
昨日は「昭和の日」だったそうです。昔もそうでしたが、ぼくには休日も週日もなかった。土曜・日曜日ではなく、所謂「休日」「祭日」を確かめないで学校に出かけたことが何度かある。勤め人時代がそうでしたから、隠退生活に入ってからは、それでも、曜日や日時の感覚はまだありますが、いわば「毎日が日曜日」のようでもありますから、今日やらねばならない仕事などあるはずもなく、それこそ、日常の明け暮れは「日の出から日没まで」という単位で回転しているようなものです。
今は「大型連休」の最中だという。ぼくにはかかわりのないこと、いつも通りに早朝(午前2時、3時)に起きて、日がな一日、猫と戯れるだけとは言わないが、ようやく息をしているだけ、そんな生活を重ねているのです。昨日も、夕方にネットを見て、「本日は昭和の日」と気が付いたほどで、「昭和100年記念式典」なる、陳腐・旧套というほかないような「儀式」をネットで見てしまいました。見る(聞く)のも苦痛でしたが、それこそ我慢して首相の「式辞」を見聞しました。想像を絶する酷さで、まるで災害級だった、ぼくには。内容浅薄などといっていられないほどの空無だったと思う。(全文は官邸のHPに出ています》もともと、彼女は「歴史音痴」というのか、歴史嫌いというべきか、自身の過去からすらも学んでこなかったと思われるような、まれにみる人物です。これもどこかで駄弁ったが、この人は、きっと「日米戦争」があったなどとは思いもよらないで生きてきた、「迂闊の人」なのでしょう。観念上で「政治」をしたつもりになっているんですね。こんな手合いが「権力」を持つと、実に乱暴に行使するに決まっている。包丁を持つと振り回すような。

「私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく」と空々しく・白々しく語る(騙る)。「昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代でした」というのが、彼女の「昭和100年」観でした。満州事変以来の「十五年戦争」で、国内外に二千数百万人の犠牲者が出たことには一語も触れません。(それにしても、あの「気味の悪い微笑(媚笑)」、とても背筋が寒くなった。醜悪だと思う)近隣諸国がこの「式辞」を知れば、どう思うでしょうか。この人は歴史を観念として、あるいは「物語(作り話)」としてしか理解できない稀有な人物なのだと思う。これが日本(二ホン)の総理大臣だというのですから、この国は「ちんけ」な、つまらぬ国とみられても致し方ないでしょう。
はっきり言って、時代が時代ならば、生身の「天皇」を前にしては、きっと「不敬罪」に当たる振る舞いと非難されたはずです。(「不敬罪」とは「天皇および皇族・神宮・皇陵に対して不敬の行為をする罪。昭和22年(1947)刑法改正で廃止」・デジタル大辞泉) (「親米右翼」でありつつ、「天皇」に対する不敬行為を働くとは、どういうことだろうか)そんな人物が「国旗損壊罪」を云々するんですから、首相が総裁をしている政党もまた、政党の体をなしていないんじゃないでしょうか。
「ちんけ」とは「[名・形動]《さいころばくちで「ちん」が一を意味するところから》劣っていること。最低であること。また、そのさま。「―なやつ」》(デジタル大辞泉)もちろん「式典」ですから、内容はいりませんとはいかない、ひたすら「厳粛」であればいいというものでもないでしょう。でも、昨日は「厳粛」の雰囲気など、どこに吹く風か、というほどの不始末・不首尾な「式典」でした。まさに「首相主催の昭和カラオケ大会」だった。恥ずかしいという感覚も観念も持ち合わせていない御仁だと、改めて確認した次第。この連中に付き合わされた天皇ご夫妻の「ご感想」を賜りたいものですね。「最高」と言われるか、「最低」と言われるか。「別に~」とスルーされるか。
「国あって、民なし」という、まるで「戦時」みたいな「国柄」そのものでしたね、首相の「式辞」は。 *「国柄=国家の成り立ち。国の状態。(デジタル大辞泉)

「式辞」を含めて、式典を台無しにした「衆・参議長」と「首相」たちの能天気ぶり、「昭和100年」が泣くというもので、まさに聞きしに勝る「劣悪さ」だったし、不真面目極まるものだったことは、琉球新報の「社説」が適切かつ的を外さない批判で指摘されている通りだと思う。「日本国(にっぽんこく)」は何よりも強くなければならぬ、そのためには「日本人(にほんじん)」はまるで眼中にないと思わせるような主張で、首相には「観念のお化け」が憑依しているようでもありましたね。(*「憑依=霊などがのりうつること」(デジタル大辞泉)(右写真は四万十川の風景)
(ヘッダー写真:「広島市民奉迎式場で市民の歓迎に帽子を振って応える昭和天皇。右奥に「原爆ドーム」が見える=1947年12月7日」論座・https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019021800006.html)
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どうしてもここでぼくが触れたかったのは、「式典」の不首尾などではありません。高知新聞の「小社会」というコラムの記事にある「千代さん」のことでした。文字通りに、「ここに人(人生)あり」「ここに歴史あり」というほかないものだったと、ぼくは、このコラムを読めたことを感謝しているのです。極めてまれではあっても、このような「コラム」に出逢うと、うれしくなって、また読もうという気になりますね。余計なことは言わないでおく、繰り返し読まれることをお勧めしたい。
いかなる人の「人生」も、そのほとんどは「栄耀栄華」に溢れるものでもなければ、絢爛かつ名誉に恵まれるものでないのは、どなたも承知の通りです。他者に知られるところ少なく、あるいは苦しいことばかりと嘆きたくなることも多い、驚くほど地味な生活のくり返し、そんなものでしょう。だからこそ、ささやかな仕合わせや喜びに恵まれて、また、元気に生きていこうかという「ハリ」も出るのでしょう。
ぼくには、人が日々を額に汗して生きる「人生」というものが「千代さん」のように、偶然を必然にしてしまう、いかなる状況をも肯定する、そんな生き方に表れるのだなあ、と深く心を動かされました。派手でもなく、他人からちやほやされるのでもなく、しかし、どこにいても兄弟姉妹5人で暮らしていくことができる「世間」「地域」「人情」が、きっとあったということ、それは大変な巡りあわせだったでしょう。おそらく、人生を嘆き、あるいは否定したくなることもあったかもしれません。しかし「渡る世間は鬼ばかり」ではないと思えばこそ、「幸せやったよ」と口にすることができたのだと思います。
【小社会】メダルの輝き 昭和前期生まれの半生を聞いてみたい。近しい人でも案外知らないものだ。筆者もお一人訪ねた。幡多地方に暮らす千代さん。生まれは高知市。親の名も顔も知らずに育つ、なぞだらけの人生。◆昭和27年の本紙に「千代ちゃん」の記事がある。当時4歳。当時の介良村で、きょうだい5人だけで暮らしていた。戦地帰りの父は肺病で他界、重病の母も家の床で死ぬ。中学生の兄らが新聞配達で稼ぎ、雑炊でしのぐ。写真も目を引く報道は反響を呼び、きょうだいは高知市の親戚の元へ。ただ千代ちゃんだけは、県西部にもらわれた。◆続報に「千代ちゃんに春の喜び」とある。が、実はそうでもなかった。引き取り手の家を転々とした。桶(おけ)に閉じ込められた記憶もある。◆名字は4回変わった。4番目の家で、優しい育ての両親と出会う。山岳信仰の寺のご住職だった。「千代が15歳になったら捜しちゃる、兄ちゃんたちを」と約束した父は、本当に自力で捜し当てた。人里離れた山房で、兄、姉と再会を果たす。「私は、わんわん泣いた」。◆高知市に出て働き、姉と暮らし、幡多に戻って結婚。子供3人に恵まれた。「幸せやったよ」と千代さん。「でも20歳の次男を、交通事故で亡くした」。語ると涙をこぼす。◆生涯を捧(ささ)げたのは、美容師の仕事。働きづめで、過疎地の暮らしも支えた。きょうは「昭和の日」。昭和から今も使うはさみは研磨を重ね、メダルのような輝きだ。(高知新聞・2026/04/29)
このコラムは最近読んだ中でも、少し言いすぎ、誉めすぎですが、「秀逸」だったと思う。記者の筆力という以上に「千代さん」の人生に対する思いの深さ・真摯さが、読む人間を捉えてはなさない、そんな牽引(けんいん)力があったと、ぼくは読んでいて、実感したのです。繰り返し読んでは、そのたびに、頭が深く下がってしまう。おそらく、まだご健在なのでしょう。ぼくより三~四歳ほどお若い人でしょう。こんな人生をこそ、ぼくは求めていたのだ、とつくずく思い当たっている。

人はいかなる人生を歩むのか、あらかじめわかるものではないでしょう。 「千代さん」は「名字は4回変わった」とあります。4番目の家では、おそらく「地獄に仏」だったでしょうか。引き取られたのはお寺の住職の家だったという。「捨てる神あれば拾う神あり」とも言いますが、そこまで生きながらえて、けっして「人生を投げなかった」、彼女の強さはどこから生まれるのでしょうか。「千代が15歳になったら捜しちゃる、兄ちゃんたちを」といった住職。そして実際に別離の淵にあった兄たちとの再会がが果たせたというのです。ここに、ぼくは人が人に出逢う、その典型的な一例を見る思いがします。「千代さん」のことを指すのではないと断ったうえで、ぼくは「名もなく、貧しく、美しく」という「生き方の流儀」に、いまさらのように教えられ、かつは憧れてもいるのです。

「泪より少し冷たきヒヤシンス」~ どこかで触れた「疾走する悲しみ」(モーツアルトの音楽を評した音楽学者・アインシュタインの言葉)を、ぼくは想起しながらこの部分を書いています。悲しみという情念は、しかし、いつだって疾走しているようで、泣いて溜まるか、泣いてばかりいて溜まるかと言わぬばかりに、人を振るい立たせてもくれるのでしょう。「千代さん」の生き方の流儀を思いつつ、理由もなく、ヒヤシンスの清楚を感じてしまいました。(夏井いつきさんの句は、思いのほか大きな力深い影響力を持ったんですね。作者冥利に尽きるのではないかと思うよ同時に、それほどの句の力を引き出される読者がいることの幸運を思うべきですね)
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《両陛下、昭和100年式典に出席 東京 天皇、皇后両陛下は29日、東京都千代田区の日本武道館で行われた政府主催の昭和100年記念式典に出席された。 式では高市早苗首相ら三権の長があいさつ。続いて海上自衛隊東京音楽隊が「上を向いて歩こう」「なごり雪」「Get Wild」など昭和の名曲計6曲を演奏・歌唱し、両陛下は笑顔で拍手を送った。 1968年10月の明治100年記念式典も日本武道館で開催され、昭和天皇と香淳皇后が出席。昭和天皇は「わが国が近代国家として目覚ましい発展を遂げ、本日の記念式典を迎えたことは、誠に喜びに堪えません」などと述べた。 今回の式典で天皇陛下の「お言葉」がなかったことについて、宮内庁は「政府の考え方に基づいた」(黒田武一郎長官)としている。》(右写真《「昭和100年記念式典」で海上自衛隊東京音楽隊による演奏と歌唱が終わり、拍手される天皇、皇后両陛下=29日午後、東京都千代田区の日本武道館(代表撮影)》(時事通信・2026/04/29)
(参考資料)
<社説>昭和100年式典 過去学ばねば未来描けぬ 政府は昭和改元100年にあわせて「昭和100年記念式典」を開催した。高市早苗首相は「激動の昭和」を乗り越えてきた先人に学び、挑戦によって未来を切り開く姿勢を国民に求めた。
物価高や不安定な世界情勢の中で希望を見いだそうと鼓舞する意図が伝わるが、激動の起因となった昭和前半の「戦争の20年」に対する政府の見解はうかがえない。国民を戦禍に導き、アジア太平洋の国々に苦難を強いたことへの反省が欠落しているのだ。何のための式典だったのか。過去に学ぶ姿勢がなければ未来を描くこともできないことを知るべきである。
なぜ「昭和100年」なのか。1926年12月、天皇の代替わりに伴い、元号が昭和に改まった。昭和天皇の誕生日に天皇皇后両陛下を招いて式典を開き、昭和の歌謡曲を流して歴史を回顧した。首相あいさつも含め、式典は皇室の存在と分かち難い内容となった。昭和史と天皇制の関わりも改めて問われよう。
昭和は64年で平成に改元した。前半3分の1は戦争の年月だった。1931年の満州事変に始まり、37年の盧溝橋事件を機に中国戦線が拡大、41年の対米英開戦で太平洋戦争へと突き進んでいった。
高市氏はあいさつで、昭和を「戦争、終戦、復興、高度経済成長といった未(み)曾(ぞ)有(う)の変革を経験した時代」と振り返った。その上で「先の大戦の後、昭和天皇は全国各地を巡幸され、戦没者、戦争犠牲者のご遺族をいたわり、戦後復興にいそしむ国民を励ました」と述べた。
これらの発言からは軍の暴走を許し、国を挙げて戦争にのめり込んだことの歴史的認識は希薄だ。過去の過ちを忘却し、歴史を肯定的に印象づける姿勢に固執するならば、再び国を誤った方向に導きかねない。
過去の栄光を言い並べ、「誇り」と「挑戦」を強調し、ある種の「強さ」への憧(どう)憬(けい)を国民に促すような態度は、武力に象徴される「強さ」への依存に結びつく。それが安保関連3文書の改定や殺傷武器輸出の解禁、憲法改正につながっていないか。
高市氏は「世界から頼りにされる日本」であることを希求した。ならば、アジア太平洋諸国に対する加害の歴史を直視すべきだ。そうでなければ他国の信頼は得られまい。
昭和27年に当たる1952年のサンフランシスコ講和条約発効で日本は独立を回復した。政府は2013年に「主権回復」を祝う式典を挙行したが、同条約で切り離され米統治下に置かれた沖縄や奄美、小笠原への視点がないと沖縄から強い反発が起きた。
今回の記念式典でも沖縄を米統治に委ねたことへの言及がない。分断の歴史を強いることで高度経済成長を成し遂げてきた「昭和」の歴史の裏面から目を背けてよいのか。歴史を見つめ、真摯に学ぶ姿勢を強く求めたい。(琉球新報・2026/04/30)






(参考資料)
令和8年4月29日、天皇皇后両陛下御臨席の下、高市総理は、都内で開催された昭和100年記念式典に出席しました。
総理は、式辞で次のように述べました。
「本日、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、各界多数の方々の御参列を得て、『昭和100年記念式典』を挙行いたしますことは、誠に喜びにたえません。本日の式典に、御協力をいただいた関係者の皆様、御参加をくださいました皆様に、心より御礼を申し上げます。
私は、日本と日本人の底力を信じてやみません。日本の誇るべき国柄を、未来を担う次の世代へとしっかりと引き継いでいく。私たちには、その大きな責任があります。今日この日を、昭和の時代を顧み、我が国の伝統や歴史の重みを噛みしめながら、将来に思いを致す機会としたいと思います。
昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代でした。先の大戦の後、昭和天皇は、全国各地を巡幸され、戦没者・戦争犠牲者の御遺族をいたわり、戦後復興に勤しむ国民の皆様を励まされました。
日本人は歯を食いしばって働きました。『もはや戦後ではない』、1956年。先人たちは、終戦から僅か10年で、日本経済を再び立ち上がらせました。その後、果敢な挑戦により、我が国の経済規模は世界2位にまで駆け上がっていきます。
『霧は晴れ 国連の塔は 輝きて 高くかかげし 日の丸の旗』、同じ年、日本は国連に加盟します。重光葵(まもる)外務大臣は、ニューヨークで高らかに詠い上げています。国際社会への復帰は、日本の悲願でした。その年、イタリア・コルティナで、スキーの猪谷(いがや)千春選手が、冬季五輪で日本人初のメダルを獲得します。日本人がいない米国の大学に留学し、スキーと勉学の両立に励んだ上での快挙でした。日本中が歓喜に沸きました。
今日より明日はよくなる。70年前の昭和の日本には、希望が、確かにありました。
令和の現在、日本と世界は大きな変化を迎えています。日本においては、静かな有事とも言うべき少子化・人口減少の進行、長期にわたるデフレから一転しての物価高、潜在成長率の低迷、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境。そして、世界を見渡せば、国家間の競争が激化・複雑化・常態化し、私たちが慣れ親しんできた自由で開かれた安定的な国際秩序は大きく揺らぎ、政治・経済の不確実性が高まっています。
今こそ、激動の昭和を生き、先の大戦や幾多の災害を乗り越え、希望を紡ぎ出した先人たちに学び、私たちも果敢に挑戦していく必要があるのではないでしょうか。
全国各地で、昭和100年関連行事が実施されています。昭和の躍動や体験を発掘し、次世代に伝承していく取組や、昭和の挑戦を振り返り、未来を切り拓(ひら)いていくための企画展示などが展開されています。これらが、特に、若い世代の方々に先人たちの叡智(えいち)や努力を知り、これからの挑戦のきっかけとなることを願っています。挑戦しない国に未来はありません。守るだけの政治に「希望」は生まれません。
本日の式典には、ボーイスカウトやガールスカウトで活動している青少年、世界青年の船や東南アジア青年の船に参加した青年など、次代を担う若者たちが参列しています。今年初めて投票してくださった18歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、その多くが、22世紀を迎えることができるでしょう。その時に、日本が安全で豊かであるように。『インド太平洋の輝く灯台』として、自由と民主主義の国として、世界から頼りにされる日本であるように。若者たちが、日本に生まれたことに誇りを感じ、『未来は明るい』と自信を持って言える。そうした国を創り上げていく。『日本列島を、強く豊かに。』日本に希望を生み出していくことを、改めてここに決意いたします。」
令和8年4月29日
内閣総理大臣 高市 早苗 (https://www.kantei.go.jp/jp/105/actions/202604/29showa100shikiten.html)

(首相は「日本(にっぽん)」を連呼されていた。まるで選挙演説のように。それを聞きながら(見ながら)、この人の意識の中には、少なくとも八十年を過ぎた、敗戦後の「日本(にほん)」は存在していないことをぼくは確信しました。「大日本帝国(ダイニッポンテイコク)」こそが、彼女の「幻想の故郷」であって、それは紛れもなく「観念の化け物」なのだと。ぼくは、少なくとも「物語(造られた歴史)」の中の「大日本臣民(国民」」でありたくないと、とても強く実感したのです)
* だいにっぽん‐ていこく【大日本帝国】旧憲法での日本の正式な国号。だいにほんていこく。[初出の実例]「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」(出典:大日本帝国憲法(明治二二年)(1889)一条))(精選版日本国語大辞典)
* ばんせい‐いっけい【万世一系】=〘 名詞 〙 天子の血統が永遠にわたって、かわらず続くこと。(同上)
* てんのう‐せいテンワウ‥【天皇制】=〘 名詞 〙 天皇が君主となっている統治体制。特に大日本帝国憲法下の政治体制をいう。また、現憲法下における国の象徴としての天皇の制度を天皇制と呼ぶこともある。(同上)
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