
⦿ 週初に愚考する(五拾壱)~ 「今年の流行語大賞」とかなんとか、恒例のお粗末歳末行事が京都の寺を舞台で演じられ、無意味に大騒ぎされました。今年はパリ五倫もあったためか「金」だったらしい。いやな世相というほかありません。みっともなくて、醜悪すぎますね。戦後一時期を除いて、この社会では、常に「金」ばかりが追い求められてきました。まさに「金の世」全盛というべきでしょう。雪国のただ今は一面の「銀世界(始末に悪い)」ですけれど、そんなものでは満足しないのが「金の亡者たち」ということで、とにもかくにも「金世界」という悪い時代をぼくたちは生かされているのです。「金の切れ目が縁の切れ目」とは「女系図」のお蔦さんの繰り言。「別れろ切れろ」と言わないで、どうして…と、令和の時代、「湯島の白梅」も汚れ切ってまともには目も当てられません。梅が泣いているという気もしてきます。(ヘッダー写真はCNN.co.JAPAN:https://www.cnn.co.jp/fringe/35227641.html)

「流行語大賞」は瑞穂の国の専売ではなかった。同じような「イベント」をするのは洋の東西を問わないようで、イギリスのオックスフォード大学出版局では、今年の言葉(いろいろな文献で使用頻度の高かった語)(the definitive Word of the Year for 2024)として「腐脳(Brain rot)」が選ばれたと報じられています。出版局の発表の一部を以下に引用しておきます。
‘Brain rot’ named Oxford Word of the Year 2024
Following a public vote in which more than 37,000 people had their say, we’re pleased to announce that the Oxford Word of the Year for 2024 is ‘brain rot’./Our language experts created a shortlist of six words to reflect the moods and conversations that have helped shape the past year. After two weeks of public voting and widespread conversation, our experts came together to consider the public’s input, voting results, and our language data, before declaring ‘brain rot’ as the definitive Word of the Year for 2024.
Why ‘brain rot’?
‘Brain rot’ is defined as “the supposed deterioration of a person’s mental or intellectual state, especially viewed as the result of overconsumption of material (now particularly online content) considered to be trivial or unchallenging. Also: something characterized as likely to lead to such deterioration”./Our experts noticed that ‘brain rot’ gained new prominence this year as a term used to capture concerns about the impact of consuming excessive amounts of low-quality online content, especially on social media. The term increased in usage frequency by 230% between 2023 and 2024.
The first recorded use of ‘brain rot’ was found in 1854 in Henry David Thoreau’s book Walden, which reports his experiences of living a simple lifestyle in the natural world. As part of his conclusions, Thoreau criticizes society’s tendency to devalue complex ideas, or those that can be interpreted in multiple ways, in favour of simple ones, and sees this as indicative of a general decline in mental and intellectual effort: “While England endeavours to cure the potato rot, will not any endeavour to cure the brain-rot – which prevails so much more widely and fatally?”(The rest is omitted.)(https://corp.oup.com/news/brain-rot-named-oxford-word-of-the-year-2024/)






とくにこの「ブレーンロット」について、いまさらぼくには話すことはない。ただ注意したいのは引用文の中でソローに言及していることです。「この『語』が初めて使われたのは1854年で『ウォールデン』と題された本(自然界における彼の単純な生活記録が綴られている)においてであったということ。ソローの結論部分。「複雑な思考やさまざまな解釈の余地を軽んじ、単純な思考を過度に重んじる傾向を批判して、このような単細胞の頭脳は精神的かつ知的な努力そのものの全般的衰退(退化)の兆候」「イギリスはジャガイモの腐敗を防ごうと努めているが、この『脳の腐敗を治そうとするものはもいない。脳の腐敗は広範かつ致命的であるのに』」、とそれが不治の病であることを示唆している。

二百年前の指摘には驚きますが、何のことはないんですね。「便利」と「効率」がひたすら重んじられるのは、時代に関係なく、都会や人口密集地では何時だってその価値が追及されてきたのです。今なら、さしずめ「新自由主義」とかいう妖しい(怪しい)主張が言いそうなことに当たります。効率一辺倒、利便性最重視、それ以外は「無駄」だと切り捨てる。社会から「無駄」が除かれる傾向こそが、「腐った脳」たちが強硬に進めている社会悪だといえばどうでしょうか。その「対価」こそが「金」だという話で、実に語る・騙るに落ちた、とはこのことでしょう。効率も悪く金がかかりすぎる「高齢者」が排除の対象になるのも「新自由主義」のような「弱肉強食派」の主張の「眼目」だとするなら、腐った脳は「ネオリベ(neoliberalism)」そのものをこそ「根腐れ」させているのではないかと思う。

ネット時代は、われわれにさまざまな「功罪」というか、「メリット」「デメリット」を齎(もたら)しています。その最大の「問題点」は「物質的欲望」の限りない拡大欲求を唆(そそのか)していることではないでしょうか。便利(コンビニ)とか、効率(コスパ・タイパ)とか、何でも「単純化」し、面倒は省く。「自分で問題を考えなさい」などというのは愚の骨頂、ネットに頼る、頼り切る、SNSに身をまかせる、浸りきる、その結果、この時代を席捲したのは「時間は貨幣だ<Time is money.>」という「唯物主義(materialism)」だったと言ったら、マルクスも爆笑せざるを得ない、まるで「滑稽譚」ですね。(一日何時間か働いて、いくばくかの賃金を得る。それを生活の糧として、ささやかに生きようとする、そんなまだるっこい金稼ぎなんかできるかと、他人の金品・人命までも強奪するというのも「新自由主義」的犯罪(優勝劣敗・弱肉強食)で、これに類似する人間の蛮行は、地球上のいたるところで噴出しているのではないでしょうか)

このところ、さかんに民主主義の危機が叫ばれている。本当ですか、とぼくは眉に唾をつけている。民主主義はいつだって「危機(crisis)」にあるのであり、安全・安泰であったためしはない。また最近の選挙はSNSに大きな影響を受けている、ネット選挙は民主主義の危機を招いていると方々で言いはやされている。ぼくはそうは思わない。出鱈目の限りを尽くす人間が当選する、当選させることはいつだってあったのだから、「民主主義の危機」は選挙民の「無思考」「無智」「無関心」が招いているのですよ、そのようにぼくはそう考えている。ネット時代だから、どうだということも全くないわけではないでしょうが、考えない人間がSNSを使ったから、より無智・無謀になるということはあっても、初めから無智が根づいているのだから、というほかないでしょう。つまりは民主主義の危機は「腐敗した脳」が呼び込んでいるのです。「何とかに刃物」ですか。「腐敗した脳」は長年の教育の成れの果て、学校教育の罪は深いと、ぼくはここでも言うのです。
「腐敗した脳」は、今に始まった現象ではないという、そのような状況を示す言葉に不足はありません。思いつくままに挙げてみると、まず「烏合(うごう)の衆」、いかにもカラスに無礼千万だと思うけれど、「無秩序の集団」「規律も統制もない寄せ集め」、つまりは群集(crowed)の出鱈目さ加減を、カラスを引き合いにだして、実際は人間自身の自らの無思慮を白状している。「附和雷同」「阿附(あふ)雷同」「附和随行」と似たような語がいくつもあります。その謂は「自分の考えなどなく、ひたすら他人の意向や意見に盲従する」ということでしょう。なぜそうするか。他者から仲間外れにならないため、自らの考えを持たないから、盲従するばかりです。さらには「「吠影吠声(はいえいはいせい)」「党同伐異(とうどうばつい)」などという今日ではあまり使われない熟語もあります。言葉は使われなくなったが、その意味するところは健在ですよ。「根拠のない嘘を付くと、周りはそれに同調して、どんどん広める(拡散させる)。いかにもネット時代の「疫病」ですね。また「党同伐異」は、この社会の政治にいつだってみられる現象です。「理非曲直」「是非善悪」は棚に上げて、徒党を組んで敵を攻撃する、これが政治になっていると思わないですか。あえて誤解されそうなことを言うと、「猫に小判」とか「豚に真珠」のように、初めから「無思慮な人間」に持たせたのがアイフォン(スマホ)だっただけ。「腐脳にアイフォン(iPhone)」さ。

つまり、ネット時代だから、SNS全盛期だから、デモクラシーは危機だというのは、一理はあるけれど、短絡に過ぎる。つまりは「腐敗脳」の愚考だと思う。「腐敗脳」が根っこにあることを忘れたくない。「腐った脳」(ぼくも、その持ち主の一人)がネット時代に生き、SNSにかぶれ・しびれているのですから、危機は増大していることは間違いない。「善・悪」「正・不正」「義・不義」「真・偽」などどうでもよくなっているんじゃないですか、この社会は。自分で判断することも考えることもできない・しないのですから、誰かに、何かに依拠するしかない、そんな社会や時代を作ってきたのは、誰だったか。<GAFA><BAT>のせいにするのは、正確ではないでしょう。もともとが「腐敗脳」だったところに「ガーファ」や「バット」が忍び込んだのです。「アイフォン」が付け入るスキがあっただけで、いずれこうなるのは時間の問題だったと、ぼくは言いたい。「今からでも遅くない、アイフォンを捨てよ」とぼくは叫ばない。何台でもお持ちなさいと、いつでも夢を!「学校教育」の悪影響の根が深いですね。
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