高校生時代、週に三日も四日も友人と駄弁るために嵐山(右写真)に出かけ、橋を渡って南下流の公園(中之島公園といったと思う)(左下写真)に屯(たむろ)していました。阪急電車の「嵐山駅」のすぐそばには保津川(「➡大堰川➡桂川➡淀川➡大阪湾」としばしば名称が変わる)が流れている。ぼくはこの川に入って「鮎釣り」を楽しんだり、水遊びを楽しんだり。当時はよく知らなかったが、後年、この桂川から明智光秀は京都街区に向かって兵を進めて、京都四条堀川にあった「本能寺」を急襲し、信長を暗殺したしたとされる「本能寺の変」を思いつつ、桂川の流域に思いを馳せていたことでした。現在、闘病中の姉はこの付近(桂離宮北側)に住んでいるので、さらに桂川への愛着が深くなったのでした。(現在の寺町御池(河原町)の「本能寺」(右下写真)は再建されたもの。何度か足を入れたことがあります。狭苦しい一角に建っている)
世に「光秀の三日天下」と言われる政変を経て、事変の急を聞いて駆けつけた秀吉軍に撃ち取られた(「天王山」ともいわれる「山崎の合戦」)。この山崎にもかつては遊んだものでした。山崎には、もう一人の姉がいる(長岡京市)。好きでも嫌いでもないが、この明智光秀には、なぜだか因縁があると言ってもいいかもしれません。本能寺に駆けつける途次、亀山城(保津川(保津峡)の上流の亀岡にあります)にいた光秀は愛宕山頂の愛宕神社に詣で、武運(信長暗殺)成就を誓ったとされる。(左写真の右端が「愛宕山」)
この愛宕山にも何度も駆け登ったものでした。少年時代を懐かしがっているのではありません。「三日天下」と雖も天下人になった光秀が「変」を起こす際に漏らしたとされる「敵は本能寺にあり」という謀反覚悟の一言に興味を持ったのでした。秀吉と並んで信長の信頼篤かった重臣にして、「殿」に弓を引いたのですから、それなりの覚悟と勝算があったと思われます。それが「三日天下」だったといえば、何のことはないというほかないでしょう。いわば、息の根を止められた、その秀吉に「天下人」への道を開いてやったという、歴史の「狡知」「皮肉」を味わうべきでしょうか。
⦿ てき【敵】 は 本能寺(ほんのうじ)にあり(天正一〇年(一五八二)、明智光秀が備中国の毛利勢を攻めると称して出陣し、途中にわかに進路を変え、「わが敵は本能寺にあり」といって、京都本能寺に宿泊中の織田信長を襲ったところから ) 本当の目的は、表面にかかげたものではなくて、実は別のところにあるという意。人々の目をあざむいて、他の目的をねらうこと。敵本(てきほん)主義。(精選版日本国語大辞典)
どうして、こんな歴史のささやかな添え物のような逸話を持ち出したか。「40代の女性行員(懲戒解雇)が安全なはずの銀行の貸金庫から、時価十数億円分の金品を盗んでいた。さらに被害は拡大する恐れもあるという」(コラム「新生」)。この元女性行員が明智光秀だというのではありません。「敵は本能寺にあり」ではなく、「盗っ人は我が銀行内にあり」と叫んだ人はたくさんいたでしょうから、たくさんの「光秀」がいたことになります。つまり、行員の誰かれも、何時か「魔が差す」「逢魔が時」があるという、顧客にすれば卒倒しそうな「安心・安全・信頼」という「砂上の楼閣」に大枚・財物を「全幅の信頼」で預けていたことかという(その怖いもの知らずの度胸に、ぼくは驚く)、令和の「本能寺の変」に、ぼくは、興味ならぬ、人間の性(さが)を思うばかりだといいたいのです。(おそらく、他行においても大小さまざまな「本能寺の変」は知られないままで進行中だと言ったら、どうでしょう。信用や信頼は「金」では贖いえないということを思い出し、銘記すべきですね。
*****
【いばらき春秋】横浜港に程近い馬車道駅を降りると、緑青色のドームが印象的な旧横浜正金(しょうきん)銀行本店本館がある。三菱UFJ銀行の前身で1904年の建築。外壁に桜川市産の真壁石が用いられている▼関東大震災で猛火に包まれたが、地階の保護預品庫は焼失を免れた。「預ケ主ノ貴重品ヲ保管スル所」と記録にあり、日本で最初期の本格的な貸金庫だという。長らく博物館の収蔵庫に転用され、厳重な金庫扉は今も健在である▼明治の世から銀行の信頼、信用を象徴してきた業務を揺るがす不祥事が起きた。三菱UFJ銀の元行員が顧客の貸金庫から金品を盗んだことが発覚。4年半で約60人が被害に遭い、金額は時価で十数億円に上るというから驚く▼貸金庫といえば映画やドラマに登場するのを見るくらいで、秘密めいている。B4の書類が入る箱型が中心で、使用料は銀行によって違うが年間2万円程度。大半の店舗にあり、意外と人気があって空きは少ないらしい▼証書や貴金属、思い出の品などの安全な保管を目的とし、現金の預け入れは想定されていない。しかし、中身は利用者しか分からず、元行員はその盲点を突いた▼全容解明はこれからだが、被害は拡大する恐れも。世間の耳目を集める不祥事である。(山)(茨城新聞・2024/12/19)
【新生】貸金庫窃盗 どんな圧力にも屈しない大手銀行員の活躍を描いたドラマ『半沢直樹』。主人公のせりふ「やられたらやり返す。倍返しだ!」は流行語にもなった▼そのモデルではないかと就任時に話題になったのが、三菱UFJ銀行の半沢淳一頭取だ。というのも、『半沢直樹』の原作者池井戸潤さんとは旧三菱銀行の同期だったため。池井戸さんはモデル説は否定した上で、「同じ半沢同士、日本の金融界に新風を吹き込んでいただきたいものです」とエールを送っていた▼ところが新風どころか、三菱UFJ銀行は金融界への信頼を揺るがす大逆風を引き起こしてしまった。40代の女性行員(懲戒解雇)が安全なはずの銀行の貸金庫から、時価十数億円分の金品を盗んでいた。さらに被害は拡大する恐れもあるという▼「盗人に鍵を預ける」という言葉がある。悪人とは知らずに信用して災いを招くことの例えだが、今回はまさに文字通り銀行が保管していた貸金庫の予備の合鍵が悪用されていた。しかも約4年半にもわたって繰り返されていたというから、開いた口がふさがらないとはこのことだ▼問題が発覚してから、大手行には「自分の金庫は大丈夫か」という利用者からの問い合わせが相次いでいるという。しかし、中身は利用者以外は分からないため、確認には限界があるとされる▼半沢頭取は記者会見で「信頼、信用という銀行ビジネスの根幹を揺るがすもの」と陳謝した。後の祭りではあるが、全容解明と被害の回復には納得のいく対応をしてほしい。(熊本日日新聞・2024/12/18)
この手の「犯罪」に関して、ぼくのような財産や銀行などとは無縁の人間でも、たちまち五件や十件を思い出すことができます。いちいちは出しませんが、やはり「敵は本能寺にあり」という、売り物の「信用・安心」を表に掲げて、何のことはない本能寺の信長ならぬ、「貸金庫の金員」が狙われていた、しかも四年間余も「異変」は続いていたが、誰も気が付かなかった(銀行も顧客も)というのは、ミステリーですね。盗んだ金は「投資」に回していたとされますが、投資先はいろいろで、「馬」もあれば「愛人」もあるのが世の中でしょう。
下種(げす)の勘繰りは止めておきます。事件が発覚したのは幸いでもあり偶然でもあるでしょう。この堕落一途の社会に存在する銀行のことですから、数多の「本能寺の変」も、ありていに言えば、闇から闇に「揉み消され」て来たのではないでしょうか。銀行と雖も、儲け第一の企業。それがが「清廉潔白」であるはずもないと思えば、衰えたりと雖も「金貸し(Moneylender)」です。バブル時代の裏社会顔負けの「本能寺ぶり」は、忘れられない出来事でした。裏社会が表社会でも大手を振って「立ち退き」を迫り、火付け強盗まがいの悪行ぶりで、「鬼平登場」を激しく願ったものだった、札束で頬を叩いていた乱暴狼藉ぶりの、一端も二端も、ぼく如き素寒貧でも知っていましたから。都内新宿の片隅の「十坪の店」が一億円超で売れたと、店主から聴いたことがある。いまでは、かつての「サラ金」は名を変えて手を変えて、大銀行の傘下で「悪行」に励みつつ生き延びている。
ぼくは「40代の女性行員(懲戒解雇)」を問題にしているのではありません。もちろん、彼女は間違っていないなどと「大それた」言辞を吐くのでもありません。「ようやく見つけられたか」「やっと見つかった」と安堵の胸をなでおろしている元行員の胸中を思えば、銀行という「金貸し本業」が、決してお客を大事にしてこなかったし、今もしていないという「冷徹な現実」に改めて注意を払わなければと、わが心を宥(なだ)めすかして、くれぐれも「金」に興味は持たないようにと、「親の遺言」さながらに、小さく薄い胸をさすっているのです。
あまりの大金に、かえって人は「所有感覚」がなくなるものらしいことだけはよく分かりました。MLBのO選手もみずからの通訳者に二十数億円も盗られても気が付かなかった。「金持ち喧嘩せず」ではなく、単純に不注意(無感覚)だっただけのこと。そんなことで驚いてはいけませんな。どこの国だか社会だか、年間で百兆円を超える国の予算のかなりの部分が「使途不明」になっていても、「政治に金がかかる」と譫言を言われても、誰も不思議に思わないんです。この際、誰が「明智光秀」で、だれが「信長」か。そして敵のいる「本能寺」は何処なんでしょうね。ぼくの感想では、いたるところ「光秀」「信長」「本能寺」ダラケ―という次第ですよ。「「信頼、信用という銀行ビジネスの根幹を揺るがすもの」と当の銀行頭取は「びっくりするような冗談」を口にされる。銀行の不祥事など、数えきれない。もう一度、歴史や地理を勉強し直したいものです。
______________________