良心を全世界に余すことなく伝えた

【産経抄】「追悼ヘルメット」選手の勇姿、世界の人々の心に刻まれた ミラノ・コルティナ冬季五輪の17日間の熱戦に心躍らされた。銀盤上の美しいスピン、青空の下、空中で身体を複雑に捻(ひね)る華麗な舞い…。ただ、ロシアの攻撃で死亡した仲間の遺影を描いた「追悼ヘルメット」で注目を浴びたウクライナ代表、ヘラスケビッチ選手に改めて触れずにはいられない。▼彼の生き方は、ナチスドイツの絶滅収容所に入れられながら生還し、名著「夜と霧」を書き上げた精神科医、V・E・フランクルの言葉を想起させる。<人は強制収容所に人間をぶちこみ全てを奪っても、与えられた環境でいかに振舞うかという人間としての最後の自由だけは奪えない> ▼五輪開会式と同時に、コルティナダンペッツォで行われた入場行進で、旗手まで務めた者としての責任を貫き通したヘラスケビッチ選手に対し、母国のゼレンスキー大統領は「自由勲章」授与で報いた。▼同国のシビハ外相は、国際オリンピック委員会(IOC)が見せた対応をこう明かす。「IOCは『世界にある130の紛争の1つについて沈黙すべきだ』と私たちの選手を脅し、蔑(さげす)み、さらには説教までした」。そして語気を強める。「後世の人々は、これを恥の瞬間として記憶するだろう」 ▼ウクライナ政府によれば、露軍侵略の4年で選手・コーチ約650人が命を落とし、スポーツ施設約800カ所が破壊された。悲惨さに言葉もない。露軍は今冬、エネルギー施設まで徹底破壊した。年配者や幼子は酷寒の夜、暖もなく、打ち震えている。ロシア指導者の体に温かな血は流れているか。▼ヘラスケビッチ選手は母国の苦しみ、人間としての良心を全世界に余すことなく伝えた。たとえ記録は残せずとも、その姿は人々の心に深く、刻まれた。(産經新聞・2026/02/23)
(*ヘッダー写真は「失格処分を受け、ヘルメットを手に記者会見するスケルトン男子ウクライナ代表のウラジスラフ・ヘラスケビッチ=2月12日」、イタリア・ミラノ(共同))

 昨日付の産経新聞コラム「産経抄」に強い賛意を表します。これもまた「産経新聞」の一部です。ここにフランクルを出し<人は強制収容所に人間をぶちこみ全てを奪っても、与えられた環境でいかに振舞うかという人間としての最後の自由だけは奪えない>という肺腑の言葉を、ウクライナの選手の行動に重ねています。さすれば、いかにも「平和の祭典」「自由の謳歌」とされている「五輪開催」が、まやかしに満ちているものであるか、「自由を満喫できる」のは、IOCという、金まみれの「怪物団体」の理不尽な命令に従順な国や選手たちだけということを暴いてくれた「ウクライナ選手の行動」に、諸君、注目したまえと言ってくれているようでした。 「ヘラスケビッチ選手は母国の苦しみ、人間としての良心を全世界に余すことなく伝えた」と産経抄氏は書く。ヘラスケビッチ選手の今回の言動において、ぼくは「オリンピックでは、勝つことよりも参加・参与することにこそ意義がある(Participation is more important than winning)」ということを、深く教えられているのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 もう一度、「五輪と政治」という視点で、愚見を書き散らします。「何のためのスポーツか」という立場で考えれば、それは個々の選手の好みや信条に応じて、いくらでも述べられるでしょう。確かに「スポーツは一人の人間の権利」に属しますけれど、現実にはいろいろな制約や抑圧があることは隠れもない事実です。「オリンピックは勝つことよりも参加することに意義がある」といったのは誰でしたか。勝ち負け以上に、それには比べるべくもない田シャウトの交わり、交友というものが「世界平和」にどんなに大切なものであることかと、教えてくれているように僕には思われます。もちろん、それにはいくつかの説があるようですが、ここでは次の引用を参考にします。

 「1908年ロンドンオリンピックでの綱引きの競技においてイギリス代表とアメリカ代表の試合が行われたのであるが、この際にイギリス代表は警察官が主なメンバーであり、靴の底に鋲を打った靴を使用していた。これに対してアメリカ代表は抗議をしたものの、審判はこの抗議を拒否したために、アメリカ代表はこれに不服として棄権をした。このようにしたアメリカ代表に対してエセルバート・タルボットが送った言葉が「参加することに意義がある」であった。それから後の時代にピエール・ド・クーベルタンは、参加することに意義があると述べたことに加えて、人生で重要なのは、成功することではなくて努力することである。大切なことは勝ったことではなくて、よく戦ったということですという言葉も添えた」(Wikipedia)

 この発言もいろいろに解釈できますね。当然のことで、人それぞれに、参加する動機や目的は異なるのでしょうが、それがやがて、ほぼ同じような「参加意識」に固まってくるのは避けられなかった。今では「参加することに意義がある」という人はほとんどいなくなり、「参加して勝つことに価値がある」という「狭隘な」袋小路の中の価値観に変質してきたでしょう。「スポーツにおける勝利主義」「運動における立身出世」とでもいうような捉え方が圧倒的になりました。それを否定するつもりは、ぼくにはない。しかし、そんな「勝たねばならぬ何事も」は、多くの落とし穴を隠していることもまた事実です。「勝つためには手段を択ばない」という風潮は、どこにもあるのではないですか。よくプロの選手は「勝ってなんぼのもん」という現金主義をひけらかします。

 もちろん、表向きは、五輪選手はアマチュアです、と言えないところに今日的問題が巣くっているのでしょう。メダルの色によって「賞金額」「報奨金」が異なり、世間の評価が異なるという事情もあるらしい。つまり、五輪は時代とともに、選手や関係者、関係国において、その意味や価値を、金銭的・特権的尺度を中心に据えるように激しく変えられてきたということです。今はもう、「スポーツの限界」を超えていると、ぼくなどは考えている。「ドーピング」や「性転換」選手の問題などなど、「勝たねばならぬ」戦闘意識によって、まるで一発勝負の闘技に傾きすぎる時代の勢いはとどまるところを知らないようです。

 さらに加えて、表現は美しくありませんけれど、選手も、競技会場も「広告・宣伝(コマーシャリズム)」のための「掃き溜め(rubbish heap)」になっている。その「広告・宣伝」の主体に、さらに国家が加わってきたと言ったらどうでしょうか。商業主義の上に国家主義がかぶさって、身動きが取れない事態に陥っている、それが「五輪の今日の姿(実体)」だといえませんか(スポーツ界の「国連みたい)。「中(あた」らずと雖(いえど)も、遠からず(Although it’s not accurate, it’s not far off)」「何が何でも勝たねばならぬ」という覚悟が間違いでないのは確かですよ。国(国家)もまた、その威信にかけて五輪に向かう気概(国家意思)を隠さないのですから、国税をつぎ込んで強化されている「選手」もまた、その犠牲者になることは避けられないでしょう。各種スポーツ関係団体は、昔風にいうなら、「在郷軍人会」「国防婦人会」のような「際物(圧力団体でもある)」で、これなくして戦意・戦勝の持続は保たれなかったように、各種組織委員会・競技委員会があればこそ、「五輪ファースト」は維持されてきたのでしょう。

 繰り返しますが、国旗を背中に背負って参加する以上、それはある種の「戦争」になるほかないでしょう。それなのに、五輪は「平和の祭典」だから、政治や紛争を持ち込むなという「建前」「空論」が後を絶たない。IOCがそれを「金科玉条(golden rule)」としていること自体、笑止千万ですね。今のままでは、金がかかりすぎて、継続が困難となるのは目に見えているし、商業主義を野放しにすれば、金満国家が五輪を「拉致」「拘束」するのは火を見るより明らかでしょう。今だって、その惧(おそ)れなしとしません。

 五輪における政治主義を排除しようとするなら、会場などには国旗や国歌は一切持ち込み禁止、政治家が安易に五輪にかかわることも禁止するなど、少なくとも政治・政治家を排除する方途はいくらでもあると思う。(ぼくは、こんな五輪は止めたらいいという考えを、早くから持っている。各種競技の選手権大会・競技大会は既存のもので十分に運動精神を満たせるものがあると思う)(このように書きましたが、スポーツもまた、一面では「政治の一つ(一つの政治)」でもあることを忘れたくありません)(左の写真は「東京五輪2020」の開催が決まった瞬間の「狂喜乱舞」の一場。ここには元首相が三人も飛び撥ねているし、その他たくさんの「五輪」界隈の人間たちが蠢(うごめい)いていました。アマチュアリズムを踏みにじり、足蹴にしていませんか)

++++++++++++++++++++++++++++++

 (以下は東京新聞の「五輪と政治」関連記事。この問題の現時点における問題整理(まとめ)としてはよく書かれていると思いましたので、引用しました)

******

五輪は「平和の祭典」か「政治の道具」か トランプ氏はロスで、ヒトラーのベルリン五輪再現を狙ってないか  

 華麗な氷上パフォーマンスと、メダル獲得に沸くミラノ・コルティナ冬季五輪。世界をみれば紛争はやまず、ロシアによる侵攻が続くウクライナの選手は、戦死者を描いたヘルメットの着用を競技で認められず失格に。移民排斥を推し進める政権への抗議が拡大する米国では、2年後に夏季五輪開催を控える。多様なルーツの選手たちが集まる「平和の祭典」の価値が問われている。(中川紘希、中根政人)(上掲写真も東京新聞)

◆ヘラスケビッチ選手「犠牲者がいるからこそ、自分はここにいる」
 国際オリンピック委員会(IOC)が12日明らかにしたスケルトン男子のウクライナ代表、ウラジスラフ・ヘラスケビッチ選手(27)の失格処分。同選手は「とても失望している」と吐露し、処分取り消しを求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS)に提訴したが、これも棄却された
 ロシアの攻撃で命を落とした母国のアスリートたちを描いたヘルメットを着用しての競技は、選手の表現に関するガイドラインに抵触すると判断された。ウクライナのゼレンスキー大統領は「彼の行動を誇りに思う」とたたえ、勲章の授与を発表した。
 同選手は処分前、米メディアの取材に対し「犠牲者がいるからこそ、自分は今日ここにいることができ、彼らを裏切るつもりはない」と決意を語っていた。 (中略) (↷ に続く)

                                                                                                                                                 
◆代表選考で「権力に批判的な意見の選手を排除しかねない」
 (中略)
 五輪につきまとう政治とナショナリズムの影。2028年の夏季五輪が開かれるロサンゼルスは、トランプ氏が敵視する民主党の支持者が多いカリフォルニア州の中心都市だ。しかも次期米大統領選の直前の開催となる。
 上智大の前嶋和弘教授(米国政治外交)は「トランプ氏には、ヒトラーのベルリン五輪を彷彿(ほうふつ)とさせるような、国威発揚のための五輪にしようとする意図がある。スポーツを政治の道具と考えている」と主張する。米国代表の選考に関しても「トランプ氏に批判的な意見の選手を排除しかねない」と訴える。
 舛本直文・東京都立大客員教授(オリンピック研究)は、トランプ氏の存在自体が五輪が掲げる「平和」を阻害する要因だとして、ロサンゼルス五輪を巡る環境に対して強い危機感を抱く。
 「五輪とは、平和を希求するための取り組みだ。この理想を取り下げてしまえば、戦争や紛争ばかりの世界でいいのかということになってしまう。理想を捨ててはいけない」


◆デスクメモ
 1968年メキシコ五輪表彰台。黒い手袋をはめた拳を突き上げて米国での黒人差別に抗議し、大会を追われた陸上選手らがいた。五輪が国威発揚や大国のPRに利用されてきた一方で、追悼のヘルメットも認められないのはモヤる。メダルより大切な尊厳の意思表示と受け止めたい。(恭)(東京新聞「こちら特報部」・2026年2月19日 06時00分)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/469693

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 

Peace ! Towards the distant horizon

IOC、ナチス時代の五輪扱ったTシャツを販売 批判集中(CNN) ナチスドイツの独裁者、アドルフ・ヒトラーがナチス思想を誇示する場として利用した1936年ベルリンオリンピック(五輪)を記念する商品を販売しているとして、国際オリンピック委員会(IOC)に批判が寄せられている。
ミラノ・コルティナ冬季五輪の開催で注目を集める五輪公式サイトには、物議を醸したナチスの五輪を扱った男性用Tシャツが掲載されている。IOCの「ヘリテージ・コレクション」の一部とされ、現在は「在庫切れ」と表示されている。
このTシャツは、フランツ・ビュルベルがデザインを手掛けた大会のオリジナルポスターをあしらったもの。月桂樹(げっけいじゅ)の冠をかぶった男性アスリートの背後に五輪のリングが描かれ、その下にブランデンブルク門、さらには「ドイツ・ベルリンの1936年五輪大会」との説明が付されている。
五輪公式サイトに設けられたヘリテージ・コレクションのランディングページには、「五輪の各大会はそれぞれ、人類をたたえる目的で世界が結集した歴史上唯一無二の時と場所を反映している」との記述もある。
ヒトラーはナチスの政権掌握から3年半後に開催されたベルリン五輪を、ナチスを宣伝する一大スペクタクルとして利用した。「アーリア人」選手の人種的優越性を誇示しようとする一方、アフリカ系米国人の参加者については「非人間的」だとして公然と蔑視した。
それでも、大会の主役となったのはアフリカ系米国人のジェシー・オーエンスさんだった。オーエンスさんはナチス式敬礼をする人々に囲まれながら表彰台に上がり、4個の金メダルを授与された。
クリスティン・シュミット氏は、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)関係の資料を所蔵する世界最古のアーカイブ、英ウィーナー・ホロコースト図書館の共同責任者を務める。
シュミット氏はCNNに対し、「ナチスは抑圧的な政権を世界に誇示する目的で1936年の五輪を利用した。国際関係の修復を狙う一方で、ほぼすべてのドイツ系ユダヤ人選手の出場を阻み、ベルリンに住んでいたロマ人およそ800人を拘束した。さらに反ユダヤ主義の激しい暴力や宣伝の痕跡を世界の来訪者の目から隠した」と指摘した。
そのうえで「ファシズムや反ユダヤ主義を掲げたナチスのプロパガンダは大会の広報にも浸透しており、海外のユダヤ人アスリートの多くは出場を見合わせた。これらの大会を美的に評価することを、その後に続いた惨劇から簡単に切り離すことができるのか、IOCは検討すべきだ」との見方を示した。(BBC・2026/02/14)                                                   

 この駄文を書きだす直前まで、ぼくはN✖Kの「ラジオ深夜便」を聞いていましたが、4時半前に電源を切りました。「ミラノ五輪」冬季大会の「閉会式」の放送が始まるというアナウンスがあったからです。今朝 4 時半からの閉会式で、五輪大会は終わるとニュースは伝えています。昨日も駄弁りましたが、ぼくはテレビでもラジオでもネットでも、まず「五輪報道」は見ない・聞かないことにしています。理由は単純、「なんで背中に国旗を背負うんですか?」断るまでもなく、ぼくはスポーツ大好き人間ですけれど、反対に国旗(日の丸)・国歌(君が代)はあまり好きではない人間です。好きな運動に嫌いな「国家」が絡んできたら、スポーツ(競技)を見ないことにします。まあ、どういっても「詮方なし」ということ。今次の大会でも、ウクライナのスケルトン選手の「追悼ヘルメット」着用が禁止され、それに従わなかったヘラスケヴィッチ選手は「失格」となったといいます。

(⇧写真:「1936年ベルリン五輪の開会式でのアドルフ・ヒトラー)(BBC・同上)                                              (ヘッダー写真はNUMBER Web・https://number.bunshun.jp/articles/-/848439?page=1

 「追悼ヘルメット」は、五輪憲章に違反すると、IOCいいますが、その主張はいつでも「首尾一貫」していたとは思われない歴史があります。詳細は省きます。今回の大会でも、戦争(侵略)当事国や「武力で他国を侵略した国」の参加を認めています。この矛盾には目をつぶり、選手個人の行為に目くじらをたてる、そんな「(二重基準の)スポーツ大会」は、少なくともぼく個人に関しては、観戦をボイコットするに限りますね。五輪だけではありません。すべからくスポーツにはスポーツ精神によって受け止めるべし、というべきもので、そこに国家の意図や命令が入ること自体が、スポーツの冒涜であると、ぼくは昔から考えてきました。大学に入学した年の10月には、東京五輪が開かれました。その時でも、各競技を熱心にテレビ観戦したという記憶はありません。「東洋の魔女」などという呼称そのものに、ある種の「胡散(うさん)臭さ」を感じていました。もちろん、「バレーボール」そのものを嫌っていたわけではなく、その競技や試合、あるいは選手たちに、必要以上の「添加物(国の代表?)」を加える報道姿勢に大いなる違和感を覚えていたというのです。

 (右写真:「1968年夏季オリンピックの200メートル走後、表彰台で拳を突き上げる金メダリストのトミー・スミス(中央)と銅メダリストのジョン・カルロス(右)。二人ともオリンピック人権プロジェクトのバッジを着用している。オーストラリアのピーター・ノーマン(銀メダリスト、左)も、スミスとカルロスへの連帯を示すOPHRバッジを着用している」(Wikipedia)(この出来事に好いて、ぼくはどこかで触れています。メキシコからの帰国後、二人の黒人選手はアメリカ社会からの「抑圧」を長年にわたって受け続けたのでした)


The american sprinters Tommie Smith, John Carlos and Peter Norman during the award ceremony of the 200 m’s race at the Mexican Olympic games. During the awards ceremony, Smith and Carlos protested against racial discrimination: they went barefoot on the podium and listened to their anthem bowing their heads and raising a fist with a black glove. Mexico City, Mexico, 1968 Mexico city, Mexico, 1968(Wikipedia)
Black Power Salute ブラックパワー・サリュートとして有名なものは、1968年メキシコシティーオリンピックにおいてアフリカ系アメリカ人選手のトミー・スミスとジョン・カーロスが行ったものであり、また、近代オリンピックの歴史において、もっとも有名な政治行為として知られた。
1968年10月17日に行われた男子200メートル競走において、トミー・スミスが優勝(米国、19秒83、世界記録)、ピーター・ノーマンが2位(オーストラリア、20秒06)、ジョン・カーロスが3位(米国、20秒10)になり[1][2]、同日夕刻に表彰式が行われた。
スミスとカーロスは、米国における差別による黒人の貧困を象徴するため、シューズを脱いで黒いソックスを履いた姿で表彰式に臨んだ[1]。さらにスミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを首にまとい、カーロスはクー・クラックス・クランなどの白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するためロザリオを身につけていた[2]。一方、二人とともに表彰式に臨むことになったノーマンも、表彰式前に二人の様子を見て行動に賛同し、二人がつけていた「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(英語版)(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを受け取り、胸につけた[1]。また、スミスとカーロスが黒いグローブを片手にしかはめていない理由は、カーロスが自身のものを持参し忘れたので、ノーマンがスミスの左右一組のグローブを二人で分かち合うよう提案したためであり、スミスが右手に、カーロスが左手にはめた[2]。
シューズを脱いで手に持ち、黒いソックスを履くなどしているスミス(壇上)たち。
表彰式において、三人がそれぞれメダルを授与されたあと、アメリカ国歌が演奏され星条旗掲揚されている間中、スミスとカーロスは目線を下に外して頭を垂れ、黒いグローブをはめた側の握りこぶしを高々と突き上げた[1]。会場の観客からは歓声とブーイングが巻き起こり、この時の様子は世界中のニュースで取り上げられた[1]。
後にスミスは「もし私が勝利しただけなら、私はアメリカ黒人ではなく、ひとりのアメリカ人であるのです。しかし、もし仮に私が何か悪いことをすれば、たちまち皆は私をニグロであると言い放つでしょう。私たちは黒人であり、黒人であることに誇りを持っている。アメリカ黒人は(将来)私たちが今夜したことが何だったのかを理解することになるでしょう。」とこの時のことを語っている。(以下略)(Wikipedia)

 ~~~~~~~~~~~~~~~~

 五輪大会における最大の障害物は、ぼくの個人的意見からするなら「国旗」「国歌」の扱われ方でした。「日の丸」、「君が代」に特別の悪感情を持つものではありませんけれど、五輪における勝利が「国家」への奉仕だという意味合いを持たせているのなら、それはおかしい、間違っているとさえ思われてきます。これをとやかく言う気もないけれども、今日政治権力の近傍に「五輪メダリスト」が蝟集しているさまは何を示しているのでしょうか。商業主義に毒され切っているIOCが、選手の個々人の真摯な主張を恣意的に判断し、「五輪憲章違反」だとするような姿勢は、あまりにも政治的じゃないですか。

(左写真:ウラジスラフ・ヘラスケヴィッチ選手のヘルメットには、戦争で亡くなったウクライナのアスリートたちの写真があしらわれている)(BBC・2026/02/12)

《ミラノ・コルティナ・オリンピック(五輪)で、ウクライナのスケルトン男子選手が着用しているヘルメットが議論を呼んでいる。ロシアによる全面侵攻で殺されたアスリートらの写真をちりばめていることが問題視され、国際オリンピック委員会(IOC)が使用禁止を通告。しかし、同選手は11日の練習でもこれをかぶり、今後も使い続けると表明している。/スケルトン男子は12日に予選が始まり、13日に決勝がある。ウラジスラフ・ヘラスケヴィッチ選手(26)は9、10両日の練習で、問題となっているヘルメットを着用。この日もかぶり続け、「これらのアスリートは競技場に立つに値するからだ」と述べた。/IOCは、このヘルメットがオリンピック憲章に違反するとし、使用を禁止した。同憲章の規則50条2項は、「オリンピックの用地、競技会場、その他の区域ではいかなる種類のデモも、政治的、宗教的、人種的な宣伝も許可されない」と定めている。(以下略)》(https://www.bbc.com/japanese/articles/cjd9ly04r17o

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

*参考資料 「五輪の父でさえ「女性参加は不快で間違っている」…女性はどうやって“オリンピックの性差別”と戦ってきたのか? オリンピックは勝つことではなく参加することにこそ意義がある」/誰もが耳にしたことがある言葉だろう。この名言を述べたのは古代オリンピックを近代に復興させ、「近代オリンピックの父」と呼ばれているピエール・ド・クーベルタンだ。クーベルタンはIOC(国際オリンピック委員会)の初代事務局長を務め、五輪のマークを考案したことでも知られる。/そのクーベルタンはこんな発言もしていた。/「女性をオリンピックに参加させることは、実際的でなく、面白くなく、不快で、間違っている」/彼はさらにこうも述べた。/「女性の誇りは、産む子供の数とクオリティーを通してはっきりと表に現れる。そしてスポーツについて言えば、女性の素晴らしい偉業は、自分の記録を出すことではなく、息子たちを勝利に向けて励ますことだ」/クーベルタンは、オリンピックは男性のためにあるスポーツの祭典であり、女性はオリンピックに出場できるような優秀な男子をたくさん産めばいいと考えていたのである。あからさまな女性差別だが、女性参政権がなかった時代である。彼の発言に違和感を覚える人はあまりいなかったのかもしれない。(以下略)(NUMBER /2021/03/02)(https://number.bunshun.jp/articles/-/847213?page=1

 余談ですが、本人は真剣でもあります。五輪会場内にはいかなる「国旗」も持ち込みを禁じるべきだと思う。どうして、国旗を先頭に入場するのが「平和の祭典」なのか、ぼくには理解不能。スノボーやスケートの技を競うのに国旗は似合わないし、まったく不要ではないかというばかり。各種スポーツの開催に「国旗」が多用されているのは何で、ですか。時には国歌まで持ち出されています。実に興ざめものですな。まさか、国旗のために「競技する」選手はいないだろうし、いるとすれば、それは「スポーツ精神」を間違えて受け取っているでしょうね。次に、これもぼくの夢です。五輪に限らないが、男女が入り混じって、例えば「マラソン」レースをする。かなりの数の女性選手は男性選手以上の能力があることが明らかになるでしょう。さらに偏見や差別を克服する、またとない機会を五輪大会が提供するべきではないですか。性差、国力(軍事力)差を認めない「平和の祭典」であってほしいし、そのためには「差別」「戦争」が開催時に顕著であるときには、「五輪」は中止してはどうでしょうか。

 「女性をオリンピックに参加させることは、実際的でなく、面白くなく、不快で、間違っている」というオリンピックの「父」の発言、当時においてだって。それは偏見であり差別に満ちていると考えた人はいたはず。長い時間をかけて、ここまで来たというのが実情でしょう。でも、まだまだ、永い道のりが残っているんでしょうね。人種差別・性差別をはじめとする「人権意識の希薄さ」が、徐々に克服されてくる歴史でもあったのが五輪大会だったといえるなら、「365歩のマーチ」のごとく、はるかな「水平線(horizon」に向かって歩み続ける必要があるでしょうね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「徒然に日乗」(1011~1017)

◎2026年2月22日(日)如月も残すところ一週間。ひたすら時間が小生の脳細胞をかすめて追い越しているという感覚だ。比較的に長閑(のどか)な、いい天気の一日だった。終日自宅に。▶一週間ほど前から気になっていた猫(♂)あ、まだ帰ってこない。しばらく前に車にはねられて、その死骸に何匹ものカラスが集(たか)っていたのを、車で通りがかりに見て、瞬間的に「ROO(猫の名前)」だと直感した。昨日の昼前に、死体の始末をしようと、段ボールやらスコップなど、いろいろと準備して出かけたのだが、もう、その痕跡すら残っていなかった。ゴミ収集車が運んで行ったのかもしれないと思った。(燃えるゴミ)として始末されたのかもしれなかった。車の激しい通りには出ないものと思っていたが、どういうわけか、自宅近くの県道にまで行っていて、そこを横断しようとして轢かれたのかもしれなかった。これまで、この地に来て、どれくらいの猫の死に遭遇したか。おそらく十匹はいただろう。家に帰らないまま今に至っているのを加えると、相当数になる。今も続く「猫との共生生活」だが、モットーは、猫を飼う(ペットにする)のではなく、一緒に生活するという感覚、そして猫は家の中を出入り自由にするということ、加えて、次々に猫が増えたので、先輩後輩で相性がどうしても会わないものも出てくるので、それを無理に家に閉じ込めることはしないこと、いつ何時、事故・事件に遭遇するかもしれないので、元気なうちは食事だけは十分すぎるほどに与えること、ウイルスやけがなどの際には病院に連れていき治療を施す等、これが原則だ。猫のいる暮らしが始まって7年目。今では近所で放置されている猫が拙宅に来るので、その子たちにも食事を出している。もとをただせば、この子たちはすべて兄弟姉妹だったのだから、そう思っている。(1017)

◎2026年2月21日(土)アメリカから大きなニュースが届いた。大統領の板政策である「関税」に関する違憲判決が連邦最高裁で出された。この後の経過が十分に注目されるだろう。日本の関税は15%だが、この先の交渉などによって10%になるのかどうか。「トランプ関税に最高裁が無効判断、市場への影響は-ウォール街の見方 米連邦最高裁は20日、トランプ大統領が打ち出した大規模な関税措置について効力を認めないとの判断を下した。トランプ氏にとっては看板政策の根拠が否定された形で、政権復帰後、司法面での最大の敗北となった(以下略)」(Bloomberg・2026年2月21日)(意見)とされた「高関税」で得た「収入」は、この先どうするのか。いくつかの塗油差では、この高関税の始末は、アメリカ企業と消費者が、およそ7~8割の負担を強いられたという。いよいよ、米大統領は焼きが回ってきたことを隠せないのだ。取り巻きはどうするか。もちろん、取り巻きの末席には日本政府がいるのだ(1016)

◎2026年2月20日(金)終日自宅に。とても寒い一日だった。加えて、花粉の飛散が大々的に始まっているという報道あり。当地はどうか。例年の何倍もの多量の飛散が予想されて、この先は大いに思いやられるのだ。いかに「予防」することができるか。▶いよいよ「ファシズム」国会の開会である。金融破綻なにするものぞ、と相も変わらず「責任ある積極財政」を叫びつつ、いかなる根拠もなく『日本の偉大さ』を唱える時代がかかった、きわめて空虚な「精神論」(施政方針)演説がなされた。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」と、「大和魂」連呼の雄叫びを議事堂で吠えた、首相の「施政方針」、こんな程度のアジ演説を臆面もなく口走るとは。まさに、戦前「満州事変」時代の国家経営に逆戻りした姿がそこに明らかに見て取れる。(1015)

◎2026年2月19日(木) ①【ロンドン共同】英BBC放送は19日、英警察がチャールズ国王の弟のアンドルー元王子(66)を逮捕したと報じた。逮捕容疑の詳細は不明だが、少女らの性的人身売買罪で起訴され自殺した米富豪エプスタイン氏に機密情報を漏えいした疑いなどで捜査を受けていた。英王室の家系から逮捕者が出るのは極めて異例。/アンドルー元王子はエプスタイン氏から紹介された17歳の少女への性的虐待疑惑を巡り、昨年11月に王子の称号を剥奪されていた。/元王子はアフガニスタンでの投資に関する情報や、シンガポールや香港などを訪問した際の報告をエプスタイン氏に伝えた疑いが持たれている。米司法省が開示したエプスタイン氏に関する文書に含まれていたメール記録で判明した。(共同通信・2026/02/19)エプスタイン事件がさらに深刻の度を深めていると思われる。もちろん、米国の現職大統領の関与もまた否定できない事態を迎えつつあると思われる。②【ソウル共同】韓国のソウル中央地裁は19日、2024年12月に「非常戒厳」を宣言し、内乱首謀罪に問われた前大統領、尹錫悦被告(65)に無期懲役の判決を言い渡した。求刑は死刑だったが、回避した。尹被告は「戒厳令は大統領権限の行使で内乱ではない」として起訴内容を全面的に否認しており、控訴するとみられる。(共同通信・2026/02/19)隣国元大統領の「日所愉快減」発出に対する裁判(一審)の判決が出された。検察の求刑は「死刑」だったが、裁判所の判決は「無期懲役」だった。大統領就任前は「韓国の検事総長」だった人。単純に比較するつもりはないけれど、この国の「三権」は、かなり痛んでいると断じざるを得ない。政府が堕落していて、行政はしっかりするということはあり得ない。国のかたちの基礎を作る「司法・立法・行政」が今の為体(ていたらく)では論外という語ほかない。(1014)

◎2026年2月18日(水)早朝5時半に「ビン・カン」回収の準備をする。収集場にある回収袋を取りに行って、自宅の駐車場で詰める作業をし、それを収集場まで持参。月に一度、必ずやらなければ、相当量のビン・カン類が溜まる。以前は、ごみ処理場まで持参し、キロいくらで料金を払っていたものだ。▶昼前に、猫の「おやつ類」を買うために市原のホームセンターまで。決まった缶詰類が続くと、人間同様に食傷気味になるので、なるべくバラエティを考えて購入するようにしている。大量に購入するので、少しでも安いものを求めたいと、こういう買い方になる。▶Bloombergがこんな記事を出している。「消費税減税は避けるべきだ」とIMFが警鐘、財政健全化の重要性強調 国際通貨基金(IMF)は18日、日本経済に関する審査(対日4条協議)終了後に公表した声明で、日本政府に対し消費税減税は避けるべきだとの見解を示した。高市早苗首相が進める積極財政を巡り、財政健全化の重要性を強調した。/声明では、「短期的には財政政策のさらなる緩和は控え、最近の財政健全化の成果を保持すべきだ」と主張。財政余力を損なわず、ショックへの対応能力を維持するには財政規律が必要であり、これは国債市場の安定にも寄与すると分析した」IMF(国際通貨基金)がこのような記事を掲載するというのは、それなりに日本の「放漫財政」運営と、それによる「国債の累積額」が危険水域に達しているという認識にあるということだろう。特に「消費税減税」を2年間とはいえ、ゼロにするという政策は、日本にとってと同時に、世界の債券市場に多大な影響を及ぼすという警告になる。▶同じ新聞記事。「生保4社の国内債含み損13兆円超に拡大、日本生命5.5兆円-12月末 国内金利の上昇(債券価格は下落)を受け、生命保険会社が保有する日本国債などの国内債含み損が拡大している。日本生命保険など大手4社の合計は昨年12月末時点で13兆2460億円となり、9月末と比べて約2兆円拡大した。/日本生命が18日発表した2025年10-12月期(第3四半期)末の国内債券の含み損は5兆4519億円と9月末から7632億円増えた。13日に公表済みの第一生命保険、明治安田生命保険、住友生命保険を含め大手4社すべてで拡大した。/金利上昇の背景には、昨年10月に発足した高市早苗政権による積極的な財政政策への懸念や日本銀行の追加利上げ観測がある。第3四半期の国債市場では大手生保などが主な投資対象とする超長期債を中心に利回りが急上昇した。中でも30年債と40年債の利回りは12月20日に過去最高を記録した」(以下略)いよいよ、外堀が埋められ始めてきた狼煙(のろし)のようなデータであろう。(1013)

◎2026年2月17日(火)朝方はかなり寒く、時間とともに気温が下がってきた。途中からは雨も降りだして、「寒の戻り」のような天気だった。その雨も昼前には止んで、それでも日差しはなく、寒いままの一日だった。▶終日自宅に。▶このところ気になっているのだが、しばらく帰ってこない猫がいる。もう三日も経つだろうか。昨日、昼頃に茂原方面とは反対側方向に、県道を通ったところ、家の近くだったが、車に引かれた猫をカラスの群れが襲っていた。ひょっとして、あの子ではないかと直感した。赤虎だったし。惹かれてからかなり時間が過ぎていたかもしれない。通り過ぎてから、引き返して確かめようとしたが、車の量も多く、そのまま通過してしまった。今晩になってもまだ帰らないから、きっとあの子に違いないと、始末の思案をしている。昼夜を問わず、我が家の猫たちは家を出たり入ったりしているので、車のたくさん通るところまで出れば、困ったことになると考えていた。明日にでも確認しに行こうか。あるいはカラスが、バラバラにしてどこかにもっていったか。(1012)

◎2026年2月16日(月)日中は晴れていたが、夜になってから雨が降り出してきた。関東地方のかなりのところでも、あるいは降雪があるだろうという予報である。▶お昼前に買い物に茂原まで。久しぶりにいつも行くスーパーとは異なる店に出向いたが、大変な混雑ぶりだった。と同時に、いつも痛感する物価高騰。少しばかりの商品(食料品)を買うだけで、五千円も支払うのである。ぼくの感覚では2割3割の値上がりが今もなお続いているように思ってしまう。年が改まっても物価高は続いているのだ。政治の不作為をどうしやものか。(1011)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

スポーツの実践はひとつの人権である

【斜面】道を照らす火 ミラノ・コルティナ五輪があす未明、幕を閉じる。大会とともに、IOCのコベントリー会長の開会あいさつを振り返りたい。国の別なくたたえ合う選手を見ると、「私たちがどんな人間になりたいのかを思い出します」と語っている◆その通りの光景を何度も見た。フィギュアペアの逆転劇の後で、スノーボードの若者たちの輪の中で。ロシア侵攻から4年となるウクライナ選手団を開会式で先導したロシア人スタッフもそうだ。選手たちはロシア語で話しかけ、彼女は涙したと伝わる◆厳しい現実はある。ロシアは国として参加を拒まれた。一転、パラリンピックでは認められ、ウクライナや地元イタリアが猛反発している。ガザにはイスラエルが居座り、同選手団には開会式でブーイングも起きた。「五輪休戦」の国連決議は守られず、世界で戦闘が続いている◆「人と人のぬくもり、心のこもった触れ合いこそが国境を越える」。28年前の長野五輪の後、本紙に載った看護師の投稿だ。競技で負傷した選手を搬送した際、痛みと寒さに震える彼女に自分の上着をかけ、抱きしめた。その青い瞳から涙があふれたと◆過酷な現実があるからこそ、理想を掲げる意味がある。五輪は国家が競い、争う場ではないはずだ。「あなた(選手)の炎が希望の火をともし、私たちみなの道を照らしますように」と、コベントリー会長はあいさつを結んでいる。選手たちが私たちの胸にともした温かな感情を信じたい。(信濃毎日新聞・2026/02/22)

⁂「週のはじめに愚考する」(107)~ 夏の大会も含めて、ぼくはこの何十年、各国で開かれてきた「五輪」大会のほとんどを見ていません。理由は単純、まさか戦争でもあるまいし、背中に「国旗」を背負って、「勝ち負け」を戦うなんて(そんな選手ばかりではないことを信じています)、とてもではないけれど、スポーツ(運動)精神に悖(もと)るじゃありませんか、そんな個人的な嫌悪感からです。どの国がメダルをいくつ取ったか、まるで「戦果」の競争をしているみたいで、とてもではないけれど、「スポーツ観戦」の気分にはなれないんですな。駄文をつづる際、ぼくはこれまでほとんど「五輪」という語を使い、「オリンピック」という語を避けてきました。その理由は素朴なもので、五輪マーク(シンボル)である「五つの輪」に忠実でありたいと思っていたからです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 カースティ・コベントリーは、国際オリンピック委員会(IOC)の会長に選出された初の女性であり、初のアフリカ人である。/ジンバブエ出身のコベントリーは、同国選手で史上最多メダル獲得数を誇り、これまでに同国が獲得した8つのオリンピックメダルのうち7つを獲得。アフリカ大陸においても最多メダル数となる。2018年9月から同国の青年・スポーツ・芸術・レクリエーション大臣を務めている。/コベントリーは2013年にIOCアスリート委員会のメンバーに選出され、2021年にIOC個人委員として再選された。

 世界トップクラスの背泳ぎとメドレーの選手のひとりである彼女は、アテネ2004オリンピックの200m背泳ぎで金メダル、100m背泳ぎで銀メダル、200mメドレーで銅メダルと、3つのメダルを獲得。北京2008では200m背泳ぎで連覇を達成し、さらに銀メダル3個を手にした。/競泳長水路の世界選手権でも3度優勝し、2005年には100m背泳ぎと200m背泳ぎで優勝。2009年には得意種目の200m背泳ぎも制覇した。また、2008年のFINA世界水泳選手権(25m)では金メダルを4個を獲得している。/コベントリーは、5度目のオリンピック出場となったリオ2016オリンピックを最後に競泳選手を引退した。(IOC)(https://www.olympics.com/ja/athletes/kirsty-leigh-coventry

~~~~~~~~~~~~

 よく知られているように、五つの輪は五大陸、「アジア・アフリカ・ヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニア」を示しています。「ミラノ・コルティナ五輪があす未明、幕を閉じる。大会とともに、IOCのコベントリー会長の開会あいさつを振り返りたい。国の別なくたたえ合う選手を見ると、『私たちがどんな人間になりたいのかを思い出します』と語っている」とコラム氏は書かれている。ぼくはこの会長挨拶を知らない。新しく就任された女性の会長であることは知っていました。その新会長が言われる「過酷な現実があるからこそ、理想を掲げる意味がある。五輪は国家が競い、争う場ではないはずだ」とされるう、その精神はどこから来るのだろうか。

 過酷な現実を忘れるつかの間の「桃源郷(Shangri-La)」、それが五輪であるとでもいうのでしょうか。あるいは、この一瞬だけの「理想郷(Utopia)」なのだと、現実逃避を謳歌しようというのですか。そうかもしれませんね、現に五輪の歴史を見ると、そう思ってしまう。国同士が「国威」や「国家の名誉」(そんなものがあるんですか)をかけて記録や勝負を競うのだと、誰もは思わないでしょうが、現実には、各国対抗メダル争奪戦になっていないでしょうか。それでいいじゃないかという人がたくさんいるでしょう。そういう人に、ぼくは与(くみ)しないいし、反対もしない。ただ、素朴なままで「スポーツ精神」というものを少しは考えてみたい。

 「五輪」が「五大陸」を表し、「国の別なくたたえ合う選手を見る」ことで、あるべき世界の姿、そこに生きる人間の姿勢を見るとIOC会長は語られたという。五大陸が「平和共存」する中での「五輪競技」の意味を考えるとき、この「シャングリラ」に戦争や殺戮が持ち込まれていることをどう見るのか。同じ大陸内の隣国同士が「戦火を交えている」ことに、五輪大会はなすすべを知らない。「ロシアとウクライナ」、あるいは「アメリカとベネズエラ」は、互いに殺戮をし、侵略(強烈な内政干渉)をやめないままで、「五輪」を開くことの意味は、どこにあるのか、「イスラエルとパレスティナ」もまた然り。「国の別なくたたえ合う選手」の姿は美しいでしょう。それも、しかし大会期間中だけであったとするなら、虚しさが先に立とうというもの。

 「オリンピック」という呼称を「五輪」と読み替えたのは、元読売新聞運動部記者だった川本信正さんでした。新聞社を辞したのち、スポーツ評論の分野で大きな仕事をした人であり、IOCの委員も務めた。とても辛辣で、厳しい指摘をスポーツ界に向けておられた。ぼくはそこから、たくさんのことを学んだ。たぶん、読売新聞が、今のように、こんなに腐りきっていない時代の稀有な運動部記者だったと思う。「五輪」誕生のいきさつは簡単でした。新聞社の編集だったか校正だったか担当部署の人から「オリンピックでは、見出しには長すぎる、何とかならないか」と頼まれていた。戦前の話です。当時、菊池寛が宮本武蔵の「五輪書」の連載を、ある雑誌にしていた。それを読んで、川本さんは「あっ、これだ」と思い付いたというのです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 《この五輪という言葉、今でこそ国語辞典にも「(五輪旗を用いるからいう)オリンピックの俗称」(広辞苑第6版)と出てきますが、実はオリンピックの訳語として使われるようになったのは、オリンピックの歴史から見ればそれほど昔のことではありません。今回は五輪がオリンピックの意味で使われるようになった経緯に迫ってみます。/まず五輪の漢字から連想されるのが中国での表記。漢字なので中国語に由来するのではないかと思われがちですが、実は無関係です。中国でオリンピックは発音に似た音をあてており「奥林匹克運動会」が正式表記で、前回の夏の北京五輪の際は「奥運」という略称も見られました。同じ漢字圏でも日本と中国では表記が異なります。         

発案したのは新聞記者 では、なぜ日本では五輪と表記するようになったのでしょうか。「当て字・当て読み 漢字表現辞典」(三省堂)のオリンピックの項目には「『五輪』はゴリンと読まれ、戦前に日本で新聞記者がスペースを節約するために造り出したもの」とあります。この記者というのが読売新聞記者だった川本信正氏(1907~96年)です(左上写真)。運動部記者としてオリンピック報道に携わり、32年のロサンゼルス五輪陸上男子100メートルで活躍した吉岡隆徳選手を「暁の超特急」と名付けたことでも知られています。戦後はスポーツ評論家として活動し、日本オリンピック委員会(JOC)委員も務めました。/川本氏は40年夏季五輪の東京招致(38年に返上)決定を巡る取材をしていた36年、オリンピックは6文字で新聞の見出しには長い、略せないかという相談を紙面の編集を担当する整理部から受けました。「国際運動」「国際運競」などと考えるなか、五つの輪がオリンピックのシンボルマークだから「五輪大会」はどうかと思いついたといいます。「『文芸春秋』に菊池寛さんが、宮本武蔵の『五輪書』のことを書いたんです。私、それを読んでいまして、あっ、これだと思ったんです。(中略)なるほどマークだし、五輪が、オリンピックのオリンと語呂が合うと言うんですね》(昭和史探訪3「戦火に消された『東京オリンピック』」)(以下略)(日本経済新聞・2012/07/12)(https://www.nikkei.com/article/DGXNASDB18001_Y2A710C1000000/)

~~~~~~~~~~~~~~~~

 「五輪」という語には多様な意味があり、仏教でも「五輪」は重要な概念として用いられています。面倒は避けますが、この「五大陸の平和な共存」を、本当に重んじるなら、現行の五輪方式をいくばくかは改革をする必要があるでしょう。大雑把に、その1、2を上げてみます。第一に、戦争や紛争が地球上で起こっている間は、残念ですが、「五輪大会」は中止にしたらどうか。前例はありますよ。それに、各競技における、各種レベルの競技大会は、大小を問わず、実にたくさん今でも開かれていますから、同じような競い合いを五輪大会でやる意味は薄いと思う。「五輪」を尊重するなら、戦争を仕掛けている国の「選手」の参加を拒絶するのではなく、国そのものの責任を問題にすべきだし、そのためには、戦争当事国の責任を今以上に問うべきでしょう。第二に、開催時に五大陸で紛争がないとして、大会期間中はそれぞれの大陸国(参加者)が連合して、競技を進めるのはどうだろうか。競技の記録や勝ち負けは選手のものではあっても、同じ大陸内の選手同士がもっと親交・親睦を深める工夫を凝らすべきだと思う。

 五輪精神の最大の意義は、国家意識を限りなく消すこと、薄めることにあるのではないでしょうか。はじめはは選手同士が戦っているのだが、それがいつの間にか国同士の争いに変わって行く、奇怪な現象をなくすための知恵を働かせる必要があるでしょう。その第一歩として、「国旗」「国家」を五輪会場に持ち込まないことですね。国旗や国歌が、今の社会にどんな価値や意味を持っているのか、あるいは、その国の国旗や国歌を見聞きして、耐えられない思いをする人々もいるでしょうに。「旗のもとに」、という言葉にぼくはある種の嫌悪を覚えるのです。湾岸戦争時の軍事的参加をアメリカから求められた際、アメリカの政府高官は<Show the Flag>と激しく日本政府を詰問したといいます。「国旗を掲げよ」というのでした。今、この国の首相は「国を強くする」「日本列島を強く豊かに」と叫声(嬌声ではないと思う」を上げて、自他を鼓舞している。なんという野蛮で無粋なことだろうかと思う。限りない「精神の頽廃(spiritual decadence)」ですね。

 (言いたいことはまだまだありますが、さしあたり、ぼくが「五輪」に関心が持てないわずかな理由を述べてみました)(マラソンを観戦することは好きですが、もしぼくが参加している選手だったとして、「五輪マラソン」と「ながら(居住地)マラソン」で走ることに、どれほどの差があるかという気持ちになるでしょうね)(各国内の組織委員会、例えば、JOCなどのような組織の関係者は、スポーツ経験者に限るというのはどうでしょう。政治家や業界の有象無象がスポーツを食い物にしている、実に醜悪な事案が多すぎますからね。各国にも似たような事情があるんですか)(「がんばれ!ニッポン!」(JOC)という旗が存在している限り、生きている限り、ぼくは五輪を見ないでしょう》

++++++++++++++++++++++++++++++

*参考資料 

 オリンピック憲章(Olympic Charter 1996年版) (財)日本オリンピック委員会

1 近代オリンピズムの生みの親はピエール・ド・クーベルタンであった。氏の提案にもとづいて、1894年6月、パリ国際アスレチック会議が開催された。国際オリンピック委員会(IOC)が発足したのは1894年6月23日であった。1994年8月の第12回総会はオリンピック百周年に当たり、「Congress of Unity」をテーマにパリで開催された。                                               2 オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、均衡のとれた全人のなかにこれを結合させることを目ざす人生哲学である。オリンピズムが求めるのは、文化や教育とスポーツを一体にし、努力のうちに見出されるよろこび、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。                                         3 オリンピズムの目標は、あらゆる場でスポーツを人間の調和のとれた発育に役立てることにある。またその目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独または他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に従事する。                                         4 IOCが率いるオリンピック・ムーブメントは、近代オリンピズムにその端を発している。                                   5 オリンピック・ムーブメントは、最高機関IOCのもとで、各種組織、競技者、その他の人たちを統括する。彼らは、オリンピック憲章によって導かれることに同意した人々である。オリンピック・ムーブメントに帰属するための基準は、IOCによって承認される。スポーツの組織および管理は、IOCが承認する独立のスポーツ団体により監督されなければならない。                                6 オリンピック・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年を教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。                                                                       7 オリンピック・ムーブメントの活動は、結び合う5つの輪に象徴されるとおり普遍且つ恒久であり、五大陸にまたがるものである。その頂点に立つのが世界中の競技者を一堂にあつめて開催される偉大なスポーツの祭典、オリンピック競技大会である。                                       8 スポーツの実践はひとつの人権である。何人もその求めるところに従ってスポーツを行う可能性を持たなければならない。                                     9 オリンピック憲章は、IOCが採択した基本原則、規則および細則を成文化したものであり、オリンピック・ムーブメントの組織および運営を統括し、オリンピック競技大会開催のための諸条件を規定するものである。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

青い瓦斯燈境内を 出れば本郷切通し

 うねる幹にピンクの花 矢掛・観照寺、臥龍梅見頃 矢掛町横谷の観照寺で、うねるように伸びた幹が竜のように見えることから「臥龍梅(がりゅうばい)」と名付けられた紅梅が見頃を迎えた。黒い幹にピンクの花が映え、参拝客らに春の訪れを告げている。22日には恒例の「梅まつり」が開かれる。
 臥龍梅(高さ約3メートル、枝張り約4メートル)は本堂前にあり、樹齢230年以上とされる。見る角度によっては曲がりくねった幹がハート形にも見える。同寺によると、今年は1月下旬からほころび始めた。寒さが和らぐとともに花が徐々に咲き、今月いっぱいは楽しめるという。境内や寺周辺のしだれ梅など約50本も順次開花する見込み。
 写真を撮りに訪れた里庄町新庄の田辺毅さん(89)は「年によって異なる花の様子を見るのが楽しい」と話していた。
 梅まつりは午前10時から。うどんや焼き芋の販売、梅の種飛ばし大会(午後1時から)などがある。問い合わせは同寺(0866-82-1049)。(浪速祐彦)(山陽新聞・2026/02/20)(ヘッダー写真も)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 「桜伐る馬鹿 梅伐らぬ馬鹿」という。ぼくも何度か指摘されたことがあります。これは「ことわざ」なんでしょうか。小さいころから、桜よりももっと親しくしていたのが梅でした。「梅干し」などの食用品ではなく、梅の木から落ちたものや木になっているものをもいで食べていたのはまだ小学校に入る前。梅で有名なところでは京都の北野天神、ぼくは京都に来た当座はその天神さんのすぐそばに一時住んでいました、堀川中立売。その天神さんの前まで伸びていた嵐電(京福電鉄)の終点は「北野白梅町」でした。ここも、御所と並んで、ぼくの小学生時代のつかの間の「遊び場」だった。その後に移住したのが嵯峨。そして、嵯峨野。嵐電の乗降駅は「車折(くるまざき)」だったし、高校は「常盤」(常盤御前・義経のは母でもある人の墓のあるところ。仁和寺の西隣でした)大学に入学して、およそ10年住んだ本郷(旧帝国大学赤門前・江戸期の加賀屋敷跡地)の家の近くには「湯島天神」があり、季節を問わずにしばしば通ったものです(徒歩5分ほど)。

 「学問の神様」と崇(あが)められた菅原道真を祭った東・西の神社(天満宮)のそばに住んでいて、盛んに遊んだにもかかわらず、「学問」への関心も涌かず、能力も皆目育たなかったのは、なぜだったろうか。「湯島通れば思い出す お蔦(つた)主税(ちから)の心意気」という俗謡を、ぼくは盛んに能登半島の田舎で歌っていたことを覚えています。(「湯島の白梅」小畑実・藤原亮子歌 泉鏡花原作の映画の主題歌でした)まだ就学前に、こんな歌を高唱していたのですから、その成長度合いがわかろうというもの。学校では断じて教えないことを好んで、しかも独学していた幼児は、そのまま成長して、きわめて「反・非学問的」になったのは不思議でもなんでもなかったでしょう。以下に「湯島の白梅」の歌詞を出しておきます。佐伯孝夫さん(1902~1980)の作。佐伯さんは特に作曲家の吉田正さんと組んで数限りない作品を残された。

 この「湯島の白梅」に描かれた風景や情景は、明治のもっともさかんな時期、明治三十年代を彷彿とさせます。その時期、この本郷近辺にはたくさんの知名の人々がいました。ぼくの好みでいうなら、樋口一葉、啄木、漱石・子規・鴎外・柳田国男・島崎藤村…。それこそ、東京が文明の都市として栄える端緒になっていた気もします。まるで「古い江戸」と「新しい東京」のアマルガムのような雰囲気があったと思う。ぼくが本郷に住みだしたのは1964年、その10月には東京五輪が開かれています。小学校に上がる前から歌っていたこの「歌詞」には、江戸末・明治・大正・昭和がそれぞれに織り込まれていて、まさしく、歴史を感じたのでした。漱石や鴎外の小説の人物が、歩いているという、不思議な心持ちになることもありました。

 ぼくはミーちゃんハーちゃんではありますが、何でもかんでも歌謡曲が好きというのではありません。そこに「歴史」が感じられるものでなければ、それほど好まない。惚れた晴れた、噛んだ噛まれた、捨てないで化けて出るよ、などというのは、まったく性には会いません。歌謡曲でとても好きなのは「長崎物語」、これについてはどこかで触れています。「湯島の白梅」には、男女の恋だとか相田とかいうものが主張でしょうが、その背景には「明治」「大勝」「粗油和」がありありと移されています。こういうのは大好きでっでね。(*「湯島の白梅」https://www.youtube.com/watch?v=Bkh9dcX_lBo&list=RDBkh9dcX_lBo&start_radio=1&rv=9sv5GFiWBlI

 (このYouTubeで歌っている人がどなたか、ぼくは知らない。とにかく60年前に、田舎者が、方々を彷徨していた当時をありありと思い出して、いろいろと想いはあらぬ方向に流れていきます)(中国嫌いの人が聞いたらどう思われるか。日本の演歌の淵源は、おそらく中・韓経由ですな)(左の写真は湯島「女坂」。この「女坂」の裾に何軒かの飲み屋があり、しばしば通ったものでした。ぼくの浮浪者・不良青年の時代のことでした。上野池之端にも怪しげなバーがあり、ぼくには異質の世界を教えられました。顎鬚や脛毛たくさんの「ホステス」さんにかわいがられたものでした)

(一)【女】
湯島通れば 想い出す
お蔦主税の 心意気
知るや白梅 玉垣に
残る二人の 影法師

(二)【男】
忘れられよか 筒井筒(つついづつ)
岸の柳の 縁むすび
かたい契りを 義理ゆえに
水に流すも 江戸育ち

(三)【男女】
青い瓦斯燈(がすとう) 境内(けいだい)を
出れば本郷 切通(きりどお)し
あかぬ別れの 中空(なかぞら)に
鐘は墨絵の 上野山

作詞:佐伯孝夫    
作曲:清水保雄
歌唱:小畑実/藤原亮子
制作:滝野細道(JASRAC No.090-0153-1)

 北野天神の梅の開花時期の様子はぼくの記憶からはすっかり消えています。でも、湯島天神の白梅(➡)は、盛りの時期に足を運んでいるのですが、その哀れな姿に驚愕したものでした。その当時(今から60年も前のこと)、すっかり老木と化し、自動車の排ガス等の影響もあって、梅花も、申し訳程度についているような具合で、この先、長くないだろうという気分になったことでした。もう何十年も足を向けたことがありませんから、今の様子がわからないのは、かえって幸いかもしれません。「学問の神様」といわれて、今でも受験期には、それこそ各地から天神詣りに千客万来です。(「行きはよいよい帰りは恐い♪」)ぼくは、そんな趣味はなかったから、「神頼み」はしませんでしたが、おふくろは、京都の車崎神社で(ぼくの受験の)「合格祈願」の「お百度参り」をしてくれていたと、かなり後になって聞いたことがあります。親のすること、という意味でぼくは深く感心させられたのでした、ありがたいことでした。

 おふくろが植木や花いじりが好きで、梅の種類も実物で教えてもらった記憶がぼくには残っています。梅について語れば、それこそ、桜同様、あるいはそれ以上に面倒なことになるでしょう。梅・桜ともに、その品種は数百はあります。もちろん、梅は中国からが定説で、一方の桜は「亜細亜原産」だとされます。(昨日は「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という端唄に触れています)拙宅にも一本の老木があります。辛うじて、春の花だよりを告げてくれていますけれど、さて、どれくらい生きるか、ぼくと競争のような、衰えようでもあります。その下の土の中から、可愛い苗木が顔を出しています。しっかりと後継ぎは育っているんですね。

~~~~~~~~~~~~~~

「…材は粘りがあって硬く,細工物に利用される。 天然記念物のウメの多くは,幹が横倒れとなったものから再発根して,新しく幹枝を伸ばし大株に生育した臥竜梅(がりゆうばい)が多く,1株が梅林のように茂る。宮崎県の月知(げつち)梅座論梅,山口県の余田(よた)臥竜梅,鹿児島県藤川天神の臥竜梅が国の天然記念物に指定され,樹齢も何百年という木が残っている」(世界大百科事典・旧版)(上の写真参照)

◎ ウメ(梅)【ウメ】= 中国原産のバラ科の落葉小高木で,九州には野生があるという。初春,葉に先だって香り高く咲く花は万葉以来愛されてきた。葉は楕円形〜卵形,花は前年の枝の葉腋に1〜3個ついてほとんど柄がなく,径2〜2.5cm,白色〜紅色,花弁は5枚が基本である。庭木,盆栽,切花として観賞する花梅(はなうめ)の品種は,おもに江戸時代に作られ,現在でも300以上がある。大別して,原種に近い野梅(やばい)性,花のつく小枝とがくが緑色をした緑萼(りょくがく)あるいは青軸(あおじく)性,古枝の髄まで赤い紅梅性,アンズと交雑して作られたアンズ性,秋〜冬に小枝が紫紅色になり大輪の花が咲く豊後(ぶんご)性のほか,枝のしだれる枝垂(しだれ)性などの系統がある。果実を収穫する目的で栽培されるものは実梅(みうめ)といわれ,〈白加賀〉〈小梅〉が全国的に有名。おもな産地は和歌山,群馬,長野など。同一品種だけでは実りが悪いので,数品種混植する必要がある。収穫は6月中旬ころからで,果実は梅干,梅酒,梅酢などにされる。昔は未熟な実をふすべた烏梅(うばい)/(からすうめ)や青梅の果肉をはいで乾燥した剥梅(むきうめ)として,媒染剤や薬用にもされた。未熟果はアミグダリンを含み,生食すると有毒である。(百科事典マイペディア)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 本日は、この先に「冬季五輪」や「国会開会」の話題に触れようとしていたのですが、すっかり関心がなくなってしまい、ここでやめておきます。大したことを言えるはずもなく、「冬季五輪がいよいよ閉幕」と聞いて、うれしくなったというだけのこと。どうしてスノボーやフィギュアスケートなどで「日の丸」なんですか、実にばかばかしいと、ぼくは思うばかり。まやかし中継にも、「お涙頂戴」あり、「日本凄い」あり、こんな競技会がなんで「国威発揚」に一役買わされるというのか。そのメディアの報道ぶりの下品で醜悪な態度がしばらくとはいえ、見せつけられないと知っただけで、ぼくは大喜びでした。なにしろ「ラジオ深夜便」さえも、おちおち聞いていられなかったのですから。

 (いうまでもありませんが、ぼくはスポーツ競技そのものをとやかく言いたいのではありません。それぞれがスポーツ精神に基づいて敢闘・健闘することに否やはありませんから。それを国と絡める必要がどうしてあるんですか、といささか腑に落ちないだけです。「日の丸」を背負って、フィギュアー(ペア)がついに逆転勝ちで「金メダル」というのでしょうが、ぼくはそんなところに日の丸も国歌もいらないと考える人間です)

 加えて、国会が始まり「所信表明」があちこちで流れてきました。聞くともなく聞いていて、虫唾(むしず)が走った。「胃酸過多のため、胃から口に出てくる深い酸っぱい液」です。反吐が出る前に、「演説」は見るのをやめましたよ。この嘘つき宰相(マッチョらしい)の鸚鵡返し「演説」を、誰か止めないのでしょうか。馬鹿の一つ覚えのように「責任ある積極財政」を唱えるが、その実態は、「インフレ増税」任せで「名目GDP」総額を大きく見せるだけのまやかし政治。あの内容浅薄、いや空虚な演説で、議場は「拍手喝采」というのは、どう見ても「極右の国家主義、全体主義」の発現ではないですか。地に落ちた「国会議員」、地獄に落ちた「日本国民」ですな。ぼくも地獄落ちの一人ですけれど、無理ではあっても、一蓮托生だけはご免被るね。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ママ、戦争止めてくるわ。付いてきて

【潮流】#ママ戦争止めてくるわ 先日、90代半ばの被爆者と会って体験を聞く中で、あの日から80年を経た現在の心境に話が及んだ。「今の社会の空気が、戦争の前とどこか似ている。怖いです」◆私たちの日常が、今すぐ戦争と直結するとは想像しにくい。でも、戦時一色の日々を肌身で知る女学生当時の記憶と、今の社会の空気が重なる実感があるのなら、杞憂(きゆう)とは片付けたくない。◆その言葉がいつになく心に引っかかったのは、日本の針路を問う衆院選の終盤だったからだと思う。ほぼ同時にX(旧ツイッター)などで、戦争反対の思いを1票に託すよう呼びかける「#ママ戦争止めてくるわ」が流れ始めた。◆エッセイスト清(きよし)繭子さんの投稿が爆発的に拡散。歌手・俳優の小泉今日子さんが所属事務所のアカウントで反応したことから「キョンキョンも!」と話題を呼んだ。一方で「中国に言うべきこと」などの反発も多い。◆実際、「戦争しよう」と意図している候補者はいなかっただろう。でも、ここで日清戦争から130年余にわたる日本の戦争の歴史から学びたい。戦争は往々にして、他国に対する「何するものぞ」という強硬論と、国家権力への批判を許さない世相が過熱した先にある。今の社会の空気は、どの段階にあるか。◆かつてママたちは、かっぽう着姿の「国防婦人会」として戦争遂行の一翼を担った。もし戦争になれば、「止めてくる」と言っていたのに進んで、あるいはあらがいきれず協力に転じるママは必ずいるだろう。報道機関も例外ではない。◆加速が付くほど止められなくなるのが戦争。その影が実像として見え始めるはるか前から、警鐘を鳴らし続けていこう。(中國新聞・2026/02/19)

 皮肉でもなんでもなく、「#ママ戦争止めてくるわ」が今回の衆議院選挙で火の手を上げだしていた「T旋風」に、いわば油を注いだ感がありました。「戦争?ばかばかしい」とみなしている人が圧倒的多数だったと思うけれど、「戦争への道を進んでいる」と考える有権者も少なからずいました。細かい分析はしませんが、いつの時代でも圧倒的多数は、声なき声を飲み込んでいるのです。「本当に戦争になる」と信じ込んでいる人などいるはずもないでしょう。まして、自分が戦争の犠牲になるなんて、どこの国の話、って。

 いつも言うことですが、「戦争? いったいどことするん?」ということです。相手もいないのに「戦争」が話題になるというのも不思議な話。もちろん、多くの有権者は「敵は中国」とみているかもしれません。しかし、「なぜ中国なのか」ということに関しては、あるいは浅慮は働いているかもしれませんけれど、遠望していっているものはほとんどいないでしょう。「相手がデカすぎる」というのが第一の理由ですが、日本経済の基盤となっている隣国と、わざわざ戦う愚か者はいないでしょう。ぼくはそう考えるが、いや、どこにだって「愚か者はいる」とも言えます。

 【衆院選】「#ママ戦争止めてくるわ」SNSで広がった共感 国内の「トレンド1位」にも、投稿者が反響振り返る 「ママ、戦争止めてくるわ」。自民党が圧勝した衆院選の終盤、2人の子どもを育てる清繭子さん=東京都=がX(旧ツイッター)に投稿したつぶやきが、大きな反響を呼んだ。ママの部分を「パパも」「独身男子も」「子どもいないけどおばちゃんも」と変え、ハッシュタグ(検索目印)を付けた投稿が相次ぎ、「#ママ戦争止めてくるわ」が一時、国内の「トレンド1位」になった。清さんは「一市民の私が子どもにかけた言葉を、みんなが希望のある言葉にしてくれた」と語る。
 日常の中で、自然と出た言葉だった。
 5日夕、下の子を保育園に迎えに行きながら、その足で期日前投票をしようと思い立った。横でゲームに興じる小学生の上の子に、関西弁で声をかけた。「ママ、戦争止めてくるわ。付いてきて」
(中略)
 投開票日の8日夜、清さんはXにこう投稿した。
 ≪みんなの声があったかすぎて、冷笑も侮蔑も聞こえなかった 私には声があることがわかったから 私だけの声じゃないってわかったから 一人つぶやいた時より、今のほうが 戦争止められる気がしてます 胸がずっと温かいままなんです みんながくれた希望です 明日からもずっと #ママ戦争止めてくるわ≫(神奈川新聞・2026/02/14)(ヘッダー写真も

 今日のこの国の形を作ったのは、明治維新や第一次世界大戦後ということも考えられますが、何よりも「満州事変」の歴史の中で、だったとぼくは考えている。いわば、今ある「政・官・財」の強固なトリオを生み出したの対中国侵略戦争においてだったといえる。詳しくは言いませんけれど、対中戦争のさなかに「満州の地」で作られた「産・官・軍」(これは「政官財」の一つのヴァリエーション)は、対英米戦争に敗れて、迎えた「敗戦後日本」の土台となっていたことは明らかです。

 今回の選挙キャンペーンで盛んに唱えられた「日本劣島を、強く豊かに」は、この満州事変で唱導された「王道楽土」「五族協和」を謳った「満州帝国」の成立に重なるのではないか。しかし、この「十五年戦争」の悪夢ような「戦争体験」を、「日本列島を、強く豊かに」と叫んでいる人たちは持っていない。だから頭の中で「帝国再建」を描いているし、それ故に、空想は限りなく拡大するのでしょう。

 首相や政治家たちだけではなく、その呪文の魔力にしてやられた「あまたの有権者」も、「夢(悪夢)よ、もう一度」という思いを描いていたはずです。描いたというより、描かされたというべきでしょうか。そこには個々人の主体性(判断)なんて微塵もなかったでしょう。そんなものです、とシニカルになるつもりはありません。この情勢、流行こそが「ファシズム」の温床だということです。ほとんどの人は「自分はファシズムに加担している」とは夢にも思わない。それがファシズムです。だから、「#ママ戦争止めてくるわ」もまた、時には「ファシズム」の寝床を準備する「培養液」に早変わりすることもあるのです。

 国の将来を嘆いているのでもなければ、憂えているのでもありません。極めて残念ですが、デモクラシーからファシズムは生み出されるという「歴史の法則」に欺くことは、残念ながら、いかなる国も国民もできないという「現実」を熟視するばかりです。「#ママ戦争止めてくるわ」と幼い子どもに呼びかけた、母親の「一声」に多くの大人たちが飛びついたという「風靡(ふうび)」にも、ぼくはいささか寒心に堪えないと、正直に白状しておきます。それを受け取って「「#パパ戦争始めてくるわ」というおっさんたちもいないとも限りません。つまり、「絶対に、ほんまの戦争(殺し殺され合い)はない」と腹に決めておいて、ある種の「シミュレーション」をしているような気がするのです。「机上戦」というか「練習ごっこ」のような雰囲気を感じるのは、自分だけは「戦場に行かない」という奇妙な「独り決め」「期待」があるからでしょう。

 自衛隊は国軍にする」と首相一味は張り切っています。軍もそれ相応に増強する(国家予算の三割近くが「国防予算」というのは、戦時体制そのものでしょう。これもまた「満州事変」に倣っているのか)とくれば、不足するのは軍人だと、誰だって気が付く。だから「徴兵制」を敷くのか、いやそれは無理だから「外人部隊(傭兵)」となるのか。こんなあほくさい国の軍隊に入る外国人はいるでしょうか。どこまで行っても、「戦争」は夢、しかも「悪夢」だと気が付かないはずはないんですがね。

 「#サナエ 中国叩いてくるわ」という勇ましい、いや忌まわしい「ママ」がいると、そこにはきっと、 「#ママ戦争止めてくるわ」と、わが子の命を守る側に徹底して寄り添うママもいる。「靖国」への参拝が「戦争肯定」の踏み絵になるような、そんな不吉な時代や社会は「平和を希求・懇望する」人にはふさわしくないのではないでしょうか。「#ジイサン戦争の火種を消してくるわ」(これが、ぼくの「鼓腹撃壌」なんだ。一人の平和・生活をかき乱す輩には、渾身の力を持って、毅然として反旗を翻すよ)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

梅は咲いたか 桜はまだかいな

 茨城県は千葉の隣県。これまでに何度も足を運んだものです。茨城新聞のコラム「いばらき春秋」には、もう何年も目を通していますが、この駄文の中で言及することはほとんどなかった。あったとしても、1回か2回? なぜかと、時々考えますが、答えは明らかです。他紙の「コラム」に比べて、実に奥ゆかしいというか、おとなしい。あるいは控えめ。それは貴重な特質で、目立ちがりの多い新聞では珍しいですね。なかなかに稀有なことと思っています。目立たないというか、出しゃばらないというか。ただし、このコラムはひたすら「土地(郷土)」にこだわる傾向があるようです。「お国自慢」というのではないでしょうが、地域に根差し、地域に誇りを持っているように見受けられるのは、とてもうれしいことかもしれないし、地域新聞なら当たり前といわれるでしょう。その誇りの一つ(代表)が「偕楽園」(☚)でしょうか。記憶はかすかですが、ぼくも訪れことがあります。梅の時期ではなかったことは確か。

 その昔(奈良・平安時代)は、理由があるのでしょうが、梅のほうが桜よりも愛(め)でられていたようで、だからというのではありませんけれど、あえて言うなら、ぼくは質素な佇(たたず)まいの梅に惹かれます。もちろん、桜は好きですが、染井吉野(ソメイヨシノ)だけはご免被るという感覚では一貫しているし、この劣島の桜といえば「染井吉野」がほとんどとくれば、自ずから「桜」よりも「梅」となります。「梅は咲いたか 桜はまだかいな」という、いわば江戸の俗曲が歌いつがれて、ぼくのような野蛮人の耳にも入ってきました。よく覚えています。少々「色気」が濃厚ですが。「しょんがいな節」として知られているものです。こんな「俗曲」(小唄・端唄)など、学校では絶対に教えてくれません。だから、ぼくはすべて「独学(self-study)」でありました。

”梅は 咲いたか桜はまだかいな 柳やなよなよ風しだい
山吹や浮気で 色ばっかりしょんがいな
あさりとれたか蛤やまだかいな 鮑くよくよ片想いさざえは悋気で 角ばっかりしょんがいな
柳橋から小船を急がせ舟はゆらゆら波しだい 舟から上がって土手八丁吉原へご案内”

 (ここで三味線伴奏で実際の演奏をかけてもいいのですが、いかがでしょう。昨日は「讃美歌(慈しみ深き、友なるイエスは(What a friend we have in Jesus)」でしたから、この変調・転調ぶりはなかなかのものですね)

【いばらき春秋】先週の雪景色がうそのようだ。日本三名園の一つ、偕楽園の梅は既に全体の5割弱が咲き進み、烈公梅のほか遅咲きの白加賀の開花を公式ホームページが伝えている▼季節は駆け足で進んでいるが、永田町はどうか。異例の通常国会冒頭解散から26日後、第2次高市内閣がようやく発足した。首相は衆院の4分の3を占める圧倒的な数の力を獲得したが、国民はまだ何の果実も得ていない▼昨夏の参院選後も自民は石破前首相の進退を巡る党内政局に明け暮れ、2カ月半もの政治空白が生まれた。例年なら予算審議がヤマ場に入る時期、国会の停滞は明らかだ▼選挙速報を見ながら、新沼謙治さんの「津軽恋女」が脳裏をよぎった。「こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪…」。野党に積もった粉雪が高市旋風で舞い上がり、一転して与党に積もったか。しかし巨大与党の土台を支えるのは、実体のない淡い期待感でしかない(茨城新聞・2026/02/19)

 「水戸」を語ればきりがありませんので、本日はやめておきます。「水戸学」などという「国粋学」(尊王攘夷派の聖書・聖典となりました)のお手本のような歴史・皇国史観の本拠でもありました。茨城新聞はおとなしく、郷土に根差した新聞だといったばかりですが、どっこい、本日はなかなかに厳しい「政権」批判の色を帯びているので、ぼくは刮目(かつもく)したというわけです。「エッ、そんなことを書くんですか」と、ね。「第2次高市内閣がようやく発足した。首相は衆院の4分の3を占める圧倒的な数の力を獲得したが、国民はまだ何の果実も得ていない」というのは、その通りですね。多くの新聞は「高市、ヨイショ」に血道をあげているようですが、このコラムはどうですか。「例年なら予算審議がヤマ場に入る時期、国会の停滞は明らかだ」と断定されています。お説ごもっともと言っておきます。

 とはいえ、先行き見えないながらも、首相や内閣・官邸は、逆上(のぼ)せ上って「意気軒高」です。当然といえば当然。国会議席の7割超、自民に「入りたがり(「隠れ自民」)」を加えれば、9割を超える勢いですから、絶対多数。やれないことはないし、かならずやるでしょう。そして、失敗を、…。ぼくが解せないのは「日本劣島を強く 豊かに」というキャッチの中身は何ですか、言葉だけが走っているんですわ。なにを「強く豊かに」するというのでしょうか。この女性の脳みその中には「国」「国家」は入っているけれど、「国民」「個々人」「人間」が入っていないのは明らか。

***********

◎水戸偕楽園千波
せんば
湖の西北の高台にある。徳川斉昭が開設した公園。斉昭は天保五年(一八三四)植物係長尾景徳に命じ、飢饉と軍旅の用にあてるため常葉
ときわ
神崎
かみさき
に多数の梅樹を植えさせた。のちこの梅林をもとに公園造成計画が進み、同一〇年に斉昭自撰自筆で設立の趣旨を記した「偕楽園記」が完成、同一二年四月造園工事着工、同一三年七月開園した。(日本歴史地名大系)

◎徳川斉昭【とくがわなりあき】= 幕末の常陸(ひたち)水戸藩主。治紀の三子。号は景山(けいざん)。諡号(しごう)烈公。会沢正志斎,藤田東湖らに擁され,1829年襲封。藩校弘道館設立,海防政策実施など藩政改革を推進したが,1844年幕府より謹慎を命じられた。斉昭失脚後は藩内に天狗派(改革派)と保守派の対立による動揺が広まった。1849年藩政関与が許される。強硬な攘夷論者で,1853年のペリー来航にあたり幕府海防参与となったが,井伊直弼と対立。安政の大獄で幽居の身となりそのまま病死。(百科事典マイペディア)

◎ 水戸学【みとがく】= 江戸時代,水戸藩で形成された尊王論を中核とする思想体系。前期・後期に分けて捉える考え方が一般的であるが,狭義には後期だけを水戸学とする。前期は朱子学を基盤とし,2代藩主徳川光圀の起こした《大日本史》編纂(へんさん)事業を通じて大義名分論として展開した。後期は9代徳川斉昭の藩政改革を契機に実践的政治理論に再編され,幕末の錯綜した政治情勢下で反幕・尊王攘夷勢力に強く影響したものの,幕藩体制維持から踏み出し得なかった。代表的学者に前期の安積澹泊(あさかたんぱく),栗山潜鋒,後期の藤田幽谷・藤田東湖父子,会沢正志斎などがある。(百科事典マイペディア)

************

 まさかとは思いますが、この首相は「水戸学」の信奉者ではないでしょうね。「(広く水戸学と称されるものは)歴史尊重と国体観の高揚と尊王賤覇(せんぱ)の思想などに特色がある。…、18世紀後半の異国船の接近にみられる西洋諸国の進出と幕藩制の動揺による内憂外患に対する危機意識が、独得の学風形成の根底にあったことは否めない」(日本大百科全書ニッポニカ)と述べられているように、どうやら、この国の権力亡者たちの多くは、国史尊重(その国史の内容は怪しげなものです)、尊王攘夷(「天皇制」尊重かつ外国人排斥)に特化し得るもので、多く「極右(far-right)」と呼称されている立場に重なります。

 もしあるとして、その信条・思想の内容のいちいちは、実は荒唐無稽であったり、首尾一貫性に欠けているのが通常で、中でも「親米右翼」という言葉自体が、矛盾齟齬をきたしているのに、それには全く頓着しないというのですから、思想や教条、つまりは「政見」の真贋が問われるべきでしょう。また、首相自身は「旧統一教会」との親密なかかわりも指摘されています。それを一切無視しているのはなぜか。このカルト集団は「反日・反共」であるのに、なぜ、その集団と親密なかかわりを持つのか、闇(やみ)だらけですな。

 にもかかわらず、そのような「ごちゃまぜの「日本主義」を振りかざして、この国を牛耳ろうとしているのですから、先が思いやられます。ここで、ぼくは「日本浪漫派」という少し前の「極右」の主義主張を思い出しています。これはまったくぼくの勝手な思い付きでしかありません。(右は「旧統一教会と関わりが深い『世界日報』に掲載された高市氏の記事」)(東京新聞・2026/01/16)

◎ 日本浪漫派(にほんろうまんは)= 文芸雑誌。1935年(昭和10)3月から38年3月まで刊行。全29冊。『コギト』誌上に掲載された『「日本浪曼派」広告』によると、創刊当初の同人は、神保光太郎(じんぼこうたろう)、亀井勝一郎(かついちろう)、中島栄次郎、中谷孝雄(なかたにたかお)、緒方隆士(おがたりゅうし)、保田与重郎(やすだよじゅうろう)ら6人であるが、その後、伊東静雄、伊藤佐喜雄(さきお)、芳賀檀(はがまゆみ)、太宰治(だざいおさむ)、檀(だん)一雄、山岸外史(がいし)、緑川貢(みつぐ)らが加わり、終刊近くには50人を超える。保田執筆になる「広告」は、「平俗低徊(ていかい)の文学」としての自然主義的な身辺雑記の写実小説を痛烈に批判し、文学の運動を否定するために進んで文学の運動を開始するといい、それは「卑近」に対する「高邁(こうまい)」の、「流行」に対する「不易」の、「従俗」に対する「本道」の主張で、そのために「真理と誠実の侍女として存在するイロニー」を用いねばならぬとした。保田の「反進歩主義文学論」(1935)と亀井の「生けるユダ(シェストフ論)」(1935)がこの派の志向を示し、小説に、太宰『道化の華』(1935)、緑川『娼婦(しょうふ)』(1935)、檀『衰運』(1935)、伊藤『花宴』(1935~37)その他がある。保田に代表される古代憧憬(しょうけい)は、退廃した、西洋模倣の日本的近代に対する根源的批判を含んでいたが、戦時体制の深化と俗流の日本主義の台頭により、漸次「戦場の美学」へと変質する。復刻版(1971)がある。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII