空気は読むのではなく、吸うのだ

 多元的無知とは社会心理学者のオルポート,F.H.が使用した言葉です。/これは集団内で取られるある行動について、自分は賛成していないにもかかわらず「きっと他の人たちはそうした行動に賛成しているのだろう」と、その集団内の多くの人が思い込む状態を表します。/ 例えば、大きな災害があり、飲み会やお花見などを一切自粛しようというムードが国全体に拡がっている時、自分自身は「ちょっとやり過ぎで、過剰反応ではないか」と反対意見を持ったとしても、「きっと周りの人は自粛するのが当然だと考え納得しているに違いない」と思い込むような場合が当てはまります。/ そこで、ちょっと本音を話してみようということになれば、実はみんなが「自粛ムードが過剰すぎる」と思っていると判明するということも往々にしてあります。(「心理学用語集サイコタム」=https://psychoterm.jp/basic/society/pluralistic-ignorance

 「多元的無知(pluralistic ignorance)」を別の表現に換えれば、「集団感染(outbreak)」、あるいは「群集心理(herd mentality)」とでもいえるでしょうか。あるいは「同調圧力(peer pressure)」「過同調(oversynchronization)」でもありますね。集団のメンバーはそれぞれ個々人で意識的に判断できる能力があるにもかかわらず、「みんながそう考えている」と思う・思い込まされることで、自分も「そうなんだ」「自分の考えは異端かも」と、あえて集団の中に自分を潜らせ、右に倣えという仕儀に至る。ぼくはこれを「付和雷同(follow the crowd)」と言い換えたい。「一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること」(デジタル大辞泉)

この社会では「空気を読む」のに多くの人は敏感であるともいわれています。だから、逆に「空気を読まない」ものは✖印をつけられるらしい。アメリカは、それに反して「個が発達」しているので(そうでない人もたくさんいるのに)、自分の意見をはっきりと表明するなどと、そんなにはっきりとした根拠もないのに(とぼくには見える)、この国では多くの人々は間違った評価をしている・きたんじゃないですか。何処(いずこ)も同じ「秋の夕暮れ」、「8時だよ、全員集合」なんですよ。集団というのは、一つに固まると、ある意味では手に負えなくなる。だから、肝腎なのは、「固まり」から足を抜け出していること」ですね。

 本日の「余録」はどうでしょう。この時期に、米国大統領の言動に対して、このような批判や意見を言わねばならぬと筆者は感じたかどうかわかりません。でも、「トランプは裸の王様だ」と断言しているのは、自分は極東の小島にいる安心感があるからで、いかにも「空気を読んでいる」と感じられなくもありません。「一番怖いのは相次ぐトランプ流に感覚が次第にまひし、国際社会が『多元的無知』に陥ってしまうことだ。『王様は裸だ』と叫ぶ少年がいない世界は危機である」と、まるで他人事のように高みからの見物を決め込んでいるようで、ぼくにはその「火事場見物的姿勢」が気に入らないですね。じゃあ、「日本はどうなんだ」と、返したくなるね。貴新聞は「王様は裸だ」と叫ぶ少年ではないんですか、なるつもりはないということでしょうか。

 「自分は裸の王様だ」という事実に、誰よりも気づいているのはトランプ自身ですよ。にもかかわらず、「なんと美しい服でしょう、王様」とそれこそ嘘八百を並べ立てている取り巻きが、トランプの「自分は裸なんだ?」という疑心暗鬼を晴らすが如くに「おべっか(おべんちゃら)(flattery)」を言いまくる。つまりは「忖度(そんたく)」するんですね。それで当人は舞い上がってしまうのですが。この小島の元首相もそうでした。舞い上がりすぎてとんでもないことになりました。忖度する側の典型はアメリカのマスメディアです。あらゆる既存の社会的な有力者がトランプへと靡きに靡いているのに歩調を合わせ、メディアそのものが、すべてではもちろんないが、それに便乗し、尻馬に乗ろうとしている、その状況は「狂気の沙汰(madness)」というほかありません。

 繰り返していっているのですが、そんな「裸の王様」に、まるで猫なで声で「立派なご洋服ですね」と揉み手をして擦り寄ったのは誰だったか。この小島の、見たくもない「裸の王様」ではなかったか。大小(米日)二人の「王様」は、自分たちは裸だと気が付いている。しかし取り巻きはその偽りの「無知蒙昧」から目が覚めることを阻害しているのです。

 誰もかれもが、「王様は裸」だと知っている。もっと下品に言えば、「彼はパンツすら履いていない」というべきだ。多くの民衆は、醜悪な裸を見せつけられて、気分がすぐれない(反吐を吐きそう)にもかかわらず、本当のことを言えば、この「町内(社会)」に住めなくなるとでも妄想しているのでしょうか。彼の最初の大統領就任時から「彼は裸である」、「真っ裸である」と、ぼくは断じてきた。単なる「裸の王様」ではなく、女性蔑視(misogyny)を隠さないで「強姦」や「暴力」を犯し、「性犯罪」を金で片づけることを繰り返している、そんな野獣のような「裸の王様」であり、「脱税等の犯罪」を繰り返している知能的な「裸の王様」でもあるといってきました。彼自身が自己嫌悪に陥るとは思われませんが、自分が上等の人間ではない、下品な男性であることを知っているのに、周りが持ち上げ、胡麻をすり、「裸ではありません」「殿、さすがです」と彼自身の意識を朦朧とさせ麻痺させているのです。要するに、彼の支持者自身もまた、まぎれもなく「裸の家臣」なんですよ。

 「にじむ万能感が気になる」とコラム氏は書くが、すでに米大統領は狂気の域に入っている、正気を失しているとぼくは言いたいほど、良識も正常な判断力も持ち合わせていない、それこそ「剥き出しの情念」が全裸で世間を彷徨・闊歩しているのです。取り巻きも支持者も、自分のためにもはっきりと「ノー」を突き付けるべきだ、そうでなければ、世界は彼の狂気にふりまわされ、危殆に瀕することになるのは請け合いです。さて、この先、いかなる振る舞いが始まるか。アメリカの社会には無数の「裸の王様」がいる。大統領の椅子を目指している「真っ裸」の有象無象が満を持しているのです。醜悪の極み、それがアメリカの政治社会だろう。(でも、この国だって事情は同じです)

 「多元的無知」とは「集団催眠(mass hypnosis)」に罹患しているということでしょう。どこからか一陣の風が吹き込んでくれば、全員ではないけれど、少しは覚醒するものも出て来るに違いありません。「大統領は偽情報に踊らされている」とウクライナ大統領は真実を言った。ロシアの宣伝に踊らされている、と。本当のこと(「あなたは裸である」)を指摘されて、著しく恥辱を舐めさせられたから「ウ大統領は独裁者」だと、本能的に叫んだのです。図星を指されると、人間は狼狽する。何でこんな出鱈目な「和平」実現を主張するのだと問われて、「ノーベル平和賞が是が非でも欲しいからだ」と当たり前の感覚をもつ人間ならいうことはできないけれど、この飛び切りの「裸の王様」は、恥も外聞も一切持たない、文字通りの「裸一貫」ですから、世評などものともしないでしょう。世界の良識ある首脳(そんな御仁がいればの話ですが)が「羽交い絞め」にしてでも、彼の狂気を沈め、催眠状態からの覚醒を促す時期に来ているんじゃないですか。

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「だれも自分が見えないと言うことを気づかれないようにしていました。自分は今の仕事にふさわしくないだとか、バカだとかいうことを知られたくなかったのです。ですから、今までこれほどひょうばんのいい服はありませんでした。
「でも、王さま、はだかだよ。」/とつぜん、小さな子どもが王さまに向かって言いました。/「王さま、はだかだよ。」/「……なんてこった! ちょっと聞いておくれ、むじゃきな子どもの言うことなんだ。」
 横にいたそのこの父親が、子どもの言うことを聞いてさけびました。そして人づたいに子どもの言った言葉がどんどん、ひそひそとつたわっていきました。/「王さまははだかだぞ!」/ついに一人残らず、こうさけぶようになってしまいました。王さまは大弱りでした。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。めしつかいはしかたなく、ありもしないすそを持ちつづけて王さまのあとを歩いていきましたとさ。(THE EMPEROR’S NEW SUIT(Hans Christian Andersen)(後掲参照)

【余録】童話作家、アンデルセンの名作「裸の王様」は、周囲に批判者がいない中で非常識な行動をしてしまう権力者が主人公だ。一方で、陰の主役もいる。本当は衣服が見えないのに王様をほめそやした家来や国民である▲社会心理学などの分野に「多元的無知」という言葉がある。集団の多くの人が規範を受け入れていないにもかかわらず「多数派は受け入れている」と思い込み信じたり、言い出せなくなったりする状態だ。裸の王様はその例として、よく引き合いに出される▲就任1カ月、自らを「王様」と呼び始めた米国のトランプ大統領である。ニューヨーク市で導入された「渋滞税」承認の取り消しを発表し、自身のSNSに「渋滞税は死んだ。王様万歳」と書き込んだ。ホワイトハウスのX(ツイッター)にも転載された。にじむ万能感が気になる▲この1カ月、ガザ地区の米国所有構想、関税外交などの言動が波紋を広げ続けたトランプ氏だ。ロシアと米のウクライナ和平協議を巡り、ゼレンスキー大統領を「選挙で選ばれていない独裁者」と批判したのには心底、驚いた▲ロシア寄りスタンスが指摘され、ウクライナの頭越し決着に動くことが懸念されるトランプ氏だ。反発は計算ずくの恫喝(どうかつ)かもしれないが、他国指導者の正統性を根拠もなく否定する言動は一線を越えている▲一番怖いのは相次ぐトランプ流に感覚が次第にまひし、国際社会が「多元的無知」に陥ってしまうことだ。「王様は裸だ」と叫ぶ少年がいない世界は危機である。(毎日新聞・2025/02/22)

(へッダ―写真・「今日発売の小学館『めばえ』5月号の「おはなし読み聞かせ」ページ、アンデルセン童話の『はだかの王様』の絵を描かせていただきました!」:by ehon_yuriko_igawa |2019-04-01)(https://ehonigawa.exblog.jp/30205810/   

 空気は読むものではなく、吸うものだ。いつでも新鮮な空気を脳細胞に補給してやらないと、「多元的無知」「集団催眠」「付和雷同」に罹ってしまうでしょう。ある種の「洗脳(brainwashing)」です。「洗脳」されているもののもっとも困ったところは「自分は由緒正しい原理や哲学に従っている」という、自らの思考停止に気づかないところです。いくら言っても、かえって「自らの由緒正しさ(実際は「荒唐無稽」「反社会的暴力」なんだが)」を信じ込む、妄信する方向に行くのです。質(たち)はいたって悪い。「憑き物」に取りつかれているんですね。「狐憑き」大流行の時代がありました。今だってあるんですね。「おかしい」と思うことは世の中には溢れている。多くの人はそれに気が付いています。

 でも「おかしいことはおかしい」と指摘するのは、なかなかできない、つまり「場の空気」「集団に吹く風」「得たいの知れない雰囲気」を読んでしまう、飲まれてしまう、そう解釈されます。でも、それ違いますね。自分の利害に関係ないなら無関心を装っておけ、そんな無責任な態度に馴れ切っているんです。少しでも新鮮な空気を吸収して肺臓に取り入れ、それを脳内細胞に送り込むことによって、脳は活性化されるんじゃないですか。「読むんじゃなく、吸うんです、空気は」ね。ここらで「深呼吸」の必要がありますね、長田先輩。

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 THE EMPEROR’S NEW SUIT(Hans Christian Andersen) むかしむかし、とある国のある城に王さまが住んでいました。王さまはぴっかぴかの新しい服が大好きで、服を買うことばかりにお金を使っていました。王さまののぞむことといったら、いつもきれいな服を着て、みんなにいいなぁと言われることでした。戦いなんてきらいだし、おしばいだって面白くありません。だって、服を着られればそれでいいんですから。新しい服だったらなおさらです。一時間ごとに服を着がえて、みんなに見せびらかすのでした。ふつう、めしつかいに王さまはどこにいるのですか、と聞くと、「王さまは会議室にいらっしゃいます。」と言うものですが、ここの王さまはちがいます。「王さまは衣装いしょう部屋にいらっしゃいます。」と言うのです。
 城のまわりには町が広がっていました。とても大きな町で、いつも活気に満ちていました。世界中のあちこちから知らない人が毎日、おおぜいやって来ます。(中略) / 王さまはきらびやかなてんがいの下、どうどうと行進していました。人々は通りやまどから王さまを見ていて、みんなこんなふうにさけんでいました。「ひゃぁ、新しい王さまの服はなんてめずらしいんでしょう! それにあの長いすそと言ったら! 本当によくおにあいだこと!」/だれも自分が見えないと言うことを気づかれないようにしていました。自分は今の仕事にふさわしくないだとか、バカだとかいうことを知られたくなかったのです。ですから、今までこれほどひょうばんのいい服はありませんでした。


 「でも、王さま、はだかだよ。」/とつぜん、小さな子どもが王さまに向かって言いました。/「王さま、はだかだよ。」/「……なんてこった! ちょっと聞いておくれ、むじゃきな子どもの言うことなんだ。」/横にいたそのこの父親が、子どもの言うことを聞いてさけびました。そして人づたいに子どもの言った言葉がどんどん、ひそひそとつたわっていきました。/「王さまははだかだぞ!」/ついに一人残らず、こうさけぶようになってしまいました。王さまは大弱りでした。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶって歩きました。めしつかいはしかたなく、ありもしないすそを持ちつづけて王さまのあとを歩いていきましたとさ。(「はだかの王様・大久保ゆう訳:青空文庫)(https://www.aozora.gr.jp/cards/000019/files/46319_23030.html

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偽りても、賢を学ばんを、賢と言ふべし

 「ネット時代SNS万能の風あり世の末に」(無骨)ぼくは「ネット」に乗る情報なら何でも飛びつくようなことはしません。従来は宅配新聞やテレビの報道番組で用が足りていたのが、いまでは新聞購読は何十年も止めており、テレビ視聴はほとんどしなくなったので、オールドメディアと称される「新聞」「テレビ」に代わる情報源を探してみたりします。でも、そんなものは何処にもないという状況で、勢い、毒にも薬にもならない、旧来型のマスメディアのネット版とでもいうべきものから、あれこれの世相や世間の出来事を教えられる程度。まるで横文字を縦にしたような、いわば入巣の翻訳版を見ているような気になるのです。

 それにしても、どれほど選択を厳しくしてもネットから流れてくる情報は、ぼくには「話半分」、いや「話四分一」つまりは「眉唾物」であると心得て、それらに共通する「確からしさ」、そんなものがあるとして、それ(客観性)を自分流に嗅ぎ当てるという余計な手間をかけざるを得ないことに、いささかうんざりもしています。国を問わず、政治家は嘘を付く、そんな「嘘つき」を絶大なエネルギーで支持する民衆が跋扈・群居しているのですから、不思議とも奇怪だとも想いながら、刻々と我が「ガイタン(慨嘆)」は深くなるばかりという仕儀に立ち至っているのです。要するに、「嘘を一万回繰り返せば、嘘の皮が剥がれる」という社会共通の誤解があるのだということです。「嘘から出た真(実)」は、嘘か真か?

 本日は、そんなときの「精神の気付け薬」のようになっている兼好さんのエッセー「二題」です。ぼくのもっとも好む文章ですから、これまでにも方々で引用したり、敷衍したり。それでもなお、性懲りもなく、ここに引き出してみたくなった理由は、他でもありません。この節、頓(とみ)に人間(の品性)が悪くなりすぎた(下劣になった)からでもあり、サモシイ根性剥き出しの人間どもが血で血を洗い、嘘で嘘を打ち負かそうとする、その異様な「嘘つき合戦」の成り行きに身も心も放心するばかりという状況に、自分の足で立つためには、いまさらに兼好流の生き方をお浚(さら)いしたくなったからです。

 まず、賢い人は自分が知っていることでも「こんなことまで知っている」などとは余計なことは言わないものだ。自分は何でも心得ているなどという人間に限って(多くは田舎から出て来たばかりの人間、と兼好は言う)無教養をひけらかして、それをさも訳知り顔で話すのだから、きっと「自分は教養がある」とでも錯覚したがっているのだ。この「第七十九段」は、ぼく自身、「以って自戒の文」としてきたと言いたいところですが、いかにも「自らもいみじ(すばらしい、なかなかのものじゃ)と思へる気色」が抜けきらないのは、まだまだ、この年齢になっても修行・修養がまったく足りないということを思い知らされるのです。

 どうしたらいいか。本当に物事に通じている人間は、よく知っている「道(技・業)」については軽々しく口を利かないで、誰かから訊かれない限りは、口を閉ざすのだとは、何とも羨ましいというほかありません。本当に酒の美味(うま)さを心得ている「酒飲み」は、先ずがぶ飲みなどという、はしたない真似はしないで、猪口(ちょこ)を口元に運び、それで唇を湿(しめ)すだけ、そんな「酒飲み」にはとうとうなれませんでしたね。「問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ」…。こういう賢人になりたかったなあと、しみじみ、つくづく願っていましたからね。

 何事も、入り立たぬ様したるぞ、良き。/ 良き人は、知りたる事とて、然(さ)のみ、知り顔にやは言ふ。片田舎より差し出でたる人こそ、万(よろづ)の道に心得たる由の差し答(いら)へは、すれ。然れば、世に恥づかしき方も有れど、自らもいみじと思へる気色(けしき)、頑(かたく)ななり。良く弁(わきま)へたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそいみじけれ。(「徒然草  第七十九段」)

 「第八十五段」は若いころから諳んじるほどに読んできました。それだけ読んだのだから、「愚か」でなくなったかというと、そうでないのですから、人間の「感情」「情念」は、我ながら始末に負えないということでしょうか。どんな人でも素直な心ばかりでないのですから、どこかに嘘や偽りが入り込む。世の中には、しかし心底から正直な人もいないわけではない。そういう人を見たりすると、我ながら羨ましくもなるのです。そんな経験は一度や二度ではありませんでした。「この人は、ここまで正直なのか」と驚嘆したこともあります。その人とは半世紀以上付き合ってきましたから、このように正直な人にも弱点や盲点があることを知って、正直一途とは、なんと困難な境地かと教えられたこともある。

 余談です。親でも教師でも「子どもは素直(従順)であるべきだ」と固く信じて疑わないところがあります。「素直(obedient)」と「正直(honesty)」は違う。あまり厳密に区別するのもどうかと思いはしますが、やはり、「素直」「従順」は好まれ、「正直」「率直」はやや敬遠される傾向があるようにぼくなどは感じてきました。親や教師から言われ、教えられたことは何でも「受け入れる」のも考え物だという子がいたら、親も教師も気分はよかろうはずもないでしょう。それはともかく、あまりにも賢明な人を見ると、人はそれをまともに評価したがらず、「「大きなる利を得んが為に、少しきの利を受けず、偽り飾りて、名を立てんとす」と批判・非難する。まるで人間の種類が違うんでしょうね。

 このような表現をするところに、ぼくは兼好という人間の骨頂を見るのです。人間観察というか、世間を見る兼好の眼は穏やかではないでしょう。他人の幸福を喜べない人間はいるもので、それと同様に「賢者」を、自分の賢明でない心(尺度)で測るんでしょうね。「あの人はああしているが、それはさらに大きな利を得るために猫を被っているのだ」と。こんな人間の「下種の根性(下愚の性)」は治らないもの。嘘でも「賢者の真似」はできない相談だと、兼好さんは断罪します。

 次の一文は、「賢と愚」の境界を知るには格好の道標になるでしょう。「狂人の真似とて大路を走らば、則ち狂人なり」「悪人の真似とて、人を殺さば、悪人なり」真似をするは「まねる」「まねぶ」、つまりは「学ぶ」です。いかなる学び方も、その端緒・発端は「まねぶ」「まねる」から始まる。だから、と兼好さんは指摘する。ここは、ぼくの大いに「まねぶ」ところでした。「驥(き)」とは「不世出の名馬」のこと(「1日に千里を走るほどの名馬。駿馬 (しゅんめ)」。(デジタル大辞泉) 「舜(しゅん)」は中国古代の聖人です。名馬や聖人を「まねる」、「学ぶ」人間は「その類」「その徒」だといいます。結論ではありませんが、兼好さんの「生き方の姿勢・思想」が如実に出ているのが「偽りても、賢を学ばんを、賢と言ふべし」というところに滲み出ています。ぼくのような下愚が、それでも何とか然るべき人たちの書いたものを読むのは「偽りても、賢を学ばん」という心持ちからではなかったかと、実に思い当たるものがあるのです。そして、悔しいけれど、嘘でも「賢」を学んだつもりになっただけだったと、今にして思い当たる。

 人の心、素直ならねば、偽り無きにしもあらず。然(さ)れども、自(おの)づから正直の人、などか無からん。己(おのれ)、素直ならねど、人の賢(けん)を見て羨(うらや)むは、尋常(よのつね)なり。至りて愚かなる人は、偶々(たまたま)、賢なる人を見て、これを憎む。「大きなる利を得んが為に、少しきの利を受けず、偽り飾りて、名を立てんとす」と謗(そし)る。己が心に違(たが)へるに因(よ)りて、この嘲(あざけ)りを成(な)すにて知りぬ、この人は下愚(かぐ)の性(せい)、移るべからず。偽りて、小利をも辞すべからず、仮(かり)にも、賢を学ぶべからず。
 狂人の真似とて大路(おほち)を走らば、則ち狂人なり。悪人の真似とて、人を殺さば、悪人なり。驥(き)を学ぶは、驥の類(たぐ)ひ、舜を学ぶは、舜の徒(ともがら)なり。偽りても、賢を学ばんを、賢と言ふべし。(同・第八十五段」)

 もっとも大事な事柄が残されている。何を「賢」とし、誰を「賢」と見るか。他人から教えてもらうのか、はたまた、自らの直感(直観)(intuition)、判断力(judgment)によるのか。そのような才能(能力)を身につけるためにも「偽りても、賢を学ばん」というところに戻る。いかにも面倒でんな。

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鬼に金棒?いや、金棒引きだった

【夕歩道】「就任後、24時間以内に解決」の前宣伝ははったりが過ぎたとしても、戦争終結に向けた米ロの協議が現実に。当のウクライナの頭越し、欧州に交渉の席は「なし」と。米国第一にもほどがある。
 「黄金時代が始まる」と宣言したトランプ大統領の就任から明日で1カ月。願いかなって触れる物を全て黄金に変えてしまう力を授かったギリシャ神話のミダス王に自らをなぞらえているのかも。
 なるほどミダス王もかくやの全能感が伝わってくるが、神話の王は確か、最後は食物まで黄金になって困ることになったし、わがパソコンは「乱す王」と誤変換もしてみせた。黄金時代はどこへ。(中日新聞・2025/02/19)

 ロシアによるウクライナ侵略戦争の「和平交渉」が米・露二か国で進められている。荒唐無稽、笑止千万。互いに「腹に一物」を持った「独裁派」「お山の大将」同士がやることは「お里」が知れている。いずれもが、わが身可愛さの「取り引き」であって、「侵略中止」や「和平実現」などにはいささかの関心も持っていないのだ。表向きの「和平」を見せびらかすことは容易い。いま、「ガザ」でやられようとしていることと同じ。一方の当事者を排除して、互いに利権の山分け、分捕り合戦。それを「和平実現」と言いくるめる虚構、絵に描いた餅だ。後に問題を大きく残すばかりだろう。

 「金棒」という言葉と「金棒引き」という語の二つが、この問題に口出しする米大統領に関して浮かんだイメージだった。そのいわんとするところは単純。「うわさなどを大げさに触れ回る人」ということ。地球は自分中心に回っていると信じ込んでいる単細胞。昨秋の選挙で、ある地域の移民たちは「犬や猫を食っている」と触れ回った。四年前の負けた選挙では「投票は盗まれた」と言い続けもした。自分は世界を席捲しているつもりだろうし、自らをナポレオンに準(なぞら)えてもいる。「自分の辞書には不可能という文字はない」と言ったとかいうナポレオン。何だってできると「豪語」しているのか、それとも「空元気」を見せびらかしているのか。どんなことがあっても「ノーベル平和賞」が欲しい。名称は「平和賞」だが、実態はなんだってかまわないようなものが、「ノーベル平和賞」だ。欲しがる方も問題アリだが、そんな輩に授ける方も授ける方だ。そのいい加減さの証拠になるのが、日本の元首相。「沖縄密約」をアメリカに唆(そそのか)されて結び、核保有の言質さえ与えた、にもかかわらず「平和賞」を金員で掠め取ったほどなのだ。

 あることないことを触れ回っているうちに、その虚言を信じる向きがこの世にごまんといる。「戦争を始めたのはウクライナだった」と、異なことをいい、「ウクライナは戦争を止めることができたはず」と、根も葉もない戯言(ざれごと)も言った。そして「悪の盟友(evil ally)」であるロシア大統領に「金棒を引く」のだ。それもこれも「平和賞」欲しさのため。ロシア大統領を持ち上げるのは自分のためであって、相手を尊敬も評価もしていないのは明らか。つまるところ、「同じ穴の狢」であることに変わりはない。できるなら米露両国大統領に「ノーベル平和賞」を同時に授けることを提案したいほど。それで「平和」が実現するとは微塵も考えられないけれど、少しは「狂気」は鎮まるかもしれぬ。そんな先例はいくらだってある。馬鹿さ加減もこれくらいの規模になると、犠牲者は無限大に膨れ上がるから、早く手を打つべきなのだが、誰が打つのか、それが問題。

 ウクライナの頭越しに「和平交渉」を進めているのは、何よりも米露が戦争の、実質の当事者だということを示している。ウクライナを犠牲(踏み台)にして、この後の世界戦略を互いが自己の優位を確保するために描く、それが「米露交渉」の目的だろう。ロシアは言うまでもなく、アメリカまでもがたった一人の「無礼者」「ならず者(ruffian)」に拉致されてしまった感がある。世界の運命は、残念だが、この二人の「ならず者たち」に握られているような錯覚を覚えるのだ。NATO(北大西洋条約機構)は否応なしに変貌を余儀なくされている。米国脱退後にこそ、その真価が問われてくる。アメリカは世界の嫌われ者に、好んでなろうとしている。

 「アメリカ第一」を目指す自称「ナポレオン」は、僭称「ロシア皇帝」と果たして二人三脚が上首尾にできるだろうか。

●金棒= 金棒を突き鳴らしながら夜警などをすること。また、その人。 うわさなどを大げさに触れ回る人。●金棒引き 鉄製の棒。特に、鉄尖棒(かなさいぼう)。「鬼にー」頭部にいくつかの鉄の輪をつけた、長いつえのような鉄の棒。夜回りや行列の先頭に立つ者などが地面に突いて鳴らして歩く。(デジタル大辞泉)

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トランプ氏、ロシアとの戦争は「ウクライナが始めた」と主張                                                  (CNN) 米国とロシアの高官が18日にサウジアラビア首都リヤドで協議を行った。ウクライナを除いて行われたこの協議の後、トランプ米大統領は戦争に対するロシアの主張をまねてウクライナのゼレンスキー大統領を批判した。/トランプ氏は「私にはこの戦争を終わらせる力があると思うし、うまくいっていると思う。だが今日、『我々は招かれなかった』という声を聞いた。あなたたちは3年もそこにいる。3年後に終わらせるべきだった。始めるべきではなかった。取引をすることもできたはずだ」とウクライナについて誤った主張をした。/ウクライナは戦争を始めていない。2022年2月にウクライナを侵攻したのはロシアのプーチン大統領だ。
トランプ大統領は、ウクライナのために「ほぼすべての土地を彼らに与え、誰も死ぬことのなかった」取引ができたと主張。「だが、彼らはそのようにしないことを選んだ」と結論付けた。/米フロリダ州の私邸「マール・ア・ラーゴ」でトランプ氏は、ゼレンスキー氏を「個人的には」好きだとしながら、同氏の支持率は「4%」だと根拠もなく主張した。/「彼は素晴らしいが、私は個人的なことは気にしない。仕事をやり遂げることに関心がある。決して起こるべきではなかった戦争を米国なしでも続けることを許した指導者がいる」(トランプ氏)(CNN・2025/02/19)(⇓下写真:演説後に退席するトランプ米大統領=18日、米フロリダ州パームビーチの「マール・ア・ラーゴ」 /Roberto Schmidt/AFP/Getty Images)

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 いつまで続く「参勤交代」の恥辱

 ぼくは房総半島の真ん中に位置する地域に住んでいる。時々、夜空を眺めることがあるが、いつ見てもたくさんの飛行機が右往左往といった趣で行き交っている。その大半は成田空港に着陸するのだが、それに匹敵する数の飛行機は羽田空港に行く。拙宅付近の上空で、両空港行きの枝分かれ(分岐点)があるのだ。実に驚くべき数の飛行機が上空を四通八達よろしく、高度差があるとはいえ、よくぞ衝突しないものだと肝を冷やしている。つまり、東京上空の制空権がこの国にはないことから生じている、異常事態なのだ。自衛隊も、米空軍の制空権の規制を受ける。

 いわゆる「横田空域」なるものが存在し、米軍の独占状態が、首都圏を含む一都九県の上空に敷かれている。このような「独占的制空権」は劣島各地に存在する。つまり、劣島の「空」は、肝腎なところでは、誰のものでもない。米国のものだということになる。どこから飛来しようが、横田基地(だけではない)に降りれば、フリーパス(パスポートなく)で日本に上陸できる。税関はあってない状態で、コロナ禍の飛行場規制も一切無視されていたのが対アメリカ軍関係だった。

 本来なら、日本はアメリカの「植民地(colony)」だといいたいところだが、アメリカ人民は「植民」や「植民地開発」に必要な数はいないから、それをして「属国(vassal state)」というのだろう。明治維新期に結んだ「不平等条約」の改正に膨大な時間と労力を費やしたが、第二次大戦後には新たな「不平等条約」がこの国を縛ってきた。「制空権」と同じことが「制海権」でも起こっている。劣島に「核の持ち込み」は許さないと力んでみても、それを実施する検査権限がアメリカ海軍に対しては有していないのだ。原子力空母が自由にこの島の港に出入りしているが、何一つ口出しはできない。原子力空母に「核」はないとでもいうように、なす術を持たないままで、属国に甘んじてきたのだ。「(属国とは)他国の支配下にあり、独立していない国」と辞書は解説しているが、単刀直入に、それは「アメリカに対する日本のこと」と明確に断言したらどうか。

【金口木舌】「属国」は屈辱を感じない いろいろと物議を醸すことの多いトランプ米大統領の発言の中で、「カナダはアメリカの51番目の州になるべきだ」というものがある。これに対して思想家の内田樹さんが「日本に言ってほしい」とポッドキャスト番組で(❓)していた▼なぜか。米連邦議会の議員は上院が各州2人、下院(定数435)は各州の人口割りだから。それだと“日本州”からは100人以上の議員を送り出せる。米国内でかなりの影響力を持つようになるという▼番組の共演者が「51番目の州になれというのはカナダにすれば屈辱的では」と問い、内田さんも「カナダは独立国だから」と応じた。一方、日本は米国の「属国」だから州になるのは“格上げ”だといい、「それくらい今の日本は格が低い」と説いた▼昨夏、米兵による性的暴行事件が相次いで判明した際、日本政府が米側に行ったのは「抗議」ではなく「申し入れ」だった。「抗議」という表現を回避する政府の意図は何か▼「属国」とは、辞書に「他国の支配下にあり、独立していない国」とある。人権侵害にさえ怒りを表すことができない。この国の属国ぶりは異常だ。(琉球新報・2025/02/19)

 つい数日前、以下のようなニュースが報じられた。アメリカが各国に課する「関税(tariff)」や「追加関税」の対象国から、日本だけは外してほしいと「(外相は米国側に)求めた」「訴えた」とある。カナダやメキシコは「関税」を課すなら当方も、と押し出しているのに、この日本の姿勢は「属国」の証明というべきか。何でもかんでも「仰せの通り(as you commanded)」にしているので、「せめて関税ばかりは大目に見てほしい」というのだ。

 日本は米国の「一州」でさえあるのかどうか、ぼくには大いに疑わしい。日本人にも人気のあるリゾート地にグアムがある。ここはアメリカの「自治属領」、つまりは「準州(territory)」と言われている。同じような位置づけには「サイパン(北マリアナ諸島)・プエルトリコ・サモア・ヴァージン諸島」がある。住民の法的資格は米大統領の選挙権は有さないアメリカ市民。「属国」は一応は「国」ですから、「州」や「準州」とは違う。あえて言うなら、この島は米国の「準州(領土)」というべきだろう。言葉使いの問題ではなく、実質において、自立していないのだから、肝腎なことには自己決定権はない。ましてや「独立国」を名乗ることはできても決定権は持てないのだから、やはり「準州」だろう。沖縄だけが「準州」「属領」なのではないことを、ぼくたちはまったく自覚していないのは、歴史のイロハを知ろうとしないからである。

 (実に恥ずかしい状態で、ぼくは「日本人」「日本国民」であることを疑わないというのは、我ながら許しがたい呪縛網に絡(から)められている。ぼくは国家を嫌い、政府を嫌い抜いてきた「アナーキスト(anarchist)」であることを隠さない)

岩屋外相、米国務長官に日本の関税適用除外を申し入れ 岩屋毅外相は15日、ドイツ南部ミュンヘンでルビオ米国務長官と短時間意見交換した。米国が輸入する鉄鋼・アルミニウム製品に25%の追加関税を適用する措置について、日本を対象から除外するよう求めた。
日本政府は米国内で代替品の調達が難しい製品もあり、米国の利益にもつながるとして適用除外を訴える。
岩屋氏はトランプ米大統領が検討を指示した「相互関税」も「日本が対象になるべきではない」と伝えた。
相互関税は米国の貿易相手国が高い関税を課す場合、その国からの輸入品への関税を同水準に引き上げる仕組みだ。岩屋氏は米国に輸入される自動車への関税に関しても問題提起した。(日経新聞・2025/02/16)

● さんきん‐こうたい‥カウタイ【参勤交代・参覲交替】〘 名詞 〙 江戸時代、幕府が中央集権制確立のために一定期間、諸大名を江戸に参勤させた制度。慶長七年(一六〇二)前田利永の江戸参勤を早い例とするが、家光の時、寛永一二年(一六三五)の武家諸法度の改定によって制度化され、在府、在国は一年交代を原則とした。大名の妻子は人質として江戸居住を義務づけられた。大名は、往復と二重生活とによって出費が多くなり、財政は窮迫した。反面、交通施設は整備され、文化が交流するなど、この制度が各方面に及ぼした影響は大きかった。参勤。(精選版日本国語大辞典)

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露皇帝気取り vs 奈破崙気取り

 これまでの世界史の中で、数えきれないほどの「独裁者」が表れては消えていきました。日本史に限っても、それこそ、「雨後の筍(たけのこ)」のように、次々に地上に顔を出しては、掘りだされ、釜茹(かまゆ)でされ、あるいは、後腐れのままで、何時とは知れないで姿を消しました。世に「英雄」はごまんと輩出しましたが、これまた、暫しの騒ぎがあったろうけれど、今やその、在りし日の姿も形も遺されていない。地上にあるのは無残にも苔むした墓石か薄汚れた石碑。そんなものでも昔日の威容(横暴)を知る縁となっていれば幸いです。

 繰り返し、ぼくは米国大統領に関して駄文を積み重ねてきました。見苦しい仕業だという自覚も反省もある。あるにもかかわらず、性懲りもなく書き続けようとするのは、もっとも「大統領」にしてはいけない人物をアメリカ人民は選んだという、消すことのできない歴史の過誤(historical mistake)を、あろうことか二度までも繰り返したという、集団錯乱を指摘したいがためです。昨秋の選挙結果を見れば、アメリカ国民の「錯乱(confusion)」は極めて重症であることがわかります。相手候補が弱かったのではなく、人種差別や女性蔑視、あるいは移民排除を広言してきた人物を、わざわざ大統領に選んだという、その過誤は、この先、さまざまな形で弊害や災厄をもたらすはずだという確信のようなものが、ぼくにはある。その「偏見と差別」の全体像が<MAKE AMERICA GREAT AGAIN>でした。

 いつの時代にも、どんなところにも「独裁者」を気取る危険極まりない、愚かな政治家はいましたし、今も存在しています。その典型はロシアの大統領でしょう。彼について何かを言うのは、ぼくの、小さな正義感が許さない。世界全体が万難を排して彼を「除去」すべきだと、今も思っています。ぼくがロシアの地の人間であるとしたなら、無駄な抵抗を試みて、まるで殺虫剤で殺される蚊の如き運命をたどるはずです。それほどに、彼は「政治」を貶め、政治家を侮蔑して生きて来たのです。小さな城を守るために、彼は全力を挙げて敵対する存在を踏み潰してきた。スターリンの再来というべきか。彼を持ち上げたエリツィンなど、彼から見れば愚かにすぎる「未熟な赤子」同然だったと思う。(近年では、北方領土「返還」問題で、故元首相を手玉に取ったことを忘れてはいないか。「ウラジミールと私は同じ方向を見ている」とか何とか、いかにも間抜けな、元首相の科白(せりふ)が空しく空中をさまよっていた)

 一方の「不動産王」は、奇蹟を二度まで、いや三度というべきか。そのような奇蹟を経験した「大統領」です。まず「自分は神の子である」と宣言し、いままた、自らを「ナポレオン(奈翁・奈破崙)」に準(なぞら)えたと言われたのも、肯(うなず)けます。外から見れば、荒唐無稽と一笑に付すべきだけれど、それで終わらないところがアメリカは大きな暗部に嵌っているとされる所以です。ベトナムで、イラクで、アフガンで、いったいこの「警官国家」は何をしようとし、結果として何を遺したか。米露(露米)という「戦争大好き国家」がこれまでにしてきたことを一瞥すれば、「平和」も「安全」も決してもたらさないどころか、かえって敵対関係(恨みを買う始末)の歴史を作って来たというべきでしょう。ナポレオンは「ロシア遠征」を試みて(1812年)、無残な敗北を喫した。現在の自称「ナポレオン」も、再度のロシア遠征を始めるつもりだろうと、ぼくは考えている。もちろん「地上戦」などはできない相談だろうから、「ウクライナ和平」という外交戦争で、です。

 狂犬ロシア大統領は「ウクライナ」を占領(再奪取)することにしか関心を持っていないのだから、アメリカ大統領は、いわば刺身のツマ扱いされるに違いありません。そうです、「ロシア皇帝気取り」と「ナポレオン気取り」が来るべき「世界覇権争い」の前哨戦をしようとしているのです。ソ連時代から続く強圧政治は国内において猖獗を極め、国外では「侵略」をものともせずに突進してきました。「ハンガリー動乱(1956年)」「プラハの春(1968年)」などを見れば、この国が「平和」など寸毫も考えないで領土(権力)拡張をひたすら生き甲斐にしてきたことがわかります。

 このような強権(狂犬)国家同士が一触即発の危機を目前にしたのが「キューバ危機(1962年)」でした。つまり、両国は、向こうのお山の麓(ふもと)まで、どちらが先に駈けつくかという「お山の大将」の先陣争いを仕掛けているだけのこと。「和平」も「安全」も無関係です。それは実に明らか。トランプが柄でもない「和平交渉」を口にするのは、ケチ臭いことですね、何度も言うように「ノーベル平和賞」目当て。プーチンは、この「平和賞」欲ボケ大統領を操って、ウクライナ全土を手中にできれれば勿怪の幸い。少なくとも現行占拠地域は自国領土だと踏んでいるのです。

 自制(自省)力を持たない「老いさらばえた狂犬」たちが、世界になにを齎もたら)すか、けっして予断は許さないのです。自分が望む「歪んだ平和」を得るためには「戦争」の一つや二つは起って当然と考えているでしょう。帝政ロシアは1721年から1917年まで続きました。プーチンはこの帝政ロシアの再現を夢見ているかもしれない。さすれば、彼はピョートル一世か。彼もまた、皇帝(ペンギンではない)を気取っているのだと思う。片やトランプはナポレオン一世を自認しだしているという。1812年にナポレオンはロシアから敗走しました。このロシア軍勝利を祈念して、後年作曲家のチャイコフスキーは「序曲 1812年」を作った。オーケストラの中に「大砲」を組み込み、圧倒的勝利の凱歌を挙げたのだった。

(*チャイコフスキー 1812年(序曲) 小澤征爾https://www.youtube.com/watch?v=y9zYbwDqZUs

 ぼくたちは「野蛮と文明」の錯綜する時代に生きています。背広にネクタイ姿のままで「殺人器械(核)」のボタンを押す権力者。自らの手を汚さないで、無辜多数の犠牲者を厭わない「核戦争」時代でもあります。この駄文に結論はありません。米露は手を結ばない。結ぶ振りはするだろうが、決して結ばないと、プーチンの顔には書いてある。米中も手を結ぶ気遣いはない。中国が結ぶ気はないからです。恐らく、政治的経済的軍事的に、すでにアメリカを上回っていると思われるのですから。まして人口数は世界一。中露も表向きは仲間だが、なかなかの曲者同士。ここでも中国は腰を曲げないはず。とすれば、この先は見えてこないでしょうか。(その見取り図は、機会と稿を改めて)

(ヘッダー写真:プレジデントオンライン・https://president.jp/articles/-/56877?page=3

【産経抄】ロシアに勝利を与えるな、トランプ氏の停戦交渉 先の大戦後、ソ連がシベリアなどに連行した日本人は約57万5千人にも上る。かつてソ連を構成したウクライナは、抑留地の一つである。同国第2の都市ハリコフには大規模な収容所があり、多くの日本人が強制労働を課された。▼小紙『正論』執筆者でノンフィクション作家の早坂隆氏によれば、ハリコフの人々は日本人に同情的で、差し入れも多かった。抑留者の死亡率は他の場所より低かったといわれる。同市はしかし、ロシアが一方的に始めた侵略戦争の戦場となった。▼ロシア軍がミサイル攻撃などで破壊した建物や道路の一部は、日本人抑留者が築いたものだ。国境線を腕ずくで書き換えようとする愚かな振る舞いは、北方領土の不法占拠と重なる。同じ相手に国土を踏みにじられた痛みは、日本とウクライナをつなぐ共通言語といえるだろう。▼まもなく3年になる侵略の終結に向け、トランプ米大統領が停戦交渉に乗り出した。何とも危ういのは、ウクライナが望むクリミア半島併合前の領土回復も北大西洋条約機構(NATO)への加盟も、「現実的ではない」とする米側の見解である。▼ウクライナに多大な譲歩を迫る恐れが拭えない。力による現状変更を認めるような幕引きは、災いの種を将来に残すだけだろう。解決への第一歩はロシア軍の撤退しかない。トランプ氏がなすべきことは妥協ではなく、勝利は与えないとプーチン大統領に決然と語ることである。▼台湾併吞(へいどん)を狙う中国にも、誤ったメッセージを発信してはなるまい。事は、日本の安全保障にも関わる。同じ痛みを知る国として、いま一度、声を大きくして主張する必要がある。ロシアとの間に引かれた国境線を、書き換えるべき事実はどこにもない、と。(產經新聞・2025/02/17) 
 トランプ氏のSNS投稿が物議 自身をナポレオンになぞらえる【ワシントン共同】トランプ米大統領が自身の交流サイト(SNS)に「国を救う者はいかなる法律も犯さない」と投稿し、物議を醸している。16日付のニューヨーク・タイムズ紙は「法律違反であっても、動機が国を救うことであれば問題ないと示唆する声明だ」と指摘。民主党議員からは「真の独裁者のようだ」と批判の声が上がっている。/投稿は15日付で、同紙によると、独裁政権を樹立し、皇帝となったフランスのナポレオンのものとされる文言を引用した。トランプ氏は16日、ナポレオンの絵を載せ、自身になぞらえてみせた。/トランプ氏は大統領令を連発し、連邦政府改革を強引に推進。職員の大量解雇に着手したほか、対外支援を担う国際開発局(USAID)などの解体を目指している。/トランプ政権の政策には違法性を指摘する訴訟が頻発。補助金や融資の一時停止指示を巡っては、裁判所による差し止め命令に従っていないとの判断も出ている。/トランプ政権は大統領権限が立法府や司法府よりも優先されるとの考えに基づいていると指摘される。(共同通信・2025/02/17 07:56)

● ナポレオン(1世)NapoléonⅠ 姓名 Napoléon Bonaparte(1769〜1821)= フランスの皇帝(在位1804〜14/15)。フランス革命のあとをうけて第一帝政を開き,フランスの国民的英雄とされる/コルシカ島の小貴族出身。パリ士官学校に学んで砲兵士官となり,フランス革命では,トゥーロン港の王党派を鎮圧して有名になったが,テルミドール反動のために投獄・休職となった。1795年10月(ヴァンデミエール)の王党派の暴動を鎮圧して総裁政府に認められ,ジョセフィーヌと結婚後1796〜97年イタリア遠征に成功,一躍名声を得た。1798年のエジプト遠征には失敗したが,ブリュメール18日のクーデタによって統領政府を樹立し,やがて独裁権を確立した。1804年皇帝(第一帝政)となり,フランス産業の振興と市場拡大を目標として,イギリス・オーストリア・プロイセン・スペインとかずかずの戦いを行って大陸に覇を唱えた。1812年ロシア遠征に失敗後,ライプチヒの戦いに敗れて退位し,エルバ島に流された。1815年同島を脱出し,皇帝に復帰して百日天下の支配を行ったが,ワーテルローの戦いに敗れてセント−ヘレナ島に流され,ここで一生を終わった。彼は,内政ではジャコバン派の行った土地改革を守って農民の生活を安定させ,フランス銀行の設立やナポレオン法典の編纂 (へんさん) などのほか,行政・司法・学制の整備に努力した。対外戦争には約100万の兵士を失い,結局敗れたが,これによりフランス革命の理念が全ヨーロッパに広がり,19世紀の多くの革命とナショナリズム運動の発端となった。(旺文社世界史辞典三訂版)

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けったいやなア、ほんまに。

 4月13日から「大阪国際万博」が開催されるという。出鱈目(でたらめ)の限りを尽くした万博問題も、いよいよ大詰め、最終段階。誰が「万博」を大阪に誘致したのか。聞くところによると「酒席の談合」だったとされる。語るに落ちた話だから、詳細は述べない。要するにA党が政権維持を図るために、あるいはそれがかなわなかったら、B党と一緒になって新たな政党を立ち上げ、あわよくば政権奪取を図るため、そんな恥ずかしい「利権」獲得のために、大枚・国税等を数千億円もはたいて「ゴミの島」に捨てたのだ(開催地を決めたらしい)。このゴミ埋め立て地を、大阪府は「夢洲(ゆめしま)」などと府市民を惑わし騙す名称にした。A党は老舗の腐敗党であり、B党(グループ)は、Aから分かれた面子(めんつ)による新腐敗党。どちらも「新自由主義」とかいう民衆切り捨て教の一派。まるで暴力団に違わない傍若無人党でもある。

 これが酒席での政治的野合の前段で、本命(後段)は「カジノ経営ホテル」の誘致だった。もちろんアメリカ資本で、米国元大統領(再選されて、現職の大統領でもある)の盟友をもって任じていた故元首相(天性の嘘つき)が、日米関係の誼(よしみ)で強請(ゆす)られ、挙句にカジノ業者を押し付けられ、ルーレット会場(ホテル)の誘致を求められた挙句のこと。二重、三重の「売国的政治案件」だったというほかない。

 それもあってか、開催2カ月を前にして、なお「開催反対」「万博止めろ」の民衆の声は絶えないどころか、いよいよプレストよろしく、クレッシェンドの勢いで大合唱が鳴り響いている。「維新」の政治家は碌でもない輩ばかりといいたくなる。「維新は半ぐれだ」という評論家もいる。これが現代日本の政治家のレベルだと聞けば、この国があらゆる指標で止めどもない勢いで、欅坂ならぬ「下り坂」を転がり落ちていることが判然とする。つまり、この国は「先進国」などでないのはもちろんのこと、二等国でも三等国でもなく、あえて言うなら、もっとも堕落し、近代化過程の途次で、いちはやく行き詰った国というべきであろう。

 ランク付けに価値があるとは思われないけれど、少なくとも国内の堕落や頽廃がさらに激しさを増しているのは、西洋音楽に例えれば、最終楽章の「フィナーレ」に、楽団員のすべてが息切れし、指揮者は指揮台から転げ落ちてしまって、身動きが取れない状態で床に倒れ伏している。ただ、空しく時間ばかりが経過しているという風に見える。もちろん、最初のころにいた聴衆も払底し、わずかな客も、今では寒さで凍えている始末(少子高齢化の一現象)。

 大阪生まれの「おせいさん」(田辺聖子・1928~2019 )が健在であったなら、カモカのおっちゃんとどんな会話を交わしていただろうか。ぼくにでも、ほぼ推察できる気がする。名代の宝塚ファンでもあった。後年、兵庫県住まいをされたけれど、今日の宝塚歌劇団の「集団イジメによる自殺事件」も見ないままだったし、さらには兵庫県知事選挙の醜態も経験されなかったのは、おせいさんファンのひとりとして「せめてもの慰み」だったと思うばかり。おっちゃんとおせいさんは「けったいやなア」「アカンことになったなあ」「大阪も兵庫も、なんでこんなにアカンようになったやろな」「そら分かったるで、学校教育と家庭教育が壊れてしまったからや」「そんな腐った学校や家庭から生まれた政治家や役人たちの不作為・不誠実・不義理のせいやと思うわ」「つまり、まず国会にいる政治家がどないもしようのないあかんたれやちゅうこっちゃ」「自分の腹ばかり太らせる、それを選挙民は見て見んふりしとる」「もうアカンで」「治らんか、おっちゃん」「手遅れちゅうこっちゃア」

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 大阪や兵庫だけが悪うなったんとちゃうで(と当方もつられて関西弁になってるやんか)。国の政治家が阿保やからや。嘘八百を連ねて、なお政治権力をつかんでいるちゅうのは、要するに選挙民がアカンにゃね。それをどないかせんと、この腐敗病・堕落癖はどこまで行っても治らんで、ホンマやで。それにしても、どいつもこいつも「大学は出ました」と言うてる。入ったんやから、出る。つまりは「心太(ところてん」式やな。スーッと出よるんやから、何も勉強せなんだいうこっちゃ」、えらいことになっとるね。

【新生面】けったいやなア 熊本で耳にすることはほとんどないが「けったいな」という言葉がある。<けったいな、という語ほど、大阪人が頻発するものはないであろう>と生粋の大阪人で2019年に亡くなった田辺聖子さんが『大阪弁ちゃらんぽらん』に書いている▼語源は「希代」とされる。関西では「キ」を「ケ」と発音するから、なまってけったいとなったのではという。田辺さんは「怪[け]ッ態[たい]な」と当て字で書くのを好んだ。怪奇な、ふしぎな、へんな、つじつまの合わぬ、おかしな、といった広い意味合いがある▼1970年の大阪万博でも「何や、けったいやなあ」と感嘆して見上げた来場者がいたはずだ。岡本太郎さんが手がけた「太陽の塔」。度肝を抜くような巨大な異形のオブジェはいまも万博跡地の公園にそびえ立ち、観光客を引きつけている▼そんな目玉が見当たらないせいか、大阪で2度目となる「大阪・関西万博」で前売り入場券の売れ行きが伸び悩んでいるという▼販売の基本はスマホを活用した電子チケット。手続きが煩雑、デジタル弱者には不便だと評判が悪い。何より、そうした手間を乗り越えてでも「行きたい」と思わせる何かが足りないゆえの前売り不振ではないか。目玉とされた「空飛ぶクルマ」の商用運航も間に合わなかった▼もっとも数多いパビリオン(展示館)の中には面白いものがありそうだ。実際の観覧が始まれば評判を呼び、人気を博す展示が現れるかも。ワクワクドキドキのけったいなモンも見つかるはず、知らん、けど。(熊本日日新聞・2025/02/16)

● 万国博覧会【ばんこくはくらんかい】世界各国の参加で開かれる国際博覧会。万博,EXPOとも。1928年の国際博覧会条約では,政府または政府公認の団体が主催し,諸外国の参加を招請,会期3週間以上6ヵ月以内としている。1851年ロンドンのクリスタル・パレスで開催されたのを最初に,エッフェル塔を記念物として建設した1889年のパリ万国博や,〈科学文明とヒューマニズム〉をテーマとした,1958年第2次大戦後初のブリュッセル万国博など,欧米主要都市で相次いで開かれた。日本は1867年のパリ博に初めて参加,1940年には東京で開催の予定であったが,戦争で中止。1970年大阪千里丘陵で開催の日本万国博覧会(大阪万博)はアジアで最初の万国博覧会で,77ヵ国が参加,6421万8770人の入場者数を記録した。日本ではその後1975年―1976年に沖縄国際海洋博覧会(沖縄県),1985年に国際科学技術博覧会(通称は科学万博つくば’85,茨城県),1990年に国際花と緑の博覧会(大阪市)が開かれた。2005年には愛知県(瀬戸市)での国際博覧会が開かれたが(愛知万博),会場建設にともなう環境破壊が問題となるなど,〈自然の叡智〉というテーマとも関連して保護と開発が論議された。2010年には上海で国際博覧会が開催。(百科事典マイペディア)

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「徒然に日常」(659~665)

〇2025/02/16(日)穏やかな陽気の一日だった。午前中に買い物に。昨日の勢寿しの「寿司樽」(十五人前)を返却してきた。いつも行くスーパー(ランドローム茂原店)の隣にあるだから。経営者の出身地が「天津小湊」なので、毎日そこからネタを仕入れているという。本当は週に一回は行きたいのだが、猫がいるので、家を空っぽにすることもできず、昨年の九月に行ったきり。猫がいない頃は、週一で通っていた。拙宅は少し店から離れているが、出前はOKなので、今後も注文する機会は多くなりそう。▶Sさん(成田市公津の杜在住)からメールがあった。これまでしばしば来られていたが、最近は縁遠くなっている。昨日来宅のゼミ生の同期生。ほんの一瞬だったが、スマホ(の電話)で参加してくれた方。(665)

〇2025/02/15(土)午後に卒業生が大挙してやってきた。総勢13名。(電話参加1名)卒業以来ほぼ三十年経過の方々だった。(詳細は「ブログ<Can’t Help Falling In Love>」に)(664)

〇2025/02/14(金)昼前に買い物に、茂原まで。▶帰宅後に、W君から電話。明日の参加者の件についてだった。何名になるのか、よく分からないままだったが、13名になりましたという話。ただ、車で来る人がだれで、電車組がだれかがわからないので、今晩に、それを確かめて電話してほしいと依頼しておいた。午後9時半を過ぎたがまだ連絡がない。全員が自動車でくるのだろうか。(663)

〇2025/02/13(木)終日激しい風が吹き荒れた。北から、西からの風向きがほとんどだったので、「春一番」とはならなかった。▶午前中は拙宅前の町道に埋設されている水道管からの漏水修理の工事があった。たぶん、午後の段階で終了したと思われる。▶お昼前にいつも通りに買い物で、茂原へ。強風は一向に収まらず、枯れ枝などが庭や屋根に吹き落されている。後片付けは大仕事。▶S君から電話あり。15日の件で、出席者が2名増えるということだった。都合9名か。と思いきや、午後9時ころにHさんから電話。出版社勤務の方で、「何人か連れて行っていいですか」とのこと。さらに数名増えそうな様子。十名を超えるが、最終的には明晩にでも教えてほしいと伝えた。(662)

〇2025/02/12(水)午前十時過ぎに猫缶購入のためにあすみが丘へ。前回から十日以上経過しているから、さすがにこの缶詰に対する食欲は落ちているのだと思う。これに変わるものがあればいいが、先ずなさそう。いろいろと試してきたが、最もなじんでいたのだから、もう少し続けてみたい。おやつ類はいろいろと種類を揃えて出している。▶午後、水道局を名乗る人が来て、拙宅前道路の少し先で「水道管破損により漏水」があるので、「この道路は通行止めにします」ということだった。各地で道路陥没が発生しているが、下水管や水道管の劣化が原因とされている。隣町の大網白里でも、昨日陥没事故が起こっている。劣島全体ではどういうことになるのだろうか。住宅にしてもマンションにしても耐久財ではなく、せいぜいが三十年か五十年、都合よく短期間の耐久期限を我々は受け入れて来たのではなかったか。▶長期間に及んだ最強寒気団もようやくどこかへ移動したらしい。それにしても、その後遺症はなお続いている。また、寒波の襲来と同時に火災件数が増えているようにも思われる。十分に注意したい。(661)

〇2025/02/11(火)本日は「建国記念の日」だという。この国が誕生した日を祝うというのだから、実に荒唐無稽なこと。神武天皇即位時、それが「紀元」の始まりだとして、従来は「紀元節」などと称されていた「神話的寓話」だった。こんなことを真剣に(だろうと思う)考え着くのだから、政治とは「お伽噺の世界」だといいたくもなる。今でも「紀元節」大祝賀(奉祝)会を虚構(挙行)しているのだろうか。▶昼前に買い物で茂原まで。いつも言うことだが、何を買ったわけでもないのに、五千円で釣銭がわずか。物価高騰、まったく鎮まる気配がないのはなぜだろうか。▶S君からメールが入っていた。拙宅訪問日は14日と(小生が)誤記していたことを指摘された。15日の誤り。少しばかり時間を早めてもらった。幸いなことに、今のところ天候には恵まれそう。(660)

〇2025/02/10(月)終日自宅に。▶劣島上空に居座り続けている最強寒気団の運んでくる豪雪は各地に甚大な被害をもたらしている。先月末から数えて、すでに十日余。本日も雪害の報道が各地からあった。▶穴水町役場から電話。送り返した「領収書」が届いたとのこと。彼の地でも、降雪が激しいとの話もあった。(659)

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