
【産経抄】「追悼ヘルメット」選手の勇姿、世界の人々の心に刻まれた ミラノ・コルティナ冬季五輪の17日間の熱戦に心躍らされた。銀盤上の美しいスピン、青空の下、空中で身体を複雑に捻(ひね)る華麗な舞い…。ただ、ロシアの攻撃で死亡した仲間の遺影を描いた「追悼ヘルメット」で注目を浴びたウクライナ代表、ヘラスケビッチ選手に改めて触れずにはいられない。▼彼の生き方は、ナチスドイツの絶滅収容所に入れられながら生還し、名著「夜と霧」を書き上げた精神科医、V・E・フランクルの言葉を想起させる。<人は強制収容所に人間をぶちこみ全てを奪っても、与えられた環境でいかに振舞うかという人間としての最後の自由だけは奪えない> ▼五輪開会式と同時に、コルティナダンペッツォで行われた入場行進で、旗手まで務めた者としての責任を貫き通したヘラスケビッチ選手に対し、母国のゼレンスキー大統領は「自由勲章」授与で報いた。▼同国のシビハ外相は、国際オリンピック委員会(IOC)が見せた対応をこう明かす。「IOCは『世界にある130の紛争の1つについて沈黙すべきだ』と私たちの選手を脅し、蔑(さげす)み、さらには説教までした」。そして語気を強める。「後世の人々は、これを恥の瞬間として記憶するだろう」 ▼ウクライナ政府によれば、露軍侵略の4年で選手・コーチ約650人が命を落とし、スポーツ施設約800カ所が破壊された。悲惨さに言葉もない。露軍は今冬、エネルギー施設まで徹底破壊した。年配者や幼子は酷寒の夜、暖もなく、打ち震えている。ロシア指導者の体に温かな血は流れているか。▼ヘラスケビッチ選手は母国の苦しみ、人間としての良心を全世界に余すことなく伝えた。たとえ記録は残せずとも、その姿は人々の心に深く、刻まれた。(産經新聞・2026/02/23)
(*ヘッダー写真は「失格処分を受け、ヘルメットを手に記者会見するスケルトン男子ウクライナ代表のウラジスラフ・ヘラスケビッチ=2月12日」、イタリア・ミラノ(共同))

昨日付の産経新聞コラム「産経抄」に強い賛意を表します。これもまた「産経新聞」の一部です。ここにフランクルを出し<人は強制収容所に人間をぶちこみ全てを奪っても、与えられた環境でいかに振舞うかという人間としての最後の自由だけは奪えない>という肺腑の言葉を、ウクライナの選手の行動に重ねています。さすれば、いかにも「平和の祭典」「自由の謳歌」とされている「五輪開催」が、まやかしに満ちているものであるか、「自由を満喫できる」のは、IOCという、金まみれの「怪物団体」の理不尽な命令に従順な国や選手たちだけということを暴いてくれた「ウクライナ選手の行動」に、諸君、注目したまえと言ってくれているようでした。 「ヘラスケビッチ選手は母国の苦しみ、人間としての良心を全世界に余すことなく伝えた」と産経抄氏は書く。ヘラスケビッチ選手の今回の言動において、ぼくは「オリンピックでは、勝つことよりも参加・参与することにこそ意義がある(Participation is more important than winning)」ということを、深く教えられているのです。
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もう一度、「五輪と政治」という視点で、愚見を書き散らします。「何のためのスポーツか」という立場で考えれば、それは個々の選手の好みや信条に応じて、いくらでも述べられるでしょう。確かに「スポーツは一人の人間の権利」に属しますけれど、現実にはいろいろな制約や抑圧があることは隠れもない事実です。「オリンピックは勝つことよりも参加することに意義がある」といったのは誰でしたか。勝ち負け以上に、それには比べるべくもない田シャウトの交わり、交友というものが「世界平和」にどんなに大切なものであることかと、教えてくれているように僕には思われます。もちろん、それにはいくつかの説があるようですが、ここでは次の引用を参考にします。
「1908年ロンドンオリンピックでの綱引きの競技においてイギリス代表とアメリカ代表の試合が行われたのであるが、この際にイギリス代表は警察官が主なメンバーであり、靴の底に鋲を打った靴を使用していた。これに対してアメリカ代表は抗議をしたものの、審判はこの抗議を拒否したために、アメリカ代表はこれに不服として棄権をした。このようにしたアメリカ代表に対してエセルバート・タルボットが送った言葉が「参加することに意義がある」であった。それから後の時代にピエール・ド・クーベルタンは、参加することに意義があると述べたことに加えて、人生で重要なのは、成功することではなくて努力することである。大切なことは勝ったことではなくて、よく戦ったということですという言葉も添えた」(Wikipedia)

この発言もいろいろに解釈できますね。当然のことで、人それぞれに、参加する動機や目的は異なるのでしょうが、それがやがて、ほぼ同じような「参加意識」に固まってくるのは避けられなかった。今では「参加することに意義がある」という人はほとんどいなくなり、「参加して勝つことに価値がある」という「狭隘な」袋小路の中の価値観に変質してきたでしょう。「スポーツにおける勝利主義」「運動における立身出世」とでもいうような捉え方が圧倒的になりました。それを否定するつもりは、ぼくにはない。しかし、そんな「勝たねばならぬ何事も」は、多くの落とし穴を隠していることもまた事実です。「勝つためには手段を択ばない」という風潮は、どこにもあるのではないですか。よくプロの選手は「勝ってなんぼのもん」という現金主義をひけらかします。
もちろん、表向きは、五輪選手はアマチュアです、と言えないところに今日的問題が巣くっているのでしょう。メダルの色によって「賞金額」「報奨金」が異なり、世間の評価が異なるという事情もあるらしい。つまり、五輪は時代とともに、選手や関係者、関係国において、その意味や価値を、金銭的・特権的尺度を中心に据えるように激しく変えられてきたということです。今はもう、「スポーツの限界」を超えていると、ぼくなどは考えている。「ドーピング」や「性転換」選手の問題などなど、「勝たねばならぬ」戦闘意識によって、まるで一発勝負の闘技に傾きすぎる時代の勢いはとどまるところを知らないようです。
さらに加えて、表現は美しくありませんけれど、選手も、競技会場も「広告・宣伝(コマーシャリズム)」のための「掃き溜め(rubbish heap)」になっている。その「広告・宣伝」の主体に、さらに国家が加わってきたと言ったらどうでしょうか。商業主義の上に国家主義がかぶさって、身動きが取れない事態に陥っている、それが「五輪の今日の姿(実体)」だといえませんか(スポーツ界の「国連みたい)。「中(あた」らずと雖(いえど)も、遠からず(Although it’s not accurate, it’s not far off)」「何が何でも勝たねばならぬ」という覚悟が間違いでないのは確かですよ。国(国家)もまた、その威信にかけて五輪に向かう気概(国家意思)を隠さないのですから、国税をつぎ込んで強化されている「選手」もまた、その犠牲者になることは避けられないでしょう。各種スポーツ関係団体は、昔風にいうなら、「在郷軍人会」「国防婦人会」のような「際物(圧力団体でもある)」で、これなくして戦意・戦勝の持続は保たれなかったように、各種組織委員会・競技委員会があればこそ、「五輪ファースト」は維持されてきたのでしょう。

繰り返しますが、国旗を背中に背負って参加する以上、それはある種の「戦争」になるほかないでしょう。それなのに、五輪は「平和の祭典」だから、政治や紛争を持ち込むなという「建前」「空論」が後を絶たない。IOCがそれを「金科玉条(golden rule)」としていること自体、笑止千万ですね。今のままでは、金がかかりすぎて、継続が困難となるのは目に見えているし、商業主義を野放しにすれば、金満国家が五輪を「拉致」「拘束」するのは火を見るより明らかでしょう。今だって、その惧(おそ)れなしとしません。
五輪における政治主義を排除しようとするなら、会場などには国旗や国歌は一切持ち込み禁止、政治家が安易に五輪にかかわることも禁止するなど、少なくとも政治・政治家を排除する方途はいくらでもあると思う。(ぼくは、こんな五輪は止めたらいいという考えを、早くから持っている。各種競技の選手権大会・競技大会は既存のもので十分に運動精神を満たせるものがあると思う)(このように書きましたが、スポーツもまた、一面では「政治の一つ(一つの政治)」でもあることを忘れたくありません)(左の写真は「東京五輪2020」の開催が決まった瞬間の「狂喜乱舞」の一場。ここには元首相が三人も飛び撥ねているし、その他たくさんの「五輪」界隈の人間たちが蠢(うごめい)いていました。アマチュアリズムを踏みにじり、足蹴にしていませんか)
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(以下は東京新聞の「五輪と政治」関連記事。この問題の現時点における問題整理(まとめ)としてはよく書かれていると思いましたので、引用しました)
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五輪は「平和の祭典」か「政治の道具」か トランプ氏はロスで、ヒトラーのベルリン五輪再現を狙ってないか
華麗な氷上パフォーマンスと、メダル獲得に沸くミラノ・コルティナ冬季五輪。世界をみれば紛争はやまず、ロシアによる侵攻が続くウクライナの選手は、戦死者を描いたヘルメットの着用を競技で認められず失格に。移民排斥を推し進める政権への抗議が拡大する米国では、2年後に夏季五輪開催を控える。多様なルーツの選手たちが集まる「平和の祭典」の価値が問われている。(中川紘希、中根政人)(上掲写真も東京新聞)
◆ヘラスケビッチ選手「犠牲者がいるからこそ、自分はここにいる」
国際オリンピック委員会(IOC)が12日明らかにしたスケルトン男子のウクライナ代表、ウラジスラフ・ヘラスケビッチ選手(27)の失格処分。同選手は「とても失望している」と吐露し、処分取り消しを求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴したが、これも棄却された
ロシアの攻撃で命を落とした母国のアスリートたちを描いたヘルメットを着用しての競技は、選手の表現に関するガイドラインに抵触すると判断された。ウクライナのゼレンスキー大統領は「彼の行動を誇りに思う」とたたえ、勲章の授与を発表した。
同選手は処分前、米メディアの取材に対し「犠牲者がいるからこそ、自分は今日ここにいることができ、彼らを裏切るつもりはない」と決意を語っていた。 (中略) (↷ に続く)




◆代表選考で「権力に批判的な意見の選手を排除しかねない」
(中略)
五輪につきまとう政治とナショナリズムの影。2028年の夏季五輪が開かれるロサンゼルスは、トランプ氏が敵視する民主党の支持者が多いカリフォルニア州の中心都市だ。しかも次期米大統領選の直前の開催となる。
上智大の前嶋和弘教授(米国政治外交)は「トランプ氏には、ヒトラーのベルリン五輪を彷彿(ほうふつ)とさせるような、国威発揚のための五輪にしようとする意図がある。スポーツを政治の道具と考えている」と主張する。米国代表の選考に関しても「トランプ氏に批判的な意見の選手を排除しかねない」と訴える。
舛本直文・東京都立大客員教授(オリンピック研究)は、トランプ氏の存在自体が五輪が掲げる「平和」を阻害する要因だとして、ロサンゼルス五輪を巡る環境に対して強い危機感を抱く。
「五輪とは、平和を希求するための取り組みだ。この理想を取り下げてしまえば、戦争や紛争ばかりの世界でいいのかということになってしまう。理想を捨ててはいけない」

◆デスクメモ
1968年メキシコ五輪表彰台。黒い手袋をはめた拳を突き上げて米国での黒人差別に抗議し、大会を追われた陸上選手らがいた。五輪が国威発揚や大国のPRに利用されてきた一方で、追悼のヘルメットも認められないのはモヤる。メダルより大切な尊厳の意思表示と受け止めたい。(恭)(東京新聞「こちら特報部」・2026年2月19日 06時00分)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/469693)
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- 「蛞蝓にも角」「匹夫も志を奪うべからず」

- もう半分とまだ半分(「同量」じゃん)

- 雨の日には歌え(笑え)、ないですか

- 住民投票は議会制民主主義への挑戦だ

- これができるのは、<Only You>です。

- 歌に、忘れられぬ歴史があること















































