判決は承服できない。しかしながら…

 静岡地裁における袴田事件の「再審無罪」の判決(2024/09/28)を受け、検事総長が「談話」を発表(2024/10/08)しました。一読、案の定・予想通りという感想を持つと同時に、「この国に、この検察あり」では、これからもさらに「冤罪」事件は後を絶たないだろうという強固な確信を持ちました。今この問題について、検察権力に対して何かを言うのは、「糠に釘」、あるいは「暖簾に腕押し」というほどの徒労感を持たざるを得ないのですが、少なくとも徒労感の寸分たりとも吐き出しておきたい・おかねばと、以下に愚感を綴ります。(ヘッダー写真は「テレ東BIZ」・2024/10/07)

 公表された「談話」は、まったく支離滅裂な、実に読むに堪えない「作文」「捏造」です。真意がないというのはこのこと、人命を枯葉の如くに扱っているという軽薄さです。怖いですね。これはいうところの「談話」などではないとすべきです。「(談話とは) ある事柄に関して、非公式にまたは形式ばらずに意見を述べること。また、その内容」(デジタル大辞泉)ここでは「刑事裁判論」、さらには「人権論」という領域の問題でしょう。検察が「控訴断念」に際して述べた「意見」というものに、ほとんど読み取るべき、検察当局の「覚悟」や「姿勢」が見当たらない。恥ずかしい限りの、しかしながら、「冤罪」を着せられた側にとっては断じて許容すべからざる「強弁」「自論・持論」でしかないのです。いささかの「謙虚さ」もなければ、「謝罪」意識のかけら(欠片)もないのは、性悪な検察の「面目躍如」ですな。

 「談話は意見」と辞書が説明するが、実際には、見苦しくも甚だしい「人権侵害」を重ねる「弁解」でしかないのは、この国における「検察当局」の国民(人間)に対する、「人を見たら泥棒と思え」「あれは殺人犯で間違いない」というような偏見に満ち満ちた「談話」、つまりは「作り話」になっているからです。二度三度と読み返しましたが、この「談話」という「弁解」「強弁」は、検察当局における「合作(AIによる作文)」であって、検事総長が開陳した自身の「意見(違憲)・談話」とはとても思えません。もしこれが検事総長の抱いた「見解」であるなら、彼女は、およそこの職にとどまる資格は微塵もない、恥ずかしい「人造人間」だというほかないでしょう。

 くどくどしく駄見を述べるのは避けます。要するに、静岡地裁の判決は間違いであり、そこに至る道筋をつけた東京高裁の決定には事実誤認があるので、本来なら「控訴」するのが当然、つまり被告は「死刑」が妥当だと断定したい思いが滲(にじ)み出ている。そうであるなら、どうして「控訴」しないのか、天下、白日の下に「被告人は死刑」を主張し続けるべきではなかったか。それができなかった・しなかったのは「捜査に無理があり」「出された証拠物件は捏造」だということを暗に自認しているからでしょう。証拠隠滅・証拠改竄は警察・検察の常套手段、それゆえに「自白」、つまりは「供述調書」にしかよりかかれなかった裁判だったと白状しているのです。いかにも図星、「冤罪を作ってしまった」と、「顔に書いている」ではないかといたいところです。

 言うに事欠くとはこのこと。「東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断」したというけれど、どうして今までの段階で、そのように判断しなかったのか。「改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、…」と述べるなら、即刻「控訴」すべきだった。この大きな「矛盾」を並列する、何とも杜撰(ずさん)極まりない、無神経な「談話」です。半世紀以上も身柄を拘束し、「死刑判決」から四十余年も経過していながら、「死刑」判決を確定できなかったのはなぜか。「被告人は犯人」だといって、その主張を通すつもりなら、だれが考えても「控訴」しかなかったのではないか。「無罪放免」に水を差すようですけれど、検察は、総力を挙げて「控訴」すべきだったと思う。

 ところが「袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました」と、ぬけぬけと誠実な裁判に努めたという虚言。徒(いたづら)に裁判を遅延させた理由が「決定的証拠」を持たない「犯人でっちあげ」事件だったからで、むしろ「検察」が人権蹂躙を続けてきたことの「顧慮」「配慮」「自省」が微塵もないのは、いかにもこの国の「検察」だというべきでしょう。「思い込んだら命がけ」という俗言がありますが、検察に関して言うなら「犯人だと思い込む」けれど、けっして「命(検察の責任)」を賭けることはしないという、じつに軽薄な人権感覚ではないでしょうか。

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 刑事裁判事件に関して、少なくとも、いくつかの大原則(公理)があるとされています。それは「公理」ともいえるものでしょう。「(公理とは) 自明であると否とを問わず、ある理論の前提となる仮定」(デジタル大辞泉)その①は「推定無罪」という原則です。犯罪が確証されるまでは「推定無罪」が人権理論の根拠をなしています。その②は「疑わしきは被告人(犯人に擬せられた人)の利益」という原則。「怪しい」「疑わしい」「犯人臭い」などというだけでは、何事も決められないということ。検事総長の「談話」を読んでいて、この権力機構は「再審制度」を反故にしているも同然、そんな不遜な「唯我独尊」の教条(独断)に凝り固まっているようですね。

 袴田さん再審で検察が控訴断念「判決は到底承服できない。しかしながら…」畝本直美検事総長が談話  2024年10月8日 17時27分

検事総長談話 (令和6年10月8日)
○結論
 検察は、袴田巖さんを被告人とする令和6年9月26日付け静岡地方裁判所の判決に対し、控訴しないこととしました。
○令和5年の東京高裁決定を踏まえた対応
 本件について再審開始を決定した令和5年3月の東京高裁決定には、重大な事実誤認があると考えましたが、憲法違反等刑事訴訟法が定める上告理由が見当たらない以上、特別抗告を行うことは相当ではないと判断しました。他方、改めて関係証拠を精査した結果、被告人が犯人であることの立証は可能であり、にもかかわらず4名もの尊い命が犠牲となった重大事犯につき、立証活動を行わないことは、検察の責務を放棄することになりかねないとの判断の下、静岡地裁における再審公判では、有罪立証を行うこととしました。そして、袴田さんが相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも配意し、迅速な訴訟遂行に努めるとともに、客観性の高い証拠を中心に据え、主張立証を尽くしてまいりました。
○静岡地裁判決に対する評価
 本判決では、いわゆる「5点の衣類」として発見された白半袖シャツに付着していた血痕のDNA型が袴田さんのものと一致するか、袴田さんは事件当時鉄紺色のズボンを着用することができたかといった多くの争点について、弁護人の主張が排斥されています。
 しかしながら、1年以上みそ漬けにされた着衣の血痕の赤みは消失するか、との争点について、多くの科学者による「『赤み』が必ず消失することは科学的に説明できない」という見解やその根拠に十分な検討を加えないまま、醸造について専門性のない科学者の一見解に依拠し、「5点の衣類を1号タンク内で1年以上みそ漬けした場合には、その血痕は赤みを失って黒褐色化するものと認められる。」と断定したことについては大きな疑念を抱かざるを得ません。
 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「5点の衣類」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係とは明白に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理則・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません。
○控訴の要否
 このように、本判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容であると思われます。しかしながら、再審請求審における司法判断が区々になったことなどにより、袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました。
○所感と今後の方針
 先にも述べたとおり、袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております。/最高検察庁としては、本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております。
  以上

 「本(静岡地裁」判決は、その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき」だという姿勢を貫いて裁判を続行すべきでしょう。「袴田は真犯人」なのだから、その確定判決を得るまでは諦めないでほしい、それでなければ、「凶悪な殺人犯」を取り逃がしてしまうではないかといっておきながら、そうしない・できないのは、どうしてか。(当局は「彼を真犯人」だと断定していながら)神田さんは「結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し」、控訴断念、被告の無罪は確定というのですが、何を伝えたいのか「作文談話」では何一つ当方に伝わってこないのは「(AIによる)作文(作り話)」だからです。この「弁解」という実態を有する「談話」が明示している内容は、驚くほどの矛盾撞着であり、それこそ無茶苦茶です。

 裁判が長引き、各所判断(判決)が一致しなかったので、「結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないとの判断に至りました」というのは、「裁判所の判断」が明確に下せなかったということ(検察の敗訴)を意味しているのであって、にもかかわらず、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則を踏みにじってきたのが検察だという自覚を失っているのですから、言葉を失ってしまいます。

 「裁判は人を裁く」と受け取られていますが、実際は「提示された証拠」を裁くのです。確実に犯罪事実を立証するに足る事実(証拠)の有無が肝心なのは論を待ちません。その「証拠」を捏造していたなら、誰だって「犯人」に仕立て上げることはできる。その「でっち上げ」を得意技としてきたのがこの国の警察・司法権力でした。今回の静岡地裁の判決も、「検察の出した証拠」を裁いたのです。ぼくが反吐を吐きたくなるのは、今の時代にあっても牢固として、この「でっち上げ」「冤罪づくり」を堂々と敢行して、世にのさばっている検察や警察権力(全体であるといえないにしても)の存在です。(近くは「大川原冤罪事件」がありました)

 「袴田さんは、結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこととなりました。この点につき、刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております」と、心底痛切に思っているなら、少なくともこの事案に関して要路にあった人々(警察・検察・裁判所)の責任を明確にすべきではないですか。この際「検事総長」は即刻、辞職すべきでしょう。せめても「贖罪」「罪滅ぼし」の存在の証(あかし)にはなる、いや、ならないかもしれん。しかし、ケジメはつけるべきでしょう。

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 「無罪になった袴田さんを犯人視している」弁護団が怒りあらわ 控訴断念の検事総長談話を猛批判 袴田巖さんの無罪判決を受け「判決を承服できないが控訴を断念する」と発表した検事総長の談話について弁護団は「無罪になった袴田さんを犯人視している」と批判しました。(以下略)(テレビ静岡・2024/10/10)(https://news.yahoo.co.jp/articles/ca8dc9b119bf246e3dc36d236f449ca21f444b90

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「備えあれど憂いあり」は本当だ

 朝からネット番組でアメリカフロリダを襲う勢いにあるハリケーン・ミルトンの進路や勢力などの様子を固唾をのんでみています。何ができるわけでもない。しかし、必死の思いでハリケーンの襲来に立ち向かっている人々の姿を見ると、なにか、勇気が湧いてきそうです。繰り返し打ちのめされそうになりながら、中には打ちのめされた人もたくさんおられます、にもかかわらず、生きるためのささやかな抵抗(自然現象の猛威からすれば、どんなことをしても「人為」とはささやかなものです)、やれる範囲の体制で猛威に備えているのです。先ごろのハリケーン「へレーン」による死者は230人以上、行方不明者もその実数がつかめないほどの多数に上っているという)(ヘッダー写真は(https://www.cnn.co.jp/usa/35224736.html)

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 (追加 大型ハリケーン「ミルトン」、米フロリダ州に上陸(CNN) 大型ハリケーン「ミルトン」が米フロリダ州シエスタ・キー近くに上陸した。勢力は5段階のうちの3番目の「カテゴリー3」で、風速約53メートルを維持している。米国立ハリケーンセンター(NHC)が明らかにした。/ミルトンは中心の上陸地点の近くとそこから十分に離れた場所の両方で、命を脅かすような高潮や豪雨、暴風を引き起こし続けるとみられる。/ミルトンは勢力を保ちながら、10日午前にかけて、フロリダ州の中央部を横断する見通し。/今年米国に上陸したハリケーンはミルトンが五つ目。/今年米国に上陸したハリケーンの数は2021年から23年に上陸したハリケーンの合計よりも多い。(上地図も)(CNN・2024.10.10 Thu posted at 10:08 JST)(https://www.cnn.co.jp/usa/35224785.html

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 いくつもの中継(録画)を見ながら、彼の国の政府や行政担当部署などが示す、災害への警戒・警告、予防体制・整備や復旧への事前配置等、かなりの緊急体制構築への人材及び物量作戦の周到さ。。残念ながらこの島社会には大きく欠けているところだと痛感させられている。今まさに急襲しようというさなかに、「君は何を呑気なことを」と思われそうですが、いざという時の姿勢や態度には、ぼくにとっても、大いに学ぶべきところがあるのです。先般、当地を襲ったハリケーンの爪痕も始末しきれていないままに、さらなる打撃です。それでも、地域が協力して被害が少なくなるために最善の方途を尽くしているのを画面越しに見て、やはり、ぼくたちに欠けているのは何だろうか、と。またしても「自助」に、「自己責任」にという、責任部署の常習である「無作為」に任せきりという、この国の政治や行政の現下の無責任体制に失望し、同時に、その政治や行政がだれのためのものかという素朴な疑問も、改めて抱いてしまいます。

 報道に関するメディアの仕事も、通り一遍の「現場から」のものではなく、それこそ、一貫してハリケーンの進路を追いかけ、ために時間を限らずに中継しています。その一例を、以下の番組を取り上げ、引用します。数えきれないほどの番組の中のたった一つです。また、この大災厄に遭遇しているさなかに、大統領選挙の一方の候補者や政党は、現政権やその政党に対するフェイクニュースを盛んに流布しています。この量たるや半端ではない。猛烈な勢いで「誤報」「虚報」を放出しています。ここには、いずこも同じという、政治にかかわる人間たちの「覇権主義」「権力闘争」の歪んだ姿が明らかにその正体を現しています。社会集団は、何時まで経っても「理性と野蛮(人間性そのもの)」が同居しているのですね。

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大型ハリケーン「ミルトン」、米フロリダ州に接近 各地で避難や準備進む (CNN) 米国立ハリケーンセンター(NHC)は、大型ハリケーン「ミルトン」が米南部フロリダ州に向かって接近しており、記録が残るなかでも最大規模の被害をもたらす可能性があると明らかにした。/NHCによれば、ミルトンは8日に再び勢力を増し、5段階で最強の「カテゴリー5」のハリケーンになった。だが、ミルトンは再び「カテゴリー3」に勢力を弱め、フロリダ州に上陸するとみられる。/NHCの現地時間午後6時の最新情報によれば、ミルトンはフロリダ州タンパの南西約770キロに位置し、風速約73メートルを維持して、時速約14キロで東北東に向かって進んでいる。/9日の夜遅くか10日の未明にも上陸するとみられている。/タンパやサラソタ、フォートマイヤーズ、オーランドなどの地域では約50ミリから約300ミリの雨量や激しい風、高潮が発生するとみられている。

 タンパにある空軍基地の要員はミルトンの上陸前に避難を行っている。プエルトリコからフロリダ州に来た人々のなかには、ハリケーンによる被害を恐れて、プエルトリコに戻る人もいる。フロリダ州当局によれば、受刑者4600人もミルトン上陸前に避難した。/ディズニーのテーマパークなどの施設は閉園を決めた。アメリカン航空とユナイテッド航空は、フロリダ州から避難しようとする人々がいることを受けて、運賃に上限を設け、フロリダ州の発着便を増便した。フロリダ州のデサンティス知事は、住民に対し、避難のための時間がなくなりつつあると訴えた。デサンティス氏によれば、ハリケーンに備えて、各地に対応のための拠点を設置している。(CNN・2024.10.09)(https://www.cnn.co.jp/usa/35224736.html)

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 京都に住んでいたころ、それこそ四六時中台風の洗礼を受けていたともいえます。最も記憶に残っているのは「伊勢湾台風」でした。当時、新築したばかりの我が家が吹き飛ばされるのではないかという恐怖に包まれて、まんじりともしないで一夜を明かした。この「まんじりともしない一夜」は、自然災害に向き合う、ぼくの態度の根幹になる経験でした。「備えあれば憂いなし」などというのは偽りで、「備えあれども憂いあり」が正直な感情でした。また「災害は忘れたころにやってくる」という李厳みたいなものも、真っ赤な嘘でしたね。時に、昭和34年9月、中学生の頃でした。幸いに京都地方は大きな被害が出なかったが、東海地方の状況は惨憺たるもの、未曽有の災厄だった。

 それ以降、台風接近を知らせる報道があると、我が家では窓や戸に板を打ち付け、それこそ、暴風雨の被害から自宅を守ることが鉄則になった。フロリダ住民の方々にも、窓を塞いでいる姿があって、日本では消えてしまった緊急時の風景(沖縄方面には健在です)は、彼の地にもあるのだと、意外な景色に出会ったような気がしました。それから、たくさんの人がどこに行かれるのか、車に当面の必需品を積んで避難する、そのために幹線道路が大渋滞している場面も目にしました。台風以上の強度があるからハリケーンというらしい。昨日の段階で、ミルトンの中心気圧は897mb、最大風速80㎞/hとありました。気圧も風速も、この国ではまず経験しない数値ではありました。

 これを書いている現在(午前八時前)、すでに「ミルトン」はフロリダのタンパ付近に上陸しかかっています。事前には海上で「竜巻」も発生しています。(参照 上掲のyoutubeはMSNBChttps://www.youtube.com/watch?v=jJS_HIFvfjU&ab_channel=MSNBC

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⦿ 伊勢湾台風【いせわんたいふう】1959年9月26日の15号台風。潮岬西方に上陸(中心気圧929.5hPa),伊勢湾の西側を通って日本海に抜けた。最大瞬間風速は各地で毎秒40m以上。戦後最大の被害をもたらしたのは伊勢湾奥で高潮が4m以上に達し,沿岸の低地帯が浸水したため。死者・行方不明5041人,負傷者3万8921人,家屋の全壊流失4万841戸,耕地被害21万859ha,被害総額は5000億円を超えた。(百科事典マイペディア)

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南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ…

 ただ今午前6時半。室温21.0℃、湿度74%。昨夜来の雨が続いています。4時前に起きて、アメリカのハリケーン(メルトン)の進路状況を現地からの報道で見ています。まるで狙ったかのように再び南部各州に強烈な豪風雨が襲い掛かっているのを見て、何とかならないかと願っても詮方ないのを承知しながら、被害の少なからんことを祈っていました。あろうことか、この「災害」「災厄」を大統領選挙の相手候補の責任にし、またその候補側のあり得ない「ハリケーンを利用した不正が」と虚言を吐く、一方的に中傷する錯乱したT候補のフェイクニュースを各報道機関が流しています。長年にわたり、いわば「国家転覆(クーデター)」を企てている候補者側に公権力が一切の手出もしできない、このデモクラシーの致命的欠陥に生唾を飲み込む思いがします。まるで「火事場泥棒」を働くような異様な中でのハリケーンであり、大統領選挙ではないかと、彼我の差を痛感しながら、政治や政治家の質のあくどさ、劣悪さをも知らされています。「権力への意思」を剥き出しにする元大統領、これは、この国でもかつてなかった歴史的事件だと思われます。

 ところで、本日の「斜面」氏は「散歩の極意」と題して国木田独歩を出汁(だし)にして、秋の訪れを歓迎、散策を慫慂せんとしています。その「武蔵野」は明治34年(1901)刊。二十世紀の開始早々でした。独歩は明治4年(1871)、千葉県銚子生まれ、明治41年(1908)、茅ケ崎で死去。子規や漱石よりも年下で、漱石よりも早くに亡くなった。初めは田山花袋などと抒情詩を作って詩人として文学の道を歩いた人。田山には親友の柳田國男、島崎藤村などもいた。当時書かれた、その柳田さんの抒情詩は、これが「あの柳田の詩か」と思われるほど、後年畏怖・畏敬された、民俗学(歴史学)の泰斗のものとしては驚嘆すべきもので、柳田さんはそれを自らの作としたくなかったという風に伝えられています。「若気の至り」だったろうか。ぼくなども、顔を赤らめないでは鑑賞できないほどの「感傷」過多の詩集ではありました。ともかく、日本の近代文学の夜明けに立ち会った人、それが独歩氏でした。

 独歩はいわゆる日本的自然主義の開拓者として、早くにその著作は知られるようになった人です。ぼくは熱心な読者ではなかったが、「忘れえぬ人々」「牛肉と馬鈴薯」など、いくつかの小説を大学時代に読んで、あらぬことを空想したりしました。彼は民衆運動にも大きな関心を寄せていました。自然主義の雄とされた田山花袋などにも同じような印象を持ちました。この社会の明治中期、近代文学の曙光期に開拓された「自然主義文学」は、その後はいわば「私小説」などいう極めて狭い生活意識や生活環境内に閉じられてしまい、あたら文学空間の可能性を矮小化したのではなかったかと、素人ながらの感想を持ち続けてきました。まるで「日記文学」そのものだったと思う。小説の真似事をしてみたいと、ぼくが血迷ったのも、この日記的文学世界の小ささ浅さにあったかもしれなかった。

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【斜面】散歩の極意 朝食前に上着を羽織りぐるりと近所を歩く。他人様の庭々に目をやると、サルスベリがピンクの花をまだ残していた。彼岸花はもう終わりだ。草むらからリリリ…と虫の音。甘い香りをかいだ気がした。姿は見えねど、キンモクセイか◆ようやく訪れた秋を感じたくて、空気を吸ったり、空を仰いだり、耳を澄ませたり。散歩は「逍遥(しょうよう)」ともいう。「心を俗世間の外に遊ばせること。悠々自適して楽しむこと」(広辞苑)の意も。さほど高尚な心境ではないが、無目的な時間も心地よい◆散歩の極意は国木田独歩の「武蔵野」が教えている。林や田畑が混在する明治の武蔵野を歩いては、光や音、風景に感じ入って称賛の言葉を尽くした。足の向く方へ行けば、見るべき、聞くべき、感ずべきものがある。帰り道も引き返すのは愚かで、「当てもなく歩くが妙」だと◆自然と人の生活が混じり合う町外れも趣があるとする。〈大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落ちあって、緩やかにうずを巻いているよう〉。独歩が愛した風情はどれほど残っているだろう。信州はかなりぜいたくな地だとも思えてくる◆独歩が当時住んだのは東京・渋谷。地元の商議所が「て(10)く(9)てく」の語呂合わせできょうを「散歩の日」とし、数年前まで日本記念日協会(佐久市)に登録していた。残念ながら今は登録されていないが、心に刻んでおこう。小さな発見を探して自由に歩く豊かさを忘れないように。(信濃毎日新聞・2024/10/09)

   一
 「武蔵野の俤(おもかげ)は今わずかに入間(いるま)郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原(こてさしはら)久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。(略)
   二
 そこで自分は材料不足のところから自分の日記を種にしてみたい。自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷(しぶや)村の小さな茅屋(ぼうおく)に住んでいた。自分がかの望みを起こしたのもその時のこと、また秋から冬の事のみを今書くというのもそのわけである。
九月七日 -「昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌(きらめ)く、ー」/ これが今の武蔵野の秋の初めである。林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様が夏とまったく変わってきて雨雲(あまぐも)の南風につれて武蔵野の空低くしきりに雨を送るその晴間には日の光水気(すいき)を帯びてかなたの林に落ちこなたの杜(もり)にかがやく。自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することができたらいかに美しいことだろうかと。二日置いて九日の日記にも「風強く秋声野(や)にみつ、浮雲変幻(ふうんへんげん)たり」とある。ちょうどこのころはこんな天気が続いて大空と野との景色が間断なく変化して日の光は夏らしく雲の色風の音は秋らしくきわめて趣味深く自分は感じた。(略)
独歩「武蔵野」「日本文学全集12 国木田独歩 石川啄木集」所収 集英社・1967(昭和42)年9月7日初版)

 コラム氏も引いておられる広辞苑の解説です、「(散歩とは)心を俗世間の外に遊ばせること。悠々自適して楽しむこと」と。果たして、何時の時代の「散歩」のことかと、ぼくなどは訝(いぶか)るばかり。また「逍遥」について、辞書は多彩多様な解説をしています。「しょう‐ようセウエウ【逍遙・逍揺】 ( ━する ) 気のむくままにあちこちと遊び歩くこと。そぞろ歩き。散歩。徜徉(しょうよう)。「 ( ━する ) 世間の俗事を離れて楽しむこと。」 香木の名。分類は伽羅(きゃら)。香味は酸苦甘鹹。六十一種名香の一つ。この香は、一箇真心、優游自在にして楽しみ遊ぶ心地が「荘子‐逍遙遊」の義に通じるという」(精選版日本国語大辞典)

 特に気になるのは「世間の俗事を離れて楽しむ」とあるところ。今でいうハイキングや遠足などを表すような趣があります。自宅を出て、近所を一時間ほどぶらつくのは、とてもではないが「散歩」「逍遥」などとは言えないことがわかります。何よりも、心持が肝心ということかもしれません。気分転換とか新鮮な空気を吸引するというところに、何よりも焦点が当たっている気がします。このところ、ぼくは歩き回り(徘徊)を中断しています。いくつかの理由がありますが、まずはこの夏の長く続いた、えげつない高温酷暑に痛めつけられないがために、いささか自重していたということが一つ。ついで、猫がたくさんいるので、少しの時間でも家を空っぽにできないため、それが歩き回らない、第二の理由らしい。

 第三に、うかつに徘徊していると、何時イノシシに襲われるとも限らないという危険を避けるため、です。家の周りの林や竹藪は言うまでもなく、道路の両側はイノシシが掘った穴だらけ。もちろん、わが庭にもその痕跡はあからさまに残っています。びっくりするくらいに深く大きく掘り下げてあり、その激しさがわかります。一人で歩いていると、どこから襲われるか知れたものではないという心配がある。それやこれやで「散歩」や「逍遥」はおろか、徘徊すらのんびりとはできない環境になりました。これまでも一人で歩く時にはゴルフクラブ、きまって「一番アイアン」を持参していました。

 また、木々や草が生い茂っている道を歩くのですから、いろいろな生き物がいる。よく見るのは狸(たぬき)、あるいはアライグマなど。そしてこれも今頃が盛りですね。たくさんの蛇が出てきます。我が家の猫は、この夏(昨日までで)三匹の「ヤマカガシ」という、いかにも毒を持っていて怖い蛇を自宅に持ち込んできました。今朝(先ほど)は、大きな鳥を咥えて、部屋の隅で唸っていた。はっきりはしなかったが、おそらく野生の鳩か。雨が降っているので、雨宿り中、あるいは寝込みを襲ったのかもしれない。とてもではないけれど、「心を俗世間の外に遊ばせること。悠々自適して楽しむこと」などできようはずもないのです。

 独歩の「武蔵野」にある「日記」のような、文字通りの自然観察に没頭できれば、望外の喜び、ぼくには何かを言うことはありません。「『昨日も今日も南風強く吹き雲を送りつ雲を払いつ、雨降りみ降らずみ、日光雲間をもるるとき林影一時に煌(きらめ)く、ー』/ これが今の武蔵野の秋の初めである。林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様が夏とまったく変わってきて雨雲(あまぐも)の南風につれて武蔵野の空低くしきりに雨を送るその晴間には日の光水気(すいき)を帯びてかなたの林に落ちこなたの杜(もり)にかがやく。自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することができたらいかに美しいことだろうかと」と。当地辺りも、その様子だけは「武蔵野」に似ていなくもないが、いかに山の中の不便な地であっても「心を俗世間の外に遊ばせ」ることも、「悠々自適して楽しむ」こともかなわないのは、どこまで行っても世間が付いて回るからでしょうね。

 むしろ、それならば「都会地」のほうが「気のむくままにあちこちと遊び歩くこと。そぞろ歩き」ができるのではないかと減らず口も叩きたくなります。 世間のど真ん中に、一種の空白地帯があり、そこは「世間の隙間」であって、それこそ「俗事」が入り込む余地はないのかもしれません。今の時代、世間ずれすることはだれにもできますけれど、世間離れは意外に難しいのだろうと愚考もしている。スマホ(携帯)一本あれば、いつだってどこにいても、世間ずれの機会に事欠かない。まるで「世間」を持ち歩いているようなものです。持ち運び自由な世間というものがあるとは思えないが、世人の多くは、多少なりとも「世間とのつながり」が切れることを恐れて生きているようにも感じられてきます。

 「風強く秋声野(や)にみつ、浮雲変幻(ふうんへんげん)たり」「こんな天気が続いて大空と野との景色が間断なく変化して日の光は夏らしく雲の色風の音は秋らしくきわめて趣味深く自分は感じた」と百二十年前の独歩さんは、心行くまで武蔵野の「秋」を受け入れておられる。時に、独歩先生、三十の砌(みぎり)でした。

 当地は今、午前九時。ネコの騒ぎも落ち着いたか。雨はひとしきり強くなってきました。佐藤春夫さんではないが「都会の憂鬱」に困惑し、田舎に逃げ込んだのはいいが、そこでも「田園の憂鬱」に襲われる我が生活の貧しさに、それこそ苦渋(苦汁・にがり)を飲む思いです。美味しい豆腐を求めて、湯豆腐、あるいは魚介類を入れた鍋物で、冷えそうな心身を温めたくなりました。

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なにより「大豆と苦汁」がいのち

 少し肌寒さを覚える季節になりました。まるで茹(う)だるような、今にも卒倒しそうな酷暑・酷熱が嘘のようでもあり、懐かしさを覚えるとはとてもじゃないが、もう二度と御免被るといいたくなるのも、湯豆腐の立ち上る湯気に気も緩むからでしょうか。何度か触れていますが、ぼくは二十歳過ぎからの約半世紀、ほぼ毎日酒を呑んできました。ちょっとした病気で二、三回入院した時以外は、ほとんど呑み続けてきたと思う。ある時期、ふっと、呑むのを止めようかなと思い立ち、以来十数年、一滴のアルコールも口にしてはいません。なぜそうなったかについても、すでに書いたように思います。取り立てて、はっきりしたきっかけや理由があったわけではありません。かみさんに言わせれば「もういやというほど、呑んできたんだから」と。酒を止めようと考えたことはなかった、だから吞まなくなった自分に驚いています。

 酒を呑むときにまずほしいのは肴(さかな)、文字通り「魚」類と、それから「豆腐」ですね。これは欠かしたくなかったし、おいしい肴と豆腐があればこそ、呑み続けてきたともいえます。旨い魚料理(刺身など)は自宅で、とはいかず、どうしても呑み屋で、となります。退職前の三十年は、ほぼ毎日(週五日制)、行きつけの呑み屋で、決まった銘柄のお酒を呑んでいました。ビールなどというものは飲まない。今でいう「純米酒」(昔風に言うなら二級酒か)で、金沢の酒蔵のものしか呑まなかった。それが口に合ったからです。魚は「築地」からの旬の魚が、主だったもの。ある時期から呑み屋の亭主がぼくの口にと、いい肴を仕入れてくれるようになった。この店にもほぼ三十年。昨年、この経営者が亡くなったと聞いて驚きました。(職場を離れてから、一度もぼくは「お店」には出かけなかった) 

 酒の味を引き立ててくれたのが豆腐でした。もちろん、呑み屋でも注文することはあったけれど、自宅で食事をするときはいつも近所の豆腐屋さんの豆腐類を食べていた。「冷や奴」「湯豆腐」「豆腐鍋」など、それこそ、いつでも同じ豆腐が酒の友だちでした。家で呑む酒もやはり「純米酒」で、呑み屋のものとは別種で、千葉の地酒をいろいろ。ある時期からは山武市の酒蔵の銘柄をいつも買い置きしていました。「純米酒」は、酒(酔い)が残らないというか、酔わないとよく言われていました。米と水と麹だけで作られたものですから、確かに悪酔いはしなかった。その「純米酒」に美味しい豆腐があれば、ぼくは二合でも三合でも吞めた。

 よく、「どうしてそんなに豆腐が好きなんだ?」と訊かれた。答えようがありません。お酒との相性がいいということだったでしょう。ならば、それは豆腐に限らず「大豆」製品ならなんだって、ということになります。豆腐、納豆、油揚げ、凍り(高野)豆腐 、がんもどき…と、ぼくはどれも好みましたし、口にしました。大豆食品が一つでもあれば、ぼくはそれで満足でしたね。米の減反が始まったとき(1970年)、それには反対はしなかった(米食派がどんどん減っていましたから)、その休耕田にどうして大豆や小麦を植えないのかと、大いに疑問に感じたことでした。幼児期の記憶にある能登半島の田舎では、どんな田んぼの畔(あぜ)道にも「大豆」は植えられていましたし、その採り入れや脱穀の手伝いをよくさせられたものでした。

 伝統的な豆腐製造の代表格、町の豆腐屋さんがどんどん消えているという世情を知ると、なんだか気持ちまで暗く、寒くなる。世の中から「豆腐」がなくなるのではない。小売りの豆腐屋さんばかりが廃業しきり、というのです。その理由は「大型店(スーパー)」の進出でしょう。町の本屋さんと同じ運命をたどっています。ぼくは、偏屈なのでしょうか、スーパーの豆腐はまず口にしません。かみさんが買ってきても食べない。食べた気がしないほど、99.9%水でできているのではと思われるからです。どんなものでもあればいいという、そんな物わかりの良さ(無節操)はぼくにはない。かといって、偏屈で臍曲がりかといえば、自分ではそうでもないと思っています。美味しくなければ口に入れたくないというだけ。なければいつまででも食べないだけ、そんな心づもりで生きています。

 いまどき、天然の苦汁(にがり)を使っている店はないでしょう。苦汁(滷汁)とは「海水から食塩を析出させたあとの残液。苦みがあり、主成分は塩化マグネシウム。豆腐の凝固剤などに使用。苦塩 (にがしお) 。くじゅう」(デジタル大辞泉)です。よく買っていた街の小売りの豆腐屋さんに豆腐製造に使う苦汁(にがり)を見せてもらったことがあります。ある時期から、(天然から化学製品に変えられた時に、だったらしい)いささか豆腐の食味がいつもと違うと思った。案の定、天然物を止めたということでした。この妙味について駄弁ると面倒なことになるので、ここで止めておきます。

【小社会】豆腐らしさ? 俳人の荻原井泉水は毎日のように食べる豆腐に強い憧れがあったようだ。「豆腐ほど好(よ)く出来た漢(おとこ)はあるまい」と随筆で力説している。▶一見、仏頂面をしているが、朴念仁ではなく、「軟(やわら)かさの點(てん)では申し分がない」。煮てよし焼いてよし。揚げても寒天の空に凍らせても「それぞれの味を出す」。しかも、どんな料理でも他の具材と「協調を保つ」。▶なるほど擬人化すると豆腐の魅力がよく分かる。百科事典には中国から伝わり、室町時代以降に一般に広まったとある。わび・さびや「和」を好む日本人になじんだのだろう。いまも日本の食卓には欠かせず、健康や美容によい食品として支持されているようだ。ところが…。▶県内で地域の豆腐店の廃業が相次いでいると先日の本紙が伝えている。大豆や光熱費などの高騰が続き、経営が急速に悪化。大手との価格競争も厳しいという。踏ん張ってこられたこれまでに敬意を表したいが、各店自慢の味が消えていくのはやはり寂しい。▶東京勤務だった数年前、スーパーの売り場を席巻する大手製造の豆腐を食べ、閉口した。安いのはいいが、大豆の風味がほとんど感じられない。地方もいずれそうなるのだろうか。▶偏執的な小我を持たず、流れに即す。井泉水は豆腐をそうも捉えた。「自然にして自由なるものの姿、これが豆腐」だと。いまの状況も、流れに即すのが豆腐らしさというなら、思いは複雑である。(高知新聞・2024/10/06)

⦿豆腐(とうふ)= だいず(大豆)を加工してつくる,すぐれた蛋白質食品。つくり方は,まずダイズを水に浸漬し,十分吸水させて磨砕し,呉(あるいは生呉)をつくる。さらに加熱(煮呉)し,さめないうちにろ過して豆乳をとる。この残りかすがおからである。豆乳に「にがり」とも総称される塩化マグネシウムや,「澄まし粉」と呼ばれる硫酸カルシウムなどの凝固剤を加えて静置し,蛋白質および脂質を凝固させる。凝固物を,穴のある型箱の内側に布を敷いて流し込み,おもしをして水を切って成型したものが木綿豆腐である。一方,濃い豆乳を用い,穴のない型箱で豆乳全体を固めてつくったものが絹ごし豆腐である。絹ごし豆腐は,木綿豆腐に比べてきめ細かい質感で舌ざわりがよく,味もまろやかである。また成型の段階で,木綿豆腐のように「ゆ」と呼ばれる浸出液を捨てないためビタミンB1が多く含まれている。なお,蛋白質の含有量は木綿豆腐のほうが若干多いといわれている。/豆腐をさらに加工したものに,焼き豆腐,油揚げ,生揚げ,凍り豆腐,がんもどきなどがある。調理法も室町時代に始まった田楽や豆腐汁などきわめて多いが,庶民の食卓に上るようになったのは江戸時代中期以降といわれている。豆腐は約 2000年前に漢の淮南王,劉安が発明したと,明の時代の薬学書『本草綱目』に記されているが定かではない。中国でつくられる豆腐は日本のものに比べて水分が少なく固めで,淡いクリーム色をしている。また,豆腐を発酵させた腐乳なども食べられている。日本に伝わったのは奈良時代といわれている。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 各地の豆腐小売店がなくなるという現象は、言うまでもなく、豆腐に限定されない、この劣島に近年生じている流通異変であり、消費生活の様変わりでもあります。詳細はさておき、このような「大売り繁盛」時代、「小売り廃業」社会、その変遷は、しかし、新たな局面に入ることを予想させるのではないでしょうか。「大きいことはいいことだ」という拡大志向(思考)がもたらした大量生産の拡散は、やがて、その粗野な精神では賄いきれない商売のコツ・奥義(顧客との関係)に行き当たるほかないのです。スーパーで商品に関して何かを尋ねても、まずそれに応答できないというのは、恐ろしいこと、自分たちはどんな商品を販売しているのか、まったく無知で通り過ぎているのですか。

 (これとよく似た現象は「大手新聞」の凋落です。一千万部に及ぶ購読部数は、いずれは降るほかないということを示しているのですが、脳のない経営者は「独占」を狙って、ついには今日、600万部を割るかと言われている。会社でもなんでも「大きいことはいいこと」ではなく、「拙(まず」いことだ」という視点がないのは、会社にとっても従業員にとっても不幸ことでした。大きくなるというのは、分裂するための一里塚でしかないのですよ。この社会はロシアや中国、あるいは北朝鮮ではなかったのを知らなかったんですかね、立派な大学でのサラリーマン経営者たちは)

 現実に「大手スーパー」花盛りの傍らで、小売復活の小さな一歩が各地で始められています。いずれにしても「豆腐屋さん消滅」という一現象は、都市一極集中がもたらした、生産と消費の大量独占主義という旧機軸の後遺症ではありますが、やがてまた、そこから小売がいろいろな形態をとりながら復活する一つの方向を示しているとも見られます。(右上はダイアモンドオンライン:https://diamond.jp/articles/-/349787

 大型スーパーが小さな「コンビニ」に席を譲らざるを得なくなっている時代でもあります。その昔、どこの町や村にも「万屋(よろずや)」がありました。今でいう、コンビニでしょうか。そういう地域の食材や日常生活品の拠点は、遠からず、必ず復活するはずです。大型店舗隆盛も、その実は、小売店舗の再生を促すための通過点(各地で大規模店進出に道を開いてから、まだ五十年も経過していないのがほとんどで、それが行き詰っているのです)であったということがわかるに違いありません。少子化・高齢化時代がいよいよ佳境に入っている現在、注文取りや注文品お届け便が、今以上に日常生活の中で大きな比重(役割)を占める時が来るでしょう。商機というものを見逃す手はないのです。各地で、その兆しは、着実に見て取れます。「移動スーパー」や「行商復活」は、ぼくの住んでいる山村のような辺鄙なところにも出現しているのです。

・湯豆腐に酒は丹波と決めてゐし (稲畑廣太郎)
・湯豆腐の湯気しづまりて老後なり (渡辺照子)
・湯豆腐や年金少し使ひすぎ (高杉至風)
・うすうすと透けて水無月豆腐とや (後藤比奈夫)
・湯豆腐や都は知らず北時雨 (仙化)(元禄期、蕉門の人)

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颱風ののち日々しづか秋桜 (青邨) 

 休耕田が増えだしたころ(「減反政策は1970年開始)、もう何十年も前、あてもなく車を走らせていると、突然、広大な田んぼの中にコスモスが満開に咲き誇っているのを見たことが何度もあります。春には同じように休耕田には「菜の花」の苑が出現していたこともある。もちろん、畦道(あぜみち)に咲く自生の彼岸花と違い、コスモスは誰かが植えたものですから、休耕田にタネを播き肥料を施し、季節の花として誰彼に鑑賞してもらいたいという意図があったのでしょう。当地に越してくる前には、何度もそんなコスモス田んぼ・菜の花田んぼを見たものでした。

 もっと遡(さかのぼ)れば、おふくろが健在だったころ、植木鉢にいろいろな草木を植えては楽しんでいた、その中に「コスモス」もありました。彼女は「コスモスは難しいなあ」といいつつ、何年かかけて、軒先のプランターに立派な花を咲かせたのを帰京中に見たものでした。遠くから見れば可憐でもあり弱々しくも見える花、ところがなかなかに芯の強い草花で、それはまるで見た目とは正反対の、強靭な根や球根を持つ「菜の花」のようでもありました。散歩中の田んぼ道の脇(畔)に植わっているコスモスの幹が驚くほど強くて太かったことを覚えている。これらはいずれも「根張り」強い植物だった。

 この花が嫌いだという人はいないでしょう。もちろん国産ではありません。南米はメキシコ原産で、長い歴史を経て、いろいろな経路をたどって極東の島国にやってきたらしい。ぼくがこの花を好む理由は、花の咲く、その姿の凛々しさもありますが、その名称によるところが大きい。「コスモス(Kosmos)」とは、「宇宙」「調和」を意味するギリシャ語として知られており、それから強烈な印象を与えられました。三十歳くらいになって熱心に読んだ書物に「宇宙における人間の地位(Die Stellung des Menschen im Kosmos)」(1926年刊)があった。もう百年前の出版になります。人間は動物や植物とどこがどのように違うのか、人間に特有な性格・価値は何か、そんな根本問題を掘り下げた、いわゆる「人間学」の代表的な著作としてよく知られていた書物でした。大学院時代の担当教師もこれをテキストにして演習を進めていたので、ぼくは、その著者のマックス・シェーラーを読み出し、その書名に含まれた「Kosmos」という語が、なぜだか強烈なインパクトをぼくに与えたのでした。

 「整然」、それがコスモスという語の示す含意であり、まさに「世界秩序」を表現していた。その反対が「混沌(chaos)」。今から見ればその著書は、まさに観念(思弁)哲学と片付けられそうなものでしたが、その秩序だった世界観の中核に位置するのが人間だという、驚くべき素朴な「人間観」があったと思う。やがて時を経ずして、ドイツはそれこそ「混沌」と「闘争」「戦争」という「暴力」の時代に流れ込み、欧州全体が「混乱」「無秩序」「殺戮合戦」に翻弄されていくのでした。その「コスモス(Kosmos)」と同音の、ギリシャ語に「コスモス(Cosmos)」があり、それが草花の「コスモス」の名として定着し、我々に知られるようになったのは、明治期、お雇い外国人教師の一人がイタリア経由で持ち込んだのが最初だとされています。

 思わぬ展開になりそうですから、ここで打鍵(Keystroke)運動を中止します。要するに人間の意識(観念)には「整然とした状態」(秩序だった世界)への渇望、あるいは願望(ユートピア)があり、それをギリシャ人は「コスモス」と名付けた。南米原産の「コスモス」の花を見た欧州(スペインだったか)の聖職者が、その花弁の様子を,いかにも秩序だっているものとして「コスモス」と呼んだ。花の姿に、あるべき「世界の秩序」「調和」を認めたというのでしょう。キリスト教の世界観に相応しかったのでしょうか。

 (まったく別のことを駄弁ろうと思っていたのに、何かの拍子に「コスモス」が頭に浮かんだので、ついそちらに引っ張られた次第)(表題句は山口青邨作。「秋桜(あきざくら」は「コスモス」の新和名。なんともつまらない命名をしたものだと思う。そのせいばかりでもないでしょが、「コスモス」「秋桜」を詠み込んだ句に、「恐れ入りました」という句はなかったと、生意気を言っておきます。理由はいろいろでしょう。でも第一は、あまりにもコスモスの「花」が有する姿形を文字で掴むのが、なじまないからだと言ったらどうか)(ただ今、午前八時直前。室温24.1℃、湿度81%)

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⦿ コスモス(Cosmos) キク科の一年草。メキシコを主として熱帯アメリカに原産するコスモスは25種を超えるが,園芸種の基礎となったのは次の2種である。(1)コスモス(和名アキザクラ,オオハルシャギク)C.bipinnatus Cav. 秋に群生して咲く様子がサクラの花に見えるので秋桜の名があるように,基本種は短日で花芽を分化するため,10月に開花する。コロンブスのアメリカ大陸発見後,ヨーロッパに入り,しだいに改良され庭園や切花に栽培されるようになった。草丈1~2m,茎は太く多数枝を分け,葉は対生で2回羽状複葉,裂片は線形。頭状花は総苞につつまれ,8枚ほどの紅,ピンク,白の幅広い舌状花をつけて秋に咲くが,園芸変種には八重咲き,丁字咲きなどがある。またアメリカで作出された早咲種はアーリー・センセーションEarly Sensationと名づけられ,播種(はしゆ)後60日で咲く。この色変りにピンクに暗紅色の目があるラデアンスRadianceが生まれ,さらにこの四倍体ベルサイユVersaillesが育成されて,周年コスモスが咲くようになった。((百科事典マイペディア))

⦿ コスモス(kosmos)= 整然たる秩序としての世界を表すギリシア語で,その反意語は,世界の生成以前の混沌を表すカオス。このコスモスという語は,今日では一般に,価値的な観点と融合した,あるいはまだそれから全面的には脱却していない近代以前の世界像を指すのに用いられる。この語は元来〈整頓〉〈装飾〉〈秩序〉を意味する言葉で,英語cosmeticが化粧品の意であることにうかがえるように,女性が服飾や化粧で装いを凝らした状態や,軍隊や社会の規律や秩序を表現するために使われたが,後に自然界の秩序立った様相を示すのに転用され,ついには〈世界の秩序〉あるいは秩序の貫徹した〈世界〉そのものを意味する語へと変貌を遂げていった。ラテン語でほぼ同じ意味の語mundusが〈世界〉を表すために用いられるようになったのも,最初はこのギリシア語の訳語としてであり,とくにキケロやルクレティウスの著作を通してこの用法がラテン世界に普及していったといわれる。(以下略)(改定新版世界大百科事典)

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「徒然に日乗」( 526~532)

2024/10/06(日)昼前に、猫缶購入のためにあすみが丘(千葉市緑区)へ。いつも通りの商品を買う。総計16.000円也。ほぼ週に一回あて。その他におやつ類などを入れるとかなりの金額になる。▶雨模様だったが、何とか持ちこたえているよう。その間に段ボール類の償却を。買い物に行くと、買った品物は必ず段ボールに詰めるので、自然とたくさん溜まる。さらには天然水を入れた箱も、毎月のように一定個数が出るので、決められた期間ごとに処分する羽目に。▶まだ裏庭の清掃や除草はできていないので、見るからに荒れ放題。刈り取った草類は時間が経つと植木や草花などの園芸用の「腐葉土」にもなるので、それらを利用して、もう少し庭の手入れをしておきたい。気温もそれなりに下がってきたので、これからは、天気が許す限りはこまめに庭の手入れをするつもり。加えて、家屋の周囲の木々や竹類が相当に枝を伸ばしているので、これも可能な範囲で切り落としておきたい。それにしても、敷地内外の除草作業、今年は、これまでに何回したのだろうか。高温と降雨の繰り返しで、植物は、草類も含めて異様に成長が早い。(532)

◯2024/10/05(土)時たま雨が降るような、ぐずついた天気。▶昨夕、かみさんが車のリアライトのカヴァーを庭のブロック塀の角にぶつけて壊した。大したことがなかったが、整備不良を問われるので、直さないわけにはいかない。修理のために自動車工場に立ち寄り、見積もりと修理予定日を聞いた。来週の中ごろに修理に入るということだった。メーカーの純正部品なのだろうが、相当に高額(工賃込みで26千円)だったのには驚いた。▶その足で、いくつかの食料品など購入するために、茂原まで。(531)

◯2024/10/04(金)朝方は小雨。日が出てきては一雨と、はっきりしない空模様。午後からは日差しも強く、おそらく屋外では30℃を超えた。▶石破内閣が発足し、国会での首相の所信表明だったそうだ。ぼくにはまったく関心外の出来事。新総理は「右顧左眄」が得意芸の持ち主だとみる。相手や状況によって、どういう発言をすれば己が評価されるか、それを判断の基準にしているに違いない。要するに「口説の徒」に類する人だ。それが首相になったのだから、口説をいったん封じて実践家にならねばなるまい。その際に基軸は、自分が悪く思われないために「口説」を弄し、結局は「口だけ」の人間であることが変えられない、そんな寸足らずの総理だとしたら、ずいぶんとコケ脅しということになろう。▶ただ今、午後10時。室温27.4℃、湿度77%。(530)

◯2024/10/03(木)朝、6時半に生ごみ出し。▶夕方、アメリカから「大統領の犯罪」にかかわる特別検察官による「捜査文書」が公開された、そのテレビ(ネット番組)報道をみて、いまさらのようにとんでもない「人物」が大統領にまでたどり着いたものと、驚愕を覚えている。「デモクラシー」の申し子を自認しえた国だからこそ、それゆえに起こるべくして起こった「歴史的事変(政権強奪)」だったと思う。憲法を蹂躙した人間、いわば「クーデター」を執拗に試みてきた「元大統領」が、再び共和党の候補者に圧倒的支持のもとになっているという事実も、それに劣らず我が小心を震撼させた。どんなに悪にまみれたものでも、いったん候補者になれば、勝敗は、あからさまな優劣の差によって決まらないところに、デモクラシーの防ぎようのない「陥穽」があるのだと思う。そのことを考えれば、ある種の「腐った偶像」と雖も、それを妄信する信者が生み出されるのだから、人間の「判断力」は、まるであってなきが如しというほかない。この先の展開が注目される。(529)

◯2024/10/02(水)昼過ぎに買い物。昨日とは一転、いつも出掛ける茂原市は最高32.6℃を記録。10月も真夏日が続くのか。南の海上では新たな台風(19号)も発生。熱波と強風・豪雨に痛めつけられる神無月になりそう。▶それにしても、アメリカのハリケーンの威力は桁外れだ。カリブ海から受けた強烈なエネルギーを思いきり溜め込んでの上陸。その被害の大きさ酷さに肝をつぶすばかり。遠くない将来に、この劣島にもこれほどの強大な颱風が襲ってこないとも限らない。異常気象の中で生きる、その臨海点・限度は直前だという感覚を持つ。▶アメリカの副大統領候補による討論会を見る。内容に関してはいろいろな評価があると思う。ディベートだから「勝ち負け」があるのだろう。それには興味がない。ここでも「JDV候補者」が実に見事に嘘をつくのを見せつけられた。まるで気持ちよく飲料水を飲み込むように気分を落ち着かせて、一気に嘘を垂れ流す。前大統領候補も嘘しか言わないような男。加えて、この副大統領候補者は驚くほど「暴力礼讃」に徹しているという感覚が拭えなかった。自らの「栄達?」のためには悪魔とも手を組むという塩梅。世界に充満している「政治家」は、誰も彼もが「嘘という空気」を吸って棲息しているのだ。洋の東西、古往今来を問わない「実際政治の原理」だということか。(528)

◯2024/10/01(火)神無月朔日。夜来の雨が続いている。房総南海上に台風17号が接近。いささか風速が心配されたが、何とか事なきを得る。続いて、沖縄近海に台風18号。これは勢力無比の強さで、油断ならない。劣島に上陸の懼れありと予報。▶アメリカフロリダ半島にハリケーン(へレーン)が上陸。甚大な被害が報じられている。午後三時現在で、死者は百三十人を超え、行方不明者数百人を数える。家屋の倒壊数知れず。アメリカにしてこの災厄あり。ハリケーンの恐ろしさを改めて知らされる。▶心配していた台風17号の影響は早い段階で解消。思ったほど雨も降らず、夕刻以降は天気も回復。とりあえずは一安心。(527)

◯2024/09/30(月)終日自宅に。曇り空の一日だった。▶自宅敷地の庭掃除を、と思いながらなかなか仕事がはかどらない。除草・枝落とし・剪定・竹の伐採などなど、日一日と延ばしている間に、仕事量が増えていく。屋根の樋掃除なども随分と間隔があいた。気になりつつ、体が動かないのだから、高齢を理由にしたくなるのも、われながら恥ずかしいが、それだけ心身(気力・体力)が衰えたということか。▶新総理に決定したI氏。早くも馬脚を現したということのか。「戦い済んで、ノーサイド」とは言うものの、要するに「論功行賞」人事だし、八方に気を配りながらの「権力行使」など、言葉の矛盾だな。派閥解消といいつつ、名前が消えただけの「旧派閥」体制は、ある面では温存されているし、やがて「合従連衡」で、昨日の友は今日の敵、敵の敵は友達などと、いかにもこの政党の伝統に相応しい、談合に明け暮れ、やがて瓦解する、そんな先行きが見えているよう。(526)

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保守とは横町の蕎麦屋を守ること

▣ 週の初めに愚考する(第参拾九)~ 「保守とは横町の蕎麦屋を守ることである」といったのは福田恒存(つねあり)さん。文壇にあって、何かと物議をかもすのを得意とした評論家であり、文学者で、かつ演劇人であり、シェークスピア研究者としても一流の域にあった人。学生時代、まだ右も左もわからず、方向感覚が育っていない時代、ぼくは福田さんの「評論」「批評」に大いに触発されたことを記憶している。何が快かったのか、今となれば曖昧になりましたが、まあ、肩で風切る、颯爽とした出で立ちで、並みいる「教条派」「守旧派」を一刀両断する趣があったからだったと思う。無知な若者の「彷徨・漂泊時代」でしたから、蒙昧な存在意識がその拠り所を求めていたのかもしれないし、誰でもいいから名のある文学者たちの仕事部屋を覗いてみただけだったかもしれません。当時においても、ぼくは福田さんは保守派の論客だと思わなかったが、時代が降るにつれて、まるで一方の雄(神棚)に祭り上げられた気がしています。だんだんと、時代とともに右寄りに変更した感があるのは、福田さんの側に理由があるというより、むしろその周辺の有象無象が、彼をして右への移動を成し遂げたかのようだった。(それはまた、別のテーマで)

 幸か不幸か、ぼくは「保守」にも「革新」にもたどり着くことはできず、爾来、文字通り「右往左往」しながら(自分では「右顧左眄」ではないと思っている)、ついには、右にも左にも落ち着くべき居所は見つからなかった。「彷徨(さまよい)」は今に至るも続いています。「保守とは横町の蕎麦屋を守ること」なのかどうか、ぼくには断言はできない。その謂わんとするところは、古くからある「心地よさ」「そこに店を構えていることが日常の風景」、それを福田さんは「保守」と呼んだのかもしれないが、何よりも「蕎麦屋」が忽然と消えてなくなる世の中ですし、その拠点だった横丁すら消滅する時代、そんなこんなで、いまどき「横町蕎麦屋的保守派」などといって、どこの世界の話かと訝られそうです。

 「自分の生活スタイルを保持すること、そのために失われやすいものに対して、鋭敏に、かつ能動的に活動する精神」と定義された福田流「保守」のお眼鏡にかなうものは、昭和三十年、四十年代当時もいなかったと思う。当然、今日においてはなおさらのと、です。ここが福田恒存さんの偏屈・面倒なところで、「自分の生活のスタイルを固守」するというのが保守、そういう指摘は理解できますが、「(それには)鋭敏に、かつ能動的に活動する精神」が欠かせないというのは、すでに、従来からの「保守」の域を超えているんじゃないでしょうか。「守るために変革する」という保守主義は、英国譲りの「保守(conservatism)」で、いかにも英文学研究者だった福田恒存さんの一面目ではありました。

 新しい総理大臣に選ばれた(「当選」した、といいたい。それは彼にとって、まるで「宝くじ」を買い続けて、初めて高額当選するような僥倖でしたから)石破某、彼は自らを「保守政治家」と規定している。何でもかんでも「守る」のだから、保守派、国防族です。ならば、名も「茂」ではなく「守」に改名したらどうですか。世間では野党とされる立民党の野田某代表と、石破某を並べたら、ぼくなどにはどちらが「保守政治家」か判断がつきません。以前から、この国には与党(保守)ばかりで、革新は「共産党」だけといってきました。ますますその感を強めています。(共産党もかなり保守的になっていますが)しかるに、保守だからこそ、常に点検を怠らないようにという姿勢は絶えて見られないのが、「政治における「保守」「保守党」です。つまりはいささかの移動・旋回・転向も我慢できない「守旧派」の別名でもあるでしょう。

【新生面】何を守るのか 文芸評論家の福田和也さんが先月、亡くなった。保守派の論客であり美食家としても知られた人らしく、昨年刊行された近著では、コロナ禍中のなじみの店を訪ねながら、保守の在りように思いを巡らせていた▼『保守とは横丁[よこちょう]の蕎麦[そば]屋を守ることである』。思想の先達としていた評論家・福田恒存の言葉を書題としたその随筆によると、保守の信条とは「自分の生活スタイルを保持すること、そのために失われやすいものに対して、鋭敏に、かつ能動的に活動する精神」だという▼石破茂首相が一昨日、就任後初の所信表明演説を行った。総裁選直前に『保守政治家』との自著を出した石破氏である。演説ではルール、国民など「5本の柱を守る」と目指す政治スタイルを示した▼明日からは代表質問が始まり、9日には党首討論が予定されている。中でも衆院選に向け「穏健な保守層を狙う」としている立憲民主党の野田佳彦代表と、どんな初手合わせとなるのか注目したい▼ただ国会論戦を前に、石破氏の姿勢がぶれ始めているのが気になる。総裁選では予算委員会開催を念頭に、「国民に判断材料を提供する必要がある」と強調していたが、党首討論後に即解散となりそうだ。さらに裏金議員の原則公認を検討と聞くと、ルール、国民を差し置いて何を守るのかと思う▼前述の著作で石破氏は次のように記している。「少数意見を大切にし、国会では野党の質問にも丁寧に答える。それが保守のあり方です」。その信条を守れるか-が早くも危うい。(熊本日日新聞・2024/10/06)

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 「個人と集団」という視点に立つとき、保守派の多くは「集団」=「国家」に優先権を与えます。国家大事であって、その根幹(単位)をなすのが「家制度」だから、「夫婦別姓」は論外となるのは、見え透いた「理屈」です。「家族」があって、それを単位とした大家族、つまりは「国という家」が成り立ち存続するという教義です。換言すれば、国家あっての国民、そんな捉え方でしょう。新しいような、それでいて古色蒼然とした「教条主義(イデオロギー)」ではありませんか。まるで「公地公民」を、ぼくには彷彿とさせます。新総理は、元来はこちこちの「保守反動」です。その実態は、今でもまったく変わっていないと、ぼくはみている。一時期から、彼は口当たり・耳にやさしい政論を吐いてきましたが、党内孤児としては、何を言おうが波風が立たないという、気楽さもあり、あるいは破れかぶれのなせる業でしたね。国があっての国民、そんな目出度い「国家第一主義者」です。名もない民衆(人民)が集まって作ったのが「国」という箱(入れ物)だった、それが歴史の事実です。「鶏が先か、卵が先か」の比ではないんです。

 国が最優先するのだから、「人権(権利)」も国から与えられ、それに応じて「義務」も国家から課されるという「国家家父長」主義です。国家のために、国民たるものは、いわば「滅私奉公」すべきだという無体な思考の持ち主だったし、今も変わらないと捉えるなら、まさしく「時代物」というほかありません。ぼくは、今のこの国の政治や政治家に何かを期待するという「楽天グループ」には所属していない。国家が飛ばす火の粉が降りかかるなら、万難を排し、身を挺して消し方に回る。

 「少数意見を大切にし、国会では野党の質問にも丁寧に答える。それが保守のあり方です」と洒落たことを言う。「国民の納得と共感を得られる政治を実践することにより、政治に対する信頼を取り戻し、日本の未来を創り、日本の未来を守り抜く決意だ」(初の「所信表明演説」より。2024/10/04))このところの「歴代首相」の演説(ことば)は「真に迫る」「心に響く」ところ皆無です。他人が書いた原稿を棒読みする(自分が書いたにしても)ばかりでは、迫真、衷心からは程遠いのです。その理由は、仮初(かりそめ)にも、そこに魂を込める気がないからでしょうね。

 総裁任期は三年であるという。ぼく(だけではないと思う)にとっては、「石の上にも三年」、いや、正しくは「石破の下にも三年(限り)」になることは避けられない。その間に寿命が尽きる気がします。「往生際」は汚したくないものです。

⦿ ほ‐しゅ【保守】① ( ━する ) 正常な状態などを保ち、それが損じないようにすること。ほうしゅ。②旧来の習慣、制度、組織、方法などを重んじ、それを保存しようとすること。また、その立場。ほうしゅ。(精選版日本国語大辞典)
⦿ …政治勢力を二分法的に分類するときに用いられる用語で,〈保守〉が一般的に保守主義的立場に立つ勢力を,〈革新〉が反保守主義的立場に立つ勢力を,それぞれ総括的に指すが,もっぱら日本の自民党と社会党を中心とする〈55年体制〉下の政党勢力の配置状況に関連して用いられてきた。この場合,〈保守〉は自民党を中心とする政治勢力を,〈革新〉は社会党を中心とする反自民勢力を意味する。…(世界大百科事典)
⦿ こうち‐こうみん【公地公民】〘 名詞 〙 令制における土地・人民の公有制を説明する用語。大化改新の詔によって私地私民制を廃し、収入公して天皇の土地・人民とした原則。戸籍によって国家に把握された公民は、租庸調を課された人民で、貴族・僧侶・賤民を含まない。奈良時代には過重な負担からのがれて浮浪し逃亡する公民が後をたたず、一方、天平一五年(七四三)墾田永年私財法によって土地公有の原則がくずれ、ここに公地公民制の崩壊は決定的となる。ただし、「公民」の語は律令には使用されていないなど、近代歴史学が用いた学術用語であり、律令法とは必ずしも一致しない。(精選版日本国語大辞典)

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