自然に咲くのが一番(山野草の楽園)

 「エビネ」という野草、何時の頃だったか、おふくろに教えられた。彼女はとても植物が好きで、猫の額のような「土地(箱庭?)」にたくさんの野花を植えては楽しんでいた。ぼくは、少なからずその影響を受けて育ったと思う。花が咲いたら、「きれいやなあ」といい、咲き終わったら、「ありがとう」と言いつつ、「お礼肥え」をやる、そんな花との関わりを教えられた。もう何十年も前、苦労して育てていた「月下美人」が一夜限りの盛り(開花)を見せ、近所の人々がおふくろの家に押しかけ、それが新聞に掲載されたこともあった。そんなおふくろが、「これはええ草や」と大切に育てていたのが「エビネ」。だからか、ぼくの住むところには、いつも密かに育っていたのも「エビネ」でした。

 昨日のコラム「明窓」には「ミゾソバ」との遭遇・邂逅が語られていました。貸農園の一角にたくさんの花が咲いたと。それを摘み取り、家の中に飾ったとある。「若い頃はそこまで関心がなかった草花に、年を取るにつれ癒やされるようになった」とは記者氏。そういうこともあるんですね。ぼくは違う。小さいころから、草花が好きだった。観るのも育てるのも。今から思うと、よくも気恥ずかしいことをしていたなと、我ながら信じられないことでしたが、自宅で育てた草花を、出がけに切って、それを教室の教卓などに飾ったりしていた。多くは小学校時代だったが、中学生になってもやっていた。たくさんの「カンナ」を教室に飾る、別に教室が好きだったわけでもなかった。たぶん、そのままにしておけば、枯れてしまうので、それを少しでも生かそうとしただけだったかもしれない。

 今でも、人間とは違った意味で、草花や樹木が好きだ。それが嵩じて、山の中ともいうべき小高い僻地(標高百mほど)に住んでいる。自宅敷地は草草草草(+花+樹木+竹)でいっぱい。今年は、あまりの暑さに「除草」を中断したまま、今に至っているので、普段以上に草草草草が猛然と繁茂している。敷地を囲む樹木や竹も伸び放題。京都から来た友人(元製材所社長)が「少しは手入れをしないと、大変なことになるで」と忠告してくれた。でも、今もなおそのままに、伸び放題になっている。

【明窓】山野草にとっての楽園 先月、借りている畑の一角に小さな薄紅色の花が咲いているのに気付いた。座布団2枚分ほどの広さに群生。かわいらしさに少し摘み、玄関や部屋に飾っている。花の名前を調べるとミゾソバ。あぜや溝の近くに育つタデ科の植物だ。この頃ぐんと寒くなり、そろそろ見納めだろう。/ 若い頃はそこまで関心がなかった草花に、年を取るにつれ癒やされるようになった。人間の汚いところを多く見たため汚れのない様に引かれ、自分が花盛りを過ぎたからこそ心に染みるのだという。テレビのバラエティー番組での分析。明確な根拠はないだろうが納得だ。/ ミゾソバのような野花を見て、思い出す人がいる。以前取材した島根県邑南町の男性。シイタケ栽培に使っていた山に10年ぶりに足を踏み入れると、ほだ木に咲いていたのはエビネ。ひっそりと生き抜く姿に突き動かされた。その山を「山野草の楽園」として整備し、30年前に一般開放を始めた。/ それまで色鮮やかで大ぶりな花を美しいと感じ、趣味の盆栽は、妻が「見ていると自分の身が痛い」とこぼすほど針金を巻いて仕上げていた。その中で「自然に咲くのが一番」と気付き、山野草を守り続けた。/ 取材時に「楽園の名は山野草にとっての、という意味です」と教えてくれた。男性は亡くなり、楽園は有志が継いでいる。草花との穏やかな時間を共有できる尊さを、男性の言葉と共に時折かみしめる。(衣)(山陰中央新報・2024/11/29)

⦿ミゾソバ(溝蕎麦)=茎は軟弱で、3〜6稜があり、根元からよく分枝して、逆向きのごく小さい棘に覆われ、棘で他物にひっかかりながら、よじ登ったり地面を匍匐したりしながら成長し、節から根を出して群落を作る。葉は矛形で、表裏には星状毛と棘があり、葉柄があり、互生する。葉柄も茎と同様に棘に覆われる。葉の基部には筒状の托葉鞘があり、上部の縁には毛があるものと、丸く広がって葉のようになるものがある。7~10月頃、茎頂に半球形の花序を作り、10個ほどの花を咲かせる。花弁に見える部分は萼で、先端が5裂する。花被片は先端部がピンク色で、基部が白い。蕾の状態でも花後の状態でも同じような色なので、長期間花が咲いているように見える。花柄には赤色の腺毛が密につく。果実ははっきりしない3稜がある卵球形の痩果で、花被片に覆われたまま黄褐色に熟す。(「植物写真鑑」:https://www.zoezoe.biz/2010_syokubutu/ka_3_ta/134_tade/persicaria/mizo_soba.html)(ヘッダー写真も)

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 コラム氏が触れていた「山野草の楽園」。島根県には何人か友人もおり、機会があれば尋ねたいと思いながら、願いを果たさないままでした。まるで「木を植える人」のような、一人の人物が語られていました。こういう人を見聞きすると、ぼくは無性に嬉しくなる。「シイタケ栽培に使っていた山に10年ぶりに足を踏み入れると、ほだ木に咲いていたのはエビネ」だったという。この男性には「趣味の盆栽」があった。その連れ合いの方が凄いですね。「見ていると自分の身が痛い」とこぼすほどに、盆栽には針金が巻き付けられていたのだ。ぼくも盆栽は大嫌い。かなり前、かみさんが友人から「欅(けやき)」の盆栽仕立てを貰って来た。ぼくは、早速、それを土に植えた。数年もしないうちに、大成長をして、隣地内にも落葉が積もるほどになったので、泣く泣く伐採してしまったことがある。

 この島根の男性は、その後「自然に咲くのが一番」と改心、「山野草を守り続けた」とあります。まるで素晴らしい教師のような感覚と経験を持たれたんでしょうね。教育は「素質を引き出す」「素質を育てる」、そのための働きかけなのだと思えば、植物を栽培することに重なりますね。リンネという植物分類の恩人は「プラントアナロジー」などといったという。ルッソオの語るところでした。草木も人も「素質」を育てるのであって、縄や針金で「あらぬ方向に」向けるのではないこと、言うまでもありません。茄子(なす)の幹枝に胡瓜(きゅうり)を生(な)らせることではないし、林檎(りんご)木を切って、机にすることでもない。だが、多くの場合、教育は「矯育」であり、「恐育」になっている。「矯」とは「ためる。ただす。がったものをまっすぐにする。いものをしくする」「いつわる。だます。うわべをかざる」「ける。あげる。あがる」と、たくさんの、力づくでの「不自然さ」を示す行為を指している。訓読みは「矯(ため)る」「矯(いつわ)る」ですから、まるでまっすぐに伸びたい松や皐月(さつき)を「針金で、無理やり曲げる」ようなもの。いじめですな。

 「草花との穏やかな時間を共有できる尊さ」と、記者氏は述べています。立派な「盆栽」には、「どうだ、俺の技量に参ったか」という盆栽いじり・いじめの「自慢」や「驕(おご)」りがありありで、いかにも鼻につきませんか。「私が育てたのです」と、自らの力を云々する親や教師みたいなもの。いやだな、とつくづく思う。ぼくは、「見事な盆栽」を見る前に、その針金をペンチで切り取りたい衝動に駆られる。素直な子どもを見ていると、もっと反抗しなきゃ、と煽りたくなるし、実際に煽ることもあった。三十年ほど、細々と各地の学校を巡って「授業の真似事」をしてきたのも、「いい子だと思われようとするな」「教師に対して従順になるのはよくないぞ」と、子どもたちに告げて回っていたのでした。「自然に咲くのが一番」「楽園の名は山野草にとっての、という意味です」と言われた島根の男性の顰(ひそみ)に倣(なら)うと、「自然に(自力で)育つのが一番」「(教室は)楽園の名は子どもにとっての、という意味です」と繰り返したくなります。

 それにしても、「エビネ」はいいですよ。大仰でもなく、自慢げでもなく、それでいて、清楚で強靭で、それでいて、ひっそりとしていて(gently)。まるで、ぼくが終生憧れ続けて来た、人としての「存在の仕方」のようですね。

 (邑南(おおなん):「山野草の楽園」・https://www.oochijikan.com/spot_nature/1767/

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(いろいろな「エビネ」類です。拙宅の庭にもいくつかの花が咲いています)

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Silence is spreading all over the earth

 これまでに、水族館にはほんの数回行っただけです。場所は東京台東区の上野池之端にあった水族館。今もあるでしょう。ぼくが訪れたのは、もう半世紀以上も前。住んでいたところ(文京区本郷)からしばしば散歩に出かけたのでした。暗い館内はどういう作りになっていたか、ほとんど記憶していない。元より、水族館に興味があったわけでもありません。寧ろ、嫌いな方でした。同じ地区にあった上野動物園にも数度行ったきり。誰かに誘われたのがきっかけだった。水族館同様に、動物園も、本当は好きではなかった。動物や魚たちの本来の性向を曲げていると思えば、しかも、それを見世物にしていると考えただけで、そんなものはなくてもいいとさえ思ったほどでした。サメやライオンにしてみれば、実に迷惑な話で、それを、手を変え品を変えて好奇の対象にしているとは、いかにもケチで勝手な「人間中心主義」だと見えてしまう。

 今朝の「有明抄」に引かれました。「沈黙の海」と名付けられたとても小さな水槽。そこには何もいない。水だけが入っていて、時々泡を吹く。縦130センチ、横110センチ、奥行き12センチ。1997年の開館当初から設置されているという。初代館長の吉田啓正さんの発案で「見世物だけではいけない。海の環境問題を考える場にしなければ」という趣旨で作られた。もう三十年近く設置されていることになります。その三十年の間でも、海の環境は相当に悪化してきたことは事実でしょう。(ヘッダー写真「いおワールド かごしま水族館(かごぶら!)」(https://www.kagobura.net/shop/shop.shtml?s=2225)(開設以来、二十数年間も知らないままでいた迂闊さを恥じ入っている)

【有明抄】海が沈黙する前に 悠然と泳ぎ回る魚たちを見終えて最後に足を止める。鹿児島市のかごしま水族館に、ちょっと風変わりな展示がある。「沈黙の海」と題されたその小さな青い水槽に、生きものは何もいない◆〈人間という生きものが/自分たちだけのことしか考えない/そんな毎日が続いているうち/生きものたちの歌がひとつ消え/ふたつ消えて/それが いつのまにか なにも聞こえない/青い 沈黙の海〉。そんなメッセージが添えられている◆27年前の開館当初から続く展示だが、「最近は、より実感を持って受け止められているのでは」と館長の佐々木章さん(58)。日本近海の海面水温は100年あたり平均1・28度と、世界平均の2倍の水準で上昇。生きものの命をはぐくむプランクトンやサンゴの絶滅が心配されている◆身近な有明海でも異変は続く。ノリの色落ち、タイラギなどの不漁…。気候変動が進むいま、諫早湾干拓の影響だけでなく、より大きな視点で問題をとらえ直すべきなのかもしれない。佐賀大で30日午後1時半から、研究者らによるシンポジウムも開かれる◆独の環境シンクタンクの評価では、日本は温暖化対策で64カ国・地域のうち58位。後ろ向きという点で、返り咲きの大統領と変わるところがない。長く対立の火種を抱えてきた身近な宝の海を、早く科学の知見で冷却しなければ。(桑)(佐賀新聞・2029/11/29)

 佐賀新聞のコラムを読んで、ただちに、ぼくは「沈黙の春」を想起しました。大学生になって初めて読んだといってもいい、本らしい本でした。とても刺激的で、まだ小学生の頃、「DDT」を頭から散布された肌感覚が、その臭いとともに甦りました。幸いなことに、ぼくは「沈黙の春」を迎えないままで、今日まで生きながらえた。しかし、その七十年の間にたくさんの動物や昆虫魚介類が「絶滅種」になり「絶滅危惧種」にランキングされています。

 カーソンの著書がアメリカにおいて公刊されたのが1962年でしたから、数年を経ずして翻訳、この社会でも大きな反響を呼んだ。今から見れば、カーソンの主張がすべて信頼できるものとはいいがたくなっていますが、それでも農薬の毒性、生命への危険性に大きな警鐘を鳴らした功績は否定できないでしょう。カーソン氏は、農薬会社の逆襲を受けた、いわば最初期の科学者であり、「犠牲者」ではありました。今なお続いている農薬などの生産販売会社と告発者との攻防は年を経るごとに激しくなりつつあり、一方で販売禁止措置をとる国から、未措置国への転売(輸出)は大々的に行われています。

 この駄文集録では何度も触れていますが、その一例が商品名「ラウンドアップ」「グリホセート」です。近所のホームセンターに行くたびに、この商品がもっとも目立つところに陳列されている。以前は、ホームセンターの店員などにこの商品の「毒性」「危険性」について、知りうる限りで話していましたが、今日は「カスハラ」とか何とかで、一向に耳を傾けようとはしない。恐ろしいこととは思いながら、陳列棚を横目でにらみながら、それこそ「沈黙の顧客」でやり過ごしている、そんな自分を恥ずかしく思っている。

 「沈黙の海」が「沈黙の春」に飛び火した感がしないでもありません。しかし、それらは因果の鎖で固く結ばれ、ぼくたちは、その連鎖の埒外に逃走することはできない状態にあります。気候変動(異変)の原因と結果の連鎖から、毎年発生する「山林火災」、あらゆる地域を襲う「集中豪雨」などなど、毎年のように繰り返される「災厄」に対して、人間は大いなる不感症になっているのでしょうか。その災厄の合間を縫うようにし、あるいは足並みをそろえての、これもまた繰り返される「戦禍」の悲惨。まさしく、地球上は「沈黙の世界(地球の終わり)」を目指し、一意専心、政治も経済も、果ては科学までもが総動員されて、一日も早くその実現を希求しているようではないでしょうか。そして、人間の居住する日常世界には「騒擾の嵐」が吹き荒れている。

 “It is not half so important to know as to feel.” -Rachel Carson

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⦿ 沈黙の春【ちんもくのはる】=米国の生物学者レーチェル・L.カーソンが1962年に刊行した著作。カーソンは,当時米国の各地で行われていたDDTなど有機塩素系農薬の大量空中散布によって,野鳥や魚介類などが大きな被害を受けるだけでなく,散布された農薬が農作物や魚介類に残留して人体に取り込まれ,人の健康に悪影響を及ぼす危険性があることを,この本で初めて警告した。発売後半年で100万部も読まれ,これをもとに有機塩素系農薬の法的規制に踏み切った国もある。米国でも1964年に連邦議会が殺虫・殺菌・殺鼠剤規制法を改正,1970年以降は化学物質から人間の健康と環境を守るために毒物規制法や水道安全法,農薬規制法の改正法など30もの関連法の制定が続いた。(百科事典・マイペディア)

⦿ カーソン(かーそん)(Rachel Louise Carson)(1907―1964)= アメリカの海洋生物学者、作家。ペンシルベニア州スプリングデール生まれ。ペンシルベニア女子大学、ジョンズ・ホプキンズ大学動物学科大学院に学び、1932年修士号を取得。メリーランド大学で短期間教鞭(きょうべん)をとったのち、政府の漁労野生生物局に海洋生物学者として入り、のちにウッズ・ホールとボーフォートの海洋生物学研究所に勤めた。少女時代から文章家を目ざし、農薬の危険性を警告した『沈黙の春――生と死の妙薬』(1962)によって世界的名声を博した。この著作は文明諸国に大きな衝撃を与え、自然保護や環境保全の重要性を認識させる先駆けとなった。(日本大百科全書ニッポニカ)

⦿ ラウンドアップ (英語: Roundup)とは、1970年にアメリカ企業のモンサントが開発した除草剤(農薬の一種)である。/ 日本での商標(登録商標第1334582号ほか)と生産・販売権は、2002年に日本モンサントから日産化学工業へ譲渡され、保有している(ただし2013年5月現在、日本で販売されているラウンドアップは、ベルギーにあるアントワープ工場で生産されたものを輸入している)。/なお、長らく開発から販売を手掛けてきたモンサント(アメリカ合衆国)は、バイエル(ドイツ)が2016年に買収を発表し、2018年に買収を完了したため、以降はバイエルの製品になっている。(以下略)(Wikipedia)

⦿ グリホサート(glyphosate)=アミノ酸系除草剤の一種。グリシンにホスホノメチルというリン酸が結合した構造をもつ。芳香族アミノ酸の合成を阻害して、植物を枯死させる。1970年に米国の農業化学会社が開発。商品名はラウンドアップ。グリホセート。[補助]散布する場所に生育する植物をすべて枯らす非選択性除草剤で、道路・駐車場・公園・運動場などの有用植物を植えていない場所で使用される。また、グリホサートに耐性をもつ遺伝子組み換え作物(除草剤耐性作物)を栽培する農地でも使用される。(デジタル大辞泉)

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考える自分がいる(Cogito, ergo sum)

「何をいまさら、…」、そう言いたくなるような事柄が多すぎますね。今はもう秋(も終わり)、誰もいない海。あるいは、ぼくたちは今、何一つ頼るものもない「情報の海」に漂っているのではないか。そんな物言いがあちこちで囁(ささや)かれ、叫ばれています。もちろん、これはこの小さな島国だけの現実・現象ではない。世界は今、「情報の荒海」に併呑されているともいえます。ネット時代、スマホ時代といいますね。何のことはない、何時だって自分の手の内に、あらゆる不確かな、しかも確からしい「(偽)情報」「(生煮え)ニュース」「噂」「(怪しい)知見」「(似非・えせ)科学」という言葉で報じられる、真偽定かでない「数々の話題」が満載されている、そんな時代です。ぼくは「ネット」や「スマホ」にはきわめて疎い人間ですから、その間の事情がよくわからない。だから、そんなものには近寄らないことを肝に銘じている。 

 昨日触れた「生稲議員、靖国参拝」という偽記事が、日韓関係に波紋を生じているという、共同通信の「誤報」騒ぎ。新聞記事が「虚偽」だったというのは日常的に生じていることでしょうし、そのいちいちにめくじらを立てていては、きりもない話ですと言えそうなのが、情けないですね。新聞やテレビは「これは本当らしい」といって報じるが、「その真偽」は読者や視聴者が判断してください、そんな危機溢れる時代になったということでしょう。まるで学校の試験問題のように「正解は一つ」で、それを知っているのは神(教師)のみであるというなら、話は簡単。そうは問屋が卸さないから、面倒だといえば面倒なことでもあります。

 琉球新報の本日付け「金口木舌」は「知識の効用」とあります。そもそも「知識」とは何ぞやということから始めなければならないようです。ご丁寧に「情報」と「知識」に関する一家言を示されています。その「違い」はともかくとして、「本が読めなくなった要因には仕事ばかりに時間をささげ、余裕がなくなった働き方があるとみる」という知識人の言を引いておられる。一例として「この評言」の真偽はどうかを自分で捉え直さなければ、実は、それは「情報」でしかないのではないですか。「情報」は軽くて、「知識」は重い、目方というか値打ちが、と言われているようですけれど、そうなんですか。情報と知識はひとつながり、だから、どちらも真偽不明だと言っておきます。

【金口木舌】知識の効用 日々の暮らしに追われる中でスマホを操作する。画面の文字を目で追って得られるのが「情報」なら、そこに他者との関係や歴史、社会の中で育まれた思考や経験が加われば「知識」になる▼素早く情報を入手できる道具を誰しも手にできる時代だが、知識を深める余裕は失われていないか。文芸評論家の三宅香帆さんは、本が読めなくなった要因には仕事ばかりに時間をささげ、余裕がなくなった働き方があるとみる▼そんな時代だから、戦略的な情報発信は選挙結果を左右しよう。ただ、思わぬ反動も。兵庫県知事選で広報を担ったというPR会社が戦略の実績を披歴し、波紋を広げている。ネット上の交流サイト(SNS)も戦術の一つ。手っ取り早い情報発信のツールで使ったそう▼乗せられたと思ったのか、有権者の間からは「心情をもてあそばれた」「だまされた気分だ」との声が出る。とはいえ迷いなく投票した人もいよう。選挙結果は重く受け止めたい(琉球新報・2024/11/27)

 「画面の文字を目で追って得られるのが『情報』」で、「そこに他者との関係や歴史、社会の中で育まれた思考や経験が加われば『知識』」になるという。わかったようなわからないご意見であると、ぼくは読む。要するに、目の前にある「食べ物」を「鵜呑み」にするか「咀嚼」するかが、両者の分かれ目だと理解すれば、なるほどそうかとなります。でも、どこまでが「鵜呑(うの)み」で、どこからが「咀嚼(そしゃく)」か、それは人によりけりですから、「鵜呑み」と「咀嚼」で、なにかが言われたことになったのかは疑わしい。要するに、「言われている」「書かれている」ことがどういうことなのか、それを捉え直す作用(作業)が不可欠だというのです。「学ぶ(learn)」ではなく、「学び直す(relearn)」という、自らの意識の働きが必要になるのです。それが「咀嚼」だといってもいいでしょう。学校教育でもっとも欠けているのが、この「咀嚼」、つまりは「学び直し」をする子どもの能力にかかわる教育的配慮です。「記号の垂れ流し」と「記号の垂れ覚え」、これが教育だという嘘教育は百数十年、何一つ変わらないで続いているという驚愕の歴史です。

 差し当たって、あちこちで実施されている「国政選挙」「地方選挙」に関して、「ネット時代」「SNS時代」の功罪が喧(かまびす)しく論議されています。そんな時代にあって、ぼくは一面においては情報に暗い生活を送っているともいえます。拙宅にはテレビも電話もスマホ(かみさん専用)もパソコン(インターネット利用可)も備わっている。でも著しく「情報」や「ニュース」には貧しい環境だと思っている。さまざまま「情報」「ニュース」に接しますが、そのいちいちは、ぼく自身が確かめたものではないから、単なる「お話」「話題」「新聞(ニュース)」でしかありません。自分が経験したこと、あるいは追体験したこと、あるいは「その真偽」をあれこれ調べるための材料を求めるなどをして、ようやく「嘘らしい」「本当らしい」が見えて来ることがある。もちろん、来ないこともある。

⦿ 我思う,故に我あり【われおもう,ゆえにわれあり】ラテン語〈コギト・エルゴ・スムCogito,ergo sum.〉の訳。デカルトが方法的懐疑の末に到達した哲岳の根本原理。あらゆるものは疑えるとしても,かく疑い考える我の存在は疑えない。この考える我の確実性を表す命題。(百科事典マイペディア)

 若いころにはデカルトを耽読しました。その挙句に、修士論文のタイトルに「方法序説」を借用したりして、粋がり、気取ったほどでした。(若気の至り、だったね)方法(メソッド)とは「生き方」ですから、「方法序説」は「生き方の話 入門」といった風情だったでしょう。そこに哲学の第一原理として「われ思う、ゆえにわれ在り」が出てきます。何もデカルトの出現(発言)を待つまでもなく、同じことはお釈迦さまも言っておられます。誰だって、ある事柄や現実の問題に直面して、なにかと思考を巡らし、判断を煩わせる。それは犬や猫だってそうでしょう。動物は「考えない」と言い切ることができますか。そうなると、「動物人間」は「思考」や「判断」において、どうなるか。情念や感情だけの人間だっているかもしれない。デカルトは「何かと判断を巡らせている自分、それこそが自分が存在している証拠」だと言った。ルッソオという人は「われ感じる、ゆえにわれ在り」とおっしゃった。「判断する・考える」と「感じる」は違うともいえるし、同じことだともいえる。「美しい」と自分が感じる理由を言葉で説明できるなら、それは判断や思考の領域に入るでしょう。

 大切なのは、自分に降りかかっている「(真偽定かならぬ情報の)火の粉」(問題)をどう処理するかということです。それを振り払うのか、受け入れて火傷をするのか。振り払うにもいろいろと方法(仕方)がありますから、「まずは、やってみなはれ」という行動になって初めて、あの人はそういう人だったと、他者にも自分にも、「私」というものが判然とするのです。証拠もあいまいなままで「断定する」のも、何かと迷い詰めて、「懐疑に襲われる」のも、人間の生き方としては過ちに陥りやすい、だから、カントという人は「クリティーク(Kritik)」という人間の能力を重視したのでした。この社会では「批判」と訳しています。「批判」とは「独断」にも「懐疑」にも嵌らないで、自らの立場(足場)を求める姿勢・態度のことです。

 兵庫県知事選挙の話題で持ちきりで、ぼくも否応なく、その是非善悪に巻き込まれそうになります。どういう選挙結果がもたらされたのかは明らかですが、その経緯はどうだったか。ことは「公職選挙法」違反、「政治資金規正法」違反に問われかねない疑義が当選者たちの運動にかけられています。さまざまな言辞がネット上を徘徊し、出直し知事の側に圧倒的な風が吹いたというのも、「SNS」をはじめとした情報拡散手段が絶大な効果を発揮したからであり、真が偽に成り代わり、偽が真に曲げられ、いや正されたのだと、なかなかにうるさいことです。従来の「選挙」の範疇には収まりきらない「空前」の、恥ずかしい選挙戦だったというのらしい。大嵐に乗って、ずいぶんと「火の粉」は飛び散ったでしょうし、大火傷(やけど)をした人たちも続出したことでしょう。

 「有権者の間からは『心情をもてあそばれた』『だまされた気分だ』との声が出る」始末。騙した誰かが悪いに決まっていますが、騙された誰かも知恵が足りなかった。つまりは「判断力」や「思考力」に欠けていたともいえそうです。ぼくはスマホを持たないから、「マッチング」も未経験だし、「何とか活」にも無知そのもの、もちろん「闇バイト」はお呼びではない。小学生辺りから、たった一人で「情報の荒海」でサーフィンをする御時世です。救命胴衣も浮き輪もない、まったくの一人泳ぎが当たり前にみられるのですから、そこに溺れる者が出るのも不思議でも何でもありません。

 「誰もいない海」(山口洋子・詞:内藤法美曲、1970)山口さんは「夜の海」で生きていた方であり、内藤さんは越路吹雪さんの夫。この歌謡曲はいろいろな方がカヴァーされていますが、トワ・エ・モアと越路さんがいいですね。「たった一人でさみしくてたまらない」「でも海に約束したの」「私は死にはしないと」という歌詞は、ぼくにはとよくわからないし、趣味には合わないもので、勝手にしなさいよと言ってみたくなります。でも「今は秋」。「やがて冬」、たった一人で「情報の荒海」に漂うのは心細い。だからそこに投ぜられた「救命胴衣」「藁屑(わらくず)」に、人は飛びつくんでしょう。そして、気が付いてみれば、そこは「情報の荒海」でもなんでもなく、近所の「砂場」だったと。気恥ずかしいし、後味が悪い。まるで砂を噛んでいるみたいなんでしょうな。ほんの一瞬だけ、安っぽいテレビドラマに心奪われ、自分もいつしか出演者になって、悪い人に騙され、孤立している「元知事」を助け、救ってやったのだ、と。すべての心は「知事に乱れ」た、兵庫県でした。まさに「一場の悪夢」だった。兵庫の「再生」(回数ではない)、つまりはルネサンスを期待している。

 (「誰もいない秋」越路吹雪・歌:https://www.youtube.com/watch?v=alhKgHAy964&ab_channel=L

 誰が悪いのでもない、騙した「私」、騙された「私」が悪いのよと、さらに再選挙になるのでしょうか。議会もまた解散か。兵庫県よ、少しは考えなはれと他県人は言いたいね。「考える自分」がいれば、それに負けじと「考えない自分」もかならずいる。「考える派」と「無考える派」の対立は、さらに他地域にも及んで、いっそう激しい攻防は続くでしょう。これがこの瑞穂も高騰するばかりの、小さな極東の劣島晩秋の現在ですね。

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「入るのを見た」「見間違えだった」

 生稲氏の靖国参拝報道は誤り 共同通信「深くおわび」 共同通信は2022年8月15日の終戦の日の靖国神社参拝に関する記事で、自民党の生稲晃子参院議員(現外務政務官)が参拝したと報じたが、正しくは生稲氏は参拝しておらず、誤った報道だった。国会議員の出入りを取材する過程で生稲氏が境内に入るのを見たとの報告があったが、本人に直接の確認取材をしないまま記事化した。
 生稲氏が今月24日に参院議員就任後の靖国参拝を否定し、当時の取材過程を調べた。その結果、当日参拝した複数の自民党議員が共同通信に「生稲氏はいなかった」と述べた。生稲氏が否定したことと併せ、当初の報告が見間違えだったと判断した。
 誤った記事は国内外に配信した。生稲氏が日本政府代表として出席した世界文化遺産「佐渡島の金山」の労働者追悼式に韓国政府関係者が参加を見送ったことに関連した記事でも、生稲氏が参拝したと断定的に報じた。韓国外務省は「生稲議員が22年8月15日に靖国神社を参拝したものと承知している」とコメントしている。日韓外交に影響した可能性がある。
 高橋直人編集局長の話 生稲議員をはじめ、新潟県や佐渡市、追悼式実行委員会などの地元関係者、読者の皆さまにご迷惑をおかけし、深くおわびします。取材の在り方を含めて再発防止策を徹底します。(共同通信・2024年11月26日 10時34分)

 自作自演(self-made)のお粗末の限り こんな「誤報」を二年以上も放置していたというのでは、新聞社として弁解の余地はない。新聞やテレビの「愚劣化」や「堕落化」は、今に始まったことではないけれど、そしていまなお、その転落の過程は続いているかと思うと、長年の新聞愛好家としては涙が出てきます。ぼくには何人もの友人がこの会社にいました。尊敬もし、教えられもした友人・先輩たちでしたから、その新聞記事の質の悪さ、凋落ぶりには肝をつぶしている。誤報の対象になった生稲議員について、ぼくは知るところはない。「おニャン子クラブ」のメンバー(工藤静香さんと同期)だったのと、そのキャリアを生かして国会議員になった、議員になる際の選挙運動の最中で、ある「宗教団体」との関係が騒々しく報道されたこと、その報道にあって、同氏は「虚偽」の発言をしていたのを、「立派な政治家になりつつあるなあ」とその厚顔さに呆れながら見ていたことを記憶している。

 今回の誤報道には彼女の経歴や政治活動は、直接には無関係でしょう。でも、どうして誤報を生んだか・誤報が生まれたかという点に関しては、まったくの無関係ではないとぼくには思われます。共同通信がどういう企業であるかについては触れない。いくつもの問題を起こしてきた企業であることにも触れない(この部分については、創立段階も含めて、以前に少々振れたことがある)。恐らく新聞社として「あるべき姿」をとうに失っている企業であるということだけを述べておきたい。この誤報記事に関して、実に不得要領の「おわび」記事が出ており(上掲参照)、そこに付けたしのように、編集局長の談話が掲載されている。さもありなんと言うほかないような「おわび」談話でした。この姿勢こそが、誤報が持っている「危惧」や、及ぼすであろう影響についてはいささかの懸念ももちあわせていない会社の、そんな責任逃れの「話」だというほかありません。

 「国会議員の出入りを取材する過程で生稲氏が境内に入るのを見たとの報告があったが本人に直接の確認取材をしないまま記事化した「当初の報告が見間違えだったと判断した」といかにも、その場しのぎの言い逃れじみた態度がこの「おわび」記事にも滲んでいるのをどうしますか。「境内に入るのを見たとの報告があった」とありますが、「誰が見たのか」、「誰が報告したのか」について言及がないのは不思議です。見た者と報告した者が同一人物(同社の記者とは限られていない)なのかどうか。「(生稲氏を)誰と見間違えたのか」に触れないのも奇妙です。肝心の事柄に触れていないのは、おそらく、その背後にはもっと無責任な社の体質が隠蔽されているからでしょうか。同通信の記者は現場(神社)に行かなかったんじゃないですか。

 国内はおろか海外にまでニュースを発信・配信している新聞企業として、取り返しのつかない誤りを犯したという認識が著しく欠けていると、ぼくには思われる。「日韓外交に影響した可能性がある」とまるで他人事のような書きぶりには言葉もない。そして編集局長の「取材の在り方を含めて再発防止策を徹底します」という、通り一遍の「言葉」が虚(うつ)ろに聞こえてくるのだから、「おわび」「反省」がどの程度のものでしかないか、手に取るようにわかろうというもの。誤報をされた国会議員が「元タレント」だったからという前歴に対して、同社記者にはいささかの「侮蔑」「見下し」の要素がなかったかどうか。政治家としてのキャリアや人物に敬意を持つべきだとまでは言わないが、そこには「政治家評価」についての「差別意識」があったといわれても仕方がないでしょう。

 彼女だけではなく、他にも大いに顰蹙を買う「政治家」がいることは事実だし、それを事実として問題にすることは問題ではないと思います。しかし、(議員が神社に)行かなかったのに、行ったという報道は「おわび」だけで消えるものではないことを、共同通信社はどうするつもりなのでしょうか。「冤罪」は警察や検察ばかりが生み出すのではないことは、「松本サリン事件」でもいやになるほど知らされたのでした。

 マッチポンプというべきか、自作自演というべきか。お粗末を通り越して、読む側は手を上げざるを得ません(お手上げ)。「寡廉鮮恥(かれんせんち)」「頑鈍無恥(がんどんむち)」とは、こういう尊大・不遜な態度を言う。我が身に照らして、深く心したいと思う。

【生稲晃子外務政務官】「(朝鮮半島出身者を含む)先人たちのご労苦に心から敬意を表すとともに亡くなられた全ての方々に改めて深い哀悼の意を表したいと思います。」/ しか韓国側出席を見送りました。日本政府の代表として派遣された生稲晃子外務政務官が過去に靖国神社を参拝していたと韓国メディアが報じていて問題視された可能性があります。【生稲晃子外務政務官】「私は参院議員になってからは靖国には参拝していません。韓国側の理由について私の立場からご説明することはないと思っています」(略)(NST/https://news.nsttv.com/post/20241124-00000004-nst/

⦿生稲 晃子(いくいな あきこ、1968年〈昭和43年〉4月28日 – )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)外務大臣政務官。元女優、タレント、歌手。女性アイドルグループおニャン子クラブ及び派生ユニットうしろ髪ひかれ隊の元メンバーで、会員番号は40番。(以下略)(Wikipedia )

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結局、人間は1人なんですよ

 後の世の事、心に忘れず、仏の道、疎からぬ、心憎し。(「徒然草 第四段」)

 不幸に愁へ沈める人の、頭下しなど、不束(ふつつか)に思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門鎖(さ)し籠(こ)めて、待つ事もなく明かし暮らしたる、然(さ)る方にあらまほし。/ 顕基(あきもと)中納言の言ひけん、「配所(はいしょ)の月、罪無くて見ん」事、然も覚えぬべし。(「徒然草 第五段」)

 我が身のやんごとなからんにも、まして数ならざらんにも、子といふ物、無くて有りなん。… / 聖徳太子の、御墓(みはか)を予(かね)て築(つ)かせて給ひける時も、「ここを、切れ。かしこを、断て。子孫、有らせじと思ふなり」と侍(はべ)り、とかや。(「徒然草 第六段」])(以上、参考文献は島内編「徒然草」ちくま学芸文庫版・2010年刊)

【日報抄】冬の訪れを実感する。空は鈍(にび)色。風の音は寒々しく、ガラス窓の結露がうっとうしい。そんな時季をめがけて公表したわけではないだろうが、国立社会保障・人口問題研究所の推計にしんみりさせられた▼2050年に全国の1人暮らし世帯の割合が44・3%に増えるという。5世帯に1世帯は65歳以上の単身世帯になるそうだ。本県も傾向はほぼ同じ。配偶者との死別や未婚の人が増えるためだという。「孤の社会」とも言えるのか▼気になる数字がほかにある。本年版高齢社会白書に高齢者層の実態調査が載っている。親しい友人らが「たくさん」または「普通に」いると答えた人は、5年前より20ポイント以上減って過半数を割った。人と話をする頻度が1週間に1回以下だという独居者は約13%。5年で3倍以上に増えた▼「結局、人間は1人なんですよ。1人で生まれて、やがて1人で死んでいく」とテレビで語っていたのは瀬戸内寂聴さんだった。最初から人間は孤独なものだと思っていれば、ひとりぼっちになってもうろたえなくて済むと軽やかに説いていた▼さはさりながら。やすやすと達観できるはずもない。たとえ1人暮らしになっても、たわいない愚痴や冗談を言い合える存在が身近にいてほしい。何年たっても飽きもせず、同じ昔話で大笑いしてしまうような仲間を大切にしたい▼社会の仕組みとしてのセーフティーネットはもちろん大切だが、人とのつながりは一人一人が平凡な日々の積み重ねの中で培っていくほかない。(新潟日報・2024/11/25)

 兼好さん(1283~1352?)の文章を三つばかり引用しました。何れも「子を持たない」ことについての記述です。彼自身は結婚もしなかったし、子どももいなかったと伝えられている。懇(ねんごろ)になった異性・同性はいたでしょうが、少なくとも、生涯続いた「孤独」は彼の生き方の流儀だったと思っていいでしょう。死んだ後のこと(彼岸)を心に留めつつ、仏道に従って生きるのは、とてもいいことだ(「心憎し」)と、彼はいう(第四段)。神職の家柄の出ではあっても「仏教」は彼の道標(みちしるべ)だった(*後の世の事= 死後の世界。あの世。来世。後生 (ごしょう) 。のちのよ)(デジタル大辞泉)

 思わぬ不幸に遭遇し、考えもなく「剃髪出家」を思うなどは無分別の沙汰であって、静かに家の中に身を隠し、閉門して暮らす、そういう生き方をしたいものだ(第五段)。高貴な身であれ、そうでない身分であれ、「子がないのはいいこと」。聖徳太子が墓を作る際に、「ここを切れ、あちらを断て」と自分の子がないことを願っていたと、兼好は感心する(第六段)。

 750年前の兼好さんの「お説」に何ほどの価値が今日においてもあるのか、ぼくにはよく判断はできませんが、家庭・家族を持つということ、そのこと自体が「家の永続」や「一門の繫栄」を願うことと無関係であるとは思われなかった時代、生涯独身を貫く「覚悟」はどこから来るのか、それを考えれば、今日における「家族」「結婚」「子育て」問題の核心がどこにあるかが判然としませんか。少子化の到来を著しく不面目なことをするのは誰なのでしょうか。超高齢化を厭いぬいているのはどこの誰なのか、ぼくは、そこに「御国」の存在をいやというほど感じてしまうのです。「生めよ増やせよ」と煽りに煽った時代、それはどんな時節だったでしょうか。

 コラム「日報抄」は、いかにも「孤の社会」の現実を嘆いておられる雰囲気を漂わせている。生あるものは「生まれて、死ぬ」運命に逆らえないのだから、「孤独を託(かこ)つ」のは、その限りでは「無駄な抵抗」ということにもなるでしょう。「最初から人間は孤独なものだと思っていれば、ひとりぼっちになってもうろたえなくて済むと軽やかに説いていた」という「脱俗の俗」のような女性僧侶の説教が引かれている。事実はその通りだというのですが、そうはいっても「一人ぽっちは寂しい」とする孤独を厭う感情までも否定できない。

 子どもが十人いても「我が身は孤独」であることは変わらない。アメリカの社会学者は「孤独な群衆」という著書を遺されている。多くの人中にいることで、より強く孤独を感じるのはどうしてか。どんなに長く続く結婚生活も、何時かは「別離」が来る。何人子どもがいても、それとの「別れ」を防げない。「人とのつながりは一人一人が平凡な日々の積み重ねの中で培っていくほかない」とコラム氏は指摘されるのは仰せの通りで、そうなれば言うことはないが、まるで「棚ぼた」のような話です。最後は一人、最初も一人。最初の一人も最後の一人も、わが身に意識されないのは、かえって幸いなのかもしれないと、ぼくは愚かにも思っている。

 兼好氏は、上に引用した段々の次のくだりで「住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て、何かはせん。命永ければ辱(はじ)多し」(「第七段」)と書いています。何度もこの箇所をぼくは引いていますのは、理由のないことではない。彼の気分はどうだったかはわからないけれど、なろうことなら、そうありたいという「願望」であり、「やがて死ぬけしきは見えず蝉の聲」と現身の蝉に身を託した芭蕉の心情に、ぼくはそこはかとない身の揺らぎを覚えています。

 化野(あだし)の露、消ゆる時無く、鳥辺山(とりべやま)の煙(けぶり)、立ち去らでのみ、住み果つる慣(なら)ひならば、いかに、物の哀れも無からん。世は、定め無きこそ、いみじけれ。/ 命ある物を見るに、人ばかり久しきは無し。蜉蝣(かげろふ)の夕べを待ち、夏の蝉の春・秋を知らぬも有るぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなう長閑(のどけ)しや。飽かず惜しと思はば、千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。/ 住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て、何かはせん。命永ければ辱(はじ)多し。永くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。/ その程過ぎぬれば、容貌(かたち)を恥づる心も無く、人に出で交(ま)じらはん事を思ひ、夕の陽(ひ)に子孫を愛して、栄(さか)ゆく末を見んまでの命を有らまし、ひたすら世を貪(むさぼ)る心のみ深く、ものの哀れも知らず成り行くなん、浅ましき。(「徒然草第七段」)

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(誰が決めたか、11月26日の誕生日の花はサフランだという。数日前まで、連れ合いが求めてきた鉢植えサフランが出窓に置かれていました)(*「サフランは、秋咲きのクロッカスの一種で、もともとは染料、香料、薬用として多く栽培されていましたが、今は観賞用としても利用されています。パエリアやサフランライスの黄色は、サフランの3裂した赤色の雌しべから得たものです。/球根は7月ごろから流通します。大きくて重いものを選びましょう。8月に植えつけると、マツの枝のような葉が出て、10月中旬から12月上旬には1球から2~3本の花茎が伸びて開花、その後葉がさらに長く伸びます。球根を入手したときにはすでに花芽ができており、あとは花茎が伸びて開花するのを待つだけです。今年限りの花として楽しむのであれば、球根を土に植えずに、皿や器に転がして、半日陰に置いておくだけで花を見ることができます」)(「みんなの趣味の園芸」・https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-393

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あくせくと起さば殻や栗のいが(一茶)

  今、午前4時過ぎ。ラジオからは「一茶俳句」の核心部が語られている。語り手は頭木弘樹さん。番組のタイトルは「絶望名言」、頭木さんは若くして難病に見舞われ、十年を超える闘病生活を余儀なくされた。自らを文学紹介者と名乗られている。この放送は何年続いているのだろうか。ぼくはごく初期から、ずって聴いています。チャラチャラしたものがやたらに目立つ当節、なかなかに含蓄のある話に心を奪われます。  

 好きかと訊かれれば、大好きですと答える、それが小林一茶です。この駄文集録には何度も触れています。三歳で生母と死別、父親は再婚するが、その継母とうまくいかず、義弟ができてからは生家に居れなくなる(「我が身ながらに憐れなり」)。父親の決断で江戸に追いやられる(十五歳)。その後の一茶は、まさしく波乱万丈という乱高下の人生を歩かされる。彼の人生を救ったのは何だったか。それは俳句でしたと言いたいところですが、そうではなく、生きていくという、彼自身の生命力というしかないような気丈な意識、それは自意識だったといってもよい。三十九歳で、帰京。継母との争いは激しさを加える。遺産相続のきりが付かず、ようやく五十を過ぎてから決着。その後に結婚したが、まだまだ不運と不幸は一茶を見はなさい。まるで不運や苦難を抱き込んだような、あるいは攻められ一方の運命に窮地に落とされそうになりつつ、打っちゃりをくらわす一茶。

・玉霰夜鷹は月に帰るめり(江戸にあった一茶は「夜鷹」に幾度も出会っていた。寂しい、底知れない深さの中で喘ぎつつも、わが身に引き寄せて、寂しい女性の身に自らを重ねている一茶が、霰(あられ)のように降り注ぐ月明かりの夜の江戸の街にいる)(*「(夜鷹)江戸で、夜間に道ばたで客を引いた私娼(a streetwalker)」)(デジタル大辞泉)

・露の世は露の世ながらさりながら(生まれたばかりの娘を亡くし、その後に授かった子たちを失う。愛し続けた妻までも亡くしてしまう。その後、二度、三度と結婚するが悲哀は終わらない。そうして「脳梗塞」に襲われて、死の淵を歩きながら、「白鳥の歌」を詠み続けた人)(表題句について。実が入っていると思って、急いで返してみると中は空っぽだったという、「残念でした」という句)

・ 朧 ( おぼろ ) 々ふめば水也まよひ道 (こんな情けない生活を読み込むのが一茶でした。道かと思えば、泥水のたまりだったと)   

・月花や四. 十九年のむだ歩き(やれ月や、やれ花やと、浮かれついでに生きて来た、気が付けばもう五十とは。人並みに願う人生の浮華に目を奪われたこともあったろうか)(表題句について。実が入っていると思って、急いで返してみると中は空っぽだったという、「残念でした」という句)

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 (パソコンの調子がよろしくない。「君の駄文には付き合えないよ」と音を上げているようだ。少し、様子を見ながら、大丈夫であれば、少しばかり、この後を続けます。あるいは、しばし「休店(一時休業)」となるかもしれない)

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「徒然に日乗」(575~581)

〇2024/11/24(日)茂原まで買い物に。最近は、猫の食料を求めるには土気(あすみガ丘)へ、人間の食料品などには茂原までと、はっきりと別れているようだ。寒くなってきたので、かみさんにはなるべく車に乗らないでほしいという気もするし、にもかかわらず、行く用事があれば彼女は出かける。そんな人。「風邪は万病の元」というから、とにかく身体を休めるのを第一にして、無理をしないことだ。まだ、寒くて困るというほどでもないが、次第に厳しくなるだろう。たっぷりと睡眠をとることを第一に心がけたいが、猫たちはお構いなし。本日も午前二時過ぎから起こされている。長閑な一日だったか。▶このところ、パソコンの調子がすこぶるよくない。新規にハードを変えてから何年になるか。当初は二台を併用していたが、使い勝手が悪く、何時しか一台に限るようになった。全面的に入れ替える必要があるかどうか。自分で治すこともできないではないが、いまさらという気もする。今少し、何とか壊れないように使っていきたいが。(581) 

〇2024/11/23(土)午前中に茂原まで買い物。天気は予報よりも気温は低くなかった。急速に低温状態になるかと気にはしていたが、やや拍子抜けした。▶先週の土曜日だったか、役場から「地域振興券」なるものが届いていたことをすっかり失念していた。各地の自治体で、こういうことが行われているのだろうか。「金配り」は一種の流行のようで、コロナ禍以来、この悪しき政治的人気取りが、現実には「政治そのもの」になった感がある。物価高は一向に改組湯しないどころか、さらに高騰を続けているし、それを、ある意味では放置しているのは政府からすれば「「増税効果」だとみているからだろう。基点をどこに置くかは別として、この三年ほどの間に物価上昇率は年率換算で何%になるのか。▶夕方5時ころに、福岡のOさんに電話。水曜日の来訪に感謝していることを伝えた。自分が年を取るというのは、他人も同じように年齢を加えるということ、あらためて痛感。年齢ではなく、年輪を加えるといことを、人間も行っているということを、しみじみ思う。彼女とも四十年の交友だ。二十歳の頃の顔つきが思い出されそうで、幻のように揺らいでいる。さらに健康で家族が恙(つつがな)く暮らすことを祈っている。(580)

〇2024/11/22(金)今季初めて灯油を買いに行く。1㍑、109円。昨年より高騰している。いくら値上がりしているか、調べていないが、ぼくの記憶によれば、その幅は相当のもの今阿東は寒さの加減がわからないが、たくさんの猫たちの暖房用に、もと覚悟はしている。▶訃報の知らせが届く。勤務先だったところで、有形無形にお世話になったK先生。93歳だったといわれます。福島出身で、いつもその訛りが消えないままの正直な人であったと思う。教育行政や方法がご専門だった。数年前に大きな手術をされ、その後の経過を案じていたが、お元気で過ごしておられたと伺っていた。一度、お目にかかりに福島(南相馬)まで出向くことを伝えていたが、それもかなわなかった。(579)

〇2024/11/21(木)はっきりしない天気。極端に寒いわけではないが、暖房が欲しい、そんな日だった。昨日の疲れが残っているのか、珍しく朝五時まで布団の中に。猫たちも気疲れしたようで、早くからは騒がなかった。▶お昼前に買い物で茂原まで。一昨日、何時ものスーパーの外にあったATMがなくなっていたので、やや慌てたが、そのATM(千葉県内三銀行のもの)は、スーパー店内に移設されていた。店内に空きスペースができていたので、そこに移ったわけ。物事を確かめないと、いつもそのように自他に言い聞かせているのに、不注意を恥じる次第。▶夕刻4時過ぎにメールが入り、無事に福岡帰着の連絡。弾丸訪問だったから、さぞ疲れたと思う。Mr. A.B.は疲れすぎだった。つまりは忙しすぎるということ。やることが多いのは悪いことではないが、とにかく無理をしない方がいい。(578)

〇2024/11/20(水)朝から小雨が降ったりやんだり。お昼前に、八月予定を、いったん延期していた福岡在住の奥永一家(三人)とアーサー・ビナード氏の四人が遠路はるばる福岡と広島からか、房総半島の僻地にまで来てくださった。これまではビナード氏の書かれた何冊かの本でよくわかっていたものがあったが、対面しての合計7時間ほどの話の中で、いろいろなことが学べたと思う。奥永夫妻のかみさんとはもう四十年来の交際だという。彼女がまだ大学生の頃からのつきあい。旦那の方は、拙宅では二度目の面会だが、何度か電話で話を伺う機会があった。現在は福岡県内で農業を営んでおられる。長男の勇馬君とも久しぶりの面会(七年前くらいにあっている)だった。彼は十五歳になったという。大きく成長しているのに驚いた。「やりたいこと」が見つかるといいし、それまでは焦らないで、ゆっくりと歩かれるといい。延々と話して、午後7時半過ぎに東京に向かわれた。▶天気予報では今秋、一番寒い気温と予想されていたが、室内にいて暖房をつけていたので、それほどには感じなかったし、雨もやまないで降っていたことも、低温にならなかった理由だろう。無事に東京に着かれただろうか。(577)

〇2024/11/19(火)本格的な寒さを感じる一日だった。▶午後2時過ぎから水道工事が行われた。台所の水道栓が故障したので、新規に取り付け、また浴室のシャワー栓の水漏れが止まらないので、これも一式取り換えることに。このところ既設機器設備の取り換えを頻繁に行うようになっている。シャワートイレ、台所のガステーブル、洗面台の全面取り換え等、築三十年を前にして、さまざまな機器設備の寿命が来たということ。▶先日かみさん用の車のシートベルトのバックルの故障(接触不良か)が起ったが、何かとやっているうちに復旧したようになっていたが、本日午後買い物に出かけた際に、再度警告音と警告ランプ点滅がシートベルト装着済みでも元に戻らくなった。急いで、修理に回す必要があるようだ。▶室内は暖房器具を使っているので、室温は20℃、湿度は54%。しかし外気温はかなり低そうで、身が振るえるばかりの寒さだ。明日、福岡や広島から訪問者が来る予定だが、よりによって、今秋最も寒い日になろうとは。「好事魔多し」とはどういうことだろうか。「よいことにはじゃまが入りやすい」(デジタル大辞泉)ということらしい。(576)

〇2024/11/18(月)ただ今午後9時半。少し前からファンヒーターをつけている。室温は20.1℃、湿度66%。お昼過ぎに福岡のOさんからのメール。拙宅来訪が20日だが大丈夫かという内容。22日か27日かと間違って記憶していたので、当方から尋ねるつもりだったので、好都合だった。電話連絡して、状況を把握し、了解した。当日は、午前10時に新宿にてビナード氏と会う予定。そこでレンタカーを借りて、千葉に向かうということだった。できれば、一泊したい・してもらいたいのだが、とにかく猫がたくさんいるので、宿泊は無理だと伝える。何しろ、20匹もいるのだから、家の中は大混乱。当日は本格的な冬日到来の予報で、猫を外に出して夜を過ごさせることもできず、それ以上に家の中は猫たちに荒らされて、とてもじゃないけれど、家人以外が止まることはなかなか難しい状態。いずれにしても、20日の午後に到着の予定で、無事を祈るばかり。(575)

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