「敗北を恐れず、勝利に甘えるな」

⦿ 週初に愚考する(五拾四)~ さまざまな議論を経たうえで「大学入試共通テスト」が導入されて、すでに三十五年。今次の受験生は49万人余。その経緯や背景には触れない。大学受験における過当競争の弊害を是正するために導き入れられたのは事実だったが、その効果は、三十数年後にどうなったか。議論もあろうが、「合否判定のための試験」であるかぎり、問題点は残されているだろう。当初は公立大学受験生にのみ適応されていたが、やがて、その範囲は広げられ、今では当たり前に私立大学(受験生)にも適応されている。

 本日は「共通テスト」第二日目。今季、最も寒い時期に遭遇しての試験である。もちろん、このテストで「大学入試」は終わりではない。さらに各自が目指す個別大学への入学テストが控えている。この吐露当然のことながら、各紙のコラムも大学入試にまつわる話題を取り上げていた。そのいくつかを読んで、自らの受験経験が思い出されてきた。もう60年も前のことになる。大学入試風景も実態も、一変し感がある。しかし、受験者自身の心持は、それほど変わっているとは言えないだろう。

 以下に引用したコラム三題。それぞれの主張や意見は異なるように見えて、その実は「大学入試」に対しては同じような感情(あるいは評価)を持っているようにも、ぼくには読めたのだ。大学入試が「人生の一大事」、簡単に言うと、そのように考えられていないか、と。わざわざそれを否定するものではないけれど、新聞のコラムを書くような人は、それなりに「大学受験」肯定派だと思うことからすれば、いくつかの感慨がわく。

➀「寒烈の季節に耐え、坂を上り切った先には、春の景色が開けているに違いない」(産経抄)                  ➁「試験が全てではないし、合格がゴールでもない。その時々の目標に全力を尽くせばきっと、春はすぐそこ」(有明抄)     ➂「『人生は不条理に満ちている』『敗北をおそれず、勝利に甘えるな』」(談話室)

 一つ一つのコラムが言おうとするところは明らかだろう。「試験は大変だけど、最後まで頑張って。その先には、明るい未来が開けてい来る」とでも言いたげな、若者への励ましと助言に意を傾けている。とにかく目指す大学に「合格すること」、それが何よりだけれど、そこに甘んじてはいけないとでも言うようだが、とにかく、人生に占める「大学」の位置は高い、大学で学ぶことを高く評価しているのだろう。本当に、筆者たちはそう考えているのだろうか。何よりも「大卒」が人生の基本条件になるのだ、と。

 それを端的に示しているのが灘高の教師の一言だ。三十年前、阪神淡路大震災直後の、神戸の高校生(受験生)は「こんな時に勉強してていいのか」と煩悶した。その生徒に対して教師は「『今こそ学べ』。形あるものは壊れても学んだものはなくならない」と、背中を押したのだという。高校の教師なら、きっとこういうアドヴァイスをするのがほとんどではないかと、ぼくは想っている。それで何が間違っているかと、逆に詰問されるかもしれない。目の前に途方に暮れて、困憊している人々がいる。助けを求めているのだ。自分には今やるべきことがあると思うが、この人たちを放置できない。どうしたらいいか。その生徒に対して、脇目なんか振らないで、「今こそ学べ」と。ぼくは、「エッ、そうだろうか」と率直に疑問を持つ。現実にぼくの目の前に同じ状況が広がっているなら、間違いなしにそう言うだろうか。「学ぶことはいつだってできる」「自分のできる範囲で他人の役立つように行動すべきだ」と、一瞬の間も置かないで言っただろう。

 これ以上は言わない。このところ、盛んに叫ばれているのは「助かるいのち」ということである。「あの時、ああしていれば、あの人は助かったのだ」と、届いてくるのは後悔と怨嗟の叫び声であり、激しい嗚咽を伴う怒りのようなものではなかったか。「人生の大事」は、人によって異なるし、時によっても同じものとは限らない。とっさの判断や選択に迫られたとき、ぼくは何を選ぶだろうか、何を選択の優先条件にするだろうか。そんなことを考えてしまう。何はともあれ、今、受験シーズンは始まったばかり。この「人生のシーズン」には「オフ」はないのだと、ぼくは考えてきた。大学入学後も、ずっと同じことを考え続けてきた。「今こそ学べ」というのは、「今やるべきことをせよ」という意味だろう。入試なんて、時と場合によっては投げ捨てても構わない時があるのだ、そうではないか。

 作家の五木さんが言われている「人生は不条理に満ちている」とは、単に「戦時中」の「人生」を指しているのではないと思う。「平時」が輪切り(極限化)にされて現出するのが戦時だからだ。戦争には理不尽さや不条理が満ち満ちているのは確かだが、それは「平時」に存在しているのと同じ性質のものであって、きわめて特化されて見えるだけのこと。いまだって、同じことが生じている。ガザやウクライナにだけ「不条理」「理不尽」があるのではなく、ぼくたちが安閑と暮らしている、その地面の上でも「不条理」や「理不尽」は繰り広げられているではないか。遠い他国で起こっていることとは、たしかに表向きの姿は異なるように思えるけれど、それは錯覚にすぎないのだ。どこにだって「暴力(子どもや女性、老人に対する無差別の殺戮行為)」が幅を利かせているのであって、「対岸の暴力」は必ず「此岸の暴力」に通底している、そう考えてみれば、対岸の暴力は、わが日常にもあることを知るだろう。そのような時代や社会、ひいては世界状況の中で、人々の「大学受験」や「就職」や「結婚」、あるいは「困窮」や「病気」が起こっているのではないだろうか。五木さんの言われたという「敗北をおそれず、勝利に甘えるな」というのは何を指しているのだろうか。まさか「(受験)不合格や合格(だけ)」を指しているのではあるまい。

 悩める若者に、まるで優しく、念を押すように「胸ポケットに『信』の一字を忍ばせておくことも、お忘れなく」と「産経抄」氏は書く。「信」とは何だろうか。「自信に倍する心の惑い」と書かれているから、それは「(自信の)信」ということかもしれない。とするなら、何とも変なことを言っていると、ぼくなどは読んでしまう。「疑い」と「信」は背中合わせだし、切り離せないもの。いつだって、ぼくの胸には「信と疑」が同居・葛藤しているのだ。「信」の中から疑いが、「疑」の底から「信」が生まれだすのではないか。

【産経抄】「信」の一字胸に、受験シーズン本格化 いつもの地下鉄で家路をたどっていた夜、学生服姿の男の子が隣に立った。手にした本の開いたページに、赤いシートを重ねている。受験生だろうか。大変ですね。胸の内でそっとつぶやくと、長く深いため息が隣から聞こえた。▼窓に映る彼の視線は本の上にない。宙に向け「はぁ~」と2度、3度。余情が尾を引く嘆息だった。「読書もとよりはなはだ必要である、ただ一を読んで十を疑い百を考うる事が必要である」と言ったのは物理学者の寺田寅彦だが、隣の彼は何を疑い、何を考えていたのだろう。▼「疑」という字の左半分は、人が後ろを向いて立ち尽くし、進退を決めかねた姿を表している。地下鉄で聞いたため息は、「疑」の成分が多くの割合を占めているように思われた。自信に倍する心の惑いを、制服の下に抱えていたのかもしれない。▼何が大事か分からなくなるまで参考書に下線を引き、問題集に頭を抱え、模擬試験の合否判定に打ちのめされ…。自分の可能性を疑い、ため息をついた日々は、背丈を上へ上へと伸ばす肥やしになったはずである。あとは自分を信じるのみだろう。▼大学入学共通テストが始まった。コンピューターやネットの基礎知識などを問う「情報Ⅰ」が今年から加わり、受験生の思考力を問う傾向が強まったと聞く。時間内でより多く考え、より多く正答を書き込まねばならない。地下鉄の彼も、試験会場で自分を疑うひまはあるまい。▼折しも、暦は「大寒」が近い。受験生にとってはここからが胸突き八丁、容赦ない北風との勝負である。寒烈の季節に耐え、坂を上り切った先には、春の景色が開けているに違いない。ご健闘を。胸ポケットに「信」の一字を忍ばせておくことも、お忘れなく。(產經新聞・2025/01/19)
【有明抄】頑張れ受験生 作家の故井上靖さんの歴史小説『敦煌』は、主人公が「科挙」の最終試験に臨む場面から始まる。主人公は優秀で試験に落ちることは考えてもいなかったが、待ち時間の間に居眠りしてしまい、試験を受け損ねる。さすがに居眠りはないだろうが、さまざまな理由でそれまでの苦労が水の泡になることもある◆きょうから大学入学共通テストが始まる。インフルエンザが流行中だが、体調は大丈夫だろうか。受験生にとってまず大切なのは、試験会場に無事にたどり着くこと。受験生も、支える家族もつらい時期。最後まで気を抜かないで◆今年は高校の新しい学習指導要領に対応した最初のテスト。これまでの6教科30科目から7教科21科目に再編され、新教科の「情報」が加わる。制度に振り回される受験生は不条理を感じているだろう。でも、30年前はもっと大変だった◆1995年の大学入試センター試験は1月14、15の両日に開催。終わった2日後の17日に阪神大震災が起きた。被災地の受験生は2次試験の勉強どころではなかったろう。頑張れる環境にあるのは幸せなことだ◆冒頭の『敦煌』の主人公は失望して街をさまよううち、一人の女性を助けたことを縁に冒険の旅に出る。試験が全てではないし、合格がゴールでもない。その時々の目標に全力を尽くせばきっと、春はすぐそこ。(義)(長崎新聞・2025/01/18)
【談話室】▼▽高校生と話をしてみませんか。作家五木寛之さんに数年前、依頼が舞い込んだ。相手は有名進学校として知られる神戸市の灘高。内容は「七〇歳年下の君たちへ」として書籍化された。エリート予備軍に何を語ったか。▼▽五木さんは80年前の戦争について話した。外地で敗戦を迎えて、耐え難い経験をして生き延びた記憶だ。若者に「人生は不条理に満ちている」ことを伝えたかったという。それでも、乗り越えていくしかないと。「敗北をおそれず、勝利に甘えるな」。熱いエールを送った。▼▽一方の灘高生も30年前、阪神大震災という不条理に襲われた。センター試験の翌々日だ。学校は遺体安置所に。「こんな時に勉強してていいのか」。動揺する生徒たちを教師はこう後押ししたという。「今こそ学べ」。形あるものは壊れても学んだものはなくならない、と。▼▽歩みをやめなかった当時の若者が復興に携わり、現在の神戸を築いたのだろう。全国各地で頻発している災害は、これからも起きる可能性が高い。乗り越えていくには、若者の知恵や熱意が必要になるだろう。先の教師の教えが痛切に響く中、大学入学共通テストが始まる。(2025/01/18)

  「試験が全てではないし、合格がゴールでもない。その時々の目標に全力を尽くせばきっと、春はすぐそこ」というけれど、その「春」には、すでに「夏」「秋」「冬」が用意されていることを忘れないのがいいですね。

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「大学に行った」のに、君は「賢い」ね

 長い人生の中で、いくつかの節目の(入学)試験を人並みに経験してきた。今から考えれば、そのいずれもが「薄氷を踏む」想いだったといえます。いつだって「準備不足」が明らかでしたから。そんなことに身を入れるのは嫌だったからです。寒い冬の時期、この国の五十万を超える若い人々が、大げさに言えば、人生の「一発勝負」を賭けるのが大学受験なのか。断じて、そんなことはないんですよ。行くいかないにかかわらず、「大学なんて(Universities are not a big deal)」、という気分を持つのは大事です。自分自身の受験経験を含め、勤務先が学校だったために、否応なしに、半世紀も「入学試験」に立ち会ってきました。いろいろな出来事があったけれど、この程度の「試験」が人生の肥やしになるとはとても思えなかった。

 ぼくはその昔から、「入りたいものは全員入学です」、そんな荒唐無稽なことを広言していました。つまりは「全入」主義です。よほどのことがない限り、全員入隊、それは軍隊でしたね。徴兵検査と比べるのは憚られますが、まあ、そんなもんです。全員入学したとして、その後の教育方法はいろいろとあるでしょう。時間をかけて、「教養(人間)教育」を徹底して実施する必要があると、キャンパスに入る(来る)前に鍛える「大学教育」を志向していたのでした。今でいうなら、「オープンキャンパス」、あるいは「通信(遠隔)教育」のような手法を思案してのことだった。誰も、見向きもしませんでした。

 この駄文を書いている今(1月18日午前6時過ぎ)、本日行われる大学入学共通テストの会場に出かける準備をしている受験生も多かろうと思います。「合・否」に焦点を当てて、「難関突破」をひたすら願っておられることでしょう。「夕歩道」は、かなり以前に珍奇な社会問題にもなった「験(げん)担(かつ)ぎ」について書かれている。滑らないとか、落ちないという出来の悪い「靴底」や「洗剤」にかけて、その実現(効能)を求める、ある種の「民間信仰」だったでしょうか。いまだって、手を変え品を変え、あるいは従来の伝統・旧習も交えて、とにかくにぎやかに「神頼み」が盛んなことでしょう。

【夕歩道】「父の表札も、春先に何度か消えた」と、檀ふみさんが『父の縁側、私の書斎』に。人気作家だった父、檀一雄の名を墨で大書きした木札を持ち去ったのは文学部志望の受験生だったのかも、と。〇その昔、他家の表札を集めるという奇妙な受験の験担ぎがあったと聞く。一説に、4軒から盗めば「4(し)軒盗(と)る」で「試験通る」。井伏鱒二もよく盗まれ、表札代わりに名刺を張っていたと伝わる。〇無論、こんなことをまねしちゃいけないが、担げる験は何でも担ぎたい気持ちは経験者としてよく分かる。明日から大学入学共通テスト。何でもよい。緊張をほぐすあの手この手を。健闘を祈る。(中日新聞・2025/01/17)

 つまらない経験談を。ぼくは「祈願」「神頼み」などということはまずしたことがない。いつだって、試験は「受かるか、落ちるか」の賭け(マグレで受かったり落ちたり)みたいなものでしたから、だめならほかのことをしてみようという気持ちだけはいつも失わなかった。高校も大学も、そのようなチャランポランな気持ちで受験した。(幸か)不幸か、たまたま「合格」したのが運の付き。まるで勇気も覇気もない人生を送るほかに道がないような、情けない、無様な羽目になった。事程左様に「神頼み」は大嫌いだったが、今なお、その一事に関して「参ったなあ」「及び難し」という思い出があります。これもどこかで駄弁りましたが、東京に出てきて、私立大学を受験したのですが(六十年も前の話)、何年も経ってから誰に聞いたのか、本人が話したのか。「(息子が受験に受かるように)お百度参り」をおふくろがしていたというのでした。

 おふくろの住んでいた近くに車折(くるまざき)神社があり、そこで彼女は懸命にぼくの「試験合格」を願いながら「お参り」していた、と。入学後どれくらい経っていたか。ひょっとして、ぼくは三十になっていたかもしれません。母親が愚息のためにだったでしょう、そんなことをしてくれていたと知って、「参った」「恐れ入りました」という気持ちになったのは事実です。それ以降、ぼくが信心深くなるということはなかったが、愚息のために祈る、(愚息からすれば「祈られていた」)、母親の怖さ、母親への畏れを思い知った。「受験」に限らず、もう少しはまじめにしなければ(生きなければ)いけないなと、殊勝にも反省したことを覚えています。

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 「18日から大学入学共通テスト “点がつく”伝統儀式も 天気は?」「18日から大学入学共通テストが始まります。/前日の17日には、各地で試験会場の設営や下見、神社での祈願などが行われたほか、受験生の壮行会が開かれた高校も。/「点がつくよう」願いが込めた伝統儀式って?/記事では、気になる週末の天気もお伝えしています。/また、出題教科と科目の再編にともなう受験上の注意点も記載しています。/受験生の皆さんが全力を出し切れるよう、応援しています。頑張ってください!(NHK・2025年1月17日 18時07分)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250117/k10014696041000.html)(左・右、いずれの写真も)

 それこそ真剣に、必死に「合格」を目指して受験勉強する、多くの若者にとって、これが少なくとも二十歳前の青春の今日風「成人式」のようなものになってきました。一人前になるための「イニシエーション(initiation)」というわけです。「ある集団や社会で、正式な成員として承認されること。また、その手続きや儀式。成人式・入社式はその一形態」(デジタル大辞泉)高校や大学に入るための「受験勉強」がそうだとは言えません。しかし当節、大学や高校くらいは出ていなければ、「世間体」「体裁」が悪いと感じる傾向が自他にあるのは確かでしょう。

 しかし、元教師まがいをしていた人間の実感として、どれだけ懸命に、それも長い時間をかけて受験に備え、その挙句に希望の学校に「合格」したというのも、考えてみれば、いいことずくめ、「おめでたい」ばかりではないということです。「一流」「名門」と評価(噂)される学歴を重ね、その挙句に「大企業」「有名会社」という看板(実態は凄惨なことが多い)をかけている職場に入り、いかにも人生の「勝ち組」になったという(信じがたい「錯覚」です)、すかたん人生観をひけらかしては、自分の愚かさを忘れる。忘れた結果、呆れた行動をとっても、社会的には許されるという傲慢と甘えを内部にもって「自らの生き方」に泥を塗る、塗りたくる。「点が付く(天を衝く)」と大分県内のの一高校の受験生励ましの行事も、心していなければ、残念ながら「汚点が付く」という結果になるのです。

 大学を出たという事実が、逆に、当人にとっては「世間体」「体裁」が悪いね、となる時代が一日も早く来ることを、ぼくはずっと念じている

 「大学」に行ってもいい、行かなくてもいい。行く行かないにかかわらずに、「自分」であることに変わりはないからです。ぼくの知っている大昔の、高知県の校長先生が、久しぶりに同窓生に会って話をしたことがある。訊くと、彼は(高等)小学校卒のままで就職したという。その小学校の同級生と邂逅してUさん(元校長先生)は驚いた。「君は上級学校に行かなかったのに、どうしてそんなに馬鹿なんだ」と。

 一面では、学校に行くというのは、人によっては、わざわざ「馬鹿(狡猾)(不誠実)」になるためであり、それゆえに、学校が植え付けた「馬鹿の根」を抜くことは至難な作業になる人がいます。少しでも他人より勝り(優り)たいために、「学歴」を武器にするというのは、どういう料簡なんでしょうね。ぼくにはそんな人の気が知れない。上に述べた元校長の「学校に行かなかったのに、どうしてそんなに馬鹿なのか」というのは反語でも皮肉でもないでしょう。「図星」ではないですか。事実はその通り。ぼくは「学校出身馬鹿」をずっと見てきましたから(もちろん、ぼくもその一人であることを認めざるを得ない。深く恥じている)。

 だから、ここで言いたい。大学に行くのは「(自分の襟を正してくれる)友人に出会う」ためですね。高い授業料は払わされるけれど、「まさかの友は、真の友(A friend in need is a friend indeed)」、そんな友人に会えるなら、大学に入った意味は十分にありますね。そういうことなら、何処にいても、自分の感度さえ鈍らせていなければ、「まさかの(時の)友」「真の友」は、いつだって自分の側にいるのではないでしょうか。(右上写真は某テレビ局の「虚言会見」(1月17日)。「フジ」を前にして居並ぶ「愚者」、すべてが「大学出」です)(ぼくの本音に近い感情です、<You guys have done so many stupid things because you went to college.>

 (「自分にとってもっとも近しい友、それは自分なんだ)

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だれが「砂上の楼閣」を建てたいのか

 夜中の一時過ぎ、寝室の窓の下で鳴く猫に起こされました。遅くに外に出ていたのが、「中に入れてくれ」と呼ぶ。起きて玄関から入れた。それから、もう一度床にはいることはしない(できない)ので、食べ物を与え、ネコ砂(トイレ)の掃除をし、飲み水を取り替えたりと、猫の相手をしながら、ずっと起きていた。その間、いつものように耳にイヤフォンで「ラジオ深夜便」を聴いていた。ラジオからは夜を徹して「阪神・淡路大震災」の30年目を迎えた、その関係者の手紙や記録(文章や声)が紹介されている。いずれもが、親族・家族や友人・知人に犠牲者が出た方々の、三十年の歴史の一コマだった。時間が経過するにつれて、失われたものの大切さが弥増(いやま)しに募る、それだけに悲しみも怒りも悔しさも、三十年という時の蓄積とともに大きくなった、その様を切々と伝えるものばかりでした。(左写真:阪神・淡路大震災から30年。大勢の人が集まり、「1.17」の文字が竹灯籠で浮かび上がる=17日午前5時14分、神戸市中央区加納町6、神戸市役所から)(撮影・笠原次郎)(神戸新聞・2025/01/17/05:25)

(ヘッダー写真は神戸新聞・2025/01/16)(https://www.kobe-np.co.jp/news/society/202501/0018548860.shtml

 地震発生当時、津京に住んでいたぼくは今でははっきりと思い出せないのがもどかしいけれど、地震直後にテレビを点け、画面に見入ったと思う。その「地震発生」をだれが伝えたのか。言葉を失い、ひたす空撮するヘリからの映像に釘付けになっていました。その後に、京都のおふくろに連絡をしたのだったと思う。「とても揺れたけれど、無事や」という声に安堵しつつ、猶、テレビ画面から目が放せなかった。勤め先の大学の在学生も犠牲になったと後に知った。爾来、三十年が経過しました。まるで部外者のように話すつもりはない。この地震に遭遇され、その後、偶然にも職場の同僚になった人からも当時の事情を伺うことがあった。とてもぼくには想像できない「避難所生活」だった。その後に経験する東日本大震災や福島原発事故の際にも、被災者から直接に、被害状況を聞く機会があった。

 度重なる「自然災害」だというけれど、被害や犠牲の過半は「人為」に起因しているとぼくは考えるようになっている。東電の原発事故などは完全に人為による災害だったというべきでしょう。にもかかわらず、被災後の三十年を俯瞰すれば、おそらく「災害に強い街づくり」などという、一層の人為への傾斜であり、(現代流)科学技術に対する、根拠の薄い「過大な評価」でしょう。この劣島の成り立ちや構造から考えて、災害発生は不可避。それを知ったうえで、まるで綱渡りのような「都市計画」に邁進する政治・経済の独りよがりが続けられている。誰が言い出したか、「正しく懼れろ」などという、まるで呪文のような無意味を喧伝しては、真因から耳目を遠ざけてきたのだ。

阪神・淡路大震災30年 神戸・東遊園地、灯る「よりそう」 午前5時46分に黙とうへ 6434人が亡くなり、3人が行方不明となった阪神・淡路大震災は17日、発生から30年となった。発生時刻の午前5時46分には、兵庫県内各地の追悼行事で黙とうがささげられる。/神戸市中央区の東遊園地では「よりそう 1・17」の文字をかたどった灯籠に火がともされ、暗闇に浮かび上がる。昨年1月の能登半島地震など各地で災害が相次ぐ中、「被災地や被災者に心の中で寄り添う」との願いが込められた。30年の節目ということもあり、東遊園地では例年の1・3倍となる約7万人の来場が見込まれている。/17日は、県内各地で50以上の追悼行事が予定されている。県公館(同市中央区)で開かれる「阪神・淡路大震災30年追悼式典」には天皇、皇后両陛下が出席される。/阪神・淡路大震災では、国内観測史上初めて震度7を記録。住宅被害は全壊・半壊が計約25万棟、一部損壊が約39万棟に及んだ。震災後、避難生活の心労や持病の悪化で命を落とす「災害関連死」の概念が生まれたが、避難所の過酷な環境などは今なお各地で課題となっている。(杉山雅崇)(神戸新聞・2025/01/17/05:25)

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 昨日、イスラエルとハマスの間で「停戦」が合意されたという。こちらは「完全なる人為的災害」です。一年半で、双方に五万人からの犠牲者が出ている。愚劣極まりない「戦闘」による、大半の犠牲者は「無辜(むこ)の民」です。今回の「停戦合意」も「わざわざ、砂上に楼閣」の画餅の例に漏れない気もする。戦闘当事国の背後に、さまざまな勢力が糸を引いているがゆえに、表向きの「停戦」は、にわかには信じられないのです。この地域の歴史は「戦闘」「停戦」「戦争再開」、この繰り返しではなかったでしょうか。ある時期に、この地を植民地にした大国の「責任放棄」は非難すべきであり、はっきりと責められねばならないでしょう。何よりも「市民」の犠牲者を生み出す「暴力(人権侵害)」を座視するわけにはいかないのです。

ガザ地区 停戦合意で人質解放も イスラエル軍攻撃で犠牲者か ガザ地区で戦闘を続けてきたイスラエルとイスラム組織ハマスの双方は、今月19日から6週間停戦し、ハマスが33人の人質を解放する一方、イスラエルも、刑務所に収容しているパレスチナ人を釈放することで合意しました。ガザ地区では、合意の発表後もイスラエル軍の激しい攻撃が続き、多くの犠牲者が出ていると伝えられています。(以下略)(NHK:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250116/k10014694571000.html)

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 憎みつつ紙の門松貼りにけり

・呉竹の根岸の里や松飾り(子規)  ・憎みつつ紙の門松貼りにけり(福永耕二)

 本日は正月十五日。松の内も過ぎ、日常が戻ってきたという実感とともに、仕事始めに精勤しようという、そんな新春の情緒や雰囲気がすっかり消えてしまったのは、いかにも当世風でもあり、一日ごとの積み重ねという「平凡」を尊びたい人間としては、ことさらに「新年おめでとう」「本年もよろしく」などと虚礼を交わす必要を感じなくなったのはさいわいでした。正月気分が一向に充満しなかった背景はさまざまでしょうが、率直に言うなら、「先祖崇拝」の心情(mentality)が霧消してしまいつつある、してしまったということではないでしょうか。

 その一つの具体的な証拠になるかもしれません。街中の住宅街や商店街から「門松」が見られなくなった。その事実が多くのことを示しているでしょう。三十年ほど前頃までは、個人宅においても、世間ではそれぞれの身の丈に合った「門松」「松飾」を供えたものです。その由来は辞書(後掲)に譲りますけれど、何はともあれ、「ご先祖様」という気持ちが失われれば、面倒くさい「松飾」や「門松」を用意する必要もない。それこそ、古色蒼然とした「神道」「自然信仰」の名残りの滓(かす)のような飾りや祭事(旧習)が細々と続けられてきたのは事実です。しかし、世が世なら、つまり「夫婦別姓」や「家相続」が途絶えかかっている現代、いったい先祖を祀るとか祖先崇拝云々など、どこの世界の話ですかとなるのも当然ですね。

 今朝の中國新聞コラム「朝凪」が触れている「正月飾りをつけた車」、まったく見なくなった。その代わりに交通安全祈願に神社に出かける人が多くなったのでしょうか。家内安全、交通安全の祝詞を、(少なくないお布施を収めて)あげてもらったはいいが、その帰り道で交通事故に遭ったり、つまらぬ喧嘩で夫婦別れをするなどという悪い冗談のような話も聞いたことがあります。これは正月に限らないこと、車の前部に「「馬蹄」を飾る人もいました。馬は人を撥ねないからだというのですが、嘘でしょ。馬に蹴られて死んだ人もいる。とにかく、IT ・AI・ Smat Cityなどとにぎやかな当節、いかにも安っぽい「信仰」「呪(まじな)い」まがいがはやるのですから、人間は「鰯の頭も信心から」という「麗しい伝統」に憑かれているのかもしれない。「困った時の神頼み」という風潮は、しぶとく生き残っているようです。決して悪いことではない、と言っておきます。

【朝凪】今年は一台も見かけなかった。前部に正月飾りを付けた車。バスやタクシー、トラックといった営業車両は付けている気がしていたが、勘違いだったようだ。広島市と近隣の数社に聞くと、とっくにやめていた。
 バス2社は、いずれも付けなくなった時期がはっきりしない。理由は「飾りが一般的でなくなった」「運行への支障を懸念したのかな」。タクシー1社は30年ほど前にはやめたという。運送2社は「やめた時期も、理由も分からない」「初荷式もしなくなりましたね」。各社の担当者の口調には、往時を懐かしむ響きがあった。
 運転歴は20年ほどになるが、マイカーに飾ったことは一度もない。交通事業者は年末年始も忙しく、着脱は面倒だろう。それでも、このまま消えゆくのかと思うと、淡い寂しさを覚える。(経済担当・桑田勇樹)(中國新聞・2025/01/16)

 当地に越す前に長年住んでいた地域の町内会では、毎年年末に、紙に印刷した「門松」を飾るように配っていました。ないよりはましかもしれないが、さぞかし、先祖さまも気分はよくなかったことでしょう。やがて、それも廃れてしまいました。どんなにくだらない、些細な事柄でも、そこには「歴史(意味)」があります。「紙製の門松飾り」の前は近くの林から松の小枝を切ってきて飾ったのでしょう。その前は、それこそもっと丁寧に先祖を迎え入れる準備をして、しめやかに飾り物を揃えていたはずです。今日は「便利」と「効率」が最優先される時代です。各地のお祭りでは「お神輿」が軽トラで運ばれる風景が見られるほど。万事は「形式主義」に奔るのも時代の流れ。それを別の表現でいうなら、軽薄な模倣に任せるのです。「成人の日」の行事なども、その典型です。内容浅薄どころの話ではないのです。詳細はいつか触れることもあるでしょう。コラム氏は「飾り車」を見なくなったと嘆いておられる。さては、神社の関係者じゃないかな。

 拙宅にも「神棚」はある。しかし、文字通りの「棚」であって、何も乗せてはいない。時に、猫たちが鎮座するのに使われるばかり。さしずめ、「猫神」になったつもりで、下にいる者たちをを睥睨している。

門松 (かどまつ)正月に歳神を家々に迎える依代として門口に立てる松飾り。古くは 12月13日,普通は年末近くに山へ行き,マツの木の芯の部分をとるが,どこの山からとってきてもよいとされていた。地方によって異なるが,門松は 1月4~15日頃まで立てておき,供物を供えたりしたのち,注連飾り(しめかざり)などとともに小正月のドンドの火で焼く(→左義長)。以前はツバキ,サカキ,シキミ,シイ,スギなどを立てる例もあったが,マツがめでたい木と考えられるようになってからマツが多く用いられるようになり,同じ理由からタケを添える地方も多くなった。また門口に立てず,拝み松などといって床の間や神棚だけに飾る地方もある。小正月を重んじている地方では,門松との重複を避けて,小正月には若木を立てる。若木は一般に落葉樹のことが多い。一方で,先祖がマツで目を突いたとか,戦いに負けて年末にこの地に落ちのび,門松を立てる暇がなかったなどの由来をもって門松を立てない家もある。(ブリタニカ国際大百科事典)
とし‐がみ【歳神・年神】=〘 名詞 〙 その年における一家の福徳や五穀豊穰を司る神。正月に神棚や床の間にまつったり、恵方(えほう)に向けて作られた年棚(年徳棚・恵方棚ともいう)を設けたりし、鏡餠その他を供える。恵方神。歳徳神(としとくじん)。歳徳の神。《 季語・新年 》
[初出の実例]「今年、背有二年神一之由、丹家医師等所レ申也」(出典:玉葉和歌集‐治承元年(1177)一二月一〇日)
「年神と同じ膳喰年おとこ」(出典:雑俳・住吉みやげ(1708)(精選版日本国語大辞典)

 旧習が廃れるのは避けられません。なるがままに(let it be.)しておくわけにもいかず、例えば「長幼の序」や「家父長制」の尊重などはいつの時代にも廃れてほしくないどころか、廃れれば取り返しのつかない結果になるという危機感を持つ人も必ずいるのです。多くの「旧習」を墨守したい人たち、それを「保守」というのでしょうけれども、あらゆることが保守で徹底されるかというと、そのような主義主張を広言する人々の中には「マック」や「ミスド」は大好きですという御仁もいる。つまり、世の中は、いい悪いを含めて、「呉越同舟」、多様な人々の乗る「地球号」だということ。

 先祖を大事にするのもいろいろで、すべてが型通りなら、それは神職に徹するほかないでしょう。その神社だって、電化家庭に様変わりする世の中です。一家や個人を大事にするという態度の根底に、他者に対するささやかでも、なんとかあってほしい、そんな尊敬心がなければ、この社会は争いや競争が絶えないことになります。この社会の庶民はお正月には神社仏閣に参詣し、クリスマスには教会に詣(もう)でる、そんな「何でも屋」でもあります。細かいことは見逃し、そんなおおざっぱさもある、それはそれで一つの姿勢だと思う。

 とまあ、正月半ばの「ささやかな平和」の誓いのような、寝言のような「願掛け」であります。注連縄(しめなわ)も本物の門松も、紙製飾り含めて一切飾らず、神社仏閣にも詣でる気配の微塵もない、山中の一老骨の「骨休め(relaxation)」みたいな駄文ではありました。

・恵方にはかかはりもなき初詣(岡安仁義)

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「限界集落」は都心にもある

 現在地に越して十年が過ぎた。ちょっとした買い物も徒歩では無理で、常に車を使っている。最短距離のスーパーまで十キロ。「道の駅」やコンビニまででも四キロ。しかもかなりの坂道だ。生活物資を賄うには中途半端な距離。まして交通量の多い県道や国道を通るのにも危険が伴う。だから、変な言い方だが、ぼくは「限界集落」が好きなのだ。かなり早い段階から「限界集落」問題には関心を持っていた。早晩、この国では、どこもかしこも「限界集落」予備軍間違いなしだと思ったからだ。都心のど真ん中でも「限界地域」は五万とある。その場に居合わせたこともあったから、状況は分かっていたと思う。▶「限界集落」「消滅集落」という語はいつ、だれが使ったのか。おそらく勝手な想像だが、そんな嫌みの言葉は古いものではないだろう。これまでに「平家の落人」部落という地区に何度も立ったことがあるが、そこが「人間・生活不在」を示す場だという感覚を持ったことはない。

 思い出話をするのではない。能登半島(現七尾市)にいた(十歳ころまで)時には、かなり広範囲の生まれた地域全体に商店もなければ、医者や郵便局もまったく見られなかった。自給自足以外に生活の目途はなかったと思う。それが当たり前だったから、不便とも限界とも考える余地はなかったのだろう。▶京都に来て住んだのは北嵯峨という地域で、市内中心部からはかなり離れていた。小学校まで30分以上は歩いた。それが毎日のことになれば、つらいよりも楽しい時間を送る、それを工夫する才覚が子どもには働く。大事なことは、軽々しく「便利」などという時間省略の一方に流れる(自分のする仕事が少なくなる)という偏向した観念を持たないことだった。持ちようがなかった。

 高卒後に東京に出てきて、いわば都心(文京区本郷)に住んだ十年間。やがて、いろいろな面で息苦しさを覚えて移転したのが千葉県の一角。最寄りの私鉄駅まで徒歩で20分以上かかった。通勤時間には一時間半以上も。それでも、「職住接近」も「買い物便利」もぼくは選ぼうとはしなかった。(連れ合いは「便利派」だった)通勤や通学に時間がかかるというのは事実であっても、その長い時間をいかに過ごすか、確保するか、それが大事だった。▶大学に入った年の秋に東海道新幹線が開通。直後に利用し、京都に帰ったことがある。それまでの半分以下の乗車時間で帰京した。驚くべき時間の短縮だったが、ぼく自身は「便利」だと感じたことはなかった。時間を節約したいというのは一つの価値判断だろうが、どんなに節約しても一日は24時間、一年は365日。時間を節約して確保した「便利」の中身は何だったかと考えてみれば、驚くほどの意味や内容は、ぼくにはなかった。つまりは、面倒を厭うという情念を刺激するだけだったという気がする。「時は金なり」というけれど、金が幅を利かせる生活や人生、世の中は、碌なものではないと、ぼく自身は経験を重ねて学んでいる。

 もちろん、人それぞれだから、節約した時間を有効に使う必要があるのも当然だし、同じことを60分かけるよりも半分で成果が上がるなら、そちらの方を選ぶ人が多いのは当然かもしれない。▶便利だから都心に住み、便利だから職住接近を求めることを否定はしない。でも、その反対を選ぶ人間もいるのだということを忘れたくない。どんなに繁栄したところで、何時かは閑散とするのが世の常というもの。「宴」の前と後のようなものだろうか。「起承転結」は一集団や一社会の歴史にも見られる、つまりは必然性を持っている。生まれたら死ぬ、だから死ぬために生まれるとは思わないけれど、自分の人生のも調性(長調・短調・展開部)というものがあるのだと思う。アレグロもあれば、アンダンテもある。▶「看護の宅配便」、いい傾向だと思う。その昔は、あるいは今でも「医者の往診」が当たり前にあった。ぼくは、小さいころから「牛乳配達」「御用聞き」「郵便配達」「新聞配達」「宅配便」などなど、家までいろいろなものを届けてくれる職業が盛んだった時代を経験している。

 だから言うのだが、少なくとも「峠道」には上り下りがあるのが道理で、峠(頂上)にたどり着くために健気に、必死になりながら、他国を蹂躙したりする間違い(戦争)を犯しながら、ようやく頂上に昇り詰めたら、直ちに降ることを余儀なくされているのだ。昇ったら降りる。人生行路は、一種のエレヴェーター。人は変われど、歴史はその繰り返し。国家も社会も、個人と同じような歩みを続けるのだろう。新幹線でも飛行機でも、目的地に着いたら、帰らなければならない。ぼくたちは都会(一極集中)から田舎(限界的集落)に戻っていくことを避ける必要はないのだ。

 江戸開府はたかだか400年前のこと。「江戸」のない時代の方がはるかに長いのだ。限界集落、消滅集落、なんと呼ぼうと結構じゃないか。いずれ消える運命にあるのなら、それに抵抗するのは無益・無駄というもの。「人の暮らしがここ(限界集落)にある。楽しさや喜び、隣近所の助け合いも残る住み慣れた場所で最期まで」、そういう運命をだれ一人忌避してこなかったのだ。生まれる時も死ぬ時も、たった一人。▶「便利」や「効率」が尺度になる生活によって、人間性が豊かになる気遣いはない。やがて時間節約や成果獲得への要求や期待が、大きな抑圧要因になって、心身を損なう羽目になる。個人でも企業でも国家でも、事態は同じような傾向をたどるのだ。いつの時代にも、どこにだって「限界集落」は存在し、「消滅集落」も見られた。それを嘆くにあたるまい。

 ただ今に限って言ってみて、「限界」「臨界」「消滅」と、さもおどろおどろしい響きや感情を誘うが、何のことはない。「便利」「効率」を旨とする生活方法(文化)とは、時間を省き身につく経験を省くだけの薄さがいのち。改めて、ぼくはその対極の生活方法(文化)を止めたくないと確認したいのだ。昔の人は言いました、「骨折り損の草臥れ儲け」と。これこそが、人間の生活方法の原型になるだろう。「骨折り損の草臥れ儲け」というのは<a lot of trouble for nothing. /Great pains but all in vain.>と捉えるから間違えるのだ。別の表現では「損して得取れ」というだろう。<Lose a dime and win a dollar.> ここでも大事なのは「金」ではないということだ。「骨を折る」というのは、「無駄骨を折る」とも言って、「無駄かもしれない経験」をするということ。「草臥れ儲け」というのは、無駄に思われた経験が身になるということ。そう捉えるとき、「便利」がどれだけ、人間の経験を軽薄・空虚なものにしているかがわからないだろうか。

 ここで一言。「日本そのものが限界集落だ」という現実に目を瞑(つぶ)らないこと。

【明窓】看護の宅配便 「魔女の宅急便」ならぬ「看護の宅配便」。鳥取県日野町の公立日野病院が昨年、コロナ禍を挟んで約5年ぶりに再開した看護師の地域活動の愛称だ。急がずにじっくり、寄り添う看護を-。「急」を「配」に替えたネーミングに、そんな思いがこもる。❖買い物環境を守り、山あいの暮らしを支える民間の移動販売車に、看護師が週1度のペースで同行。行く先々で住民に声をかけ、近況を聞き、健康相談に乗る。高齢化率が50%を超え、独居世帯も多い地域に「安心」を届ける活動だが、取材で一緒に歩かせてもらい、少し印象が変わった。❖商品を選ぶ楽しさ、話ができる喜び…。日々の暮らしで大切なものが、住民との触れ合いから「見えてきた」と小原佐智子副看護局長は言う。❖その積み重ねは、買い物や通院の不便さを含む生活環境や家庭でのリスク管理まで考え、患者を支える看護の屋台骨となる。地域との結びつきを実感することは、やりがいや成長につながる。得るものは「届ける側」にも大きい。❖同乗の車中、集落などの形容によく使われる「限界」「消滅」という言葉が話題になった。行政用語として使う側の意図があるにしても、あらためて抵抗を覚えた。人の暮らしがここにある。楽しさや喜び、隣近所の助け合いも残る住み慣れた場所で最期まで-。そう願って寄り添う病院の医療や看護の実践は、地域存続の「希望の灯」でもある。(吉)(山陰中央新報・2025/01/13)

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「悪徳の栄え」を願ったのは誰だ

 ⁂ ネットでは大騒ぎだが、肝腎のテレビ局側は、これまでのように首を竦(すく)めて事態が過ぎるのを待っている。大きな看板(暖簾)を掲げ、世間で羽振りを利かせてきたテレビ企業群。ところが、その実態は(昔から、だと思う)とんだ食わせ物だった。「1見かけはよいが、実質はよくない物。偽物。2表面はさりげなく見せて、実は油断のならない者」(デジタル大辞泉)ヤクザや暴力団ならいざ知らず、天下周知のテレビ局が長年に及んで「女衒(ぜげん)業」を営んでいた、との疑いがかけられている。「《「衒」は売るの意》女を遊女屋などに売ることを業とする人。判人 (はんにん) 」(同上)▶ぼくは何十年とテレビを見ないが、仕事柄、テレビ局の人間と関わった経験が数度ある。今回矢面に立たされている局の呆れた振る舞いに断固抗議したことがあった。思い出すだに吐き気を催す。

 「大学受験」をお笑い番組で扱い、(ナインナインの)タレントの一人を受験生に仕立て上げようとしていた(「メチャ何とか?」)。局の責任者を呼んで抗議し、受験を取り消させた。▶ぼくの勤務していた学校は、そんな荒んだ職場、堕落・頽廃の生き地獄に「地位」を求めて、学生諸君の多くはまっしぐらという風潮があった。今次の事件の概要を知るだけでも看過も容認もできない性格のもの。局の幹部職員が、「大物タレント」とつるみ(言いなりになり)、局の職員(女性アナウンサー等)を獲物・餌食として差し出していた。これまでにも何十年も続いてきた嫌悪・唾棄すべき「犯罪行為」そのものらしいし、それを最高幹部は知っていた。犯罪行為を「今回のトラブル」とかなんとか「矮小化」しているが、しかしやったことは「手籠(てご」め」じゃなかったか。「 手荒い仕打ちをすること。力ずくで自由を奪い、危害を加えたり物を略奪したりすること。 暴力で女性を犯すこと」(デジタル大辞泉)会社も同罪だというべきだろう。職員に対する「安全配慮義務」違反は間違いないのだから。

 (一刻も早く、「かけられている嫌疑」に対して、「社」として自らの姿勢や意見を明らかにすべきだ。言わずもがなだが、「企業は従業員が常に安全で働きやすい環境で仕事できるよう配慮しなくてはならない」労働契約法第五条)に完全に違反しているからだ)(件の「トラブル」が発生したのは2023年6月という。直後に「トラブルの内容」は被害を受けた職員から直接会社の幹部に報告されている。性加害暴力を受けた事実を知りながら、一年半以上も加害者である当該タレントをテレビに登場させ続けている。この事実を無視し、蓋をしたたような「暴力受け入れ体質」を温存させていた企業であるという自覚・認識は何処に行ってしまったのか。テレビ局の一部である「報道」部は、この問題には一切不可触と厳命されているのだろうか)

 上場企業の不祥事・不始末は何を示すか。紛れもない「人権侵害」を多くの関係者はそれと知りつつ、長期間にわたり続けていた。それがこの企業社会の「伝統」「風習」「悪弊」だったのか。電波法で免許を与えられていたのだから、不法行為会社の犯した結果に対して、政府・官庁の責任も軽くない。▶二十年前にもなろうか、担当ゼミの学生がテレビ局を受験したいと相談に来た。アナウンサー職になりたいという。ぼくは言下に「他人の書いた原稿を読むだけの?」と、強いて慫慂しなかった。(「そんな空っぽの頭で(だから)、か」、と余計なことも言った記憶がある)

 自社の女性アナウンサーを自らの「出世」「昇進」の道具(人質)にした、テレビ局の職員は例外なく大卒だったはず。「腐っても鯛」ではなく、腐ったら破落戸(ごろつき)でしかない人間が屯(たむろ)する企業風土は存在すること自体が許されない。しかもこの会社は「報道部」も持っている。ならば、何よりも自らの「犯罪行為」を、他に率先して報道すべきではないか。いずれにしても、他社や他人の不祥事を云々できるはずもない。▶一昨年以来のJ.J.問題は、広く深くメディアを侵食してきた。まだ深く広く、後続の輩による犯罪行為は続いているだろう。それが、今に始まったことではないのは、当のマスメディアは知悉(ちしつ)している。その上で「女性を食い物」「貢物」として提供していたのならば、もはや死命を制されても已むを得まい。看板を取り外す(取り下げる)べし。また提供された「食い物」を嬲(なぶり)り者にしたタレント(複数)は即逮捕すべきだ。

 悪辣な暴力行為と知りつつ「示談」に立ち会う(犯罪に加担する)弁護士とはなんだろう。まちがいなく「共犯」だというほかない。「犯人隠匿罪」も成立しよう。犯罪者を救うためという理屈で、当人たちからの汚れた金を報酬として得る。また、犯罪行為の主が「口外禁止条項」を言い出すのも噴飯もの。醜いこと夥しいのは、金にあかして性加害を働くタレントに嘲笑(あざわら)われていた「視聴者」こそいい面の皮。タレント某のファンならなおさらのこと。今からでも遅くはないから、テレビ局は「元職員」の被害を刑事事件とすべく訴えるべきだ(「安全配慮義務」の遅ればせの執行)。その後に、自らは事業を畳む(解散する)がよい。

(*今回も多用されている「女子アナ」という蔑称、誰もかれもは、なぜ使うのか。「女・子ども」という、「大人・男」の持つ、抜きがたい「差別観」が厳存しているのは耐えがたいね。じつに悍(おぞ)ましい社会にぼくも生きている)

 「女性よ、為されるがままになっていて、いいんですか」と、一老人は言いたい。

【斜面】「総合的な判断」。何事かを説明しているようで、実は何も言っていないに等しいこの言葉が、盛んに飛び交う界隈(かいわい)がある。年末から年明けにかけて、民放各局からタレントの中居正広さんの出演する番組やCMが次々と消えていった◆9日には本人が、週刊誌で報じられた女性との性的トラブルの存在を認めて謝罪した上で、既に解決済みとの認識を示した。ただ、各局は出演番組の休止や起用の見合わせを相次いで発表している。その理由に挙げているのが「総合的」な検討や判断だ◆この言葉、2年前に旧ジャニーズ事務所の性加害問題が表面化した時もよく耳にした。その後も、性加害やさまざまなトラブルでテレビ局やスポンサーが人気タレントの降板や起用について説明を求められた際に、具体的な言及を避けたいがための常とう句のように使われている◆けれどこの“説明”では、視聴者は蚊帳の外だ。何のことやらさっぱり分からない。総合的と言うからには、複数の判断を積み重ねて結論が導き出されたはず。だが、その肝心のところが伝えられていない。視聴者と誠実に向き合っているとは言い難い◆今回の件、民放各局は被害者の保護に配慮しつつ、番組休止などの理由を丁寧に説明する責任がある。ジャニーズ問題で問われたのは、見て見ぬふりを続けた「メディアの沈黙」だ。その反省に立ち、性加害の問題を深刻な人権侵害と捉えているか。信頼を取り戻せるかどうかの正念場だ。(信濃毎日新聞・2025/01/14)

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