「名もなく貧しく美しく」の文化

 室戸市佐喜浜町の国道55号沿いにある畑のコスモス約8万本が見頃を迎えた。赤や白、ピンクの花びらが秋風に揺れ、地域住民らの目を楽しませている。/コスモスは、佐喜浜町の女性有志でつくる「佐喜浜コスモス希望の会」が2017年から栽培。佐喜浜中学校近くの水田約30アールを農閑期に活用し、9月上旬にメンバーが種をまいた。/コスモスは順調に成長し、例年並みに開花。今月下旬まで楽しめるといい、メンバーは「色鮮やかに咲いたコスモスを見て癒やされに来てほしい」と呼びかけている。/同会は16日午前10時ごろから畑の一角でこけらずしや餅などの軽食販売を行う。(板垣篤志)(高知新聞・2024/11/14)(ヘッダー写真も)

 この時期にもなお「コスモス」が満開だという。高知県室戸市の有志たちが育てられているコスモスの園。こちらは八万本。数の多さを競うのではないでしょうが、上には上があるもので、栃木の益子では1000万本。北海道や神奈川にもそれくらいの数を誇るコスモス畑があります。京都の亀岡市は800万本。不思議というか、好きになるときがないというべきか。別段、数の多さを競おう、誇ろうとした結果ではなく、コスモス好きが嵩じて、ここまでのものになったのでしょうか。恐るべし、ですね。その維持や管理の任に当たるのは一人や二人ではなく、地域に住む多くの人々の共同作業によると考えられます。この「結(ゆい)」という共同奉仕は、この社会の伝統にもなって来たでしょう。

 コスモスの盛りは、多くの地域では十月の半ばころが見ごろでしょう。しかし、その年の天候(気温)などの影響で遅くなったり早くなったり。この時期は、劣島各地の「紅葉」「黄葉」がそれぞれに見ごろを迎えて、休日には大変な混雑ぶりです。

(上左・コスモス1000万本が見頃 SLとの競演も 栃木・益子。2022/10/2)(上中・800万本のコスモスが見頃を迎えた「京都丹波/亀岡。2024/10/18)(上右・1000万本のコスモス 10アールのピンクの絨毯 北海道遠軽町。2022/09/08)

 ぼくは、根が出不精ですから、見ごろになるからと、あちこちに出かけることはまずない。第一に人ごみが大嫌いですから、いわゆる観光・見物などという趣味はまったくないも同然。今を盛りと咲き誇る草花を、写真やテレビの画面を見るだけで堪能しています。コスモスも、現在地に越してくる直前、引っ越し準備のために何度も通い続けた途中の田んぼに、誰が育てたか、かなりの数のコスモスが咲いていたのをしばしば見ました。それも、やがて姿を見なくなったのは、どういう事情があったのか。ある時偶然目にして、またある時忽然と姿が消えたとい次第でした。コスモスに限りませんが、とにかく数が勝負だという、ある種の風潮が多く見られます。あまりいい傾向ではないと思いますね。百万本とか一千万本などと自慢げに宣伝していますが、なぜ百万本、一千万本なのか。

 京都に「百万遍」という地名があります(左写真)。元来は、浄土宗の「百万遍念仏」を指します。正確に百万遍唱える集団による読経のことですが、やがて、それが一般化して、数限りないことのたとえとして「百万遍」ということになったらしい。たくさん唱えれば、ご利益があるというのです。(百万遍は、また「知恩寺」の別名でもあります)つまりは数えきれないくらいにたくさんあるのを「百万云々」というのでしょう。「百万本のバラ」などという恋歌もあるくらいです。でも100万本や800万本という数が売りになっていますから、誰かが数えたのかもしれない。数が多いのはいいことだという、ある種の貧乏性が顔を出しているようだと、本物の貧乏性のぼくなどは言いたくなります。コスモスは「宇宙(kosmos)」を意味しますから、800万や1000万の宇宙とはどういうことかと大いに訝るのです。それでも、これだけの数を見事に育て上げるのですから、その丹精ぶりには頭が下がります。無条件に感心します。

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 もう何年も前にテレビで見た情景が忘れられません。一人の男性が、中学校を終えたばかりのころから、遠大な計画を着々と実現するさまを記録したものでした。地名も人物名も忘れましたが、なんと60年以上の歳月をかけて、たった一人で山を切り開き、そこにさまざまな植物や草花を移植し、池を掘り、山を削り、丘を作りと、文字通りに粒粒辛苦の歳月を実らせておられた。確か中学校を卒業して、わずかの元手を手にして、以来「楽園づくり」に生涯を賭され、費やされたのでした。今はどうなっているかぼくは知りませんけれど、その打ち込み方に、ぼくは図らずも深く打たれました。その昔「木を植えた男」というタイトルの本(ジャン・ジオノ作)がベストセラーになったことがあります。北海道の男性は、実人生を「植物園・花園・鳥や蝶たちの郷」づくりに懸けたのでした。深く感動しましたね。

 「この人を見よ(ecce homo)!」

● 『木を植えた男』(きをうえたおとこ、フランス語:L’Homme qui plantait des arbres)は、フランスの作家ジャン・ジオノの短編小説である。1953年発表。/主人公である「私」が、人知れず荒野で植樹を続ける男エルゼアール・ブフィエ(Elzéard Bouffier)と出会い、男の活動により森が再生していく様子を回想として記すという形式をとる。しばしばノンフィクションであると誤解されるが、完全なフィクションである。/1987年には同作を原作として、フレデリック・バックの監督・脚本で同名の短編アニメが公開された。1987年アカデミー短編アニメ賞受賞、ほかいくつかの賞を受賞した。このほか、1989年にはバックが描き下ろしたイラストを用いた絵本が発表されている。/邦題はほかに『木を植えた人』など。男の名前が「ブッフィエ」などとされているものもある。(Wikipedia)

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 この島国は、陸地が三割、山地が七割と言われてきました。国土の七割を占める山にはたくさんの樹木が茂り続けてきました。もちろん、それを植え続けてきた人々のバトンタッチがあってのことだったでしょう。すべてが人間の手になるというのではありません。高温多湿は、植物には好適の環境だったから、自然のまま、実生から成長するものもあったことは確かです。しかし、たくさんの木々を育て実らせるには、どうしてもそこに人間の「働きかけ」が必要でした。自然環境への人間による「働きかけ」、いわゆる「手入れ」「耕作」「栽培」です。これこそが、「文化(culture)」という語の本来の意味だった。「木を植えた男」は小説ですけれど、多くの人の心を打った。そして、ぼくたちは知らないだけで、実は、これまでにも無数の「木を植えた人々」がいたからこそ、この劣島の景観や環境が保たれてきたのだということです。荒れ地を耕す働きが、人間の生活の出発地点でした。それは今も変わらないままです。

 ここに、ほんの数人の「木を植えた人」を紹介したいのですけれど、本日は止めておきます。歴史のそれぞれのページには、名もない(名を残そうとはしなかった)人たちの文化(生活)の受け渡しで埋め尽くされています。英雄や豪傑、政治家など、歴史に登場する・したがる人物は、何ということもないのです。圧倒的多数の「名のない民衆」が、生活(文化)の連続(リレー)を放擲しなかったからこそ、ぼくたちの「現在」があるともいえるでしょう。各地で盛況を見ている「コスモス畑」も、たくさんの「名もない人々」の共同作業で維持され管理されてきたのです。恐らく、この社会の歴史の継承をそこに見るのは、決して間違いではないでしょう。

 <Nameless, poor and beautiful>という生き方の流儀に、一時期の迷い(若いころの過ち)はあったかもしれないが、結局、ぼくはこれまでずっと、この流儀に憧れてきましたと言えそうだし、そう言いきれれば、我が生、余事なしです。。

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 明日も日和で ヤレホンニサ なぎるやら

〖朝凪(あさなぎ)〗 三十数年前、子どもの頃に経験したある出来事が脳裏をよぎる。留守番中、遠縁を名乗る男性が訪ねてきた。男性は「入学祝いだ。お父さんか、お母さんに渡しといて」と祝儀袋を玄関に置いてそそくさと帰った。誰への祝い? 私を含めて直近に入学した家族はいなかった。/その晩、両親は祝儀袋を急いで返した。郷里では選挙が近づいていた。記憶は定かではないが、男性は候補者か候補者の熱心な支援者だった。こちらは両親に「何で受け取ったんだ」と一方的に叱られ、男性への不信感がしばらく消えなかった。/「政治とカネ」の問題で、広島市安芸区では市議の辞職、失職が繰り返されている。12月にある補選は、この6年で3度目という異常事態だ。各候補には論戦を通じ、政治不信を抱く有権者に選択肢を示してほしい。(社会担当・渡辺裕明)(「記者コラム」中國新聞・2024/11/14)

 「凪」は「なぎ」で、動詞形は「なぐ」です。また「和ぎ」と書いて「な(ぎ)」と訓じます。その意味は「風がやんで、波がなくなり、海面が静まること。朝凪や夕凪」(デジタル大辞泉)その反対は「時化(しけ)」です。朝刊に「朝凪」欄があり、夕刊に「夕凪」欄があるというのは、どんなに穏やかな生活ぶりでしょうか。しかし、「凪」は時には「時化」を呼ぶ。油断めさるなという天気の教えでもあるでしょうか。「時化」は「湿気(しけ)」の当て字です。気分が塞ぐことを「しける」という。「湿気た顔」を見せるな、などという表現はよく使います。 この駄文集録では初めての紹介コラムですが、時には「いいなあ」とか、「そうなんだ」というような納得ずくの記事が短文(320字程度)で書かれていると、なんだかこちらも気分がよくなりそうです、つまりは湿気てはいられないんですね。

 「天網恢恢疎にして漏らさず」という。「天が張りめぐらした網は広く、目が粗いようだが、悪人・悪事は決して取り逃がさないということ。天道は厳正であり、悪は早晩罰を受けるということで、悪事を戒める言葉」(デジタル大辞泉)とありますが、選挙違反の一つや二つ、悪事とも何とも思っていないのですね。むしろ「法網怪怪密にして漏らす」という塩梅です。

 真面目に「公職選挙法」など読んだことがないのは自慢にはなりませんが、今般の衆議院選で一躍脚光を浴びた「公党 T 代表」などには、「好色選挙法」だったかも、といいたくなります。彼の選挙区は香川ですけれど、饂飩(うどん)ばかりではなく、なかなかの「選挙熱心」県でもあります。選挙戦のさなかに「好色」の振る舞いでしたから、さぞかし「元気もりもり」だったでしょう。それにしても、どこまでも嘘を貫き通すのか、出だしが嘘なら、最後まで嘘を付き通すのがいいのでしょうが、なかなかそれは至難の業。くだんの「代表」もあえなく「撃沈」間違いなしです。議員辞職ですね。手に負えない連中が議員になりたがるのです。

 「朝凪」の記事に戻ります。広島が選挙・違反の話題になるのは、それだけ地域性というか、人間関係が濃密だということの逆証明でしょうか。ぼくも、ある事柄について、この「広島県民生」を味わったことが何度かあります。それはまた別稿で。時の法務大臣が妻の選挙に際して、当選を目論み、大変な買収工作を繰り返し、逮捕有罪となったことがありました。つい最近のこと。刑期を終えて出所した元法務大臣は「刑務所内の処遇」が酷(ひど)すぎると、その改革に乗り出されているのは、経験はものを言うということか。かみさんも選挙違反で有罪になったと思う。夫婦ともども悪質極まる派選挙違反で「赤じゅうたん」を踏みしめる国柄です。夫・唱婦随(不随)とはこのことか。「政治と金」という問題ではなく、「政治家(屋)と金」と言い直すべきでしょう。今では、国会議員全体が汚れているような有様です。「朝凪」どころの話ではないですね。ぼくは、新聞記者氏に対して、つくづく感心し、感動すらするのは、「性懲りもない」という性情、それもかなり重症の性情をお持ちだということです。

 「12月にある補選は、この6年で3度目という異常事態だ。各候補には論戦を通じ、政治不信を抱く有権者に選択肢を示してほしい」と、ぼくのような軟(やわ)な神経の持ち主ではとても言える「科白(カハク・セリフ)」ではありません。まだ高校生だった頃に、ぼくは新聞記者になろうかと夢想したことがあります。ならなくてよかったかどうか、今でもわかりませんが、たぶん「三日と務まらなかった」のは確かだと思う。新聞は「社会の木鐸」だなどと、今もって信じている人は一人もいないでしょうが、「木鐸」が聞いて呆れるような為体(ていたらく)です。これはこの島国に限りません。欧米の新聞社も例外ではないと言い切れるでしょう。アメリカなど、とんだ「先進国」です。つまり、この性情は、政治や生活に波風を立てないという流儀のなせる業ということでしょう。「大人になりなさいよ」

 とにかく「和ぎ」で行こう。「朝凪」というコラムは大事なことを教えてくれているようです。「明日の日和(ひより)は ヤレホンニサ なぎるやら」

波浮の港

磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和は ヤレホンニサ なぎるやら

船もせかれりゃ 出船の仕度
島の娘たちゃ 御神火(ごじんか)暮らし
なじょな心で ヤレホンニサ いるのやら

島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ
伊豆のいとこは 郵便だより
下田港は ヤレホンニサ 風だより

風は潮風 御神火おろし
島の娘たちゃ 出船の時にゃ
船のとも綱 ヤレホンニサ 泣いて解く

磯の鵜の鳥ゃ 沖から磯へ
泣いて送らにゃ 出船もにぶる
明日も日和で ヤレホンニサ なぎるやら
(野口雨情・詞、中山晋平・曲 1928)

(*左写真:波浮の港,東京都下大島町)

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毒にも薬にもならないよりは…

 昨日の熊日コラム「新生面」には「ドクダミ」をはじめ、各種野草の料理について書かれていました。だれもが知っていて、誰もが、それほど好まない「雑草のかずかず」。「雑草などという草はない」と誰かがおっしゃいました。これも同じ人だったか、「名もない草など、何処にもない」と。その代表格は「ドクダミ」だと言えば、罰が当たるか。コラム氏も「放っておくと砂利の間からいくらでも生えてくる。強い臭いが手に残るのでおっくうだった」と大変に好まれなかった様子がわかります。ところが、不思議というか、現金なもので、見方、接し方が変われば、好みも変わるの例え通り、野草の魅力を伝える趣味人に出会って、その態度が正反対に変わった(と思う)。「ドクダミのてんぷらは、ほんのり残るえぐみが癖になりそうなほど味わい深い」とまでいう。この後も、この「深い味わい」がコラム氏に残るといいのですが。

 (下写真:左より「ドクダミ」「イヌコウジュ」「スベリヒユ」「セイタカアワダチソウ」「カラムシ」)

【新生面】野草の魅力 単身赴任先から自宅に帰ると、家族から命じられるのが玄関前のドクダミ抜きだ。放っておくと砂利の間からいくらでも生えてくる。強い臭いが手に残るのでおっくうだった▼そんな考えが、山本愛子さん(46)との出会いをきっかけに変わった。山本さんは上天草市松島町の古民家を改修した「教良木ベース」で、野草料理を楽しんだり、野草の魅力を伝えるワークショップを開いたりしている▼山本さんの料理を食べて驚いた。イヌコウジュを使った鶏胸肉の香草焼き、スベリヒユのからしあえ…。食材は森や庭に当たり前に生えている草ばかり。やっかいものだと思っていたセイタカアワダチソウは、ジャガイモのチーズ焼きにアクセントを添えていた。ドクダミのてんぷらは、ほんのり残るえぐみが癖になりそうなほど味わい深い▼海や山に囲まれた地域で暮らすと、その土地が持つ豊かな富に気付く。何しろ、野辺に生える草がごちそうになるのだ。「そこにあるもの」で過ごせる生活の何とぜいたくなことか▼都市部でせわしなく暮らしていると、足元の草花に目を向ける余裕も失いがちだ。けれど、目が回るほど働いて稼いだ金で買うものだけが、幸せをもたらしてくれるわけではない。山本さんの料理にはそんなメッセージが詰まっていた▼食べられる野草を見つけ出すひとときも楽しい。早速、覚えたのは「ごつい大葉」のようなカラムシ。玄関前のドクダミと一緒にてんぷらにしたら、家族は驚くだろうか。食卓を想像し、少し心が弾む。(熊本日日新聞・2024/11/13)

 拙宅の裏庭は「ドクダミの苑」とでも言いたくなるように、今を盛りに繁殖しています。かみさんと二人暮らしで、これを「天ぷら」にして「ほんのり残るえぐみ」を賞味しようとしたら、どれくらい食べられるか。どこまでいっても、きりがないくらいに繁茂する。さらには「セイタカアワダチソウ」などは、野にも山にも「ぐんぐん茂る」で、今だって、自宅前の空き地いっぱいに、おそらく2メートルはあろうかというほどに成熟しています。草茫々、その草をかき分けなければ家に入れないことになるのではと、時には恐れたりしています。ぼくは、これまでに何度も「ドクダミ」のお世話になってきた。小さいころから何かにつけて利用していました。別名は「暮らしに役立つ万能薬草」でしたから。だからと言って、それが当たり前に生活の友となったかというとそうではありません。何事に限らず、マメでないといけません、という教え(戒め)です。

ドクダミは東アジア原産のドクダミ科の多年草です。日陰や湿地を好みます。ドクダミの花名の由来は、毒や傷みを抑える効果を持つことから「毒痛み」が転じたと言われる説と、葉の特有の匂いが毒ではないかといわれたことで「ドクダメ」と呼ばれるようになり、それが「ドクダミ」になったという説があります。また、別名「十薬」と呼ばれ、十種類の薬効があると言われ古くから薬草として使われてきました。
ドクダミの開花時期は5月~6月で、茎先に十字型の白い花を咲かせます。ドクダミの白い花びらのように見える部分は実は葉が変化した総苞片で、花は中心の突出した黄色い部分のみです。ただし便宜上、この白い総苞片を花と呼んでいます。
ドクダミの花言葉「白い追憶」は、子供の頃、ドクダミを嗅いだことやケガをしたときにドクダミの葉で手当てをしてもらったことなど、暮らしの中にあったドクダミにまつわる懐かしい記憶が由来とされています。もう一つの花言葉「野生」は、地下茎で繁殖していくたくましさからつけられたようです。(LOVE GREE・https://lovegreen.net/languageofflower/p150485/)

 それらの草花にはどこかしらに「厄介者」、「邪魔者」という気分が消えうせないで残っています。今だってそうで、根こそぎ切り取ってしまおうかと、鍬を取るのですが、いずれまた生じるであろうから、適当に付き合うことにしようかとなる。能登半島の田舎生まれでしたから、「生薬」というものの世話になった記憶は強くあります。「ゲンノショウコ」などもその典型でした。コラム氏が出されている主だった野の草花はいずれも大切な生薬(しょうやく)でした。世に「毒にも薬にもならない」などという。「害もなく益もない。じゃまにもならないが、たいして役にも立たない」(デジタル大辞泉)という、あってもなくても、どうでもいいもののを言い当てています。反対に、毒になるなら、薬にもなるともいわれる。また「薬も過ぎれば毒となる」とさえ言います。度を越せば、なんだって身体に悪いのですが、どうしても度を超すという悪癖(弱さ)もまた、人間にはある。

 「酒は百薬の長」というのなどはその代表です。飲みすぎれば、「いのちを削る鉋(かんな」」などとも。何事も「程」があるというのでしょうし、その「程」は人それぞれだから面倒です。裏庭に繁茂している「ドクダミ」も、ほどほどに収まっていればかわいいのでしょうが、どうしても広がろう、もっと繁ろうと分を超える(越えたくなる)。それを見ると、一気に除草してやろうとなるのでしょうか。さらに、あらゆる木々に絡まって伸びるのが「ヤブガラシ」、こんなに繁殖力の強い植物もあるものだと、かえって感心するほどです。

 毎年草取り(除草)に追いかけられている身としては、適度に手を休めて、いろいろな草花といっしょに生活しているという感覚になってきました。先ごろ京都から来た友人が「家の周りの樹木などが大きくなりすぎて、手を入れないと大変なことになるで」と忠告してくれました。彼は京都高尾の近くで製材所をしている。雨が多く、陽差しも強ければ、万物みな育ついう次第で、拙宅の住人ともども、樹木や草花に埋もれて住んでいるのですが、これこそ文字通りに「陋屋(ろうおく)」「あばら屋」の境涯というものでしょう。

 まったく知識はありませんけれど、いわゆる「雑草」などと嫌われてきた多くの草花は、そのほとんどは「生薬(しょうやく)」として利用されてきました。大和本草学などという領域には長い歴史と知見があり、江戸時代には一時代を画しました。それをどこかでていねいに学んでおけばと、時には思ったりしたことはありますが、ついにそこに至らなかったのも、中途半端な人間の性(さが)というのでしょうか、思い出したように、先学の書を手に取るばかりでした。

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北海道空知郡栗沢村上美流渡鉱

【卓上四季】恩師の手紙 行きつけの書店でエッセーの棚をぼんやり見ていた。表紙に並木の絵をあしらった小ぶりな本が気になった。回想集「落ち穂ひろい」(あけび書房)。ページをめくっていると、めったに目にしない地名が出てきた▼<北海道空知郡栗沢村上美流渡(かみみると)鉱>。美流渡はいまの岩見沢の山間部に位置する。96歳になる著者の歌人、碓田(うすだ)のぼるさんには大切な思い出につながる土地だ▼1945年の冬。国鉄長野工場の見習工だった碓田少年は美流渡に赴く。敗戦直後の極端な労働力不足を補うため、当地のちいさな炭鉱で採掘に従事した。ボタ山や炭住、共同風呂の記憶は鮮やかだ▼あの住所は、手元に残る古い手紙に記されていた。差出人は小学校の担任だった恩師である。卒業後も文通していた。先生はおしろいの香りをほのかに漂わせ、着物の帯を締め直してくれた。<どうか、少し位の悲しみ、苦しみにもまけないで>。やさしい励ましがときに届いた▼文通は互いに住所や境遇が変わっても約30年続いた。碓田さんは啄木研究者としても活動してきた。関わりのあった文学者らを本書で回顧する。冒頭を飾るのが美流渡が出てくる一編「恩師の幻」だ▼郵便料金が30年ぶりに改定され値上がりした。懐には厳しいけれど、便りだからこそ伝わることもある。懐かしい人に一筆したためようか。(北海道新聞・2024/11/13)

 (ヘッダー写真は「ジャン・フランソワ・ミレー『落ち穂拾い』1855年」:エッチング,・ムステルダム国立美術館)

〈碓田のぼる(うすだ・のぼる)1928年長野県生まれ。歌人。渡辺順三に師事。新日本歌人協会代表幹事など歴任。国際啄木学会、日本民主主義文学会会員。歌集『花どき』で第10回多喜二・百合子賞受賞(1978年)。歌集に『歴史』『信濃』『くれない』、評論集に『渡辺順三研究』『火を継ぐもの 回想の歌人たち』『石川啄木と「大逆事件」』『啄木断章』『一九三〇年代「教労運動」とその歌人たち』『石川啄木と労働者―「工場法」とストライキをめぐり』など。)(上記内容は「落ち穂ひろい」刊行時〈2023年〉のものです)

  「恩師」という語で、どれだけの想像力が働くだろうか。ごく常識的な理解をするなら、学校時代などに教えを受けた「先生」を指すでしょう。しかし、どんな「先生」も、すべてがだれかの「恩師」になるのではないから、そこには独特の、あるいは特別の意味が込められているに違いありません。もちろん、「恩師」は学校の先生に限らないのは言うまでもありません。そう断っておいて、さて、「君にはどんな恩師がいたか?」と尋ねられたら、たちまちにぼくは困惑する。悲しいかな、「恩師」と呼びたくなる「教師」「先生」は一人もいないからです。これはぼくの最大の不幸かもしれません。これまで八十年間生きてきて、一人として「恩師」と呼びたくなる、呼べるような存在に出会えなかったのは、返す返すも不幸の極みだといえるかもしれない。教えられた人は無数にいたし、尊敬に値すると心底思わされた人もたくさんいました。それでも、「恩師」という名で呼びたくなる存在は、たったの一人もいなかった。残念というべきか、あるいは「恩師」などと呼べるような「先人(先生)」と、当人との関係はどうだったかを考えると、一概に「恩師」呼ばわりは、ぼくにはできない相談ともいいたくなる。

 本日の「卓上四季」は、そういう「恩師」のいないぼくからすれば、羨ましい限りの「追想の恩師」でした。まず、そこに触れられている「碓田のぼる」氏にはまったく知識がない。初めて聞くお名前であり、そのお仕事ぶりでした。ぼくの無知はともかく、こういう人が同時代に生きていると知るだけでも、何か「生きる」ことの値打ちというのか、人生の深さというものを教えられます。(早速に、碓田さんの「落ち穂ひろい」他数冊を注文しました)たくさんの著作(主なものは「歌集」です)をお持ちだということも知りました。(不勉強極まるという、わが怠慢を激しく呪っています)

 北海道には何度か行きましたが、ほとんどが所用だったり、観光見物だったりした。大半が車での移動でしたから、ゆっくりと土地に足を下ろして歩いたことはなかった。空知郡栗沢村上美流渡は夕張炭鉱の近くに位置しますから、おそらく従前は石炭で栄えていたのでしょうか。詳細は省略。コラム氏は当地の小学校の卒業生か、あるいは、その「恩師」は遠く離れたところから上美流渡の学校に勤務されていたのでしょうか。偶然本屋さんで見つけた著書に、なじみの地名が出ていた。そこからの連想で懐かしい「恩師の手紙」が思い出されたという。「先生はおしろいの香りをほのかに漂わせ、着物の帯を締め直してくれた」

 <どうか、少し位の悲しみ、苦しみにもまけないで>(まさしく、恩師ですね!)

 卒業後も三十年にわたり恩師との文通は続いたという。その「恩師」は健在だといわれているようでもあり、あるいはそうではなく、「恩師」ではない、コラム氏にとって「懐かしい人」に「一筆」と言われているかのようでもあります。このところの文意がよくわかりませんが、でも、「便りだからこそ伝わることもある。懐かしい人に一筆したためようか」と言われる、その心を慮(おもんぱか)ってみます。この数年は、一度として手紙を書いたこともないし、葉書もせいぜいが「年賀」代わりに出すくらいのもの。その昔は、一本の書状を出すにも「下書き」を作り、それを手直しし、清書して出したものです。

 何とも言えずに、ぼくが羨ましいと思うのは、このような「子弟」の関係です。これまでも偉そうに、ぼくは教室の外(卒業した後)にも続く関係の中に持続する「教育の働き」があるなどと言ってきました。教室の中に限定されない、教室や学校の外に広がり繋がる「教師と子ども」の関係にもまた、教育の名で表され「交際(コミュニケーション)」があるのだと。そうは言いながら、ぼく自身は、繰り返し言ってきたように、学校にも教師にも「信」を置いてこなかった。自ら望んだことだから、それを後悔しているのではありません。ひとえに羨ましいというのは、何年たっても「面影」が消えないままに、誰かと「交流」「厚誼」が変わらないで続くということに、です。自分にとって、その関係を「恩師」と呼ぶかどうかは、当事者の問題。名称に囚われないままに、「忘れ得ぬ先生」というものも、多くの人の中には記憶されているでしょう。

 (右上に出した「戸田城聖」という方をぼくは若いころに調べたことがあります。彼の師だった牧口常三郎氏に私淑し、後年、牧口氏は「創価教育学会(創価学会の前身)」を開き、戸田さんも入信。奇遇だと思うのは、牧口さんも戸田さんも北海道で「教員」をしていたことがあるのです。ことに、戸田さんは夕張炭鉱のある校区の学校に勤務されていたことがあった。それはコラム氏の通われた学校だったろうか。牧口さんは、柳田國男さんの主宰されていた、民俗学徒の集まり「郷土研究会」に真面目に参加されていた履歴があった。当時の牧口さんの風貌は、実に寡黙・実直・真面目だったと、柳田さんは書き残されいます。その牧口さんは治安維持法にかかわって拘束され、戦中の44年11月に獄死されています。戸田さんは、二代目の創価学会会長だったかと思う。一種の奇縁のようなものを感じたので、右の「恩師 戸田城聖先生」に触れた。牧口さんの「創価教育学」についても駄弁りたいが、それは稿を改めて。ぼくは何度か読んだものです。(親戚知人に「学会員」はいますが、ぼくは無信心・無信仰ものです)

 何事も時代のせいにするつもりはない。まして、自筆(直筆)がまったく尊重されない時代であるからこそ、「恩師の手紙」によって、ぼくは心を打たれる思いがしたのです。誰にも負けないくらいにぼくは筆不精であり、文章を書くのは葉書一本でも苦手です。今でも、年に数回は「書簡(手紙)」を戴くが、出す返信は「ワープロ」で作成という、実に味気ないものになっています。それゆえに、「恩師の手紙」にそこはかとない「滋味」を感じた次第です。(右は「あえて不便な暮らしがいい。北海道の森(美流渡)で始めたパン屋さん」・https://colocal.jp/topics/lifestyle/ecovillage/20160225_65793.html

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「口から出任せ」にも真あり

 少し横を向いている間に、国会が開かれ、「首班指名」が行われたというニュースが流れ、ある意味では、それで「持ち切り」です。「少数与党」はで政権運営に腐心、なんとか政権確立を暗中模索というのでしょうか。三十年ぶりの「首相選び、決選投票」と、新聞などは大騒ぎしています。けれども、そこにいくらかの緊張状態があるかと思いきや、ダレてしまって締まりがないこと夥(おびただ)しい。政権交代をと一方が叫べば、他方は「あんな連中」とは組めないと、つれない素振りをしてみせるが、何のことはない。拳を挙げて、足下ではつるんでいるという「下世話」なありさま。「同じ穴の狢」同然。その昔は「一強多弱」などと、圧倒的政権党の優位を持ち上げていたのも束の間、今では四分五裂で、「一強」の面影さえ見えないのは、実に「一驚に値する」か。政治というのではなく、政治のふり(偽装)花盛りですな。季節外れのニセ桜咲く、とでもいうべきか。

(ヘッダー写真「高知の紅葉2024 足を延ばして魚梁瀬の西川渓谷へ」高知新聞・2024/11/11)(https://www.kochinews.co.jp/article/detail/803304

 国内の選挙や、そこから結果する与野党の「数合わせ」、漢語を使うならば「合従連衡」には全く興味がありませんから、この話題には触れないことにしています。繰り返し述べてきたように、このところアメリカ大統領選挙の帰趨に大きな関心を持っていました。その結果は、ぼくの期待に反して「ファシスト」を自認していた候補が再登場することになったのは、他国ながら、政治の軌跡は「糾(あざな」える縄」のごとし。「ファシズムの傾向」がみられるのは、米国だけではなく、西欧の「先進国」と自称してきた多くの国でもその潮流は顕著です。その特質は「自国第一」、だから「移民排斥」、それが主調音になっています。その背景には「民族浄化」「自民族中心」というあり得ない「神話(myth)」を妄信しているからです。加えて、女性差別(蔑視)が加わる。というより、それぞれは一つの架空の物語(「白人優位」)に不可欠な要因となっている。その背景には「家父長制(Patriarchy)」があり、女性蔑視(差別)は、女性に自由を認めたならば、家父長制の砦を突き崩す端緒になるからでしょう。「ファシズムは家庭から」、これが「全体主義国家」の主題(テーマ)です。

 「共産党宣言(Manifest der Kommunistischen Partei)」「冒頭」で「現下の欧州に共産主義の幽霊が徘徊している」と、エンゲルスは書いています。1848年2月のことでした。爾来二百年弱。今、世界の「先進諸国のいたるところで、ファシズムという幽霊が横行・闊歩しています」と、どなたかが「ファシズム宣言」を書いていると考えても的は外れていないでしょう。政治家は突飛な嘘をつく。その嘘を何度でも繰り返す。やがてそれは「現実」に紛れ込んで、嘘であることが問題にはされないようになる。ヒトラーの為したこと、「非道徳」「不正義」の第一は、繰り返し虚言、妄言、それも突飛すぎる虚言をいやになるほど繰り返すことでした。嘘を真にするのがプロパガンダの要諦です。「瓢箪から駒」の実例には事欠きません。今、そのプロパガンダを忠実に模倣している「大統領予定者」がいます。彼は2016年に当選して以来、一貫して「虚言」を重ねてきました。その人物がアメリカの次期大統領。「移民排斥」を徹底して、強硬な移民政策をすでに発動しようとしている。また、「人工妊娠中絶禁止」を全米で実施しようと計画している。悍(おぞ)ましいこと限りありませんが、「人種差別」は「白人優位」主義者が必然的にもたらす政治的選択でしょう。

 小さいニュースのように思われましたが、以下のような「発言(妄言)」問題があった。少なくない人々が賛意を示すから、かかるとんでも発言が尽きないのですね。「いいことじゃないけど、言わねばならぬ」とでも、発言者は考えているのか。「言ってやったぜ!」

【大弦小弦】ディストピア小説と暴言 出生率の低下を危惧した独裁国家が女性から職業や財産を奪う。「侍女」の役割はエリート層の男性の子を産むこと-。カナダ人作家マーガレット・アトウッド氏は「侍女の物語」で衝撃的なディストピア(暗黒社会)を描いた▼1985年の小説だが、最近は米ドラマも配信されている。第1期トランプ政権の米国では、中絶禁止など現実の懸念と重なって大きな話題を呼んだ。原作から伝わるのは、女性を抑圧する社会への異議▼「30(歳)超えたら子宮摘出」。日本保守党の百田尚樹代表が配信番組で少子化対策として発言した。「小説家のSF」などと前置きし、出産には時間制限があることを言いたかったらしい。「女性は18歳から大学に行かさない」とも。暴論にあぜんとする▼「やってはいけないこととして例を挙げた」と謝罪したが、そうは受け取れない。例え話の根底に、少子化を止めるには女性の人権を制限するぐらいの社会変容が必要との考えが透ける▼結婚するか子どもを持つかは個人の選択。女性は子を産む道具ではない。望んでも子を授からない人や、病気で子宮を摘出せざるを得ない人もいる▼衆院選で要件を満たし、日本保守党は国政政党になった。その代表からひどい女性蔑視発言が出るとは。現実は小説よりも暗黒を感じる。(大門雅子)(沖縄新報・2024/11/12)

 この社会はどうでしょう。今般の選挙で初めて政党要件を満たした「日本保守党」代表の発言(本音)が、小波(さざなみ)を立てています。今のところは「小波」です。だが、小波立つということは、やがて大きな「津波」が来るのを予想させる。いかなる政策を考案してもこの社会を直撃している「少子化」の波音を消すことはできない。ならば、少々荒唐無稽でも、大げさで、過激なことを言わねば、この問題の歯止めにはならないとでも考えたのか。「少子化を止めるには女性の人権を制限するぐらいの社会変容が必要との考えが透ける」とコラム氏は指摘します。ここにも「擬似政治家」らしい、「いやらしい弁明」というか「言い訳」があります。ぼくは政治家の資格・資質には、何よりも「弁解」「弁明」「言い訳」能力が欠かせないと思っている。それは、結局は「誤魔化し」に他ならないのですが。嘘をつくのも、資質の一要素でしょう。言い訳や弁解がうまく行けば、それは「嘘」ではなくなるはず。嘘から出た真は真です。嘘が本当になるし、そうするのが政治家の重要な任務でもあろう。

 どうでもいいことですが、問題発言の「一部」を引用しておく。(その発言・妄言に含まれる思考は、どうでもいいことではない)

 「一連の発言があったのは8日配信の『ニュースあさ8時!』。同党事務総長の有本香氏らと少子化対策について議論した際に発言した。/有本氏は急速に少子化が進んでいることに触れ、『価値観が急激に変化している。子どもがいることイコール幸せになる、という絵図が描けていない。社会の価値観をどうやって取り戻すか、学者の知見を本来かりたいところ』と述べた。/ 百田氏は『これを覆すには社会構造を変えるしかない」と指摘。『これはええ言うてるんちゃうで』「小説家のSFと考えてください』と複数回前置きした上で、『女性は18歳から大学に行かさない』『25歳を超えて独身の場合は、生涯結婚できない法律にするとかね』などと発言。また有本氏が『子どもを産むには時間制限がある、ということを子どもたちに教えるべきだ』と指摘すると、百田氏は『30超えたら、子宮を摘出する、とか』と述べた。/ 一連の発言をめぐり、SNSなどでは批判が殺到。百田氏は9日夜、自身のX(旧ツイッター)のアカウントで「『やってはいけないこと』『あくまでSF』という前置きをくどいくらい言った上での『ディストピア的喩(たと)え』ではありましたが、私の表現のドギツさは否めないものがありました。不快に思われた人に謝罪します」と投稿していた」(朝日新聞・2024/11/10)

 「これはええ言うてるんちゃうで」と前置きして、きっちりと言う。「よくないことだが、言わねばならぬ」ということです。問題発言であると指摘されて、「それくらいのことをしないと社会構造の変革はできないという意味で言った。発言を撤回して謝罪したい」(前掲朝日新聞)ほとんど毎日のように、ぼくたちはこの手の「弁明」「言い訳」を聞かされています。「不快に思われた人に謝罪します」という理屈も潔くないですね。他人が不快に思うから取り消すという。思わなければ取り消さない。無思慮、無配慮が甚だしいと思う。問題はそこにはない。どう考えても「差別発言」、「問題発言」だから、金輪際それを禁句にするという宣言で、「取り消す」意味があるのです。肝心なことは、「取り消した」から「発言の中身(意図)」も消えるということは断じてないという点。つまりは「言ったもん勝ち」ですね。この手の「不誠実」「不公正」な「イデオロギー(原理)(教条)」が政治や政治家を侵食しています。やがて、その浸食の地から「ファシズム」という徒花は間違いなく開花する。

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魚、心あれば、水、心あり

【談話室】▼▽人気漫画「ゴルゴ13」で知られる故さいとう・たかをさんは8歳の時に終戦を迎えた。価値観が一変した世で極度の人間不信に陥る。「全てが欺瞞(ぎまん)に思えた」。学校をさぼり、教師にも避けられる悪童になってしまう。▼▽転機は中学時代に訪れた。ある試験で白紙の答案を出すと、担任にこう諭された。「白紙は結構だが、君の責任の下で出すのだから名前を書け」。この一言がさいとうさんの胸に刺さる。人間の約束事や責任の取り方について考えるようになる。担任は人生の師に変わった。▼▽東郷先生という名前だった。「ゴルゴ13」の主人公「デューク東郷」の名は恩師から拝借したのだ。いかに慕われていたかが伝わるエピソードである。同じように、生涯忘れられない恩師の記憶は人それぞれにあるだろう。教師の言葉は時に子どもの運命を変える力を持つ。▼▽その教師は今、業務多忙などを理由に敬遠され、なり手不足が深刻だ。この状況を踏まえ、山形大は教員養成に特化した教育学部を20年ぶりに復活させる構想を示した。現場の働き方改革は必須だろう。同時に、他の仕事にはない人を導くやりがいも若者に伝えていきたい。(山形新聞・2024/11/10)

 ぼくには取り返しのつかない「ミス」がいくつもあります。中学生ころまでは懸命に読んでいた「漫画」を、それ以降はまったく読まなくなったこともその一つ。そうなった理由はあるにはある。第一は、漫画を読む時間も惜しんで外で遊んだということ。漫画は「連載」が主であり、それを単発ものとして読むのは、漫画の持っている緊張感や醍醐味が薄れるからだったでしょうか。高校大学と進んで、一層読まなくなった。今から思っても、ぬかってしまったなという慙愧の念ばかりが噴き出します。テレビのアニメも見なかったので、驚くほどに、ぼくは漫画にも暗い人間です。もちろん「劇画」の世界も真っ暗でした。

 それはともかく、コラム「談話室」の記事が、ぼくの目に留まりました。いい記事でしたね。教師の面影がきらりと光るというべきか。咄嗟にこういうことを子どもに告げられる教師はすごいですね。「白紙は結構だが、君の責任の下で出すのだから名前を書け」これは事実で疑う余地はないのでしょうが、話半分にしても、「自分の責任」に甚く心を動かされた子ども(後のゴルゴか)にも、救いがあったと思う。例えれば「魚心に水心」だったかもしれません。あまり肯定的には使われなくなった「魚、心あれば、水、心あり」、誤解されないことを願うが、この両者の「ふれあい」「相応ずる刹那」に生まれているのが「教育」だと思ってきました。

 その謂いは「《魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心がある意から》相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になる。相手の出方しだいでこちらの応じ方が決まること。水心あれば魚心」(デジタル大辞泉)教師は「たった一度きりの言葉を探す人」であってほしいとぼくは願い続けている。この時、かけられた言葉に反応する相手の感性(感受性)も、普段から少なくとも教師に対して言わずもがなの敬意(水心)を持っていればこその「以心伝心」ではないでしょうか。「生涯忘れられない恩師の記憶は人それぞれにあるだろう。教師の言葉は時に子どもの運命を変える力を持つ」とコラム氏は言われます。そうであってほしいし、そういう繊細適切な(使い捨てできない)言葉を探す人間が教師であるなら、きっと少なくない子どもたちは救われるだろうという思いが深くなる。

  「山形大は教員養成に特化した教育学部」構想とあります。「教員養成」以外に教育学部の使命というか、存在根拠があるのでしょうか。奇妙な表現をされているのに、ぼくは驚く。あるいは「教育学部」は百貨店みたいな品揃えで、お客(志願者)を受け入れる学部となっている・いたのかもしれない。戦後に新発足した旧山形大学教育学部は、改組発展して別の学部になっていますので、山形師範学校時代からの歴史や機能を再確認する意味での新教育部学部構想なのでしょう。新たな構想から、教員志願者が続出することを望みたいもの。師範学校出身の教師を何人も知っています。旧教育学部の教師たちにも知人がいました。(すべての方が物故されました)

 それはともかく、現下のこの島社会の「教員不足」は深刻の度を極めています。卒業生で山形県の教員になった方も何人かいますが、その中で、よく思い出すのは、ある教科(国語?)の教師を目指していた方が、「採用枠が一人です。とても無理」と泣き言を言われていたが、「一人だって採用枠があるのだから、大丈夫。大丈夫、合格しますよ」と、口から出任せを言ったのではなかった。彼女なら真価が認められるとみていたからです。やがて「合格しました」と連絡が来ました。もう何十年も昔の話になりました。「他の仕事にはない人を導くやりがい」というものがどんなものか、はたしてどれだけの人間が、その「やりがい」をわかろうとしているか。「やりがい」とか「生きがい」とは、人それぞれに異なるでしょう。だから、「白紙答案を出した生徒」にかける言葉や見せる姿勢・態度も千差万別であっていい。誰もが「東郷先生」である必要も、「後年のゴルゴ13」であるべきだとも言いません。「魚心に水心」という、いわば仏教語でいう「応機接物(おうきせつぶつ)」に似た、不即不離のつながりが生まれるような、そんな関係を求め続けることを願うばかりです。

●さいとう・たかを= 漫画家。本名斎藤隆夫。大阪府生れ。福泉中学,理容専門学校を経て家業の理髪店を手伝いながら漫画を描く。1955年貸本漫画の出版社日の丸文庫より単行本《空気男爵》でデビュー。辰巳ヨシヒロらと貸本漫画界の中心的存在となる。手塚治虫の影響を受けた絵から次第に独自のリアルなタッチに変化していった彼らの作風は,辰巳の発案で〈劇画〉と命名された。1958年上京。1960年さいとうプロを設立。原作部門を設けるなど分業制を導入,出版も手がけるようになる。代表作に国際スパイ漫画《ゴルゴ13》(1969年―)のほか,《台風五郎》シリーズ,《無用の介》《影狩り》などがある。2003年紫綬褒章受章。1936~2021。(百科事典マイペディア)

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「徒然に日乗」(561~567)

〇2024/11/10(日)終日、曇り空で、時々雨粒が落ちてきたりする。▶お昼前に買い物。常用の品々を買う。▶本日の山形新聞のコラム「談話室」に素敵な記事が出ていた。山形は何度か訪れた地であり、生活綴方教師の仕事ぶりを調べたりして、ぼくには思いで深い場所だ。その山形にあるY大学に、ぼくの年下の友人がいる。工学部の教授のK君。彼を思いだして、メールを送ってしまった。なかなかに熱心な研究活動ぶりが外からもよくわかる。どうして彼に「談話室」一件を送ったか。いづれ、折を見てその経緯を書いてみたい。彼はもう五十を過ぎているだろうか。幼稚園に入るころからの知り合い。一時間後に返信があった。ことに大学受験を目指して、二年間だったかそれ以上だったか、毎週のように拙宅に来て、二時間も三時間もかけて、懸命に自習していた姿を昨日のように覚えています。「一別以来、三十六年です。お会いしたい」と。(567)

〇2024/11/09(土)午前中に郵便物が到着。卒業性の一人から、書籍が送られてきた。中を見ると「ちよだ文学賞」の最終候補作に入ったという「その坂道を」という作品。彼女は卒業後、二十年の教員生活をしつつ、小説を書いていた。その後、教職を辞して、小説書きに専心していられるらしい。これまでにも「2冊」ほども送っていただいた。精進されているのがよくわかる。ゆっくりと読んでみたい。▶台所の水栓が故障しているので、いろいろと部品などを調べてみたが、あまりにも古いもので、新規に取り換えるほかないと判断。以前にトイレや洗面、台所などを(新規に)設置してもらった会社に連絡。早速業者が、点検し見積もりを出してくれた。依頼したホームセンターまで、水道栓の商品選びのために出向く。ついでに風呂場のシャワーセットも一式取り換え。何しろ築三十年近くになる建物。いろいろと取り替え品が出てくるのも当然だろう。十一月の半ば過ぎの工事予定。(566)

〇2024/11/08(金)今朝は実に寒かった。そろそろ準備をと思っていたファンヒーターを出して、暖を取ることにした。朝の五時ころだったか。昨日は深夜十二時直前に起こされて、そのまま、床に入らないで、猫の帰りを待っている間に、深々と寒さが募ってきたのだ。おそらく10℃は楽に下回っていただろう。都内でも5℃だという。午前中に車に乗る必要があったが、終夜屋根付きの車置き場に止めておいたのに、車内は4℃だった。例年並みなのかどうか。昨日は「立冬」だというから、まさに「暦通り」の季節の展開か。▶台所の水栓の蛇口が故障したので、部品だけをと調べてみたが、すでに二十数年経過した品物、新規に取り替えの必要があるだろうし、工事を自分でやれないこともないだろうが、面倒なこともあって、結局は業者に依頼するつもり。▶元大統領の再選の「余韻」ではなく、落胆がなお続いている。この先、世界の反応はどうなるのか、なかなかに面倒な時代になったと思う。間違いなしに彼は「ファシスト」の道を今まで通りに進むだろう。大いに気になるところ、と言って、どうなるものでもないのだが。(565)

〇2024/11/07(木)~ 「健全な民主国家」はすべての国民を平等・公平に扱う法律によって統治され、治安の維持をあずかる人々を含めた国民「相互の尊重」という絆によって支えられている。ファシズムの「法と秩序」が市民を二つの階級に分けるためにあるのは明らかだ。つまり、生まれつき法に守られている「神に選ばれた国民」と、最初から法に守られていない「非合法の国民」に。ファシスト政治では、「女性の伝統的な役割」を果たさない女性や、非白人、同性愛者、移民、“頽廃的な世界市民〟、支配的宗教に属さない人々は、その存在自体が「法と秩序」に反していることになる。黒人を「法と秩序」を脅かす存在と形容することで、米国の先導政治家たちは「非白人の”脅威〟から守る必要がある白人国家」という強い帰属意識を創り出すことに成功してきた。いま、世界各地で同じような戦術を用いて、「不安に基づく敵味方の区別」が創り出されている ― 国民みんなを移民の受け入れに反対させるために。(ジェイソン・スタンリー「ファシズムは何処からやってくるか」(p.131)アメリカ大統領選挙が終わった直後だから、というのではなく、着々と進行しつつある「ファシズム」の猛威に感染しないために、ぼくたちは意識を鋭敏にしておかねばならない。再選された大統領の後釜には、もっと悪質な「ファシスト」派が控えている。長く続く「冬の時代」「暗い闇」にアメリカは入ったのだ。(564) 

〇2024/11/06(水)朝から米大統領選挙の開票ニュースを見ていた。お昼前の段階では「おやっ」と感じるところがあった。1時間すぎ、2時間すぎて、「どうしてH候補の得票が伸びないのか」という疑念が大きくなるばかり。それと足並みをそろえるように連邦議会「上院」「下院」の議員選挙での民主党候補者の当選が少ない。結果的には、大統領も上下両院も共和党が。大統領選の方は、T候補の楽勝(圧勝かもしれない)。これをどうこう言うほどの材料は持たないが、要するに、今日のアメリカ社会は「人種(移民)差別」と「女性差別」に支配されているということだろう。大統領選挙の結果がそれを示している。この極端な「差別主義」を堂々と主張して、それが大きく受け入れられたということだ。それだけで「勝利を得た」ともいえそうだ。この結果は、想像するに難くない。「ファシズム」ががぜん牙をむくようなことになるだろう。いやな時代にめぐり合わせたものだと、痛感している。(563)

〇2024/11/05(火)終日快適な天気が続いた。▶昼前に買い物。猫缶等を購入するために、土気まで。本日も庭作業は休み。それなりに寒さを感じる時節となってきたので、持ち越している「障子の張替え」を終わらせたい。すでに材料は購入済み。やることは増えるのに反して、当方の作業量は目に見えて減じているので、仕事は積み残されるばかり。▶アメリカ大統領選挙は、夕方6時過ぎから、早い州では投票が始まっている。「事前投票」はすでに8千万人が済ませているというから、おそらく、すでに帰趨は決しているのだろう。それにしても報道によれば、接戦に次ぐ接戦だという。絶対多数を得ても、選挙人数で負けるということが二回前の選挙(2016年)で生じたばかり。他国の選挙制度をとやかくは言わないが、その結果が大きく世界中に及ぶのだから、何事かを批判したくなる。(562)

〇2024/11/04(月)快適な一日だった。昼前に買い物に、茂原まで。▶午後3時ころだったか、T君から電話。久しぶり。最近、韓国に出かけていたとのこと。北側から脱出した子どもたちを受け入れて教育を施す学校が、韓国内に五校ほどあり、そのうちのいくつかを訪問し、交流を果たしていたという。いろいろな問題に挑んで、そこから何事かを学び取る姿勢には大いに感心させられている。▶本日が最終日(日本時間)の米国大統領選挙。今なお、その帰趨は決めがたいほどの「接戦」だという。不思議な選挙戦だと思うほかない。分断国家の「権力争い」というべきか。(561)

 (今週の「徒然日乗」は、図らずも「山形特番」にったようです。こんな雑談なら、ほとんどの国内各地域(時には海外も)について、懇意にしていただいた人たちとの関わりが書けそうです)(ただ今、午前6時半過ぎ。夜来の雨が続いています。室温17.5℃、湿度67%)

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