米ばかりが穀物の主にあらず

 臥龍山近くで赤ソバの花見頃 広島県北広島町 広島県北広島町八幡地区で、赤ソバの花が見頃を迎えている。住民グループが約4ヘクタールで栽培し、今月末ごろまで楽しめる。/臥龍山近くの畑では、直径1センチほどの愛らしい花が一面を赤や濃いピンク、白に染める。11日早朝には、朝焼けをバックに幻想的な雰囲気を醸し出していた。霧に包まれて映える様子や澄んだ青空との対比など、時間によってさまざまな光景を楽しめる。/地区内の11軒でつくる住民グループ「赤そばの里 八幡高原」が2015年から栽培。高木茂代表(69)は「今年は台風の被害もなく生育は順調」と手応えを口にする。/10月中旬に刈り取り、昨年並みの約1トンのソバの収穫を見込む。近くの芸北高原の自然館内の食堂では、昨年産の実を使ったそばを販売中。11月には新そばが味わえそうだ。(与倉康広)(中國新聞・2024/09/11)(ヘッダー写真も)

 蕎麦再論。劣島各地に「そばの名産地」があります。それは何を示しているのでしょうか。北海道から沖縄まで、いたるところに「そば処」があるというのは、蕎麦が育つ環境は土地柄や土質を選ばない、むしろ荒れ地や痩せ地に名産地があると言ったほうがいいくらいに、手もかからず、年に二回は収穫が期待できる、そんなところから、「そばは何処でも名産地」ということの証明になっているのでしょう。

 それでは、どうして蕎麦が「常食」にならなかったのか。いくつかの理由があるでしょうが、やはり稲畑耕作の普及が、そしてやがて「敷島の稲穂」がこの国を表す象徴として持て囃されてきたからでしょう。加えて、食に供するまでの手間暇は、米に比べて格段に面倒でした。しかるに、その一方で蕎麦は、米や他の食糧の不作や凶作を克服(補填)する重要な食料として、常に準備されてきたのも事実です。

 今夏の異様な熱波・酷暑の中で、ぼくは改めて「蕎麦」の効用・栄養価などについて、每日のように考えてきました。もう一ヶ月以上、每日夕食は夫婦で「笊蕎麦(ざるそば)」です。一昔前よりも、品質の良い蕎麦(蕎麦切り)が市販されるようになりました。また、各地の名店がオンラインで「生蕎麦」の通販も行っています。米を食わなくなった人間(小生)の「主食」になりそうな蕎麦についての、愚にもつかない「そば考」ではあります。

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● そば(蕎麦)= そば粉を主原料にした食品。一般にはそば粉を水でこねて薄く伸ばし、細く切った麺(めん)(そば切り)をさす。ソバは中国が原産地で、朝鮮半島を経て日本へ渡来し、各地で栽培されるようになった。渡来の時期は古く、縄文晩期ともいわれる。現在では世界中で広く栽培されている。ヨーロッパへの伝来は14世紀以降で、パンなどにそばの粉を混ぜて用いられた。日本では奈良時代すでにそばが用いられていたことが記録にみえる。『続日本紀(しょくにほんぎ)』養老(ようろう)6年(722)条に、夏、干魃(かんばつ)で大飢饉(ききん)になったため、晩禾(ばんか)(晩稲)や大小麦とともにソバを植えることを命じた、とあるのがそれである。また、『続日本後紀(しょくにほんこうき)』承和(じょうわ)6年(839)条にも、非常の作物としてソバを植えるようにとの命が出たとあり、ソバは古くから救荒として栽培されていた。日本におけるソバの最初の栽培地は滋賀県の伊吹山付近といわれ、ここから順次東へ広がった。そして、岐阜、長野、山梨の各県などで栽培が盛んになり、今日では信州が名産地として有名である。このほか、各地に数多くのソバの産地があり、土地の名を冠したものが食べられているが、五穀のように常食はしていなかったようである。そばは粒状のむきそば、およびそば粉が食用として用いられる。(日本大百科全書ニッポニカ)

● そば= 《栄養と働き》そばには5月中旬から6月中旬にかけて種が蒔かれる夏そばと、7月中旬から9月上旬に蒔(ま)かれる秋そばとがあります。新そばといわれるのは、秋そばのことで、香り、味ともに夏そばに勝っています。/非常に丈夫な作物で、やせ地や寒冷地でもよく生育し、しかも50~70日と短期間に収穫できる利点があります。そのため、飢饉(ききん)に備える作物として、古くから重要視されていました。(⤵️)

栄養成分としての働き  栄養的には、他の穀類には少ないアミノ酸のリジンやトリプトファンが多く、たんぱく質の栄養価が高いのが特色です。コレステロールを排出してくれる食物繊維も豊富なので、便秘(べんぴ)改善や動脈硬化予防に有効です。/そばには毛細血管を強くするルチンが含まれているのも大きな特色です。ルチンはそばの実の殻(から)に多く含まれている栄養素で、フラボノイドの一種。欧米では薬として用いられているといいます。/その働きとしては、毛細血管を強化するほか、血圧降下作用、膵臓(すいぞう)機能の活性化、また記憶細胞の保護や活性化にも関係しているといわれています。その結果、心臓病や脳血管障害の予防、糖尿病の予防と抑制、記憶力の向上などに有用です。/最近では、そばに含まれるたんぱく質が体脂肪の蓄積を抑える働きをすることがわかっています。/ルチンの働きとそばたんぱくの働きで、動脈硬化予防に強い効果を発揮する食品といえます。(⤵️)

《調理のポイント》 そばは麺(めん)として食べるのが一般的です。もりそばやかけそば、また、ゆでた麺をのり巻きにしたそば巻きなど、くふうしだいでいろいろと利用できます。/そばを食べる際に注目したいのは、薬味の存在。薬味はそばの効能を引きだす役割もになっているのです。たとえば、刻んだネギは、アリシンという物質を含んでいるので、そばのビタミンB1の吸収を高め、疲労回復、冷え症などに効果を発揮します。/ワサビは辛み成分のシニグリンが代謝を高め、冷えを改善するので、体を冷やす食品といわれるそばとの組み合わせは理にかなっています。/また、ルチンやビタミンB群は水に溶けやすいので、ゆでると、ゆで汁の中に溶けでてしまいます。ゆでた汁は、捨てずにそば湯として飲みましょう。このとき、つけそばの汁に入れて飲むときは、食塩のとりすぎにならないよう、十分注意してください。/また、そばがきにすれば、成分を丸ごととることができます。ダイコンおろし、ワサビ、ノリ、ゴマをそえて、そばつゆをかけて食べます。(食の医学館)

 そばが健康やダイエットに効果的な食品ということをご存じですか?/そばは、ルチンをはじめとしてビタミンB群やミネラルが豊富に含んでいる体に良い食品です。/また、白米と比較をすると、カロリーが低く、タンパク質を豊富に含んでいる食材です。/カロリーや炭水化物も量も少なく、太りやすさを示す指標にもなるGI値は54となっていて、白米の84と比較すると低い数字となっています。このことから、そばは、ダイエットに向いている食材ともいうことが出来ます。(以下略)(「和食の旨味」参照:https://www.kobayashi-foods.co.jp/washoku-no-umami/soba-nutrition

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 米の飯を食べなくなったのは、お酒を飲みだしてから。もう半世紀近くになるでしょうか。もちろん、酒を飲んだら、同時にご飯は食べないという意味で、朝飯には米飯をという習慣は、しばらくはありましたから、まったく米なしの生活を一貫して来たのではありません。しかし、ここ十年ほどは朝はパン食(小麦)、夜は米抜き(酒抜き)で、おかずだけ。そして、夫婦でノンアル(350㎎)ヒト缶、時には飲み切れないことも。そして、今夏の酷暑に体力を消耗しつくして、ようやく始めたのが蕎麦食でした。もともと、蕎麦が大好きだった。昔から、酒の友に、そんなことでした。従来から、市販の蕎麦(そば切り・乾麺)は時々は購入はしていましたが、口には合わなかった。だから常食にはならなかったのでした。いろいろと試してはいたのです。

 今夏の異様な暑さに、ぼく自身が「穀類の華」とも評価している蕎麦、一体どれくらいのもの(品種か・品揃え)があって、どの程度食味に満足できるか、それこそ時間をかけながら、毎夕試食を重ねてきたのです。「これだ!」という決定版があったとはいいません。でも何種類か、市販商品でも十分に美味しいと言えそうなものに巡り会えた。まだ探求中ですが、これなら、常食に叶うだろうと考えているところまで来ました。もちろん、今のところは「乾麺」です。それでも、米飯よりはカロリーはやや落ちますが、その他の栄養価では遜色ないどころか、大いに推奨に値する食物だということは以前から知られていた。細かいことは省きますが、蕎麦は穀物であり、ある時期のある地域の人々は常食していた歴史もある。ぼくは、毎晩のように、自分で茹でて(「そば湯」も取れる)、好みの硬さにして食している。まるで「カップラーメン」ほどの手軽さですよ。

 年老いたせいもあり、血圧が高く、血管の衰えがかなり進んでいると思う。蕎麦には、他の穀物にはないルチン(rutin)が含まれている。(「フラボノイドの配糖体。淡黄色の粉末。ソバ・エンジュなど広く植物中に存在。毛細血管の透過性を軽減する作用があり、血管補強薬として用いる。ビタミンP」デジタル大辞泉)その他、諸々の栄養価が、老化に伴い、必然的に衰退し、衰弱した体質・体力を改善してくれるかも知れない。何より、太らない(肥満防止)ためには格好の食物です。また食物繊維がふんだんにあるので腸の健康を保つには勝れているし、ビタミンB1・B2なども多く含有されているので、疲労回復や脂質の代謝には必要な栄養素には事欠かないのであります。また「笊蕎麦」には体を冷やす効果もあると言いますから、酷暑の砌(みぎり)、ぼくには最適の食材だと思えてきます。

 もちろん、いいことずくめというわけには行かないが、米よりは、むしろ常食に向いているのではないかとさえ考えているのです。まるで縄文人(当時は米を食っていたかどうか)になったような気で、都会の喧騒や混乱から逃れてきた人間にはお誂えむきの食材かもしれないと思っている。現下の米不足や米価高騰の折りだから、ぜひ蕎麦をというのではありません。ぼくの好みに合っているから、それだけの理由で蕎麦を選んでいるだけ。しかも、結果的にはいろいろな健康上の効果が期待できるなら、食卓に載せない手はないでしょう。最近気が付いたのですが、猫がそばを食べるんですね。特に「ざるそば」が好みのよう、なにせ好物の海苔がついていますから。

 「GI値とは食品に含まれる糖質の吸収度合いを示し、摂取2時間までの血液中の糖濃度を計ったものです。/GI値が高い食品は急激に血糖値を上げます。反対に低い食品は血糖値を上げにくいのです/急に血糖値が上がると、インスリンが分泌され血糖値を下げようとします。そうするとすぐにお腹が空いてしまい、間食をしやすくなってしまうのです。反対に低い食品は腹持ちが良く、満腹感が長く持続されるのです。このことから、GI値が低い食品ほど太りにくいと言われています」(前出「和食の旨味」)

 今日の常識からすれば、蕎麦は穀物の仲間には入れられていません。不当な扱いだと、ぼくには思われます。蕎麦は土地を選ばず、栽培期間は短く、多くは年に二回(春蒔き・秋蒔き)の収穫が期待されます。大昔から、そのために蕎麦は「救荒食物」として、飢饉や大災害などの機会に、この島社会の生命をつなぐのに大きな役割を果たしてきました。穀物の仲間であろうがなかろうが、栄養価が高く、常食にも適しているとするなら、それに食指が動かないほうがどうかしていますね。

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● 穀物(こくもつ)= 子実を収穫するために栽培される一年生または二年生草本作物、およびその子実(穀実)の総称。穀物は主食あるいはその代用とされ、主食とするものを主穀、そのほかのものを雑穀とよぶ。最近は食用のほかに、デンプンや油をとったり、アルコール原料など加工原料としての用途も増え、また家畜などの飼料としての用途も多い。穀実の特徴は貯蔵性に優れ、物理的衝撃に強く、長距離の輸送が容易なことである。また穀物は農業機械による大規模栽培に適し、そのため生産費を安く大量生産できるなどの特長もある。/イネ科の穀物を禾穀(かこく)類とよび、イネ、コムギ、オオムギ、ライムギ、トウモロコシ、モロコシ、アワ、ヒエ、キビ、テフその他が含まれる。マメ科の穀物は菽穀(しゅくこく)類とよび、ダイズ、アズキ、リョクトウ、インゲンマメ、ササゲ、ラッカセイ、エンドウその他がある。そのほかタデ科のソバ、アカザ科のキノア、ヒユ科のセンニンコクなどがある。(日本大百科全書ニッポニカ)

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駄文も「ソナタ形式」「序破急」で

 倦まず弛(たゆ)まず、每日駄文を書き殴っています。よく飽きないねと、自分でも感じることはありますが、まあ、朝飯や夕飯を食べる如く、何食わぬ顔をして、書いたり食ったりするのですよ。駄文書きの時間は、ぼくには朝飯(あるいは朝飯前)の一刻、誰にも迷惑もかけず(たぶん)、老化防止の一助にと、この惰性・習慣は、まるである種の「サプリメント」になっている、そんな趣きがあります。

 できるだけ簡潔に、しかし要点を外さず。それが我が意であります。例えれば「序破急」のように、または「ソナタ形式」で、このような流れが文章に出るならとても嬉しいし、読んでくださる方はどうかわかりませんが、書き手、いや書き殴り手としては、そこを狙っているのですけれど、目も悪くなり、的が見えづらいし、つい横道に入り込む(遊びが過ぎる)始末になっている。なんとも恥ずかしい限りです。だから「駄文」であり、「雑文」というほかないのです。自虐でも自己採点でもなく、見た・読んだとおりの姿であり、形です。

 以前にも触れたこと、中日新聞のコラム「夕歩道」が、ぼくには格好の見本でした。内容そのものではなく、その形式が気になっていました。以下に引用した昨日の「夕歩道」、全体は三部構成。一部、二部、三部にそれぞれ88字を費やして、全部で264字。いいですね。これだけの字数で、主題(A)(序)があり、展開(B)(破)があり、再現部(A’)(急)があって、一文には、はっきりした主張(文意)が含まれていて、それはそのまま読み手に意図が伝わる。書き殴りてとしては、もちろんそうなることは、ぼくには「期待」であり、「願い」です。いつもそうなればという思いを持ちながら、書いているかと問われれば、どうもそうでないことのほうが遥かに多いと、言うばかり。ぼくの関心の揺れもあり、あるいは文弱の陥(おちい)る罠(わな)でもあるでしょう。弁解がましくなるが、書こうとする「主題」が悪すぎて、非難や叱責、あるいは小言や悪口を思う存分投げつけたくなるのですから、思い通りには行かないのでしょう。

 引用した「夕歩道」はどうでしょう。「職業的常習犯行」という政党派閥会計責任者の犯罪を問い、それが一会計責任者の一存でできるものかと問い、政治家はすべからくみずからの「職業的常習犯行」に厳しく自省(自制)を果たすべしと、その政治姿勢を糾(ただ)す。そういう趣旨の一文で、いい悪いという評価ではなく、この限られた字数の中でも「言うべきことを言う」「書かねばならぬことを書く」という、新聞記者の、あるべき精神活動を常に練磨されていることにぼくは感心もし、感動もする、そん時もあるのです。「文章は要を得て、簡に」終わるべき、ですね。

 この社会には伝統芸能にいくつものジャンルがあります。その中にも物事や事柄の展開のさまを表現する原理として「序破急」なる形式がありました。もちろん今だって存在しています。その範囲は広く深く古い、以下の辞典の述べるとおりです。該当する分野は「雅楽」、「芸能(能・浄瑠璃・講談など)」、「連歌」「連句」、その他に及びます。「すべては物事の、はじめ・なか・おわり。物事の展開のさまをたとえていう語」(下掲辞典)とあります。すべてがこういう具合に展開すると、なかなか風通しがいいのでしょうね。でも現実にはそうは行かないのがほとんどですから、音楽やや芸能における「形式尊重」に一度は被(かぶ)れ、次いで飽きるということなのかも知れません。また、あまりにも「形式」に囚われすぎると、退屈でありきたりの感を覚えてしまう。実になかなか厳しい「技術」であり、技術を超えた「才能」ということになるのでしょうか。

「職業的常習的犯行」という、あまり聞いたことのない強烈な表現が使われていた。自民党派閥の裏金事件で東京地裁が昨日、自民党二階派の元会計責任者に有罪を言い渡した。その判決文の話。
一連の裏金事件で、公開の法廷で審理する正式裁判で判決に至った初めてのケースだが、「職業的常習的犯行の一環」と指弾された振る舞いが会計責任者個人の判断だけで続いていたはずはない。
「政治とカネ」の問題が炎上するたび「刷新」「改革」を掲げる次のリーダーにバトンタッチ、という歴史が繰り返されてきた。今回はどうか。「職業的常習的」という判断に正面から向き合え。
 (中日新聞「夕歩道」・2024/09/11)
じょ‐は‐きゅう‥キフ【序破急】
〘 名詞 〙
① 雅楽の楽曲構成上の三区分。洋楽の楽章に相当する。「序」は最初の部分で、拍子にはまらないのが特徴。「破」は曲の中間の部分で、音楽は拍子にはまるがゆるやかな速度で奏される。「急」は最後の部分で、序や破にくらべると少し急テンポ。舞楽のときは、序は登場音楽で、破と急は舞の伴奏音楽となる。序破急の三つが完備している曲が理想のようにいわれるが実際には少ない。破は延拍子、急は早拍子で奏される。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
[初出の実例]「夫楽者、以二序破急三曲一為レ具也」(出典:楽家録(1690)一三)
② 芸能における速度の三区分。「序」はゆっくり、「破」は遅くもなく早くもなく、「急」は早く。浄瑠璃、講談などの話のテンポや、声音の緩急などにもいう。
[初出の実例]「此二にたどり侍ば、万道の序破急、諸経・諸論の序正流通・因縁・譬喩の所にまどひ侍べしとなり」(出典:ささめごと(1463‐64頃)下)
「まづ三味線の調子を大切に合はせての上、うたひはじむる事肝要にして、序破急(ジョハキウ)のくらゐ、浮き沈み」(出典:歌謡・松の葉(1703)五・哥音声)
③ 能や浄瑠璃などで、脚本構成上の三区分。速度と一致する、しないにかかわらず、「序」は導入部、「破」は展開部、「急」は結末部。
[初出の実例]「昔の作家は落ちを考へた。序破急などといふことも考へた」(出典:描写論(1911)〈田山花袋〉四)
④ 演出上の三区分。「序」はすらすらと平明に、「破」は技巧をつくし変化にとませ、「急」は短く躍動的に演ずる。能では開始から終結までの進行の原理として、一日の番組から、一曲の能、所作の一挙手一投足に至るまでこの原理が適用されるべきだとする。
[初出の実例]「能に、序破急(ジョハキフ)をば、何とか定(さだむ)べきや」(出典:風姿花伝(1400‐02頃)三)
⑤ 連歌・連句で、一巻の進行の三区分。最初は穏やかに無事に、次に波瀾曲折を尽くし興味があるように、終わりはさらさらと軽く付けて運ぶべきだとするもの。
[初出の実例]「楽にも序破急のあるにや。連歌も一会紙は序、二会紙は破、三・四の会紙は急にてあるべし」(出典:筑波問答(1357‐72頃))
⑥ すべて物事の、はじめ・なか・おわり。物事の展開のさまをたとえていう語。(精選版日本国語大辞典)

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「琴瑟相和す」と「夫唱婦随」と

 本日の「産経抄」を読んで、いくつかの感想というか偶感が湧きました。なんでもないことですが、まず「琴瑟(きんしつ)相和(あいわ)す」という表現。琴も瑟も琴(箏)の一種で、小さい琴と大きい琴の合奏のさまを指します。例えればヴァイオリンとヴィオラのごとく、あるいはチェロとコントラバスの合奏のごとく、それぞれの持ち分を発揮して調和を保つこと、そこから夫婦の中の睦まじいことを意味するとされる、「詩経」を出典とする言葉。それに符合するかのように、ぼくは「夫唱婦随」なる表現を並べたくなりました。読んでのとおりで、夫が導き婦(つま)が従う、それが夫婦円満の秘訣だと言わぬばかりの言で、これもまた中国文献にある表現。漢字に由来する殆どは中国から、つまりは「唐来もの」だということ、それをしみじみ感じているのです。「産經抄」氏は、今日の「中国国家」はお好きではないでしょうが、古代の中国はそうではないのかしら。(ヘッダー写真は伊勢志摩 観光ナビ:https://www.iseshima-kanko.jp/photo/325)(伊勢湾二見浦の「夫婦岩」、小学校時代の伊勢神宮への遠足の折り、この地に連れてこられた。教師は子どもに何を教えようとしたのですかね)

 結婚期間の長短を問わず、離婚する夫婦が多いのは周知の事実ですが、コラム氏は「姻族関係終了届」を出して、配偶者死後に義理の親たちとの縁切りを実行する人が増えているという報告です。「『死後も連れ添う』が、いつの時代も理想であることに異論はあるまい。昨今はしかし、配偶者の死後に義理の親らと縁を切る〝死後離婚〟が見られるという」、コレは何を示唆しているのでしょうか。原敬夫婦のようなケースは今では貴重かつ稀有な種類で、死んでまで「連れ添う」のは金輪際御免被るという人が多くなった時代であることを指すでしょう。「残された配偶者の意思表示で相手方との姻族関係を終わらせることができる。義父母の介護などへの負担感から、夫の死後に女性が届け出るのが大半だという」が、そこまでするのなら、どうして結婚したのですかと皮肉りたくもなります。結婚はしない、結婚しても子どもは産まない、嫌になればいつでも離婚する、そんな風潮瀰漫の種を撒いたのは誰だったかと問われれば、ぼくは答えに窮します。

 コラム氏は言う、「死んで終わり」じゃない、「結婚は『家と家』の間のもの」とされるが、そうですかと、ぼくは言いたいのだ。旧民法の古色が色濃く残るのは産経新聞の特質(サンケイカラー)でしょうが、婚姻、家族・夫婦などと、ことば遣いは同じではあっても、その内容はどうしようもなく変わってきているのです。「『家族』の足場は、いつからこうも脆くなったのだろう」と疑問投首ですが、先刻ご承知じゃないんですか。理由はいくつかあります。言わずもがなですね。先ず第一に、「琴瑟相和す」とか、「夫唱婦随」などという男尊女卑的、男中心の関係を前提にして成り立つ結婚、それはまた「家中心」だったでしょうが、それが崩れてしまったことです。なぜ崩れたか。女性の中に、いろいろな面での社会性が育ってきたからです。この傾向はに日本だけのものではない。離婚率(千人当たり)の値は、ロシアを除けば、各国では遜色はありません。ことにこの社会では、女性の権利を尊重したうえで、結婚や家制度や、多くの社会構造が出来上がっていないことの当然の帰結だったと、ぼくは愚考している。

 少子化は結婚しない人が増えたことと無関係でないのは当たり前。さらには産んだとしても、一人っ子家庭の増大がみられるのは、女性の社会性の発現だと言えるでしょう。働く、稼ぐ、それが権利の主張に結びついているのですから、この傾向は更に続くでしょう。従来型の家族観や結婚論に縛られている人は、この事態を困った事態、ああるいは危機的状況と見るでしょう。でも反面では「女性解放」の一面なのだと見られなくもないのです。

 「君はこの先、離婚しないと言えるか」と問われれば、即答はできないが、「多分しないでしょう」といっておきます。それでは「死後離婚はどうか」と訊かれれば、「ぼくはしないだろう。でもかみさんはどうするか、わかりません」と答えます。この「破(わ)れ鍋に鍋に綴じ蓋」夫婦は、ただ今、結婚五十一年目を迷走中です。

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【産経抄】揺れる家族、〝死後離婚〟 「平民宰相」と呼ばれた原敬と妻の浅は、琴瑟(きんしつ)相和す仲だった。大正10年秋、首相にして立憲政友会総裁の原が、東京駅で暗殺された日の挿話がある。遺体が政友会本部に運ばれようとするのを、現場に駆けつけた浅が制した。▶「原が生きている間はお国のものですが、こうなったら私だけのものです」。夫の乱れた衣服を整え、自宅に連れ帰ったと聞く。原の墓碑は郷里岩手県の菩提(ぼだい)寺にあり、その横には浅の墓が仲良く並んでいる。「偕老同穴(かいろうどうけつ)」を地でいく夫婦だった。▶「死後も連れ添う」が、いつの時代も理想であることに異論はあるまい。昨今はしかし、配偶者の死後に義理の親らと縁を切る〝死後離婚〟が見られるという。先日の産経ニュースが報じていた。政府統計によれば、令和5年度の「姻族関係終了届」の提出は、3千件を超えた。▶民法などの規定では、残された配偶者の意思表示で相手方との姻族関係を終わらせることができる。義父母の介護などへの負担感から、夫の死後に女性が届け出るのが大半だという。夫婦間の子供はしかし、義父母の孫であることに変わりはない。▶一方的に縁切りしたことで、子供が板挟みになったこともあると聞く。夫婦間の日頃の話し合いが、いかに大事かを物語る事象と言えよう。どちらかが「死んで終わり」ではない。結婚は「家と家」の間のものでもある。「家族」の足場は、いつからこうも脆(もろ)くなったのだろう。▶原敬の葬儀を無事に終えた浅は、遺骨の埋葬に立ち会った人たちにこう懇願した。自分が亡くなったら、夫の横で同じ深さに安置してほしい。お墓の中で「あなた」と呼びかけるのに困らないために、と。夫の死から1年4カ月後、浅の願いはかなっている。(産經新聞・2024/09/11)

● 琴/箏 (こと)=広義には弦楽器の総称。平安時代には〈きんのこと〉(琴(きん)),〈そうのこと〉(箏(そう)),〈やまとごと〉(和琴(わごん)),〈びわのこと〉(琵琶),〈くだらごと〉(百済琴),〈しらぎごと〉(新羅琴)のように構造の異なる弦楽器をすべて〈こと〉と称した。狭義には琴箏類(長胴のチター属楽器)をいい,最も狭義には箏を〈こと〉と呼び,琴の字をあてることが多い。朝鮮でも弦楽器に〈琴〉の字をつけ,とくに長胴チター属の玄琴(げんきん),伽倻琴(かやきん)を〈コ〉と呼ぶ。(改訂版世界大百科事典)
● きんしつ【琴瑟】=相和(あいわ)す[=調(ととの)う]=( 琴と瑟とを合奏してその音がよく合うところから ) 夫婦の仲がむつまじいことのたとえ。(精選版日本国語大辞典)
● ふしょう‐ふずいフシャウ‥【夫唱婦随】=〘 名詞 〙 ( 「関尹子・かんいんし‐三極」の「天下之理、夫者唱、婦者随、牡者馳、牝者逐、雄者鳴、雌者応、是以聖人制言行、而賢人拘之」による ) 夫が言い出して、妻がこれに従うこと。夫妻がよく和合していること。(精選版日本国語大辞典)(「夫が言い出して妻が後に従い、牡が走って牝追い、雄が鳴いて雌が答えるというのは、天下の道理である。それで聖人は言葉や行動を 整えたが、賢人はこれに拘泥する」)

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 本日は「9.11テロ事件から23年目」です。いくつかの新聞などをも目を通しましたが、ことさら、それに触れようとはしていないのが、大方のマスコミ。確かに20年目は大量の報道が繰り返されていました。「9.11を忘れるな」と、誰も彼もが言います。二十三年目という節目、ぼくはいくつかの記録や記事を見ながら、事件の犠牲者に思いを届けたいと念じています。事件から23年、何千何万の人々が、大きな喪失感を抱きながら、それぞれの「9.11以後」を生きておられる。それを思うにつけ、言いようのない悲しみと、かすかな希望のようなものを感じられるかも知れないと、日々の明け暮れに齷齪しているのです。加えて、いまなおウクライナや中東で尽きる予兆もない「戦争」の悲惨・残虐の地獄絵図、だからこそ、その一刻も早い停止を求めたいと、房総半島の僻地で「切歯扼腕」しているのです。

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稲妻のこぼれて赤し蕎麦の畑

 時節がらなのか、実に理不尽な「コメ不足」「米騒動」で、質の悪い大道芸を見せつけられている気分です。それでも、每日の「主食」となれば、心穏やかではありえません。いずれ、もう一月もすれば、供給不足も納まり、新米として出揃い始めるでしょうし、厭になるほど高騰していた米価も「高止まり」することでしょう。いずれにしても、積年の「農業政策」、「米問題」の政治銘柄化が齎した宿題のツケが、時として顔を出すという構図。

 それだからというわけでもありません。ぼくはまず米の飯を食べなくなりました。それでも十年ほど前までは、米の飯は食べないが、米の水は呑んでいるなどと嘯(うそぶ)いてもいました。今は、酒もかっきり止めていしまいましたから、まさに米抜きの食事を貫き通しています。つまりは朝は「パン食」、昼は断食(もう四十年ほど)、そして今夏の夕食は「蕎麦」、もっぱら笊蕎麦(ざるそば)です。酷暑に「笊蕎麦」という取り合わせは、寿命維持のためにも最低限の栄養摂取なのかも知れません。

  昨夕の山陽新聞に以下のような記事が出ていました。真庭市蒜山(まにわしひるぜん)で、「蕎麦の花が開花」したとありました。約46ヘクタールといいますから、約46000平方米(約14万坪)です。東京ドーム約10個分らしい。はたして、この蕎麦粉は我が口にも入るのでしょうか。今日、蕎麦も、小麦同様、大半が輸入に頼っていると言う。原産地は豪州などで、製品化(袋詰)は信州で、ということになっているのが大半。原産地なしの商品表示がまかり通っています。小麦も蕎麦も、この社会では十分に商機があると思うのですが、それでも輸入するほうが採算(経済合理的に)が取れるからなのでしょうか。山林七割のこの島邦で、大半が輸入材に依存しているのと事情は似ていますね。手間暇掛けるには、割が合わないというのは、どういう理屈ですか。(右上と左の写真は、信州に遊んだ折に立ち寄った蕎麦屋さん。後掲写真も同様)

 一面ソバの花 蒜山三座背に 真庭で見頃、高原地帯に秋の訪れ 高原の緑がうっすらと白化粧―。岡山県内最大のソバ産地・真庭市蒜山地域でソバの花が見頃を迎えた。蒜山三座を背に淡雪のような白い小花が風に揺られ、高原地帯に穏やかな秋の訪れを知らせている。/地域内の約46ヘクタールで育てるひるぜん蕎麦(そば)生産組合(81戸)によると、7月下旬~8月中旬に種をまき、例年より1週間ほど早い今月初めから花が咲き始めた。8月末の台風10号も影響は少なく、晴天が続いて生育は順調。収穫量は例年並みの35トンを見込む。/花の見頃は今月下旬ごろまで。組合の亀山秀雄事務局長(61)は「蒜山はだんだんと涼しくなり、過ごしやすくなってきた。きれいな花をぜひ見に来て」と話す。/10月中旬に実を刈り取り、県内外のそば店や製粉会社に出荷。真庭市の第三セクターが運営する「そばの館」(同市蒜山上徳山)では、10月下旬から新そばが楽しめそう。(2024年09月09日 17時17分 更新)(ヘッダー写真も)

 酷暑のせいでもありますが、あっさりしたものをと、いろいろと試しながら、劣島各地の「蕎麦」を目下「試食中」であります。中でも、もっとも食卓に載せる機会が多いのは信州そば、実際に信州産のそば粉を使っているかはとても怪しいものですが、一応は「信州製」(信州原産とは書かれていない)と銘打たれているものを購入しています。ご承知のように、蕎麦は土地を選ばない。痩せ地であれば、なおけっこうという「食材」です。だから、どこが名産地ということはなく、どこでも蕎麦は重宝したのです。ぼくの住んでいる近所でも、かなり大々的に蕎麦を育てているところがあり、最近ではそれなりに名の売れてきた「蕎麦屋」の蕎麦畑もあるくらいです。

 どうして信州が蕎麦どころとして名が売れたか、これも根拠はわかりません。伝承としては、修験道の祖・役小角が当地に蕎麦(の実)を伝えたからとされます。それなら、役小角の行く地方地方に、同じような伝承があってしかるべきで、おそらく各地各様の由来を持っているのでしょう。まるで弘法大師の掘り出した温泉や水源伝説に似ています。信州・信濃蕎麦普及に関しては、小林一茶の功績なのだとも囁かれています。いかにも怪しいものですね。一茶は、信濃柏原、新潟との県境、黒姫山の山麓、標高600㍍余の地が故郷です。

 その一茶の句をいくつか。そのどれもが、まるで絵画的ともいえそうな、景色が目に見えるような詠みぶりではないでしょうか。誰の作かしら、「信州信濃の蕎麦よりもわたしゃあんたのそばがいい」という都々逸がありました。今風に言うなら、これは地域おこしの遊びだったのかどうか、あるいは信州信濃に縁(ゆかり)のない人の昨品だった気がします。江戸期の作とされますので、すでに「蕎麦きり」や「蕎麦がき」は庶民の食用に供されていたことがわかります。

そば所と人はいふ也赤蜻蛉
・国がらや田にも咲かせるそばの花
そば時や月の信濃の善光寺
痩せ山にはつか咲けり蕎麦の花

●そば【蕎麦】〘 名詞 〙① ( 「そばむぎ(蕎麦)」の略。「そば」は「峙(そばだ)つ」「聳(そび)える」と同源で「稜角を持つもの」の意 ) タデ科の一年草。中央アジア原産でシベリア・東アジア・インドで穀物として広く栽培されている。茎は中空で赤みを帯び直立して高さ四〇~九〇センチメートルになる。葉は心臓状三角形で葉柄の基部は鞘(さや)となって茎を包む。夏または秋に、茎の先や葉腋(ようえき)からでる花柄の上部に白または淡紅色の小花が総状に密集してつく。花は花弁がなく萼(がく)が花弁状に五深裂している。果実は卵形でするどい三稜(りょう)があり緑白色、乾くと黒褐色となる。果中の胚乳(はいにゅう)からそば粉を製する。ソバの名は稜(そば)のある麦(むぎ)を意味する古名ソバムギに由来する。漢名、蕎麦。くろむぎ。〔文明本節用集(室町中)〕 そば粉を水でこねて薄くのばし、細く切った食品。ゆでて汁につけたり、また、煮込んだりして食べる。そばきり。〔大上臈御名之事(16C前か)〕(精選版の本国語大辞典」

 昨日も触れた芭蕉。最後の旅の途次に詠んだ蕎麦(の花)の句があります。大坂に発つ前に訪れた子考に面晤して、挨拶代わりに詠んだ一句です。「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」「三日月に地はおぼろなり蕎麦の花」この季節、いかにも蕎麦の花が美しく咲いている。(元禄七年秋)今少し時間が経てば「蕎麦きり」でも出せるのだが、今のところはこれ(蕎麦の花)にて失礼と、「蕎麦の花」でもてなしている風情です。子考は、この後、宗匠とともに奈良に向かい、そして大坂に随行します。芭蕉の最期を看取ったことになります。元禄七(1694)年10月12日に芭蕉死去。齢五十歳でした。

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 (いつもより公開するのが遅くなったのは、この直前に福岡の友人から電話が入ったからでした。九時ころか。どこかで触れましたが、アーサー・ビナード氏ともども、以前から拙宅を訪ねたいということでしたが、先に予定していた8月設定が延期され、新規日程の11月20日ではどうかと問い合わせが一週間ほど前にあったのに、体調の疲れも手伝って、返事を出さないままで時間が過ぎていた。それを気にしたOさんが、「どうなりましたか」とかけて来た次第。それを含めて、アレヤコレヤと長電話をしてしまったので、三時間以上も遅くなった。

 蕎麦のこと、一茶の句、芭蕉の臨終等について、今少し駄弁る予定でありましたけれど、次回以降に譲りたいと思う。(表題句「稲妻のこぼれて赤し蕎麦の畑」の作者は呉陵軒可有(ごりょうけんかゆう)・江戸期の人。

●呉陵軒可有 (ごりょうけんかゆう)生没年:?-1788(天明8)=川柳評前句付作者。俳号木綿。号は御了簡可有(あるべし)の口ぐせを,呉服商に当てた戯号。上野山下桜木連の中心人物で,この号を用いて《柳多留(やなぎだる)》を編んだ。初代川柳の名が不滅になったのもこの《柳多留》によるところが大きい。終生川柳と行を共にし協力した分身的存在である。作品は《柳多留》第9編以後,また《やない筥(ばこ)》《柳籠裏》に見えて,力量もあるが,歴史的な位置は《柳多留》編集に尽きる。惜しむらくは,初代川柳に先立って世を去り,川柳興行の衰退と没後の混乱の処理に当たれなかったことである。〈焼き筆の先づぶっ付けは玉津島〉(《柳多留》第23編)。(改訂新版世界大百科事典)

 ぼくは、根っからの蕎麦好きです。蕎麦に関してなら、尽きることがないほど、とは言いませんが、話のネタはあります。関西育ちだったので、蕎麦よりはうどんが馴染みだったとも言えますけれど、上京して以来、都内の蕎麦屋巡り(というほどでもない)をしていて、生意気にもお酒には蕎麦がバッチリと勝手に決め込んで、それこそ日本酒の味を楽しむおつまみのように蕎麦を嗜んできました。半世紀前の蕎麦と菊正は、ぼくには絶品でした。舌と喉の記憶は今も生きています。

● 信州そば= 長野県でつくられるそばのこと。同県では、伊奈地方、西駒ケ岳の麓に位置する萱地区の住民に、修験道の開祖役小角(えんのおづぬ)がそばの実を与えたことからそばの栽培が始まったとの言い伝えがある。そばは古くは団子状のそばがきなどの形で食べられていたが、伊那地方では戦国時代の後期には“そばきり(麺線状のそば)”が作られており、これが全国各地に広まったそばの起源と考えられている。(デジタル大辞泉)

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アーサー・ビナード(Arthur Binard、1967年7月2日 – )は、アメリカ合衆国ミシガン州生まれの詩人・俳人、随筆家、翻訳家。広島市に在住。経歴 20歳でヨーロッパへ渡り、ミラノでイタリア語を習得し、ニューヨーク州コルゲート大学英米文学部を卒業した。卒業論文作成時に漢字やや日本語に興味を持ち、1990年6月に単身渡日。日本語学校で教材として使用されている小熊秀雄の童話『焼かれた魚』を渡日後に英訳したことをきっかけに、日本語で詩作、翻訳を始める。現在は活動の幅をエッセイ、絵本、ラジオパーソナリティなどに広げ、自身の主義に基づく講演なども日本国内各地で行う。9条の会会員で、リベラリストである。妻は詩人の木坂涼である。(Wikipededia)

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白菊のあしたゆふべに古色あり

 ただいま午前六時直前。室温28・2℃、湿度77%。本日は九月九日、重陽の節句。今では、この日はあまり注目もされず、生活のアクセントにもなっていない気がします。古くから、中国では奇数は陽、偶数は陰とされ、とりわけ陽の重なる日(一月一日・三月三日・五月五日・七月七日・九月九日など)は大事な節気・生活の節目でした。(細かいことは省略)旧暦九月九日は、現行の新暦では十月半ば頃。地方によっては、この日を(くにち⇒クンチ)と呼び、秋の例祭が行われる。一例として「長崎くんち」「唐津くんち」などが有名ですね。

● 重陽の節句=平安時代の初めに中国から伝わったとされる五節句のうちの一つで、旧暦の9月9日のこと。中国の陰陽思想では、奇数は縁起のよい「陽数」とされ、3月3日や5月5日など奇数が重なる日を祝う風習がある。なかでも陽数の最大値である9が重なる9月9日は重陽と呼ばれ、大変めでたい日と考えられてきた。五節句の名称には、3月3日の桃、5月5日の菖蒲(しょうぶ)のように、それぞれの季節を代表する花の名前がついており、重陽は「菊の節句」とも呼ばれる。平安時代初期には宮中行事の一つとなり、邪気を払うとされる菊の花を愛でながら、菊の花弁を浸けた酒を飲んで不老長寿を祈願する「観菊の宴」が開かれた。江戸時代にはこの風習が民間にも広がり、菊を浮かべた湯に入ったり、乾燥させた菊の花弁を詰めた枕で眠ったりするなど、年中行事として親しまれるようになった。(知恵蔵mini)

 また、別名では「菊の節句」とされ、各地で菊の鑑賞会(観菊会)などが開かれる時期でもありました。京都にいた頃は「菊人形」などが大きな呼び物として知られていました。菊の花はどこにでもありそうで、しかも、どこかしら清楚であったり、思慕・敬慕の念を呼び覚ましてくれます。仏様にあげる花として、もっとも多用されているのも頷(うなづ)けます。古来、菊は秋の季語として、またたくさんの句が読まれてきました。表題に揚げたのは飯田蛇笏氏。

 ぼくがもっとも好きな菊の句、それは漱石のものです。友人の妻であった女性の死に際して、病床に臥せっていた漱石が詠んだものです。彼女は漱石が密かに心を寄せていた人ともされています。(このことについては、どこかで触れています)「あるほどの菊抛入(なげい)れよ棺の中」 漱石の衷情が溢れているという気がします。よほどのことでしたね。その漱石の畏友だった子規には「何事もなき世なりけり菊の花」があります。どういう句境でしょうか。病床にあって、菊華に安寧を覚えた風情ではあります。

 ここで俳聖の句を出すのも気が引けますが、ぼくにはとても素直(平凡)な詠みぶりで、芭蕉には結びつかないような、そんな一句を。「菊の香やならには古き仏達」、死の直前、元禄七(1694)年九月八日、伊賀を発ち大坂に向かう最後の旅。奈良に寄ったときのもの。翌(陰暦)十月十二日死去。さらに彼のものを、もう一句、「早く咲け九日も近し菊の花」。もちろん「九日」は「くにち」、重陽の節句を待望して菊を急かせているのでしょうか。元禄二年九月四日、大垣にて、門人の家で詠む。

 俳聖の句をもう一句。「菊の香にくらがり登る節句かな」前掲「早く咲け…」と同日の作。大坂に向けて暗峠(くらがりとうげ・生駒山中)を登った際の句。古来、重陽の節句には、どこか高いところに昇る、そこで菊酒を嗜む、そんな呑兵衛たちの習慣があったらしい。節句の別名を「登高(とうこう)」とする。「 中国で、陰暦9月9日に、厄 (やく) を払うために、高い山に登って菊酒を飲む風習」(デジタル大辞泉)とあります。この節句の日の前後、ぼくは呑み屋志向だったので高いところには登らなかったが、菊酒を呑んだことは何度かありました。句詠は、とんと及びではなかった。

 以前は、方々のお庭で、自慢の菊作りが行われていましたし、それを見るのが散歩の楽しみでもありました。ぼくも何度か、菊作りに挑んだことがありましたが、手入れを怠って、その後は沙汰止みになった。心(気持ち)に余裕がなかった証拠でしたね。それにしてもたくさんの種類がある「菊の花」(「世界に広く分布。約950属2万種が知られ、キク・タンポポ・ヨモギ・アザミなどの属が含まれる」)(デジタル大辞泉)、それを目にするだけで、気忙しさが一気に和むのですから、凄いものだと言うばかりです。「菊咲けば人偲ばれぬ胸の衷」「菊開き偲ばれて手にする思い草」(無骨)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「徒然に日乗」(498 ~ 504)

◯2024/09/08(日)早い段階で30℃を越えている。昨日と同じようにとても蒸し暑い一日だった。「寒の戻り」という季節現象があるが、これではまるで「暑の戻り」で、夏の酷暑に痛めつけられていた体力は致命的な打撃を受けるに違いない。このところの疲労が抜けない感覚も、おそらく、その「暑の戻り」のせいかも知れない。そのためもあって、かなり長く庭作業も中断している。除草した部分には新たな草が元気よく伸びだしている。▶「米不足」「米騒動」と大いに騒がれているが、なんのことはない、政府とJAが結託して、「米不足」状態を齎しているのであって、これは極めて悪質な「米価格の操作」(高価格維持)であると、ぼくには思われる。その根っこには、いつでも米不足を生みやすい「減反政策」があるのは疑いない。▶ただ今、午後9時。室温30℃、湿度74%。間違いなしの「熱帯夜」だが、当地では知らぬ間に熟睡できているのだから、ありがたい。(504)

◯2024/09/07(土)早朝から30℃を越えている。真夏日の再来。疲れを取りつつある体力がまた凹みそう。▶終日自宅に。昼前に少し睡眠。疲れが抜けきらないままの状態が続いている。▶最近、トルコ人夫婦のキャンプの模様をネットの番組で見ている。本格的なキャンパーというのだろうか。邸宅を構え、キャンプ用に自動車(そのうちの2台は日本製)に、諸々のキャンプ道具を万載、大型テントを何種類も使い分けてのキャンプ三昧。説明に寄ると、この数年、毎週土日は出かけていると言う。新型のユーチューバーだと、ぼくには思われる。彼らはもう何年も前からの、プロ級のカメラさばきと編集技術の所有者で、ネット上ではかなり有名なキャンパーなのだろう。▶只今午後十時過ぎ。室温29.2℃、湿度74%。(503)

◯2024/09/06(金)本日も終日、自宅内に。何もせずに、パソコンの前に座っている。本を読もうという気がしない。何冊か、読むつもりのものがあるが、まだまだ頁を開く元気がないのだ。▶体調が思わしくないように感ずる。気のせいではなく、根気もなければ、持続力も欠けているのが分かる。猛暑の間に知らないうちに痛めつけられていた身体が、やや音(ね)を上げているのかも知れない。(502)

◯2024/09/05(木)終日自宅で。気温もそれほど上がらなくて、凌ぎやすい一日だった。庭作業をやろうかと考えたが、身体が疲れていて、外に出る気がしない。長く焼却灰の始末をしていないので、そろそろ限界か。燃やすべき枝葉や草類が溜まっているので、一両日中に焼却炉の掃除をすることになろう。またイノシシが掘り起こしたままの裏庭の穴も埋めて置かなければならない。大雨が降らない合間に土を入れておくことにしよう。▶このところ午睡をするようになったが、それでも疲れは取れない。涼しくなって一気に、これまで蓄積していた疲れが出てきたようだ。体力に自信(持続力・根気)がなくなっているのがよく分かる。(501)

◯2024/09/04(水)午前中に「猫缶」の買い出しに土気へ。これまでのものに加えて、いくつかの別のものも購入した。▶一気に涼しくなったので、体の疲れも出てきたようで、なんだかだるい。今朝も2時過ぎに起こされて、そのまま起床。買い出しから帰宅後、昼寝に及んだ。このところ、昼寝が多いのも、それだけ身体が疲れている証拠だろう。▶庭作業は一時休止中。植木鋏や電動鋸(小型チェーンソー)も新規に購入してあるが、まだその出番はない。体の疲れが取れた段階で、止まっていた庭作業をそれなりに進めたい。▶福岡のOさんからメールが来て、A.ビーナードさんの拙宅訪問の日時(11月20日だったか)を問い合わせてきた。まだ返事は出していない。二ケ月先まで元気でいる自信はないのだから、返事するのは難しい。明日にでも返事を出しておこう。▶東京株式で株の暴落、1600円超も下がる。国債、円安(金利問題)、物価高騰の三重苦をどう凌ぐのか。日銀にとっても財務省にとっても極めて困難な作業。いずれ、アメリカの金融当局と打ち合わせて政策を打ち出すのであろう。(500)

◯2024/09/03(火)降ったり止んだりの天気。気温もいつ以来だろうか、三十℃に届かなったようだ。千葉市では1ヶ月半も熱帯夜が続いたと言うから、真夏日もそれくらいは続いていたことになるだろう。いつも思うのだが、気象庁や気象台の発表する気温は特定の場所のもの、我家の庭や道路などは、とてもではないが、三十五℃などでは収まらないで、四十℃は遥かに越えているのだ。夕方からはすっかり秋めいた涼しい風も出てきた。この先、どういう気候になるのだろうか。また新規の台風が複数個発生する気圧配置にあるという。(499)

◯2024/09/02(月)終日自宅。湿度の異様に高い一日。何もしなくても水分が抜けていくという感覚で、身体の疲労も蓄積されている。▶このところ、深夜の2時、3時に起こされている。全員が家の中で夜を過ごさない癖がついてしまったので、どうしても、それぞれの寝起きが不揃いで、2時に出て行く子もいれば、その時に帰ってくる子もいる。また、これだけいると、互いの相性の好悪が出てきているようで、中には、意地悪をして、特定の子を家に入れないのもいる。なんとかしたいが、難しい。家には入れないが家の直ぐ側にいるのだろう、食事だけは食べに来る。三日ほど帰ってこなかった子が家に戻った。どこで何をしていたのか、身体は汚れていなかったから、どこかの軒下か、縁の下にでも入っていたのだろうか。とまあ、あいも変わらず「猫屋敷の猫騒動」は続いている。(498)

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「週初に愚考」はさらに続きます

▣ 週のはじめに愚考する (第參拾五)~ 大きな社会問題が生まれると、大半の人々の反応は似たようなものになります。不思議でもなんでもない。しかし、いかなる問題にも表だっては見えにくい、下地や背景になっている要素があるのも事実で、それを知ってしまえば、誰彼の反応が同じであるということはなくなるでしょう。

 ぼくは毎日、劣島各紙の「コラム」に目を通している。もちろんネットを通じてです。最近は多くが有料記事になりましので、一時期よりは読むコラム数も減ってはいます。それでも20紙は下らない。その多くのコラムがある事件や出来事に同じ反応をすることはある。昔はどうだったか、今日はかなりの割合でそれが増えている気がします。しかも、コラム記事の内容を読んでいると、書きぶりも項目立て(問題指摘)も同じようになっているのに驚きもし、それってなんですかという気にもなる。コレ(「右に倣え」)は新聞のコラムとしては上等ではない、いやむしろ下等だと、失礼ながら言いたくなってしまいます。有名なコラムとして知られているるものは、もう端(はな)から読む気がしません。 

 今話題の「米騒動」、その書きぶりがどれも相似たものになっているのには、いくつかの理由があります。「事実」を伝えようとするから、それも理由の一つでしょう。でも決定的なのは「たった一つの情報源」に依存しているということです。いわば、「大本営発表」のようなものがあって、それに各紙がそれなりの反応を示しているのでしょうが、結果的には同じような内容になる。あまり望ましい傾向ではないと、ぼくは考えている。発想が乏しいねえ、と。そこには自分の足で稼いだ「取材」が見られないように、ぼくには思われる尾はどうしてでしょうか。「特ダネも、みんなが抜かねば怖くない」という、驚くべき「横一線」体制ですね。新聞の士ということを、ぼくはしきりに考えています。

 「品薄は、昨夏の猛暑の影響で品質の良いコメの流通が減った上、訪日客の増加や災害時の備蓄のための需要が高まったためという。そもそもコメは人口減などによる国内需要の減少を見込み、生産調整で作る量を抑え込んできた。作り手も減る中、先々の安定供給を不安視する声が上がる」(「天地人」)「折悪く大きな地震や台風が続いたこともあって、「備蓄」を急いだ人が増えたのだろう。(中略)◆昨夏の暑さによる生育不良に加え、訪日客の増加で消費が増えたのが原因とか。そんな説明を耳にするたび、それでバランスが崩れるほど、主食の供給体制はもろいのかと余計不安になる」(「有明抄」)といった塩梅です。背景に何があるか、「コラム」といえども、さらに突っ込む必要があろう。

 詳細は省きます。少子化に加えて米離れが続いています。それなのに、前年の猛暑の影響で生産量が減った、外国人旅行者増による消費増、さらには「米騒動による個人の備蓄の増加」などなど、いかにもそれらしい理由を上げてはいますが、根っこの部分において説得的であるとは、ぼくには思われないのです。

 問題の本質は半世紀にわたってつづけられてきた「減反政策」にあると、正面切ってどこも書かないのはなぜか。政府と全農(JA)の「共同謀議」「(反国民的)二人三脚」である減反政策は、2018年に「減反政策」廃止(表向き)後も続けられています。つまり、減反はなくなっていないのです。毎年、10万トン減を目標とする減反政策は今も続けられている。少なくとも、この間には人為的・政治的に500万トン以上の生産量を減らしててきたのです。「作付面積の推移」を見れば一目瞭然。人口減少に見合った減反政策だったかどうか、ほとんど検証はされていない。

 一人当たりのコメ消費量も減少傾向が続いています。つまり、コメ作り(生産量)を抑えつつ、コメ消費量の減少傾向にもかかわらず「コメの価格維持」を図るという、奇妙な芸当を政府と農協は図ってきた、それがもたらした、いわば作られた「コメ不足」現出、それが「令和の米騒動」でした。慢性的な「コメ不足」一歩手前を背景にして、許しがたい農業政策を遂行してきたことになります。

 外国人観光客が増えた分だけ米の消費量も増加したとされるが、いくつかのデータによればそれは、全消費量の0.5%程度とされています。理由にはならない数値。日本の農家が作る米の総量は今日、700万トン程度とされています。減反政策をしなければ、かつては1400万トンは生産できる水準でした。最大2000万トンは生産できていました。今でも少なく見積もって、毎年1000万トンの生産量はかのであり、それだけあれば、災害や飢饉、それに他の要素が加わった消費量の増大にも十分対応にできるし、まして余剰米は輸出に回せます。それを意識的にしてこなかったのは、ひとえに「米価の高額維持」のためです。商品不足があれば、いつだって価格は上昇する、そんな事態を、政府や農協はいつも想定(期待)している・いたのでしょう。

 しかし、ここにもアメリカをはじめとする外国産米の輸入の強制(MA米・後出)が強く働いていて、しかも、政府は現状をつぶさには明らかにしてはいないのです。不足する分を、政府及び民間の「備蓄米」、約300万トンとも言われる、それを放出をすればいいのだが、「それはできない」と言う。理由は市場価格が下洛するからだというのは、実に本末顛倒した政策ではないですか。

【有明抄】コメ騒動 実りの秋を間近に控え、紙面には各地から祭りの便りが届き始めている。「五穀豊穣(ほうじょう)に感謝をささげ…」などと新聞記事はつい決まり文句を並べがちだが、その意味を問われたら言葉に詰まる。米、麦、粟(あわ)、豆に黍(きび)か稗(ひえ)。5種の穀物が日本人の暮らしを支えてきたことを忘れている◆先週、スーパーでコメが陳列棚からすっかり消えているのを見た。折悪く大きな地震や台風が続いたこともあって、「備蓄」を急いだ人が増えたのだろう。不安にかられると、5人に1人は「買い占め」に走るという研究データもあるらしい◆昨夏の暑さによる生育不良に加え、訪日客の増加で消費が増えたのが原因とか。そんな説明を耳にするたび、それでバランスが崩れるほど、主食の供給体制はもろいのかと余計不安になる◆新米が出そろえば落ち着きそうなこの騒ぎ。ただ、生産コストの上昇や流通業者の激しい調達競争もあって、値上がりは避けられそうにない。手軽なパックご飯も値上げするというし…。かえってコメ離れに拍車がかかれば、生産量を減らす悪循環に陥り、私たちの食卓はさらに不安定になる◆「一粒百行(いちりゅうひゃくぎょう)」という言葉がある。百の作業を経て、ようやくひと粒のコメが作られる。農作業の並々ならぬ労苦に思いを寄せつつ、そのありがたみをかみしめたい。〈新米の其(その)一粒の光かな〉虚子(桑)(佐賀新聞・2024/09/08)

【天地人】田んぼが一面黄金色に染まっている。稲穂はこうべを垂れてそよそよと風に揺れている。穂波の向こうに西日を背負った岩木山が見える。津軽平野にも収穫の秋到来である。▷直近の作柄予想で本県は全国で唯一最上位の「良」だった。数日前に訪ねた黒石市内の農家の男性も「去年は夏場に雨が少なかったが今年はちょうどよく降ってくれた。カメムシの影響も少ない」と上々の手応えを語る。一帯の刈り始めは県の予測で9日ごろ。もみの8~9割が黄色くなるのが目安だが、男性は穂先を手に「もうほとんど黄色いな」と早めに作業に入る算段をした。▷主食のコメが品薄となり、新米の供給が待たれている。消費者としては揺れる稲穂のそばで、茶わんと箸を手に刈り取りを待つような心持ちだ。▷品薄は、昨夏の猛暑の影響で品質の良いコメの流通が減った上、訪日客の増加や災害時の備蓄のための需要が高まったためという。そもそもコメは人口減などによる国内需要の減少を見込み、生産調整で作る量を抑え込んできた。作り手も減る中、先々の安定供給を不安視する声が上がる。▷先日亡くなった詩人・新川和江さんの「わたしを束ねないで」の詩句を思う。<束ねないでください わたしは稲穂/秋 大地が胸を焦がす/見渡すかぎりの金色の稲穂>。稲穂が揺れる風景も人の手が行き届いてこそ守られている。(東奥日報・2024/09/07)

 結論は単純です。米農家が作りたいだけ米を作る、価格は市場に任せる。これは他の農産物でも行われている当たり前の需給関係に基づく行為です。価格設定は需供関係に委ねるよるのが自然でしょう。「米」は国家の基幹食糧と言うが、はたしてそうなっているのかどうか。現実には、従来の「主食はお米」、という習慣(トレンド)は変化してきています。牛丼やカレーなどのチェーン店などが提供するご飯類の相当の割合は外国産米で占められています。コンビニなどの「おにぎり」なども輸入米増大の一環商品ではないでしょうか。

 単純にコメの輸入と言ってもいろいろな加工品に姿を変えると、消費者には見えにくくなります。これは遺伝子組換え製品の場合と同じ。国の法律等では禁止されていても、輸入品ではそれが認められるという「背反行為」がいたるところに見られるのが現状です。どこで作っても、米は米と言えばその通り。しかし、農薬の残存量などの問題は、「その通り」といって看過できない問題として残されているのです。

 「令和の米騒動」などとまことしやかに報じられたり、それにつられて庶民は煽られているが、その実態は、いまに始まったことではないことがわかります。これだけの大騒ぎ(仕立てられた)になったのは、煎じ詰めれば、高価格維持作戦だったという、実に腹のたつ政策の発動だったと見れば、どうですか。「不足前」の2倍の値段が付けられて商品棚に並べられても、それを買うしかないのが消費者です。知らされるべき情報の隠蔽が、ここでもなんの違和感もなく行われている。それをマスコミも咎めようとはしません。なんとも「アホな国」になってしまったことですね。

 国産米より高いMA米 紙議員 30年続く硬直政策批判 参院農水委
 国内で米の生産が過剰になり減反を求めているのに、年間77万トンものミニマムアクセス米(MA米)の輸入が固定化されています。日本共産党の紙智子議員は9、16両日の参院農林水産委員会で、30年も続く硬直したMA米政策を変えるよう求めました。/紙氏は、政府が毎年77万トンものMA米を輸入し、2022年には生産者が低米価で「米作って飯食えない」と言っているのに、政府は輸入米を高く買っているが、これでは生産者の理解が得られないとただしました。/宮下一郎農水相は「アメリカ米は60キログラム当たり1万4169円、22年産の国産米の取引価格は1万3849円と低いレベルで、一部のアメリカ産で国産米を上回った」と認めましたが、MA米の輸入は続けると答えました。/MA米は国産米の需給に影響を与えないという建前から、安い飼料用(エサ)などとして販売するため、飼料用でトン当たり6万円、保管料で1万円の赤字が発生しています。/紙氏は、累積赤字が5677億円に膨らみ、飼料用に61万トン輸入しているが、国産の飼料生産にも影響が出ると指摘。輸入量の固定化、赤字、飼料米への影響などの構造的な問題を解決するため、1994年のMA米に関する政府統一見解を廃止するよう求めました。/「統一見解は変えない」と答えた宮下農水相に、紙氏は、農業基本法を見直すというなら、30年も続く硬直した政策の転換が必要だと主張しました。(しんぶん赤旗電子版・2023/ 11/19)

 「令和の米騒動」といわれますが、その実態は、大正時代の「米騒動」の比ではありません。極めて恣意的に作られた「騒動」であり、新米が市場に出回れば「不足」は解消。ただし、米価は異常に高騰しているという、政治的目眩まし作戦に国民は踊らされ、マスコミは「踊らせる」側に回っていたという、どこにも視られる田舎芝居です。泣きを見るのは民衆、大衆ですよと言って、だれが溜飲を下げられますか。今、政権党も反対党(かどうかは怪しい)も「党首選」のさなかです。これもまた、いつも見せつけられる田舎芝居ではあります。役者はたくさんでも、いづれも「役不足」ならぬ「役者不足」。

 主食の危機だ、食料安保だとほざきはするが、現実を糊塗するのに一役買っているばかりです。国難は足元からという歴史が真実であるなら、まさに、ぼくたちの社会の現状は「国難(National crisis)そのもの」ではないでしょうか。社会の指導者をもって任じているだれもが「事実」を隠蔽し、虚偽をばらまいている、この事態に及んで、小さな集団内の「椅子取りゲーム」に狂奔しているのですから、国民の多くにとっては「泣き面に蜂」どころではない、「一難去って、また国難」ですよ。

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