世に盗人の種は尽きまじ

【新生面】さい銭泥棒 TKUで放送中のドラマ『全領域異常解決室』には、いろんな神が登場する。食物や水、交通安全をつかさどり、人間の姿で暮らしながら現世の怪事件を解決する。人の善悪の意思を見極める能力を持つ神の決めぜりふは、「すべてを分かろうとするなんて人間の傲慢[ごうまん]です」▼そんな神なら、この人物の行いをどう見定めるか。30年以上前の「さい銭泥棒」から、熊本市の神社におわびの手紙と10万円が届いたそうだ。短い文面からは貧しさゆえにさい銭を盗んだと、後悔の念が伝わった。やむにやまれぬ事情があったのだろう▼日々発生する刑法犯のうち最も多いのは窃盗だ。2023年版の犯罪白書によると、窃盗の認知件数は40万件を超え、全体の3分の2を占める▼摘発されるケースには、万引犯の多さが目立つ。盗んだのはスーパーの数百円の弁当だったり、刺し身のパックだったり、唐揚げなどの総菜だったり。「腹が減って自分で食べるつもりだった」などという理由も少なくない▼容疑者が50代無職と聞けば働けない事情でもあるのだろうかと想像し、80代の高齢者ならば頼れる人はいないのかと気になる。盗みはもちろん悪事だが、誰もがこうした境遇とは無縁だと、神に誓って言い切れるだろうか▼古来、日本には八百万[やおよろず]の神がいると信じられてきた。盗っ人に信仰される「盗人神」もいるというから面白い。そばに逃げ込んだ泥棒を守り、かくまうのだとか。やむなく万引やさい銭盗に追い込まれる人がいなくなるよう神に願いたい。(熊本日日新聞・2024/11/24)

⦿ 週初に愚考する (四拾六)~ ぼくはテレビが嫌いです。自分からテレビの電源を入れることはない。朝食や夕食はほとんどはかみさんと共にするので、やむなくテレビをつける。かみさんはテレビ好きだから。何年か前の彼女の誕生日に、彼女専用のテレビをプレゼントしたこともあるくらいに、テレビ人間なんです。ぼくはそんなときには仕方なしに「ニュース(報道)」番組を見ることにしているが、この番組は「バラエティだ」といった方がいいくらいに、ぼくには興ざめする馬鹿気たな内容で満杯です。いろいろな「ヤラセ」映像がこれ見よがしに出てくるのには本当に「この俗物め」と腹も立つ。「大食い」「爆食」なども目に入らないようにしてほしいと願っている。

 スーパーの店内に置ける「万引き」の映像。これが「ヤラセ」とどうしてわかるか。理由は単純。店内の棚から商品を取り、袋や何かに隠すところを「Gメン」らしい人間が確認し、レジを通らないで店外に出たところで「詰問」し、店の事務所かどこかで…。明らかに商品を盗り、それを隠すように店外に出るのだから、間違いなしに「窃盗」なのでしょうが、それを隠れて確認している「Gメン」は、どうして注意しないんだと、ぼくは腹が立つ。この手の場面は、それゆえにすべて「ヤラセ」だとぼくは断言する。「もうじき盗ります」「盗りました」「持参の袋などに隠した」と、すべてを遠目で見ながら、それをカメラでも撮っている。(見張るのも盗るのも「仲間」かもしれぬ)実にいやらしい魂胆が、ぼくには腹立たしい。もう少し若いころだったら、ぼくはきっとテレビ局に電話を入れ、「ヤラセ番組は止めてくれ」とクレームをつけていたでしょう。当節大はやりの「クレーマー」だったし、間違いなしに、今日流の「カスハラ」人間だと、自分でも否定しない。もちろん、本物の「窃盗犯」もいるでしょう。それをテレビで流す理由はどこにあるか。

 今でもやっている警察による速度違反の取り締まり。ぼくは一度も取り締まられたことはないけれど、もっとも汚いと思ったのが「ネズミ捕り」でした。今でもやっているでしょうけれど、反対車線を通行している車がパッシングライトを点灯し、前方で「ネズミ捕り」が行われていることを知らせてくれる。いくつかの理由で「速度違反行為」はとても危険だから、違反摘発を全面的に禁止せよというのではない。まるで「だまし討ち」に合わせるような、その取り締まりの姿勢が不愉快ですね。「万引き」の摘発行為も、実にいやらしい。あらゆるところで「万引き」「窃盗」事案が発生しています。野菜類などの無人販売所でもよく「ヤラセ」が起きています。「どうぞ、盗って下され」と。射幸心ならぬ「窃盗心」を喚起するような商売そのものにこそ、ぼくは工夫をしてほしいと願う。

 コラム「新生面」の「さい銭泥棒」の件。もちろん十年後に窃盗した分以上の「返金」があったとしても「盗みは盗み」ですから、後味はよくないでしょう、窃盗犯も神社側も。ぼくはめったに神社には行かないし、行っても「手を合わせること」はしない。手を合わせても「賽銭」は出さない(ことの方がほとんどです)。まあ、人間がケチだからかもしれないが、「神頼み」をする気がないんです。ぼくの先輩の実家は神社の神主さんだった。彼は大学の教員をしていたが、家業も大事と、資格を取るために神職大学に通い、無事「神主」になった。この先輩の行状をぼくは具(つぶさ)に見知っていましたから、「お賽銭」を出す気がさらに失せたのでした。どうでもいいことか、「お賽銭」はきっと無税なんでしょう。どこに使われているのか、知りたくもあり知りたくもなし。神社(神職)仏閣(僧職)の「真の姿」かどうか、若いころに読んだ三島由紀夫さんの「金閣寺」を通して、ぼくは無信心を一層強くしたものでした。

 速度違反の場合と同じだとは言わないけれど、まるで「ネズミ捕り」のような「万引き」中継(録画)の見せ物番組こそ、実は早く「摘発」してもらいたいと願っている。あの放送で何を狙っているのか、ぼくには分からない。仮に放送された「万引き」が本物だったなら、隠れて見張るのを止めて、どうして「注意」するなり、「摘発」するなりしないのか。まるで学校の試験につきものの「カンニング」ですね。狡(ずる)いし、気持ちが悪いね。ぼくも教師の真似事をしていたからよくわかるのですが、カンニングされるような「問題」を出す方(教師や業者)が問題だと考えている。この社会ではほとんどの試験が「記憶」「暗記」に依拠している。ぼくは「何を見ても構わない」と何時だって広言していた。自分の脳力で書くほか仕方がないような問題を提示し続けてきたのでした。つまりは持ち合わせの「知識」や「思考力」に、です。それがなければ、次の機会に挑戦すればいいだけではないですか。浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ。

 「さい銭泥棒」といいますが、いったいそれは誰のことを言うのでしょうか。コラム氏に訊きたいね。本物の「悪」(窃盗犯)はいる。紳士や淑女の顔をして、白昼堂々と税金を掠め取っているのだ。総理大臣が「盗み」をしても、小学生が「盗み」をしても、「盗み」に変わりはないでしょう。でも、それはまったく同じ「悪さ」として始末していいのでしょうか。ぼくは、国会議員や大臣、あるいは総理大臣ほどの「悪」はなさないと、誓って断言できます。アメリカ大統領が吐く「嘘」と、街中のあんちゃんが吐く嘘と「同日の談」ですか。

 * 石川屋浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ(だから、「どうすればいいのか」と五右衛門氏に訊いてみたい)

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疾風に勁草(けいそう)を知る

 昨日午後、元の勤務先で同僚だった先輩の訃報が届きました。九十三歳とありました。この先輩とは、いろいろに付き合いを重ねていた。共著を出したり、一緒に呑み屋に通ったり。生意気で、偏屈なぼくを、何かと助けて下さった方として、ぼくは大きな恩義を感じていた。長く、都下(国立市)に住んでおられたが、定年を機に郷里(福島・南相馬)に移住された。東日本大震災と福島の原発事故時には、すでに福島におられたが、何度か連絡をして、ご無事だということを知って安心した。少し落ち着いたら、伺おうとずっと思いながら、ついに果たせなかった。恐らく地震・原発事故の前後だと記憶していますが、大きな病気をされた。「嫌な奴に見込まれた」と、癌に罹患されたことを先輩なりに受け入れられていた。この人はよく俳句をされていたらしい。時々の葉書に、それとなく一句を披露されていました。南相馬出身の方で、勤めを辞めたら、百姓をすると話され、その通りに過ごされていたようです。熱く語りはするけれど、どこか飄々としたところも持っておられた、ぼくにはとても好もしい方でした。(ヘッダー写真は「故事ことわざ辞典」:https://kotowaza-dictionary.jp/k1083/

 「有明抄」には「若く見える秘訣」、そして「若さと健康」を保つにはと、何かと参考にしたくなるような「話題」が書かれています。何事によらず、度を超えないこと、つまりは節度を守るに越したことはないのでしょう。それを要約すれば「無理をしない」に尽きるでしょうか。「若さを保つための努力が快楽や非日常のためなら長続きしない。健康や若さを保つには人生の目的を知ること、日常の大切さに気づくことにある」と書かれている。取り立てて異を唱える必要はないのでしょうが、「人生の目的を知ること」、それはどういうことか。「日常の大切さに気づくこと」も、ぼくには十分にわからないところです。毎日毎日、何の変化もないような「平凡の繰り返し」に思われることに、実は「諸行無常」が表れているというのだと受け止めれば、それはそれで大変な発見でもあり、一気に仏教の奥義に触れることにもなるでしょう。言葉を変えれば「生者必滅」、(あるいは「飛花落葉」)ということになる。それこそが「寂滅為楽(じゃくめついらく)」「生滅滅已(しょうめつめつい)」だというが、ぼくにはまだ知りえない境地です。

【有明抄】働ける毎日に感謝 10年ほど前、アンチエイジングで知られる医師の南雲吉則さんにインタビューしたことがある。実年齢より10歳は若く見える秘けつは「節制」に尽きたのだが、その努力を長続きさせるための考え方が記憶に残る◆仮に余命3日と告げられた時、人は何をするか。おいしいものを食べるといった快楽を求める人が多い。では余命3カ月なら? 海外旅行など非日常を選ぶ人が多い。では余命3年なら? すると、いい仕事をしようとか家族を大切にしようと答える人が増えるそうだ◆つまり、若さを保つための努力が快楽や非日常のためなら長続きしない。健康や若さを保つには人生の目的を知ること、日常の大切さに気づくことにあるという意味。至言である◆誰もが長寿を保証されているわけではない。持てる時間は人それぞれ。だからこそ与えられた仕事を続け、家族を大切にするといった長期的目標を大切にしたい◆きょうは勤労感謝の日。好きなことを仕事にできた人はそれほど多くないと思うが、出合った仕事を好きになることはできる。米大リーグの大谷翔平選手がきのう、2年連続で最優秀選手(MVP)に選ばれた。日々の節制、努力のたまものだ。けがを経験した大谷選手はこう思っているだろう。働ける毎日に感謝することが大事。いつかごほうびになって返ってくる、と。(義)(佐賀新聞・2024/11/23)

 なかなか、このような「摂理」を自らに取り込むことは不可能だという思いが片方にありながら、何事も気負わず臆せず、どんなに藻搔(もが)こうが、どれほど精進しようが、人間の為すところにどれほどのことがあるのだろうかという「分別」もまた持ちたいものだと、ぼくは若い時から念じてきました。他者を羨ましく思わないこと、誰それに負けたくないという競争心は持たないこと、偉くなりたい、名を成したいなどという気迷いを起こさないこと。要は、「名もなく、貧しく、美しく」、ひっそりと生きていたいという、ある種の祈念を持ちつづけて来たように思っています。ここで「諦念」「諦観」という語を使ってもいいでしょうか。誤解されないことを願うが、「あきらめること」ではなく、「道理をさとる心。真理を諦観する心」(デジタル大辞泉)であります。これはぼくの勝手な思い込みであって、他人がどう見ていたかはぼくには興味はない。

 しばしば、年齢を重ねるのを「年輪」に例えます。この「年輪」、なかなかに興味深い言葉(と現象)だとつくづく考えてみる。辞書の解説に頼るまでもないことですけれど、念のために。「 樹木の横断面にみられるほぼ同心円状の輪。温帯林では形成層の肥大生長が気温で異なり、春から夏にかけて活発に成長し、冬に休止するので、1年の間に粗と密の輪ができる。熱帯降雨林では1年じゅう生長を続けるので、年輪はふつう認められない。多年にわたり積み重ねられてきた経験」(デジタル大辞泉)ぼくは、この言葉を用いて教育の一面を語ることがしばしばでした。樹木にはきっと「年輪」があるというのは単なる思い込みで、ものによってはそれがない木、有り無しが判然としない木もあるというのはご存じですか。温帯地方では一年の気温の高低によって「年輪」の幅に「疎と密」の差が生まれるというのはよく知られています。しかし、熱帯雨林の樹木には「年輪」はない(よくわからない)というのは、不思議というか、驚きです。年中同じような天気(気温)が続くので、年輪を刻む遑(いとま)・必要がないからです。

⦿ 年輪 = 樹木の幹の横断面に同心円状に現れる模様。裸子植物,双子葉植物の茎や根は形成層の働きで肥大するが,形成層の活動は寒暖の変化に支配され,冬は休止して,1年を単位とする周期性がみられる。春に形成される春材と,夏〜秋に形成される夏材(秋材)は細胞の大きさ,細胞膜の厚さなどが異なるので,各1年間の肥大生長部分が明瞭に区別でき,これが同心円状の模様となる。寒暖の差の少ない熱帯地方では,年輪は不明瞭か全く認められない。動物でも,魚のうろこ,哺乳(ほにゅう)類の角,軟体動物の貝殻などに,年輪がある。この場合も季節による成長の差を反映しており,年齢の推定などに用いられる。(百科事典マイペディア)

 どんな人にも、その年齢は数えられます。しかし、それを「年輪」と同じだといえるかどうかは大いに怪しいとしなければならないでしょう。これをそっくり「人間の年齢」に重ねてみると、どうなるか。年輪の多い少ないは「年齢」の差だと理解できますが、「疎と密」はどうですか。細かいのと粗いのは?動物の「鱗(うろこ)」や「角(つの)」などに当たるものは、人間の場合は何でしょうか。単に「年輪」は例えとして人間に当てはめるのではなく、人間自身にも「年輪そのもの」があるんですね。それはいったい、何か。まあ、「言わぬが花」としておきますか。

 最初に、ある先輩の訃報が届いたと書きました。たった一冊だけでしたが、ぼくはこの先輩と(他の人も含めて)、共著を出したことがあった。その出版を引き受けてくれたのが「勁草書房」という出版社でした。その時に編集を担当された方は優れた編集者(女性)として名が知れていた。たしかMさんといわれた。ぼくの文章を、一瞬で「もっときれいに」とかいう指摘で、「はっきりと意味が通じるように書き改めてください」と求められた。なんと見事な編集者かと深く感心したことを、懐かしく思い出している。この「勁草」という言葉の源は「疾風に勁草を知る」(『後漢書』「王覇」)によります。

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*「王覇(おうは)」は後漢時代の武将でした。大将の劉秀(りゅうしゅう)とともに、漢の復興のために幾多の戦闘を潜り抜けたが、河北攻略は苦難続きで、味方の兵は続々と敗走、ついに、王覇軍だけが残った。それを見て劉秀は「疾風、勁草を知る」と語ったという。疾風は「疾風怒濤」でいう、激しい風です。激しく吹き荒れる風に遭ってはじめて、どれが強(勁)い草かがわかるというのでしょう。年輪とともに、ぼくには忘れられない言葉になっています。

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〈夫婦は親しきを以て原則とし、…〉

【有明抄】いい夫婦であるために 結婚式で新郎新婦が交わす三三九度は、大中小3枚組の杯が使われる。祖先に感謝する「過去」と、2人が愛を誓い合う「現在」、そして一家の安泰を願う「未来」の意味が込められているのだとか◆夏目漱石は明治29(1896)年、英語教師として赴任した熊本で結婚した。質素な挙式だったせいか、杯がひとつ足らなかった。のちに妻からそれを聞かされた漱石は「道理で喧(けん)嘩(か)ばかりして、とかく夫婦仲が円満に行かないわけがわかった」と苦笑したという◆たとえ杯がそろっていても、「未来」は見定めがたいものである。近ごろ同居20年以上の離婚が目立つという。離婚件数そのものは減少しているというのに、「熟年離婚」は過去最多で全体の4分の1を占めた◆以前は夫の定年がきっかけだったのが、50代で管理職の肩書が外れ給料が下がる「役職定年」が広がり、危機は案外早く訪れる。きょうは語呂合わせで「いい夫婦の日」。この人を選んで間違いはなかったか。この人を大切にしてきたか。わが胸に問うてみるのが、危機回避の一歩になると信じたい◆漱石は新婚の門下生にこんな手紙を書き送っている。〈夫婦は親しきを以(もっ)て原則とし、親しからざるを以て常態とす〉。仲むつまじくありたいと願っても、ままならないのが日々の暮らしである。とかくに人の世は住みにくい…か。(桑)(佐賀新聞・224/11/22)

 誰にとっても、人生の日々はいつでも新しい経験で、前に向かっている限り、お手本がないんですね、「初体験」。日々過ぎ去る生活の背後には「後悔」や「恨(うら)み」や「辛(つら)み」の鬱蒼とした山が築かれていく。瞬間、瞬間が初めて尽くしというのも、考えれば恐ろしいことであり、奇怪なことでもあります。だから、多くの人は、希望や期待、あるいは忌避の感情をこめて「歴史は繰り返す」という「真情」をひき交々に腹に収めてきたに違いありません。自慢から言うのではなく、また後悔の念が言わせるのでもありません、取り返しがつかないという偽りのない現実に対する、慄然とした告白として「結婚五十年を迎えた」と、我ながら驚きをもって感じている。

 かみさんと同じ家に五十年、一緒に住んできたというのは、まるでお伽噺のようでもあり、いやいや、それは「怪談」に違いないという感覚があります。つまりは「信じられない」「恐怖に満ちた」という話。漱石さんの夫婦関係については、彼自身が書いていたり、彼の周りにいた人が書いていたり。ぼくにも思い当たる節があるような「行き違い夫婦」だったと思う。ある評論家が「不機嫌の時代」という著書を書かれたが、おそらく漱石や鴎外は「不機嫌派」の代表だったかもしれない。その経緯や内容を話せばきりがありませんから、止めておきますが、次々に生まれてくる子が「女児」ばかりだったと、漱石氏は極めて不機嫌そうに語っている。夫婦仲もうまくなかったのはどちらに原因があったのか。漱石は「三々九度の盃」が一枚欠けていたから、「夫婦円満ではなかった」と納得していたかどうか。

 ぼくは三十前で結婚した。かみさんは五歳年上。それは結婚後に知った。結婚式はしないつもりだったが、義理の母になる人に怒られ、急いで段取りを考えた。偶然にぼくの師匠格だった耳鼻科の医者が「カトリック教会」の神父さんと昵懇だったので、その教会で式を挙げることになった。その際、神父さんから、君たちは「信者になるといいね」と誘われたが、体よく断った。披露宴もしないとだめと念押しされたので、その場を探さなければならなかったが、これも誰かの伝手(つて)で、教会と目と鼻の先の「山の⦿ホテル」に決めた。と、出だしから見本も手本もない出発ぶり。漱石の談ではありませんが、ぼくたちは「三々九度」をしていないから、とにかく「喧嘩」ばかり、その合間に「夫婦ごっこ」を演じてきたというありさまでした。そして、気が付けば「結婚五十年」。先日、双子の子ども(娘たち)が食事に誘ってくれた。よく行く寿司屋で「五十年」を祝ってくれたのです。「それにしても、よく続いたね」と、図星を指す。遠慮も配慮もないんだな。

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 「人生は朝から始まる」と、ぼくはある哲学者の教えに徹底して倣ってきました。つまりは毎朝、ぼくは生き方・生活をやり直してきたのだ。この哲学者はフランスの高校教師だった人で、毎日の授業に際しては、生徒たちに「質問」「意見」を黒板に書いておくように言って、それを見、答えながら授業に入ったという。ある日の授業で黒板を見ると、「人生に価値があるか」とか、「生きている意味が分からない」という一端(いっぱし)の人生否定に流れる「懐疑派(the Skeptics)」に被(かぶ)れたような「謬見(びゅうけん)」が書かれていた。それを一瞥、生徒の板書を一気に消して(だったと記憶している)、哲学教師は <La vie commence le matin.> と書いた。(ぼくが教師の真似事をしている時代の一時期、「朝はどこから来るかしら?」と書いていた)

 結婚前にこの哲学教師の逸話を知って、ぼくは、これを胸に刻んだ。確かに始まりは朝だ。毎日かならず朝が来る。天文の常識からすればなんでもないことでしょう。でも、心も暗く落ち込んだままに夜の帳(とばり)に包まれて、きっと明日の朝は来ないと疑わないのですが、夜明けになると鳥が啼く、虫の声もする。ある時期まで、ぼくは典型的な「夜型」だったが、そ逸話を知ったころを挟んで、すっかり「朝方」になった。ぼくは勤め人時代は、何十年となく「朝三時起床」だった。そして一人で、朝シャワーを浴び、朝食を取り、授業の準備をして、七時前には家を出る。もちろん、かみさんは寝ている。夜は、いろいろと悩ましいことや不快なことが日中にはあったので、きっと「呑み屋」に立ち寄ることにして素面(しらふ)を捨てた。その日の終電(夜中の零時)がぼくの「指定席」でした。家に帰ると、かみさんはまだ寝ている。いったい何時間寝るんだろう、この人はと、ずっと不審に思っていた。学校が休みでない限り、ぼくはかみさんの顔を明るいところで見たことがありません。

 〈夫婦は親しきを以(もっ)て原則とし、親しからざるを以て常態とす〉と、漱石先生は自らの体験を述べられている。原則と状態(現実)はきっとそういうものでしょう。ぼくにはよく腑に落ちるのです。「仲よき事は美しき哉」と書かれた絵が呑み屋の「トイレ」に飾ってある。「つまずいたっていいじゃないか にんげんだもの」というのもあった。実篤さんだって、みつをさんだって、自らの経験(実感)を書画にしたためたに違いありません。夫婦と雖(いえど)も、人間関係の一つのあり方です。こうでなければ、ああでなければという「定型」ではなく、それぞれが「自分流」を作っていく、その後ろに夫婦の歩いた道が、同道した時間に応じて、できるのでしょう。後に続くものはいない。

 「この人を選んで間違いはなかったか。この人を大切にしてきたか。わが胸に問うてみるのが、危機回避の一歩になると信じたい」と、コラム氏は軟(やわ)なことを言っていますね。「間違っていた」「大切にしてこなかった」という疑念が、当然のように、日々の中で現れないはずもないのです。もちろん、これはぼくの偶感です。「間違っていた」「大切にしてこなかった」と思ったところで、取り返しがつかないのです。取り返しはつかないけれど、やり直すことは可能だというのが「人生は朝から始まる」「朝はどこからくるかしら?」ですね。「毎日がやり直し」と重たくとらえる必要なない。「おはよう」が朝の始まりを告げてくれるのです。今だって「お休み」などとは、ぼくはまず言わないけれど、「おはよう」は欠かさない。今では、猫たちにも「おはよう」と声をかけている。「ニャー」と答えてくれる。

 まだ昨日の課題が頭に残っています。「人生はのこぎりの刃」みたいだと。当たり前ですが、夫婦は二人。似たり寄ったりだけれど、例えてみれば「縦挽きのこごり」と「横挽きのこぎり」で一セット、そんな両刃のこぎりみたいなもの。「木目」に合わせてのこぎりを使う。ぼくにはよくわからないが、夫婦は何十年いっしょにいても、同じようにはならない、同色には染まらない。似ているようで違うんですね。つまり縦挽き用と横挽き用の両刃があるのこぎりみたいなもの。ひとは一人では生きていけないのは、誰かときっと関係を結んでいるということです。夫婦、親子、兄弟などというのは家族です。加えて、友人、知人、先輩などといった近い関係(級友・同僚など)もあります。

 どんな関係も、基本は「わたしとあなた」になるでしょう。その二人(一対・いっつい)の関係(素数)が複数個で、入り混じっているのが集団です。大事なのは「わたしとあなた」という祖型(archetype)がぐらつかないことです。家庭の崩壊が叫ばれる時代。しかし、どこまで行っても「わたしとあなた」に還元・解消されない人間関係はないと、ぼくは考えている。その「付き合い」を貴重なものと思えるかどうか、それを学んだのは「夫婦」関係からでした。五十年を超えてなお、その関係はこじれるし、壊れかける、そんな危険性を冒して、人間は夫婦になるのですよ、それはまるで「冒険」であり、少しでも油断すると、墜落したり、衝突死したり。きわめて「危険」なんだ。

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 人生はのこぎりの刃のようなもの

 小さいころから「大工仕事」を見るのが好きでした。近所に「建前」があると、わくわくしながら現場に急いだ。日がな一日、家づくりの作業を目を凝らしてみていたものでした。疲れてくると、そこにおいてある材木の上で寝てしまう。「大きくなったら何になる?」と問われたら、いまなら「おっさんだろ」と答えるでしょうが、その昔は「なんといってもカーペンター」と宣言していた。家(もの)つくりの仕事なら何でも見物するのが好きだった。屋根・壁・水回りなどは言うまでもなく、どんな仕事も目を皿のようにして見ていた。ぼくが小学校に行きだした(昭和二十四、五年)ころまでは、田舎(能登中島町、現七尾市)では村を挙げて、成人は家づくりに参加していた。土を固くする「タコ」(左写真)を村人が組になって打ち下ろしていたり。大工仕事もその多くは素人がしていた。素人(しろうと)は玄人(くろうと)だった。棟上げ(上棟)式にはお菓子やお餅を屋根の上から放り投げて、それを周りで見ているものが争って取ろうとした。そんな景色が幻のように浮かんでいます。

 「家づくり」「物づくり」の実像が脳裏に刻まれたせいか、長い間、「大工」さんになりたがっていました。結局は、惰弱な人生に時間を浪費する生活になじんでしまったわけですが、そんなダレた日々でも、ちょっとした容れ物や、犬小屋程度のものは自分で作るようになっていた。要するに、大工さんの真似事です。以来、家にはいつだって大工道具一式があった。鋸(のこぎり)、鉋(かんな)、鑿(のみ)その他、まるで下手の横好きで、飽きもしないで、何かと道具箱を開け閉めしていた。その習癖は今も続いている。六十の手習いならぬ、八十の大工まがいです。さすがに、このところはめっきり体力が衰えて、以前ほどではありません。それでも、いや、だからこそか、鋸の「目立て」などに興味を示しています。刃物を研ぐ、鋭くするということですけれど、そんな暇があるなら、「おのれを磨け」と横から声が聞こえてくる。

 ぼくの持っているものは、市販の安価なものがほとんどですが、それでも、一応は鋸です。手に取って、つくづく眺めている。不思議というか、精妙な作り物で、本当に感心する。「横挽き」「縦挽き」が一本になっている「両挽き鋸」も何本かありますが、何とも精巧に作られている。このところ嵌(はま)っているのが「目立て」、難しいですね。懸命にやって、かえって刃を駄目にすることがある。包丁や鉋研ぎも同じです。「この道はいつか来た道」と謡われてきましたが、ぼくはいつだって、ここで道を失う、路頭に迷う方でした。鋸も安物だし、砥石(といし)も安い、だから上手に研ぎものができないのも道理と勝手に納得しているが、やはり、この道何十年という経験が腕を磨かせてくれるのでしょう。電動工具など、ぼくにはご法度で、素人も玄人も「簡単で便利」と使いたくなりますが、ぼくは身を入れることはない。要するに「玄人が素人」になっているんでしょうね。自動車の運転も、オートマティックよりもマニュアルがなつかしい、今だって乗ってみたい。そんな「時代おくれ」な、ぼくは「老いた河島英五」ですよ。(昨日は「時代」の、「悪女」の中島みゆきさんだった)。

 さて、何が書きたいか。コラム「人生はのこぎりの刃(のようなもの)」に、ぼくは衰えた頭を打ちつけられています。さっぱり「いわんとすること」がわからないのだ。「添」さん曰く「人生はのこぎりの刃」と。その心は? 押しても駄目なら挽(ひ)いてみな、ということか。余談です。欧米の人が鋸や鉋を使うのをよく見ます。挽くのではなく、押すんですね。初めて目にした時には驚いた。西と東、南と北、そう、まさしく正反対だった。ここで言われているのは「人生はのこぎりの刃」ですから、押す挽くではない。人生はのこごりの刃というのは、どういう例えなんですか?

 「いい時もあれば、悪い時もある。回り道したっていい」「人生はのこぎりの刃のようなもの」、これがぼくにはよくわ判らない。生きることの困難、しんどさを「のこぎりの刃」に託して言うつもりであるのは伝わる。確かに、人生には「いい時もあれば、悪い時もある」、だから、「のこぎりの刃」なんですか?「回り道したっていい」から、「のこぎりの刃」なんでしょうか。「わが人生を振り返ると、学校や仕事に行きたくないと思ったことが何度かあった。理由は一つではない。当時はつらくて仕方なかったが、その時があったから今の自分があると思う」(「明窓」)

 誰だってそうでしょう。ぼくなんか、「(行きたくないのは)何度かあった」どころではない。「その時があるから、今がある」と、変なことを言われますね。そんなのあたり前、じゃないかと思う。その時がなければ、今があるはずはない、でしょう。そして「のこぎりの刃」とくる。判らなんな。(余計なことです。学校に勤めていたころ、ごくたまに「学校が楽しい」と嘯(うそぶ)く学生に出会って、ぼくは腰を抜かしたことがある。「えっ、学校が楽しいって」。「いじめ」や「いたずら」が楽しいのかと思ったほど。「楽しかった」という学生に対して、ぼくはとても嫌な気がした。「ありえへんやろ」って。あるところには「変なのこぎりの刃」もあるんですね)

【明窓】人生はのこぎりの刃 51年間のわが人生を振り返ると、学校や仕事に行きたくないと思ったことが何度かあった。理由は一つではない。当時はつらくて仕方なかったが、その時があったから今の自分があると思う▼昨年度、全国で不登校の小中学生が34万人超、いじめも小中高生で73万件に上り、ともに過去最多となった。当方が子どもの頃と違うのはインターネットや交流サイト(SNS)という「世界」があること。情報があふれ、攻撃されることもある。今の時代を生きるのは大変。怒られるかもしれないが、かわいそうだとも思う▼家でも学校でもなく、安心できる居場所が欲しい。そう考えている子どもや若者は、国の調査で7割に上る。コロナ禍の2年前、新聞社が運営する子ども食堂の「店長」を務めた。ある少年が言ってくれた。「ここなら来ることができます」。調理や受付係、子どもたちと一緒に遊び、宿題もする。頼もしかった▼子ども食堂に携わり感じたのは「つながり」の大切さ。都会に比べて地域に残っているのが強みだ。幅広い年代の人が集う「第三の居場所づくり」に自治体も力を入れてほしい。ひいては最大の課題である人口減少に歯止めをかけることにつながるはずだ▼いい時もあれば、悪い時もある。回り道したっていい。「人生はのこぎりの刃のようなもの」。苦しかった時、叱咤激励してくれた先輩からかけられた言葉を思い出している。(添)(山陰中央新報・2024/11/20)

◉ 横挽鋸の歯は、裏歯(うらば)、上刃(うわば)のほかに上目(うわめ)があって、三角形でなく四辺形になっている。歯形の標準は、切削角が90度、切れ刃角が60度、裏歯と上歯のなす角は15度ほどになっている。さらに裏刃、上刃、上目の側面には、側刃(そくば)と呼ばれる45~60度の切れ刃がついている。(http://www.monotsukuri.net/wbt/wbt_daiku/d0307/d0307.htm)

 のこぎりの刃ををじっと見ている。つくづく精妙、巧妙、玄妙、そんな言葉が出てきます。実に複雑な工夫で、木を切るために、これほどの仕組みやからくり・細工が施してあるのだと思うほどに、のこぎりに感謝したくなり、ぼくの知らない鋸職人に頭を下げたくなる。これが「技」というものでしょうか。単純に「木を切る」というけれど、どんな種類の木か、それによっても使う道具は異なる。でも、その「原理」「玄理」は同じです。今は「金型」と「プレス」でいとも簡単に量産してしまっているから、その奥深い「技術」の核や真・芯に触れられなくなったのは、実に淋しいことです。(いずれ「刃物」、葉物ではない、について駄文を書いてみたい)

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 「人生はのこぎりの刃(のようなもの)」という表現は、ぼくには「謎」のままです。「いい時もあれば、悪い時もある。回り道をしたっていい」「人生はのこぎりの刃のようなもの」と続きますから、これは「丸のこ」のことを指しているのかなと思いつつ、この後、猫の悪戯のせいで、後始末をしないといけない「仏壇掃除」に気がとられて、思案は投げ首ですな。

(蛇足 昨日、はるばる福岡からと、広島から? 四人の友人が拙宅まで来てくださった。なんと七時間も続いた「鼎談・対談・座談」でしたから、いささか頭が疲れている。加えて、夜中に猫が「仏壇」に入ろうとして、線香立てをひっくり返し、中の灰をぶちまけていた。その他、多くの「仏具」「飾り物」を床に落としていた。朝起きて気が付き、掃除の途中でこの駄文を書いている。やや疲れて、頭が働かない。そのことが「のこぎりの刃」なんだろうかと愚考している。でも、判らんね)

 (昨日の七時間トーク、「夜まで生トーク」のなにがしかについては近日中に触れてみます。Oさん夫妻と長男坊、そしてアメリカ人のアーサー・ビナードさんの四人との対談)(通常は二人の間では「対談」、三人の場合は「鼎談(ていだん)」です。当方も夫婦が参加していましたので、六人組でした。それをなんというか。「対談」×3、あるいは「鼎談」×2の入り乱れ、つまりは「混戦」だったか。ここでは「ディスカッシン(discussion)」としたいですね。Discussion in the forest、そう言いたい気もするが、ぼくは喋りながら、<not see the forest for the trees>を噛み締めていました)

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そんな時代もあったねと いつか…

 ぼくは「国家」国旗」法の制定時(1999年8月)、これにかかわっていくつかの経験をしていましたから、この法案には強く反対した。法律を作れば、当たり前のように「遵守」が強いられる。強制的に国旗掲揚と国歌斉唱が求められる、しかもそれが学校教育の現場において。反教育的な「強制導入」などはあってはならないし、また政府は「そんなことはしない」と、わざわざ「見解」まで出していたが、想定通りに、実態はその逆だった。この法律制定に関して、この駄文集においても、すでに何回か触れている。制定のきっかけは、「日の丸・君が代」を学校行事(卒入学式)において導入実施したい県教育委員会と県教祖の「絶対反対」の激しい対峙の中で、一人の県立高校長が「板挟み」になり、卒業式当日の朝、自宅で自死されたという、広島での事件だった。詳細は省きますが、反対派の組合員の中に卒業生がいて、後に処分されたことがあった。その後の学校行事の度ごとに、たくさんの「法違反者」が続出し、激しい戦いが繰り広げられ、教育現場の「荒廃」に拍車がかかったのだった。各地の学校関係者の中に、知人や後輩もいて、「表現の自由」などをめぐる裁判に持ち込まれていた。

(ヘッダー写真:https://note.com/y_axe/n/n0039f908ac8d)(他の写真も同新聞より)

 音楽と猫、50年愛される喫茶店 札幌、中島みゆきさんの曲に

 「ねえ ミルク またふられたわ 忙しそうね そのまま聞いて」
 失恋話をマスターに語りかけるシンガー・ソングライター、中島みゆきさんの「ミルク32」。曲中で描かれる喫茶店「ミルク」(札幌市東区)が10月、開店50年を迎えた。ライブ喫茶として地元のバンドマンを見守ってきた店は今、看板猫たちと共に音楽と猫を愛する人々の憩いの場となっている。(共同通信=羽場育歩)
 9月下旬、窓際でまどろむ看板猫「チビ」に導かれるように扉を開くと、レコードやCDで埋まる棚を背にマスターの前田重和(まえだ・しげかず)さん(77)が静かに出迎えた。数十年来の常連や近隣の大学生らがゆったりと談笑する。初めは中島さんのファンとして来店したという山内基康(やまうち・もとやす)さん(60)は、店から子猫を譲り受ける猫ファンに。「元々は犬派だった」と笑顔でチビをなでた。
 高校時代にフォークソングを歌い始めた前田さん。日本語のフォークを広めたいと主催したコンサートの出演者の1人が、北海道出身で市内の藤女子大に通っていた中島さんだ。「既に完成されていた。歌うと別人に憑依(ひょうい)されたようだった」。その力強さに、観客は椅子に縛り付けられて立てないようだったという。
 ライブハウスが少なかった当時、歌える場所を作ろうと仲間と8カ月かけて内装を手がけたのがミルク。中島さんが歌うことはなかったが、時折訪れてココアを注文。前田さんが削る氷のかけらが服にかかった出来事も曲に盛り込んだ。
 数年後、前田さんが近くに設けたスタジオには、竹原ピストルさんやバンド「怒髪天」「サカナクション」のメンバーも通ったが、バンドマンが店に集う光景は次第に減った。一面がバンドのポスターだった壁は今、客が撮った歴代の猫の写真で埋まる。前田さんは「バンドが猫に負けた」と苦笑しながらも「いいバンドが出てくるのを待ってる」と優しく笑った。(共同通信・2024/1118)

 国旗・国歌の制定はあってしかるべきだろう、当然である。だが、それを「行政の規定通り」に導入する、そのために執拗に「強制」するのは、当たり前に反対(その当時の東京都や大阪府の「強制」ぶりを思い出せばいい)。それがぼくの態度だった。そんな折に、半ばは冗談に、半ばは「それもいいかな」と、どうしても「国歌」が必要なら、あの「時代」がいいじゃないかと、あちこちで話したことがあった。方々の学校では卒業式に「時代」を歌うこともあり、それはそれで素晴らしいことと、ぼくは思った。(写真左・前田重和氏)

 「今はこんなに悲しくて 涙もかれはてて / もう二度と笑顔にはなれそうもないけれど」

 それはさておき、共同通信をはじめ、たくさんのメディアが「ミルク」開店50周年を報じていた。その多くに目を通して、そういえばと、改めて、この報道に触れてみたくなった。四十歳少し前くらいから、かなりの期間、ぼくは「みゆき命」のような時代を過ごした。朝昼晩、そして寝ている間も、ぼくの脳内には「みゆき」が溢れていたし、時には「ミルク」もこぼれていただろう。彼女のラジオ番組には関心を持たなかったが、彼女の歌(詞)や、エッセイ、小説などにも目を通していた。そこに書かれている「詩(詞)」が「歌」に変わると、どうしてあれほどの「響き」「翳り」を生むのだろうと、ほとほと感心した。みゆきさんについても書くことはたくさんあるが、ここでは止めておく。一曲一曲についても同様。ただ一つだけ。ある時、用事があって宮城まりこさんに電話を入れたことがった。当時も流行っていたので「まりこの部屋へ電話をかけて」と謡って、大いに軽蔑された。その「悪女」にもぼくは痺れた。「お前のかみさんは『悪女』だ」という人が何人かいた。当たっているような…。

 いまでも各地で、国旗国歌を巡って「争い」「強制」「裁判」が続いているのだろうか。あるいは、誰もそんなことすら気にしなくなったのだろうか。いろいろな意味で、学校教育の崩壊過程の一面を強く示していた出来事と時代があった。

 今から五十年前のある「歌謡祭」で、ギター一本で、この曲を歌うみゆきさんを偶然見た(映像で)。彼女についていかなる知識もなかったが、ぼくは打たれた。その歌詞に。その歌唱力に。「めぐるめぐるよ 時代はめぐる 別れと出会いをくり返し」と、人生の波乱や転生が静かに強く歌われています。

 ぼくが興味を示したのは喫茶店「ミルク」を軸にした「めぐる時代」に関する報道でした。こんな時代に、こんな場所で、こんな歌があったと、多くの人たちが、その「瞬間」だけに「共存」「共在」「共時」を意識していたという、半世紀の歴史を確かめることができただけで、ぼくは幸せな感慨に浸れるのだ。その場所に、たくさんの猫たちの「現存在(Dasein)」を、「客人(Gast)たち」が積極的に承認しているのが、何とも嬉しい。(時には「J.POP.」の愉悦も)

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 まだ治療の必要はない

【海潮音】同居する80歳が近い家族が、数年前から探し物やなくし物が多くなり、同じ話や質問を繰り返すようになった。コンロを使ったままにして鍋ややかんを焦がすこともしばしばある。日々の生活がだんだんと難しくなっている◆自分の変化に気づいて大きな不安にさいなまれ、思い通りにできないことが増えてもどうすればいいのか分からず、いらだちを募らせる。多くの高齢者が経験することだろう◆認知機能の低下は発見が早いほど治療の効果は高いと専門家は口をそろえる。兆候があっても受診を拒む人も多いと聞くが、家族の認知症で苦労した本人は少しでも不安の解消につながればと専門医を受診した◆診断はまだ治療の必要はないとの判断。専門家ではないので受け入れるほかないが、機能の低下は着実に進んでおり、本人は「これからどうすればいいか」と不安が増す結果となった。早期発見、早期治療のかけ声はすれど、立ちはだかる壁は高い◆65歳以上のおよそ5人に1人が認知症を発症するとされる中、推計では鳥取県内の75歳以上の1人暮らしは2025年に2万世帯に上る。単純計算だが認知機能に不安を抱える高齢者の1人暮らしが4千世帯以上存在する見込みだ。高齢者の心と体を支える取り組みを深める必要がある。(真)(日本海新聞・2024/11/18)

 今でもそう言われているのかどうか。「うつは心の風邪」とか。これと似ていない言い方で、ぼくはあまりよく理解できなかった言葉に「障害は個性である」と。分かりそうでいて、この表現で何を言おうとしているのか、よく判らなかった。当事者に面と向かって言われたことがあったけれど、「そうですか?」と思うばかりだった。短い言葉で、もの(状況)の内容や性質を衝くのは理解されるよりは誤解される方が多いのかもしれません。「うつは心の風邪」とは、誰でもちょっと油断すると「風邪を引く」が、時には放っておいても治る、だから、気に病むことはないとでも言いたそうです。専門家の受け止め方は「うつ」と「うつ病」は違うということらしい。「うつは心の風邪」で「うつ病は心の肺炎」だとかいうそうです。しかし、実際には状態(症状)の軽重を言っているのですから、風邪だから安心で、肺炎だから心配というのも暢気すぎるという気がぼくにはします。

 素人にはよくわからないけれど、何でもかんでも「病気(病名をつけること)」にしておいて、その後に治療や処方に当たる、それが「医療」なのかもしれない。たしかに、誰もが風邪を引き、その大半は数日を経ずして治る。あるいは「風邪薬を服用」して治す。でも、風邪を引かないことの方が治すよりもっと大切でしょう。治療より予防、ですね。そのことを射当てた表現に「風邪は万病のもと」があります。風邪などと軽く見ていると、思わぬ大事(結果)に及ぶぞ、という意味でしょう。「高熱」などが体力の消耗を齎し、それが原因となって、隠れていた病気を表に引き出すことになるというのです。驚きべきは、なぜ風邪を引くのか、それが今もって医学的には解明されていないこと。しかし頭が痛ければ「鎮痛剤」「解熱剤」「頭痛薬」を服用すれば治ると、我も人も考えています。ぼくは賢くないから「風邪は引かない」と心底思って生きている。引きそうだと思ったら、先ず寝る。十分に睡眠をとって「体内免疫・抵抗力(Immunity)」を維持するのです。それこそが究極の予防法、、つまりは「頭寒足熱」なのだと、たくさんの智者たちに教えられた。

 ここまで来て、駄文の意図がお判りでしょうか。引いてしまった風邪を治す方法は幾通りもある。医者にかかるのも、自分なりにやってみるのも、上首尾なら、あまり変わり映えはしない。肝心なのは「体力」の維持・回復です。そのための睡眠の必要性。しかし、風邪をこじらせて、やがて「肺炎(pneumonia)」になるとどうでしょう。一気に生命に危険が迫る。恐らく、ぼくはこれまでに「肺炎」になったことは一度もないはず。「●〇は風邪を引かない」のであって、引きかけることはいくらもあったが、大事に至らないで風邪(ウィルス・Virus)気を追い出してしまうのです。

 さて、コラム「海潮音」です。「同居する80歳が近い家族が、…日々の生活がだんだんと難しくなっている」と言われる。「家族の認知症で苦労した本人は少しでも不安の解消につながればと専門医を受診した」のは見事というべきか。自らの「衰え」を明確に自覚できたのは、家人の介護に当たられた経験があったからこそと書かれます。医者の診断は「まだ治療の必要はないとの判断」でした。そうであっても、この後の対処法はどうすればいいか、医者は教えてくれない。いや、端的に言うなら「教えられない」のです。「うつは心の風邪」だから心配することはないというけれど、「心の肺炎であるうつ病」にならないためにはどうすればいいか、医者は答えを持っていない。いや、正解はあるようでも、それは誰にでも応用できるものではないからでしょう。

 「(認知症の)早期発見、早期治療のかけ声はすれど、立ちはだかる壁は高い」と、コラム氏は困惑されています。「認知症」は病気だから、治療によって治る。今ではそれが医学界の常識でしょう。素人が何かを言うことは控えますけれど、この「認知症」診断(判断)に関して、いささか腑に落ちないところがあるので、それだけを駄弁ります。

 三、四年ほど前に、連れ合いがある疾患で入院手術が必要だといわれた。その病院で、入院中に夜中に異常をきたす患者がいるので、その心配を取り除くために「忘れ物外来」を受診してくださいと担当医に言われた。「変なの」「どういうこと?」とぼくは思ったけれど、言われるままに同病院内の「外来」を受診した。病院通いで彼女に付き添っていて痛感したのは、担当医は連れ合いが「認知症的」であると判断したのです。外来での医師の診察の前に「「長谷川式認知症スケール」を受けた。担当者は若い心理療法士でした。その検査結果をもとに診察した医師は「まだ治療の必要はない」との判断だった。MRI診断でも「脳の萎縮」は見られない。だから「このままで大丈夫ですよ」と即断。普段付き合っている人間からすれば、かなり物忘れもひどいし、それを認知症というかどうかは別にして、このままでどうしようかと思案していた時でした。医者は「もしご心配なら、少し様子を見て、また診断しましょう」といった。(ぼくは、連れ合いは医者に診てもらう必要があるとは考えていなかったし、今でもそうです)

 当時、連れ合いは八十を過ぎていました。この駄文集録でも、何度かこのことに触れましたが、それなりに症状(状態)は悪化していると思っていたし、その悪化は要するに「十分な睡眠」と「軽度の運動」の絶対的な不足から来ているとの素人判断で、そこに留意すれば、極端なことにはならないと考えていました。「認知症」というから、それは病気なのだと、誰も疑わないし、病気であれば治せるという判断が医者の側にはあるでしょう。しかし、同じ医師の職にある人でも、「認知症の薬は飲むな」「歩くだけで治る」と断言する人もいます。要するに、「老化」「老衰」だととらえているのでしょう。ぼくは医者でありませんから、面倒なことは言わない。人間も八十過ぎれば(ここは個人差があります)もの忘れが嵩じるし、今まで出来ていたことができなくなる、でも、それは「病気」ではないだろうさ、そう思っていたし、今もそうです。誰もかれも、そうだと、ぼくは言うつもりはない。現在は何とか生活に困難をきたしてはいないけれど、この数年後にどうなるかは、医者にもわからない。そう言っているぼく自身がどうなるか、知れたものではないのです。(それにしても「認知症」の服用薬が市販されました。医師の診断に基づいて服用とあります。一例として、年間三百万円ほどは必要という。なんですか、これは。次の薬会社の売り上げ上昇のねらい目は、「認知症」なんですな。凄いことになっている、医・薬共同統一戦線は。それに加えて政治も隊列に入っている)

 先に出した表現でいうなら「うつは心の風邪」であり「うつ病は心の肺炎である」という、それに倣(なら)えば「物忘れは脳内の風邪」であり、「認知症は脳内の肺炎」とでも言っておきましょうか。その前に、「心」の実態は不問にするわけにはいかない。つまりは「うつ」も「うつ病」も、医学的判断では脳内物質の分泌異常であると、今日ではされていますから、今日の「認知症」診断に重なります。この先は、面倒な議論が欠かせませんが、本日、ただ今はそれを続ける気分にはなっていません。結論は出せないのは承知していますが、まず、この段階でぼくが言いたいのは、誰もが知っていて、誰もが罹患する「風邪(感冒)」に関してさえ、その原因がまだ解明されていない、だから風の処方にも「人それぞれ」「症状それぞれ」という捉え方が大事で、一般化した上でなら、いくらも説明はできるけれど、大事なのは、それぞれの症状毎の診断(判断)を待つほかないのです。ぼくはそう考えています。

 「認知症」に関しても状況は同じです。明確に病因が特定される病気である場合もあるでしょうし、病因が解明されない「症状」もあります。だから、その対処法は「症状それぞれ」だということです。加えて、認知症と言われるものは、大なり小なり「老化」「老衰」に起因しますから、まるで <X+Y=Z> のように、未知数の寄せ集めで、この方程式は医者ならだれでも回答できるとはいえないのです。他の別の仕事と似ていませんか。

 ぼくの連れ合いも経験したように「まだ大丈夫です。もう少し様子を見ましょう」という医者の見立ては、「診断」なんですか。「まだ治療の必要はない」というのは診断なんでしょうか。「打つ手がない」というのではありませんか。「今は『うつ』ですから、心配はいらない」「『うつ病』になったら、治療しましょう」と言われて、当人や周りの人間はどうすればいいのか。

 医者も教師も同じようなものだというつもりはありません。目の前にいるのは「患者」であり「生徒」です。そこにたどり着く前は、ただの「人」ですのに。でも、その患者と言われ生徒と称される人たちは、すべては同一人ではなく、それぞれが固有・個別の心身を有していますから、固有性・個別性に対して「医学的知見」「教育的配慮」などという一般的理解で立ち向かうことはできない相談だと、それだけは断言できますね。

 「海潮音」の「真」さんにお尋ねしたいですね。この先どうされるのですか、と。もっとひどい症状が表れてきて医者にかかっても、きっと担当医師は言うかもしれません。「もう手遅れです。なぜこうなる前に来なかったんですか」って。「まだ大丈夫」は「もう手遅れ」と、多くのお医者さんは言っているんですのに、それを、知らないふりをして隠しているんじゃないんですか。この問題は、医学だけでは手に負えないことのように、ぼくには思われています。

 (ただ今、午前7時50分。室温17.0℃、湿度59%。ほんの一時間ほど前までファンヒーターをつけていました。先程、生ごみを収集所に持って行ったとき、車の室内温度は3℃でした)

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