たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

 春先にはなぜだか、黄色い花が多く見られます。代表格は「菜の花」、ついで「ミモザ」「山茱萸(サンシュユ)」「蝋梅(ロウバイ)」「水仙(スイセン)」「連翹(レンギョウ)」「金縷梅(マンサク)」「蒲公英(タンポポ)」等々。不思議としか言いようがありません。なぜ、この時期に黄色い花が咲くのか。いくつかの説がありますが、本当のところはどうなのか、ミツバチの習性などが関係しているとされますが、さらに詳しく知りたいものですね。

 本日の花は「山茱萸」です。中国原産の高木。春先には花が、そして秋には赤い実をつけます。そのためもあってか、「ハルコガネバナ」とも「アキサンゴ」とも呼ばれています。鮮やかな黄色は目立ちます。菜の花は言うまでもありませんけれど、この山茱萸も美しい花をつけてくれます。よく見ないと他の木と間違いやすい。殺伐(「うるおいやあたたかみの感じられないさま」デジタル大辞泉)とするばかりの世相、世情、世態です。身も心もささくれ立つのをどうすることもできない。

 昨日は、当地における県知事選挙でした。終日雨が降っていたせいもあろうが、投票率は32%弱だという。民主主義の衰退というか崩壊過程に入っていると言われますが、何のことはない、有権者が自らの地域の政治、あるいは政治参加に興味も関心も失っている証拠でしょう。政治家が悪いのは言うまでもないけれど、それをいいことに、投票には行かない有権者の政治(参加)意識こそが問われなければなるまいと思う。

 ネット時代に、はたして従来から叫ばれてきた「民主主義」が成り立つのかどうか。それはもはや破綻しているとぼくは思う。一人一票の選挙権行使が土台となって成り立つ民主政治、それが「SNS」という、ひとりで何役も演じられる武器を自由に(野放しで)使えるのですから、これまでの方式が通用しないのは当然でしょう。たった一台の「スマホ」とは言うまい。掌の上で扱える小さな機器で、ぼくたちの時代や社会は未曽有の危機に瀕しているんですな。どうします?どうしましょう?(表題句は坪内捻典作)

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「徒然に日乗」(687~693)

〇2025/03/16(日)終日雨が降っていた。それに加えて、風が吹くかと思ってはいたが、それほどでもなかった。お昼過ぎに買い物で茂原まで。その途中で、県知事選の投票に出向いた。投票場は近くにある町立中学校。雨が災いしたこともあり、投票率は最低水準になっているのではないかと思う。まったく知事選には無関係の主張をするための立候補者が二人、他は現職と新顔の二人。選挙(投票)に嫌気がさした人が多くいたと思う。しかし、選挙に出かける、自分で投票することが、政治参加の「イロハのイ」だ。それを否定してしまえば、政治の堕落頽廃が我々に関わりなしに進むだけ。知事選が投票率三割未満では、話にならないと思う。(最終的には31.9%だった)▶首相の商品券配布問題は、彼の辞任にまで及ぶ勢いで進んでいるが、簡単には終わらない気もする。さて、どうなるのか。歴代首相にとって「会食(の土産代わり)に商品券」は誰もがやっていたという報道がある。あきれてものが言えない。(この「慣例」報道は後刻取り消された。経緯・真偽を含めて、さらなる続報があってほしい)こんなことばかり続く、この政党は、ここらあたりで終わり(解党)にしなければならないだろう。後生大事に、こんな政治しかできない汚れた政党と有権者は縁を切らなければ、この先、いかなる政治的再建もできないだろうと、ぼくは断言する。戦後八十年のほぼすべてを一党独裁でやってきた結果、与党も野党もない、腐敗正党・グループ(汚染集団)ばかりになってしまった(同じ釜の飯を食ってきた仲間)。与党も野党もない、そこに存在しているのは政治の頽廃促進に寄与する政治家たちという「利権集団」だけ、それがこの社会の健全性を壟断してきたのだ。(⁂ 壟断とは、「1高い丘の切り立っている所。2 《いやしい男が高い所から市場を見下ろして商売に都合のよい場所を見定め、利益を独占したという、『孟子』公孫丑下の故事から》利益や権利を独り占めにすること」)(デジタル大辞泉)(693)

〇2025/03/15(土)午前中は日差しもあったが、午後からは曇り空で、気温も徐々に下がってきた。▶お昼過ぎに買い物で茂原まで。土曜日のためもあってか、かなり混雑していた。▶本日は千葉知事選の最終日。候補者として出ているT氏が財務省前の演説会場で暴漢に襲われ、かなりの重傷を負ったが、幸いにも命には別状はなかったらしい。この候補者の最近の行動には民主主義の土台である「選挙」そのものを壊す働きが顕著で、たくさんの違法行為が目立つのに、警察・検察はまるで放置しているような状況が続いている。兵庫県知事選でも目に余る違法行為を重ねていた。▶現首相の同僚議員への商品券配布問題。「石破総理大臣は13日夜、記者団に対し、今月3日に総理大臣公邸で行った自民党の当選1回の衆議院議員15人との会食に先立って、出席議員の事務所に、1人10万円分の商品券を届けたことを明らかにしました。政府関係者や出席議員によりますと、全員が返却したということです。(以下略)」(NHK・2025/03/14)さて、首相の地位に座り続けるのか、それとも…。来年度予算決定を前にして、永田町は挙って「奈落の底に」となるかならないか。この社会が何十年もあらゆる局面で「停滞」を余儀なくされている理由の最大のものかもしれぬが、政治と金(その実は、政治家と金)問題の野放図の継続に対する無感覚が、ついにここにまで来てしまったという思いがする。泣きたくなるな。(692)

〇2025/03/14(金)朝から快晴が続く。日曜日には天気が荒れると予想されるが、少しは安定した天気が続いてほしい。▶十時過ぎに猫缶購入のためにあすみが丘に。いつも通りの商品を購入した。▶午後二時ころだったか、京都の友人Tさんから電話。友人(3人)いっしょに周山でグランドゴルフをしているという。M氏、S氏、N氏と。いずれも高校までの同級生。この数年で何人かの同級生が鬼籍に入っている。後期高齢者(八十)だから、不思議でも何でもないけれど、少しでも健康で長寿を保ってほしいと念じている。(691)

〇2025/03/13(木)すっきりしない一日だった。午後から小雨が降り出した。気温は下がらなかったが、途中からは曇天が続いた。▶今朝は、あちこちで鴬が啼いていた。本格的な春の到来と言えそう。ということは、最近、劣島のどこかで吹いた風が「春一番」だったことになろう。庭の桜の蕾もまだ固そうで、開化は極めて遅いと予想される。(690)

〇2025/03/12(水)朝から曇り空。時には小雨(霧雨)が落ちている。気温は低くない。▶昨日準備しておいた「確定申告書類」の記入を済ませ、九時過ぎに役場に持参。茂原の税務署はやたらに人が多く混雑しているので、行かないことにしている。昨年度は能登半島地震などもあって、できる範囲の寄付をした関係で、課税所得はなしとなった。これまでも控除されるべき費目を増やしてきたが、課税対象所得に達しなかったのは初めて。マイナス分は約30万程度だったか。毎年のことながら、気の進まない、この年中行事も何回も遺されていないだろう。ネットでもできるが、今はどうだか調べていないが、初期のころは有料のアプリを使わせていたので、ぼくは最初から忌避しているのだ。(689)

〇2025/03/11(火)とても肌寒い一日だった。時には小粒の雨が落ちてきたりしていた、午前中。▶14年目の3.11。いまなお、東日本大震災と福島原発事故の全貌がつかみ切れていない。悲避難者は2万数千人に上る。本来なら東電が負担すべきおよそ十兆円の莫大な補償金は国税に課せられている。なんとも理不尽な「原発政策」をこの先も、継続するというのだ。事故の犠牲者に対するあからさまな「背反」であり、「裏切り」そのものだといいたい。いったい、福島のどこが「復興」したというのだろうか。いまなお排出されている「汚染土壌」の行方も未定のままで、永遠に福島はそれぞれの汚染物質の最終処理施設・処分場となるのだろう。(688)

〇2025/03/10(月)三月も中旬に入る。午前中に買い物のために茂原まで。風もあり、かなり寒い日になりそうだ。まだどこかに寒気団が居座っていそうな天気が続く。▶ここしばらくは庭の掃除もしていないため、かなりの量の枯れ枝や枯葉などが堆積しているし、植木の手入れも長期間放置したままになっている。樹勢もかなり勢いが衰えているようで気がかり。少し好天が続く時を見計らって、ていねいに「手入れ」をしたいと思う。それぞれの建屋の屋根や樋にもたくさんの落ち葉や枯れ枝がつまっているので、掃除を早々にしなければと考えている。よく見るまでもないこと、裏庭には猪の掘った穴が方々にある。根を掘り起こしては食料にしているのだ。(687)

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ある日ふと沈丁の香の庭となる

【余録】寒さが終わるころに甘い香りを漂わせるジンチョウゲ(沈丁花)は、卒業シーズンに開花期が重なる。ドラマの主題歌でヒットしたバンド、DISH//の「沈丁花」は「選ぶ道より、選んだ勇気じゃない?」と生徒や若い世代に寄り添う曲だ。卒業式で歌唱する学校も多いと聞く▲東京・一ツ橋の小社近くの学校の植え込みにある木は数日前から、白い花を咲かせている。卒業生の記念植樹とのプレートがある。いくぶん開花が遅めだったのは、2月までの寒さの影響か。数メートル離れた場所で信号待ちをしていても、風が強い香りを運んでくる▲中国原産で、漢名は文字通り香りを指す「瑞香」。室町期には日本に入っていたとみられ、東北地方南部以西で地植えされる。沈丁花という表記は、香りを沈香(じんこう)や丁子(ちょうじ)にたとえたためだといわれる▲紅紫色や白の花を咲かせるが、花弁のように見えるのは花の「がく」なのだという。ジンチョウゲ、クチナシ、キンモクセイは違う季節に花が咲く3大香木と称される。とりわけジンチョウゲは卒業や送別などの節目に開花期を迎えるだけに、香りに思い出を重ねる人も多いのだろう▲関東地方は先週半ばに、汗ばむような日もあった。「沈丁の香の石階に佇(たたず)みぬ」(高浜虚子)。ひんやりとした空気の方が、やはり似合うジンチョウゲだ▲花期のピークが過ぎると、次は桜花。ソメイヨシノの開花予想日(日本気象協会)は平年から大きく外れず東京都心は22日、大阪市は27日。もう、目の前に来ている。(毎日新聞・2025/03/15)

 (「週初に愚考」~ 第六十壱 番外編)(各紙のコラムでは現首相の、まともな感覚なら卒倒してしまいそうな「時代錯誤」の金配りで持ちきりです。とてもではないが、「愚考」どころの騒ぎではないと思う。この国の政治家が、どこまで腐っているか、骨の髄まで、ですか。有権者の腹の底が読まれているんですぞ。本日は、当県では知事選挙。とんでもない「候補者」が、昨日都内で演説中、暴徒に襲われた。「江戸の仇を長崎で」というのは、徳川の昔の話。今では「千葉の仇を播磨の国で」とか「下総の仇を江戸の町で」と言わぬばかりの愚かしい選挙が罷り通っています。民主主義や選挙では、少しばかり「良識」や「偏差値」の程度が、選ばれるものにも選ぶものにも求められていることがわかります。何をしてもかまわないという振る舞いには、社会生活を果たす気(能力)がないということが示されています。こんな情けない時代にあって、それでも、ぼくはこれから、雨の中をものともせずに「投票」に行きますよ)

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 夜来の雨が少し強くなってきました。ところによっては風が激しく吹き荒れるという予報が出ています。(ただ今、午前6時前です)

 弥生も半ばを過ぎました。勤め人時代の慌ただしさが嘘のように、無為徒食の懶惰(らんだ)生活に浸りきっています。このような時間の過ごし方に憧れていたのではありません。でも、少しばかり疲れたので、都会を離れ、田舎に隠れたいと長らく願っていました。街中時代の生活をそのまま山中に持ち込んでも意味がないどころか、生活と環境が不釣り合いになり、ぼく自身の精神の安定も失いかねないと思いつつ、「酒と薔薇の日々」ならぬ、「酒と音楽の日々」を夢想していました。街中では隣近所が気になって、好きなだけの音量(ボリューム)を出して音楽を楽しめないと恨めしく思っていたものでしたから、できれば山の中で、隣家を気にしないで音楽を心行くまで楽しみたいと願ってもいました。また、ぼくは二十歳頃から「酒の味」を覚えたものですから、いい音楽を聴きながら、美味しいお酒(日本酒)をゆっくりと嗜(たしな)みたいと、まあ、酒と音楽のコラボを想像して、山中に越してきたのでした。2014年3月のこと。

 勤め先を少し早めに辞めて、一人田舎に越してきましたから、その当座は、長く願っていた「酒と音楽」の日々に浸れそうでした。酒は好きだし、料理も作るのは嫌いではなく、いい素材を買ってきては誰に憚(はばか)ることなく、愛飲・愛聴に耽溺できかけていました。田舎に越したもう一つの理由は、ある出版社と約束して、シリーズになりかけていた「学校と教育」「教育と非教育」などという本を書く予定でした。原稿もできかけていたものもあり、少なくとも数冊(予定では5、6冊ほど)は出版できそうな具合でした。ところが、山居のひとり暮らしが始まると、原稿を書くというか、本を出版する気が萎(な)えてしまいました。朝から晩まで、いい空気を吸って、美味しい酒と心地いい音楽があれば、あとは何もいらない、何もしたくないという雰囲気に溺れてしまった、それが正直なところ。その結果、出版社には愛想をつかされ、友人・知人には無礼を詰(なじ)られて、でも「石の上にも三年」とばかり、だんまりを決め込んだのでした。

 そんな無粋な独居生活を慰めてくれたのが、植木や草花、時には猪や狸たちでした。わが私有する土地は大して広くもなかったし、周囲の環境はだれのものでもないというおおらかな解放感があったおかげで、好きなだけ歩き、狭い庭の手入れに時間を取られ、一日の生活が、まるで大昔の子ども時代に戻ったような、表面だけでしたが、「溌溂さ」に満たされていましたね。五年過ぎて、かみさんが越してきて、また凸凹二人三脚が始まり、同時に、たくさんの猫たちとの同居生活が開始され、どうしてだったか、いつの間にか「酒と音楽」の日々は消えて行きましたね。世間の人並みにぼくは酒も煙草も嗜(たしな)んでいましたが、それも、まったく同時に止めていました。大層な「決意」があったわけではなく、気が付いたら、飲みも吸いもしなくなって、かなりな時間が経っていたという具合。何よりも、連れ合いがその事実を信じませんでした.「この大酒飲みが、それを止めるはずもない」と。でも、これもまた、少年時代のように「酒と煙草」には無縁(無煙)の生活が十年以上も続いているのです。

 この間、暇があれば「庭仕事」ということでもありませんでしたけれど、土いじりに時間を割き、草花に慣れ親しみ、、植木の剪定・伐採に自己流を発揮してきました。本日の「余録」には沈丁花が香りを放っていました。我が荒れ庭にも小さなものが数本ありましたが。手入れも行き届かなかったか、何時ともなく枯れてしまいました。かわいそうなことをしたと反省もしきり。例によって、ぼくは写真を見ているだけで、満足する質ですので、何枚かの花の写真を目にしている。そこには甘い香りに乗せた匂いが、まるで目前にある花々から出ていると錯覚するほどです。いくつかの沈丁花の句を。この花には「雨」「闇(夜)」などがとても似合うようです。(右写真「竹梅鶯図 尾形光琳筆」)

・ある日ふと沈丁の香の庭となる(今井つる女)
・ぬかあめにぬるゝ丁字の香なりけり(万太郎)
・沈丁にはげしく降りて降り足りぬ(中村汀女)
・沈丁の恣なる透し垣(石塚友二)
・霊前に供華沈丁の夜のかをり(飯田蛇笏)
・沈丁のくちひらきゆく月夜にて(金田咲子)
・沈丁に降りそぼつなり弥生雨(無骨)

 (蛇足 この駄文を綴っている間、雨にも負けず、すぐわきの竹林から鴬が声をかけてくれています。

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法律に抵触するものではございません

 同じ新聞コラムでも、長い間読んでいますと、とても興味深い「めぐり合わせ」に出会います。考察を深めれば、面倒な哲学的な難問になりそうですが、ぼくには関心がありませんから、本日は問題の表面をなでるだけにしておきます。一昨日の高知新聞コラム「小社会」では、「絶対はない」という主題(主旨)が扱われていました。引用されていたのは作家の半藤一利さん(1930~2021)の東京大空襲の経験から得た「哲学」でした。「絶対に日本は負けない。絶対に神風が吹く。根拠のない絶対が周りにあふれていた」にもかかわらず、日本は「戦争に負けた」ではないか。「それらはみんな嘘(うそ)だ」と思い知ったというのでしょう。

 若いころ、この手の「戦争体験」談をぼくはたくさん読みました。「日本は神国だから負けることはない」と大人(教師たち)から聞かされていたが、実際には負けた。「大人は信用できない」と。阿保草! この社会は一夜にして「軍国主義から民主主義に変った」とも。そんなことはあり得ません、絶対に。ぼくは、そんな逸話を「話半分に」「冗談と」「眉唾ものと」しか受け取らなかった。要するに「うまい話には裏がある」というのと同じで、今風に言うなら「おれおれ詐欺にひっかかっただけ」の、不用心、不注意な自分を正当化するための、それこそ「誤魔化しだ」としか思われませんでした。弁明や弁解は、ぼくにも身に覚えがありますから、とても醜悪だというほかありません。醜い、目障り、耳障りな振る舞いでしかないようです。

 これをもっとも強く感じたのは、最近、亡くなられたノーベル文学賞受賞者だった作家のO さんでした。戦後民主主義の「申し子」と自他ともに任じておられた趣のある方でしたが、この「自分は騙された」という弁解・弁護はあるいは本当だったのかもしれません。でも、騙した奴だけが悪いというなら話は簡単、その文学者に、何度かお目にかかり、何かと教えられた経験もあって、ぼくは敬意を抱いてはいましたが、そんな意地悪な印象をぼくは持ち続けていました。「絶対という言葉は使わないことが自作の哲学になった」と心されたらしい半藤一利さんにも、ぼくは同じようなホントかなという爽やかではない印象を持つ。「絶対ということない」と彼らは「絶対に信じている」のでしょうね。

 「朝を迎えない夜は、絶対にない」とは言えないはずはないことはない。どんな一日も終わりがあり、新しい一日が始まる。これは自然の摂理ですから、「絶対である」と断言できないか。戦争に勝つとか負けるというのは、相手のあることで、一方の側だけでは決めることはできない。勝つ時もあれば負ける時もある。「絶対という言葉は使わないことが自作の哲学になった」と半藤さんは語られています。「絶対はないのだから、絶対という言葉は絶対に使わない」というのは、半藤さんの意志(あるいは好み)の問題でしょう。だから時と場合には「絶対」という語は使うしかない時もあるのです。コラム氏自身に対して一言。アメリカを相手に戦った負けた戦争と、南海トラフ地震の発生確率を同じ理屈で談じていいのでしょうか。「廃炉への道筋は見えていない。そんな現実がありながら、政府は『絶対』や『神話』が復活でもしたかのように原発回帰を鮮明にする」とコラム氏は述べられる。「絶対」や「神話」を信じていないから、胡麻化そうとするんでしょ、実際のところは。

 率直に言うなら、「原発は危険」であることを知っているからこそ、「嘘八百を並べる」のであり、でも「背に腹は代えられない」(事故がなければ、こんなにぼろ儲けできる商売はない。好き放題に電気料金を設定できるんですから)と儲けの算段を計算しているのであり、国民の大多数を騙しているだけのこと。原発の危険性も、使用済み核燃料(廃棄物)の処理法もまだ見つけられていないことをすべて承知で、「当面を糊塗すること」さえできれば、あるいは自分に責任が及ばない範囲で事態が推移するだろうという、単純な希望的観測を持っている、それが関係する人々の本音でしょう。自分たちが生きている間は事故はないと思いたい、あっては困ると、それぞれが心底思っているはず。いや、もっと無責任に、事故があっても何とかなるさとタカをくくっている。「原発は安全」なら、永田町や霞が関界隈に原子炉(発電所)を設置すればいいのですから、ね。

【小社会】絶対はない 戦後80年のことしは語り継ぐべき「80年」の日が次々訪れる。きょうは約4千人が犠牲になった第1次大阪大空襲。さる10日は10万人が命を落としたとされる東京大空襲だった。◇14歳だった作家、半藤一利さんは東京の下町で九死に一生を得た。自宅に焼夷(しょうい)弾が直撃。必死で逃げた川で溺れかけた。岸辺では赤ちゃんを抱いて川に飛び込めない女性が猛火に包まれた。焼け跡では山ほどの死体を見て…またいだ。◇この世に「絶対」はないと思い知ったという。絶対に日本は負けない。絶対に神風が吹く。根拠のない絶対が周りにあふれていた。「しかし、それらはみんな嘘(うそ)だと」。絶対という言葉は使わないことが自作の哲学になった(「半藤一利 わが昭和史」)。◇思えば原発にも、高度な技術を持つ日本は絶対事故を起こさないという安全神話があった。福島第1原発の地元にある町の元職員も信じていた。そこへ3・11、過酷事故。「自分が安全だと宣伝した。町民にうそつきと言われそうで怖かった」。昨年末の本紙にある。◇14年がたって、回収できた溶融核燃料は推計880トンのうち約0・7グラム。廃炉への道筋は見えていない。そんな現実がありながら、政府は「絶対」や「神話」が復活でもしたかのように原発回帰を鮮明にする。やはり心配が募る。◇次の南海トラフ地震への備えも、「これで絶対に大丈夫」ということはないのだろう。心して備えを進めたい。(高知新聞・2025/03/13)

◎ ぜっ‐たい【絶対】〘 名詞 〙 ( 形動 ) なにものにも制限拘束されないで、それ自体として存在すること。何の条件にもよらずにあること。また、そのさま。哲学的な意味では、いっさいの条件を超越してそれ自体で存在する完全な独立的実存をいう。相対に対していう語。[初出の実例]「Absolute 絶対」(出典:哲学字彙(1881))「意志が有るから、無は絶待(ゼッタイ)の無でなくて相待の無である」(出典:妄想(1911)〈森鴎外〉) (単独、または「に」を伴って副詞的に用いる ) どういう場合でもかならず。断じて。なにがなんでも。[初出の実例]「我輩は絶対に相場を否認しないが」(出典:社会百面相(1902)〈内田魯庵〉鉄道国有) ◎絶対の語誌=仏典に見られる「絶待」を「絶対」と改め、absolute の訳語にあてたのは井上哲次郎で、挙例の「哲学字彙」がそれである。以後、「絶対」は、哲学用語の範囲を超え、学術用語集を含め多くの辞書に収録されて一般化した。(精選版日本国語大辞典)

【小社会】空手形 日本の郵便制度が始まったのは1871(明治4)年の春だったという。郵便切手もその時に登場したと、確か中学生の頃に授業で習った。ただし最近になって知った。「切手」は江戸時代からあったと。◇改めて調べてみると、江戸時代の切手があるわ、あるわ。その名前も「まんじゅう切手」「酒切手」「すし切手」「かまぼこ切手」など。最も古いのは、江戸中期に登場した豆腐切手のようだ。◇仙台地方には冬至に懇意にしている人に豆腐を贈る風習があった。ところが、店は注文が殺到して大変なので、後からいつでも豆腐に交換できる券を販売した。「これが現在使われている商品券の起源とされている」と国税庁の資料にある。◇切手はもともと「切符手形」を略した言葉という。要するに現金と同じ価値を持つ、手形の一種というわけだ。便利なので、当時から随分人気があったらしい。◇永田町で商品券を巡る問題が浮上した。石破首相が自民党の若手衆院議員と会食し、土産として10万円分もの券を配った。自民は派閥裏金事件もあって「政治とカネ」問題が批判されているさなかだ。土産なら、豆腐はともかく低額の菓子などが一般的。高額商品券を贈った首相の感性を疑う。◇どちらかといえばクリーンなイメージで売り、首相就任後は「政治改革に率先して取り組む」と誓ってきた石破氏。問いたくなる。いままでの言葉は「空手形」だったのかと。(高知新聞・2025/03/15)

 本日のコラム「小社会」(⇧)にはおかしな記事が出ていました。ぼくの感覚では、一昨日と本日の、それぞれの「コラム」の筆者は別の人だと思う。なぜなら、一昨日は「絶対はない」と書くのに、本日は「絶対ある」と書かれているのですから。「石破首相が自民党の若手衆院議員と会食し、土産として10万円分もの券を配った」と、一部では鬼の首を取ったような大喜びであり、一部では何も問題はない、「これまでにも10回は配って、しかも咎められなかったのだから」という首相自身の告白を支持するものもいるという、いつも通りの「乱痴気」です。「政治家は嘘をつく、絶対に」とぼくは断言します。その政治家も、元をただせば人間でしょうから、「人間は嘘をつく動物」と古来(人類出現以来か)、連綿と証明されてきた「心理」を否定する理由はありません。

 並みの議員なら大丈夫でも、首相となれば「やはり問題」と言われることはあります。ぼくが嘘をつくのと、総理大臣が嘘をつくのとでは意味合い(値打ち)が違うでしょう。仮に現首相や大臣の「金券・商品配り」が問責に値するなら、この際、時効分は仕方がないから除いて、その他は徹底して調べてほしい。首相の行為が問題であっても平議員の「裏金問題」はお目溢(こぼ)しなら、どうなりますかね。「政治家と金」問題をマスコミは知らないはずもない。なのに、それが常に不問にされてきたのは、検察を含めて永田町や霞が関界隈にあっては、関係するものすべてが「一蓮托生(common destiny・in the same boat)」「運命共同体(community of destiny)」であることのあからさまな証拠です。(右写真のN議員と一度だけ、京都市内のある会場で遭遇しました。その一回だけで、ぼくはこの手の人とはぜったいに同席したくないと強く思いましたね)

 「いし✖下ろし」だか、「大根下ろし」だか知りませんが、永田町界隈の住人が「悪い(嘘をつく)ことは絶対にしていない」ということは絶対にありえないとだけは断言してもいいとぼくは考えている。理由は繰り返さない。政治家も人間だからと言えば十分でしょう。「人間の弱さ」は絶対(パーフェクト)ですからね。「法律に抵触するものではございません」と、君が言うのか。見るのも嫌、なんとも醜悪ですね。

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見えない「手錠」を外すために

【卓上四季】見えない手錠 1963年5月、茶畑が広がる埼玉県狭山市で事件は起きた。女子高生が誘拐され、脅迫状が届く。身代金を奪いにきた犯人を警察が取り逃がし、女子高生は遺体で見つかる。24歳の石川一雄さんが逮捕された。狭山事件だ▼被差別部落の貧しい家庭で育ち、10歳から奉公に出る。読み書きができないまま大人に。無理な取り調べで身に覚えのない「犯行」を自白した。一審で死刑判決を受ける。のちに無期懲役が確定した▼転機が拘置所で訪れた。字を覚えて社会の人に訴えたほうがいい―。大学を出たばかりの刑務官が声をかけ、字を教えてくれた。真夜中まで猛勉強を続ける。最初に覚えた漢字は「無実」、真っ先に書いた文章は「助けてください」だった▼決定的な物証は脅迫状である。なぜ石川さんに書けたのだろう。<権力が社会的弱者を標的にして平然と冤罪(えんざい)をつくり出した>。部落差別の歴史にくわしい静岡大の黒川みどり名誉教授は記している▼94年に仮釈放されたものの、名誉回復は遠い。「見えない手錠を外す」―。この一念から裁判をやり直す再審を求めた▼袴田巌さんと拘置所で共に過ごした。彼の再審無罪を喜んだのもつかの間、86歳で世を去った。覚えた字で短歌を詠み続けた。<青春を屛(へい)の中に置き去りし司法の誤謬(ごびゅう)を今ぞ質(ただ)さむ>。どんなに無念だったろう。(北海道新聞・2025/03/14)

 「狭山事件」は、事件発生の第一報からぼくは鮮明に記憶しています。上京して間もなくの1963年5月。大々的に新聞、テレビで書きたてられてきました。以来、六十二年。再審請求者の石川一雄さんが亡くなられました。「無念」の一言に尽きます。ぼくは石川さんに数回お会いしています。そのうちの一回は、勤め先で担当していた授業に招いて、「狭山事件」の当事者としての「真実」を学生の前で語っていただきました。その時には、ルポライターの鎌田慧さんも同席された。授業の最後に、一人の学生が質問をしました。「無罪を勝ち獲られたら、まず何がしたいですか」と。袴田さんは「何よりも中学校に入って、学び直したい」と、率直に語られました。

 (ヘッダー写真は「狭山事件の再審を実現する大運動」より:https://sayama-ad.jimdofree.com/

 「卓上四季」で触れられている黒川みどりさんとはもう三十年以上の交流があります。彼女は一貫して「部落差別」問題をテーマに研究教育の活動を重ねられてきました。近年では、この「狭山事件」問題にも積極的なかかわりを持たれ、そこから一冊の大著を公刊されました。「被差別部落に生まれて 石川一雄が語る狭山事件」(岩波書店・2023年刊)石川さんへのていねいな聞き取りがまとめられています。石川さんは何度も再審請求をされておられた、その最中でのご逝去でした。石川さんの無念さを思うに、言葉もありません。

 「冤罪(calumniation)」を背負わされて六十数年を生きられた。その生涯を想像するとき、「人が人を裁く」、その誤謬の絶無が保障されないとき、何が私たちに遺されているのか、そのことを考え続けています。つい最近、「袴田事件」の「無罪確定」があったばかり。石川さんも「再審無罪」を確信しながら、おそらく、その一歩手前まで歩かれただろうことを考えるなら(その「一歩」は無限の彼方にあったし、命を賭しても届かなかった距離でした)、さらに「再審制度」に付着している、不合理な課題を払拭する努力は関係者に求められるでしょう。気の遠くなるほど長い時間を、気の遠くなるほど根気よく歩かれた石川さん。その計り知れない「歩みの重さ」「足跡」が、後に続く人々に遺されました。「人権(無条件の尊さ)」という、誰の目にもかならず見えるとはいえない、その尊さへの配慮(の意識)がなければ、ぼくたちの社会は、ある人々には「生き地獄」にもなるのです。

 「私は無実である」、だから「私は無罪である」という石川さんの深重(しんちょう)の声を、ぼくたちはしっかりと聞き留めなければならないと、改めて思う。「見えない手錠」をかけたのは誰だったか。「見えない手錠」をかけるがままにしておいた、見て見ぬふりをしていたのは誰だったか。「見えない手錠」、それこそがぼくたちの根源にある「差別感情」ではなかったでしょうか(合掌)

「狭山事件」再審請求中の石川一雄さん死去 86歳 62年前に埼玉県狭山市で女子高校生が殺害された「狭山事件」で無期懲役が確定し、再審=裁判のやり直しを求めてきた石川一雄さんが11日、入院先の病院で亡くなりました。/86歳でした。/石川一雄さんは、62年前に狭山市で女子高校生が殺害された「狭山事件」で無期懲役が確定し、仮出所したあとに無実を訴えて2006年に3回目の再審請求を行い、今も審理が続いていました。/支援者などによりますと、石川さんは、去年末から体調を崩して療養を続けていましたが、11日、入院先の狭山市の病院で誤えん性肺炎のため亡くなりました。(以下略)(NHK・2025/03/12)

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山桜咲く山の木に囲まれて

 山里染める 須崎 須崎市桑田山では、名物の雪割り桜(ツバキカンザクラ)が見頃を迎えた。今年は暖冬の影響で開花が例年より10日ほど早く、黄色い菜の花と美しいコントラストを見せ、多くの見物客らを魅了している=写真=。(ヘッダー写真)
 雪割り桜は濃い桃色と独特の甘い香りが特徴で、まだ雪が残る時期に咲くことから名付けられた。桑田山一帯には約1000本が植えられている。/地元住民によると、17日現在七分咲きで、今月末まで楽しめるという。訪れた人たちはベンチに腰掛けて眺めたり、記念撮影をしたり。ゴザを敷いて本格的に花見をするグループも。近くに住む野本紀子さん(56)は「山里がピンク色に染まり、春が来たという感じ。ゆっくり歩いてのんびりとした時間を過ごしてほしい」と話した。(読売新聞・2024/02/18)

 いよいよ桜の季節。これから「桜前線」は日に日に北上するのでしょうか。ヘッダー写真(⇧)と下の写真(⇩)、いずれも高知県須崎市の桑田山(ソウダヤマ)の「ツバキカンザクラ」の開化を知らせる報道(写真)です。ヘッダー写真は昨年2月18日。下は昨日撮影されたものです。同じ場所の桜であるにもかかわらず、ほぼ一カ月近くも開花が遅れていることがわかります。植物が成長し、実をつけ花を咲かせるには、それぞれの成長要素(太陽・水分・栄養分等々)が欠かせないのですが、その大半は自然の恵みに依存しているのですから、開化や結実時期に遅滞が生じるのは避けられないでしょう。 人間だって、事情は同じ。小学校一年生や中学校一年生、みんな同年生まれであるのに、どうですか、身長や体重の差は。内容(中味)は、ひとまず置いておいて。 (表題句は名村早智子作。三重県生まれ)

 山里に春―。須崎市の桑田山で早咲きのツバキカンザクラ「雪割り桜」が見ごろを迎えた。繰り返した寒波のせいか、今年は少々慎重に季節を読んだ。寒さの緩みで一気に開花し、ほぼ満開に。先に咲いていた菜の花にも追いつき、訪れる人々を一緒に楽しませている。/80年ほど前、地区の住民が愛媛県から持ち帰った桜を接ぎ木で増やし、段々畑に約千本が咲く。ご近所みんなで草刈りをし、桜に巻き付いて「こたう」葛のつるを取り除くなど、手塩にかける。/昨年は2月10日ごろから開花したが、今年は3月になっても数輪しか開かなかった。3日の温かい雨でつぼみがほころび、5日には5分咲きに。「日に日に6、7、8、9分と」。住民も桜の勢いに驚いた。/10日は水色の春空に、桜の桃色、菜の花の黄色がまぶしく映えた。(以下略)(蒲原明佳)(高知新聞・2025/03/13)

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 何度も触れていますが、ぼくは小さいころから無類の桜好きでした。小学生時代から、自宅近くの山や丘に登りずめだったし、すぐそばには名代の植木屋・佐野藤右衛門宅(植藤)があり、時季になると辺り一帯はさまざまな種類の桜で、それこそ毎日が「花見」という贅沢を味わっていました。また桜に関しても植木屋さんにいろいろと教えられたこともあり、何時とは知れずに「桜好き」になっていました。(まだ小学生の頃、勝手に桜の苗床に入ったり、桜の咲いている植林(庭園)に入っては、何かと、教えてもらった。その人は佐野藤右衛門(第十五代)さんでした。ずいぶん後になって知ったこと。「植藤」さんは代々が御室仁和寺に出入りしていた植木屋でした)

 日本に見られる桜の種類は百はくだらないとされます。そのいちいちを識別することはできませんが、彼岸桜や大島桜、加えて、これも多様な山桜と、枚挙に遑なし、と感心しているばかり。それにしても桜はこの島の「花」とされています。なおさら思い入れが強くなりますね。

 現在地に越してきた当座、庭に桜の木をと、おそらく十本ほども植えたり移植したりしました。もちろん、ぼく一人でやったのですが、昔から「桜は家の庭に植えるな」という金言がありました。それを知らないわけでもありませんでしたが、少々土地に余裕があったので、後先を考えないで植えた。桜は(種類にもよりますけれど)とても生長がはやく、樹高も5~10メートルくらいにはすぐに伸びます。というわけで、せっかく植えた桜も、現在では、数を減らして、当初の半分になりました。それでも「まだかまだか」と、その季節を見守る癖がついています。まだまだ若い木ですから、それほど花はつけませんが、それでも一輪二輪咲くだけでも、満足しているのです。

 当地に越して以来、遠出はしなくなりましたから、昔日に楽しんだ桜花・桜木に再会することはかなわなくなったのは寂しい限りです。だから、こうして写真であっても開花している情景を見ると、ぼくは十分に満足してしまいます。「花見」と言えば、宴会もどきに乱れに乱れ、雑踏の巷と化す、そんなところには足も向きません。今は、拙宅のわずかばかりの桜を愛でることと、家の近所を歩きながら、方々にある林や小高い森の中に見える桜木にいのちの洗濯をさせてもらうのです。

◎ さくら【桜】〘 名詞 〙バラ科サクラ属のうちの一群。落葉高木または低木。北半球の温帯ないし暖帯に分布し、特に東アジアに多く、数十の野生種がある。花はふつう春に咲き、葉の展開に先だって開くことが多い。淡紅・白などの美しい五弁花で、八重咲きのものもある。古くから和歌や絵画にとり上げられ、現在日本の国花とされる。観賞用に古くから栽培され江戸時代以来おびただしい数の園芸品種が作られた。材は版木、家具、建築、造船などに使い、樹皮は強靱なので細工物に用いたり、曲物(まげもの)の綴じ目に用いたりするほか、漢方で鎮咳(ちんがい)、袪痰(きょたん)薬に用いる。塩漬けにした花や蕾は桜湯にして飲み、ミザクラ(オウトウ)の実はサクランボと称して食用にする。ヤマザクラ、サトザクラ、オオシマザクラ、ソメイヨシノ、エドヒガン、ヒガンザクラなど。《 季語・春 》[初出の実例]「花妙(ぐは)し 佐区羅(サクラ)の愛(め)で こと愛でば 早くは愛でず 我が愛づる子ら」(出典:日本書紀(720)允恭八年二月・歌謡)「世中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし〈在原業平〉」(出典:古今和歌集(905‐914)春上・五三)(精選版日本国語大辞典)

 (註 二日続きの高知新聞記事です。昨日は「だるま朝日」で、本日は「ツバキカンザクラ」です。親父の出生地でもある高知(土佐)はなんとも懐かしくもありますね、ぼくには)(桑田山・そうだやま:標高は769m)(ただ今、拙宅の南西前方の林の中から、鴬がさかんに啼いているのが聞こえてきます。昨日につづいて、拙宅の東側の竹林からも)

◎ 佐野藤右衛門(15代) (さの-とうえもん)1900-1981 昭和時代の造園家。明治33年10月7日生まれ。14代藤右衛門の長男。父につづいて桜の収集,研究に打ちこむ。昭和5年ヤマザクラの新種を発見,牧野富太郎により「佐野桜」と名づけられた。京都円山公園の枝垂れ桜をそだてたほか,優良品種の保存,育成につくした。47年吉川英治文化賞。昭和56年5月19日死去。80歳。京都出身。第二商業卒。著作に「桜花抄」「桜守二代記」など。(デジタル版日本人名大辞典+Plas)

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「南無阿弥陀仏」、「やったー!」

 117日ぶり!〝だるま朝日ハンター〟歓喜 中土佐町久礼でぷっくり20秒間【動画】 だるまさん、久礼におかえり―。中土佐町 久礼で長らく見えていなかっただるま朝日が10日、117日ぶりに姿を現した。ふるさと海岸や赤灯台の堤防に集まった20人超の〝だるま朝日ハンター〟たちは、けあらしで揺らぐ水平線から顔を出すだるまに固唾(かたず)を飲んでシャッターを切ると、「やったー!」と喜び合った。/シーズンに30~40回は見られる冬の風物詩だが、今季は昨年11月13日の6回目が最後。3月9日は、久しぶりに美しく焼けたもののだるまの頭を雲が隠して〝不発〟だった。久礼から見えるのは毎年春分の日(20日)まで。11日以降は天気が崩れる予報もあり、写真愛好家たちは「今日」にかけていた。/午前6時24分。水平線に雲はなし。ピンク色の光が差し、みるみる膨れた。まもなく沖合の船の隣で堂々、真っ赤なだるまさんが。20秒足らずの姿にシャッター音が響き、丸の姿に戻ると「やりましたね」と今度は笑顔が輝いた。/約20年間、シーズンになるとほぼ毎日、だるまを見守っている地元の佐竹福馬さん(82)は「だるまが出てこればあみんなで喜んだ日はなかった」と赤いニット帽と上着のだるまさんコーデで感無量。この日は、仕事や家庭の用事で来られない撮影仲間もいた。残念がりつつ、その仲間が手作りした「祝」の旗を手に「出たよ」と報告の記念撮影をした。(以下略)(高知新聞・2025/03/11)(ヘッダー写真も) 

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 もう二十年以上も前、知人たちと岐阜県側から白山(標高2,702m)に昇ったことがあります。ぼくのような素人にもそれほど難しい登山ではなかった。そのせいもあってか、その時も登山者が多かった記憶がある。昇っていると、登山道の脇で休憩している高齢の女性が一人でいた。何気なしに声をかけたところ、「私は毎日昇っている」「今日で何百何十回目です」と、涼しそうな顔をして話されたのには、驚きました。三十年間、一日も欠かさず、どこかしらの山に登り続けていた人がいました。世の中には、さまざまな事柄に、ひたすら挑戦されている人が極めて多いのではないでしょうか。ぼくのような「三日坊主」「飽き性」な人間にはとても足元にも及ばない行動だというほかありません。この「だるま朝日」を二十年も追いかけている久礼の「お父さん」もいるという話。

 土佐の「だるま朝日」をひたすら写し取ろうという「ハンター」がいることは知っていましたし、何年か前にもその「偉業(?)」に触れたことがあります。毎年シーズンになると「弾丸登山」が問題になる富士山。まるで繁華街の人通りのような混雑ぶりに、ぼくなどは顔ををそむけたくなりますが、「大勢いるから、登る」「自分も登ろう」というのでしょうか。「ご来光」ファン(信仰)は古くからいましたし、ぼくなども何度か強いられて「拝んだ」ことがありました。まだ小学生の頃、遠足で出かけた伊勢志摩。その二見浦の「夫婦岩」の間から昇る「朝日」に手を合わせたかどうか忘れましたけれど、わざわざ出かけて「ありがたい」と思わされた「ご来光」を目にした、最初で最後の機会だったと思う。

 今「ご来光」なる言葉を使いましたが、これは山に登って「日の出」を迎えるという意味だそうで、平地や海岸などで眺める「日の出」を「ご来光」とは言わないようです。たぶん、「ご来迎(らいごう)」に準(なぞら)えて、あるいはあやかって言われているんでしょうね。特に俳句の世界では「ご来光」は夏の季語だと言われます。「ご来迎(ごらいごう)=高山の頂上で太陽を背にしたとき、全面の霧に自分の影が大きく映り、その周りに光環が見られる現象。阿弥陀仏が光背を負うて来迎するのになぞらえていう」(デジタル大辞泉)「念仏行者の臨終に、彌陀三尊などがあらわれる事を敬っていう語」(精選版日本国語大辞典)

 「日本の仏教には、人が亡くなる時には阿弥陀如来(あみだにょらい)が西にある極楽浄土から迎えにくる、という考え方があります。日本の古い絵画作品の場合、画面向かって左を西とする空間構成が基本で、この作品も(左写真)、向かって左手から、阿弥陀如来の一行が降りてきています。阿弥陀如来から放たれた光の筋は民家の軒先まで伸び、そこに念仏を唱えながら迎えを待つ人物の姿が見えます」(文化遺産オンライン)(https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/579846)(左写真「阿弥陀聖衆来迎図(あみだしょうじゅうらいごうず)」)

 要するに太陽を拝むのは「阿弥陀さん信仰」に連なる、ある種の敬虔な行為とされているんでしょうか。その太陽が、一瞬であるとはいえ、「だるまさん」になるのですから、なおさら目出度い、いや「縁起がいい」と受け止めるんでしょうね。「初日の出」をこよなく大事にするのと同じ心持ちが働いているのかもしれません。こんな時に、思わず顔をのぞかせる「信仰心」は、誰の感性の中にもあるもので、遺伝子(DNA )の如くにインプットされているのでしょう。そんな素朴な「仏心」「信仰心」を失いたくないものです、と一端(いっぱし)のことを言ってみたくもなりました。

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 だるま朝日が出現 蜃気楼の一種 週の始まりは冷え込んだ朝に 北海道 今日3月10日(月)は移動性の高気圧に覆われて、朝からほとんどのところで晴れています。各地で日の出が見られた中、北海道の沿岸部では水平線から昇る太陽の下側がくびれた「だるま朝日」が見られました。これは蜃気楼の一種で秋〜春に見られることが多い現象です。/今回見られた「だるま朝日」は、太陽の光が屈折することで起こる蜃気楼の一種で、「下位蜃気楼」現象によるものです。/通常、光はまっすぐ進みますが、密度の異なった空気を通ると光は曲がって進みます。空気の密度は主に気温によって決まるため、陸上で十分に冷やされた空気の層と、比較的暖かい海面付近の空気の層との間で温度差が大きくなると、光が曲げられます。これにより下側にも太陽の虚像が見えることで、日の出時や日没時に丸い太陽が歪んで、だるまのような形に見えるのです。見える時間は数分もない、一瞬の現象です。/空気と水を比較すると、空気は熱されやすく冷めやすい、水は熱されにくく冷めにくい性質があります。そのため、気温差の大きい秋や冬、春にかけての朝夕には、冷えやすい空気と冷えにくい海水の温度差で「だるま朝日」を見られることが多くなります。/夜中から雲がなく穏やかに晴れていたことで地上付近の熱が上空へと逃げる放射冷却現象が働き、今朝は気温が下がりました。北海道では沿岸部の地域を含めてほとんどのところが氷点下の冷え込みとなり、最も気温の下がった上川地方幌加内町の朱鞠内では−20.9℃を観測しました。温度差が大きくなったことに加えて、晴れて風も弱かったため、日の出時にくびれた太陽「だるま朝日」が見られたと考えられます。(以下略)(2025/03/10 06:58 ウェザーニュース・右写真も)(https://weathernews.jp/s/topics/202503/100055/)

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