鳥海の雪映る田を植ゑのこす

 残雪の鳥海山と共演 芋川・桜づつみ(由利本荘市) 秋田の春・桜日和 芋川の両岸には約10キロにわたって約2千本の桜が植えられている。同市の館前橋近くでは、午前中から市民や観光客らが訪れ、写真を撮ったり、桜をじっくりと観賞したりしていた。/大館市から訪れた90代の女性は「桜並木とバックの鳥海山がすごくきれいだ。車から見るのと実際に現地に来て眺めるのではまた雰囲気が違ってよかった。桜の季節に、雲一つない状態で鳥海山の頂上まで見たのは初めてかもしれない」と話した。(秋田魁新報・2026/04/14)

 (ヘッダー写真は「季節限定の逆さ鳥海が出現 庄内地方に田植えシーズン到来告げる」(朝日新聞・2023年5月8日 11時00分)

 「山形、秋田の両県にまたがる鳥海山(2236メートル)の山肌に「種まきじいさん」が姿を現した。残雪に囲まれた地形が腰を曲げて畑に種をまく人の姿に見え、農作業の本格化を告げる春の風物詩となっている。(後略)(山形新聞・2026/ 04/15)

 「米どころの庄内地域で田植え作業が始まっている。好天に恵まれた5日は、残雪の鳥海山をバックに、「逆さ鳥海」が映る水田で、農家が豊作を願いながら作業に励んでいた。(後略)」(山形新聞・2025/-5/06)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 このところ、各地方紙の桜便りに束の間の旅風情を楽しんでいます。大勢の見物客がいない、一枚の写真にぼくは見惚れている。遥かかなたの「鳥海山」を背景に、秋田・山形の季節は移りゆきます。両県とも何度か野暮用で出かけたものでしたが、こんなにゆっくりと「景色」を目にする余裕は持てませんでした。高校時代まで住んでいた京都の住まいはの、背景は「愛宕山」(標高924メートル)(右写真)。毎日朝夕となく、愛宕山(あたごさん)を望みながらの明け暮れだったことを懐かしく思い出しています。山が動いたという人がいましたが、動いてもらっては困るという反発心もまた、ぼくにはあります。鳥海山を主人公にした「写真」、この「静止画像」を目にしつつ、春は過ぎ、夏に向かう。

 芭蕉は遥かの昔、「行く春や近江の人と惜しみけり」と詠みました。「志賀唐崎に舟を浮べて人々春を惜しみけるに」と前書きに。元禄3(1690)年3月、俳聖47歳の作。「おくのほそ道」の東北行にも触れたのですが、それは別の機会に。彼が旅に誘われた理由が、この年になると少しはわかる気もしています。

 表題句は秋櫻子さんの作です。はじめは短歌(窪田空穂氏に師事)、その後俳句に(虚子のもとに)。やがて写生派の虚子と別れ、抒情の回復を図る。稼業の産婦人科医でもありましたし、頻繁に旅に出ておら得r他。まさに超人的な多忙の中での句作でした。表題句はスケールの大きさと(田植えのという)人事の取り合わせです。植え残したのはどうしてでしょうか。「鳥海」の姿をわずかでも留めておきたかったからでしょうか。

◎ 水原秋桜子 (みずはらしゅうおうし) 生没年:1892-1981(明治25-昭和56)= 俳人。東京生れ。本名豊。別号喜雨亭。1918年東大医学部卒。家業の産婦人科病院を継ぐ。22年,富安風生(とみやすふうせい)らと東大俳句会を再興し,高浜虚子に師事した。短歌的抒情を導入,感動を調べで表現する清新典雅な自然諷詠に新風を樹立,山口誓子,阿波野青畝,高野素十と共に4Sと呼ばれて昭和初期の《ホトトギス》に黄金時代を築いた。28年,昭和医専の教授となる。30年には第1句集《葛飾》を上梓,みずみずしい抒情世界は青年俳人を魅了し,新興俳句の口火となり,石田波郷,加藤楸邨らの俳人を育てた。しかし主観や抒情を重んじる傾向は虚子の客観写生と対立,31年主宰誌《馬酔木(あしび)》に論文〈自然の真と文芸上の真〉を発表して《ホトトギス》を離脱した。35年有季定型の立場をとり,以後《馬酔木》により俳壇の重鎮として俳句の発展に尽力した。幅広い教養と洗練された美意識に基づく自然諷詠を本領とし,晩年は身辺諷詠に円熟を示した。〈啄木鳥(きつつき)や落葉をいそぐ牧の木々〉(《葛飾》)。(改定新版世界大百科事典) 

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「働いて…」は、こういうことだった

【桜紀行】飯舘三千本の復興桜(福島県飯舘村) 福島県飯舘村伊丹沢の会田征男さん(81)、ツタ枝さん(79)夫妻が1998(平成10)年から、自宅の桑畑に桜の苗木を植えてきた。ソメイヨシノやオオヤマザクラなど計約3千本が山里を薄紅色に染めている。/東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされても飯舘の自宅に通い、樹木を手入れしてきた。村に帰還後は「村民が集える場にしたい」との願いを込めて、ボランティアと一緒に管理を続けている。
 18日午後5時から同8時までライトアップする。19日午前10時から午後3時まで桜祭りを催し、出店やバンド演奏などが繰り広げられる。/【アクセス】飯舘村役場から車で約5分。(福島民報・2026/04/18)(ヘッダー写真も)

 桜は人をある種の酩酊状態(intoxicated state)に誘うのでしょうか。もちろん花見客は言うまでもありません。それ以上に「桜を植える・育てる」人の気持ちが、わずかながらもわかる気もします。福島ヘは何度か出かけたことがありました。震災直後の夏にも郡山まで行って、その状況を遠見した。先輩(三年前に亡くなられた)が相馬におられ、その後の復興状況を直接に伺ってもいました。おそらく、この先、あるいはぼくの福島行きはかなわないだろうと考えていますが、いろいろな情報を得ての、現段階の感想を言わせてもらえれば、人が去り、人が住まなくなる地域として、あるいは「福島」は多くの証言を「現代の歴史」に刻み続けるのだろうと思う。各地の桜模様が、今春も繰り広げられましたが、地震に遭遇し、原発事故に襲われつつ、なおも生き延びている、「命」の健気さ、蘇生力の強靭さを、ぼく自身の支えとして、荒れ果てる寸前の拙宅の庭に心を移して、「木魂(樹木に宿る精霊・木の精)」の前で瞬間でも「虚心」になれればと願っています。(上の写真は昨年の同時期のもの:福島民報・2025/04/22)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

⁂ 週初に愚考する(115)~ 《1972(昭和47)年6月17日、8年近くの長期政権を担った佐藤栄作首相が退陣表明の記者会見に臨んだ。「テレビは真実を伝えるが、偏向している新聞は大嫌いだ」「帰ってください」などと発言。記者が抗議して総退席した後も一人テレビカメラに向かう異例の会見となった》(共同通信・2019年06月17日 08時00分)

 この場面をよく覚えています。権力者の「引き際」というのか、あるいは末路というべきか。この首相に対して、ぼくは一貫して「横柄」「不遜」「権高」という印象しか持てなかった。理由はよくわからないが、いわば「肌合いが合わない」(という表現は、彼我の人間力の差からは適切な物言いではないでしょうが)、そういう感覚しか持てなかったのは事実。「沖縄返還(本土復帰)」を成し遂げた首相と高く評価されますが、その内実は「密約」その他の虚偽がありすぎたのも事実。また、余談ですが、「ノーベル平和賞」を授賞された際の政治的駆け引きも、いかにもこの人物らしいと、ぼくは嫌な気分になったことも。今なおその嫌な感じが残り続けている。その雰囲気を、当代の米国現大統領、日本首相にも感じている。

 このS 総理の本音は「断固として批判は許さない」という狭量さ(narrow-minded)、小心翼々(timid)だったでしょう。こういう人間が政治家になるとどうなるか、その「去り際」において、鮮やかに人間性のけち臭さが晒された、器の小ささを如実に示した、「一場の寸劇」、実に醜悪でしたね。「横柄さ」「虚言癖」に関して、現首相と比較するつもりはありません。けれども、権力志向の旺盛な(唯我的)人間に、どこかで共通する「性格」「特質」「傾向」「偏向」があると思われます。その第一は「他からの批判は断固として拒否」という最も政治家に必要な度量(generosity)というものの「欠如(lack)」でしょう。「我執」「我臭」がありすぎます。見るだけで、その臭気が芬々としているのを感じるのですよ。

【金口木舌】空虚な空間 情報収集がてらスマートフォンでX(旧ツイッター)を眺めていると、高市早苗首相の投稿に時々出くわす。フォローしているわけではないが、つい読んでしまう▼内容は日々の首相動静や政府の施策など。ロックバンド「ディープ・パープル」のメンバーと面談したという投稿が話題となったが、首相のSNS多用には記者会見や国会審議にもっと時間を割くべきだという異論もある▼SNSならば既存メディアを介さず、議会の洗礼をくぐり抜け、効率よく政府・与党の方針が伝わると考えているなら勘違い。議会や記者の質問や追及を避けてばかりでは、国民の理解も広がらない▼首相とメディアの関係で引き合いに出されるのが1972年6月の佐藤栄作首相の退任会見。「新聞は偏向している。私がテレビを通じて国民に直接話したい」という理由で会見場から記者を締め出した▼テレビカメラに向かって話す佐藤首相の前には、がらんとした空間が広がっていた。Xで情報を発する高市首相の周囲に広がる空虚なネット空間を想像する。生身の人間に直接語りかけ、反論を聞く機会を増やしてはどうか。(琉球新報・2026/04/19)

 「首相のSNS多用には記者会見や国会審議にもっと時間を割くべきだという異論もある▼SNSならば既存メディアを介さず、議会の洗礼をくぐり抜け、効率よく政府・与党の方針が伝わると考えているなら勘違い。議会や記者の質問や追及を避けてばかりでは、国民の理解も広がらない」(「金口木舌」)といっても、聞く耳を持たないのですから、始末に悪いですね。この自己主張が自己欺瞞に裏打ちされている人間ほど、誠意や寛容から距離のある人間はいないと、ぼくは経験から学んできました。「自分は偉い」と思うって、どういうことなんですか。「偉い」ということの実態がわかりません、ぼくには。

 首相が就任したのが昨秋、以来、半年が過ぎましたが、この間、首相はどういうことをしたか、ぼくには思い当たらない。驚くほどの自己主張・自己弁護は目立ちましたが、「働いて…」という「口上(speech)」は、この人にとっては口から出まかせだったことが今にしてわかります。目立ちたがりの批判嫌い、これではまともな、地に足のついた政治ができないのは道理です。そして、ここにきてあまりにも「横柄な態度」が目につくのが「間違いを認めない」「自説を曲げない」という政治家失格の、無責任な態度でしょう。細かいことは言いません。過日の自民党大会で「現職自衛官」が「国歌(君が代)」を斉唱した問題でも、「私は知らない」「法的に問題はない」「自衛隊法違反にあたらず」と、判で押した反応しかできないままです。明らかな「イハン・いはん・違反」ですよ。自分で勝手に決めるものではないでしょう。この「不誠実な無反応」に対して、他の閣僚も右へ倣えです。早い段階から、この首相が辞めない限り「国難」は続くと、ぼくはいっていましたが、今でも、一層強く思っている。

 当たり前のことですね、どんな人にも「他者の評価」はついて回ります。「毀誉褒貶(きよほうへん)(public criticism)」というものでしょう。誉(ほ)める人がいれば貶(けな)す人もいる。「毀」と「貶」はどちらも欠点を衝く批判・非難を指す。また「誉」と「褒」はどちらも「ほめる」です。いかなる人間でも、いずれか一方だけということはないでしょう。

 少し意味合いが違うかもしれませんけれど、「蓼食う虫も好き好き」といいますからね。「蓼(たで)」とは「タデ科植物の総称」で、「香辛料」として利用される。「辛い蓼を好んで食う虫があるように、人の好みはさまざまで、いちがいにはいえないというたとえ」(精選版日本国語大辞典)「位、人臣を極める」ような人物への「好き嫌い」の程度は、常人とは比較を絶して大きな意味があるでしょう。一国の権力者が「蓼(たで)」というつもりもありません(いや、ちょっとはあるか)。しかし、我が意に反して「悪政」「苛政」を施そうとするなら、たとえ「蟷螂之斧」と評されようとも、身の程は顧みつつ、批判の声は上げ続けるべきだと思っている。

(*「とうろう【蟷螂】 が 斧(おの)を=もって[=取(と)りて・怒(いか)らせて]隆車(りゅうしゃ)[=龍車(りゅうしゃ)]に向(む)かう=(カマキリが、前足をふりあげて、高く大きい車に立ち向かうの意 ) 弱者が、自分の力をかえりみないで、強者に立ち向かう。無謀で、身のほどをわきまえないことのたとえ。蟷螂手をあげて隆車に向かう。蟷螂車をさえぎる。蟷螂が斧。蟷螂の斧」(精選版日本国語大辞典)

 「議会や記者の質問や追及を避けてばかりでは、国民の理解も広がらない」「Xで情報を発する高市首相の周囲に広がる空虚なネット空間を想像する。生身の人間に直接語りかけ、反論を聞く機会を増やしてはどうか」とコラム氏は温情を掛けられるが、もう遅いでしょう。「国民の理解」はもういい、抜き打ち選挙の「民意(大勝)」だけで、何でもできると、議会も無用と言い出す始末です。米大統領に「侮蔑されて」も、それを意に介さないほど「異常心理」に覆われているのでしょうか。今やるべき喫緊の課題は何か。少なくとも「憲法改正」や「スパイ防止法」などという、国論を二分するような問題でないことは確か。この御仁、目が覚めないで「女性初」の二弾目、三弾目を狙っているのでしょうか。困った方だ。いずれ、早い段階で「私は辞める」とSNSで囁くのかもしれません。 「乞う、ご期待!」ですな。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

平時にあって、戦争は続いている

 最近(この十年ほど)、国会中継を見ることはまずありません。見ていると腹が立つということもありますが、すべてが「儀式」になり下がっていて、どこにも緊張感がないという、この議論の空虚さに耐えられなくなったからです。昨日は、久しぶりに「国会中継」を見てしまいましたが、その30分の時間がぼくには耐えられなかった。見るに耐え(られ)ずという意味です。内容浅薄なら、薄っぺらいけれどもそれらしい「議論の欠片(かけら)」があるのでしょう。しかし内容空虚であれば、まことに聞くも虚(むな)しいという気分に襲われるだけです。「スパイ防止法」などといういかがわしい法案を導くための「国家情報会議設置法案」の審議入りがありましたが、国会のこんなに酷い為体(ていたらく)では、先が思いやられる、いや明日でさえ危ないという気がします。どこかの学級会の風景の方がまだましという、感想をぼくは持つ。(いつでもカンニングペーパーが横から入れられる、こんなおかしな「八百長芝居(rigged play)」はおそらく、ここ以外では滅多に見られないでしょう)

 (ヘッダー写真:「国会前で、改憲やホルムズ海峡への自衛隊派遣に反対を訴える人たち=2026年3月25日午後8時11分、東京都千代田区、筋野健太撮影」朝日新聞・2026年3月31日 7時30分) 

 現下「ホルムズ海峡」の主導権をめぐり、米・イ間で「不毛な攻防」が続いていますが、それを横にして、この国の化石燃料問題に関する政府答弁は「石油備蓄があるから大丈夫」というばかり、どれだけの根拠があるともいわず、とにかく来年までの「調達のめど」はついたというだけ。実に真剣味がない、ある意味では不誠実・不真面目そのものです。早い話が、2月28日のアメリカ・イスラエル両国によるイランへの軍事攻撃開始以来、一隻のタンカーもペルシャ湾経由で日本の港に入っていないにもかかわらず「だいじょうぶだあ!」とは、まるで故志村けんさん譲りのバカ殿ぶりです。

 昨日の問答を聴いていて、野党側も、実は「スパイ防止法」に賛成なのだと勘繰ってしまうほどの能天気ぶりでした。質問する側は「まさか個人情報を恣意的に集めないでしょうね」と尋ね、「一般的には市民の情報を集めることは想定しえない」と首相は答える(誤魔化す)。現に、「でも」参加者の顔写真や身元調査を公安庁はやっているにもかかわらず、です。ぼくであえ、何度もやられてきました。「そんなことはいたしません」とは口が裂けても言わない、「想定しがたい」ことはいつだって「あり得ます」ということでしょ、その意図を知ってか知らずか、質問者は問題を素通りしてしまう。「仲間」は責められないということだったか。議員諸君は「国が敗れても」、議員でありさえすればいいと考えているようです。

 これを何問答というのでしょうか。「頓珍漢問答」でしかないと、ぼくは断じたいですね。政府に反対するという理由で市民がデモに参加しても「プライバシーの侵害はないでしょうね」と訊かれて「一般市民というだけで、デモ参加者が調査の対象になるとは、一般的には想定しがたい」という。この「蒟蒻(こんにゃく)」問答にもならない「眼晦(くら)まし問答」を真に受けて、メディアは「市民は調査の対象外」と、何を血迷っているのか、平気で書く。「よいしょ」「提灯持ち」「褌(ふんどし)担ぎ」そのもので、新聞よ、そんなことでいいのかと、記事を読みながら反吐が出そうになるし、腹の底からの非難も生まれる。「(一般論ですが、と断りつつ)それだけの理由で、…とは想定しがたい」と詐術を多用する(常習犯)首相。個人の権利である「表現の自由」を、時と場合では「取り締まる」「踏みにじる」と公言・広言しているんですぜ。驚くばかりの「憲法違反」答弁を引き出しておきながら、「安心しました、ただ今の総理の御答弁で」と礼を言う始末。阿保かいな、とぼくは独語する。どこと戦争を始めるための準備か、ぼくには見当もつかないが、国力が著しく衰退する中、「戦争序曲」ばかりがが鳴り響いている。虚しく、悲しく、寂しいね。

 以下は、読んでの通り。新聞記者(井上靖氏)の「意気地」の表出、その記憶を新たにする。「一寸の虫に五分の魂」と、精一杯の「肺腑の言」を記した井上靖さんの「思想」を、「いまさらのように新たにする」コラム「有明抄」氏の「思想」でもあります。新聞・テレビが死命を制せられているただ今現在、虫の息ではあっても、なお「新聞は死なず」というメッセージを訴え続けてくれる新聞人はいないのだろうか。きっといるんですがね。(左写真:2026年4月8日、国会議事堂(衆議院)の向かい側でデモが行われた・時事通信社)

******

 <蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜>

(「悠々のこの句作が世に出た1935(昭和10)年は、31(昭和6)年の満州事変、32年の五・一五事件、33年の国際連盟脱退と続く、きなくさい時代の真っただ中です。翌36年には二・二六事件が起き、破滅的な戦争への道を突き進みます。/もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たちの新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければなりません。それは新聞にとって権利の行使ではなく、義務の履行です」澤藤統一郎の憲法日記・https://article9.jp/wordpress/?p=13309)(澤藤さんは東京弁護士会所属の弁護士。1943年生まれ)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「旧聞」ですが。八十年を隔てて、新聞人が、かすかに響き合っている風情をぼくは感じていました。〈われわれは今日も明日も筆をとる〉、八十年後の記者氏は、果たして何のために筆を執るというのでしょうか。「戦争」に向き合うだけでは足りない、それは歴史が教えているのですから。とにかく、「歴史から学ぶ」、この作業を怠ってきたから、こんなに不遜で、しかも国民をいささかも顧みない政府・政治家が生まれてしまったのです。もう間に合わないではなく、まだまだ間に合うのです、その気になれば。

【有明抄】今日も明日も 『敦煌』などで知られる作家井上靖は、若いころ新聞記者だった。京都での取材を終えて支局に立ち寄ると、慌ただしい様子で同僚が教えてくれた。「あす重大発表があるそうです」。昭和20(1945)年8月14日のことである◆翌日正午、「玉音放送」は流れた。井上はその所感を記事にまとめた。「この記事を書くために俺は新聞社に入って来たんだ」。そう言って書き上げた原稿を紙面編集のデスクに渡したという。「もう、これでいい」。これ以上のものを書くことがあるとは思えない、と◆玉音放送から80年目のきょう、本紙は当時の紙面をもとに特集を編んだ。戦争遂行に加担した新聞の責任を苦くかみしめつつ、井上と同じく万感胸に迫る思いで記事をつづった、名も知らぬ先輩たちの姿を想像してみる◆「8月15日」は敗戦を国民に伝えた日には違いないが、決して戦争の終わりではなかった。旧満州(中国東北部)や千島列島ではソ連軍の侵攻が続き、逃げ惑う人びとにとって苦難の始まりにすぎなかった。空襲被害の救済や戦争孤児、兵士の心の傷…。さまざまな爪痕が戦後なお放置された◆いまを生きる私たちが向き合い、語り継ぐべき歴史はまだある。玉音放送のあくる日、トップを飾った井上の記事は国家再建を誓い、こう結ばれている。〈われわれは今日も明日も筆をとる〉(桑)(佐賀新聞・2025/08/15)

● 井上靖(いのうえやすし)[生]1907.5.6. 北海道,旭川 [没]1991.1.29. 東京=小説家。金沢の第四高等学校理科,九州大学法文学部 (中退) を経て 1936年京都大学哲学科卒業。京大在学中,戯曲『明治の月』 (1935) が新橋演舞場で上演され,時代小説『流転 (るてん) 』 (36) で千葉亀雄賞を受けた。しかし卒業後大阪毎日新聞社に入社して筆を絶ったが,第2次世界大戦後芥川賞を受けた『闘牛』 (49) ,『猟銃』 (49) で復帰,文名を確立した。勝負師的な行動家の激しい情熱と,それに伴う内面の虚無という鮮かな対照を個性的な人間像とともに描く『黯 (くろ) い潮』 (50) ,『黒い蝶』 (55) ,『氷壁』 (56~57) などを書き,物語作家としての才能を示した。その後歴史小説に新生面を開き,『風林火山』 (53~54) など日本の戦国ものを経て,鑑真 (がんじん) 来朝に取材した『天平の甍 (いらか) 』をはじめ,『楼蘭』 (58) ,『敦煌 (とんこう) 』 (59) ,『蒼き狼』 (63) ,『風濤』 (63) など茫洋とした歴史的時間を再現する大陸ものへと発展を示した。『孔子』 (89) が遺作となった。 59年日本芸術院賞受賞。 64年芸術院会員。 76年文化勲章受章。(ブリタニカ国際大百科事典)

~~~~~~~~~~~~~~~~

 「戦争反対の声も上げられなくなる」監視社会招くスパイ防止法と国家情報会議に反対 国会前ペンライト行動 政府のインテリジェンス(情報の収集・分析)の司令塔となる「国家情報会議」創設法案や、スパイ防止法制定に反対する複数の市民団体が17日夜、国会前で「4・17議員会館前ペンライト行動」を開き、多くの人たちがペンライトを振りながら成立阻止を訴えた。/秘密保護法対策弁護団などが呼びかけた。2月に続いて2回目。主催者によると、約3500人が参加した。/弁護士の海渡雄一さんは、創設法案などについて「今も政府の政策に疑問を発信すると交流サイト(SNS)で『スパイか』と言われてしまうが、(法案が成立すれば)公権力が攻撃し、表現の自由が侵害される」と指摘。「戦争に反対と言うことも『スパイだ』とレッテルを貼って黙らせる制度を完成させようとしている」と警鐘を鳴らした。(↷)

 立憲民主党の千葉県松戸市議の岡本優子さんは「ここで私たちがひるめば、戦争反対の声を上げられない監視社会になってしまう。今、皆さんが掲げているペンライトもノーという表現の一つだが、この表現の自由もなくなってしまうかもしれない」と訴えた。/色とりどりのペンライトを手に、ウサギの仮面や電飾で光るよろい兜(かぶと)などで装いを凝らした参加者たちは、音楽に合わせて「市民監視の法律いらない」「自由を縛る法律いらない」などとコールを繰り返した。(高山晶一)(東京新聞・2026年4月17日 21時47分)

 高市首相「普通の市民、想定せず」 国家情報会議創設法案で 高市早苗首相は17日の衆院内閣委員会で、インテリジェンス(情報収集・分析)の司令塔機能を担う「国家情報会議」創設法案を巡り、「政府の政策に反対するデモや集会に参加していることのみを理由として、『普通の市民』が調査対象になることは想定し難い」と述べた。中道改革連合の長妻昭氏への答弁。/長妻氏は各省庁に情報提供を求める権限が与えられる「国家情報局」などが、政権の都合に合わせて政治利用される危険性を指摘。首相は「スキャンダルについて、マスコミや野党の追及をかわす目的だけで情報活動を行うことは現在も想定していないし、今後も行わない」と強調した。/法案は首相を議長とする国家情報会議を創設するほか、内閣官房の内閣情報調査室を国家情報局に格上げする。「スパイ防止」を目的とした新たな調査権限などは盛り込まれず、政府・与党は法案成立後に防止のあり方などについて検討を進める方針だ。/与党は22日の内閣委で法案を採決した後、23日の本会議で衆院を通過させる構え。野党は個人情報やプライバシーの保護、政治的中立性などに関する配慮を定める付帯決議を求めている。【田中裕之、原諒馬】

「中道改革連合の長妻昭議員は17日、衆議院内閣委員会で審議されている「国家情報局」設置法案を巡り、高市早苗首相に、情報収集に伴う人権侵害の懸念について質した。/長妻氏は「強い法律には副作用もつきものだ」と指摘し、「人権侵害やインテリジェンスの政治化が非常に心配される」と述べた。その上で、政府の政策に反対するデモ参加者に対する顔写真や職業の調査について「こういう情報活動はしてはいけない」として見解を求めた。/高市首相は「政府の政策に反対するデモそのものが情報活動の関心の対象となることは、一般的には想定し難い」と答弁し、「参加しているということのみを理由として、普通の市民の方が調査の対象になることも想定しがたい」と説明した。一方で「デモが過激化し危害が及ぶ事態に発展するかどうか」といった観点から関心を持つ可能性には言及した。(毎日新聞・2026年4月17日)(「⁂ 高市首相「デモ参加だけで調査対象は想定し難い」 国家情報局設置法案で質疑(①https://www.youtube.com/watch?v=XwaCctUoKLQ)(②https://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=56184&media_type=

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「小さな不便は国の危機」です

 新芽きらきら、爽やかな香り! 高知県仁淀川町で一番茶の収穫始まる 県内有数の茶どころの仁淀川町で14日、一番茶の収穫が始まった。仁淀川沿いの段々畑では緑黄色の新芽がきらきら。生産者らが手際よく刈り取ると、爽やかな香りが広がった。/県によると、 2025年の仁淀川町の茶農家は142戸で、生産量は県内2番目に多いという。/黄色の新芽が輝く仁淀川沿いの段々畑 この日は池川茶業組合の農家ら10人が同町大板の茶畑(約50アール)で摘採機などを使って作業。刈り取ったみずみずしい新芽約400キロを町内の加工場に運んだ。/今年は少雨で芽立ちが遅い畑があるものの、霜害は昨年より少なく生育は順調という。同組合の一番茶収穫は5月10日ごろまで続き、36トンの収量を見込む。/24年の県民1世帯当たりの緑茶購入額は1535円(全国平均3194円)で全国46位。品原伸組合長(37)は「一番茶は春先の優しい日差しで育ち、渋みが少なく甘みとうまみが強い。茶葉を使ったプリンなどもあるので、ぜひお茶に触れてほしい」と話していた。茶葉は今月20日ごろから販売する。(伊野部重智)(高知新聞・2026/04/16)(ヘッダー写真も)

 毎日、朝のお茶は欠かせません。起床すると、猫に食事などをやりつつ、お湯を沸かし、日本茶を入れる。それは午前3時であろうが、5時であろうが変わらない、ぼくの日課です。まあ、ある種の「位置について」かもしれませんね。今朝も、飽きもしないで、性懲りもなく「駄文」を書いているのが午前5時。喫茶の習慣はもう半世紀も続いているでしょうか。必ず日本茶です。ゆっくり「一服*」、お茶を飲みながら、日の出を見たり、鳥の鳴き声を聞いたり。慌ただしいのは嫌いですから、まあ、お茶はぼくの一粒の「精神安定剤」、あるいは一服の「清涼剤」かもしれない。時には面倒なことや忙(せわ)しない出来事に遭遇するのですが、だから「お茶を濁す」ということがあるかもしれない。「いいかげんに言ったりしたりしてその場をごまかす」(デジタル大辞泉)そんな面倒なことがぼくに起こるというのは滅多にありませんけれど、とにかく、「おーい、お茶」です。かみさんはまだ寝ています。

 (*いっ‐ぷく【一服】読み方:いっぷく [名](スル)1 茶やタバコを1回のむこと。また、その量。2 茶やタバコをのんで、休息すること。ひと休み。「ここらで—しよう」3 粉薬1回分。「朝夕—ずつ服用」4 取引相場で、相場がしばらく安定した状態を保つこと。「—感」(デジタル大辞泉)

 「三遍回って煙草にしょ」というのもありました。「《夜回りで、三度見回ってから休憩しようの意から》休むことを急がず、念を入れて手落ちのないように気をつけよう」(デジタル大辞泉)今では全く使われなくなりましたね。不思議なというか、とても知恵のあることわざだと、ぼくは感心したこと覚えています。「仕事の段取りをつける」ということだったと思います。

 ある時期までは、毎年のように静岡・伊東や伊豆あたりに出かけては農家からお茶を買っていました。ほとんど同じお茶屋さんからでした。今も変わらないでしょうが、東海道新幹線に乗車していると、ぼくには富士山よりも掛川や富士当たりのお茶畑を見るのが楽しみでした。見事なものでしたね。「丹精を籠める(心を込めて物事に当たる)」というのは、あのような農作業(仕事)をいうのでしょうか。

 これも、二十年ほど前になりますが、ある小さな国立の学校、それは静岡県の安倍川の西側、内牧という地域にありましたが、そこを訪問し、その時に「これは生徒たちが育てたお茶です」といって、学校自家製の「お茶」をいただいたことがあります。どこの学校もそうだとは思われませんで、その学校に特有の「教育(授業)(カリキュラム)」の一環にお茶の栽培が組み込まれていたのでした。「園長(所長)」のお招きで、子どもたちとも話しをしながら、いろいろなことを考えさせられたことがあった。正式名称は「駿府学園 静岡少年鑑別所」、ぼくは入所した経験はありませんが、何かとかかわりがあった学校の一つだった。(今でも、卒業生の何人かは、職員・教官として、各地の「学校」に務めているはずです)その敷地内に広大な茶畑があり、園生たちが「丹精をこめて」育てていたのでした。再び「丹誠」という語を使いたくなりました。文字通り、手づくり、手を掛けるという作業は「人間教育」にも大きくかかわる事柄ではないでしょうか。

 「田植え」と同じように「茶摘み」にも長い歴史がある農作業で、主として女性の仕事だったと思われます。「生産」(「産む」)に携わることは、神事につながる貴重な機会だったでしょう。「茜襷(あかねだすき)に菅の傘」と謳われた作業は、田植え同様、今ではすべてが機械仕事になりました。それは当たり前のことで、合理化は機械化でという、現代農業の工業化現象でもあるのでしょう。お茶好き人間の願いからすれば、毎朝、心おきなく「一杯のお茶」が飲める、この「ゆとり」だけは奪われたくない。でも、その根元から、驚くべき物価高騰の波をまともに受けているのも、この「お茶」です。半端じゃない値上がりですよ。必要以上に「苦いお茶」になるようで、苦々しい思いがしています。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【有明抄】小さな不便 新品を買うことはできるが、古いものを修理することはできない。「これは国の危機だ」と米国の人気コラムニスト、アンディ・ルーニーが嘆いていた。1980年代のことである◆車の窓が開かない。蛇口が水漏れしている。トースターが壊れた…。世の人びとは、そんな「小さな不便」に助けを求めている。なのに、ほころびをさっとつくろってくれる洋服屋も、丁寧に庭の芝刈りをしてくれる職人もいない。〈だれも些(さ)細(さい)な仕事はもうしなくなった〉◆そんな一節を思い出したのは、東京の飲食店での出来事。高齢の夫婦がタッチパネルの注文に戸惑っていた。店員に声をかけても説明が要領を得ない。片言の日本語が聞き取りにくかったのかもしれない。「あんたじゃ話にならん」と別のスタッフを呼ぼうとしたが、店内は外国人の店員ばかり◆世間で取るに足らないと見られている仕事ほど、社会を支えているものである。「きつい」「給料が安い」と敬遠され、人手が足りない。頼みは外国人労働者だが、最長5年間働ける「特定技能1号」の受け入れ数が上限に近い業種もある。すでに満杯の外食産業は13日から新規受け入れが停止された◆暮らしを「ひと任せ」にしているうち、小さな不便がやがて取り返しのつかない不便になる。ルーニーならずとも「これは国の危機だ」と叫びたくなる。(桑)(佐賀新聞・2026/04/17)

 「新品を買うことはできるが、古いものを修理することはできない」「これは国の危機だ」まさしく我が意を得たりというべきか。先ごろ、かみさん愛用の車の車検を受けた。その際に、バックライトのカヴァーの一部が破損していた(ブロックかなにかでこすったらしい)ので、その部分だけを修理してもらおうとしたら、バックライト装置そのものを取り換える必要があるという。よくある、一個の部品だけを修理しないで「基盤全体」を交換するというやつ。修理代込みで数万円もした。間をおかないでもう一方の同じ部分も、驚くほどの高価な取り換えを余儀なくされました。(かみさんは運転は決して上手ではない、下手ですね』ぼくが乗っている車のトランクのダンパー部分が故障しているらしいので、修理したい、どれくらいかかるかと尋ねたら、部品がないので修理不能だといわれた。時代は鬼気・危機迫る事態を迎えています。

 その昔、都内本郷に住んでいたころ、真空管アンプやをステレオ装置の部品を、散歩をかねて秋葉原に行って、そこで買ってきて、見よう見まねで、音響機器を自作していた時代が懐かしくなります。はんだごてを使って溶接する作業にも興味を持つようになった。今では、部品そのものが扱われなくなって、「基盤」をそっくり取り換えるという。そして、実に奇妙にも思われるのですが、今は「真空管アンプ」は、とてつもない高価な贅沢品の典型のようになっています。貧乏学生には「垂涎の的」だった「(ラックスの)SQ-38FD」なるアンプ、先輩の耳鼻科のお医者さんが所有していて、それこそ、その音を聴くたびに、いつかこれを自分も持ちたいものと、恋焦がれてもいました。当時の三年分の年間授業料に相当していたのではなかったか。今を去る、六十数年前のことでした。

 修理ではなく買い替え、これが時代のトレンドでしょう。やがて、その風潮は人間をはじめとする命(いきもの)そのものにも及ぶのです。もう及んでいるでいるところもある。確かに「小さな不便」が修理可能だった時代を知っている人間からすれば、修理できるのにしないという、いかにも貧しい環境(物を大事にしない)風潮が方々で蔓延している時代と社会で生きている、歪んだ環境にいることを痛感するのです。ネットで、どんな古いものでも電気製品であれば、とにかく「修理に挑戦する」職人(技術屋)さんが話題になっているようです。部品がなければ、自作するという。こんな職人はどこにもいた時代が、懐かしいだけでなく、かえって、人間の生活だったという感覚がぼくの中に、まだ息づいているのです。今は「一個のパーツ」の寄せ集めではなく、全体が「一個のパーツ」である、そんな時代でしょうか。

 「便利は不便と隣り合わせ(Convenience is always accompanied by inconvenience.)」です。

 よく「使い捨て」などどいわれた時代が始まった当座、大変なことが起こっているという実感がありましたが、今では、その風潮は諸事万般に及んで、無駄や浪費の極みを目指していると思うほどに、この社会は危ない方向に進んでいるのでしょう。ものを大事にしないところで、ひとが大事にされるはずもないといいたくなります。ぼくは自分では「物持ちがいい方」だと思い込んでいます。買ったものは捨てない、手元にあるものも簡単には処分しない。だからなんでも溜まる一方です。最も長く保存しているものには本がある。それこそ学生時代に購入したものから、ほとんど処分していません。65年は所持しています。

 次に古いものは「かみさん」で、もう55年近くななるでしょう。(こんな言い方はかみさんに失礼だし、知れば怒られる。でも事実はそうで、逆にかみさんも同じことが言える。彼女は何でも棄てるほうですから、ぼくもやがて…と思いつつ、ここまで来ました。まだ油断はできませんが)「小さな不便」は修理(入院・手術)しては保存し続けました。というわけで、「小さな不便」は「自分で治す」か、それが無理なら、修理屋さんにお願いする。それでもだめなら、そのまま所有しておく、それがぼくの「処世術(Die Kunst des Lebens)」です。いつか、何かの役に立つかもしれないと思うからです。レストアが当節のはやりになることを願っています。

 いらなくなったから捨てる、邪魔だから処分する、この便利と不便、必要と不必要などの境目がつかなくなると、ついには静物(無機)と生物(有機)の境界も失われ、有用か無用か、役に立つか経たないか、好きか嫌いか、そんな怪しい判断(感情)で、どんどんと「無用」「無役」が増やされ、捨てられていくのです。いとも簡単に(であるとは思わないが)「いのち(命)」を奪うことに、苦悩も躊躇もないとすれば、それはもはや人間業ではないというべきでしょう。自分の勝手で「戦争」をはじめて、「好き放題の人殺し」をするような人間が大国の大統領ですからね。時代は終末です。

 (左上「本のカヴァー写真」は村上春樹著「猫を捨てる」です。「時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがある。ある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた。―村上文学のあるルーツ。」文藝春秋, 2020刊)

 暴露するのではありません。高名な画家の奈良美智さん。彼はまだ小学生のころ、父親と自分と愛犬と一緒にドライブに出かけ、名前は忘れましたが、ある山の中で降りて、しばらく犬と遊んでいた。犬が喜んで遠くへ行った、その隙に、父親と急いで車に乗って、犬を置き去りにしたという。絵を描きだして後、ある時期からどういうわけか、自分の絵に犬が出てくるようになったといわれている(弁解がましいですな。ことの発端(責任)は父親でしょうね。もっと別の方法を考えられなかったというのは、ぼくには理解できません)。「犬」の画家、奈良さんの「原点」、否「原罪」というか、こんなことがあったんですね。その話を知って以来、奈良美智の絵を見る、ぼくの鑑賞姿勢は変わったと思う。どうして「騙(だま)し打ち」のように犬を捨てたか、「家で飼っていて、吠えて吠えて仕方がなかった。近所の手前もあり、…」ということでした。父親にぼくは問いたいですね、いまさらのように。

 犬や猫は「捨てるものではない」という、そんな「初歩」がなっていないんじゃないですか。こんな事例は「枚挙に遑(いとま)なし」というほどに、この国もまた「焼きが回った」というほかありません。犬猫などをペットとみるのは、どうなんでしょうか。不遜というか横柄というか)。ぼくはペットショップ廃止(禁止)を唱えている人間です。

 コラム氏が言うように、たしかに「これは国の危機だ」といいたくなりますが、そんな呑気な話ではなく、人類の危機であり、「いのちのきき(生命の危機)」であるとぼくなどには思われてきます。事態は深刻の度を加えているのではないですか。

*********

アンドリュー・エイトケン・ルーニー(Andrew Aitken Rooney)(1919年1月14日 – 2011年11月4日)は、アメリカのラジオおよびテレビの脚本家で、1978年から2011年までCBSニュース番組「60ミニッツ」の一部として毎週放送された「アンディ・ルーニーとの数分間」で最もよく知られていた。彼が「 60ミニッツ」にレギュラー出演したのは2011年10月2日が最後で、その1か月後に92歳で亡くなった。(Wikipedia)

◎ 耐久消費財= 想定耐用年数がおおむね1年以上で比較的購入価格が高い商品。具体的には、自動車や家具、家電製品、パソコンなどが挙げられる。想定耐用年数が1年未満または比較的購入価格が低いものは非耐久消費財といい食料品などが該当する。また、衣類や靴、カバンなど耐用年数の比較的短い商品を半耐久消費財とする分類方法もある。個人事業主や法人など家計以外で購入された場合には、減価償却を伴う固定資産として扱う。内閣府の消費動向調査では、世帯別や属性別に主要耐久消費財の普及率や保有数量、買替え状況などを調査している。(imidas)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心、…

 今朝は夜来の雨が続いています。このところの多雨もあってか、付近の田んぼではすっかり田植えは終わり、拙宅の周りの竹やぶでは筍(たけのこ)は旬を過ぎました。「卯の花の匂う垣根に」時鳥(ほととぎす)がやってきて、さわやかに鳴いていたかと思っていたら、すっかり田植えは終わっていました。このところ、天気に恵まれれば、自宅の周りから出て、すこし遠出のドライブを楽しんでいます。隣町の長南町あたりでは、これから田植えというところもまだまだありました。街道筋はほとんどが小高い山(丘というべきか)に囲まれていて、なお方々に山桜が、まるで山上に着飾った「一張羅」のように、煌(きらめ)いています。車を降りて桜の傍まで行くのでもなく、走りながら、左右に見える田んぼと緑の丘と、その中の一点景として枝葉を伸ばし、鮮やかに桜花が香る姿、それを目にするだけで、ぼくは「一息」も「二息」もつける。

 房総の山間部を走る利点は、まず混雑(渋滞)とは無縁であり、加えてほとんど信号がないということです。ぼくの車は初年度登録は2002年だったか、にもかかわらず1リッターでは9キロも走ってくれます。ガソリン(ハイオク)高騰の折、実に愛すべき友という感じですね。(この駄文を書いているのは朝5時前。雨がしとしと降っています。猫は簡単に朝食を済ませて、それぞれが散歩だか二度寝だか、多くは家の中から姿を消しています。そして、家の前あたりで鶯(うぐいす)が清らかな声で啼き続けてくれている。その横からカラスがカアカア。

 ぼくの鈍った感覚でも、とても季節の足取りが速いと、本当にびっくりしています。もう少し足を延ばし、夷隅市当たりまででかければ、すでに四月前に田植えが終わっています。超早場米(早稲)とかで、八月には稲刈りも始まるという。狭い範囲にあっても季節は順繰りにバトンの受け渡しをしているようで、つかの間の自然の恵みに見惚(みと)れるという「幸運」を楽しんでいる。間違いなく、季節は一か月は早まったという感じがしています。春秋は短く、夏冬が長いという、およそ温帯気候にはなじまない地球の運行のしからしむるところでしょう。それに輪をかけるように「人為」「人工」が、自然の秩序・基調を狂わせているのですが、いつ終わるともわからない、人間どもの愚かさのなせる業。

 現住地に越してきた当時、庭のアクセントにもなるかと、茶の苗を育てようと計画をしたことがあります。それを見て、近所の T さんが「止めた方がいい」と忠告してくれた。理由ははっきりとは聞かなかったが、虫が付くやらで、手間が大変ということだったかもしれません。その T さん宅の敷地はかなり広く、その中にはお茶の垣根も見えていたが、手入れはあまりされていないようでした。彼は半官半農のような生活ぶりで、その時は、官庁勤めを終わっていたと思う。ぼくと同じ年でした。無類のウォーキング好きで、一日に5キロ、10キロは平気で歩いている人でした。(知り合いの女性に言わせると、「あの人は徘徊老人です」と噂が立っていた、と。この数年ほとんど姿を見なくなったままですが、健在であろうかと心配しています。拙宅から徒歩十数分の距離にあるお隣さんです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 今もなお「天の声」は「健在」でしょうか。「天の声」を受け止めて、世に語る人は存在するのでしょうか。その昔は何十年も購読していた A 新聞。今ではまず手に取ることもネットで見ることさえ、ほとんどありません。何んとも薄情なと、我ながら思わないではありませんが、致し方ないとも思う。こうなった事情が当方にではなく、彼の方にありそうですから「オールドメディア」などと蔑まれつつ、斜陽の一途をたどる姿を見ていると、「昔日の雄」の落魄(らくはく)ぶりに、なんだか当方までもが悲しくなってきます。

 何人かの先輩記者に厚情をいただいた身としても、これもまた「一社」の寿命なのかと「詮方なし」の思いが募ります。たくさんの新聞記録類の切り抜き在庫を抱えている、わが「保管庫(storage)」から、ここに、日付はmさに「旧聞」ではありますが、その内容はいつまでも「新聞」であり続けるであろう、「天声人語」二題を。

 余計な解説は無用。「天に声あり 人をして語らしめよ」という「天声人語」の氏育ちをいうなら、この二編まだまだ「天声」が人間にも届いていたと考えられる「人の語るところ」であったと、ぼくは受け取っています。老若の交わり、先輩後輩の交流、親子の契り、赤の他人であっても、そこにおいては失われてならない、大切な「天与」「天恵」かと信じたくなるような「不忍人之心(人に忍びざるの心)」をもし失ってしまえば、人は人に対して悪鬼となり、波旬(はじゅん)(悪魔)となるほかありません。

 この三週間余、心が晴れないままで、ついに恐れていた「現実」に打ちのめされそうになっています。余りにも惨(むご)い事件の犠牲者になった京都の園部町の Y.A. 君の御霊に深く額づく想いで、この「中高生」と周りの人たちとの間に芽生えている、消えることのない「心情(惻隠之心不忍人之心)」をわが胸に刻み、かつその尊さを信じて、心ある人にも、あるいは見失っている人にも捧げたい。困っている人、不幸に喘(あえ)いでいる人に対して、誰もが「見ていられない」「我慢できない」、そんな心持ちを抱くという「惻隠(そくいん)の情」が人間同士のつながりの第一歩です。それはまた、大げさではない「他者への敬愛の念」でもあるでしょう。どんな関係であれ、いささかの「尊敬心」が働かないようでは、人間であることはできないのだと、ぼくは頑(かたく)なに信じてきました。血中にも些少の塩分が欠かせないように、尊敬心は人との交わりにおいては、親子であれ、何であれ、不可欠の要素なのだとぼくには思われます。

*********

 IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

京都・南丹の男児死亡 死体遺棄の疑いで逮捕の父親、容疑認める 京都府南丹市の山林で行方不明になっていた市立園部小の安達結希(ゆき)さん(11)の遺体が見つかった事件で、京都府警は16日、安達さんの遺体を遺棄したとして、父親で会社員の安達優季容疑者(37)を死体遺棄の疑いで逮捕したと発表した。「私のやったことに間違いありません」と容疑を認めている(以下略)」(毎日新聞・2026/04/16 01:52) Y君の冥福を祈るばかりです。(合掌)

・・・・・・・・

 (「惻隠之心、仁之端也」という孟子の「言」をここに出しておく)

 「人皆人に忍びざるの心有り。先王人に忍びざるの心有りて、斯(ここ)に人に忍びざるの政有り。人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上に運(めぐ)らすべし。人皆人に忍びざるの心有りと謂ふ所以(ゆゑん)の者は、今(いま)人乍(たちま)ち孺子(じゆし)の将に井に入らんとするを見れば、皆怵惕(じゆつてき)惻隠(そくいん)の心有り。交はりを孺子の父母に内(い)るる所以に非(あら)ざるなり。誉れを郷党朋友に要(もと)むる所以に非(あら)ざるなり。其の声を悪(にく)みて然するに非ざるなり。是(これ)に由(よ)りて之を観(み)れば、惻隠の心無きは、人に非ざるなり羞悪の心無きは、人に非ざるなり辞譲の心無きは、人に非ざるなり是非の心無きは、人に非ざるなり惻隠の心は、仁の端なり。羞悪の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人の是の四端有る、猶(な)ほ其の四体有るがごときなり」と。)(漢文塾・https://kanbunjuku.com/archives/102

 不忍人之心(孟子)

孟子曰、
「人皆有不忍人之心。
先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。
以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。
所以謂人皆有不忍人之心者、
今人乍見孺子将入於井、皆有怵惕惻隠之心。
非所以内交於孺子之父母也。
非所以要誉於郷党朋友也。
非悪其声而然也。
由是観之、無惻隠之心、非人也。
無羞悪之心、非人也。
無辞譲之心、非人也。
無是非之心、非人也。
惻隠之心、仁之端也
羞悪之心、義之端也
辞譲之心、礼之端也
是非之心、智之端也
人之有是四端也、猶其有四体也。」
(公孫丑 上)

◎ 孟子【もうし】=中国,戦国時代の思想家。魯国の鄒(すう)の人。名は軻(か),字は子輿(しよ),子車。孔子の仁の徳に基づく徳治主義を継いで諸国を遊説したが用いられず,退居して教授と著述に専念。その弟子たちとの言行が《孟子》7編に記録されている。彼は礼を父子,君臣,夫婦,長幼,朋友の五倫とし,人間の本性を性善説で把握,覇道を排して王道による天下統一を説いた。つまり,天意は仁心に基づいた民生安定にあるので,天子はこの民本主義の仁政を行う責任を負っていて,その成否によって生じる天下民心の向背に基づいて天から任免されるとした。その思想は宋代の朱子学によって高い評価を受け,《孟子》は《論語》と並称され,〈孔孟の道〉は儒教の代名詞となった。また孟子の母が教育環境を配慮して三度転居したという伝説,〈孟母三遷〉は有名。(百科事典マイペディア〉

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

◎ 天声人語(てんせいじんご)は、朝日新聞の朝刊に長期連載中の1面コラムである。1904年(明治37年)1月5日付の『大阪朝日新聞』2面に初めて掲載され(初期は必ずしも1面に掲載されるとは限らなかった)、以後、別の題名となった時期を挟みながら1世紀以上にわたって継続して掲載されている。最近のニュース、話題を題材にして社説とは異なる角度から分析を加え、特定の論説委員が一定期間「天声人語子」として匿名で執筆している。新聞本紙では見出しは付けられていないが、朝日新聞デジタルでは見出しが付けられ、書籍化の際には標題が付けられる。                                                                      

題名の由来 命名者は西村天囚[1]で、「天に声あり、人をして語らしむ」という中国の古典に由来し、「民の声、庶民の声こそ天の声」という意味とされる。しかし、この古典が何であるかは高島俊男によれば不明である。荒垣秀雄も「その原典はよくわからぬ」と書いている。/ラテン語の“Vox populi vox dei.”(直訳は『民衆の声は神の声である』)が元になっているという説もある。“Asahi Evening News”に天声人語の英訳を掲載する際、当初アメリカ進駐軍の機関紙“Stars and Stripes”の“Voice of Heaven, Voice of People”という直訳タイトルを転用する予定だったが、荒垣の提案でこの“Vox Populi, Vox Dei”が採用された。   

                                                                             一方池澤一郎「国分青厓の『天有声』について」は、1903年に国分青厓が発表した「天有声」という漢詩に「天有声(略)天雖無口使人言」という表現があることに着目し、この詩の影響を受けつつ平仄の都合で「天声人言」ではなく「天声人語」にしたのであろうと考察している。(「近世文藝 研究と評論」107号)/1904年1月5日に『大阪朝日新聞』で掲載が始まった「天声人語」は、2月から中断し、「鉄骨稜々」と題されたコラムに代わるが、3月には「天声人語」に戻された。大阪に遅れて、『東京朝日新聞』では1913年(大正2年)6月1日から「東人西人」が常設コラム化されたが、40年9月1日に東西のコラムは統合され「有題無題」となり、43年1月1日には「神風賦」となって、戦時中はこの題名が続いた。コラムが「天声人語」に復したのは、1945年(昭和20年)9月6日であった。(Wikipedia)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

Kindness is not just for others’ sake.

【明窓】春に思う ダンゴムシと助けられる力 自宅の玄関横に座り、一服しながら足元の砂利を見ると、ダンゴムシが動いていた。ほおに当たる風は暖かい。春の訪れを感じる▼桜が咲き誇った今月1日に新聞社の入社式に参加した。「石見神楽の記事を書きたい」「子どものためになる仕事がしたい」。よどみなく語る新入社員に驚いた。30年前、同じ場所で自分が何を話したのか覚えていない。目標は社会でいろいろな人に会う中で見つかった気がする。経験から言えるのは焦らなくてもいいということ。若い頃に壁にぶつかって悩み、迷った日々は将来の肥やしになる▼壁は自らつくることもある。真面目な人、優しい人ほど壁をつくって、突然心が折れるという内容の記事を読んだ。必要なのは「助けてもらう力」。特別な才能ではない。あいさつする。「ありがとう」を言葉にする。「でも」より「やってみます」と言う。相談相手に結果を伝える。積み重ねが人との距離を少しずつ変える▼個人的に決めていることがある。うそはつかない、間違ったことをした時は謝る。幼少期に親や先生から口酸っぱく言われた。当たり前と言われるかもしれないが、実践するのは難しい。できない大人を見てきた▼うららかな春の日差しと裏腹に生活環境の変化で心身のバランスを崩しやすい季節。ダンゴムシのように丸まりたい時もある。焦らず、ゆっくりと。人に助けてもらう。その力を身に付けたい。(添)(山陰中央新報・2026/04/15)(右下写真も)

 このところ、ずっと鬱屈した気分に覆われていました。いろいろと気に病むことばかりが起こるのが世の習いと、いまさらのように思いいたるのです。特に、先月23日から「行方不明」が伝えられていた、京都府南丹市園部の小学五年生とみられる男児の「遺体」が発見されたという一報が、昨夕流れました。一面識もない小学生の事件だった(と想定される)が、いたたまれない気分に襲われていました。ぼくは、若いころから学校の教師をしようと、漠然とではあったが、考えていたし、そのために大学で教員資格を取った。卒業後は京都に帰り、田舎(山間部)の中学校の教師になることを思い描いていた。それも、園部あたりの学校でやろうか、と考えていたのでした。土地勘があったり、園部でなければという理由は特になかったが、親元からは近かったし、山の中の学校という感覚には、その当時の「生活綴り方教育」を実践していた教師たちがまだ健在だったことも関わっていたでしょう。何かと世話になった(迷惑をかけたという意味)中学校時代の教師たちもその近辺に住まわれていた、そんな因縁も作用しての「園部」だったかもしれない。

 (ヘッダー写真:「困っている人を発見!どうする?」<grape>:https://grapee.jp/411462

 大学を卒業しても、ぼくは田舎に戻らないまま、学生生活を続けて、やがてある学校に教員として採用された。それでも、ぼくはいつかは京都の田舎の山間部の学校で教師をしようと、ずっと考えていた。この駄文収録で、今回の事案が起こった地域のすぐ近所で「村八分」という住民同士による「諍(いさか)い」が起こり、やがて裁判沙汰になった結果、「八分」にした住民が裁判で敗訴した事件に触れたことがありました。(「村がなくても、「村八分」は残る」(「人権と特権」:2026/09/21掲載分)今回の園部における問題を知り、この「村八分」事件を想起し、とても「奇遇」としか思われませんでした。その地区がどうというのではなく、遠く隔てられた時間経過の中で、偶然に発生した事件が重なっただけだったでしょう。それでも、ぼくは「園部」駅付近の情景を思い出したりしていた。「長閑(のどか)」を絵にかいたような地域だったが、その空気の中で人々の暮らしがあったのです。(「発見された遺体」は行方不明とされた当人だと判明したとの報道に接しました。ご冥福を祈るばかりです)(左写真は、新藤兼人監督「「らくがき黒板」出演の児童たち(1959年撮影、(C)近代映画協会)(中國新聞・ 2020/2/12)

++++++++++++++++++

 本日のコラム「明窓」に、ぼくは自らの歩みを重ねていました。殺伐とした事件や事故に遭遇するばかりの明け暮れとはいえ、そんなものは嘆くに値しないとは言えませんが、それにしても遥かに離れた地域で起こった「不幸」「不遇」に対してぼくは必要以上に動揺していたかもしれません。そして、新年度の通例でしょうか、コラム氏は「30年後の新しい人」に対して思いやりと優しい助言を合わせて述べておられる。「目標は社会でいろいろな人に会う中で見つかった気がする。経験から言えるのは焦らなくてもいいということ」「若い頃に壁にぶつかって悩み、迷った日々は将来の肥やしになる」と、いかにも、スマートな「格好いいこと」をおっしゃっている。果たしてぼくに「壁」のようなものがあっただろうかと、奇妙なことも思い浮かんできます。組織そのものがぼくには「壁」だったと思う。誰かに命じるのも命じられるのも、死ぬほどいやだったから、もともとが「組織」にはふさわしくない人間だったと自分ではわかっていました。だから、いつだって「無所属(インディーズ)」、それがぼくの偽らない心持ちでした。

 ぼくにとって幸いなことに、有り余る「教室(授業)」、それも向学心に燃えるような情熱を持っているとは全く言えない、そんな学生で満杯の「教室」がありました。一クラス300人をはるかに超える、そんな反教育的教室を放置したままの学校でしたから、教育環境は劣悪そのものだったし、教える側の教育に向ける無関心もひどいものだった。そのことには学生時代に感じていたよりもっと酷(ひど)いものだと直ちにわかりました。そんな学校のスタッフの一人になったのですから、前途は多難だった。大教室では、それこそ毎日が「講演会」という趣でしたね。学生諸君には気の毒なことでしたけれど、そんな悪い環境で、何ができるか、そんなことばかり考えていたように思います。コラム氏とはややニュアンスが異なるかもしれません。ぼくはしばしば「いい人とは、どういう人ですか」と学生に尋ねることがありました。ぼくには実に単純明快な「問い」と「答え」だったと思いました。けれども、多くの学生諸君は「頭をひねる」ばかりでした。どうして?、なんでやねん?と実に奇妙な感覚を持ったことを記憶しています。犬や猫にも分かるようなことだったでしょうよ。

 「情けは人の為ならず」という俚諺(りげん)があります。その解説は「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということ。誤って、親切にするのはその人のためにならないの意に用いることがある」(デジタル大辞泉)とありました。誤解がはなはだしい例としてよく出されますが、何のことはないんですね。大事なことは、「情けを掛ける」時の「人」は誰かという問題です。日本語の「人(ひと)」には、第一義は「他人」という指示内容があります。しかし、加えて、その「人(他人)」は、自分をも指していることが多いんですよ。自分の部屋に親が黙って入ってしまった時など「勝手に人(他人)の部屋に入らないでよ」ということがあります。自分の部屋だけれど、親からすれば「他人」の部屋ですから、「人の部屋に…」というのでしょう。「情けは人の…」場合はどうですか。「人」は「自分」であると同時に「他人」を意味するとするなら、①「自分のためだけではない」であり、②「他人のためだけではない」③両方のため、という意味も生まれることになるでしょう。(日本語の「私」には「自他共存」状態にあると言ったらどうでしょう。あるいは「自他不分離」でもあるでしょうね。「自分であると同時に、他人でもある」そんな「渡し」を、ぼくたちは生きているんですね)

 言葉使い(表現とその意味するもの)は時代によって変わることはいくらもある、というより、変わるのが当たり前とも言えます。「情けを掛ける(相手の心情を自分の心に思い描く)(ぼくのよく使う表現では「惻隠の情」があります)」とは、他人のためにも自分のためにもなるということを言っているのですが、自分のためになるなら(それを狙って)他人に親切にするというのはどうですか、「アカンでしょ」という、疑問というよりは、「打算が働く」のはよくないですね、要は、そんな程度の事柄ではないかと考えています。同じような意味合いで「人を思うは身を思う」があります。この場合の「人」は「他人」であり、「身」は「我が身」ですね。同じことですよ、自分だけいい思いをするのは、具合が悪いんじゃないですかと、問われている気がしませんか。つねづね学生諸君に尋ねていた、「(あなたが考える)いい人とは、どんな人でしょうか」という答えは一つではないでしょう。いろいろな意味が含まれているのが言葉というもの。それを狭く、固定してとらえるのは言葉を使う姿勢としては褒められませんね。その点では、学校は狭すぎます、ミリ単位を「後生大事に」、振り翳(かざ)していますからね。

 これと似たような、いかにも誤解されそうな表現(俚諺)に「転ばぬ先の杖」というのがあります。「前もって用心していれば、失敗することがないというたとえ」(デジタル大辞泉)という。そんなことが本当にありますか。似た表現の「備えあれば患いなし」に重なります。いかにも慎重に人生の階段を上る人専用のことわざでしょうか。しかし、とぼくは考えてみる。「転んでわかる痛さ」というものがあり、「備えはあっても憂いは残る」のだという経験もまた真実でしょう、そんな減らず口をたたいてみたくなるのです。わざわざ言わなくても、ぼくは「経験」をとても重んじてきました。スキーの滑走法を書いた本をいくら読んでもうまくは滑れないし、バッハの伝記を何冊読もうが、彼の音楽の演奏には役には立たない。「習うより慣れろ(Learning by Doing)」とか、「百聞は一見に如かず(Seeing is Believing)」という「ことわざ」は、先人の経験から得られた「知恵のエキス」が生み出した表現ではないですか。ぼくは、それを本当に重んじてきました、教えられてきたのです。(右写真:BBC・2019年8月15日:https://www.bbc.com/japanese/video-49353674

 「焦らず、ゆっくりと。人に助けてもらう。その力を身に付けたい」とコラム氏は一文を結んでいる。「焦らず、ゆっくりと」は、ぼくも同じです。「人に助けてもらう」について、ぼくは言いたい「(自分のできる範囲で)困っている人を助けられる力を身に付けたい」と。「助けられる人」にぼくはなりたいし、諸君にもなってほしいと、暇があれば口にしていました。ぼくの実感では、それほどに「困っている人には近づかない、関わらない」そんな人が、思いのほか多くいたように思われたからでした。「見て見ぬふりをする(Turn a blind eye)」だったでしょうか。翻って、今はどうでしょうか。「袖すり合うも他生の縁」というのも、仏教系ですね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~