「戦後」は「戦前」と背中合わせ

【金口木舌】追いかけっこ 昨年10月、東京都内に住む那覇市出身の90代男性から自身の戦争体験を記した便りをいただいた。陣地構築の思い出がつづられている。直接会って話を聞くつもりでいた▼今年に入り、男性宅に連絡を入れると電話に出た家族が一言「いろいろとお世話になりました」。男性は昨年末、亡くなっていた。心の中でわび、自分の怠慢を悔いた▼間に合うだろうか、と日々思う。高齢の戦争体験者から証言を得ることが年々難しくなっている。元気でいる間にお会いし、体験をお聞きしたい。時を見ながら体験者と追いかけっこしているかのよう▼間に合うのだろうか、という焦りに駆られる。急激に進む戦争準備の動きを早く止めなければ。さて、何と追いかけっこをすればよいのだろう。政府か、無関心を決め込む国民か▼男性は「昭和19年に入って急に戦況が悪化し、夜間になると県庁大通りを北に向かって移動する軍隊の動きが激しくなった。『小休止』との号令が寝耳を叩(たた)くこともあった」と便りに記した。新たな戦争の始まりを告げる「号令」が迫っていないか。沖縄はきょう、本島米軍上陸から80年の日を迎えた。(琉球新報・2025/04/01)

<あのころ>国会前で麦作り 戦後の食糧難 1947(昭和22)年4月1日、戦後の食糧難は国会議事堂前を麦畑に変えた。限られた配給米だけではとても足りず、誰もが空腹を抱えていた。都会の空き地や道路まで、いたるところが畑や田んぼになり、米や麦、芋などを植え付けて飢えをしのいだ。厳しい取り締まりがあっても農家で闇米を買う人が絶えなかった。(共同通信・2011年04月01日 08時02分。右写真も)(ヘッダー写真は「東京都内・昭和通りの農園」毎日新聞・1944年撮影)

 まだ学生だった頃、評論家のひとりが「いずれ銀座に野菜畑ができる」と書いていたのを怪訝に思いました。室伏高信という人だった。「人口が増えて、食糧増産に追われて、銀座が畑に…」と言ったのだったか、詳しいことは忘れたが、この評論家の記憶には、眼前の事実として、敗戦直前直後、都心が一大農園になっていた景色を払いのけることはできなかったのでしょう。左下の写真は、今日のJR 御茶ノ水駅の神田川土手斜面を開墾しているものです(毎日新聞提供)。何が何でも勝たねばならぬ、そんな戦意高揚気分からのものではなく、「背に腹は代えられぬ」という窮状の発露だったと思う。今はどうか。「窮状」は少しも変わっていないんじゃないですか。

 本日の琉球新報コラム「金口木舌」には、太平楽を通り越した「能天気日本」の無残な現実に刃を突き付ける趣があると、ぼく一人は胸を痛くしながら、繰り返し読んだ。「新たな戦争の始まりを告げる『号令』が迫っていないか。沖縄はきょう、本島米軍上陸から80年の日を迎えた」とあります。「本土」は昨日も今日も、明日も明後日も、「大谷で日も夜も明けぬ」という為体(ていたらく)です。恐らく、国会議事堂も永田町も、茄(なす)はおろか、稲一本も生えてはいない。令和の「越天楽」よろしく、長閑な越天楽今様が奏でられています。国民の窮乏などどこ吹く風、右も左もなく「我が世の春」を謳歌し、その永続を願うばかりで躍起になり、扼腕するのに大童(おおわらわ)という惨状です。五十年前の本日、「大阪万博」が開幕を迎えたとあります。それを見るにつけ、歴史は繰り返しますね。阿呆と馬鹿の絡み合いで、時代は巡る回転木馬か。

 いつまた、議事堂前の畑でジャガイモが作られ、銀座でコシヒカリの苗が植えられないとも限りません。琉球新報のコラム氏は、その時の来たらんことを暗示もし明示もされているのではないでしょうか。「間に合うのだろうか、という焦りに駆られる。急激に進む戦争準備の動きを早く止めなければ。さて、何と追いかけっこをすればよいのだろう。政府か、無関心を決め込む国民か」と。気は急くが、来るものは来る。来ないことに万全を尽くしても尽くしようもないものがあります。いかに原発事故の防止に何千億を費やそうが、地震対策に何兆円を使おうが、起こる時には起こる、来るときには来る。と言えば、大方の叱責を受けることは請け合いでしょうが、万全を尽くして、万策尽きるという、まるでポンチ絵を観る如くです。

 本日は4月1日だから、「あらぬこと」を「さもありなんと」と駄弁るのではありません。今は確かに国会議事堂前には茄もトマトもありません。でも、議事堂内や首相官邸内には、間違いなく「ぺんぺん草」が生えているでしょう。あるいはその屋上は、手のつけようもないくらいに「ぺんぺん草」生え放題の「圃場」になっているに違いありません。でなければ、国会議員の精気のなさや、誠意のなさが説明束ないでしょう。それを食べればもちろん、その臭いを嗅ぐだけで、物が見えず、頭が働かなくなり、先ずは御身大事と自己保身にひたすら奔る。これはぺんぺん草の祟りかもしれない。(ぺんぺん草に謝ります。別名は薺(なずな)で、わが庭にも叢生している)

 これはぼくの創見でも何でもありません。やがて「敗戦後八十年」を迎えると言いますけれど、それは紛れもなく、いつ来るとは誰も知らないであろう、次なる「戦前」だったと、「戦争」が始まって初めて気が付くのでしょう。いや、もうすでに「戦争は始まっている」と、ぼくの意識は察知し、密かに呟いてもいるのです。戦いが始まっているとは、恐らく、第二次対米戦争が、です。 

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過猶不及也 ー 「真面目は怖い」考

◎「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」 「騙(だま)す」と「騙される」について この感情(情念か)がとても豊かな人が多くなったのか、あるいはもともと、人間は他の動物と比較して飛び切り「騙す」と「騙される」能力が優れているのか。逆に言うと、騙されない、騙されたくないという警戒心が不足しているのだろうか。二、三カ月ほど前になるだろうか。自宅に電話があり、「❍×社の何とかです。今お使いの電話はあと数時間(2時間といったか)で使えなくなりますので、…」と女の声。会社名と住所を確認したところ、はっきりと返答できなかった。「使用できなくなるというなら、どうぞ、お好きに」と答えて切った。電話で何かとせかされ、挙句に、最近では一億円を超える金額が搾取される事案が出る時代です。

 また去る日、「近所で屋根工事をしています。お宅の屋根の瓦が…」と言いかけたところで、「結構です。家のことには工務店が決まっているので」とおかえり願った。本当のことを言ったまで。何によらず「訪問販売」は断固お断り、つねに具体的に事情(依頼先は決まっているとか)を話し、請け合わないことにしています。騙すつもりがないように見えても、見ず知らずに何かをお願いするのは、性分には合わないんですな。何か抜点けて、疑いすぎても、信じすぎてもいけないのは道理で、ことの実際を判断できるだけの心掛けを持ちたいものと考えている。

【金口木舌】詐欺を撲滅する県民の力 数年前、携帯電話に見知らぬ番号から着信があり、出ると投資話を持ちかけられた。少しのお金を出せば毎月、高収入が得られるという。相手はこちらの名前も勤務先も把握しており「必ずもうかる」と強調した▼携帯番号を含む個人情報を知られていることに動揺した。同時に、投資でお金が増えるのなら悪くないと思った。ただ、怪しさの方が上回り「興味がない」と伝えて電話を切った▼今にして思うと、最近の詐欺事件と共通点がある。警察官を名乗る手口では、犯罪の容疑者になっていると伝えて動揺させる。交流サイト(SNS)型の投資詐欺では多額の利益が出ると信じ込ませる。被害者の心理を巧妙に利用している▼県内でも詐欺被害が後を絶たない。警察は電話でお金を要求しないし、SNSの投資話は詐欺を疑う必要がある。手口は多様化し、誰もが被害者になる可能性がある。怪しいと思ったら誰かに相談してほしい▼詐欺の被害や手口の情報を家族で共有し、警戒することも重要だ。金融機関などの職員が被害を未然に防ぐ事例もある。県民が互いに支え合うことができれば、詐欺の撲滅につながる。(琉球新報・2025/03/31)

 「騙すつもり」もないのに、結果的に騙すということはありますね。しかし最初から「騙す」つもりの人間に一杯食わされることはいつだってあった。警戒すればするほど、「自分だけは大丈夫」という空自信が落とし穴になるのだろう。世の中は「狐と狸」で構成されていると思いたくなるほど、いろいろな場面で、騙し騙されの「泣き笑い」がみられます。自分は「騙されやすい質(たち)」かどうか、よく分からない。その反対に、誰かを騙すのが上手だという点に関しては、あるいはそうかもしれないと自己評価している。これまで多くの若い人に出会ってきたが、「君はよくできる人なんだ」と、根拠もなしにはったりをかましてきたという反省(自信)はあります。教師まがいの悪癖でしょうか。

 まだ結婚していない頃、自宅近くを歩いていたら、一台の車(バン)が横に来て止まった。「実は会社が倒産して品物が行き場を失った。ついてはこれを安くするので買ってくれないか」とたくさんのバンドを見せようとした。即座に、「いらない」と取り合わなかった。これもよくある詐欺の商法というか。それやこれやで、これまでに、ぼくは一度も詐欺に遭ったことはないと言い切れないのですが、それこそ生きている証拠かもしれません。五右衛門さんではないけれど、「浜の真砂と盗人(詐欺師)」の種は尽きないということでしょう。

 それにしても、人間全体が、だんだんと『悪者』になっていく気がして悲しくもなる。「闇バイト」しかり、「電話詐欺」しかり。それも若い人が圧倒的に大きというのはどうしてかと、いつも訝(いぶか)るばかりです。「手口は多様化し、誰もが被害者になる可能性がある。怪しいと思ったら誰かに相談してほしい」と「コラム」氏は言う、その「誰か」が怪しい人かもしれないうと考えたら、なにもできない。何もできない、何もしない、それが一番の予防策かもしれません。警官が素人を騙し、銀行員が顧客の金を盗むのが常態化しているといえば、叱られるかもしれませんが、「人を見たら泥棒と思え」という金言もあります。「人を軽々しく信用してはいけないということ」(デジタル大辞泉)とある。では、重々しく人を信用するにはどうすればいいのか。世の中見渡す限り「泥棒ばかり」かと思いたくもなるのが人間の社会ですね。

 「信心」と言って、いかにも尊い心の存在を示す言葉があります。「神や仏の力を信じて、その加護を願って祈ること。また、その心」「ある人間を心から慕いあこがれること」(精選版日本国語大辞典)「鰯の頭も信心から」などともいう。これぞ生き仏だと、心底から帰依していた、当の「教祖」が名代の「詐欺師」だったという、事例は豊富だけれども、それを認めようとはしない「悪信心」に侵された人も後を絶ちません。最近はある「教団」が宗教法人として解散命令が出されました。

 世の中の在りようを言い表した表現に「籠(かご)に乗る人、担(かつ)ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を造る人」というのがありますね。「嘘に乗る人、乗せる人、そのまた嘘を紡ぐ人」というのはどうでしょう。「疑心暗鬼」も「半信半疑」もよろしくないと常識は教えています。「疑心暗鬼を生ず」といって「疑心(疑う心)があるために、何でもないつまらないことまで、恐ろしく感じたり疑ったりすること」(同上)と、よろしくないものとして「疑心をもつな」と諫めてもいる。「半信半疑」というのはどういうことですか。「半ば信じ、半ば疑うこと。真偽の判断に迷うこと」(四字熟語を知る辞典)とあります。これもぼくにはできない芸当です。半分疑いながら、半分信じながら、と。まるで口を開いたままで、牛乳を飲むような。

 先にも言いましたが、ぼくは「騙されやすい」人間だと、自分では思っている。だから、必要以上に疑う領分も持っているということでしょう。「あの人はいい人だ」というのは表向き。では裏面はどうかとなると、ていねいに付き合うしかないのではないですか。赤の他人や、初めて出会う人の「うますぎる話」には乗らないこと。そんないい話があるなら、他人になど教えますかいな。競馬の予想屋さんが当たり馬券をしきりに勧めていたところ、あるひとが「どうして他人に教えるの。そんなに当たる自信があたるなら、黙って買えばいいじゃないか」という落とし噺もあります。儲け話に「齷齪(あくせく)」するのもどうかと思うし、かといって物事に「おおらか」でありすぎてもよろしくない。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」ですね。<Moderation in all things.>「中庸」とか「節度」がどういうものか、これを教えることは困難で、あくまでも自得するほかなさそうですね。「後悔を先に立たして後から見れば、杖を突いたり転んだり」(志ん生さんがいつも言っていました)

 「子貢問、師與商也孰賢。子曰、師也過。商也不及。曰、然則師愈與。子曰、過猶不及」(「論語 先進第十一」)(子貢(しこう)という門弟が先生に「師と商とどちらが賢明でしょうか」と問う。先生は「師は過剰の気味がある」「商は及ばない(不足するところ)がある」と答えられた。それならば「師が優っているんですか」と再び問うと、孔子が言った言葉です。「過猶不及」、過ぎたるは及ばざるがごとし。程を知ることがいいのだと。疑心暗鬼も半信半疑も、人に接するには不十分で、要するに、疑わないことは信じないことと同じだともいえますよ。「中庸」「節度」というものをいかにして他者から感じ取れるか。そして、深く信じ切っているから、強く疑うことができるということも忘れてはいけないでしょう。

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「徒然に日乗」(701~707)

〇2025/03/30(日)昨日に比較すれば、とても暖かい一日だった。風もなく、日差しは結構あったので、春の一日を感じていた。▶猫缶を買うためにあすみが丘に。▶温暖な日差しの中、庭作業をと考えたが、花粉症がひどくなるのを恐れて家に閉じこもっていた。数日後からまた、寒くなるという。来週火曜日から木曜日までは雨の予報。三寒四温と言っていいのかどうか。▶ミャンマーの大きな地震の被害は相当のもので、死者は2千人近くに及ぶ。大きなビルが何棟も倒壊し、安否が判明しない人々がかなりいる模様。隣国のタイでもかなりの犠牲があったと報道。いくつかのNPOから救援のための寄付依頼が届いている。人為的な災厄は避けられるべきだが、この自然災害だけはどうしようもない。少なくとも被害の小さからんことを祈るのみ。臨戦態勢にある彼の国の復旧を祈るのみ(707)

〇2025/03/29(土)寒の戻りというのだろうか。終日雨が降っていて、気温もかなり低かった。日中の外気温は10℃どころか、5℃ほどしかなかった。2月の中頃の感覚だった。そのおかげで、花粉の飛散量は多くはなかったようで、気分的には楽だった。もちろん、終日自宅からは出ないでいた。(706)

〇2025/03/28(金)朝方まで小雨が続いた。それなりの降水量があったようで、岡山・愛媛両県の山火事は、それがために延焼が止んで、しかも新規の発火もないという。まずは一安心だ。▶午前中に買い物、茂原まで。春休みに入ったのか、普段よりは混雑していた。花粉症に黄砂飛来、加えてコロナも継続して感染者が出ている春の半ば、十分に注意したい。さらには「ノロウィルス」も流行中との報道しきりで、生ものからの発生が報告されている。若者はいざ知らず、高齢者は、何よりも体力面で劣るのだから、可能な限りで現状の体力維持を図る。そのためには十分な睡眠が不可欠ということ。▶昨夜半に、山梨のOさんからメールが届いていた。開いたのは早朝。直感するところ、彼女は大きく「成長」したと思う。なんだか、貫禄というか、自信のようなものが感じられるのは、書かれていたメール文の様子でわかる。そうであるなら、とても嬉しい。実際にどうか、まだわからないが。専任待遇ではないらしいのだが、それ与えられた身分以上の役割を果たしているのだと思う。(705)

〇2025/03/27(木)曇り空、時々晴れ。午後になってかなり強い風が吹くようになった。各地で夏日が続出したよう。房総各地でも。▶終日自宅内に。庭作業をと考えてはいたが、花粉の飛散と黄砂の降灰とで、外作業は中止。自宅にいても目も痒い、鼻も詰まる。喉も時には痛みが伴うようになった。▶延焼中の愛媛・岡山・宮崎の火災はどうなったか。彼の地にも相当な雨が降ったと思われるので、一段落がついているなら、胸をなでおろすのだが。(704)

〇2025/03/26(水)昼前に買い物に茂原まで。このところ乾麺(蕎麦)を食べる機会が多い。もちろん自宅で。料理というほどでもないが、茹で方などを工夫すれば、それなりに味わえると思う。米よりも体にはいいかもしれない。冷たいそば(笊蕎麦風)で食べている。時には温かい「きつねソバ」などにもする。何しろ、外食ができなくなったので、ほとんどが自宅で食事するのだから、あまり面倒な手間暇はかけないで、ひもじくならない程度に食事する心掛けだ。▶風が少々出ていて、花粉の飛散量が多いようだし、あるいは黄砂も混じっているかもしれない。できる限り、自宅に閉じこもっている。▶卒業生のA君からメールが届いた(都内で会計士業を営んでいる)。山梨の小学校教師をしているSさんの連絡先を調べてもらっていたのだ。▶このところの少雨と異常乾燥続きに加えて、低気圧に起因する暴風などの要因が重なり、岡山・愛媛、それに宮崎県で山火事が発生している。人家への類焼もあり、鎮火の見通しは立っていないという。▶アメリカの「関税」政策のあおりを受けて、円安・物価高が加速している。この先の賢明な政策があるとは思われないのだが、インフレ昂進による実質増税になっているのだから、いわば「スタグフレーション」状態に入っている。財政政策は拱手傍観の無手勝流か。(703)

〇2025/03/25(火)いい天気が一日続いた。風もそれほど強くもなかった。しかし花粉の飛散量が多くて、罹患者にとっては厳しい一日だった。うんと若いころは花粉症とは無縁だった。四十を過ぎて、いや、五十になりかけてから、ある年に突如鼻がむず痒くなったのが始まり。以来、毎年強弱はあったにせよ、ほぼ花粉症の諸症状に苦しめられている。娘のひとりは相当に重症で、見ていて気の毒になるほどだったが、最近はどうなのだろうか。離れて暮らしているので、その程度は分からない。この嫌な気分に苛まれる状態は、まだまだしばらくは続きそうな気がする。(702)

〇2025/03/24(月)昨日に続いて、終日快晴。気温はやや低めだったか。▶午前中買い物に、茂原まで。▶岡山県と愛媛間で、山火事が発生したという。今のところ、怪我人などはいない模様。大船渡の件もそうだったが、何が原因か、報道には一切出てこないのはどうしてだろう。両県の避難者は相当数出ているが、夕刻のニュースでは、岡山県の避難は解除されたとか。▶東京も「サクラの開花宣言」が出たという。本格的な桜のシーズン到来だが、人込み紛れの花見のどこが嬉しいのだろうかと、思う。▶夜十時過ぎには雷が遠くで鳴りだした。一雨あるかと思ったが、朝方まで小雨が続いていたようだった(701)

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うそ偽りのないこと・実際の姿

◎ 週初に愚考する(第六十參) ~ 言葉(語源や語義)を詮索するのは暇つぶしにはいいでしょうが、そこから得られるものにどれほどのものがあろうか。よしんば、何かを見出したとしても、昔は昔、今は今。その間の幾星霜で、元の姿は見る影もないということになるのがほとんど。元はこうだったんだから、元に戻るべきだといっても何ともしようのない話。「情報」ということばはどうでしょうか。今日においても真偽不明の「噂話」「偽情報」が闊歩し、ときには毒満杯の「誹謗中傷」が氾濫するという「乱痴気」「狼藉」ぶりですから、人それぞれに好き放題に我流の言葉(にもならない)のまがいものを捏造・濫造して、敵対するものを扼殺しようかという時代です。

 つまりはフェイクニュースという汚染水濁流の中に「人権」も「誠実」も「約束」も「規則」も、それこそ「人間性」そのものに「虚妄の皮」をかぶせ、真偽・清濁・善悪諸行を十把(じっぱ)一絡(ひとから)げで放り投げる。だからといって、それを権力が取り締まるわけにもいくまいと思いますが、今のままだと、いずれ「取り締まられる」事態を招く、招きたいとする声もあがるのは当然です。

 埒もない「AI」問題に否応なく、ぼくたちは直面させられています。半導体集積回路(LSIなど)によって作られた「情報」まがいに、われわれは翻弄されている。「AI(artificial intelligence)」は「諸刃の剣」になっていると、指摘せざるを得ないのをなんとしますか。

 「情報」という邦語の源は「インフォメーション(information)」だったらしい。それを邦訳して使いだしたのは明治以降。細かいことは省きます。「情=読み:ジョウ、セイ、なさ(け)、 おもむき こころ 意味:こころ。気持ち。心持ち。うそ偽りのないこと。本当のありさま。物事の実際の様子。実際の姿。異性を恋い慕う気持ち。おもむき。味わい」「報=読み:ほう、むくいる、意味:しらせる むくいる。おし、または仕返しをする相手行為にこたえる。むくい。おし、または仕返し。しらせる。しらせ。通知する」まるで「情報」は糸の切れた風船玉の如く、何処に行くかは誰もわからないままで風の流れに身を任せるように膨らませられ、東西南北に飛び交っているが、どこかの誰かに衝突して、弾(はじ)けます。まさしく、今日の世界情勢です。

 さて、世は挙げて「情報の時代」、この言葉に含まれる実態の掴みがたさが、逆に「情報錯乱」状態を招いているともいえます。なにが「情報化」か、それに付いてはほとんど整理されていない、いや、できないというべきでしょう。<inform >とは、ある事柄を知っている人がそれを他者に教える・伝えるというところから「教える」「教育する」という意味を持つようになります。原義は<in form>、つまりは形にする、形で表す、形作るということだった。またこの国に独特の使い方として軍隊において「敵情を報告する」などと言われていたのが、後に「情報」の語になったともされます。それはともかく、「情報」時代の行くところ、錯綜した混乱の巷に、ぼくたちは放り出されているのが実情です。(「情・報」について、文字通り、いろいろな「情報」を集めた結果の勝手な解説です。しかし。元来は「本当のありさま。物事の実際の様子を知らせる」だったと知って、ぼくたちには考える(反省する)ところはないでしょうか)

 このところ、ぼくは YouTube 番組やネット動画はほとんど見ないことにしている。恐らくその内容の大半(九分九厘・十中八九)は「虚偽」であり、その中のかなりの部分が「AI 作品」だと思われてくるからです。扱われている内容が真偽不明ではなく、(出てくる人間も含めて)ほとんどが偽装、虚偽だとぼくは判断するのですが、その根拠はいくらもある。有名タレントに関する情報があふれかえっている、そのほぼすべては根拠のない、ある種の「偽装」「偽造」「捏造」「虚報」だと、一瞬で(直感で)わかるといってもいい。米露首脳が「ウクライナ侵略戦争終結」に関して「合意」したなどなど、それこそ、思いのままに、誰彼となく台本を書く時代、果ては、当事者そのものまでもが、捏造紛(まが)いを「情報」として告知する始末です。情報の湖は底なし沼のようでいて、実は指呼の間の広さだということにもなりかねません。

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 柄にもなく「AI」による模造品横行の時代の人間社会の秩序の混乱や風儀の紊乱について「愚考」しようとしているのですが、それは誰かにお任せすることにして、ぼくは「AI」もまた、やがて陳腐になり人間社会にはまるで有害な「化石燃料」「原子爆弾」のように見なされ、目の敵にされながら、でもしぶとく生き残る(「AI」が生き延びるのではなく、「AI」を生き延びさせようとする人間がいるという意味)ことになるでしょうとだけは言っておきます。現段階では、猫も杓子も「新技術」(SNSに代表される新規アルゴリズム(algorithm*)の新文法による、既存知識の支配)を自家薬籠中の物にしているとは思われませんから、直ちに「AI」が現代文明を破壊する凶器になると言えないでしょう。しかし、今日令名を馳せているハラリ氏などに代表される「新文明論者」の言説にも一定の知見があるのは、「AI」の生み出した功績でもあります。ハラリ氏は「AIはツールではなく、行為の主体」だと指摘されている。(*「(algorithmとは)ある問題の「正解」「回答」を引き出す手続きまたは思考法で、「算法」と称されもする)

 自動車や飛行機は器械(道具」ですから、それを操作する主体が存在しなければ物の役に立つことはない。しかし、ウクライナ侵略戦争で見られるように、ドローンに小型ミサイルを搭載し、何を標的にするかをAIそのものがあらかじめ想定して攻撃に参加しているという実態が知らされています。「行為主体」をどのように見るかによって結果は大いに違うでしょうから、「AI」そのものが意志や感情をもって「攻撃行為」を実行するとはぼくには思われません。物は使いようというから、きっと「AI」にも二面性(人間社会に「有害・有益」という結果を招くという)があることまでは分かります。

 今の段階で、ぼくには結論はない。ネット社会に氾濫している九分九厘の虚偽情報に塗(まみ)れながら、どうしてぼくたちは、残された「一厘の真実」を見抜けるでしょうか。地下鉱脈から「ダイヤモンド」を掘り当てる以上の難しさがぼくたちの日常生活に入り込んでいるのです。ネットの時代と軽々しく表現しますけれど、実は溢れかえる情報の濁流の中から「真偽」を定かにするだけの脳力(能力)をいかにして所有できるかが喫緊の課題として提示されているのでしょう。これは今に始まった困難などではなく、何時の時代にも生じていたし、だから今だって、「真偽の見極め」は困難を極めるのでしょう。

 もう少し書きたい気もしますが、書くだけの意味があるかどうか疑わしいと思うところもあります。人間社会、あるいは人間の歴史には何時だって「困難」や「危機」は内包されてきたのですから。また、悪い人間もいれば愚かな人間もいるのが、人間社会の真実です。そんな人間たちが作る国家だって同じこと。いい国(とするような指導者・政治家)もあれば、悪い国(にしてしまう愚劣な指導者・政治家」もある。

 民主主義の真価がが問われているのは、国家間や国内政治だけの問題ではありません。夫婦の間にも、親子の間にも「民主主義問題」は厳存しています。「まず隗より始めなされ」と、誰かの声が聞こえてきます。「AI」の電源を握っているのは誰ですか。

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【小社会】「情」に迫る 「人間がそれほど賢いのであれば、なぜこれほどまでに愚かなのか(中略)問題は人間の本質にあるのではなく、私たちの情報にある」🔷歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ教授がNHKのインタビューで、戦火が絶えず混迷を極める現代を読み解くキーワードとして「情報」を挙げている。🔷現代の情報量の増大は「爆発」という表現がふさわしい。交流サイト(SNS)で発信される無数の情報には虚実が混在し、伝聞などの形であっという間に拡散される。先日の元兵庫県議の死もこうした誤情報をもとにした誹謗(ひぼう)中傷の末に起きている。🔷なぜ、こうも事実とは異なる情報が拡散するのか。教授は「フェイクやフィクションの単純さ、伝わりやすさが根本にある」と解説。「正確な情報にはコストがかかる。複雑で苦痛を伴う真実と安上がりで単純で心地よいフィクションとの競争ではフィクションが勝つ傾向にある」と指摘する。🔷確かに調査報道で記者は取材対象にさまざまな問いを重ね、裏を取って記事を世に出す。コスパは低く劇的なストーリー展開は少ないが、事実に基づく記事は社会を変える力を持つ。何よりフェイクが跋扈(ばっこ)する世界など見たくもない。🔷そもそも情報の「情」はどんな意味か。手元の辞書を引くと「(経験した者のみに分かる)事実」とある。常に「情」に迫り、選挙や生活の根幹にかかわる情報を点検する。既存メディアの役割だろう。(高知新聞・2025/01/30)

 「サピエンス全史」の著者が警告するAIと情報の未来「我々は神の能力だと伝統的に考えられてきた力を入手する過程にあります」世界的なベストセラーとなった「サピエンス全史」の著者でイスラエルの歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリ氏は6年前、2018年に行った私とのインタビューでこう語りました。AI=人工知能がもたらす脅威についてまるで予言するかのような指摘です。(以下略)(NHKビジネス特集(国際部デスク 豊永博隆)・2024/08/27)(ハラリ氏 「コンピューターが意識を発達させて問題解決をはかるとは想像できません。最も恐ろしいシナリオは意識や感情を全く持たない超越的な知的な存在によって世界が支配されることです」(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240827/k10014559741000.html)

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  「ChatGPTを開発したアメリカのベンチャー企業「オープンAI」が公開した動画生成のソフト「Sora」でつくられました。/どんな動画をつくりたいか、文章で入力したただけでリアルな動画を短時間で作成してしまうといい、発表当初、世界で驚きをもって受け止められました。/入力した文章は「スタイリッシュな女性が暖かく光るネオンといきいきとした看板が埋め尽くす東京の通りを歩く。濡れた道路は、色とりどりの光の反射を生み出している」など、簡単なものでした」(同上)。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240827/k10014559741000.ht

*「歴史上トランプ氏のような存在はいたが、AIはいなかった」歴史学者・ハラリ氏が語るAIの危険性 人類のための“処方箋”【Yuval Noah Harari】(https://www.youtube.com/watch?v=1CFbZ-l_HFQ

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なんという愚かな抵抗であることか

【滴一滴】ぼっーとして蓄える 長崎県五島列島の最北部にある人口約1700人の宇久島(うくじま)は、島の半分ほどのエリアでスマートフォンの電波が届かない。地元の観光協会は不便さを逆手に取った旅をPRする▼スマホではなく豊かな自然に目を向け、海辺でハンモックを広げたり、夕焼けを眺めたりしてぼんやり過ごす。希望すれば、島に滞在する間はスマホを預かってくれる▼そんな何もしない時間への関心が高まっているらしい。「ぼーっとする大会」と名付けられた韓国発祥の催しが世界に広がり、一昨年からは日本でも開かれている▼ルールは単純。90分間、寝そべるなど楽な姿勢でひたすらぼーっとし、その間、心拍数を計測していかに心身をリラックスさせられたかを競う。スマホや時計のチェック、会話は禁止で、居眠りしても失格だ。昨年の東京大会には90人が参加。効率性が重視され、時間の価値が高まっている時代に、ぜいたくとも言えるひとときを過ごした▼ぼんやりしているのは人間にとって貴い時間で、必ず蓄えられているものがある。詩人で哲学者の故串田孫一氏は随筆「無為の貴さ」でそうつづった。では、何を蓄えるのか。畳みかけるように尋ねるものではないと、私たちの性急さを戒める▼それでも知りたいなら、日常の隙間時間にでも体験してみることだ。もちろん、スマホの電源は切って。(山陽新聞・2025/03/28)

(ヘッダー写真・「約190万年前の噴火によって誕生した宇久島。島の中央にそびえる城ヶ岳からなだらかな裾野が広がり、真っ白な砂浜が続く大浜海水浴場や、推定数百年の樹齢をもつアコウの巨樹、城ヶ岳山頂に鎮座する愛宕地蔵様など、島内には豊かな自然に抱かれたパワースポットが数多く存在している」・https://discoverjapan-web.com/article/9937

 五島列島やその近くの島々に赴いたことは一度もありませんが、早くから、ぼくは福江島や、奈留島、小値賀島(おぢかじま)には親近感を持っていました。福江島出身の大学同級生がいて、長く付き合っていたからでした。彼は同じ同級生の友人の妹と結婚をし、ぼくが住んでいた千葉市内では数分の距離に居を構えていたこともありました。ある月刊雑誌社に勤めており、何度か「埋め草原稿」の依頼があって、拙い原稿を書いたことがあった。K さんは大学に入る前には何年間か、陸上自衛官になっていた経験があった。それで同級生とはいえ、おそらく五歳くらいは年上だったと思う。いまから六十年近く前に、暇があれば、夜を徹して「国防」「戦争」などについて終わりのない議論をしたことが思い出されます。詳しい事情は分からないが、五十を前に亡くなったのではなかったか。

 Kさんを想うたびに福江島を想像(空想)してみるのがぼくの習慣になった。名留島出身のひとりの女性、彼女は島を出て後、水俣病に罹患した。その後の一家の歴史を、ある記録映画で知ることができた。偏見や差別を具体的に探る大きなきっかけを与えられたのでした。また小値賀島についても小さな奇縁がありました。20年ほど前に、平戸出身の近藤益男という教育者について小さな本を書いたことがある、その近藤さんが何度目かの転任の末に、この島に飛ばされたことがあり、そこで苦心しながら教師を続けていた、その記録(生活綴り方)にも詳しく島の状況が出ていたので、遥かな南方の小さな島のことをしきりに考えていた次期がありました。近藤さんは、おそらく、この島社会における「障碍者教育」のパイオニアと言っていいほどの実践を遺された人として、ぼくは大いに薫陶を受けたのでした。彼に関しても語りたいことはいくらもありますが、それはまた別の機会にでも。

 彼は詩人でもあり俳句(自由律句)の作者でもありました。まだ調べはついていませんが、彼の師匠は荻原井泉水で、同じ弟子には種田山頭火や尾崎放哉がいましたから、長崎のどこかで山頭火と遭遇している形跡があるのですね。これは想像の上での話ですが、自然や教育に関してどこかで、二人は語っていたのではないかと、それを考えると、苦難を背負って歩いていた二人に訪れた一時の「ボーとして蓄える」、貴重な瞬間ではなかったと妄想が働きます。近藤さんはたくさんの栄誉(賞)をえていますが、つねづね「賞なんかでは教育はできん」と言っておられた。(「かげろう、ちえたらぬ子に石ころをならべ」近藤益雄)

◎ 近藤 益雄(コンドウ エキオ)= 昭和期の教育家,障害者教育実践家,童謡詩人 なずな園創設者;のぎく学園創設者。 生年明治40(1907)年3月19日 没年昭和39(1964)年5月17日 出身地長崎県佐世保市 学歴〔年〕国学院大学高等師範部〔昭和2年〕卒 主な受賞名〔年〕文部大臣表彰,読売教育賞〔昭和29年〕,西日本文化賞,ヘレン・ケラー教育賞〔昭和38年〕,日本精神衛生連盟表彰 経歴昭和3年帰郷し、長崎県北部の辺地・離島の児童教育に従事、児童詩や生活綴方教育に専念。昭和16年「子どもと生きる」を刊行。23年田平小学校長。25年自ら校長をやめ、佐々町口石小学校に特殊学級を開設、その担任となる。かたわら28年には生活施設・のぎく寮(後に、のぎく学園)を創設、家族ぐるみで知的障害児の指導にあたる。37年口石小学校を退職し、寮を学園と改めその経営に専念。同年秋には精神薄弱成人ホーム・なずな寮(後の、なずな園)を創設、その経営を次男の原理夫婦にまかす。「のんき、こんき、げんき」を合言葉に障害児教育運動を推進した。著書に「近藤益雄著作集」(全7巻別館1)、詩集に「この子をひざに」などがある。(20世紀日本人名事典)

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 ここからが本日の主題(というほどでもないが)、どこの世界でも、とにかく例え一瞬でも「日常性」から逃避したいという、飽くなき挑戦というべきか、例えようのない愚かな試行というべきか、それを試みる人々がいます。まるで年がら年中鎖や首輪でつながれている犬が、週の内のたった一時間だけ鎖や首輪から自由になりたいと願い出て、ようやく飼い主から、束の間の「自由」を得るという、そんな仕草に似ていなくもありません。しかも自由行動の範囲は室内に限り、室外(家の周囲)には金網が張り巡らされているという始末。人間のすることやしたいことはまったくとらえどころがないと同時に、何処でも同じような得体のしれない束縛から逃げ出したいという衝動に駆られているのかもしれません。

 例を挙げればきりもないが、この劣島でもしばしば見られたのが「ノーカーデー」という代物でした。週一で、通勤用に車には乗らないという運動がありました。まだどこかにあるのかしら。あるいは、休肝(臓)日と言って、酒飲みが肝臓を労(いた)わるために、これも週一で、禁酒の日を設けるというようですが、成功した話は聞いたことがない。落語にある馬鹿話のようで、笑えないから情けないのですよ。

 ぼくはスマホを持ったことがないから、それを手放して「ぼーっとする時間」をわざわざ作る必要性を感じません。四六時中ボーとしていますから。宇久島もなんだか別のことを売りにした方がいいと思う。「ルールは単純。90分間、寝そべるなど楽な姿勢でひたすらぼーっとし、その間、心拍数を計測していかに心身をリラックスさせられたかを競う」というのですから、コンテストなんでしょうね。これに世界の心ない同士が賛同したというから、何が悲しくてスマホを持つのかと、おサルさんが訊きそうですね。そもそも「心拍数を計測して」ということをこそ断ち切らなければ。

 コラム「滴一滴」を読んでいて、フロムという人の「自由からの逃走」を思い出していました。自由であることはあまりにも不安で寄る辺ないから、なにかに頼りたくて、多くは宗教(カルト)や政治主義(ファシズムに)ににじり寄り、多くの同行(同好)の士と交わることによって「安心感」というか、「不安からの脱出」を図るというものでした。コラム氏は面白いことを書いている。「昨年の東京大会には90人が参加。効率性が重視され、時間の価値が高まっている時代に、ぜいたくとも言えるひとときを過ごした」と。阿保草。書いている本人が、その「姿態」どういうことかお分かりでないから、平気でこんなバカ話を話題にするのでしょう。「(スマホを持たない)ぜいたくともいえるひととき」だってさ。大酒飲みが、散々苦労した末に「断酒会」に入って酒から切れて改心したという成功譚がありますが、苦労の末に身を亡ぼす人もいないわけではありません。「初めから飲むな!」

 現代では、スマホは生活必需品なのでしょう。だからそれを持たない生活は考えられないというのなら仕方がない。ぼくはそのスマホとやらに頼るのも頼られるの嫌ですから、はじめからもたないことにしている。それで生活の不便を感じたことがないのです。「毎日がぜいたくともいえるひとときも、ふたときも、みときも」過ごしていると言っていい。串田孫一さん(写真☛)写真)には若いころに何かと教えられました。彼はデカルトやアランという思想家の紹介者でもあった。「ぼんやりしているのは人間にとって貴い時間で、必ず蓄えられているものがある。詩人で哲学者の故串田孫一氏は随筆『無為の貴さ』でそうつづった。では、何を蓄えるのか。畳みかけるように尋ねるものではないと、私たちの性急さを戒める」とコラム氏は書かれている。ぼくに言わせれば、実は忙しそうにスマホをいじっている時間こそが、中身のない「無為」な時間なんではないですか。

 串田さんと同時代のフランス文学研究者だった渡辺一夫さん(☚写真)は、「ぼくは一生涯に何冊の本が読めるだろうか」と計算されています。一日一冊なら、五十年間、元気で健康を保てるとして、総計18250冊。でも三日に一日は用事や何かで読めない日もあるだろうから、せいぜいが10000冊ほどか。さらに病気などもあるから、もっと読めない日もあるだろうと、生涯を通して読める本は、たかだか数千冊程度などと書かれていて、ぼくは感心(驚嘆)したことがあります。本を読むことが無条件にいいことだとは限らない。今のスマホみたいな「無為の時間」を奪う凶器になることもあるでしょう。現代世界経済は「スマホで持っている」と言っても過言ではないでしょう。ということは、スマホという鎖(首輪)に繋がれて「自由からの逃走」を知らないうちに図っているけれども、自由になれない多くの人間がその経済を支えていることになるのではないですか。

 いずれ固定電話がなくなるでしょう。なくしたい人たちがいるからです。「君はどうする?}と聞かれそうですが、いささかも困らない。スマホも持たない、固定電話もなくなる。さあ、どうする。糸電話でも作るか。人とつながる方法はいくらもある。手紙やはがきもあるではないか。いや、それもやがて消える運命にあるという。そこまで来てようやく、「ぼっーとして蓄える」ものがなんであるかが、いやでもわかろうというもの。

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                                                   動画:スマホから離れる夜 ロンドンで「オフライン・クラブ」人気 【3月19日 AFP】英国・ロンドンで先月、スマートフォンを預けて、夜の2時間をクラブで一緒にゆったりと過ごそうというイベントが開かれた。イベントには150人以上の若者が参加した。/このイベントは「オフライン・クラブ」が主催。2時間の「デジタル・デトックス」チケットは発売とほぼ同時に完売するほどの人気だった。参加者の年齢層は主に20~35歳。多くの若者がネット上ではなく、リアルな世界で集まりたいと考えているようだ。/参加者は9.5ポンド(約1800円)を支払い、入り口で電源を切ったスマートフォンを預けると、本を読んだり編み物をしたりと好きなことをしながら、思い思いのひとときを過ごしていた。/イベントの主催者は取材に対し「参加者は無理やり『スマホを持たない』状況に置かれる。最初の段階でスマホを預けるので、文字通り、気が散ることはない。(中略)イベントのチケットはどこも完売している。皆、本当はスマホから離れたいと思っている証しだ」と話した。/推計によると、英国の若者は1日4時間以上スマートフォンを利用しているというが、参加者の一部からは「スマホの使用時間はもっと長い」という声も聞かれた。/35歳の参加者は「仕事のない週末は特に、1日6~8時間はスマホを使っている。スマホにとらわれているというか、ある意味、中毒みたいなものだ」と話した。/このイベントはロンドンでは昨年から開催されていて、これまでに2000人以上が参加。他にもフランス・パリやスペイン・バルセロナなど、各都市で開かれている。/ただ、皮肉なことに、イベントの開催ついては、多くの参加者がSNSを通じて知ることが多いという。(https://www.afpbb.com/articles/-/3567529?cx_part=common_focus)映像は2月13日撮影。(c)AFP・2025年3月19日   

【1月8日 AFP】英ロンドンで7日、ズボンを着用せずに地下鉄に乗る恒例のイベント「パンツなしで地下鉄に乗ろう(No Pants Subway Ride)」が開催された。/今では世界60都市以上に広がっているこのイベント。開催時期は真冬となっており、参加者はズボンをはかずに地下鉄に乗り込む。通常通りに振る舞うことがルールとなっており、乗車駅も参加者によってまちまちだ。(c)AFP・2024年1月8日 

➡➡➡「No Pants Subway Ride」の理由がよく分からない。なんでもズボンを履かないで地下鉄に乗ろうというのか。この運動の動機よく分からない。馬鹿草。これもまた、よくある「ヌード願望」の一種でしょうか。たまにズボンの前チャックを人前で開けたままで「御用」になる人がいます。恐らくそれに近い「露悪趣味」か。それともここにもある種の束縛(パンツ・スマホ)からの脱出願望があるとみられなくもありません。ノーカー、ノーパンツ、ノースマホ…。これらに共通するのは自らの身体の一部になってしまったものから、一瞬だけでも、自分を剥がしておきたいという「鎖と犬」の関係に似ているでしょう。犬はずっと自由でいたいとは思わない。食事をくれるなら(もらえるなら)、少々の束縛は甘んじて受けますよと買われることを受け入れている見たい。「スマホと私」も「縛られたくないけれど、縛られたい」という矛盾した(倒錯した)性癖かもしれない。それはまあ、「鳥籠の自由」を満喫しているとみなされている(かどうか、鳥に訊かなければわからない)、文鳥やインコみたいなものか。スマホの必要性はさらに高まることは間違いありません。さあどうしますか、「ぼっーとして蓄える」、そんな当たり前の生活に戻りますか。戻れますか。

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教職を選んだのは「私」です

<朝晴れエッセー>離退任式 笑顔と涙の卒業式が終わると、校内は新学期の準備が始まる。クラス分け、先生の異動、新入生…と感慨に浸る間もない。そして4月の離退任式。▶37年前、私は初任の高校で離任の挨拶をした。生徒は心温かく元気いっぱいだった。初めて担任したクラスの生徒が涙ながらに別れを惜しみ、カーネーションの大きな花束と寄せ書きをくれた。私も涙でくしゃくしゃだった。▶その後、ちょっと目立つ存在だった5人の女子生徒が「先生、ちょっとこっち来て」と私を体育館の脇に呼び出した。いつも服装検査で長いスカートやパーマを注意していた5人、最後に何か文句でも…。私を取り囲んだ5人が差し出したのは、5本だけの花の束と手紙だった。▶ユリ、バラ、かすみ草、カーネーション、スイートピーが1本ずつ。「それぞれ先生にあげたい花を選んらこうなっちゃった」。困ったような表情に私はさらに涙が止まらなくなった。▶その晩、寄せ書きや手紙を何度も読み返し、また泣いた。なんて幸せな仕事だろう、これだけ幸せな思いをさせてもらったんだもの、つらいことがあっても頑張れる。心から誓った。▶あれからいろいろあったけれど、定年まで勤め上げて思い出す熱い日である。 小室いづみ(64) 千葉県松戸市(2025/03/28 05:00産経新聞)

 いたるところで「(涙の)離退任式」が行われていることでしょう。ここまで生きてきて、ぼくには、さて「離退任式」なるものがあっただろうかと不思議に思った。まったくないんですね、たったの一度も。花束や寄せ書きを貰ったことは何度かありそうです。「なんて幸せな仕事だろう、これだけ幸せな思いをさせてもらったんだもの、つらいことがあっても頑張れる。心から誓った」と、このエッセーの筆者・小室いづみさん。素敵な教師だったんでしょうね。理屈抜きに、いい仕事(教師)をされたんでしょうね、そう思う。(長いこと教師みたいなことを続けてきて、「つらいことがあっても頑張れる」という経験がぼくにはない。第一「つらいこと」なんかどこにもなかった。いやなことは腐るほどあったけれど。だから「教師紛(まが)いなんだよ、君は」と詰(なじ)られそう)

 方々で書いていることですが、すべからく「何々式」「儀式」というのもを、ぼくはつねに敬遠してきました。最近は田舎に越したせいもあってなおさらその傾向は強い。だから、今は自らの「葬式」も御免被るというところにまで至っている。「格・式」というのがダメなんですな。(「身分・家柄などによって定まっている礼儀や作法。また、身分や家柄」デジタル大辞泉)

 それはともかく、学校の教師というのは、否応なく「出会いと別れ(encounter and farewell)」を繰り返して経験します。その形はさまざまでしょうが、結局は「会うは別れの始め」ということに尽きます。もちろん、これは教師稼業に限らないこと。普段、何気なく付き合っている友人知人と、また会う日までと思いながら、気が付けば、すでに今生の別れが終わっていたということはいくらもあります。このエッセーを書かれた「先生」は、きっと公立学校の教師をされていたのでしょうから、なおさら、より多くの「出会いと別れ」があったでしょう。その中でもとりわけ初任校での「出来事」に大きな力を得たということだったかもしれません。花束や寄せ書きもその力のひとつでしょう。でも一人一人の生徒たちの「心情」が教師に届いたというべきか、その「心情」を素直に受け取ることができた教師の「感受性」(の敏感さ)というべきか、そこにはじめて「(意味のある)出会いと別れ」は成り立ったのでしょうか。

 いろいろな理由があって、誰もが仕事を選び、ともに人生を歩く同士を選び、身につまされて右か左の道を選びます。理屈を言えば際限はありませんが、いずれにしても、「自分で選ぶ」というところに大きな意味があると、ぼくは言いたいんですね。結婚するに際しても、たくさんの候補者の中から(この表現は語弊があるかもしれない)、たった一人を選ぶのは、まぎれもなく「自らの決断」です、今日では。誰かから脅迫されて結婚するという人にぼくは出会ったことはありません。計算の上で結婚するということもないでしょ、おそらく。

 しかし、その固い決断がやがて、「(やむなく)別れる(divorce)」という場面を迎えることは世の中にいくらもあります。そこで考えてみたいのは、伴侶(partner)を選んだ「自らの決断」をいかに自分が評価(始末)するかということです。端的に言うなら、「いっしょになる決断」より「別れる決断」が勝ったということでしょうが、それだけで終わらないから、こと(決断するということ)は面倒ですね。無数にある職業から教職を選んだという「私の決断・選択」に対して、いかなる姿勢が求められるのかという問題でもあるのです。この「朝晴れエッセー」を読んでぼくが痛感するのは、「これだけ幸せな思いをさせてもらったんだもの、つらいことがあっても頑張れる。心から誓った」という小室さんの「自らの選択・決断」に対する誠意・誠実を見る思いがしたからでした。「思い込んだら命がけ」という表現が浮かびました。

 37年勤め切って、なおこのような「想い」を語られる「教師一途」の歩みに、ぼくは赤の他人ながらも、ひとこと「お疲れさまでした」と言いたいような気がします。「あれからいろいろあったけれど、定年まで勤め上げて思い出す熱い日である」という感情に、自らの仕事への満足感と、これで終わりかという、一抹の寂寥感が感じられるのは当然で、ぼくがことさらにそれを言い立てたくなるのも「つらいことがあっても頑張れる」という初心の忘れ難さが彼女を励ましていたという「初心」の確かな戒めに感じるからでしょう。「教職を選んだ」という、自らの選択・決断に意味を与えた小室さんの誠意(誠実)に、ぼくは感心(「感謝」かもしれぬ)しているのです。(それにしても、このような思いを抱いて教職を務められた「教師」はどれほどいるのでしょうか)

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世の中は三日見ぬ間に桜かな

 左の写真には「1964年3月」とあります。ぼくが大学に入った年でした。その年の秋には「東京五輪」が開かれた。前年3月、ぼくはたった一人で京都から夜行列車に乗りましたが、今から考えても、おそらくいたるところから東京に向かっていた同年代の若者たちは、写真にあるような「集団就職」組の一員だったかもしれないと思うことがあります。この社会の「高度経済成長」が始まり、敗戦時のどん底から急坂を昇り詰める機動力になった人々でした。この1964年が集団就職列車のピークだったという。さすれば、中・高卒業生の大きな塊(かたまり)が、東京という未曽有の「大普請中」の雑踏の中に吸い込まれ、さまざまな「現場」で働きバチに徹してきたことになります。

 「1964(昭和39)年3月18日、集団就職列車で地方から上京する中卒者は「金の卵」と呼ばれ重宝された。高度経済成長期を迎えた都会では働き手が不足していた。この年に井沢八郎が歌った「あゝ上野駅」は、親元を離れて働く彼らへの応援歌でもあった」(左上写真は東京・上野駅に到着した集団就職の一団)(共同通信・2018年03月18日 08時00分)

 その一大群集は、時代を越えて、今また、春三月に「上野の山」に集団(個の集合)で花見に蝟集(いしゅう)し屯(たむろ)する。その多くは集団就職組の末裔たちでもあります。ヘッダー写真がそれです。その中の一員であることを、ぼくたちはどのような感情で認めることができるのでしょうか。(ヘッダー写真:昨年の「上野の山」・https://www.jalan.net/event/evt_320934/

 今から想えば、自身もひとりの「集団就職列車組」として、ぼくは往時を振り返りそうになります。この国の六十年の歴史もまた、「一本の集団就職列車」だったと見えても来るのです。所得倍増といい、「金の卵」と持て囃されて、「東京へ東京へ」と集団疎開宜しく、一極に集住する人の群れでした。それこそ鳴り物入りで急き立てられ、煽られどおしの挙句に、今や自由世界の第2位の経済大国に躍進と知るが早いか、時は巣て、得意満面の頂上から一転して頂上から降っていたことになるのが、三十年前。コラム「有明抄」氏は、そこに中島みゆきさんの「時代」を重ね、「ホームにて」を置く。ぼくなら「別れの一本杉」や「リンゴ村から」を出してみたくなる。「覚えているかい 故郷の村を」「便りも途絶えて 幾年過ぎた」と三橋美智也さんは歌い、「泣けた泣けた 堪えきれずに泣けたっけ」と彼女との別れを嘆きに嘆いたのは春日八郎さんでした。彼らもまた、文字通りの「一旗組」であり、「故郷に錦組」でもありました。劣島は「立身出世」の一大乱気流に翻弄されていたのでした。

 いろいろさまざま、それこそ波乱万丈、順風満帆、悪戦苦闘、得意満面、臥薪嘗胆。(「[名](スル)《「史記」越王勾践世家にある故事から》復讐 (ふくしゅう) を心に誓って辛苦すること。また、目的を遂げるために苦心し、努力を重ねること」デジタル大辞泉)。夢多き、また絶望も数えきれない、人それぞれの人生行路の今は「令和の御代の弥生下旬」です。

【有明抄】旅立ちの春 列車の窓越しに手を振り、泣きじゃくるおかっぱ頭の中学生。ホームからもいくつも手が伸びる。写真は1960(昭和35)年春、国鉄佐賀駅(☚写真)。大都市圏へ向かう集団就職の光景だ。時を重ね、少女はいま傘寿。いかがお過ごしでしょうか?◆小社刊『自分史ノート』の一枚にある。当時、県内の3年生は1万9千人。県外就職は3千人を初めて超え、うち2千百人余が4陣に分かれて故郷を離れた。高度経済成長を支えた「金の卵」である◆中学・高校卒業者を乗せた集団就職列車は64年がピークという。延べ3千本が走り、35道県の7万8千人以上に上った。東海道新幹線開通、東京五輪開催と華々しく沸き立つ世はどう見えていたのだろう。最後の運行はちょうど50年前、75年の3月24日だそうだ◆「旅立ちの春」に変わりはない。その年の中島みゆきさんの歌〈まわるまわるよ時代は回る 別れと出逢(あ)いをくり返し…〉は今なお背中を押してくれる。2年後の『ホームにて』は都会を舞台に〈ネオンライトでは 燃やせない ふるさと行きの乗車券〉。望郷の念を抱きつつ人生の選択、決意をつづる◆進学、就職などで新天地へ。いろんな思いが入り交じるこの週、ソメイヨシノは開花宣言が出た。今、野の緑に揺れる菜の花も鮮やかだ。それぞれが歩んでいく道に、花言葉「小さな幸せ」を重ねる。(松)(佐賀新聞・2025/03/27)

 「そんな時代もあったねと いつか話せる日がくるわ あんな時代もあったねと きっと笑って話せるわ」 「だから 今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう」「まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し」(もちろん、これは「恋歌」でしたが、人はきっと何かに恋をする存在ですね。恋の対象は人間であるとは限らない)

 集団就職列車組もこんな時代を送ってきたのでしょう。あんな時代に思いを馳せることもあったでしょう。悲喜こもごもの人生だったが、くよくよしないで、今日の風に吹かれましょう、と歌っているはず。60年前に故郷を出て着いた、ああ上野駅。その駅のすぐ横にある上野(恩賜)公園の桜並木に、人々は「今日の風」に吹かれながらも集団花見に心を奪われているのでしょうか。

 (余談 ぼくは上京して、約十年ほど、文京区本郷に住んだ。徒歩十五分で上野公園に行けた。夕方、明け方、ぼくはどれくらい散歩がてらに上野の山、池之端に出向いたでしょうか。しかし、ただの一度として「花見時」にそこに足を運んだ記憶はない。人通りの絶えた公園内の桜木を見て回ったことは一度や二度ではないけれど)

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【筆洗】「花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見る物かは」-。桜は満開の時、月は満月の時だけが見ごろだろうか、いや、そうではないと『徒然草』で兼好法師さんはおっしゃる。古文の授業で教わった反語の「かは」が懐かしい▼ご意見はもっともなれど、年に1度の桜となればつい逆らいたくもなるか。なるほど「散り萎(しお)れたる庭などこそ、見所多けれ」かもしれないが、やはり、満開を見逃すのが惜しくて開花の知らせを心待ちにするのは人の情だろう。盛りの桜にひとときでも気鬱(きうつ)な世を忘れたくなる▼おととい、東京都心で桜(ソメイヨシノ)の開花が発表された。時期としては平年並みだそうだ。昨年の開花は少し遅れたと記憶するが、今年の花咲かじいさんは時を違(たが)えず、灰をまいたとみえる▼浮かれついでにこんな戯(ざ)れ歌を。<桜木のもとにみなはや今朝も来も酒や花見に友の気楽さ>。朝から仲間と花見酒とはうらやましい。江戸期の作と聞くが、この歌、上から読んでも下から読んでも同じ「回文」になっている。お見事▼桜の季節にも浮かれてはいられまい。大きな被害が出ている愛媛、岡山両県の山林火災である。現地が心配である▼「花にあらし」「春疾風(はやて)」「春荒れ」。春は強風の季節でもあるが、その風が火の手を強め、消火を妨げる。桜にはかわいそうだが、乾いた山林にまとまった「桜ながし」の雨がほしい。(東京新聞・2025/03/26)

 「三日見ぬ間の桜かな」と誰もが口にしたかもしれません。実は正確には「三日見ぬ間に桜かな」であり、その上句は「世の中は」とある。作者は大島蓼太。それほどに「サクラは咲くのも早いし、散るのも早い」ということ、それは事実ですが、元の句は、自然世界(この中に「世間」も含まれる)の移り変わりも早いものですね、三日も見ないでいたら、もう桜の開花、満開なんですから、ということでした。いろいろな受け止め方ができたから、この句も長い間生き残ったともいえます。

◎ おおしま‐りょうた〔おほしまレウタ〕【大島蓼太】=[1718〜1787]江戸中期の俳人。本名は吉川陽喬。信濃の人。別号、雪中庵。桜井吏登(さくらいりとう)に師事。江戸俳壇の実力者で、芭蕉への復帰を唱え、東西に吟行し、門人の数三千といわれた。編著「雪おろし」「蓼太句集」など。(デジタル大辞泉)

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 さて、兼好さんの登場です。コラム氏は、桜の盛りをこそ愛でたいと、よくよく願っておられるようです。

 「花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見る物かは」を引いて、コラム氏は、いやそうではなく、花は盛りが一番と、「やはり、満開を見逃すのが惜しくて開花の知らせを心待ちにするのは人の情だろう。盛りの桜にひとときでも気鬱(きうつ)な世を忘れたくなる」とおっしゃる。いかがでしょう。ぼくは兼好さんに手を上げますね。満開よりもその数歩前、花なら蕾(つぼみ)、人間だってそうではないですか。人生の花盛りは人それぞれですから、一概には言えませんが、これからという時期がいいようにぼくは思う。

 「哀れに情け深し」「男・女の情も、偏に逢ひ見るをば言ふ物かは。逢はで止みにし憂さを思ひ、徒なる契りを託ち、長き夜を一人明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ」と、さも兼好さんは自らの経験に裏打ちされた「男女の仲」の奥行きの深さを語ります。ぼくにも、数少ないとはいえ、かかる経験らしいものはありました。「偏に逢ひ見るをば言ふ物かは」というのは兼好氏。「逢はで止みにし憂さを思ひ」とは、さては兼好さん、思いを寄せる「愛しき人」がいたのですね。「浅茅が宿に昔を偲ぶ」とは、「いよっ、この色男」と言いたくもなりませんか。

 花は盛りに、月は隈無(くまな)きをのみ見る物かは。雨に向ひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、猶、哀れに情け深し。咲きぬべき程の梢、散り萎れたる庭などこそ、見所多けれ。歌の詞書にも、「花見に罷(まか)れけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事有りて、罷(まか)らで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾(かたぶ)くを慕ふ習ひは、然る事なれど、殊に頑(かたく)ななる人ぞ、「この枝、かの枝、散りにけり。今は見所無し」などは言うめる。
 万(よろづ)の事も、始め終はりこそ、をかしけれ。男・女(おとこ・おんな)の情(なさけ)も、偏(ひとへ)に逢ひ見るをば言ふ物かは。逢はで止みにし憂さを思ひ、徒(あだ)なる契りを託(かこ)ち、長き夜を一人明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅(あさぢ)が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ。
 望月の隈無きを、千里(ちさと)の外まで眺めたるよりも、暁近く成りて待ち出でたるが、いと心深う、青みたる様(やう)にて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、打ち時雨たる叢雲(むらぐも)がくれの程、又無く、哀れなり。椎柴(しいしば)・白樫(しらかし)などの、濡れたる様なる葉の上に煌(きら)めきたるこそ、身に沁みて、心有らん友もがなと、都恋しう覚ゆれ。
 すべて、月・花をば、然のみ目にて見る物かは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)の中(うち)ながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ。(「徒然草 百三十七段)

  「すべて、月・花をば、然のみ目にて見る物かは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)の中(うち)ながらも思へるこそ、いと頼もしう、をかしけれ」と兼好節は冴えています。わざわざ雑踏を彷徨(さまよ)わなくてもいいではないか。自分の眼で見てからでなければとは、いかにも無粋な、と言いたかったかもしれません。「百聞は一見に如かず」と世間は真らしくいうけれど、「百聞」があってこそ「一見」の価値が生まれるのであって、それがなければ、…。そのように兼好さんは言いたそうです。「花は盛りに、月は隈無(くまな)きをのみ見る物かは。雨に向ひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、猶、哀れに情け深し」と、事の初めに戻ります。「哀れに情け深し」、これが奥行きですね。

 (追伸 なただ今延焼中という、岡山や愛媛さらには宮崎の山火事の鎮火が一瞬でも早く進むことをひたすら祈ります。サクラだ、花見だと浮かれるのもいいけれど、そんな気分の世間にあって、「花粉」と「黄砂」と突風に、僻地(へきち)の住人も泣かされているのです。夜中早朝を問わず、家の外では猫が喧嘩をしている。どこの猫であれ、怪我をされてはたまらないので、「喧嘩両成敗」とばかり、ぼくは飛び起きては蹴散らしに出かけます。これもまた「我が春の風物詩」かいな。本日は零時過ぎにしばらく、また三時ころに、もう一度起こされて、喧嘩の仲裁にと、熟睡も爆睡もできませんでしたから、こんな駄文に、とは言わない)

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