【新生面】さい銭泥棒 TKUで放送中のドラマ『全領域異常解決室』には、いろんな神が登場する。食物や水、交通安全をつかさどり、人間の姿で暮らしながら現世の怪事件を解決する。人の善悪の意思を見極める能力を持つ神の決めぜりふは、「すべてを分かろうとするなんて人間の傲慢[ごうまん]です」▼そんな神なら、この人物の行いをどう見定めるか。30年以上前の「さい銭泥棒」から、熊本市の神社におわびの手紙と10万円が届いたそうだ。短い文面からは貧しさゆえにさい銭を盗んだと、後悔の念が伝わった。やむにやまれぬ事情があったのだろう▼日々発生する刑法犯のうち最も多いのは窃盗だ。2023年版の犯罪白書によると、窃盗の認知件数は40万件を超え、全体の3分の2を占める▼摘発されるケースには、万引犯の多さが目立つ。盗んだのはスーパーの数百円の弁当だったり、刺し身のパックだったり、唐揚げなどの総菜だったり。「腹が減って自分で食べるつもりだった」などという理由も少なくない▼容疑者が50代無職と聞けば働けない事情でもあるのだろうかと想像し、80代の高齢者ならば頼れる人はいないのかと気になる。盗みはもちろん悪事だが、誰もがこうした境遇とは無縁だと、神に誓って言い切れるだろうか▼古来、日本には八百万[やおよろず]の神がいると信じられてきた。盗っ人に信仰される「盗人神」もいるというから面白い。そばに逃げ込んだ泥棒を守り、かくまうのだとか。やむなく万引やさい銭盗に追い込まれる人がいなくなるよう神に願いたい。(熊本日日新聞・2024/11/24)

⦿ 週初に愚考する (四拾六)~ ぼくはテレビが嫌いです。自分からテレビの電源を入れることはない。朝食や夕食はほとんどはかみさんと共にするので、やむなくテレビをつける。かみさんはテレビ好きだから。何年か前の彼女の誕生日に、彼女専用のテレビをプレゼントしたこともあるくらいに、テレビ人間なんです。ぼくはそんなときには仕方なしに「ニュース(報道)」番組を見ることにしているが、この番組は「バラエティだ」といった方がいいくらいに、ぼくには興ざめする馬鹿気たな内容で満杯です。いろいろな「ヤラセ」映像がこれ見よがしに出てくるのには本当に「この俗物め」と腹も立つ。「大食い」「爆食」なども目に入らないようにしてほしいと願っている。
スーパーの店内に置ける「万引き」の映像。これが「ヤラセ」とどうしてわかるか。理由は単純。店内の棚から商品を取り、袋や何かに隠すところを「Gメン」らしい人間が確認し、レジを通らないで店外に出たところで「詰問」し、店の事務所かどこかで…。明らかに商品を盗り、それを隠すように店外に出るのだから、間違いなしに「窃盗」なのでしょうが、それを隠れて確認している「Gメン」は、どうして注意しないんだと、ぼくは腹が立つ。この手の場面は、それゆえにすべて「ヤラセ」だとぼくは断言する。「もうじき盗ります」「盗りました」「持参の袋などに隠した」と、すべてを遠目で見ながら、それをカメラでも撮っている。(見張るのも盗るのも「仲間」かもしれぬ)実にいやらしい魂胆が、ぼくには腹立たしい。もう少し若いころだったら、ぼくはきっとテレビ局に電話を入れ、「ヤラセ番組は止めてくれ」とクレームをつけていたでしょう。当節大はやりの「クレーマー」だったし、間違いなしに、今日流の「カスハラ」人間だと、自分でも否定しない。もちろん、本物の「窃盗犯」もいるでしょう。それをテレビで流す理由はどこにあるか。

今でもやっている警察による速度違反の取り締まり。ぼくは一度も取り締まられたことはないけれど、もっとも汚いと思ったのが「ネズミ捕り」でした。今でもやっているでしょうけれど、反対車線を通行している車がパッシングライトを点灯し、前方で「ネズミ捕り」が行われていることを知らせてくれる。いくつかの理由で「速度違反行為」はとても危険だから、違反摘発を全面的に禁止せよというのではない。まるで「だまし討ち」に合わせるような、その取り締まりの姿勢が不愉快ですね。「万引き」の摘発行為も、実にいやらしい。あらゆるところで「万引き」「窃盗」事案が発生しています。野菜類などの無人販売所でもよく「ヤラセ」が起きています。「どうぞ、盗って下され」と。射幸心ならぬ「窃盗心」を喚起するような商売そのものにこそ、ぼくは工夫をしてほしいと願う。
コラム「新生面」の「さい銭泥棒」の件。もちろん十年後に窃盗した分以上の「返金」があったとしても「盗みは盗み」ですから、後味はよくないでしょう、窃盗犯も神社側も。ぼくはめったに神社には行かないし、行っても「手を合わせること」はしない。手を合わせても「賽銭」は出さない(ことの方がほとんどです)。まあ、人間がケチだからかもしれないが、「神頼み」をする気がないんです。ぼくの先輩の実家は神社の神主さんだった。彼は大学の教員をしていたが、家業も大事と、資格を取るために神職大学に通い、無事「神主」になった。この先輩の行状をぼくは具(つぶさ)に見知っていましたから、「お賽銭」を出す気がさらに失せたのでした。どうでもいいことか、「お賽銭」はきっと無税なんでしょう。どこに使われているのか、知りたくもあり知りたくもなし。神社(神職)仏閣(僧職)の「真の姿」かどうか、若いころに読んだ三島由紀夫さんの「金閣寺」を通して、ぼくは無信心を一層強くしたものでした。

速度違反の場合と同じだとは言わないけれど、まるで「ネズミ捕り」のような「万引き」中継(録画)の見せ物番組こそ、実は早く「摘発」してもらいたいと願っている。あの放送で何を狙っているのか、ぼくには分からない。仮に放送された「万引き」が本物だったなら、隠れて見張るのを止めて、どうして「注意」するなり、「摘発」するなりしないのか。まるで学校の試験につきものの「カンニング」ですね。狡(ずる)いし、気持ちが悪いね。ぼくも教師の真似事をしていたからよくわかるのですが、カンニングされるような「問題」を出す方(教師や業者)が問題だと考えている。この社会ではほとんどの試験が「記憶」「暗記」に依拠している。ぼくは「何を見ても構わない」と何時だって広言していた。自分の脳力で書くほか仕方がないような問題を提示し続けてきたのでした。つまりは持ち合わせの「知識」や「思考力」に、です。それがなければ、次の機会に挑戦すればいいだけではないですか。浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ。

「さい銭泥棒」といいますが、いったいそれは誰のことを言うのでしょうか。コラム氏に訊きたいね。本物の「悪」(窃盗犯)はいる。紳士や淑女の顔をして、白昼堂々と税金を掠め取っているのだ。総理大臣が「盗み」をしても、小学生が「盗み」をしても、「盗み」に変わりはないでしょう。でも、それはまったく同じ「悪さ」として始末していいのでしょうか。ぼくは、国会議員や大臣、あるいは総理大臣ほどの「悪」はなさないと、誓って断言できます。アメリカ大統領が吐く「嘘」と、街中のあんちゃんが吐く嘘と「同日の談」ですか。
* 石川屋浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ(だから、「どうすればいいのか」と五右衛門氏に訊いてみたい)
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