また空の青さを言って梅林

想像超える〝群馬の絶景〟に4.4万人驚たん 「めっちゃ綺麗」「桃源郷ってこんな感じなのかな」

「群馬の梅林が想像を超えてきた」
そんな呟きと共に投稿された絶景が、X上で注目を集めている。
「群馬の写真だけを撮ることを制約と誓約にしている」というフォトグラファー・もちづき(@mochi1photo)さんが2025年3月11日に投稿したのは、写真いっぱいに広がる梅林。
白い花とピンク色の花が作り出すコントラストが絶妙で、なんだかこの世の物とは思えないほどの美しさだ。
だが、これは確かにこの世の――群馬の風景らしい。
Jタウンネット記者は14日、もちづきさんに詳しい話を聞いた。(以下略)(https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jtown/region/jtown-365006?redirect=1)Jタウンネット3/21(金)8:00 

 まだ関越自動車道ができる以前だったか(1975年8月には川越IC〜東松山ICまでが開通)、おそらく50年近く前から、ぼくは毎冬のようにスキーに出かけていました。ほとんどは群馬か長野で、その大半は万座温泉スキー場でした。多くは親子四人で、三泊四泊の泊まり込みでしたから、荷物はふんだんあった。そしてスキー道具も人数分揃えての旅行でした。最も時間がかかったのは、17号線を通って行った時でした。それ以外は、今ではルートは曖昧になりましたけれど、よく吾妻川沿いを通りました。

 そのときに、時季にもよりますが、いつでも満開の桃の花に圧倒されていたことを記憶しています。もともと、ぼくは写真機(カメラ)を持たないで旅をする人間でしたから、いい景色は自分の眼の裏に残しておこうという考えで、その鮮やかな色彩にはそれこそ驚嘆したものでした。運転中に近くの山の中腹などに桜が見えると、何とか、その桜めがけては昇って行って、ゆっくりと花の美しさと匂いを堪能したものです。

 本日の駄文を書きあげてから、ネットを見ていると思わずめ眼を奪われたのが、この「群馬の絶景」でした。世の中にはさまざまな好事家やプロがおられますが、この「梅林」をカメラで切り取られた方も、その一人に間違いないようです。いつも言うことですが、ぼくは写真を見ているだけで、十分に満足する。写真家も凄いと思いますし、その写真家に、自らを写させる「梅の木たち」も見事です。さぞかし、年間を通した「手入れ」は大変なものがあるのでしょうね。暫し、梅の木の咲きぶりに見惚れていました。

・また空の青さを言って梅林(小池万里子)

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仰げば尊し和菓子の温

 卒業式が酣(たけなわ)です。あらゆるところで、それぞれの「卒業」を祝う、あるいは記念する行事が行われていることでしょう。「卒業(そつぎょう)」とは、「業を終える」という解釈があります。英語でいうなら<graduation>、あるいは<commencement>というらしい。この<commencement>はフランス語にもあり、そちらは「終わる」「終える」という以上に「始める(commencer)」という語感が強く、ぼくはいつでもそちらの使い方を好んでいました。「何かが終わる(終える)」は「何かが始まる(始める)」ですね。いずれにしても、三月は「卒業シーズン」です。自分でも奇妙なことに思われるのですが、ぼくには「我が卒業式」の記憶が皆目ない。もちろん「卒業証書」なども、一枚も残っていない、見たこともない。だから、時々、ぼくは各学校を卒業したのだろうかと「不安」というか「怪訝」な思いになることがあります。恰好よく言うなら、「終える」より「始める」方に関心があったということでしょう。

 「卒業」ついでに愚論を一つ。今では誰も不思議に思わないようですが、ぼくの印象では、ある時期から「卒業式」ではなく「卒業証書授与式」という看板を掲げるところが私立・公立校を問わず増えているように感じます。どうでもいいこと、でもそこにはどんな違いがあるのでしょか。授与・授賞などというと、授ける側からの表現でしょ。証書を「授ける」「与える」ということです。面倒な議論はしたくないのですが、校長が「証書」を「授ける」というのでしょう。元をただせば、授与者は校長なんかではなかった。記念すべき、本邦初の「学位授与式」がおこなわれたのは、東京(帝国)大学でした。明治32年のこと。卒業者に証書を渡し、成績優秀者には「恩賜の時計」が与えられたという。「授与式の濫觴(らんしょう)・発端(ほったん)です。だから、卒業式には「国旗(天皇を象徴しているらしい)」が付いてくるのでしょう。(卒業式の記憶がぼくには残っていないのは、そんなところに「参加」「参与」したくなかったということかもしれません)

 大半は三月に、ある段階を「卒業」されますが、なかには学期の途中で「卒業」されることがあります。この場合の「卒」は「にわ(かに)」「突然」ということでしょう。突然に業を終える。つまりは解雇とか解職に遭うというのでしょうか。脳卒中とは、突然に脳の血管が破れるという謂いで、卒中は「突然、中(あた)る」です。同じように「卒倒」というのがあります、いきなり倒れる。その意味での「卒業」です。ここで、例の高知教育界の「退職教員」再論です。(初任者の女性教員がキャバクラでアルバイト」、それを咎められて「退職」(解職でないのは、おそらく退職金等が出る処分だからでしょうか。一年目ですから、大した額ではありませんが)

【小社会】先生という仕事 熱血教師ドラマの代表格の一つに2000年代に放送された「ごくせん」がある。任侠(にんきょう)一家に育った教師が問題児たちを導く物語。仲間由紀恵さんが主役の「ヤンクミ」を演じた。▶その中に、水商売のアルバイトが発覚して追い込まれる同僚先生の回がある。同僚はヤンクミと生徒らの支えで退職を回避。これを機に教師としての自覚が芽生えて…。▶高知市の女性教員がキャバクラで副業して処分されたとの報道に、この話を思い出した。ドラマのような事態が身近にあるとは。▶ただ、彼女の属人的問題と断じてよいものか。採用1年目。給料の物足りなさと認識の甘さを口にした。多くの若い教員に通じる現実でもある。退職に至ったのはドラマのような支えが周囲にいなかったからかも。興味本位で見がちな話題だが、提起することは多い。▶それにしても、近年の教員不祥事の多さには目を覆う。おかげで、今月末で退く長岡幹泰・県教育長には「不祥事」の印象が濃く重なる。長岡さんといえば66年ぶりの教員出身の教育長。現場の受けは良かったようだが、では不祥事の多発はたまたまか。後任も教員出身だ。在任期間をしっかり振り返ってもらいたい。▶昨日は教員異動の発表もあった。節目の春なのに、不祥事や採用難でどこか影が差す。いっそ「ごくせん」を見返すのも一考か。荒唐無稽な設定だが、先生ってやっぱりいい仕事だな、そう思えるドラマでもある。(高知新聞/2025/03/21)

 「先生という仕事」はかくあるべき、とは言いません。現実にさまざまな教師像が蠢いているのですから、それを四角四面の狭い範囲(土俵)に閉じめることは不可能。それぞれが自由自在に、いや人によっては法令順守専一で勤められて結構でしょう。採用一年目の女性教員、あまりにも給料が物足りなかったので、「規則」では禁止されているのを知りながら「副業」に心が動いた、「バレなければ」という心情はよく分かります。でも「バレたら」という他の方面にも気を配るべきだったかもしれませんが、終わったことだから仕方がありません。コラム氏が指摘されているように「興味本位で見がちな話題だが、提起することは多い」という一面にもっと注意を雪ぐべきだと思っている。規則違反だから処罰というんはゲイのないこと夥(おびただ)しい。この副業経験を生かしたじゅごゆをすれば、子どもたちも学ぶことが多かったでしょうに。

 不祥事が明るみに出ると、「あってはならないこと」「教師として断じて許されない」と責任者は一端(いっぱし)の口を利くのは常套(上等)ですが、埒もないことを言ってお茶を濁す(責任を回避する)、その姿勢こそが不祥事の温床となっているのではないでしょうか。時の教育長(教員出身)が、「記者会見」に姿を見せなかったと報じられていましたので、ぼくはよほど大事な要件が他にあったに違いない、あるいは「キャバクラにでも行っていたか」と揶揄しておきましたのに、どうも、この教育長にも大きな「不祥事」がありそうな(新聞テレビの)報道ぶりから見え見えでした。

 本日のコラム氏もはっきりと書かれている。「それにしても、近年の教員不祥事の多さには目を覆う。おかげで、今月末で退く長岡幹泰・県教育長には『不祥事』の印象が濃く重なる。長岡さんといえば66年ぶりの教員出身の教育長。現場の受けは良かったようだが、では不祥事の多発はたまたまか。後任も教員出身だ。在任期間をしっかり振り返ってもらいたい」と。よほど教育長の言動には目に余るものがあったのでしょう。ぼくは高知の教育界に関しては、かなり調べたことがあります。もちろん戦前・戦中・戦後を通して、です。何人もの教師たちは「県教育委員会(旧県視学)」の不当な圧力に果敢に戦い、断じて抵抗を止めなかった。具体的には両手で数えられるほどの教師たちの事績を調べたことがありますから、百年経とうが、教育界の「不如意」「不本意」「立身主義」は不易だということの証明でしょうし、それは高知だけのことではなく、また教育の世界だけに限らない「人間の弱さ」(醜さや意地汚さ、意気地なさ)に通じます。出世したい、昇進したい、偉くなりたい、給料を多く貰いたい、勲章が欲しいなどなど、どれもこれもぼくは、他人のすることですから)否定はしないが、本末の順序を忘れてしまうなら、何をかいわんやです。ぼく自身は、金輪際。このような「末」のことは忌み嫌います)

 こと「学校教育」に限定して言うなら、おしなべて、子どもや授業に興味を失えば、あとは昇進する(偉くなる、偉そうになる)ことにしか関心が湧かないのでないですか。ぼくの狭く拙い経験からでも、それは断言できます。校長や教頭(副校長)などになれば、授業は持たない。持ちたくないから校長になりたがる、どうですか。つまらない話ですが、この「つまらなさ」が学校教育を百年以上にわたって歪めてきたのです。それはとりも直さず、子どもたちを苦しめてきたことになるでしょう。高知県では次年度の教員採用試験の合格者300人弱の内、7割以上が任用を辞退したという。これも高知だけに限らないこと。給料が低いから辞退するのだというなら、それは違うと否定しておきます。「人はパンのみに生きるにあらず」です。「気位(きぐらい)」は誰にもあろうし、まして教師には欠かせない資質です。「自分の品位を誇り、それを保とうとする心の持ち方」(デジタル大辞泉)、それがなければ、人と対等・平等には交われないのですから。

 ある時期、夏休みの大半を使ってぼくは「ごくせん」「G.T.O.」「女王の教室」などを観たことがあります。いわゆる「教員ドラマ」です。荒唐無稽だったが、そこには、今では忘れ去られた教師の、荒々しいものでしたが、「気位」が香っていたと思う。生徒の側に立てば、管理職は文句を言うという筋立ては、学校教育制度開始以来いささかも変わらない学校の体質です。教師と生徒は仲間でなくてどうすんですか。芭蕉さんの「不易と流行」という表現を借りるならば、どういうことが言えるでしょうか。学校の体質、管理職の体質、それらは「古色蒼然」として「青黴(カビ)」が生えているのです。対面重視、組織防衛、それもこれも自己保身のためです。無責任という言葉を辞書で牽(ひ)くなら、「校長や教頭のこと」と出てきそうですな。

 「昨日は教員異動の発表もあった。節目の春なのに、不祥事や採用難でどこか影が差す。いっそ『ごくせん』を見返すのも一考か。荒唐無稽な設定だが、先生ってやっぱりいい仕事だな、そう思えるドラマでもある」とコラム氏。破天荒・荒唐無稽と(ドラマの主人公」に対して)言いたくなるのは、ひるがえって見るなら、どんなに教師稼業(に限らない)は杓子定規か、四角四面か、表向きは「謹厳実直」ぶるかということでしょう。だから「バレなければ」「みつからないなら」と不祥事に熱中するんじゃないですか。不祥事がいけないんではなく、不祥事が「見つかる」「バレる」から、いけないんじゃないんですか、県教育長さん。「人を殺す」とか「家に放火する」などというような重大犯罪ならいざ知らず、と言えば語弊どころか、非難の集中攻撃を享けそうですが、なに構うものか。キャバクラ経験を授業で生かす方がよほど価値があるんじゃないですか。

 教科書で学ぶのは第二義的ですよ、何よりも「現場(社会)」ですね。生きた勉強(学問)は教室では無理だと、校長だって教育長だって知っているはずですのに。


仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾し(とし) この年月(としつき)
今こそ別れめ いざさらば


互いに 睦(むつみ)し 日頃の恩
別れるる後にも やよ忘るな
身を立て 名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば


朝夕慣れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
忘るる間(ま)ぞなき ゆく年月(としつき)
今こそ別れめ いざさらば

「仰げば尊し」)(➀ https://www.youtube.com/watch?v=PCgzIYNTOfE(➁ https://www.youtube.com/watch?v=ERuAlRzITX0)

◎仰げば尊し=『仰げば尊し』(あおげばとうとし/あふげばたふとし)は、1884年(明治17年)に発表された日本の唱歌。卒業生が教師に感謝し学校生活を振り返る内容の歌で、特に明治から昭和にかけては学校の卒業式で広く歌われ親しまれてきた。ニ長調または変ホ長調が多い(原曲はホ長調)。8分の6拍子で、編曲されたものが何種類か存在する。 2007年(平成19年)に「日本の歌百選」の1曲に選ばれた。(Wikipedia)

 (表題について一言 ぼくは小さい頃から「和菓子」が大好きでした。ここにきて、その嗜好(しこう)が祟(たた)ったのか、血中糖度が高くなり過ぎました。大いに控えることにしましたが、「和菓子の温」は忘れませんということ)

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世の中よ蝶々とまれかくもあれ

 昨日は寒かった。関東各地でも積雪があったほど。当地では、ほんの一瞬、雪が舞い降りてきたが、すぐに雨に変わった。すでに春の彼岸に入ったのに(3月17日~3月23日)、寒さの洗礼を受けている気持ちでした。それに因(ちな)んで、ある時期の親子の会話。「もう彼岸なのに、まだ寒いね」「毎年よ、彼岸の入りの寒いのは」と。誰あろう、正岡子規と母との会話らしいが、それがそのまま一句になったのです。俳句は写生であり、写生の心が俳句を生む、一例でしょうか。俳句とは、そんなものですか。「毎年よ彼岸の入りの寒いのは」(「母の詞自ずから句となりて」と、子規の詞書きがある)「暑さ寒さも彼岸まで」と、誰が言ったものか、誰もが感じたままの季節感が、まだ壊されないままに表現されていた時代があったということでしょう。

 ここで言われる「暑さ」とは「残暑」(9月20日ころまでを指す)のことで、「寒さ」とは「余寒」(3月20日ころまで)ですね。本日の駄文も、「春分、二題」というところでしょうか。まことに珍しいことで、昨日に続いて「いばらき春秋」です。コラムの中をモンシロチョウが飛んでいます。「〈初蝶来(く)何色と問ふ黄と答ふ〉。高浜虚子が妻との会話をそのまま詠んだとされる」とあって、師弟の阿吽の呼吸」なのか、師の後塵を拝したのだったか。次は、あえて言わなくてもいいことです。ぼくはある時期まで虚子さんはとても好きな俳人でした。今でも、その句のいくつもを数え上げることができるほど。

 そうだったのに、あることがきっかけで以前よりも同情が湧かなくなったんですね。理由というのもつまらぬこと、彼は子規に学んで句作を始めた、余命を知っていた子規は、虚子(⇦)を後継にと望んでいたが彼はそれを断った。有名な「(都内」道灌山の別れの一夜」があります。(どこかで触れている)なぜ俳句を止めたのか、虚子は小説を書きたかったんですね。時は、いわば「自然主義小説」の黎明期でした。詳細は省きます。ぼくは彼の小説をいくつか読もうとしたが、読み通せなかった。この程度のものを書くために、虚子は情熱を燃やしたのかと、一気に興ざめがした。通俗小説にもなっていないと思いました。

 時期は忘れましたが、もう一つの理由らしきものを経験しました。どういう会合だった。ある時、虚子と(「ホトトギスの)弟子たちが集まって談笑する機会があった。その座には荻原井泉水さん(1884~1976)もいた。その一場の「情景」を井泉水氏が書いていたのを読んだことがあった。その小文は「虚子、その人となり」だったように思います。確か「虚子全集」の月報に乗っていたものだったかもしれない。それを読んで、「これが虚子さんですか?」と、ぼくは怪訝に思ったのでした。内容はつまらぬこと、むしろ弟子の井泉水氏の方に、一種の悪趣味があったのだろうけれど、虚子の実像(というほどでもない)が出ていると勘繰ったんですね、ぼくは。それやこれやで、虚子への思い入れが消えた。その途端に、子規の句まで、物足りないというか、強引であり、書き足りない写生だとまで思うようになったんですね。それまでの「熱病」が止んだのでした。(これはこれで、一つの主題ですから、子を改めて愚考します)

 「寒さで縮こまった羽に日の光を受け、体温を上げてひらりと飛び立つ。初蝶は春の訪れと共に、日なたぼっこの効果も教えてくれる」とコラム氏。もちろん、ぼくもそんな穏やかな春の訪れを希望するものです。今年は、もうモンシロチョウを見たような、あるいは夢だったか、記憶が定かではありません。史上、古くから「孤蝶の夢」という美しい逸話が残されています。荘周(そうしゅう)の逸話です。「夢か現か幻か」という、ある種の人生論、生命論でもありました。

 また、作家の司馬遼太郎さん(1923~1996)にも同名の小説「孤蝶の夢」(1979年)があります。明治維新期の、この国の「医学の曙光時代」を横切った何人かの俊才(将軍奥医師だった松本良純・順天堂開祖の関寛斎・佐渡出身の語学の天才であり医師でもあった司馬俊海など)の、まさに胡蝶の夢のような、鮮やかな生き方を描いています。ぼくの、大好きな作品でした。

◎ そう‐しゅう〔サウシウ〕【荘周】=中国、戦国時代の思想家。宋国の蒙(河南省)の人。老子とならぶ道家思想の中心人物で、個々の事物の価値や差異は見かけ上のものにすぎず、根元的にはすべて平等であるとし、自然にまかせる生き方を説いた。後世、南華真人と尊称された。荘子。生没年未詳。(デジタル大辞泉)
◎ こちょう【胡蝶】 の 夢(ゆめ)=(中国の荘周が胡蝶となった夢を見、さめて後、自分が夢で胡蝶となったのか、胡蝶が今夢の中で自分になっているのか疑ったという「荘子‐斉物論」の故事から ) 夢と現実とがさだかでないことのたとえ。その区別を超越するたとえ。また、人生のはかないたとえ。《 季語・春 》(精選版日本国語大辞典)

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【いばらき春秋】春は行きつ戻りつやって来る。寒さが続いた後で急に暖かくなった日、ふいにモンシロチョウを見かけることがある。青い空、黄色い菜の花。そのはざまで小さな白い羽がひらひらと自由に舞う▼1年で初めて見るチョウはしばしば俳句の世界に現れる。季語「初蝶(ちょう)」には冬の寒さから解放される喜びが込められてきた▼〈初蝶来(く)何色と問ふ黄と答ふ〉。高浜虚子が妻との会話をそのまま詠んだとされる。「今年初めての蝶が来たよ」「何色かな」「黄色」。終戦直後の不自由な暮らし。世情にお構いなく飛んできた春の使者に接し、心身の温まる様子が伝わってくる▼初蟬(せみ)、初霜、初鰹(がつお)…。日本人は古来、初めての出合いに感動を寄せてきた。水戸地方気象台の統計では、モンシロチョウの平年の初見日は4月3日という▼きのう県内で舞ったのは雪。一方、春分の日のきょうを過ぎると、気温は上昇し、初夏の陽気と予報される。目まぐるしい寒暖差や新生活で体調を崩しやすくなる時季。専門家は「春バテ」の対処法の一つとして、朝の日差しを浴びることを勧める▼寒さで縮こまった羽に日の光を受け、体温を上げてひらりと飛び立つ。初蝶は春の訪れと共に、日なたぼっこの効果も教えてくれる。(拓)(茨城新聞・2025/03/20)

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【国原譜】17日の月曜日は「彼岸の入り」だったが、あす20日(春分の日)から週末にかけて、墓参りのラッシュになるはずだ。昨秋のお彼岸以来だから、墓掃除も「時間をかけて念入りに」という人が大半だろう。▶気になるのは仏花の値段。通常でも、春と秋の彼岸とお盆の時期は割高になるが、諸物価高騰の折、“高値の花”となるのは避けられない。▶一方で、最近は「墓じまい」が静かに進行している。昨秋の墓参りで、実際に隣の区画から墓石が消え、地面が黒いシートで覆われているのを目撃した。ご先祖さまが安らかであるように、と祈らざるをえなかった。▶日本社会の大きな変化を受けて、生まれた土地で進学、就職、結婚、定年、そして老後―というパターンは、とっくに崩れている。両親が亡くなっても遠隔地に住む子や孫は、なかなか墓参りには行けないという現実がある。▶そのため、先祖供養を今後どうするのかという、悩ましい選択を迫られることになる。お寺も檀家制度維持に苦悩しているという。▶遠いふるさとが、さらに遠くなっていくような感じがして寂しさが募る。(恵)(奈良新聞・2025/03/19)

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 ぼくは「葬式」も要らない、「戒名」も不要にと思っている人間(まだ、「遺言」は書いていませんが)ですから、当然のこと「墓」も無用としているものです。とても小さいころから、そのように思っていました。葬式(人生の幕引き)は、この社会の諸宗派に乗っ取られたようなもの。葬式宗教と揶揄されるほどの、業者との癒着ぶりです。葬式も、今ではよほどでないと行かなくなりました。ぼくには無意味に思われる事柄に大枚をはたくのが解せないのです。また、集まって笑い興じる人たちもいるのには耐えられないから。その伝でいうと、御墓も同じこと。墓を造るのに何百万とは、これ如何に。父親が亡くなったとき、おふくろが算段して御墓を造った。菩提寺は京都市右京区嵯峨にある。もう何年も墓参りに行っていません。御墓の管理はお寺任せ。なんとも親不孝であり、不信心ですが、仕方がない。その代わりというか、自宅の自室に小さな仏壇を置き、そこに位牌(両親と祖父母の)を据えて、毎朝線香とお水を上げている。時には「供花」をも。その程度で、何か足りないものがあるとは思わないんですね。

 奈良新聞「国原譜」氏が書かれているのはその通りで、それではさて、どうしますかといっても思案投げ首。「生まれた土地で進学、就職、結婚、定年、そして老後―というパターンは、とっくに崩れている。両親が亡くなっても遠隔地に住む子や孫は、なかなか墓参りには行けないという現実がある」のですけれども、その現実に打つ手がないとすれば、あとはそれぞれが「形見」を用意して、先祖や父母の遺徳を偲ぶことができれば上々だという思いがします。「遠いふるさとが、さらに遠くなっていくような感じがして寂しさが募る」と心侘びしいことを書かれるが、おいそれとは行けない火星や金星に御墓があるわけでもない。その気になれば、日帰りで、まさに「孤蝶の夢」「蝶夢」の如くに感じられれば、何時だって亡き人たちと再会も語らいもできようというもの。

 (これを書いている今(朝7時)も、隣の竹林からは鴬がだれかに呼びかけている。ぼくにはそうは思われないが、ある人にとって、鴬は亡きおっかさんであるかもしれないでしょう。どんよりとした空の下、ギターが奏でるBGMを聴きながら、駄文を綴りながら、ぼくは「孤蝶の夢」を見ているのでしょうか)

 表題句は西山宗因作。[1605〜1682]江戸前期の連歌師・俳人。談林派の祖。肥後の人。名は豊一 (とよかず) 。別号、西翁・梅翁など。里村昌琢に連歌を学び、主家加藤侯没落後、大坂天満宮の連歌所宗匠となった。俳諧では自由軽妙な談林俳諧を興し、門下に井原西鶴などを輩出。編著「宗因連歌千句」など。(デジタル大辞泉)

 あえて「句意」を探る必要もないでしょう。「蝶々、蝶々、菜の葉にとまれ、菜の葉に飽いたら、桜にとまれ」と、まあ世間というのはまるで蝶々の如くに動いていればいいのではないかいな。いたって、軽々しいんですね、それでいいと。

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「自分には偏見がある」という意識

 偏見ということをずっと考えてきました。まずは「偏」という字。読みは「ヘン」「かたよ(る)」「ひとえ(に)」で、もっぱら「かたより、不公平な、 中正でない」、あるいは「片側・片方」を指している。代表的な使用法は「偏見(prejudice or (a) bias )」ですね。公平ではない、偏った考え、極端な意見を指します。もともとは漢字構成の「偏旁冠脚(へんぼうかんきゃく)」の一つを言う。ニン偏とかイト偏などという場合の左側の偏。因みに「旁」は漢字の右側の部分、つくり。「冠」は漢字の上部分、かんむり。「脚」は漢字の下部分、あし。

 そこから敷衍されて、真ん中ではない、偏った、外れた考え、それが「偏見」です。最近では「偏向報道」などとうるさいくらいに批判される「一方に偏した」考えや意見の横行がいたるところで見られます。「専断偏頗(せんだんへんぱ)」などとも批判されます。その反対は「不偏不党」でしょうか。どちらにもくみしない、中立・公平・公正の立場です。果たしてそんな「立場」があるのかどうか、ぼくには大いに疑問ですが。ともすればどっちつかずになるはずです。「主義や思想に拘泥しない」、「特定の党に所属しない」そんな「公平」「中立」の立場です。もし可能ならばそういう立場を取りたいものですけれど、ある集団においては、それは不可能でしょう。

 以前には「公正」「中立」だった考えや意見も、時代とともに「偏向」「偏見」などと批判されるようになることはいくらもあります。それこそが開かれた社会や文化の在り方だとされます。「時代おくれ」などとよく言われる「社会通念」「社会常識」への批判がそれに当たるでしょう。ある時期までは圧倒的に優勢な立場や考え方が、時には「時代おくれ」「偏見」とされる。しばしば「常識を持ちなさい」「常識もないのか」と言われ、またときには「そんな常識など」と否定されるべき態度や意見とされることもあります。

 少し方向を変えます。「嫁」という字。「ヨメ」ですね。「女偏に家」と書いて「ヨメ」、元は「結(ゆ)い女(め)」と呼ばれたという説があります。家と家を結ぶ(親戚になる)「女」でした。男尊女卑という状況に関して、それは可笑しい、偏見だという意識など微塵もなかった時代。「嫁にやる」「嫁を貰う」「嫁に行く」「嫁に出す」「嫁を取る」の主語は誰でしたか。「オヨメサン」になりたいという子はたくさんいたのは、昔の話。今は「ヨメ」など、タブーになったかと思われるほどに、「嫁さん」になる人は少なくなりました。当然その反動で、「婿(むこ)さん」になれない、ならない男性も多くなった。と、呑気そうに駄弁っている、ぼくの姿勢こそが、「アンコンシャスバイアス」に絡めとられていると批判さるかもしれません。

 「自分自身が気付かずに持っている思い込みや偏見のこと」とコラム氏は書く。たしかにそのとおりでしょう。しかし、気づかないで持っている「思い込みや偏見」とは何でしょう。端的に言うなら、その正体は「社会通念」「常識」とされるものです。多くは家庭や学校、あるいは地域社会で早い段階から「刷り込まれ」るものでした。「世間知らず」「非常識」などと叱責されながら、多くの人は世間体を身につけ、社会常識に染まる、それが「大人になる」ということだったでしょう。時代が進もうが、頑としてこの「通念」「常識」を貫徹する人も出てきます。「アメリカ社会での『性』は男と女だけだ、それが政府の見解である」」という大統領まで出る始末。人種差別女性蔑視は立派な文化だと、大統領の周りに「偏見と差別」の強固な絆(鎖でできた「差別」主義の輪)が築かれています。あの国にして、どんなに「偏見」や「差別」が根深いものかを知る思いがします。

 めったにないことですが、と書けば、まがうことのない、「(抽象的な)茨城県」に「アンコンシャスバイアス」が強くかかっていると自覚している自分を認めます。それはそれとして、なかなかに読み応えのある「コラム」でした。ある大学院在学中の男性、「『彼女いるの?』。悪気のない質問に傷ついた。職場でカミングアウトした時は、望んでいない『過剰な配慮』をされてモヤモヤした」という経験談。これだけのことを講演で話す人が現れてきたことを、ぼくは大歓迎します。これまでに何十人もの「性の同一性」に苦しんでいる人に出会ってきたことか。その多くは勤めていた大学の学生でした。男性も女性もいた。そんな人々の中には、今は「LGBTQ(性的少数者)」の社会的認知のために飽くなき活動をされている人もおられる。

【いばらき春秋】最近、二つの講演会を聴いた。男女共同参画、地域活性化とテーマは違ったが、双方とも「アンコンシャスバイアス」がキーワードになっていた。自分自身が気付かずに持っている思い込みや偏見のことだ▼常陸太田市の男女共同参画講演会の講師は、LGBTQ(性的少数者)の当事者として講演活動や居場所づくりに取り組む永瀬大紀さん(28)。石岡市出身、筑波大大学院でヒューマン・ケア科学を専攻する学生でもある▼「彼女いるの?」。悪気のない質問に傷ついた。職場でカミングアウトした時は、望んでいない「過剰な配慮」をされてモヤモヤした。そんな経験や思いを等身大の言葉で話した▼福島で農産物の販売などを行う会社「陽と人」の小林味愛社長(38)は東京都出身の元キャリア官僚。東日本大震災の原発事故を契機に福島県国見町に移住し、起業した▼講演の中で「若者や女性に選ばれる地方」の要件として働きやすさ、働きがい、そしてアンコンシャスバイアスに気付くことを挙げた。自分たちの「当たり前」が地域の創造性を抑制していると指摘した▼春は別れと出会いの季節。新しい出会いの前に、古いジェンダー意識や固定観念は冬のコートと一緒に脱ぎ去っておきたい。(細)(茨城新聞・2025/03/18)

 「偏見と差別」という課題は、ぼくの人生のテーマになっています。我が生活には何時だって、この主題が中心にあった。京都時代から始まって、七十年になります。社会通念は、毎日飲む水や食べる食物のように、自分の中に摂取された。それは家庭で、学校で、地域社会で提供されたものでした。今ある社会を受け入れること、それが、自分が社会に受け入れられる条件のようでした。家でも学校でも、親や教師から教えられ、「いい子であること」が自らの存在の補償となっていたともいえます。でも、ぼくは素直な子ではなかった。徹底して自分で考え、納得を求めていたともいえる。「君の考えは可笑しい」とされるのは、「みんなとは違う」ということと同義でした。だから、「みんな同じ」が集団になじむ必要条件だったと思う。

 結局、ぼくが「反社会(集団)」「非社会(集団)」の態度を曲げなかったのは、無条件に全体に同調することを忌避していたからということになります。「赤信号 みんなで渡れば怖くない」というのは単なる「ギャグ」や「ブラックジョーク」などではなく、「社会通念」「社会規範」という古手形を揶揄し、嘲笑したものだったと思う。「みんなといっしょ」であれば、なんだって、暴力だって正当化できるという「全体主義」への侮蔑でもあったでしょう。はっきり言うなら、ぼくには、尽きない「偏見」があります。否定しても、次々に生まれ出てくる「偏見」、その正体は何かとつねに煩悶もします。だから、やみくもに「偏見」を否定するのではないし、ぼくには否定できるものでもないでしょう。自分の根っこから、次々に生まれ出る「偏見」、要するにぼくは「偏見の生みの親」であり、「偏見から生まれ出た赤子」みたいなものです。その「偏見」があるおかげで、あるいは「偏見の正体」をつきとめようとすることによって、ぼくはこれまで「偏見」に足をすくわれなかったのかもしれない、と都合よく勝手に受け取っています。この先は分からないけれど。

 「社会通念」とか「常識」というものをを欠けば、社会生活は円滑ではなくなるでしょうが、その罠にはまってしまえば、自分を失います。あなたは、どちらを選ぼうとするんでしょうか。「新しい出会いの前に、古いジェンダー意識や固定観念は冬のコートと一緒に脱ぎ去っておきたい」とコラム氏は殊勝なことをおっしゃいます。そうありたいものでけれど、古い意識や固定観念は、尽きることがないんですね。だから、それらとの「格闘」「自問自答」する、それが生きているということでもあるんでしょうね。人間は過去によって育てられる存在です。<The key to me is being aware that this is a prejudice that exists within me.>

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前代未聞 (未だ聞いたことがない)

 「給料物足りなくて」小学教諭がキャバクラで副業 停職処分で退職 高知県教委「前代未聞」 24年度懲戒13人     

 高知県教育委員会は17日、採用1年目の小学校の女性教諭がキャバクラで副業していたとして停職3カ月の懲戒処分とした。昨年9月から今年2月まで計71日間働き、約100万円を得ていたという。県教委は「接客を伴う店での副業は前代未聞」としている。教諭は同日付で退職届を提出し、受理された。また、県西部の50代の男性中学教諭が男子生徒の体を触り、セクハラ発言をしたとして減給10%、12カ月の懲戒処分となった。処分はいずれも同日付。
 県教委によると、停職処分を受けたのは高知市立横浜新町小の女性教諭(23)。公務員の副業が禁止されていることを知りながら、昨年9月、友人の誘いでキャバクラの面接を受け、「学校に分からなければ大丈夫かもしれない」とアルバイトを始めた。午後9時~午前0時に働き、12月には24日間、今年1月は23日間、店に出ていた。「週末のみのつもりだったが、店から日数を増やしてはどうかと言われた」と説明したという。
 2月に匿名の電話が同校にあり発覚。校長が確認したところ、本人が認めた。
 県教委の募集要項によると、2024年度採用の初任給は約22万円だが、女性教諭は「いざ給料をもらうと物足りなく感じた」「公務員としての認識が甘かった」と述べたという。
 県西部の男性中学教諭は、自身が顧問を務める部活動の男子生徒の体を複数回触った。「性的なことに興味があるだろう」とし、セクハラ発言も繰り返していた。1月に被害生徒と保護者が学校に相談し、発覚したという。
 24年度に懲戒処分を受けた教職員は、今回で計13人となった。会見で県教委小中学校課の蛭子穣課長は「何をしたらだめなのか、より具体的に伝えていく」と述べた。
 止まらない不祥事に長岡幹泰教育長は1月、市町村教育長らを集めた緊急合同会議で「不祥事を自分事として捉えてほしい」との緊急メッセージを出していた。長岡教育長はこの日も会見に出席せず、「教職員一人一人が不祥事を自分事と捉えられるよう粘り強く取り組んでいく」とのコメントを出した。(相良平蔵)(高知新聞・2025/03/17)

 数日前に、何かの要件で高知新聞社に問い合わせをしたばかりでした。高知教育界では「小学教諭がキャバクラで副業」という事案が「前代未聞」なのかと、ぼくは驚嘆している。「接客を伴う店での副業は前代未聞」とは県教委ですから、これは間違いないのでしょう。ぼくはまったくの未経験ですから、接客業がどういう業態を指すのか、よくは理解できません。報道が数日前だったら、事態の内容を当該新聞社(記者)に問いただすところだったのに。県教委が、「副業(アルバイト)」を問題視しているのでないことは確からしい。その職場が数ある接客業でも「キャバクラ」だったから処分の対象になったわけです。いまでもなお、公務員の副業は禁止されているというのも「時代おくれ」だと思うし、問題の核心である「給料が安い」からというところには、教委はあえて触れようとはしないんですね。つつけば、文字通りに「藪蛇」だったんですが、「先生、チート勇み足じゃア」と言いたいところ。

 この女性教師を擁護するつもりはありません。すべて副業は禁止しますという規定にも「時代おくれ」を感じてしまうので、どうしても女性教師の側に立ちそうになるのです。「71日間で100万円」ですから、一日当たり1万5千円足らず。目くじら立てるほどのこともないじゃんと茶化したくもなるが、「教師は聖職」だから、「たとえ一円であっても」断じて認められないということでしょう。古いね。ダサいよ。表向きだけの「杓子定規」ではないんですか。新卒教師の「「学校に分からなければ大丈夫かもしれない」という料簡は外れていないといってはいけないけれど、果たして、「バレないので」副業に勤(いそ)しんでいる教師が絶無だと、ぼくには思われないのです。それ以上に「キャバクラ」だから論外という「色眼鏡」が県教委の処分に色濃く反映していないかということです。ぼくは「キャバクラ」や「アルサロ」がどんな場所か知らないから、何も言えません。しかし、字面から判断すると、いかにも「イカガワシイ」そうに聞こえてくるのはなぜでしょう。ぼく自身の中にも「(イカガワシイと感じる)偏見」があるということでしょう。県教委の面々は「イカガワシイ」ことや場所だとよくご存じだから、処分は厳しくなったのかな。

 長く学校教師の真似事をしていましたから、こんな問題(キャバクラで副業)にはよく遭遇しました。と言って、職場の教師が「キャバクラ」や「ホストクラブ」で副業をしていたというのではありません。担当する授業(主として「演習(ゼミ)」)の履修者で、何人(女性でした)かが、おそらく問題視される「お店」で働いていて、主として男性とトラブルになり、それなりに「人生相談」を受けたことは何度かありました。学生の身でありながら、そんなイカガワシイところでアルバイトとはけしからんとはついぞ思ったことはなかった。見当はつくけれど、詳しく実態は知らなかったから。まして、「よくやっているな、えらいね」と褒めもしませんでした。ともかく、理由があって、「本人が決めたことだから」という、そこから問題を捉えようとしていたことは事実です。相談する方も、そうで、自分では答えを持ちながら、一応は「相談」に来るのですから、まるで「相談される方が試されている」と何時だって思っていました。

 高知県の女性教師の「キャバクラでの副業」が短期間で終わったのは、「タレコミ」があったからだといいます。ひょっとしてお店に通っていた同僚からだったか、タレコミの主は。もし「密告」されていなかったら、もっと続いていたかもしれないし、教師よりも、こちらの方が適性があると考えていたかもしれません。人生、何が幸いするか、いや、一寸先は闇か、人生色々で、単純な価値観や短い尺度では測れないんですね。たくさん経験を積んで、教師に戻られたら、酸いも甘いも判るような、「さぞ、いい教師」になれただろうに。

 結論は単純です。この女性教師の行動(キャバクラでアルバイト)が「前代未聞」と素っ頓狂な感想を述べている県教委の感受性というか、鈍感力には点ける薬がないということ、それが第一(本当は、こんな程度のことは知っているけれど、知らないで驚いたふりをしているかも)。次に「停職3カ月の懲戒処分」を受けて、件(くだん)の教員は退職したという、その軽挙・妄動、あるいは軽はずみな行為に注文を付けたいというのが第二です。恐らく、不祥事で処分されれば、即刻「退職」にするのは、いくつかの理由があります。それには触れません(最大の理由は組織防衛であり、自己(管理職者の地位)防衛でしかない)。寧ろ、その「処分」をその後の教員キャリアになぜ生かさないのかと、ぼくは惜しむものです。

 もう何年も前のことにもなります。昔の職場で、同僚の後輩教員が「大学院生(女性)」に対してパワハラ(セクハラか)を働いたとして「処分」されたことがあった。事前に相談を受けていたので、「(事実を認めるなら)処分は避けられない」けれども、決して辞めないようにと。屈辱を感じるだろうけれども、自ら蒔いた不祥事の種。そこから逃げないで教師の仕事に生かしてほしいと。学校当局は「不祥事」があると、「早々に退職を迫る」のは、外見を憚るからです。処分即退職なら「退職金」は出すというのです。人間は間違いを犯す動物です。教師であろうが神主であろうが、裁判官であっても、いささかも変わりはない。大事なのは同じような過ちを繰り返さないことです。そのために必要なのは「間違ったことを胸に刻む」姿勢です。(何かの折(間違いそうになった時)に、そこが「初心」「出発点」になるからです。国家でいうなら「敗戦記念日」、いや「開戦記念日」みたいなものか)

 「会見で県教委小中学校課の蛭子穣課長は『何をしたらだめなのか、より具体的に伝えていく』と述べた」とあります。馬鹿草! ここまで来ているんですね。「善悪の判断」はなかなかつきにくい時代ですから、教委の幹部諸氏の気苦労も大変ですねと同情すべきでしょうか。(監督不行き届きの教員)が生まれるのは「学校教育の成果じゃないですか」と減らず口を叩きたくもなる。「何をしたらだめなのか、より具体的に伝えていく」という、その手の教え込み、インストラクション(注入教育)が間違いのもととは、まさか気が付かいないでしょうね。

 「灯台下暗し(Darkness under the lighthouse)」<People often know little of what is happening under their very noses>というのでしょうか。(ぼくの直観(直感)では、実際には、誰が何をしているか、たいていは知っているんです。知らないふり(pretend not to know)をしているだけ)


 「止まらない不祥事に長岡幹泰教育長は1月、市町村教育長らを集めた緊急合同会議で『不祥事を自分事として捉えてほしい』との緊急メッセージを出していた。長岡教育長はこの日も会見に出席せず、『教職員一人一人が不祥事を自分事と捉えられるよう粘り強く取り組んでいく』とのコメントを出した」と。どうして出席しなかったんですか。「不祥事を自分事と捉え」ていないあからさまな証拠。キャバクラに行っていたか。

 昨年の今頃でしたか、兵庫県高砂市の小学校校長が、(コンビニにあるインスタント)コーヒーの「種類と値段の差(数十円」」を胡麻化して解雇されました。退職直前の三月だったと思う。数十円(一度だけではなかったらしい)を胡麻化して三千万円余だったかの退職金を失った事件がありました。ぼくは「あまりにも可哀そうじゃないか」と、市教委に事情を聞こうとしたが、果たせませんでした。この時も、処分を受けた、即退職ではなく、こんなことで処分された、不本意な自分を隠さないで、「教職を続けてほしい」と願ったのでした。今回も同じです。

 事件の大小を問わず、「過ちを犯す」「過ちを犯した」人間として、その後を生きる、その過ちを糧としてほしいと、間違い(過ち)の経験の重要性を繰り返し言い続けたいですね。ぼく自身が「過ちのかたまり」のような人間です。「自分は間違える」人間ではあるけれども、そのことがあるおかげで、「同じような間違い」は起こさないというきっかけ(信号)にはなるのですから、間違いの効用を大事にすることが、あまりにも疎かにされていると痛感する次第。「間違ったことは忘れてさ、心機一転、新しく生き直しなさいよ」という出鱈目が、そもそもの間違いの元ですね。

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たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ

 春先にはなぜだか、黄色い花が多く見られます。代表格は「菜の花」、ついで「ミモザ」「山茱萸(サンシュユ)」「蝋梅(ロウバイ)」「水仙(スイセン)」「連翹(レンギョウ)」「金縷梅(マンサク)」「蒲公英(タンポポ)」等々。不思議としか言いようがありません。なぜ、この時期に黄色い花が咲くのか。いくつかの説がありますが、本当のところはどうなのか、ミツバチの習性などが関係しているとされますが、さらに詳しく知りたいものですね。

 本日の花は「山茱萸」です。中国原産の高木。春先には花が、そして秋には赤い実をつけます。そのためもあってか、「ハルコガネバナ」とも「アキサンゴ」とも呼ばれています。鮮やかな黄色は目立ちます。菜の花は言うまでもありませんけれど、この山茱萸も美しい花をつけてくれます。よく見ないと他の木と間違いやすい。殺伐(「うるおいやあたたかみの感じられないさま」デジタル大辞泉)とするばかりの世相、世情、世態です。身も心もささくれ立つのをどうすることもできない。

 昨日は、当地における県知事選挙でした。終日雨が降っていたせいもあろうが、投票率は32%弱だという。民主主義の衰退というか崩壊過程に入っていると言われますが、何のことはない、有権者が自らの地域の政治、あるいは政治参加に興味も関心も失っている証拠でしょう。政治家が悪いのは言うまでもないけれど、それをいいことに、投票には行かない有権者の政治(参加)意識こそが問われなければなるまいと思う。

 ネット時代に、はたして従来から叫ばれてきた「民主主義」が成り立つのかどうか。それはもはや破綻しているとぼくは思う。一人一票の選挙権行使が土台となって成り立つ民主政治、それが「SNS」という、ひとりで何役も演じられる武器を自由に(野放しで)使えるのですから、これまでの方式が通用しないのは当然でしょう。たった一台の「スマホ」とは言うまい。掌の上で扱える小さな機器で、ぼくたちの時代や社会は未曽有の危機に瀕しているんですな。どうします?どうしましょう?(表題句は坪内捻典作)

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「徒然に日乗」(687~693)

〇2025/03/16(日)終日雨が降っていた。それに加えて、風が吹くかと思ってはいたが、それほどでもなかった。お昼過ぎに買い物で茂原まで。その途中で、県知事選の投票に出向いた。投票場は近くにある町立中学校。雨が災いしたこともあり、投票率は最低水準になっているのではないかと思う。まったく知事選には無関係の主張をするための立候補者が二人、他は現職と新顔の二人。選挙(投票)に嫌気がさした人が多くいたと思う。しかし、選挙に出かける、自分で投票することが、政治参加の「イロハのイ」だ。それを否定してしまえば、政治の堕落頽廃が我々に関わりなしに進むだけ。知事選が投票率三割未満では、話にならないと思う。(最終的には31.9%だった)▶首相の商品券配布問題は、彼の辞任にまで及ぶ勢いで進んでいるが、簡単には終わらない気もする。さて、どうなるのか。歴代首相にとって「会食(の土産代わり)に商品券」は誰もがやっていたという報道がある。あきれてものが言えない。(この「慣例」報道は後刻取り消された。経緯・真偽を含めて、さらなる続報があってほしい)こんなことばかり続く、この政党は、ここらあたりで終わり(解党)にしなければならないだろう。後生大事に、こんな政治しかできない汚れた政党と有権者は縁を切らなければ、この先、いかなる政治的再建もできないだろうと、ぼくは断言する。戦後八十年のほぼすべてを一党独裁でやってきた結果、与党も野党もない、腐敗正党・グループ(汚染集団)ばかりになってしまった(同じ釜の飯を食ってきた仲間)。与党も野党もない、そこに存在しているのは政治の頽廃促進に寄与する政治家たちという「利権集団」だけ、それがこの社会の健全性を壟断してきたのだ。(⁂ 壟断とは、「1高い丘の切り立っている所。2 《いやしい男が高い所から市場を見下ろして商売に都合のよい場所を見定め、利益を独占したという、『孟子』公孫丑下の故事から》利益や権利を独り占めにすること」)(デジタル大辞泉)(693)

〇2025/03/15(土)午前中は日差しもあったが、午後からは曇り空で、気温も徐々に下がってきた。▶お昼過ぎに買い物で茂原まで。土曜日のためもあってか、かなり混雑していた。▶本日は千葉知事選の最終日。候補者として出ているT氏が財務省前の演説会場で暴漢に襲われ、かなりの重傷を負ったが、幸いにも命には別状はなかったらしい。この候補者の最近の行動には民主主義の土台である「選挙」そのものを壊す働きが顕著で、たくさんの違法行為が目立つのに、警察・検察はまるで放置しているような状況が続いている。兵庫県知事選でも目に余る違法行為を重ねていた。▶現首相の同僚議員への商品券配布問題。「石破総理大臣は13日夜、記者団に対し、今月3日に総理大臣公邸で行った自民党の当選1回の衆議院議員15人との会食に先立って、出席議員の事務所に、1人10万円分の商品券を届けたことを明らかにしました。政府関係者や出席議員によりますと、全員が返却したということです。(以下略)」(NHK・2025/03/14)さて、首相の地位に座り続けるのか、それとも…。来年度予算決定を前にして、永田町は挙って「奈落の底に」となるかならないか。この社会が何十年もあらゆる局面で「停滞」を余儀なくされている理由の最大のものかもしれぬが、政治と金(その実は、政治家と金)問題の野放図の継続に対する無感覚が、ついにここにまで来てしまったという思いがする。泣きたくなるな。(692)

〇2025/03/14(金)朝から快晴が続く。日曜日には天気が荒れると予想されるが、少しは安定した天気が続いてほしい。▶十時過ぎに猫缶購入のためにあすみが丘に。いつも通りの商品を購入した。▶午後二時ころだったか、京都の友人Tさんから電話。友人(3人)いっしょに周山でグランドゴルフをしているという。M氏、S氏、N氏と。いずれも高校までの同級生。この数年で何人かの同級生が鬼籍に入っている。後期高齢者(八十)だから、不思議でも何でもないけれど、少しでも健康で長寿を保ってほしいと念じている。(691)

〇2025/03/13(木)すっきりしない一日だった。午後から小雨が降り出した。気温は下がらなかったが、途中からは曇天が続いた。▶今朝は、あちこちで鴬が啼いていた。本格的な春の到来と言えそう。ということは、最近、劣島のどこかで吹いた風が「春一番」だったことになろう。庭の桜の蕾もまだ固そうで、開化は極めて遅いと予想される。(690)

〇2025/03/12(水)朝から曇り空。時には小雨(霧雨)が落ちている。気温は低くない。▶昨日準備しておいた「確定申告書類」の記入を済ませ、九時過ぎに役場に持参。茂原の税務署はやたらに人が多く混雑しているので、行かないことにしている。昨年度は能登半島地震などもあって、できる範囲の寄付をした関係で、課税所得はなしとなった。これまでも控除されるべき費目を増やしてきたが、課税対象所得に達しなかったのは初めて。マイナス分は約30万程度だったか。毎年のことながら、気の進まない、この年中行事も何回も遺されていないだろう。ネットでもできるが、今はどうだか調べていないが、初期のころは有料のアプリを使わせていたので、ぼくは最初から忌避しているのだ。(689)

〇2025/03/11(火)とても肌寒い一日だった。時には小粒の雨が落ちてきたりしていた、午前中。▶14年目の3.11。いまなお、東日本大震災と福島原発事故の全貌がつかみ切れていない。悲避難者は2万数千人に上る。本来なら東電が負担すべきおよそ十兆円の莫大な補償金は国税に課せられている。なんとも理不尽な「原発政策」をこの先も、継続するというのだ。事故の犠牲者に対するあからさまな「背反」であり、「裏切り」そのものだといいたい。いったい、福島のどこが「復興」したというのだろうか。いまなお排出されている「汚染土壌」の行方も未定のままで、永遠に福島はそれぞれの汚染物質の最終処理施設・処分場となるのだろう。(688)

〇2025/03/10(月)三月も中旬に入る。午前中に買い物のために茂原まで。風もあり、かなり寒い日になりそうだ。まだどこかに寒気団が居座っていそうな天気が続く。▶ここしばらくは庭の掃除もしていないため、かなりの量の枯れ枝や枯葉などが堆積しているし、植木の手入れも長期間放置したままになっている。樹勢もかなり勢いが衰えているようで気がかり。少し好天が続く時を見計らって、ていねいに「手入れ」をしたいと思う。それぞれの建屋の屋根や樋にもたくさんの落ち葉や枯れ枝がつまっているので、掃除を早々にしなければと考えている。よく見るまでもないこと、裏庭には猪の掘った穴が方々にある。根を掘り起こしては食料にしているのだ。(687)

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