
静岡地裁における袴田事件の「再審無罪」の判決(2024/09/28)を受け、検事総長が「談話」を発表(2024/10/08)しました。一読、案の定・予想通りという感想を持つと同時に、「この国に、この検察あり」では、これからもさらに「冤罪」事件は後を絶たないだろうという強固な確信を持ちました。今この問題について、検察権力に対して何かを言うのは、「糠に釘」、あるいは「暖簾に腕押し」というほどの徒労感を持たざるを得ないのですが、少なくとも徒労感の寸分たりとも吐き出しておきたい・おかねばと、以下に愚感を綴ります。(ヘッダー写真は「テレ東BIZ」・2024/10/07)
公表された「談話」は、まったく支離滅裂な、実に読むに堪えない「作文」「捏造」です。真意がないというのはこのこと、人命を枯葉の如くに扱っているという軽薄さです。怖いですね。これはいうところの「談話」などではないとすべきです。「(談話とは) ある事柄に関して、非公式にまたは形式ばらずに意見を述べること。また、その内容」(デジタル大辞泉)ここでは「刑事裁判論」、さらには「人権論」という領域の問題でしょう。検察が「控訴断念」に際して述べた「意見」というものに、ほとんど読み取るべき、検察当局の「覚悟」や「姿勢」が見当たらない。恥ずかしい限りの、しかしながら、「冤罪」を着せられた側にとっては断じて許容すべからざる「強弁」「自論・持論」でしかないのです。いささかの「謙虚さ」もなければ、「謝罪」意識のかけら(欠片)もないのは、性悪な検察の「面目躍如」ですな。

「談話は意見」と辞書が説明するが、実際には、見苦しくも甚だしい「人権侵害」を重ねる「弁解」でしかないのは、この国における「検察当局」の国民(人間)に対する、「人を見たら泥棒と思え」「あれは殺人犯で間違いない」というような偏見に満ち満ちた「談話」、つまりは「作り話」になっているからです。二度三度と読み返しましたが、この「談話」という「弁解」「強弁」は、検察当局における「合作(AIによる作文)」であって、検事総長が開陳した自身の「意見(違憲)・談話」とはとても思えません。もしこれが検事総長の抱いた「見解」であるなら、彼女は、およそこの職にとどまる資格は微塵もない、恥ずかしい「人造人間」だというほかないでしょう。
くどくどしく駄見を述べるのは避けます。要するに、静岡地裁の判決は間違いであり、そこに至る道筋をつけた東京高裁の決定には事実誤認があるので、本来なら「控訴」するのが当然、つまり被告は「死刑」が妥当だと断定したい思いが滲(にじ)み出ている。そうであるなら、どうして「控訴」しないのか、天下、白日の下に「被告人は死刑」を主張し続けるべきではなかったか。それができなかった・しなかったのは「捜査に無理があり」「出された証拠物件は捏造」だということを暗に自認しているからでしょう。証拠隠滅・証拠改竄は警察・検察の常套手段、それゆえに「自白」、つまりは「供述調書」にしかよりかかれなかった裁判だったと白状しているのです。いかにも図星、「冤罪を作ってしまった」と、「顔に書いている」ではないかといたいところです。

言うに事欠くとはこのこと。「東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断」したというけれど、どうして今までの段階で、そのように判断しなかったのか。「改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、…」と述べるなら、即刻「控訴」すべきだった。この大きな「矛盾」を並列する、何とも杜撰(ずさん)極まりない、無神経な「談話」です。半世紀以上も身柄を拘束し、「死刑判決」から四十余年も経過していながら、「死刑」判決を確定できなかったのはなぜか。「被告人は犯人」だといって、その主張を通すつもりなら、だれが考えても「控訴」しかなかったのではないか。「無罪放免」に水を差すようですけれど、検察は、総力を挙げて「控訴」すべきだったと思う。
ところが「袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました」と、ぬけぬけと誠実な裁判に努めたという虚言。徒(いたづら)に裁判を遅延させた理由が「決定的証拠」を持たない「犯人でっちあげ」事件だったからで、むしろ「検察」が人権蹂躙を続けてきたことの「顧慮」「配慮」「自省」が微塵もないのは、いかにもこの国の「検察」だというべきでしょう。「思い込んだら命がけ」という俗言がありますが、検察に関して言うなら「犯人だと思い込む」けれど、けっして「命(検察の責任)」を賭けることはしないという、じつに軽薄な人権感覚ではないでしょうか。
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刑事裁判事件に関して、少なくとも、いくつかの大原則(公理)があるとされています。それは「公理」ともいえるものでしょう。「(公理とは) 自明であると否とを問わず、ある理論の前提となる仮定」(デジタル大辞泉)その①は「推定無罪」という原則です。犯罪が確証されるまでは「推定無罪」が人権理論の根拠をなしています。その②は「疑わしきは被告人(犯人に擬せられた人)の利益」という原則。「怪しい」「疑わしい」「犯人臭い」などというだけでは、何事も決められないということ。検事総長の「談話」を読んでいて、この権力機構は「再審制度」を反故にしているも同然、そんな不遜な「唯我独尊」の教条(独断)に凝り固まっているようですね。
袴田さん再審で検察が控訴断念「判決は到底承服できない。しかしながら…」畝本直美検事総長が談話 2024年10月8日 17時27分
検事総長談話 (令和6年10月8日)
○結論
検察は、袴田巖さんを被告人とする令和6年9月26日付け静岡地方裁判所の判決に対し、控訴しないこととしました。
○令和5年の東京高裁決定を踏まえた対応
本件について再審開始を決定した令和5年3月の東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断しました。他方、改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、にもかかわらず4名もの尊い命が犠牲となった重大事犯につき、立証活動を行わないことは、検察の責務を放棄することになりかねないとの判断の下、静岡地裁における再審公判では、有罪立証を行うこととしました。そして、袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました。
○静岡地裁判決に対する評価
本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。
しかしながら、1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる。」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。
加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。
○控訴の要否
このように、本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。しかしながら、再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。
○所感と今後の方針
先にも述べたとおり、袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。/最高検察庁としては、本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。
以上

「本(静岡地裁」判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき」だという姿勢を貫いて裁判を続行すべきでしょう。「袴田は真犯人」なのだから、その確定判決を得るまでは諦めないでほしい、それでなければ、「凶悪な殺人犯」を取り逃がしてしまうではないかといっておきながら、そうしない・できないのは、どうしてか。(当局は「彼を真犯人」だと断定していながら)神田さんは「結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し」、控訴断念、被告の無罪は確定というのですが、何を伝えたいのか「作文談話」では何一つ当方に伝わってこないのは「(AIによる)作文(作り話)」だからです。この「弁解」という実態を有する「談話」が明示している内容は、驚くほどの矛盾撞着であり、それこそ無茶苦茶です。
裁判が長引き、各所判断(判決)が一致しなかったので、「結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました」というのは、「裁判所の判断」が明確に下せなかったということ(検察の敗訴)を意味しているのであって、にもかかわらず、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を踏みにじってきたのが検察だという自覚を失っているのですから、言葉を失ってしまいます。
「裁判は人を裁く」と受け取られていますが、実際は「提示された証拠」を裁くのです。確実に犯罪事実を立証するに足る事実(証拠)の有無が肝心なのは論を待ちません。その「証拠」を捏造していたなら、誰だって「犯人」に仕立て上げることはできる。その「でっち上げ」を得意技としてきたのがこの国の警察・司法権力でした。今回の静岡地裁の判決も、「検察の出した証拠」を裁いたのです。ぼくが反吐を吐きたくなるのは、今の時代にあっても牢固として、この「でっち上げ」「冤罪づくり」を堂々と敢行して、世にのさばっている検察や警察権力(全体であるといえないにしても)の存在です。(近くは「大川原冤罪事件」がありました)

「袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております」と、心底痛切に思っているなら、少なくともこの事案に関して要路にあった人々(警察・検察・裁判所)の責任を明確にすべきではないですか。この際「検事総長」は即刻、辞職すべきでしょう。せめても「贖罪」「罪滅ぼし」の存在の証(あかし)にはなる、いや、ならないかもしれん。しかし、ケジメはつけるべきでしょう。
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「無罪になった袴田さんを犯人視している」弁護団が怒りあらわ 控訴断念の検事総長談話を猛批判 袴田巖さんの無罪判決を受け「判決を承服できないが控訴を断念する」と発表した検事総長の談話について弁護団は「無罪になった袴田さんを犯人視している」と批判しました。(以下略)(テレビ静岡・2024/10/10)(https://news.yahoo.co.jp/articles/ca8dc9b119bf246e3dc36d236f449ca21f444b90)
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