「悪徳の栄え」を願ったのは誰だ

 ⁂ ネットでは大騒ぎだが、肝腎のテレビ局側は、これまでのように首を竦(すく)めて事態が過ぎるのを待っている。大きな看板(暖簾)を掲げ、世間で羽振りを利かせてきたテレビ企業群。ところが、その実態は(昔から、だと思う)とんだ食わせ物だった。「1見かけはよいが、実質はよくない物。偽物。2表面はさりげなく見せて、実は油断のならない者」(デジタル大辞泉)ヤクザや暴力団ならいざ知らず、天下周知のテレビ局が長年に及んで「女衒(ぜげん)業」を営んでいた、との疑いがかけられている。「《「衒」は売るの意》女を遊女屋などに売ることを業とする人。判人 (はんにん) 」(同上)▶ぼくは何十年とテレビを見ないが、仕事柄、テレビ局の人間と関わった経験が数度ある。今回矢面に立たされている局の呆れた振る舞いに断固抗議したことがあった。思い出すだに吐き気を催す。

 「大学受験」をお笑い番組で扱い、(ナインナインの)タレントの一人を受験生に仕立て上げようとしていた(「メチャ何とか?」)。局の責任者を呼んで抗議し、受験を取り消させた。▶ぼくの勤務していた学校は、そんな荒んだ職場、堕落・頽廃の生き地獄に「地位」を求めて、学生諸君の多くはまっしぐらという風潮があった。今次の事件の概要を知るだけでも看過も容認もできない性格のもの。局の幹部職員が、「大物タレント」とつるみ(言いなりになり)、局の職員(女性アナウンサー等)を獲物・餌食として差し出していた。これまでにも何十年も続いてきた嫌悪・唾棄すべき「犯罪行為」そのものらしいし、それを最高幹部は知っていた。犯罪行為を「今回のトラブル」とかなんとか「矮小化」しているが、しかしやったことは「手籠(てご」め」じゃなかったか。「 手荒い仕打ちをすること。力ずくで自由を奪い、危害を加えたり物を略奪したりすること。 暴力で女性を犯すこと」(デジタル大辞泉)会社も同罪だというべきだろう。職員に対する「安全配慮義務」違反は間違いないのだから。

 (一刻も早く、「かけられている嫌疑」に対して、「社」として自らの姿勢や意見を明らかにすべきだ。言わずもがなだが、「企業は従業員が常に安全で働きやすい環境で仕事できるよう配慮しなくてはならない」労働契約法第五条)に完全に違反しているからだ)(件の「トラブル」が発生したのは2023年6月という。直後に「トラブルの内容」は被害を受けた職員から直接会社の幹部に報告されている。性加害暴力を受けた事実を知りながら、一年半以上も加害者である当該タレントをテレビに登場させ続けている。この事実を無視し、蓋をしたたような「暴力受け入れ体質」を温存させていた企業であるという自覚・認識は何処に行ってしまったのか。テレビ局の一部である「報道」部は、この問題には一切不可触と厳命されているのだろうか)

 上場企業の不祥事・不始末は何を示すか。紛れもない「人権侵害」を多くの関係者はそれと知りつつ、長期間にわたり続けていた。それがこの企業社会の「伝統」「風習」「悪弊」だったのか。電波法で免許を与えられていたのだから、不法行為会社の犯した結果に対して、政府・官庁の責任も軽くない。▶二十年前にもなろうか、担当ゼミの学生がテレビ局を受験したいと相談に来た。アナウンサー職になりたいという。ぼくは言下に「他人の書いた原稿を読むだけの?」と、強いて慫慂しなかった。(「そんな空っぽの頭で(だから)、か」、と余計なことも言った記憶がある)

 自社の女性アナウンサーを自らの「出世」「昇進」の道具(人質)にした、テレビ局の職員は例外なく大卒だったはず。「腐っても鯛」ではなく、腐ったら破落戸(ごろつき)でしかない人間が屯(たむろ)する企業風土は存在すること自体が許されない。しかもこの会社は「報道部」も持っている。ならば、何よりも自らの「犯罪行為」を、他に率先して報道すべきではないか。いずれにしても、他社や他人の不祥事を云々できるはずもない。▶一昨年以来のJ.J.問題は、広く深くメディアを侵食してきた。まだ深く広く、後続の輩による犯罪行為は続いているだろう。それが、今に始まったことではないのは、当のマスメディアは知悉(ちしつ)している。その上で「女性を食い物」「貢物」として提供していたのならば、もはや死命を制されても已むを得まい。看板を取り外す(取り下げる)べし。また提供された「食い物」を嬲(なぶり)り者にしたタレント(複数)は即逮捕すべきだ。

 悪辣な暴力行為と知りつつ「示談」に立ち会う(犯罪に加担する)弁護士とはなんだろう。まちがいなく「共犯」だというほかない。「犯人隠匿罪」も成立しよう。犯罪者を救うためという理屈で、当人たちからの汚れた金を報酬として得る。また、犯罪行為の主が「口外禁止条項」を言い出すのも噴飯もの。醜いこと夥しいのは、金にあかして性加害を働くタレントに嘲笑(あざわら)われていた「視聴者」こそいい面の皮。タレント某のファンならなおさらのこと。今からでも遅くはないから、テレビ局は「元職員」の被害を刑事事件とすべく訴えるべきだ(「安全配慮義務」の遅ればせの執行)。その後に、自らは事業を畳む(解散する)がよい。

(*今回も多用されている「女子アナ」という蔑称、誰もかれもは、なぜ使うのか。「女・子ども」という、「大人・男」の持つ、抜きがたい「差別観」が厳存しているのは耐えがたいね。じつに悍(おぞ)ましい社会にぼくも生きている)

 「女性よ、為されるがままになっていて、いいんですか」と、一老人は言いたい。

【斜面】「総合的な判断」。何事かを説明しているようで、実は何も言っていないに等しいこの言葉が、盛んに飛び交う界隈(かいわい)がある。年末から年明けにかけて、民放各局からタレントの中居正広さんの出演する番組やCMが次々と消えていった◆9日には本人が、週刊誌で報じられた女性との性的トラブルの存在を認めて謝罪した上で、既に解決済みとの認識を示した。ただ、各局は出演番組の休止や起用の見合わせを相次いで発表している。その理由に挙げているのが「総合的」な検討や判断だ◆この言葉、2年前に旧ジャニーズ事務所の性加害問題が表面化した時もよく耳にした。その後も、性加害やさまざまなトラブルでテレビ局やスポンサーが人気タレントの降板や起用について説明を求められた際に、具体的な言及を避けたいがための常とう句のように使われている◆けれどこの“説明”では、視聴者は蚊帳の外だ。何のことやらさっぱり分からない。総合的と言うからには、複数の判断を積み重ねて結論が導き出されたはず。だが、その肝心のところが伝えられていない。視聴者と誠実に向き合っているとは言い難い◆今回の件、民放各局は被害者の保護に配慮しつつ、番組休止などの理由を丁寧に説明する責任がある。ジャニーズ問題で問われたのは、見て見ぬふりを続けた「メディアの沈黙」だ。その反省に立ち、性加害の問題を深刻な人権侵害と捉えているか。信頼を取り戻せるかどうかの正念場だ。(信濃毎日新聞・2025/01/14)

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成長して一人前になった人。

 本日(01/13)は「成人の日」だそうだ。迂闊にもすっかり忘れていた、いや、まだそんな「晴れの日」があったのかと驚いたのです。かなり前までは一月十五日と定められていた。今から六十年前の一月十五日、ぼくにも「成人の日」があったのだが、その日に、ことさら特別に振る舞った記憶はない。ぼくには晴れ着も何もなかった。ただ、学校は休みだったと思う。これもまた、12月31日の翌日は1月1日に変わる、ただそれだけのことだった。そこに新年・新春という切り替え(節目)を設けることで、生活や日常にメリハリをつけたのではなかったか。法律的には「おとなになったことを自覚し,みずから生き抜こうとする青年を祝い,励ます趣旨で,1948年に設けられた」とあります。「おとな」「自覚」「生き抜こう」という、大変な課題が「青年」に課されたのだ。それは表向き、本当のところは「晴れ着屋(貸衣装屋さん)」のかき入れ日」ではないかと思うくらいに、晴れ着が宙に舞っている、そんな日だと思う。

 ところが、この「成人の日」(正確には「成人」になる青年を祝い励ます日)が政治(家)の都合でくるくる変わるのはどうしてだか。「節目」という舞台が右に左に動いていては落ち着かない。いかにも「成人の日」が軽々しく扱われている気がする。晴れ着に身を窶(やつ)して、旧友と楽しく語り合い、そのついでに行政のつまらぬ「挨拶」の責め苦に遭う日、そんな程度でしかないと、ぼくは思っている。「成人」とは何ですか、あらためて問われると返事に困るか。19歳と20歳の年齢での一日違いで、当人には何が起こるのか。面倒は省く。社会には「成年」と「未成年」しかいないのは事実だとしても、その肝心の「成人」観が日替わりのように恣意的に変えられるという、そのことに「個人」への尊敬心が希薄か、皆無であることを見て取ることもできる。つまるところは、世間の「約束事」でしかないのだし、それをとやかく言うのは野暮ということかもしれません。

 「卓上四季」の記者氏は、敗戦後の「社会」科(新設科目)教科書だった「民主主義」を推奨している。ぼくは何度読んだか知れないが、そしてその著者と思われていた人の話も聞いたが、それは教科書である限りは「字に書いた文章」に過ぎません。民主主義をどうとらえるかは簡単ではないが、少なくとも、「表現の自由」の尊重がベースになければ、何事も始まらない(政治の)原理であり、社会の基盤になるものだ。と言ってみて、さて、この社会には「表現の自由」は十分に尊重されてきたか、尊重されているか、その一点に限ってみても、悲しいかな、それは「危殆」に瀕していると言わざるを得ない。第一、「卓上四季」を誇っている北海道新聞は、この「表現の自由」に関して何事かを言えるのか。いやもっと言うなら、「お前が言うか」と、そっくり返したくなるのだ。「ヤジと民主主義」という事件が大きな話題になった際にも、この新聞社の姿勢は問われたのだった。権力の非業に対しては黙して語らず、それは道新だけの問題ではない。「成人」的ではないね。

【卓上四季】「民主主義」を読み解く 軍国主義から民主主義へ。敗戦を境にした価値観の大転換を象徴するのが教科書の墨塗りだろう。命じたのは文部省だ▼天皇制国家への奉仕を求めた教育勅語の旗振り役が一転して平和国家建設を宣言し、1948年から49年にかけて中高生向け教科書「民主主義」を出した。元日の本紙社説で一部を紹介した▼角川ソフィア文庫の全文復刻版は全17章、443ページに及ぶ。「これからの日本にとっては、民主主義になりきる以外に、国として立ってゆく道はない」とつづった序文に始まり、民主主義が揺らぐ現代世界に生きる私たちに実に多くの示唆を与えてくれる▼独裁者が選挙により生まれる危険もあることを認め、独裁を阻止するために政治に関心を持ち、言論の自由を保障し、少数意見を尊重することの大切さを説く。偽情報を見抜くために報道の出所や背景を考える「科学的考察」を勧めた▼今ならSNS上のフェイクニュースを見極める情報リテラシー(知識や判断力)を磨けということか。ただ文庫本解説を執筆した神戸女学院大名誉教授の内田樹(たつる)さんは、記述内容の背後には日本の民主化を急いでいた連合国軍総司令部(GHQ)の影響が見え隠れすると指摘した▼そう読み解くのにもリテラシーが要る。きょうは成人の日。晴れの日を迎えた若い有権者に薦めたい一冊である。(北海道新聞・2025/01/13)

 新聞の危機・終焉の始まりが言われているのは、当事者の自覚の有無にかかわらず、「表現の自由」を自らが放棄しているという現実(その半面では、自己検閲・自粛報道に邁進している)をぼくたちは目の当たりにするからだ。書くべきことを書いたがために、表現の自由を奪われた記者は何処にもいる。実例を挙げるにも事欠かない。当たり障りのないことには多弁・雄弁だけれど、肝腎かなめの問題には「沈黙は金」を決め込む。それを棚に上げて、「成人であることを自覚せよ」と。ちゃんちゃら可笑しいというばかりである。

<Piano Rock – Let It Be (The Beatles)by Glaucio Cristelo>(https://www.youtube.com/watch?v=i5yRUBMDeXE

 この「成人の日」を行政が「祝う」のはなぜか。個々人に任せればいいではないかとぼくは想う。そうはいかないところに、コラム氏も書いているように「民主主義」の出番があり、その基礎は「選挙」である。ならば、新成人に付される「選挙権」を「ぜひ私に」行使してくださいと願うのは行政の長。「成人式式典」は、その程度の「事前運動」じゃなかったか。つまらないけれど、それが大きな理由だろうと思う。集団で、まとめて祝うというのも大雑把な話。個人個人(の権利)を大切にする、それこそが「民主主義」の根幹だと思うが、どうだろうか。「きょうは成人の日。晴れの日を迎えた若い有権者」とコラム氏は書いている。誰もが成人になることが「晴れの日」でもあるまい。「おめでとう」という語も、個人に対しこそ意味があるのだといいたい。

◉ 成人の日(せいじんのひ)= 国民の祝日に関する法律に定められている国民の祝日の一つ。おとなになったことを自覚し,みずから生き抜こうとする青年を祝い,励ます趣旨で,1948年に設けられた。当初 1月15日であったが,2000年から 1月の第2月曜日に変更された。また,対象年齢も 2022年4月の民法改正により,2023年以降は 20歳から 18歳に引き下げられた。成年式や成年の祝いは古くからあり,貴族,武人の間では,男子は 11~16歳で元服の式を行ない,安土桃山時代から庶民の間では前髪を剃るようになった。女子は江戸時代になってから 12~16歳で袖留(そでどめ)を行なった。現在,成人の日は自治体などが主催して式典を営む。(ブリタニカ国際大百科事典)

 ある辞書によれば「成長して一人前になった人」を大人(成人)という。「子どもの対語」「大人200円、子供100円などともいう」一人前になれなかった大人はいないか。「一人前」とはどういう基準で測られるのか。それにはいろいろとあるのがこの社会。面倒だから指摘しないが、簡素化すれば「自分の頭に留まったハエを自らが追える者」、あるいは「米俵(60㌔)を担げる者」などと言ったらしい。とすれば、その昔は「半人前」も存在していて、いろいろな差別や抑圧もあったのだろう。だから「年齢」が基準になったわけでしょう。

 本当はもっと大事な歴史もあるのだが、今は省略する。もっとも自分流にいうなら「自分の足で立って歩ける者」と言いたい。つまりは「他人に頼らないで」「自分の頭で考え(判断し)て」生活することができる、それが「大人」の資格?。しかし、よくよく考えてみれば、ぼくたちはきっと誰かれの世話になり、迷惑をかけており、知らないままで助けられて生きている。だから、自分がそのような社会(相身互い身)の一員であることを自覚できる人、それが「大人」なのかもしれない。それなら、わざわざ、どこかに集まって、大勢で「式典」をする必要もあるまいに。(本当は皇室の「成年式」の庶民版でしたね)(右写真・横浜市は横浜アリーナで「成人を祝う会」をすることになっているらしい。醜悪の限りだと、ぼくには映ります)

 言わぬが花ですが…(624~630)

 曲がりなりにも「日記」と銘打っているからには、原則は毎日書くのが鉄則のようになるのだろうが、そして、それを実行して二年近くになろうとしているけれど、いったい、何を書いているのかと、我ながら呆れてしまうのです。内容は空虚だし、あまり意味のある生活をしていないことがさらされるのだから、それはそれで構わないとでもしておこうか。要するに、何も記録しておかないと、昨日は何をしたか、皆目、まったく記憶に残らないのだし、もっと言えば、今朝はなにをしていたかさえわからなくなる、そんな状態を少しでも自分で知っておきたいという、それだけの理由から始めたこと。文字通りの「備忘録(memorandum)」にすぎないというほかない。それにしても、内容空虚であるにしても書き方があろうと、自分でも思わざるを得ない。(2025/01/13)

<Let it Be The Beatles (Piano Shopping Mall)(by Piano Rock)>(https://www.youtube.com/watch?v=fRhHH4snoIA

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〇2025/01/12(日)終日寒くて、日照がまったくない、時にはそぼ降る雨も見られた一日だった。日本海側では大雪が降っている。時に気になるのが北陸や東北・北海道方面における除雪などによる事故死の報道だ。雪下ろし作業中に転落死などなど。以前住んでいた地域では数年に一度は除雪作業が巡ってきた(それくらいの雪が降ったということ)。話にならないくらいの短時間の作業だったが、それでも大変だったという記憶がある。二度と御免だという感覚がぼくには根づいている。くれぐれも「事故」のないことを願っている。▶昨日に続いて、緑ヶ丘まで。ここは千葉県の住宅供給公社の開発販売した地区で、三年ほど前までは、県内のスーパーが店舗を構えていたが、突然のように閉鎖になり、しばらくは食品スーパーの空白地になっていた。二年ほど前に新たなスーパー(業務用)が開店したのだ。ごくたまに買い物に行くが、普段の食品などはここでは間に合わないので、何時も通っている土気や茂原の店に行くことがほとんど。本日は果物や牛乳などを買いに行った。こういう業態のスーパーの営業方針や商品揃えのやり方がよくわからないので、結局は天然水などくらいしか利用しないのだ。▶ロスアンジェルスの山火事は衰えを見せていない。さらに延焼中だという。犠牲者も増えている。雪も怖いけれど、火災ももっと恐ろしいことをアメリカが示しているのだ。こんな時に「アメリカを再び偉大に」とか、「何よりもアメリカファースト」が何の役にも立たない虚言であることが知れているのだが。(630)

〇2025/01/11(土)緑ヶ丘のスーパーまで天然水を購入しに行く。「2㍑×6」(十箱)。天然水を使うようになってから、すでに二十年以上が経過している。水道水が悪いからというのではなく、飲み馴れているものを体内に入れるようになっただけのこと。帰宅後、茂原市まで食料品等の買い出しに。▶やや寒いと感じられる気温だった。それでも雨もなく何とか天候は終日崩れなかった。▶次期米国大統領の「有罪」確定するも、拘束・科料等は一切なし。有罪であるが自由であるという、実に奇妙な判断が行われた。「有罪大統領」の誕生は米国で初だという。犯罪を犯し、有罪判決を受けて、「無罪」扱いという驚くべき司法判断だというべきか。(629)

〇2025/01/10(金)寒い日が続く。本日も東北・北陸や山陰地方など、日本海側に大量の降雪があった。海水温が高いこともあって、いわば「線状降雪帯」が生み出されてのことだろうか。▶カリフォルニア州ロスでは凄まじい山火事がつづいている。焼失家屋が十万棟に及ぼうかという。避難者も数万単位で発生している。死者も十日夜の段階(日本時間)では十名を数えている。まだまだ延焼の恐れがあるという。出火原因が特定されていないから、純粋な自然災害とは断定できないが、折からの強風も相まって、さらに被害が広がりそう。日本海側の豪雪も含めて、気候変動の影響がないとは言えまい。大いに危惧される「東西の災害」による被害の拡大である。▶午後4時ころだったろうか。一本の電話があった。受話器を取ると、自動録音で音声が流れ、「NTTからです。この電話はあと2時間で使えなくなります」と。その段階で受話器を置いた。この手の電話で「詐欺」を働くのだと思った。ごくたまに、詐欺が明らかな電話がある。一切応答しないことにしている。(628)

〇2025/01/09(木)昼前に買い物で、茂原まで。▶穏やかな一日だった。しかし日本海側、特に新潟県などには豪雪が予想されている。夜半からはぐっと冷え込み、翌朝などは〇度程度にまで気温が下がるという予報だ。▶今ではほとんどテレビを見なくなった。せいぜい、朝夕食時に、連れ合いといっしょにニュース番組を見る程度、朝晩を合わせても一時間程度。まず、何を見ても面白くないというのは、もう何十年も前から感じていた。そこへ、ネット番組が出てきて、今ではその中の一、二を選んでみる程度。ニュースや時事問題を扱うユーチューブ番組が多い。その範囲や水準はさまざま。▶そんななか、フジレテレビ関連でとんでもない事件(女性アナウンサーが有名タレントの餌食になっていたという)が起こっていた(2023・06)こと、それをテレビ局の上層部が隠蔽し、ために当該アナウンサーが疾患、その後にテレビ局を辞めていたという、その事件が今頃暴露され、大きなネットのニュースになっているのだ。詳細は省くが、有名タレントが性的暴行を犯す、女性に大きな心身の加害を加えていたとされる。いくつかの週刊誌報道。タレントがこの事案で支払った示談金が9千万円だったという。事の真相を誰が明らかにするのだろうか。同じことはこれまでどれほど繰り返してきたのか。一昨年来のジャニーズ問題の本質が根っこの部分で再現されている、どうしようもない闇の深さがまだ続いているというべきだ。テレビ局も共犯だったということは明らかだ。報道機関でもあるテレビ局の免許取り消しに発展するだろうか。(627)

〇2025/01/08(水)終日自宅に。やや寒い日が続く。東北や日本海側には大雪が続いている。初めて聞いた言葉、「線状降雪帯」、青森の豪雪報道の際に使われていた。半端ではない降り方で、屋根と言わず道路と言わず、あらゆる箇所で生活に支障が出ている状態。本日は、西日本から北陸地方・東北まで日本海側で大雪が降っている。正月休み明けに、何とも嫌な「洗礼」を受けたことになる。▶米国大統領の「再登板」が近づいて来た。定見もなければ誠意もない、次期大統領はいよいよ自己過信、あるいは自己拡張の乱暴狼藉が目にも耳にもあまるほどに。パナマ運河の実効支配、メキシコ湾のアメリカ湾化(名称変更による支配権奪取)、カナダを米国の一州化、グリーンランドを自国支配にしようという、途轍もないブラフを盛んに飛ばしているが、あるいは本気かもしれない。本気だとすれば、狂気の沙汰。これを諫める雰囲気は微塵も感じられないが、きっといるのだから、いずれは内部の争いに発展するだろう。「独裁」を慫慂する連中もいるけれど、正気を保って、判断の誤りを防ごうとする人士もいるのだ。きっと「船頭多くして、船山にあがる」という事態が来るだろう。(626)

〇2025/01/07(火)「松の内」は本日で終わり。旧暦七日にはさまざまな民間行事が行われていたが、今では様変わりで、その上辺をなでるだけの旧習模倣(墨守)ではある。門松や松飾りも七草セットも、今やすべてはコンビニで買うことができる「便利な時代」。それは歴史を紡ぐ必要のない生活の軽便化である。「歴史意識」のない存在に人間が化しているのであろうか。▶昼前に猫缶買い出し、土気まで。ここでも、正月気分は皆無だ。いいことか悪いことかではなく、どんどんと歴史を忘れる、捨てる方向に時代も社会も向かっているということだろう。(625)

〇2025/01/06(月)昼前に茂原まで買い物。近年の正月は「松の内」の雰囲気も一切感じられなくなった。淋しいとは思わないし、大騒ぎすること自体がおかしいという気はする。曇り空の一月六日。午後には少しばかりのお湿りがあった。夜には本格的に降るという予報だ。▶夕方五時前に連れ合いの姉(故人)の娘(姪っ子)から電話。九十九里片貝海岸に別荘を構えており、正月はそこに滞在して、本日、自宅(荒川区町屋)に戻ったとのこと。姪っ子の夫が大腸がんで手術をしたという。今のところは大丈夫らしい。その電話で、連れ合いの従姉妹だったNさんが昨年四月だったか亡くなられたとの由、連絡してくれとの伝言があった。数回会ったきりの方だったが、晩年は病気がちで、施設にも入っていたと聞いてはいたが、彼女の妹(Hさん)の家で亡くなられたという。故人になられた方は、連れ合いとほぼ同年齢だったと思う。(624)

「徒花に実は生らぬ」(25/01/06~01/12)

 まるで「新聞への非難」のような成り行きになっています、この駄文集録(ブログ)が、です。他意はない。しばしば釈明(弁解)しているように、齢(よわい)八十の老人の衰退一途の記憶力を、ほんの一瞬でも死滅させないための、いわば「窮余の一策」「背水の陣」でした。始めて五年目の終了間際です。肝腎の「記憶する力」もそれを「想起する力」も衰えは隠せないし、ここまで来てしまったのだから、後は野となれ山となれと開き直っても詮方ない事態にあります。

 ただ、この社会の各地の新聞を一瞥しているだけで、ある時は微笑ましくなりますけれども、ほとんどは他所事(よそごと)・他人事(ひとごと)ながら、腸(はらわた)が煮えくり返るほどの怒り心頭の次第で、何れにしても我が身の健康維持には、かえって支障をきたしているというべきかもしれません。

(ヘッダー写真は「生き物語」・https://ikimonogatari.tokyo/why-elephants-have-long-noses

【談話室】▼▽突然ですが、クイズを一つ。次の○○に当てはまる言葉を入れよ。「今はもうなくなったが、○○は、人間の最大の悪のひとつでした」。アルゼンチンの作家ボルヘスの短編をヒントに問題を作ってみた。さて答えは。▼▽幻想小説の大家が記した文字は「印刷」。なぜ「悪」なのか。登場人物に語らせた台詞(せりふ)は「それは、いりもしない本をどんどん増やし、あげくのはてに、目をくらませるだけだからです」(「疲れた男のユートピア」)。情報があふれる世界にあって、首肯できる面がある。▼▽新聞は、輪転機で印刷され読者の元に届けられる。今はスマートフォン用アプリ「キジクル」でも本紙記事を読むことができる一方で「紙の新聞が一番」とのうれしい言葉を頂くこともある。その印刷が「悪」と言われると、寂しさと反発心が絡み合って複雑な心境になる。▼▽18、19日の大学入学共通テストに冒頭のような拙い設問は出るはずもないが気にかかるのは「今はもうなくなった」の言い回しだ。昨今はメディアへの厳しい目を肌身で感じることがある。ただし新聞や印刷にはこれからも果たすべき役割がある。襟を正しつつ、そう思う。(山形新聞・2025/01/12)

 各地の日刊新聞発行部数の減退は目を覆うばかり。もちろんその理由や背景は明らかです。第一は紙面構成から新鮮味が疾うに消えていること。第二に各地各地域の掲載記事はともかく、国内の政治や経済などの諸問題に関する記事には、残念ながら独自性がないと感じさせられることです。この国に今のような新聞(瓦版)が発刊されてから、まだ二百年も経っていませんから、新聞の独自性を開拓する余地がありそうなものですけれど、それが十分ではないという印象を持ってしまいます。要するに、毎日の新聞種(ことに各紙の「コラム」)をまな板に載せて、一刀両断ならぬ、一包丁細断に及ぼうという魂胆でしたが、切れぬ包丁で自らを傷つけるという始末で、何とかに刃物と、あたらわが浅はかな所業に「返り討ち」に遭っているようなものです。

 もう何十年もぼくは宅配購読はしていません。理由は単純。ネットで十分すぎると感じているからです。ネット上に溢れている「数多」情報にはほとんど目を向けはしません。見る気がしないからです。いわば「ファクトチェック」は皆無で、剥き出しの記事(情報)ばかりという自己判断に基づいて、です。最近、ネットでの配信を主とした情報番組もたくさん出てきましたが、まだまだ不十分です。この分野が、これまでの「新聞」の代替になるとはとても思えないし、代替になる必要もないのです。大事なのは、現在ある新聞が「全滅」し、新しい情報発信・報道機能を備えたネット番組だけが生き残るとは考えられないこと。きっと、「新旧メディア」は併存していくはずです。

 日刊(宅配)新聞の存在意義はあるのが当然で、それが新機軸のネット情報にとってかわられることはあり得ないでしょう。それでは、今あるいくつもの「ネット配信」番組のこれからはどうなるか。ぼくには予測はできませんが、最も起こりえるのは、競争淘汰が生じて、視聴されないものは消えてゆくということです。新聞をはじめとするメディアはまず「日刊」が原則でしょう。いわば社会や集団の「日記」みたいなもの。それがあれば、その時代や社会の日常の出来事(歴史)を知ることはできるし、やがて、それが「旧聞」になれば、過去を知る縁にもなる。新聞に期待するものは何か。それがなくても困らないが、あれば過ぎ去った日々の事柄を知り、将来の方向発見の一助にできるでしょう。つまりは「温故知新」というやつです。 

 「《「論語」為政から》過去の事実を研究しし、そこから新しい知識や見解をひらくこと。[補説]「故 (ふる) きを温 (たず) ねて新しきを知る」と訓読する。「温」を「あたためて」と読む説もある。なお、「温古知新」と書くのは誤り」(デジタル大辞泉)

 その新聞が、ある勢力(階級)の「広報」「宣伝」になるなら、どういう弊害がぼくたちに及ぶでしょうか。言わずもがな、ですね。今日の新聞の社会状況はどうなっているか。洋の東西を問わずに「長いものに巻かれろ」という無様でもあり、生き延びる知恵でもあろう。それを端的に示すコラムを引用します。「経験者は語る」ですね。まさに、そうすること(巻かれること)に「余禄」「余得」ある所以でしょう。「天に唾」というだけでは足りない背信行為ですね。かくして世界は象さんの長い鼻に巻かれるメディア続出です。

 ぼく一人は、象さんに擦り寄らないつもりだし、誰彼の「長い鼻」に巻かれる恐れも必要性も、一切感じ取っていない。その様は、まるで「阿爺下頷(あやあがん・あやかがん)」に等しいとの自己評価は働いている。それでいいではないか。(左写真は「トランプ次期米政権の発足を目前に、メタのマーク・ザッカーバーグ氏はフェイスブックなど傘下のネット交流サービスにおける第三者機関と協力したファクトチェックの廃止を表明した」=東京都千代田区で2024年2月27日午後5時15分、竹内幹撮影・毎日新聞)(右上は渡辺一夫「渡辺一夫敗戦日記」の一部分)

【余録】長いものには巻かれろ――。「強大な権力を持つ人には逆らわず、従っておいた方が良い」との格言である▲象の長い鼻に巻かれた猟師が抵抗せず、そのままの体勢で、襲いかかってきた獅子を弓矢で退治した中国の古い物語に由来するという。難を逃れた象が連れて行った先は象の墓場。猟師が象牙を持ち帰り、市場で売って大もうけしたとの逸話が、処世術を示す言い回しに転化したようだ▲米経済界では今、強大な権力を誇示する次期大統領に「巻かれろ」との空気が広がる。与党・共和党が上下両院の多数を占め、自らに忠誠を誓う人物で閣僚を固めたトランプ氏の大統領就任を目前に、IT業界もウォール街もすり寄る姿勢を鮮明にしている▲メタはフェイスブックなど傘下のネット交流サービス(SNS)を巡り、第三者機関と協力して虚偽情報を特定するファクトチェック機能を廃止すると発表した。「不当な検閲」と批判するトランプ氏に迎合したのは明らかだ▲ウォール街では脱炭素の国際的な枠組みから脱退する動きが相次ぐ。年明けにJPモルガン・チェースが離脱を表明し、大手の加盟はゼロとなった。化石燃料の採掘促進を唱えるトランプ氏への配慮だろう▲だが、メタも金融界も「長いもの」を取り違えてはいないか。トランプ氏におもねるばかりに、SNSの健全性を損なったり、脱炭素の取り組みにブレーキをかけたりすれば、ビジネスに最も影響力を持つ顧客から見放される。経営者はよくよく考えるべきだ。(毎日新聞・2025/01/13)

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「徒然に日乗」(617~632)https://http836.home.blog/?p=91490&preview=true)                          *<Let It Be – The Beatles (Cover by Emily – Thomas – and Christian Linge)>                      (https://www.youtube.com/watch?v=R-qheZD5VtE

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気は優しくて力持ち、という価値

⦿ 週初に愚考する(五拾參)~  下の写真をつらつら見ている。真ん中に位置するのは「横綱朝潮太郎」で、引退記者会見だった。この横綱の魁夷な風貌と異形な体躯にぼくは釘付けになっていた。たぶん、小学高学年のころ(七十年も前のこと)。そろそろテレビが出だしたころだったが、少年雑誌のグラビアなどで、その凄さを見ていた。当時のぼくの贔屓力士は横綱吉葉山であったが、この時代の相撲には異様な(特色のある)力士たちがそろっていたので、娯楽のない時代、ほとんど相撲に熱中していた記憶がある。大内山、大起(おおだち)、鳴門海、成山等々。この写真の左奥で立っている二人の男性の右に居るのが「横綱東不富士」で、後に力道山が開いた初期のプロレスの一員になった。力道山も元相撲取り。最高位は関脇だった。

 朝潮(はじめは朝汐)の体躯の凄さがわかるでしょうか。横にいる新聞記者たちが標準サイズだとすれば、顔のでかさ、手の大きさを含めて、二倍どころではない。顔の面積は三倍以上もあるのではないか。彼は鹿児島県徳之島出身だった。朝潮の出現で、ぼくの地図上の視野が広がったことは確かだった。後年の話だが、連れ合いが朝潮を電車内で見て、そのでかさと威容に仰天した話を繰り返し聴かせてくれた。結婚前、彼女は千葉に住んでおり、今の総武線で大学(上野)に通っていた。国技館が蔵前にあった時代だから、場所入りする力士たちが利用したのが総武線だった。ぼくも何度も相撲取りを電車内で見た。覚えているのは引退後の横綱鏡里。駅の階段を汗をかきながら、苦しそうに昇っていた姿が、目に焼き付いている。

 この朝潮が映画に出たことがある。「日本誕生」(1959年作品)だから、まだ現役の横綱時代。上映時間は三時間の超大作。彼の役は神話中の「天の岩屋戸」の場面で、岩屋戸に隠れた天照大神を引き出すために岩屋戸の扉(戸)を開ける役だった。あまりにも長い映画だったので、ぼくはこの場面しかよく覚えていません。この横綱、強い時は無敵の相撲だった。だが攻められると弱いという欠点は最後まで変わらなかった。奇しくも、本日(11日)から大相撲初場所。この何十年、ぼくはまったく相撲に興味を失っている。興味や関心を引き付けるものが溢れかえっている時代。ぼくたちは自分を見失い、ともすれば罠にはめられる危険性が充満している社会に生きているのです。相撲と言えば「八百長」が指摘されます。この「八百長」の始まり相撲からだという説があるほど。今は、右を見ても左を見ても「八百長」「誤魔化し」「嘘八百」が鎬(しのぎ)を削っているんですね。もちろん、朝潮太郎の時代も「八百長」はあったかもしれない、それを含めての相撲だと、ぼくたちは分かっていたのかもしれません。

 それにしても「朝潮太郎」はデカかったですね。連れ合いが、電車内で隣になった「朝潮との出会い」を話すとき、天を仰いで「顔」のでかさ、大木を指して「腕」の太さ、大型ゲジゲジを引き合いに出して「眉」の濃さと長さを語る、その表情もまた、見ものでありました。世の中には、こんなにデカい人がいると知るだけで、世界というか、視野が広がる。また。写真に写っている東富士(高砂部屋)(1921~1973) の現役時代は知らなかったが、プロレスリンク上では人が良くて力持ちの役回りだったから、体はデカくても優しい人間というイメージがぼくに出来上がった。

 今はどうでしょう、時の人を取り囲む記者会見が大はやりですけれど、芸人やタレント花盛りの時代、「朝潮太郎」の位置に「中●」とか「✖本」という汚れ切ったメンツが座る、そんな勇気もないでしょうが、記者諸君も何も語れないのでしょうね。確実に「時代は小さく、小さく」なった。そして小さくなると同時に「卑劣」「卑怯」に拍車がかかるんですか。いわゆる「弱い者いじめ」です。それもこれも「金」「地位」「名誉」だとするなら、人間も、果てしなく汚れる時代という感慨を持ってしまうのです。

<あのころ>横綱朝潮が引退 胸毛の人気力士 1962(昭和37)年1月12日、鹿児島県徳之島出身で濃い胸毛と太いまゆ毛の横綱朝潮が高砂部屋で引退の記者会見。大阪場所の優勝が多く「大阪太郎」の異名をとった。右上手に左はずの体勢になれば栃錦、若乃花も寄せ付けなかった。腰椎(ようつい)分離症に悩まされながら5回優勝したが、全勝や連覇はなかった。(共同通信・2022年01月12日)

⦿ 昭和4年11月13日生まれ(本名:米川文敏)= 昭和17年神之嶺国民学校高等科卒業。昭和23年高砂部屋入門、昭和25年秋場所新十両、昭和26年春場所新入幕、昭和27年朝汐太郎襲名、昭和28年初場所新関脇、昭和32年夏場所新大関、昭和34年第46代横綱となる。昭和37年引退まで優勝5回、殊勲賞4回、昭和46年高砂浦五郎襲名、日本相撲協会理事として昭和47年から昭和56年まで審判部長、昭和57年から巡業部長。昭和63年10月23日没。昭和57年徳之島町名誉町民:身長188cm、体重135kmの恵まれた体格を活かし横綱の地位まで上り詰めた朝潮太郎関(ベースボールマガジン社「昭和の名横綱シリーズ10」より)

⦿ 手力雄神【たぢからおのかみ】=日本神話の大力の神。天手力男命(あめのたぢからおのみこと)とも。天照大神が天の岩屋戸に隠れたとき,岩屋戸を開き,その手を取って引き出した。天孫降臨に従い,伊勢の佐那にとどまるという。長野県戸隠神社の主祭神。(百科事典マイペディア)

 小さいころから、何かに打ち込むというか、のめり込むということはほとんどなかった。簡単に言うと「飽きっぽい」人間だった。「三日坊主」でもあったでしょう。興味をもってやりだしはするが、少しできるようになると、投げ出してしまう。ぼくの悪癖の最大のものは「すべて自己流」「我流」であることでした。どんなことでも自分でやってみて、それなりにできるようになると、興味を失う。ぼくの友人に、金を出して「水泳」を習う男がいた。それを聞いてぼくは仰天したほど。スキーもそうでした。どうして「学校に入りたがるのだろう」と、ぼくには理解できなかった。

 なんでもかんでも誰かに教えてもらうという性根は、どうして出てきたのでしょうか。これはぼくには「謎」です。自分流を試してみないで、自分の人生が生きられるか。その自分流を見つけるのが「練習」、相撲でいうなら「稽古」です。「しくじるは稽古のため」という表現がありました。どういうことですか?「失敗は成功のもと」とでも言っておきます。でも、忘れれてならないのは「成功は失敗のもと」でもあるということです。やたらに「成功」を求めるのはいいことではなさそうですね。(右写真は横綱東富士)

 相撲を通して試みた「週初の愚考」でした。

⦿天の岩屋戸【あめのいわやど】日本神話で,天照大神が高天原(たかまがはら)で素戔嗚(すさのお)尊の行為に怒り,身を隠した所。そのため世は暗黒になる。諸神相議して,捧げ物をし,天鈿女(あめのうずめ)命が舞い,手力雄神(たぢからおのかみ)が岩戸をあけて大神を出した。インドシナに分布する日食神話と関係づける説もあるが,冬至のときの鎮魂祭との関連を説く人もある。(百科事典マイペディア)

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夫子之道、忠恕而已矣。

 〈去年今年(こぞことし)貫く棒の如(ごと)きもの〉 虚子の句(存在)はあまりにも有名(広大)になりすぎたのではないでしょうか。ぼくの受け止め方は、これまでもこれからも、自分の信念に変わらないものがあってほしい、そんな感想であり、もっと言うなら、それは覚悟だったかもしれない。ある時期から、虚子という俳人がぼくの身近にいなくなった気がしていました。その理由は言うに足りないこと。「ホトトギス」を中心にして、俳人虚子の「虚名」こそが、戦前戦後に変わらず貫かれてきたという思いがあるからです。彼の子孫・子弟の「活躍」「存在誇示」ぶりを見れば、偉大なる「先祖(虚子)」の一層の光輝ぶりが思われてくるのです。あくまでもぼくの感想、つまらない感想でしかありません。彼の小説を読もうと努めたことがありましたが、残念ながら、何一つ読み通せなかった。生意気を言うなら、読むに堪えなかったのです。自然主義派以降のこの社会の文学のあれこれを読んだ後だったので、なおさら、これが小説か、そんな思いに襲われたからだった。

 それはともかく、コラム「小社会」の棒のごとき「強さ」の捉え方に興味を持ちました。棒のような強さ、そんなものが何ですかという反対したい気分がぼくにはあるのです。「鋼鉄のような」ではなく、「棒のような」、そんな強さなど、何時だって、簡単に折れる・圧(へ)し折られるではないか、と。さすれば、虚子の「貫く棒の如き」とは強そうだけれど脆(もろ)いものと受け止めればどうか。その方が虚子の性格にあっていよう。「急激な変化の中でも、虚子の生活や人生を貫く哲学は変わらなかったに違いない」というのは、コラム氏の買いかぶりです、と言えば、もちろん異論があるでしょう。異論がなければ、虚子は「虚子」でなくなるからです。この「俳号」は兄貴分の子規が与えたそうですね。本名が清、その連想で「虚子」とは、子規の俳号に込めた意図をぼくは想うのです。

 曾孫の廣太郎氏を、ある時までぼくは、自分の知人と勘違いしていた。spんp人とは、ほとんど口をきいたことがなかった。ある時、「一字違い」に気が付いて「はっとした」ことがある。その廣太郎氏の〈棒も又折れゆくものや去年今年〉の句にこそ、曽祖父の信条が顔をのぞかせていると、ぼくは読む。ぼくが何かと教えられた随筆家の岡部伊都子さんに「弱いから折れないのさ」という随筆集があります。いわば「柳に雪折れなし」ということでしょう。「柳の枝はよくしなうので雪の重みで折れることはない。柔らかいものは、堅いものよりかえってよく持ちこたえるというたとえ」(デジタル大辞泉)「柔よく剛を制す」というと、いかにも武術や柔術を思わせますが、何もそれに限ることはないと思う。「( 「三略‐上略」の「柔能制剛、弱能制強」から ) しなやかなものが、かたいものの鋒先(ほこさき)をそらして、結局勝つことになる。柔弱なものが、かえって剛強なものに勝つ」(精選版日本国語大辞典)ということでしょう。

【小社会】貫く棒 きょう1月11日を数字で縦に並べると、111。棒のようにも見える。棒といえば、高浜虚子の名句を思い出す。〈去年今年(こぞことし)貫く棒の如(ごと)きもの〉
 新年は何もかもがリセットされたかのような気分になるが、実際は何も変わっていない。大みそかと元日の間に、紅白歌合戦と年越しそばと鐘があるだけだ。
 句が詠まれたのは1950年。朝鮮戦争で占領下の日本に特需が起き、経済に追い風が吹き始めていた。急激な変化の中でも、虚子の生活や人生を貫く哲学は変わらなかったに違いない。
 筆者に棒のような信念があるかと問われれば、心もとない。ニュースを見れば、米国のトランプ次期大統領が「関税強化」をちらつかせ、保護主義の気配が漂う。スーパーの商品棚に目を移せば、キャベツもミカンも高値が続く。不安は尽きず、虚子のひ孫、稲畑廣太郎さんが詠んだ〈棒も又(また)折れゆくものや去年今年〉の心境に近い。
 それでも先が見えにくいからこそ、貫く何かを持っていたい。虚子と同じく明治に生まれた幸田文の随筆に「些細(ささい)なつらぬき」がある。幸田には10代半ばから守り続けていることがあった。それは、ふきんを汚くしておかないことだったという。
 〈目まぐるしく進む世の中です。目を、心を奪われることばかりです。白いふきんなどはあまりに些細ですが、目をまわした時には、ふっとこの白をたよりに、方向をとりもどします〉。些細でいいのだ。(高知新聞・2025/01/11)

 虚子の「棒の如きもの」をどう解釈するにせよ、虚子には「棒」に託した何ものかがある。「棒もまた折れゆくもの」と詠む曽孫にぼくは寄りたい気持ちです。それはまた、幸田文さんに通じます。「些細なつらぬき」ですね。一貫するものは、人に強靭さを求めるものではないでしょう。そんなものは虚偽であって、だからこそ「三日坊主」という箴言が世に蔓延る道理です。ぼくは幸田さんにもいろいろと教えられた。「歩くとは考えることだ」などはその第一だった。彼女にとっての「棒の如きもの」は父の露伴だったと思う。それこそ、「箸の上げ下げ」まで、徹底的に仕込まれている。それを逆に見れば、露伴という厳格一方に見られる存在は、むしろ「繊細」そのものの質(たち)だったことがわかる。娘に障子戸を掃除させるときの注文はそれこそ、「棒の如きもの」どころの話ではない。何でこんな細かいことに、と小さいころの文さんには父の「小言(こごと)」が疎ましかった。「些細なつらぬき」という時、ぼくはかえって幸田文さんの「勁さ」を、強さではなく、見るのです。

 「疾風に勁草を知る」という表現があります。「しっぷうにけいそうをしる」とは文字通り、強烈な風に当たっても倒れない草の強さ(存在)を知るというのです。(「後漢書‐王覇伝」の「光武謂覇曰、潁川従我者皆逝、而子独留努力、疾風知勁草」)「はげしい風が吹いて初めて強い草が見分けられる。転じて、苦難や事変に遭遇してはじめてその人の節操の堅さや意志の強さなどがわかるというたとえ」(精選版日本国語大辞典)普段は大言壮語し、強がりを放言するものが「勁草」であるはずがないのは明らかです。時流に竿さし、時代に阿る(阿世)ばかりの徒輩であるのがほとんどでしょう。かくいう、このぼくも、その一人だという「弱さ」「強がり」を偽りたくない。それはぼくの弱さでもありますが、なろうことなら、岡部さんに倣って「弱いから折れない」と生き返りたい(跳ね返りたい)ものだと、いつも思っている。

 「夫子之道、忠恕而已矣」 寛容という語も好きですけれど、忠恕(ちゅうじょ)という方がもっと好きです。出どころは「論語 里仁」です。孔子は弟子の曽参(そうさん)に「吾が道は一以てこれを貫く」といった。その「一」は何だったんですかと、他の弟子が曽参に尋ねたところ、「(先生の道は)忠恕のみだ」と答えたそうです。「忠恕」とは「自分の良心に忠実であることと、他人に対して思いやりの深いこと。忠実で同情心に富むこと」(精選版日本国語大辞典)とあります。(「子曰く、~吾が道、一以て之れを貫くと。~門人問ふ~曾子曰く、夫子(ふうし)の道は、忠恕のみと」)

 この「忠恕」を目指して、ぼくもそれなりに、ひたすら我が人生を歩いて来た・歩いている。どこまで行っても「及び難い」というほかないのですが、なんとかその「道辺」に一ミリでも近づきたいものと思い続けてきました。わが歩みの道標(みちしるべ)ともなる「良心」というものがいったい、まだ我々の身内に存在しているのだろうかと、胸が張り避ける思いをさせられながら、一日を生きている。

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⦿ 高浜虚子 (たかはまきょし)生没年:1874-1959(明治7-昭和34)俳人,小説家。本名清。旧姓池内。松山市生れ。伊予尋常中学在学中,同級生の河東碧梧桐を介して正岡子規を知り師事。三高から二高に転じて中退。上京して碧梧桐とともに子規の周辺にいて俳句運動を助けた。子規の写生を有情の方向で実らせ,絵画的な特色とともに,季題情趣に新しい世界を見せた。松山で創刊された《ホトトギス》を1898年から東京に移して経営,子規の俳句運動の〈場〉を新聞《日本》との両輪にした。《ホトトギス》では文章にも力を注ぎ,写生を生かした文章表現を子規と力を合わせて開拓した。子規没後,子規が否定した連句の復興を考え,夏目漱石,坂本四方太と試みた。漱石とは俳体詩の試みももち,これが小説家漱石を生み出す契機となった。1905年から漱石の《吾輩は猫である》を《ホトトギス》に連載するとともに,みずからも小説家を志し《風流懺法》(1907)その他の作品を発表した。小説には写生文の手法,態度が活用されており,人間を描く場合でも自然の風物と同じ眼でとらえ,自然主義と対蹠的な文学を形成した。12年からは俳壇に復帰し,守旧派と称して十七字を守り,季題の情緒を守る俳句を説いた。のち,事物の状態を描写することに徹する客観写生を強調,同時に〈花紅柳緑〉の境地に至りつくことを目ざした。さらに27年から〈花鳥諷詠〉論を提唱,俳句は日本独自の文学で,しかも小説,戯曲とは違う素材,内面をうたう文学であり,天然を写生する文学であると規定,この信条を生涯守った。この間,育成者としても多くの俊秀を育てた。59年,脳溢血で死去。〈遠山に日の当りたる枯野かな〉。(改訂新版世界大百科事典)

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