ウクライナを消せば平和が来る?

⦿ 週初に愚考する(五拾九)~ おそらく早い段階から、「今日の舞台」あることを想定してTはPとは連絡を取り合っていたと思う。野心を持つ者同士の「野合」(あまり美しい言葉ではないが、ここで使うのがふさわしいと思う)だった。時限爆弾(あるいは地雷)を仕掛けたのは策略の鬼才に決まっている。大ロシア復活を果たした「新皇帝」の冠を被ることを希求してやまない権力者。齢、七十を過ぎてもう時間がない。そこに登場した(させた)のが米国商売人。利益(名誉)が騰がるなら何でも図(謀)る、いかなる手段を取ることにも躊躇しない。ウクライナ大統領をホワイトハウスへ呼び込んだ、誘(おび)き出したこと、それこそが両者にとっては「時宜を得た(timely)」策略だったというのだ。

 Zをわざわざワシントン(ホワイトハウス)まで招き寄せて、一発かましてやった(辱めた)という構図。それ以前に、米大統領はホワイトハウス内で取材できるメディアは選別すると公言し、APやロイターなどの批判的メディアは排斥していた。その代わりにだろうか、昨日の会見の場に(タス通信だったか。註 後にクレムリン関係の記者だったことが判明・03/03)ロシア側記者がカメラを構えていたという報道がある。後継者に任じられた副大統領も、脚本通りに「準主役」を演じた。「してやったり」とほくそ笑んでいるとするなら、地獄行きだ。舞台装置も観客に見栄えがするように整えられていた(何枚もの全体写真をみよ)。これを「サル芝居」といい、「田舎芝居」とこき下ろすことはできるが、この芝居の幕は上がったばかり、今や舞台は第二幕に移っている。

 仕掛けられた地雷(あるいは時限爆弾)を踏んだのは誰だったか。多くは「罠」に嵌められたたZだというだろうが、ぼくはそうは見ていない。彼は六方を踏み、筋を通し切った。「雪が溶ければ春になる」という如く、「地上からウクライナをなくすれば、『平和』になる」と、愚かにも、悲しくも妄想しているのは誰と誰だ。愚かしいにもほどがあるというもの。

 いずれ、この汚い関係(姦計・evil scheme)は明かされる。世界の人民をペテンにかけて、「野合」から得られるものはなにか。恥辱だけでないことは確か。第二次世界大戦後、維持されてきた「アメリカの地位」は大西洋の藻屑(seaweed)消えたと思う。それにしても、米国の品性及び信頼が地に堕ちたことを大喜びし、Pにすり寄る自国大統領を礼賛するという前代未聞の「情景」に狂喜する(風に見せている)米国民(国会議員を始めとして)がいることに、やりきれない頽廃を感じている。この国と同盟しようとする国の未来もない。

 ぼくは必要以上に、アメリカT大統領の再登板に関して、批判に終始する駄弁を弄しているが、それは東海の小島の命運に不可避の悪影響を及ぼすから、それだけではないが、その愁いは小さくなかった。逆に見れば、汚い、主従に等しい「日米体制」の軛(くびき)から、曲がりなりにも足を抜く機会(口実)に恵まれたのだ。I首相よ、ウクライナ支援に手を抜くな。

(*「野合」とは「正式の手続きによらず、夫婦になること」「共通するものもないばらばらの集団が、まとまりなく集まること。『選挙のための—と批判される』」(デジタル大辞泉)

【卓上四季】おまえのものは… ガキ大将の代表格といえば「ドラえもん」に登場するジャイアンが思い浮かぶ。スネ夫とコンビでのび太をいじめる乱暴者。彼には決めぜりふがある。おまえのものはオレのもの、オレのものもオレのもの―。理不尽であっても「オレがルールなんだから欲しいものは全部よこせ」という感じだ▼米国のトランプ大統領が重なって見える。ウクライナのゼレンスキー大統領との首脳会談もそうだった。のっけから言い放つ。「掘って掘って掘りまくり、レアアースを手にするのが楽しみだ」。相手方の鉱物資源の権益がおもな議題とはいえ、あまりに露骨だった▼やりとりはやがて激しい口論に。怒りからかトランプ氏の顔は紅潮していく。脇から加わるバンス副大統領はスネ夫の役どころか。圧倒的な力を持つ側が脅す構図に思えた▼ゼレンスキー氏も黙っていない。ロシアの軍事侵攻で苦難と犠牲を強いられる。言うべきことを言う姿勢は揺るぎないが、なにより必要だった和平は遠のいた▼開戦から3年。今後どうなっていくのか。欧州各国がウクライナ支持を表明しても、交渉が決裂したショックは大きい▼ジャイアンには善悪をわきまえ、叱ってくれる母親がいた。トランプ氏の周囲には1期目と違って、忠誠を誓う者しかいない。これがなにをもたらすのだろうか。心配は尽きない。(北海道新聞・2025/03/02)
ゼレンスキー氏、トランプ氏に謝罪する必要なし 首脳会談後のインタビュー(CNN) ウクライナのゼレンスキー大統領はFOXニュースのインタビューに応じ、ホワイトハウスでの激しい応酬を受けてトランプ米大統領に謝罪する必要性は感じていないと明らかにした。/ゼレンスキー氏は「いや、私は大統領と米国民を尊敬している。我々は非常にオープンに、率直になる必要があると思う。何か悪いことをしたとは考えていない」と発言。「民主主義と自由なメディアにあらゆる敬意を込めて言うが、中にはメディアの外で議論しなければならないこともある」とも述べた。/ホワイトハウスのチャン広報部長はトランプ氏が番組を視聴していたか問われ、エアフォースワン(大統領専用機)の機内で記者団に「イエス」と返答したものの、それ以上は詳しく語らなかった。(CNN・2025/03/01)(https://www.cnn.co.jp/world/35229961.html

(事前の会談が決裂に終わったため、中止された協定調印式と記者会見の会場)(2月28日、ホワイトハウス)(BBC NEWS)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

弥生の空の下に 「時限爆弾」 が

 弥生(三月)朔日。大船渡近郊の山火事はなお燃え盛っています。いろいろな困難な条件がそろっている山火事です、この先、一刻も早く鎮火することを願うばかりです。(ヘッダー写真「ロシア軍の侵攻により破壊されたウクライナ東部バフムートの街並み=AP」)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/232858

 日本時間の午前一時過ぎから、ホワイトハウスで行われた米大統領とウクライナ大統領の会談。見る予定はなかったが、固唾をのんで観てしまった。いろいろな意見や批評はあるだろうが、米側はウクライナを一足で踏み潰せるという、まさしくロシアのP大統領と同じ「蔑視」や「偏見」をウクライナに抱いていることを隠さなかった。「文句をいうな。頭を下げて感謝しろ」「誰に向かってモノを言っているのだ」「立場を弁えろ」という強圧姿勢は何を示しているか。そのきっかけを作った副大統領の、大統領への見え見えの忖度と追従が、裸の王様をけしかけてしまった。

 ウクライナの惨禍や窮状を取引の材料にしているのがありあり、それをカードにして強請(ゆすり)と脅しをかけたのが米大統領。ウクライナ大統領は国を死守するという気概があるのは当たり前。個人の「利益」「名誉」を最優先することに必死の「商売人」とは志が違うというばかりです。この結果は、どうなるかぼくには予想することはできない。本当に「和平」を望むなら、米国大統領は出直すべきであり、改めて歴史を学び直した方がいいでしょう。まず無理なことだが。振り上げた拳(こぶし)をどこに卸すか、見ものです。彼は露大統領と口約束しているに違いない、「Zは、この俺に任せておけ」と。(T大統領はPの「腰巾着(waist pouch)」になり下がり、アメリカの副大統領VはTの「腰巾着(waist pouch)」に喜んで成り下がっている。早朝から醜悪な物を観てしまったと思う。

 想わない抵抗に遭って怯(ひる)んだのは米大統領。「俺に何を言うか」「無礼者」という「根拠のない唯我独尊」の振る舞いから生み出されるのはアメリカそのものをも貶めることだとは、まったく気がつかないのだから、始末に悪い存在だ。心底から「ウクライナに平和を」と願っているのなら、こんな不遜な態度は出てこないはず。ウクライナを支援してきたのはアメリカ歴代大統領であり、アメリカ議会であり、アメリカ国民だということを、今の今になって全否定することはできない相談。「何を欲しがって、プーチンの股間を潜ろうとしているのか」と問われて、T大統領は何と答えるか。それだけ「褒章」が欲しかったのです。この一場の「闘論」は、米国側が仕掛けた「罠(trap)」だっと思う。とんでもない国になったものだね。(追加:MANBC<‘There is no question this was a setup’: Amb. Susan Rice on Trump’s Oval Office ambush of Zelenskyy>=https://www.youtube.com/watch?v=yWbK5gfNYd4)(2025/03/01/10:00 A.M.)

 これ(交渉)は「ロシアとアメリカ」の問題だというなら、それに即した、ウクライナに対する「礼儀「「仁義」というものがあると、逆に糺(ただ)されないでしょうか。当事者抜きの「交渉」は米露のならず者が相談ずくで始めようとしているもの。一方の当事者(U)抜きの「合意(agreement)」とは何ですか。弥生の空の下、方々に「時限爆弾(time bomb)」が仕掛けられ、「地雷(landmines)」が埋められている、実におっかない世界の現実です。それを最初に踏んだのは、あるいは最初の打撃を受けたのは、誰だったか、ぼくには明らかなように思われます。<Trump tells Zelenskyy he’s ‘gambling with World War III’ in tense exchange>(https://www.youtube.com/channel/UCaXkIU1QidjPwiAYu6GcHjg

  米ウクライナ首脳会談は決裂、資源取引で署名至らず-激しい口論の末 トランプ米大統領は28日、ホワイトハウスでウクライナのゼレンスキー大統領と会談したが、予定されていた資源取引は署名に至らず、首脳会談後の共同記者会見も中止となった。ロシアとの合意を目指すトランプ氏の取り組みにゼレンスキー氏が疑問を呈したことで、会談は冒頭から激しい応酬となった。
  今回の会談は両首脳の結束を示す場となるはずだったが、ゼレンスキー氏はテレビカメラの前で米国側と衝突する格好となり、ホワイトハウスを後にした。ロシアのプーチン大統領とのディールを目指すトランプ氏は資源取引について、米国の対ウクライナ支援への見返りとして必要な一歩だと位置づけていた。  
  トランプ氏はゼレンスキー氏がホワイトハウスを去る直前、自身のソーシャルメディアプラットフォームであるトゥルース・ソーシャルに投稿。「彼はこの大切な大統領執務室で米国を侮辱した。平和を受け入れる準備ができたら戻ってくればいい」と突き放した。
  協議決裂を受けて、外国為替市場ではドル指数が上げ幅を拡大。ユーロは売られた。(Bloomberg・2025/03/01)(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-02-28/SSEKSMT0AFB400?srnd=cojp-v2)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「風邪は万病の元」と言われます

 毎年、この季節になると「花粉症」に罹患し、大いに不快な時間を過ごす羽目になる。四十歳ころまで、花粉症になったという自覚はなかったし、それで悩まされたことはありませんでした。恐らく、千葉県に越してきてかなり経ってから花粉症の症状が出てきたように覚えています。でも、その治療のために医者にかかったことは一度もない。理由は単純、今の医療で花粉症が収まることはないと思うからです。年々歳々、花粉症の研究が詳しくなり、その医学的な対策(治療法)が進化しているように見られるのに、かえって、花粉症に罹患する人が多くなり、花粉症対策の療法が追い付いていないという状況判断から、ぼくは医者にはかからないと、今の段階では決めています。花粉症はある種のアレルギー反応であり、別の観点では「感染症」的でもあるでしょう。花粉症のメカニズムがわかり、その治療法が確立すれば、大きな前進を医学は果たしたことになるでしょうが、それは先のこと、おそらく身体のメカニズムが解明され、タンパク質等の働きが突き止められた暁のこと、夜明けははるかに遠い、ですね。

 このところ、必ず2月から3月ころまで、いわゆる花粉症に罹(かか)ります。嚏(くしゃみ)・鼻水・鼻づまり、それに目の痒みや痛みなどなど、主な症状はその程度ですが、その症状も年によって差があるのでしょうか。今年は特に激しい、酷いという、例年との比較は、ぼくの場合はうまくできていない。それは毎年のこと、ある種の季節症状であって、時季が過ぎれば収まるのですから、何とかしなければということにもならないのは、あるいはさいわいなこととぼくは考えている。もちろん、その重・軽症程度は人によりけりで、大いに悩まされ、日常生活に支障をきたす人もおられるでしょう。毎年、この季節になると、おそらく「花粉症」について駄文を書き下しているはずですから、今回もあまりそれに触れることはしません。

 ただ、花粉症がこの社会で問題にされたのは1960年台以降のこと、それ以前は多くの症例報告はないとされていました。コラム「小社会」にあるようにアメリカの「ブタクサ」花粉症は、近年、日本でも(秋に)見られますから、スギやヒノキが主たる原因とは言い難くなってきました。さらに多くの植物の花粉によって引き起こされていることも報告されています。幸か不幸か、拙宅はスギとヒノキの林に囲まれていますし、庭の方々にはブタクサなどの野草も生い茂っています(秋口)。花粉症を引き起こすには最良の環境だと言えますね。しかし、連れ合いは花粉症の症状を見せることは今のところはない。あるいはあるのかもしれませんが、本人には自覚がないだけかもしれない。

 その連れ合いは、昨日近くの病院(整形外科)で診察を受け、首や肩などの激しい痛みの「原因」がわかりました。検査の結果、「血中CRP(C反応性蛋白)濃度」が異常に高いことが判明したのです。「CRPとはC-リアクティブプロテインというたんぱく質で、体内で炎症が起きたり組織細胞に障害が起こるとこのたんぱく質が増えていきます」((https://www.dock-tokyo.jp/)このCRPが活性化すると、いろいろな疾患の原因(引き金)になるとされていますが、検査の結果だけでは、どういう疾患や感染症なのかはわからないので、その後の追跡検査や継続観察(診察も)が必要とされています。差し当たっては鎮痛剤を服用し、それで治まれば、第一段階の治療は終わりだと言われた(が、納得することはできませんでした)。

 「CRPの検査値をみてもどの臓器に異常が起こっているかという診断はつきません。炎症状態の経過を見るには重要な検査値です。検査値が非常に高い場合は結核などの慢性感染症、関節リウマチなどの膠原病、心筋梗塞、肝硬変、悪性腫瘍などで、軽度の上昇はウイルス感染症、内分泌疾患などが考えられます」(https://www.dock-tokyo.jp/)

 昨日の病院では「痛み止め(鎮痛剤)」を処方された。風邪の初期症状などにも使われている薬の仲間です(三共製薬)。つまりはある種のウィルスによる感染症かもしれないという診断なのかもしれません。その医者(この病院の院長)はほとんど「診断」についての説明はしなかった。その姿勢は驚くべきことだったと言いたい。たぶん、駆け込む診療科が間違っていたからだったかもしれない。むしろ、「内科」へ行くべきだったろう。(最初に通ったのが整骨院だったから、その医師の勧めもあって整形外科にしたのだったが)昨日診察を受けた病院の内科にも連れ合いはかかっていたことがある。担当医師は、別の大きな病院勤務でもあり、そこに移っての治療は続いたが、いつ果てるとも知れない通院に思われたので、途中でいかなくなった。ともかく、昨日処方された薬で痛みが鎮静すればよし?ということだった。(数日間様子を見てから、どうするかを判断したい)

+++++++++

 昔から、「風邪は万病のもと」と言いました。文字通りに、風邪も一種の感染症であり、体力の衰えているときには、感染症状がひどくなり、それによって隠れていた症状(病気)が顕在するということがあります。ちょっとした風邪が引き金になって、大きな病が明かされるのでしょう。「風邪は百病の長」とか、「風邪は百病の元」などともいわれてきました。連れ合いの通院によって、ぼくは図らずも、この「諺(ことわざ)」を思い出していました。体力の衰えや、消耗を放置しておけば、さまざまな症状が身体に出現する。たぶん、いろいろな種類の特定タンパク質が体内で分泌し、それによって大切な「細胞」などが壊されることになるからでしょう。風邪の引き起こすメカニズムを解明することができれば、医学における画期的な進歩が達成されると思う。特定のたんぱく質の分泌とその原因等が明らかにされれば、かなりの病気(疾患)の治療に有効な成果を上げられるはずだからです。

+++++++++++

【いばらき春秋】急ぎ足というより駆け足だろう。つい先日、新年を祝ったばかりなのに、2月が終わり、あしたから3月。「一月往(い)ぬる二月逃げる三月去る」とはよく言ったもので、月の頭文字に掛けた名調子の通り、どんどん過ぎていく▼28日しかないのだから「逃げ月」は当たり前。と思っていたら、このことわざは2月だけが短くなかった旧暦当時にあったとの説も。いずれにしろ、目まぐるしい▼ここ数日は、自分こそ逃げ出したいと思っている人も多いのでは。ぽかぽか陽気となり、スギ花粉の飛散が一気に本格化。社会面の右下にある「きょうの花粉情報」の丸顔は、県内は「少ない」と毎日にこにこ笑っていたのに一変、「多い」と泣き出しそうな顔になってしまった▼来月のピークを前に今季は「過去最凶」とも聞く。気象情報会社によると、飛散量は各地で例年よりも多く、県内は最大2倍と予測する▼そんな中で近年注目されるのが避暑地ならぬ「避粉地」。北海道や沖縄県のほか、海辺や離島はスギ林がなく、花粉症が和らぐとして、新たな旅行スタイルの提案や企業誘致に力を入れる▼国民病といわれる中、少しでも花粉に悩まされず春を楽しみたい。人々の思いをよそにきょうで2月が逃げる。(拓)(茨城新聞・2025/02/28)

【小社会】あの季節へ 日本テニス界の黎明(れいめい)期を築いた選手に熊谷一弥(1890~1968年)がいる。20年、アントワープ(ベルギー)五輪で銀メダルを獲得。日本人初の五輪メダリストとなった。▼熊谷の実力はそれで十分証明されているが、翌年の国別対抗戦デビスカップ(米国)も印象的である。「鼻詰まりて鼻汁不断に流れ出(い)でて苦しんだ」と著書にある通り、全力を出し切れなかったものの準優勝を果たす。▼本人は当初、風邪と捉えていたようだが、受診の結果、当時、米国の風土病とされていた「枯草(こそう)熱」と判明する。いまでいう花粉症で、ブタクサが原因とみられる。治療法もなかった時代だから、随分と悔やんだに違いない。▼日本で花粉症が報告され始めたのは60年代なので、それより40年も前の体験になる。メダルだけでなく花粉症患者としても先駆けだったわけだ。その熊谷も、花粉症が後に日本の国民病になるとは思いもしなかったろう。▼寒さが和らいできた。春の到来は歓迎するが、スギ花粉も伴うからつらい。日本気象協会によると県内はこの週末、飛散量が「非常に多い」と予想。それこそ花粉症を突然発症し、風邪と勘違いする人もいるというから注意を。▼四国の今春の飛散は昨年の猛暑の影響もあって、前年比8倍といわれる。夏の気温は翌年の花粉症をも左右する。折しも一昨日、気象庁がことし6~8月の予報を発表した。またも平年より暑い夏という。(高知新聞・2025/02/27)

◎ 花粉症(かふんしょう)pollinosis=アレルギー性鼻炎のうち,特に花粉の飛散期である春と秋に限定して起きるものをいう。普通のアレルギー性鼻炎の場合,日本では主に室内塵 (ハウスダスト) やそれに含まれるコナダニ,チリダニが抗原となるが,花粉症ではスギ花粉やブタクサ花粉,稲科植物 (カモガヤ,オオアワガエリなど) の花粉が原因となってI型アレルギー (免疫グロブリンの一つである IgE抗体が関与する反応) を起す。くしゃみ,鼻水,鼻づまりのほかに,眼,皮膚,のどなどにも発赤や腫脹が起り,さらに全身症状や気管支喘息を随伴する。花粉の飛散期を過ぎると突然,症状は消失する。花粉が原因であることが証明されなかった 1873年以前には,誤って枯草熱 (こそうねつ) hay feverといわれた。治療には対症的に抗ヒスタミン剤や局所用ステロイド剤の使用が試みられるが,最も効果的なのはマスクなどによって花粉の吸入を避けることである。また,開花期の数週間前から花粉毒素を使って脱感作を行うこともある。(ブリタニカ国際大百科事典)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

戦後80年。記憶の継承という…

 昨日の午後はどんなことをしていたか、今朝の朝飯は何を食べたか、いくらも時間が経っていないのに、まったく記憶が消えていることがあります。一日前のことすら覚えていない人間が、しかし、五十年も八十年も昔(過去)のある場面や出来事を鮮明に覚えているのはなぜでしょうか。自分が見聞したことは細大漏らさず、一端は記憶の倉庫(海馬・hippocampus)に保存します。そして、その中から、ぼくたちは必要に応じて、あるいは思いもかけずに倉庫の中の「記憶(貯蔵)品」からいろいろなものを取り出しては検査・確認するのでしょう。どんな些細なことでも必ず記憶の倉庫にしまうことは、おそらく誰もが、ひろくは動物一般がすること(記憶の把持・保存)です。(*海馬=大脳辺縁系の一部で、側脳室の近くにある部位。古皮質に属し、本能的な行動や記憶に関与する。形がタツノオトシゴに似ることから、16世紀にイタリアの解剖学者アランティウスが命名した。アンモン角」「補説 形が神話の海馬ヒッポカンパスに似るところからいうという説もある」(デジタル大辞泉)

 しかし、そこから今の自分にとって極めて意味のある事柄、大切な思い出などは、少なくとも「現在」にかかわりがあるかぎりは、それを取り出すことができる。それを想い出(recollection・reminiscence)として必要に応じて「追想」「想起」します。本年が「昭和百年」であり、「戦後八十年」と追想されるのは、その「出来事」や「事実」が、今の社会や個々人の成り立ちに小さくない働き(要因・要素)をなしているからだと考えられます。では、「百年」「八十年」にかかわる自らの経験がまったくなければどうするか。手がかりがないことの「記憶」や「経験」に縋(すが)ることはできない相談だとするなら、自分を超える「出来事」(歴史)にいかにしてかかわるか、それが公正に生きる人間の課題であり、優れて教育の問題であるといえるでしょう。

 今は2月27日(木)の午前五時前です。昨日の出来事の記憶をたどりながら、この駄文を書こうとしている。連れ合いが、この数日、首や肩の痛みを訴えている。本人は「寝違えた」と言っているが、それだけなのか。激しく痛みが襲うらしい。昨日と一昨日は、先ず症状の具合を知ろうと近所の整骨院に出かけた。二回の治療で、院長いわく「病院の整形外科で一度検査してもらったら」と。ぼく自身も「痛みの重さ」の訴えから、おそらくそうなるだろうと想定していたし、事前に、これも近くにある総合病院に連絡はしてある。そして、本日九時には出かけようとしている。かみさんはこの病院に一度、数日間だったが入院したこともあるし、それ以外にもかなり継続して通院していたので、症状の把握のためには必要だろうと、その準備(心づもり)はしていたのです。

+++++++++++++

 いま、新聞コラム「二題」を引用して書こうとするのは、「記憶すること」と「記憶(したもの)を取り出すこと」のギャップについてです。「有明抄」は「佐賀空襲」の際に投下された焼夷弾の残骸が保管されていることを示して「語り継ぐ世代が少なくなる中、戦争の現実を知る」、その縁(えにし・きっかけ)になるものにどれだけぼくたちは関心を持っているかと問う。「戦後80年。不発弾のニュースもいまだに届く。過ちを繰り返すなと語りかけているようである」と結ぶが、この「空襲」の経験を持たないものはどうするか。どこに手がかりを見出せばいいのでしょうか。問題の核心部分はここにあるでしょう。他人の体験を、自らの経験にまで昇華させようとする作業、それが「教育」、殊に「歴史教育」の核になるのかもしれない。だれかの「体験」を、自分なりに「追体験」することが、です。

【有明抄】空襲の記憶を刻むもの きのうの本紙に「佐賀空襲」の焼夷(しょうい)弾の残骸が佐賀市の北川副公民館に保管されているという記事が載った。太平洋戦争末期の1945年は佐賀だけでなく日本各地で空襲があった。3月10日の「東京大空襲」では約10万人の命が奪われた◆作家の向田邦子さんが「その夜」を振り返っている。三方を火に囲まれもはやこれまでという時に風向きが変わり助かった。一夜明け、「次は必ずやられる。最後にうまいものを食べよう」と父が言い、とっておきの白米を炊いて家族で食べた思い出のエッセーは何かもの悲しい◆黒柳徹子さんが通った「トモエ学園」も東京大空襲で焼失した。昨年3月に亡くなった鈴木健二さんはもっと悲惨な記憶を『最終版気くばりのすすめ』に記す◆あの空襲の夜、人々は近くの小学校に避難した。だが、校舎に入りきれなかった人が多数。それでも中に入ろうとすると校舎が火事になり、外に逃げようとする人で焼死体の山が学校いっぱいに築かれた。赤ちゃんを抱いて逃げてきた母親の死体もあった。その光景に鈴木さんはただ、「人は母と生まれ故郷を大切にして生きていけばよい」と思ったという◆語り継ぐ世代が少なくなる中、戦争の現実を知る一文は貴重。戦後80年。不発弾のニュースもいまだに届く。過ちを繰り返すなと語りかけているようである。(義)(佐賀新聞・2025/02/26)

 その観点で、次の「小社会」の記事はぼくには衝撃だった。渡辺和子さんのことを多くの方はご存じでしょう。だから詳細は省きます。彼女が九歳の時、東京の中心部で「二・二六事件」が勃発。今から九十年前の「2月26日」のことでした。当時の警視総監だった渡辺錠太郎氏が射殺され、和子さんは父親の襲撃される場面をつぶさに凝視していたという。岡山にあるノートルダム清心女子大学の学長だった渡辺和子さんの語られる「体験談」に、ぼくは深く打たれた。「『226』って知っている?」という渡辺さんの問いかけに、「ほとんどの学生は『電話番号ですね』と答えた」らしい。歴史を知らない学生の「無知」を怒るのでも、叱るのでもない、「知らないなら教えてあげましょう」というのでもない、その「学生たち」に直面した渡辺和子さんの深い「当惑」が嫌でも伝わるように、ぼくは感じるのです。「歴史感覚」の欠落は、今日病でもあるでしょう。はたして「歴史(過去の出来事)」は教えられるのか。

【小社会】二・二六事件 岡山市のノートルダム清心女子大学の学長を長く務め、シスターでもあった渡辺和子さんは、学生によく尋ねた。「『226』って知っている?」。ほとんどの学生は「電話番号ですね」と答えたという。▼岡山には「086―226―××××」の地域があり、学生はその数字を思い浮かべた。渡辺さんが亡くなった、9年前の文芸春秋誌にそんな話が載っている。▼1936(昭和11)年2月26日早朝、雪の東京で起きた旧日本陸軍の青年将校らによるクーデター事件。渡辺さんの父、錠太郎陸軍大将は自宅で殺された。当時9歳の渡辺さんは物陰から惨状を見ていた。事件後、軍部の政治介入は強まり日中戦争、太平洋戦争へと突き進む。▼戦後80年。記憶の継承という言葉をよく耳にする。体験者の話を直接聞く機会が少なくなる中、戦争被害だけでなく加害の実態を含めて次の世代にどう伝えていくか。▼「若い人が知らないのは当たり前」。教育者として渡辺さんは、そんなふうに考えたのではないか。繰り返し学生に同じ質問をする。「知らない」ことをきっかけに自ら学んで―。そうした思いがあったのかもしれない。▼事件の50年後。自宅を襲撃した兵士の家族と渡辺さんは対面する。「相手を知り、理解しようとしなければ、いつまでたっても憎しみは消えません」。別の回想記にそんな言葉がある。ウクライナなど各地で紛争が続く。思いを伝えたい。(高知新聞・2025/02/26)

 「『若い人が知らないのは当たり前』。教育者として渡辺さんは、そんなふうに考えたのではないか」「『知らない』ことをきっかけに自ら学んで―。そうした思いがあったのかもしれない」とコラム氏は推測しています。そうだったかもしれないし、そうでなかったかもしれない。渡辺さんの書かれた「置かれたところで咲きなさい」を想うと、ぼくにもいろいろな場面が浮かんできます。「神の配材(an act of Providence)」、「模範的なキリスト教徒」という印象を強く抱かされました。(この本がベストセラーになったことに、ある種の「怖さ」を感じてもいました)

 「226」は電話番号だと無邪気に反応する学生のどこが悪いのか。悪いところは何もない。無知は罪ではない、知らなければいけなことを知らないのがよくないのだと、世間では訳知り顔で言うでしょう。では「226」は電話番号ではないと、この学生たち(渡辺和子さんが学長だった大学の学生たち)は、どうして知る(気が付く)ことができるのだろうか。渡辺さんの履歴から、事の真相を知ることがあっただろうし、渡辺さんもそう願ったでしょうか。

 では、それ以外の「無知」「無関心」の人たちはどうするのか。もちろん学校教育の不作為もあるでしょう。もっと言うなら、この社会を構成している誰彼の意図的な「歴史の忘却」、「歴史の書き変え(捏造)」もあるかもしれない。ある時期にくぐもった声になっていた「新しい歴史を作る」人々の活動や、その派に属する人々が唱導していた「自虐史観」の否定と、現行「歴史教育」を改訂して生まれた学校の歴史教科書や、歴史教育の「成果」もあるのかもしれません。それを含めて、人間集団が「歴史健忘症」に罹患したらどうなるのか。そのこともまた、「歴史の教えるところ」なんですね。記憶するとか、記憶が曖昧だとか、ぼくたちはいとも簡単に言いますが、「記憶する」とは、約束すること、まずは「自分と約束する」ことであり、次いで「他者と約束する」のです。パスカルという哲学者は、「腕のない人間」を想定できるけれど、「頭を持たない人間」は私には考えられないといっています。「頭」とは「考える」であり、その根底には「記憶する」働きというものがあります。

 「記憶」を持たない人間は、誰かと約束することはできない人かもしれないと、ぼくは時々考えます。意図して「歴史」を否定する、無視する人間もいるでしょう。歴史というのは「史観」「観察」などではない。それは「体験(経験)」です。だからこそ、「226は電話番号です」と言って済ませる人は、「頭のない人間」なのかもしれないといいたくなります。渡辺さんが語るところをコラム氏は引かれている「事件の50年後。自宅を襲撃した兵士の家族と渡辺さんは対面する。『相手を知り、理解しようとしなければ、いつまでたっても憎しみは消えません』」と。

*********

 「教育の現場」から離れて十数年が経過しました。だから、「今の教育は云々」というのではありません。学校という場所は「国家の犯罪」「国家の悪事」を明らかにしてはいけないところでしたし、今だってそうでしょう。「公教育」というものが陥っている大きく、深い「陥穽(trap)」です。「過ちは繰り返しません」と言えるのは、「過ちを犯した」という「確かな記憶」がある限りにおいてのこと。国家を動かすような人々には、そんな「確かな記憶」はないと言っておきたい。寧ろ「今度はもっと上手にやる」という、歴史否定の姿勢しか見られないとしたら、この社会には展望もなければ、未来もないというほかありません。

 昔も今も、この国ではいたるところで「あとかくしの雪」が降り続いているのかもしれない。どんなに面倒であろうと、雪下ろしや雪かきをし、除雪をしなければ、ぼくたちは「降り積もる雪の重さ」で押し潰されてしまうでしょう。屋根の雪下ろしは、歴史の(再)発見であり、歴史を忘れない作業に通じている。「この雪の下に人間の生活があった」と知るのは、雪下ろしの結果であり、その記憶をとどめる限りにおいてです。

(蛇足 2月26日生まれの友人がいます。恐らくかみさんとの付き合い時間よりも古い友人で、若いころは本当に出鱈目をしたものでした。ぼくよりも2歳年上。憲法・政治学の学徒でした。同じ職場にいた同僚で、ぼくは自分の誕生日を忘れても、彼の誕生日は忘れたことはなかった。名前も、なんだか因縁めいていますね、「渡邉某」さん。このところ音信が絶えているので、この渡辺和子さんに触れたコラムを読んだのをきっかけに、近況を訊ねようとしていたところ)

++++++++++++++++++

● 渡辺錠太郎(わたなべじょうたろう)(1874―1936)= 大正・昭和期の陸軍軍人。愛知県出身。陸軍士官学校、陸軍大学校卒業後、歩兵第三六連隊中隊長として日露戦争に出征、戦傷を負う。その後山形有朋(やまがたありとも)元帥付副官となり、1907年(明治40)には軍事研究のためドイツに駐在した。ついでドイツ大使館付武官補佐官、オランダ公使館付武官を経て、帰国後は参謀本部第四部長、陸軍大学校長、第七師団長、台湾軍司令官、軍事参議官などの要職につき、1935年(昭和10)には、皇道派の巨頭真崎甚三郎(まざきじんざぶろう)の後任教育総監に就任した。天皇機関説の支持者として知られ、統制派の頭目とみなされた彼の教育総監就任は、真崎を支持する皇道派青年将校をいたく刺激し、1936年二・二六事件で襲撃目標の1人とされる遠因となった。事件当日の早朝、私邸で反乱軍により射殺された。(日本大百科全書ニッポニカ) 

● 二・二六事件【ににろくじけん】= 1936年2月26日未明,皇道派青年将校22名が下士官・兵1400名余を率いて起こしたクーデタ事件。皇道派青年将校は北一輝に接近,昭和維新の実現をはかり,武力による国家改造を計画,真崎甚三郎教育総監罷免,相沢事件など統制はの台頭に反発し皇道派の拠点であった第1師団の満州派遣を機に蜂起(ほうき)を決意。斎藤実内大臣,高橋是清蔵相,渡辺錠太郎教育総監を射殺し,鈴木貫太貫侍従長に重傷を負わせ,陸軍省,参謀本部,国会,首相官邸などを占拠,陸軍首脳に国家改造の断行を要請した。陸軍首脳は戒厳令をしいたが,海軍,財界がクーデタに反対であるのをみて弾圧に転換,反乱軍の規定も〈決起〉〈占拠〉〈騒擾〉〈叛乱〉と四転。29日反乱軍を鎮圧。首謀者や理論的指導者の北一輝らを死刑,皇道派関係者を大量に処分,統制派が実権を掌握。岡田啓介内閣は倒れ,軍の政治的発言権が強化された。(日本大百科全書ニッポニカ)

 撃ち込まれた弾は43発、父が絶命する様を見て…二・二六事件「わずか9歳の目撃者」の“忘れられない記憶”「300万部を超えるベストセラー『置かれた場所で咲きなさい』で知られる渡辺和子。修道女であり、ノートルダム清心女子大学で初めての日本人学長となった彼女の父は、二・二六事件で命を落とした軍人・渡辺錠太郎だった。/わずか9歳のとき、歴史に残る事件で父の最期を目撃することになった彼女の生涯に、父の死はどう影響を与えたのか? 女性の物書きとその父との関係に焦点を当てた、梯久美子さんのノンフィクション『この父ありて 娘たちの歳月』(文藝春秋)より一部抜粋して紹介する。(全2回の1回目/島尾ミホ編を読む)(以下略)(文春オンライン:https://bunshun.jp/articles/-/58210

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

質問する、それが教師の仕事だね

 大学を卒業したのが1968年月でしたから、もう60年近く前になります。田舎に帰って中学校(歴史)の教師をやろうとずっと思っていました。しかし、もう少し勉強しなければとても「でもしか教師」にさえなれないという自覚はあって、同じ大学の大学院に進んだのが、結果的には大きな過ちだったかもしれない。学部時代と同じ教員がいて、ぼくは驚愕し、かつ落胆したものだった。だから、なおさら中学校の教師になるという道を進まなかったという点ではたしかに過ちでしたね。その後、あまり考えもしないで大学の教師のようなものになってしまったが、それは「惰性」だったと正直に言っておきます。特に研究したいテーマがあったわけでもなく、大学に就職(所属)して生きて行こうという強い考えも微塵もありませんでした。ぼくが所属したのは「教育学部」だったのは、卒業後の仕事を考えてのことだったから、そこ(入学する)までは間違いではなかったでしょうが。

 教師稼業の発端から「教職課程」というコースの授業をたくさん担当しました。大まかに言うなら、学校教育にかかわるさまざまな問題を包摂するような、問題山積の授業群だったと言えます。実に古めかしい科目名が教育や学校教育への古臭い、百年前と少しも変わらない、いわば古色蒼然とした印象を与えていた。もちろん、その内容だって、ほとんど「化石(fossil)」に似ているという代物でした。教育原理・道徳教育・生活指導・教授法(教科教育法)などなど、そのどれもが、せんぜんそのままに「観念」の被り物をつけられて、その古さと重さで喘いでいたといっていいでしょう。この「古色蒼然」は今も続いていると思う。昔の名前で出ています、そんな日本画が額にかかっていた気がします。ぼくはシガナイ学校教師の末端席に、最初から最後まで、自分の居場所がどこにもないという感覚をただの一度も忘れないで、ほぼ半世紀ほど過ごしたことになります。壮大な無駄だった気がします。

 教育とは何か、こんな問題を飽きもせず、その間には繰り返していました。いつだって「自問自答(self-questioning)」していた。教育とは「右側通行」だと考えてみたり、いや「左側通行」なのだと考えなおしたり。今に至るまで、正解など得られるはずもなかったのは、ぼくにはさいわいでした。どのみち、考えることをよそにして、何物も始まらないのが教育という問題だったと思い至ったからです。さらに問い続けてきたのは、教師とは誰のことかという、一見すると自明に見える問題でした。学校教師の使命は「教えること」だと誰もが考えるし、それで間違いはないでしょう。でも、いったい「何を教えるのか」となると、ぼくには自明ではなかった。ここに、ぼくたちの躓きの石が転がっていたんですね。「教科書を教える」「教えたところをテストする」、その結果、「誰ができて、誰ができないか」を自他に明らかにすること、それが教師の仕事だと、大半は了解しているはずです。その程度なんですね。今日の多くの医者がするように「病名診断」を下すのが職業になっている、そんな「優劣判断」決定人、それが教師の仕事みたいに思われてきます。

 何を教えるか、「徳川幕府を開いたのは誰か」とか「ハムレットの作者はだれか」、そんな問題を何千何百提出しようが、あるいは答えようが、何処に値打ちがあるのか、わからない人にはわからないでしょう。そのような愚問提示が子どもの生活や精神(知性)の成長にどのようなかかわりがあるのか、おそらく何もないともいえるでしょう。教師は教える人、生徒は教えられる人(学ぶ人)という約割分業が成り立っているから、学校の役割・機能は自明だと考えられてきました。ぼくは自分が小・中・高にいたころから、とにかく学校は嫌いだったし、教師も好きではなかった。どの教師も「教える」病に罹患していると考えていました。隙あらば「教えよう」とする、実に異質な存在に思えました。廊下の歩き方から、手の洗い方、食事時の箸の持ち方まで、何でも教えたがる人種だとみなしていた。「これが正しい」「それは間違いだ」と、いかにも自信をもって断定している、その姿勢が大嫌いだった。つまり疑問の余地がない領域に住んでいるつもりの人種に見えたのです。架空(虚)の世界の住人だったと思う。

 自分が教師の真似事をしだして、何よりも「教えることができない」という自分の無能さ加減と、問題の不可解さに気が付きました。「イギリスの首都はロンドンです」と伝える(覚えさせる)ことが教えることなのか。そんなことはないのであって、いつ、どのような事情で「ロンドン」がイギリスの中心になったか、その歴史がわからなければ「イギリスの首都はロンドンです」を学んだことにも教えたことにもならないということです。どんな事柄にも「歴史」(「意味」「内容」)があるのであって、そこに至らない、触れない何事も、それは単なる言葉遊びにすぎないではないか、そんな当たり前のことに気が付いたともいえます。また、教育は教室の中で始まり、その中で完結するものではないことも分かった。教室を越えて、学校を越えて、教育(子どもと教師の付き合い)は続くのではないか。そんなことに気が付きだすと、学校というところの狭さ、理不尽さ、意味の浅さが大いに気になりだした。

【あぶくま抄】教師 名物教師は、どの学校にも一人はいる。昭和の終わりごろ、県北地方の進学校に長く在籍した国語の先生も、そうだった。ぎょろりとした目が愛らしい。物言いにはユーモアがあった▼クラスや学年の垣根を越えて生徒と接した。学校になじめず、やんちゃな子とは特に親しく。教科書を閉じたままの文学少年には、「東京には文豪の行きつけの店がある。都内の大学に進学し、巡ってみればいい」。未知なる世界への憧れを誘い、机に向かわせた▼最近の「聖職」はとかく忙しく、管理職になるのを望まない傾向もあるという。小中学校の教頭は朝早くに出勤し、学校の門を開ける。帰りは連日、ほぼ最後。責任も重くのしかかる。生身の人間なれば、愚痴の一つも出てこよう。働き方改革が叫ばれて久しいが、事務作業などが増え、ゆとりが失われているとの声も聞く。昇進を目指す意欲は、いつしかしぼんでしまうのだろうか▼給与アップや労働時間削減など処遇改善に向けた国の検討が進む。熱血教師がいても今や孤軍奮闘、孤立無援では立つ瀬がない。改めるべきは、今すぐ改めて。陰に日なたに見守ってくれる、あの優しい目を学び舎から絶やさぬように。(福島民報・2025/02/25)

 どこにだって教師は存在するし、どんな境遇にあっても、何処にだって学校(「教育の場」という意味)はあるということの発見だったでしょう。コラム「あぶくま抄」氏の言い分は分からないでもない。どんなところにも「優れた教師」はいるでしょうし、「名物教師」もいると思う。問題は、何において「優れ」、何において「名物」かということ。そして、「誰にとっても教師であること」は不可能だろうし、どんな人間でも誰かの教師にはなっているともいえます。つまり、万人にとっての教師はいない、その代わりに「誰かの教師」であることは大いに想像できます。教師の仕事は教えることではない。この点を踏まえれば、「日本の教師」という偶像(idol・image)はきわめて観念的に過ぎるにもかかわらず、その過剰な観念に支配されて、驚くほど窮屈だと、ぼくには思われてきます。もっと破天荒(unprecedented)であってもいいじゃないか、羽目を外したらどうか。四角四面の教師像をこそ突き破ろう、そんな思いがぼくの中に溢れて来たともいえます。

 今日、現場で奮闘している教師の境遇というか、教育環境は、実に息苦しいものだという実感もあるし、経験から学んだところもある。四角四面というか杓子定規というか、あるいは形式主義でもあり官僚風でもあると言ったらどうでしょう。驚くべきことですが、工夫する余地もなければ、自由に振る舞う範囲がほとんどないのです。少子化が進んでいく中で、さらに教師のなりては払底するのは目に見えています。教職に魅力があるかないか、その決め手は「学校・教育(授業)の自由の雰囲気いかん」にかかっているでしょう。

 ぼくは長い間の「教師(まがい)業」において、徹底して「教えないで問い続ける」ことを一貫してきたと思う。教えないで質問する、それが教師の仕事だといい続けてきたし、自分でもそれを実践しようとしてきた。だから「成績」「点数」「席次」などは二の次に置いていたと思う。洒落た言葉を使うなら「優劣の彼方」にまで子ども(生徒・学生)たちと共に歩くことを目指していたともいえます。学校教育は子どもたちといっしょに山に登るようなもの。ある種の冒険であり、未知への挑戦だと思っていました。予定調和ではなく、いつ難問に遭遇するか、そこで休憩もし長考もできる、そのような判断力を身につける。そこに見られる「教育の可能性」を開いていきたいと念じていたのです。

 結論ではありませんが、教育(授業)を通じて、子どもの考える力が育つ、もちろん教師自身の思考力も。それがぼくの憧れの「教育」であり「授業」でしたし、そんな力を育てられる学校(教室)こそ、ぼくたちの居場所(meeting room)だと思っていました。教室は「考える練習場」だったと思う。子どもたちの輪の中にいる教師。その人は何をするためにそこにいるのか。「問題を出し続ける意志を持つ」、それが「教える」なんだ。だから、彼や彼女のすることというのは、「教えないで質問する」ことばかり、それが教師という存在の仕事だ。子どもたちが「自分流に考える力」を育てるのを支える、サポーターなんだね。

+++++++

 あるきっかけがあって、ぼくはメキシコで作られた映画「型破りな(radical)教室」を知りました。2023年につくられ、日本でも公開されました。ぼくな未見ですが、今なお上映しているところがあります。なんとしても観ておきたいとと思っています。いろいろなデータや情報を見た限りでは、「教えないで、問う」教師がそこにいたと思われます。「麻薬と殺人が日常と化した国境近くの小学校。子供たちは常に犯罪と隣り合わせの環境で育ち、教育設備は不足し、意欲のない教員ばかりで、学力は国内最底辺。しかし、新任教師のフアレスが赴任し、そのユニークで型破りな授業で、子供たちは探求する喜びを知り、クラス全体の成績は飛躍的に上昇。そのうち10人は全国上位0.1%のトップクラスに食い込んだ!/アメリカとの国境近くにあるマタモロスの小学校で2011年に起きた実話を描いた本作は、本国で300万人を動員し、2023年No.1の大ヒットを記録。更にアメリカでも限定公開かつスペイン語作品にも関わらず初週5位の快挙をとげ、絶賛の嵐は北米まで広がった。『コーダ あいのうた』に続いての教師役ながら、新たな魅力を発揮したエウヘニオ・デルベスにも注目。/未来を望むことさえしなかった子供たちが、可能性や夢に出会い、瞳がきらきら輝きだす光景に、心打たれる奇跡の感動作が誕生した」(https://katayaburiclass.com/

+++++++++++++++++

「『型破りな教室』公式サイト」(https://katayaburiclass.com/)                                                        「『型破りな教室』予告」(https://www.youtube.com/watch?v=H6BicE5iUvk)                                                (上映中・新宿武蔵野館https://shinjuku.musashino-k.jp/movies/43601/

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「分捕り・山分け(M&A)」の世界史

 どこの「国(邦)」でもおそらくは「国生み」「国造り」物語(神話・myth)があるはずです。この東海の小島にもある。神代の昔、この島の世界には「天津神」「国津神」「海神(わたつみ・わだづみ)」のそれぞれが支配する境界(天・地・海)があった。やがて、「天孫降臨」が起こり、天地を支配する神々の闘いがあって、天神(天照大神の後裔)が勝利をおさめ、それ以降、紆余曲折を経ながら、その皇孫の権力が途切れなく(実際にはそうではなかったが)、今に続くという「神話」を夢想する歴史家や政治家、その他が後を絶ちません。「皇紀二千六百年(「神武天皇」即位の皇紀元年は西暦紀元前660年にあたる)」をはるかに超える歴史の、その大半は「国盗り物語」が占めているといっても過言ではないでしょう。たとえ三十坪ばかりの狭い敷地であっても、狭いがゆえに境界線を巡って隣家同士が争う「(土地・領土争い)裁判」が絶えないというのも、「土地(一国)を所有したい」という、ある種の「天性・天然の所有欲」が人間には備わっているのだということもできます。

 戦後の国民作家とも称された司馬遼太郎さん(1923~1996)のほとんどの作品もまた、多様多彩を極めた「国盗り物語」であったといっていいでしょう。誰のものでもなかった土地(そういうものがあったとして)、それを最初に「これは俺(私)の土地だ」と宣言したら、誰もがその宣言を認めたということだったでしょう。やがて、政治や経済の必要から、他人の所有地が欲しくなり、手段を択ばずに「土地争い」を仕掛け、武力や巧緻・姦計に総力を挙げては「国盗り」に励んできたものが多かったともいえます。今に例えるなら、企業の「吸収・併合」、つまりは「M&A(merger and acquisition)」、弱肉強食です。企業ならまだしも、これが独立した国の「他国による吸収・合併」となると、それこそいきおい、戦争になることは避けられない。この劣島の試みた韓国併合(朝鮮侵略)、「満州事変」などは、少なくとも計画段階では「侵略」であり、「土地奪取」であったことは事実です。その後始末は今に及んで、始末はついていないのです。

 そして今、ロシア侵略に端を発した「ウクライナ戦争」の「和平交渉」という名の、「分け前談義」が画策されている。ウクライナの土地は誰のものだったか、そこから問題の泉を掘り当てようとするなら、おそらく世界のいたるところで「蜂の巣騒動」が起こることになるでしょう。少なくとも「ロシア侵略」時点の土地(領土)境界線を基準(起点)に話が始まるのが筋であり、政治判断としての妥当性はそこにあると思う。それを無視して(そのうえ、当事者の一方を排除して)、分け前の相談を大国だけで行うというのはいかに考えても「正義に悖(もと)る」というほかない。(情けないことに「ヤルタ会談」を気取っている連中がいるのも確か)

 この東海の小国にも、いくつもの「領土」問題がある。北方領土や南西諸島、あるいは韓国との争いになっている竹島(独島)などなど。「侵略」戦争の爪痕を長年にわたり舐めてきた歴史を有しています。「日本海」は「東海」であると称する国もあります。(両方併記でいいのではないか)いままた、沖縄は「我が領土」と言い出している国もあるし、日本本土は何処であっても「我が領有地」と実行支配権(治外法権所有)をわが物顔で行使している国もあります。

 ウクライナ問題は決して「対岸の火事」視はできないはず。イスラエル・パレスチナ(ガザ)問題もまた、大国の植民地放棄後の積み残し(課題)を放置してきた報いであって、パレスチナの責任が問われるべき問題ではなかったはず。今も昔も「国盗り(領土拡張)物語」を演じたがる権力者はごまんと存在してきたが、そこに住む人民(民衆)の側に立って、問題を凝視し続けるものは皆無だったと言えます。「持つものはさらに持ちたくなる」とでもいうように、好き放題に大国はさらに大国になろうとして、結局は肥満症、拡大病の結果、他国を巻き込んだ大災厄を引き起こすのです。(左上写真「北方領土生んだヤルタ会談、ウクライナで再現狙うロシア トランプ政権誕生で期待論高まる」北海道新聞デジタル・2025/02/05)(https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1119927/

 「国盗り物語」などとまるでお伽噺を語るようにぼくたちは、暢気に見做していますが、何のことはない、人殺し戦争であり、無辜の民の殲滅行為でもあるということを忘れてはならない。居間でテレビを見ながら、あるいは飲酒しながら、ミサイル発射命令を出し、挙句には「核のボタンを押す」、それがやりきれないほどの頽廃した現代の「戦争」です。「世界」はいつだって試されている。ならず者の天下、唯我独尊(傍若無人)の振る舞いを傍観するな、放置するな、見逃すな、見て見ぬふりをするなと、房総の一老人は暴走気味に叫んでいるのだ。叫ばずにはおられない

++++++++++++

【小社会】一枚の紙切れ 英国の首相チャーチルは第2次大戦中の1944年秋、モスクワにソ連の指導者スターリンを訪ねている。「ナチス後の世界」の交渉が目的。英宰相は小さなメモ用紙に手書きでこう書いた。▼ルーマニアは「ロシア90% 他国10%」。ギリシャは「英国90% ロシア10%」。ハンガリー50%ずつ。ブルガリアは「ロシア75% 他国25%」…。ソ連の独裁者は紙の右上に大きく印をつけ、同意を示した。▼情報開示の考え方が進んだ英国は公文書館にこのメモを残す。2カ国の指導者だけで、さらさらと鉛筆で書いた1枚の紙切れ。在英ジャーナリスト、小林恭子さんは「何百万人の将来がこれで左右されたのか」と言葉が出なかったという(「英国公文書の世界史」)。▼1枚の紙切れは、翌年2月のヤルタ会談以降にもつながったようだ。会談では当事国抜きで、ドイツの分割統治や中・東欧の政治体制が決まる。戦後の人々の運命や世界の構図を方向づけた。▼ロシアのウクライナ侵攻から、きのうで3年が過ぎた。登場したトランプ米大統領。隣国の人々を惨禍にたたき込んだ為政者におもねる言動に、言葉を失う。当事国抜きの米ロ交渉。ロシアからは「ヤルタの再現」の機運も伝わる。また大国だけの思惑で戦争に傷ついた人々、国の将来は決められるのか。▼交渉はこれからの平和、国際秩序にも関わる。このままでは後世の検証に耐えられるとは、とても思えない。(高知新聞・2025/02/25)

【筆洗】寒い冬、子どもが雪の中に手袋の片方を落としてしまう。その手袋をモグラが最初に見つけて、自分の家にする▼次にウサギがやって来て、モグラの横にもぐり込む。続いてフクロウ、アナグマ、キツネにクマ。みんなが手袋の中に入って暖を取るので手袋はぎゅうぎゅう詰めになる。さまざまなバージョンがあるが、ウクライナ民話の「ミトン(手袋)」の大筋はこうである▼ロシアによるウクライナ侵攻から24日で3年となる。民話にたとえるならばウクライナは平和という暖かな手袋を奪われ、雪の中、かじかむ手に息を吹きかけながら手袋を捜し続けているのだろう。ウクライナの3年の心細さを思う▼奪った手袋の中にわが物顔で入り込んでいるのはロシアに他なるまい。この手袋がいつウクライナのもとへ返り、「平和」の暖を取れるのかがまるで見えない▼米国が手袋を取り戻す仲介をするというが、これがどうも怪しい。トランプ大統領のロシア寄りの姿勢やウクライナに鉱物資源の提供を要求する言葉を聞けば、米国はウクライナの手袋の中でロシアの隣にちゃっかり、もぐり込もうとしているようでさえある▼あの民話では最後に子どもの元に大切な手袋が戻ってくる。その日を信じたいが、米国も絡む複雑な展開の中、ウクライナの手袋はこの3年間で、最も持ち主から遠ざかっているような気がしてならない。(東京新聞・2025/02/24)

⦿ ヤルタ会談(Yalta Conference)= 1945年2月4~11日,クリミア半島のヤルタで行われたアメリカの F.ルーズベルト大統領,イギリスの W.チャーチル首相,ソ連の I.スターリン首相の会議。クリミア会議とも呼ばれる。これが連合国3巨頭の最後の会談となった (ルーズベルトは 1945年4月に死去) 。同会談では戦後のドイツ処理問題や東欧問題などの第2次世界大戦の戦後処理,国際連合の創設やソ連の対日参戦などについて話し合われ,10をこえる各種の協定 (秘密協定を含む) が結ばれた。この会談はそれまでに開かれたカイロ会談などの延長線上に位置する会談であり,戦後の国際秩序の枠組みと基礎を確立した重要な会談であった。このため第2次世界大戦後の国際秩序をヤルタ体制と呼ぶようになった。またソ連の対日参戦を取決めた秘密協定は,千島列島のソ連への帰属を明記したことから,戦後,北方領土問題との関連で,この協定の法的効力をめぐって日ソ間の論争の的となったが,ソ連解体後この問題は日本とロシアの交渉に引継がれている。(ブリタニカ国際大百科事典)

(⇦2025年2月8日、クリミア半島ヤルタのアートギャラリーで「ヤルタ2.0」と題された展覧会が開催。米国のトランプ大統領、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席が並んで座る作品が展示されていた。ここに描かれた3首脳も、1945年のヤルタ会談のように、戦後の国際体制を自分たちだけで決めようと考えているのかも知れない)(写真:ロイター/アフロ)(「「ウクライナに戦争を継続させている指導者がいる」とゼレンスキーを悪者にしたトランプ、侵略者と手を組む腹積もり」JB Press・2025/02/21)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII