【卓上四季】しかし私は生きている 最近出た文庫本が並ぶ書店の一角。三日月に向かって歩く人の後ろ姿を描いたブルーの表紙が目にとまった。俳優の塩見三省(さんせい)さんのエッセー集「歌うように伝えたい」(ちくま文庫)だ▼つかこうへい、岸田今日子ら先人に導かれ、舞台に立ってきた実力派。映画「Love Letter」、朝ドラ「あまちゃん」で見せた演技は渋みがあった▼順調に活動していた塩見さんは2014年春、66歳で病に倒れる。脳出血であった。命は助かったけれど、左半身に重いまひが残った。立ち上がること、歩くこと、そして演じることもできはしない▼過酷なリハビリが始まる。訓練のつらさに思わず音を上げた。発症前に撮ったテレビドラマが放映され、元気だった自分の姿を目にして嗚咽(おえつ)した▼やがて行きつ戻りつの変化が始まる。いろんな境遇の仲間と励まし合い、医療スタッフに支えられ、前を向こうとする。つえを手に少しずつ歩き、恐る恐る外出し…。演技の仕事も再開できるまでに▼「シオミさん、苦しい時には引いたらダメだよ。そういう時こそグッと前に出るんだ!」。リハビリを偶然ともにした長嶋茂雄さんの助言である。塩見さんはこうしたことばや場面を右手の人さし指でタブレット端末に打ち込んだ。深い内省も平明な表現でつづられている。読んだ後の余韻が消えない。(北海道新聞・2025/04/09)

(ヘッダー写真は毎日新聞・俳優の塩見三省さん=東京都千代田区で2021年6月10日、前田梨里子撮影)
「シオミさんこれも人生だよ…」脳出血の絶望にいた私にリハビリの師匠ミスター長嶋茂雄がかけてくれた言葉(塩見三省) 一生懸命やれば開ける3つの道 長嶋さんの言葉、「一生懸命にやればできるようになり、もっと一生懸命やれば楽しくなる。そしてもっともっと一生懸命やれば、誰かが助けてくれる!」を心に刻んでいる。/ 2018年の夏頃に体調を少し崩されたようで、リハビリに行っても逢えなくなり寂しく感じていたが、ニュースで伝え聞く快復の報せに安堵して、毎週この病院でミスターを待った。/ 2019年、外来でリハビリに通っていた私は、国の決めた規則でHリハビリテーション病院に通えなくなった。長嶋さんにお礼が言えなかったことだけが心残りであった。/ それから2年経って、長嶋さんにはテレビで逢えた。東京2020オリンピックはコロナ禍で2021年に延期され始まった。私はオリンピックにはあまり気持ちが向かなかったが、ただ聖火ランナーとしての長嶋さんだけは気になっていた。最後にお会いした頃には聖火を掲げ走ることに一心で、まるで「走る」ようにリハビリで鍛錬されていた長嶋さん。/ 開会式で両腕を抱えられた姿には、私と別れた時とのあまりの違いに驚いた。しかし夢を叶えられた長嶋さんは一点の曇りなく笑っておられた。(以下略)(Presidennt Woman・2025.01.14(https://president.jp/articles/-/90231?page=3)(註 これは素晴らしい長嶋茂雄論でもありましたね。S.Yamano)

(上写真・「巨人のファン感謝イベントで行われた球団創立90周年セレモニーで言葉を交わす長嶋茂雄さん(中央左)と柴田勲さん」)(2024年11月30日、東京ドーム)(同上)
遥かの昔、ぼくは何歳の時だったろう。近所の友だちの家の庭で遊びながら、ラジオを聴いていました。(記録によると1957年秋)誰がラジオをつけたのか忘れましたが、神宮球場から6大学野球リーグ戦の中継をしていました。相手チームは忘れました。立教大学の長嶋茂雄という選手の放ったホームランのことははっきりと覚えています。最終学年の秋季リーグ戦、最終打席だったか。8本目の本塁打を打った場面。当時の新記録でした。恐らく、ぼくはその当時、東京六大学などまったく知らなかったけれど(今でも怪しい)、長嶋茂雄という選手は知っていたのでしょう。翌年巨人に入り、プロ最初の試合で国鉄(当時)の金田正一投手から「四打数四三振」を喫した場面も記憶に残っています。(当時、ぼくは彼の高校大学時代の野球少年・青年のことをよく調べていました。砂押監督という「鬼」のことも。彼は素手でノックの捕球を強要したというとんでもない監督だった。後に現ヤクルトの監督にも)

そして大きな病に襲われた。それでも「闘魂」というのか、長嶋さんは甦(よみがえ)り続けています。というわけで、ぼくの中で長嶋さんは「英雄」でも「天才」でもなく、努力の人、最後まで「力を抜かない人」という強烈な印象が刻まれました。後年、ぼくは千葉県佐倉市に移住し、そこで三十年暮らしました。長嶋さんは佐倉市臼井の出身で、ぼくが住んだ地区の隣町。何歳になっても、野球に関心が薄れても、ぼくにとって長嶋さんは特別の人だったかもしれない。「努力の人」「信念の人」として、おそらく数えきれない多くの人々に「人生のエール」を送り続けてこられたのでしょう。塩見三省さんについて知るところはほとんどありませんが、いくつかのニュースや記事で病に斃れられ、復活にかけていることを知りました。長嶋さんとの強烈な出会いに、塩見さん自身が大いに励まされという。

長嶋茂雄さん、現在89歳。ぼくは野村克也さんも好きでした。長嶋さんとは一歳違い(野村さんは1935年生まれ、長嶋さんは1936 年生まれ)。野村さんは自らとの比較で「長嶋はひまわりなら、俺は月見草」と生涯にわたって長嶋さんとの違いを語られていた。プロ野球選手(に限らず)、現役時代はもちろん、現役を退いてからもなお、多くの人に有言無言の励ましを与え続ける人もおられます。長嶋さんが「特別」とは思いません。重い病気を抱えながら、不死身のように、生への執念を絶やさなかった多くの知り合いが、ぼくにはいる。人それぞれに生きている流儀がありますけれど、「シオミさん、苦しい時には引いたらダメだよ。そういう時こそグッと前に出るんだ!」という長嶋さんの謹厳・激烈な生き方の流儀です。どんなときにも長嶋さんなんだなと、何だが涙が出てくるほどうれしく思いました。その「チョーさん」のエールに応えられておられる塩見さん、人生という舞台における塩見さんの「迫真の演技」は見ごたえというか、学びごたえがありますね。余計なことは言わないで、塩見さんの語られるところに耳を傾けていたい。(右写真・1962年撮影の長嶋茂雄(画像=『虹をかける男 実録小説長島茂雄』/ PD-Japan-organization)
「リハビリテーション病院での長嶋さんは車椅子の人にも腰を屈め、視線を相手の人に合わせて笑顔で話される。この病気では腰を屈めてキープすることは大変なのである。長嶋さんは日本のスーパースターであるけれども、あくまでもこの居場所では、同じ病と闘っている人たちと同じ立場で目線を交わされる。温かく、そしてジェントルな人であった」(塩見さん)(Presidennt Woman・2025.01.14)
塩見 三省(しおみ・さんせい)俳優 1948年京都府生まれ。演劇を志し、中村伸郎、岸田今日子らと伴に別役実や太田省吾の舞台作品、つかこうへい作・演出の「熱海殺人事件」他に出演。その後、映画「12人の優しい日本人」「Love Letter」「ユリイカ」「血と骨」「アウトレイジビヨンド」、NHK連続テレビ小説「あまちゃん」「パンとスープとネコ日和」他、多数の映像作品に出演。2014年に病に倒れるが、2017年、北野武監督の映画「アウトレイジ最終章」(第39回ヨコハマ映画祭助演男優受賞)で復帰。「劇映画孤独のグルメ」など。近年は、エッセイや脚本、書評も執筆し、著書に『歌うように伝えたい』がある。(同上記事・Presidennt Woman)
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