
「徒然に日乗」で、まあ、「つれづれにっき」です。なのに、わざわざ「日乗(にちじょう)」などと気取った言葉を使わなくてもいいのに。このコラム(駄文)を書く際にふと浮かんだので、あまり深く考えないで使ってきました。「徒然」は兼好さん大好き人間のゆえの誼(よしみ)、親しみですね。「乗」にはいろいろな使用例があります。「のる」「のせる」から始まって「大乗」「小乗」の仏教用語、あるいは「乗数」と言えば、掛け算。あるいは四頭立ての馬車などにも使われます。さらに、面白いのは「記録」「歴史書」「史書」などにも使われています。「史乗」「野乗(野史)」という。「名乗る」などともいいます。いろいろなものを「乗せる」という意味ですね。
〇 乗= ① のりもの。のりうま。車馬。② 史書。また、歴史。記録。③ ( [梵語] yāna の訳語。のりものの意 ) 仏語。衆生をのせて悟りの彼岸に至らせるもののことで、仏の教えをいう。のりのおしえ。)④ かけざん。乗法精選版日本国語大辞典)
もちろん、ぼくのは単なる「日々のメモ」程度の記録ですから、それならそれで「メモ帳でもす」と書けばいいのに、と思ったりします。もちろん「断腸亭日常乗」(荷風)はとてもよく知られています。名称や内容はともかく、この「メモ」も足掛け三年も続いています。ぼくは自分でも嫌になるほど堪(こら)え性のない飽きっぽい人間で、みずからを「三日坊主の天才」だと思っていました、今だって。何事においても長続きしないものですから、ほとほといやになったことが何度もあります。この駄文録において「日記(メモ)」を書いてみようと思いついたのは、これもまた、崩壊寸前の記憶力の現状を知り、それを急激に減退させない「窮余の一策(松葉杖)」でした。昨日や一昨日、いったい何をしたか、本日は何月何日か、そんなことをまったく意識しないで歳ばかり、日にちばかりを重ねていくのも悪くはないでしょうが、それだけでは、わが心身を衰退するに任せるばかり、「こりゃあ、不味(まず)いや」と、どこかで気づいたんでしょうね。

書き残す記録類は、読んでの通り、毒にも薬にもならないばかりか、書く値打ちすら、微塵もないことだらけで、これがまともな人間の生活課と、自分でも嫌になる。だからこそ、書いておくことは自分を知る、自分を偽らないための立派な処方(prescription)だと思ったんですね。つまり、「こんなにつまらない、とるに足りない事々で、お前さんの日々(生活)が成り立っているんだぞ」ということを忘れないためだったと思われてきます。そして、年に何度もないことですが、本日の【日報抄】のような「記録」「記事」「書簡」に出会えるのですから、何でも続けてみるもんだと、深く納得するんですよ。
コラム氏と読者の「通い合い(commuting)」、書き手と読者の「交流」「交換」「交際」「交感」…。「膠漆(こうしつ)の交わり」、膠(にかわ)と漆(うるし)のように、つよくくっつきあうような、きわめて固く親しい交わりもありますけれど、「淡交」という交わり・付き合いあります。これもいいですね。京都に淡交社という会社がありました(今も、健在か)。若い京都在住時代、堀川辺にあった、その会社の前を自転車でよく通ったものでした。仕事内容は判らなかったが、何とも垢抜けした会社のような気がしていました。その後に「君子の交わりは淡きこと、水の如し」と知りました、そうだったんだと納得もした。かなり上質な交わりのことと得心したのでした。

記者と読者の関係がそうだというのではありませんけれど、新聞の読者と記事を書いた人のつながりにも一種の「淡さ」「さっぱり感」があるといいなあと、いつも思いながら、記事に目を通すことができれば幸いだと痛感しているものですから、本日の【日報抄】に嬉しくなった次第。「上越市の山深い地に暮らす女性から手紙が届いた」(記者)コラム氏の記事に出会って、「過疎地ですが大好きな自然の中でまた頑張ろうという思いをもらいました」(読者)そして、それに応(こた)えて、「この仕事をしていて、これほどうれしいことはない」(記者)今の世に、怒涛の如くに世界中を席捲している「SNS」の「殺伐無比」の暴力如きを、一瞬にして凌駕する「心のつながり」のようなものを感じて、単なる一読者でさえもが心を温められるのです。お互いが見知らぬままで、励まし合うということがあるというのです、それはどんなに貴重なことか。
(蛇足ながら 「過疎地ですが、また頑張ろう」と、あるいは「やせ我慢」「やや無理な頑張り」をされようとしているのかもしれない女性の心情を想い、「この仕事をしていて、これほどうれしいことはない」という記者の、言い得ぬ励まし(encouragement)の一言。新聞というものが持っている、当たり前の「気持ちのやりとり」がはっきりと感じ取られるのですね。このような「よさ」もまた、時代の波に攫(さらわ)われるのも致し方ありません。新聞がなくなるというのは、そういうことです)

【日報抄】上越市の山深い地に暮らす女性から手紙が届いた。豪雪地特有の春の空気について書いた先月の小欄について、感想を寄せていただいた。便せんを手にし、貧相な猫背が思わず伸びた▼女性は昨年の秋に脚を骨折し、入院などで自宅をひと冬留守にしていたという。この春、7カ月ぶりに帰宅できたが、けがや年齢のこともあり「体力、気力の衰え、雪に対する不安が頭から離れず、気持ちがネガティブになっていました」と打ち明ける▼コラムを読み「前向きになれました」とつづっている。日々を丁寧に暮らしてこられたのだろう。端正な手書きの文字と文面から伝わってくる。「過疎地ですが大好きな自然の中でまた頑張ろうという思いをもらいました」。この仕事をしていて、これほどうれしいことはない▼登山に関する著書も多いイラストレーターの鈴木みきさんは、山梨県の山の麓に居を構えていた頃の暮らしについて、エッセーに書いている。季節ごとに風が山の便りを運んできたという▼例えばこんな便り。1月「スカッと晴れた青空に小雪を舞わせる」。4月「太陽のにおい、土のにおい」。便りを感じるとそわそわし、誘われるまま山に行きたくなったという▼手紙の女性は住んでいる地について、冬は日本海の寒風が吹き付ける豪雪地だが「夏は見晴らしが良くうれしい」と少し誇らしげだった。女性もきっと、厳しくとも豊かな風の便りをずっと受け取ってきたのだろう。お裾分けしてもらった気分で手紙を読み返す。(新潟新聞・2025/05/26)
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「徒然に日乗」(757~763)

〇2025/05/25(日)朝からすっきりしない天気。いずれ雨が降る予報が出ている▶昼前に茂原まで買い物。夕食の食材等を含めて、いつも通りのもの(商品)を少し買っただけで、7千円弱。肝を潰しながら、物価高の現実に怖気づいている。ものみな騰がる時代、どこかに大儲けしている、しようとしている輩たちが蠢いているのだろう▶農水大臣が交替したが、いかにも選挙対策人事だと。5kgが2千円台の備蓄米だというが、なにも新大臣の政治力ではなく、すでに三月末の段階に長野辺りで売られていた値段。それを掠め取って、すべてを「新大臣」のおかげだと、この不出来(四世)議員を頼りにしなければならないほどに、この国の政権党は人材払底。まるでゴミ溜めだという気がするのだ。政治を家業にするのがいけないとは言わないが、コメを買う、物の値段に日常的に意識が働く、当たり前の生活感覚が練磨されていない連中に「政治」というのは笑うどころの話ではなく、国民の最大の悲劇だというほかない。にもかかわらず、相も変わらず腐った連中の政治談議に呆れてものも言えないとはこのことだ。(763)
〇2025/05/24(土)本日は終日曇天で、時折、小雨が降っているような、そんな肌寒い日だった。何をするでもなく、PCの前に座ったりして、呆然と、というか、いかにも所在なげに時間を送っていた。五月も残り一週間▶天候に恵まれた日が多かったこともあり、宿題だった外作業、主として枝落としと剪定、加えて除草に励んだつもりだったが、少々身体に疲れが溜まっているのがわかる。あと一息で、屋根の樋掃除や屋根部分に蔽いかぶさっている木々の枝落としができるところまで来たが、梅雨入りまでに完了することはできそうにもない。車庫と書庫の屋根と雨樋の掃除も大変そう。まあ、できることを、あんまり無理しないで、そんな気持ちになっている▶昨日来宅したAさんがお土産として水羊羹などを下さった。葉山の「日影茶屋」製だという。旧称は「日陰茶屋」だったので、思い出した。大杉栄と神近市子の修羅場だった茶屋。時は1916年9月だったか。男女関係のもつれで、神近が大杉に切りかかった事件。当時、大杉は伊藤野枝と不倫関係。もちろん神近も大杉と不倫。二人の女性も既婚者。とんでもない連中の間に起こった刃傷沙汰の舞台となった、その店の「お土産」だったと、なんだか、その事件当時の知識人(?)たちのいい加減さんに、改めてあきれ返ったことだった。(762)

〇2025/05/23(金)午前十時ころに茂原駅まで出かける。途中でいつも使っているG.S.で車を洗車。11時ころにAさんがやってきた。彼は現在鎌倉盗んでいるので、わざわざ遠方までの遠出でだった。彼の言うところでは東北大地震以来の、再会だった。いつも利用している「勢寿し」に行く。昨日、予約して席を確保しておいた。それから午後2時まで、いろいろと話ができた。真面目を絵にかいたようなAさんだったが、それだけになかなか話に花が咲いた。かれこれ三十数年の交友。(小生の担当した授業でのもっともはやい段階の卒業生)会食後、拙宅に。かみさんを交えて、ここでも話に時間を費やした。午後4時半過ぎに土気駅まで見送りに。(761)
〇2025/05/22(木)朝方は少し雨が残っていたが、昼前にはすっかり止んだ▶午前中に、近所のH.C.へ、猫用のドライフードと猫のトイレ用砂を購入のため。最近はすっかり外で過ごす時間が長くなったので、家の中のトイレを使うことが少なくなり、掃除等をするという点では楽で、助かっているが、どこで用を足しているかと想像するだけで、少々気にはなる。その猫の一つが四時過ぎに帰ってきたが前右足を地面につけないで歩いている。よくよく見ると、足のつけ根の部分に大きな血の跡と「傷」があるようだ。すぐに消毒をし、化膿止めを服用させた。この後に「腫れ」が出てくるかもしれない。通常の猫の喧嘩などと様子が違う。あるいはスネークに噛まれたか。医者に連れて行きたいが、かみさんは出かけている。多くの猫を置いたままでは外出もできない。運を天に任せて、大事にならぬことを祈るばかり。当の猫はおそらく、外には出ないようなので、いまのところは一安心だが▶茂原の寿司屋から電話あり。明日の予約をと、何度か電話をしたが繋がらなかった。表示されていた拙宅の番号を見て返信してくれたのだ。「実は、ゴールデンウェークの代休で休日を取っていた。ゴルフだった」と。明日の昼前の予約を入れた。((760)

〇2025/05/21(水)早朝5時過ぎに「ビン・カン回収」のための準備。回収袋を取りに行き、自宅に戻って袋詰め、それを回収所まで持参する。午前中には庭作業。除草と焼却に専念。さらに懸案になっていた。大屋根の瓦に落ちているヒノキの葉、さらにその下にある透明アクリル板製のテラスの屋根部分に蓄積している枝葉や土泥の掃除。かなりの量が溜まっていて、屋根に付着していてなかなか剥がせないほどあった。本日は、ほぼ半分だけで作業は終了。疲労が重なって来たので、残りは明日以降に回す▶庭作業に入る前に、飲料水(箱詰めの緑茶など)を購入するために緑ヶ丘の業務用スーパーに出向く▶農水大臣は、予想通りに辞任。後任がK議員に▶「元大阪地検検事正が部下の検事に性的暴行を加えた罪に問われている事件で、女性検事が検事正の直筆とされる書面を初めて公開し、被害を口止めされたと訴えました。/女性検事 「泣き寝入りを強いられた私は、痛みをこらえながら性犯罪に苦しむ被害者に寄り添い、共に戦い、犯罪者を処罰し、被害者の救済に取り組んできました」/元大阪地検検事正の北川健太郎被告(65)は2018年、部下の女性検事に性的暴行をした罪に問われ、無罪を主張しています。/女性は会見で北川被告の直筆とされる書面を公開し「大阪地検は組織として立ち行かなくなる、大阪地検のためだ」などと被害を申告しないよう口止めされたなどと主張しました」(テレ朝ニュース・2025/05/21)▶この国のあらゆる場面で、「底が抜けた」自体が現出しているのは、どうしてだろうか。誰も言わないが、積年の「点取り教育」の結果だとぼくは思っている。(759)
〇2025/05/20(火)晴天が続いた。本日も庭作業に。朝9時過ぎから昼過ぎまで、かなり長い時間を使って、これまで燃やせなかったものを焼却した。ために、雑然としていた裏庭は、かなりすっきりした感がある。まだ、少し償却すべき分量が残ったし、法面を中心とした未除草部分が残されている。本格的な梅雨も間近と思われるが、それまでには屋根の雨樋を含めて、落ち葉類の除去を含めて、庭の清掃を終わらせたいもの。いつものことだが、かなり前に除草しておいた前庭の大部分にはもう新たな草が生き宵よく伸びだしている、晴天(高温)と降雨がもたらす、自然のサイクルだ。(758)

〇2025/05/19(月)お昼前に買い物、茂原まで。帰宅後に庭作業。陽射しは強くなく、曇り空だったが、適度に風もあり、いわば作業日和。裏の庭にある夏蜜柑の木がかなり枝葉を伸ばしているので、思い切り剪定しようと、やり始めたところ、驚くほど大きな「雀蜂」に遭遇。同じものだと思うが、二度までも追いかけられた。それ以外の蜂はいないようだし、蜂の巣があるかと探したが見当たらなかったので、偶々そこにいたのと出会っただけだったかもしれない。とにかく大きかったので、この季節以降はかなり神経を使いながらの作業になる。この何十年、蜂に刺されたことはなく、はるかのむかしの記憶が蘇る。溜まっている枝葉の焼却と除草などを、三時間ほども続けたか。昨日あたりから左足の踵が痛いし、体全体が筋肉痛のような状態で、このところ、それなりに連日の作業で疲労も溜まっているのだと思う。無理をしないのがモットーだから、今一度気を付けたいところ▶ニュースを見ていて、農水大臣が馬鹿発言をして、方々から顰蹙(ひんしゅく)を買っていた。<高騰が続くコメについて、江藤農水相は講演で「コメを買ったことがない」と発言したことについて、「正確性を欠いた」などと釈明しました。/江藤農水相は18日、佐賀市での講演で、価格高騰が続いているコメについて触れ「(コメを)買ったことはありません。支援者の方がたくさん下さるので売るほどあります」などと発言していました。/江藤農水相は記者団に対し、「実態と違うような言い方をしてしまって、お騒がせしてしまったことは大変遺憾に思っております。(消費者への)配慮は、やっぱり足りなかったなと思います」と述べたうえで、4回目の備蓄米入札では玄米での流通が可能になったことに触れ、「玄米でも買って欲しいということを伝えたかったが、正確性が欠いた」と釈明しました>(FNNプライムオンライン・2025/05/19)この大臣、相当にイカレテいる。イカレポンチばかりが政治家になっているのかな(757)
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