
117日ぶり!〝だるま朝日ハンター〟歓喜 中土佐町久礼でぷっくり20秒間【動画】 だるまさん、久礼におかえり―。中土佐町 久礼で長らく見えていなかっただるま朝日が10日、117日ぶりに姿を現した。ふるさと海岸や赤灯台の堤防に集まった20人超の〝だるま朝日ハンター〟たちは、けあらしで揺らぐ水平線から顔を出すだるまに固唾(かたず)を飲んでシャッターを切ると、「やったー!」と喜び合った。/シーズンに30~40回は見られる冬の風物詩だが、今季は昨年11月13日の6回目が最後。3月9日は、久しぶりに美しく焼けたもののだるまの頭を雲が隠して〝不発〟だった。久礼から見えるのは毎年春分の日(20日)まで。11日以降は天気が崩れる予報もあり、写真愛好家たちは「今日」にかけていた。/午前6時24分。水平線に雲はなし。ピンク色の光が差し、みるみる膨れた。まもなく沖合の船の隣で堂々、真っ赤なだるまさんが。20秒足らずの姿にシャッター音が響き、丸の姿に戻ると「やりましたね」と今度は笑顔が輝いた。/約20年間、シーズンになるとほぼ毎日、だるまを見守っている地元の佐竹福馬さん(82)は「だるまが出てこればあみんなで喜んだ日はなかった」と赤いニット帽と上着のだるまさんコーデで感無量。この日は、仕事や家庭の用事で来られない撮影仲間もいた。残念がりつつ、その仲間が手作りした「祝」の旗を手に「出たよ」と報告の記念撮影をした。(以下略)(高知新聞・2025/03/11)(ヘッダー写真も)
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もう二十年以上も前、知人たちと岐阜県側から白山(標高2,702m)に昇ったことがあります。ぼくのような素人にもそれほど難しい登山ではなかった。そのせいもあってか、その時も登山者が多かった記憶がある。昇っていると、登山道の脇で休憩している高齢の女性が一人でいた。何気なしに声をかけたところ、「私は毎日昇っている」「今日で何百何十回目です」と、涼しそうな顔をして話されたのには、驚きました。三十年間、一日も欠かさず、どこかしらの山に登り続けていた人がいました。世の中には、さまざまな事柄に、ひたすら挑戦されている人が極めて多いのではないでしょうか。ぼくのような「三日坊主」「飽き性」な人間にはとても足元にも及ばない行動だというほかありません。この「だるま朝日」を二十年も追いかけている久礼の「お父さん」もいるという話。

土佐の「だるま朝日」をひたすら写し取ろうという「ハンター」がいることは知っていましたし、何年か前にもその「偉業(?)」に触れたことがあります。毎年シーズンになると「弾丸登山」が問題になる富士山。まるで繁華街の人通りのような混雑ぶりに、ぼくなどは顔ををそむけたくなりますが、「大勢いるから、登る」「自分も登ろう」というのでしょうか。「ご来光」ファン(信仰)は古くからいましたし、ぼくなども何度か強いられて「拝んだ」ことがありました。まだ小学生の頃、遠足で出かけた伊勢志摩。その二見浦の「夫婦岩」の間から昇る「朝日」に手を合わせたかどうか忘れましたけれど、わざわざ出かけて「ありがたい」と思わされた「ご来光」を目にした、最初で最後の機会だったと思う。
今「ご来光」なる言葉を使いましたが、これは山に登って「日の出」を迎えるという意味だそうで、平地や海岸などで眺める「日の出」を「ご来光」とは言わないようです。たぶん、「ご来迎(らいごう)」に準(なぞら)えて、あるいはあやかって言われているんでしょうね。特に俳句の世界では「ご来光」は夏の季語だと言われます。「ご来迎(ごらいごう)=高山の頂上で太陽を背にしたとき、全面の霧に自分の影が大きく映り、その周りに光環が見られる現象。阿弥陀仏が光背を負うて来迎するのになぞらえていう」(デジタル大辞泉)「念仏行者の臨終に、彌陀三尊などがあらわれる事を敬っていう語」(精選版日本国語大辞典)

「日本の仏教には、人が亡くなる時には阿弥陀如来(あみだにょらい)が西にある極楽浄土から迎えにくる、という考え方があります。日本の古い絵画作品の場合、画面向かって左を西とする空間構成が基本で、この作品も(左写真)、向かって左手から、阿弥陀如来の一行が降りてきています。阿弥陀如来から放たれた光の筋は民家の軒先まで伸び、そこに念仏を唱えながら迎えを待つ人物の姿が見えます」(文化遺産オンライン)(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/579846)(左写真「阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅうらいごうず)」)
要するに太陽を拝むのは「阿弥陀さん信仰」に連なる、ある種の敬虔な行為とされているんでしょうか。その太陽が、一瞬であるとはいえ、「だるまさん」になるのですから、なおさら目出度い、いや「縁起がいい」と受け止めるんでしょうね。「初日の出」をこよなく大事にするのと同じ心持ちが働いているのかもしれません。こんな時に、思わず顔をのぞかせる「信仰心」は、誰の感性の中にもあるもので、遺伝子(DNA )の如くにインプットされているのでしょう。そんな素朴な「仏心」「信仰心」を失いたくないものです、と一端(いっぱし)のことを言ってみたくもなりました。
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だるま朝日が出現 蜃気楼の一種 週の始まりは冷え込んだ朝に 北海道 今日3月10日(月)は移動性の高気圧に覆われて、朝からほとんどのところで晴れています。各地で日の出が見られた中、北海道の沿岸部では水平線から昇る太陽の下側がくびれた「だるま朝日」が見られました。これは蜃気楼の一種で秋〜春に見られることが多い現象です。/今回見られた「だるま朝日」は、太陽の光が屈折することで起こる蜃気楼の一種で、「下位蜃気楼」現象によるものです。/通常、光はまっすぐ進みますが、密度の異なった空気を通ると光は曲がって進みます。空気の密度は主に気温によって決まるため、陸上で十分に冷やされた空気の層と、比較的暖かい海面付近の空気の層との間で温度差が大きくなると、光が曲げられます。これにより下側にも太陽の虚像が見えることで、日の出時や日没時に丸い太陽が歪んで、だるまのような形に見えるのです。見える時間は数分もない、一瞬の現象です。/空気と水を比較すると、空気は熱されやすく冷めやすい、水は熱されにくく冷めにくい性質があります。そのため、気温差の大きい秋や冬、春にかけての朝夕には、冷えやすい空気と冷えにくい海水の温度差で「だるま朝日」を見られることが多くなります。/夜中から雲がなく穏やかに晴れていたことで地上付近の熱が上空へと逃げる放射冷却現象が働き、今朝は気温が下がりました。北海道では沿岸部の地域を含めてほとんどのところが氷点下の冷え込みとなり、最も気温の下がった上川地方幌加内町の朱鞠内では−20.9℃を観測しました。温度差が大きくなったことに加えて、晴れて風も弱かったため、日の出時にくびれた太陽「だるま朝日」が見られたと考えられます。(以下略)(2025/03/10 06:58 ウェザーニュース・右写真も)(https://weathernews.jp/s/topics/202503/100055/)
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