ケツを拭かない国家に明日がある?

 何のための政治? 誰のための政治? いまどき、こんな愚問に応えてくれる政治家はいないと思う。彼や彼女からすれば、訊くまでもないこと、訊くだけ野暮だというのかもしれません。おのれの利益のため、それに決まっているじゃないか、とね。夜を通して開票作業に当たっていた方々や、この選挙が始まる前から懸命に選挙にかかわる万般の作業を滞りなく進められてきた関係者に感謝こそすれ、徒(いたずら)に、何度やっても選挙は選挙、世の中は少しも変わらないなどとは言うまい。この衆議院議員選挙にかかる経費は「およそ600億円」だという。公示から投開票、結果発表を含めての諸経費、すべて税金で賄(まかな)うのです。昨晩、八時ころだったか、町役場の広報(無線放送)があり、「本日の投票率は30数%」「期日前と合わせて、54%」と伝えるのが聞こえてきました。投票締め切り後から、時間をかけて開票作業が始まっている、その風景を思いながら、まだ半数以上もの人が投票したのだと、ぼくは考えました。

 投票率が低いと嘆く声は聞くけれど、高い方が、よりいよい政治が行われるという「学説」は聞かれない。(北朝鮮・中国などの投票率は100%です)ぼくの友人には何人もの政治学者がいたが、この「投票率」の高低問題について明確に答えてくれた人はいなかった。野球でいうなら、打率五割は驚異的な、夢のような数値であって、三割だって凄いことなのだと、ぼくは愚かにも考えています。何でもかんでも低いより高い方がいいという、邪説に縛られていませんか。戦後に始められた「普通選挙」が実施される前は、納税額の多寡によって選挙権の有無が決められていた。明治中頃の選挙民は、全人口の1%程度だったという。いくら何でも1%は低すぎるとそれを2%に上げたところで、国政・国情はいささかも変わらなかったでしょう。(明治憲法制定と同時に定められた「選挙法」では、選挙権は25歳以上の男子で1年以上選挙区となる府県内に本籍を置き、直接国税を15円以上納めた者」「被選挙権は30歳以上の男子で直接国税を15円以上納めた者」に限られていました)

 投票率の高・低ではなく、候補者の賢愚こそが、政治の質を決める決定打。議員全体の3割も4割もが「世襲政治家」であれば、どうしようもなく政治が腐るのは避けられない。「徳川幕府」を見るまでもない。何業であれ、放置しておれば「世襲」になれ、事業は破綻することになっています。そこに手を付けるのは、国会議員の役割だが、当人が自分の手を縛り、首を絞めるなどできない相談、一層厳しい規則を作るはずもない。世襲は禁止しないが、同じ家系から、百年も同じ選挙区から出られるような制度が問題だと、気が付くまで、堕落や頽廃は進むでしょう。堕ちるところまで堕ちて、初めて気が付く、その程度のもので、それより前に国が壊れればそれまでです。その危険性を回避するために、解決を一層遅らせ、損耗状態をさらに酷(ひど)いものにしている、そんな殺風景がぼくには見えている。

 「永ちゃん」が珍しく政治向きの発言をしたと「小社会」氏は書かれていた。あまり上品ではないが「「自分のケツ、拭(ふ)けてるか?」生まれた時も高齢化した時も「自分では拭けない」のが当たり前。さすれば、日本の政治家は「乳児」か、「高齢者」か。「ケツを拭かない国家に明日があると思いますか」と、無敵のビッグが痛烈な皮肉を言ったのか、それとも現実への本音を吐いたのか。いずれにしても誰(ビッグ)が何を言っても耳を貸さないままで、堕ちろところまで堕ちて行こうとしている。まだ、「そこ(堕ちろところ)」までは行き着いていないという「余裕」があるのだろうね、政治家諸君には。もちろん、国民にも。

 ぼくはこの三か月ほど、米国の大統領選挙報道を現地の放送番組を通じて観ています。いろいろと考えるところはありますが、政治や政治家に関して言うと、「いずこも同じ」で、表面は違うようには見えるが、中身は変わらないものだという実感を強くしている。どこの国でもそうでしょうが、民主主義は全体主義の産みの親とは言わないまでも、まったく無関係ではないということです。民主主義が行き届いていると思っていたら、何のことはない、同じ時と場にファシズムの毒花が咲いていた、そんなことをつくづく思わされているのです。「独裁は一日にしてならず」で、アメリカのファシズムは「民主政治」と同じ枕に頭を載せていた。ファシズムの始まりは、政治(家)に嘘がついて回るようになり、「我々」と「奴ら」という分断がとめどもなく繰り返されるようになるところに認められます。つまりはどこの国にもファシズムの懼れは、何時だってあるのです。

 ファシズムはどこからやってくるか。あの山越えて野を越えて、ではなく、自分の家の玄関先や庭にも、街角の喫茶店やコンビニにも、ファシズムの根が生え、蕾(つぼみ)が膨らんでいる。テレビにも新聞にもファシズムの息がかかっている。アメリカの現実を見ていて、なんだ、極東の劣等国と少しも変わらないではないかと、改めて、政治や政治家の「醜悪な戦い(disgraceful fight)」にぼくは驚いている。「やがて、ファシズムが来るかもしれない」と気が付いた時には、すでに独裁の網の目(The web of dictatorship)は、(議会にも・裁判所にも、検察にも、マスメディアにも)合法的に張り巡らされているのです。

 この極東小国においても、「移民排斥」の芽が方々に生まれています。敵を作り、国内を分断するところには必ずファシズムは成長していると思う。今回の選挙結果から、意外に早く来るのが次の選挙と政治の混乱。次の内閣や次の選挙が行われるときには、すっかりライトウィングに包囲されていることになっているかもしれない。今回の選挙(投票)は、その一里塚になっていたと、数年後に気づいても手遅れ、そんなことはない。また一から、始めればいいし、それしかないんですね。まるで「賽(さい)の河原の石積み」でしょうか。

 「一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のため 三つ積んでは古里の 兄弟我が身と回向して 昼は一人で遊べども 日も入り合いのその頃は 地獄の鬼が現れて…」(賽の河原地蔵和讃

【小社会】拭けない国 「えいちゃん」と聞くと、熱烈なファンでなくても「永ちゃん」を想像する人が多いだろう。人気ロック歌手の矢沢永吉さん。75歳になったいまもステージに立ち続ける。
 その矢沢さんがソロデビューする前、政界に「栄ちゃんと呼ばれたい」と発言した人がいた。佐藤栄作元首相。長く政権の座にあったが支持率が上がらず、国会答弁によると、「大衆性を持ちたい」という一心からだったらしい。
 気持ちは分かる。ただ政治家の愛称や異名は人柄や政治姿勢、実績で自然と生まれるもの。思い違いが痛々しい。結局、最後まで「栄ちゃん」と呼ばれることはなかった。
 ところで、「永ちゃん」こと矢沢さんの方は政治的な発言や行動をしない人として知られる。それが10年余り前、音楽雑誌のインタビューで政府や大企業の関係者らを強烈に皮肉ったことがある。「自分のケツ、拭けてるか?」
 中小企業の苦境や原発事故などに胸を痛め、権力者の無責任ぶりに堪えかねたようだ。しかし、政界には響かなかった。「政治とカネ」の問題は繰り返され、責任の取り方も不十分。思い違い土壌も変わっていないのか、首相交代で許されると考えた節がある。
 衆院選で審判が下った。多くの有権者には永ちゃんの思いと重なるものがあったはずだ。永ちゃんはインタビューでこうも訴えている。「ケツを拭かない国家に明日があると思いますか」。今度は響くだろうか。(高知新聞・2024/10/28)
【筆洗】江戸後期の随筆「譚海(たんかい)」にこんな話がある。どこかの山の中に「風穴」と呼ばれる場所がある。広さ七間(約12メートル)というからかなり大きな穴である▼この穴の中に石を投げ入れると不思議な現象が起きる。突然、風が吹き、何日もやまない。大きな石を投げ込むと、風はさらに強くなる▼総選挙の結果に日本国中に吹き荒れる強い風を想像する。自民党の政治に腹をすえかね、よほど大きな石を風穴に投げた人がいるらしい。しかも、大勢の人が列をなして投げ込んだか。自民党は大敗した。「政治とカネ」の不祥事を受け、自民党に対し、はっきりと「ノー」を突きつける大風が吹いた。政権は大きく揺らいでいる▼大風の出どころは「政治とカネ」の問題ばかりではあるまい。経済、社会保障、少子化。長年、日本の抱える難問に成果もよい兆しも見いだせない自民党の政治に有権者はしびれを切らし、大きな変化と新たな道を求めたのかもしれぬ。将来の不安の中で自民党の政策もまた信用を大きく失っているのだろう▼岸田さんが辞め、石破首相で総選挙に打って出ればご祝儀相場も手伝ってそれほどは負けないはず-。衆院解散前の自民党の見通しは甘く、強い大風が分からなかった。それもまた、おごりのせいである▼風を吹かせたあの穴に最初に石を投げ込んだのは誰か。国民を侮り、緩んだ自民党自身に他なるまい。(東京新聞・2024/10/28】

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「徒然に日乗」(547~553)

◯2024/10/27(日)お昼前に近くの中学校まで、衆議院議員選挙の投票に。いつも通りの寒々しい風景だった。投票率が上がらないのは、選挙民にも候補者にも原因や理由があるのだろう。千葉11区、候補者三人。まず当選がありえない、その候補者の名前を書いた。比例の政党名も、候補者と同じ政党に。この候補者に比例復活する可能性はゼロ。だから、ぼくの投票は「死に票」だ。最高裁判事の〇×(審査)票は、何も書かないで投函。▶今回は見事に、一切、島の選挙報道には関心を示さなかった。気分が乗らなかったのだ。繰り返し述べているように、この国には与党はあっても野党はないのだ。議員数の出入りはあろうが、基本は「隠れ与党」ばかりだから、どれだけ選挙をしたところで、きっと「馬脚」が顕れる。昨日までA党にいたのが、気づけばB党に。組員の交代、入れ替わりはあるけれど、中身はまったく変更なし。やくざの組とは言わぬが、相撲部屋の力士同士という、近親関係があるのだろうか(一党を除いては)。まさに「十年一日の如く」、政治は淀み、政治家は潤(うる)んでいるのだ。(553)

◯2024/10/26(土)終日曇りの天気。自宅を一歩も出ないで過ごす。▶衆議院議員選挙は明日が投票日。期日前投票に出かけようと考えていたが、役場まで行くのが面倒だったので、明日、近くの投票所(中学校)で投票することにした。どんな結果が出るかというより、今回も選挙区の候補者で投票したい人はなく、積極的に政治に参加するというのではなく、棄権はしないという意味での消極参加。それにしても「政治家」の腐敗というか堕落はひどいものだし、「この人をこそ選びたい」という、そんな候補者はついぞ出会うことがなったのは、ぼくの不幸だと思う。(552)

◯2024/10/25(金)ただ今、午後十時少し前。室温22.4℃、湿度73%。▶朝方は少し雨が残ったが、それ以降は、重い雲が途切れなかった。辛うじて、晴れが続く。気温は20℃くらいで、とても凌ぎやすかった。▶昼過ぎに買い物。いろいろな食品を買う。▶庭に出て作業をする気にならなかった。ほどの良い温度にならないので、体がいうことを聞かないのだ。敷地の三方を囲んでいる竹や杉・檜、その他の樹木の枝落としを思うと、気が重くなる。それほどに大きく太く伸びている。寒くなる前には、何とか無理をしないで、整理しておきたい。(551)

◯2024/10/24(木)ただ今、午後九時。室温25.1℃、湿度72%。曇りがちの天気。雨が降りそうな気配のある日だったが、何とか天気は保った。▶昼前に猫缶を購入するために、あすみが丘(土気)まで。さすがに、同じ種類のものを与えているのでいくらかは飽きが来ているのか、それとも、缶詰に加えて、おやつ類を与えすぎているからなのか、缶詰の消費量は少し落ちているよう。それでも、今日もいつも通りの品を買った。▶米国の選挙報道を飽きもしないで見ている。ファシズムは、お茶の間にも、自宅の玄関先にも待機していると思う。「ファシズム【fascism】= 極右の国家主義的、全体主義的政治形態。初めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼称であったが、広義にはドイツのナチズムやスペインその他の同様の政治運動をさす。自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする」(デジタル大辞泉)一家の政治(学)そのものに「独裁」の要素は皆無だといえるのか、「独裁的傾向」はないかどうか。今ではDVと称されるような「暴力的傾向」が認められないかどうか。男尊女卑や児童虐待につながる「暴力」はなかったかどうか。そもそも「家父長制」そのものが怪しい。民主主義とファシズムは、あるいは表裏一体なのかと思うこともある。個人の問題という以上に、集団心理の問題ではないかとも。究極の「付和雷同」ということを突き詰めて考えてみたい。「ファシズム」に侵される国民性(集団主義)というものもあるのだろう。(550)

◯2024/10/23(水)ただ今、午後九時。室温25.5℃、湿度84%。午前中は何とか天気は保ったが、午後遅くから降り出す。蒸し暑い日だった。▶昨日は休息したので、本日は午前中少しばかり裏庭の清掃(除草作業とイノシシが掘った大きな穴、数か所もある、それを埋め戻す作業に時間がとられた)裏庭全体の半分程度は終わったかもしれないが、残りは大変な荒れ方をしており、さらに竹の伐採や杉の枝落としなどが残っている。何とか寒くなる前に終わらせたい。▶アメリカの選挙報道に時間を取られている。「ファシズム」というものが、たった一人の存在で発生するわけもないが、現在アメリカで生じているのは、大衆も巻き込んで、「進行中ファシズム」の状況中継という場面が続くように見える。アメリカでも、白昼堂々と「ファシズム」が跋扈するということがあるのだ。はしなくも、ぼくは「マッカーシズム」を想起している。(549)

(*マッカーシズム:まっかーしずむ:McCarthyism=アメリカ合衆国のウィスコンシン州選出上院議員ジョゼフ・R・マッカーシーの活動に代表される反共ヒステリー現象をいう。マッカーシズム出現の直接的契機となったのは、1949年の中国革命の成功によって、アメリカの伝統的市場であった中国市場が失われたことにあった。また同年にはソ連が原爆実験に成功して、アメリカ国民に大きな衝撃を与えた。マッカーシーは、第二次世界大戦後の国際情勢がアメリカの期待どおりにならなかったのは、国内や政府のなかに国益を裏切った共産主義者がいるためだと主張して、「赤狩り」に乗り出した。50年2月に行われた「国務省のなかに205人の共産党員がいる」という演説は、その発端として有名である。マッカーシーの赤狩り攻撃はなんら根拠のないデマゴギーであったが、第二次大戦後の冷たい戦争の進行という状況のなかでアメリカ国民を不安と混乱に陥れ、まもなく始まった朝鮮戦争によって勢いを増していった。

 マッカーシズム台頭の背景として、トルーマン政府による世論の反共的動員などがあったことも指摘できる。トルーマン政府は、1947年3月トルーマン・ドクトリンの発表と相前後して、連邦政府職員の忠誠審査令を出して思想統制を強化し、48年の大統領選挙に進歩党から出馬した対ソ協力派のヘンリー・ウォーレス元副大統領を容共的であると非難、攻撃するなど、国内反共体制の整備を推し進めていたのである。また議会においても、下院非米活動委員会を中心に、共産主義活動の調査が大々的に展開され、対ソ協力派や一部のニューディーラーに対する攻撃が続けられていた。マッカーシーは上院査問委員会の委員長を務め、とくに国務省内の中国通、中国専門家などに攻撃の矛先を向けた。そして、アジア問題の権威オーエン・ラティモア教授や国際法のジュサップ教授らも槍玉にあげられ、トルーマン大統領やアチソン国務長官も共産主義に対し弱腰であると非難されるありさまであった。

 マッカーシーは、国内の共産主義活動の脅威を誇大に強調して国民の支持を集めたが、マッカーシズムの犠牲になった人々の多くは非共産主義者であった。共産主義の脅威の名のもとに、多くの自由主義者が公職を追放され、市民的自由の抑圧も進行したのである。こうしたなかで、有力な政治家や知識人の間では、保身のために強硬な反共路線を打ち出す傾向が強まった。こうして、1930年代のニューディールのリベラルな風潮は、すでに40年代後半の冷戦政治の文脈のなかで保守化しつつあったが、マッカーシズムの嵐のなかで窒息させられていったのである。また、アメリカの外交政策もマッカーシズムの影響のもとで、いっそう硬直的な反共路線を進むことになる。マッカーシーは54年、赤狩り攻撃の行きすぎの不当性を指摘され、上院の査問決議で失脚したが、マッカーシズムはアメリカ社会に深刻な衝撃を与え、内政、外交に大きな悪影響を及ぼしたといえよう。(ブリタニカ国際大百科事典)(549)

◯2024/10/22(火)終日好天続き。庭仕事をと思ったが、昨日の疲れがいくらか残っていそうなので、休息。気温が低いのはいいが、それでも二日続きの作業は心理的に負担がかかる。この程度の体力では敷地の内外の清掃・整理がいつ終わるのか、いささか疑問が沸いて、心細くなってくる。▶この国の選挙に関してはほとんど興味が湧かない。誰が勝とうが、どこの党が議席を増やそうが、驚くような政変が起こるとは考えられないからだ。例によって、この国の宗主国の大統領選挙、投票日まで2週間。それに大半の州では事前投票や郵便投票が始まっている。すでに一千二百万人以上の有権者が投票を済ませたという。これまでは郵便投票にはインチキがあるので、支持者に控えるようにT候補は宣伝していたが、今回は違う。両党に圧倒的な差がつかないようで、それがはたしてこの先の結果にどんな影響を及ぼすか。それにしても「元大統領はファシスト」だと、元同僚や側近などが口をそろえて広言しだしている。共和党員でありながら民主党候補者に投票すると宣言する人もかなりの数になっている。このアメリカで、狂信的なファシストが「大統領」になるのか。これまでの大統領候補者の中で最も無知、怠惰、厚顔、自己利益しか考慮しない、驚くべき大統領候補だし、あるいは、このままでは「狂気の(inhinged)大統領」が誕生するかもしれない。いかにして、民衆は「ファシズム」を迎え入れたのか、手に取るようにわかる選挙ではある。この無知で傲慢、そして何よりも気の弱い人間が、強がるためには権力を握る必要があるという、まるで狂信の徒を加護するような支持者の判断力も狂気じみてきた。(548)

◯2024/10/21(月)久しぶりに庭に出て作業をした。午前10時過ぎから午後3時くらいまで。休憩も取らないで、もちろん昼食も(ぼくは朝晩の二食派、もう三十年来です)取らないで、作業を続けた。以前に除草したもの、枝下ろしや剪定して溜まっていたものなど、次々に焼却しながら、一方では鎌を使って草を取った。気温も25℃はなかっただろうから、思いのほか捗(はかど)りはしたが、それでも裏庭の五分の一程度。もちろん法面(斜面)は手付かず。いささか疲れた。それにしても、気温が30℃未満だとこんなに進むものなのだと、妙に感心している。無理をしないで、このペースで作業を続けたい。(夕方5時現在、室温20℃、湿度65%)(547)

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The Washington Post died in darkness.

▣ 週の初めに愚考する(第四拾弐)~ 昨日、この新聞に掲載された記事に触れました。日本の新聞の、時の政権との関係は話にならないもので、権力ににじり寄るか、そのオコボレ(余得)をいただくのか、実に忌々しいことおびただしい。「新聞」であることを放棄し、なんとも簡単にその軍門に下っているざまを見せつけられている。アメリカの新聞では、そんなみっともないことはないだろうとみるのは、大きな誤りで、新聞と権力の関係はいずこも同じ「秋の夕暮れ」、誇張して言うなら「触らぬ神に祟(たた)りなし」、 まるで借りてきた猫か忠犬ハチ公の類で、すっかり牙も奥歯も抜かれた始末。そんな風なことを書きながら、そういえばワシントン・ポストは大統領候補者の支持に関しては「旗幟鮮明にしていないな」と気にはなっていたところ。

 「曲学阿世(きょくがくあせい)」という語が、敗戦後の一時期、この社会では持て囃(はや)されたことがありました。同じような意味合いでは「阿附迎合(あふげいごう」「阿諛追従(あゆついしょう)」なる適切な表現があります。「相手の機嫌をとり、気に入られようとしてへつらいおもねること」(デジタル大辞泉)今風に漢字変換するなら「忖度」か。この言葉も、本来は「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること」(デジタル大辞泉)で、むしろ肯定的な意味合いが込められていたものですが、今風は、相手の気分を推し量って、気に入られよう、気に障らないようと、できれば「頭を撫(な)でてもらいたい」と、何とも醜悪の極み、賤しい魂胆(算盤)が先に立っているようです。「権力は必ず腐敗する」から、その腐敗する権力を常に監視し批判することが、新聞やメディアの社会的使命だったと考えられた時代があったらしい。

 ところが、昨日の駄文を書いて何時間も経たないうちに、ポスト紙は社の方針(ハリス候補支持)を決めていたのに、社主(the paper’s owner, Amazon founder Jeff Bezos)の意向で、支持表明を見送ったという。その一件で、社内は混乱。辞職するものも出た。真相は明らかではありませんけれど、憶測するなら、「社主」の思惑(一方の候補者への忖度の感情)が大きく働いたのであって、いかに新聞人魂が強くても、「社主」には逆らえなかったというところに落ち着きそう。問題の性質からして、一件落着とはいかないように思われます。ニューヨークタイムス紙は、9月の時点で、情勢を判断した結果、どちらかを選べといわれるなら、現状においてはハリス候補支持にならざるを得ないと、その姿勢をすでに表明しています。

 ある新聞社が、大統領選挙に際してどの候補者を支持するか、それを明らかにすることは「義務」でもなければ、社会的合意が得られているものでもないでしょう。それは会社精神の資性・姿勢の表明であり、読者に対する方針の明示です。多くのアメリカの新聞は、それをある意味では「伝統」とも「慣習」ともしてきたのは事実です。会社の経営者が変わったから、会社の方針も変わることはあり得る。しかし、新聞もまた、そうであって不思議はないというのはどうなのか。ぼくはいささかの疑問を抱く。新聞社の資性・姿勢や思想・志操を評価して購読していたのが、ある日、その思想(新聞社の態度)が変わったら、奇異に思うし、それを明確にさせる説明が必要だとも思えます。それがなく、不審な時間が続くなら、読者は購読を止めることになるのも当然。ワシントンポストは、この「変節」、いやこの「挫折(?)」をどう説明するのでしょうか。

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 大国アメリカは、新興大富豪(*GFFAと称され、MATANAと称される新興財閥)に完全にコントロールされているのでしょうか。もしそういうことであるなら、東洋の島国においても、同じような事態が起こってくる可能性(危険性)があるか。それだけのことができる「大富豪」がいるかどうか、それも問題ですが。昔も今も、この社会における出たての新興企業が世間に話題を提供してきたのは、しばしば繰り返されてきた「プロ野球球団」の獲得・経営することだった。この社会の新興富豪たちも、よれよれの新聞社を買収することくらいはできそうですが、さて、どうなりますか。従来のニュース報道は、この何年かで大きく様変わりしています。ネット番組の隆盛が米国でもみられ、日本でもみられます。しかし、彼我の差は比べるべくもなく、そもそもメディアの機能を果たしていないものがほとんどだといえば、お叱りを受けるでしょう。報道の責任とデモクラシーが話題にならないのは、いかにも未熟社会の現実です。

 デモクラシーがなんであるか、そんな話題は、この島の新聞人(記事)から聴いたことも読んだこともないほどに、ひたすら「日々の営業」に専念されているのです。よしんば「民主主義」の真価を舌先で垂れるとして、日常的に社内で意見が十分に戦わされていない、時には「人権侵害」があるとするなら、ぼくたちは、それを「口先」ばかり「知行不一致」というほかないのです。政府や国の庇護を求め、それがために忖度してきたという長い前史があり、いまなおその恥ずかしい歴史の外に足を踏み出さないで生きているのが、この島社会の大手メディアと称されるものでしょう。翻って、アメリカのメディアは、日独伊ファシズム体制との対峙の中で生きる道を切り開いてきたともいえる、そのファシズムの擡頭を、あるいは「歓迎」していると取られても仕方のない姿勢がみられるのはどうしたことか。

 社会の分断化に手を貸し、虚飾に満ちたプロパガンダの垂れ流しに狂奔している候補者の尻馬に乗って、一方の候補者を有形無形に応援している、そんな大国アメリカの一部メディアの醜悪な一面もまた、ぼくたちは「対岸の火事」としてではなく、「宗主国」の一大事(危機)と受け止め、属国としてはそれには属国なりに、属国風情で、毅然とした姿勢を、と叶わぬ夢のような願いを抱いているのです。歴史の教えるところ、社会を分断し、埒もない虚偽(被害者意識)拡散に現(うつつ)を抜かし、徹底して移民(他民族・他人種)を嫌悪する、現代アメリカに堅調にみられる、著しい不公正こそが、ファシズムの根拠地(base)なっているのです。

 (アメリカ社会は「ごみ箱」だと例え、多数の移民を著しく貶めている候補者本人もまた、「移民」だった。<MAGA>というイデオロギーを振りかざす嬌態は、この社会のある時期に見られた「美しい国を取り戻そう」に反映されていました。空想裡に描かれた「空想社会」への回帰願望こそが、ファシズムのお家芸。そこには「事実」を完全に無視する姿勢しか見られないと、どうして新聞は突かないのでしょうか)

*従来のGAFA(Google、Amazon、Facebook(現Meta)、Apple)から、2023年以降はMATANA(Microsoft、Amazon、Tesla、Alphabet、NVIDIA、Apple)へとビッグテックの勢力図が変わったという指摘があります。

Backlash after Washington Post declines to endorse presidential candidate The Washington Post has announced it will not endorse a presidential candidate in the upcoming election, provoking a backlash among some of its employees and subscribers.
CEO William Lewis said the decision was a return "to our roots of not endorsing presidential candidates" and that the newspaper was ending the practice going forward.
The move breaks with decades of tradition, with the paper having endorsed a candidate in most presidential elections since the 1970s - all of whom have been Democrats.
The Washington Post Guild's leadership - which represents workers at the paper - said it was "deeply concerned" by the decision.
It added that it was already seeing subscription cancellations from "loyal members".
In its own news article on the decision, The Washington Post reported - citing two sources briefed on the sequence of events who were not authorised to speak publicly - that editorial page staffers had drafted an endorsement of Harris that was not published.
Citing the same sources, it added that the decision not to publish the endorsement was made by the paper's owner, Amazon founder Jeff Bezos.(The rest is omitted.)(Alys Davies BBC News, Washington・https://www.bbc.com/news/articles/cvg4l805jnmo)

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Democracy Dies in Darkness(W.P.)

 十日後に迫った米国大統領選挙。このところ暇があれば、現地報道を読んだり観たり。いろいろなメディアが同じ場面や景色をまったく異なって伝えているのは、いずこも同じ。アメリカでもこんなことが起こるのかというのは、大いに認識が足りないともいえます。アメリカだから起こるのだといったらどうでしょう。二人の候補者のどちらが勝つか、それに大きな関心を寄せているのではない。無関心でないのは事実ですけれども、米国の大統領がだれになるか、それは世界の情勢に大きな波紋や影響を与えるので、その問題を考えてみようとしているのです。

 この劣島の「首相」がだれになるか、日本以外で、そんなことに感心を持つ国や指導者はどれだけいるか。まず無に近いと言っておきます。日本の総理大臣が「参勤交代」よろしく、就任直後に必ず「本家」に挨拶に出かける。ある時の大統領は、時の首相の名前を忘れ、「首相」を「どこかの国の大統領」だと勘違いしたというエピソードが残っています。その昔は、「アメリカが嚏(くしゃみ)をすれば、日本は風邪を引く」と揶揄されたほど、「日米関係」は致命的に「不平等」であることが大前提になり、それが今では固定されたままで「(根っからの)従属関係」に堕している始末。ならば、主人がだれになるか、それは部下(手下)にとっては決定的に大事だが、この社会ではほとんど関心が払われていません、Shohei Otaniに比べれば。

 しばしば日本社会のマスコミは「事実」を伝えていないと批判される。あるいは、伝えることが「事実」なのだという驚くべき「不条理」が横行しています。その通りだとぼくは思いますから、「体制翼賛」報道が花盛りであることを極めて深刻に捉えています。それに反して、宗主国は「さぞや真相報道」に徹しているかと思いきや、それがとんでもないフェイクだったというお粗末な話です。一昨日のワシントンポスト紙に以下の「Opinion(意見)」が出ていました。まさに、「お説ご尤(もっと)も」と、ぼくは痩せすぎた膝を打ちました。

 ワシントンポストが彼の国で、どのような位置にある新聞か、ぼくはよく知りませんが、<Democracy Dies in Darkness>という「宣言」はよく知られています。2017年から採用されたスローガンで、これを広めたのは、今も、新著が好評で大きな話題を投げかけている、調査報道のジャーナリスト・ Bob Woodwardさん。彼は新著「WAR」(右下写真)で評判を呼んでおり、ぼくもいくつかのネット番組で彼の話を聞いています。「ウオーター事件」の調査報道でも卓越した報道を残したので有名。現在、彼はワシントンポスト紙の編集委員です。

 本日の駄文の主旨は、アメリカにおいても、新聞は権力に阿(おもね)り、批判精神を失っているどころか、迎合してさえいるし、それによって国民を分断するのに大きな役割を担っていて、それをもって社会的使命と受け取っている節がある、それを言いたかっただけ。「Opinion」記事の筆者・ロビンソン氏は「解説」(後掲)のごとし。その記事の核心は、<The double standard for Harris and Trump has reached a breaking point>という点にあります。各種報道に見られる「二重基準」は限界に達しているというのです。<Trump is allowed to talk and act like a complete lunatic>まるでファシストだと指摘されても、彼の支持率にはいささかの影響もないどころか、かえって高くなる始末だとするなら、いったいあの国では何が起こっているのかといいたくなる。(右著書もウッドワード氏のもの)

 他方、< Harris has to be perfect in every way>という始末で、彼女のことは知らないから、女性だから、しかも黒人の女性だからと、批判的な視点からしか報道しないのはどうしてか。重罪刑法犯男性を応援し、黒人女性を批判・非難する、そのような「二重基準」を受け入れているかに思われスアメリカ社会(もちろん、それは、一部の報道機関でしょう)、選挙の結果、その先はどうなるのか。(「二重基準」に沿わない報道もあるのは事実です)

 元大統領の同僚や部下が、その「狂気」のゆえに元大統領の膝下を離れて、正直にその人物像を語りだした。<John F. Kelly said in an extended interview with the New York Times. Trump “certainly falls into the general definition of fascist, for sure.”><Milley is quoted in Bob Woodward’s latest book, “War,” as saying that Trump is “fascist to the core” and “the most dangerous person to this country.>

 ワシントンポストの<Democracy Dies in Darkness>というスローガン、早くから社内で伝えられていた、この「暗闇でデモクラシーは死ぬ」と「標語」として掲げたのは2017年でした。今では、白昼堂々と、真昼のさなかに、この大国は死にかけているのです。まるで、アメリカでは「真昼の暗黒」という状態が進行しているのでしょうか。繰り返し述べてきましたが、どちらの候補が当選するかということよりも、この大きな国がどうなっていくのかというところにぼくは細心の注意を払いながら、事態の推移を眺めているのです。

 アメリカ社会、アメリカ政治の現段階は、日本にとって言われた「くしゃみ」どころの騒ぎではない。まるで「心筋梗塞」「脳梗塞」の一歩手前の危機的症状を明証しています。世界一の大富豪が金にあかせて、D候補への投票を買収しているし、その大富豪がロシアの独裁者と何度も会話を重ねているとも伝えられている。国益ではなく、個益を恣(ほしいまま)にするための大統領選びだとするなら、もやは何をか況(いわん)やです。戦争に直結するか、それとも…。「民主主義」は赤子に等しい、細心の注意を払って、時代に参加する人々が日々、介護や養護をしなければ、一瞬にして葬られてしまうでしょう。

Opinion  The double standard for Harris and Trump has reached a breaking point
One candidate can rant about gibberish while the other has to be perfect.
Something is wrong with this split-screen picture. On one side, former president Donald Trump rants about mass deportations and claims to have stopped “wars with France,” after being described by his longest-serving White House chief of staff as a literal fascist. On the other side, commentators debate whether Vice President Kamala Harris performed well enough at a CNN town hall to “close the deal.”
Seriously? Much of a double standard here?
Somehow, it is apparently baked into this campaign that Trump is allowed to talk and act like a complete lunatic while Harris has to be perfect in every way. I don’t know the answer to the chicken-or-egg question — whether media coverage is leading public perception or vice versa — but the disparate treatment is glaring.
This week, it became simply ridiculous.
Retired Marine Corps Gen. John F. Kelly — who served as Trump’s homeland security secretary for six months, then as his White House chief of staff for a year and a half — said in an extended interview with the New York Times that Trump “certainly falls into the general definition of fascist, for sure.”
This followed a similar shocking assessment by retired Army Gen. Mark A. Milley, who was chairman of the Joint Chiefs of Staff for the final 16 months of Trump’s presidency. Milley is quoted in Bob Woodward’s latest book, “War,” as saying that Trump is “fascist to the core” and “the most dangerous person to this country.” (By Eugene Robinson:washingtonpost・October 24, 2024 at 5:20 p.m.) 
Eugene Robinson=Columnist focusing on politics and culture Eugene Robinson writes a column on politics and culture and hosts an online chat with readers. In a three-decade career at The Washington Post, Robinson has been city hall reporter, city editor, foreign correspondent in Buenos Aires and London, foreign editor, and assistant managing editor in charge of the paper’s Style section. He started writing a column for the Op-Ed page in 2005. In 2009, he received the Pulitzer Prize for Commentary for “his eloquent columns on the 2008 presidential campaign that focus on the election of the first African-American president, showcasing graceful writing and grasp of the larger historic picture.” Robinson is the author of “Disintegration: The Splintering of Black America” (2010), “Last Dance in Havana” (2004), and “Coal to Cream: A Black Man’s Journey Beyond Color to an Affirmation of Race” (1999). He lives with his wife and two sons in Arlington.
Honors and Awards: 2009 Pulitzer Prize for Commentary.

 

 この「意見」を書いたU.ロビンソン。現在、ワシントンポスト紙の副編集長(an associate editor of The WashingtonPost.)。アメリカのニュースコラムニスト。ぼくは、毎日のように彼の発言をいくつかの番組で聞いています。特に、MSNBCはもっともよく見る番組で、その中の発言にも感心させられている。(1954~)

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「子供川端 火の用心」と、胸に秘め

 コロナ死者、年間3万2千人 5類移行後、インフルの15倍 新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが5類となった2023年5月~24年4月の1年間で、死者数が計3万2576人に上ったことが24日、厚生労働省の人口動態統計で分かった。季節性インフルエンザの約15倍と格段に多く、大部分を高齢者が占める。政府は重症化リスクの低下を理由に新型コロナの類型を引き下げ、日常生活の制約はほぼなくなったが、今も多くの人が脅威にさらされている。
 例年冬にかけて感染者が増える傾向にある。東北大の押谷仁教授(感染症疫学)は「高齢化社会の日本で被害を減らすために何ができるのかを一人一人が考えないといけない」と訴えている。
 人口動態統計のうち、確定数(23年5~12月)と、確定前の概数(24年1~4月)に計上された新型コロナの死者数を集計。その結果、3万2576人となり、65歳以上が約97%だった。同時期のインフルエンザの死者数は2244人。新型コロナは、ウイルスが次々と変異して高い感染力を持つ上、病原性はあまり低下せず、基礎疾患のある高齢者が感染して亡くなっているとみられる。(共同通信・2024/10/24)(ヘッダー写真も)

 ただ今は午前6時過ぎ。室温23.6℃、湿度72%。昨夜来の雨が続いています。少し肌寒さを感じる天候ではあります。昨日昼前、猫の缶詰を買うためにいつも行くホームセンターに入ったところ、何かおかしい。その「正体」には瞬時に気が付いた。周りを見回しても見当たらない、「アルコール消毒液」が取り払われていたのです。店内の他の場所に置いてあるかと確かめたが、やはり撤去されていた。店員の誰もがマスクをしていないのは、以前から気が付いていた。どこかに、店の方針(感染症について)に関して張り紙があるかとみても、見当たりません。このようにして、「危険な状況」「緊急事態」は忘れられていくのだろうと、複雑な思いもしました。(地下にある別企業体の食品売り場では普段通りに「消毒液」は入り口に用意されていました。でも、間もなく取り払われるだろうという設置ぶりでした)

 しかし今でも、多くの客はマスクを着けていました。もちろん、ぼくは高齢者だから、用心するに越したことはないと、外に出るときは必ずマスクをつけている。気にしすぎだといわれれば、その通り。ぼくはめったに風邪を引かない、質ではなく、それだけ用心しているから。当たり前のことですが、勤めに出かけていたころ、「風邪を引いたので、今日は休みます」という恥ずかしいことはぼくにはできなかった。プロ野球選手が「二日酔い」「や「インフルエンザ」を理由に、試合を欠場するなど考えられないことだし、プロとしてあり得ない、恥ずかしいこと、そんな思いをずっと持ってきました。自慢できることではなく、当たり前、その仕事で「客商売(生業)」をしているのですから、体調管理に配慮するのは当然と、当時も今もそう考えている。

 細かい数字(データ)は出しませんが、年間死者数が3万2千人超というのは異様です。交通事故死の最大値は1万6千人超でした。この時代(70年代前後)、「交通戦争」などと報じられ、事故死の減少化を計るために官民挙げて猛烈な対策を講じてきました。人と金をかけて、それこそ「鳴り物入り」での交通戦争「終結」を計った。もちろん、今でも交通事故死は後を絶ちませんが、一時ほどの異常な件数ではなくなった。その原因や理由は説明するまでもないでしょう。交通安全に貢献するための意識の高まりだったと思う。「注意一秒 怪我一生」とか言いますな。

 また、ある時期、この社会では深刻な問題となっていた「自殺死亡」件数。これもさまざまな啓発・啓蒙活動などが一定の効果を上げたのか、一時期ほどの件数の高まりは収まったのかもしれません。もちろん、今でもその傾向は続いており、そのための「予防」策や「注意喚起」の必要性は減じてはいませんが、危険水域を脱したかとも思われます。

 なんでもかんでも横に並べて云々するのは感心したことではないのは承知している上で、「コロナ」禍の恐怖がすっかり取り払われたかのような社会の風潮に、ぼくは一高齢者として、ひそかに危惧し、」杞憂を覚えているのです。感染の恐れがあるものは外出を控えろというのも一理、でも、年間3万人超の死者が出るのは尋常ではありません。いつだったか、首相経験者Aが高齢者に対して「いつまで生きるつもりか」と毒矢を放ちました。いたずらに「長生き」するのは考え物という偏見が抜きがたくぼくの意識に染みついています。もちろん、人によって「長生き」の程度や年齢はまちまちでしょうから、何歳と区切ることは不可能です。でも、置かれた環境で、「自分の位置・立場」を考えるなら、年寄りは、否応なしに「自らの寿命」を心に刻んでおくのは無駄ではないどころか、大事なことだとぼくは考えています。

 「コロナ」は強烈な毒性を有する感染症(Infection)です。いつどこで感染するか分からないからこそ、それなりの注意は必要でしょう。3万2千人からの死亡者の97%が65歳以上だといいます。高齢者だけが生きている社会・集団は、施設や病院を除けば、それほど多くはありません。ということは、「老も若も」共に感染しないための心掛けが求められているというのでしょう。過日、役場から「インフルエンザ」予防接種の案内(医者・医院の紹介)が来ていました。これまで一度も、ぼくはこの手のワクチン接種は受けていません。コロナウィルスが猖獗(しょうけつ)を極めていた数年間でも、一度だって受けませんでした。素人の「生兵法」と謗(そし)られるでしょが、用心するに越したことがないというだけの生活感覚・流儀でここまで来ました。防げるものなら、用心して防ぎたい、それだけの心掛けです。Pay attention ! 注意すべきは「赤信号」だけではありません。「自らに注意する」、それは立派な知能であり、知性ですね。

 ワクチンを接種すれば「安心」というなら、話は別。ダメなときは何をしても駄目でしょうから、ひたすら用心するばかりです。社会の知恵は「子供川端 火の用心」といい、「浅い川も深く渡れ」といいます。また「供養より施行」と諭されても来ました。その心は?

 「成らぬ堪忍するが堪忍」とくれば、もう判じ物になりますね。ひたすら用心、そして大胆に行動。

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ファシズムは太洋上に吹き荒ぶ

 このところ連日、米国大統領選挙報道を現地のメディアを通じて観ています。何を好き好んで、と言われそうですが、この国の「国会議員選挙」には見向きもしないで、本当に我ながら感心するほど、いろいろな報道に釘付けになっているのです。どちらが勝つか、もちろんそれにも大いに興味があります。しかし、それ以上に大きな杞憂を抱くのは、白昼堂々と、国民・マスコミ看視の下で「ファシズム(Fascism)」が大声をあげて天下の公道を闊歩しているという、アメリカ社会の異常な「独裁(dictatorship)」への憑依ぶりにあります。元大統領は国内にいる多くの「政敵」を糾弾・追放するのに国軍を動かすと公言しました。以前から指摘されてきたことですが、このところ頻繁に「ヒトラー」への親和性、近縁性を口にします。元大統領の側近だった人々が、彼の「正体」を交々(こもごも)に暴露し始めていることも驚くべき事態です。

 他国のことだから、そんなにシャカリキになることもなかろうと非難される向きもあろうかと思います。しかし、今日の「日米関係」の観点からすれば、これは「お家の一大事」だと捉えない方がおかしいと思う。「日米従属関係」「米国植民地日本」というほかない事態が、この何十年続いてきました。宗主国の一大天変が起ろうとしているのです。(現下の状況は「日米戦争終結時」からの軌道上にあります)

 それにつけても、ぼくが想起するのは、2016年の大統領選最中に、この国の首相は、いち早くT候補(当時も名代の「嘘つき」だった)(直後に当選)の下に参詣訪問をしました。以来、両者はたびたび会談を重ねます。親交は徐々に深まり、ついには密約まで交わす中になったのは周知の事実。軍事費の倍増をはじめ、両国の為替レートの問題や円安に直結した、日銀による赤字国債の爆買いもこの関係から生まれたはずです。もっと深刻だったのは、「類(嘘つき同士)は友を呼ぶ」「同病(虚言・虚飾症)相哀れむ」というとおり、両者は「憲法」を踏みにじり、集団的自衛権の行使に至る軍事同盟を一層強化するに至ったのです。誰もが、とは言えないでしょうが、当時において米国新大統領の言動に、多くの人々が不安や疑念を抱いていた段階で、日米首脳はぴたりと密着し、両者の個人的蜜月時代、それは、着々と両国の主従関係が強化されていった時代でもありました。

 トランプ氏は「ファシスト」の定義に当てはまる、元側近が語る 「独裁者の手法」好むとも(CNN) 米海兵隊の退役大将で、トランプ政権での大統領首席補佐官を務めたジョン・ケリー氏は、トランプ氏について「ファシストの一般的な定義に当てはまる」との見解を示した。また「ヒトラーに仕えていたタイプの将軍」を求めていたとも評した。22日に公表された一連のインタビューで明らかにした。/大統領選まで2週間となる中、共和党候補のトランプ氏の元側近らからは、同氏の大統領職に対する認識や再選を果たした場合にどのような権力を行使するかについて、警鐘を鳴らす声が相次いでいる。/ケリー氏は2017年から19年までトランプ氏の首席補佐官を務めていた。ファシストにまつわるコメントに加え、米紙ニューヨーク・タイムズとの取材では、トランプ氏が「間違いなく独裁者の手法による統治を好んでいる」との見解を示した。/またアトランティック誌で確認したところによれば、トランプ氏は米軍関係者に対し、ナチスの将軍たちが第2次大戦中にヒトラーに見せたような服従の態度を自身に示すことを望んでいたという。/トランプ氏の陣営はそのようなやり取りを否定。陣営顧問のアレックス・ファイファー氏は「これは完全な虚偽で、トランプ大統領は絶対にそんなことは言っていない」と主張した。(以下略)(CNN・2024.10.23)(https://www.cnn.co.jp/usa/35225262.html

 トランプ政権に仕えた多数の米軍幹部、再選に警鐘  (CNN) 共和党の大統領候補であるトランプ前大統領が選挙当日に「内なる敵」に対処するため米軍を使うべきだと示唆したことで、トランプ氏が再選され、最高司令官になった場合、米軍に要求する可能性のあることについての懸念が再燃した。/そして、トランプ氏について最も明確に警鐘を鳴らしたのは、トランプ氏に仕えた軍幹部らだ。/マーク・ミリー元統合参謀本部議長は、ジャーナリストのボブ・ウッドワード氏の新著「戦争」の中で、トランプ氏は「この国にとって最も危険な人物だ。根っからのファシストだ」と語った。/17日に公開されたザ・ブルワークのポッドキャストでウッドワード氏は、トランプ政権で国防長官を務めたジェームズ・マティス氏から受け取ったトランプ氏に関する電子メールについて触れた。メールにはミリー氏がウッドワード氏に伝えた評価に同意すると書かれていたという。メールの主旨は「脅威は大きいので、脅威を軽視しないようにしよう」というものだった。(以下略)(CNN・2024.10.22 )(https://www.cnn.co.jp/usa/35225200.html

 投票日(11月5日)まで残すところ二週間を切った段階で、元大統領が再選されるかどうか、何とも言えません。しかし、選挙結果がどうあろうと、すでに自らが「独裁権力」の持ち主であると宣言し、なおかつ、選挙結果を混乱させ、「選挙」そのものを無効にすべく(最高裁段階をはじめ、州行政の段階に至るまで)着々と準備を重ねてきているのです。T氏が当選してもしなくても、アメリカは大変な混乱に陥ることは必定で、その結果が及ぶ範囲も想定できないほどの広がりを持つでしょう。初当選の時から、危ぶまれていた元大統領の資性・本性が有する危険性が、ここにきて全開された感があります。「国内の政敵(具体名を出しています)」を打倒するために軍隊を出動させるという「専断」は「独裁(dictatorship)」以外の何物でもありません。無知で怠惰が売り物の元大統領、劣等感が裏返ると、どういうことになるか、それを世界中が目の当たりにするかもしれないのです。まったく同じこと(政敵を逆恨みする)が凶弾に斃れた元首相にも生じました。

 この時世に、しかも民主主義の本山のような米国でそんなことが起きるわけはないと多くの人は思われるでしょうが、実際に「そんなこと」を起こすための「現下の大統領選挙」だというのですから、冗談ごととは受け取られません。アメリカはデモクラシーのお膝元、人権尊重の魁(さきがけ)の国だとみるなら、それは大きな間違い。初めての女性大統領候補者が、一時期の勢いを維持し得て、あるいは「当選か」と期待されていたのは事実ですが、ここへきて、「女性」、しかも「黒人」であるという、彼女の持つ属性、つまり「アメリカにおける二重のスティグマ」が、かえって「藪蛇」「弱点」になっているという観測も盛んに流されています。「女の大統領なんて」「黒人大統領はオバマだけでたくさんだ」という抵抗、ある種の反動現象が混乱をさらに大きくする恐れがあります。

 選挙結果がどう出るかにかかわりなく、現段階でもアメリカは大混乱の事態に突入しています。いまここで詳細は述べられませんが、1950年代初めから「赤狩り旋風」が吹き荒れた、あの忌まわしい政治的事件を、ぼくは想起しています。ウィスコンシン州選出共和党上院議員ジョゼフ・R・マッカーシー(McCarthy)(右写真)に代表される共産主義者追放、「反共ヒステリー現象」。この時も、マッカーシー議員はほとんど有力な証拠も持たないで、アメリカが弱体化した責任を共産主義者に求めたのでした。前年の1949年に、中国(中華人民共和国)が成立していました。繰り返される「嘘」や「伝聞」、「噂」等に基づく「反共運動」がもたらしたのは、国上げての「赤狩り(人身攻撃)」でした。対象になったのは政治家だけではありません。民間人も多数が標的になりました。

 元大統領のどうしようもない「言辞」「言動」もマッカーシー議員に重なるように思われてきます。その先にあるのが「ヒトラー」でしょう。たった「一人の独裁者」が存在しているのではありません。それを支え、邪魔者(政敵・反対者)を除害しようとする無数の同調者もまた、同じように「MAGA」を標榜して、暴力を正当化しているのです。(*マッカーシズム「米国共和党上院議員J・R・マッカーシーを中心に米国内で行われた反共運動。1950年から共産主義者に対する過激かつ狂信的な攻撃・追放が行われたが、1954年マッカーシーが上院の査問決議で失脚するとともに衰退」)(デジタル大辞泉)

 いまさら、「ファシズム」について愚考を巡らすとは思い及びませんでした。しかし、政権党は自己保身のためにはなりふり構わない、また、名目は野党ですが、実質は与党体質・体脂肪を濃厚に含有している各野党は挙って、「政権交代」を言う状況下。それは、まさしく「翼賛体制」「全体主義」の一変形であるといえませんか。そこに屯(たむろ)しているのは「権力亡者」にほかなりません。近いうちに、「ファシズム」について、駄文を弄することになるでしょう。寛恕(generosity)のほどを。

 これは、決して対岸の火事などではなく、今、太平洋上に「旋風」が吹き荒れているのです。それが、折あしく、島国の方々に蓄えられてある「火種」に、一気に点火される起爆の風にならないとは限らないのです。

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2週間で台湾から長崎へ(1400 ㌔)

 海を渡るチョウ「アサギマダラ」 伯耆町の花畑に今シーズン初お目見え 海を渡るチョウとして知られるアサギマダラが21日、フジバカマが咲く伯耆町丸山の花畑に今シーズン初お目見えし、待ちわびた愛好家らが写真に収めた。/アサギマダラは羽を広げた大きさが10センチほどで、茶色に縁取られた薄水色の模様が特徴。初夏にかけて日本に飛来し日本列島を北上、秋に南下して台湾など南方に渡る。2千キロを旅するチョウともいわれる。/花畑は、大山ブナを育成する会(吉岡淳一会長)が2019年から旅の休息地にと整備。昨年はフジバカマが連作障害で枯れ、今年はダンプカー5台分の土を入れ替えてフジバカマとヨツバヒヨドリを植えた。/この日は5匹前後が吸蜜しながら花の間をふわりふわりと舞った。今月初めから楽しみにしていたという同町内の男性(72)は「色合いがきれいでロマンを感じる」と目を細めた。/吉岡会長(82)は「心待ちにしていた。例年より2週間遅れ。しばらく飛んでほしい」と話した。(日本海新聞・2024/20/21)(ヘッダー写真も:https://www.nnn.co.jp/articles/-/409705

「“旅する蝶”と呼ばれる…『アサギマダラ』が三重県御浜町に飛来 秋になると北から南へと1000km以上移動」東海テレビ・2024/10/21)(https://www.youtube.com/watch?v=3LEowb6vKAs&ab_channel

⦿ アサギマダラ(Parantica sita)= 鱗翅目マダラチョウウ科の大型のチョウで,開張は10cm前後に達し,翅は非常に横長である。和名は浅黄色(丹青色)をしたマダラチョウの意である。淡青色の斑紋は前・後翅ともにあるが,地色は前翅が黒色,後翅は栗色である。インド北部,マレー半島をはじめ,東アジアの温暖な地域に広く分布し,日本全国で採集されている。年3~5回の発生。1981年に成虫の長距離移動の実例が確認された。すなわち,キジョランなどガガイモ科の常緑植物の豊富な暖地林で発生し,ここを根拠地とし,ここでおもに1~2齢幼虫が越冬する。5月ころ羽化した成虫の一部が北地,寒地へ移動を始め,おもにガガイモ科のイケマに産卵する。9~10月にかけて,北地や高地の成虫は南下し,根拠地へ向かうものと推測される。近縁種にリュウキュウアサギマダラIdeopsis similis,ウスコモンアサギマダラTirumala limniaceがあり,迷チョウとして九州などで採集されるが,アサギマダラより小さく,斑紋が細かいことで区別される。(改定新版世界大百科事典)

 2週間で長崎から台湾へ 旅するチョウ「アサギマダラ」 バイオパーク・伊藤園長 飛行ルート調査 長距離を渡り「旅するチョウ」として知られるアサギマダラ。長崎バイオパークの伊藤雅男園長(62)が10月に長崎市野母崎樺島町から放った1匹が、2週間後に約1400キロ離れた台湾西部の離島、澎湖(ほうこ)諸島で見つかった。研究者や愛好家らの間では、長崎県上空を飛ぶ「日本海ルート」の存在が知られており、伊藤園長は「澎湖諸島に到達か中継地点とされる説が強まってきた」としている。/アサギマダラは羽があさぎ色(薄い藍色)で体長約10センチ。日本や台湾、韓国などに生息しており、春に北上、秋に南下する。長野県など本州からの飛行ルートは、関門海峡を通る「日本海ルート」のほか、四国などの海岸沿いから台湾へ向かう「太平洋ルート」があるとされている。/伊藤さんは1997年から計8万5千匹超のチョウの羽に印を付けて飛行ルートを調査。今年は県内の山中から約1600匹を放った。今月9日に台湾の調査員によって再捕獲されたチョウは、10月26日に印を付けた130匹中の1匹。今回を含み台湾で見つかった12匹のうち11匹が澎湖諸島という。/伊藤さんは「羽を傷つけながら飛んでいる姿を想像すると感動する。今後もルートについて詳しく解明したい」と話した。(長崎新聞・2023/11/23)

 世界(地球上)には驚くべき事々があります。自然現象(存在や現象)、言ってしまえばそれだけですけれど、その「自然」のほんの表面に一部に住みだしていくらも経たない人間が、あたかも「地上(世界)の王」のような振る舞いを何時から始めたのか、それも、十分に歴史的には解明されてはいません。今でも、都会のど真ん中に「旧石器jん」や「縄文人」が住んでいるともいえますし、そのような祖先とはおよそかけ離れた「凶悪無二」の新石器人が生息しているという錯覚を持っています。

 ぼくは、毎年この時期になると、とても気になる「現象」「存在」がいくつかあり、それを楽しみに、あるいは恐ろしいものと待ち構えながら、待望したり、忌避したりして生活しています。「自然環境」と一口に言っても、ぼくたちには謎だらけ、それを解明しようという悪戦苦闘が人間の探求心の為せる業だということもわかりそうです。どれだけ解明できたのか、ぼくには皆目見当もつきません。しかし、少なくとも政治や経済の面においては、すべては「手の内」だという狂った感情で動いているという禍々(まがまが)しい事実を否定できはしないのです。無辜の民がクラス譲許や病院、学校や公共広場に、それこそ無差別にミサイルを撃ち込む。まるで広島や長崎の原爆投下が今も繰り広げられているのだと、底なしの凶悪をぼくたちは、同時代人として目にしています。どうして人間はおろかなのか、故人としても集団としても。この解き明かせない難題に挑戦し続けるのもまた、人間以外にはないのです。

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 しかし、どこまで行っても謎は残ります。その謎こそが、人間存在の在り方を幾重にも決めて来たのではないでしょうか。この小さな蝶々の生態や生活圏にかかわるすべてがわかっていません。極東の狭い範囲での軌跡にようやく光が当てられかけてはいますが、この地域以外ではどうなっているのか、まだまだ解明されない部分が残されています。長崎新聞(昨年11月の記事)が紹介している伊藤雅男さんは、このチョウの生態を調べるべく三十年近くにわたり、なんと8万5千匹の翅(はね)に標・印にをつけて、その飛翔範囲を追及されているという。このチョウにして、この研究者あり。それが「人類の平和」にどんな貢献をしているのかとは問うまい。人間が人間である限り、何かをしたい、まるで山登りよろしく、「そこに謎があるからだ」というその探求心が、いい意味でも悪い意味でも、今ある地球の状況を齎してきたのです。

 ぼくにはたくさんの「生物学」研究者の友人がいました。同じ学校の別の科に所属していた人たちです。彼や彼女から、ぼくは無知な人間として、たくさんの疑問や愚門を投げかけては失笑されていました。また、アメリカの生物学者のエドワード・O・ウィルソン(Edward O, Wilson:1929 – 2021)の著書から、語り尽くせないほどたくさんの学習をしてきたと思っている。この人は「生物多様性」、「アリの生態」その他、とても広い範囲に及ぶ研究を達成され、斯界(しかい)に限らない範囲に何かと刺激を与えてきた人です。「この昆虫に、この研究者あり」というテーマでたくさんの書物が出来上がっている、そのうちの一人です。

 この地球上にどれくらいの生物が生息(存在)しているか、まったくわかっていません。数百万種類と言われていますが、それは人間の手・目の届く範囲を類推しただけの数字です。あるいはその数十倍はいるかもしれないし、新たな新種がぼくらの知らないところで誕生しているかもしれません。よく「レッドリスト」だとか「絶滅危惧種」などと叫ばれます。それもこれも、人間が知る範囲に限定されているのですけれど、膨大な数の生物が、人間の知りうる範囲から姿を消しているのも現実でしょう。人間の生活が、どれほど多くの生物の存在を脅かし、「絶滅」に手を貸してきたことか。(そもそも、人類はそのリストに入らないのか)

 一枚の写真に誘われて、よしなしごとを愚想してしまいます。一匹の蝶の生態を調べ、一匹のアリの生態を調べるのに、当事者は生涯を費やしても惜しくはないというでしょう。そのような研究の成果は、どこにその価値を見出されるのでしょうか。もちろん単純な事柄ではないのは分かりますが、結局は、この人間という不可思議なものの来し方行く末を確かめることにつながるのだとも言えます。乱暴な表現をすれば、ぼくたちのDNAの中には、アリやアサギマダラの痕跡が入っているかもしれないのですから、生物多様性の解明は、究極には人間の多様性に結びついていくのだろうとおおよその見当(direction)はつけている。ぼくの年中行事のひとつとなった感のある、アサギマダラの「飛来」に甚(いた)く心が騒ぐのも、どこかで「旅するチョウ」への憧れ(類縁意識)が潜んでいるからかもしれません。

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