室戸市佐喜浜町の国道55号沿いにある畑のコスモス約8万本が見頃を迎えた。赤や白、ピンクの花びらが秋風に揺れ、地域住民らの目を楽しませている。/コスモスは、佐喜浜町の女性有志でつくる「佐喜浜コスモス希望の会」が2017年から栽培。佐喜浜中学校近くの水田約30アールを農閑期に活用し、9月上旬にメンバーが種をまいた。/コスモスは順調に成長し、例年並みに開花。今月下旬まで楽しめるといい、メンバーは「色鮮やかに咲いたコスモスを見て癒やされに来てほしい」と呼びかけている。/同会は16日午前10時ごろから畑の一角でこけらずしや餅などの軽食販売を行う。(板垣篤志)(高知新聞・2024/11/14)(ヘッダー写真も)

この時期にもなお「コスモス」が満開だという。高知県室戸市の有志たちが育てられているコスモスの園。こちらは八万本。数の多さを競うのではないでしょうが、上には上があるもので、栃木の益子では1000万本。北海道や神奈川にもそれくらいの数を誇るコスモス畑があります。京都の亀岡市は800万本。不思議というか、好きになるときがないというべきか。別段、数の多さを競おう、誇ろうとした結果ではなく、コスモス好きが嵩じて、ここまでのものになったのでしょうか。恐るべし、ですね。その維持や管理の任に当たるのは一人や二人ではなく、地域に住む多くの人々の共同作業によると考えられます。この「結(ゆい)」という共同奉仕は、この社会の伝統にもなって来たでしょう。
コスモスの盛りは、多くの地域では十月の半ばころが見ごろでしょう。しかし、その年の天候(気温)などの影響で遅くなったり早くなったり。この時期は、劣島各地の「紅葉」「黄葉」がそれぞれに見ごろを迎えて、休日には大変な混雑ぶりです。



(上左・コスモス1000万本が見頃 SLとの競演も 栃木・益子。2022/10/2)(上中・800万本のコスモスが見頃を迎えた「京都丹波/亀岡。2024/10/18)(上右・1000万本のコスモス 10アールのピンクの絨毯 北海道遠軽町。2022/09/08)

ぼくは、根が出不精ですから、見ごろになるからと、あちこちに出かけることはまずない。第一に人ごみが大嫌いですから、いわゆる観光・見物などという趣味はまったくないも同然。今を盛りと咲き誇る草花を、写真やテレビの画面を見るだけで堪能しています。コスモスも、現在地に越してくる直前、引っ越し準備のために何度も通い続けた途中の田んぼに、誰が育てたか、かなりの数のコスモスが咲いていたのをしばしば見ました。それも、やがて姿を見なくなったのは、どういう事情があったのか。ある時偶然目にして、またある時忽然と姿が消えたとい次第でした。コスモスに限りませんが、とにかく数が勝負だという、ある種の風潮が多く見られます。あまりいい傾向ではないと思いますね。百万本とか一千万本などと自慢げに宣伝していますが、なぜ百万本、一千万本なのか。

京都に「百万遍」という地名があります(左写真)。元来は、浄土宗の「百万遍念仏」を指します。正確に百万遍唱える集団による読経のことですが、やがて、それが一般化して、数限りないことのたとえとして「百万遍」ということになったらしい。たくさん唱えれば、ご利益があるというのです。(百万遍は、また「知恩寺」の別名でもあります)つまりは数えきれないくらいにたくさんあるのを「百万云々」というのでしょう。「百万本のバラ」などという恋歌もあるくらいです。でも100万本や800万本という数が売りになっていますから、誰かが数えたのかもしれない。数が多いのはいいことだという、ある種の貧乏性が顔を出しているようだと、本物の貧乏性のぼくなどは言いたくなります。コスモスは「宇宙(kosmos)」を意味しますから、800万や1000万の宇宙とはどういうことかと大いに訝るのです。それでも、これだけの数を見事に育て上げるのですから、その丹精ぶりには頭が下がります。無条件に感心します。
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もう何年も前にテレビで見た情景が忘れられません。一人の男性が、中学校を終えたばかりのころから、遠大な計画を着々と実現するさまを記録したものでした。地名も人物名も忘れましたが、なんと60年以上の歳月をかけて、たった一人で山を切り開き、そこにさまざまな植物や草花を移植し、池を掘り、山を削り、丘を作りと、文字通りに粒粒辛苦の歳月を実らせておられた。確か中学校を卒業して、わずかの元手を手にして、以来「楽園づくり」に生涯を賭され、費やされたのでした。今はどうなっているかぼくは知りませんけれど、その打ち込み方に、ぼくは図らずも深く打たれました。その昔「木を植えた男」というタイトルの本(ジャン・ジオノ作)がベストセラーになったことがあります。北海道の男性は、実人生を「植物園・花園・鳥や蝶たちの郷」づくりに懸けたのでした。深く感動しましたね。
「この人を見よ(ecce homo)!」


● 『木を植えた男』(きをうえたおとこ、フランス語:L’Homme qui plantait des arbres)は、フランスの作家ジャン・ジオノの短編小説である。1953年発表。/主人公である「私」が、人知れず荒野で植樹を続ける男エルゼアール・ブフィエ(Elzéard Bouffier)と出会い、男の活動により森が再生していく様子を回想として記すという形式をとる。しばしばノンフィクションであると誤解されるが、完全なフィクションである。/1987年には同作を原作として、フレデリック・バックの監督・脚本で同名の短編アニメが公開された。1987年アカデミー短編アニメ賞受賞、ほかいくつかの賞を受賞した。このほか、1989年にはバックが描き下ろしたイラストを用いた絵本が発表されている。/邦題はほかに『木を植えた人』など。男の名前が「ブッフィエ」などとされているものもある。(Wikipedia)
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この島国は、陸地が三割、山地が七割と言われてきました。国土の七割を占める山にはたくさんの樹木が茂り続けてきました。もちろん、それを植え続けてきた人々のバトンタッチがあってのことだったでしょう。すべてが人間の手になるというのではありません。高温多湿は、植物には好適の環境だったから、自然のまま、実生から成長するものもあったことは確かです。しかし、たくさんの木々を育て実らせるには、どうしてもそこに人間の「働きかけ」が必要でした。自然環境への人間による「働きかけ」、いわゆる「手入れ」「耕作」「栽培」です。これこそが、「文化(culture)」という語の本来の意味だった。「木を植えた男」は小説ですけれど、多くの人の心を打った。そして、ぼくたちは知らないだけで、実は、これまでにも無数の「木を植えた人々」がいたからこそ、この劣島の景観や環境が保たれてきたのだということです。荒れ地を耕す働きが、人間の生活の出発地点でした。それは今も変わらないままです。
ここに、ほんの数人の「木を植えた人」を紹介したいのですけれど、本日は止めておきます。歴史のそれぞれのページには、名もない(名を残そうとはしなかった)人たちの文化(生活)の受け渡しで埋め尽くされています。英雄や豪傑、政治家など、歴史に登場する・したがる人物は、何ということもないのです。圧倒的多数の「名のない民衆」が、生活(文化)の連続(リレー)を放擲しなかったからこそ、ぼくたちの「現在」があるともいえるでしょう。各地で盛況を見ている「コスモス畑」も、たくさんの「名もない人々」の共同作業で維持され管理されてきたのです。恐らく、この社会の歴史の継承をそこに見るのは、決して間違いではないでしょう。
<Nameless, poor and beautiful>という生き方の流儀に、一時期の迷い(若いころの過ち)はあったかもしれないが、結局、ぼくはこれまでずっと、この流儀に憧れてきましたと言えそうだし、そう言いきれれば、我が生、余事なしです。。
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