「徒然に日乗」(505~511)

「年を取る」というのと「歳を重ねる」というのでは、やや意味合いというか印象が違うようにぼくは感じる。どっちでもいいようですが、年齢というのは積み重ねるという意味合いが強いのではないでしょうか。昔から「亀の甲より年の功」と言いました。「年功序列」というのも、年の功(経験や技量、才能)に応じて処遇するということでしょう。「生涯現役」という表現も好まれています。ぼくにはよくわからない「生き方」です。数年前に亡くなった野球の野村克也さんは「生涯一捕手(キャッチャー)」と、46歳まで現役で活躍した。「生涯一書生」という禅の古言を自らに重ねたのでした。その野村さんでも、捕手の生涯は46歳まででした。その後、彼は四十年を生きられた。

年ごとに人間の寿命は伸びてきました。でも、それに対応する社会の体制が十分に整っていない嫌いがあるのではないでしょうか。「人生百年時代」が叫ばれているのに、老人の居場所が社会に準備されていないとしたら、それは掛け声倒れであり、その分だけ、長生きは「惨め」という悲哀を与えるだけだとも言えます。政治家は口癖せのように「誰一人、取り残さない」という。そうでしょう、「全員を置いてけぼり」にするのだから。高齢者の問題とは意味合いが違うかも知れませんけれど、「走っているからこそ考える、手や足を動かしているからこそ思いつくのかも知れない」という、右下写真の「折々のことば」は、老齢になっても「そうでありたい!」という、一つの蝋燭の光のような明るさを与えています。ぼくは、なんとかの一つ覚えのように「自分の足で立つ」といい続けてきました。そんなことは当たり前と思いがちですが、年齢を問わず、「自分の足で立つ」というのはかなり難しい。第一、自分の足で立っているつもりでも、実はそうではないことのほうがほとんどで、その証拠は学校教育の「与え続ける知識」教育の弊害にはっきり見て取れます。自分の足で立ち、自分の足で歩こうよ!

「教師が教え(与え)たもの」を「子どもが暗記する」、その「与えられた知識」「借り物の知識」は決して自分の足を鍛えてはくれないのです。同じ「折々のことば」の「時は金なり」にも、ぼくは同じような印象を持ちました。「時間を無駄にするな」というのは効率主義、これは今でもあらゆるところで幅を利かせています。迅速に、スピード感を持って「政治を遂行」などと、いい気なものですが、なんのことはない「俺の言うままにしろ」という一人勝手、あるいは独裁の主張でしょう。これは競争原理がその根っこにあります。そうではなく「大切な時間を他者に分ける」という視点をもてと言われるのは、「育児でも介護でも」、もちろん「教育でも」、その仕事の本質に該当するのではないでしょうか。「ケアの本質には、他の人に、自分にとってもっとも大事なもの、つまりは時間をあげるということがある」という、そのことを省いて、なんのための効率化、経済性かといいたい。「時間を省く」というのは、時間を捨てるに同じです。大事なのは、時間をかける、ですよ。「時間」というのは「生命の活動」の証(あかし)です。

政治でも経済でも、教育でも、「時間が勿体ない」と、さも時間を大切にしている風を装って、実際は「時間を浪費」しているだけという実感をぼくは強く持っている。時間を割く・使うというのは、生命を削ることを指しています。いのちの中に時間は内在しているのですから。ところで、佐賀新聞の「有明抄」氏は「暑い秋」を恨んでおられる様子(ようす)です。日本の四季というのは今は昔の物語。今日は暑い夏と寒い冬の「二季」ですね。ヴィヴァルディが現代日本に蘇ったとしても、決して「四季」というコンチェルトは作れないでしょう。余談ながら、その昔は「二季払い」などと言って、借金を盆と暮のニ回で支払う習慣(慣習)がありました。ぼくなども「ツケ」で物を買った経験がありました。今で言う「月賦」とか「年賦」で、いわゆるローンの支払です。日常生活必需品を借金で購入し、それを「盆暮れ」に精算していたのでした。
いずれ、地球上の人口の何割かが、異常高温のために今住んでいるところには住めなくなるという、怖いデータがあります。日本の海岸線は年々侵食され、砂浜が奪われています。当たり前に収穫できていた季節の野菜や果物も、これまで通りというわけには行かないとなると、まるで「地球そのものが高齢化・老齢化」したというほかなさそうでしょう。端的に、それは「地球の虐待」だったといいたいですね。人間の老齢化というのは、これまでの所要時間の二倍三倍の時間が必要だということでもあるでしょう。効率化、経済合理主義が齎(もたら)した、時間に追いかけられるような生活環境こそが、根本から捉え直されねばならない課題であるのではないですか。「老人の日」とか「敬老の日」というのは、これまでの価値観や常識(惰性)を捉え直し、変更させるべき機会でもあるでしょう。

若い頃に読んだ本で「収奪された地球」(ヘルベルト・グルール著、辻村誠三・辻村透訳。東京創元社、1985年刊)という書名を持ったものがあました。これについては、どこかで触れています。石炭・石油などの化石燃料を掘削し、それを蕩尽して地球環境を痛めつける工業化社会、資本主義社会の危険性を大局的に論じたもので、その内容は今もなお古くなっていないと思われます。経済発展のために「地球虐待」が延々と継続されてきた、その終局段階にぼくたちは生きています。その地球の悪化しきった衰退状況を見ていると、この社会における老人、高齢者の姿に重なってきます。「虐待された老人」「老人の虐待」というのは、表現がドギツすぎますが、医療費や年金制度の「エセ改革案」は、老人を切る政策で、それが政権の中枢から聞こえてくる時代。「医療費自己負担三割化」「年金受給開始八十歳」など、おいそれと歳を重ねられない時代でもあるでしょう。嘆かわしいこと夥(おびただ)しいね。

【小社会】波平さん54歳 漫画「サザエさん」一家のお父さん、磯野波平さんは54歳の設定だそうだ。あの風貌、振る舞い。もっと老人かと思っていた。いまのスター、歌手の福山雅治さんより年下だから驚く。▶連載初期の昭和20年代、企業は55歳定年制が主流だった。日本人男性の平均寿命もようやく60歳を超える時代。波平さんの描かれ方はなるほど、そうなるか。「今は年齢は7掛けだよ」。そんな先輩の言葉から、現代なら「波平の実年齢は77歳」と推計した本もある(近藤昇著「もし波平が77歳だったら?」)。▶きょうは敬老の日。「ハルメク 生きかた上手研究所」の調べでは、初めてこの日を祝われたのは平均63・1歳。イメージする対象年齢は73・7歳で3年前よりも2、3歳上がったとか。これも昔と比べ高齢層が若々しい証左だろう。▶政府が、75歳以上で医療費窓口負担が3割となる人の対象を広げる方針を示した。「老後2千万円」だと騒がれたのは5年前。いまとこれからの高齢者の将来不安は増えていく。▶政府は同時に70歳まで働ける企業の割合を高めるという。若々しく、生きがいを求める人にはいい。ただ、高齢になると健康面や仕事への意欲は個人差が大きくなる。本人が柔軟に選択できる社会になっているのかどうか。▶福山さんと同世代の筆者も、いつの間にか波平さんの年齢を追い抜いた。よく老後を想像する。心身の若さはどちらに近いだろうと考えながら。(高知新聞・2024/09/16)

【有明抄】暑い秋 「言うまいと思えどきょうの暑さかな」。そんな古句を思い浮かべてしまう。暑い! 9月ももう半ばなのに、である◆1年を四季で均等分すれば春は3~5月、夏は6~8月、秋は9~11月、冬は12~2月。そんなイメージだが、近年は春と秋を短く感じる。というより夏が5~9月と長くなった気がする。特に今月は本格的な暑さだ◆県内の最高気温は連日30度を超え、ほとんどが猛暑日。朝夕はいくらか涼しさを感じるが、昼間が暑すぎるからだろう。国連のグテレス事務総長が昨年使った「地球沸騰化」という表現は大げさではない。気象庁によると今年6~8月の国内の平均気温は平年を1・76度上回り、昨年と並んで「最も暑い夏」となった◆猛暑の原因の一つは海水温の上昇という。海面は地表に比べると温まりにくいが、一度熱されると冷めにくい。台風が大型化する一因でもある。熱は循環する。西日本は猛暑日なのに東日本は豪雨という極端な天気も増えた。「実りの秋」への影響が少ないことを祈るばかりだ◆このままでは史上最も「暑い秋」になりそう。冷房は欠かせないものの、地球沸騰化を考えると他にいい手だてはないかと考えてしまう。とはいえ、人は自然を制御できない。暑いと口にするから暑さが増す。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉を信じ、秋を待つ。(義)(佐賀新聞・2024/09/16)
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「徒然に日乗」(505~511)

◯2024/09/15(日)昼過ぎに買い物。朝からすでに30℃を越えていた。車で走っていても焼け付くような、ほてりの中にいる気分。どんなに暑くても、一人で乗っているときにはエアコンは付けないから、車内も三〇℃を越えている。窓を開ければ、暑さはしのげるが、それでも熱風が飛び込んでくるので、このところの暑さにはやられる。9月の半ばであるにも関わらずと言うか、連日の猛暑日で、加えて湿度も高い。中々体力が回復しないし、庭に出て作業をするイトマも気力ない。▶日米の「親玉」選びが展開している。方や「親方候補選び」であり、一方「大統領」選挙。だれがなっても、日米関係という歪(いびつ)な「主従」体制は変わらない。変わる気遣いがないのが悔しいね。(511)
◯2024/09/14(土)九月半ばになっても「酷暑」「灼熱」地獄は終わらない。季節は降ってますます盛んと言うべきか。耐風13号は沖縄奄美方面を遅い、北上中。さらに次の台風発生も予想されている。まだまだ海水温が高く、台風発生条件は整っている。▶それにしても、まるで地球は燃えているような塩梅で、外に出れば火傷をする恐れを感じるほどの灼熱の気候だ。只今、夜の十一時過ぎ。室温29.2℃、湿度78%。(510)
◯2024/09/13(金)昼過ぎに茂原まで買い物。気が遠くなるほどの暑さ。すでに朝の早い段階で30℃を超えていたが、更に温度は上昇している。帰路には、いつものH.C.で、常食している猫のドライフードを四袋買う。計五千円弱。細かく計算したことはないが、主食の缶詰と間食用のペットフードを合計すると、一月には相当な額になるだろうし、キャットフードの値上がりは人間用の食量品の比ではない。買う側の足元を見ているのか、驚くほどの高騰ぶりだ。一気に50%もの値上げをする商品(企業)もあるのだ。ひどいというほかない。夫婦の消費よりもかかっているかも知れぬ(509)
◯2024/09/12(木)朝から高温多湿の一日。▶お昼過ぎに猫缶の買い出し。いつものH.C.だったが、普段利用する地下駐車場が満杯。仕方なく屋上にまわった。野天が暑すぎるから、多くは地下に潜ったということだろうか。いつものように缶詰と煮干しやその他の間食(おやつ)を購入。色々と試して見るが、いつもの缶詰が合うらしい。▶昨日の米大統領選挙の討論会の余韻が冷めない。現地のテレビなどでは「K候補が素晴らしい仕事をした」と称賛。もちろん、そうではないテレビ局の番組もあったろうが、印象からすれば、副大統領の「圧勝」という評価だと思う。それ以前のアメリカのマスコミのK氏に対する評価はかなり厳しいもので、「彼女は全然準備ができていない」「彼女が何者であるか、よく理解されていない」という、自らの職業上の怠惰を棚に上げて、消極的評価で固まっていたと思う。それが一夜明ければ、様変わり。「能ある鷹は爪を隠す」と言うではないか。投票まで、まだ一ヶ月半もある。何が起こるかわからない。注目したい。▶翻って、劣島の政権党の「総裁選挙」の候補者受付があり、九人が届け出たと言う。掃き溜めか、泥沼の世界における政治をしてきた政権政党の議員たち。何を語っても「嘘だ」と顔に書いてあるのが丸見えだから、実に虚しい限り。注目のしようがない。▶只今、午後九時過ぎ。室温29.2℃、湿度77%。気温の上では、掛け値なしの「熱帯夜」だ。(508)
◯2024/09/11(水)当地の西隣・市原は36℃超、東隣・茂原は35℃超。熱帯地の両方に挟まれて、当地も凄いことになっている。九月半ばで高音の新記録か。室内に座っているだけで玉の汗、ついに昼過ぎにはシャワーを浴びた。少しは体力回復かと早とちりしたよう。この先も超高温超多湿が続くらしいし、颱風も続々と発生しているので、なかなか心身ともに油断はできないのだ。▶米国大統領選挙の討論会をネット配信で視聴。相変わらずD候補は無茶苦茶な「独裁者」風で、しかし、一気に衰えた姿がそこにはあった。一方のH候補、事前の合宿が効いたか、心配されていた準備不足はカヴァーできていただろう。そうではなく、彼女本来の能力が少しばかりでてきただけ、これまではその機会がなかったのだ。この両者の現段階の支持率はほとんど同率。ということは、どんなに悪質な犯罪を重ね、虚偽を重ねている人間でも「国民の半分の支持」が得られる国、それがアメリカだということ。その多くは選挙制度によるだろう。翻って、この劣島社会はどうか。政権党の派閥や議員個人がどんなに悪質な(政治)行動を取ろうが、政権交代がないというのだから、彼の国よりも救いがたいということかも知れぬ。(507)
◯2024/09/10(火)朝一番に(6時半)に生ゴミ出しに。▶午前中、駄文を弄っている時に、福岡から電話。9時ころだったか。彼女から来たメールへの返信を一週間も放置していたので、その催促と言うか、お叱りの電話。「11月20日に伺いたいが、どうか」と問い詰められる。飛行機の切符も手配したとも(まさか、ね)。2ヶ月先に息をしているかどうか怪しいのだから、返事のしようもないが、とにかく「予定」を受け入れることにした。さて、どうなることか。O君とはもう四十年来の付き合いだと言う。▶それにしても酷暑は続く。これまでに消耗した体力が回復しないままで、痛めつけられるほどの暑さ。屋外に出るのは危険だと感じるのだ。いったい、いつになると「秋冷の候」となるのだろうか。(506)
◯2024/09/09(月)お昼すぎに買い物で茂原まで。なんでもない品物を買っただけで、会計は6.500円だと。驚くとはこのこと。めったにないことだが、家に帰り、改めて計算してみた。よほど気をつけて買い物をしないと、物価高で足元を救われ、生活を破壊されかねない。▶九月初旬に台風が劣島に近づいたために、やや気温は下がったが、その反動というか、ぶり返しがすごい。感覚的には連日、猛暑日を息絶え絶えに凌いでいるという格好。日増しに気温が更新しているのではないかとさえ思ってしまう。九月半ばになりながら、酷暑に責められているのだ。▶本日は重陽の節句。何をするでもないが、若い頃は菊酒を嗜むという遊びをした記憶がある。菊にはまだ早いが、京都時代の菊の季節が懐かしい。(505)
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