【有明抄】いい夫婦であるために 結婚式で新郎新婦が交わす三三九度は、大中小3枚組の杯が使われる。祖先に感謝する「過去」と、2人が愛を誓い合う「現在」、そして一家の安泰を願う「未来」の意味が込められているのだとか◆夏目漱石は明治29(1896)年、英語教師として赴任した熊本で結婚した。質素な挙式だったせいか、杯がひとつ足らなかった。のちに妻からそれを聞かされた漱石は「道理で喧(けん)嘩(か)ばかりして、とかく夫婦仲が円満に行かないわけがわかった」と苦笑したという◆たとえ杯がそろっていても、「未来」は見定めがたいものである。近ごろ同居20年以上の離婚が目立つという。離婚件数そのものは減少しているというのに、「熟年離婚」は過去最多で全体の4分の1を占めた◆以前は夫の定年がきっかけだったのが、50代で管理職の肩書が外れ給料が下がる「役職定年」が広がり、危機は案外早く訪れる。きょうは語呂合わせで「いい夫婦の日」。この人を選んで間違いはなかったか。この人を大切にしてきたか。わが胸に問うてみるのが、危機回避の一歩になると信じたい◆漱石は新婚の門下生にこんな手紙を書き送っている。〈夫婦は親しきを以(もっ)て原則とし、親しからざるを以て常態とす〉。仲むつまじくありたいと願っても、ままならないのが日々の暮らしである。とかくに人の世は住みにくい…か。(桑)(佐賀新聞・224/11/22)

誰にとっても、人生の日々はいつでも新しい経験で、前に向かっている限り、お手本がないんですね、「初体験」。日々過ぎ去る生活の背後には「後悔」や「恨(うら)み」や「辛(つら)み」の鬱蒼とした山が築かれていく。瞬間、瞬間が初めて尽くしというのも、考えれば恐ろしいことであり、奇怪なことでもあります。だから、多くの人は、希望や期待、あるいは忌避の感情をこめて「歴史は繰り返す」という「真情」をひき交々に腹に収めてきたに違いありません。自慢から言うのではなく、また後悔の念が言わせるのでもありません、取り返しがつかないという偽りのない現実に対する、慄然とした告白として「結婚五十年を迎えた」と、我ながら驚きをもって感じている。
かみさんと同じ家に五十年、一緒に住んできたというのは、まるでお伽噺のようでもあり、いやいや、それは「怪談」に違いないという感覚があります。つまりは「信じられない」「恐怖に満ちた」という話。漱石さんの夫婦関係については、彼自身が書いていたり、彼の周りにいた人が書いていたり。ぼくにも思い当たる節があるような「行き違い夫婦」だったと思う。ある評論家が「不機嫌の時代」という著書を書かれたが、おそらく漱石や鴎外は「不機嫌派」の代表だったかもしれない。その経緯や内容を話せばきりがありませんから、止めておきますが、次々に生まれてくる子が「女児」ばかりだったと、漱石氏は極めて不機嫌そうに語っている。夫婦仲もうまくなかったのはどちらに原因があったのか。漱石は「三々九度の盃」が一枚欠けていたから、「夫婦円満ではなかった」と納得していたかどうか。

ぼくは三十前で結婚した。かみさんは五歳年上。それは結婚後に知った。結婚式はしないつもりだったが、義理の母になる人に怒られ、急いで段取りを考えた。偶然にぼくの師匠格だった耳鼻科の医者が「カトリック教会」の神父さんと昵懇だったので、その教会で式を挙げることになった。その際、神父さんから、君たちは「信者になるといいね」と誘われたが、体よく断った。披露宴もしないとだめと念押しされたので、その場を探さなければならなかったが、これも誰かの伝手(つて)で、教会と目と鼻の先の「山の⦿ホテル」に決めた。と、出だしから見本も手本もない出発ぶり。漱石の談ではありませんが、ぼくたちは「三々九度」をしていないから、とにかく「喧嘩」ばかり、その合間に「夫婦ごっこ」を演じてきたというありさまでした。そして、気が付けば「結婚五十年」。先日、双子の子ども(娘たち)が食事に誘ってくれた。よく行く寿司屋で「五十年」を祝ってくれたのです。「それにしても、よく続いたね」と、図星を指す。遠慮も配慮もないんだな。
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「人生は朝から始まる」と、ぼくはある哲学者の教えに徹底して倣ってきました。つまりは毎朝、ぼくは生き方・生活をやり直してきたのだ。この哲学者はフランスの高校教師だった人で、毎日の授業に際しては、生徒たちに「質問」「意見」を黒板に書いておくように言って、それを見、答えながら授業に入ったという。ある日の授業で黒板を見ると、「人生に価値があるか」とか、「生きている意味が分からない」という一端(いっぱし)の人生否定に流れる「懐疑派(the Skeptics)」に被(かぶ)れたような「謬見(びゅうけん)」が書かれていた。それを一瞥、生徒の板書を一気に消して(だったと記憶している)、哲学教師は <La vie commence le matin.> と書いた。(ぼくが教師の真似事をしている時代の一時期、「朝はどこから来るかしら?」と書いていた)

結婚前にこの哲学教師の逸話を知って、ぼくは、これを胸に刻んだ。確かに始まりは朝だ。毎日かならず朝が来る。天文の常識からすればなんでもないことでしょう。でも、心も暗く落ち込んだままに夜の帳(とばり)に包まれて、きっと明日の朝は来ないと疑わないのですが、夜明けになると鳥が啼く、虫の声もする。ある時期まで、ぼくは典型的な「夜型」だったが、そ逸話を知ったころを挟んで、すっかり「朝方」になった。ぼくは勤め人時代は、何十年となく「朝三時起床」だった。そして一人で、朝シャワーを浴び、朝食を取り、授業の準備をして、七時前には家を出る。もちろん、かみさんは寝ている。夜は、いろいろと悩ましいことや不快なことが日中にはあったので、きっと「呑み屋」に立ち寄ることにして素面(しらふ)を捨てた。その日の終電(夜中の零時)がぼくの「指定席」でした。家に帰ると、かみさんはまだ寝ている。いったい何時間寝るんだろう、この人はと、ずっと不審に思っていた。学校が休みでない限り、ぼくはかみさんの顔を明るいところで見たことがありません。

〈夫婦は親しきを以(もっ)て原則とし、親しからざるを以て常態とす〉と、漱石先生は自らの体験を述べられている。原則と状態(現実)はきっとそういうものでしょう。ぼくにはよく腑に落ちるのです。「仲よき事は美しき哉」と書かれた絵が呑み屋の「トイレ」に飾ってある。「つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの」というのもあった。実篤さんだって、みつをさんだって、自らの経験(実感)を書画にしたためたに違いありません。夫婦と雖(いえど)も、人間関係の一つのあり方です。こうでなければ、ああでなければという「定型」ではなく、それぞれが「自分流」を作っていく、その後ろに夫婦の歩いた道が、同道した時間に応じて、できるのでしょう。後に続くものはいない。
「この人を選んで間違いはなかったか。この人を大切にしてきたか。わが胸に問うてみるのが、危機回避の一歩になると信じたい」と、コラム氏は軟(やわ)なことを言っていますね。「間違っていた」「大切にしてこなかった」という疑念が、当然のように、日々の中で現れないはずもないのです。もちろん、これはぼくの偶感です。「間違っていた」「大切にしてこなかった」と思ったところで、取り返しがつかないのです。取り返しはつかないけれど、やり直すことは可能だというのが「人生は朝から始まる」「朝はどこからくるかしら?」ですね。「毎日がやり直し」と重たくとらえる必要なない。「おはよう」が朝の始まりを告げてくれるのです。今だって「お休み」などとは、ぼくはまず言わないけれど、「おはよう」は欠かさない。今では、猫たちにも「おはよう」と声をかけている。「ニャー」と答えてくれる。

まだ昨日の課題が頭に残っています。「人生はのこぎりの刃」みたいだと。当たり前ですが、夫婦は二人。似たり寄ったりだけれど、例えてみれば「縦挽きのこごり」と「横挽きのこぎり」で一セット、そんな両刃のこぎりみたいなもの。「木目」に合わせてのこぎりを使う。ぼくにはよくわからないが、夫婦は何十年いっしょにいても、同じようにはならない、同色には染まらない。似ているようで違うんですね。つまり縦挽き用と横挽き用の両刃があるのこぎりみたいなもの。ひとは一人では生きていけないのは、誰かときっと関係を結んでいるということです。夫婦、親子、兄弟などというのは家族です。加えて、友人、知人、先輩などといった近い関係(級友・同僚など)もあります。
どんな関係も、基本は「わたしとあなた」になるでしょう。その二人(一対・いっつい)の関係(素数)が複数個で、入り混じっているのが集団です。大事なのは「わたしとあなた」という祖型(archetype)がぐらつかないことです。家庭の崩壊が叫ばれる時代。しかし、どこまで行っても「わたしとあなた」に還元・解消されない人間関係はないと、ぼくは考えている。その「付き合い」を貴重なものと思えるかどうか、それを学んだのは「夫婦」関係からでした。五十年を超えてなお、その関係はこじれるし、壊れかける、そんな危険性を冒して、人間は夫婦になるのですよ、それはまるで「冒険」であり、少しでも油断すると、墜落したり、衝突死したり。きわめて「危険」なんだ。
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