
▣ 週の初めに愚考する(第参拾七)~ 本日は「彼岸の中日」です。取り立てて関心があったり、関係があったりする日でもないのですが、世間の約束事で、彼岸の中日、つまりは「秋分の日」として休日を受け入れてきました。勤め人を辞めてからは、世間の約束事とは没交渉が当たり前になり、いわば、日曜も月曜もないような日々を送っています。それでも、旧暦の痕跡を偲びつつ、先祖へのささやかな報恩を感じつつ、漠然とした想念にとりつかれているのです。「父母恋しや、ほうやれほ」と、まるで安寿と厨子王のような心境になります。
あすは彼岸の中日。百貨店ではもう、おせち料理の予約の受け付けが、始まった。暑さ寒さも彼岸までとは言うものの、秋は名のみのこの猛暑。しつこい夏がなかなか彼岸へと渡ってはくれない。
そういえば、朝の散歩のコースを変えて田んぼの畦(あぜ)を歩いても、あの秋の花を見かけない。彼岸花-。花が枯れたあとに葉を伸ばすので、「葉見ず花見ず」という別称も。いまだ、葉も花も見ず。
最盛期には300万本が咲き競う名所、愛知県半田市の矢勝川はどうか。「今年はやはり、猛暑のために遅れ気味です」と市観光協会。それにしても日本の秋は、どこへ行ってしまうのだろうか。(中日新聞「夕歩道」・2024/09/21)

親不孝な人間であることを自慢するのではなく、恥ずかしいこととして自覚はしている。そんな人間でも、時には、先祖へのささやかな「報本反始(ほうほんはんし)の情に思いが及ぶこともある。それが「お盆」だったり、「お彼岸」だったりするというだけのことですが。古い言葉を使いました。「報本」、元(本)に報いる、先祖に思いを致す、今あることを先祖に感謝するというのでしょうか。「反始」とは始めに「かえる」「元にかえる」です。こんな古色蒼然とした「死語」を思い出すのも、「お彼岸」のなせる業かもしれません。勇ましいことを吹聴される政権党の猛者たちも、だれ一人、この「(彼や彼女にとって)大事な家族観、家制度の根本観念)」を口の端に乗せるものがいないとは、どうしたことでしょう。こ「イデオロギー(教条)」を抜きにして「国家本位の政治」が成り立つはずもないと思うのですが、ね。
本年の秋の彼岸、9月19日が「彼岸の入り」で、9月25日が「彼岸明け」。そして本日22日が「彼岸の中日」というそうです。
ひ‐がん【彼岸】〘 名詞 〙① ( [梵語] pāramitā 波羅蜜多を漢語として意訳した「到彼岸」の略 ) 仏語。絶対の、完全な境地、悟りの境界に至る修行。また、その悟りの境地。生きているこの世を此岸(しがん)として、目標となる境界をかなたに置いたもの。〔勝鬘経義疏(611)〕 〔大智度論‐一二〕② 春秋二季の彼岸会(ひがんえ)。また、その法要の七日間。俳諧では、秋の彼岸を「後の彼岸」「秋の彼岸」という。《 季語・春 》[初出の実例]「つれづれとあるほどに、ひがんにいりぬれば」(出典:蜻蛉日記(974頃)中)③ 向こう側の岸。転じて、(こちら側の)人間的な世界に対して、それを超越した世界をいう。⇔此岸(しがん)。[初出の実例]「ひがんしがんの柳の髪は長く乱るれど」(出典:浄瑠璃・釈迦如来誕生会(1714)三)④ 植物「ひがんざくら(彼岸桜)」の略。(精選版日本国語大辞典)
●報本反始=「《「礼記」郊特牲の「本に報い、始めに反 (かえ) る」から》自然や祖先の恩恵に報いるという道徳観を示す語。日本では幕末より第二次大戦まで、祖先信仰と国家神道推進のため政府により盛んに鼓吹された」(デジタル大辞泉)

このところ、あまりの暑さに「散歩」は控えてきました。車で買い物に出かけることはあっても、徒歩で近所を散策することがほとんどなくなっています。いずれ再開したと思っている。コラム(「夕歩道」)氏も書かれているように、この時期に見えるべき花が見えてこないのです。「赤い花なら曼殊沙華」の、あの「彼岸花」のこと。たぶん、今頃はあちこちで咲いているのでしょうが、今年はまだ見ていません。この花も、昨日の「アザミ」と同様に、ぼくには懐かしい花でもあります。このところの台風の余波や秋雨前線等の停滞で大変な集中豪雨に遭遇している能登半島。ぼくは、そのなかほどの中島町(現七尾市)に生まれた。そこはまるで田んぼや畑に、低い山ばかりという土地柄だったから、野生の草花は、いつも満艦飾でした。アザミも曼殊沙華も、この季節になると、能登ではいつでも目にしていたし、曼殊沙華では首飾りなどを作って遊びもした。(一月初日の「大地震」に続いて、再び豪雨の齎した水害に塗炭の苦しみに打ちひしがれている能登半島。こんなにしばしば災いに見舞われ通しとは、ぼくには口をついて出る言葉もありません)

今朝は雲が多く風も出ています。ただいま6時過ぎです。室温は28℃、湿度79%。どんな一日になるのでしょうか。ぼくの身体感覚では、30℃は普通、やや涼しい、そんな具合になりきっている始末。「暑さ寒さも彼岸まで」といった理由は、もちろん、天体の運行や気象条件からのものだったでしょう。昔日、自然科学の知見がなかったけれど、それを補填するように、各地域に蓄積された歴と暦の閲歴がありました。もちろん明治以降は、この極東の小島でも「近代」を標榜し、旧習を打破すべき社会革命とでもいうようなものが激しい勢いで追及されてきたことは事実。そのためには「他国との戦争」も辞さなかったのですから、「近代化」とは、何とも厄介な社会革命(暴力)だったと思います。それから二百年近くが経過し、果たして「近代化」という「長い革命」は終わったのか、いや、実のところ、もう一度「報本反始」とばかり、明治初めはおろか、奈良や平安の「王政復古」へ一足飛びに先祖がえりを試みているのでしょうか。

この社会には「先祖」と「末裔」の覇権争いのような無駄な軋轢があったりして、どこの社会でも同じことでしょうが、いったい時間(歴史)を費やして前進したのか、前進だと思っていたのは錯覚で、実際には後進(後退)していたのではないかと、はなはだ不本意ですけれども、時にはそのように、ぼくには感じられるのです。前に向かって走っているつもりが、元に戻るために、後ろ向きで走っているような、他の国々が、左回りで一斉に走っているのに、この社会は右回りだったという、そんな景色が、ぼくもその中に含まれながら、目に入るのです。文字通り、逆行感覚に襲われている。この社会が経てきた歴史の時間は、いわば能舞台の「橋掛かり」の距離に等しく、揚幕から本舞台の間を往復していただけだったという錯覚を覚えます。その時、彼岸は揚幕の中(鏡の間)なのか、それとも此岸(しがん)は本舞台だったのか、その逆だったか。ぼくにはその区別がつかないままで、困惑を覚えている。
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