北海道空知郡栗沢村上美流渡鉱

【卓上四季】恩師の手紙 行きつけの書店でエッセーの棚をぼんやり見ていた。表紙に並木の絵をあしらった小ぶりな本が気になった。回想集「落ち穂ひろい」(あけび書房)。ページをめくっていると、めったに目にしない地名が出てきた▼<北海道空知郡栗沢村上美流渡(かみみると)鉱>。美流渡はいまの岩見沢の山間部に位置する。96歳になる著者の歌人、碓田(うすだ)のぼるさんには大切な思い出につながる土地だ▼1945年の冬。国鉄長野工場の見習工だった碓田少年は美流渡に赴く。敗戦直後の極端な労働力不足を補うため、当地のちいさな炭鉱で採掘に従事した。ボタ山や炭住、共同風呂の記憶は鮮やかだ▼あの住所は、手元に残る古い手紙に記されていた。差出人は小学校の担任だった恩師である。卒業後も文通していた。先生はおしろいの香りをほのかに漂わせ、着物の帯を締め直してくれた。<どうか、少し位の悲しみ、苦しみにもまけないで>。やさしい励ましがときに届いた▼文通は互いに住所や境遇が変わっても約30年続いた。碓田さんは啄木研究者としても活動してきた。関わりのあった文学者らを本書で回顧する。冒頭を飾るのが美流渡が出てくる一編「恩師の幻」だ▼郵便料金が30年ぶりに改定され値上がりした。懐には厳しいけれど、便りだからこそ伝わることもある。懐かしい人に一筆したためようか。(北海道新聞・2024/11/13)

 (ヘッダー写真は「ジャン・フランソワ・ミレー『落ち穂拾い』1855年」:エッチング,・ムステルダム国立美術館)

〈碓田のぼる(うすだ・のぼる)1928年長野県生まれ。歌人。渡辺順三に師事。新日本歌人協会代表幹事など歴任。国際啄木学会、日本民主主義文学会会員。歌集『花どき』で第10回多喜二・百合子賞受賞(1978年)。歌集に『歴史』『信濃』『くれない』、評論集に『渡辺順三研究』『火を継ぐもの 回想の歌人たち』『石川啄木と「大逆事件」』『啄木断章』『一九三〇年代「教労運動」とその歌人たち』『石川啄木と労働者―「工場法」とストライキをめぐり』など。)(上記内容は「落ち穂ひろい」刊行時〈2023年〉のものです)

  「恩師」という語で、どれだけの想像力が働くだろうか。ごく常識的な理解をするなら、学校時代などに教えを受けた「先生」を指すでしょう。しかし、どんな「先生」も、すべてがだれかの「恩師」になるのではないから、そこには独特の、あるいは特別の意味が込められているに違いありません。もちろん、「恩師」は学校の先生に限らないのは言うまでもありません。そう断っておいて、さて、「君にはどんな恩師がいたか?」と尋ねられたら、たちまちにぼくは困惑する。悲しいかな、「恩師」と呼びたくなる「教師」「先生」は一人もいないからです。これはぼくの最大の不幸かもしれません。これまで八十年間生きてきて、一人として「恩師」と呼びたくなる、呼べるような存在に出会えなかったのは、返す返すも不幸の極みだといえるかもしれない。教えられた人は無数にいたし、尊敬に値すると心底思わされた人もたくさんいました。それでも、「恩師」という名で呼びたくなる存在は、たったの一人もいなかった。残念というべきか、あるいは「恩師」などと呼べるような「先人(先生)」と、当人との関係はどうだったかを考えると、一概に「恩師」呼ばわりは、ぼくにはできない相談ともいいたくなる。

 本日の「卓上四季」は、そういう「恩師」のいないぼくからすれば、羨ましい限りの「追想の恩師」でした。まず、そこに触れられている「碓田のぼる」氏にはまったく知識がない。初めて聞くお名前であり、そのお仕事ぶりでした。ぼくの無知はともかく、こういう人が同時代に生きていると知るだけでも、何か「生きる」ことの値打ちというのか、人生の深さというものを教えられます。(早速に、碓田さんの「落ち穂ひろい」他数冊を注文しました)たくさんの著作(主なものは「歌集」です)をお持ちだということも知りました。(不勉強極まるという、わが怠慢を激しく呪っています)

 北海道には何度か行きましたが、ほとんどが所用だったり、観光見物だったりした。大半が車での移動でしたから、ゆっくりと土地に足を下ろして歩いたことはなかった。空知郡栗沢村上美流渡は夕張炭鉱の近くに位置しますから、おそらく従前は石炭で栄えていたのでしょうか。詳細は省略。コラム氏は当地の小学校の卒業生か、あるいは、その「恩師」は遠く離れたところから上美流渡の学校に勤務されていたのでしょうか。偶然本屋さんで見つけた著書に、なじみの地名が出ていた。そこからの連想で懐かしい「恩師の手紙」が思い出されたという。「先生はおしろいの香りをほのかに漂わせ、着物の帯を締め直してくれた」

 <どうか、少し位の悲しみ、苦しみにもまけないで>(まさしく、恩師ですね!)

 卒業後も三十年にわたり恩師との文通は続いたという。その「恩師」は健在だといわれているようでもあり、あるいはそうではなく、「恩師」ではない、コラム氏にとって「懐かしい人」に「一筆」と言われているかのようでもあります。このところの文意がよくわかりませんが、でも、「便りだからこそ伝わることもある。懐かしい人に一筆したためようか」と言われる、その心を慮(おもんぱか)ってみます。この数年は、一度として手紙を書いたこともないし、葉書もせいぜいが「年賀」代わりに出すくらいのもの。その昔は、一本の書状を出すにも「下書き」を作り、それを手直しし、清書して出したものです。

 何とも言えずに、ぼくが羨ましいと思うのは、このような「子弟」の関係です。これまでも偉そうに、ぼくは教室の外(卒業した後)にも続く関係の中に持続する「教育の働き」があるなどと言ってきました。教室の中に限定されない、教室や学校の外に広がり繋がる「教師と子ども」の関係にもまた、教育の名で表され「交際(コミュニケーション)」があるのだと。そうは言いながら、ぼく自身は、繰り返し言ってきたように、学校にも教師にも「信」を置いてこなかった。自ら望んだことだから、それを後悔しているのではありません。ひとえに羨ましいというのは、何年たっても「面影」が消えないままに、誰かと「交流」「厚誼」が変わらないで続くということに、です。自分にとって、その関係を「恩師」と呼ぶかどうかは、当事者の問題。名称に囚われないままに、「忘れ得ぬ先生」というものも、多くの人の中には記憶されているでしょう。

 (右上に出した「戸田城聖」という方をぼくは若いころに調べたことがあります。彼の師だった牧口常三郎氏に私淑し、後年、牧口氏は「創価教育学会(創価学会の前身)」を開き、戸田さんも入信。奇遇だと思うのは、牧口さんも戸田さんも北海道で「教員」をしていたことがあるのです。ことに、戸田さんは夕張炭鉱のある校区の学校に勤務されていたことがあった。それはコラム氏の通われた学校だったろうか。牧口さんは、柳田國男さんの主宰されていた、民俗学徒の集まり「郷土研究会」に真面目に参加されていた履歴があった。当時の牧口さんの風貌は、実に寡黙・実直・真面目だったと、柳田さんは書き残されいます。その牧口さんは治安維持法にかかわって拘束され、戦中の44年11月に獄死されています。戸田さんは、二代目の創価学会会長だったかと思う。一種の奇縁のようなものを感じたので、右の「恩師 戸田城聖先生」に触れた。牧口さんの「創価教育学」についても駄弁りたいが、それは稿を改めて。ぼくは何度か読んだものです。(親戚知人に「学会員」はいますが、ぼくは無信心・無信仰ものです)

 何事も時代のせいにするつもりはない。まして、自筆(直筆)がまったく尊重されない時代であるからこそ、「恩師の手紙」によって、ぼくは心を打たれる思いがしたのです。誰にも負けないくらいにぼくは筆不精であり、文章を書くのは葉書一本でも苦手です。今でも、年に数回は「書簡(手紙)」を戴くが、出す返信は「ワープロ」で作成という、実に味気ないものになっています。それゆえに、「恩師の手紙」にそこはかとない「滋味」を感じた次第です。(右は「あえて不便な暮らしがいい。北海道の森(美流渡)で始めたパン屋さん」・https://colocal.jp/topics/lifestyle/ecovillage/20160225_65793.html

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「口から出任せ」にも真あり

 少し横を向いている間に、国会が開かれ、「首班指名」が行われたというニュースが流れ、ある意味では、それで「持ち切り」です。「少数与党」はで政権運営に腐心、なんとか政権確立を暗中模索というのでしょうか。三十年ぶりの「首相選び、決選投票」と、新聞などは大騒ぎしています。けれども、そこにいくらかの緊張状態があるかと思いきや、ダレてしまって締まりがないこと夥(おびただ)しい。政権交代をと一方が叫べば、他方は「あんな連中」とは組めないと、つれない素振りをしてみせるが、何のことはない。拳を挙げて、足下ではつるんでいるという「下世話」なありさま。「同じ穴の狢」同然。その昔は「一強多弱」などと、圧倒的政権党の優位を持ち上げていたのも束の間、今では四分五裂で、「一強」の面影さえ見えないのは、実に「一驚に値する」か。政治というのではなく、政治のふり(偽装)花盛りですな。季節外れのニセ桜咲く、とでもいうべきか。

(ヘッダー写真「高知の紅葉2024 足を延ばして魚梁瀬の西川渓谷へ」高知新聞・2024/11/11)(https://www.kochinews.co.jp/article/detail/803304

 国内の選挙や、そこから結果する与野党の「数合わせ」、漢語を使うならば「合従連衡」には全く興味がありませんから、この話題には触れないことにしています。繰り返し述べてきたように、このところアメリカ大統領選挙の帰趨に大きな関心を持っていました。その結果は、ぼくの期待に反して「ファシスト」を自認していた候補が再登場することになったのは、他国ながら、政治の軌跡は「糾(あざな」える縄」のごとし。「ファシズムの傾向」がみられるのは、米国だけではなく、西欧の「先進国」と自称してきた多くの国でもその潮流は顕著です。その特質は「自国第一」、だから「移民排斥」、それが主調音になっています。その背景には「民族浄化」「自民族中心」というあり得ない「神話(myth)」を妄信しているからです。加えて、女性差別(蔑視)が加わる。というより、それぞれは一つの架空の物語(「白人優位」)に不可欠な要因となっている。その背景には「家父長制(Patriarchy)」があり、女性蔑視(差別)は、女性に自由を認めたならば、家父長制の砦を突き崩す端緒になるからでしょう。「ファシズムは家庭から」、これが「全体主義国家」の主題(テーマ)です。

 「共産党宣言(Manifest der Kommunistischen Partei)」「冒頭」で「現下の欧州に共産主義の幽霊が徘徊している」と、エンゲルスは書いています。1848年2月のことでした。爾来二百年弱。今、世界の「先進諸国のいたるところで、ファシズムという幽霊が横行・闊歩しています」と、どなたかが「ファシズム宣言」を書いていると考えても的は外れていないでしょう。政治家は突飛な嘘をつく。その嘘を何度でも繰り返す。やがてそれは「現実」に紛れ込んで、嘘であることが問題にはされないようになる。ヒトラーの為したこと、「非道徳」「不正義」の第一は、繰り返し虚言、妄言、それも突飛すぎる虚言をいやになるほど繰り返すことでした。嘘を真にするのがプロパガンダの要諦です。「瓢箪から駒」の実例には事欠きません。今、そのプロパガンダを忠実に模倣している「大統領予定者」がいます。彼は2016年に当選して以来、一貫して「虚言」を重ねてきました。その人物がアメリカの次期大統領。「移民排斥」を徹底して、強硬な移民政策をすでに発動しようとしている。また、「人工妊娠中絶禁止」を全米で実施しようと計画している。悍(おぞ)ましいこと限りありませんが、「人種差別」は「白人優位」主義者が必然的にもたらす政治的選択でしょう。

 小さいニュースのように思われましたが、以下のような「発言(妄言)」問題があった。少なくない人々が賛意を示すから、かかるとんでも発言が尽きないのですね。「いいことじゃないけど、言わねばならぬ」とでも、発言者は考えているのか。「言ってやったぜ!」

【大弦小弦】ディストピア小説と暴言 出生率の低下を危惧した独裁国家が女性から職業や財産を奪う。「侍女」の役割はエリート層の男性の子を産むこと-。カナダ人作家マーガレット・アトウッド氏は「侍女の物語」で衝撃的なディストピア(暗黒社会)を描いた▼1985年の小説だが、最近は米ドラマも配信されている。第1期トランプ政権の米国では、中絶禁止など現実の懸念と重なって大きな話題を呼んだ。原作から伝わるのは、女性を抑圧する社会への異議▼「30(歳)超えたら子宮摘出」。日本保守党の百田尚樹代表が配信番組で少子化対策として発言した。「小説家のSF」などと前置きし、出産には時間制限があることを言いたかったらしい。「女性は18歳から大学に行かさない」とも。暴論にあぜんとする▼「やってはいけないこととして例を挙げた」と謝罪したが、そうは受け取れない。例え話の根底に、少子化を止めるには女性の人権を制限するぐらいの社会変容が必要との考えが透ける▼結婚するか子どもを持つかは個人の選択。女性は子を産む道具ではない。望んでも子を授からない人や、病気で子宮を摘出せざるを得ない人もいる▼衆院選で要件を満たし、日本保守党は国政政党になった。その代表からひどい女性蔑視発言が出るとは。現実は小説よりも暗黒を感じる。(大門雅子)(沖縄新報・2024/11/12)

 この社会はどうでしょう。今般の選挙で初めて政党要件を満たした「日本保守党」代表の発言(本音)が、小波(さざなみ)を立てています。今のところは「小波」です。だが、小波立つということは、やがて大きな「津波」が来るのを予想させる。いかなる政策を考案してもこの社会を直撃している「少子化」の波音を消すことはできない。ならば、少々荒唐無稽でも、大げさで、過激なことを言わねば、この問題の歯止めにはならないとでも考えたのか。「少子化を止めるには女性の人権を制限するぐらいの社会変容が必要との考えが透ける」とコラム氏は指摘します。ここにも「擬似政治家」らしい、「いやらしい弁明」というか「言い訳」があります。ぼくは政治家の資格・資質には、何よりも「弁解」「弁明」「言い訳」能力が欠かせないと思っている。それは、結局は「誤魔化し」に他ならないのですが。嘘をつくのも、資質の一要素でしょう。言い訳や弁解がうまく行けば、それは「嘘」ではなくなるはず。嘘から出た真は真です。嘘が本当になるし、そうするのが政治家の重要な任務でもあろう。

 どうでもいいことですが、問題発言の「一部」を引用しておく。(その発言・妄言に含まれる思考は、どうでもいいことではない)

 「一連の発言があったのは8日配信の『ニュースあさ8時!』。同党事務総長の有本香氏らと少子化対策について議論した際に発言した。/有本氏は急速に少子化が進んでいることに触れ、『価値観が急激に変化している。子どもがいることイコール幸せになる、という絵図が描けていない。社会の価値観をどうやって取り戻すか、学者の知見を本来かりたいところ』と述べた。/ 百田氏は『これを覆すには社会構造を変えるしかない」と指摘。『これはええ言うてるんちゃうで』「小説家のSFと考えてください』と複数回前置きした上で、『女性は18歳から大学に行かさない』『25歳を超えて独身の場合は、生涯結婚できない法律にするとかね』などと発言。また有本氏が『子どもを産むには時間制限がある、ということを子どもたちに教えるべきだ』と指摘すると、百田氏は『30超えたら、子宮を摘出する、とか』と述べた。/ 一連の発言をめぐり、SNSなどでは批判が殺到。百田氏は9日夜、自身のX(旧ツイッター)のアカウントで「『やってはいけないこと』『あくまでSF』という前置きをくどいくらい言った上での『ディストピア的喩(たと)え』ではありましたが、私の表現のドギツさは否めないものがありました。不快に思われた人に謝罪します」と投稿していた」(朝日新聞・2024/11/10)

 「これはええ言うてるんちゃうで」と前置きして、きっちりと言う。「よくないことだが、言わねばならぬ」ということです。問題発言であると指摘されて、「それくらいのことをしないと社会構造の変革はできないという意味で言った。発言を撤回して謝罪したい」(前掲朝日新聞)ほとんど毎日のように、ぼくたちはこの手の「弁明」「言い訳」を聞かされています。「不快に思われた人に謝罪します」という理屈も潔くないですね。他人が不快に思うから取り消すという。思わなければ取り消さない。無思慮、無配慮が甚だしいと思う。問題はそこにはない。どう考えても「差別発言」、「問題発言」だから、金輪際それを禁句にするという宣言で、「取り消す」意味があるのです。肝心なことは、「取り消した」から「発言の中身(意図)」も消えるということは断じてないという点。つまりは「言ったもん勝ち」ですね。この手の「不誠実」「不公正」な「イデオロギー(原理)(教条)」が政治や政治家を侵食しています。やがて、その浸食の地から「ファシズム」という徒花は間違いなく開花する。

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魚、心あれば、水、心あり

【談話室】▼▽人気漫画「ゴルゴ13」で知られる故さいとう・たかをさんは8歳の時に終戦を迎えた。価値観が一変した世で極度の人間不信に陥る。「全てが欺瞞(ぎまん)に思えた」。学校をさぼり、教師にも避けられる悪童になってしまう。▼▽転機は中学時代に訪れた。ある試験で白紙の答案を出すと、担任にこう諭された。「白紙は結構だが、君の責任の下で出すのだから名前を書け」。この一言がさいとうさんの胸に刺さる。人間の約束事や責任の取り方について考えるようになる。担任は人生の師に変わった。▼▽東郷先生という名前だった。「ゴルゴ13」の主人公「デューク東郷」の名は恩師から拝借したのだ。いかに慕われていたかが伝わるエピソードである。同じように、生涯忘れられない恩師の記憶は人それぞれにあるだろう。教師の言葉は時に子どもの運命を変える力を持つ。▼▽その教師は今、業務多忙などを理由に敬遠され、なり手不足が深刻だ。この状況を踏まえ、山形大は教員養成に特化した教育学部を20年ぶりに復活させる構想を示した。現場の働き方改革は必須だろう。同時に、他の仕事にはない人を導くやりがいも若者に伝えていきたい。(山形新聞・2024/11/10)

 ぼくには取り返しのつかない「ミス」がいくつもあります。中学生ころまでは懸命に読んでいた「漫画」を、それ以降はまったく読まなくなったこともその一つ。そうなった理由はあるにはある。第一は、漫画を読む時間も惜しんで外で遊んだということ。漫画は「連載」が主であり、それを単発ものとして読むのは、漫画の持っている緊張感や醍醐味が薄れるからだったでしょうか。高校大学と進んで、一層読まなくなった。今から思っても、ぬかってしまったなという慙愧の念ばかりが噴き出します。テレビのアニメも見なかったので、驚くほどに、ぼくは漫画にも暗い人間です。もちろん「劇画」の世界も真っ暗でした。

 それはともかく、コラム「談話室」の記事が、ぼくの目に留まりました。いい記事でしたね。教師の面影がきらりと光るというべきか。咄嗟にこういうことを子どもに告げられる教師はすごいですね。「白紙は結構だが、君の責任の下で出すのだから名前を書け」これは事実で疑う余地はないのでしょうが、話半分にしても、「自分の責任」に甚く心を動かされた子ども(後のゴルゴか)にも、救いがあったと思う。例えれば「魚心に水心」だったかもしれません。あまり肯定的には使われなくなった「魚、心あれば、水、心あり」、誤解されないことを願うが、この両者の「ふれあい」「相応ずる刹那」に生まれているのが「教育」だと思ってきました。

 その謂いは「《魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心がある意から》相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になる。相手の出方しだいでこちらの応じ方が決まること。水心あれば魚心」(デジタル大辞泉)教師は「たった一度きりの言葉を探す人」であってほしいとぼくは願い続けている。この時、かけられた言葉に反応する相手の感性(感受性)も、普段から少なくとも教師に対して言わずもがなの敬意(水心)を持っていればこその「以心伝心」ではないでしょうか。「生涯忘れられない恩師の記憶は人それぞれにあるだろう。教師の言葉は時に子どもの運命を変える力を持つ」とコラム氏は言われます。そうであってほしいし、そういう繊細適切な(使い捨てできない)言葉を探す人間が教師であるなら、きっと少なくない子どもたちは救われるだろうという思いが深くなる。

  「山形大は教員養成に特化した教育学部」構想とあります。「教員養成」以外に教育学部の使命というか、存在根拠があるのでしょうか。奇妙な表現をされているのに、ぼくは驚く。あるいは「教育学部」は百貨店みたいな品揃えで、お客(志願者)を受け入れる学部となっている・いたのかもしれない。戦後に新発足した旧山形大学教育学部は、改組発展して別の学部になっていますので、山形師範学校時代からの歴史や機能を再確認する意味での新教育部学部構想なのでしょう。新たな構想から、教員志願者が続出することを望みたいもの。師範学校出身の教師を何人も知っています。旧教育学部の教師たちにも知人がいました。(すべての方が物故されました)

 それはともかく、現下のこの島社会の「教員不足」は深刻の度を極めています。卒業生で山形県の教員になった方も何人かいますが、その中で、よく思い出すのは、ある教科(国語?)の教師を目指していた方が、「採用枠が一人です。とても無理」と泣き言を言われていたが、「一人だって採用枠があるのだから、大丈夫。大丈夫、合格しますよ」と、口から出任せを言ったのではなかった。彼女なら真価が認められるとみていたからです。やがて「合格しました」と連絡が来ました。もう何十年も昔の話になりました。「他の仕事にはない人を導くやりがい」というものがどんなものか、はたしてどれだけの人間が、その「やりがい」をわかろうとしているか。「やりがい」とか「生きがい」とは、人それぞれに異なるでしょう。だから、「白紙答案を出した生徒」にかける言葉や見せる姿勢・態度も千差万別であっていい。誰もが「東郷先生」である必要も、「後年のゴルゴ13」であるべきだとも言いません。「魚心に水心」という、いわば仏教語でいう「応機接物(おうきせつぶつ)」に似た、不即不離のつながりが生まれるような、そんな関係を求め続けることを願うばかりです。

●さいとう・たかを= 漫画家。本名斎藤隆夫。大阪府生れ。福泉中学,理容専門学校を経て家業の理髪店を手伝いながら漫画を描く。1955年貸本漫画の出版社日の丸文庫より単行本《空気男爵》でデビュー。辰巳ヨシヒロらと貸本漫画界の中心的存在となる。手塚治虫の影響を受けた絵から次第に独自のリアルなタッチに変化していった彼らの作風は,辰巳の発案で〈劇画〉と命名された。1958年上京。1960年さいとうプロを設立。原作部門を設けるなど分業制を導入,出版も手がけるようになる。代表作に国際スパイ漫画《ゴルゴ13》(1969年―)のほか,《台風五郎》シリーズ,《無用の介》《影狩り》などがある。2003年紫綬褒章受章。1936~2021。(百科事典マイペディア)

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「徒然に日乗」(561~567)

〇2024/11/10(日)終日、曇り空で、時々雨粒が落ちてきたりする。▶お昼前に買い物。常用の品々を買う。▶本日の山形新聞のコラム「談話室」に素敵な記事が出ていた。山形は何度か訪れた地であり、生活綴方教師の仕事ぶりを調べたりして、ぼくには思いで深い場所だ。その山形にあるY大学に、ぼくの年下の友人がいる。工学部の教授のK君。彼を思いだして、メールを送ってしまった。なかなかに熱心な研究活動ぶりが外からもよくわかる。どうして彼に「談話室」一件を送ったか。いづれ、折を見てその経緯を書いてみたい。彼はもう五十を過ぎているだろうか。幼稚園に入るころからの知り合い。一時間後に返信があった。ことに大学受験を目指して、二年間だったかそれ以上だったか、毎週のように拙宅に来て、二時間も三時間もかけて、懸命に自習していた姿を昨日のように覚えています。「一別以来、三十六年です。お会いしたい」と。(567)

〇2024/11/09(土)午前中に郵便物が到着。卒業性の一人から、書籍が送られてきた。中を見ると「ちよだ文学賞」の最終候補作に入ったという「その坂道を」という作品。彼女は卒業後、二十年の教員生活をしつつ、小説を書いていた。その後、教職を辞して、小説書きに専心していられるらしい。これまでにも「2冊」ほども送っていただいた。精進されているのがよくわかる。ゆっくりと読んでみたい。▶台所の水栓が故障しているので、いろいろと部品などを調べてみたが、あまりにも古いもので、新規に取り換えるほかないと判断。以前にトイレや洗面、台所などを(新規に)設置してもらった会社に連絡。早速業者が、点検し見積もりを出してくれた。依頼したホームセンターまで、水道栓の商品選びのために出向く。ついでに風呂場のシャワーセットも一式取り換え。何しろ築三十年近くになる建物。いろいろと取り替え品が出てくるのも当然だろう。十一月の半ば過ぎの工事予定。(566)

〇2024/11/08(金)今朝は実に寒かった。そろそろ準備をと思っていたファンヒーターを出して、暖を取ることにした。朝の五時ころだったか。昨日は深夜十二時直前に起こされて、そのまま、床に入らないで、猫の帰りを待っている間に、深々と寒さが募ってきたのだ。おそらく10℃は楽に下回っていただろう。都内でも5℃だという。午前中に車に乗る必要があったが、終夜屋根付きの車置き場に止めておいたのに、車内は4℃だった。例年並みなのかどうか。昨日は「立冬」だというから、まさに「暦通り」の季節の展開か。▶台所の水栓の蛇口が故障したので、部品だけをと調べてみたが、すでに二十数年経過した品物、新規に取り替えの必要があるだろうし、工事を自分でやれないこともないだろうが、面倒なこともあって、結局は業者に依頼するつもり。▶元大統領の再選の「余韻」ではなく、落胆がなお続いている。この先、世界の反応はどうなるのか、なかなかに面倒な時代になったと思う。間違いなしに彼は「ファシスト」の道を今まで通りに進むだろう。大いに気になるところ、と言って、どうなるものでもないのだが。(565)

〇2024/11/07(木)~ 「健全な民主国家」はすべての国民を平等・公平に扱う法律によって統治され、治安の維持をあずかる人々を含めた国民「相互の尊重」という絆によって支えられている。ファシズムの「法と秩序」が市民を二つの階級に分けるためにあるのは明らかだ。つまり、生まれつき法に守られている「神に選ばれた国民」と、最初から法に守られていない「非合法の国民」に。ファシスト政治では、「女性の伝統的な役割」を果たさない女性や、非白人、同性愛者、移民、“頽廃的な世界市民〟、支配的宗教に属さない人々は、その存在自体が「法と秩序」に反していることになる。黒人を「法と秩序」を脅かす存在と形容することで、米国の先導政治家たちは「非白人の”脅威〟から守る必要がある白人国家」という強い帰属意識を創り出すことに成功してきた。いま、世界各地で同じような戦術を用いて、「不安に基づく敵味方の区別」が創り出されている ― 国民みんなを移民の受け入れに反対させるために。(ジェイソン・スタンリー「ファシズムは何処からやってくるか」(p.131)アメリカ大統領選挙が終わった直後だから、というのではなく、着々と進行しつつある「ファシズム」の猛威に感染しないために、ぼくたちは意識を鋭敏にしておかねばならない。再選された大統領の後釜には、もっと悪質な「ファシスト」派が控えている。長く続く「冬の時代」「暗い闇」にアメリカは入ったのだ。(564) 

〇2024/11/06(水)朝から米大統領選挙の開票ニュースを見ていた。お昼前の段階では「おやっ」と感じるところがあった。1時間すぎ、2時間すぎて、「どうしてH候補の得票が伸びないのか」という疑念が大きくなるばかり。それと足並みをそろえるように連邦議会「上院」「下院」の議員選挙での民主党候補者の当選が少ない。結果的には、大統領も上下両院も共和党が。大統領選の方は、T候補の楽勝(圧勝かもしれない)。これをどうこう言うほどの材料は持たないが、要するに、今日のアメリカ社会は「人種(移民)差別」と「女性差別」に支配されているということだろう。大統領選挙の結果がそれを示している。この極端な「差別主義」を堂々と主張して、それが大きく受け入れられたということだ。それだけで「勝利を得た」ともいえそうだ。この結果は、想像するに難くない。「ファシズム」ががぜん牙をむくようなことになるだろう。いやな時代にめぐり合わせたものだと、痛感している。(563)

〇2024/11/05(火)終日快適な天気が続いた。▶昼前に買い物。猫缶等を購入するために、土気まで。本日も庭作業は休み。それなりに寒さを感じる時節となってきたので、持ち越している「障子の張替え」を終わらせたい。すでに材料は購入済み。やることは増えるのに反して、当方の作業量は目に見えて減じているので、仕事は積み残されるばかり。▶アメリカ大統領選挙は、夕方6時過ぎから、早い州では投票が始まっている。「事前投票」はすでに8千万人が済ませているというから、おそらく、すでに帰趨は決しているのだろう。それにしても報道によれば、接戦に次ぐ接戦だという。絶対多数を得ても、選挙人数で負けるということが二回前の選挙(2016年)で生じたばかり。他国の選挙制度をとやかくは言わないが、その結果が大きく世界中に及ぶのだから、何事かを批判したくなる。(562)

〇2024/11/04(月)快適な一日だった。昼前に買い物に、茂原まで。▶午後3時ころだったか、T君から電話。久しぶり。最近、韓国に出かけていたとのこと。北側から脱出した子どもたちを受け入れて教育を施す学校が、韓国内に五校ほどあり、そのうちのいくつかを訪問し、交流を果たしていたという。いろいろな問題に挑んで、そこから何事かを学び取る姿勢には大いに感心させられている。▶本日が最終日(日本時間)の米国大統領選挙。今なお、その帰趨は決めがたいほどの「接戦」だという。不思議な選挙戦だと思うほかない。分断国家の「権力争い」というべきか。(561)

 (今週の「徒然日乗」は、図らずも「山形特番」にったようです。こんな雑談なら、ほとんどの国内各地域(時には海外も)について、懇意にしていただいた人たちとの関わりが書けそうです)(ただ今、午前6時半過ぎ。夜来の雨が続いています。室温17.5℃、湿度67%)

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肩書って何ですか?

▣ 週の初めに愚考する(第四拾四)~ 昨日の午後、ポストに一冊の書籍が入っていました。差出人は一人の卒業生でした。「拙作が初めて人の目に留まったので、よろしければご笑覧下さい」とメモ書きが挿んでありました。学生時代から知っていた方で、卒業後20年の教師歴の後に、「物書きに」と書き続けておられる。これまでにも何冊か戴いた。この時代、何によらず、初志貫徹は大変なこと。自分にも「若気の至り」で、小説を書こうかなどと血迷った時期もありましたから、その境遇がわかりそうな気もするのです。

 今回は、「ちよだ文学賞」の最終候補作になったという。短編でしたが、掲載著作が送られてきたのです。今でも、時々、知人から「著書」「作品」を戴くことがあります。ぼくは筆不精を通り越して、礼儀知らずですから、めったにお礼の返事を書いたことがない。初めからその気がないのではなく、そのうちに、一読してからなどとぐずぐずしているうちに時間が過ぎていくという風で、とうとう出さずしまいになるのです。その昔は、ささやか著作を何冊か出版しましたが、ごく身近な人に贈るということはありました。でも、自分から進んで寄贈するという気分は薄い方だったと思う。それはそれ。

 この人はどうでしょうか。作家という以上は、原稿を書いて生計を立てるということになりそうですけれど、はたしてどれほどの人がそれで食べているのか。ぼくにはよくわかりません。今でも何人かの作家やジャーナリストと称される知人や友人がいます。たまに論考や著書を見ることはありますので、安心はします、しかし、それで生活が成り立つかとなると、むしろ心配の方が、余計なことながら、大きいというのが正直なところ。世に言われる「原稿料」の相場は、今はどうなっているか分かりません。しかし、自身のささやかな経験からすれば、それほど高騰しているとは思われず、むしろ低いままで抑えられているのではないか、そんな気もしています。

 原稿を書くということと、原稿を書いて飯を食うこととは、驚く程に乖離しているのが実態でしょう。ベストセラーでも出れば話は別。しかし、今の時代、さまざまな媒体がありますから、原稿や著作のみで生活を維持するのは大変な事業だと思う。もちろん、いい原稿(作品)を書くことが主目的であって、その精神はお金には代えられないといいたいところでしょう。しかし、生きていくためには、そうとも言えないし、その精神だけで、霞を食って生きていけるわけでもないのです。しかし、独立不羈(independence )の精神、ぼくには憧れの的でした。自分には及び難し、という生き方。

 若いころ、いくつかの雑誌に原稿を頼まれたことがありました。その時はほとんど考えなしに、先方の言うがままに「評論家」という名称(肩書?)を出していた。それに対して、一友人が「君は原稿を書いて飯を食っているのではないから、評論家を名乗るのは可笑しい」と批判(非難)されました。事情はどうあれ、「その通り」と納得したことがあった。実は「肩書」なんて、どうでもいいんですね。ぼくの知り合いには何人かの音楽家がいましたが、その人たちは「音楽家」で生計をなり立たせていたかどうか、とても怪しい。ピアノ教室を開いて「生徒」を集めていたかもしれない。だから、音楽家を名乗るのはおこがましいとは、ぼくは思わなかった。これもどこかで触れましたが、一人の高名な「詩人」が、ある時、「詩、一編(原稿一枚)で、稿料は5千円」と言われたのを聞いて驚愕した覚えがあります。彼は今も「詩人」であり続けているし、たくさんの「エッセイ」も書かれている。

 無駄話が思わないところに向かっています。それで生活が成り立っているのを、仮に職業というなら、作家、詩人、歌人、俳人など、飯が食える人は数えるほどもいないでしょう。「飯は箸と茶碗で食うのだ」ということです。もちろん、音楽家もそうです。問題は肩書にあるのではなく、その人の思考や行動(言動)にあるということですね。一冊の著作を送ってくれた卒業生は、まぎれもなく「作家」でしょうし、その意識が彼女に原稿を書かせているのだとぼくには感じられます。何業であれ、ぼくは「営業妨害」をしないのを生涯の規則にしてきた人間です。この先も、書かれ続けることを願っています。だから「物書き」などと、多くの人は卑下しつつ自称するのかもしれない。

 本日は「別の主題」で書いては見たのですが、あまりにも重くなりすぎたので、「閑話」というと差し障りがありますけれど、急遽「人と肩書」という埒もない話題に逃げ込みました。生前、画家の岡本太郎氏が「職業?」と問われれば「人間、と即答するんだ」と、息まいているのを聞いたことがある。「人間が職業か」と疑問を持ったが、本人がそういうのだから、それでいいじゃないかと納得した。要するに、肩書なんて、という気分を失わなければいいのだということですね。

● 肩書(かたがき)=➀名刺や印刷物などで、氏名の上部や右肩に官位・職名などを添えて書くこと。また、その官位・職名など ➁その人を特徴づける社会的な地位・称号など。➂ 前科。悪名。(デジタル大辞泉)
●〔称号〕a title;〔学位〕a degree;〔地位〕a [an official] position (in a company)(プログレッシブ和英中辞典)

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「壁」はいつか壊すために作るのか

<あのころ>「ベルリンの壁」が崩壊 35年前の11月9日

 1989(平成元)年11月9日、東ドイツ政府は旅行や移住のための出国を原則自由化することを決定、国民の西側への脱出を阻むために61年に築かれた「ベルリンの壁」は事実上崩壊した。検問所の周辺では、知人や親類との再会を喜び合う姿があちこちで展開された。写真は東側から壁をよじ登る市民ら。(ロイター=共同)(ヘッダー写真も共同通信・2024/11/09から)

 昨日は「ガラスの天井」について愚見を駄弁りました。別名は「見えない壁」という。それは何処にもないし、何処にでもあるという、まるで「幻(まぼろし)」「あやかし」のようなもの。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」といいます。「幽霊と思っていたものは、枯れたススキだった。恐れられている人や物の実体がつまらないものであることのたとえ」(デジタル大辞泉)実際に存在しないにもかかわらず、人間の恐怖心(意識)が「幽霊」を生み出しているという、まるで「怖い御伽噺(おとぎばなし)」のようなものでした。「女性初の大統領」を目指して臨んだのに、大惨敗。それは「ガラスの天井」などという代物ではなく、日常の組織活動に大いに欠けるところがあった結果でした。「よく注意しなさい。ガラスの天井なんてどこにもないのよ」「あるのは、それを求めるあなたの意識なのです」

 この「ベルリンの壁」は現実に存在した。「東西冷戦の象徴」などとまるで「レガシー扱い」されてきましたが、何のことはない。川の水の流れをコンクリートの壁で堰(せ)き止めることはできたとしても、人間の自由(意識)は物理的に囲いこむことはできなかったという証明でしょう。自らの陣地を守るために築く壁。小は「個室」から始まり、個人の敷地を取り囲む「塀(ブロック)」があり、今では米や野菜を獣害から守るための「電気柵」まで、各種取り混ぜて、さまざまな「障壁」「防護壁」があります。その歴史は古く、もっともよく知られたのが「万里の長城」で、「西戎夷狄(せいじゅういてき)」から「中華」を守護するためのものであり、今日では、南北に朝鮮を隔てる「38度線」が実存しています。

 いままた、アメリカではメキシコとの境界線に「不法移民」の侵入を防ぐ壁を構築するという。自分たちが暴力で奪った土地を自らの領土(アメリカ・メキシコ戦争)にしておきながら、「移民」は認めないという不合理な話。「米国とメキシコとの間で行われた戦争。1846年、米国のテキサス併合後、国境紛争から開戦。圧勝した米国は、カリフォルニアニューメキシコを得た。米墨 (べいぼく)戦争」(デジタル大辞泉)もっと遡(さかのぼ)れば、原住民を撲滅・殲滅して、「アメリカ帝国」を作った歴史をもつ国です。「お里が知れる」(「言葉遣いやしぐさによって、その人の生まれや育ちがわかる。よくない意でいう」デジタル大辞泉)というのですか。左は、アメリカとメキシコの国境に作られた「壁」の上に乗り「壁は不要だと訴える動画を公開」したキシコ議会議員(ブラウリオ・ゲラ氏)(CNN・2017/03/04)

 政権に帰り咲いた元大統領は「壁の建築費はメキシコに払わせる」と笑わせる。この「バカの壁」問題も激しく再燃するでしょう。(米墨戦争に反対したソローという人(右写真)は、そのために監獄に入れられた。こんな理不尽なことをする国には「税金を払わない」という実力行使の廉で)

 西に「壁を壊す」ことに狂喜する人があれば、東には「壁を作る」ことに政治生命を賭ける人もいる。人間というのは賢いけれど馬鹿だという実証ですね。イスラエルとパレスチナの「戦争」は、実際は「壁(国境)」をめぐる領土争い。ウクラナイナとロシアもまた、「壁(国境)」の線引きに起因しています。こういう事実を突きつけられと、「権力亡者」は、自らの内部に「馬鹿の壁(征服欲)」を持っているというほかないようです。短絡して言うなら、「陣地争い」の軌跡が「人類の歴史」の重要な部分を占めているのだ。それを認めながら、言いようもない「恥辱」だとぼくは痛感している。(当地に越してきた直後、近所の人に「敷地には囲いを作る方がいい」と忠告された。今ではいろいろな動物(「害獣」だという)が自由に出入りしているし、やがては「金を出せ」と押しこむ手に負えない輩が来るかもしれない)

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(🔝はすべてAFP)【11月7日 AFPBB News】1989年のベルリンの壁(Berlin Wall)崩壊から、9日で30年。冷戦の象徴として街を東西に分断していた壁の崩壊に、ベルリン市民らが歓喜した当時を、写真で振り返る。AFPが捉えた歴史的瞬間(c)AFPBB News)(2019年11月7日 )

⦿ ベルリンの壁(Berliner Mauer)= 1961~89年まで西ベルリンを囲い込み,東ベルリンおよび周辺の東ドイツ地域との交通を遮断した障壁。ドイツが東西に分裂後の 49~61年の間に約 250万人の東ドイツ市民が西ドイツに脱出。特に熟練労働者,専門職,知識人の脱出がふえ続け,東ドイツ経済の命運を脅かす事態となった。そこで東ドイツは,東ベルリン市民の西ベルリンへの通行を遮断する障壁を構築した。壁の構築は 61年8月 12~13日の夜間に開始された。有刺鉄線とブロックによる障壁はその後,監視塔と銃座,地雷に守られた有刺鉄線付きのコンクリート壁 (高さ最大5メートル) に変った。 80年代までに,壁と電流フェンス,堡塁による障壁は 45キロに及び市を分断,その後さらに 120キロ延びて西ベルリンを囲い込み,東ドイツから完全に隔離した。こうしてベルリンの壁は,冷戦によるドイツおよび欧州の東西分断を象徴する存在となった。この間,約 5000人の東ドイツ市民が,さまざまな手段で壁を越え西ベルリンに逃げ延びた。一方,壁を越えようとして東ドイツ当局に捕えられた市民も 5000人に及び,ほかに 191人が壁越えの最中に射殺された。 89年 10月,東欧を巻込んだ民主化の波のなか,東ドイツの共産主義政権は崩壊。 11月9日,東ドイツ政府は西ドイツ (西ベルリンを含む) との国境を開放,ベルリンの壁も打ちこわされて通路ができ東ドイツ市民は西側と自由に往来できるようになった。これを境に,東西ドイツの政治的障壁としてのベルリンの壁はその役目を終えた。(ブリタニカ国際大百科事典)

(左写真・市が二分化される前に東ベルリンの自宅から西側に逃亡する市民(ドイツ・ベルリン)撮影日:1961年08月01日 AFP時事)(右写真・東ドイツ人民警察機動隊のコンラート・シューマン隊員。国境警備任務に就いていたが「ベルリンの壁」構築後、初の亡命者となった。彼が鉄条網を飛び越える姿を捉えた写真は「自由への跳躍」と題され、東西冷戦を象徴する写真の1つとなった。15.Aug.1961 (Photo by Chronos Media GmbH/ullstein bild via Getty Images)(下写真・ベルリンの壁跡を示す石とプレート(ドイツ・ベルリン) 撮影日:1999年10月21日 AFP時事)

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どこにも< Glass Ceiling> はなかった

 「ガラスの天井」は、世界のいたるところに設けられているというのでしょうか。仮にそうだとするなら、どうして「女性限定」の障壁であるのか、ぼくは以前から疑問を持ってきました。男性に対しては「ガラスの天井」という表現はまずされないでしょう。どうしてでしょうか。女性にだけ「天井(壁)」があるのであって、男性には、すべからく壁は破られているということなのか。決してそうではないでしょう。女性にある壁(天井)は、同時に、男性にもあるはずです。

 カマラ・ハリス氏が「米国初の女性副大統領」に選ばれたとき、「確かに女性初ではあるが、最後ではない」と、彼女自身が発言したことをぼくは覚えています。今回の選挙に負けたのは「女性だったから」ではなく、「民主党の時代おくれ」「組織の瓦解」が主因だったと、ぼくは考えています。男女を問わず、誰が候補者であったとしても「負けるべくして負ける」選挙だったと思う。いずれ明らかになるでしょう。現実に敗戦の理由や背景を「ハリスは女性だったから」、「彼女は黒人だったから」、「彼女は移民の子だったから」と、アメリカ社会が抱え込んできた「未解決の課題」に求める意見(世論)が、いまなおある。

 「ガラスの天井」は女性に対してだけの障壁ではないのです。女性の社会的進出を阻止する社会的「差別」は、男性にもなお存在することの「逆証明」です。男女を問わず、「政治的・社会的差別」があるから、それが今回は「ハリス候補」に適応されたのだと、ぼくは見ています。「女性だから、副大統領に」選ばれ、「女性だから、大統領に」選ばれなかったというのでしょうか。「勝てば官軍、負ければ賊軍」といいます。どれだけ破廉恥な犯罪を犯していても、「大統領」なら許される、これもまた「特権」という意味での、法の下の平等を踏みにじる差別です。(ここにこそ、「ファシズム」の根拠があるといいたい)(ハリス氏が勝つだろうという、岡目八目的関心はありましたと、正直に白状しておきます)

〇 ガラスの天井=「ガラスの天井」とは、英語の「グラスシーリング」(glass ceiling)の訳で、組織内で昇進に値する人材が、性別や人種などを理由に低い地位に甘んじることを強いられている不当な状態を、キャリアアップを阻む“見えない天井”になぞらえた比喩表現です。もっぱら女性の能力開発を妨げ、企業における上級管理職への昇進や意思決定の場への登用を阻害する要因について用いられることが多く、ガラスの天井の解消を図ることが、職場における男女平等参画を実現する上で重要な課題となっています。(2013/1/11掲載)(人事労務用語辞典)

 この「ガラスの天井」論議が出ると、ぼくはいつもイギリスの「女性初の首相」だった、サッチャー氏のことを思い出します。彼女が首相に選出されたのは今から半世紀前、1975年のことでした。「鉄の女」と称され、それこそ「イギリス病」克服のために絶大な権力を行使したといわれます。さすがに「女王陛下の英国」だったからでしょうか。イギリスには「ガラスの天井」は存在しなかったといいたいところですが、正確に言うと、存在しなったのは「ガラスの天井論」ではなかったか。目に見えない「ガラスの天井」と言われる女性の障壁、誰とは特定できませんが、「ガラスの天井」論を持ち出すのは、敗者の弁解、つまりは「負けた時の言い訳」のようにも聞こえてくると、あえてぼくは強弁したい。それ(弁解がましい言い分)は決して女性に限ったことではないでしょう。

 ハリス氏も破れなかった「天井」 支持に男女差くっきり 「ジェンダーの障壁は高い。非白人は、なおさら」  ◆ヒラリー・クリントン氏の敗北を教訓にして/女性の社会進出を阻む究極の「ガラスの天井」を破ることは、今回もかなわなかった。2016年大統領選で主要政党初の女性候補となったヒラリー・クリントン元国務長官に続き、ハリス氏も女性初の大統領には届かなかった。(ワシントン・浅井俊典)/ 選挙戦最終盤の10月29日、首都ワシントンでの演説で、党派や性別、人種を超えた「すべての米国人のための大統領になる」と訴えたハリス氏。16年のクリントン氏とは異なり、選挙戦では女性候補であることを前面に打ち出すのを避けてきた。/ 背景には「政治は男性の仕事」という偏見がいまだに米国に残り、「ガラスの天井」の打破を強調したクリントン氏が強い風当たりを受けて敗北した教訓がある。ハリス氏は自らの性別や人種などの属性についてはあえて語らず、人工妊娠中絶の権利擁護など政策を訴えた。合わせて検事としての実績を強調。強さもアピールすることで幅広い層からの支持獲得を狙った。(1)

◆「女性だから選ばれた」という攻撃にさらされ/しかし共和党の一部は、ハリス氏を女性だから選ばれた「DEI(多様性・公平性・包括性)候補」だと攻撃し、偏見を助長した。不法移民対策を担う副大統領としての実績の欠如や、バイデン政権での経済施策に対する有権者の不満も、ハリス氏への足かせになった。/ 民主党の伝統的な支持層である若者と黒人票の獲得でも苦戦した。若年層では、高学歴化の進む女性がリベラルなハリス氏を支持する一方、女性の進出によって自分たちが取り残されていると感じる非大卒の男性らが、トランプ氏の「力強い男性リーダー像」に共感。世論調査では女性の支持でハリス氏が30ポイントもリードしたのとは対照的に、男性はほぼ互角に持ち込まれた。黒人初の大統領となったオバマ氏の支援も受けたが、「男らしさ」を重視する傾向があるともされる黒人男性の支持も伸び悩んだ。/ インディアナ大のクリスティ・シーラー教授は「ジェンダーを巡る障壁は依然として高い。それが非白人の女性であればなおさらだ」と指摘した。(2)(東京新聞・2024/11/07)

⦿サッチャー(Thatcher, Margaret)[生]1925.10.13. グランサム [没]2013.4.8. ロンドン イギリスの政治家。首相(在任 1979~90)。イギリス初の女性首相。フルネーム Margaret Hilda Thatcher, Baroness Thatcher of Kesteven。父はグランサム市長。オックスフォード大学在学中から保守党連盟の指導者を務めた。1947年同大学を卒業後,化学研究員として働くかたわら法律と税制を学んだ。1959年下院議員。1961~64年年金・国民保険省政務次官。1970~74年教育・科学大臣。1975年2月の党大会で対立候補のエドワード・ヒースを破って保守党初の女性党首に就任。1979年5月の選挙で保守党が労働党に勝ち,首相に就任した。1982年アルゼンチンとのフォークランド戦争に勝利し,翌 1983年6月再選を果たす。内政・外交で手腕を発揮し,炭鉱労働者のストライキ,アイルランド共和軍のテロにも妥協せず,冷戦時代にはアメリカ合衆国のロナルド・W.レーガン大統領と強固に連携した。1987年6月の選挙で 376議席を獲得して大勝,イギリス近代政治史上初めて首相 3選を果たした。しかしサッチャリズムと称される国有企業の民営化,政府規制の緩和,労働組合活動の規制などの施策は「イギリス病」を克服したものの 1989年以降の景気後退に直面して行きづまる一方,党内からも強権支配への批判が高まり,1990年11月に辞任した。その強固な意志に基づく指導力を評して,「鉄の女」と呼ばれた。(ブリタニカ国際大百科事典)

 「目に見えない天井」と言われます。誰にも見えない「天井(壁)」が本当にあるのかどうか、大いに疑わしい。今回の大統領選挙の一大争点にもなったかに思われた「人工妊娠中絶」問題。これがアメリカ社会で争われるのは、それを「容認」する州、「否認」する州というように、対応がまちまちであるからという点と、「女性の身体」に「自己決定権(プロチョイス)」を認めるかどうかという問題でした。今なお、「中絶禁止(プロライフ)」の根拠を宗教的教義に委ねている、ある種の時代錯誤が生む問題ではあります。それを含めて、明らかに法的規制があるかないかの問題です。これを「目に見える天井(壁)」とするなら、「目に見えない天井(壁)」とは何のことでしょう。

 日本社会で男女平等が謳われたのは敗戦後の憲法制定を俟(ま)ってからでした。選挙権や大学入学資格も、戦後になって、ようやく女性に認められたのです。これは「旧法律」の規定が削除・否定された結果でした。「目に見えるガラス」が割られたのです。しかしそれ以降も、何かしらの男女不平等は残っている。それは「目に見えない天井」ではなく、あからさまな人権侵害です。人権侵害もまた「目に見える天井(壁)」だというべきでしょう。それでは「目に見えない壁」はどこにあるのか。あえて言うなら、それは男性の意識の中にある、さらには女性の意識の中にもあるということです。旧来の「男尊女卑」という差別主義(通念)が男性の意識裡に残存している限り、女性差別は続く。逆に、女性が解放されるためには、男性が「差別意識」から解放される必要があるということでしょう。

 くどくどしい駄弁を続けています。今次の米国大統領選挙に関して言うなら、民主党候補は「負けるべくして負けた」のです。全米各地に認められる民主党の「得票数の大幅な減少」は、明らかな党組織の「脆弱さ」「機能の毀損」を示している。ハリス候補に寄りかかり、彼女の個人プレイに目を向け、党組織の足腰の衰えが見えなかった・見なかったのではなかったか。表面的な「活況」「動員力」に目を奪われていたのかもしれません。他国の大統領選挙について、事の是非を語るのではありません。未解放の社会的・政治的規制(制約)、それを「差別」といっていいでしょう、その「差別」の前提には「差別意識」があります。差別する社会的意識をして「偏見」といい、それに行動が伴う時に「差別」となる。(右写真は「世界初の民選女性大統領・ビグディス氏(1980年8月)、 アイスランド)

 「偏見と差別」は個々人の問題であると同時に集団の問題でもあるという意味で、なかなかに厄介な「病理(pathology)」でもあります。自分は差別をしていないつもりでも、間違いなくそれは「差別」だったということがあります。「こういうのは、自分だけではない」「誰だってそうしているじゃないか」という事柄がたくさんあるでしょう。それは「社会常識」とか「社会通念」ともいわれるものです。社会全体が「偏見と差別」を受け入れていて、それが「権利の侵害」だと気が付かないことが往々にしてある。今回の米国大統領選挙に見られる多くの「差別発言」も、それを拒絶する人以上に容認する人が多かったということかもしれません。「ガラスの天井」「見えない壁」も、見方を変えれば、慣習的な「差別の構造」を指しているのかもしれないし、その差別を克服するには、数多くの「偏見」に自覚的になる必要があります。(左は「メキシコ発の女性大統領」就任式・2024/10/01)

 「見えない壁」といい、「ガラスの天井」ということによって、あるいは「偏見と差別」の社会的意識(通念)を容認しているということがないかどうか、それを明らかにする必要があるでしょう。人権問題もまた、一歩進んで二歩下がる、そんな往還運動の軌跡を描くものです。進んでいるのか、後退しているのか。まるで野球の「打率」のようで、積み重ねができないものなんですね。

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・日常のなげきに狎(な)れつ冬に入る (飯田蛇笏 「白嶽」)

 (ただ今午前5時。室温15.4℃、湿度61%)(昨日は「立冬」の初日。「立冬 (りっとう)= 二十四節気の一つで暦法上は10月節という。太陽の視黄経が225°にあるときと決められており,11月7~8日ころに当たる。七十二候の〈山茶始めて開く〉の候に入り,旧暦の日付では9月15日~10月15日となる。10月を孟冬,11月を仲冬,12月を季冬といい,10~12月を冬としていたが,立冬からを冬と扱う場合もある。詩歌の題材としては立冬は立春や立秋ほど珍重されていない」(改定新版世界大百科事典)

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