【有明抄】ほんとうの理由は… とても喜ばしいことを社交辞令で「慶賀に堪えない」という。大正7(1918)年8月、神戸の商社・鈴木商店が焼き討ちされた。直後、会社に電報が届いた。「ケイガニタヘズ」。送り主は同商店のロンドン支店長◆日本屈指の売り上げを誇りながら、前近代的な経営を続ける組織の変革を求めるものだった。当時、富山から発した米騒動はまたたく間に全国へ飛び火。米価高騰は鈴木商店の買い占めが原因という根も葉もない風評で民衆が暴徒化したのを、いいきっかけとみたのだろう◆現下のコメ高騰も、農家や小規模の集荷業者が「値上がりを見越して抱え込んでいる」とされてきたが、どうやら違うらしい。農林水産省の在庫調査では、生産者から直接買い付ける小規模業者の増加など競争激化が原因だと見立てが変わった◆ではいったい、どこで流通の目詰まりが起きているのか。もともとコメ供給に余裕がなかったのではないか。値上がりが続くほんとうの理由が知りたい。こんな頼りない見立てで「備蓄米放出で価格は安定する」との言葉を信じていいだろうか。だれか組織に直言してほしいものである◆〈米びつの底の見えすく夜寒かな〉。昭和初めの音曲師、柳家小半治のわびしい一句が身にしみる。「慶賀に堪えず」と庶民が実感できる価格に落ち着くのは、いつになることやら。(桑)(佐賀新聞・2025/0/4/03)
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない(賢治)

数日前から近在の農家さんは田んぼの「代掻き」を始めています。間もなく「田植え」が始まるのかと思うと、わくわくする、という農家さんは多いかもしれません。想定以上の高い値段で「お米」が売れること請け合いだと確信しているからでしょうか。もはや死語になったかと思っていた「青田買い」はしぶとく生き残っていたと、ぼくは実に嫌な気分に襲われています。最近のコメ高騰の主因はいろいろに指摘されています。でも、誰が悪いというのではなく、同じ品物が「高く売れるなら」、だれだってそれを期待し、その方向で「コメ」の横流しをするのは「道理」(と言えば、語弊があります)、正確には「道理に反する」というべきです。つまりは「反道理」と言いなおします、なんですよ。従来、少なくとも一千万トンは収穫可能な国全体の稲作収量を、農林省(農水省)は、名代の悪政だった「減反政策」を長年にわたり維持し続け、米を作らない農家には報奨金を、指導に背(そむ)いて「コメ生産」を図った農家には罰則(罰金?)を課してきた、その結果、現在の生産高は700万トン(内外)という。その悪政の帰結が、今回の質の悪い「コメ騒動」を生んだというのが正しいでしょう。
コメ消費量の減少が進んだから、減反は政治判断としては「正しい」と言い募るが、今日の急騰米価をみれば、理由の如何を問わず「ノー政」の責任は免れないというべきです。その「青田買い」です。この語本来の意味を取り戻した感がありますね。「ケイガニタヘズ」と言ってみたくなります。売り手市場と買い手市場。この引力・押力がバランスを失すれば、難問が顕現するのでしょう。
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➀あおた‐がい〔あをたがひ〕【青田買い】1 稲の収穫前に、その田の収穫量を見越して先買いすること。→青田売買2企業がが人材確保のため、卒業予定の学生の採用を早くから内定すること。卒業前の学生を実る前の稲に、能力を収穫量にたとえた語。(デジタル大辞泉)
(*昨夕のニュースで「退社代行」会社が始動したという。就職2日目で、「退職したい」という新採用者の「退社代行」を引き受けた。昨日段階で、ある一社では「8名」の依頼があったと話している。この国の「前途多難」がこんなところにも如実に表れていませんか。「こんなはずではなかった」と、まるで意に反した、創外の「雨降り」に遭遇したような気分での仕事(会社)選びです)

➁あおた‐がい(あをたがひ)【青田買】〘 名詞 〙水稲の成熟前に、その田の収穫量を見越して先買いすること。転じて、学校の卒業見込みがまだ立たないうちに、会社、事務所などが、卒業後の採用を決めること。青田刈り。⇔青田売り。(精選版日本国語大辞典)
➂青田買い(あおたがい)企業が卒業前の学生を採用すること。農家が現金欲しさに収穫期前の水田作物を先物売りする「青田売り」の転用として 1960年代から使われるようになり,労働力の逼迫化した時代には「早苗買い」「籾買い」のことばも生まれた。「青田買い」を防ぐ就職協定は第2次世界大戦前からあり,戦後も 1952年,1972年などに締結されたが協定破りが続出し,有名無実化した。(ブリタニカ国際大百科事典)
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とにかく、昨今の「高騰米価」には各方面の算段が合致したのか、利害や打算が互いに背理・背反したのか、いずれにしても消費者ばかりが「泣きを見る」事態が今なお続いています「出し惜しみ」に「売り惜しみ」、そして挙句の果ての高騰ぶりに、否応なくの「買い惜しみ」。かかる現況に、農業政策・政治に至っては「無い知恵は絞れない」という一点張り。儲けに奔走することが、農業だと言わぬばかりの地に堕ちた職業倫理の横行でしょうか。誰が悪いといっているのではありません。大なり小なりみんなが悪い。もちろん正しい営農に励む農家も多くいる、仲買にも正義を貫く業者はいる。官僚にも適切な農政のために知恵を絞り身体を張る能吏がいることを疑わない。それでも、少しばかりの「貪官汚吏(どんかんおり)」や「衆愚政治家」の存在は、たちまちのうちに国民の生活を危機にさらすのです。

生産能力をいたずらに削るのは悪政の常道(品不足を生み、高値を維持して、値段を吊り上げる、恥知らずの愚策そのものです。世界的に食糧不足が蔓延している今日、収穫量の幾許かを支援に回すことはいくらもできるはず。誰にもわかる、公明正大な「農業政策」を取り戻してほしいし、どさくさに紛れて、姑息にも米価高騰の一翼を担うような「悪徳」に染まる人間どもは、法テラス、つまりは法に照らして処罰するべし。
現状を放置するばかりの「政治」を排除するために何が為されるべきか。可能な限りで、「農政不在」の真因を探り、その責任を果たさない連中はだれだれであるか、早急にステークホルダーを排除した「第三者委員会」を設置し、適切妥当な報告を求めるべきではないか。「農政審(ノーセーシン)」は解体・廃止すべし。「味噌汁にねずみ」だとか、黙っていると、何を食わされるか、「一杯食わされた」では済まないよ。

……われらはいっしょにこれから何を論ずるか……
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である(宮沢賢治「農民芸術概論綱要」
(校本宮澤賢治全集 第十三巻(上)覚書・手帳 本文篇」筑摩書房1997)
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