
師走も半ばを過ぎた。年明けから事件や事故が途切れなく起こる、実に慌ただしい一年だった気がする。世間から離れて暮らしているつもりはないからなおさらに、道義が廃れ、人生が勝ち負け、端的に言うと金目の勝負という、実にいやらしい剥き出しの欲望に動かされる、かかるルール無視が横行しているさまを見るに、言いようのない、疲れを覚えてしまうのだ。なんとも手の打ちようがないのは仕方もないけれど、もう少し穏やかに、誰彼に気兼ねなく暮らしていきたいもの。誰もがというわけでもないでしょうが、他人の油げを奪い取る「鳶(トンビ)」が蠢(うごめ)いているようです。
「徒然に日乗」などと気取っているけれど、何のことはありません。思いつくままに、その日の記録と記憶を適当にメモっているばかり。日乗は日記のこと。よく知られているのは荷風さんの「断腸亭日乗」ですね。彼に倣(なら)うつもりはなく、日記と書くのが気恥ずかしかっただけで、「徒然」はつれづれなるままに、つまりはあれこれ思いつくままに、適当に書き記すだけという雑な事の次第です。こと「日記」に関しても、ぼくは立派な「三日坊主」だった。小学校時代に夏休みの宿題に「日記」があったが、まともに書いた覚えはありません。何日かを一気に書きなぐっていた。ぼくは「三日坊主」を自認しているんですが、この「徒然に日乗」には、それが試されたんですね。「三日は続く」「四日目には途切れる」、そんな性癖や悪癖を逆手に取ってやれ、そんなつもりで始めました。

つまりは、「三日坊主」を繰り返したらどうなるか。その結果は、ご覧の通り。こんな恥ずかしい記録や記憶の残骸を他人様にお読みいただこうとは露とも考えていません。ぼくの記憶を維持し、記録をするという作業を自らに課して、いささかでも「記憶力」「「継続力」「注意力」の現状維持を図りたいという、下種の憐み情動の結果がこれでした。そんな他愛もない雑な仕事でしたが、思わない発見がいくつもあった。夜になって、「朝、何を食べたか」が思い出せないのは四六時中です。そのことがいきなり出したという点です。毎日、何の記録も記憶もなしに過ごしていると、そんな些事すら見いだせなかったでしょう。一日が経過して、昨日はどう過ごしたか、皆目手がかりがないのにも驚愕したのはしばしば。「そんなことでええんかいな」という仰天を感じたまで。「記憶力の衰え」を多くの人は言いますが、どんな事柄に関してでも、その「記憶」を維持するためには、それなりの手法が求められる、そんな当たり前の真理(大袈裟ですね)を知りえたのですね。
本日は「何月何日何曜日」を、そのまま丸暗記してどうするのと、ぼくは再確認している。「シェ-クスピアはイギリスの作家。作品にはなになにがある」と、読みもしないで棒暗記。ゲーテもしかりで、試験に出るから名前やその他は覚えるけれど、内容は空無。こんなことばかりを、今でも学校ではやってるんじゃないですか。空しいし、無意味だし、時間と能力の浪費。今さらに、ぼくは学校教育の非情さ・いい加減さを再発見しているのです。少なくとも、記憶力の保持(把持)には「脳細胞」にかけておく(しまっておく)手間がいる。その記憶が途切れないうちに、自分がしたり感じたりしたことを記録する。それだけの事を、ぼくは、自分の老化の進行を遅らせるためだけにやっている。誰かに読んでいただきたいとは、いささかも思わない。そんないい加減で極めて個人的な「思考(試行)」ですけれど、効果があるのかどうか、ぼくには判らないな。効果を当て(目標)にしてやっているのではないからです。

(若いころにかじった「心理学」では、しばしば「記憶」と「記憶力」について理屈を考えたものでした。何かの本を読んで、その内容を覚える(記憶する)というのはカメラの「印画紙(ネガフィルム)」に写し取るようなもので、それを現像して映っているものを取り出す(陽画紙・ポジフィルムに写す)ようなものだと学んだ、それこそが「記憶」する力のメカニズムであるでしょう。つまり日々の出来事を「記憶」するのですね、誰も。「認知症」に罹患している人も「記憶」しているのは確かでしょう。でも、その映しておいたものを取り出す(記憶を呼び出す・再現する)作業に支障があると、取り出せない(思い出せない)ということになりますね。記憶する力はあっても、記憶したものを取り出す力がないか、きわめて弱くなっている状態、多くの場合、それを「認知症(dementia)」というのではないでしょうか。どうすれば、「思い出す力」を保持できるか、それが問題だと思う。脳細胞が壊れてしまえば、手に負えなくなる。これも程度問題で、誰だって、目に映し、耳に聞こえるものは、いったん記憶野(海馬)に蓄える。でも、時間が経つにつれ、その大部分は忘れてしまう、だから、新しい事柄が覚えられるともいえるでしょう。誰もかれも、健全な「認知症」を患っているから、脳が決定的に破裂しないで生きているのだと、ぼくはいいたい)(人間は、「正しく忘れる生き物」なんですね。「正しくなく忘れる」ところに支障が出てくる)
なにげなく「三日坊主」を好き放題に繰り返すだけですね。「塵(ちり)も積もれば山となる」といいます。しかしどんなに積もっても「塵は塵」ですよ、何らかの利益や効果を期待するのは、一種の頽廃、あるいは堕落かもしれませんね。人間は、自分のすることに対して、他人の「承認」「評価」を求めたがるんでしょうか。ぼくにはその感情は希薄ですし、ときには、下手に評価されるとがっかりする。何冊か本を書いたり、何本か論文を書きましたが、そんなものでも「いい本だった」「凄いね」といわれて、「あなたにそういわれるとがっかりする」と感じたことは何度もあります。あの人・この人に評価されるようでは、ぼくはまだまだダメなんだな、と。

これは自慢話と取られたくないのですが、とはっきり断っておきます。「評価」に関して、勤め先でいくつかの経験をしたことがありました。給料を貰いだしたのは25歳過ぎからだったが、担当授業もなく気楽なものだった。ずっとこの状態がいいなと、研究には身を入れないで、まあ遊んでいたら、指導教授に「首にする」と断じられた。「先生から給料を戴いていませんので、その件は教授会で諮ってほしい」と申し出たら、沙汰止みになった。「教授にするから、履歴書を書け」と言われて、「今のままでいいので、書きません」と(推薦人が気に入らなかったので)、我を通して軽蔑された。「博士」にするから申請書類を書けと勧められたが、ついに断り切った。少し早めに退職したら「名誉教授に推薦します」と同僚たちから求められたが、「そんな恥ずかしいことは断ります」と伝えて大騒ぎになった。世間並みに「身を飾る」のが嫌でしたね。メダルや賞状を貰うという趣味がなかったのだ。
つまり「評価される」というのは、ぼくにとってはけっしていいことではないのだ。評価の中身と評価者の能力・人品が釣り合っていないと、その「評価」は歪んでしまう、そんな感覚を一貫して持ってきました。友人の一人から、「君がこんなところ(大学)に居るのは奇蹟だ」と「褒められ」たことがある。彼(宗教思想研究者)は、「自己評価(プライド)」は相当に高く(つまり、自分に甘いということ)、「評価を求める衝動」の強さもかなりのものだった。以上、バカ話を、寒さ凌(しの)ぎにしてみました。
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「卓上四季」の「評価」をしてみようと思いましたが、本日は止めておきます。「記者の仕事は拙速であれ」「巧遅は拙速にしかず」、どちらも一考に値しますね。ことは新聞の存廃にかかわるような時代になっているからなおさら、「書くこと」と「報道すること」の間に埋めようのない裂け目がある気がして、なかなかの大問題たなと痛感しているのです。

つい先(二カ月余り前)だって、「共同通信」の誤報記事配信問題がありました。担当責任者は更迭されたようですが、どうしてこんな誤りが起ったのか、同社はつまびらかにしていません。いずれ報告されるのでしょうか。生稲晃子参議院議員が「外務政務官」に就任した際に、彼女は2年前に「靖国参拝」をしていたという記事が配信された。誤報だとわかったが、その配信記事を受けた各新聞社は、事の経過を含め、「誤報掲載」について、事態を明らかにする態度を示したのかどうか。誤報は配信社の問題で、自社には無関係と言い逃れ用としているとは思わないのですが、ぼくは、この「誤報配信・記事掲載」問題にも大きな関心を持っている。「報道に携わる全ての者は訂正根絶へ不断の覚悟を持とうと、まず自分に言い聞かせたい」という姿勢は殊勝ですけれど、どこか心構えにおいて緩んでいる気がする。共同通信という配信会社の記事(一種の「伝聞」「デマ」)をそのまま載せて、いかなる痛痒も感じていない風儀や風潮は、ぼくには理解できないんですね。これは「拙速」ではなく、「拙劣」そのものです。「靖国参拝」をどの社も、議員本人に確認しなかったのは、「みんなで間違えれば怖くない」という堕落街道の「信号」を渡ってしまったというころでしょか。
【卓上四季】拙速でも正確に 原稿が書けずに苦しんでいた新人時代、デスクに指導された。「記者の仕事は拙速であれ」。拙速? あまり良い意味では使わないが、広辞苑にこうある。「仕上がりはへたでも、やり方が早いこと」▼名文を書いても締め切りを過ぎれば無に帰する。へたでも時間内に出せとの趣旨だ。拙速の反対語は巧遅(こうち)。「巧遅は拙速にしかず」ともいう▼ただしこの場合の拙速に、不正確でもいいという意味は一切なかった。迅速性と正確性の両立は報道の使命。時間がなかったという言い訳は通用しない▼とはいえ人間はミスをする生き物。本紙を含め新聞には時折訂正記事が載る。さまざまな防止対策を重ねているが、残念ながらなくならない。かくいう当方も過去に何度か痛恨の訂正を出した▼2年前の終戦の日に自民党の生稲晃子参院議員が靖国神社を参拝したと配信した共同通信の誤報は本紙も掲載していた。原因はよくある単純な確認不足だが結果は重大だった。韓国との外交に影響を与え、共同の編集局長らが更迭された▼SNS上での誹謗(ひぼう)中傷やデマ、真偽不明の情報が選挙結果を左右する時代になった。無論真実を伝える投稿も少なくないが、新聞は信頼をつなぎ留めるために踏ん張りどころだ。報道に携わる全ての者は訂正根絶へ不断の覚悟を持とうと、まず自分に言い聞かせたい。(北海道新聞・2024/12/16)

ただ今午前7時。朝焼けがやたらに美しく、それに見惚(と)れてしまって内容浅薄な、いつも以上に浅薄な駄文を書いてしまいました。(下手な弁解ですね)乞う、ご寛恕を。「七十二候では『鱖魚群(さけのうおむらがる)』となりました。鱖魚(けつぎょ)は中国で高級魚として知られるスズキ科の淡水魚ですが、日本にはいない魚なので、同じように川を群れて遡上(そじょう)する鮭をあてて、日本では鱖魚もサケと読ませています。」(「暦生活」:https://www.543life.com/content/seasons24/post20241216.html)
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「徒然に日乗」(596~602)

〇2024/12/15(日)終日自宅内に。今朝は午前一時前に起こされ、それから寝ないで過ごす。深夜・朝方は結構寒い。猫たちは、それとは無関係に外に行きたくなるようだ。トイレもあれば気分転換も必要だろう。帰ってくる子もいるので、戸を閉めて寝るわけにはいかない。そんな夜中、普段かまってやれない子が膝の上で一休み。それぞれに好き嫌いや癖があるようで、人間とまったく変わらない。ここにきて、猫との共同生活は6年目に入っている。怪我が多いが、木や竹の群れに囲われている環境だから仕方がない面もある。いずれにしても、けがや病気が大事に至らないように暮らせることを願っている。(602)
〇2024/12/14(土)お昼に買い物、茂原まで。本日も人出はたくさんあった。年末でもあり、土曜日、それに本年最後の「年金支給日」だというから、なおさらか。このところやたらに老齢夫婦の姿が目に付く。そういえば、拙宅は猫が来てからはまったく夫婦で出かけることはなくなった。必ずどちらかが在宅するようなっているのだ。何かと買ったが、値段が張るのには驚くばかり。▶今日長岡の姉に連絡。昨日の戴きもののお礼を。訊くところによると、姉夫婦に、やがて曾孫ができるという。結婚以来63年か、それ以上らしいから当然か。姉夫婦は二人とも早くに結婚している。それにしても長く元気で結婚が続いているのだから、感心するばかり。▶韓国大統領の「弾劾訴追」が決定。大統領の職務が停止され、後は憲法裁の判断を待つのみ。いずれ「失職」するはず。ここに来ても、いったいどうして「非常戒厳」なのか、おそらく第一の理由は、妻の「汚職疑惑」を未然に防止するためだったろうと思われる。堕ちたものだ。(601)

〇2024/12/13(金)朝の冷え込みが厳しい。室内でも10℃以下。油断大敵、風邪にはよほど注意していないと大事になることもある。▶昼前に買い物で茂原まで。どいう理由か、ショッピングセンターが大混雑。歳末だからなのか、これまでで最も混雑していたようだ。それでも昔の住まいの近くのスーパーの混雑度から比べれば、たかが知れている。いつも感じるのだが、年寄りの二人連れ(夫婦か)がやたらに多い。子どもは学校に行っているから少ないのか、少子高齢化は街中のスーパーにも出現しているのだ。▶京都の姉から戴きもの。明日にでもお礼の電話をするつもり。▶シリアの独裁政権がいとも簡単に崩壊した。大統領は国外脱出、旧友ロシア大統領の側へ。それにしても、何年続こうが、腐敗した権力は、限りなく堕落を重ねるし、その堕落に手を貸す輩もまた、腐敗の極み。結局は国を亡ぼすのだから、権力亡者にはなす術がない。どんな権力も腐る、これは例外のない歴史事実だと思う。▶韓国の「独裁狙い」権力の行方は、今や風前の灯火だ。(600)
〇2024/12/12(木)早朝、6時半にゴミ出しに。車内は-3℃、軒天井のある場所に駐車している車。本格的な冬の到来かと思ってしまう。日中は好天が続いている。もう三週間以上も雨が降らないのだ。湿度も30%近くまで下がっているので、各地で火災が続いている。▶昼前に洗濯し、物干しに干すのだが、もう日が陰りだしている。それだけ、家の周りの樹木の枝葉が伸びている証拠。寒くなる前に枝下ろしをしたかったが、何ともやる気が出ないままで、今に至っている。▶昼直前に買い物に茂原まで。昨日のニュースでは茂原のスーパーの近くで「猿(サル)」が出没したとの報道。また市内の高校のグラウンドに猪(イノシシ)が出没とも。街中が野外・サファリパークのようで、さまざまな野生動物の遊び場兼食料確保の場所になりつつあるのか。何のことはない、もともとは彼や彼女たちの生活の場を、後から来た人間どもが「開発」と称して勝手に家を建て、道路を作って住みだしただけのことだ。(599)

〇2024/12/11(水)午前中に京都にいる甥(兄の長男)の勤め先に電話。何十年振りかで、「生の声(ライブ)」が聴けた。私立京都芸術大学の教員。▶夜の9時ころ、十年ぶりくらいで兄と話すことができた。少し「記憶力」が衰えたとは言うものの、元気な声が効けたのが何より。兄は当年88歳だという。昔から「賢兄愚弟」と言われたし、自分でもそう思ってきた。能力の面でも真面目さにおいて、後塵を拝してきた、そんな兄だったと思う。この先、なお元気でいてほしい。▶京都への電話の前に、長野のO君から電話があった。およそ一年数か月ぶりのこと。いまは飯田市内のある施設に入所しているそうだ。訊くと、「不惑」一歩手前だという。少し元気を回復して、もう一度「教壇」というか、教室に入るといいと思うと話した。まだまあこれからの人だ。(598)
〇2024/12/10(火)快晴が続く。少しばかりたまっていた燃やせるごみを焼却する。裏庭の一角に据えられているのが焼却炉で、大谷石を重ねて、自作したものだ。精密に計算したものではなく、文字通りにわか作りだったが、大変に重宝している。植木の剪定や枝落とし、除草などの処分はほとんどはここで焼却している。もちろん、家庭から出る段ボールなどの紙類も燃やしている。大量の焼却量だから、常に掃除をする羽目になるが、これがないとどんなに大変なことだろうか。▶昼前に買い物に茂原まで。このところ連日の買い出し。かみさんの悪癖はいくつもあるが、冷蔵庫をいろいろなもので満杯にする、特に野菜。そのうちに腐敗させて捨てることになる。何度言っても治らないので、辟易している。それを防ぐためにも買い物は面倒を厭わず、小生の役割になっている。冷蔵庫を清潔に適量で使用することに徹底したい。▶先日、二人の姉と電話をしたが、兄と弟の様子が気になっていた。兄とは十年、弟とはそれ以上会っていない。兄の機嫌を知ろうとしても住所も電話もわからないので、息子(ぼくには甥になる)に訊いてみたいと、彼のアドレスがあるかどうかネットで探した。私立京都芸術大学の准教授として掲載されていたが、連絡先は出ていなかった。公立京都芸術大学の卒業生。映像作家だという。友人とコンビで仕事をしていることが分かった。兄は元気だろうか。弟とも音信不通。ぼくより三つ下だ。滋賀県の大津に住んでいるはずだが。▶日本被団協へのノーベル平和賞受賞式が午後九時ころから、現地で開かれている。受賞記念の、田中熙己(てるみ)氏(92歳)の講演が中継されているのを聞いている。「核兵器は人類とは共存できない。共存させてはならない」この当たり前を八十年近く身命を賭して訴えられてきた方だ。(597)

〇2024/12/09(月)午前中にあすみが丘まで、猫缶を購入のため。先週、久しぶりに動物病院にかかったが、何とか「傷」が癒えたような按排で、いまのところはこれ以上行かないことにした。▶少し前からパソコンの調子がよくないのが気になっている。広告ブロックのアプリを入れたこと、あるいは以前に入れていたフリーソフトが影響しているのかどうか。またスピーカーを通して異音がでるのだが、その原因がよく分からない。フリーアプリだからと喜んで取り込むのは考えものだろう。今回、新規に有料のブロックアプリを入れたが、その影響にも気を付けておきたい。現在使用中のハードはおよそ十年近くになるが、本体自体の劣化も考えられる。▶韓国の大統領の進退に関して、辞職は避けられない状況だが、「弾劾訴追」によるのか、あるいは与党による辞任勧告によるのか、それとも本人の辞職決断によるのか、いずれにしても逮捕取り調べは確実だと思われる。検察当局より、取り調べのために大統領の出国禁止措置が取られたという。遠くない時期に「大統領選挙」になるだろう。日韓関係は、誰が大統領になっても、なかなか予断を許さない場面を迎えるに違いない。(596)
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