愚者は経験に、賢者は歴史に学ぶ

 「過去の過ちを繰り返すために、警戒を怠れ」という風潮が全世界件で起こっているのではないでしょうか。その元凶は、言うまでもなく「西欧」「欧米」です。フランス・ドイツ・オーストリア・イタリア等々、軒並みに「極右擡頭」が真っ盛り。なぜ、こうなったか。恐らく「戦後八十年」という年回り(めぐりあわせ)が最大の理由かもしれません。ひゃねんでも五十年でもない、八十年。「個々人の経験」と「集団社会の歴史」の狭間に、ある種の隙間風(「先祖返り」と歴史修正主義の合体という)が吹いているのでしょう。

 十分に現状に対する「警戒が足りなかったから」「警戒を怠ったから」、先祖返りに血道をあげる人々が増えたのでしょうか。はっきり言うなら、もう一度「ファシズム(黄金時代)」を取り戻したかったから、そう願う人々が多くなったのだということです。「ナショナリズムを掲げて闊歩する若者もいる。愛国者ではなく、ファシストだ」と語ったのがワイントラウプさん(左写真)。九十九歳。「戦争を知らない子どもたち」が、どの国においても圧倒的多数を占めている時代。だから、「過ち」は繰り返され、繰り返されようとしているのでしょう。「過ち」の未経験者だという自己認識が強く働いています。この劣島でも「国や郷土を愛しましょう」という「国家万歳教育」が強いられている。それが成功しているかどうか、よく分からないけれど、現状を肯定し、排他的な風潮が濃くなっているとみられるのですから、先ずは「順調」というところなのか。今の総理大臣は「軍事オタク」だというから、まぎれもなく、「愛国者」ではなく「ファシスト」に類するというべきだと思う。(ヘッダー写真「戦後78年 東京大空襲など被害者救済の署名活動 なぜ今?」NHK・2023年11月16日)(https://www.nhk.or.jp/shutoken/wr/20231116a.html

 言うまでもなく、ファシストはファシズムを信奉している者。そのような人々が力を持ってくると、独裁主義に走り、排他主義に進むことは避けられないでしょう。政治形態としてというより、政治信条として始まることもあるが、ときには一気に「独裁権力」を求めることもある。たぶん、欧米主要国の現状は「極右支配」、あるいは「独裁待望」に深く傾いているのは否定できません。アメリカの現大統領の振る舞いは、いかにも独裁的であり、あからさまに排他的でもあるという意味では、間違いなく「ファシズム」前夜と、アメリカの現状に関しては、危機的な夜明け前です。

⦿ ファシズム(fascism)= 極右の国家主義的、全体主義的政治形態。初めはイタリアのムッソリーニの政治運動の呼称であったが、広義にはドイツのナチズムやスペインその他の同様の政治運動をさす。自由主義・共産主義に反対し、独裁的な指導者や暴力による政治の謳歌などを特徴とする。(デジタル大辞泉)

【日報抄】「過去の過ちを繰り返さないために、警戒を怠るな」。きのうの紙面に載った、この言葉が印象に残った。発言の主は、かつてポーランドのアウシュビッツ強制収容所に送られたレオン・ワイントラウプさんである▼99歳。解放80年の追悼式典で述べた。収容所で母親と叔母がガス室で殺された。発言の背景には欧州で広がる排他的な風潮があった。「ナショナリズムを掲げて闊歩(かっぽ)する若者もいる。愛国者ではなく、ファシストだ」▼第2次大戦中、ナチス・ドイツはユダヤ人の大量虐殺を引き起こした。その反省から、欧州では過度なナショナリズムを戒める考え方が主流だった。しかし近年は、自らと異なる人種や文化への攻撃的な論調や排外主義が目立ち始めた▼「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。経験から学ぶことを愚か者呼ばわりするとは言い過ぎな気もするが、自分のわずかな経験ばかりに頼ると狭量になったり、視野が狭まったりするという意味だと解釈したい▼歴史は他者の経験の膨大な積み重ねだろう。先の大戦を顧みれば、排外主義が肥大化した果てに大量虐殺が起きた。同様の構図は今も世界で悲劇を生んでいる。歴史に学ばねば、この先も繰り返すのは明らかだ▼わが国もことしで戦後80年を迎える。本紙をはじめ、メディアもさまざまな角度からあの時代に光を当てるはずだ。戦争を経験し歴史を紡いだ人は、今や一握りになってしまった。だからこそ、その言葉には真摯(しんし)に耳を傾けたい。(新潟日報・2025/01/30)

 「日報抄」で引かれている「「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉はドイツ(プロイセン)の統一を成し遂げた「鉄血宰相」たるビスマルク(1815~1898)その人の言らしいとされています(後掲資料参照)。独裁主義の実践家であり、名代の排他主義者だった人です。その人が述べたという、その意味は深長ですね。(明治維新以降の日本の政治および政治家に計り知れない影響を与え続けた存在でした)彼は自らを「愚者」と見たか、「賢者」と見ていたか。もちろん、自分は「賢者」と自認していたからの表現だった。しかし、正当な評価をするなら、彼は「愚者」だということになりませんか。半分は冗談で言うのですが、でも「帝国主義(領土拡張主義)」を貫いたという点では、今の為政者の多くにも通じる「ファシスト」であったともいえそうです。他国に侵略し、領土拡張を図る、あるいは他国の領土を自らのものにしたいという欲望を隠さない、そんな政治家が現実政治の手綱を握っているのです。

 「戦争を経験し歴史を紡いだ人は、今や一握りになってしまった。だからこそ、その言葉には真摯に耳を傾けたい」(コラム氏)しばしば「歴史は繰り返す」と言われます。表現にこだわる必要もないのですが、繰り返すのではなく、人間の犯す愚かさは、何時の時代でも瓜二つだということを言っているのでしょう。明治以降、この国は何度も「戦争」を起こしてきたが、日露戦争は日清戦争の繰り返しではなかったことは明らか。にもかかわらず、「戦争」という愚劣な行動を起こしたという意味で、人間の生み出す政治過程において、「歴史は繰り返す」というのでしょう。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という時、重要なのは、個人にとって、「経験と歴史」は異質なものではないということを知ることでしょう。さらに大切なのは、「歴史に学ぶ」という「自らの経験」そのものが、自分の過ちを防ぐ力になる、そのように「学ぶ」ことを経験する、それが歴史につながる(重なる)のです。

◉ビスマルク=プロイセン,ドイツの政治家。ユンカー出身。1848年の三月革命に際しては反革命派として活躍。革命後プロイセン公使としてドイツ連邦議会に派遣され,駐露・駐仏大使を歴任。1862年プロイセン首相兼外相となり,有名な鉄血演説を行い,議会を無視して軍備拡張を強行。小ドイツ主義を唱え,普墺戦争,普仏戦争を勝ち抜いてドイツを統一,1871年ドイツ帝国成立とともに帝国初代宰相となり,以後20年間その職にあってヨーロッパ外交の指導者となった。1878年ベルリン会議を主宰,また三帝同盟,ドイツ・オーストリア同盟,三国同盟,再保障条約などの同盟関係によってフランス孤立策をとり,ドイツの安全を確保しようとした。しかし内政面ではカトリック教会弾圧(文化闘争),社会主義弾圧(社会主義者鎮圧法)を図っていずれも失敗。1890年皇帝ウィルヘルム2世と衝突して辞職。(百科事典マイペディア)

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剛毅朴訥、仁に近し

 ぼくは長年の「ながら族」で、本を読むときも原稿(駄文)を書く時も、きっと音楽を流している。「~しながら」聞く音楽。その昔はほとんどクラシックだったが、ここにきて、もっと気軽に聞けるポップス、あるいはジャズが多くなっています。もちろん、聞くともなく聞くのが心地いいからであって、声楽などは最もよくない。言葉を追いかけてしまうからです。いわば「BGM」に相応しい音楽ということを盛んに考えている。

 今ではステレオ装置で音楽を聴くことはなくなった。もっぱらパソコン内蔵のプレーヤーと外付けスピーカをで聴いている。いまもこの駄文を書いている前方のスピーカーからクラシックでもよく演奏される「人気曲(ポピュラー)」、例えばパッヘルベルの「カノン」やヴィヴァルディの「四季」など、さまざまな演奏家のものをリストにしたプログラムから適当に流しています。五時間でも十時間でも流し続けられるので、とても便利に使っている。住んでいるのが「長柄町(ながらまち)」だから、文字通りに、身も心も「ながら族」というわけ。

 ぼくの場合、何事かに集中するという時、一心不乱・無我夢中ということはまずありません。うんと若いころは、昼過ぎに読書を始めて、気が付いたら周囲が暗くなっていたということは何度もあった。若かったから集中力が続いたということもあろうし、読書に飢えていた時代でもあったからでした。拙い原稿も徹夜で書いたこともしばしば。無駄でしたね。それが、この年齢になると、寝食を忘れて夢中になるということは、まずないと断言できる。それだけの心身の持続力がないからです。当たり前と言えば当り前。だから神経や視力が疲れすぎないように、気分をそらすために「ながら族」になっているという面もありますでしょうね。

 今流れているのは一昨年6月に亡くなった、アメリカの作曲家兼ピアニスト、ジョージ・ウィンストンの「ディセンバー」です(彼はギターもハーモニカもよくした)。レコードだったら、盤が擦り切れるほどというくらいに、繰り返し聴いたものでした。彼の「田舎性」というか「朴訥さ」がとても気に入っていた。彼のピアノは決して流麗とも颯爽とも違う。なんとも朴訥、無骨、それがぼくにはこの上なく心地がいいのです。まるで農夫の手指のようです。彼はモンタナ州で育った。

 本日の駄文のテーマは決まっているのですが、なかなかそれに触れたくないので、もたもたしています。朴訥や素朴とはおよそ趣が異なる、上辺だけの、見せ掛けのパフォーマンスの悪質性・悪意性について、ということです。いやな時代だからこそ、単純で素朴な物事に身をあずけたい気もする。昨日の長崎新聞「水や空」の「お茶を濁す」について。 これを別の表現で言い当てるなら「巧言令色、鮮ナシ仁」(「論語―学而」にある)、「剛毅朴訥、仁に近し」(「論語‐子路」中の「子曰、剛毅朴訥近仁」 )でしょうか。同じ「人間の質」「品性」を裏と表からみとろうとしている。「仁」が人間性の核になることが最も望まれた時代もありました、遥かの遥かの昔でしたが。

(⁂ 「仁」というのは「思いやり。いつくしみ。なさけ。特に、儒教における最高徳目で、他人と親しみ、思いやりの心をもって共生 (きょうせい) を実現しようとする実践倫理」(デジタル大辞泉)

 「茶を濁す」とは、茶の作法を知りもしないで、その礼法を「知ったふりして」、適当にごまかす風儀。それだけではないと思うのですが、要するに自他を誤魔化し、結果的には世間を欺くことになる。そこで愚考一番。世間を胡麻化そうという御仁や紳士淑女が叢生(そうせい)しているのは事実です。でも、その出現が一向に止まないのはどうしてか。おそらく世間の方が胡麻化されたがっているからではないかと、ぼくは愚かにも考える。騙そうとするものと騙されてやれという両者の「阿吽の呼吸」、それが今日の社会の危機の要因であることは間違いないところ。

 「水や空」氏も触れていますが、米大統領は「まず平和賞が欲しい」と、前回の就任段階から懇望している。あの政敵の「オバマ」が貰って、どうして自分には来ないのかと、それこそ悔しがっているのです。平和賞受賞のきっかけはごろごろ転がっている。「ガザ」「ウクライナ」「移民」等々、どれ一つでもそれなりの進展があれば、「晴れて受賞」となるはずと、それを目当てに彼は動いているのですから、始末に悪いというばかりです。呉れてやりなさいな。

【水や空】お茶を濁す 谷川俊太郎さんに〈禁酒禁煙せぬことを誓う〉で始まる、ややひねくれた詩がある。〈人だかりあればのぞきこみ/美談は泣きながら疑うことを誓う〉(「年頭の誓い」)。▲ご当人は朗報、美談、良い話を届けたつもりだろう。トランプ米大統領が、米中ロ3カ国での核軍縮の協議に意欲を示したという▲ほかの2カ国がそんな話にたやすく乗るわけがない、と邪険にする米メディアもある。「夜も眠れないほどノーベル平和賞が欲しい」トランプ氏が受けを狙っただけだ、と▲疑うしかない美談、良い話ではある。眉唾と思いつつもしかし、大統領が「非核化が可能か確かめたい」と発言したのは銘記すべきだろう▲何かにつけて「前のめり」が際立つ人だが、こちらはどうか。核兵器禁止条約の締約国会議に日本は与党議員を派遣し、オブザーバー参加をまたも見送るという▲国民にはいくらか前進したように見せたい。ただし、条約参加に反対する米国の機嫌は損ねたくない。「お茶を濁す」の一語しか浮かんでこない▲谷川さんの詩の続きは〈誓いを破って悔いぬことを誓う〉と、さらにひねくれる。トランプ氏の胸の内と思えなくもないが、この国はと言えば「誓い」よりも米国の「顔色うかがい」を重んじる。十年一日(いちじつ)のごとく。いや、戦後八十年一日のごとく。(徹)(長崎新聞・2025/01/28)

 閑話 「澆季溷濁(ぎょうきこんだく)」とか「濁流滾滾(だくりゅうこんこん)」などという死語を使いたくなるご時世が続いています。

 「思いやりなどの人らしい感情が薄くなり、善悪や正邪の基準がおかしくなって、世の中が乱れること。『澆季』はこの世の終わりのような、道徳や人情が乱れた世の中のこと。『溷濁』は濁るや、汚れるということ」(四字熟語辞典オンライン)「「濁流滾滾(だくりゅうこんこん)」とは「勢いよく濁った水が流れる様子。『滾滾』は水がいつまでも激しく流れ続ける様子を言い表す言葉」(同上)

 如何でしょう。現実の世の中は、東西南北、いずれの地においても「濁された」ままの水が滔々と、あるいは滾滾と流れるままに任せています。そこに「流れに掉さす」のが政治だといえば、悪い冗談、いや瓢箪から駒みたいな話です。「流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進行する。誤って、時流・大勢に逆らう意に用いることがある」(デジタル大辞泉)

 「[補説]文化庁が発表した「国語に関する世論調査」で、「その発言は流れに棹さすものだ」を、「傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をする」と「傾向に逆らって、ある事柄の勢いを失わせるような行為をする」の、どちらの意味だと思うかを尋ねたところ、次のような結果が出た。(左図表)(国立国語研究所)ここに「言語の誤用」に関する大問題があります。それに対して、学校教育はいかに貢献しているか(流れに掉さしているのかもしれない)。

 閑話休題 核問題をなんとか現状から一歩でも、一寸でも動かせたら「ノーベル平和賞」なんでしょうか。「核兵器禁止条約の締約国会議」に、体裁だけを繕うために、オブザーバーを参加させんとする劣島政府。何を見て政治をしているのか。「核抑止力」などという寝言を、目を開けたまま言っていながら、恬として恥じないのはどんな蛙なのだろうか。まるで、パンツをはいたままで小便を垂れるという気色の悪さがあります。いずれにしても、核保有国の面々、それに付かず離れず身を寄せているタツノオトシゴ国の政治家たち、どれもこれもが「核を玩具(おもちゃ)」に、あるいは「核を弄んでいる」という謗(そし)りは受けるだろうけれど、これまた恥じるところがないのだ。

 何が何でも欲しい人に差し上げるのも「世の平和」のためにはいいでしょう。授けたらどうでしょう。米大統領にノベール平和賞をぜひ。そうなれば、まさに「不世出(前代未聞)の大統領」でしょう。刑務所も平和所授賞も。その昔、この劣島国に「泣く子と地頭には勝てぬ」という世評がありました。「聞き分けのない子や横暴な地頭とは、道理で争っても勝ち目はない。道理の通じない相手には、黙って従うしかない」(デジタル大辞泉)。T 大統領、その「地頭並み」か、いやそれ以下の傍若無人ぶり。恥知らずとは、こういうのを言うのかもしれない。それを煽る取り巻きがいるから、この国も焼きは回っているだろう。その後には金正恩もプーチンもネタニヤフも、どうせなら、一括して授けたらどうか。「平和」なんて、彼らにすれば「容易いもの」なんですよ、きっと。

(参考文献 トランプ大統領をノーベル平和賞候補に推薦-ノルウェーの右派議員 トランプ米大統領がノーベル平和賞の候補になった。朝鮮半島の非核化に取り組む合意を北朝鮮から引き出した功績が理由。/ノルウェーの与党で右派の進歩党の議員2人が推薦した。国営のNRK放送が報じた。今年の受賞に向けた候補指名の期限は1月だったため、トランプ氏は来年の候補となる。今年の候補にも名を連ねているかどうかは不明。/ノーベル平和賞は政治家や学者、研究者らが受賞し得る。ノルウェーのノーべル賞委員会には例年、数百人が候補として推薦される。過去にはロシアのプーチン大統領やキューバのカストロ議長が候補に挙がったこともある。今年の候補者は過去最高の330人。(以下略)(Bloomberg・2018年6月14日)(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-06-13/PA9MEBSYF01T01

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外面の「善意」は「悪意」の温床だよ

 <あのころ>戦時下の軍事教練 銃後の守り強要 1942(昭和17)年1月28日、太平洋戦争が始まって間もないころ、かっぽう着姿で銃を担いで行われた軍事教練。国家総動員体制がとられると国民生活の全てが戦時一色となった。学校や地域で派遣将校や国防婦人会などを中心に「銃後の守り」が強要され、竹やり戦闘訓練やバケツリレーの防火演習が盛んに行われた。(共同通信・2025/01/28)

 年齢だけのことを言うなら、ぼくは写真のような「物騒」な、しかし背景を知ってみれば「滑稽」な、そんな馬鹿気た時代に生まれた(1944年)ことになっています。「狂気と冗談」が真面目に手を結んでいた時代。馬鹿と阿呆が竹槍で「鬼畜米英」打破を妄信させられていた(本気で考えていたとは思えない)、信じることを強いられていた時代だった。ぼくの連れ合いは、ぼくよりも五年前に戦時下の東京都内(台東区)で生まれている。やがて、母親の実家のあった「新潟に疎開」したらしい。ぼくが生まれたのはおふくろの疎開先(彼女の郷里だった石川県鹿島郡中島町・現七尾市)だった。ぼくには「あのころ」の記憶はない。しかし、「敗戦後」という食糧不足(飢餓)の時代、ようやく飢えをしのいでいたことは記憶している。でも、それが当たり前の日常だと、疑いもしなかった。これが人間の生活なんだ、と。

 やがて、親父の仕事場のあった京都に移住し、市内を転々としながら、高校を卒業した。その当時、街には「戦時中」「敗戦後」が溢れていた。「わたしが一番きれいだったとき」と詠った茨木のり子さん(1926~2006)の詩は、多くの人に同じように誤読されて、とても有名になった。ぼくもどこかで引用しています。のり子さんが「一番きれいだったとき」、それは自身が「頭はからっぽ」で、「ふしあわせ」で、「とんちんかん」、そして「めっぽうさびしかった」、そんな時代だったと自白しています。二十歳の時が「敗戦」だった。のり子さんは、女学校時代、校内の「軍団指揮者」で、生徒全員の隊列を指揮して「かしらあ、右い」などと、それこそ裂帛の気合いをかけていた。その時が「一番きれいだった」なんて、「屈辱そのもの」と自覚するのが詩人。「きれい」というのは「純粋」、「真水」みたいなもの。「純粋無垢」って、どいう状況を指すのでしょうか。(それは「美」とはちがうでしょう)

 わたしが一番きれいだったとき (茨木のり子)


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね

 個人でも企業でも、国家であってさえも、いつだって「狂う」、心底から「発狂する」ことは珍しくない。誰か一個人が発狂しても被害は方々に及ぶが、戦時中というのは「集団発狂」「集団催眠」時代でもあって、発狂の輪から逸脱、覚醒することは許されないのだ。「お前だけが狂わない(正気になろう)なんて、許さないぞ」と四方八方から圧力がかかる。「竹槍」で戦闘機は落とせないし、バケツリレーで「焼夷弾による火炎の渦」を消すことはできない、それぐらいは誰だって知っている。でもみんなで「無智」「無謀」になることが国家命令であるなら、その「集団発狂」の渦中(火中)に飛び込み、立派に狂人の役割を、瞬時に演じられるのだ。(小・中学校時代、学校や教室には「軍事教練」大好き大人がたくさんいた。竹槍・バケツリレーに優等賞を取った女性教員もいた。学校には「戦時」があった、そんな、仮初(かりそめ」の平和の時をぼくは過ごしていた)

 ぼくが大学に入ったのは昭和39(1964)年4月だったが、教室には、戦時下の「軍事教練担当教員」が授業を担当していた。授業はお粗末の極みだったが、人間性は淡泊な人、おそらく「悪人」ではなかったでしょう。こんな「善良」「善人」でも悪用されると、学校も戦場になるのだと思う。もちろん、ご本人の「善良性」も怪しいものだったにちがいない。小心で気弱な「善意」はいつだって「悪意」に席を譲るのですから。「撃ちてし、止まん」の突撃精神は、一夜にして「自他を愛せよ」となるのに、いささかの抵抗もなかった。狂気が冷めれば、元の善人(黙阿弥)ということだったでしょう。「あのときはどうかしていたんだ」と言ってすましてしまう。やがてまたまた、「欲しがりません、勝まつでは」となるにちがいありません。「国家」というものは単なる箱だと思えば、国民は「箱入り」となるが、この箱そのものが、時には強制力や命令を発するから油断がならない。

 ぼく個人の感覚では、今日、あからさまな「軍事教練」は学校からは排除されたかに思われます。でも、気が付かないだけで、これまでとは別種の「軍事教練」が行われているとも考えられます。「学校の名誉」だか、「郷土の名誉」だか知らないが、とにかく「競争に勝つ」ための人生なんて、何時でも「軍事教練漬け」だと言えなくもないでしょう。はたして、ぼくたちに「一番きれいだったとき」があったのでしょうか、あるのでしょうか。「醜悪」「醜態」「醜聞」「醜名」…。ぼくたちの住む現実には、至るところが「醜」に満たされ、晒されていませんか。「善意の人」の本心は「醜悪奸邪(しゅうあくかんじゃ)」だということになるのがしばしばです。

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

 わたしが一番きれいだったとき、それは自分が「世間」をまったく知らなかった、「自分(自我)」をまったく持っていなかった時だったと、茨木さんは自白(告白)しています。「賢くなる」というのは、いわば「器用」や「要領」を身につけることです。だから「空っぽ」「とんちんかん」こそが美しいと思う・思わされることこそ、なんとも悔しいではないか、そういう「懺悔」と「悔悛」を、着実に、誠実に我が身に受けいれることが、自分の再生への道を開くのでしょう。

  「自分はなんと愚かだったか」「死ぬほど恥ずかしい」「耐え難い屈辱」という自らの経験の自覚が、自らの蘇りにつながる、のり子さんはそう白状しているんじゃないですか。<Idiot Beauty>という自身の状況の無自覚に対する「怨嗟」というか、「臍(ほぞ)を噛む想い」がこの詩に露出しているのです。だからこそ、その後に「自分の感受性くらい」という「反省文」というか、「懺悔」を書くほかなかったんですね。(左写真は茨木さん。「私の一番きれいだったとき」でしょうか)(日経新聞・2021年7月10日)

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一日、一瞬、一刹那(638~644)

 時の過ぎゆくままに。あるいは時の流れに身を任せ。誰にとっても、一日は二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒であることに変わりがない。ところが、人生を八十年も生きてくると、一日は一瞬に過ぎる、それが偽りのない実感です。あるいは仏教の言葉でいうなら「一刹那」です。「刹那主義」などと、あまり歓迎されない人生観に使われています。「過去や将来のことを考えないで、ただ現在の瞬間を充実させて生きればよいとする考え方。また、一時的な快楽を求めようとする考え方」(デジタル大辞泉)もちろん、仏教でいうのは限りなく短い「瞬間」を指すのであり、それが人生の過ごし方にどんな影響を与えるかどうかは、別問題。「永遠」「永劫」などという語の対語となっているでしょう。

 「未来永劫」など表現するときの「劫」は仏教における終わりのない長さを示すもので、まさに「刹那」と「永劫」は釣り合っているのでしょう。三歳の子どもと六十歳の老人では「時間の長さ」の感覚は異なるはずです。そこには「永劫」と「瞬間(刹那)」の違いがあるのではないでしょうか。毎日毎日、つまらないことの繰り返し、積み重ねを「メモ」にすると、空恐ろしくなります。ぼくは今、仕事を持っていないから、会社勤めや職業人であるのとはまた違った時間感覚だといいたくなるが、そこに本質的な違いは存在しないように思う。毎日毎日、まったく同じようなことも繰り返し、「刹那」が無限に重なるのが一時間であり、一日であり、一年だという偽りのない実感がぼくにはあります。その実感を確かめるための「徒然日乗」ではあります。

◉ 刹那(せつな」= 仏教における最小の時間単位。三スくりっど語クシャナkaaの音訳。『大毘婆沙論(だいびばしゃろん)』巻136の譬喩(ひゆ)的説明によると、「2人の成人男子が何本ものカーシー産絹糸をつかんで引っ張り、もう1人の成人男子が中国産の剛刀でもって一気にこれを切断するとき、1本の切断につき64刹那が経過する」と述べられている。2人の男がかりに5000本の絹糸をつかんだとすると、剛刀による一瞬の切断で5000×64刹那の時間が経過するから、1刹那の短さが想像されよう。『大毘婆沙論』同所の科学的説明によると、1昼夜=30須臾(しゅゆ)、1須臾=30臘縛(ろうばく)、1臘縛=60怛刹那(たんせつな)、1怛刹那=120刹那である。1昼夜を24時間として計算すると、1刹那は75分の1秒になる。仏教哲学では「刹那」は、物質的、精神的、なかんずく精神的な現象の瞬間的生滅を説明するときに使われる。なお、今日の「刹那主義」ということばの概念は仏教のものではない。(日本大百科全書)

「徒然に日乗」(2025/01/20~01/26)

〇2025/01/26(日)風があり、肌寒そうな一日。▶お昼前に買い物に茂原まで。スーパーの駐車場から出ようとしていたら、見知らぬ男性が走ってきて、「ボンネットが開いている、危険ですよ」と声をかけてくれた。これまでに何度か、同じようなことがあったので、連れ合いに注意しなければと思いながら、すっかり忘れていた。給油をする際に、運転席右下部の給油タンク用のレバーを手前に引くのだが、その真下にボンネットを開くレバーが並んでいるので、それと間違えてしまっているのだ。走行中にいきなりボンネットが開いてしまうということはなさそうだが、締め忘れはよくないこと。早速家に帰って、連れ合いにそのことを告げたが、まったく気づいていないようだった。▶午後にはつれあいが出かけたので、留守番のようなもの。パソコンで「ミックスリスト」だの「キュー」操作だのを正確に知るために、いくつかのリスト作成をしていた。クラシックレコードを久しぶりに聴いてしまった。ヴィヴァルディやパッヘルベル、バッハなど。最近はレコードプレーヤーで音楽を聴くことはまったくなくなった。猫たちのせいである。レコードが回りだすと気が狂ったようになること間違いなし。スピーカーも剥き出しにはできない。カヴァーネットをつけているが、その生地で爪を研ぐ。仕方がないから、パソコンに、少し性能のいいと思われるスピーカーを接続して、それで何とか満足しようとしている始末。(644)

〇2025/01/25(土)終日自宅に。「一刹那」ということを考える。「《(梵)kṣaṇaの音写》1 仏語。時間の最小単位。1回指を弾く間に60あるいは65の刹那があるとされる。2 きわめて短い時間。瞬間」(デジタル大辞泉)永劫という地点から見れば、測りえないほどの短さを言うのだろう。しかし、この一瞬にもなりえない短時間もまた、永劫(永遠)の一部である、いや、一刹那は、言葉を変えて言うなら「永劫の鏡」でもあるのだ。人間が決めた約束(決まり事)が「暦」だとして、「永遠(永劫)」は、それにいかにして対峙し得るのか。一週間は七日、一日は二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒、一秒は…。つまりその先にこそ「一刹那」が表れるのだとしたら、ぼくたちは、刹那を生きているというべきか、永遠を生きているのか。今日一日、こんなことを愚考していたのではない。書きながら、つまらないことを口走っているのだ。▶「生きる意味」などということを若いころから盛んに弄んできた。そんなものはない、あると思うのは錯覚にすぎないと、そればかりは疑いもしないでここまで来た。「意味(meaning)」というのは「無意味(unmeaningness)」を図り合えて(釣り合って)いると思う。あるいは「センス(sense)」と「無意味(nonsense)」についても同じようなことが言えるだろうが、もっと別の視点から考察する必要があると思う。▶政治の頽廃もまた、限りなく堕ちて行くほかないところにあるようだ。今、テレビ界の醜聞が取りざたされているが、どこの世界にも同じような不祥事や醜聞が見られるだろう。それだけ、この世に生きるというのは、端的にいえば、剥き出しの欲望に意匠を凝らしているだけ、そんな茶番にも思えてくる。それを言ってはおしまいだ、となるのだろうか。(643)

〇2025/01/24(金)昼前に買い物に茂原へ。帰路に灯油購入のためにGSへ。1㍑が、昨日までの115円だったの、本日は119円に。18㍑は2,070円が2,142円に。ものみな騰がるということをいたるところで実感している。▶このところ、ジョージ・ウィンストンのレコードを聴き続けている。彼の死去は2023年6月。彼がこの世に存在していないのは事実であるが、彼の音楽はこれまでといささかの変わりもなく、新鮮であると同時に、誠実そのものの彼の人となりが明らかに、聴き手に届いている。「剛毅朴訥 仁に鮮(すくな)し」を目の当たりに見る思いで、彼の音楽がぼくの耳に届くのだ。(642)

〇2025/01/23(木)朝6時半に「生ごみ出し」、もう十年以上続けている。週に三回(火・木・土)あるうちの、二回程度で足りる量で、以前の子猫たくさん時代から見れば、猫砂の処理が驚くほど少なくなったので、大助かり。▶陽射しもあって、陽気は春を思わせるような一日だった。このところ、時折り強風の日があったので、杉や檜、それに松などの枝葉が庭のそこら中に満杯だ。掃除をしなければならないのだが、きれいにするとまた風に見舞われるので、作業をさぼっている、そして結果的には大事になる、そんな繰り返し。▶民放テレビ局の職員だった人とタレントの「性加害・被害」問題が、予想通りの展開を見せている。要するに、局側の経営責任がほとんど見られず、これまで同様に隠ぺいを図ろうとした気配だが、今回はなぜだか、うまくいかなくて、ついに会社存続問題にまで追い込まれたのだ。それにしてもメディアの代表格の大テレビ会社が、実は「張り子のトラ」「見せかけ」だったという、あり得ないお粗末を見せつけている。報道ではなく、「お笑い」と揶揄される背骨に会社の命運をかけた結果だろうと思う。それにして、大会社の職員、殊に「役員」「幹部」クラスはそれなりの学歴を誇っているに違いないが、この無様を見ていると、大学(教育)というものがどれ程いかがわしいものだったかがわかろうというもの。もちろん個々人の資質の問題が第一だが、その資質にいささかの教育的効果をもたらすことができなかったともいえるのだ。▶カリフォルニア州の山火事は発生以来2週間経過したが、今なお新たな火災も発生して、鎮火の様子は見えない。犠牲者も増え続けている。(641)

〇2025/01/22(水)午前中に猫缶を購入するために土気まで。幸いなことに、猫たちの食欲も落ちないで、元気であるのだが、それにしてもよく食べると、感心するばかりである。▶このところ、ネット上のある新聞によると、紅茶のティバックの袋にプラスティックが使われており、その袋が溶けてマイクロチップになり、それを飲む人の体内に入る、その結果発がん性の恐れがあるという研究報告がなされているとあった。拙宅はかなり頻繁に使っている紅茶も、粉ではなくティーパックなので、その危険性はないかどうかを販売元の三井農林(日東紅茶)に問い合わせた。なかなか電話がつながらなかったが、結果的には「当社のものにはプラスティックは使われておりません」という返答があった。さて、この先どうしたものか、と思案している。▶米大統領のスタートダッシュ、どうしてこんなに物議を醸したがるのかというも、なんともしらける振る舞いで、おそらく直ちに息切れするはずで、ある人々にとっては迷惑千万なことだと思う。▶通り魔的な事件が連続して発生している。長野駅前でも三人が襲われ、男性一人が死亡している。「精神疾患」を疑う、加害者は近在の人間だと思う。(640)

〇2025/01/21(火)寒さは一休み。陽射しもあって、凌ぎやすかった。▶お昼前に緑ヶ丘(茂原市)まで買い物に。帰路、H.C.で猫のドライフードを購入。▶本日米大統領の就任式。(日本時間、本日未明)宣誓式も何も見なかったが、その内容を伝える報道に接して、とても無難に展開される状況にアメリカ政治はないと言わざるを得ないように思う。ある種の「独裁」を待望する雰囲気があるようだ。その実、権力争いがいつ生じても不思議ではないとも見える。いかにも再登板で、要領を心得ているかに思えて、その実、空転している気配が既に見え始めているし、一期目以上に混乱と混沌の中に米国政治は陥るだろう、さらにその確信が深まった。▶そのような問題を抱えた米国と、いかに破綻をきたさず付き合うのか、おそらく確たるものはなにもないに等しいのが日本政府。今まで以上に米中大国の狭間(はざま)で股割きにあうのではないか。(639)

〇2025/01/20(月)お昼過ぎに買い物で、茂原まで。今年の暦を探していたのだが、茂原の本屋で手ごろなものを見つけた。1月も20日過ぎたので、半額で購入した。書店の隣にあるス―パーで連れ合いの昼ご飯などを購入。果物をと思ったが、このところミカンが異常に高いので、買うのを控えている。報道によると、生産地でのカメムシの被害と、秋口の降雨のせいで、例年より収穫量が悪いためだという。▶アメリカ大統領の就任式が明日ある。すでに次期大統領は「全開」で、きわめていきり立っているように見える。「独裁」への障害は何もないかのように考えているようだが、どうだろうか。「船頭多くして、船山に昇る」ことになりはしませんかといいたい。IT企業や大企業があからさまに政権ににじり寄っている、その状況が政権維持の足枷になるのではないか。外交・内政という政治の仕事ではなく、ほとんどが自分のスタンドプレーに終始してきた一期目と変わり映えはしないだろう。前のめりで、大向こうを唸らせんとするばかり。浮足立っているのだ。しばらくはこの状態が続くだろう。(638)

なぜ過ぎてゆかねばならないのですか

【あぶくま抄】大空で 石垣りんの詩にある。〈お母さん、なぜ過ぎてゆかねばならないのですか、花は美しく、空はあんなに青い、このはるの 光あふれる中から―。〉▼19歳の予備校生はなぜ突然、将来を絶たれたのか。自宅から遠く離れた北のまちかどで。冬の日差しが緩んだ風をまとい、地上に届き始めたこの時。無念などという言葉では言い尽くせない。大学受験で郡山市を訪れた大阪府の横見咲空[さら]さんが、酒気帯び運転の犠牲になった。その命を返してあげる手だてはない▼「白が似合う女性だった」。事故現場に駆け付けた同級生が語っていた。笑顔を絶やさぬ、明るく素直な人柄だったとも。心の奥に純真を秘めていたのだろう。歯学部への進学を志していた。怖くないよ、お口を大きくあけてごらん―。治療を怖がる子どもを、にこやかになだめる。優しい未来の歯医者さんを奪った暴走が、ひたすら憎い▼詩は続く。〈お嬢さん お嬢さん 雲が流れてまいります どこへ流れてゆくのでしょう あれあれあんなに はるばると〉。咲空さん。せめて、さえぎるものは何もないほんとの空で、存分に夢を咲かせて。あなたを守れなかった悔しさを胸に、県民は願っているよ。(福島民報・2025/01/25)
 この光あふれる中から(石垣りん)

ここにこうして いつまでもいることは出来ないのですか?
お母さん、
なぜ過ぎてゆかねばならないのですか、
花は美しく、空はあんなに青い、
このはるの 光あふれる中から―――

お嬢さん お嬢さん
雲が流れてまいります
どこへ流れてゆくのでしょう
あれあれあんなに はるばると
教えて下さいお嬢さん
あなたはどこへ行くのです。

人間という 不可思議なものの
まことに何であるかも知らず
すべての生きものにならい 母になる
それでよいのか、と心に問えど
答えのあろうはずもなく
日毎夜毎 子守唄のごと
りすはりすを生み
蛇は蛇を生む とくちづさむ
さらばよし 母にならむか
おろそかならず こころにいらえもなくて―――。
お母さん、なぜ過ぎてゆかねばならないのですか

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 また、理不尽(不条理)な殺傷事件が長野市で。

 容疑者宅は小学校の近く 長野市内の自宅で身柄を確保 長野駅前3人殺傷事件 長野市のJR長野駅善光寺口のバス乗り場付近で22日夜、3人が刃物で刺され、1人が死亡した事件で、県警は26日、殺人未遂の疑いで長野市内の40代男を逮捕した。男は駅から東約3キロにある同市西尾張部の自宅で身柄を確保された。付近には小学校もある。/事件は22日午後8時ごろ発生。同市丹波島3の会社員男性(49)が死亡し、市内の会社員男性(37)が重傷、市内の会社員女性(46)が軽傷を負った。
 捜査本部は午前10時から長野中央署で記者会見する予定。(信濃毎日新聞・2025/01/26)(左写真)

 このところ、各地で「通り魔事件」と言われるような「無差別殺傷事件」が発生しています。もちろん、それらの事件の背景や理由を調べれば、何かと説明が付けられるような顛末になるのでしょう。けれど、ぼくには、それらの「通り魔」襲撃事件は、ある種の「交通事故」のような錯覚を覚えてしまう。「注意一秒、事故(怪我)一生」などという交通標語がありました。事件の現場に偶然居合わせた、たまたま横断歩道を渡っていた、その一瞬に、人生が暗転してしまう。理不尽(outrageousness)としか言いようのない事態において、怒りや嘆きの「やり場」が見つからないのではないでしょうか。

 石垣さんの詩について、ぼくは単なる一人の愛読者でしかありません。「この光あふれる中から」は、そんな石垣さんの詩の中でもとりわけ、感覚の、あるいは直感(直観)の鋭敏さが一瞬にして詩に詠み込まれたものとして、ぼくには解釈も理解も困難を極めます。しかし、煌々(こうこう)と、燦々(さんさん)と輝く「このはるの 光あふれる中から」、どうして「私」過ぎてゆかねばならないのですかと問う。でも「お母さん」は答えてくれない。「異郷の地」で学ぶことを願い、新たな旅立ちの、まさにその朝、一人の女性は十九歳の一期を閉じてしまった。閉じられてしまった。「私」は何処へ行くのか、誰もそれの答えられないという、理不尽さに、彼女を知る人々は躓く。「お母さん、なぜ過ぎてゆかねばならないのですか」

 交通が滞らないために「道路交通法」があります。その法律を自動車運転に際して、自らの交通基準にしなければ、法律は意味をなさない。法律があるのは、無法・無秩序状態を断つ、避けるためです。人間の社会にも、ある種の交通法規がなければ、衝突などの事故が多発します。道徳などという言葉に「道」が使われるのは、人間社会における諍いや衝突を防ぐためには、交通整理(信号)が必要となり、人間が行き来する道路に混乱を来さないための「ある種の交通規則」を要請されるからです。人間に行き来(往来)において衝突も諍いもないようにと、「徳」、すなわち身に着けておくべき「倫(みち)」が定められてきたのでしょう。

 その昔は「五常五倫」などと言われていました。「五常」は「仁義礼智信」であり、「五倫」は「父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」で、「教育勅語」でうるさく叫ばれてきた倫理や道徳だった。いまさらのように、「教育勅語」を持ち出すことはしませんけれども、「注意力」ばかりは、どんな人にも自らの内に育ててほしい、その願いばかりがぼくの中で大きくなっている。学校に限らず、人とのつながり、交わりにおいてこそ、「思いやり」「配慮」注意」が不可欠。「自分に注意すること」ができる、それをぼくは「知性」と呼ぶ。理不尽(不条理)に奪われている「人間らしさの場所」を取り戻さなければならない。今、社会に最も欠けているのは「注意する力」なのだ。「いい社会(good society)」といえるのは、社会のメンバーがそれぞれに、自他に対して「注意深くある」能力を失わないことではないでしょうか。

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「ここにこうして いつまでもいることは出来ないのですか?
お母さん、
なぜ過ぎてゆかねばならないのですか、
花は美しく、空はあんなに青い、
このはるの 光あふれる中から ―」

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「徒然に日乗」(638~644)(https://http836.home.blog/2025/01/26/

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計算を間違えない注意力を!

<速報>福島県郡山市で受験生はねられ死亡 22日午前6時35分ごろ、福島県郡山市のJR郡山駅前の市道交差点で大阪府箕面市の女性(19)が軽乗用車にはねられた。県警本部によると、女性は市内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。運転手の呼気から基準を超えるアルコールが検出されたとして、郡山署は自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)と道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで同市の男(34)を現行犯逮捕した。(福島民報・2025/01/22・17:18)

(「歯科医になりたいと…」入試の朝、車にはねられ受験生死亡 逮捕の男は深夜まで飲酒か「休んでから運転した」と供述 福島・郡山市)(TUF・2025/01/23)(https://news.yahoo.co.jp/articles/1b0b4a6e1e1d1cb63f84a0b211b367fd809bf6d8) 

⦿ 週初に愚考する(五拾五)~ ニュースの一報を聞いた時、ぼくは居たたまれなくなった。これを書きだそうとしている今も(朝6時50分)、涙が止まらない。ぼく自身、半世紀以上も車に乗っているから、いろいろな経験をしてきました。もちろん「ヒヤッとした」ことも一度や二度ではなかった。幸いなことにだったが、大きな事故を起こしたり、事故に遭遇したことは、これまでのところはなかった。しかし、それは偶然というほかない、たまさかの僥倖が齎したものだった。若いころは相当に乱暴な運転をしていたり、少々のアルコールぐらいと、飲酒運転をしたこともあった。それもこれも、今から見れば、よくぞ大事にも至らず生き延びてきたというほかないのです。いわば、奇蹟(幸運)でした。

 山間の僻地に住んでいるので、どうしても車に乗る。そのような日常で特に気を付けていることは、信号機のある交差点です。歩行者に注意するのは言うまでもないが、進行方向が「青」、反対側信号が「赤」でも、交差点に突っ込んでくる車がいくらもあるので、それにはとにかく注意している。前に走っている車が、赤信号を無視して交差点に入るのも、何度か見ている。加えて、特に目につくのは「一旦停止」をほとんどの車がしていないこと。自分は大丈夫という判断が、事故を呼ぶのだと思う。

 「自分は事故を起こさない」と、誰しもが思っているでしょう。しかし、どれだけ注意していても、事故は上下・前後・左右から迫ってくるのですから、運転者はそれだけの注意力を持っていなければならないのは言うまでもない。うんと若いころ、アメリカの「ジョーク集」に出ていた高齢男性ドライバーの態度に甚(いた)く教えられ、感動したことがある。高速道路の料金所で停止して料金を払おうと待機していた時、後続車に追突された。車から降りで、事故の程度を確認しようとしたら、ぶつかってきた車の運転手もやってきた。「なんだ、こんな若造に事故られるとは、俺も年を取ったものだ」と、その時に免許状を捨てたということだった。「ジョークは人間を救う」この雨以下老人の「ジョーク」には、事故を貰うのも、自分が衰えたから、そういう意味合いが含まれていた。これだ、と運転の際の「鉄則(a strict rule)」にしてきた。そいう視点がぼくには欠けていたから。相手が悪い、自分は悪くない、そして事故は起こった、とするならそういうことを防ぐだけの手立て(注意力)が必要ではないかと、深く教えられたのだった。

 ぼくは今、そのジョークを語った高齢者の身になっているが、いつだって、事故を起こさないのはもちろん、事故を貰わないことに、ひたすら気を配っている。社会における倫理や道徳は、一言でいうなら「注意力」です。信号機があるからなおのこと、「注意力」は必要なんですね。「安全は危険の印」なんですから。そして、言うまでもないことだけれど、安心・安全かどうかを「注意する力」こそ、学校で養ってほしいものと、懇望してきました。「偏差値」を高めるために、他者への注意力(配慮)」を犠牲にしていませんか、そんな埒もないことを言い続けてきました。。

 たった一つの事故ではあっても、一瞬にして、それに関係する多くの人々の「生活」や「日常」を変えて(壊して)しまう。飲酒運転事故に関して、どこかで触れていますが、ぼくは I さん夫妻の経験を肝に銘じてきました。(後掲記事参照)

 悲惨な交通事故を防ぐために、運転者に必要なのは、大した知性や学歴などではない。急いでやって、8+9=15と間違えてしまう、その不注意です。階段を駆け下りて、躓いて骨折するような「不注意」です。酒を飲んだら運転しない、それは自他に対して求められる「注意力」でしかない。その程度の「注意力」喪失の時代にあって、ぼくたちは途方に暮れているのでしょうか。

 事故の加害者に対して、いくら厳罰をもって処しても飲酒運転事故はなくならない。現状では、事故の撲滅を達成するのは不可能かもしれない。とするなら、「禁酒」を徹底するか。それでも危険運転による死亡事故は皆無とはならないでしょう。ではどうするか。いくつかの方途はありそうですが、その問題については稿を改めて考えてみたい。結局は、まず、何よりも「石ころに躓かない」それだけの注意力です。

 今はひたすら、一瞬にして将来を塞がれた19歳の女性のご冥福を祈るばかりです。この悔しさは、どうしたらいいのか、他人であるぼくは深く傷ついています。

【国原譜】人生を変えてしまうこともある交通事故。日々、安全運転は当たり前のこと。飲酒・酒気帯び運転なんて、もってのほかだが、22日早朝、福島県郡山市で起きた事故は何とも痛ましい。/被害者は、JR駅前の横断歩道を歩いていた大阪府箕面市の19歳の女性。大学受験で当地を訪れていて、酒気帯び運転の車にはねられ亡くなった。/志望校合格を目指して、予備校で懸命に勉強したのではないかと推察する。あこがれの地に遠路はるばるやって来て、その努力の成果を実らせる機会、そして命まで突然奪われた無念さは、察するに余りある。
 二十数年前の深夜、国道24号と県道木津横田線の合流地点での体験。信号が変わったのに前の車が動かない。降車してのぞくと、ハンドルにかぶさるように運転手が寝ていた。明らかに酒を飲んで運転中に眠ったと疑われた。/後続車が追突する危険性が高いので、すぐ110番通報。5分ほどでパトカーが駆けつけ、事なきを得た。/時代は変わり、より厳罰化されているのに、意識の低いドライバーによって起こされる悲劇。「飲んだら乗るな!」(恵)(奈良新聞・2025/01/25)
 飲酒運転事故遺族・井上保孝・郁美さんご夫妻の手記 私たち夫婦は、1999年11月、東名高速道路で起きた酒酔い運転の大型トラック事故によって、長女・奏子(かなこ、当時3歳)と次女・周子(ちかこ、同1歳)を目の前で亡くしました。/長年飲酒運転を常習にしていたトラック運転手に、2000年6月8日の判決公判で言い渡された刑は懲役わずか4年。/判決文の中では、「3歳と1歳という幼さで突然の炎に命を奪われた苦痛の大きさは計り知れない。この種の事件としてはことのほか悪質で刑事責任は重大」とされながら、求刑された5年より1年も減刑されました。/その後、このいわゆる「八掛け判決」を不服として検察が異例の控訴をしましたが、判決は覆りませんでした。2001年1月12日、東京高裁は控訴を棄却し、トラック運転手に対する懲役4年という実刑が確定しました。/あの日から私は予想だにもしなかった人生を生きることになりました。(以下略)(特定非営利活動法人「ASK」・https://www.ask.or.jp/article/1048

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