
大学を卒業したのが1968年月でしたから、もう60年近く前になります。田舎に帰って中学校(歴史)の教師をやろうとずっと思っていました。しかし、もう少し勉強しなければとても「でもしか教師」にさえなれないという自覚はあって、同じ大学の大学院に進んだのが、結果的には大きな過ちだったかもしれない。学部時代と同じ教員がいて、ぼくは驚愕し、かつ落胆したものだった。だから、なおさら中学校の教師になるという道を進まなかったという点ではたしかに過ちでしたね。その後、あまり考えもしないで大学の教師のようなものになってしまったが、それは「惰性」だったと正直に言っておきます。特に研究したいテーマがあったわけでもなく、大学に就職(所属)して生きて行こうという強い考えも微塵もありませんでした。ぼくが所属したのは「教育学部」だったのは、卒業後の仕事を考えてのことだったから、そこ(入学する)までは間違いではなかったでしょうが。
教師稼業の発端から「教職課程」というコースの授業をたくさん担当しました。大まかに言うなら、学校教育にかかわるさまざまな問題を包摂するような、問題山積の授業群だったと言えます。実に古めかしい科目名が教育や学校教育への古臭い、百年前と少しも変わらない、いわば古色蒼然とした印象を与えていた。もちろん、その内容だって、ほとんど「化石(fossil)」に似ているという代物でした。教育原理・道徳教育・生活指導・教授法(教科教育法)などなど、そのどれもが、せんぜんそのままに「観念」の被り物をつけられて、その古さと重さで喘いでいたといっていいでしょう。この「古色蒼然」は今も続いていると思う。昔の名前で出ています、そんな日本画が額にかかっていた気がします。ぼくはシガナイ学校教師の末端席に、最初から最後まで、自分の居場所がどこにもないという感覚をただの一度も忘れないで、ほぼ半世紀ほど過ごしたことになります。壮大な無駄だった気がします。

教育とは何か、こんな問題を飽きもせず、その間には繰り返していました。いつだって「自問自答(self-questioning)」していた。教育とは「右側通行」だと考えてみたり、いや「左側通行」なのだと考えなおしたり。今に至るまで、正解など得られるはずもなかったのは、ぼくにはさいわいでした。どのみち、考えることをよそにして、何物も始まらないのが教育という問題だったと思い至ったからです。さらに問い続けてきたのは、教師とは誰のことかという、一見すると自明に見える問題でした。学校教師の使命は「教えること」だと誰もが考えるし、それで間違いはないでしょう。でも、いったい「何を教えるのか」となると、ぼくには自明ではなかった。ここに、ぼくたちの躓きの石が転がっていたんですね。「教科書を教える」「教えたところをテストする」、その結果、「誰ができて、誰ができないか」を自他に明らかにすること、それが教師の仕事だと、大半は了解しているはずです。その程度なんですね。今日の多くの医者がするように「病名診断」を下すのが職業になっている、そんな「優劣判断」決定人、それが教師の仕事みたいに思われてきます。
何を教えるか、「徳川幕府を開いたのは誰か」とか「ハムレットの作者はだれか」、そんな問題を何千何百提出しようが、あるいは答えようが、何処に値打ちがあるのか、わからない人にはわからないでしょう。そのような愚問提示が子どもの生活や精神(知性)の成長にどのようなかかわりがあるのか、おそらく何もないともいえるでしょう。教師は教える人、生徒は教えられる人(学ぶ人)という約割分業が成り立っているから、学校の役割・機能は自明だと考えられてきました。ぼくは自分が小・中・高にいたころから、とにかく学校は嫌いだったし、教師も好きではなかった。どの教師も「教える」病に罹患していると考えていました。隙あらば「教えよう」とする、実に異質な存在に思えました。廊下の歩き方から、手の洗い方、食事時の箸の持ち方まで、何でも教えたがる人種だとみなしていた。「これが正しい」「それは間違いだ」と、いかにも自信をもって断定している、その姿勢が大嫌いだった。つまり疑問の余地がない領域に住んでいるつもりの人種に見えたのです。架空(虚)の世界の住人だったと思う。

自分が教師の真似事をしだして、何よりも「教えることができない」という自分の無能さ加減と、問題の不可解さに気が付きました。「イギリスの首都はロンドンです」と伝える(覚えさせる)ことが教えることなのか。そんなことはないのであって、いつ、どのような事情で「ロンドン」がイギリスの中心になったか、その歴史がわからなければ「イギリスの首都はロンドンです」を学んだことにも教えたことにもならないということです。どんな事柄にも「歴史」(「意味」「内容」)があるのであって、そこに至らない、触れない何事も、それは単なる言葉遊びにすぎないではないか、そんな当たり前のことに気が付いたともいえます。また、教育は教室の中で始まり、その中で完結するものではないことも分かった。教室を越えて、学校を越えて、教育(子どもと教師の付き合い)は続くのではないか。そんなことに気が付きだすと、学校というところの狭さ、理不尽さ、意味の浅さが大いに気になりだした。
【あぶくま抄】教師 名物教師は、どの学校にも一人はいる。昭和の終わりごろ、県北地方の進学校に長く在籍した国語の先生も、そうだった。ぎょろりとした目が愛らしい。物言いにはユーモアがあった▼クラスや学年の垣根を越えて生徒と接した。学校になじめず、やんちゃな子とは特に親しく。教科書を閉じたままの文学少年には、「東京には文豪の行きつけの店がある。都内の大学に進学し、巡ってみればいい」。未知なる世界への憧れを誘い、机に向かわせた▼最近の「聖職」はとかく忙しく、管理職になるのを望まない傾向もあるという。小中学校の教頭は朝早くに出勤し、学校の門を開ける。帰りは連日、ほぼ最後。責任も重くのしかかる。生身の人間なれば、愚痴の一つも出てこよう。働き方改革が叫ばれて久しいが、事務作業などが増え、ゆとりが失われているとの声も聞く。昇進を目指す意欲は、いつしかしぼんでしまうのだろうか▼給与アップや労働時間削減など処遇改善に向けた国の検討が進む。熱血教師がいても今や孤軍奮闘、孤立無援では立つ瀬がない。改めるべきは、今すぐ改めて。陰に日なたに見守ってくれる、あの優しい目を学び舎から絶やさぬように。(福島民報・2025/02/25)

どこにだって教師は存在するし、どんな境遇にあっても、何処にだって学校(「教育の場」という意味)はあるということの発見だったでしょう。コラム「あぶくま抄」氏の言い分は分からないでもない。どんなところにも「優れた教師」はいるでしょうし、「名物教師」もいると思う。問題は、何において「優れ」、何において「名物」かということ。そして、「誰にとっても教師であること」は不可能だろうし、どんな人間でも誰かの教師にはなっているともいえます。つまり、万人にとっての教師はいない、その代わりに「誰かの教師」であることは大いに想像できます。教師の仕事は教えることではない。この点を踏まえれば、「日本の教師」という偶像(idol・image)はきわめて観念的に過ぎるにもかかわらず、その過剰な観念に支配されて、驚くほど窮屈だと、ぼくには思われてきます。もっと破天荒(unprecedented)であってもいいじゃないか、羽目を外したらどうか。四角四面の教師像をこそ突き破ろう、そんな思いがぼくの中に溢れて来たともいえます。
今日、現場で奮闘している教師の境遇というか、教育環境は、実に息苦しいものだという実感もあるし、経験から学んだところもある。四角四面というか杓子定規というか、あるいは形式主義でもあり官僚風でもあると言ったらどうでしょう。驚くべきことですが、工夫する余地もなければ、自由に振る舞う範囲がほとんどないのです。少子化が進んでいく中で、さらに教師のなりては払底するのは目に見えています。教職に魅力があるかないか、その決め手は「学校・教育(授業)の自由の雰囲気いかん」にかかっているでしょう。

ぼくは長い間の「教師(まがい)業」において、徹底して「教えないで問い続ける」ことを一貫してきたと思う。教えないで質問する、それが教師の仕事だといい続けてきたし、自分でもそれを実践しようとしてきた。だから「成績」「点数」「席次」などは二の次に置いていたと思う。洒落た言葉を使うなら「優劣の彼方」にまで子ども(生徒・学生)たちと共に歩くことを目指していたともいえます。学校教育は子どもたちといっしょに山に登るようなもの。ある種の冒険であり、未知への挑戦だと思っていました。予定調和ではなく、いつ難問に遭遇するか、そこで休憩もし長考もできる、そのような判断力を身につける。そこに見られる「教育の可能性」を開いていきたいと念じていたのです。
結論ではありませんが、教育(授業)を通じて、子どもの考える力が育つ、もちろん教師自身の思考力も。それがぼくの憧れの「教育」であり「授業」でしたし、そんな力を育てられる学校(教室)こそ、ぼくたちの居場所(meeting room)だと思っていました。教室は「考える練習場」だったと思う。子どもたちの輪の中にいる教師。その人は何をするためにそこにいるのか。「問題を出し続ける意志を持つ」、それが「教える」なんだ。だから、彼や彼女のすることというのは、「教えないで質問する」ことばかり、それが教師という存在の仕事だ。子どもたちが「自分流に考える力」を育てるのを支える、サポーターなんだね。
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あるきっかけがあって、ぼくはメキシコで作られた映画「型破りな(radical)教室」を知りました。2023年につくられ、日本でも公開されました。ぼくな未見ですが、今なお上映しているところがあります。なんとしても観ておきたいとと思っています。いろいろなデータや情報を見た限りでは、「教えないで、問う」教師がそこにいたと思われます。「麻薬と殺人が日常と化した国境近くの小学校。子供たちは常に犯罪と隣り合わせの環境で育ち、教育設備は不足し、意欲のない教員ばかりで、学力は国内最底辺。しかし、新任教師のフアレスが赴任し、そのユニークで型破りな授業で、子供たちは探求する喜びを知り、クラス全体の成績は飛躍的に上昇。そのうち10人は全国上位0.1%のトップクラスに食い込んだ!/アメリカとの国境近くにあるマタモロスの小学校で2011年に起きた実話を描いた本作は、本国で300万人を動員し、2023年No.1の大ヒットを記録。更にアメリカでも限定公開かつスペイン語作品にも関わらず初週5位の快挙をとげ、絶賛の嵐は北米まで広がった。『コーダ あいのうた』に続いての教師役ながら、新たな魅力を発揮したエウヘニオ・デルベスにも注目。/未来を望むことさえしなかった子供たちが、可能性や夢に出会い、瞳がきらきら輝きだす光景に、心打たれる奇跡の感動作が誕生した」(https://katayaburiclass.com/)
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「『型破りな教室』公式サイト」(https://katayaburiclass.com/) 「『型破りな教室』予告」(https://www.youtube.com/watch?v=H6BicE5iUvk) (上映中・新宿武蔵野館:https://shinjuku.musashino-k.jp/movies/43601/)
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