「全能感」に浸る大統領に何を…

【水や空】トランプ大統領、再び 「大統領、なぜ国境に壁を造るのですか?」「世界史を学ぶべきだな。中国は昔、巨大な壁を築いたんだ」「万里の長城ですね」「そう。中国にもメキシコ人がたくさんいるんだろう?」▲作家の早坂隆さんによる世界のジョーク集にある。中国も不法移民を締め出そうと壁を造ったのさ-と、米大統領に言わせ、その無知を笑っている▲早坂さんの著書によると、トランプ氏にまつわるジョークは、氏を小ばかにしたり、容姿をちゃかしたりで、うまい機知が見当たらない。大統領1期目は感情むき出しにその人をあざ笑う冗談が目立ったという▲感情的な反発もあれば、熱狂的な支持もある。トランプ氏には常にその二つがつきまとうが、2期目はどうやら熱狂的な歓迎の方が際立った▲米国の黄金時代を築く、領土を拡大する、不法移民を排する-と就任式でまくし立て、政策を覆す大統領令に署名した。いきなり権力を振り回す姿に期待が高まるのは、米国民が「変化」を渇望している証しだろう▲法ある時は法に従い、法なき時は慣習に従い、慣習なき時は情理に従う。それが普通だが、型破りで売るトランプ氏は「常識の革命を始める」と言い切った。大統領はばら色の明日をうたい、世界は予測不能の明日を案じる…。笑えるジョークがどうも浮かばない。(徹)(長崎新聞・2025/01/22)

(左写真・▽アメリカとメキシコの国境の壁の前で、壁をじっと見つめているようにたたずむ1羽の鳥の写真が、名誉ある写真賞の最優秀作品に選ばれた。/撮影したのは、メキシコの写真家アレハンドロ・プリエトさん。年間最優秀鳥写真家(Bird Photographer of the Year)コンテストで、応募2万2000点の中から最高賞に選ばれた。/作品は、国境の壁の前でミチバシリが止まっているところを捉えた。/プリエトさんは、壁が生物多様性にとって脅威となっていることを強調する作品だと話している。(BBC・2021年9月1日)

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われも人の子、企業の経営者

 テック業界の億万長者が集結 米大統領就任式【1月21日 AFP】20日に行われたドナルド・トランプ米大統領の就任式に、イーロン・マスク氏やマーク・ザッカーバーグ氏、ジェフ・ベゾス氏といった米テック業界の億万長者が参加。前列に座る好待遇を受け、彼らの権力と影響力を前例のない形で示した。/テック業界の大物たちは大統領選挙後、トランプ氏と良好な関係を築くために奔走。トランプ氏の第1次政権時代、シリコンバレーは敵対的な対応だったが、今回は劇的な変化を示している。/エリザベス・ウォーレン上院議員は、「彼らはトランプ氏の閣僚よりも良い席に座った。それがすべてを物語っている」とソーシャルメディアに投稿した。/就任式にはアップルのティム・クック最高経営責任者(CEO)やグーグルのサーゲイ・ブリン共同創設者、スンダー・ピチャイCEOも出席。
米国での行く先が案じられる中国系動画投稿アプリ「ティックトック(TikTok)」の周受資CEOもステージの後列に座っていた(c)AFP(2025年1月21日 16:53 発信地:ワシントンD.C./米国)(https://www.afpbb.com/articles/-/3559229?cx_part=top_latest)

(ヘッダー写真「米ワシントンの連邦議会議事堂で行われたドナルド・トランプ大統領就任式に出席する(右から)イーロン・マスク氏、スンダー・ピチャイ氏、ジェフ・ベゾス氏と婚約者のローレン・サンチェス氏、マーク・ザッカーバーグ氏(2025年1月20日撮影)。【翻訳編集】 AFPBB News(AFP=時事)」

 大統領はなんでもできるといわぬばかりのスタートダッシュです。当たり前の光景を見ているだけだといえるのかもしれません。「アメリカ第一」を掲げ、自分は独裁者になる(初日だけ)と宣言し、何が何でも「自分は偉い」と誇示する、まさに「晴れ舞台」です。他国のことをとやかく言うなと非難されそうですが、決してそこは他国ではなく、まして自国でもないけれど、今見せつけられているのは「宗主国(state that controls another・suzerain)」の権力者の振る舞い(exploits)です。

 さまざまな領域で「自主性=主権」を握られている大国のリーダーの交代。関心を持つのではなく、持たざるを得ない。この島を襲い来るだろう「台風」の進路などには興味がないと、安閑としている人もいるし、心配で眠れないと悲嘆にくれる人もいるでしょう。君はどうか? 安閑とはしていないつもりだし、悲嘆にもくれていない。まるで小さな国の一地方の、これまた小さな地域の山中の狸か猪の如く、自らの生活を侵害されないための方策を、ささやかながら作ることに集中していく、それだけです。

 (つまらないことかもしれないが、「億万長者」が集結した「位置・座席」の対価が一億五千万円という。嘘ではなく本当だろう。つまりは「地獄の沙汰も金次第」、「アイツもやるから、この俺も」という心理は当人を覆い隠してしまうほどに強烈なんだと思う。いかにも IT 的ではないですね。欲望や名誉、あるいは自己顕示を隠さないという「感情」は、さすがの IT 時代の申し人たちをして、アナログでしかないという、一つの明証ではあります。スマホ全盛時代を拓いたご当人たちは、肝腎かなめのところでは「糸電話」を使っている、そんな場面だね。ITとSentiment、「鬼に金棒」になれば、「▶●に刃物」にもなろう。面々が携えているのは「金棒」か、「刃物」か。言わなくてもわかりますね。

 It’s the height of ugliness. I dare not say it is so. That is because it is a human weakness that no one can escape.

 「アメリカの黄金期は今から始まる」、「今日のこの日から、我々のこの国は繁栄し、尊敬される」「私はただひたすら、アメリカを第一にする」「(肌の)色が見えない」「能力のみを基準にした」(社会を作る)「今日から、ジェンダーは二つしかないというのが、アメリカ政府の公式方針になる。男性と女性だ」(就任スピーチより)

 (何があろうとも、一度味を占めた「権力」を、もう一度だけでも握りたい。雌伏八年。その意欲だけが彼を再生させたかのように思われます。遅れてきた、それも十年二十年ではなく、百年も百五十年も遅れて来た「独裁者」然としている様をみせたい人物。「アメリカの黄金時代」は、南北戦争(1861~65)以前の昔にあった、と固く信じているのです。この大統領は「第二の南北戦争」を、本気で戦っているのだと思う。

⦿ なんぼく‐せんそう〔‐センサウ〕【南北戦争】=1861~1865年に起こった米国の内戦。黒人奴隷を使用して自由貿易を主張する南部と、国内市場の統一、保護貿易を主張する北部との対立が、奴隷制不拡大を掲げるリンカーンの大統領当選を機に、戦争へ発展したもの。劣勢であった北部が奴隷解放宣言ののち攻勢に転じ、南部の降伏で終結。この結果、奴隷制度は廃止され、独立以来、対立を続けた南部・北部は事実上統一された。(デジタル大辞泉)

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I do solemnly swear (or affirm) that …

 あらゆる手練手管を使って再選を期し、満を持して再び大統領の座に就いた元大統領。そこには端倪すべからざる権力奪取の執心と「独裁」への憧憬(yearning)があったと思われる。自分が負けた選挙は「投票を盗まれた」と無知な人民を煽りに煽ったが、さて当選してみると、そんなことはどこ吹く風。生来、まるで「駄々っ子(spoiled child)」そのものだった御仁が、やがて世間(大都会N.Y.)の荒くれ波に揉まれ、立派な「悪漢(Villain)」に育ちあがった。詳しいことはここでは触れない。中日新聞(「夕歩道」)が紹介したW.P.紙による「事実確認数」に驚く。口から出任せというが、その出任せが「虚偽」なのだから、それは天性のものだ。醜聞に塗れながらの再起は大したものというべきか。

 今日の米国は,英国籍の豪華客船「タイタニック号」に瓜二つ。今から百年以上前の初航海(1912年4月)で、北大西洋にて氷山に激突、1500人からの犠牲者が出た。不吉なことを言うようだが、「沈没」するように仕向けているのが「船長(captain)」の一人。他にも、多くの船長が操船しようとしている。就任前から、この大統領は前のめり(lean forward)で、思いのままを放言しているとぼくには見えた。「アメリカを再び偉大に(MAGA)」と狼煙を挙げたが、何のことはない、徹底した覇権主義(hegemonism)を語るのみ。世界に君臨したいという、その短絡した宿願は彼の育ちに大きくかかわっているだろう。

 それはともかく、この「性犯罪者」を選挙で大統領にするというのだから、アメリカ民主主義は抜きんでている。「世界に冠たる」ものだといっておく。GAFAを含む大企業(創業者・経営者)が彼の周りに「群がる(swarm)」のは、先ず利権第一だからで、それは「アメリカ第一」に重なる。何が何でも、我武者羅に「アメリカ一番」を懇望するのは、弱さの証拠でしかないだろう。

 「アメリカ合衆国憲法を、全力を尽くして守ることを、厳かに誓う」と聖書に左手を置かず、就任後最初の「虚偽」を放った。時に、大統領は78歳。

【日報抄】〓ハァー、佐渡へ佐渡へと草木もなびくよ…。ご存じ「佐渡おけさ」の歌い出しである。人もモノも文化も、黄金を産出する島に吸い寄せられるように集まってくる。そんな情景を歌っているようだ▼「草木もなびく」は、勢いが盛んなものに全てがなびき従う様子を意味する。勢いというと、超大国トップの座に再び就くトランプ氏のことを思い浮かべる。予定通りなら、この紙面が読者のお手元に届く頃には米大統領に就任している▼返り咲きを前に、かの国の大企業は「なびく」という言葉がぴったりの振る舞いを見せた。フェイスブックなどを運営するメタは、投稿を第三者がファクトチェックする方式を米国で廃止する姿勢に転じた。投稿内容を巡り対立してきたトランプ氏との関係改善を図ったとみられる▼ほかの大企業もこぞって接近を試みている。トップらが相次いで会談し、良好な関係を築こうと懸命だ。米紙によると、大統領就任の関連行事には過去最高の2億ドル(約310億円)以上の寄付が集まった▼そんな風向きを利用するかのように、トランプ氏はデンマーク領グリーンランドの購入や中米パナマ運河の管理権奪還を矢継ぎ早に打ち出した。関税や軍事費負担の強化など同盟国・友好国にも矛先を向ける「どう喝外交」に世界が身構える▼佐渡おけさには、こんな歌詞もある。〈佐渡は居よいか、住みよいか〉。佐渡が住みよいのは間違いない。では、トランプ氏が君臨する世界は居よいか、住みよいか。さて…。(新潟日報・2025/01/21)
"I do solemnly swear (or affirm) that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my Ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States."
【夕歩道】1期目の任期を終えて退任した2021年1月、米紙ワシントン・ポストがこんなファクトチェック(事実確認)の総括を。「トランプ氏の虚偽または誤解を招く主張は4年間で計3万573回」
 細かく見ると、大統領就任1年目には1日平均6回だった虚偽の主張は2年目には16回、3年目には22回、最終年は39回と増え、同紙いわく「時が経過するほど虚偽のツナミは高まっていった」。
 虚偽の主張を繰り出さぬ日もなくはなかったそうだが、多くはゴルフをしていた日だった由。間もなく御大の2期目が始まる。さらにたくさんの唾を眉に付けつつ明日からの4年間に臨むとする。(中日新聞・2025/01/20)  

 「実業家イーロン・マスク氏が20日、トランプ米大統領就任を祝う首都ワシントンでの集会に登壇した際に行ったジェスチャーが物議を醸している。SNS上で、ナチス式の敬礼ではないかとの指摘が挙がった」【AFP時事】(時事通信・2025/01/21)(右上写真)

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 一日が過ぎる、まさに一刹那(631~637)

「徒然に日乗(Random Diary)」(2025/01/13~2025/01/19)

〇2025/01/19(日)終日自宅に。はっきりしない天気が続いた。夜に入って小雨も降り出してきた。東北・北海道地方や新潟地方を襲っていた、さしもの大雪も一段落着いたかもしれない。それにしても、豪雪というほどの雪が続いていた。▶大学入学共通テストが終わった。今回の受験生は、49万人余だった。その内訳(従来の区分による国公私立大学別)の詳細は分からない(調べていない)が、少子化の影響がかなり出てきているようで、大学進学率も上昇一途というベクトルははっきりと転換してきている。この段階で、最新の新しいデータを調べてみたい。▶ガザ停戦、今日以降の6週間がその期間に定められているそうだ。これまでの経験を見れば、簡単に「撃ちてし止め」とならないのは明らか。全面的に支援している「大国」の責任というものも問われよう。少なくとも「無辜の民」の殺戮が暫し終わるということだけでも、僥倖だと思う。為政者の暴力をなんとしてでも阻止しなければ。「出番」が待たれるところ(国や政治家)が多くありそうだが。(637)

〇2025/01/18(土)昼前に買いものに茂原まで。陽射しがあったけれど、風も吹いていて、それなりに寒い日だった。ここ一両日が「寒さの底」と天気予報では伝えていた。▶ガソリンの国の補助が五円減額されたので、よく使うG.S.でも、それ以前には見られなかった「1㍑178円」と表示されていた。灯油も昨年よりもかなり高騰しているので、これ以上寒さが募らないことを願うばかり。▶それにしても、諸物価の高騰が一向に収まる気配がないのはどうしたことか。少しばかりの食材等を買うだけで、5千円にもなる。日常の生活用品(主として食品)、夫婦二人で5千円を軽く超える時も珍しくない。この先、どこまで騰がるのだろうか。光熱費なども値が下がらないのだから、実際の気温以上に「寒い」冬が続いている気がしている。(636)

〇2025/01/17(金)終日自宅。少し風も出て、寒さが強く感じられる天気。▶阪神淡路大震災から「30年」の日だった。地震と火災による直接の被害者として、4000人を超える死者が出た、大災害だった。木造家屋による倒壊・失火も大きな要因となって死傷者も大きな規模になった。その後にも、大きな自然災害が各地で、毎年のように起こっているが、同じような弱点を持っていることから「救われるべきいのち」が失われているという思いを強く持つ。不謹慎だが、劣島ひとわたりが被害を受けなければ、身に堪えることもないのだろうかといいたくもなる。(635)

〇2025/01/16(木)朝6時半に「生ごみ出し」に。いくらかの重量(使用のごみ袋は30㍑)があって、ために車を使うのだが、車内は-3℃だった。おそらく、今シーズンで最も寒い時期を迎えているのかもしれないと思うほどに冷え込んだ朝だった。お昼前には灯油を(18㍑×2缶分)を購入に。本日からガソリンが1㍑につき、5円分の政府補助がなくなるという。いつものG.S.でも、170円超の値段替えを行っていた。▶イスラエルとハマスの間で「停戦」が成立したという報道があった(発効は19日)。最終的には「戦争終結」にまで果たしていけるのだろうか。これまでも停戦が、何度も覆されてきたという苦い歴史があるのだから、予断は許されない。同じように戦闘状態にあるロシアとウクライナの間に「停戦」がいつ成立するのだろうか。米ロ主導で現状の侵略(地域占拠)状態を固定した「終結」が目論まれているが、不条理が罷り通るのは許しがたいこと。▶韓国大統領が逮捕された。この先の展開が気になるが、大統領支持派が勢力を強めているのが、気がかりだ。(634)

〇2025/01/15(水)本日は第3水曜日なので、朝6時半に「ビン・カン」を収集用の袋に詰めて回収所にいつも通り運んだ。寒くなると予想していたが、車の中は-2℃だった。その後、駄文をメタ打ちしてネット上に出した。できれば触れたくなかったが、「フジテレビぐるみの性加害」問題を扱った。要するに、今回の事件が起こった一年半前(03年06月)の段階で、会社側は事件の内容を知っていたが、その後も加害タレントを使い続けていたというおぞましさ。被害の女性職員に対するケアがほとんどなされていなかった点など、そもそも、この会社は免許許可されるべきではなかったと思うほどの酷さだ。現時点における会社幹部の「下種ぶり」は覆い隠すべくもない。▶午前十時前に猫缶などを購入のために土気まで。昨日は同じH.C.まで行ったが、「棚卸」のために休業だったので、出直したのだ。現在の商品以外に、多くの猫が好んで食べる缶詰がなさそうなので、どうしても同一製品を買いたかった。中にはそろそろ飽きが来ている子もいるので、この先を思案している。▶「韓国の捜査当局は15日午前、内乱の疑いで尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領(64)に出されていた拘束令状を執行し、尹氏を拘束した。当局が発表した。今月3日にも拘束を試みたが、大統領警護庁が阻んだため、この日早朝から改めて令状執行に乗り出していた。現職大統領の拘束は韓国では初めて」(BBC・2025 /01/15)(633)

〇2025/01/14(火)昼前に猫缶購入のために土気へ。不覚にもこの日は「棚卸」のために休業となっていた。案内は、もちろん今日以前に出されていたのだが、それを見落としていた(まったく気が付かなかった)。仕方がないので、近所にある、何時ものH.C.に。そこでは「ドライフード」と、本日分だけの缶詰を四個(一個が3パック)ほど買った。いつも通りの行動で、その足で、茂原まで買い物に。寒くなるのと、暗くなるのを避けるために、早い段階で買い物を済ませることにしている。▶こんなことを、いまだにやっているのかという思いが強い。元フジテレビの女性職員が受けた性加害事件。真相が明かされるにしたがって、とてつもなく深い闇の中にいる心地がする。かかる醜悪な、人権侵害をテレビ界は挙って何十年も続けてきたのだし、それを知らないで(だろう)、スポンサーもテレビファンも拍手喝采していたのだ。とんでもない事態を放置してきた、この社会の堕落と惰性が、ついにここまで進んで、社会の底を抜いてしまったのだと思う。既存のテレビや新聞を含めたマスメディアの「再起」「再生」はあり得ないだろう。(632)

〇2025/01/13(月)昨夜からの強風が続いている。劣島の日本海側では広い範囲で大量の降雪があった。▶昼過ぎに買い物、茂原まで。▶ロスアンジェルスの火災はさらに延焼中で、一層広範囲に及び、犠牲者も増えている。住宅の消失は膨大な戸数(10万戸超)に及んでいる。消火作業は続けられているが、十分な成果を上げていないように見られるのは、火勢があまりにも強いためだろうか。▶県内をはじめ関東地方でも多くの火災が発生しており、確実に犠牲者が出ている。また、寒波の襲来を受けてか、各地で相当の自動車(交通)事故が発生しているのも気になる。▶本日は「成人の日」だそうだ。ほとんど我が意識に残らないままの状態がどれくらい続いているだろうか。2000年以降は一月の第2火曜日に設けられたという。「(2022年4月1日から、成年年齢が20歳から18歳に)この1年間(令和5年1月~令和5年12月)に、新たに成人に達した人口(令和6年1月1日現在18歳の人口)は106万人で、前年の18歳と比べると6万人の減少となっています。/男女別にみると、男性は55万人、女性は52万人で、男性が女性より3万人多く、女性100人に対する男性の数(人口性比)は105.5となっています」(総務省統計局)(631)

*蛇足 こと「日記」に関して、これまで一度として長く続けて記(しる)してきたことはなかった。まさしく、ぼくは「三日坊主」だった。今回、ほぼ二年近く続けてきて、ぼくの中にはいくつかの発見というか、遅まきながらの「生活の質(レベル)」のようなものが明らかになったと思う。世間では驚天動地の出来事や、鬼面人を威(おど)す如き事件の張本人が毎日出ずっぱりであり、ニュースでその仔細を知ろうとして、その応接に遑(いとま)なしというのは事実です。しかし、その出来事や事件・事故に気を奪われないで、自らの生活日常をていねいに自省してみると、そこには何の変哲もない「変わりようのない生活」「ありふれた日常」が繰り返されているのがわかります。

 それは、これまでの「メモ記録」をみるだけで 一目瞭然とするでしょう。奇を衒うような出来事はぼくには起こらないし、家族が事件に巻き込まれることも、今のところはありません。かくして、日々平々凡々と過ぎ行く時間(さま)をぼくは、馬鹿の一つ覚えのようにメモってきたのです。時々の、わが内面を吐露すれば、どういうことになるか。

 それを書き直せば「哲学」にもなり、「研究」にもなるのでしょうか。しかし、同じ人間の「駄文日記」の焼き直しのような文章に価値があるなどとは考えられないのです。駄文は、どこまで行っても駄文のまま、その域を超えることはないし、その駄文を書く人間の惰性や堕落の顛末を除いて、ぼくに何事も残らないのですから、まあ、これからも「駄文日乗(日常)」を継続することになりそうです。油断すると、今朝、何をしていたかさえ忘れている始末です。それもまた、「わが惰性」であります。忘れたことを思い出そうとする、その瞬間の時間が、今では快感とは言いませんが、意外に充実しているように思われてくるのですから、焼きが回っていますな。

 (右上著書は、わが先輩にして、親しく厚情を願った先学が書かれたものです。Tさん(1940 – 2007)は早くに亡くなられた。外国に遊学し、帰国して間もないころに発病し、あっという間に幽明境を異にした。平安朝文学のすぐれた研究者だったが、意外にも(と言えば失礼に当たりますか)大変な政治性を発揮された人でもあった。(政治力はなかったと思う)ぼくの知る限り、おしなべて、平安や鎌倉の「文学研究」者には、なかなかの政治的才能をお持ちの方が少なくなかったという印象を持ちました。それだけ、「時代」そのもの、「宮廷」そのものが激しい政治の舞台だった証拠かもしれません。思い出は尽きませんが、戴いた多くのご恩を感謝している次第です。「日記」にまつわって、無駄ごとを述べてしまいました。彼は奈良吉野のご出身で、それにまつわる多くのことも教えられた)

「敗北を嫌い、勝利に溺れる」

 本日は,一年間の二十四節季の最後の候である「大寒(だいかん)」です。(次の節季は「立春(2月3日)」)この頃からでしょうか、以前なら「三寒四温」などという表現で、待ち遠しい春に思いを寄せていたものでした。同じ時期に決まって思い出すのは、一つのエピソード。その昔、学校教育の「原理主義」「唯一解論」に関して、つまらない論議を呼んだことがありました。小学校の理科の試験で「雪が解けたら何になる」という質問に、ある子どもは「春になる」と回答したら、それは「間違い」とされた、正解は「雪が解けたら水になる」と答えなければならない、と。誰がそう決めたか。教師あるいはテスト業者の仕業だったでしょうか。

 奇しくも昨日で「大学入試共通テスト」が終わりました。ヤレヤレ。「雪が解けたら何になる」という類の愚問に悩まされた受験生も多かったことだと思う。また、青森をはじめとする東北・北海道や北陸地方の「豪雪」に関して、「豪雪が解けたら何になる」と問われたら、政治行政に携わる人たちは何と答えるでしょうか。「春になる」を通り越して「夏になる」という人もいるでしょうし、不届きな輩は「金になる」とでも答えるでしょうか。そして、当節はそれが「正解」だったりして、ね。

〇大寒(だいかん)とは、一年でいちばん寒さが厳しくなるころ。冬の最後の二十四節気。各地で一年の最低気温が記録されるころですが、自然界は少しずつ春に向けて動き始めています。(本日から2月3日ころまでの期間)▶七十二候のうち、➊初候(1月20日〜1月24日頃)「欵冬華(ふきのはなさく)」凍てついた地面に蕗の花が咲き始める頃。地面には雪が積もり、強い寒さが襲ってくる時期ですが、草花は春に向けて着実に動き出しています。➋次候(1月25日〜1月29日頃)「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」沢の水が氷となり、厚く張りつめる頃。この時期に、一年での最低気温の記録がでることが多く、氷点下に達する地域も多くみられます。➌末候(1月30日〜2月3日頃)「雞始乳(にわとりはじめてとやにつく)」鶏が春の気を感じ、たまごを産み始める頃。自然な状態の鶏は、日照時間が長くなるにつれ、産卵率が上がっていくため、春から夏にかけてたくさん卵を産みます。(「暦生活」・https://www.543life.com/)(https://http836.home.blog/?p=91791&preview=true

 昨日引用したある新聞のコラムに、作家の五木寛之さんの「高校生へのメッセージ」が出ていました。「人生には不条理なことはいっぱいある」、けれども「それを乗り越えて生きて行ってほしい」と、自らの「戦争体験」を胸に語られている部分が引かれていた。そして「敗北をおそれず、勝利に甘えるな」との言葉をかぶせた。ここでいう「敗北」「勝利」は何を指すか、受け止め方は人それぞれでしょう。でも、五木さんが伝えたかったことは「目先」や「表向き」の「勝ち負け」に囚(とら)われないで、ということだったのではなかったか。彼が語った相手は神戸の灘高校生だったというから、なおさら、五木さんの伝えたかった真意は真っすぐに届いたかどうか、ぼくには判りません。いや「届かなかった」といいたい気もする。(五木さん自身は「勝利に甘えるな」という思いで生きてこられた「勝ち組」だったかもしれません。1932年生まれ、93歳に。ますます、ご健在です)

 語り手が五木さんではなく、それを聞くのが灘校生でなかったと仮定します。大学への進学もかなわず、就職も意に添わないところで働いている、そんな人たちに対して「敗北をおそれず、勝利に甘えるな」というメッセージがうまく届くでしょうか。「今のことろ、君たちは負け組」だけれど、そんなことに怯(ひる)んでいてはいけない、もっと勇気をもって「勝ち組になれるように」と、なにか無理難題をぶつけられているような錯覚に、聞き手は襲われるかもしれないでしょう。五木さんの「真意」は、残念ながらぼくには判りません。でも彼の使われた「敗北」「勝利」という視点が、生き方にかかわる適切な言葉だったかと、ぼくは大いに疑うのです。相撲や野球じゃあるまいし。実に安直な人生論であって、「敗北・勝利」などという一刹那の「結果評価」主義を超えたところで捉え直すことこそ大切なのだと思うのです。「人生は勝ち負けにかかっている」とは断じて思わないし、ある人が「負け」と捉える生き方を、別の人はまったく異なるものと受け取るかもしれない。

 面倒な議論は避けますが、「希望の大学に合格」したら、自分の人生には価値が生まれる、あるいは価値ある人生と言える、そんな軟弱なもので「生きる意味」を計ってはいけないということだったと、ぼくは考えるのです。残念だけれど、この社会において「大学」という存在は、多くの若者(大の大人にも)、いや「社会そのもの」にとって、避けようのない「躓(つまず)きの石(obstacle)」になっていると思われます。残念だけれど、この問題に対してぼくには何かを述べる資格はない。なぜなら、ぼくには「躓く石(大学)」が無いに等しかったからです。その無資格な人間のささやかな経験談として駄弁るほかありません。大学に合格したら「勝ち組」になり、その反対は「負け組」だと、誰が言うのでしょうか。ぼくの心情としては大学に入ったことこそ「負け組」、いや「大きな過ちを犯した(失敗)」という思いは年とともに大きく深くなってぼくを責めて来た。ぼくが在学したのは、世間的には恥ずかしい限りの「お粗末大学」だったから、なおさらか。

 卒業生には「錚々たる悪者」が列伍をなしています。もし自らの中に、そんな愚にもつかない価値感情があるとしたなら、それをこそ全力で除去すべきでしょう。そんなことは真面目に考えたことはありませんが、社会における「勝ち組」とは誰のことを指して言うのですかと、ぼくは問いたいのです。「勝ち組」「負け組」、そういう言葉があることは知っている、それでは「俺は勝ち組」だと自認している人はいるのでしょうか。そんな愚劣人間はいないでしょう。もしあえて指摘するなら、「彼は勝ち組」と指さす人間がおり、まわりまわって、当人がそうだと、錯覚することはあるかもしれない。

 とするなら、忌避すべきは社会(集団)による評価(噂・評判)の「安直さ」に雷同しないことではないか。大会社の社長だから、あの人は「勝ち組」ですか、勢いを持った政治家だから、彼は「勝ち組」だと己惚(うぬぼ)れるのでしょうか。そうじゃないと思う。自分では疑心暗鬼なんですね。間違いなしに、そんな人は弱い人でしょうね。だから、他人を蹴落としてまで「立身出世」を望むのでしょう。社会(集団)が「凄い」と評価・評判している大学や会社に至れば「あの人は偉い」と他人が認めてくれると勘違いしているだけのこと。その昔の「家柄」「家系」を誇るのなど、その典型でしょう。それでいいではないか、そのどこがが間違っているかと文句を言う人がたくさんいる時代や社会、それが「腐った」という言葉でぼくが言い当てたいことです。いつだって、だから社会(人の集まり)や集団(個人の集合体)は腐っているんですね。その中で「腐らない」「堕ちない」ことこそ、大事じゃないですか。

 「敗北をおそれず、勝利に甘えるな」という「勝ち組」応援団的な発想は、いまだって根強くあるでしょう。だからへそ曲がりのぼくは「敗北をおそれ、勝利に甘える」ような、そんな美しくない人々(若者)に、初心に戻れ、勝ち負けでは測れないない生き方をこそ探せ、そう言いたいんですね。「勝ち組」になるために大学に行く、そもそもの間違いはそこにあります。それは他人を軽く見、そして自分が上にいるという錯覚を覚えさせるだけの働きしか持たないのが大学、ほとんどの人は「学歴」をそのようにしか見られないのではないかと、「学歴否定派」は愚考しているのです。

 「この道は幸福への道」などというものはない。自分で歩いた道、その後にこそ、その人生の軌跡(思想)が残されるのだと思う。「歩いた道」が、そのひとの「思想」になるんでしょうね。ここで「思想」とぼくが言うのは、その人の「姿勢」「態度」そのもを指します。学歴や業績とは別種の、生きた「軌跡」そのものです。(「負けるが勝ち」という俚諺があります。加えて、ぼくは「負けるも勝ち」と言いたいし、もっと言うなら、「勝ちも負けも含めての人生」とも言いたい気がします。要するに、そんな「勝ち負け」につながるような人生の捉え方は「浅薄・短慮」だと、ね)

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「徒然に日乗」(631~637)https://http836.home.blog/?p=91791&preview=true

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「敗北を恐れず、勝利に甘えるな」

⦿ 週初に愚考する(五拾四)~ さまざまな議論を経たうえで「大学入試共通テスト」が導入されて、すでに三十五年。今次の受験生は49万人余。その経緯や背景には触れない。大学受験における過当競争の弊害を是正するために導き入れられたのは事実だったが、その効果は、三十数年後にどうなったか。議論もあろうが、「合否判定のための試験」であるかぎり、問題点は残されているだろう。当初は公立大学受験生にのみ適応されていたが、やがて、その範囲は広げられ、今では当たり前に私立大学(受験生)にも適応されている。

 本日は「共通テスト」第二日目。今季、最も寒い時期に遭遇しての試験である。もちろん、このテストで「大学入試」は終わりではない。さらに各自が目指す個別大学への入学テストが控えている。この吐露当然のことながら、各紙のコラムも大学入試にまつわる話題を取り上げていた。そのいくつかを読んで、自らの受験経験が思い出されてきた。もう60年も前のことになる。大学入試風景も実態も、一変し感がある。しかし、受験者自身の心持は、それほど変わっているとは言えないだろう。

 以下に引用したコラム三題。それぞれの主張や意見は異なるように見えて、その実は「大学入試」に対しては同じような感情(あるいは評価)を持っているようにも、ぼくには読めたのだ。大学入試が「人生の一大事」、簡単に言うと、そのように考えられていないか、と。わざわざそれを否定するものではないけれど、新聞のコラムを書くような人は、それなりに「大学受験」肯定派だと思うことからすれば、いくつかの感慨がわく。

➀「寒烈の季節に耐え、坂を上り切った先には、春の景色が開けているに違いない」(産経抄)                  ➁「試験が全てではないし、合格がゴールでもない。その時々の目標に全力を尽くせばきっと、春はすぐそこ」(有明抄)     ➂「『人生は不条理に満ちている』『敗北をおそれず、勝利に甘えるな』」(談話室)

 一つ一つのコラムが言おうとするところは明らかだろう。「試験は大変だけど、最後まで頑張って。その先には、明るい未来が開けてい来る」とでも言いたげな、若者への励ましと助言に意を傾けている。とにかく目指す大学に「合格すること」、それが何よりだけれど、そこに甘んじてはいけないとでも言うようだが、とにかく、人生に占める「大学」の位置は高い、大学で学ぶことを高く評価しているのだろう。本当に、筆者たちはそう考えているのだろうか。何よりも「大卒」が人生の基本条件になるのだ、と。

 それを端的に示しているのが灘高の教師の一言だ。三十年前、阪神淡路大震災直後の、神戸の高校生(受験生)は「こんな時に勉強してていいのか」と煩悶した。その生徒に対して教師は「『今こそ学べ』。形あるものは壊れても学んだものはなくならない」と、背中を押したのだという。高校の教師なら、きっとこういうアドヴァイスをするのがほとんどではないかと、ぼくは想っている。それで何が間違っているかと、逆に詰問されるかもしれない。目の前に途方に暮れて、困憊している人々がいる。助けを求めているのだ。自分には今やるべきことがあると思うが、この人たちを放置できない。どうしたらいいか。その生徒に対して、脇目なんか振らないで、「今こそ学べ」と。ぼくは、「エッ、そうだろうか」と率直に疑問を持つ。現実にぼくの目の前に同じ状況が広がっているなら、間違いなしにそう言うだろうか。「学ぶことはいつだってできる」「自分のできる範囲で他人の役立つように行動すべきだ」と、一瞬の間も置かないで言っただろう。

 これ以上は言わない。このところ、盛んに叫ばれているのは「助かるいのち」ということである。「あの時、ああしていれば、あの人は助かったのだ」と、届いてくるのは後悔と怨嗟の叫び声であり、激しい嗚咽を伴う怒りのようなものではなかったか。「人生の大事」は、人によって異なるし、時によっても同じものとは限らない。とっさの判断や選択に迫られたとき、ぼくは何を選ぶだろうか、何を選択の優先条件にするだろうか。そんなことを考えてしまう。何はともあれ、今、受験シーズンは始まったばかり。この「人生のシーズン」には「オフ」はないのだと、ぼくは考えてきた。大学入学後も、ずっと同じことを考え続けてきた。「今こそ学べ」というのは、「今やるべきことをせよ」という意味だろう。入試なんて、時と場合によっては投げ捨てても構わない時があるのだ、そうではないか。

 作家の五木さんが言われている「人生は不条理に満ちている」とは、単に「戦時中」の「人生」を指しているのではないと思う。「平時」が輪切り(極限化)にされて現出するのが戦時だからだ。戦争には理不尽さや不条理が満ち満ちているのは確かだが、それは「平時」に存在しているのと同じ性質のものであって、きわめて特化されて見えるだけのこと。いまだって、同じことが生じている。ガザやウクライナにだけ「不条理」「理不尽」があるのではなく、ぼくたちが安閑と暮らしている、その地面の上でも「不条理」や「理不尽」は繰り広げられているではないか。遠い他国で起こっていることとは、たしかに表向きの姿は異なるように思えるけれど、それは錯覚にすぎないのだ。どこにだって「暴力(子どもや女性、老人に対する無差別の殺戮行為)」が幅を利かせているのであって、「対岸の暴力」は必ず「此岸の暴力」に通底している、そう考えてみれば、対岸の暴力は、わが日常にもあることを知るだろう。そのような時代や社会、ひいては世界状況の中で、人々の「大学受験」や「就職」や「結婚」、あるいは「困窮」や「病気」が起こっているのではないだろうか。五木さんの言われたという「敗北をおそれず、勝利に甘えるな」というのは何を指しているのだろうか。まさか「(受験)不合格や合格(だけ)」を指しているのではあるまい。

 悩める若者に、まるで優しく、念を押すように「胸ポケットに『信』の一字を忍ばせておくことも、お忘れなく」と「産経抄」氏は書く。「信」とは何だろうか。「自信に倍する心の惑い」と書かれているから、それは「(自信の)信」ということかもしれない。とするなら、何とも変なことを言っていると、ぼくなどは読んでしまう。「疑い」と「信」は背中合わせだし、切り離せないもの。いつだって、ぼくの胸には「信と疑」が同居・葛藤しているのだ。「信」の中から疑いが、「疑」の底から「信」が生まれだすのではないか。

【産経抄】「信」の一字胸に、受験シーズン本格化 いつもの地下鉄で家路をたどっていた夜、学生服姿の男の子が隣に立った。手にした本の開いたページに、赤いシートを重ねている。受験生だろうか。大変ですね。胸の内でそっとつぶやくと、長く深いため息が隣から聞こえた。▼窓に映る彼の視線は本の上にない。宙に向け「はぁ~」と2度、3度。余情が尾を引く嘆息だった。「読書もとよりはなはだ必要である、ただ一を読んで十を疑い百を考うる事が必要である」と言ったのは物理学者の寺田寅彦だが、隣の彼は何を疑い、何を考えていたのだろう。▼「疑」という字の左半分は、人が後ろを向いて立ち尽くし、進退を決めかねた姿を表している。地下鉄で聞いたため息は、「疑」の成分が多くの割合を占めているように思われた。自信に倍する心の惑いを、制服の下に抱えていたのかもしれない。▼何が大事か分からなくなるまで参考書に下線を引き、問題集に頭を抱え、模擬試験の合否判定に打ちのめされ…。自分の可能性を疑い、ため息をついた日々は、背丈を上へ上へと伸ばす肥やしになったはずである。あとは自分を信じるのみだろう。▼大学入学共通テストが始まった。コンピューターやネットの基礎知識などを問う「情報Ⅰ」が今年から加わり、受験生の思考力を問う傾向が強まったと聞く。時間内でより多く考え、より多く正答を書き込まねばならない。地下鉄の彼も、試験会場で自分を疑うひまはあるまい。▼折しも、暦は「大寒」が近い。受験生にとってはここからが胸突き八丁、容赦ない北風との勝負である。寒烈の季節に耐え、坂を上り切った先には、春の景色が開けているに違いない。ご健闘を。胸ポケットに「信」の一字を忍ばせておくことも、お忘れなく。(產經新聞・2025/01/19)
【有明抄】頑張れ受験生 作家の故井上靖さんの歴史小説『敦煌』は、主人公が「科挙」の最終試験に臨む場面から始まる。主人公は優秀で試験に落ちることは考えてもいなかったが、待ち時間の間に居眠りしてしまい、試験を受け損ねる。さすがに居眠りはないだろうが、さまざまな理由でそれまでの苦労が水の泡になることもある◆きょうから大学入学共通テストが始まる。インフルエンザが流行中だが、体調は大丈夫だろうか。受験生にとってまず大切なのは、試験会場に無事にたどり着くこと。受験生も、支える家族もつらい時期。最後まで気を抜かないで◆今年は高校の新しい学習指導要領に対応した最初のテスト。これまでの6教科30科目から7教科21科目に再編され、新教科の「情報」が加わる。制度に振り回される受験生は不条理を感じているだろう。でも、30年前はもっと大変だった◆1995年の大学入試センター試験は1月14、15の両日に開催。終わった2日後の17日に阪神大震災が起きた。被災地の受験生は2次試験の勉強どころではなかったろう。頑張れる環境にあるのは幸せなことだ◆冒頭の『敦煌』の主人公は失望して街をさまよううち、一人の女性を助けたことを縁に冒険の旅に出る。試験が全てではないし、合格がゴールでもない。その時々の目標に全力を尽くせばきっと、春はすぐそこ。(義)(長崎新聞・2025/01/18)
【談話室】▼▽高校生と話をしてみませんか。作家五木寛之さんに数年前、依頼が舞い込んだ。相手は有名進学校として知られる神戸市の灘高。内容は「七〇歳年下の君たちへ」として書籍化された。エリート予備軍に何を語ったか。▼▽五木さんは80年前の戦争について話した。外地で敗戦を迎えて、耐え難い経験をして生き延びた記憶だ。若者に「人生は不条理に満ちている」ことを伝えたかったという。それでも、乗り越えていくしかないと。「敗北をおそれず、勝利に甘えるな」。熱いエールを送った。▼▽一方の灘高生も30年前、阪神大震災という不条理に襲われた。センター試験の翌々日だ。学校は遺体安置所に。「こんな時に勉強してていいのか」。動揺する生徒たちを教師はこう後押ししたという。「今こそ学べ」。形あるものは壊れても学んだものはなくならない、と。▼▽歩みをやめなかった当時の若者が復興に携わり、現在の神戸を築いたのだろう。全国各地で頻発している災害は、これからも起きる可能性が高い。乗り越えていくには、若者の知恵や熱意が必要になるだろう。先の教師の教えが痛切に響く中、大学入学共通テストが始まる。(2025/01/18)

  「試験が全てではないし、合格がゴールでもない。その時々の目標に全力を尽くせばきっと、春はすぐそこ」というけれど、その「春」には、すでに「夏」「秋」「冬」が用意されていることを忘れないのがいいですね。

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