「ケイガニタヘズ」「雨ニモマケズ」

【有明抄】ほんとうの理由は… とても喜ばしいことを社交辞令で「慶賀に堪えない」という。大正7(1918)年8月、神戸の商社・鈴木商店が焼き討ちされた。直後、会社に電報が届いた。「ケイガニタヘズ」。送り主は同商店のロンドン支店長◆日本屈指の売り上げを誇りながら、前近代的な経営を続ける組織の変革を求めるものだった。当時、富山から発した米騒動はまたたく間に全国へ飛び火。米価高騰は鈴木商店の買い占めが原因という根も葉もない風評で民衆が暴徒化したのを、いいきっかけとみたのだろう◆現下のコメ高騰も、農家や小規模の集荷業者が「値上がりを見越して抱え込んでいる」とされてきたが、どうやら違うらしい。農林水産省の在庫調査では、生産者から直接買い付ける小規模業者の増加など競争激化が原因だと見立てが変わった◆ではいったい、どこで流通の目詰まりが起きているのか。もともとコメ供給に余裕がなかったのではないか。値上がりが続くほんとうの理由が知りたい。こんな頼りない見立てで「備蓄米放出で価格は安定する」との言葉を信じていいだろうか。だれか組織に直言してほしいものである◆〈米びつの底の見えすく夜寒かな〉。昭和初めの音曲師、柳家小半治のわびしい一句が身にしみる。「慶賀に堪えず」と庶民が実感できる価格に落ち着くのは、いつになることやら。(桑)(佐賀新聞・2025/0/4/03)

 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない(賢治)

 数日前から近在の農家さんは田んぼの「代掻き」を始めています。間もなく「田植え」が始まるのかと思うと、わくわくする、という農家さんは多いかもしれません。想定以上の高い値段で「お米」が売れること請け合いだと確信しているからでしょうか。もはや死語になったかと思っていた「青田買い」はしぶとく生き残っていたと、ぼくは実に嫌な気分に襲われています。最近のコメ高騰の主因はいろいろに指摘されています。でも、誰が悪いというのではなく、同じ品物が「高く売れるなら」、だれだってそれを期待し、その方向で「コメ」の横流しをするのは「道理」(と言えば、語弊があります)、正確には「道理に反する」というべきです。つまりは「反道理」と言いなおします、なんですよ。従来、少なくとも一千万トンは収穫可能な国全体の稲作収量を、農林省(農水省)は、名代の悪政だった「減反政策」を長年にわたり維持し続け、米を作らない農家には報奨金を、指導に背(そむ)いて「コメ生産」を図った農家には罰則(罰金?)を課してきた、その結果、現在の生産高は700万トン(内外)という。その悪政の帰結が、今回の質の悪い「コメ騒動」を生んだというのが正しいでしょう。

 コメ消費量の減少が進んだから、減反は政治判断としては「正しい」と言い募るが、今日の急騰米価をみれば、理由の如何を問わず「ノー政」の責任は免れないというべきです。その「青田買い」です。この語本来の意味を取り戻した感がありますね。「ケイガニタヘズ」と言ってみたくなります。売り手市場と買い手市場。この引力・押力がバランスを失すれば、難問が顕現するのでしょう。

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あおた‐がい〔あをたがひ〕【青田買い】1 稲の収穫前に、その田の収穫量を見越して先買いすること。→青田売買企業がが人材確保のため、卒業予定の学生の採用を早くから内定すること。卒業前の学生を実る前の稲に、能力を収穫量にたとえた語。(デジタル大辞泉)

(*昨夕のニュースで「退社代行」会社が始動したという。就職2日目で、「退職したい」という新採用者の「退社代行」を引き受けた。昨日段階で、ある一社では「8名」の依頼があったと話している。この国の「前途多難」がこんなところにも如実に表れていませんか。「こんなはずではなかった」と、まるで意に反した、創外の「雨降り」に遭遇したような気分での仕事(会社)選びです)

あおた‐がい(あをたがひ)【青田買】〘 名詞 〙水稲の成熟前に、その田の収穫量を見越して先買いすること。転じて、学校の卒業見込みがまだ立たないうちに、会社、事務所などが、卒業後の採用を決めること。青田刈り。⇔青田売り。(精選版日本国語大辞典)

➂青田買い(あおたがい)企業が卒業前の学生を採用すること。農家が現金欲しさに収穫期前の水田作物を先物売りする「青田売り」の転用として 1960年代から使われるようになり,労働力の逼迫化した時代には「早苗買い」「籾買い」のことばも生まれた。「青田買い」を防ぐ就職協定は第2次世界大戦前からあり,戦後も 1952年,1972年などに締結されたが協定破りが続出し,有名無実化した。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 とにかく、昨今の「高騰米価」には各方面の算段が合致したのか、利害や打算が互いに背理・背反したのか、いずれにしても消費者ばかりが「泣きを見る」事態が今なお続いています「出し惜しみ」に「売り惜しみ」、そして挙句の果ての高騰ぶりに、否応なくの「買い惜しみ」。かかる現況に、農業政策・政治に至っては「無い知恵は絞れない」という一点張り。儲けに奔走することが、農業だと言わぬばかりの地に堕ちた職業倫理の横行でしょうか。誰が悪いといっているのではありません。大なり小なりみんなが悪い。もちろん正しい営農に励む農家も多くいる、仲買にも正義を貫く業者はいる。官僚にも適切な農政のために知恵を絞り身体を張る能吏がいることを疑わない。それでも、少しばかりの「貪官汚吏(どんかんおり)」や「衆愚政治家」の存在は、たちまちのうちに国民の生活を危機にさらすのです。

 生産能力をいたずらに削るのは悪政の常道(品不足を生み、高値を維持して、値段を吊り上げる、恥知らずの愚策そのものです。世界的に食糧不足が蔓延している今日、収穫量の幾許かを支援に回すことはいくらもできるはず。誰にもわかる、公明正大な「農業政策」を取り戻してほしいし、どさくさに紛れて、姑息にも米価高騰の一翼を担うような「悪徳」に染まる人間どもは、法テラス、つまりは法に照らして処罰するべし。

 現状を放置するばかりの「政治」を排除するために何が為されるべきか。可能な限りで、「農政不在」の真因を探り、その責任を果たさない連中はだれだれであるか、早急にステークホルダーを排除した「第三者委員会」を設置し、適切妥当な報告を求めるべきではないか。「農政審(ノーセーシン)」は解体・廃止すべし。「味噌汁にねずみ」だとか、黙っていると、何を食わされるか、「一杯食わされた」では済まないよ。

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……

おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」
(校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房1997)

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違法を看過、道義頽廃は不可避です

 昨夜来の雨が一層激しくなってきました。ただ今午前6時です。本日は3時過ぎに起こされ、猫の世話。雨が降っているので、外に飛び出すのを迷いつつ、用を足しに出る子、家のトイレ(猫専用)を使う子と、それぞれの判断で分かれるのが面白い。自由に出入りする環境にいるので、他の多くの飼い猫とは異なって、自分の好き嫌いに従うようすが伺えます。いわゆる「しつけ」に類することは一切しない。だから結構ないたずらもする。障子や襖を破るなどは困りものだが、まあ張り替えれば済むことと、意外に鷹揚になってきている自分に驚き、赤面するほど。今一つ、新入りの「外猫」が食事を摂りに来るのだが、これがとても乱暴者で、手を焼いていますね。飛び切りのというのかどうか、喧嘩早く、家の子たちを蹴散らす勢いがあるのだ。気長に付き合えるかどうか。もう一ついる「外猫」とも喧嘩をする。なかなかに難しい場面が続くようです。

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 本日のコラム「卓上四季」氏は異なことを書いておられます。「いつも注目を集め、多くの人が憧れる人気の仕事はなにか。まず思い浮かぶひとつが放送局のアナウンサーだろう」という。どこの国(社会)の話ですかと目や耳を疑ってしまいます。あるいはおかしいのはぼくの方で、この時代では当たり前の感覚だとコラム氏は語っているのでしょうか。「気が遠くなるほどの難関を越え、夢を実現できる人は毎年ほんのひと握りだ」ともいわれる。そうでしょうか。満更事情を知らないわけではありませんが、「気の遠くなるほどの難関」とは何を指しているのか、ぼくには思いつきません。「アナウンサー」というけれど、男か女か、それも問われるべきだし、何処の社会にも通じる「アナウンサー」観があるとも思われません。

 コラム氏、さては「女子アナ」がお好みなのか。第一に「女子アナ」呼ばわりはいただけないですな。(問題が発覚したのが今だという意味は、これまでは等閑視、当然視されていた「性加害」ということだったとしたら、まるでそれは「イニシエーション(入会式)」のようで、誰もは一度は潜るべき「試練」だったといことでしょうか。是非とも経験者は語ってほしい)

 「彼女もきっとそうだったに違いない。努力を重ね、胸いっぱいの夢とともにフジテレビへ」と、何処の社会の「フジテレビ」のことを言っているのか。良識や見識を疑います。もし「お台場」とにある、例の「フジテレビ」のことを指すなら、それはまったくの間違いでしょう。この手の醜聞は、ぼくのような世捨て人のところにまで届いていましたよ、何年も前から。聞くところによれば「コネ入社」が蔓延、セクハラも蔓延。情実入社は五万と数えられる会社だという評判は誰もが知っています。それをして、第三者委員会オフ酷暑は「企業風土」と断じています。凄いテレビ局があったもの、国家(政府)公認ですからね。「性被害を受けた」方も、当然のこととして、そのような危ない、ヤバい「企業」だと知っておられたんじゃないですか。「まさか、これほどひどいとは?」ということだったでしょうか。 

 ぼくは、このテレビ会社のある番組が、勤め先の職場(大学学部)に対して起こした問題で、当時の会社幹部に来てもらって、事情を聴き、二度とこんな不真面目なことをしてもらっては困ると強く叱責したことがあります。(この件についてはどこかで書きました)要するに、入学試験を舞台にあるタレントが受験生になって、その受験ぶりを番組で流すということでした。今も活躍しているタレントOさん、京都出身。

 来てもらった会社幹部は、はっきり言えば「チャラい」のが三人。いずれも大学出でしたが、それが今回の事案に関わった幹部たちと同窓のW大学出身だというから、腐りきった大学から、腐りきった企業に入社はあり得ることだと、嫌な気分になったことを覚えています。ぼくが担当していた「ゼミ」の卒業生で、何人かはマスコミ(テレビ界)に就職しましたが、特に相談を受けたわけではないので、ぼくは関知しなかった。中には相談を受けて、「それは辞めた方がいいと思う」「言わずとも、理由は分かるでしょ」と言っただけでした。「楽しくなければテレビじゃない」と、この会社を私物化していたかと思われる人物は、ぼくが卒業した学部の何年か前の先輩だと、ある時期に教えられて、またしても嫌な気がしたものでした。後年、ぼくはこの人物と何度かすれ違いましたが、口を利く気にもならなかったし、向こうも「この野郎」という感情があったかもしれません。

 「卓上四季」氏は、あるいは冗談を言われたのでしょうか。「多くが憧れる人気の仕事」がアナウンサーだというのは「嘘」だと、おそらく事情を知っていて書かれたのだったら、ある種の「老婆心」「他山の石」だったかもしれない、女性アナウンサーは「軽薄な」とは言わないが、この件の会社における女性アナウンサーの扱われ方はどうでしょう。まるで「置き屋」か「お茶屋」の「品物(玉)」並みの扱いではなかったか。この問題が週刊誌で報じられた際、ぼくは「女衒(ぜげん)」という言葉を使って、テレビ局男性職員を言い当てようとしました。その通りだったではないか。書くほどに反吐が出てきます。

 「公共性の高い放送事業者として適格か。疑わざるを得ない」と真っ当染みたことを書かれている。それはその通りですが、当の「道新」だって、他人のことを言えた義理ですかい、と茶化したくなる。警察とぐるになって、「治安を維持」しようとしたことはなかったか。つまり、この社会のマスメディアは、大なり小なり、「脛に傷もつ身」だということでしょう。この社会が「悪徳の栄え」を待望するような頽廃の極致を目指してしまったのも、「第四の権力」と自恃の気を持っていたと思われたメディアが、実は第四の(権力の端っこの席に座る)、第一の権力の「提灯持ち」に成り下がっていたことと無関係ではないでしょう。ぼくは、このテレビ局の放送免許を剥奪すべきだと強く思っている。限りなく視聴者を愚弄する番組を作るしか能のない企業、女性差別や性犯罪に等しい行為を見逃すような会社は、即刻に市場からは退場すべきです。(新聞は、消費税に関して「著作物再販制度維持」のためとか語らって、権力に阿り、特権を与えられてきた、由々しいまでの「権力との馴れ合い」を反省すべきです)

【卓上四季】奪われた夢 いつも注目を集め、多くの人が憧れる人気の仕事はなにか。まず思い浮かぶひとつが放送局のアナウンサーだろう。どんな場面でも正確かつ冷静に伝え、親しみやすさを兼ね備えている。気が遠くなるほどの難関を越え、夢を実現できる人は毎年ほんのひと握りだ▼彼女もきっとそうだったに違いない。努力を重ね、胸いっぱいの夢とともにフジテレビへ。職業人としても人間としても、未来へ向かって大きく伸びようとしていた。その矢先、希望は打ち砕かれる▼だれもが知る大物タレントから<業務の延長線上>で性暴力を受けた。なのに会社は救済に動かず、むしろ加害者の側に立つような対応を続ける。被害女性の痛みはどれほどか。第三者委員会が明らかにした調査結果は読むのがつらくなる▼組織全体の根腐れも露呈した。さまざまなハラスメントが横行し、被害の訴えには向き合わない。発端となった今回の事案は氷山の一角だ。公共性の高い放送事業者として適格か。疑わざるを得ない▼<私が受けた被害は一生消えることはなく失ったものが戻ってくることはありません>。女性のコメントはさらに続く。こうしたことが<社会全体から無くなることを心から望みます>▼フジは重い十字架を背負った。同時にあらゆる組織が、彼女の痛切な願いを受け止めなければならない。(北海道新聞・2025/04/02)

 「性加害者タレント」を守る会があるそうです。ファンはありがたいというべきですか。「贔屓の引き倒し」を地で行っている風がありますな。こうなれば、一種のカルトめいてきます。いま世界同時流行の「陰謀論(conspiracy theories)」ですか。奇怪というべきか、奇特というべきか。例のジャニーズ一族の「性家族」問題が今なお続行中ということです。タレントの好き嫌いはあるでしょうが、「性加害」だと、ある組織から認定された以上は、その事実は認めるべきではないか。本来は「刑事事件」として訴えられるべき事案だったと思う。そうでなければ、「性加害者」と特定されたタレントは「名誉棄損」で、反対に裁判を起こすべきです。この嫌な問題を繰り返して扱いたくありません。これを限りに、この問題には再び触れないつもり。触れたくなんかないのです。だからこそ、当事者は、やるべきことをしてほしいと希望を持つ。企業は組織ぐるみで「常習的性加害者」をいろいろな面で擁護し続けてきたという意味では、極めて「反社会的行為」だったと認めるべき。改革も再生もあり得ない、何よりも解散を、とぼくは願いつつ確信しています。

 最後に、今からでも、酷薄非情と思われるかもしれませんが、性暴力(性被害)を受けた被害者(複数人いるとされます)は「告訴」して裁判を起こすことが大事でしょう。(つい最近ではI.S.さんの「民事裁判」事例があります)今のままなら、「泣き寝入り」です。また腐ったとはいえテレビ会社ですし、その会社が、有力かつ有害タレントの行為により「莫大な損害を与えられた」と判断するなら、当のタレントに対して「損害賠償」を起こすべきではないですか。それをしない、できないなら、企業幹部連は「背任」にあたるでしょうから、株主は会社を相手にして裁判に訴えるべきです。この社会や国が「法治の国」「法治の社会」であるなら、それを避けるべきではないでしょう。「法の正義」が貫かれない限り、「道義(道徳の正義)」は地に堕ちるばかりです。

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明白な放送法違反、免許取り消しを

 第三者委員会の報告書をつぶさに読んだわけではないが、おおよその内容は理解したし、同委員会の記者会見も観たうえで、この放送会社は、すべての点で放送法等の趣旨や目的に不適合であり、これを看過して、存続を図るなどもってのほかであると思います。企業ぐるみというべき企業体質は、この先、なまなかな改革では再生できないほどの腐敗に至っているというべきです。一企業を数十年にわたって壟断し続けてきたことは、それを許す企業体質が出来上がっていたということの証明であり、企業の私物化の極致にあったというほかないでしょう。企業そのものの市場からの断固たる退場を希(こいねが)うものです。

 企業そのものに人権尊重の精神が著しく欠けており、多くの点で社会に対する正常な意識は麻痺、もはや本体は壊死寸前であるとみる。奇貨居くべし、第三者委員会の報告書(判断)を貴重な指針・材料として、総務省は「免許取り消し」を決定すべきです。(あろうことか、総務省自体から、この会社に何名もの天下り官僚がいたこと自体、何をかいわんや。李下に冠を正すなと言っても始まらない。同省は、関係者の処分を断行すべきだろう)(腐敗の要因には事欠かない見本の企業だといいたいね)

 「正義なきものは去れ」「去らずば、天に代わって成敗してくれる」という仮面の騎士が現れるだろうか。これは偶発事件ではなく、一企業と雖も、愚か者が寄り集まれば、巻き起こる頽廃や堕落は防げないという見本を歴史は示したのです。加えて、腐臭が漂う「ゾンビ企業」に多くの広告費を投入していた各社もまた、ことの始末をつけるべきではないか。寄ってたかって、この社会の企業や官僚・政治(トリオ)による恥辱の徒花が、一つの企業とはいえ、その任に堪えずに潰える時を迎えた、そのあからさまな一局面をぼくたちは関心をもって凝視しようではないか。(蛇足 性暴力の加害者が被害者に「和解金」も支払いを申し出たと報じられた際、その額は9000万とされた。実際は100万だったと報告書は示した、その真相は分からない。その最初の週刊誌報道の段階で、この事件にかかわる金銭のすべてはテレビ局が負担しているはずと、ぼくは推断していたが、その通りだったようです)(テレビ局は「置き屋」「お茶屋」でしたか、今どきも)

 「企業の体なしてない」 第三者委報告書に業界衝撃 元タレント中居正広氏の女性に対する「性暴力」を認定し、フジテレビの人権意識の低さを糾弾した3月31日公表の第三者委員会の調査報告書は、フジ社内からも「企業の体をなしていない」と声が上がるほど放送界に衝撃を与えた。企業CMの再開だけでなく、事態の沈静化も見通せない。
 「性暴力に対して無理解」「ハラスメントに寛容な体質」―。調査報告書の数々の指摘に、フジ幹部の一人は「厳しい内容は予想していたが…ここまでとは」と驚きを隠さない。取締役相談役だった日枝久氏らの退任を含む数日前の刷新人事発表を受け、CMの再開も期待していたが「スポンサーが戻るどころではない。もはや企業の体をなしていない」と自嘲気味に話した。
 別の幹部は「普通の会社はこんなにハラスメントがまん延することはない」とあきれつつも「これで(再出発の)第一歩は踏み出せるのではないか。今後はスポンサー行脚をし、戻ってきてもらう努力をしなければ」と自分に言い聞かせた。(共同通信・2025/04/01)
 「必要な対応検討」と総務相 フジ第三者委報告書で 元タレント中居正広氏と女性とのトラブルを「性暴力」などと認定したフジテレビの第三者委員会の報告書に関し、放送事業を所管する村上誠一郎総務相は1日の閣議後記者会見で「報告内容の確認を進め、必要な対応を速やかに検討したい」と語った。
 第三者委の報告書では「(フジテレビの)人権意識の欠如や内部統制の不備など複数の指摘がなされているものと承知している」とし、400ページ近くある内容の確認を急ぐとした。
 総務省はこの問題を受け、フジテレビに対して視聴者やスポンサーの信頼の回復に向けた「適切な対応」を求めていた。(共同通信・2025/04/01)
放送局一斉再免許 2028年10月末までの5年間 
総務省は10月26日、民放とNHKなど196社・団体に11月1日付再免許の免許状を交付した。地上基幹放送局は195社・団体で、このうち民放は中波単営16、短波1、FM50(51局)、テレビ単営96、ラ・テ兼営31。民放連に加盟する全ての地上基幹放送局が再免許を受けた。免許期間は2028年10月末までの5年間。(中略)/再免許にあたり、ラジオ・テレビ各放送事業者に総務大臣名で要請が行われた。内容は▽放送法・番組基準の順守▽人権と児童・青少年への配慮▽放送番組審議機関や考査機構の機能の発揮▽近年、激甚化する気象災害や大規模地震等の災害を想定した災害放送の充実▽新技術の活用等によるサービスの充実――など。(以下略)(日本民間放送連盟のウェブマガジン 民放online・編集広報部 2023/11/01)(https://minpo.online/)
第一条 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。(放送法・目的)

◎輪違屋(わちがいや)は京都に残る最古の公許の花街・島原の地に建つ,元禄年間(1688~1704)の創業と伝える置屋である。建物は安政4年(1857)に再建された後,明治4年(1871)に改造が加えられ,ほぼ現在の形になったと考えられている。置屋とは太夫や芸妓を抱える店を指し,輪違屋は現在も置屋兼御茶屋として営業している。(以下略)「京都市指定有形文化財」(https://kyoto-irodoru.city.kyoto.lg.jp/shimogyo/wachigaiya-n.html)(⇧左右2枚の写真)

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「戦後」は「戦前」と背中合わせ

【金口木舌】追いかけっこ 昨年10月、東京都内に住む那覇市出身の90代男性から自身の戦争体験を記した便りをいただいた。陣地構築の思い出がつづられている。直接会って話を聞くつもりでいた▼今年に入り、男性宅に連絡を入れると電話に出た家族が一言「いろいろとお世話になりました」。男性は昨年末、亡くなっていた。心の中でわび、自分の怠慢を悔いた▼間に合うだろうか、と日々思う。高齢の戦争体験者から証言を得ることが年々難しくなっている。元気でいる間にお会いし、体験をお聞きしたい。時を見ながら体験者と追いかけっこしているかのよう▼間に合うのだろうか、という焦りに駆られる。急激に進む戦争準備の動きを早く止めなければ。さて、何と追いかけっこをすればよいのだろう。政府か、無関心を決め込む国民か▼男性は「昭和19年に入って急に戦況が悪化し、夜間になると県庁大通りを北に向かって移動する軍隊の動きが激しくなった。『小休止』との号令が寝耳を叩(たた)くこともあった」と便りに記した。新たな戦争の始まりを告げる「号令」が迫っていないか。沖縄はきょう、本島米軍上陸から80年の日を迎えた。(琉球新報・2025/04/01)

<あのころ>国会前で麦作り 戦後の食糧難 1947(昭和22)年4月1日、戦後の食糧難は国会議事堂前を麦畑に変えた。限られた配給米だけではとても足りず、誰もが空腹を抱えていた。都会の空き地や道路まで、いたるところが畑や田んぼになり、米や麦、芋などを植え付けて飢えをしのいだ。厳しい取り締まりがあっても農家で闇米を買う人が絶えなかった。(共同通信・2011年04月01日 08時02分。右写真も)(ヘッダー写真は「東京都内・昭和通りの農園」毎日新聞・1944年撮影)

 まだ学生だった頃、評論家のひとりが「いずれ銀座に野菜畑ができる」と書いていたのを怪訝に思いました。室伏高信という人だった。「人口が増えて、食糧増産に追われて、銀座が畑に…」と言ったのだったか、詳しいことは忘れたが、この評論家の記憶には、眼前の事実として、敗戦直前直後、都心が一大農園になっていた景色を払いのけることはできなかったのでしょう。左下の写真は、今日のJR 御茶ノ水駅の神田川土手斜面を開墾しているものです(毎日新聞提供)。何が何でも勝たねばならぬ、そんな戦意高揚気分からのものではなく、「背に腹は代えられぬ」という窮状の発露だったと思う。今はどうか。「窮状」は少しも変わっていないんじゃないですか。

 本日の琉球新報コラム「金口木舌」には、太平楽を通り越した「能天気日本」の無残な現実に刃を突き付ける趣があると、ぼく一人は胸を痛くしながら、繰り返し読んだ。「新たな戦争の始まりを告げる『号令』が迫っていないか。沖縄はきょう、本島米軍上陸から80年の日を迎えた」とあります。「本土」は昨日も今日も、明日も明後日も、「大谷で日も夜も明けぬ」という為体(ていたらく)です。恐らく、国会議事堂も永田町も、茄(なす)はおろか、稲一本も生えてはいない。令和の「越天楽」よろしく、長閑な越天楽今様が奏でられています。国民の窮乏などどこ吹く風、右も左もなく「我が世の春」を謳歌し、その永続を願うばかりで躍起になり、扼腕するのに大童(おおわらわ)という惨状です。五十年前の本日、「大阪万博」が開幕を迎えたとあります。それを見るにつけ、歴史は繰り返しますね。阿呆と馬鹿の絡み合いで、時代は巡る回転木馬か。

 いつまた、議事堂前の畑でジャガイモが作られ、銀座でコシヒカリの苗が植えられないとも限りません。琉球新報のコラム氏は、その時の来たらんことを暗示もし明示もされているのではないでしょうか。「間に合うのだろうか、という焦りに駆られる。急激に進む戦争準備の動きを早く止めなければ。さて、何と追いかけっこをすればよいのだろう。政府か、無関心を決め込む国民か」と。気は急くが、来るものは来る。来ないことに万全を尽くしても尽くしようもないものがあります。いかに原発事故の防止に何千億を費やそうが、地震対策に何兆円を使おうが、起こる時には起こる、来るときには来る。と言えば、大方の叱責を受けることは請け合いでしょうが、万全を尽くして、万策尽きるという、まるでポンチ絵を観る如くです。

 本日は4月1日だから、「あらぬこと」を「さもありなんと」と駄弁るのではありません。今は確かに国会議事堂前には茄もトマトもありません。でも、議事堂内や首相官邸内には、間違いなく「ぺんぺん草」が生えているでしょう。あるいはその屋上は、手のつけようもないくらいに「ぺんぺん草」生え放題の「圃場」になっているに違いありません。でなければ、国会議員の精気のなさや、誠意のなさが説明束ないでしょう。それを食べればもちろん、その臭いを嗅ぐだけで、物が見えず、頭が働かなくなり、先ずは御身大事と自己保身にひたすら奔る。これはぺんぺん草の祟りかもしれない。(ぺんぺん草に謝ります。別名は薺(なずな)で、わが庭にも叢生している)

 これはぼくの創見でも何でもありません。やがて「敗戦後八十年」を迎えると言いますけれど、それは紛れもなく、いつ来るとは誰も知らないであろう、次なる「戦前」だったと、「戦争」が始まって初めて気が付くのでしょう。いや、もうすでに「戦争は始まっている」と、ぼくの意識は察知し、密かに呟いてもいるのです。戦いが始まっているとは、恐らく、第二次対米戦争が、です。 

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過猶不及也 ー 「真面目は怖い」考

◎「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」 「騙(だま)す」と「騙される」について この感情(情念か)がとても豊かな人が多くなったのか、あるいはもともと、人間は他の動物と比較して飛び切り「騙す」と「騙される」能力が優れているのか。逆に言うと、騙されない、騙されたくないという警戒心が不足しているのだろうか。二、三カ月ほど前になるだろうか。自宅に電話があり、「❍×社の何とかです。今お使いの電話はあと数時間(2時間といったか)で使えなくなりますので、…」と女の声。会社名と住所を確認したところ、はっきりと返答できなかった。「使用できなくなるというなら、どうぞ、お好きに」と答えて切った。電話で何かとせかされ、挙句に、最近では一億円を超える金額が搾取される事案が出る時代です。

 また去る日、「近所で屋根工事をしています。お宅の屋根の瓦が…」と言いかけたところで、「結構です。家のことには工務店が決まっているので」とおかえり願った。本当のことを言ったまで。何によらず「訪問販売」は断固お断り、つねに具体的に事情(依頼先は決まっているとか)を話し、請け合わないことにしています。騙すつもりがないように見えても、見ず知らずに何かをお願いするのは、性分には合わないんですな。何か抜点けて、疑いすぎても、信じすぎてもいけないのは道理で、ことの実際を判断できるだけの心掛けを持ちたいものと考えている。

【金口木舌】詐欺を撲滅する県民の力 数年前、携帯電話に見知らぬ番号から着信があり、出ると投資話を持ちかけられた。少しのお金を出せば毎月、高収入が得られるという。相手はこちらの名前も勤務先も把握しており「必ずもうかる」と強調した▼携帯番号を含む個人情報を知られていることに動揺した。同時に、投資でお金が増えるのなら悪くないと思った。ただ、怪しさの方が上回り「興味がない」と伝えて電話を切った▼今にして思うと、最近の詐欺事件と共通点がある。警察官を名乗る手口では、犯罪の容疑者になっていると伝えて動揺させる。交流サイト(SNS)型の投資詐欺では多額の利益が出ると信じ込ませる。被害者の心理を巧妙に利用している▼県内でも詐欺被害が後を絶たない。警察は電話でお金を要求しないし、SNSの投資話は詐欺を疑う必要がある。手口は多様化し、誰もが被害者になる可能性がある。怪しいと思ったら誰かに相談してほしい▼詐欺の被害や手口の情報を家族で共有し、警戒することも重要だ。金融機関などの職員が被害を未然に防ぐ事例もある。県民が互いに支え合うことができれば、詐欺の撲滅につながる。(琉球新報・2025/03/31)

 「騙すつもり」もないのに、結果的に騙すということはありますね。しかし最初から「騙す」つもりの人間に一杯食わされることはいつだってあった。警戒すればするほど、「自分だけは大丈夫」という空自信が落とし穴になるのだろう。世の中は「狐と狸」で構成されていると思いたくなるほど、いろいろな場面で、騙し騙されの「泣き笑い」がみられます。自分は「騙されやすい質(たち)」かどうか、よく分からない。その反対に、誰かを騙すのが上手だという点に関しては、あるいはそうかもしれないと自己評価している。これまで多くの若い人に出会ってきたが、「君はよくできる人なんだ」と、根拠もなしにはったりをかましてきたという反省(自信)はあります。教師まがいの悪癖でしょうか。

 まだ結婚していない頃、自宅近くを歩いていたら、一台の車(バン)が横に来て止まった。「実は会社が倒産して品物が行き場を失った。ついてはこれを安くするので買ってくれないか」とたくさんのバンドを見せようとした。即座に、「いらない」と取り合わなかった。これもよくある詐欺の商法というか。それやこれやで、これまでに、ぼくは一度も詐欺に遭ったことはないと言い切れないのですが、それこそ生きている証拠かもしれません。五右衛門さんではないけれど、「浜の真砂と盗人(詐欺師)」の種は尽きないということでしょう。

 それにしても、人間全体が、だんだんと『悪者』になっていく気がして悲しくもなる。「闇バイト」しかり、「電話詐欺」しかり。それも若い人が圧倒的に大きというのはどうしてかと、いつも訝(いぶか)るばかりです。「手口は多様化し、誰もが被害者になる可能性がある。怪しいと思ったら誰かに相談してほしい」と「コラム」氏は言う、その「誰か」が怪しい人かもしれないうと考えたら、なにもできない。何もできない、何もしない、それが一番の予防策かもしれません。警官が素人を騙し、銀行員が顧客の金を盗むのが常態化しているといえば、叱られるかもしれませんが、「人を見たら泥棒と思え」という金言もあります。「人を軽々しく信用してはいけないということ」(デジタル大辞泉)とある。では、重々しく人を信用するにはどうすればいいのか。世の中見渡す限り「泥棒ばかり」かと思いたくもなるのが人間の社会ですね。

 「信心」と言って、いかにも尊い心の存在を示す言葉があります。「神や仏の力を信じて、その加護を願って祈ること。また、その心」「ある人間を心から慕いあこがれること」(精選版日本国語大辞典)「鰯の頭も信心から」などともいう。これぞ生き仏だと、心底から帰依していた、当の「教祖」が名代の「詐欺師」だったという、事例は豊富だけれども、それを認めようとはしない「悪信心」に侵された人も後を絶ちません。最近はある「教団」が宗教法人として解散命令が出されました。

 世の中の在りようを言い表した表現に「籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を造る人」というのがありますね。「嘘に乗る人、乗せる人、そのまた嘘を紡ぐ人」というのはどうでしょう。「疑心暗鬼」も「半信半疑」もよろしくないと常識は教えています。「疑心暗鬼を生ず」といって「疑心(疑う心)があるために、何でもないつまらないことまで、恐ろしく感じたり疑ったりすること」(同上)と、よろしくないものとして「疑心をもつな」と諫めてもいる。「半信半疑」というのはどういうことですか。「半ば信じ、半ば疑うこと。真偽の判断に迷うこと」(四字熟語を知る辞典)とあります。これもぼくにはできない芸当です。半分疑いながら、半分信じながら、と。まるで口を開いたままで、牛乳を飲むような。

 先にも言いましたが、ぼくは「騙されやすい」人間だと、自分では思っている。だから、必要以上に疑う領分も持っているということでしょう。「あの人はいい人だ」というのは表向き。では裏面はどうかとなると、ていねいに付き合うしかないのではないですか。赤の他人や、初めて出会う人の「うますぎる話」には乗らないこと。そんないい話があるなら、他人になど教えますかいな。競馬の予想屋さんが当たり馬券をしきりに勧めていたところ、あるひとが「どうして他人に教えるの。そんなに当たる自信があたるなら、黙って買えばいいじゃないか」という落とし噺もあります。儲け話に「齷齪(あくせく)」するのもどうかと思うし、かといって物事に「おおらか」でありすぎてもよろしくない。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ですね。<Moderation in all things.>「中庸」とか「節度」がどういうものか、これを教えることは困難で、あくまでも自得するほかなさそうですね。「後悔を先に立たして後から見れば、杖を突いたり転んだり」(志ん生さんがいつも言っていました)

 「子貢問、師與商也孰賢。子曰、師也過。商也不及。曰、然則師愈與。子曰、過猶不及」(「論語 先進第十一」)(子貢(しこう)という門弟が先生に「師と商とどちらが賢明でしょうか」と問う。先生は「師は過剰の気味がある」「商は及ばない(不足するところ)がある」と答えられた。それならば「師が優っているんですか」と再び問うと、孔子が言った言葉です。「過猶不及」、過ぎたるは及ばざるがごとし。程を知ることがいいのだと。疑心暗鬼も半信半疑も、人に接するには不十分で、要するに、疑わないことは信じないことと同じだともいえますよ。「中庸」「節度」というものをいかにして他者から感じ取れるか。そして、深く信じ切っているから、強く疑うことができるということも忘れてはいけないでしょう。

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「徒然に日乗」(701~707)

〇2025/03/30(日)昨日に比較すれば、とても暖かい一日だった。風もなく、日差しは結構あったので、春の一日を感じていた。▶猫缶を買うためにあすみが丘に。▶温暖な日差しの中、庭作業をと考えたが、花粉症がひどくなるのを恐れて家に閉じこもっていた。数日後からまた、寒くなるという。来週火曜日から木曜日までは雨の予報。三寒四温と言っていいのかどうか。▶ミャンマーの大きな地震の被害は相当のもので、死者は2千人近くに及ぶ。大きなビルが何棟も倒壊し、安否が判明しない人々がかなりいる模様。隣国のタイでもかなりの犠牲があったと報道。いくつかのNPOから救援のための寄付依頼が届いている。人為的な災厄は避けられるべきだが、この自然災害だけはどうしようもない。少なくとも被害の小さからんことを祈るのみ。臨戦態勢にある彼の国の復旧を祈るのみ(707)

〇2025/03/29(土)寒の戻りというのだろうか。終日雨が降っていて、気温もかなり低かった。日中の外気温は10℃どころか、5℃ほどしかなかった。2月の中頃の感覚だった。そのおかげで、花粉の飛散量は多くはなかったようで、気分的には楽だった。もちろん、終日自宅からは出ないでいた。(706)

〇2025/03/28(金)朝方まで小雨が続いた。それなりの降水量があったようで、岡山・愛媛両県の山火事は、それがために延焼が止んで、しかも新規の発火もないという。まずは一安心だ。▶午前中に買い物、茂原まで。春休みに入ったのか、普段よりは混雑していた。花粉症に黄砂飛来、加えてコロナも継続して感染者が出ている春の半ば、十分に注意したい。さらには「ノロウィルス」も流行中との報道しきりで、生ものからの発生が報告されている。若者はいざ知らず、高齢者は、何よりも体力面で劣るのだから、可能な限りで現状の体力維持を図る。そのためには十分な睡眠が不可欠ということ。▶昨夜半に、山梨のOさんからメールが届いていた。開いたのは早朝。直感するところ、彼女は大きく「成長」したと思う。なんだか、貫禄というか、自信のようなものが感じられるのは、書かれていたメール文の様子でわかる。そうであるなら、とても嬉しい。実際にどうか、まだわからないが。専任待遇ではないらしいのだが、それ与えられた身分以上の役割を果たしているのだと思う。(705)

〇2025/03/27(木)曇り空、時々晴れ。午後になってかなり強い風が吹くようになった。各地で夏日が続出したよう。房総各地でも。▶終日自宅内に。庭作業をと考えてはいたが、花粉の飛散と黄砂の降灰とで、外作業は中止。自宅にいても目も痒い、鼻も詰まる。喉も時には痛みが伴うようになった。▶延焼中の愛媛・岡山・宮崎の火災はどうなったか。彼の地にも相当な雨が降ったと思われるので、一段落がついているなら、胸をなでおろすのだが。(704)

〇2025/03/26(水)昼前に買い物に茂原まで。このところ乾麺(蕎麦)を食べる機会が多い。もちろん自宅で。料理というほどでもないが、茹で方などを工夫すれば、それなりに味わえると思う。米よりも体にはいいかもしれない。冷たいそば(笊蕎麦風)で食べている。時には温かい「きつねソバ」などにもする。何しろ、外食ができなくなったので、ほとんどが自宅で食事するのだから、あまり面倒な手間暇はかけないで、ひもじくならない程度に食事する心掛けだ。▶風が少々出ていて、花粉の飛散量が多いようだし、あるいは黄砂も混じっているかもしれない。できる限り、自宅に閉じこもっている。▶卒業生のA君からメールが届いた(都内で会計士業を営んでいる)。山梨の小学校教師をしているSさんの連絡先を調べてもらっていたのだ。▶このところの少雨と異常乾燥続きに加えて、低気圧に起因する暴風などの要因が重なり、岡山・愛媛、それに宮崎県で山火事が発生している。人家への類焼もあり、鎮火の見通しは立っていないという。▶アメリカの「関税」政策のあおりを受けて、円安・物価高が加速している。この先の賢明な政策があるとは思われないのだが、インフレ昂進による実質増税になっているのだから、いわば「スタグフレーション」状態に入っている。財政政策は拱手傍観の無手勝流か。(703)

〇2025/03/25(火)いい天気が一日続いた。風もそれほど強くもなかった。しかし花粉の飛散量が多くて、罹患者にとっては厳しい一日だった。うんと若いころは花粉症とは無縁だった。四十を過ぎて、いや、五十になりかけてから、ある年に突如鼻がむず痒くなったのが始まり。以来、毎年強弱はあったにせよ、ほぼ花粉症の諸症状に苦しめられている。娘のひとりは相当に重症で、見ていて気の毒になるほどだったが、最近はどうなのだろうか。離れて暮らしているので、その程度は分からない。この嫌な気分に苛まれる状態は、まだまだしばらくは続きそうな気がする。(702)

〇2025/03/24(月)昨日に続いて、終日快晴。気温はやや低めだったか。▶午前中買い物に、茂原まで。▶岡山県と愛媛間で、山火事が発生したという。今のところ、怪我人などはいない模様。大船渡の件もそうだったが、何が原因か、報道には一切出てこないのはどうしてだろう。両県の避難者は相当数出ているが、夕刻のニュースでは、岡山県の避難は解除されたとか。▶東京も「サクラの開花宣言」が出たという。本格的な桜のシーズン到来だが、人込み紛れの花見のどこが嬉しいのだろうかと、思う。▶夜十時過ぎには雷が遠くで鳴りだした。一雨あるかと思ったが、朝方まで小雨が続いていたようだった(701)

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うそ偽りのないこと・実際の姿

◎ 週初に愚考する(第六十參) ~ 言葉(語源や語義)を詮索するのは暇つぶしにはいいでしょうが、そこから得られるものにどれほどのものがあろうか。よしんば、何かを見出したとしても、昔は昔、今は今。その間の幾星霜で、元の姿は見る影もないということになるのがほとんど。元はこうだったんだから、元に戻るべきだといっても何ともしようのない話。「情報」ということばはどうでしょうか。今日においても真偽不明の「噂話」「偽情報」が闊歩し、ときには毒満杯の「誹謗中傷」が氾濫するという「乱痴気」「狼藉」ぶりですから、人それぞれに好き放題に我流の言葉(にもならない)のまがいものを捏造・濫造して、敵対するものを扼殺しようかという時代です。

 つまりはフェイクニュースという汚染水濁流の中に「人権」も「誠実」も「約束」も「規則」も、それこそ「人間性」そのものに「虚妄の皮」をかぶせ、真偽・清濁・善悪諸行を十把(じっぱ)一絡(ひとから)げで放り投げる。だからといって、それを権力が取り締まるわけにもいくまいと思いますが、今のままだと、いずれ「取り締まられる」事態を招く、招きたいとする声もあがるのは当然です。

 埒もない「AI」問題に否応なく、ぼくたちは直面させられています。半導体集積回路(LSIなど)によって作られた「情報」まがいに、われわれは翻弄されている。「AI(artificial intelligence)」は「諸刃の剣」になっていると、指摘せざるを得ないのをなんとしますか。

 「情報」という邦語の源は「インフォメーション(information)」だったらしい。それを邦訳して使いだしたのは明治以降。細かいことは省きます。「情=読み:ジョウ、セイ、なさ(け)、 おもむき こころ 意味:こころ。気持ち。心持ち。うそ偽りのないこと。本当のありさま。物事の実際の様子。実際の姿。異性を恋い慕う気持ち。おもむき。味わい」「報=読み:ほう、むくいる、意味:しらせる むくいる。おし、または仕返しをする相手行為にこたえる。むくい。おし、または仕返し。しらせる。しらせ。通知する」まるで「情報」は糸の切れた風船玉の如く、何処に行くかは誰もわからないままで風の流れに身を任せるように膨らませられ、東西南北に飛び交っているが、どこかの誰かに衝突して、弾(はじ)けます。まさしく、今日の世界情勢です。

 さて、世は挙げて「情報の時代」、この言葉に含まれる実態の掴みがたさが、逆に「情報錯乱」状態を招いているともいえます。なにが「情報化」か、それに付いてはほとんど整理されていない、いや、できないというべきでしょう。<inform >とは、ある事柄を知っている人がそれを他者に教える・伝えるというところから「教える」「教育する」という意味を持つようになります。原義は<in form>、つまりは形にする、形で表す、形作るということだった。またこの国に独特の使い方として軍隊において「敵情を報告する」などと言われていたのが、後に「情報」の語になったともされます。それはともかく、「情報」時代の行くところ、錯綜した混乱の巷に、ぼくたちは放り出されているのが実情です。(「情・報」について、文字通り、いろいろな「情報」を集めた結果の勝手な解説です。しかし。元来は「本当のありさま。物事の実際の様子を知らせる」だったと知って、ぼくたちには考える(反省する)ところはないでしょうか)

 このところ、ぼくは YouTube 番組やネット動画はほとんど見ないことにしている。恐らくその内容の大半(九分九厘・十中八九)は「虚偽」であり、その中のかなりの部分が「AI 作品」だと思われてくるからです。扱われている内容が真偽不明ではなく、(出てくる人間も含めて)ほとんどが偽装、虚偽だとぼくは判断するのですが、その根拠はいくらもある。有名タレントに関する情報があふれかえっている、そのほぼすべては根拠のない、ある種の「偽装」「偽造」「捏造」「虚報」だと、一瞬で(直感で)わかるといってもいい。米露首脳が「ウクライナ侵略戦争終結」に関して「合意」したなどなど、それこそ、思いのままに、誰彼となく台本を書く時代、果ては、当事者そのものまでもが、捏造紛(まが)いを「情報」として告知する始末です。情報の湖は底なし沼のようでいて、実は指呼の間の広さだということにもなりかねません。

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 柄にもなく「AI」による模造品横行の時代の人間社会の秩序の混乱や風儀の紊乱について「愚考」しようとしているのですが、それは誰かにお任せすることにして、ぼくは「AI」もまた、やがて陳腐になり人間社会にはまるで有害な「化石燃料」「原子爆弾」のように見なされ、目の敵にされながら、でもしぶとく生き残る(「AI」が生き延びるのではなく、「AI」を生き延びさせようとする人間がいるという意味)ことになるでしょうとだけは言っておきます。現段階では、猫も杓子も「新技術」(SNSに代表される新規アルゴリズム(algorithm*)の新文法による、既存知識の支配)を自家薬籠中の物にしているとは思われませんから、直ちに「AI」が現代文明を破壊する凶器になると言えないでしょう。しかし、今日令名を馳せているハラリ氏などに代表される「新文明論者」の言説にも一定の知見があるのは、「AI」の生み出した功績でもあります。ハラリ氏は「AIはツールではなく、行為の主体」だと指摘されている。(*「(algorithmとは)ある問題の「正解」「回答」を引き出す手続きまたは思考法で、「算法」と称されもする)

 自動車や飛行機は器械(道具」ですから、それを操作する主体が存在しなければ物の役に立つことはない。しかし、ウクライナ侵略戦争で見られるように、ドローンに小型ミサイルを搭載し、何を標的にするかをAIそのものがあらかじめ想定して攻撃に参加しているという実態が知らされています。「行為主体」をどのように見るかによって結果は大いに違うでしょうから、「AI」そのものが意志や感情をもって「攻撃行為」を実行するとはぼくには思われません。物は使いようというから、きっと「AI」にも二面性(人間社会に「有害・有益」という結果を招くという)があることまでは分かります。

 今の段階で、ぼくには結論はない。ネット社会に氾濫している九分九厘の虚偽情報に塗(まみ)れながら、どうしてぼくたちは、残された「一厘の真実」を見抜けるでしょうか。地下鉱脈から「ダイヤモンド」を掘り当てる以上の難しさがぼくたちの日常生活に入り込んでいるのです。ネットの時代と軽々しく表現しますけれど、実は溢れかえる情報の濁流の中から「真偽」を定かにするだけの脳力(能力)をいかにして所有できるかが喫緊の課題として提示されているのでしょう。これは今に始まった困難などではなく、何時の時代にも生じていたし、だから今だって、「真偽の見極め」は困難を極めるのでしょう。

 もう少し書きたい気もしますが、書くだけの意味があるかどうか疑わしいと思うところもあります。人間社会、あるいは人間の歴史には何時だって「困難」や「危機」は内包されてきたのですから。また、悪い人間もいれば愚かな人間もいるのが、人間社会の真実です。そんな人間たちが作る国家だって同じこと。いい国(とするような指導者・政治家)もあれば、悪い国(にしてしまう愚劣な指導者・政治家」もある。

 民主主義の真価がが問われているのは、国家間や国内政治だけの問題ではありません。夫婦の間にも、親子の間にも「民主主義問題」は厳存しています。「まず隗より始めなされ」と、誰かの声が聞こえてきます。「AI」の電源を握っているのは誰ですか。

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【小社会】「情」に迫る 「人間がそれほど賢いのであれば、なぜこれほどまでに愚かなのか(中略)問題は人間の本質にあるのではなく、私たちの情報にある」🔷歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ教授がNHKのインタビューで、戦火が絶えず混迷を極める現代を読み解くキーワードとして「情報」を挙げている。🔷現代の情報量の増大は「爆発」という表現がふさわしい。交流サイト(SNS)で発信される無数の情報には虚実が混在し、伝聞などの形であっという間に拡散される。先日の元兵庫県議の死もこうした誤情報をもとにした誹謗(ひぼう)中傷の末に起きている。🔷なぜ、こうも事実とは異なる情報が拡散するのか。教授は「フェイクやフィクションの単純さ、伝わりやすさが根本にある」と解説。「正確な情報にはコストがかかる。複雑で苦痛を伴う真実と安上がりで単純で心地よいフィクションとの競争ではフィクションが勝つ傾向にある」と指摘する。🔷確かに調査報道で記者は取材対象にさまざまな問いを重ね、裏を取って記事を世に出す。コスパは低く劇的なストーリー展開は少ないが、事実に基づく記事は社会を変える力を持つ。何よりフェイクが跋扈(ばっこ)する世界など見たくもない。🔷そもそも情報の「情」はどんな意味か。手元の辞書を引くと「(経験した者のみに分かる)事実」とある。常に「情」に迫り、選挙や生活の根幹にかかわる情報を点検する。既存メディアの役割だろう。(高知新聞・2025/01/30)

 「サピエンス全史」の著者が警告するAIと情報の未来「我々は神の能力だと伝統的に考えられてきた力を入手する過程にあります」世界的なベストセラーとなった「サピエンス全史」の著者でイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は6年前、2018年に行った私とのインタビューでこう語りました。AI=人工知能がもたらす脅威についてまるで予言するかのような指摘です。(以下略)(NHKビジネス特集(国際部デスク 豊永博隆)・2024/08/27)(ハラリ氏 「コンピューターが意識を発達させて問題解決をはかるとは想像できません。最も恐ろしいシナリオは意識や感情を全く持たない超越的な知的な存在によって世界が支配されることです」(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240827/k10014559741000.html)

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  「ChatGPTを開発したアメリカのベンチャー企業「オープンAI」が公開した動画生成のソフト「Sora」でつくられました。/どんな動画をつくりたいか、文章で入力したただけでリアルな動画を短時間で作成してしまうといい、発表当初、世界で驚きをもって受け止められました。/入力した文章は「スタイリッシュな女性が暖かく光るネオンといきいきとした看板が埋め尽くす東京の通りを歩く。濡れた道路は、色とりどりの光の反射を生み出している」など、簡単なものでした」(同上)。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240827/k10014559741000.ht

*「歴史上トランプ氏のような存在はいたが、AIはいなかった」歴史学者・ハラリ氏が語るAIの危険性 人類のための“処方箋”【Yuval Noah Harari】(https://www.youtube.com/watch?v=1CFbZ-l_HFQ

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