはほとんどが田畑と山林でした。その豊かな田んぼの「稲」も、刈り入れ前に豪雨による水害にやられて倒れかつ水没していました。とても見るに忍びなかった。

 どんな花も静かに咲くのでしょう。しかし、この「曼殊沙華」はひときわ、静かに、しかも狂おしいまでの紅色を湛えて咲いている。幼児のぼくにも、その異様な姿や形が何かを語りかけてきたのでしょう。年寄りに、「あれはしびとばな」と教えられていたかも知れぬ。あるいは「幽霊花」とも。強い毒性があるということも知っていましたから、不吉な花を見る思いがしたかもしれません。それでかえって、この花は強烈な印象をぼくに留めたのでした。「赤い花なら曼殊沙華」「阿蘭陀屋敷に雨が降る」

【天風録】秋の訪れ 「墓地には、ひがん花が、赤い布(きれ)のようにさきつづいていました」。新美南吉の童話「ごんぎつね」に描写がある。いたずら好きなごんの目に映った田舎の秋。作者の故郷愛知県半田市には赤いじゅうたんが実際に広がる▲300万本ものヒガンバナが川の堤を染める。ごんの世界をつくろうと、地域住民が植え、管理する。見事な光景を見たことがあるが、ことしは開花が遅いらしい。そういえば広島でもまだ咲かないと先日報じられた▲とても暑く長い夏だったから無理もあるまい。先週末も中国地方23地点で35度以上を観測。広島県内で最も遅い猛暑日を記録した。とはいえ「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、ここ数日の朝晩は涼しく感じられるようになった。人心地がつくようだ▲最近は短くなったともいわれる秋。だが秋雨前線は長く居座る。秋台風が転じた低気圧も重なったか。震災から徐々に立ち直りかけていた石川県能登地方を、今度は豪雨が襲った。自然の猛威と無情さに胸がふさがる▲おととい墓参りの途中、数輪のヒガンバナを見かけた。姿も色も美しい花なのに、なぜか寂しさを覚える。能登の被災を思うと、その赤がまた目に染みる秋である。(山陰中央新報・2024/09/24)

 (ヘッダー写真は「半田市観光ガイド」:https://www.handa-kankou.com/event/13017/

● ひがん‐ばな【彼岸花】=〘 名詞 〙 ヒガンバナ科の多年草。中国原産といわれ、古く日本に渡来し、本州以西の各地の土手、路傍、墓地などの人家の近くに生え、また、まれに栽培もされる。高さ三〇~五〇センチメートル。地中にラッキョウに似た鱗茎があり外皮は黒い。秋、葉に先だって花茎が伸び、頂に六個の花被片をもつ赤い花が数個輪生状に集まって咲く。花被片は長さ約四センチメートルの披針形で外側に巻き縁がちぢれている。花後、鱗茎から線形の厚い葉を叢生する。古くは救荒作物の一つとされていた。全草に有毒成分を含むが、煎汁を腫れもの・疥癬(かいせん)などに塗ると効果がある。漢名、石蒜。まんじゅしゃげ。しびとばな。てんがいばな。ゆうれいばな。すてごばな。はみずはなみず。《 季語・秋 》 〔和漢三才図絵(1712)〕(精選版日本国語大辞典)

●ジャガタラお春=没年:元禄10(1697)生年:寛永2(1625) 江戸前期,鎖国によってジャガタラ(ジャカルタ)へ追放された,長崎生まれの混血女性。お春は父イタリア人航海士ニコラス・マリンと日本人の母マリアとの娘で,洗礼名はジェロニマ。寛永13(1636)年に江戸幕府はキリシタン取り締まり強化のため,ポルトガル人およびその妻子287人をマカオへ追放した。さらに島原の乱後の同16年イギリス人,オランダ人などと結婚した日本人およびその混血児ら32人を追放した。その中に15歳のお春や母,姉もいた。6年後,21歳のお春は平戸生まれのオランダ人シモン・シモンセンと結婚。東インド会社の事務員補であったシモンセンは,のちに税関長へと昇進し,同社の外交折衝においても活躍した。公職引退後は手広く貿易業を営み,奴隷を多数使って裕福な生活を送った。お春との間に4男3女をもうけ,そのうち3人は早世した。一家は本国オランダへの召還命令を受けたこともあったが,日本人の血統であることから引き続き居住することを許された。1672(寛文12)年5月夫の死後,お春は高額な遺産を相続し,残された家族と共に,経済的には何不自由のない生活を送った。1692(元禄5)年5月17日にお春は遺言状を書き,若くして未亡人になった娘マリアや孫達に遺産を分配し,自らの手で「ぜらうにま しるし」と日本の仮名で署名した。 お春は「千はやぶる神無月とよ」で始まり「あら日本恋しや,ゆかしや,見たや」というジャガタラ文(鎖国下,ジャガタラへ追放された人々が母国へ宛てた手紙)によって,江戸時代から今日に至るまで,悲劇のヒロインとして知られ,短歌や流行歌にも歌われている。しかしお春のジャガタラ文は,長崎の文人西川如見による創作といわれ,史実のお春との間には大きな落差がある。<参考文献>西川如見『長崎夜話草』,『長崎市史―通交貿易篇西洋諸国部』,岩生成一『朱印船と日本町』,同『日本の歴史』14(朝日日本歴史人物事典)

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しなやかに自分をとおす萩の紅

 「徒然に日乗」(512~518)

◯2024/09/22(日)午前中に買い物。少しは暑さも緩んだとはいえ、三十℃は軽く超えている。▶横浜の娘から電話。秋分の日(23日)に「食事会」をしたいので、当地に来るという。もう一人の娘(双子の一人)を誘うのでよろしくと。しばらく出かけなかった茂原の「寿司」屋がいいだろうと、連絡を取るように伝えた。誕生日を祝ってくれるのだそう。面倒なことは言わない。家の猫をそのままにしておくわけにもいかないので、時間を限って出かけることにした。▶能登半島の水害の状況を見るにつけ、心が締め付けられる。二度も三度も、打ちひしがれる人々の想いを何とか感じ取っていたい。それにしても、県の動きの鈍さ(とぼくには見えてくる)は、元日の地震発生以来少しも変わっていない。(518)

◯2024/09/21(土)ただ今、午前5時20分。室温30.5℃、湿度71%。意外に風が出ているので、強烈な暑さは感じられない。それにしても30℃を軽く超えて、月日は流れていく。▶石川県能登地方では猛烈な豪雨が襲っており、大変な被害が出ている。線状降水帯が発生したという。本年元日の地震に続く無情な災厄。仮設住宅の何か所もが床上浸水だという。言葉を失うばかりの事態だ。▶ただ今、午後2時過ぎ。室温30℃、湿度75%。低気圧や秋雨前線の影響で関東地方海岸方面は風速20mを超える風が吹いている。能登半島の北半分ではまた大雨が降っている。大小何本もの河川の氾濫が生じている。犠牲者も出ている。▶旭岳や利尻連邦で初冠雪があったという。紅葉と降雪の季節の重なりが人気らしい。「狂った季節」「狂った劣島」。(517)

◯2024/09/20(金)午前10時現在、室温30.9℃、湿度79%。9月下旬に入ろうかという段階で、静岡県だったか、39.1℃という信じられない高温が記録された。9月としては過去最高の記録だそう。▶昼過ぎに買い物に出たが、茂原は暑かった。35℃は越えていたろう。どこまで続く、猛暑の初秋。当地に接している市原市は37.6℃、同じく東隣の茂原市は36℃。▶アメリカ大統領選挙報道を現地のテレビ放送を通じてみているが、元大統領側は、選挙に勝つというレベルではなく、何が何でも相手側を排斥するためになりふり構わぬ、そんな戦術で暴走している。暴力も虚偽も人権侵害も、相手側を選挙から排除するためには何でもありという狂気の沙汰。こんな暴力の排出が大統領選時にむき出しになるというのは、なんということだろう。勝ち負けより、相手候補をないものにするためには、それこそ「選挙」を盗むことすらいとわないのだろう。投票後の暴動の危機感が、今の段階からまことしやかに報道されているのだ。(516)

◯2024/09/19(木)秋雨前線が劣島にかかっているために、加えて低気圧の位置によって、各地で雨。当地で「小糠雨(こぬかあめ)」というのか、降っているかさえもわからない天気だ。この後はどうなるか。(ただ今朝九時半過ぎ。室温29.5℃、湿度79%。▶昼前に買い物。いつも通りの食料品を買った帰路に、電気量販店で無線キーボードを購入。使用中のものが故障したので、同じメーカー品を買う。帰宅して、設定したが、うまくつながらない。それ以前に使っていたマウスも同じメーカーだったから、問題なしと考えたが、無線の種類が紫外線とか赤外線とかで設定法が違うらしい。面倒なことになったが、「仕切り直し」である。▶午後三時前に同じ量販店に行き、マウスを新たに購入。いろいろと試した結果、無線用のUSBを新旧2個とも挿入したら、なんと設定がうまくいったのだ。この先も大丈夫かどうかはわからないが、今のところはつながっている。つまりパソコンとボードとマウスがそれぞれ、互いに認識しあっているのだろう。しばらくこのまま使ってみることにする。▶夕方6時ころに雷が鳴りだし、雨も降ってきた。雷鳴や稲光がかなり接近していると判断して、パソコンの電源を切っておく。雨もかなり降りだしそうだったが、なんとか持ちこたえている。深夜から早朝に至るまではどうなるのだろうか。(515)

◯2024/09/18(水)朝6時に「ビン・缶」の回収袋を取りに、近所のTさん宅の駐車場まで取りに行く。そこが回収場所になっている。拙宅は、月に一回、ペットボトルと猫用の缶詰めを出している。それぞれ、大きな回収用袋一杯になる。通常は前日の夕刻に出す準備をするのだが、時には当日の朝早くになることもある。回収に出す缶とボトルの量による。本日は、どういうわけだか、比較的量が少なかった。▶昼前に買い物。茂原まで。強烈な暑さのせいか、店内は混んではいなかった。かみさんの昼飯用の「お寿司」、牛乳に食パン。それにミカンと桃の果物類。これらがほぼ定番商品。あとはここにしか売っていない、猫缶を少々。間食のクッキー類も。▶とにかく暑い。たまらなくて、夕食時にエアコンの電源を入れた。今夏、何度目だろうか。もちろん、一か所だけで、他はつけていない。猫たちもぐったり、それにしては食欲はある。しかし、猫缶の消費量がこれまで程ではないのは、やはり酷暑のせいだと思う。(514)

◯2024/09/17(火)朝6時半に生ごみを出す。雨が降り出しそうな天気。それにしては蒸し暑い。時たま、小さな粒が落ちてきているよう。とても蒸し暑い。今夜は「中秋の名月」と誰が言ったのか。夜半に外に出たが、それなりに気持ちのよい月を見ることができた。そして明日は「満月」だという。望月の欠けたる如くに、すべては壊れてゆくのだ。形あるものは壊れ、命あるものは尽きる。「諸行無常」という哲理だろう。どんなものでも作(造)られたものは必ず滅びる、生き延びるすべはない。仏教の深奥にある理であって、それをいかにも人間に引き寄せて解釈してきたのが、そもそもの間違い。(513)

◯2024/09/16(月)終日自宅に。酷暑が続いている。「暑さ寒さも彼岸まで」というが、俚諺のように行くだろうか。とにかくこの暑さは異常。今年、「熱中症」で亡くなった方は全国でどれくらいいるのだろうか。500人は越えているか。昨夜はそうでもなかったが、一昨夜は夜の10時を過ぎても30度近くあり、完全な熱帯夜だった。世界の至る所で洪水や土砂崩れ等の自然災害が多発している。とにかく、異常な環境の変容・変貌が確実に生命を脅かしているのだ。▶米国の大統領選挙に関するニュース番組やネットニュースをよく観ている。トランプは完全に狂気に陥っていると思う。その周りには、当然のように、彼の「狂気」に誘われた有害虫が集まっている。選挙の結果如何にかかわらず、彼は内乱、あるいは暴動を起こすかも知れないと報じられている。自分が当選する以外は一切認めないという狂気を振りまいていて、今の段階では誰もなんともできないのだ。デモクラシーの破壊が内部から生じている証拠だろう。(512)

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 表題句は平井幸子氏の作。句集に『完流』『紅き栞』『背中』『日々片々』などがあります。東京生まれ。中村草田男氏に師事。

 萩ならば、どうしても。「しら露もこぼさぬ萩のうねりかな」「蕎麦も見てけなりがらせよ野良の萩」「一家に遊女もねたり萩と月」(以上三句、いずれも芭蕉作)

 萩は、ぼくの好む花の筆頭かもしれません。

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 「萩の花については、私は二三の小さな思ひ出しか持つてゐない。そのいづれもがみな輕井澤で出遇つたことばかりである。その花の咲く頃、私は大抵この村にゐるからであらう。/ いつの夏の末だつたか、鶴屋旅館の離れで、芥川さんと室生さんが、同宿の或る夫人のために、女持ちの小さな扇子に發句を寄せ書きなさつたことがあつた。そのそばで少年の私は默つて見てゐたのである。芥川さんはなんでもその扇面に、小さな細い字で「明星のちろりに響けほととぎす」といふ句をお書きになつた。それをその扇子に書いてしまはれると、こんどはお二人で在りあはせの紙に、即興句を口ずさまれながら、しきりに何やらお書きになつてゐられた。その多くは書くそばからすぐ丸められたが、そのうち芥川さんは一枚だけ、やや氣に入られたか、破かれずに脇に置いておかれた。それには一匹の蜻蛉の繪が輕くあしらはれて、/ 野茨にからまる萩のさかり哉
 と書かれてあつた。それを私がとり上げながら、「これ、僕、頂戴して置いてもよろしう御座いますか」といつても、芥川さんは默つたまま、他の紙に熱心に向はれてゐた」(堀辰雄「萩の花」:堀辰雄作品集第四卷所収・筑摩書房、1982年刊)

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「いろいろあったはずなんだよね」

▣ 遅ればせの「敬老の日」考 本日は「秋分の日」、先週の16日は「敬老の日」だったそうです。九月はなんとも忙しいというのか、あわただしい月間のようでもあります。もちろんその騒々しさは一部のご商売に限るのかもしれませんが。ただいまは、午前7時前です。昨夜来の雨が降り続いており、何とも肌寒い一日になりそうです。(室温は26.1℃、湿度72%)先日来の能登半島を襲った豪雨の激しさに心が塞がれている。誰もがそう思うのでしょうが、当事者が最もやりきれないだろうと知ると、なおさら、今すぐにでも飛んで行って何とかしたいなどという破天荒なふるまいを考えてみる。これでもか、これでもかと災厄は追っかけてくる。被災者や犠牲者の方々のことを思うと、我を失うばかりの悲しみが襲うのです。

 もちろん、ぼくの生まれ故郷でもあるということがさらに心痛を深めているのは事実です。世の中は二週続けて「三連休」という。いったい何がうれしくてと、嫌味の一つ二つをぶつけたくもなります。一週遅れの「敬老の日」考です。コラム「滴一滴」に寄せて、愚考を重ねてみます。かみさんの母が健在のころ、町内会から毎年「敬老会」の催しの案内が来て、彼女は出かけていたことを思い出します。もう何年前になるでしょうか。今日は、あまりにも高齢者が多くて「敬老会」どころではないのかもしれません。第一「敬老」という言葉がいかにもとってつけたような、よそよそしさ(他人行儀の装い)があると、老人のぼくは感じています。

 初めて乗り物に「優先席」が設けられた時、その名称は「シルバーシート」だったと記憶しています。シルバーは「白髪」「銀髪」をイメージさせますから、その名前になったのでしょうけれど、老人でも「くろぐろ」「ふさふさ」もいれば、無毛の人もいて、必ずしも「シルバー」には当たらないというわけで、やがて「優先席」となったらしい。それもぼくにはいかにもとってつけたような、余計なお世話だと思いました。当時は「小さな親切」運動などが推奨されていた時代でもあり、なんとも腰の据わらない、間に合わせの「敬老精神」だと、何時までもなじめない気がしました。今日はどうでしょう。鳴り物入りで推奨された団地住まいも、半世紀以上も経過すれば、当然のことで、建物の老朽化は避けられず、同時にその住人も「老朽化」ならぬ「高齢化」を身に受けざるを得ないでしょう。

 「ぼっちの館」は未読ですが、その通りの現実が活写されていると見ました。「登場人物の多くが、言葉は交わすが互いの過去まで知り尽くした仲ではない。『みんなただのジジババやってるけどサ…』と、お別れに訪れた一人が語る。「いろいろいろいろあったはずなんだよね」という部分は、誰彼なしに老人の胸中を推し量る「惻隠の情」というものが感じられるセリフです。それぞれが年齢に応じだ「身の上」や「経験」を重ねてきた、その全体(まるごと)を尊重することこそが、「敬老の精神」ではないでしょうか。もちろん、ぼくはこの言葉(敬老)は好まない。その感情は貴重なものだとしても、それを表現する単語がいかにも貧弱・軽薄に感じられてきます。「敬老の日」以前は「老人の日」だったと思う。これも意を尽くさない表現で、いかにもこの社会の「他人行儀」の風潮を表しているなあと、当時は老人ではなかったぼくは感じたものでした。「いろいろいろいろあったはずなんだよね」という、その人の全体を受け入れる姿勢をぼくは育てたいと念願しているのです。

【滴一滴】敬老の日 かつてニュータウン、今は独居高齢者ばかりの古い団地で女性たちが井戸端会議をしている。いつも野良猫を世話していた男性住民が1週間近く姿を見せないらしい▼漫画「ぼっち死の館」は、自らも八十路(やそじ)手前の齋藤なずなさんがシニア世代の眼前にあるあれやこれやを描いた話題作だ。介護に終活、みとり。くだんの彼は自室で独り亡くなっていた▼登場人物の多くが、言葉は交わすが互いの過去まで知り尽くした仲ではない。「みんなただのジジババやってるけどサ…」と、お別れに訪れた一人が語る。「いろいろいろいろあったはずなんだよね」▼さて、敬老の日である。終戦から3度目の秋に兵庫県多可町が「としよりの日」を設け、それが後に国民の祝日となったそうだ。わが子を戦地に送り、心底疲れ果てた親たちを少しでも慰めたくて交流会を始めたという▼令和のお年寄りは当時招かれた人の子や孫の世代に当たろうか。高齢社会を生きる皆さんは、老いという現実の一番先頭を歩いている。デジタル機器に手間取ったり、人の名前を忘れたりするくらいで軽んじられるのは筋違いというもの▼今年、65歳以上の高齢者は3625万人と最多を更新した。働くシニアも随分増えた。3625万通りの事情と、いろいろな思いを抱えながら切り開いた全ての「今日」をことほぎたい。(山陽新聞・2024/09/16)

 コラム氏も触れているが、ことの始まりは「終戦から3度目の秋に兵庫県多可町が『としよりの日』を作り、…わが子を戦地に送り、心底疲れ果てた親たちを少しでも慰めたくて交流会を始めた」とされます。このことについては別のところで触れた気がします。それを国の側が引き取り、お仕着せの「年寄りの日」をつくり、心にもない国民の祝日にしたところで、この「敬老の日」は終わったとさえいえるのではないでしょうか。「デジタル機器に手間取ったり、人の名前を忘れたりするくらいで軽んじられるのは筋違いというもの」という指摘は図星であって、若造ども、何をぬかすかと一喝したくなります。65歳以上が3.5人に一人の時代。それぞれが「いろいろいろいろあったはずなんだよね」というところに触れることなく、思いを馳せる(思いをはかる)ことができればどうでしょう。そんな関係(つきあい)が、つまり「密接不離」ではなく、「つかず離れず」の間合いをもって、生まれることを願うのです。

 (中断 つい先ほどかみさんが声をかけてきた「玄関先に何か動いている。蛇かもしれない」と。よく見ると「ヤマカガシ」がとぐろを巻いて玄関の敷居の前にいた。おそらく家の猫が捕まえてきたのだろうか。それほど大きくはなかったが体調は30センチはあった。火ばさみで頭を押さえて、裏庭の先の林に逃がしてやった。近所の林などにはかなり棲息している、これまでにも三匹が前足などを噛まれて往生したことがあった)

 「敬老の日」に一言あるのではなく、あまりにも無駄な「祝日」とやらがありすぎることの一例に挙げただけ。この国の住人は賢くないから、休日や祝日を増やせば喜ぶだろいう程度の「国民愚弄」政治の証明として、ぼくはこんなものには背中を向けたくなるのです。政権党の「ボス選び」が近日中にあるそうです。この国のプライムミニスターになる予定の選挙です。でも繰り返し放言しているように、この国は米国の「太鼓持ち」「チアガール」です、親方の言い分を逐一実行することでしか、自らの義務(存在感)がないとすれば、それを容認して選ぶとなれば、それここそ「売国奴」たちに塩を送ることになるでしょ。誰が総理になるかなど、まるでゴミみたいな話だと、ぼくには思われる。少子高齢化危機(状態)が、どん詰まりにあるのに、これをします、あれをしますと「口から出任せ」「嘘八百」を並べている。それをいかにも提灯持ちよろしく論(あげつら)っているマスコミの断末魔もぼくには悲しく映ります。せめて老人が老人らしく生きられる、そんな時代や社会を取り戻したいね。

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