外面の「善意」は「悪意」の温床だよ

 <あのころ>戦時下の軍事教練 銃後の守り強要 1942(昭和17)年1月28日、太平洋戦争が始まって間もないころ、かっぽう着姿で銃を担いで行われた軍事教練。国家総動員体制がとられると国民生活の全てが戦時一色となった。学校や地域で派遣将校や国防婦人会などを中心に「銃後の守り」が強要され、竹やり戦闘訓練やバケツリレーの防火演習が盛んに行われた。(共同通信・2025/01/28)

 年齢だけのことを言うなら、ぼくは写真のような「物騒」な、しかし背景を知ってみれば「滑稽」な、そんな馬鹿気た時代に生まれた(1944年)ことになっています。「狂気と冗談」が真面目に手を結んでいた時代。馬鹿と阿呆が竹槍で「鬼畜米英」打破を妄信させられていた(本気で考えていたとは思えない)、信じることを強いられていた時代だった。ぼくの連れ合いは、ぼくよりも五年前に戦時下の東京都内(台東区)で生まれている。やがて、母親の実家のあった「新潟に疎開」したらしい。ぼくが生まれたのはおふくろの疎開先(彼女の郷里だった石川県鹿島郡中島町・現七尾市)だった。ぼくには「あのころ」の記憶はない。しかし、「敗戦後」という食糧不足(飢餓)の時代、ようやく飢えをしのいでいたことは記憶している。でも、それが当たり前の日常だと、疑いもしなかった。これが人間の生活なんだ、と。

 やがて、親父の仕事場のあった京都に移住し、市内を転々としながら、高校を卒業した。その当時、街には「戦時中」「敗戦後」が溢れていた。「わたしが一番きれいだったとき」と詠った茨木のり子さん(1926~2006)の詩は、多くの人に同じように誤読されて、とても有名になった。ぼくもどこかで引用しています。のり子さんが「一番きれいだったとき」、それは自身が「頭はからっぽ」で、「ふしあわせ」で、「とんちんかん」、そして「めっぽうさびしかった」、そんな時代だったと自白しています。二十歳の時が「敗戦」だった。のり子さんは、女学校時代、校内の「軍団指揮者」で、生徒全員の隊列を指揮して「かしらあ、右い」などと、それこそ裂帛の気合いをかけていた。その時が「一番きれいだった」なんて、「屈辱そのもの」と自覚するのが詩人。「きれい」というのは「純粋」、「真水」みたいなもの。「純粋無垢」って、どいう状況を指すのでしょうか。(それは「美」とはちがうでしょう)

 わたしが一番きれいだったとき (茨木のり子)


わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね

 個人でも企業でも、国家であってさえも、いつだって「狂う」、心底から「発狂する」ことは珍しくない。誰か一個人が発狂しても被害は方々に及ぶが、戦時中というのは「集団発狂」「集団催眠」時代でもあって、発狂の輪から逸脱、覚醒することは許されないのだ。「お前だけが狂わない(正気になろう)なんて、許さないぞ」と四方八方から圧力がかかる。「竹槍」で戦闘機は落とせないし、バケツリレーで「焼夷弾による火炎の渦」を消すことはできない、それぐらいは誰だって知っている。でもみんなで「無智」「無謀」になることが国家命令であるなら、その「集団発狂」の渦中(火中)に飛び込み、立派に狂人の役割を、瞬時に演じられるのだ。(小・中学校時代、学校や教室には「軍事教練」大好き大人がたくさんいた。竹槍・バケツリレーに優等賞を取った女性教員もいた。学校には「戦時」があった、そんな、仮初(かりそめ」の平和の時をぼくは過ごしていた)

 ぼくが大学に入ったのは昭和39(1964)年4月だったが、教室には、戦時下の「軍事教練担当教員」が授業を担当していた。授業はお粗末の極みだったが、人間性は淡泊な人、おそらく「悪人」ではなかったでしょう。こんな「善良」「善人」でも悪用されると、学校も戦場になるのだと思う。もちろん、ご本人の「善良性」も怪しいものだったにちがいない。小心で気弱な「善意」はいつだって「悪意」に席を譲るのですから。「撃ちてし、止まん」の突撃精神は、一夜にして「自他を愛せよ」となるのに、いささかの抵抗もなかった。狂気が冷めれば、元の善人(黙阿弥)ということだったでしょう。「あのときはどうかしていたんだ」と言ってすましてしまう。やがてまたまた、「欲しがりません、勝まつでは」となるにちがいありません。「国家」というものは単なる箱だと思えば、国民は「箱入り」となるが、この箱そのものが、時には強制力や命令を発するから油断がならない。

 ぼく個人の感覚では、今日、あからさまな「軍事教練」は学校からは排除されたかに思われます。でも、気が付かないだけで、これまでとは別種の「軍事教練」が行われているとも考えられます。「学校の名誉」だか、「郷土の名誉」だか知らないが、とにかく「競争に勝つ」ための人生なんて、何時でも「軍事教練漬け」だと言えなくもないでしょう。はたして、ぼくたちに「一番きれいだったとき」があったのでしょうか、あるのでしょうか。「醜悪」「醜態」「醜聞」「醜名」…。ぼくたちの住む現実には、至るところが「醜」に満たされ、晒されていませんか。「善意の人」の本心は「醜悪奸邪(しゅうあくかんじゃ)」だということになるのがしばしばです。

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

 わたしが一番きれいだったとき、それは自分が「世間」をまったく知らなかった、「自分(自我)」をまったく持っていなかった時だったと、茨木さんは自白(告白)しています。「賢くなる」というのは、いわば「器用」や「要領」を身につけることです。だから「空っぽ」「とんちんかん」こそが美しいと思う・思わされることこそ、なんとも悔しいではないか、そういう「懺悔」と「悔悛」を、着実に、誠実に我が身に受けいれることが、自分の再生への道を開くのでしょう。

  「自分はなんと愚かだったか」「死ぬほど恥ずかしい」「耐え難い屈辱」という自らの経験の自覚が、自らの蘇りにつながる、のり子さんはそう白状しているんじゃないですか。<Idiot Beauty>という自身の状況の無自覚に対する「怨嗟」というか、「臍(ほぞ)を噛む想い」がこの詩に露出しているのです。だからこそ、その後に「自分の感受性くらい」という「反省文」というか、「懺悔」を書くほかなかったんですね。(左写真は茨木さん。「私の一番きれいだったとき」でしょうか)(日経新聞・2021年7月10日)

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一日、一瞬、一刹那(638~644)

 時の過ぎゆくままに。あるいは時の流れに身を任せ。誰にとっても、一日は二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒であることに変わりがない。ところが、人生を八十年も生きてくると、一日は一瞬に過ぎる、それが偽りのない実感です。あるいは仏教の言葉でいうなら「一刹那」です。「刹那主義」などと、あまり歓迎されない人生観に使われています。「過去や将来のことを考えないで、ただ現在の瞬間を充実させて生きればよいとする考え方。また、一時的な快楽を求めようとする考え方」(デジタル大辞泉)もちろん、仏教でいうのは限りなく短い「瞬間」を指すのであり、それが人生の過ごし方にどんな影響を与えるかどうかは、別問題。「永遠」「永劫」などという語の対語となっているでしょう。

 「未来永劫」など表現するときの「劫」は仏教における終わりのない長さを示すもので、まさに「刹那」と「永劫」は釣り合っているのでしょう。三歳の子どもと六十歳の老人では「時間の長さ」の感覚は異なるはずです。そこには「永劫」と「瞬間(刹那)」の違いがあるのではないでしょうか。毎日毎日、つまらないことの繰り返し、積み重ねを「メモ」にすると、空恐ろしくなります。ぼくは今、仕事を持っていないから、会社勤めや職業人であるのとはまた違った時間感覚だといいたくなるが、そこに本質的な違いは存在しないように思う。毎日毎日、まったく同じようなことも繰り返し、「刹那」が無限に重なるのが一時間であり、一日であり、一年だという偽りのない実感がぼくにはあります。その実感を確かめるための「徒然日乗」ではあります。

◉ 刹那(せつな」= 仏教における最小の時間単位。三スくりっど語クシャナkaaの音訳。『大毘婆沙論(だいびばしゃろん)』巻136の譬喩(ひゆ)的説明によると、「2人の成人男子が何本ものカーシー産絹糸をつかんで引っ張り、もう1人の成人男子が中国産の剛刀でもって一気にこれを切断するとき、1本の切断につき64刹那が経過する」と述べられている。2人の男がかりに5000本の絹糸をつかんだとすると、剛刀による一瞬の切断で5000×64刹那の時間が経過するから、1刹那の短さが想像されよう。『大毘婆沙論』同所の科学的説明によると、1昼夜=30須臾(しゅゆ)、1須臾=30臘縛(ろうばく)、1臘縛=60怛刹那(たんせつな)、1怛刹那=120刹那である。1昼夜を24時間として計算すると、1刹那は75分の1秒になる。仏教哲学では「刹那」は、物質的、精神的、なかんずく精神的な現象の瞬間的生滅を説明するときに使われる。なお、今日の「刹那主義」ということばの概念は仏教のものではない。(日本大百科全書)

「徒然に日乗」(2025/01/20~01/26)

〇2025/01/26(日)風があり、肌寒そうな一日。▶お昼前に買い物に茂原まで。スーパーの駐車場から出ようとしていたら、見知らぬ男性が走ってきて、「ボンネットが開いている、危険ですよ」と声をかけてくれた。これまでに何度か、同じようなことがあったので、連れ合いに注意しなければと思いながら、すっかり忘れていた。給油をする際に、運転席右下部の給油タンク用のレバーを手前に引くのだが、その真下にボンネットを開くレバーが並んでいるので、それと間違えてしまっているのだ。走行中にいきなりボンネットが開いてしまうということはなさそうだが、締め忘れはよくないこと。早速家に帰って、連れ合いにそのことを告げたが、まったく気づいていないようだった。▶午後にはつれあいが出かけたので、留守番のようなもの。パソコンで「ミックスリスト」だの「キュー」操作だのを正確に知るために、いくつかのリスト作成をしていた。クラシックレコードを久しぶりに聴いてしまった。ヴィヴァルディやパッヘルベル、バッハなど。最近はレコードプレーヤーで音楽を聴くことはまったくなくなった。猫たちのせいである。レコードが回りだすと気が狂ったようになること間違いなし。スピーカーも剥き出しにはできない。カヴァーネットをつけているが、その生地で爪を研ぐ。仕方がないから、パソコンに、少し性能のいいと思われるスピーカーを接続して、それで何とか満足しようとしている始末。(644)

〇2025/01/25(土)終日自宅に。「一刹那」ということを考える。「《(梵)kṣaṇaの音写》1 仏語。時間の最小単位。1回指を弾く間に60あるいは65の刹那があるとされる。2 きわめて短い時間。瞬間」(デジタル大辞泉)永劫という地点から見れば、測りえないほどの短さを言うのだろう。しかし、この一瞬にもなりえない短時間もまた、永劫(永遠)の一部である、いや、一刹那は、言葉を変えて言うなら「永劫の鏡」でもあるのだ。人間が決めた約束(決まり事)が「暦」だとして、「永遠(永劫)」は、それにいかにして対峙し得るのか。一週間は七日、一日は二十四時間、一時間は六十分、一分は六十秒、一秒は…。つまりその先にこそ「一刹那」が表れるのだとしたら、ぼくたちは、刹那を生きているというべきか、永遠を生きているのか。今日一日、こんなことを愚考していたのではない。書きながら、つまらないことを口走っているのだ。▶「生きる意味」などということを若いころから盛んに弄んできた。そんなものはない、あると思うのは錯覚にすぎないと、そればかりは疑いもしないでここまで来た。「意味(meaning)」というのは「無意味(unmeaningness)」を図り合えて(釣り合って)いると思う。あるいは「センス(sense)」と「無意味(nonsense)」についても同じようなことが言えるだろうが、もっと別の視点から考察する必要があると思う。▶政治の頽廃もまた、限りなく堕ちて行くほかないところにあるようだ。今、テレビ界の醜聞が取りざたされているが、どこの世界にも同じような不祥事や醜聞が見られるだろう。それだけ、この世に生きるというのは、端的にいえば、剥き出しの欲望に意匠を凝らしているだけ、そんな茶番にも思えてくる。それを言ってはおしまいだ、となるのだろうか。(643)

〇2025/01/24(金)昼前に買い物に茂原へ。帰路に灯油購入のためにGSへ。1㍑が、昨日までの115円だったの、本日は119円に。18㍑は2,070円が2,142円に。ものみな騰がるということをいたるところで実感している。▶このところ、ジョージ・ウィンストンのレコードを聴き続けている。彼の死去は2023年6月。彼がこの世に存在していないのは事実であるが、彼の音楽はこれまでといささかの変わりもなく、新鮮であると同時に、誠実そのものの彼の人となりが明らかに、聴き手に届いている。「剛毅朴訥 仁に鮮(すくな)し」を目の当たりに見る思いで、彼の音楽がぼくの耳に届くのだ。(642)

〇2025/01/23(木)朝6時半に「生ごみ出し」、もう十年以上続けている。週に三回(火・木・土)あるうちの、二回程度で足りる量で、以前の子猫たくさん時代から見れば、猫砂の処理が驚くほど少なくなったので、大助かり。▶陽射しもあって、陽気は春を思わせるような一日だった。このところ、時折り強風の日があったので、杉や檜、それに松などの枝葉が庭のそこら中に満杯だ。掃除をしなければならないのだが、きれいにするとまた風に見舞われるので、作業をさぼっている、そして結果的には大事になる、そんな繰り返し。▶民放テレビ局の職員だった人とタレントの「性加害・被害」問題が、予想通りの展開を見せている。要するに、局側の経営責任がほとんど見られず、これまで同様に隠ぺいを図ろうとした気配だが、今回はなぜだか、うまくいかなくて、ついに会社存続問題にまで追い込まれたのだ。それにしてもメディアの代表格の大テレビ会社が、実は「張り子のトラ」「見せかけ」だったという、あり得ないお粗末を見せつけている。報道ではなく、「お笑い」と揶揄される背骨に会社の命運をかけた結果だろうと思う。それにして、大会社の職員、殊に「役員」「幹部」クラスはそれなりの学歴を誇っているに違いないが、この無様を見ていると、大学(教育)というものがどれ程いかがわしいものだったかがわかろうというもの。もちろん個々人の資質の問題が第一だが、その資質にいささかの教育的効果をもたらすことができなかったともいえるのだ。▶カリフォルニア州の山火事は発生以来2週間経過したが、今なお新たな火災も発生して、鎮火の様子は見えない。犠牲者も増え続けている。(641)

〇2025/01/22(水)午前中に猫缶を購入するために土気まで。幸いなことに、猫たちの食欲も落ちないで、元気であるのだが、それにしてもよく食べると、感心するばかりである。▶このところ、ネット上のある新聞によると、紅茶のティバックの袋にプラスティックが使われており、その袋が溶けてマイクロチップになり、それを飲む人の体内に入る、その結果発がん性の恐れがあるという研究報告がなされているとあった。拙宅はかなり頻繁に使っている紅茶も、粉ではなくティーパックなので、その危険性はないかどうかを販売元の三井農林(日東紅茶)に問い合わせた。なかなか電話がつながらなかったが、結果的には「当社のものにはプラスティックは使われておりません」という返答があった。さて、この先どうしたものか、と思案している。▶米大統領のスタートダッシュ、どうしてこんなに物議を醸したがるのかというも、なんともしらける振る舞いで、おそらく直ちに息切れするはずで、ある人々にとっては迷惑千万なことだと思う。▶通り魔的な事件が連続して発生している。長野駅前でも三人が襲われ、男性一人が死亡している。「精神疾患」を疑う、加害者は近在の人間だと思う。(640)

〇2025/01/21(火)寒さは一休み。陽射しもあって、凌ぎやすかった。▶お昼前に緑ヶ丘(茂原市)まで買い物に。帰路、H.C.で猫のドライフードを購入。▶本日米大統領の就任式。(日本時間、本日未明)宣誓式も何も見なかったが、その内容を伝える報道に接して、とても無難に展開される状況にアメリカ政治はないと言わざるを得ないように思う。ある種の「独裁」を待望する雰囲気があるようだ。その実、権力争いがいつ生じても不思議ではないとも見える。いかにも再登板で、要領を心得ているかに思えて、その実、空転している気配が既に見え始めているし、一期目以上に混乱と混沌の中に米国政治は陥るだろう、さらにその確信が深まった。▶そのような問題を抱えた米国と、いかに破綻をきたさず付き合うのか、おそらく確たるものはなにもないに等しいのが日本政府。今まで以上に米中大国の狭間(はざま)で股割きにあうのではないか。(639)

〇2025/01/20(月)お昼過ぎに買い物で、茂原まで。今年の暦を探していたのだが、茂原の本屋で手ごろなものを見つけた。1月も20日過ぎたので、半額で購入した。書店の隣にあるス―パーで連れ合いの昼ご飯などを購入。果物をと思ったが、このところミカンが異常に高いので、買うのを控えている。報道によると、生産地でのカメムシの被害と、秋口の降雨のせいで、例年より収穫量が悪いためだという。▶アメリカ大統領の就任式が明日ある。すでに次期大統領は「全開」で、きわめていきり立っているように見える。「独裁」への障害は何もないかのように考えているようだが、どうだろうか。「船頭多くして、船山に昇る」ことになりはしませんかといいたい。IT企業や大企業があからさまに政権ににじり寄っている、その状況が政権維持の足枷になるのではないか。外交・内政という政治の仕事ではなく、ほとんどが自分のスタンドプレーに終始してきた一期目と変わり映えはしないだろう。前のめりで、大向こうを唸らせんとするばかり。浮足立っているのだ。しばらくはこの状態が続くだろう。(638)

なぜ過ぎてゆかねばならないのですか

【あぶくま抄】大空で 石垣りんの詩にある。〈お母さん、なぜ過ぎてゆかねばならないのですか、花は美しく、空はあんなに青い、このはるの 光あふれる中から―。〉▼19歳の予備校生はなぜ突然、将来を絶たれたのか。自宅から遠く離れた北のまちかどで。冬の日差しが緩んだ風をまとい、地上に届き始めたこの時。無念などという言葉では言い尽くせない。大学受験で郡山市を訪れた大阪府の横見咲空[さら]さんが、酒気帯び運転の犠牲になった。その命を返してあげる手だてはない▼「白が似合う女性だった」。事故現場に駆け付けた同級生が語っていた。笑顔を絶やさぬ、明るく素直な人柄だったとも。心の奥に純真を秘めていたのだろう。歯学部への進学を志していた。怖くないよ、お口を大きくあけてごらん―。治療を怖がる子どもを、にこやかになだめる。優しい未来の歯医者さんを奪った暴走が、ひたすら憎い▼詩は続く。〈お嬢さん お嬢さん 雲が流れてまいります どこへ流れてゆくのでしょう あれあれあんなに はるばると〉。咲空さん。せめて、さえぎるものは何もないほんとの空で、存分に夢を咲かせて。あなたを守れなかった悔しさを胸に、県民は願っているよ。(福島民報・2025/01/25)
 この光あふれる中から(石垣りん)

ここにこうして いつまでもいることは出来ないのですか?
お母さん、
なぜ過ぎてゆかねばならないのですか、
花は美しく、空はあんなに青い、
このはるの 光あふれる中から―――

お嬢さん お嬢さん
雲が流れてまいります
どこへ流れてゆくのでしょう
あれあれあんなに はるばると
教えて下さいお嬢さん
あなたはどこへ行くのです。

人間という 不可思議なものの
まことに何であるかも知らず
すべての生きものにならい 母になる
それでよいのか、と心に問えど
答えのあろうはずもなく
日毎夜毎 子守唄のごと
りすはりすを生み
蛇は蛇を生む とくちづさむ
さらばよし 母にならむか
おろそかならず こころにいらえもなくて―――。
お母さん、なぜ過ぎてゆかねばならないのですか

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 また、理不尽(不条理)な殺傷事件が長野市で。

 容疑者宅は小学校の近く 長野市内の自宅で身柄を確保 長野駅前3人殺傷事件 長野市のJR長野駅善光寺口のバス乗り場付近で22日夜、3人が刃物で刺され、1人が死亡した事件で、県警は26日、殺人未遂の疑いで長野市内の40代男を逮捕した。男は駅から東約3キロにある同市西尾張部の自宅で身柄を確保された。付近には小学校もある。/事件は22日午後8時ごろ発生。同市丹波島3の会社員男性(49)が死亡し、市内の会社員男性(37)が重傷、市内の会社員女性(46)が軽傷を負った。
 捜査本部は午前10時から長野中央署で記者会見する予定。(信濃毎日新聞・2025/01/26)(左写真)

 このところ、各地で「通り魔事件」と言われるような「無差別殺傷事件」が発生しています。もちろん、それらの事件の背景や理由を調べれば、何かと説明が付けられるような顛末になるのでしょう。けれど、ぼくには、それらの「通り魔」襲撃事件は、ある種の「交通事故」のような錯覚を覚えてしまう。「注意一秒、事故(怪我)一生」などという交通標語がありました。事件の現場に偶然居合わせた、たまたま横断歩道を渡っていた、その一瞬に、人生が暗転してしまう。理不尽(outrageousness)としか言いようのない事態において、怒りや嘆きの「やり場」が見つからないのではないでしょうか。

 石垣さんの詩について、ぼくは単なる一人の愛読者でしかありません。「この光あふれる中から」は、そんな石垣さんの詩の中でもとりわけ、感覚の、あるいは直感(直観)の鋭敏さが一瞬にして詩に詠み込まれたものとして、ぼくには解釈も理解も困難を極めます。しかし、煌々(こうこう)と、燦々(さんさん)と輝く「このはるの 光あふれる中から」、どうして「私」過ぎてゆかねばならないのですかと問う。でも「お母さん」は答えてくれない。「異郷の地」で学ぶことを願い、新たな旅立ちの、まさにその朝、一人の女性は十九歳の一期を閉じてしまった。閉じられてしまった。「私」は何処へ行くのか、誰もそれの答えられないという、理不尽さに、彼女を知る人々は躓く。「お母さん、なぜ過ぎてゆかねばならないのですか」

 交通が滞らないために「道路交通法」があります。その法律を自動車運転に際して、自らの交通基準にしなければ、法律は意味をなさない。法律があるのは、無法・無秩序状態を断つ、避けるためです。人間の社会にも、ある種の交通法規がなければ、衝突などの事故が多発します。道徳などという言葉に「道」が使われるのは、人間社会における諍いや衝突を防ぐためには、交通整理(信号)が必要となり、人間が行き来する道路に混乱を来さないための「ある種の交通規則」を要請されるからです。人間に行き来(往来)において衝突も諍いもないようにと、「徳」、すなわち身に着けておくべき「倫(みち)」が定められてきたのでしょう。

 その昔は「五常五倫」などと言われていました。「五常」は「仁義礼智信」であり、「五倫」は「父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」で、「教育勅語」でうるさく叫ばれてきた倫理や道徳だった。いまさらのように、「教育勅語」を持ち出すことはしませんけれども、「注意力」ばかりは、どんな人にも自らの内に育ててほしい、その願いばかりがぼくの中で大きくなっている。学校に限らず、人とのつながり、交わりにおいてこそ、「思いやり」「配慮」注意」が不可欠。「自分に注意すること」ができる、それをぼくは「知性」と呼ぶ。理不尽(不条理)に奪われている「人間らしさの場所」を取り戻さなければならない。今、社会に最も欠けているのは「注意する力」なのだ。「いい社会(good society)」といえるのは、社会のメンバーがそれぞれに、自他に対して「注意深くある」能力を失わないことではないでしょうか。

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「ここにこうして いつまでもいることは出来ないのですか?
お母さん、
なぜ過ぎてゆかねばならないのですか、
花は美しく、空はあんなに青い、
このはるの 光あふれる中から ―」

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「徒然に日乗」(638~644)(https://http836.home.blog/2025/01/26/

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計算を間違えない注意力を!

<速報>福島県郡山市で受験生はねられ死亡 22日午前6時35分ごろ、福島県郡山市のJR郡山駅前の市道交差点で大阪府箕面市の女性(19)が軽乗用車にはねられた。県警本部によると、女性は市内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。運転手の呼気から基準を超えるアルコールが検出されたとして、郡山署は自動車運転処罰法違反(過失運転致傷)と道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで同市の男(34)を現行犯逮捕した。(福島民報・2025/01/22・17:18)

(「歯科医になりたいと…」入試の朝、車にはねられ受験生死亡 逮捕の男は深夜まで飲酒か「休んでから運転した」と供述 福島・郡山市)(TUF・2025/01/23)(https://news.yahoo.co.jp/articles/1b0b4a6e1e1d1cb63f84a0b211b367fd809bf6d8) 

⦿ 週初に愚考する(五拾五)~ ニュースの一報を聞いた時、ぼくは居たたまれなくなった。これを書きだそうとしている今も(朝6時50分)、涙が止まらない。ぼく自身、半世紀以上も車に乗っているから、いろいろな経験をしてきました。もちろん「ヒヤッとした」ことも一度や二度ではなかった。幸いなことにだったが、大きな事故を起こしたり、事故に遭遇したことは、これまでのところはなかった。しかし、それは偶然というほかない、たまさかの僥倖が齎したものだった。若いころは相当に乱暴な運転をしていたり、少々のアルコールぐらいと、飲酒運転をしたこともあった。それもこれも、今から見れば、よくぞ大事にも至らず生き延びてきたというほかないのです。いわば、奇蹟(幸運)でした。

 山間の僻地に住んでいるので、どうしても車に乗る。そのような日常で特に気を付けていることは、信号機のある交差点です。歩行者に注意するのは言うまでもないが、進行方向が「青」、反対側信号が「赤」でも、交差点に突っ込んでくる車がいくらもあるので、それにはとにかく注意している。前に走っている車が、赤信号を無視して交差点に入るのも、何度か見ている。加えて、特に目につくのは「一旦停止」をほとんどの車がしていないこと。自分は大丈夫という判断が、事故を呼ぶのだと思う。

 「自分は事故を起こさない」と、誰しもが思っているでしょう。しかし、どれだけ注意していても、事故は上下・前後・左右から迫ってくるのですから、運転者はそれだけの注意力を持っていなければならないのは言うまでもない。うんと若いころ、アメリカの「ジョーク集」に出ていた高齢男性ドライバーの態度に甚(いた)く教えられ、感動したことがある。高速道路の料金所で停止して料金を払おうと待機していた時、後続車に追突された。車から降りで、事故の程度を確認しようとしたら、ぶつかってきた車の運転手もやってきた。「なんだ、こんな若造に事故られるとは、俺も年を取ったものだ」と、その時に免許状を捨てたということだった。「ジョークは人間を救う」この雨以下老人の「ジョーク」には、事故を貰うのも、自分が衰えたから、そういう意味合いが含まれていた。これだ、と運転の際の「鉄則(a strict rule)」にしてきた。そいう視点がぼくには欠けていたから。相手が悪い、自分は悪くない、そして事故は起こった、とするならそういうことを防ぐだけの手立て(注意力)が必要ではないかと、深く教えられたのだった。

 ぼくは今、そのジョークを語った高齢者の身になっているが、いつだって、事故を起こさないのはもちろん、事故を貰わないことに、ひたすら気を配っている。社会における倫理や道徳は、一言でいうなら「注意力」です。信号機があるからなおのこと、「注意力」は必要なんですね。「安全は危険の印」なんですから。そして、言うまでもないことだけれど、安心・安全かどうかを「注意する力」こそ、学校で養ってほしいものと、懇望してきました。「偏差値」を高めるために、他者への注意力(配慮)」を犠牲にしていませんか、そんな埒もないことを言い続けてきました。。

 たった一つの事故ではあっても、一瞬にして、それに関係する多くの人々の「生活」や「日常」を変えて(壊して)しまう。飲酒運転事故に関して、どこかで触れていますが、ぼくは I さん夫妻の経験を肝に銘じてきました。(後掲記事参照)

 悲惨な交通事故を防ぐために、運転者に必要なのは、大した知性や学歴などではない。急いでやって、8+9=15と間違えてしまう、その不注意です。階段を駆け下りて、躓いて骨折するような「不注意」です。酒を飲んだら運転しない、それは自他に対して求められる「注意力」でしかない。その程度の「注意力」喪失の時代にあって、ぼくたちは途方に暮れているのでしょうか。

 事故の加害者に対して、いくら厳罰をもって処しても飲酒運転事故はなくならない。現状では、事故の撲滅を達成するのは不可能かもしれない。とするなら、「禁酒」を徹底するか。それでも危険運転による死亡事故は皆無とはならないでしょう。ではどうするか。いくつかの方途はありそうですが、その問題については稿を改めて考えてみたい。結局は、まず、何よりも「石ころに躓かない」それだけの注意力です。

 今はひたすら、一瞬にして将来を塞がれた19歳の女性のご冥福を祈るばかりです。この悔しさは、どうしたらいいのか、他人であるぼくは深く傷ついています。

【国原譜】人生を変えてしまうこともある交通事故。日々、安全運転は当たり前のこと。飲酒・酒気帯び運転なんて、もってのほかだが、22日早朝、福島県郡山市で起きた事故は何とも痛ましい。/被害者は、JR駅前の横断歩道を歩いていた大阪府箕面市の19歳の女性。大学受験で当地を訪れていて、酒気帯び運転の車にはねられ亡くなった。/志望校合格を目指して、予備校で懸命に勉強したのではないかと推察する。あこがれの地に遠路はるばるやって来て、その努力の成果を実らせる機会、そして命まで突然奪われた無念さは、察するに余りある。
 二十数年前の深夜、国道24号と県道木津横田線の合流地点での体験。信号が変わったのに前の車が動かない。降車してのぞくと、ハンドルにかぶさるように運転手が寝ていた。明らかに酒を飲んで運転中に眠ったと疑われた。/後続車が追突する危険性が高いので、すぐ110番通報。5分ほどでパトカーが駆けつけ、事なきを得た。/時代は変わり、より厳罰化されているのに、意識の低いドライバーによって起こされる悲劇。「飲んだら乗るな!」(恵)(奈良新聞・2025/01/25)
 飲酒運転事故遺族・井上保孝・郁美さんご夫妻の手記 私たち夫婦は、1999年11月、東名高速道路で起きた酒酔い運転の大型トラック事故によって、長女・奏子(かなこ、当時3歳)と次女・周子(ちかこ、同1歳)を目の前で亡くしました。/長年飲酒運転を常習にしていたトラック運転手に、2000年6月8日の判決公判で言い渡された刑は懲役わずか4年。/判決文の中では、「3歳と1歳という幼さで突然の炎に命を奪われた苦痛の大きさは計り知れない。この種の事件としてはことのほか悪質で刑事責任は重大」とされながら、求刑された5年より1年も減刑されました。/その後、このいわゆる「八掛け判決」を不服として検察が異例の控訴をしましたが、判決は覆りませんでした。2001年1月12日、東京高裁は控訴を棄却し、トラック運転手に対する懲役4年という実刑が確定しました。/あの日から私は予想だにもしなかった人生を生きることになりました。(以下略)(特定非営利活動法人「ASK」・https://www.ask.or.jp/article/1048

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港町十三番地(人生に「港」は必要)

 ぼくは何よりも「唱歌」大好き人間です。研究というほどではなかったけれど、それなりに入れ込んできました。明治初期の「学制」導入以来、唱歌は学校とともに続いてきました。長野県の先覚、伊澤修二さんの多大な貢献ではありました。多くの人たちは「小学校唱歌」と聴くと、懐かしい、思い出すなあ、あの頃をなどと、しばし懐旧の情に浸るのが常です。「歌は旗になる」という一例証。ところが、令和 7 年の今もなお、「唱歌」花盛りというスポットが都内にあります。場所は「お台場」、言わずと知れた海浜地区の一大名所になっています。ぼくは出かけたことはないけれど(二度だけ、かみさんの同級生一家が所有していたレジャーボートで、臭いにおいを一杯に嗅がされながら、「お台場」近辺を周遊して、ほとほと懲りたことがある。もう一度は、親類が集まって「屋形船」でお台場付近で天ぷら宴会をしたことがある。二度とするものかという決意は固くなった)

 もともと「台場」は幕末ペリー(黒船)の襲来に備えて作られた、砲台の設置場所でした。「黒船」に作らされたようなものだった。それ以来、幾多の変遷を経ながら、今は一大アミューズメントパークの趣を呈しているそうで、その中心には民間テレビ局が「奇抜なビル」を誇っているらしい。そのテレビ局が、まさに「内憂外患」の憂き目に遭遇し、今や落城寸前です。いや、疾(と)うに落城している。ぼくの意識では、すでに二十年も前から、テレビ時代は終わっていたのです。

 以下、例によって、ばかばかしい「三題噺(さんだいばなし)」です。「ステークホルダー」「ACジャパン」「(唱歌)港」の三題。本来の放送法の主旨を捻じ曲げて、「バカ話」「お笑い」「旅と食」番組に現(うつつ)を抜かしている、その裏で自社女性職員を「タレント」に派遣(献上)していたとされる。会社ぐるみの「女衒商売」で名を馳せていたと、今になって、ようやく言われだしたのでしょう。心ある主は、この会社では払底してしまったのかもしれません。黒船株主から大砲を突き付けられ、やむなく仕組んだ「偽装会見」が飛んだ藪蛇。知らぬ存ぜぬ、タレントと女性職員とのプライベートな問題だ、と言い逃れできるはずもない、頓馬天狗たちの籠城している「頓馬天国」だった。そのおかげで、驚くほど多くのスポンサーが逃げ出した。珍しいことだが、この逃げ足の速さは、この会社はヤバい、こんなところに金を出していては、数多のステークホルダーから糾弾されるのは目に見えているというのでしょう。

 たくさん給料を取っている(会社を食い物にしている)役員たちの、どれもこれもが箸にも棒にもかからない「木偶の棒」ばかりだったというのは見事ですね。この「木偶の棒」たちは、かなり長期間にわたり大学閥で結束して、この会社の土台を食いつぶしていた「クロアリ」たちだった。その大学名はぼくもよく知っている、W大、K大などと噂されている。この連中の程度をして「企業ガバナンス」を云々することは無意味でしょう。「楽しくなければテレビじゃない」とばかりに、テレビ電波を悪用して、視聴者までも食い物にしていた輩ですか。その挙句の「フジ大噴火」です。「やらせでなければテレビじゃない」ということだったでしょうか。

 「さて、見る機会が増えたACジャパンの広告で印象に残ったのは『決めつけ刑事(デカ)』。SNSに上がる情報をうのみにし、罪のない人を傷つけてしまう危うさを描く。真実を見つめる目を曇らせていないかという警告にも思える」「マスコミは民主主義のとりでであり、権力監視の役割を担う。何より弱者に寄り添う姿勢が求められる」と、「有明抄」はびっくりするような寝言を垂れています。本気でそう思っているのか、と訊くだけ野暮でしょう。何を言われても「どこ吹く風」だったから、事態が窮迫しているんです。「糠に釘」を刺してどうしますか。「声を上げたくても上げられない人に思いを巡らせているだろうか」と、何処の国のテレビのことを言っているのでしょうか。マスメディアの現実を、満更知らないわけでもないのに。吉本とジャニーズのタレントたちにハイジャックされた、この社会の頽廃を、テレビ業界が一気に広げ、かつ深めた、一連の経緯を知っていたでしょうに。新聞だって、一面では「共犯(accomplice)」(ステークホルダー)だったのではありませんか。

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 唱歌「港」は明治二十九に年発表された。(日清)戦争に勝利したと、国を挙げて舞い上がっている時期でした。島国の悲哀を託(かこ)つのではなく、その反対に、島国は「海洋国」の証とばかり、世界に開かれている将来を無条件に称揚しているのです。やがて、その国民感情は「日露戦争」で止めようのないほどに舞い上がる。お台場に君臨しているつもりだった「フジ」丸は「港はいつも春なれや(そんなことはないはずですのに)」と持ち上げられ、「よせ来る波も黄金なり(あり得ないこと)」と、バカ番組にも大枚を貢いでくれる、ありがたいスポンサーを「波扱い」です。一家・一族(フジ)の繁栄を誇り、お台場の春爛漫に狂喜してきたこの「フジ」も敢えなく沈下するほかない事態に陥っている。今回の問題に対して、グループを形成していた組だった「サンケイ」はおとなし過ぎて、彼の新聞らしくないのは、なぜか。

「港」(文部省・明治29年)
(一)空も港も夜ははれて
   月に数ます船のかげ
   端艇(はしけ)の通いにぎやかに
   寄せくる波も黄金なり
(二)林なしたるほばしらに
   花と見まごう船旗章(ふなじるし)
   積荷の歌のにぎわいて
   港はいつも春なれや
(作詞・旗野十一郎、作曲・吉田信太)
(「港」文部省唱歌 尋常小学3年)
(https://www.youtube.com/watch?v=wY5Z_2Zj7Dk

 第一に「港」が潰れれば、お台場は存在できないほどに、港とお台場は一体だったのですから、気の毒ですけれど、こういう運命にあったともいえます。今も変わりないと思いますが、大学生の憧れの職業が「お茶屋(テレビ局)」の店員(「局アナ:というらしい)だったとは。いつでもそうだったというのではないが、このお茶屋業で社業は順風満帆と錯覚したのが「港一家」だったのでしょう。学閥や人脈というものがどれほど組織を腐らせ、人間を堕落させるものなのか、それを考えれば、己のしていることに意識が働かないまま「裸の王様」「裸の家臣」になりきってしまった。汚い表現ですけれど、かわいそうな馬鹿者たち、そのようにいっておくばかりですね。

 「空も港も夜ははれて」とは不夜城ということです。お台場一帯は「いつだって春」と、まるで「清盛」のような不遜な振る舞い(「わが世の春」意識)だったのは、明治期の島国の一面であったし、今ではお台場の「フジ」だったというのでしょう。運の尽き(月)というが、事ここに至っては、これまでに社内であった(起こった)、反社会的・非道徳的なことを洗いざらい明らかにすること。それを多くの人は「膿をすべて出せ」というのです。確かにそうです。でも「すべての膿」を出し切ったら、何も残らないことは明白ですね。

(余話として)「港町十三番地」(石本美由紀作詞、上原げんと作曲・昭和32年)、ひばりさんの歌ですが、どういうわけか、ぼくはこの歌が大好きでした。「港」というのは出会いと別れの場所でもありますし、もちろん、出船・入船の邂逅の場でもあります。なんだか、人生には「港(port)」が不可欠だという気になっているんですね。(美空ひばり「港町十三番地」)(https://www.youtube.com/watch?v=GFLDcnCsZO4

 今から七十年近く前の歌です。現在の銀座・築地界隈を歌たものとされます。でも、今この歌を聴いていると、どうもお台場の近辺の情景が見えてきそうです。「港」に着いた船乗りが、しばし旧交を温めて、また出ていく。出会いと別れの悲喜交々、それが港でしょうか。今次の騒動を遠くから見ていると、「港」をめぐる幾多の悲哀、そこには「渚」もあれば、「波を枕に」もあるという、何とも世相を如実に反映しているようにも、ぼくには思えてきます。やがて、「港」は水没する運命にあります。(この問題に関しては、ぼくはもう今後、一切触れないつもりです)

船が着く日に 咲かせた花を
船が出る夜 散らす風
涙こらえて 乾杯すれば
窓で泣いてる 三日月様よ
ああ港町 十三番地
(JASRAC No.083-0132-8)

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【新生面】ステークホルダー ビジネスの現場で飛び交う言葉の一つに「ステークホルダー」がある。企業活動の影響を受ける利害関係者のことだ。もともとは掛け金を保有する投資者を指したが、解釈が拡大されるようになった▼今週、その存在を最も痛切に感じたのはフジテレビの社長ではないか。タレントの中居正広さんが起こした女性トラブルに関する週刊誌報道を巡って記者会見を開いたのは先週の金曜日。しかし「説明が不十分」などと批判を浴び、今週に入りスポンサーが続々とCMを差し止める騒動になった。一部の動きは熊本にも波及している▼中居さんは芸能活動の引退を発表したが、それだけで収まる話ではなかろう。フジテレビが尊重していたのは、本当に被害女性の思いだったのだろうか。社内に巣くう何かの意思が働いたのでは。もう一方のステークホルダーである視聴者の多くも、釈然としないままだ▼フジテレビは総務相からも早期の調査と適切な対応を求められた。1週間で経営を揺るがす事態に陥るなんて、経営陣は想像していなかったに違いない。現場の混乱はいかばかりか▼「シェアホルダー」という言葉もある。より狭義の利害関係者、株主だ。米投資ファンドはフジテレビ側に送った書簡で、社長会見によって露呈した危機管理対応のまずさや、企業統治の欠陥を指弾した▼関係各所からの外圧を受け、渦中の社長は27日に再び会見に臨むという。さて、来週のフジテレビは? またも対応を誤れば、『サザエさん』の笑顔も消えかねない。(熊本日日新聞・2025/01/25)
【有明抄】中居さんの引退発表 最近、ACジャパンのテレビ広告がますます増えたと感じていたら、きっかけをつくったタレントの中居正広さんが芸能界からの引退を発表した。自身の女性トラブルを巡り、週刊誌をにぎわせていた◆この問題、真実がベールに包まれているようで何か釈然としない。週刊誌が報じたように、フジテレビ社員が関与していたのだろうか。中居さんの責任に加え、フジテレビが今月17日の記者会見で参加制限をかけたり、動画撮影を禁止したりしたことが問題をさらに複雑にした◆「知る権利」を掲げる報道機関にとって自縄自縛の行為。隠し事があるのではないかという不信感が増す。ACジャパンへの広告差し替えが相次いだのは中居さんに対する責任追及というより、フジテレビに対する抗議の現れだ◆さて、見る機会が増えたACジャパンの広告で印象に残ったのは「決めつけ刑事(デカ)」。SNSに上がる情報をうのみにし、罪のない人を傷つけてしまう危うさを描く。真実を見つめる目を曇らせていないかという警告にも思える◆マスコミは民主主義のとりでであり、権力監視の役割を担う。何より弱者に寄り添う姿勢が求められる。一連の問題で一番の被害者は誰だろう。声を上げたくても上げられない人に思いを巡らせているだろうか。報道機関に働く一人として、そう自問している。(義)(佐賀新聞・2025/01/25)
台場【だいば】= 江戸末期に江戸湾(東京湾)品川沖に築かれた砲台(史跡)。品川台場,お台場とも。現在は港区に属する。黒船来襲に備えて1853年―1854年江川太郎左衛門が設計。7砲台が築かれたが,第4・第7砲台は未完成,砲台は実戦には用いられなかった。東京港の築港に伴い,一部は埋立地,防波堤と連なり,一部は取り払われ,現在は第3,第6台場が残り,第3台場は史蹟公園となっている。1990年代に周辺の開発が著しく進み,レインボーブリッジが完成してゆりかもめや東京臨海高速鉄道が開通,お台場海浜公園一帯には住宅団地やホテル,放送局,ショッピングセンターなどが完成して,東京の新しい名所となった。(百科事典マイペディア)

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演奏から伝わるものは

 都会生活からはまず生まれない音楽であり、音楽家だった。どこかで自身の位置づけを「自分は田舎の音楽家・ピアニスト( “Rural Folk Piano” )」というような意味合いで語っていたと記憶しています。当時、直ちに彼の死に反応することはできなかった。厳しい闘病を十年余にわたって過ごした後のことだったから。もちろん、彼は再起を期していたし、病床にあっても音楽については旺盛な活力を持っていた。彼の死からかなり時間が経過した。今ならなんとか、彼の音楽について語れそうな気がしています。この間にあって、ぼく自身は、じっくり彼のレコードを聴き直して、改めてウィンストンの音楽と音楽演奏について考えてみようとしていました。だが案に相違して、レコードを聴く、聴き直す時間も雰囲気もすっかり失われていたこの期間、ある意味ではぼくにとっても危機だったと痛感する(いつだって、ぼくは危機のさなかにあるのですが)。

 はじめて彼の演奏に接したのは「Autumn」(1980年)や「December」(1982年)が発表されたときだった。当時、ウォークマンというカセットテープの録音再生装置が売り出されたときでもあり、何処に行くにも、ウィンストンの演奏(録音テープ)を持ち歩いていたのを思い出す。その後、携帯用機器のCD版も売り出されたので、それこそ、一日の半分は彼の演奏を聴いていたのではと思われるほどに、引き付けられた。いまは、歩きながら聴くことはなくなったが、相変わらず、ネットを通して彼の演奏は途切れないままに聴いている。

<Variations on the Kanon by Pachelbel – George Winston>・https://www.youtube.com/watch?v=1wAGacczNho

 その理由は単純。ぼくはウィンストンの経歴はまったく知らないままで、演奏だけをひたすら聴いてきたのは、その音楽が生み出す<countryside>そのものの調べが、この時代にはきわめて異質で、かつ新鮮に響いていたからでした。彼はミシガン州で生まれモンタナ州で育ったという。彼の記録にも、しばしばモンタナ州の「自然」「環境」が出てきます。遅くにアメリカの一州になったことも、モンタナの地域性に大きな影響をとどめているように思う。(全米初の女性下院議員となったジャネット・ピカリング・ランキン(Jeannette Pickering Rankin・1880 – 1973)について調べた時、モンタナ州についていくらか資料に当たってみたことがありました。とにかく広い。日本全体ほどの面積に人口が百万人程度というのですから(陸地が377,230 km²、人口は1,0840,00人:2022年当時)途方もない広さ(人口は富山県(103万人余)並み、富山県の面積は4,247.6km²。劣島と比較を絶する自然のスケールについては、ぼくは言葉を失う。ウィンストンの音楽の精髄、根っこが育まれたといえるかもしれない)

 それはともかく、ウィンストンの音楽と演奏について考えると、なによりもその「朴訥さ<unsophisticated><artlessness>」が際立っていることです。もっと他の表現がありそうですけれど、今はこれで十分に、ぼくが彼から聴きとれた資性を示すのに十分でしょう。加えて、同じことかも知れないが、派手さが微塵もないこと。見当はずれのことを言うようですが、ほぼ同時代を生きたジャズピアニストだったキース・ジャレットに感じる朴訥さ、あるいは時には無骨ささえをぼくは想起します。そのような一切の器用さ・派手さを排した姿勢や態度は、彼の奏法にも通じるでしょう。コンサートにおける演奏時、彼は裸足(靴下を履いてはいる)でペダルを踏んでいる。飾らない姿勢というのは、一つの哲学、いや思想だといってもいいでしょう。

 たった一度だけ、彼のリサイタルに出かけたことがあるが、奇妙なことに、まったく記憶が残っていない。レコードを通して彼を聴き始めたのが四十年も前のことだから、ほぼ同時期の、東京の演奏会場だったことは朧気に覚えているし、演奏中の彼の挙措も忘れない。しかし、肝腎の演奏(内容)そのものは消えているのです。このようなこと、これまでにもいくらもあった。それだけ、演奏会以外で彼の音楽演奏の虜(とりこ)になっていた証拠でもあり、レコード鑑賞だけで、ぼくには十分に彼の神髄(らしきもの)は伝わっていたのだと思う。彼に共感する以上に敬意を示したいのは、彼の社会活動でした。(そのことについては稿を改めて書いてみたい)

 一年以上も前に亡くなった音楽家について、その当時、ただちに、ぼくはていねいに感謝(追悼)とお礼をが言いたかった。そのためには、彼の残されたレコードの多くを聴き直してからと、しきりに思ったものでした。今もなお、その作業の途上にありますが、この房総半島の僻地にまで、汚濁された情報の飛沫が飛んできます。そのようなさなけない日常に陸沈(埋没)していても、ウィンストンの音楽は、初めて聴いた時そのままの新鮮さを失っていなかったし、何時までも忘れられない彼の静謐な佇まいに、ある種の「孤高の人」という印象を重ねているのです。

<Longing / Love – George Winston>・https://www.youtube.com/watch?v=yNurxbFSuVE

GEORGE WINSTON (1949-2023)
We are deeply saddened to share the news that George Winston has passed on after a 10-year battle with cancer. George quietly and painlessly left this world while asleep on Sunday, June 4, 2023.
George courageously managed serious cancers, including having a successful bone marrow transplant for Myelodysplastic Syndrome (MDS) in 2013 at City of Hope, in Duarte, California, that gratefully extended his life by 10 years. Throughout his cancer treatments, George continued to write and record new music, and he stayed true to his greatest passion: performing for live audiences while raising funds for Feeding America to help fight the national hunger crisis along with donating proceeds from each of his concerts to local food banks. Across an illustrious career spanning more than 50 years, George’s music first became known and loved by his fans with the release of his two most iconic albums, Autumn (1980) and December (1982). George's recordings evolved with the times while garnering a GRAMMY Award for Forest (plus five GRAMMY nominations) and selling over 15 million albums. George touched the hearts of generations with his acclaimed solo acoustic piano compositions. From his early days in Montana, Mississippi and Florida, to his later life living in the San Francisco Bay Area and touring to cities worldwide, America’s beautiful landscapes and natural seasons shaped his singular instrumental folk piano. With 16 solo piano albums to his name, George recorded brilliant piano music, which includes tribute recordings for Vince Guaraldi, The Doors, a Hurricane Katrina relief benefit, Gulf Coast and Louisiana Wetlands benefits, September 11 benefit, a cancer research benefit for City of Hope, the Peanuts episode “This Is America Charlie Brown: The Birth Of The Constitution,” among others. George’s legacy includes his beloved catalog as well as an archive of his own acoustic guitar and harmonica recordings, and albums by an array of Hawaiian slack key artists on his own record label, Dancing Cat Records. George is pre-deceased by his parents, George and Mary Winston, and is survived by his sister, niece and nephew.….(GEORGE WINSTON・https://www.georgewinston.com/about/
 “花”は僕のピアノ演奏にぴったりなんだ
――さて、“花”ですが、そもそもの沖縄の音楽との出会いは?
「85年にチャンプルーズの80年の『BLOOD LINE』、“花”の入ったアルバムを手に入れた。ライ・クーダーが演奏しているアルバムだよね」/――沖縄の音楽のどこに惹かれたのでしょう? メロディー? 音階? 雰囲気?
「ああ、その3つのすべてが好きだね。そして三線の演奏も。/ネーネーズとか、沖縄の他の人たちのレコードも持っているけど、この“花”は僕のピアノ演奏に一番ぴったりなんだ」(Mikiki by Tower records)(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/32361)(2022/08/25)
 PROFILE:GEORGE WINSTON=1949年、米ミシガン州生まれ。72年に初のピアノソロアルバム『Ballads And Blues』を発表。8年間のインターバル後、80年にレコーディング活動を再開。当時、新興レーベルだったウィンダム・ヒルと契約、同年にリリースされた第1弾アルバム『Autumn』が世界的な大ヒットを記録して、一躍人気を獲得。日本では『Autumn』に収録された“Longing / Love(あこがれ/愛)”が、某自動車のTV CF曲に使用され、人気が爆発。以降、『Winter Into Spring』、『December』、『Summer』、『Forest』、『Plains』、『Spring Carousel』、『Restless Wind』、ヴィンス・ガラルディのカバーアルバム2作、メキシコ湾の(ハリケーン)復興支援チャリティアルバム2作など、数多くの人気作を発表している。94年リリースの『Forest』は第38回グラミー賞の最優秀ニューエイジアルバムを受賞。これまでに1,500万枚以上のセールスを上げている。2012年に骨髄移植手術を受けるという大病に罹るが、無事全快し、現在は精力的にツアー活動をしている。(https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/32361)(2022/08/25)

(Every night, I am convinced that every note you play on the piano penetrates the atmosphere and becomes a countless number of shining stars.・satoshi yamano)

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