
◎「週初に愚考」(第六十弐)~ 終わりと始まり、 について。高知新聞が二日続きで「さよならの季節」と「サクラの季節」と題したコラム「小社会」を掲載しています。まるで「春先の珍事(椿事)」というべきか。「さよならとサクラ」が同じ季節に重なるのも、何かの因縁。「散り際の潔さ」などと強弁する向きもあり、「さよならだけが人生」という人あれば、それに反旗を翻す人もいる。「サクラとさよなら」が二重写しになる「コラム」など、めったに読めないことだったし、そのテーマはよく考えられるべきものだと思いましたので、ぼくは誘惑に駆られたのでした。二つの「小社会」は、いずれもが、よく言えば、なかなかに「イミシン(意味深)」な人生の深度(変転)を物語っているとぼくには思われましたので、屋上屋の無駄や煩瑣を厭わずに引用かつ愚考する次第です。
一昨日の「小社会」は大学の合否を知らせる「電文」です。「クジラガツレタ」とは高知大学に合格、つまりは高知大学は鯨だということですね、それにしても大袈裟な。ぼくは貰ったことも出したこともないのですが、今では歴史の遺物になった感があります。電報はたった一度だけ、受け取ったことがある。入学式や卒業式をサボっていたので、学部当局から「シュッセキサレタシ」とかいうのものを。さすがの、「オコトワリシマス」との返信は出さなかったが。「電報文」にはそれぞれの大学の地域性が出ていて、悲喜こもごもの「サクラチル」「サクラサク」でしたね。進学率が高止まりしている今では、多くの若者にとって「大学の門」は、まことに有り難くない「青春の門」となった感がありますが、よくよく見ると、「門」(「裏門」も含めて)があるようで、実際には「錯覚」だったということに入学後に気付く人も多くいるのではないでしょうか。昨日のコラム氏は、例の唐の于武陵(うぶりょう)の「勧酒(「お酒をどうぞ」)を出しました。本家よりも物真似(翻訳)の方が有名になった、まことに井伏鱒二さんは見事な邦訳をされたものでしたね。この「勧酒」については、駄文製造者も何度か取りあげています。
*****

【小社会】サクラの季節 「クジラガツレタ」。年配の方ならピンとくる方も多いはず。かつて高知大の入試で合格者に送られた電文だ。昭和の時代、合格発表を見に来られない受験生に、大学の学生自治会などが請け負った合格電報の一つ。▶中でも最も有名な電文は、「サクラサク」か。諸説あるが1956年、早稲田大で初めて使われた。「アカモンヒラク」(東京大)、「マリアノカネガナル」(長崎大)、不合格では「ミチノクノユキフカシ」(東北大)、「ゲンカイノナミハアラカッタ」(九州大)…。地域の風土も感じさせるさまざまな電報が各地から打電された。▶それが平成も半ばになると、インターネットの普及で大半の大学がホームページに合格の受験番号を掲載。2005年の本紙記事には「高知大学でも十年ほど前から電報の請負が姿を消した」とある。▶氏名発表から番号発表、電報からインターネットへ。時代は移ろい、キャンパスの掲示板前で先輩学生が合格者を胴上げする姿も消えつつある。▶ただ合格発表の光景は変わっても、受験生の「明暗」は今も変わることはない。デジタル空間には10代の切ないつぶやきがあふれる。「全部自分のせい。どうすればいいのか」「頭が真っ白で全然わかんない」▶そんな若者たちにことしの桜はまぶし過ぎるかもしれない。が、サクラが咲いた人にも、散った人にも芽吹きの季節はまた同じように巡ってくる。来年は満開の笑顔を。(高知新聞・2025/03/22)
(時代の推移とともに消えてゆくものは多いが、そのかなりな部分を「換骨奪胎」とはいえ、きっと復活(ルネサンス)するでしょうね。「復古」がなければ、行き先も消えると思うんでしょうね。人間社会の進展など、あまりあてにはできないですね)
*****

【小社会】さよならの季節 お彼岸に入っても寒い日が続いていたので、春もやや慌てたか。高知市はきのう、日中の最高気温が25・8度まで上がり、初夏を思わす陽気になった。街では半袖姿の人も見かけた。▶これには桜も大慌てに違いない。高知城の標本木は平年の開花がちょうど3月22日。訪れると、一輪も咲いていなかったが、つぼみがずいぶんと膨らんで、開花が近そうだった。▶慌ただしいといえばいま、人の世も同じだろう。転勤や就職、進学などで引っ越し準備に追われている人が少なくない。長年住み慣れた土地や親しい人たちとの別れの季節でもある。この時季によく取り上げられる漢うぶ量唐の于武陵(うぶりょう)の作品「勧酒」がある。▶別れを惜しんで「花発多風雨 人生足別離」とつづった。花の咲く頃は風雨が多いように、人の一生には別ればかりが多い。現代語に訳せば、そんな意味になるだろう。作家の井伏鱒二はかつて、「人生足別離」にこんな訳を付け注目された。「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」▶無常感が一層広がり、なんとも切なくなるものの心に残る。どうせなら友人や同僚、家族を満開の桜とともに、華やかに、にぎやかに送り出したいものだが、間に合うだろうか。▶桜前線はまだだが、もう一つの春の使者は続々と北上している。きのうの朝、自宅の前でツバメがさえずっていた。新年度入りまであとわずか。さよならだけでなく、出会いの季節も迎えている。(高知新聞・2025/03/23)
*****

「別れに一盃 吞もうじゃないか」「注いでおくれよ なみなみと」(無骨流)。「勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離」、これを「ハナニアラシノタトエモアルゾ」「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」(井伏著「厄除け詩集」)と、井伏さんは武士(もののふ)もどきの「今生の別離」の潔さに移し替えました。コラム氏いわく「無常感が一層広がり、なんとも切なくなるものの心に残る」と。果たしてどうでしょう。ここに感傷や別離の愁いを読むのは間違いではないでしょうが、ぼくはもっと積極的に「交わり(厚誼・厚情)」の深さを感じ取るのです。唐代の詩人の「想い」がぼくに分かるはずもありませんけれど、また逢う日まで、逢える日まで、互いに無事で生きようじゃないか、と言いたいくらいのものです。<Let’s meet again in good health>
この井伏調に対して、若かった寺山修司さんは「さよならだけが 人生ならば 人生なんかいりません」と反抗しました(「「幸福が遠すぎたら」・「ポケットに名言を」に所収 1973年)。いわでものことと、後年には詩(詞)のこの部分を削除しましたが、気持ちは変わらなかったでしょう。ぼくには、いかにも寺山さんらしくない情緒が漂う詩情であると思われますけれど、いやいや、むしろ、ここにこそ寺山さんの「思想(本領)」があるのだとも直感している。「さよならだけが 人生ならば また来る春は何だろう はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう」(「幸福が遠すぎたら」寺山修司)、「感傷過剰」、陰々滅々の真情溢れんばかり。この詩は「さよならだけが人生ならば」というタイトルで「六文銭」がレコードを出しました、作曲は小室等さん。ほぼ同時期には、寺山さんの秘蔵っ子だった(と思われた)カルメン・マキさんも。(いずれも「他に換えがたい」出来具合だと思う)

(「さよならだけが人生ならば」六文銭 19743年:https://www.youtube.com/watch?v=YWgmRZSLkfU) (「さよならだけが人生ならば」カルメン・マキ 1969年:https://www.youtube.com/watch?v=TDy_axc7Jd0)
****
駄文の主旨は「終わりは始まり」であるということです。、同じことのようで「始まりには終わりが」潜んで(埋め込まれて)いると。どんなものでも「始原」「発端」がありますね。始まりがなければ始まらない。始原とは原始のことで、ぼくたちは何も考えないで「原始時代」などという。何かが終わったからの「原始」だったのではないですか。そこには尽きない、自然現象の条理や事情が無際限に含まれているのですが、それはさておいて、終わりの源は始まりだと、誰もが、あるいは動物・植物(生命一般)はすべからく、自らの終わりを知っているから、次代に自分のなかの何者・何事かを遺す定めにあるのだと思う。生命全体だって、その中には「終焉」が刻印されている、そのことの微かな直感が「サヨナラダケガ人生だ」と言いたくもあり、「さよならだけが 人生ならば 人生なんかいりません」と言ってみたくなるのではないでしょうか。井伏さんも寺山さんも、この「科白」を吐いたのはまだ、三十代だった気がします。
大学に合格しようが、不合格であったにせよ、そのことで人生の重量も値打ちも少しも変化はないのだと、気が付くことはとても大切ではないですか。仮に「人生の意味」「人生の価値」という言葉を使うとして、大学への合格・不合格によって、意味や価値が増したり減ったりすると考えてしまう、そんな世間流通の軽薄さ・通念をぼくたちはいつとは知れず自らの中に持ち込んでしまう。学校・社会教育の賜物と言っておきます。人生において、あるいは人生を営む場としての社会において、当たり前に大学が存在し始めたのはたかだか百五十年前。大学の存在しなかった歴史は無限ですね。今もなお、半数の人は大学には足を踏み入れていません。この事実は重くはないですか。大学の湯無で測られる人生って、どれほどのものですかとぼくは問たいですね。

コラム氏は「(大学入試に不合格だった)そんな若者たちにことしの桜はまぶし過ぎるかもしれない。が、サクラが咲いた人にも、散った人にも芽吹きの季節はまた同じように巡ってくる」という。どうあっても「合格」が人生に不可欠のように言いたそうですが、視野狭窄ですね。ぼくも人並みに「大学」(だと公認されていた)に入った、だから、そこを出た。入る時になかったもので、出るときに得たものは何だったか。反対に、入る時に持っていて、出るときに失っていたものは何だったか、それを考えると、ぼくにとっての大学とは、必要不可欠なものではなかったと断言できます。二十歳前のぼくに欠けていたのは、見知らぬ幻だった「大学」に対する幻想・妄念を、自分の手で壊さなかったことだったと思います。「大学」について云々できるのは「大学に在学した経験」があったからですから、その意味で、ぼくには「(大学は)他山の石」だったと言えます。

◎ 「他山の石」とは「よその山から出た、つまらない石。転じて、自分の修養の助けとなる他人の誤った言行」(デジタル大辞泉)「自分の石をみがくのに役にたつほかの山の石の意。転じて、自分の修養の助けとなる他人の言行。自分にとって戒めとなる他人の誤った言行」(精選版日本国語大辞典)(「詩経―小雅(しょうが)・鶴鳴(かくめい)」の一節。「他山の石、以て玉を攻(みが)くべし」から)
IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII



































