鱖魚群(さけのうおむらがる)

 師走も半ばを過ぎた。年明けから事件や事故が途切れなく起こる、実に慌ただしい一年だった気がする。世間から離れて暮らしているつもりはないからなおさらに、道義が廃れ、人生が勝ち負け、端的に言うと金目の勝負という、実にいやらしい剥き出しの欲望に動かされる、かかるルール無視が横行しているさまを見るに、言いようのない、疲れを覚えてしまうのだ。なんとも手の打ちようがないのは仕方もないけれど、もう少し穏やかに、誰彼に気兼ねなく暮らしていきたいもの。誰もがというわけでもないでしょうが、他人の油げを奪い取る「鳶(トンビ)」が蠢(うごめ)いているようです。

 「徒然に日乗」などと気取っているけれど、何のことはありません。思いつくままに、その日の記録と記憶を適当にメモっているばかり。日乗は日記のこと。よく知られているのは荷風さんの「断腸亭日乗」ですね。彼に倣(なら)うつもりはなく、日記と書くのが気恥ずかしかっただけで、「徒然」はつれづれなるままに、つまりはあれこれ思いつくままに、適当に書き記すだけという雑な事の次第です。こと「日記」に関しても、ぼくは立派な「三日坊主」だった。小学校時代に夏休みの宿題に「日記」があったが、まともに書いた覚えはありません。何日かを一気に書きなぐっていた。ぼくは「三日坊主」を自認しているんですが、この「徒然に日乗」には、それが試されたんですね。「三日は続く」「四日目には途切れる」、そんな性癖や悪癖を逆手に取ってやれ、そんなつもりで始めました。

 つまりは、「三日坊主」を繰り返したらどうなるか。その結果は、ご覧の通り。こんな恥ずかしい記録や記憶の残骸を他人様にお読みいただこうとは露とも考えていません。ぼくの記憶を維持し、記録をするという作業を自らに課して、いささかでも「記憶力」「「継続力」「注意力」の現状維持を図りたいという、下種の憐み情動の結果がこれでした。そんな他愛もない雑な仕事でしたが、思わない発見がいくつもあった。夜になって、「朝、何を食べたか」が思い出せないのは四六時中です。そのことがいきなり出したという点です。毎日、何の記録も記憶もなしに過ごしていると、そんな些事すら見いだせなかったでしょう。一日が経過して、昨日はどう過ごしたか、皆目手がかりがないのにも驚愕したのはしばしば。「そんなことでええんかいな」という仰天を感じたまで。「記憶力の衰え」を多くの人は言いますが、どんな事柄に関してでも、その「記憶」を維持するためには、それなりの手法が求められる、そんな当たり前の真理(大袈裟ですね)を知りえたのですね。

 本日は「何月何日何曜日」を、そのまま丸暗記してどうするのと、ぼくは再確認している。「シェ-クスピアはイギリスの作家。作品にはなになにがある」と、読みもしないで棒暗記。ゲーテもしかりで、試験に出るから名前やその他は覚えるけれど、内容は空無。こんなことばかりを、今でも学校ではやってるんじゃないですか。空しいし、無意味だし、時間と能力の浪費。今さらに、ぼくは学校教育の非情さ・いい加減さを再発見しているのです。少なくとも、記憶力の保持(把持)には「脳細胞」にかけておく(しまっておく)手間がいる。その記憶が途切れないうちに、自分がしたり感じたりしたことを記録する。それだけの事を、ぼくは、自分の老化の進行を遅らせるためだけにやっている。誰かに読んでいただきたいとは、いささかも思わない。そんないい加減で極めて個人的な「思考(試行)」ですけれど、効果があるのかどうか、ぼくには判らないな。効果を当て(目標)にしてやっているのではないからです。

(若いころにかじった「心理学」では、しばしば「記憶」と「記憶力」について理屈を考えたものでした。何かの本を読んで、その内容を覚える(記憶する)というのはカメラの「印画紙(ネガフィルム)」に写し取るようなもので、それを現像して映っているものを取り出す(陽画紙・ポジフィルムに写す)ようなものだと学んだ、それこそが「記憶」する力のメカニズムであるでしょう。つまり日々の出来事を「記憶」するのですね、誰も。「認知症」に罹患している人も「記憶」しているのは確かでしょう。でも、その映しておいたものを取り出す(記憶を呼び出す・再現する)作業に支障があると、取り出せない(思い出せない)ということになりますね。記憶する力はあっても、記憶したものを取り出す力がないか、きわめて弱くなっている状態、多くの場合、それを「認知症(dementia)」というのではないでしょうか。どうすれば、「思い出す力」を保持できるか、それが問題だと思う。脳細胞が壊れてしまえば、手に負えなくなる。これも程度問題で、誰だって、目に映し、耳に聞こえるものは、いったん記憶野(海馬)に蓄える。でも、時間が経つにつれ、その大部分は忘れてしまう、だから、新しい事柄が覚えられるともいえるでしょう。誰もかれも、健全な「認知症」を患っているから、脳が決定的に破裂しないで生きているのだと、ぼくはいいたい)(人間は、「正しく忘れる生き物」なんですね。「正しくなく忘れる」ところに支障が出てくる)

 なにげなく「三日坊主」を好き放題に繰り返すだけですね。「塵(ちり)も積もれば山となる」といいます。しかしどんなに積もっても「塵は塵」ですよ、何らかの利益や効果を期待するのは、一種の頽廃、あるいは堕落かもしれませんね。人間は、自分のすることに対して、他人の「承認」「評価」を求めたがるんでしょうか。ぼくにはその感情は希薄ですし、ときには、下手に評価されるとがっかりする。何冊か本を書いたり、何本か論文を書きましたが、そんなものでも「いい本だった」「凄いね」といわれて、「あなたにそういわれるとがっかりする」と感じたことは何度もあります。あの人・この人に評価されるようでは、ぼくはまだまだダメなんだな、と。

 これは自慢話と取られたくないのですが、とはっきり断っておきます。「評価」に関して、勤め先でいくつかの経験をしたことがありました。給料を貰いだしたのは25歳過ぎからだったが、担当授業もなく気楽なものだった。ずっとこの状態がいいなと、研究には身を入れないで、まあ遊んでいたら、指導教授に「首にする」と断じられた。「先生から給料を戴いていませんので、その件は教授会で諮ってほしい」と申し出たら、沙汰止みになった。「教授にするから、履歴書を書け」と言われて、「今のままでいいので、書きません」と(推薦人が気に入らなかったので)、我を通して軽蔑された。「博士」にするから申請書類を書けと勧められたが、ついに断り切った。少し早めに退職したら「名誉教授に推薦します」と同僚たちから求められたが、「そんな恥ずかしいことは断ります」と伝えて大騒ぎになった。世間並みに「身を飾る」のが嫌でしたね。メダルや賞状を貰うという趣味がなかったのだ。

 つまり「評価される」というのは、ぼくにとってはけっしていいことではないのだ。評価の中身と評価者の能力・人品が釣り合っていないと、その「評価」は歪んでしまう、そんな感覚を一貫して持ってきました。友人の一人から、「君がこんなところ(大学)に居るのは奇蹟だ」と「褒められ」たことがある。彼(宗教思想研究者)は、「自己評価(プライド)」は相当に高く(つまり、自分に甘いということ)、「評価を求める衝動」の強さもかなりのものだった。以上、バカ話を、寒さ凌(しの)ぎにしてみました。

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 「卓上四季」の「評価」をしてみようと思いましたが、本日は止めておきます。「記者の仕事は拙速であれ」「巧遅は拙速にしかず」、どちらも一考に値しますね。ことは新聞の存廃にかかわるような時代になっているからなおさら、「書くこと」と「報道すること」の間に埋めようのない裂け目がある気がして、なかなかの大問題たなと痛感しているのです。

 つい先(二カ月余り前)だって、「共同通信」の誤報記事配信問題がありました。担当責任者は更迭されたようですが、どうしてこんな誤りが起ったのか、同社はつまびらかにしていません。いずれ報告されるのでしょうか。生稲晃子参議院議員が「外務政務官」に就任した際に、彼女は2年前に「靖国参拝」をしていたという記事が配信された。誤報だとわかったが、その配信記事を受けた各新聞社は、事の経過を含め、「誤報掲載」について、事態を明らかにする態度を示したのかどうか。誤報は配信社の問題で、自社には無関係と言い逃れ用としているとは思わないのですが、ぼくは、この「誤報配信・記事掲載」問題にも大きな関心を持っている。「報道に携わる全ての者は訂正根絶へ不断の覚悟を持とうと、まず自分に言い聞かせたい」という姿勢は殊勝ですけれど、どこか心構えにおいて緩んでいる気がする。共同通信という配信会社の記事(一種の「伝聞」「デマ」)をそのまま載せて、いかなる痛痒も感じていない風儀や風潮は、ぼくには理解できないんですね。これは「拙速」ではなく、「拙劣」そのものです。「靖国参拝」をどの社も、議員本人に確認しなかったのは、「みんなで間違えれば怖くない」という堕落街道の「信号」を渡ってしまったというころでしょか。

【卓上四季】拙速でも正確に 原稿が書けずに苦しんでいた新人時代、デスクに指導された。「記者の仕事は拙速であれ」。拙速? あまり良い意味では使わないが、広辞苑にこうある。「仕上がりはへたでも、やり方が早いこと」▼名文を書いても締め切りを過ぎれば無に帰する。へたでも時間内に出せとの趣旨だ。拙速の反対語は巧遅(こうち)。「巧遅は拙速にしかず」ともいう▼ただしこの場合の拙速に、不正確でもいいという意味は一切なかった。迅速性と正確性の両立は報道の使命。時間がなかったという言い訳は通用しない▼とはいえ人間はミスをする生き物。本紙を含め新聞には時折訂正記事が載る。さまざまな防止対策を重ねているが、残念ながらなくならない。かくいう当方も過去に何度か痛恨の訂正を出した▼2年前の終戦の日に自民党の生稲晃子参院議員が靖国神社を参拝したと配信した共同通信の誤報は本紙も掲載していた。原因はよくある単純な確認不足だが結果は重大だった。韓国との外交に影響を与え、共同の編集局長らが更迭された▼SNS上での誹謗(ひぼう)中傷やデマ、真偽不明の情報が選挙結果を左右する時代になった。無論真実を伝える投稿も少なくないが、新聞は信頼をつなぎ留めるために踏ん張りどころだ。報道に携わる全ての者は訂正根絶へ不断の覚悟を持とうと、まず自分に言い聞かせたい。(北海道新聞・2024/12/16)

 ただ今午前7時。朝焼けがやたらに美しく、それに見惚(と)れてしまって内容浅薄な、いつも以上に浅薄な駄文を書いてしまいました。(下手な弁解ですね)乞う、ご寛恕を。「七十二候では『鱖魚群(さけのうおむらがる)』となりました。鱖魚(けつぎょ)は中国で高級魚として知られるスズキ科の淡水魚ですが、日本にはいない魚なので、同じように川を群れて遡上(そじょう)する鮭をあてて、日本では鱖魚もサケと読ませています。」(「暦生活」:https://www.543life.com/content/seasons24/post20241216.html

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「徒然に日乗」(596~602)

〇2024/12/15(日)終日自宅内に。今朝は午前一時前に起こされ、それから寝ないで過ごす。深夜・朝方は結構寒い。猫たちは、それとは無関係に外に行きたくなるようだ。トイレもあれば気分転換も必要だろう。帰ってくる子もいるので、戸を閉めて寝るわけにはいかない。そんな夜中、普段かまってやれない子が膝の上で一休み。それぞれに好き嫌いや癖があるようで、人間とまったく変わらない。ここにきて、猫との共同生活は6年目に入っている。怪我が多いが、木や竹の群れに囲われている環境だから仕方がない面もある。いずれにしても、けがや病気が大事に至らないように暮らせることを願っている。(602)

〇2024/12/14(土)お昼に買い物、茂原まで。本日も人出はたくさんあった。年末でもあり、土曜日、それに本年最後の「年金支給日」だというから、なおさらか。このところやたらに老齢夫婦の姿が目に付く。そういえば、拙宅は猫が来てからはまったく夫婦で出かけることはなくなった。必ずどちらかが在宅するようなっているのだ。何かと買ったが、値段が張るのには驚くばかり。▶今日長岡の姉に連絡。昨日の戴きもののお礼を。訊くところによると、姉夫婦に、やがて曾孫ができるという。結婚以来63年か、それ以上らしいから当然か。姉夫婦は二人とも早くに結婚している。それにしても長く元気で結婚が続いているのだから、感心するばかり。▶韓国大統領の「弾劾訴追」が決定。大統領の職務が停止され、後は憲法裁の判断を待つのみ。いずれ「失職」するはず。ここに来ても、いったいどうして「非常戒厳」なのか、おそらく第一の理由は、妻の「汚職疑惑」を未然に防止するためだったろうと思われる。堕ちたものだ。(601)

〇2024/12/13(金)朝の冷え込みが厳しい。室内でも10℃以下。油断大敵、風邪にはよほど注意していないと大事になることもある。▶昼前に買い物で茂原まで。どいう理由か、ショッピングセンターが大混雑。歳末だからなのか、これまでで最も混雑していたようだ。それでも昔の住まいの近くのスーパーの混雑度から比べれば、たかが知れている。いつも感じるのだが、年寄りの二人連れ(夫婦か)がやたらに多い。子どもは学校に行っているから少ないのか、少子高齢化は街中のスーパーにも出現しているのだ。▶京都の姉から戴きもの。明日にでもお礼の電話をするつもり。▶シリアの独裁政権がいとも簡単に崩壊した。大統領は国外脱出、旧友ロシア大統領の側へ。それにしても、何年続こうが、腐敗した権力は、限りなく堕落を重ねるし、その堕落に手を貸す輩もまた、腐敗の極み。結局は国を亡ぼすのだから、権力亡者にはなす術がない。どんな権力も腐る、これは例外のない歴史事実だと思う。▶韓国の「独裁狙い」権力の行方は、今や風前の灯火だ。(600)

〇2024/12/12(木)早朝、6時半にゴミ出しに。車内は-3℃、軒天井のある場所に駐車している車。本格的な冬の到来かと思ってしまう。日中は好天が続いている。もう三週間以上も雨が降らないのだ。湿度も30%近くまで下がっているので、各地で火災が続いている。▶昼前に洗濯し、物干しに干すのだが、もう日が陰りだしている。それだけ、家の周りの樹木の枝葉が伸びている証拠。寒くなる前に枝下ろしをしたかったが、何ともやる気が出ないままで、今に至っている。▶昼直前に買い物に茂原まで。昨日のニュースでは茂原のスーパーの近くで「猿(サル)」が出没したとの報道。また市内の高校のグラウンドに猪(イノシシ)が出没とも。街中が野外・サファリパークのようで、さまざまな野生動物の遊び場兼食料確保の場所になりつつあるのか。何のことはない、もともとは彼や彼女たちの生活の場を、後から来た人間どもが「開発」と称して勝手に家を建て、道路を作って住みだしただけのことだ。(599)

〇2024/12/11(水)午前中に京都にいる甥(兄の長男)の勤め先に電話。何十年振りかで、「生の声(ライブ)」が聴けた。私立京都芸術大学の教員。▶夜の9時ころ、十年ぶりくらいで兄と話すことができた。少し「記憶力」が衰えたとは言うものの、元気な声が効けたのが何より。兄は当年88歳だという。昔から「賢兄愚弟」と言われたし、自分でもそう思ってきた。能力の面でも真面目さにおいて、後塵を拝してきた、そんな兄だったと思う。この先、なお元気でいてほしい。▶京都への電話の前に、長野のO君から電話があった。およそ一年数か月ぶりのこと。いまは飯田市内のある施設に入所しているそうだ。訊くと、「不惑」一歩手前だという。少し元気を回復して、もう一度「教壇」というか、教室に入るといいと思うと話した。まだまあこれからの人だ。(598)

〇2024/12/10(火)快晴が続く。少しばかりたまっていた燃やせるごみを焼却する。裏庭の一角に据えられているのが焼却炉で、大谷石を重ねて、自作したものだ。精密に計算したものではなく、文字通りにわか作りだったが、大変に重宝している。植木の剪定や枝落とし、除草などの処分はほとんどはここで焼却している。もちろん、家庭から出る段ボールなどの紙類も燃やしている。大量の焼却量だから、常に掃除をする羽目になるが、これがないとどんなに大変なことだろうか。▶昼前に買い物に茂原まで。このところ連日の買い出し。かみさんの悪癖はいくつもあるが、冷蔵庫をいろいろなもので満杯にする、特に野菜。そのうちに腐敗させて捨てることになる。何度言っても治らないので、辟易している。それを防ぐためにも買い物は面倒を厭わず、小生の役割になっている。冷蔵庫を清潔に適量で使用することに徹底したい。▶先日、二人の姉と電話をしたが、兄と弟の様子が気になっていた。兄とは十年、弟とはそれ以上会っていない。兄の機嫌を知ろうとしても住所も電話もわからないので、息子(ぼくには甥になる)に訊いてみたいと、彼のアドレスがあるかどうかネットで探した。私立京都芸術大学の准教授として掲載されていたが、連絡先は出ていなかった。公立京都芸術大学の卒業生。映像作家だという。友人とコンビで仕事をしていることが分かった。兄は元気だろうか。弟とも音信不通。ぼくより三つ下だ。滋賀県の大津に住んでいるはずだが。▶日本被団協へのノーベル平和賞受賞式が午後九時ころから、現地で開かれている。受賞記念の、田中熙己(てるみ)氏(92歳)の講演が中継されているのを聞いている。「核兵器は人類とは共存できない。共存させてはならない」この当たり前を八十年近く身命を賭して訴えられてきた方だ。(597)

〇2024/12/09(月)午前中にあすみが丘まで、猫缶を購入のため。先週、久しぶりに動物病院にかかったが、何とか「傷」が癒えたような按排で、いまのところはこれ以上行かないことにした。▶少し前からパソコンの調子がよくないのが気になっている。広告ブロックのアプリを入れたこと、あるいは以前に入れていたフリーソフトが影響しているのかどうか。またスピーカーを通して異音がでるのだが、その原因がよく分からない。フリーアプリだからと喜んで取り込むのは考えものだろう。今回、新規に有料のブロックアプリを入れたが、その影響にも気を付けておきたい。現在使用中のハードはおよそ十年近くになるが、本体自体の劣化も考えられる。▶韓国の大統領の進退に関して、辞職は避けられない状況だが、「弾劾訴追」によるのか、あるいは与党による辞任勧告によるのか、それとも本人の辞職決断によるのか、いずれにしても逮捕取り調べは確実だと思われる。検察当局より、取り調べのために大統領の出国禁止措置が取られたという。遠くない時期に「大統領選挙」になるだろう。日韓関係は、誰が大統領になっても、なかなか予断を許さない場面を迎えるに違いない。(596)

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「ここはどこ?」「秋田市です」

⦿ 週初に愚考する(四拾九)~ コラム「北斗星」に出ているような場面(後掲)に、ぼくは遭遇したことがあります。どこかで触れたと思う。連れ合いが手術を要する疾患で入院を求められた。「念のために〈物忘れ外来〉を受診してください」と担当の医者から指示された。四、五年前のこと。ぼくは外来に付き添って、かみさんが検査(長谷川式)を受診するのに同行した。「100から7を引いてください、その答えからさらに7を…」、例によって今日は何月何日か、などとさかんに質問していた。何かの問題で、ぼくはヒントを出したら、検査を担当していた若い女性(療養士)は笑うばかりで、何も言わなかった。レントゲンの検査などを受けて、「どうというほどではありません」「心配なら、二、三年後に来てください」と告げられて、診察は終わった。この場合、ぼくの方がはるかに「かみさん」を知っているから、医者の「診断」は、いい加減だと確信していた)

 その日だったか、数日後だったか、手術を担当する医者からの「伝言」だと、拙宅に電話があった。「手術の際に、娘さんか、どなたか来てもらえないか」ということだった。理由がわからなかったので、次の通院日に担当医に訊いた。「検査を邪魔するような人がいては困るので、誰かほかの人を」をということだった。コラム氏の書かれている「口出しはご無用に」の口だった。それでぼくは事情を説明し、邪魔をしたわけではない、「長谷川式」を少しは勉強していたので、その問題点を指摘しただけだ、それがいけないというのであれば、「当病院での手術も断る」、病気がひどいのなら、別の病院に当たると、担当医にいったら、相手は驚いて、「悪気があったわけではない、医者や看護師・病院の職員に文句を言うような付き添い(患者さん)では困るから」、「別の付き添いを」といったまでだと、その経緯の事情を話した。

 連れ合いへの医者の診断は「リンパ腫がある」というのだったが、手術の結果は、そうではなかった。見立て違いだったのだ。「大藪」でしたな。大事に至らなかったのは幸いだったが、医者はあまり信用しいないという、ぼくの「信条」は裏書された。担当医は「謝罪」を(したくはなかったようだったが)いたようで、「すみません」と頭を下げた。当のかみさんは「認知症」かどうか、はっきりとは分からないが、同じ野菜を買って来て、冷蔵庫に入れる。そのことに気がつかないというか、「おかしいことをしている」という自覚は表さない。というより、それを頑(かたく)なに拒否する。細かいことはいくらもあるが、ようするに、「物忘れ外来」で「認知症」が発見されるには、相当に症状がひどくなった段階でしかないということ。「ここはどこですか」とか、「今日は何日ですか」と尋ねて、その答え方で認知症がわかるとぼくにはとても思えない。学校のテストで「0点」「や「3点」を取って、「馬鹿か、君は」と言われたことはあるが(「馬鹿」というやつが馬鹿さ」とぼくは見ていた)、教師が医者だったらどうだっただろうと思うことがある。恐らく、「幼児・少年性認知症」の烙印を押されただろう。

 大根や茄(なすび)を繰り返し買うのはなぜだろうと、ぼくはいつも考えさせられている。買い物好き、野菜好きであるのは確かだが、冷蔵庫に大根があるのを「確認」して、また大根を買ってきて、冷蔵庫に入れている。冷蔵庫に入れているのだから、日持ちがするから大丈夫と、彼女は「理屈」を言い張るのだ。一理はあるが、こちらも引き下がれない。「八百屋をするのではないから、それは困る」、「おかしいから気を付けてくれ」というけれど、また同じことの繰り返し。「ここはどこですか」「秋田市です」のやり取りを、ぼくたちはいつも実行している。「患者(かみさん)」も負けていないし、「担当医(小生)」も後に引かないという「茶番劇」みたいなことを演じているのだ。彼女の「思い込み」「勘違い」が甚だしいが、自身は「間違い」を犯しているとは思いたくないらしい。その他、大小取混ぜて、「物忘れ」はいくつもある。(あまり他人のことは言えないが、ですよ)

【北斗星】小学校で一緒に遊んでいた転校生に「どこで生まれたの」と尋ねた。初めて聞く地名を伝えられ、逆に尋ねられた。地元生まれの自分たちは「秋田市」とは答えず、「地球」「銀河系」などと答えた▼「ここはどこですか」「秋田市です」。これは家族がかかりつけ医で受けた認知症検査での会話。求められていたのは「○○医院」のような回答だったようで同じ質問が繰り返された。隣から「この建物のことだよ」と言うと、「口出しはご無用に」と制された▼高齢化の進展に伴って認知症患者が増えることは避けられない。同時に予備軍とされる軽度認知障害(MCI)も増加する。「物忘れ」が分かりやすい症状と聞けば、それを「年相応だろう」と自己判断していないかと心配になる▼「痴呆症」から「認知症」へ呼称が変更されたのは20年前。米国では「ロング・グッドバイ(長いお別れ)」とも呼ばれており、日本で認知症に関する本や映画の題名に使われている▼このほか「二度童子(わらし)」という言葉もある。子どもを「わらし」と言うのは本県を含めた東北や北海道などの方言。元々はこの地域に特有の言い方だったのかもしれない。老いて子どものようになるといった意味で使われる▼冒頭に紹介した「銀河系」や「秋田市」は、どちらもずれた答え方ではあるが、不思議なおかしみがある。家族の認知症が進んでも、だんだん子どもに近づいているのかと思えば受け入れられることが増えるかもしれない。(秋田魁新聞・2024/12/14)

 「認知症」にも個人性があって、千差万別。まるで「風邪の諸症状」のようで、罹患者それぞれに微妙に違う。今では「治療薬」も市販されている。でも、それを飲めば「認知症」は消えるという医者はいない。市販薬はべらぼうに高い(服用には医者の診断を要する。年間では三百万円を超えるとされる)ここにおける「治癒」「不治」の問題は微妙で、まだまだ未解明の部分が多かろうが、「完治はできないが、重くなるのを遅らせる」程度、それがせいぜいだという。老化の一現象だという場合もあれば、そうではないこともある。それこそ、一人一人に近づかなければ、決して状況・症状は把握できないと思う。「100-7」の答えを聞いてから、症状を判断するなどという、そんな医者こそ怪しいとぼくは考えている。「ここはどこです」と尋ねられ、「秋田市です」と答えたら、医者は「demeniaに間違いなし」と診断するらしい。訊かれていることが理解できないのだと、即断するのもおかしいね。「聞き方が悪い」でしょ。そうじゃなくて、「この建物のことだよ」と助言する付き添いの方が、はるかに「優しい」し、正常な「人間」らしい態度だとぼくは思う。

 ぼくは医者ではないから、診察も治療もできない。しかし、いつだって側にいて、彼女の行為をつぶさに見ているから、彼女の「間違い」「勘違い」を指摘する。指摘されれば、気分がよくない。この反応は「正常」ではないですか。かみさんの場合は、性格的に「頑固」だから、いったん思い込んだら、その呪縛が容易には解けない。そこに「同じ間違い」を繰り返す、根拠・理由がある。それを薬で治せるとはとても思えない。時々、やりたいように放っておこうかと思うことがある。冷蔵庫に同じ野菜が保存されて満足するのか、それとも買い物に行かなくて済むとでも考えるのだろうかと、ぼくは気になる。同じ野菜物を買ってきて、「お前が食べないからだ」と文句を言う。この強気があるうちは大丈夫か、いやもう遅いということか。

 「勘違い」「思い違い」にもいろいろなレベルがあるのであり、それを「軽度」「中度」「重度」とランク付けするのは医者の仕事。呑気じゃないですか。医者は、データを見て、「病名」をつけ、薬を「処方」する。治すのではなく、病名(服用薬の種類)を教えるだけの存在だと思えば、ぼくは医者にかかりたいとは思わないのであって、患者を、ちらっと見て、全体をまったく見ようとはしない。まさに「木を見て森を見ず」の類だと思う。(左票は「長谷川式認知症スケール」例)

 記憶力は年齢とともに衰える。それが「正常」だとぼくは考えている。体力が衰えるのと同じように、注意力、記憶力、思考力(認知能力)も衰えてくるのは避けられない。いいや、そうとは限らない、老化は防げるという医者もいるが、ぼくはそのような医者にはかかりたくない。トルストイの短編に「生まれるときに四本足で、やがて二本足で、そして最後は三本足で歩く(動く)」、それは何でしょう」というのがあった。もちろん答えは「人間」だったが、最後の最後は杖をついても歩けなくなり、倒れるのだから、元に戻るのだろう。

 彼は認知症は知らなかったと思う。「生まれて、働いて、老いて」という変遷には言いようのない「人生の軌跡・記憶・歴史」が詰まっているでしょう。トルストイは「山の神(妻)」が怖くなって家出をし、田舎の鉄道の駅頭で死んだとされる。今の医者なら、なんと診断するか。「文学者的俳諧症」とでも命名するだろうか。彼の書いた「クロイツェルソナタ」は、いやな小説ですよ。彼の晩年の運命を暗示していますね。

⦿ トルストイ( Лев Николаевич Толстой )=(1828-1910)19世紀ロシア文学を代表する巨匠。ヤースナヤ・ポリャーナに地主貴族の四男として育つ。ルソーを耽読し大学を中退後、暫く放蕩するが、従軍を機に処女作『幼年時代』等を発表、賞賛を受ける。帰還後、領地の農民の教育事業に情熱を注ぎ、1862年の幸福な結婚を機に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』を次々に完成。後、転機を迎え、「神と人類に奉仕する」求道者を標榜し、私有財産を否定、夫人との不和に陥る。1899年『復活』を完成。1910年、家出の10日後、鉄道の駅長官舎で波瀾の生涯を閉じた。(新潮社)

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 いわゆる「認知症」なるものの正体は、現段階ではほとんどわかっていないと思う。だから、それを従前は「老化」「老衰」と言ってきたし、さらに「認知機能」に即して言うなら「耄碌(もうろく)」という語で応じて来たのではなかったか。いまでは「耄碌」はあまり使われないのはどうしてか、ぼくにはよくわからない。「耄」は「もう」「ぼう」と音読みし、訓読みは「おいぼ(れる)」「年よ(る)」「ほう(ける)」と読む。その意とするところは、「おいぼれる。ほうける。ぼける。をとってやからだのはたらきがくなる」(オンライン「漢字辞典」)です。同じく「碌」は「ろく」(音読み)で、「平凡たないさま。碌碌(ろくろく)」(同上)と言わせています。「ろくでもない」のことを指しているのでしょう。だから「耄碌」は、二重三重の意味で「役立たずの、惚け老人」というのでしょう。きつい扱いをしてきた・していた様子が伺われます。

 年を取らないという異説には、ぼくは与(くみ)しませんので、年齢差や個人差はあるものの、年を重ねれば「耄碌する」と考えている。この言葉が否定的な意味合いが強くて使われなくなっているのでしょうが、「認知(能力欠損)症」の方が、ぼくには致命的に「否定的」に聞こえてくるのはどうしてでしょうか。「老いぼれ」は「老い耄れ」で、多くはみずからを「へりくだる」言葉として使われてきたと思われる節があるのですが、今では「他者を非難する」のに多用されているのは、社会意識の変化が理由かもしれないと思う。いずれにしても、年齢を重ねれば「心身」の衰えは隠せない。隠す必要もないと思う。その衰え方は人によってさまざまで、「幼児に還る」のが一般的であって、それを受け止めかねる「正常人」が慌てふためき、大騒ぎをした結果が、「認知症」を取り巻く現在ではないでしょうか。「認知症」は「耄碌」であり、それは高齢に伴う自然の現象だと、今のぼくは考えている。英語で<long goodbye>というそうですが、ゆっくりと「別離」を迎える、そのための「老衰」だというのかもしれない。いずれにせよ、病名でさえも、いかに名づけるかは社会の文化や歴史によって異なります。ぼくは、自分も確実に迎える・迎えている「耄碌」に備えたいけれど、その方法も導きもない、ぼくには、いつでもは未知の道を歩くことになるのです。歩幅と歩調ばかりは自分流にと念じている。

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現金でのお支払いは扱って…

【斜面】デジタル化の波間で「ご注文はQRコードでスマホからお願いします」「現金でのお支払いは扱っておりません」―。最近、身近な場所で、そんな声がかかる店に出合う。電話や検索ぐらいしかスマホを利用しない現金派の身としては、困る場面が増えた◆定期的な連絡が紙から電子通知に切り替わった公共料金もある。保険会社からはネットでの登録を促される。申請にまごつき電話で問い合わせても、なかなかつながらない。パスワード管理も面倒だ。デジタル化の波におぼれてしまいそうな感覚になる◆公共交通機関でもデジタル化が進んでいる。路線バスでは先月から、電子決済でしか運賃が支払えない「完全キャッシュレスバス」の実証運行が県外で始まった。鉄道もJR東日本が、スマホの位置情報を活用し、自動改札機を素通りして乗車できる仕組みの導入を検討している◆事業者の側の人手不足や業務の効率化が背景にある。デジタルサービスを便利だと感じる人も増えている。クレジットカードや電子マネーといった電子決済の総額は昨年120兆円を超え、全体の4割近くを占めた。この10年間で倍以上に膨らんでいる◆それでも抵抗感や不安を抱いてしまう。知らぬ間に個人情報が抜き取られ、監視される社会につながらないか。人と人とがふれあう機会が失われていかないか。インターネットが一般に広がり始めて30年がたつ。急速にデジタル化が進む時だからこそ、もたらす光と影に心を留めていたい。(信濃毎日新聞・2024/12/13)

 拙宅は辺鄙な場所にありますので、都市ガスではなくプロパンガスを利用している。地域をカヴァーする会社は三社あるが、ここに越してきて以来、NE社に決めている。別の一社は何度も訪問を繰り返して、執拗に「切り替え」「乗り換え」を強いていたが、ぼくは、その都度はっきりと断って、必要なら当方から連絡するからと言い続けたが、その後も何度か来た。やがてその会社は消費者庁からだったか、「勧告」を受けて、執拗な「訪問販売」の廉で処分を受けたと聞いた。今利用している会社は、「検針結果(使用料金)の連絡のはがき発送は十月一杯で止めるので、スマホで登録を。これまで同様のはがき連絡なら、一通につき220円戴く」と連絡してきた。時代の流れ仕方なし、要請通りに切り替えをと考えていたが、「スマホでQRコードを読み込んで、登録を」という。それ以外の方法な駄目。一方的とはこのこと。

 本社に連絡して、「スマホのないものはどうしますか」と尋ねたら、「仕方がない、はがきを続ける。有料です」という。AかBを選べ。Aは「はがき(有料)継続」、Bは「スマホ(QRコード読み込み)で変更(無料)」というので、おかしいではないか。客商売していながら、顧客を大事にしていないね、などと文句を言った。もちろん「カスハラをしているのではないから」と確認して強く注文を付けたら、即刻、地区の営業担当がやってきた(九月初めころか)。「お宅だけは無料にします」というから、「それは可笑しい。スマホを持たぬ人はたくさんいるのだから、それを考えなければ」と言ったら、時間をかけて、社内で相談するとか言っていた。結果は、今になっても伝えられない。あいかわらず「はがき連絡」はきている。有料とは書いていない。どうなっているのだろうか。地区の担当者はこの経緯をどう見ているのか。スマホ以外の変更届は認められないなら、この契約は断るといってある。そうなれば、当方も面倒。他の一社は不良会社だ。残り一社あるが。いよいよ<Off Grid>にするか、この終活時期にと一瞬考えるが、まあ、薪(まき)を燃料にするかとも考えている。

 出された手段(選択肢)は一つ、それがいやなら利用するなという、「問答無用」の場面が結構あるようで、はなはだ腹立たしい。ほぼ毎日のように買い物に出かけるが、会計する段であまり愉快ではないことが多すぎる。まず「買い物袋はどうする?」と訊く。「ポイントカードはあるか」と第二問。その他。その都度、誰彼なしに訊いているのだからぼくは呆れてしまう。ぼくはきっと「見ればわかるでしょ」「必要なら、こちらから申し出る」と返答する。それも面倒で、レジ係もすべて「セルフにしてくれ」と言いたくもなる。ところが、セルフレジで会計を済ますと、出口で「領収書確認」という。どうしてか?と訊けば、「不正(万引き)があるから」という。何をしているんだと思うばかり。この社会の人間関係や諸事万般の機械・器械・奇怪化は、いったい、どこに向かおうとしているのか、どうなってるんだと訝しく思う。「これは便利だ」と多くの人が受け入れているから、この「不人情」「非人情」状況はさらに進むだろう。「便利は怖いで」

 携帯電話時代到来時、ぼくはつまらない時代になったと心底思った。やがてスマホ万能。それがなければ人間止めるか、とまで言われるような、底の浅い、人情頓(とみ)に希薄になる社会に生きる、なんとも面倒なことになった。ぼくはスマホも持たないで生きている。「急速にデジタル化が進む時だからこそ、もたらす光と影に心を留めていたい」と、「斜面」氏は馬鹿に呑気なことを宣っている。「諸刃の剣」という語を知らないか。「知らぬ間に個人情報が抜き取られ、監視される社会につながらないか」と、アホかと言いたい。すっかりそうなっているじゃないか、そこから種々の問題が噴出しているんだぜと、頭に一発喰らわせてやりたい。新聞社は、そんな時代に、率先して「便乗しているだろ」と思うけれど、それを棚に上げての物言いだから、「終わってる」「始末に悪い」というほかない。「信毎」は好きな新聞だったな。

 「完全キャッシュレスバス」時代が目の前に来ている、そんな錯覚を持たされる。本当にそうなるか、まずならないね。そんな問題には興味がないのであって、スマホを介して「便利」を強制されて、孤独を託(かこ)つという矛盾した人間社会の出現に、ぼくはうんざりしてるのだ。「SNS」禁止を言い出す国まで出てきている。「便利は不便のことだ」といいたい。「文明開化」は時代の波。その波を、ぼくは老骨をものともせずに、軽々と泳ぐのさ。そしてAIだのITだので、ますます電力逼迫到来だから、原発の新増設だと、洋の東西で「天に唾する」狂気の沙汰の大合唱です。「天に唾する」者だけに被害が及ぶならいざ知らず、被害は全員平等に被るのというのだから、話になりません。台風で電線が切れたら、「完全キャッシュレス」はお陀仏になる。そんなチャラい話は日常茶飯事です。笑わせるな、と罵りたい。

 勤め人時代、「これからはペーパーレスだ」としきりに言われた。実際はどうか、相変わらず文書は出回り、パソコンも使われる時代になった。いろいろと滑稽を通り越すような愚か話は腐るほどあるが、要するに、新規のシステムが出現したから、「古い上着」は捨てられるかというと、そうはならないのだ。(これも勤め人時代、やたらに会議があった。ぼくは「書類一枚に内容をまとめて、配ってくれればそれで済むだろ」と提案して、ほとんど会議には出なかった。ぼくがが開いた会議は、最長でも一時間、ほとんどが30分程度で終わっていた。それで何の問題も出なかったな。「短ければいいというもんじゃない」という非難が出ていたのを覚えています)これからはテレビ時代だといってラジオは捨てられたか。テレビは見ない、スマホで十分、そういってテレビは姿を消したか。これからは電気自動車だと大騒ぎして、企業は割が合わなければそんなものは作らないだけ。相変わらずガソリン車前世時代が続くだろう。どこかにまだ「木炭車」が走っているかもしれないのだ。新幹線は古い・遅い、だから「リニア―」だという。その脇で、徒歩もあれば、自転車も。各駅列車も走っていれば、新幹線も、飛行機も、…。多くの「豊か」を失って、「便利」という「狭さ」「浅さ」を贖(あがな)う、愚かの限りですね。スマホがなければ、「闇バイト」はできない、「出会い系」は困難になるだろうが、人間の付き合いはさらに深まるでしょう。そうならなければ。(新聞だって、さらに、細々とでも残り続けるさ)

 時代が変わる、ますます便利な時代に、と多くの人が実感するのは、古いものはそれなりに使われ続ける中で、新規参入がどんどん増える時代だからです。「革新」というのは、古いものの再発見の謂いですよ。「温故知新」はこんなところに顔を出すんですね。「《「論語」為政から》過去の事実を研究し、そこから新しい知識や見解をひらくこと。[補説]「故 (ふる) きを温 (たず) ねて新しきを知る」と訓読する。「温」を「あたためて」と読む説もある。なお、「温古知新」と書くのは誤り」(デジタル大辞泉)つまり「歴史」という自らの過去を記憶する力が、生きることの元手(財産)になっているから、ぼくたちは人間として、少しでもかしこくもなれる余地があるのです。過去を持たない人間、そんなものを想像できますか。昨日もなければ、明日も考えらない、それは病的な事態でしょう。さかんに忌み嫌われている「認知⦿症」とかいう社会問題は、別の課題です。(記憶力の破損だけかどうか、実際にはもっと深い子細があるんですね、「認知⦿症」問題には。これはぼく自身の課題でもありますから、それは別の機会に、ていねいに愚考します)

 要するに選択肢が複数ある生活ができる時代、それが「便利」「豊か」な時代のことだとぼくは言いたい。「完全キャッシュレス」という以上は、お金が要らない時代かと錯覚するようなアホなことは言ってほしくない。当たり前に手間暇かけて人づきあいができるのに、わざわざその手間暇を省略する時代を「便利」とい言葉で糊塗しているですね。人間関係は希薄だとか、孤立を強いられているという不平や不満は、スマホを捨てれば、一気に解消されるとは言わないけれど、そうすれば改めて、他人と生身でつながって生きているのが当然(健康)と思われてくるはず。問題は人との付き合いであって、機器を通しての「付き合い」ではないですよ。

 ぼくらの生活の中には、縄文時代もあれば、奈良時代、鎌倉もあれば室町も。江戸時代など家の中にも頭の中にも詰まっていますよ。古いから、不便だからとあらゆるものを捨ててしまうなら、確実に「自らの歴史」は失われる、消されてしまう。いい悪いではなくいうことです、唐突に聞こえますか、蟻や蝶々に歴史があるでしょうか。歴史を実感しない生き方は、それだけ生きる本能が確かだからであって、その「本能」が軟(やわ)になり、その剥き出しが忌避されるようになって、その代用になったのが、人間の生み出す「文化(工夫)」「文明(科学と技術)」というものだった。その一面(便利さ)(効率性)のみに依存しきると、人間は落ち着いて、つまりは自分を失わないで、じぶんらしくは生きていけなくなりますね。

 「嘘だと思うなら、猫に訊いてみな」と、ぼくは猫から学んでいる。彼らは「完全キャッシュレス」「スマホレス」で生きているんだからね。友だちとしても、実に爽やかで厳か、身が引き締まるんですよ。

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日々に過ぎ行くさま、かねて思ひつる…

 本日は短く、手短に駄弁りましょうか。「簡潔にしてなお要領を得て」、それはぼくには難しい課題であり、それがうまく出来果(おお)せていれば、ぼくの人生(生き方)はもう少しちがったものになっていたかもしれない、と考えるのは間違いで、「簡にして要を得て(実際には、それは矛盾律みたいな)というのは念願ではあっても、現実には過ちの繰り返し、悔いの連続で人生は終わるのが「オチ」でしょう。いつのころからか、ぼくは「まあ、人生はこんなところやね」という諦念というか、覚悟みたいなものができたと思う。恐らく四十(不惑)を過ぎてからだったか。以来、他人とは競わない、偉くなりたい(地位や月給を多く得たい)とは考えない、「身の程を知れ」ということ、そんな素朴な生き方が重きをなすようになってきたのです。わざわざ、そんなこと(分に過ぎた生き方)に思い煩うこともなかったのは、自らの才能(知識ではない)の乏しさ、品性下等に気が付いたからでした。

 キリスト教の信者ではなかったが、「地の塩、世の光」になるような、なっているような人に激しく憧憬の念を抱いた。詳しくは書かないが、駅頭や繁華街の脇道に、「木製のポスト」を設け、その中に聖書の一節のような「小文」と、電車賃には足りる程度の「小銭」を常に用意していた人を知ったからでした。「どうぞ、ご自由にお使いください」その人は千葉県の市川に住んでいたキリスト教徒の小説家だった記憶があります。赤貧洗うが如き生活苦に喘ぎつつ、その最後は壮絶な死を迎えたと知った。その時以来、ぼくは「貧者の一灯」という語を大切な「志」のように堅持しようとしてきました。「長者の万灯」の前には、間違いなく光を失う、そんなささやかな心掛けを黙って持ち続けたいなという、ささやかな「覚悟」でした。心身の貧者であることを隠さないこと。

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 ぼくは高校生時代から吉田兼好さんを読んできた。在学していた高校の地が、兼好さんの散歩道だった気がしたからでした。彼は若いころには人並みに立身を願い出世を目指したが、目的を達せず曲折を経て、出家の真似事をするような生活を送る。その中で書き残されたのが「徒然草」でした。これまでに何度読んだか、読むたびに兼好さんが成長、いや臭(くさ)みや世知辛さが消えていくのがわかるように感じた。人生に「諦め」がついたということだったかもしれません。名を得たい、金が欲しい、人に褒められたいなどという塵のような穢れ(汚れ)が、兼好さんから消えて行く気がしたのは、ぼく自身が(もちろん、自らの無能を自覚したからだが)他人に自らを売り込むような人間ではないことがいやになるほどわかってきたからでした。

 卒業生で各地の小中高の教員になる人がたくさんいました。その人の誰かれなく、偉くなろうと考えない方がいいね、月給が高くなることは望まない、世間の評判に気を使わないように、なによりも「教室(現場)」を大事にしてほしいな、…。自分自身がができないのに、そんなことを言い続けてきた。もちろん、他人の人生の邪魔をする気はなかった。まあ、「兎と亀」なら、兎よりは亀になりたいという気分でした。「向こうのお山のふもとまで、どちらが先に行きつくか」というのではなく、あわてず騒がず、自分の歩調と歩幅で歩こうではないですか、そういうことだったと思う。どんな時でも「競争」から下りることに躊躇しませんでした。

⦿ ひんじゃ【貧者】 の 一灯(いっとう)=貧者が苦しい生活の中でやりくりして神仏に供える一つの灯明(とうみょう)。金持の供える万灯よりも尊く、功徳があるとされ、まごころの尊いことのたとえにいう。長者の万灯より貧者の一灯。
[初出の実例]「それは全体から言へば誠に僅かな貢献ですけれ共、所謂貧者(ヒンシャ)の一燈(トウ)でそれ丈けの富は作って居ります」(出典:国民経済講話‐乾(1917)〈福田徳三〉六章)(精選版日本国語大辞典)
⦿ ち‐の‐しお〔‐しほ〕【地の塩】= イエス=キリストの教え。神を信じる者は、腐敗を防ぐ塩のように、社会・人心の純化の模範であれとの意。模範や手本のたとえ。(デジタル大辞泉)

 そして兼好さんの簡にして要を得た「生き方の流儀」の見本です。解説は無用でしょう。ぼくの持つ、第一の心得は「今日できることは、明日でもできる」だった。<must> ではなく、<may> で行こう。「日々に過ぎ行く様、予て思ひつるには似ず。一年の中も、かくの如し。一生の間も、またしかなり」そういったからと、いい加減でいいというのではないのは、もちろんです。そこに、ささやかな「地の塩、世の光」に近い志があるといい、それがぼくの「生き方の流儀」になるといいと願ってきたのでした。だけれども、「日暮れて、道遠し」ではありますね。「人生は不定(定めなし)(定まらず)」と思い定めていれば、何とか一日をやり過ごせる気がするだけですが。

「今日は、その事を成さんと思へど、有らぬ急ぎ、先(ま)づ出で来て、紛(まぎ)れ暮し、待つ人は、障り有りて、頼めぬ人は、来り、頼みたる方の事は違ひて、思ひ寄らぬ道ばかり叶ひぬ。煩はしかりつる事はこと無くて、易(やす)かるべき事は、いと心苦し。日々に過ぎ行く様、予(かね)て思ひつるには似ず。一年(ひととせ)の中(うち)も、かくの如し。一生の間も、またしかなり。
 予てのあらまし、皆違(たが)ひゆくかと思ふに、自づから違はぬ事もあれば、いよいよ物は定め難し。不定(ふじょう)と心得ぬるのみ、真(まこと)にて、違はず。」(「徒然草 第百八十九段」) 

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「全ての被爆者に贈られる」賞か?

 医学賞や化学賞を受賞したならいざ知らず、日本被団協という「被爆者団体」のノーベル平和賞受賞は手放しで喜ばれるべきなのかどうか。いくつもの報道を見ていて、この問題(疑問)を指摘するものが何一つなかったことにぼくは大きな不審(不信)というか、違和感を持った。自然科学部門における発明や発見が、ある意味では人類の、あるいは地球の未来に積極的な貢献をなしたとされるなら、その「貢献・功績」に対して、誰かが、どこかが顕彰することは構わないでしょう。ぼくは被団協の方々の積年の運動継続の意義を認めることに対して、またその運動に連なる人々の持続する志に対して畏敬の念を抱くことについては人後に落ちないつもりです。しかし、現実に「核爆弾(原水爆)」は大きな武力・軍事力としてこの世界に脅威をもたらしており、時に、狂気の権力者たち(PやKなど)が核の脅威を武器にして侵略や攻撃を仕掛けている時代です。仮に、地球上の核爆弾がすべて放擲され尽くした段階(核廃絶)で、それをもたらした被団協の方々の多大な功績に報いるという意味での「授賞・受賞」には深甚の意味があるでしょう。

 少なくとも、現段階で「平和賞」受賞を云々すること自体、多くの人々には不謹慎だと思われるかもしれない。でも、この数年間の「平和賞」受賞者の、その後の軌跡を追うなら、権力側からの追放や拘束をさらに受けて、なお一層の人権侵害が続いているのだ。一片の「褒章」が、このような人権蹂躙に向かってなす術を持たない状況をなんとするか。誤解されること請け合いだから、ぼくは弁解めいたことは言わない。被団協の授賞・受賞に異議を唱えるのではない。問題は、その核廃絶活動とは別の問題として、多くの核保有国は、核爆弾をさらに戦争の有効な武器とする姿勢を崩していないという現実に、ぼくたちは目をつぶることは許されないのだ。国連安保理国は、これについて何をしたか。どうぞ廃絶運動は勝手におやりなさい、「平和賞」でもなんでもあげましょう、でも、核保有は断じて止めないからという、この状況を「ノーベル賞委員会」は是認しているのか、日本政府は明らかにそういう表明をしている。(「首相」「官房長官」という汚れた椅子に座る人物の「発言」はあからさまな「二枚舌」だ。後掲記事参照)

 「核兵器禁止条約」そのものに背中を向けつつ、「唯一の被爆国」を売り物・見世物にしている政府の薄汚い「アメリカ一辺倒」が、被団協の崇高な活動に唾をかけている。「なぶりもの」にしていないか。当たり前のこととして、内閣官房長官は米国の拡大抑止を確保しつつ、『核兵器のない世界』に向かって努力することは、決して矛盾するものではない」と、辻褄の合わぬ寝言を(真面目ぶって)発言する。「受賞は目出度い」「核保有は諦めない」と、まるで「二枚舌(double-dealing)」の見本です。「矛盾したことをいうこと。うそをつくこと」が、二枚の舌の役割。「閻魔さんがいない」のが悔しいね。彼らの本音は「核を持ちたい」であって、「唯一の被爆国」を、にもかかわらず「看板」にしているという破廉恥です。被団協という団体を看板(生贄・いけにえ)にし、見世物にし、そして、その「存在」の価値を貶めているのだ。

 受賞に当たっての田中熈巳さんのスピーチをぼくは静かに聞いていた。「核は人類とは共存できない」「共存を許してはいけない」という肺腑の言を聞き過ごすことができるのが権力者です。そんな権力者の尻馬に乗って、当たり障りのない言辞を弄している、「たちば✘(N党)」程度にしてやられる「新聞」などのメディア崩れ。いまや存在すること自体が悪徳・恥じだというべき段階にあるでしょう。珍しく、五紙の「コラム」を引用しました。まるで「(著名人死亡)予定原稿」のような書きぶりに、ぼくは言いようのない悲しみと背筋の凍る思いを覚えている。中でも長崎新聞の「智」さん。いつも教えられるばかりの記者だと、ぼくは敬意を払っていますが、この「記事」の最後はいただけないどころか、どういう意味か、改めて説明してもらいたいとさえ言いたのだ。「〈強く、負けず、共に強く生きた〉全ての被爆者に贈られる賞だ」と。核爆弾に被爆したから「贈られた」というのですか。そんな「賞」があるものか、あってたまるか。「被爆で死に、被爆に負けた、そんな被爆者」ではなく、「生き残ったすべての被爆者」に贈られる賞とは、なんとえげつない賞なのか、いったい、それはどういう意味か。長崎の人よ、こんな記事、わけのわからんコラムを書いてどうします。

 「核廃絶の運動を次の世代がつないでほしい▼授賞式があったオスロで多くの人々が、たいまつを掲げてパレードしていた。夜空を照らす灯に未来へつながる希望を感じた」(「卓上四季」)
「子どもの目に映る戦争や兵器、絶望的な状況。私たちはいつ、消し去れるのだろう」(「天風録」)
「(核廃絶を目指す団体代表理事、高橋悠太さん)24歳。中高生の頃、被団協の代表委員だった故坪井直さんの証言を冊子にまとめた。坪井さんは「頼んだよ、若者」と握手したという」(「小社会」)
「被団協に昨夜、ノーベル平和賞が授与された。〈強く、負けず、共に強く生きた〉全ての被爆者に贈られる賞だ」(「水や空」)
「核の出現で極まった「力の文化」を終わらせねば。核と人類は共存できない―。そう訴え、核実験のたび抗議の座り込みをした。隻眼で至った思想をさらに広げる時だ」(「斜面」)

(以下参考資料)

【卓上四季】たいまつを熈つなぐ ひと言ずつ、かみしめるように語りかける。20分間を超える演説は静かなさざなみのように世界へ広がった。ノーベル平和賞の授賞式。日本被団協の代表委員、田中熙巳(てるみ)さんのスピーチだ▼長崎の中学生だった13歳のとき、原爆の真っ白な閃光(せんこう)に驚愕(きょうがく)したこと。奇跡的に助かったものの、大切な身内を失ったこと。美しい港町が黒く焼き尽くされ、人々がむごたらしい死を強いられたこと。「たとえ戦争といえども、こんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけない」▼核の脅威に話は及んだ。地球上に1万2千発もの核弾頭が存在し、4千発はいますぐにでも発射できる。広島、長崎をはるかに上回る被害が生じる可能性があり、世界のだれもが関わりうるのだ―と▼三たび核兵器を使ってはならない。このおきてを被団協は長年、示し続けてきた。にもかかわらず核の脅しを口にする指導者が現れ、世界に危機が迫る。恐怖で身がすくむが、「決して諦めてはいけない」。ノーベル委員会トップの言葉だ▼92歳になる田中さんは訴えた。被爆者の平均年齢が85歳になり、10年先には直接体験の証言者は数人かもしれない。核廃絶の運動を次の世代がつないでほしい▼授賞式があったオスロで多くの人々が、たいまつを掲げてパレードしていた。夜空を照らす灯に未来へつながる希望を感じた。(北海道新聞・2024/12/12)

【天風録】目に焼き付いた戦争 関心が薄れていた人も多いだろう。シリア情勢に。アサド政権が崩壊した。半世紀以上続いた独裁体制。それを反体制派があっという間、10日ほどで打ち倒す。ロシアやイランから政権への軍事支援が薄れた隙を突いた▲「うれしいが同時に恐ろしい。何が起きるか」。市民は話す。独裁者は去ったものの、周辺国の思惑も絡み、国の先行きは見えてこない。長い内戦に、イスラム国の介入もあった。住民も国土もすっかり疲弊している▲「爆撃と戦争しか記憶にない」。命からがら逃れた難民も多い。昨年2月のトルコ・シリア大地震で両国の子ども700万人が被災した。内戦に災害。子どもたちが気がかりだ。瞳に映ってきたのは何だろう。大勢が憎み合い、殺し合う光景ではないか▲ノルウェー・オスロの会場に、被爆者による「原爆の絵」が並ぶ。日本被団協のノーベル平和賞受賞に合わせて。あの日、被爆者の目に焼き付いた光景である。数え切れぬ遺体、電車の乗降口で黒焦げになった母子…▲「貧者の核」がシリアには残されているらしい。開発費の安い化学兵器のことだ。子どもの目に映る戦争や兵器、絶望的な状況。私たちはいつ、消し去れるのだろう。(中國新聞・2024/12/11)
【小社会】頼んだよ 古い本紙の記事を検索していると、高知県に住む被爆者の証言に出合う。手を止めたのは1975年の特集。まだ戦後30年。被爆者は若く、証言は生々しい。
 兵役で広島にいた40代男性らさまざまな人がいる。長崎出身で後に捕鯨船の船員だったご主人と結ばれ、高知市に住む女性も45歳。被爆時の地獄を語る。「人がものすごい格好で歩いていた。髪も服も焼けて男か女かわからない」「目玉が飛び出し、それを手で押さえている人もいた」
 被爆者は戦後も健康への不安や差別に苦しんだ。女性はこうも言う。「友人に死産した人が多い…子供は断念せざるを得なかった」
 80年、当時の厚生相の私的諮問機関が打ち出したのが「受忍論」だった。戦争被害は国民が等しく我慢すべきだとし、国家補償を否定した。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は核兵器の廃絶と国家補償を運動の柱に、傷ついた心身をさらして証言を続けてきた。
 被団協にノーベル平和賞が授与された。ただ、来年は戦後80年。被爆者の平均年齢は85歳を超え、全国で活動は岐路に立つ。核の使用をちらつかせる指導者が現れた世界。地獄と受忍を強いられる人々を再び出してはならない。
 過日、核廃絶を目指す団体代表理事、高橋悠太さんの記事があった。24歳。中高生の頃、被団協の代表委員だった故坪井直さんの証言を冊子にまとめた。坪井さんは「頼んだよ、若者」と握手したという。(高知新聞・2024/12/11)
【水や空】ノーベル平和賞 長崎が11回目の原爆の日を迎えた1956年の8月9日。本紙の前身の長崎日日新聞は19歳の女性被爆者の服毒自殺を社会面で大きく報じている。将来を誓い合った相手がいたが、2人とも原爆で重傷を負い、長く治療が続いていた▲結婚はお互いの体がもっとよくなってから-と母親に諭された彼女は「私たちにそんな日が来るのだろうか」と思い詰め、自ら命を絶った。凄絶(せいぜつ)な核の惨禍を生き抜いた。だが、生き抜いたがための苦悩が、この街のあちこちにあった▲仲間に遺した言葉はこう結ばれていた。〈心から強く、何事にも負けず、共に強く生きて下さい〉。日本原水爆被害者団体協議会(被団協)は報道の翌日に長崎で産声を上げた▲結成宣言は悲痛な叫びで始まった。〈あの瞬間に死ななかった私たちが…今日までだまって、うつむいて、わかれわかれに、生き残ってきた私たちが、もうだまっておれないで/てをつないで立ち上がろうとして集まった大会なのでございます〉▲〈私たちの体験を通して人類の危機を救う〉-その決意を68年後の世界が受け止めた。被団協に昨夜、ノーベル平和賞が授与された。〈強く、負けず、共に強く生きた〉全ての被爆者に贈られる賞だ▲あの日から2万8978日。長崎は「最後の被爆地」であり続けている。(智)(長崎新聞・2024/12/11)
【斜面】隻眼の思想を世界に 英国の山荘に日本からヒバクシャが訪れた。1957年夏。56歳の哲学者、森滝市郎さん(1901~94年)である。前年に発足した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の代表委員で、後に初代理事長となった反核運動の牽(けん)引者だ◆迎えた老紳士は55年、アインシュタインら著名な科学者らとともに核廃絶を訴える宣言をまとめた哲学者バートランド・ラッセル(1872~1970年)、85歳。2人は核と人類の未来について語り合った。そのやりとりを森滝さんが書き残している◆ラッセルが聞いた。広島の人々は米国への恨みや憎しみが強いか、と。「事柄があまりにひどいので、恨むとか憎むとかいう感情よりも、こんなひどいことがまたとあってはならぬという気持ちの方が先に立つ」。その返答に感銘を受けたラッセルは日本での運動の成功を願った◆森滝さんと歩んだ人々はきのう、ノーベル平和賞授賞式で「ノーモア・ヒバクシャ」の願いを世界へ伝えた。同じ日、林芳正官房長官は「抑止力を維持、強化する大前提に立ち核兵器のない世界に取り組む」と言った。核の力を前提とする今日を省みず◆原爆で森滝さんは右目を失明した。気の毒がるラッセルに「平和への道はかえってよく見えるようになった」と言った。核の出現で極まった「力の文化」を終わらせねば。核と人類は共存できない―。そう訴え、核実験のたび抗議の座り込みをした。隻眼で至った思想をさらに広げる時だ。(信濃毎日新聞・2024/12/11)

(☚「二枚舌」首相です」 「石破茂首相は11日の衆院予算委員会で、来年3月に米ニューヨークで開かれる核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加を巡り「参加国が会議で、どのような主張をしたのか検証しないといけない」と述べた。参加の是非は明言しなかった。(中略)/締約国会議に米欧の核同盟、北大西洋条約機構(NATO)加盟国のドイツがオブザーバー参加しているのを念頭に「『核の傘』を提供されながら参加している国の主張と、会議の流れがどうなったかを検証する」と述べた。検証の期限は定めないとした。日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞に関しては「本当に素晴らしいことだ」と語った」(共同通信・2024/12/11)

 「林芳正官房長官は11日の記者会見で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中熙巳代表委員がノーベル平和賞授賞式で核兵器廃絶を訴えたことに関し、「米国の拡大抑止を確保しつつ、『核兵器のない世界』に向かって努力することは、決して矛盾するものではない」と強調した。/林氏は、石破茂首相と被団協メンバーの面会を調整していくと説明。田中氏が原爆犠牲者への国家補償を求めたことについては「戦災で亡くなった方と同様に給付などは行っていない」と述べるにとどめた」(時事通信・2024/12/11)(☛も「二枚舌」官房長官だ)

 (「政治家は嘘つきだ。嘘つきは泥棒の始まり、と世間では言われる。つまりは政治家は泥棒だ、ということさ」世の中には、まるで「政治家」しかいないみたいやね)

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桃李不言 下自成蹊(夢のごとき話)

 このところ、各国で軌を一にするような「政変」「政情不安」が生じています。それぞれにいかなる連携もないものと思われるが、「権力腐敗」が看過できないところにまで来ているのかもしれません。傷口が化膿し、ついには皮膚が破れて「膿」が溢れ出すように、腐敗菌を隠しおおせなくなった段階にあったということかもしれません。吹き出た化膿菌・腐敗菌は、さらに別の政治家の傷口に湧くのでしょう。際限のない「傷のなすりつけ合い」、それこそが政治なんだと数多の「当人たち」は広言しているかのようです。おのれの利を図る、それが政治というものだと世を憚らない振る舞いに、有権者(国民)は呆れもし落胆もし、それがまた、不埒な政治家面(づら)が蔓延る原因となる、この繰り返しが「政治の歴史」だと、言われているようです。

(ヘッダー部分の漢詩文)「余(よ)、李将軍を睹(み)るに悛悛(しゅんしゅん)として鄙人(ひじん)のごとく、口、道辞(どうじ)する能はず。死するの日に及び、天下、知ると知らざると、皆為に哀しみを尽くす。彼の其の忠実の心誠に士大夫(したいふ)に信ぜらるればなり。諺に曰はく、『桃李言はざれども、下自ら蹊を成す』」と。

 (「悛悛として鄙人のごとく」とは、「誠実謙虚で、まるで田舎の人のようで」、です。「口、道辞する能はず」というのは、「べらべら喋ることはせず」でした。「士大夫」は智者。その昔には、こんな人が、あちこちにいた、今だって、きっといるんでしょうね、どこかに)

 コラム「水や空」は最近の「政治腐敗」「政情不安」の状況を端的に語っている。それに触れる前に、「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」(「陳渉世家」「史記」所収)という故事について駄弁ります。「燕雀」とは「ツバメやスズメ」、つまりは小人のこと、「鴻鵠」とは「オオトリとクグイ」のこと、どちらも大きな鳥(大人の謂い)を指す。陳勝は呉広と並んで「秦」瓦解の魁(さきがけ)をなした人物です。その陳勝に一つに逸話があります。内容は「陳渉少時嘗与人庸耕。輟耕之壟上、悵恨久之曰、苟富貴無相忘。庸者笑而応曰、若為庸耕。何富貴也。陳渉太息曰、嗟乎、燕雀安知鴻鵠之志哉」

 若い時に陳勝は他人に雇われて農耕に従事していた。一休みしながら「俺が偉く(富貴)なっても、君たち(仲間)のことを忘れないでおこう」というと、「雇われ農夫が、富貴を得ることがあるかよ」と嘲りを受けた。その時に陳勝は「陳渉太息曰、嗟乎、燕雀安知鴻鵠之志哉」と。「つまらない人間に、どうして大きな志を持つ人間の気持ちがわかるものか」と嘆いた。後年、陳勝は呉広とともに秦に対する反乱を試み、秦国崩壊の「魁(さきがけ)」をなした、そのことを司馬遷は高く評価した。コラム氏が触れた「「桃李(ものい)わざれども、下自ずから蹊を成す」は、高徳大人の風を余すところなく語っているとぼくには思われます。プラトンに「国家」という大冊があります。いわば「鉄人政治」の理想を語った書として読まれてきました。私心なく、高徳に横溢した「哲学者」が出なければ、望ましい政治などできるはずもないということだったでしょう。最も優れた哲学者が政治を行わなければ、人民の不幸は終わることはないのだ、と。

 韓国の大統領は何を狙って「クーデター」を試みたか。自らの失政と妻の重なる汚職を責められることを潔しとせず、一気に「独裁」「専制」に舵を切ろうとしたのでしょう。何のための権力掌握かと、その狂気に恐れ入ります。シリアはどうか。アサド大統領はロシアやイランの後援・助力を得て、驚くべき圧政を続けていた。父親から数えて半世紀に及ぶ「独裁」政治を恣(ほしいまま)にしていたのです。現代版「朕は国家なり」と、権力の私物化を政治と錯誤していた代表例だったでしょう。彼を模した長大な銅像がなぎ倒され、民衆から足蹴にされる映像が流れていた。大きな「御殿」に棲み、たくさんの財宝を所持し、高価な車を何台も持つこと、それが政治でも何でもないことを彼は知っていたから、この期に及んで盟友プーチンの下に亡命した、家族ともども。人民の安寧・幸福は彼の眼中になかったことは確か。

 「指導者の元に人が集まるのではなく、むしろ人心が離れていくのは、何もこの2カ国に限った話ではない。連立政権が崩壊したドイツ。3カ月で内閣が総辞職したフランス。世界中でガラガラと国の土台が崩れる音が響いた1年…とは言い過ぎだろうか」(「水や空」)と殊勝な物言いをされますが、何のことはない、もともと「人心」にいかなる興味も関心もなかったといえばどうでしょう。「位人を極める」という、その一点にのみ全精力を注ぐことは「小人」のよくなせるところです。国を治めるには知力と有徳が求められることを失念すれば、その後はいかにして「位に居続ける」ということにすべてを集中させるでしょう。「座(くら)に居(い)る」ことが所期の目的ではなかったとしても、いずれはそうなるのだとすれば、人間という入れ物(器)は微小さは驚異的なものがあるでしょう。

【空や水】桃李の不在 中国の歴史書「史記」に桃李(とうり)、つまりモモとスモモを例に引いた一節がある。〈桃李もの言わざれども 下(した)おのずから蹊(みち)を成す〉。モモやスモモは何も言わないが、花や実を慕って人が集まり、その下には自然と道ができる、と▲徳のある人物の元には、おのずと人が集まることの例えらしい。なるほどと思いながら、どこか絵空事のように感じられるのは、誰かを慕って人垣ができるような場面をあまり見ないからだろうか▲いきなり“戒厳令”が出され、解除された韓国の混乱ぶり。いきなり半世紀以上にわたる独裁体制に幕が引かれたシリアの激変ぶり。あっけにとられては「人が集まり道ができる」の例えが、ますます現実離れした理想論に思えてくる▲お隣の国では尹錫悦(ユンソンニョル)大統領に内乱容疑がかけられ、捜査が始まった。シリアで攻勢をかけた反体制派はすなわち過激派で、安定と呼ぶにはまだ遠い。どちらも道らしい道が見当たらない▲指導者の元に人が集まるのではなく、むしろ人心が離れていくのは、何もこの2カ国に限った話ではない。連立政権が崩壊したドイツ。3カ月で内閣が総辞職したフランス。世界中でガラガラと国の土台が崩れる音が響いた1年…とは言い過ぎだろうか▲日本も例外とは言えまい。桃李が“不在”だと、道は開けない。(徹)(長崎新聞・2024/12/10)

⦿ 桃李もの言わざれども、下自ずから蹊を成す ー 徳のある人のまわりには、何も言わなくても、その徳を慕って人が集まってくる、ということのたとえ。[由来] 中国で古くから使われていることわざ。特に、「史記―李将軍伝・賛」で、口べただった李公(りこう)という将軍が亡くなったとき、国中の人たちが悲しんだことを記したあとに、「桃李(ものい)わざれども、下自ずから蹊を成す(桃やスモモは、何も言わなくても、花や実に引かれて人が集まり、自然に木の下に道ができる)」と引用しているのが、有名です。(故事成語を知る辞典)

 東京に「成蹊(せいけい)大学」があります。そのHPに、当然のように「史記」からの当該箇所の引用が解説され、大学の名称の由来が語られている。さぞかし「桃や李」のような、物言わぬ人格者の徳を慕って多くの若人が集うであろうと語ります。ぼくは不勉強にして数多(あまた)の「卒業生」の名を知らないが、ただ一人、なぜだか元首相 A.S. 氏だけは記憶していました。(https://www.seikei.ac.jp/university/landing/origin/)

「成蹊(せいけい)」という名は、
司馬遷の『史記』の
「李将軍列伝 *」に引用された

「桃李不言 下自成蹊」
桃李(とうり)ものいはざれども、
下おのづから蹊(こみち)を成す
からとられた。
・
桃や李(すもも)は何も言わないが、
美しい花や良い香りの果実を
求めて人が集い、
その樹木の下には自然と
蹊(こみち・小道)ができるという
李広将軍その人を讃えた故事である。
・
桃や李は、
人格者であることのたとえで、
そのような人物は黙っていても、
徳を求めて人々が集まってくるという
意味を持つ。
・
「成蹊」の名を掲げて100年余り。
成蹊大学は、
魅力ある人物を育み続けます。

*李広【り・こう】(?-B.C.119年)
中国前漢時代の弓の名手でもあった将軍。

 「桃李不言 下自成蹊」、これと正反対なのが「門前雀羅を張る(もんぜんじゃくらをはる)」です。「《白居易「寓意」から》訪れる人がなくて、門の前には雀 (すずめ) が群れ遊び、網を張って捕らえられるほどである。訪問する人もなく、ひっそりしていることのたとえ」(デジタル大辞泉)。今でいうなら、流行(はや)らない商店街(シャッター通り)のようなものか。スズメさえも寄り付かない寂(さび)れ具合、全国のいたるところにありますね。成蹊大学(に限らず)は「定員割れ」を起こしていないでしょうね。大学が寂れたのは、少子化のせいでもありますけれど、「桃や李」のような有徳の先達(せんだつ・せんだち)がいないから、「下おのづから蹊を成す」ことがなくなったからだ、と言えば関係者に怒られますか。

 ぼくの率直な感想を言うなら、この社会が異様な少子化に見舞われているのは、まさに「門前雀羅を張る」ばかりに、国や市町村が栄える余地を失い、「桃李不言 下自成蹊」という篤実・誠意の政治家が、まったく不在だからだと言えないでしょうか。今時の政治家に「陳勝呉広」や「哲人政治」を求めること自体が、あるいは荒唐無稽、笑止千万と言われるのかもしれない。並みいる政治家諸君が、ただの一個の「桃」「李」たりえないのはなぜかと、ぼくはいつもの長嘆息に落ち込むのです。「燕雀安知鴻鵠之志哉」と絶望しかける陳勝もまた、この社会では「不在」を続けている。この小島社会の政治家は、口を開けば「政治に金がかかる」「政治に金をかける」と言わぬばかりの金権亡者ばかりといいたくなります。国土はいたるところ李の林であり、瓜の畑です。「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」(古楽府「君子行」)といってもなお、冠を被り直し、履のままで瓜畑に入る。挙句には「性欲」を野放したまま、女色を漁る。性欲旺盛な泥棒政治家が鎬(しのぎ)を競っているという自堕落社会。まさに「以ての外(Unbelievable)」といいたくなる惨状にあるのが「邦家政治と政治家」の現在地でしょう。

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