「考える」とは「疑う」「迷う」こと

【国原譜】高校の入学式に向かう親子連れの姿に出会うと、その晴れ晴れとした顔にこちらまで元気をもらい、「さあやるぞぅ」という気分になる。▼街中には、そうした新入学の生徒ばかりではなく、一目で新入社員と分かる若者たちもいて、全体が華やいでいる。希望に満ちたその姿は誰もが経験してきたはずだ。▼現実の社会は思い通りにいかないし、厳しいものであることをいずれ経験する。毎日のように報じられる高齢者をだます詐欺事件や、身近な殺人事件がある。▼世界に目を転じれば、大国による戦争状態が続いている。これでは若者たちに、未来を語り夢を持てとは言えない。便利さをもたらす科学技術の進歩もそうだ。▼デジタル教科書のことが論議されているが、本を読むということと、文字を見る行為が同じではない。「考える葦(あし)」という言葉を思い出したい。▼か弱い葦のような人間だが、思考する力を持つことで宇宙より偉大な存在である、というフランスの哲学者パスカルの名言を、今こそ蘇(よみがえ)らせたい。希望は若者たちに最も似合う言葉だ。(治)(奈良新聞・2026/04/10)

 このコラムに刺激されたわけでもありませんが、自分の高校入学式の一場面を思い出しました。学校の入学式の一部始終は全く覚えていません。どこかで折に触れて書いていますけれど、ぼくは「式」というものは実に苦手で、そのせいか、入学式や卒業式の景色(場面)の記憶は全くないのです。高校の入学式当日(たぶん昭和35年4月)、朝の小一時間ほどの風景は鮮明に覚えている。自宅から学校まで、自転車で10分か15分ほどだったと思う。どうしてだったか、ぼくが頼んだわけではないと思うが、おふくろが入学式にいっしょに行くといって、二人で自転車を漕いで登校したのだけは鮮明に覚えています。黒いコートだったか、式服だったかを着て、自転車に乗っている姿が実にさわやかな印象を与えていたと思う。当時おふくろは何歳だったろうか。四十歳を出たころだったと思う。家から学校までの十分ほどの自転車走行、それだけが今もなお、ぼくの目に焼き付いている。そんなことは一度限りだったでしょう。(昨日、この駄文は書きかけていたものです、悪しからず)

 両親は学校のこと・成績のことには一切口出しをしませんでした。第一、高校に行けなどさえ言わなかった。立派な教育方針があったからというより、むしろ関心などなかったのかもしれません。それはぼくには最高の「家庭教育」だったと思う。学校は好きではなかったし、成績なんかどうでもいいと思っていたものでした。もちろん「その気になれば」という気位(きぐらい)のようなものはあったと思う。「自分の品位を誇り、それを保とうとする心の持ち方」(デジタル大辞泉)と「気位」は解説されていますから、果たして十五歳のぼくに、そんなたいそうな自己認識があったとは思われませんから、要するに「勉強は好きではない」という「なまけの哲学・習慣」があったのだと思う。それがぼくの「気位(エゴ)」だったか。それから三年、落ちこぼれもせず、落第もしないで、なんとなく高校を卒業し、その勢いでぼくは東京に出ることにした。もちろんぼくの独断だったと思うが、親は何も言わなかったどころか、母は出発の夜、京都駅まで見送りに来てくれた。そこには同級生のN君もいた。なぜ上京することになったのか、詳しい事情は忘れたが、東京の学校に入るつもりだったと思う。それが昭和38年3月のある夜のことでした。以来、60数年、ぼくは東京と千葉でその日暮らしを続けてきたことになります。

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 つまらないことを書き連ねていますが、新入学などの晴れがましい季節になると、ぼくは世間の気分に背中を向けたくなるのです。「高校の入学式に向かう親子連れの姿に出会うと、その晴れ晴れとした顔にこちらまで元気をもらい、『さあやるぞぅ』という気分になる」というコラム氏の筆致に唆(そそのか)された次第です。ぼくは、残念ながら、そんな気には一切なれませんでした。近年では、入学式ばかりか、入社式まで「保護者(親など)同伴」という。世も末とは言うまい。学校の教師紛(まが)い時代に嫌というほど経験したことでした、それこそ、入学式や卒業式に参加される保護者(親たち)の数は大変なもので、会場に入りきれないで(今はどうか知りませんが)、学校全体で同じ「式」を三回か四回に分けてやっていたほど。それを横から見ていて、この国の人たちは「式」がよほど好きなんだと思うようになりました。入学式、卒業式、入社式、結婚式、お葬式等々、どれもこれもぼくの嫌いなものばかりで社会の節目は塞(ふさ)がれているのですね。(右はパスカルの「パンセ」原著)

 そして、たとえば大学在学は四年間が相場。内容は問わず、入学と卒業の二つの儀式が大事にされるという、そんな空虚な就学時間を何とか過ごせれば「大学卒」という証明がなされる、この社会、国は、今あるような軽薄かつ付和雷同型の人々で満たされるようになったのも「宜(むべ・うべ)なるかな」と、胸に手を置いてみるのです。「もっともであるなあ」「その通りであるなあ」と深く首肯(しゅこう)する。ある人は「卒業(証書)偽造」をしながら「市長」にまで上りつめる(選挙で選んでしまう)、どういうことでしょうか。これもまた、「学歴(空虚)社会」の一面なんですか。(本日はここまでで終わり。以下はおまけみたいなもの)

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 奈良新聞のコラム氏は、新入生や新入社員たちの姿を見て、自分までもが気分が新たになると書きつつ、国の内外には、いいこともあれば、腰を抜かし、目が飛び出るような凶事も起こっていると書く。そして、どういう流れからか、「デジタル教科書」の話題に触れつつ、コラム氏は「本を読むこと」に関して、それは「字を見ること」と同じではないといわれる。本当はこのことが書きたかったことがわかります。ならば、「見ると読む」では大違いとか、「百聞は一見に如かず」といっておけばよかったのに、いきなり「『考える葦(あし)』という言葉を思い出したい」とあります。もっと書きたかったのは、この「考える葦」だったことがわかります。ぼくの駄文と同じとは言うまい、草稿(ドラフト)がおざなりだなあと思われますが。 

 「パンセ(Pensées)」の言葉が出ていたので、書く予定のなかった駄文を、追加で書くことにします。「か弱い葦のような人間だが、思考する力を持つことで宇宙より偉大な存在である」とパスカルは言ったのだと、コラム氏も解説されます。このさわりの部分、ぼくには実に懐かしい。学生時代、フランス語を齧っていて、もちろん「パンセ」も読み、この部分にも赤線を引いた覚えがあります。

 <L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature, mais c’est un roseau pensant.>

 「人間は一本の葦にすぎない。自然界における最も弱い葦でしかない、しかしそれは考える葦である」「人間を滅ぼすのに、宇宙は全身で武装する必要はない。人間を潰すのに一滴の水があれば足りる。でも人間は、自分を滅ぼすものよりも高貴な存在である。なぜなら、人間は自分が死ぬことを知っているからだ。宇宙はそうではない」とパスカルは続ける。彼は「意識」の有無を語ります、それは人間の「思考力」の別名でもあります。「壊れかかっている小屋は悲惨ではない。なぜなら、自分が壊れるということを知らないから」ともパスカルは書く。わかったような、わからないような論理ですがね。

 コラム氏が「宇宙と人間を比較する」のもぼくにはよくわからないが、「偉大と卑小」ということを指摘したかったのでしょうか。その砂粒のような人間の方が宇宙よりも貴重(尊いもの)だというのは、人間には「考える働き」があるからだというのです。人間である根拠(条件)は、どこにあるか。「我々の尊厳のすべては『考えること』にあるのだ<Toute notre dignité consiste donc en la pensée.>」。「われ思う、故にわれあり(Cogito, ergo sum)」とデカルトに倣ってパスカルは言う。「だから、精一杯、考えるようにしようではないか。そこにこそ道徳(人間性の原理)があるのだから」と結びます。

 L'homme n'est qu'un roseau, le plus faible de la nature, mais c'est un roseau pensant. Il ne faut pas que l'univers entier s'arme pour l'écraser ; une vapeur, une goutte d'eau suffit pour le tuer. Mais quand l'univers l'écraserait, l'homme serait encore plus noble que ce qui le tue puisqu'il sait qu'il meurt et l'avantage que l'univers a sur lui, l'univers n'en sait rien.
 Toute notre dignité consiste donc en la pensée. C'est de là qu'il faut nous relever et non de l'espace et de la durée, que nous ne saurions remplir.
  Travaillons donc à bien penser ; voilà le principe de la morale.(’Pensées’

 最初の部分では「人間は弱い」「(水辺に生えている)葦のように弱い」「けれども、考える力を持っている」、だから「人間は考える葦なのだ」という、ここがこの部分の要石(keystone)ですね。「考える葦」というのは、どこまで行っても弱い葦、その葦のように考えるということです。「か弱い葦のような人間だが、思考する力を持つことで宇宙より偉大な存在である」とコラム氏は書かれている。「吸いう風に理解するのは間違いだ」とパスカルは断言しています。あるいは、それは間違った理解であるとも。「考えていくうちに、人間は人間を超えることにある」とコラム氏は言っているようですけれど、それはどういうことですかと、ぼくは尋ねたいですな。「宇宙より偉大な存在」というのはどういう意味ですか、と尋ねたい。ぼくにはこれがわからない。考えは立派だけれど、とんでもない悪事を働く、そんな人間はごまんといるのはなぜですかと、逆に質問したくなります。考える働きがあるから、徐々に人間は優れた存在になるかもしれませんが、その同じ人間が他者を傷つけるのはどうしてでしょう。詰まりは「人間の弱さ」、「情念の強さ」に、ぼくたちは足元を掬(すく)われるというのではないですか。

 2に2を足せば4になると理解するのは、「考える」働きのおかげかもしれないが、「人生の価値は何だろう」という難問を前にして思い悩むのとはいささか異なる思考法でしょう。だから、考えるというのは「二通りある」と捉えたらどうでしょう。2+2=4というのは誰もが考えるように考える、一つの思考方法です。これを科学的思考といっても構わない。しかし、そればかりが「考える」という働きではなく、自他にとって同じ問題を自分流に、あるいは他人とは別角度から考えるという方法もあるでしょう。それを、仮に哲学的思考方法と言ったらどうか。「ものを考える」とは、要するに「疑う」ということです。「疑問を抱く」ということ。「おかしいなあ」と首をかしげるとき、問題は自分の中に入ってくるでしょう。パスカルはこのことを言おうとしたのではなかったか。

 そして大事なのは次のことです。パスカルの考えた通りかどうか、ぼくには断言はできませんが、不完全な(弱い)人間である自分が、自分流に考え(る働き)を深めれば、人間(自分)は強くなれると、パスカルは言ったとは思われないんですね。どこまで行っても「弱い存在の葦のように、人間は考える働きがあっても弱い存在であることを超えられない」といいたかったのではないですか。欠点だらけの弱い存在が、どれだけ深く考えたところで「宇宙以上になる」ことはあり得ない。弱い葦が考えても、葦でなく、樫(かし)になることはあり得ない、それと同じように、弱い人間はどこまで行っても弱いままだと。

 だったら、考えても意味がないではないかといいたくなるほど、人間は弱いんですね。つまり「人間の弱さは完全である(La faiblesse humaine est parfaite.)」と、デカルトもパスカルも言っているでしょう。神や仏のようになれない、というのは人間の弱さですが、それこそが人間の証明なんですね。少しでも、自分の弱さを克服するところに、人間の道徳性の価値が存在します。どこまで行っても、人間は間違える、でもそれを少しでも少なくすることは可能です。(考える働きの意味はここにあると思う。(時に、人間の限界を超える「人」が出るという、それが「超越者」、つまりは宗教の領域に入ります、信仰の問題ですね)

 「希望は若者たちに最も似合う言葉だ」とコラム氏はいう。でも「希望と絶望」は紙一重であるとぼくは思っている。微(かす)かな望みと望みが絶えるのとは同じではないけれど、ぼくにはほとんど同じで、それ(対象)をどう見るかという、見方(考え方)の差だといいたいのです。 <hope><wish>と<despair><hopelessness> それを同じようなものと、君は言うのかと叱られそうですが、同じ事態に対して「悲観(pessimism)」に襲われるか、「楽観(optimism)」を維持できるかの違いだといいたいんですよ。一人の哲学者・モラリストに倣って、ぼくは「雨の日には笑え(嫌な天気にはいい顔を)」と、自他に向かって語ってきました。雨は誰に対しても同じように降る。ある人は「いやな雨だ、憂鬱になってしまう」というかもしれないし、別の人は「久しぶりにいい雨だ。山の木々も喜んでいるだろう」といってみて、憂鬱の虫を退治する。

 ぼくたちの経験する「不幸(嫌な感情に支配される)」の99%は「悲観」という情念に襲われるからではないでしょうか。それを、ぼくはあえて「不注意の仕業」と言い換えてみたい。雨の日は憂鬱で、好天には気分爽(さわ)やか、この違いが同じ人間の体内を通って意識のレベルで起こる理由は何でしょう。外部の刺激に身体が反応し、そして生まれる感情(情念)に動かされるということでしょう。二日前に「コップ半分の水」について駄弁りました。入っている分量は同じでも、それを「まだ~ある」と見るか、「もう~ない」と見るか。少し冷静になれば、誰だってわかることですが、ぼくたちの最強の敵は「不注意」という「情念」です。先ごろ、新名神高速道で重大な自動車事故が発生し、一家5人を含む6人が死亡したという報道がありました。

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 「新名神6人死亡事故で運転手を起訴 スマホ画面に脇見、急制動も追突 今年3月、三重県亀山市の新名神高速道路で6人が死亡した多重事故で、津地検は9日、トラック運転手の水谷水都代容疑者(54)=広島県安芸高田市=を自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死)の罪で起訴し、発表した。地検は認否を明らかにしていない。/起訴状などによると、大型トラックを運転していた水谷容疑者は3月20日午前2時20分ごろ、新名神高速下り線のトンネル出口付近を、スマートフォンの画面に脇見をして時速約82キロで走行。渋滞のため停車していたミニバンに約9・4メートル手前で気づいて急ブレーキを踏んだが間に合わずに追突。ミニバンの前にいたSUVは玉突きで別の大型トレーラーにぶつかった。/この事故で、ミニバンに乗っていた静岡県袋井市の会社員男性(45)の一家5人と、SUVを運転していた埼玉県草加市の団体職員男性(56)の計6人を頭部の骨折や外傷性ショックなどで死亡させたとされる。(以下略)(朝日新聞・2026/04/09)

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 ぼくたちの経験する不幸のほとんどは「不注意」から生じるということ、それをこそ肝に銘じて(I will keep that in mind.)ほしいですね。学校の「勉強」も「注意深い人間」になるための訓練であって、級友と点数を競うなどという軽薄・軽率な作業(課題)ではないのです。「人間の尊厳は考える働きにある(による)」とする、パスカルの箴言の値打ちはここにあります。さらに述べるなら、考えるというのは「疑う」「迷う」「不安である」「悩む」などという、人間の寄る辺なきありかた(弱さ)に根差しています。犬や猫たちは、多分、人間のように考え・悩まないでしょう。それだけ彼ら彼女らの内部の「本能」が強いからです。神や仏も(ある・いるとして)、まず考えない、完全ですから。人間は本能を剥き出して生きていけないと思っているでしょうから、その野生・野蛮を矯(た)める、その暴力性を修正するために、疑う・悩む・考える働きが備えられているのでしょう。

 ある種の余計なものとして、です。パスカルは同じ「パンセ」の中で書き残している「私は腕を持たない人間は想像できるが、頭を持たない(思考しない)人間は想像できない」と。「人間は弱い」から、ぼくたちは苦しみ悩むのです。その弱さ(faiblesse)を、一時的にであれ、薄め弱めてくれるのも、人間を過ちから救ってくれるのも、それが同じ人間に備わる「考える」という働きです。算数の計算(勉強)は注意深い人間になるための練習です(Studying arithmetic is practice for becoming a careful person.)。ぼくには、まだまだ算数の計算問題を解く作業が足りていませんでしたね。

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「子どもを育てる」とは?(胸に手を)

【卓上四季】ピカピカの夢 とことこ、ぴかぴか、きょろきょろ、わくわく。どれもがぴったりの感じだった。朝のまちかどで見かけた小学1年生たち。ランドセルが歩いているみたいな様子がほほえましい▼<あっ!/てをはなした/スキップしてる/いしっころと くつ/ひかってる//あっ!/はしった/ランドセル かたかた/えんぴつと けしごむ/さわいでる>▼紋別生まれの詩人、大久保テイ子さんの「いちねんせい」の一節だ。やさしくそよぐ春風とともに子どもたちが学校へ向かう。弾むこころも伝わってくる▼ちいさな胸はいろんな思いでいっぱいだろう。勉強は難しそうだな。友だちはできるかな。ちょっぴりお兄さん、お姉さんになったという誇らしさもあるだろうか▼大人になったらなりたいものは? 化学メーカーのクラレが毎年まとめているアンケート。今春の新1年生の人気上位はケーキ屋・パン屋、警察官、スポーツ選手…と定番が並ぶ。芸能人やアニメキャラクターというのもある。時代の変化を映しつつ、幼いあこがれはそう大きく変わらないものという印象を受けた▼どの子も夢を大切にしながらすこやかに育ち、ゆっくりでいいから未来へ歩んでほしい。はるか昔に子どもだった大人のひとりとして強く思う。いまの子どもたちが夢をかなえられる世の中をつくる責任がある、と。(北海道新聞・2026/04/10)
【夕歩道】真新しいランドセルの小学生を見ると、「ピッカピカの~一年生♪」と歌いたくなる。昭和の方ならおなじみの学習雑誌「小学一年生」CM曲。1978(昭和53)年から十数年間、放送された。
 東京の地下鉄神保町駅は今年2月まで1年間、電車の到着時にこのメロディーを流した。同誌が昨年で100周年だったことにちなんだ。創刊の25年(大正14年)の雑誌名は「セウガク一年生」。
 戦前は片仮名を先に習った。平仮名、漢字、ローマ字…。これからたくさんの字に出会う1年生。焦らずいきましょう。作家C・W・ニコルさんは10歳まで本が読めず、名前も書けなかったのだ。(中日新聞・2026/04/09)
【あぶくま抄】ぼくの好きな先生 その美術教師は職員室を嫌い、いつも一人、部屋にこもっていた。たばこを吸いながら。忌野清志郎さんが率いたRCサクセションの「ぼくの好きな先生」だ。東京都多摩地区で教べんを執った実在の人物という▼作品が世に出たのは54年前。思い起こしてみれば、昭和の学校には個性的な先生がたくさんいた。時代はおおらかで、地域と一体だった。夜の会合の帰り、生徒宅で保護者と杯を傾ける。そんな場面もあったと記憶している。背広を脱いだ担任の意外な「顔」を知る、楽しい機会でもあった▼聖職を志し、せっかく選考試験を突破したのに教壇を離れる若者が後を絶たない。家庭からのさまざまな求めに、息がつけなくなるのだとか。県教委は控えてほしい振る舞いをまとめ、ポスターを作った。大声や暴言、時間外・長時間の相談など、4項目を挙げている。心の負担を軽くし、教え子と向き合う時間を増やすのが狙いだ▼先の美術教師は「引きこもり」と、周りから白い目で見られていたかもしれない。それでも、学校が好きになれなかった未来のロックスターに、安らぎの時間を与えてくれた。優しく見守って。あなたの愛し子が「好きな先生」を。(福島民報・2026/04/08)

 四月、新年度と新学期が同時に出発・進行しました。当然のことです、各紙が交々に「新一年生」への温かい心遣いを示している。同時に、もう一つの「新一年生」に対しては、華やかな「祝意」がないのはなぜなのか、ぼくは奇異に感じるのです。そう、「新米教師」、教師一年生です。ある地方自治体では採用された教員採用試験合格者の6割が辞退したというニュースがありました(同県では前年度は7割の辞退者がでた)。本物の「ピカピカの一年生」はまだ右も左もわからず、新しいランドセルを背中に乗せられて、何かいいことがありそうな、そんな希望(夢見心地)で、勇躍して(あるいは恐る恐るの子もいたでしょう)学校に足を踏み入れたことでしょう。でも、いくらもしないうちに、そこはとんでもない「素晴らしい」、いや「二度と通いたくない」ところだったと知ることになるかもわからない、「お化け屋敷」に変わるかも。

 本日は「新一年生」談義というか、「学校、どんなとこ」という話になりますか。陳腐な取り合わせですけれど、三日続きの「教育・学校リレーコラム」と芸のない仕儀に。実は「あぶくま抄」については、一昨日、少し駄文を書いてみたのですが、中途で止めてしまいました。理由は単純、「まだこんなことで悩んでいるんですか?」という疑問が湧いてきたからでした。所謂「モンスターペアレント(通称「モンペ」)」問題は、かなり前に一世を風靡(こんなところで使ってはいけないか)したもので、近年騒がなくなったと思っていたら、何のことはない、学校の陳腐な日常風景に、ピタリと収まってしまったからでした。つまりは学校の一部になっていたというわけ。

 「聖職を志し、せっかく選考試験を突破したのに教壇を離れる若者が後を絶たない。家庭からのさまざまな求めに、息がつけなくなるのだとか。県教委は控えてほしい振る舞いをまとめ、ポスターを作った。大声や暴言、時間外・長時間の相談など、4項目を挙げている。心の負担を軽くし、教え子と向き合う時間を増やすのが狙いだ」(「あぶくま抄」)(ええっ、教師は「聖職」なんですか?)

 ことは福島県だけの問題ではないところに、学校の絶望的状況が見て取れます。「合格しても、教師にはならない」若者が高知県では6割に上った。こんな事態はあちこちで起こっているのです。どうしてか、当人にも分からないのかもしれません。「肝試しで受けただけ」だったのかも。受かったけれど、教師にはならない、それほど忌避されている仕事が「教職」だというのですから、危機をはるかに超えていますね。にもかかわらず、「交通信号は守りましょう」というような、驚くほど呑気で無神経な対応しか、関係筋はしていないように、ぼくには見える。教師たちは子どもに対して「正義を曲げないで、堂々というべきことはいいなさい」と言っているんじゃないですか。乱暴な子には厳しく対応するのではないのでしょうか。人を見て対応が異なるというのは、どうしてですか?

 なにが悲しくて、学校現場は理不尽な親たちに、率直にものが言えないのでしょうか。直言は無理、だから、ポスターで用が足りる(誤魔化せる)と考えたのでしょうか。左上のポスターは長野県教委作成のものですが、各地似たり寄ったりで、要は「できれば、教師をいじめないでください、お願いします」というのでしょう。それを一枚のポスターで柔らかく表現するという姑息な手段で逃げているところ、教育委員会は無用な組織(盲腸だって、何かの役には立っている)になり成り下がっています。教員たちに対しては強く出るのに、親たちには腰が引けている、そんな教育員会の卑屈な態度が、実は方々に蔓延しているんでしょうね。「なに、モンスターが現れたと。拙者に任せなさい」と買って出る『正義漢』が、教育界のどこにもいないんですかね。なんなんですか、これって。(右は福島県教委作成のもの)

 「教職員に対する対する”行き過ぎた行為”はご遠慮ください」「教職員とのより良い関係づくりにご配慮ください」と、ひたすらお願い、まさに「平身低頭」、「腫れ物に触る」という卑屈さです。「いいなり(subservience)」ですね。「もし、行き過ぎた行為があれば、断じて認めない、許さないから、そのつもりで喋って下さい」とか、「見逃せないほどの行き過ぎた言動と判断すれば、直ちに110番します」とか言えないのか。やっていることに疚しさがなければ、もっと堂々としていればいいのに、そうではないということをみずから証明しているのでしょうか。その昔、教職に就いた卒業生に「もし学校でいじめられたら、ぼくに連絡してほしい」「ぼくが出ていきますから」とあらかじめ言っておいたものでした。「ぼくが行くと、少し面倒なことになるかもしれないが」と念押しした記憶があります。ほとんど声はかからなかったが(自分で始末をつけたんですな)。いったい、学校はどこを見て「教育」をしようとしているんですか。

 忌野清志郎さんの「ぼくの好きな先生」、曲自体はどうというものではない、と思います。たしかに、それぞれの子どもにとって、「好きな先生」「嫌いな先生」がいたはずです。謳われたのは半世紀も前のことになりますが、どんな学校にも「半端な先生」「型破りな教師」はいたもの。子どもたちは、そんな「先生らしくない先生」に会いたがっているのかもしれません。親と仲良くなりすぎて、変なことになる教師もいました。子どもと密接な関係を結ぶ不良教師、昔もいたし、もちろん今だっている。長い間学校という温室(greenhouse)で育てられた苗が、場所が変わるとはいえ(移植されるとはいえ)、学校という新たな「温室」に入るだけのことなら、いつまでたっても「未熟」「世間知らず」の人間のままで教師稼業についているということになりかねません。本当はここが教育委員会の「出番」なんだが、こちらはとんと役に立たないのですから、さてどうします。くだらない研修で教師を苦しめないでほしいね。(⁂ Boku No Sukina Sensei:https://www.youtube.com/watch?v=pdMxECE-OpU&list=RDpdMxECE-OpU&start_radio=1

 昨日付の「夕歩道」、語(騙)るに足りず、です。「問うに落ちず語るに落ちる」といいたいところ、そこまでのことでもない。「ピカピカの一年生」はいい、どうして「作家C・W・ニコルさんは10歳まで本が読めず、名前も書けなかったのだ」となるんですか。言いたいことはわかりそうですけれど、それがどうしたという話。つまらないばかりです。字など書けなくても生きていけます。必要があれば書けるようになる。それだけの事柄ではないでしょうか。

 「はるか昔に子どもだった大人のひとりとして強く思う。いまの子どもたちが夢をかなえられる世の中をつくる責任がある、と」そう書かれているコラム氏の「心情」は尊重されるべきだし、そういう社会をつくるための仕事をしたいと願われているのは好感が持てます。でも、と一言したいですね、新聞が果たすべき仕事が果たされているのですか、と。率直に言うなら、ぼくのような無力な無所属人間から見れば、時代は著しく「通俗の極み」に向かっており、「おかしいことが見過ごされ」るばかりの状況が続いています。「自己主張の権化」のようなわがまま親たちに対して背中を向ける、腰が引ける、膝を屈する学校・教師・教委。やりたい放題の金権政治に、まったく無力なメディア、中にはそんな政治のちょうちん持ちをしているのまである。こんな状況が続けば続くほど、いたるところで「人倫」「道徳」の綻(ほころ)びは目も当てられなくなるのは必須です。その場しのぎの「付け焼刃」や、ことなかれ主義の「弥縫策」が、問題をより悪化させることは誰も、新聞記者も、学校教師も知っているんですよ。

 「はるか昔に子どもだった大人のひとりとして強く思う。いまの子どもたちが夢をかなえられる世の中をつくる責任がある、と」(「卓上四季」)、それはそのとおりです。けれどその前に、この「昔に子どもだった大人のひとり」と簡単に「大人と子ども」を区別しています、それが問題でしょ、「あなたの中に子どもがいる」のではないんですか。だから、大切なのは「自分の中にも子どもの部分がある」ということを忘れないことです。「裸の王様」を指摘・糾弾した「子ども心」とは、つまりは「正直」「率直」という感情(それを「正義感」といってもいい)です。その感情に無頓着であっては困るし、眠っているなら、その感情をいつだって覚醒させておくのが、とても大事じゃないですか。多くのの場合、都合のいい健忘症を称して「大人になる」というのです。そんな大人にはなりたくないと、ぼくは言い続けてきました。「おかしいことはおかしい」「まちがいはまちい」と、誰に向かっても直言できる、誰彼にもある「自分の中の子ども」を眠らせてはいけない。

 子どもを育てるは、そういうことでしょう。

参考資料 《高知県教育委員会が今年実施した2026年度の小学校教員の採用試験で、合格を通知した260人のうち約6割が辞退した。採用は130人程度を予定しており、不足分を補うため、今月14日に追加で選考を行う。/県教委によると、1次試験は5月末に高知市と大阪府の会場で実施し、計468人が受験した。辞退者らを見込んで採用予定の2倍の260人を合格とし、9月に通知したが、12月3日までに61.5%にあたる160人が辞退したという。(中略)/ 県では昨年、25年度採用の合格者の約7割が辞退、12月の追加選考などを経て春採用の129人を確保した。24年度採用分でも約7割が辞退していた。/今城教育長は「教員サポートの取り組みや高知県で教職に就く魅力をしっかり発信することが辞退者を減らす有効な対策だと考えている」と述べ、採用候補者同士の交流会なども開く予定だとした。(高知新聞・2025/12/04)

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「蛞蝓にも角」「匹夫も志を奪うべからず」

【日報抄】出勤の途中、真新しいスーツの若者を見かけると、気になり目で追う。わが子と同世代だからだろうか。新社会人になった若者にあれこれ思ってしまう▼早く仕事を覚えて上司や先輩とうまくやれよ。言われたことをしっかりやらないとアウトだぞ。その一方、張り切り過ぎず一つ一つ覚えればいいからね。背伸びをして無理し過ぎないように、などと心の中でつぶやいていると…▼新潟日報デジタルで興味深いニュースを見つけた。「静かな退職」という働き方が注目されているという。仕事にやりがいを求めず、心は退職したように淡々とこなす働き方だ。就職情報のマイナビが2024年に全国3千人に行った調査では、44・5%が「静かな退職をしている」というから驚く▼記事に出てくる20代と30代の若者は、必死に働いた過程を経て「静かな退職」にたどりついた。理由は出世するタイプではないという見極めだったり、心身の不調だったり。給料は減っても、プライベートを重視した人生を送っている▼「最近の若者は…」と思いがちだが、よく考えると気付くことがある。そんな働き方の人は昔からいたよね、と。マイナビの調査では40~50代も4割以上が静かな退職中と答えた▼多様性を認める時代だが、静かな退職者が増えた会社の未来は不安になる。とはいえ出世の階段を駆け上る「課長島耕作」より、趣味が第一の平社員「釣りバカ日誌」のハマちゃんに憧れる。趣味が仕事に役立った! そんなドラマは望みすぎか。(新潟日報・2026/04/08)

【北斗星】仕事よりも、プライベートを大事にして生活を楽しむ。その傾向が若者の間で強まっているといわれてから久しい▼それでも毎日の生活に占める仕事の時間の割合は高い。何事も淡々と、というわけにはいかないだろう。日々成果が求められるから、重圧もそれなりにかかる。上昇志向や承認欲求もゼロではないはず。上司や部下との人間関係がうまくいくとの保証もない▼そんな職場という世界で周囲に流されずマイペースを貫く男性を主人公にした人気の漫画がある。週刊漫画誌に連載中の「路傍のフジイ」(鍋倉夫・作)。表情を変えず目の前の仕事に黙々と取り組む。職場を離れれば、絵画や陶芸などさまざまなことに挑戦して趣味の世界を広げる▼仕事に対して淡泊な人かと思いきや、そういうこともない。同僚が困っていれば率先して手助けするなど徐々に頼られ、慕われる存在になっていく。独身で40代ぐらいとの設定。慕われるのは、相手が誰であっても人格や個性を否定することがないから。読み進めるうち、主人公のそんな姿勢も見えてくる▼県内でこの春、多くの新入社員がスタートを切った。早く仕事を覚えようと躍起になる人がいる一方、プライベートを重視している人もいるだろう。バランスの取り方は人それぞれだ▼近年、社会で重視されていることの一つに多様性がある。一人一人の考え方、生き方を尊重することなくして、個性豊かな人材は育っていかない。漫画に教わることは多い。(秋田魁新報・2026/04/08)

(* ビッコミ「路傍のフジイ〜 偉大なる凡人からの便り〜」)(https://bigcomics.jp/series/01f466438167d

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 二つのコラムが、奇しくも同じような雰囲気の記事を書いていました。いずれも昨日付の【日報抄】と【北斗星】の2題です。書かれていることがまったく同じというわけではありません。そこには微妙なちがいがあって、それはまた、生き方の流儀としては極めて大切な「違い」でもあると思う。片や「もっといい生き方を求めて」という気もする人たち、此方(こなた)は「能ある鷹は爪を隠す」タイプではないかと、なんとなく思う。そして、どちらも、集団の中で自分を売り込むような「軽薄さ」「功名心」は持っていないように見えます。これを思うに、生きるというのは人それぞれであって、一筋縄(単一の価値観)ではいかないということを教えられます。

 「日報抄」は「静かな退職」という表現を用いて、従来の「働き方」とは異なる、組織化における働き方の、別の一面を展望されていた。「『静かな退職』という働き方が注目されているという。仕事にやりがいを求めず、心は退職したように淡々とこなす働き方だ。就職情報のマイナビが2024年に全国3千人に行った調査では、44・5%が『静かな退職をしている』というから驚く」とあります。静かな退職というのは、「私は明日会社を辞めます」と、自他に宣言するような「騒々しい退職」ではなく、いささかも「社畜(corporate slave)」になろうとする気もなく、かといって投げやりに仕事をこなす風でもなく、いろいろな寸法(距離)を測りながら「会社との付き合い方」、あるいは「会社員の流儀」というべき姿勢を崩さないのです。従来見られるような「会社のために」「会社第一」という「悲壮」「皮相」なものなどはなく、穏やかというか、まず無理をしないのだなあと、同僚たちにも映る、そんな会社への帰属・所属の仕方です。

 もちろん、この流儀は今どきのものではなく「マイナビの調査では40~50代も4割以上が静かな退職中と答えた」と出ていますから、いつの時代でも働き方の形として存在していたのです。「私は定年(停年)までこの会社を辞めない」と、初心を貫き通す人は存外少ないのではないですか。つまらぬ逸話ですが、ぼくがある学校に就職したとき、線お会い教員が「どうかよろしく、停年までのお付き合いですから」と挨拶されたのには驚きました。ぼくはいつだって止める・辞める・病めるという気持ちが強くありましたから。そんな偉そうな気分でしたが、相当に長く勤務することになってしまいましたね。

 この「静かな退職」的勤務態度は、ことに「失われた何十年」といわれ出した時期と同時に、それとして無視できない存在になったのだと思う。「会社の都合で、人生を左右されたくない」と考えるのは誰だって同じでしょう。ぼく自身にも、身に覚えがある。組織の上層に上り詰め(たが)る人はたくさんいるが、ぼくはそんなとき、余計なことだが、該当者が親しい友人だったなら「組織のために『自分』を殺すのは馬鹿らしい。こんな職場、身体を賭けるほどの組織かよ」と、乱暴な口をきいては顰蹙を買っていました。もちろん、敵もさるもので、組織をよくしようという気分は若干でもあったでしょうけれど、結局は地位や名誉のほうがはるかに大きな要素だったことが、誰にだって、本人さえすぐにわかります。組織がおyくなることはまず至難のことですから。ぼくには、こんな生き方は滅相もないというばかり。どうしても「頼む」という場合に、「火中の栗を拾わされる」ことは何度かあったが。

 会社員はこうあるべき、そんな堅苦しい生き方ではなく、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」という極端にチャラいのでもなく、要は、自らの「プライバシー(私の時間)」を簡単に会社に売り渡さない、一面では自分本位の生活スタイルだとも言えます。これを「静かな退職」というなら、ぼく自身は早い段階から思い当っていましたね。小・中・高・大という長い就学期間のかなりの部分を「静かな退学(quiet withdrawal)」者として、学校や教師、友人たちと付き合ってきた、付き合ってこなかったと思う。いつも「学校に近づきすぎるな」「教師に不信の念を持て」と、自他に対して語り続けてきた。どんな時だって、「学校はぼくの全部ではない」「ぼくの生活の一部ですらない」、そんな付き合い方だったと思う。(右図は「ツギノジダイ」より)

 一方「北斗星」では「周囲に流されずマイペースを貫く男性を主人公にした人気の漫画がある」と「路傍のフジイ」(鍋倉夫作)が紹介されていました。もちろん、ぼくは未読。(ネット上で「無料で読める」サービスがあり、それを利用している)「仕事に対して淡泊な人かと思いきや、そういうこともない。同僚が困っていれば率先して手助けするなど徐々に頼られ、慕われる存在になっていく」という筋書きで、決して派手でもなければ我を通す人でもなく、しかし、ある人にはとても気になる存在として描かれている。そんな人物に、ぼくはある種の「憧れ」を抱いていました。見方を変えれば「自立した人」、「群れない方」あるいは「プライバシーを粗末に扱わない生き方」を選ぶ人といえばいいでしょうか。(* https://bigcomics.jp/series/01f466438167d

◎「路傍のフジイ」藤井 守(ふじい まもる)40代独身で非正規雇用の男性社員。無表情で存在感が薄く、同僚からはつまらない人間だと思われている。様々な趣味をもち、世間の価値観に囚われずマイペースに暮らしている。幼少期から誰に対しても敬語で接している。田中(たなか)藤井と同僚の若手男性社員。独身であり、将来に漠然とした不安を感じている。藤井のような人間にはなりたくないと思っていたが、藤井の内面を知ってからは藤井と友人になる。石川 綾(いしかわ あや)藤井と同僚の若手女性社員。美人だが、アニメが好きで他人にはあまり心を開かない。元風俗嬢で、パパ活をしている。常に自然体で過ごす藤井に興味を抱き、藤井と友人になる。(Wikipedia)

 今の時代、「会社あっての自分」とか、「仕事が命」と考える人がいないとは思いませんが、そして、それはそれ、生き方の流儀として人それぞれの選び方があるから、とやかく言うことはできないでしょう。しかし、ともすると、自己犠牲とか、会社第一という風儀は、いかにも「この社会の気風」のようにも思われてきたのは事実でしょう。「うちの会社」とか「私の学校」などという表現が頻繁に飛び出していた時代がありました。今だって、皆無ではありません。そんなとき、ぼくは「君は会社(学校)のオーナーか」と聞き返したものでした。組織と自分が一体化していることに違和感を持たない人や時代は、とっくに過ぎたんですよね。

 「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」とくれば、「親方日の丸」ならぬ「親方社旗」でしたが、いくつもの曲折を経て、今はそれが通じない時代になったのも確かでしょう。今後はさらに中途採用が一般的な働き方の姿になり(させられ)つつある時代、必死で会社にしがみつく生き方は好まれないのかもしれません。急峻な坂道を、汗水たらして「登りあがる時代」ではなく、「否応なく滑り落ちる時代」に、この社会は遭遇しているんですよ。

 ある新聞社系の雑誌が詳しく「静かな退職」について報告しています。ぼくにはかなりの皮肉に思われますが、新聞業界はある時期までは、多くの若者にとっては「高嶺の花」の企業でしたね。それが今日、斜陽産業のトップに踊り出ている状況です。世界的な発行部数を誇った業界でしたが、今では驚くほどの衰退を示すことになったのは、ぼくたちが知らないうちに新聞業界には、かなり長期間にわたって「静かな退職」が蔓延していたという事実の証明にもなるでしょう。そのような理由や背景は、どこにあるか。それもまたさまざまだとするなら、「静かな退職」の霧や雲は、間違いなくこの社会を低く暗く、覆っているともいえるでしょう。

 《「静かな退職」(Quiet Quitting)とは、労働者が必要最低限の仕事のみをおこなっている状態を指す言葉です。在職していながら退職が決まった人のように淡々と働くこの現象は、日本では『がんばりすぎない働き方』とも訳されます。TikTokで『あなたの価値は仕事で決まるわけではない』という言葉とともに紹介され、アメリカを中心にバズワードとなりました。/アメリカのとある民間調査では、世界の労働者の59%が『静かな退職』をしているとされ、労働者の態度として最も一般的だと指摘されています」》(「ツギノジダイ」・2023.12.11)(https://smbiz.asahi.com/article/15070954) 

 「殺伐(savage)」とした空気が都市(都会)を覆っていると感じながら、ぼくはだらだらと通勤していたと思う。「都会は砂漠」という以上に、「弱肉強食の世界」「1㍉、2㍉の誤差」みたいなものに鎬(しのぎ)を削る、陳腐この上ない時代だったかもしれません。今なおその気風は残存しているし、学校教育はこんな時代にあってもなお「過当点取り競争」を煽っている始末です。「不登校(登校拒否)(school refusal)」「引きこもり(social withdrawal)」が就学期の児童や生徒に多発してきた趨勢を放置していたか、見誤っていたことが、今になっても大きな禍根を残しているのかもしれません。

 発行部数世界一を誇っていた新聞が以下のような記事を書いていました。「じわり広がる「静かな退職」、辞めないが出世望まず最低限の仕事…企業の活力そぐ懸念も 静かな退職(Quiet Quitting)は、米国のキャリア指導の専門家が2022年、この言葉の意味を説明する短い動画をSNSに投稿し、世界に拡散した。/在宅勤務が普及したコロナ禍から社会経済活動が正常化に向かっていく頃で、「仕事が人生の最優先事項という価値観は劇的に変化した」「出世を目指さないというような人はペースを落とすのも一案」とし、仕事を辞める代わりに必要最低限に抑える働き方は「健全で前向きなことだ」と訴える投稿内容は、広く共感を集めたという(以下略)」(読売新聞・2026/04/07)(https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20260407-GYT1I00101/

 そして、「多様性を認める時代だが、静かな退職者が増えた会社の未来は不安になる」と「北斗星」氏はコメントを残されています。想像力が不足しているのかもしれないですよ。たしかに、「みなさん、こぞって静かな退職を」と勧奨する必要ないでしょうが、いざという時に企業が社員を守らないなら、「この企業に最後までいるぞ」という覚悟はつきにくいでしょう。「登校拒否」の児童や生徒に直面して、なによりも学校は「拒否反応」を示してきました。「学校に行かない、行けない子は悪い子だ」と、ね。そうだろうかと、ぼくは当時も思ったし、今だってそんなの可笑しいと考えている。「学校に合わせられない子」がいるなら、「子どもに合わせられない学校」もあると、なぜ考えないのかと、奇怪至極に思うばかりです。労働法の精神を毀損し、有期限雇用を無理にも導入した時期、ぼくは反対運動に参加していたことを覚えています。「好きな時に、好きなだけ」という「歯の浮くようなキャッチ」をバラまいて、雇用者を「景気の調整弁」にしてきたのは、誰だったか。

 ぼくは「静かな退職」という働き方の存在を否定はしない。そんな消極的社員が増えれば会社の存続が危ないと思う向きもあるでしょう。構わないんじゃないですか。企業の論理というか、会社の都合で個人の生活を左右してきたのも事実なら、生きていくのに必要なだけの裁量で企業と付き合う(務める)付き合い方があっても構わないと思う。GDPが世界で何番、そんな時代がどれほど人間の生活を味気ないものにし、個人の生活意識をザラツカセテきたことか。ともあれ、これまでに通用していた「理屈」「常識」が覆されようとしているのは、時代の必然でもあるように、ぼくには思われます。他人の倍も三倍も栄養を取る必要なはないのですよ。「三人前も食える人は偉いか?」

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参考 ★「蛞蝓(なめくじ)にも角(つの)」 ★「匹夫も志を奪うべからず」 ★「一寸の虫にも五分の魂」 ★「針は小さくても呑まれぬ」「山椒は小粒でもぴりりと辛い」「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」 ★「The best things come in small packages.」「六分の侠気、四分の熱」etc.

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もう半分とまだ半分(「同量」じゃん)

【卓上四季】ドラッカーのコップ コップがひとつ、ある。このなかに「半分入っている」のか、「半分空である」のか。分量としては同じだけれど、意味はまったく違うし、とるべき行動も違う―▼米国の経営学者ドラッカーがイノベーション(技術革新、新機軸)のきっかけについて説明した有名なくだりである。彼は続ける。世の中の認識が「半分入っている」から「半分空」に変わったとき、イノベーションの機会が生まれる、と▼世界がいま直面するエネルギー危機を前に、ドラッカーの記述が胸をよぎる。ホルムズ海峡の航行は滞り、燃料不足や物価高騰が広がるばかり。各国は歴史的な難局を迎えたと認識し、手だてを急ぐ。お隣の韓国も平日の自動車使用を控えるよう政府が節約を促し、備えを固める▼日本はどうか。「いますぐ節約を、と申し上げる用意はない」。高市早苗首相が国会で発言した。経済活動にブレーキをかけたくないから、とも述べていた▼石油備蓄は十分あり、ガソリンや軽油も価格が落ち着いた。ご安心を。そう言いたいのだろうが、鵜吞(うの)みにはできまい▼備蓄や補助金は限りがある。原油調達がうまく進む保証もない。過度に不安がってはいけない。でも現状を正しく認識し、行動を変える時機が来ていないだろうか。コップは半分空なのだと冷静にとらえ、難局に備えるべきであろう。(北海道新聞・2026/04/08)

ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)[1909~2005]オーストリア生まれの経済学者・経営思想家。ドイツのフランクフルト大学を卒業後、ロンドンの金融機関で証券アナリストなどを経て、1937年に米国へ移住。1939年に処女作「経済人の終わり」を発表し、当時の英首相チャーチルに激賞された。その後も、「現代の経営」「断絶の時代」「マネージメント」「見えざる革命」などの著書を通じて社会の将来像を示し、「企業の社会的責任」「知識労働者」「民営化」などの新しい概念を次々と打ち出し、ビジネス界や経営者に大きな影響を与えた。(デジタル大辞泉)

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 ドラッカーをはじめ、「コップ半分の水」理論を展開す人々は、いったい、どのような「コップ」を想定しているのでしょうか。その中には何が入っていて、大きさ(容量)はどのくらいか、それを前提にしなければ、単なる「洒落た比喩」にすぎないと思う。おそらく「卓上四季」氏は、「石油の備蓄量」をコップ一杯分に見立てているのでしょう。それはそれでいい。「半分ある」「半分しかない」、この表現が示すところは、物は言いようで、どういう言い方をしても内容は同じということ。「君は賢くない」というのと「あなたは愚かだ」というのと、あまり変わらないんじゃないですか、ぼくはそのように考えてきた。どちらが、現実に即しているかという話だと。いつも疑問に思うのは、「備蓄量は何日分あります」と、政府筋はいうけれど、本当にそうかどうかに関しては疑問(諸説)が出されている。▼昨日の首相の記者会見を聴いていて、「石油(ナフサも含めて)の必要量は十分に確保できる目途がついた」と述べていた。

 現段階における「見通し(予測)」を言っただけで、来年の話を今、確言できますか。そんなことを言うたら、鬼が泣くで。国民の多くの心配の種がなんであるか、彼女は知ってか知らずか。普段だって、「嘘」ばかりついている御仁です、「コップ(の中の嵐)」問題だけは本当です、といって信用できますか。「鵜吞みにはできまい」(コラム氏)と思う。▼ここで何よりも大事なのは、コップの大きさ(備蓄量)と、その備蓄されている石油の精製別割合を明らかにすること。加えて…、と問いただしてゆくと、「正体は霞だった」と泡を食わされるのがオチかもしれません。(下図は「石油情報センター作成・https://oil-info.ieej.or.jp/whats_sekiyu/1-11.html

 些事(自分のメンツ・体裁)に拘(こだわ)り、大事を看過・放置する。円安が昂進し、物価は高騰。長期金利は上昇一途の「責任ある積極財政(経済対策)」が、真っ赤な嘘だと、ぼくのような素人でもわかる。身辺に黒い噂が付きまといつつ(これは有名税なのか…)、保身に奔る姿は醜悪そのもの。じつは、政府が使ういろいろな「コップ」の底には穴が開いていたり、罅(ひび)割れがしていたり。あるいは「横流し」があったりで、油断ならないのです。まず、それを直すことから始めてほしい。「物価(インフレ)増税」をどうしようともしないのは、強烈な政治意図からのことですね。放っておいても「GDP」を膨らむますから。

 何に限らず、無駄なことをする必要はありません。節約というか、必要量を満たすだけのこと。それでも立ちいかなくなれば「縄文時代」、あるいは「石器時代」に戻るだけでしょう。それで何の不都合があるものかと、ぼくは思う。第一次・第二次石油ショックを経験しましたが、何のことはない、(その当時から見て)五十年前の「普通の生活」に回帰するだけのような気がしました。各地各所で、今を盛りの桜、いや盛りを過ぎた桜花までを睡眠不足に追い込んでいる、あの「ライトアップ」とやらを止め、過剰な夜間ネオンを消し、箸にも棒にもかからぬ軽佻浮薄「テレビ」等の終夜放送を中止する。それだけで足りなければ、…。やり方は工夫次第。国が破滅に至るまでに「まだ五年ある」「五年しかない」というのは考え方次第。でも、それでどうなるものでもないでしょう。五年は五年ですからな。それを「1825日」とか「43800時間」などと言い換えてどうするんです?

 人類は懸命に坂道を登って、頂上にたどり着いて一息つくゆとりが欲しい。けれども、ゆっくり周囲の眺望を楽しむ暇もなく、下らなければなりません。後から後から、登ってくるものが後を絶たないからです。この国が、ひたすら下り道を降りていることは、いろいろな指標を見れば一目瞭然。「夢よもう一度」と念じたところで、それは不可能だと、国の「現実」が示しています。「世界の真ん中で咲き誇れ」といって、そうなるものではないことは、首相自身がしっかりと経験されたばかり。侮辱され、嘲笑され、虚仮にされ。それで奮起などしなくていいんですよ。実際にその通りなんですからね。「内弁慶」は質が悪し、だいいち、ソロから見れば、悪足掻きにしか見えないですよ。(報道の自由度、ランキングに意味があるとは思わないが、ぼくはこれを見て、安心する人がたくさんいるだろうと、不安にはなる。「なに、66位だって、まだ下がたくさんいるじゃないか」と、ね。24年度は「70位」だったんですかね。「してたもんではないね。自由度は盛り返しているから」さ。中国や北朝鮮よりははるかに上位だよ)

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 首相「年を越え石油確保」 ホルムズ回避で代替調達 高市首相首相は7日、中東情勢の悪化で供給不安が広がる石油について「年を越えて供給を確保できるめどがついた」と述べた。ホルムズ海峡を回避した中東産原油や米国産の代替調達が進むと説明した。ガソリンなどの需要抑制策は「あらゆる可能性を排除せず臨機応変に対応する」と話した。官邸で記者団に語った。/原油調達は4月が前年実績の2割以上、5月は前年の過半を見込むとした。米国からの調達は5月に前年の約4倍に増える見込みだとも説明。「原油、石油製品は日本全体として必要な量は確保されている」とした。/これに先立ち、赤沢亮正経済産業相は7日の閣議後の記者会見で、中東を出発した原油タンカーがホルムズ海峡を通らないルートで5日に日本へ到着したと明らかにした。漁業や農業でも燃料が届かないケースがあるとして対応を急ぐ考えも示した。/経産省によると、ホルムズ海峡を回避した中東産原油の代替調達は5月以降に本格化する見込みだ。サウジアラビア西側の紅海やアラブ首長国連邦(UAE)東部から出すルートを想定している。(共同通信・2026/04/07)

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雨の日には歌え(笑え)、ないですか

【海潮音】携帯電話に知らない番号からの電話があった場合、いったんは出ずにやり過ごすことにしている。誰かからだと想像がつく場面はこの限りではないが、知らない番号は大抵は営業か詐欺まがいの電話で閉口している◆留守番電話もほとんど放っておく。若い頃は「もし大事な用事だったら」と不安に駆られたが、本当に一大事なら何度も電話があるはずだと鷹揚(おうよう)に構えると、ストレスも減った。経験上、留守電に残る「他府県の警察官」や「有料サイトの料金督促」からは2度目の着信がない◆交流サイト(SNS)も始めた当初は友人や知人の近況が知れて重宝した。今では同年代も次第に更新頻度が減っていき、完全に離れてしまった人が多い。人の写真を勝手に借用したなりすまし、乗っ取りも後を絶たず、情報の真偽判定に疲れてしまったからではないか◆SNS上でロマンス詐欺に遭い高額の蓄えを失った事件の報道を目にするにつれ、やるせない気分になる。知らない人とつながれるのはSNSの面白さの最たるものだったが、悲しいことにネット上の「知らない人」はもはやリスクでしかない◆コロナ禍も終わり、リアルでの人との結びつきが無性にありがたい。なんて言い訳を作り、今夜も赤ちょうちんののれんをくぐる。(井)(日本海新聞・2026/04/07)

 日常生活で不自由や不便を感じたことがないといえば、嘘。いつだって困ったことは起こる。しかし「スマホ(携帯電話)」を持たないが故の「面倒」「支障」は当方の落ち度(非礼)ではないから気にならない。不正防止のためという理由で、ネットで特定のアドレスにログインする際の方式がさらに煩瑣になる傾向にある。小生が困るのが「QRコード読み取り」が要求されるとき(一度だって読み取った経験がない)(ガソリンスタンドのセルフ給油みたいなものか)。そのためにスマホを持とうとは思わないから、旧式のログイン(手続き)方式があればそれを利用するし、ダメならそんな組織(企業)とは付き合わないだけ。

 金融関係にはこの手(QR式)が多い。▼固定電話でも不埒な輩から電話は来る。受話器を取った瞬間に「可笑しい」「怪しい」と直感したら、間髪入れずに切る。「直観・直感」が鈍磨したら終わり。音声で流れるのは、それだけで切断。これで間違った(失敗した)ことは、今のところはない。「あと2時間で,この電話が使えなくなる」というのが時々ある。生の声と音声と二通りで。どちらも即、切断する。時には、あまりにも癪だから、「切りたいなら、どうぞ」と返す。▼メールでも怪しいのはいっぱい来るが、一切放置か無視(ジャンクとして削除)。

 電話やメールで人生の大事が済んでしまうのは「便利」ではなく、「安易」なのだと思う。便利は不便の裏表だとぼくは知っている。スマホ万能は「時代の流れ」かもしれぬが、ぼくはそんな流れに「掉さす(流れに乗っかる)」ことはしない、できない人間なんだ。

◎ ながれ【流】 に 棹(さお)さす= 流れに棹をつきさして船を進め下るように、好都合なことが重なり、物事が思うままに進むたとえ。(精選版日本国語大辞典)

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 ここからの駄弁は、さらに無駄の度合いが進みます。

 (ボールペンの先端の丸い玉は金属やセラミック製の球体で、航空機や戦艦等の硬度を要求される部品として開発された、その残り滓(かす)であった。「スマホ」もよく似ている。軍事技術の開発途上の「余りもの(余技)」みたいなもの。当初から「電話・通信機器機能」として開発されたものではなく、開発費稼ぎのために、民生用品として販売されたものだ。

 人間にとって、とても大事な能力(素質)は「注意力」だと考えて生きてきた。注意とは「自分のすること・やっていることに意識をつなぐ、つまりは集注すること」である。反対に「不注意」「注意力散漫」は、間違いや過ちを生み出す理由(原因)にもなる。運転中の「信号無視」が死亡事故に直結する。「雨が降っても、降らなくても」自分は自分でありたい。雨降りには「不愉快」で、好天では「気分さわやか」というような人を、「気分屋」「お天気屋」と称する。人間は「悲しいから泣く」のではなく、「泣くから悲しい」のだと、ぼくは経験から学んだ。「自分は成功したから満足なのだ」ではなく、「自分は満足していたから成功したのだ」と言えないか。

ジェームズランゲ‐せつ【ジェームズランゲ説】《James-Lange theory》= アメリカの心理学者ジェームズ(W.James)とデンマークの心理学者ランゲ(C.Lange)とによって、1884~1885年の同じころ唱えられた情動の本質についての説。刺激→情動→身体変化ではなく、刺激→身体変化→情動という道筋を考えたもの。「悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しい」という表現で象徴されている。(デジタル大辞泉)

 デカルトは「情動(emotion)」のあるものを、人間に生起する「六つの基本情念」といった。「驚異 (Admiration)」「愛 (Amour)」憎 (Haine)」欲望 (Désir)」「喜び (Joie)」「悲しみ (Tristesse)」であり、動物以上に人間に生じる「身体の反応」でもある。「喜怒哀楽」「愛憎」など言うが、この「情動」を彼は「情念(passions)」と名付けた。外部の刺激に対する身体的反応であること(passive)からの命名である。

雨に唄えば (あめにうたえば)(Singin’ in the Rain)= ジーン・ケリー,スタンリー・ドーネン共同監督・振付によるアメリカのミュージカル映画。1952年製作。トーキーの出現によって変貌する1927年(最初のトーキー映画《ジャズ・シンガー》が公開された年である)のハリウッドを舞台に,映画製作の内幕(悪声のスターが失脚し,美声の一少女が幸運をつかむ等々)が,〈ジャズ・エージ〉の風俗とともに描かれ,単純な〈ボーイ・ミーツ・ガール〉形式のミュージカル・コメディとはひと味異なるくふうが凝らされている。主演のジーン・ケリーが,恋を得た喜びに,どしゃ降りの夜更けの街角でずぶぬれになって歌い踊りまくるナンバー〈雨に唄えば〉は,クレーン撮影を駆使した画面の躍動感とともに,〈MGMミュージカル〉の数々の名場面の中でも白眉とされ,その後いろいろな映画に引用されたり,パロディ化されたりしている(例えば《時計じかけのオレンジ》1971)。〈MGMミュージカル〉を育てた名プロデューサー,アーサー・フリードがみずから作詞した名曲の集大成としても知られる。封切当時よりも年とともに評価が高まり,〈映画史上のベスト・テン〉といった催しには必ず選出される名作の1本になっている。(改定新版世界大百科事典)(⁂Singin’ in the Rainhttps://www.youtube.com/watch?v=swloMVFALXw

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住民投票は議会制民主主義への挑戦だ

 地域住民が政治に参加権利の行使こそが「選挙」(「投票」)であり、それは民主主義の入り口であり、同時にそれは地域に住む人間の義務でもあるかと、ぼくは考えています。仮に人口(=有権者数)が五千人の地域首長を選ぶ選挙の投票率が30%だったとして(有権者の70% が棄権)、どういうことになるでしょうか。2500人の30%(750人)が投票(有効投票数)し、投票数一位の候補者が獲得した票数が500票だったとすると、住民の一割の賛成で首長になる。国政選挙はここまで低い投票率はまず考えられませんが、地方議会選挙や首長選挙では、これに近い状況がしばしばみられます。細かいことは脇に置くとして、何よりも自らの住んでいる地域の政治に関心を持つことは、住民である条件の第一位ではないでしょうか。それが面倒であれば、誰かに政治や行政(税金の使い道を含めて)にあらゆることを、無条件で一任することになります。自分が納入した税金の使われ方が納得が行くか行かないか、それを見極めることは当たり前の行為でしょう。

 今住んでいる地域(長生郡長柄町)は房総半島のほぼ中央部に位置する、小さな町です。2014年3月に移住しました。当時の町の人口は7000人ほどでしたが、今は6000人割れ寸前です。年におよそ100人近くが減少していますから、よほどの異変が起こらない限り、遠からず「消滅(行政単位の「町」が消える)」をたどる運命にある地域です。それに対して「町の政治」が果敢に挑戦しているかといえば、座して「消滅」を俟つ、そんな末期的な、生き絶え絶えというほどではないにしても、ゆるゆるな雰囲気が方々に漂っているように見えます。この四月には町立小学校(2校)が合併して1校になりました。中学校も1校です。

 昨年の秋ごろ、町から封書が届いた。町議会議員数の定数減問題に関するアンケート調査の依頼でした。回答しようかと、いろいろ参考資料をネット上で見ていたら、もうすでに近隣他地域において、同じような人口減少を経験していて、横並びのように議員定数の人口比率が確定している風でしたので、わざわざ出すまでもないと思い、そのまま提出しないでおきました。(現行の定数12人。おそらく10人に減ることになるでしょう。およそ500人に議員一人の割合のようです)(ぼくはある人から「面白い議員がいるから」と、議会傍聴を誘われたことがありましたが、一度も出かけたことがない。世に面白い人はどこにだっているから)(議会は通常、年に四会期・一回当たり3日間の割合で開催されますから、合計で12日です。これで町の行政が動いているのですから、議会や議員はいらないも同然と、当局に直接ぼくは言ってみたい)

 愚見は「議会廃止」であり、それに代わる「住民会議」の設置でした。詳細は省きますが、要するに町政への住民参加を積極的に進めるというもので、もちろん役場機能は現状維持、あるいは強化を伴うという考えです。役場職員が充足されていれば、議員はいらない。その分を町内自治区制(現在、4自治区がある)などにして、そこで「住民会議」を機能させれば、それなりの行政は可能ではないかと考えたからでした。町内会の拡大版です。(はっきりした理由があって、ぼくは既存の自治会に入っていません。知り合いからの話では、古狸住民が威張っていて、会議室の座り方(座席)も決まっているという。上座とか下座とか。入会の勧誘に際して、ぼくは敷金というか礼金というか、「見ヶ〆(みかじめ)料」だったかもしれない、かなりの高額を「仲間入りにの挨拶料」として、と言われました。アホクサでしたね)

 この数年、新生児誕生は、年間で数名程度。もちろん、転入者より転出者のほうが多い。数日前に所用で役場に出向いたら、受付が混雑していて、珍しく待たされました。十数年間で初めてのこと。理由を訊くと、時節柄、住民移動(転入・転出)の申請者だった。なかなか大変な時代になったという実感はぼくにも強くあります。「少子高齢化」という「住民信号」が青から黄色に変わったのは、劣島全体では30数年以上も前でしょうか。この町は、まさに黄から赤に変わる寸前にあるというか、「いや、赤に変わりました」いうべきでしょうか。数が多ければいいという話でもなく、おそらく「適正規模」というものを想定して来なかった、その影響が今に及んでいるのでしょう。しかし、一面で、「人口増減」は自然現象(雨が降り風が吹く、地震があり台風が起こるというような)でもあると、ぼくは考えていますので、無理矢理に増やせ・減らせというのは適切な政治ではないという気もしている。

 この問題は、いうまでもなく、劣島各地の喫緊の課題です、つまり「自然消滅」に任せるか、それともできる範囲での地域合併等で、自治体存続を図るかという「選択の問題」でもあるしょう。単なる「選挙制度」「議員定数の増減」問題なんかではないのですがね。しかし、いずれにしても坂道を登ったら、いずれ降りる算段をしなければならない道理の話です。峠の茶屋で休憩ばかりしているわけにもいかないのですから。個人でも組織でも国でも、坂上の峠の面積は狭隘で、そこに長居することはできません、後が閊(つか)えていますから)各地で発生している「学校統廃合」は、この行政単位の「初滅」を占う、貴重な先行事例である宇野に、単純に「合理化」としてしか見てこなかったきらいがりはしませんか)

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 行政への住民参加(それは選挙への投票ばかりではないことを忘れたくありません)、言うは易く行うは難し。問題の性格によってはうまく機能することもあるでしょうが、住民は政治家ではないのですから、いつもうまく機能するとは思えません。そんな「住民参加」に関して、ぼくには強烈な記憶があります。本日の新潟日報コラム「日報抄」が触れている「原発立地」をめぐる住民投票でした。(ヘッダー写真は「新潟県巻町で住民投票、原発計画に反対多数の民意」日経新聞・1996年8月4日)

 おそらく、これまでに唯一、住民投票が示した「民意」で原発立地計画を阻止した事例として、話題になり続けてきました。ぼくは何度も巻町(当時の行政単位)に滞在したことがあります。妻の母親の実家があったから、子どもが生まれてからは、ほぼ毎年のように夏休みを利用して泊りがけで出かけたものでした。巻町角野浜に東北電力が「原発を設置」するという発表を受けて、町は激しく二分されて「設置の賛否」が戦われていました。その(原発問題の真っ盛りのころ)当時、現地には行きませんでしたが、親戚同士が賛否を巡って相争うという事態を何度も見聞きしました。妻のいとこたちも敵対し、暴力事件、裁判沙汰さえ起こしたといいます。

 時々刻々、次第に原発可否は町の一大問題となっていった。この原発問題をめぐって、ぼくが痛感したのは、国策を標榜する、それを盾に取った電力会社の「買収」「饗応」などの、えげつないほどの醜悪さでした。そのような姦計に乗る側にも問題があったのは事実ですが、住民を分裂させてまで、設置を図ろうという政治の汚さは、いつだって、どこにだってあることでしょう。これが消えないうちは、この国の「成長(発展)」はないでしょうね。(故郷を離れて数十年、そんな人までが「補償をよこせ」と言い出す始末だった。醜(ひど)すぎますね)

 それにしても、紆余曲折の末に「住民投票」が設置反対を決めたのは事実です。その後の立地予定地の荒廃は目を覆うばかりのようです。夏は水泳で、その他の季節も観光で賑った町は、その後、2005年10月10日、新潟市へ編入合併をなし、町名・町政・町民(それぞれの歴史)は消滅しました。ぼくが訪れた時期(1970年代半ば~80年代半ば)は、おそらく巻町の最後の輝きがあった時代であり、その後は「町政」が異様に緊張・殺気だった時期、そして、その余波・余韻を受けて、間もなく「消滅」したというのが実際だったでしょう。義理の母(妻の親)が健在だったころは、巻町の親戚ともつながりはありましたが、親しくしていただいた親戚知友の多くは物故され、今ではほとんど交際も尽きてしまいました。

 福井県の「柏崎刈羽原発は、再稼働の是非を問う県民投票条例案が県議会で否決され、営業運転に入ろうとしている」(コラム)明治以降でも、数限りなく、地方行政はさまざまな軋轢や抑圧を受けつつ、「一歩前進二歩後退」、あるいは「一歩前進一歩後退」という「無限反復運動(Infinite repetitive motion)」を続けているようです。九州熊本に発生した「水俣事件」の扱われ方などはその典型。そして、このような「公害」に対して断固、明治政府に抗議し、明治天皇に直訴までした、足尾銅山糾弾に奔走するさなかに死した、田中正造さんを、遥かな人として、ぼくは想起しています。

たなか‐しょうぞう【田中正造】治時代の政治家、社会運動家。下野国小中村(栃木県佐野市)生まれ。明治一二年(一八七九)「栃木新聞」を創刊し、翌年県会議員、同一七年県令三島通庸の土木政策に反対して入獄。同二三年第一回衆議院議員、翌年の議会で足尾鉱毒事件について質問、以来二〇年にわたって政府と抗争。同三四年には代議士を辞退して明治天皇に直訴した。終生、鉱毒問題と治水事業に尽力し、義人とうたわれた。天保一二~大正二年(一八四一‐一九一三)(精選版日本国語大辞典)

【日報抄】先ごろ亡くなった新潟大学名誉教授、秋田周(まこと)さんの研究室を初めて訪ねたのは1995年の年明けだった。当時、大学から車で30分ほどの旧巻町では、原発建設の是非を問う住民投票を巡り、町民の意見が激しく対立していた▼投票実施を求めるグループは「原発は、民主主義の原点に戻り、住民の意向を聞いてから決めるべきだ」と主張した。原発推進を掲げて当選した町長は「住民投票は議会制民主主義への挑戦だ」と反論し、議論はかみ合わなかった。地方自治の専門家の見方を聞きたかった▼本の山の奥から現れた秋田さんの論理は明快だった。「地方自治は可能ならば直接民主主義が望ましいが、次善の策として間接民主主義を採っている」。すぐに記事を書いた。振り返ると、この発言は住民投票を支持する声が高まる契機の一つだったように思う▼住民投票はその後も「国策になじまない」「難しい問題に正確な判断を下せるか」との批判にさらされた。「国策が地方の利益を無視していいとは限らない」「重大な問題は住民に判断できないという愚民思想こそ危険な発想だ」。秋田さんが静かにしかし、はっきり話していた姿が忘れられない▼巻町の条例に基づく住民投票は96年8月に行われ反対票が過半数を占めた。東北電力は2003年12月、原発建設を断念した▼柏崎刈羽原発は、再稼働の是非を問う県民投票条例案が県議会で否決され、営業運転に入ろうとしている。秋田さんはどんな思いで見詰めていたことだろう。(新潟日報・2026/04/06)

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(追加資料として)《巻原子力発電所の構想が1969年6月3日に『新潟日報』で報道され、1971年5月にその計画が正式に発表された。/東北電力は2年後(1971年)、1982年の運転開始を目指す建設計画を正式発表した。建設予定地となっていた角海浜は、既に限界集落と化していたが、1971年には本計画に基づく集団離村が行われた。なお、計画の正式発表前から、東北電力は不動産企業の東北興産を通じて、遊園地用の名目で土地買収を行って、巻原子力発電所の建設予定地を確保していった。ただし、この買収は計画より遅れて、1983年9月に東北電力からの申し入れによって安全審査が中断する事態となった。

 原子力発電所の誘致には、1977年12月に巻町議会が賛成し、巻町長の高野幹二が1980年12月に、新潟県知事の君健男が1981年11月に、それぞれ同意している。これを受けて、1982年に東北電力が同地区における沸騰水型軽水炉の設置許可を、通商産業省(現・経済産業省)に申請した(『巻原子力発電所原子炉設置許可申請』)。/一方で、町内では反対運動も起きた。アメリカ合衆国でのスリーマイル島原子力発電所事故(1979年)、ソビエト連邦でのチェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)により、町民に原子力発電への不安が高まった。本音は原発推進派でも、町長選では反対派からも集票せざるを得ない状況であった。巻町では1995年2月5日には、計画の是非を問う自主管理住民投票が行われた。これは条例に基づく町役場による実施でなく、町民有志が設立した「巻原発・住民投票を実行する会」が取りまとめたもので、原発賛成474票に対して反対9854票であった。

 この結果に危機感を抱いた東北電力は、原発予定地に残っていた町有地の売却を町に要請。計画凍結解除を掲げた佐藤莞爾町長が法的根拠が無いという理由で、町有地の売却に強行に踏み切ろうとした。町議会も臨時会で売却を決めようとしたが、反対派町民が座り込みで阻止した。 これに対して、同年4月の町議選で住民投票条例制定賛成派が過半数を獲得したうえ、10月28日にリコールを請求する署名活動が起こり、彼は解職される結果に至った。その後の町長選挙では、反対派で造り酒屋当主であった笹口孝明が当選して、原子力発電所計画の是非を問う、条例制定による日本で最初の住民投票が1996年8月4日に行われ、反対派が勝利した。(中略)東北電力は、2003年(平成15年)12月24日に巻原子力発電所計画を撤回して、翌2004年2月5日に経済産業省へ原子炉設置許可申請を取り下げた。2004年(平成16年)12月25日には、巻原子力建設準備本部が廃止されている》(Wikipedia)

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 「地方自治は可能ならば直接民主主義が望ましいが、次善の策として間接民主主義を採っている」という専門家。ぼく自身もその見解に同意する。巻町のケースは、原発設置賛成派からは「住民投票は議会制民主主義への挑戦だ」と非難されたが、一方で住民意思の最大の以降は「原発反対」だから、それを尊重し、住民の意思が表明できる住民選挙を実施すべきと反対派が立ち上がったのが巻町の事例でした。「直接民主主義」の実験・実践場としては「町内会」や「自治会」「学校のPTA活動」などがありますが、残念ながらというべきか、より大きい行政の下請け機関の機能を果たしているのが現状のように思われます。これも戦前・戦中の「隣組」「五人組」制度の名残(残滓)という以上に、そっくりそのままに後継組織となっているのです。

 従来、「中央」の権限が強くなりすぎて、「三割自治」などと、地方政治は揶揄され、蔑(さげす)まれてきました。中央集権制といえば聞こえはいいのですが、実態は、地方抑制・抑圧政治が、明治以降もまかり通って来ただけのことでしょう。ほとんど自立して政治を遂行する力量が育って(育てて)こなかった結果、さまざまな「歪(ひずみ)」が生まれてしまった、その間隙を縫って「原発立地」などの困難な問題が多発してきたのです。政治における、ある種の「階級(身分)制度」といってみたくなるような「上意下達」行政が横行しているのではないでしょうか。それが続く限り、おそらく「地方自治」は、実質は「地方他治」のままで、行政単位の存在を終えることになるでしょう。

 明治以降、いろいろな方策を採用実施しながら、結果的には「合併」を繰り返しつつ、地方政治がかろうじて生き延びてきたというのが正直なところ。やがて、小さな県同士が「合併」せざるを得ない事態がやってきます。それもこれも、中央で「政治」を左右している国会議員(政治家)、官僚(役人)たちの「行政」観や「政治思想」というものが、狭い視野を広げられないままだったことの結果が、今日の絶望的な事態を生んだのです。

三割自治(さんわりじち)= 日本の地方自治の弱さを表現する特有の言葉。日本国憲法第8章で地方自治の保障を明確に規定しているにもかかわらず,現実には戦前からの中央集権構造のなかで自治体の権限や財源はきわめて弱い立場にある。これは,自治体全体の歳入に占める自主財源 (地方税) 割合が3割だとか,事務事業のうち固有事務が3割しかないという面をとらえて使う言葉だが,さらには中央・地方関係における行政指導や幹部派遣人事,地域指定,許認可,補助金による統制といった目にみえない部分も含めた総体としての弱い地方自治と解釈しなければならない。(ブリタニカ国際大百科事典)

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「徒然に日乗」(1053~1059)

◎2026年04月05日(日)何日ぶりか、快晴の一日だった。終日自宅に。「月日の経つのも夢のうち」で、もう4月も5日目。桜も近所では大方盛りを過ぎたよう。果たして、来年も目にすることできるだろうか。房総半島の一角に居住しているので、少し車で走れば、多彩な桜を見ることができる。ほとんど人もいないところで、桜花を堪能できるのだから、まことにさいわいなこと。これからは無理をしないで、拙宅の庭の整理・掃除をせねばなるまい。また雨樋はずっと放置したままで、落ち葉や枝類、それに風で運ばれてくる砂・土類も、時間が過ぎるにつれて量も多くなる。春本番は、体力との相談だが、家の外回りの整理だろうか。イラク戦争の行方は判断不能。急襲したはいいが、終わり方がわからないのがアメリカ。イスラエルは「イラン絶滅」しか考えていないだろう。中東は戦乱の坩堝(るつぼ)になる(なっている)ような気がするし、油も十分に確保できない事態が、今後はさらに起こってくるだろう。(1059)

◎2026年04月04日(土)イラク戦争は、表向きは米とイランの戦いとみられているが、その裏ではイスラエルの強硬な攻撃姿勢がさらにより広範囲に、かつ深く続いている。イスラエルはイエメンへの攻撃もより激しく襲っており。そして、アメリカの戦争からの撤退姿勢がイランに見透かされているのか、いよいよ「泥沼化」「長期化」の様相を示していると思われる。この先の展望が全く見えてこない。(1058)

◎2026年04月03日(金)晴天が続く。昼前に役場に出かけて、「証明書」用の公印をもらう。元の勤め先に出すものである。その帰路、隣町の長南町まで車を走らせる。▼イラン戦争はさらに激しさを増すかに思われる。物価がますます高騰し、円安も進み、長期金利も高くなりつつある、この状況にどんな政策が出せるのか、ほとんど何も出せないままでいるのが、この国の政治状況である。(1057)

◎2026年04月02日(木)終日雨模様の寒い日だった。一歩も外に出ないで、自宅に閉じこもっていた。▼トランプ演説も、新味がなく、いつもの出たとこ発言ばかりの内容に終始していた。おそらくイラン戦争は長期化する。世界はその影響をかなり重く受けるだろうと思う。(1056)

◎2026年04月01日(水)新年度が始まる。気が付けば4月、驚くほど時間が早く過ぎる。昨夜来の雨も残り、終日、曇天が続いた。▼近所のストアに出向き、昼食や猫のドライフードを買う。▼イラン戦争が「終結」に向かって急展開しているかに思われるが、さて、どうなるものか。イランから米軍が撤退するという、信じられない。米国内のマーケット事情とガソリン代の異常な高騰が、大統領の曖昧な「ディール戦争」に待ったをかけた感がする。やはり彼は「TACO」だったということだ。(1055)

◎2026年03年31日(火)午前中に京都のT氏から電話。高校の同級生。昨年夏には拙宅まで来てくれた。6月に嵐山で高校の「同窓会」をする予定。「君のところには連絡が来ていないだろう。年齢的にも最後の会になりそうだから、出席しないか。幹事に君の住所を教えておくから」という。「なんとか行けるようにしたい」とは返事しておいたが、さてどうなるか。電話を切って、直後にメールの確認をしたら、K君(都内公立小の教員、ゼミの卒業生)から「10時32分、土気駅着」とあった。もう2分ほどで着くという。急いで迎えに行く。途中で昼食などを買って、帰宅。かみさんが外出。なにやかやと話して、雨も降りだしてきたので、午後3時に土気駅まで送りに行く。明日からは新規の転任校での勤務が始まる。ゆっくりと子どもと付き合ってほしいと念じている。(1054)

◎2026年03月30日(月)《トランプ大統領は「イランの石油を奪う」ことができ、イランの石油の大部分が輸出されるハルグ島を占領する可能性があると述べた。同氏はフィナンシャル・タイムズ紙に対し、数千人の米軍地上部隊が中東に到着した際に語った。しかし、トランプ氏は後に記者団に対し、イランとの合意は「非常に近い将来」に成立する可能性があると述べた》(BBC・2026/03/30)米大統領の迷妄・迷走は留まるところがないようだ。なぜ、取り巻きは彼の迷走・暴走を傍観ないしは、助長しさせているのだろうか。そして、同じように「泥沼」の道にはまり込む方を選んだ首相の「行状」にはどんな「報酬」が待っているのだろうか。(1053)

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