「彼岸の中日」雑感

▣ 週の初めに愚考する(第参拾七)~ 本日は「彼岸の中日」です。取り立てて関心があったり、関係があったりする日でもないのですが、世間の約束事で、彼岸の中日、つまりは「秋分の日」として休日を受け入れてきました。勤め人を辞めてからは、世間の約束事とは没交渉が当たり前になり、いわば、日曜も月曜もないような日々を送っています。それでも、旧暦の痕跡を偲びつつ、先祖へのささやかな報恩を感じつつ、漠然とした想念にとりつかれているのです。「父母恋しや、ほうやれほ」と、まるで安寿と厨子王のような心境になります。

 あすは彼岸の中日。百貨店ではもう、おせち料理の予約の受け付けが、始まった。暑さ寒さも彼岸までとは言うものの、秋は名のみのこの猛暑。しつこい夏がなかなか彼岸へと渡ってはくれない。

 そういえば、朝の散歩のコースを変えて田んぼの畦(あぜ)を歩いても、あの秋の花を見かけない。彼岸花-。花が枯れたあとに葉を伸ばすので、「葉見ず花見ず」という別称も。いまだ、葉も花も見ず。

 最盛期には300万本が咲き競う名所、愛知県半田市の矢勝川はどうか。「今年はやはり、猛暑のために遅れ気味です」と市観光協会。それにしても日本の秋は、どこへ行ってしまうのだろうか。(中日新聞「夕歩道」・2024/09/21)

 親不孝な人間であることを自慢するのではなく、恥ずかしいこととして自覚はしている。そんな人間でも、時には、先祖へのささやかな「報本反始(ほうほんはんし)の情に思いが及ぶこともある。それが「お盆」だったり、「お彼岸」だったりするというだけのことですが。古い言葉を使いました。「報本」、元(本)に報いる、先祖に思いを致す、今あることを先祖に感謝するというのでしょうか。「反始」とは始めに「かえる」「元にかえる」です。こんな古色蒼然とした「死語」を思い出すのも、「お彼岸」のなせる業かもしれません。勇ましいことを吹聴される政権党の猛者たちも、だれ一人、この「(彼や彼女にとって)大事な家族観、家制度の根本観念)」を口の端に乗せるものがいないとは、どうしたことでしょう。こ「イデオロギー(教条)」を抜きにして「国家本位の政治」が成り立つはずもないと思うのですが、ね。

 本年の秋の彼岸、9月19日が「彼岸の入り」で、9月25日が「彼岸明け」。そして本日22日が「彼岸の中日」というそうです。

ひ‐がん【彼岸】〘 名詞 〙① ( [梵語] pāramitā 波羅蜜多を漢語として意訳した「到彼岸」の略 ) 仏語。絶対の、完全な境地、悟りの境界に至る修行。また、その悟りの境地。生きているこの世を此岸(しがん)として、目標となる境界をかなたに置いたもの。〔勝鬘経義疏(611)〕 〔大智度論‐一二〕② 春秋二季の彼岸会(ひがんえ)。また、その法要の七日間。俳諧では、秋の彼岸を「後の彼岸」「秋の彼岸」という。《 季語・春 》[初出の実例]「つれづれとあるほどに、ひがんにいりぬれば」(出典:蜻蛉日記(974頃)中)③ 向こう側の岸。転じて、(こちら側の)人間的な世界に対して、それを超越した世界をいう。⇔此岸(しがん)。[初出の実例]「ひがんしがんの柳の髪は長く乱るれど」(出典:浄瑠璃・釈迦如来誕生会(1714)三)④ 植物「ひがんざくら(彼岸桜)」の略。(精選版日本国語大辞典)

 ●報本反始=「《「礼記」郊特牲の「本に報い、始めに反 (かえ) る」から》自然や祖先の恩恵に報いるという道徳観を示す語。日本では幕末より第二次大戦まで、祖先信仰と国家神道推進のため政府により盛んに鼓吹された」(デジタル大辞泉)

 このところ、あまりの暑さに「散歩」は控えてきました。車で買い物に出かけることはあっても、徒歩で近所を散策することがほとんどなくなっています。いずれ再開したと思っている。コラム(「夕歩道」)氏も書かれているように、この時期に見えるべき花が見えてこないのです。「赤い花なら曼殊沙華」の、あの「彼岸花」のこと。たぶん、今頃はあちこちで咲いているのでしょうが、今年はまだ見ていません。この花も、昨日の「アザミ」と同様に、ぼくには懐かしい花でもあります。このところの台風の余波や秋雨前線等の停滞で大変な集中豪雨に遭遇している能登半島。ぼくは、そのなかほどの中島町(現七尾市)に生まれた。そこはまるで田んぼや畑に、低い山ばかりという土地柄だったから、野生の草花は、いつも満艦飾でした。アザミも曼殊沙華も、この季節になると、能登ではいつでも目にしていたし、曼殊沙華では首飾りなどを作って遊びもした。(一月初日の「大地震」に続いて、再び豪雨の齎した水害に塗炭の苦しみに打ちひしがれている能登半島。こんなにしばしば災いに見舞われ通しとは、ぼくには口をついて出る言葉もありません)

 今朝は雲が多く風も出ています。ただいま6時過ぎです。室温は28℃、湿度79%。どんな一日になるのでしょうか。ぼくの身体感覚では、30℃は普通、やや涼しい、そんな具合になりきっている始末。「暑さ寒さも彼岸まで」といった理由は、もちろん、天体の運行や気象条件からのものだったでしょう。昔日、自然科学の知見がなかったけれど、それを補填するように、各地域に蓄積された歴と暦の閲歴がありました。もちろん明治以降は、この極東の小島でも「近代」を標榜し、旧習を打破すべき社会革命とでもいうようなものが激しい勢いで追及されてきたことは事実。そのためには「他国との戦争」も辞さなかったのですから、「近代化」とは、何とも厄介な社会革命(暴力)だったと思います。それから二百年近くが経過し、果たして「近代化」という「長い革命」は終わったのか、いや、実のところ、もう一度「報本反始」とばかり、明治初めはおろか、奈良や平安の「王政復古」へ一足飛びに先祖がえりを試みているのでしょうか。

 この社会には「先祖」と「末裔」の覇権争いのような無駄な軋轢があったりして、どこの社会でも同じことでしょうが、いったい時間(歴史)を費やして前進したのか、前進だと思っていたのは錯覚で、実際には後進(後退)していたのではないかと、はなはだ不本意ですけれども、時にはそのように、ぼくには感じられるのです。前に向かって走っているつもりが、元に戻るために、後ろ向きで走っているような、他の国々が、左回りで一斉に走っているのに、この社会は右回りだったという、そんな景色が、ぼくもその中に含まれながら、目に入るのです。文字通り、逆行感覚に襲われている。この社会が経てきた歴史の時間は、いわば能舞台の「橋掛かり」の距離に等しく、揚幕から本舞台の間を往復していただけだったという錯覚を覚えます。その時、彼岸は揚幕の中(鏡の間)なのか、それとも此岸(しがん)は本舞台だったのか、その逆だったか。ぼくにはその区別がつかないままで、困惑を覚えている。

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宿命の径は果てなくも 香れよ…

 聞くともなく聞いていて、「9月21日の誕生日の花はノハラアザミ(野原薊)、花言葉は心の成長」と耳に入ってきました。今朝の五時前の「ラジオ深夜便」でした。薊(アザミ)の花は、他の草花同様に何百種類もある「キク科」の多年草。この野草にはいくつかの思い出があります。いつのころか、ノハラアザミの棘(とげ)に刺された経験が何度もあり、この清々しい花には容易には近づくまいと幼心に思ったものでした。「バラの花には棘がある」というのとはまた違った、直(じか)の経験からの覚醒でした。これも少年のころ、伊藤久雄という歌手が朗々・淡々と歌った「あざみの歌」という歌謡曲が心に沁みついています。この歌手には「勝ってくるぞと勇ましく」という「露営の歌」がありました。ぼくは、この軍歌を作曲した古関裕而という人とともに、いつでも「歌が旗になる」ということの浅ましさと、自己の放棄、そんなことを考える大きなきっかけになった。伊藤さんも古關さんも共に福島の出身でした。作詞の横井弘さんは初年兵として茨城に。二十歳前に復員したが、東京の家を焼け出されて、信州の地に転居、そこで、この詩を書いたとされます。どなたにも「戦争の暗い影」が及んでいたのでしょうか。

 小学校に入学する前の記憶はゼロです。この歌が作られた昭和24年、五歳の時でした。その何年か後にどういうわけか、蓄音機が我が家にあって、それを回しては楽しんでいた記憶はあります。もちろん、レコードはSP時代だったから、どうしてそれを手に入れたかは覚えていません。いろいろな歌謡曲をまるで日々の食事のように脳髄に入れ込んでいたと思う。もちろん、この歌詞に現れる「愁い」や「哀しみ」などは知る由もない時代。しみじみと歌の雰囲気を味わうことができたのは、もちろん青年になってからでしたが、その詞にこめられた「清楚」「控えめ」、あるいは「思慕」などという感情も、当時はまったくわからなかったが、後年になり、この作詞家の人となりや経歴を知るにつけ、人には人それぞれの佇(たたず)まいがあるのだと教えられたことでした。(横井さんには「哀愁列車」(歌・三橋美智也)、「川は流れる」(歌・仲宗根根美樹)、「下町の太陽」(歌・倍賞千恵子)などいう戦後の時代相を切り取った曲もありました)

 惚れた、腫れたなどとぶしつけ、あからさま、剝き出しの「恋情」など、けっして美しいものではない、むしろ醜いとぼくは、どこで学んだのか思い出せもしないが、それだけは心していた。薄紙を隔てて、声を伺い、息吹を感ずる、そんな距離感覚が欠かせないのが、人間同士の「間(あい)」です。「のはらあざみ」の醸し出す、かかる雰囲気というものが、何時とは知れずに人間の品性にも重なると思ったこともしばしばでした。「宿命(さだめ)の径(みち」は 果てなくも 香れよせめて わが胸に」。ここが「アザミの歌」の神髄か。(①「あざみの歌」伊藤久雄:https://www.youtube.com/watch?v=v3kXcsb7hWY&ab_channel=CLCMVC)               (②「あざみの歌」フォレスタ:https://www.youtube.com/watch?v=9cPCZw3MCwc&ab_channel=evergreen2000

(一)
山には山の 愁いあり
海には海の 哀しみや
まして心の 花園に
咲きしあざみの 花ならば

(二)
高嶺の百合の  それよりも
秘めたる夢を ひとすじに
くれない燃ゆる その姿
あざみに深き わが想い

(三)
愛しき花よ 汝(な)はあざみ
心の花よ 汝はあざみ
宿命の径は 果てなくも
香れよせめて わが胸に

作詞:横井弘
作曲:八洲秀章
歌:伊藤久雄(昭和24年・NHKラジオ歌謡)

 IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 9月21日は「世界アルツハイマーデー」、今年でまる三十年。まだまだ認知度は足りない。それはいいことなのか、それとも…。この日は、ぼくにはまず忘れられない日になっています。これまでにも何度か度忘れして、後日気が付くということはありました。こんなことは大声で言うことでもないのですけれど、この日は小生の誕生日。今から三十一年前、この「世界アルツ…」が制定されたと知ったとき、ぼくは複雑な感情を味わったことを覚えています。

 「物忘れ」「度忘れ」などといいます。誰だって忘れることは当たり前に行っているのであり、忘れなければ生きてはいけないのも事実です。都合よく忘れる、それが「生きる極意」「生き方の流儀」のようになっていると思う。ぼく自身もかなりな高齢者になり、「物忘れ世界の住人」になっています。第一、この駄文の殴り書きを始めたきっかけも、記憶力の衰えをじっくりと実感できるのではないかという、はなはだ心もとない動機からでした。「物忘れ」の程度や自覚は年齢に関係なく、誰にもあるでしょう。「アルツハイマー」と命名され、必要以上に懼(おそ)れられているきらいがある。「老齢化」「老衰」状態に伴うのは、常に記憶力の衰えであり、その一つである「物忘れ」の自覚がないことを指す場合が多い、しれがアルツハイマーというわけ。でも、それに関しても、誰にも、いつだってある。

 だから、「アルツハイマー」だから、どうだこうだというのは、ぼくの取るべき態度でも姿勢でもないのです。半世紀以上も連れ添ってきたかみさんが、ある事柄に関しては「度忘れ」が激しいし、時とともにその範囲が広がっているようにぼくには思えます。細かいことは言いませんが、同じものを毎日のように買ってくるという反復行為の自覚は、少なくとも家を出て店で買って、帰宅するまでまったくない。あるいは帰宅して品物を取り出すに及んでも気が付かないのかもしれないと思う。家にあるのに、また同じ品物を買うというのではなく、家にあるかないか、それを気にしないで買ってしまうのだ。ぼくは面倒をいとわず、その都度、彼女がしている行為に言及する。言われれば気分が悪いのでしょう。反論する。しかし、翌日にはまた同じことを繰り返している。ぼくあきらめないで、その行為の問題点を、なんどでも指摘する。この先どうなるか、おおよその見当はついているけれど、大事(事故)に至らないためのケアは欠かせないし、欠かさないつもり。自分も含めて、持って生まれた「性格」は治らないことを痛感します。

 年を取ることは病気ではないでしょう。しかし、今それを、社会全体で「病気」にしているのではないでしょうか。そういう風潮があります。病気なら、治療次第では治せるという信仰が医療関係者にあるとぼくは見ている。老人になることも防げるという医者たちがいるのも事実です。困ったもの、ぼくにはそう考えられますが、こうなれば、医療関係者と戦うほかないのかもしれない。風邪には風邪薬、それと同様、老齢化には予防・治療薬がある、同じようにアルツハイマーにも効果的な薬が開発されているという。薬物は、反面では毒物でもあるという危険性を伴うものです。素人のぼくが主張するのも変ですが、老人になる、老化するのは病気ではない。「老衰」という死因があるのは、それが「寿命」(自然現象)だという意味でしょう。「(寿命は) 生命の存続する期間」(DDJ)とするが、それも人によりけりです。九十でも心身ともに矍鑠(かくしゃく)としている人もいれば、若年であっても著しく心身の衰弱を訴える人もいます。「寿命」というものをもう少していねいに考えたい。

 今日は、一定の基準や標準(平均点)を誰かが設けて、その値から逸(そ)れるに応じて「病気」の判断を下しています。不思議な現象だけれど、それで利益を得ているものが大勢いれば、この流行・習慣はなかなか廃(すた)れない。「アルツハイマー」に対する「警告」「警戒」症候群もそれに当たるように見えますね、ぼくには。病気なら、治せるかといえば、決してそうではない。今の医学では完治しえない病気は腐るほどある。「アルツハイマー」は病的症状だけれど、高齢化という自然現象の齎(もたら)す部分がかなり大きいと思われますので、いかなる名医や良薬があてがわれても、いかんともしがたい部分は最後まで残るでしょう。「年(歳)を取る」、それは心身的には複雑な自然現象ですよ。

 「1994年9月21日、スコットランドのエジンバラで第10回国際アルツハイマー病協会国際会議が開催されました。会議の初日であるこの日を「世界アルツハイマーデー」と宣言し、アルツハイマー病等に関する認識を高め、世界の患者と家族に援助と希望をもたらす事を目的としています」(厚労省「認知症の日/認知症月間(世界アルツハイマーデー/世界アルツハイマー月間)(令和6(2024)年度)」(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/alzheimerday2024_00001.html

 【滴一滴】アルツハイマーデー これからの時季の光景である。〈知恵あわくなりゆく秋の妻の老い釣瓶(つるべ)落としに瀬戸夕暮れる〉。作者の内藤定一さんは香川県多度津町で暮らし、認知症の妻を20年近く介護した▼その日常は穏やかな時ばかりではなかったろう。それでも、物事を努めて前向きに見ているのがうかがわれる。〈善人の顔となりゆく妻の老い記憶の傾斜なだれ行くごと〉。知性のよろいを1枚ずつ剥がすことで、人は本来の姿に返る。教えられることも多い、と(歌集「スロー・グッバイ」)▼あすは「世界アルツハイマーデー」。認知症の人は2060年に645万人に増え、高齢者の5、6人に1人を占めると政府の推計にある。とはいえ、以前の推計より200万人以上減った。喫煙率や生活習慣病の改善によるらしい▼さらに当事者の社会参加なども課題だ。政府は認知症施策の基本計画案を今月まとめた。「認知症になっても希望を持って自分らしく暮らし続けることができる」という考え方の浸透を重点目標とした▼内藤さんの歌をもう一つ。この病が認知症と呼ばれるようになる前のもの。〈〈以下余白〉とはならぬ人生を痴呆(ちほう)の妻とぽちぽち行こう〉▼歌集には、行政も医療も、施策はあっても患者の側に立って考えていないとの嘆きもある。それから20年余り。「ぽちぽち」に合わせ共に歩みたい。(山陽新聞・2024/09/20)

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本屋通いの日々、それが青春だった

 大学に入学してからの十年間、都内文京区本郷に住んでいた。そのころ、夕食を済ませると毎晩のように出かけたのが本屋だった。本郷通りには新書・古書を含めて二十軒以上の本屋があった。ぼくは時間ばかりがあったので、それこそ毎日のように二、三時間かけて本屋巡りをしていた。この町の中心は旧帝国大学。ぼくは別の大学に入ったが、その大学の近辺には有名な古書店もあるにはあったが、多くは貧弱な本屋がほとんど。日課のようにゆっくりたっぷり覗き見をするには「地元」に限ると思った。(ヘッダー写真は「深夜にひらく古書店「古本屋弐拾dB」・BOOKウォッチ):https://books.j-cast.com/topics/2021/11/23016566.html

 もちろん新刊本屋にも入りびたりで、そこでは毎月配本される本を買ったり、目ぼしいものを月ぎめで届けてもらったり。時代もあったでしょうが、一回ずつ買うたびに金を払うのではなく、(毎回)借金して買い、それを盆暮れにまとめて払うということをしていた。とにかくたくさんの本を読むことになったのは、この本郷の本屋街の「本屋漁り」が出発点だったと思う。若い時には金がない代わりに時間はたっぷりあった。伯父(おふくろの兄)の関係で本屋とも昵懇(じっこん)になり、二十歳前から好き放題に本を買うことができた。その直後には、レコードの収集が始まり、同じようにまとめて買っては借金を増やしていた。これも店が若造の申し出を聞き入れて、本当にたくさんのレコードを買ったのだった。

 これまで何度か、買い込んだ(溜まりすぎた)書籍を古本屋に売りました。その相手は神田の老舗だったT 書店。結婚して家を建てたが、たちまち本が溢れ出し、二階の床が沈んだ。直ちに一階の襖(ふすま)が開かなくなったので、本を処分する羽目になった。本を読む以上に買うペースが速かったから、当然のように本は溜まっていった。それでもぼくは気にすることなく、何時か読む時があるから、という態度を一貫していた。

 近年、町の本屋さんが消えてゆくという話題が溢れています。千葉県内でも、何市は「本屋ゼロ」だというニュースが頻繁です。今はどうか知りませんが、定価千円の本を売って利益が百円。それが商売として成り立つには、よほどの売り上げがなければならない道理です。貴重な本より売れる本、さらには本の量販店というか、大型書店や古書の大量販売も手掛ける商売がはやりだした途端に、零細の代表である、町の本屋さんは姿を消してゆくほかなかったようです。千葉県の佐倉市に住んでいたころ、近所に新しい本屋(大きな出版社の経営)ができました。しばらくして出かけたら、そこの店長(責任者)が、京都時代の友人(先輩)だった。彼の実家は「主婦の友」を出していた老舗出版社でした。すっかり旧交を温め、頻繁に通いだした。幸いなことに、その書店には同じ建物内に喫茶店も出していたので、いつもそこでお茶を飲みながら、話し込んだことでした。

 やがて、そこの店もなくなり、ぼくは現在地に越してきました。房総半島の中央部にあたりますが、山の中。最短の街まで約10キロ。そこにも本屋のようなものがありました。やたらに広い店舗でしたが、ぼくが読みたい本は皆無。趣味やビジネス、各種検定試験本、それに漫画や雑誌、それで広い店舗はいっぱいです。ぼくは二度と足を踏み入れなかったが、あれは「本屋」じゃないと思いました。ゆっくりじっくり読みたい本を探し、できればそれを手に取って何分か読んでみる、そんな雰囲気がまったくないのは、ぼくの想定する本屋ではないんですね。それで、ぼくは読みたい本、読むべき本はほとんどネット通販(古書)やamaゾンで買うことに決めました。本屋巡りのわくわく感はないし、手触りの感覚も伝わってこないのですから、味気ないものです。しかし、近所に本屋がないのだから、致し方ないと思う。

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 熊本市内に一度は覗いてみたい本屋があります。開店以来何年になりますか。「橙(だいだい)書店」という洒落た店名。店長はT さん。何冊かの著書をお持ちです。ぼくはそのファン(読者)です。何でもないエッセーですが、おいしいコーヒーを飲みたい、そんな雰囲気に誘われる文章が、ぼくには昔の青年時代の本屋通いの「興奮」、否、「悦楽」を思い出させてくれます。また店主は猫好きで、野良猫の母親でもあります。もう機会はないかもしれませんが、一度でも行けたらいいなあと遠望しきりなんですね。

【天風録】夜の本屋さん 閉店後の本屋さんで朝まで自由に過ごしていいと聞くだけでワクワクする。美容室を併設するなど、複合経営で知られる庄原市東城町のウィー東城店で21日にある「夜の本屋さん」。立ち読みはもちろん、ごろ寝読みもし放題らしい▲きっかけは、午後7時の閉店時にいつも「もう少しいたいなあ」という表情を見せる女子高校生と店員の会話。じゃあ、布団や軽食、お気に入りの飲み物の持ち込みもOK、お店の本を好きなだけ読んで―と企画した。どんな本と出合えるだろうか▲読書離れが叫ばれて久しいが、ここまで進むとは。文化庁の国語世論調査で昨年度、ひと月に読む本が電子書籍を含めて「0冊」の人は62・6%に上った▲10~20代はスマホに、30~40代は仕事に、50代以上になると視力低下などの健康問題に、読書の時間を奪われていることも浮き彫りになった。本読みが減ってしまえば本屋さんが消える。負のスパイラルが止まらない▲「本は人間の経験や生き方、考え方が詰まっている鉱脈」。かつて作家の石田衣良さんは本紙で語っていた。ならば人生のよすがを掘り当てる時間を大切にしたい。私たちも本屋さんという営みの一員のような気がする。(中國新聞・2024/09/19)

 本郷三丁目の交番手前にあった「福本書院」。今はなくなったようですが、ドイツ現代文学や哲学の輸入専門書店でした。よく読めもしないのに、ぼくはそこに通いながら、ヘルマン・ヘッセや、トーマス・マンの直筆(壁にかかっていた)に見とれていました。ここでは哲学者のカール・マンハイムやマックス・シェーラーなどの全集を購入したのもぼくには忘れられない思い出となっています。五十年以上も前のことですが、それらは今もなお、ぼくの貧弱な書棚に収まっています。若い時の「無謀な冒険」といっていいでしょう。そんな出鱈目を好き放題にしていたのが、近間にあった本屋さんだった。(左は、福本書院が戦時中に復刻したハイデッガーの「存在と時間」)

 高校時代まではほとんどまともに本を読むという習慣がなかった。本が嫌いではなかっただろうが、その習慣がつかなかった第一の理由は、ぼくの偏向した趣味(野外派、今でいうアウトドア派だった)にあっただろう。その次には、学校の国語の授業にも原因があったとぼくは、後年になって思い当たった。一時間に三行や五行の解読、分解、文法調べなどなど、本を通読する楽しみがまったくなかった。「徒然草」が古文の時間にあったが、それは、なんとしても「徒然草」に興味を抱かせないための授業だったと思う。試験をするための「徒然草」の授業。こんなフザケタ扱いは「歴史」の授業についても同じで、今でもそうかもしれませんが、「歴史は暗記科目」が相場でした。物事を深く掘り下げることを一切求めない授業など無意味さ、そんな気持ちで、ぼくは「教室にいて」、実際には「いなかった」のです。心そこにあらず、だった。

 さて、町の本屋さんが消えてゆく、この趨勢をどうすれば止められるのか。止められないのだから、放置しておいていいのか。いろいろな策略や計画が成り立つだろうし、すでにそれを実行している方々もおられるだろう。深夜営業のコンビニよろしく、深夜営業の本屋さん、「立ち読みはもちろん、ごろ寝読みもし放題らしい▲きっかけは、午後7時の閉店時にいつも『もう少しいたいなあ』という表情を見せる女子高校生と店員の会話。じゃあ、布団や軽食、お気に入りの飲み物の持ち込みもOK、お店の本を好きなだけ読んで―と企画した」という実行派の書店。この先はどうなるか、ぼくには分かりませんけれど、町内に本屋は、ないよりはあった方がいいという以上に、本当はなければおかしい、あるのが当然という気持ちもするのです。

 時代が著しく変貌するのですから、旧来の感覚や感情ばかりで考えるのはどうかという気もします。町の本屋がゼロになるかというなら、それはないとぼくは思う。必要とする人(読書家や本好き)がいる限り、なくなるものではないからです。ネット時代は「キンドルで」、それも一法。いろいろな読書の方法があるのが願わしい。だから公営図書館も張り切っている。移動図書館もあり。本は若い時に読めと、多くの人は言いもするし実行もするでしょう。でも、時間があればゆっくり読むことも大事な方法です。仕事や義務から解放されて、「さて、なにから読み始めるか」というのもいいですね。

 少なくとも、ぼくには十年あっても足りない量の「未読の書物」が本棚で、出番を待っているのです。「未読の楽しみ」ということでしょうか。本は必ず読まねばならぬというものでもないでしょう。つまらないですね、それは。あるだけで安心する、心が落ち着くこともあるでしょう。ぼくが本屋に入って心が開かれるのは、読まない本だらけという「未読感」に満たされるからです。小さいながら「書庫」みたいなものがあります。そは別棟で、猫も入(はい)れない、入(い)れたこともない。ぼくには「未読の館」なんです。昔読んだはずの本の内容はあらかたは忘れていますから、だから「未読の館」でありますし、あるいは「再読の庫(くら)」でもあるのです。まるで、それはぼくにとって、その昔に通い詰めていた「街の本屋」さんですね。(ただ今、午前9時50分。室温30.4℃、湿度83%)

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なぜそこに登る?何が見える?

 趣味は「違法登頂」?、世界の超高層ビルに登り続けるロシア人カップル (CNN) 2016年、サグラダ・ファミリアやエッフェル塔など、高さでめまいがするような名所を違法に登ろうとする過激な「ルーフトッピング」アドベンチャーで知られる二人の若いロシア人が、中国で最も高い未完成の超高層ビル、高さ約597メートルの「高銀金融117」に登った。/当時、イワン・ビアカスさんとアンジェラ・ニコラウさんは、やがて二人が一緒になることになるとは思ってもいなかった。ビアカスさんは、ルーフトッピング・コミュニティーでは珍しい女性メンバーであるニコラウさんを、スポンサー付きのソーシャルメディア投稿を作成するために登頂に誘った。だが、それは長く続くロマンチックでクリエーティブなパートナーシップの始まりであり、二人は何千マイルもの距離と、何千フィートもの高さを共に旅することになった。(↴)

 8年後、ドキュメンタリー映画「スカイウォーカーズ:ある愛の物語」では、何百時間/も及ぶ映像を通じ、二人の一風変わったロマンスに迫った。もちろん、その中にはありえない高さからの胸が張り裂けるようなPOV映像(主観撮影)や、警察とのもめ事も時折含まれている。(中略)自身もルーフトッピングの経験を持つ映画監督ジェフ・ジンバリスト氏が監督し、マリア・ブコニナ氏が共同監督を務めた「スカイウォーカーズ」は、今年1月にサンダンス映画祭で初公開され、現在はネットフリックスで配信中だ。同作品では、体操選手として訓練を受けたニコラウさんの経歴を生かし、狭い棚やポール、足場でのアクロバティックなスタントを披露する二人が、次第に困難な課題に挑み、芽生えつつある関係を切り開いていく様子を描いている。(以下略)(CNN・2024/07/27)(https://www.cnn.co.jp/style/architecture/35222048.html) 

 昨日に続いて、真夏の酷暑にうってつけの「冷房用画像」です。肝を冷やすというか、頭も心も冷却されること請け合いだと、ぼくは思う。このロシア人カップルの写真は早くに見ていました。蜘蛛男・蜘蛛女が、長い登頂の末に頂上で恋に陥ったというくだりには、恐怖で冷え切った心臓に、ほんのりと温かみが沸いてくる気がしました。この女性のニコラウさん、実は高所恐怖症だという。

 「信じられないかもしれないが、ニコラウさんは高所恐怖症であると主張している。これは、自身が選択した仕事を続けるために、何度も直面しなければならなかったことだ。/『恐怖は本当に消えたわけではない。ただそれに向き合うことが段々と上手になっただけだ』とニコラウさんは動画の中で説明している」(上掲記事)このくだり(「告白」)から、何か教訓が引き出せるでしょうか。

 「二人にとって、ルーフトッピングはスリルを求めるためだけのものではない。サーカス団員の娘であったニコラウさんは、映画の中で、自分の限界に挑戦することは幼少期から身についており、常に自分を向上させるよう努めていると語っている。モスクワで何年も一人でビルを登ってきたビアカスさんにとって、ルーフトッピングは精神的な明晰(めいせき)さをもたらしてくれるという。/『高いところに登れば登るほど、呼吸が楽になった』と、ビアカスさんはカメラに向かって、初期の登頂を思い出しながら語った。『この極限の生活、この精神の広がりは、私にとって欠かせないものなのだ』」(同上)

 「なせばなるなさねばならぬ何事も ならぬは人のなさぬなりけり」(上杉鷹山)

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心頭滅却すれば火も亦涼し

 目も眩む断崖にしがみつくクライマー、同じ高さで彼らを撮る豪写真家(CNN) オーストラリア・タスマニア東部の海にそびえる高さ約65メートルの巨大な岩柱「トーテムポール」を目にした時、オーストラリア人の写真家サイモン・カーター氏は「その岩に登るか、それとも写真に収めるか」というジレンマに直面した。/結局、カーター氏はその両方を実行した。この岩は、過去に他のクライマーたちが登っていたが、カーター氏と友人たちは、あえて新しいルートを探すことにした。そして、それが功を奏した。/カーター氏はカメラを手に、細く、切り立った岩柱を垂直下降しながら、地上からは見えないスリリングな視点から他のクライマーたちが登る様子を撮影した。/カーター氏の新しい写真集「The Art of Climbing」には、この時撮影された選りすぐりの写真とともに、仲間のクライマーたちが世界各地のそびえ立つ、複雑な岩石層に登っている様子を撮影した200枚以上の印象的な写真が収められている。(以下略)(CNN・2024/09/14)(https://www.cnn.co.jp/style/arts/35223920.html

 世界には常人の理解を超えた「超人(鳥人)たち」がいます。崖を登る人も人なら、それを同じ高さまで登って写真に撮るという写真家も写真家。オリンピックのボルダリングなどは「児戯に類する」といえば、顰蹙を買うだろうか。ぼくは、最も素朴な意味で「高所恐怖症」ですから、この写真を見るだけで背筋が寒くなる。酷暑にはもってこいの冷却法だといえます。それにしても、もの好きというのでしょうか、とにかく高いところに、それも斜面などを昇っているようで話にならないといわぬばかりに、直角に向かってこそ、血沸き肉躍るのでしょう。こうなれば「奇人」「変人」の類と呼びたくなるような、非常識な人々であります。

 登山家に、「なぜ昇るのですか?」と問えば、「そこに山(エヴェレスト)があるから(Because it’s there.)」と答えたという。イギリスの探検家・George Herbert Leigh-Malloryでした。彼は三度目のエヴェレスト遠征で、頂上付近で行方不明になりました。時に1924年6月、マロリーは37歳でした。75年後に遺体が見つけられたといいます。オーストラリアの「直角志向」のロッククライマーに「なぜ昇るんですか?」と尋ねたら、どう答えるでしょう。「直立している高いものを見ると、無性に攀(よ)じ登りたくなるのだ」と答えるかもしれません。そんな御仁が実際に、しかも「夫婦(?)」でおられる。こちらも変人・奇人の部類ですね。次回にでも紹介しましょうか。

「カーター氏の写真集『The Art of Climbing』に収録されている大半の写真には、この撮影のプロセスが反映されている。カーター氏は単に特定の瞬間に反応しているわけではない。カーター氏の慎重に構成された写真には、現場の環境、クライミングの興奮、さらにライティングやフレーミングといった、より技術的な面が詰まっている。

 カーター氏のお気に入りの写真の一枚がそれを証明している(註・下の写真)。この写真は温度逆転が生じた時に撮影された。温度逆転とは、地表近くの空気が上層の空気よりも早く冷え、その結果、雲の層が形成される現象だ。この現象は、クライマーが岩壁を登っている時に素晴らしい背景を生み出す」(同上)

●心頭滅却すれば火もまた涼し=無念無想の境地にいたれば、火さえも涼しく感じられる。どのような困難、苦難も、それを超越した境地にはいれば、何でもないことだ。心頭を滅却すれば火もまた水。[使用例] 御承知でもござろうが、甲斐の恵林寺は、武田信玄以来ので、昔、織田信長があの寺を攻めて焼撃を試みた時、寺の快川国師は楼門の上に登り、火に包まれながら、心頭を滅却すれば火も自ら涼しといって、従容として死に就いた豪い出家である[中里介山*大菩薩峠|1913~41][解説] 天正一〇年(1582)四月、織田信長の軍勢によって、甲斐(山梨県)恵林寺の僧侶は残らず山門に追い上げられ火をかけられました。その時、この寺の快川禅師は法衣を着、扇子を持って端座し、このを発し焼死したといわれます。なお、「甲乱記」では、快川と問答をした高川和尚の発言とされています。(ことわざを知る辞典)

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*ただ今。午前8時55分。室温29.6℃、湿度80%。

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米国という獅子に宿る邪悪な虫

 9月10日の討論会以来、殆ど連日、米国のネットニュースやテレビ番組を見ている。2016年、2020年の大統領選挙時にも感じたことだったが、アメリカの国情が著しく病んでいることが明らかにされ、いまなお頓(とみ)に重篤の度を加えているということです。この傾向がアメリカ全体に及んでいるとは思われませんが、選挙のたびに「分断」は激しくなり、かつ一方の側(T 元大統領派)は急進的かつ暴力的になっているのを痛感します。アメリカの凋落などというのではなく、過激な暴力がデモクラシーを破壊している、その急先鋒に元大統領自身やその取り巻きが立っているという構図です。15日には「二度目の元大統領銃撃(未遂)」事件が発生しました。誤解されそうですが、まるで「暗殺未遂事件」を呼び込むような振る舞いをしているようなT 候補者側たちの破廉恥なデタラメぶり。

 テレビやネットなどの報道番組を見ていて感じるのは、元大統領が罹患している「狂気」「錯乱」「犯罪嗜虐」への激しい指摘であり怒りです。もう終わった、あるいは病院へ送り込めとか、刑務所から立候補しているような人間などという表現が頻出している。ぼく自身も、あからさまにT 候補は「狂気」に支配されていると確信している。選挙に勝つことだけが彼の目的であり、それ以外はすべて受け入れられない事態だと広言している。前回の選挙も「結果が盗まれた」と、いまもなお言い張る。今回も同じような主張を繰り返している。「大統領になったら、自分に反対した者はすべて監獄に放り込む」と臆面もなく放言する。おそらく、人格破綻をきたしている言っても過言ではないと思う。

 2016年に彼が大統領になって実行したのが「最高裁判事」の新規選任(任命)だった。自分に有利なように人選を果たし、今次の裁判過程でも、その有効性を確認することができます。それで思い出すのは、この極東国の故元首相が自らの「犯罪」を隠蔽するために、最高検人事を恣意的に決めようとあらゆる手段を使ったことでした。今から思えば、検察権力行使を自家薬籠中のものにしようとしたことで、幾つもの疑惑に塗(まみ)れて、ある意味では危機的状況にある自らの状況を認識していたがための「不逞の行為」だったと思う。日米首脳会談と騒々しく宣伝してはいたが、その実態は「犯罪逃れ」の陰謀を語るための日米怪談だったことが、いまになれば分かる。

 地球は病んでいる、その実態は、地球の住人が病んでいるのであり、その住人たちの所属する、それぞれの国家の政治指導者が激しく病んでいるということでしょう。他国の指導者選びにいたずらに興味を持つのではありません。その「病魔に侵されている大国」の膝下にあるのがこの極東の小国です。「自分は大統領」、それ以外はすべて「陰謀」であり、絶対的に拒否すべきだという暴力主義者の周辺や身近には殺人や爆破をいささかも厭わない取り巻きが待機している。まるで、日本社会における暴対法対象の「暴力集団」でしょう。稀に見る「狂気の権力者」の棲息をここまで許してきたアメリカ社会の病弊の深さを思うし、そのような権力者の「庇護のもと」でしか自らの権力・地位を築けなかった、この極東小国の、私欲でまともな感覚がすり減った為政者の哀れな運命を呪いたくなる。

 重大な犯罪を重ね、懲役刑なら何十年という刑が下されている「大統領候補」、それでもなお、権力奪取に手段を選ばず、フェイクや陰謀論を撒き散らしている。そんな候補者が、あるいは復帰当選かと予想もされているアメリカ。「大国アメリカ」は「死の床に横たわる国(A Nation on Its Deathbed)」でもあるでしょう。相手候補の父親はジャマイカ出身の移民、その隣国のハイチ出身移民が「猫や犬を食べている」と出任せを撒き散らす、T 候補。それをいい出したのは、当の移民が多く住んでいるオハイオ州選出の上院議員であり、副大統領候補。加えて、最近、その元大統領との親密さが盛んに暴かれ出した熱烈なMAGA信奉者であり、フェイクニュースの拡散者、ローラ・ルーマー(34歳)。突出した「悪意の獅子身中の虫たち」に蝕まれている米国。

 順当なら、K候補が勝利するだろうが、彼女が勝っても負けても、その暁には、あるいは「内乱」や」「暴動」が危惧されている。それが極東の被植民地国に影響しないはずはないのです。アメリカの権力側に向かってしか「発言」しない島国の政権党総裁候補者たち。いずれにしても、「この先は闇(There is darkness waiting ahead.)」ですね。まさしく、昔日、世界の大国だった米国は「淫祠邪教(いんしじゃきょう)」の徒輩に蹂躙され(かかっ)ている。「眠れる獅子よ、目を覚ませ!」

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【余録】全米で女性が選挙権を得たのは憲法修正第19条が成立した1920年8月である。3カ月後の大統領選挙では800万を超える女性が票を投じた。ただ、それ以前から、大統領を目指す女性はいた。被選挙権について憲法は「米国生まれの35歳以上」などと規定し、性による排除はしていない▲女性は投票できないのだから勝つ見込みは薄い。それでも1872年、ウッドハル氏が全国平等権党から出馬する。死刑廃止などを訴えたものの投票用紙に名は載らなかった。まだ34歳だったのだ▲84年と88年には、同じ党から参政権運動の指導者、ロックウッド氏が立った。女性として初めて最高裁判所で活動を許された弁護士だ▲30年にニューヨーク州で生まれ、若くして教師になった。同じ仕事をしても男性の半分しかもらえぬ給与に落胆し、弁護士となって少数派の権利擁護に奔走する。「自分たちで要求し勝ち取らない限り、平等な権利は得られません」▲2度目の大統領選挙で敗れた際には、「男性は騎士道時代の考えに固執している」と感想を述べた。それから136年。民主党のハリス副大統領が今、女性ゆえに高い地位に就きにくい「ガラスの天井」に挑む▲ロックウッド氏は女性の投票風景を見ることなく1917年に生涯を閉じた。亡くなる3年前、女性が大統領になる可能性について語っている。「ふさわしいと示せるならば、いつかホワイトハウスに入るでしょう」。ようやくその時が訪れるのか。投開票まで7週間である。(毎日新聞・2024/09/17)
 トランプ氏、暗殺未遂の原因は民主党だと批判-選挙戦のリセット狙う 米大統領選で返り咲きを目指す共和党候補のトランプ前大統領は、自身が所有するフロリダ州のゴルフクラブで15日起きた暗殺未遂事件について、バイデン大統領と民主党候補のハリス副大統領による「非常に扇動的な言葉遣い」が容疑者の背中を押したと批判した。トランプ氏が今回の事件を政治的に利用しようと躍起になっていることがうかがわれる。/トランプ氏は容疑者について「バイデンとハリスのレトリックを信じ、それに従って行動した」とFOXニュース・デジタルとのインタビューで指摘。その上で「彼らのレトリックのせいで、この国を救おうとしている私が銃で狙われた。彼らこそ、内外から国を破壊しようとしている」と続けた。/ただ、トランプ氏はこうした主張を裏付ける証拠は示さなかった。ハリス氏の陣営は現時点でコメントの要請に応じていない。/トランプ氏はとりわけ、民主党が自身を「民主主義の脅威」と位置づけている点を非難。ハリス氏とバイデン氏こそが「真の脅威」だと主張した。/事件後に逮捕されたライアン・ウェスリー・ラウス容疑者(58)の動機について、捜査当局は詳細を明らかにしていない。/にもかかわらず、トランプ氏が暗殺未遂を招いた原因として民主党に批判の矛先を向ける背景には、選挙戦の「リセット」を狙っていることがありそうだ。終始守勢に立たされ、ハリス氏に勢いを与えたテレビ討論会から有権者の注意をそらし、この事件を利用して仕切り直しを図りたい考えだと思われる。(ブロームバーク・2024年9月17日)(原題:Trump Blames Harris Rhetoric for Inspiring Assassination Attempt)(ヘッダー写真も)
 マスク氏、物議醸した投稿削除 「文脈理解されないと面白くない」 米国の実業家イーロン・マスク氏は16日、自身が支持する共和党のトランプ前大統領の暗殺未遂とみられる事件を巡り、民主党のバイデン大統領やハリス副大統領を「誰も暗殺しようとさえしない」としたX(ツイッター)への投稿を削除した。「今回学んだ教訓は、ある集団に言った時に笑いを誘う言葉も、Xに投稿した時に同じように笑えるものだとは限らないということだ」と釈明した。/マスク氏は、別のXユーザーの「なぜ、彼らはトランプ氏の殺害を望むのか」との書き込みを引用し、問題になった投稿をしていた。/トランプ氏が7月の銃撃事件に続いて標的になった可能性があることを強調する内容だったが、政敵の暗殺を容認すると受け取られかねず、非難の声が上がっていた。/マスク氏は、問題の投稿を「ジョーク」と位置付け、「文脈を理解せず、文字通りに伝達されると、ジョークの面白さはかなりなくなってしまうということだ」と述べた。【ワシントン秋山信一】(毎日新聞・2024/0/16)
 トランプ氏、極右扇動者を「操っていない」と強調 「彼女は自由な人間」 加州ランチョ・パロス・ベルデス(CNN) 11月に実施される米大統領選の共和党候補、トランプ前大統領は13日、極右の扇動者として知られるローラ・ルーマー氏について、自らの支配下に置き、操っているわけではないと述べた。ルーマー氏は「自由に生きている人間」であり、「支持者」だと説明した。/サウスカロライナ州で開いた会見で、CNNの記者の質問に答えた。トランプ氏の複数の側近は、この数日トランプ氏とルーマー氏の関係が緊密なことについて懸念を表明していた。/会見でトランプ氏はルーマー氏について、以前から自身の支持者であり、選挙活動に当たって非常に前向きな発言をしてくれていると説明。自分が支配下に置いて操っているわけではないとし、本人は自由に言いたいことを言っているはずと強調した。(以下略)(CNN・2024/09/14)(https://www.cnn.co.jp/usa/35223925.html)
(*https://www.youtube.com/watch?v=kYzeO1ZQd1I&ab_channel=CNN

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