【斜面】デジタル化の波間で「ご注文はQRコードでスマホからお願いします」「現金でのお支払いは扱っておりません」―。最近、身近な場所で、そんな声がかかる店に出合う。電話や検索ぐらいしかスマホを利用しない現金派の身としては、困る場面が増えた◆定期的な連絡が紙から電子通知に切り替わった公共料金もある。保険会社からはネットでの登録を促される。申請にまごつき電話で問い合わせても、なかなかつながらない。パスワード管理も面倒だ。デジタル化の波におぼれてしまいそうな感覚になる◆公共交通機関でもデジタル化が進んでいる。路線バスでは先月から、電子決済でしか運賃が支払えない「完全キャッシュレスバス」の実証運行が県外で始まった。鉄道もJR東日本が、スマホの位置情報を活用し、自動改札機を素通りして乗車できる仕組みの導入を検討している◆事業者の側の人手不足や業務の効率化が背景にある。デジタルサービスを便利だと感じる人も増えている。クレジットカードや電子マネーといった電子決済の総額は昨年120兆円を超え、全体の4割近くを占めた。この10年間で倍以上に膨らんでいる◆それでも抵抗感や不安を抱いてしまう。知らぬ間に個人情報が抜き取られ、監視される社会につながらないか。人と人とがふれあう機会が失われていかないか。インターネットが一般に広がり始めて30年がたつ。急速にデジタル化が進む時だからこそ、もたらす光と影に心を留めていたい。(信濃毎日新聞・2024/12/13)

拙宅は辺鄙な場所にありますので、都市ガスではなくプロパンガスを利用している。地域をカヴァーする会社は三社あるが、ここに越してきて以来、NE社に決めている。別の一社は何度も訪問を繰り返して、執拗に「切り替え」「乗り換え」を強いていたが、ぼくは、その都度はっきりと断って、必要なら当方から連絡するからと言い続けたが、その後も何度か来た。やがてその会社は消費者庁からだったか、「勧告」を受けて、執拗な「訪問販売」の廉で処分を受けたと聞いた。今利用している会社は、「検針結果(使用料金)の連絡のはがき発送は十月一杯で止めるので、スマホで登録を。これまで同様のはがき連絡なら、一通につき220円戴く」と連絡してきた。時代の流れ仕方なし、要請通りに切り替えをと考えていたが、「スマホでQRコードを読み込んで、登録を」という。それ以外の方法な駄目。一方的とはこのこと。

本社に連絡して、「スマホのないものはどうしますか」と尋ねたら、「仕方がない、はがきを続ける。有料です」という。AかBを選べ。Aは「はがき(有料)継続」、Bは「スマホ(QRコード読み込み)で変更(無料)」というので、おかしいではないか。客商売していながら、顧客を大事にしていないね、などと文句を言った。もちろん「カスハラをしているのではないから」と確認して強く注文を付けたら、即刻、地区の営業担当がやってきた(九月初めころか)。「お宅だけは無料にします」というから、「それは可笑しい。スマホを持たぬ人はたくさんいるのだから、それを考えなければ」と言ったら、時間をかけて、社内で相談するとか言っていた。結果は、今になっても伝えられない。あいかわらず「はがき連絡」はきている。有料とは書いていない。どうなっているのだろうか。地区の担当者はこの経緯をどう見ているのか。スマホ以外の変更届は認められないなら、この契約は断るといってある。そうなれば、当方も面倒。他の一社は不良会社だ。残り一社あるが。いよいよ<Off Grid>にするか、この終活時期にと一瞬考えるが、まあ、薪(まき)を燃料にするかとも考えている。

出された手段(選択肢)は一つ、それがいやなら利用するなという、「問答無用」の場面が結構あるようで、はなはだ腹立たしい。ほぼ毎日のように買い物に出かけるが、会計する段であまり愉快ではないことが多すぎる。まず「買い物袋はどうする?」と訊く。「ポイントカードはあるか」と第二問。その他。その都度、誰彼なしに訊いているのだからぼくは呆れてしまう。ぼくはきっと「見ればわかるでしょ」「必要なら、こちらから申し出る」と返答する。それも面倒で、レジ係もすべて「セルフにしてくれ」と言いたくもなる。ところが、セルフレジで会計を済ますと、出口で「領収書確認」という。どうしてか?と訊けば、「不正(万引き)があるから」という。何をしているんだと思うばかり。この社会の人間関係や諸事万般の機械・器械・奇怪化は、いったい、どこに向かおうとしているのか、どうなってるんだと訝しく思う。「これは便利だ」と多くの人が受け入れているから、この「不人情」「非人情」状況はさらに進むだろう。「便利は怖いで」
携帯電話時代到来時、ぼくはつまらない時代になったと心底思った。やがてスマホ万能。それがなければ人間止めるか、とまで言われるような、底の浅い、人情頓(とみ)に希薄になる社会に生きる、なんとも面倒なことになった。ぼくはスマホも持たないで生きている。「急速にデジタル化が進む時だからこそ、もたらす光と影に心を留めていたい」と、「斜面」氏は馬鹿に呑気なことを宣っている。「諸刃の剣」という語を知らないか。「知らぬ間に個人情報が抜き取られ、監視される社会につながらないか」と、アホかと言いたい。すっかりそうなっているじゃないか、そこから種々の問題が噴出しているんだぜと、頭に一発喰らわせてやりたい。新聞社は、そんな時代に、率先して「便乗しているだろ」と思うけれど、それを棚に上げての物言いだから、「終わってる」「始末に悪い」というほかない。「信毎」は好きな新聞だったな。

「完全キャッシュレスバス」時代が目の前に来ている、そんな錯覚を持たされる。本当にそうなるか、まずならないね。そんな問題には興味がないのであって、スマホを介して「便利」を強制されて、孤独を託(かこ)つという矛盾した人間社会の出現に、ぼくはうんざりしてるのだ。「SNS」禁止を言い出す国まで出てきている。「便利は不便のことだ」といいたい。「文明開化」は時代の波。その波を、ぼくは老骨をものともせずに、軽々と泳ぐのさ。そしてAIだのITだので、ますます電力逼迫到来だから、原発の新増設だと、洋の東西で「天に唾する」狂気の沙汰の大合唱です。「天に唾する」者だけに被害が及ぶならいざ知らず、被害は全員平等に被るのというのだから、話になりません。台風で電線が切れたら、「完全キャッシュレス」はお陀仏になる。そんなチャラい話は日常茶飯事です。笑わせるな、と罵りたい。

勤め人時代、「これからはペーパーレスだ」としきりに言われた。実際はどうか、相変わらず文書は出回り、パソコンも使われる時代になった。いろいろと滑稽を通り越すような愚か話は腐るほどあるが、要するに、新規のシステムが出現したから、「古い上着」は捨てられるかというと、そうはならないのだ。(これも勤め人時代、やたらに会議があった。ぼくは「書類一枚に内容をまとめて、配ってくれればそれで済むだろ」と提案して、ほとんど会議には出なかった。ぼくがが開いた会議は、最長でも一時間、ほとんどが30分程度で終わっていた。それで何の問題も出なかったな。「短ければいいというもんじゃない」という非難が出ていたのを覚えています)これからはテレビ時代だといってラジオは捨てられたか。テレビは見ない、スマホで十分、そういってテレビは姿を消したか。これからは電気自動車だと大騒ぎして、企業は割が合わなければそんなものは作らないだけ。相変わらずガソリン車前世時代が続くだろう。どこかにまだ「木炭車」が走っているかもしれないのだ。新幹線は古い・遅い、だから「リニア―」だという。その脇で、徒歩もあれば、自転車も。各駅列車も走っていれば、新幹線も、飛行機も、…。多くの「豊か」を失って、「便利」という「狭さ」「浅さ」を贖(あがな)う、愚かの限りですね。スマホがなければ、「闇バイト」はできない、「出会い系」は困難になるだろうが、人間の付き合いはさらに深まるでしょう。そうならなければ。(新聞だって、さらに、細々とでも残り続けるさ)
時代が変わる、ますます便利な時代に、と多くの人が実感するのは、古いものはそれなりに使われ続ける中で、新規参入がどんどん増える時代だからです。「革新」というのは、古いものの再発見の謂いですよ。「温故知新」はこんなところに顔を出すんですね。「《「論語」為政から》過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。[補説]「故 (ふる) きを温 (たず) ねて新しきを知る」と訓読する。「温」を「あたためて」と読む説もある。なお、「温古知新」と書くのは誤り」(デジタル大辞泉)つまり「歴史」という自らの過去を記憶する力が、生きることの元手(財産)になっているから、ぼくたちは人間として、少しでもかしこくもなれる余地があるのです。過去を持たない人間、そんなものを想像できますか。昨日もなければ、明日も考えらない、それは病的な事態でしょう。さかんに忌み嫌われている「認知⦿症」とかいう社会問題は、別の課題です。(記憶力の破損だけかどうか、実際にはもっと深い子細があるんですね、「認知⦿症」問題には。これはぼく自身の課題でもありますから、それは別の機会に、ていねいに愚考します)

要するに選択肢が複数ある生活ができる時代、それが「便利」「豊か」な時代のことだとぼくは言いたい。「完全キャッシュレス」という以上は、お金が要らない時代かと錯覚するようなアホなことは言ってほしくない。当たり前に手間暇かけて人づきあいができるのに、わざわざその手間暇を省略する時代を「便利」とい言葉で糊塗しているですね。人間関係は希薄だとか、孤立を強いられているという不平や不満は、スマホを捨てれば、一気に解消されるとは言わないけれど、そうすれば改めて、他人と生身でつながって生きているのが当然(健康)と思われてくるはず。問題は人との付き合いであって、機器を通しての「付き合い」ではないですよ。
ぼくらの生活の中には、縄文時代もあれば、奈良時代、鎌倉もあれば室町も。江戸時代など家の中にも頭の中にも詰まっていますよ。古いから、不便だからとあらゆるものを捨ててしまうなら、確実に「自らの歴史」は失われる、消されてしまう。いい悪いではなくいうことです、唐突に聞こえますか、蟻や蝶々に歴史があるでしょうか。歴史を実感しない生き方は、それだけ生きる本能が確かだからであって、その「本能」が軟(やわ)になり、その剥き出しが忌避されるようになって、その代用になったのが、人間の生み出す「文化(工夫)」「文明(科学と技術)」というものだった。その一面(便利さ)(効率性)のみに依存しきると、人間は落ち着いて、つまりは自分を失わないで、じぶんらしくは生きていけなくなりますね。

「嘘だと思うなら、猫に訊いてみな」と、ぼくは猫から学んでいる。彼らは「完全キャッシュレス」「スマホレス」で生きているんだからね。友だちとしても、実に爽やかで厳か、身が引き締まるんですよ。
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