(どうでもいいことですけれど、現首相が先般の選挙で当選した「自党議員全員」にカタログギフトを配布したという報道で、気になっていたので、前首相にも「カタログギフトは届いたかどうか。届いたとして、その後の処置はどうされたか」をメールで問い合わせましたが、実に頓珍漢な「自動返信メール」が帰ってきました。「前 I 首相ももらったんだ、それを返しもしない」ままだと、ぼくは直感しました。実にむなしい政治状況ですな。「堕ちろ 堕ちろ」と安吾氏に倣って(「堕落論」)、ぼくは言うばかり)
昨日付の産経新聞コラム「産経抄」に強い賛意を表します。これもまた「産経新聞」の一部です。ここにフランクルを出し<人は強制収容所に人間をぶちこみ全てを奪っても、与えられた環境でいかに振舞うかという人間としての最後の自由だけは奪えない>という肺腑の言葉を、ウクライナの選手の行動に重ねています。さすれば、いかにも「平和の祭典」「自由の謳歌」とされている「五輪開催」が、まやかしに満ちているものであるか、「自由を満喫できる」のは、IOCという、金まみれの「怪物団体」の理不尽な命令に従順な国や選手たちだけということを暴いてくれた「ウクライナ選手の行動」に、諸君、注目したまえと言ってくれているようでした。 「ヘラスケビッチ選手は母国の苦しみ、人間としての良心を全世界に余すことなく伝えた」と産経抄氏は書く。ヘラスケビッチ選手の今回の言動において、ぼくは「オリンピックでは、勝つことよりも参加・参与することにこそ意義がある(Participation is more important than winning)」ということを、深く教えられているのです。
さらに加えて、表現は美しくありませんけれど、選手も、競技会場も「広告・宣伝(コマーシャリズム)」のための「掃き溜め(rubbish heap)」になっている。その「広告・宣伝」の主体に、さらに国家が加わってきたと言ったらどうでしょうか。商業主義の上に国家主義がかぶさって、身動きが取れない事態に陥っている、それが「五輪の今日の姿(実体)」だといえませんか(スポーツ界の「国連みたい)。「中(あた」らずと雖(いえど)も、遠からず(Although it’s not accurate, it’s not far off)」「何が何でも勝たねばならぬ」という覚悟が間違いでないのは確かですよ。国(国家)もまた、その威信にかけて五輪に向かう気概(国家意思)を隠さないのですから、国税をつぎ込んで強化されている「選手」もまた、その犠牲者になることは避けられないでしょう。各種スポーツ関係団体は、昔風にいうなら、「在郷軍人会」「国防婦人会」のような「際物(圧力団体でもある)」で、これなくして戦意・戦勝の持続は保たれなかったように、各種組織委員会・競技委員会があればこそ、「五輪ファースト」は維持されてきたのでしょう。
The american sprinters Tommie Smith, John Carlos and Peter Norman during the award ceremony of the 200 m’s race at the Mexican Olympic games. During the awards ceremony, Smith and Carlos protested against racial discrimination: they went barefoot on the podium and listened to their anthem bowing their heads and raising a fist with a black glove. Mexico City, Mexico, 1968 Mexico city, Mexico, 1968(Wikipedia)
Black Power Salute ブラックパワー・サリュートとして有名なものは、1968年メキシコシティーオリンピックにおいてアフリカ系アメリカ人選手のトミー・スミスとジョン・カーロスが行ったものであり、また、近代オリンピックの歴史において、もっとも有名な政治行為として知られた。 1968年10月17日に行われた男子200メートル競走において、トミー・スミスが優勝(米国、19秒83、世界記録)、ピーター・ノーマンが2位(オーストラリア、20秒06)、ジョン・カーロスが3位(米国、20秒10)になり[1][2]、同日夕刻に表彰式が行われた。 スミスとカーロスは、米国における差別による黒人の貧困を象徴するため、シューズを脱いで黒いソックスを履いた姿で表彰式に臨んだ[1]。さらにスミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを首にまとい、カーロスはクー・クラックス・クランなどの白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するためロザリオを身につけていた[2]。一方、二人とともに表彰式に臨むことになったノーマンも、表彰式前に二人の様子を見て行動に賛同し、二人がつけていた「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(英語版)(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを受け取り、胸につけた[1]。また、スミスとカーロスが黒いグローブを片手にしかはめていない理由は、カーロスが自身のものを持参し忘れたので、ノーマンがスミスの左右一組のグローブを二人で分かち合うよう提案したためであり、スミスが右手に、カーロスが左手にはめた[2]。 シューズを脱いで手に持ち、黒いソックスを履くなどしているスミス(壇上)たち。 表彰式において、三人がそれぞれメダルを授与されたあと、アメリカ国歌が演奏され星条旗掲揚されている間中、スミスとカーロスは目線を下に外して頭を垂れ、黒いグローブをはめた側の握りこぶしを高々と突き上げた[1]。会場の観客からは歓声とブーイングが巻き起こり、この時の様子は世界中のニュースで取り上げられた[1]。 後にスミスは「もし私が勝利しただけなら、私はアメリカ黒人ではなく、ひとりのアメリカ人であるのです。しかし、もし仮に私が何か悪いことをすれば、たちまち皆は私をニグロであると言い放つでしょう。私たちは黒人であり、黒人であることに誇りを持っている。アメリカ黒人は(将来)私たちが今夜したことが何だったのかを理解することになるでしょう。」とこの時のことを語っている。(以下略)(Wikipedia)