言葉の海を遊弋し、言葉の苑に遊山し。

◎ 週の初めに愚考する(七拾弐)~ 自宅には何冊かの「広辞苑」があります。もちろん大学を卒業してから買い求めたものですから、第三版(1983年)以降のものでしょう。浩瀚すぎ、重すぎて、気軽に利用するのに難儀しますし、一端辞書に目を移すと、引くというより読むことに熱中し、咄嗟の用に役立ったという記憶は少ないものでした。それでも、ある時期までは「広辞苑」はある種の象徴で、これを持っていないと一人前の文章が書けないやつと思われかねない風潮があったと覚えています。ぼくは今もって、一人前の文章が書けるとは思えませんから、広辞苑を普段使いの辞書にするのは遅かったし、手元に置いてからも頻繁に利用するということはありませんでした。ネット環境が整って、最も助かったのは各種の辞書がマウス次第で、自由に利用できるということでした。

 これまでで、もっとも多く利用してきたのは諸橋徹次氏の「大漢和辞典」と大槻文彦氏の「言海」「大言海」でした。下手の横好きで、ぼくは早くから漢文を読む練習をしてきましたから、「大漢和辞典」はぼくの先生だったと言えます。「言海」「大言海」は言うまでもありません。この国における本格的な国語辞典として、たった一人で、数十年をかけて編纂されたものだったから、余計に愛着が湧きました。今ではちくま学芸文庫版が出ていますが、あまりにも頁数が多すぎて、気軽に利用するには、ここでも難儀しています。

 辞書の効用について言うなら、人それぞれの価値があるでしょうが、ぼくはどんな辞書でも「言葉の解説」「言語の解釈」に特質があると考えてきました。よく「辞書で意味を調べる」などと言います。その「意味」とは何かという問題はあまり追及されないままです。ある辞書の説明によりますと「 言葉が示す内容。また、言葉がある物事を示すこと。「単語の—を調べる」「愛を—するギリシャ語」 ある表現・行為によって示され、あるいはそこに含み隠されている内容。また、表現・行為がある内容を示すこと。「慰労の—で一席設ける」「—ありげな行動」「沈黙は賛成を—する」 価値。重要性。「—のある集会」「全員が参加しなければ—がない」(デジタル大辞泉)(なお、ぼくがふだん、最も多用しているこの「デジタル大辞泉(小学館)」は、今月25日にサービスが終了すると告知されています。この先どうなりますか)

 おそらく「言葉の意味」というのは直接的には(上に引用した辞書による)「1」と「2」を指すのではないでしょうか。つまり、多くの場合「意味」というのは「解説的語義」、あるいは「語の解釈」だということです。だからこそ、辞書の種類によって「似て非」であり、「類似」ではあるが「同じ」ではないことになります。そこにこそ、それぞれの「辞書」の存在の意義はあるというもの。同時に、「言葉」の表す内容を探すことは、その言葉の歴史(使われ方・用法)を知ることにもなるのですから、言葉の辞書は「歴史」でもあるのですね。

 広辞苑の編者である新村出(しんむらいずる)さん(1856~1967)。南蛮貿易研究など幅広い分野に業績を遺された。言語学者。東京帝国大学時代は上田万年(かずとし)氏(この国で初めて「国語研究」の扉を開いた人)の薫陶を受ける。園地文子さんは上田氏の息女。この新村さんが小生の卒業した高校校歌の作詞家だったと、つい最近知って驚いた。在学中に謳った記憶は皆無でしたから。作曲は若かった頃の団伊玖磨さん(1924~2001)。新村・団両氏にお詫びします。

 ネット時代盛んなときに、果たして浩瀚かつ重々しい広辞苑が広く受け入れられるかどうか、不勉強なぼくには想像できません。新村先生には相済まないことですが、拙宅の広辞苑は、もっぱら皺が付いたり曲がってしまった紙類などを引き伸ばすための「重石(おもし)」として大いに役立っています。ずいぶん高価な「重石」ではありますが。

【小社会】広辞苑70年 
「広辞苑」が出版から70年を迎えたという。ずっしりとした重厚感。高校進学の祝いで頂いた第2版(1969年)は今も自宅の机上にドデンと座っている。紙は赤茶け劣化も著しいが、原稿を書く時には実に頼もしい相棒となる。
 ページ数は改訂のたびに増え続けているものの、厚みはほぼ変わっていないという。「製本機械の限界である8センチに収まるようにさらに薄い紙を開発した結果」と岩波書店のホームページにある。
 7年前の改訂では約1万項目が新たに加わった。「一時の流行にとどまらず、人々の間に定着したと認められる新語を厳選」するのが基本姿勢といい、「朝ドラ」「自撮り」「がっつり」など「定着」の観点から見ても納得のワードが続いた。
 次の改訂ではどんな言葉が入るか。未掲載が話題にもなった「エモい」などは幅広い世代に定着した感もあるが、加わるとすればどういった語釈がつづられるだろう。そんな興味も湧く。
 今から20年ほど前、本紙「高新文芸」にこんな短歌が掲載されていた。〈娘の生れし記念に求めし広辞苑「量販」「介護」の言葉はあらず〉。作者の手元にあった広辞苑は初版か第2版だろうか。一冊の古びた辞書と家族の長い歳月が重なり合って感慨深い一首だった。/「辞書は引くだけでなく読むもの」という言葉もある。週末、古い辞書を引っ張り出して、人生と重ねながら言葉の海を泳いでみるのも悪くない。(高知新聞・2025/05/30)(https://www.kochinews.co.jp/article/detail/865454)

 ちなみに、現在、ぼくが頻繁に利用している国語辞典は「新明解国語辞典」(三省堂)です。出るたびに注目を集めるのは、あるいは広辞苑とは対極の位置にあるからではないかとも思われます。「重み」よりも「軽み」を大事に、と。

 ぼくの書く(草する)ものは「文章」などと言えた義理のものではなく、はっきりと自分でも自覚している、「駄文」、であり「雑文」、それもほぼ下書き状態であります。もちろん、愚かなりと言えどもぼくの愚考したところ、愚考しているところを言葉に乗せて語る(騙る)気があるのですから、「文(ぶん)」であることは確かでしょう。でも、「それが文章」かとなると、いささか気が引けるのです。起承転結も明確でなければ、綾(文・章)などは皆無ですから、堂々と(というのも変ですが)、「駄文・雑文」の類と恥をさらすばかりですね。

 若いころから向学心など少しもなかったものですから、「勉強」「学習」に関しては実に晩稲(おくて)でした。よく大器晩成などと言いますが、ぼくなどは何処を叩いても「大器」の音色はしなかったし、せいぜいが、よくて学問の真似事をしてみようとしたに過ぎなかったと言っておきます。研究も何もあったものではなくて、「学校の教師」をしていたとは厚顔も甚だしい振る舞いで、お義理にも適職だったとは言えない酷さだったと、今になって痛感するのです。但し、本読み(読書)ばかりは好きだったから、新聞でもなんでも手当たり次第に読み切っていったことは本当だった。だから、あえて言えば、ぼくが心行くまでやりたかったのは「言葉の海を遊弋(ゆうよく)・徘徊(はいかい)し、言葉の苑に遊山(ゆさん)・行楽(こうらく)」三昧(ざんまい)に浸りきりたかったということでしたね。今からでも遅くはないのですけれども。さて、…。

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曇り後雨が続き、やがて颱風襲来か

 言うも詮方なし、月日の経つのは夢のうち、いやいや、目覚めていてさえ、堂々と、しかも足早に日月(時間)が我が頭上を通り過ぎて行く。本日は五月三十一日。皐月の空は涙空というか、何とも雨天が続きました。泣いても笑っても、というほど大げさではありませんが、明日からは六月(水無月)です。春は名のみの「雨の多さや」「陽射しの強さや」、そんな戯れ歌を歌いたくなるような夏がやってくる前触れが頻りも詮方なし、月日の経つのは夢のうち、いやいや、目覚めていてさえ、堂々と、しかも足早に日月(時間)が我が頭上を通り過ぎて行く。本日は五月三十一日。皐月の空は涙空というか、何とも雨天が続きました。泣いても笑っても、というほど大げさではありませんが、明日からは六月(水無月)です。春は名のみの「雨の多さや」「陽射しの強さや」、そんな戯れ歌を歌いたくなるような夏がやってくる前触れが頻りです。それはそれ、その前に、一息ついておきたいですね。

 ものの本によると、本日の誕生日の花は「紫蘭(しらん)」だそう。「誕生花:シラン(紫蘭) 科名:ラン科 原産地:東アジア 花の特徴:5~6月頃に、鳥が翼を広げたような形の花を咲かせます。一般的な花色は赤紫がメインですが、ピンクや白の種類もあります。つやつやと長くとがった葉が茂り、宿根草なので花期はそんなに長くはありませんが、花のない時期のグラウンドカバーなどに適しています。木の下や庭の半日陰に植えるのにも適しています」(「誕生花・花言葉辞典」・https://www.flower366.com/index.php?5%E6%9C%8831%E6%97%A5

 昔から「蘭(らん)」は身近にあったので、よく知っていた。今風の豪華絢爛(栽培種)なものではなく、文字通り山野草のような、質素で目立たない咲きぶりのものが好みだった。もちろん、おふくろの影響もあったと思う。シランも、季節(春先)になると、細々と、あるいはひっそりと物陰に咲いている。そのシランとよく似たものに「エビネ」がある。我が家の庭には何本も育っており、季節ごとに可憐で穏やかな花を咲かせる。決して目立たないで、岩の陰などにひっそり咲いている、そんな風情に心を奪われます。もちろん、ぼくのところにあるのは野生種で、これまで何とか育ってきたものばかりですから、一入(ひとしお)愛着が湧きます。

 昨夜来の雨がしとしと降り続いています。なんとも肌寒い。室内の気温は17℃(午前6時現在)。一週間以上、庭作業は中断されたまま。あと一息でなんとか除草や剪定・枝落とし作業が終わりかけていたのですから、この雨天続きで、もう一度最初からやり直し。すっかり草類によって拙庭は席捲されています。次々に出てくる草の種類は異なっている。いちいち調べていませんが、草かなりの数の種類がこの荒れ庭の先住者だということを知らされますし、鳥たちもかなり飛び交っているようですから、種や花粉をせっせと運んでいるのでしょう。これまでも一切消毒液や除草剤は使わないでいますから、なおさら、育ちが早いのでしょう。嬉しくもあり、鬱陶しくもあり。

【いばらき春秋】今年の5月はスカッとした晴天が少ない。特に週末は雨の周期と重なり、天気予報は傘マークが続いた。今週は1日ずれてくれるだろうか▼雑草に不作はない。恵みの雨で緑は日増しに濃くなる。わが家のクルミ畑は、大型連休に草刈り機を振ったのだが、もう下草が膝下に届いた。「坊主頭みたいに短く刈らないと、すぐに伸びちゃうわ」。連れ合いがしたり顔で話す▼耕作をやめた田んぼを見に行った。両親と一緒に汗水流した頃の面影はとうになく、雑草は背丈に迫る。壊れた農機具を買い直しては採算が合わないと放棄してしまったが、ご先祖様に申し訳ない▼米価高騰を受け与野党の政治家がにわかにコメ増産を唱える。加工用米から主食用米へ転換する動きは広がるだろう。しかし、日本中で加速度的に増える耕作放棄地、農家の高齢化・後継者不足こそが将来に影を落とす難問である。増産は口で言うほど簡単ではない▼天気と言えば、今年はまだ台風1号が発生していない。同じような2016年は8~9月に台風が相次ぎ襲来し、実りの秋に打撃を与えた▼不作や災害時の備蓄米は大放出で底を突きかけている。米価が下がれば意味もあろうが、果たしてどうか。気分はスカッと晴れない。(山)(茨城新聞・2025/05/31)(https://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?elem=syunju)

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 本日付の「いばらき春秋」を読んで、いろいろな感想・義憤・慨嘆・批判が湧いてきました。コラム一編に書かれていることは当たり前の「現実」なのでしょう。でもそれを読むと無性に気分がすぐれなくなるのはなぜか。決して天候のせいばかりではないはずです。「不作や災害時の備蓄米は大放出で底を突きかけている。米価が下がれば意味もあろうが、果たしてどうか。気分はスカッと晴れない」とコラム氏。

 酷暑の夏に、猛烈颱風の襲撃が続けば、嫌なことだが、田植えを終えたばかりの今年産米の収穫は危殆に瀕する。その時どうするか。「家畜の餌米(えさまい)」だからなどと、それこそ贅沢(ぜいたく)を言っておれなくなるのでしょう。「備蓄米」と称して、現下のコメ不足に放出された総量が小売にはまったく回っていない。一年前の今頃は5㌔2,000円前後の銘柄米がありました。それが、どういう理屈が罷り通ってこうなったのか、軒並みに昨年の2倍以上の高騰ぶりです。家畜の餌米とは言わないが、古米や古古米でさえ、3,000円で売った業者もいるらしいのだから、安く仕入れて高く売るという儲けのイロハを、政府主導で実践していたことになる。諸悪の根源は「減反政策」にあることは先刻承知で、猶それを続行しているのだから、張り倒してやりたいほどの愚策政治(家)。

 新農水大臣は古米、古古米、古古古米の食べ比べをテレビショウ宜しく演じてみせて、「どれもおいしく食べました」と。前農水大臣は「コメは買ったことがない、売るほどある」と自慢していたが、新大臣は「コメは買ったことあるか」と訊かれて、応えなかったのは、「売るほどある」からだったのかどうか。

 縛ら帰新聞のコラム氏の実家は米農家とお見受けします。先日来訪した友人もまた、長野県諏訪のコメ農家の長男だったが、後継者にはならなかった(英吾・英文学者になっている)。田畑を多く所有しておられるが、売値が付かないと言われる。無理に売っても二束三文だという。かくして農業の基盤は壊れることを止められないままで、現下の「バカ騒ぎ」が生じているのです。この騒ぎの先に、何が待っているのか。当たり前の賢さを政治家や官僚に期待するのは野暮なんですか。

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Trump Always Chickens Out.(TACO)

 古今東西、政治家はすべからく「見栄っ張り(show-off)」で「お山の大将(self-centered)」だという感想(偏見)を持っている。だから、取り巻きはさぞ苦労するだろうなあとぼくなどは考えるが、どうもそうではないらしい。取り巻きの最も得意とするところは、落語で言うなら「太鼓持ち」、つまりは「幇間(ほうかん)」芸そのもので、なんといっても「大将」の気に入ること(おべっか)しか言わない、煽(おだ)て上手。これを彼の国では<flatterer><crafty person>などという。「佞人(ねいじん)」「(口先巧みにへつらう、心のよこしまな人。佞者」デジタル大辞泉)などと受け取られる。幕藩体制下には「佞臣」などは掃いて捨てるほどいたでしょうし、口当たりのいいことばかりをのべつに聞かされていると、いかな大将(殿さん)でも、遂には自分が何者であるかもわからなくなり、藩政(国政)などはどこ吹く風となって、挙句には、領国は破滅に及んだという事例は枚挙に遑なし、だったと思う。(ヘッダー写真はBloomberg・2025/05/29)(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-05-28/SWZF80T0AFB400

 この手の「大将」を「暴君<tyrant>」と言っていいかもしれない。大小に関わりなく、刀を差す身になると、どうしてもその切れ味を試してみたくなるのは人情ではなく、暴君に相応しい「感情」のなせる愚。この大統領の生まれも育ちも先刻承知だと思ってはいたが、彼はつねに、脇差であれ大刀であれ、その「切れ味」を試し切りしたくて仕方がなかった。大統領になることは試し切りをすることと同義だったろう。だから、その「餌食」「標的」にされ(かかっ)た人はたまらなかったのに、再び彼に危ない「刃物」を持たせてしまった。就任する前からそれこそ「快刀乱麻」ならぬ、「鈍刀、さらに乱麻を加える」で、鮮やかに縺(もつ)れの糸を解(ほぐ)すどころか、かえってややこしくするばかり、それが彼の「政治手法」(流儀)らしい。ドサクサ紛れで、「濡れ手に粟」というものだ。

ウォール街の流行語「TACO(トランプはいつも尻込み)」について問われたトランプ氏、「最も不快な質問」(CNN) トランプ米大統領による度重なる関税発動の脅しにより、ウォール街はここ数カ月、歴史的な激動にさらされている。そして今、投資家らはトランプ氏の言葉をうのみにしなくなったばかりか、多少の皮肉も込めるようになってきた。/投資家の間では、新しいトレーディングスタイル「TACO」が定着しつつある。TACOは「Trump Always Chickens Out(トランプはいつも尻込みする)」の略語だ。つまり、トランプ氏の新たな関税発動の脅しに動揺して売りまくってはいけない、いずれ発言は撤回され株価は反発するのだから、というものだ。/英紙フィナンシャル・タイムズのコメンテーター、ロバート・アームストロング氏が編み出したこの造語をトランプ氏が初めて知ったのは28日。記者からこの言葉に対する反応を尋ねられたときだった。/トランプ氏は「私が尻込みする? 聞いたことがない。中国への関税率を145%から100%に引き下げ、さらに引き下げたからか?」と対中関税について言及した。/同氏は先週、6月1日から欧州連合(EU)に50%の関税を課すと発表し、株価は下落に転じたが、2日後にはEUとの協議が好調だったことを受け、関税賦課を7月9日まで延期すると述べた。戦没将兵追悼記念日明けに市場が再開すると、株価は大幅に上昇して取引を終えた。/トランプ氏はEUと中国の関税率に関する最近の発表に触れ、「これが交渉というものだ」と述べた。自身の戦術の中には、関税率を「途方もなく高い数字」に設定し、他国が自身の要求を受け入れればそれを下げるという手法も含まれるという。/同氏は質問した記者に対し「その発言は絶対に口にするな」とくぎを刺し、「最も不快な質問だ」と一蹴した。(CNN・2025/05/29)(https://www.cnn.co.jp/business/35233578.html

 今朝のCNN(日本語版 ⇧)を見ていて、「やっと気が付いたんですか?」という思いに駆られた。今、ウォール街では「TACO」という語がはやっているらしい。邦訳して「トランプはいつも尻込み(尻塵)する」と。出戻り大統領の「一糸まとわぬ」言動に、これまで散々に振り回されてきた投資家たちは、「トランプ氏の言葉をうのみにしなくなったばかりか、多少の皮肉も込めるようになってきた」とは遅きに失したと思う。「多少の皮肉」とは遠慮が過ぎるというもので「TACO」、すなわち「Trump Always Chickens Out(トランプはいつも尻込みする)」と評したのはイギリスの評者だった。アメリカ人は面と向かっては言えなかったと思われる。それくらいに「ブラフ」「おどし」というか、彼のとんがり発言はウォール街をはじめ、アメリカ社会を震撼させていたというのだろうか。「世界の内で俺様ほど、凄いことをやるものはいない」と自己膨張・顕示の極にあり続けている「大将」にむかって、「君はいつだって尻窄(すぼ)み」「あいつはすぐにビビるなんだ「竜頭蛇尾なんだ」と言われていると知ったら、気を失うだろうことは想像に難くない。

*市場ではやる「TACOトレード」 朝令暮改のトランプ氏皮肉る 市場で「TACOトレード」という造語がにわかに流行している。TACOはTrump Always Chickens Out(トランプ米大統領はいつもビビッて退く)の略語。同氏が強硬な政策姿勢をとってもそれに乗り取引する必要はないとの意味だ。関税政策などでの「朝令暮改」ぶりを皮肉っている。(以下略)(日経新聞・2025/05/29)(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUB2916U0Z20C25A5000000/

 昨日の駄文で「世界は日没を待っている(The world is waiting for the sunset)」とぼくが風船を膨らませたのも、強がりは弱虫で、きっと「尻込みする」というのと同じことを言ったまで。つまりは「TACO」だよ、あいつは、であった。上に引用した短いニュースをを読むだけで、彼がいかに「小心翼々(cautious)」「小心者(timid person)」かがわかろうというもの。「私が尻込みする? 聞いたことがない。中国への関税率を145%から100%に引き下げ、さらに引き下げたからか?」。これは自分一人(自作自演)(一人芝居)で「ロシアンルーレット(Russian roulette)」をしているようなもので、最後の最後まで引き金を引く勇気は持ち合わせていないことを、多くの人が気づいたのだ。もちろん、プーチンも習近平も、いちはやく。「途方もなく高い関税を吹っ掛け、要求のかなりの部分を相手が受け入れれば、取り下げる」のだが、「これが交渉というものだ」と嘯(うそぶ)く。脅しや強請を交渉(deal)だと強弁する人間が一国の大統領(大将)なんだから、取り巻きも疲れるし、もちろん交渉相手も疲れるに決まっている、とぼくは考えるが、どうもそうでもないらしいところもある。喜んで太鼓持ち(幇間)になりたがる御仁がいくらでもいるのは、これも古今東西、変わらぬ人間の有様(正体)だろう。

 記者がこの「TACO」について大統領に感想を聞いた途端に、「その発言は絶対に口にするな」「最も不快な質問だ」と吠えたと報じられています。A barking dog seldom bites.

 (蛇足 ここで看過できない情報があります。高関税賦課問題で(結果的には株価操作をしたことになる)、大統領一族は莫大な資産増を達成しているという、いくつもの確かな報道がある。暗号資産でもしかり。彼は最大の「インサイダー」だという問題指摘がなされているが、いずれ大きな醜聞(政治問題)になるのは間違いない。「弱い犬ほどよく吠える」という、その吠え声を上げている間にも「金を儲ける」、これが「商売というものだ」と言っているようだ。卑怯じゃないかと思う)(米国大統領が「私腹を肥やす」ことに躍起になっているとしたら、頽廃の極みだというほかない)(「その発言は絶対に口にするな」)

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Power tends to corrupt, and ….

 一見したところ、およそ性格も内容も似て非なる、東西の二つの「権力犯罪」のしくみ。だが、よくよく眺めれば、その面貌もやり方もだんだんに瓜二つに見えて来る。いずこにあっても「権力」の誤用や濫用は度し難く、かつ腐敗の程度も匂いも同じような経過をたどるようです。こういう事案が起こるたびに、失われなくてもいい「いのち」が消えて行くのですから、何とも言いようのない「怒り」や「哀しみ」が湧き出してきます。権力を持ちなれないものがもつと、時としてそれは「凶器」にも「狂気」にもなるという格好の見本であるし、時代が移ろおうが場所が変わろうが、同じようなことが繰り返されては、「被害者」を責め苛(さいな)む。詳しくは記さないが、兵庫県知事の法令違反に基づく「権力の誤用・悪用」と、大川原化工機関係者に対して無実の罪を捏造した警視庁公安部と東京地検の「権力の濫用・横暴」が惹起した事件。片や知事一人の言動が事件を生んだとみられるし、他方は組織犯罪だと認定できますが、その根底には、権力集団が形成されていたという意味では同じ性質を有していると考えられます。

 当局(当事者)にまともな感覚がいささかでもあれば、決して起こりえない「でっちあげ(捏造)事件」。何が知事、あるいは公安や検察を狂わせたのか。その姿勢や態度は「唯我独尊」でしたね。おいおい事情は判明するでしょうが、簡単に言えば、「成績」を挙げるためだったといえる。何でもいい、思い切り、大きな事件を作り上げて、それを料理・始末する、さすれば「組織内における自らの地位が挙げる」そのためには無実の民を罠にかける、もはやいう言葉もない。競争主義や出世第一の職場では何時だって起こりえたし起こってきた事案だたと思う。それが大川原加工機事件でした。兵庫県知事の場合、自らの権力の誤信・過信が知事本人を見苦しいまでの独裁者に仕立て上げたのかもしれません。諫言も、忠告も誰もできなかったというのでしょう。組織崩壊の危ない兆候ですね。

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 兵庫県知事に関係する法令師範は一つ二つではありません。第一に公益者通報保護法という法規の根本趣旨を無視、通報者そのものを処罰したという事案です。外部に通報したかどで、通報者は停職三か月の処分を受け、加えて、ネット上における限りない誹謗中傷の果てに自死された。その通報者の個人情報を持ち出し外部に漏洩させた問題の発端は、知事自身が法令違反を率先して行い、個人情報を漏洩するように部下に指示したとされます。その他、知事再選に及んだ選挙での公選法違反や、一神社行司への公式参加による政教分離原則を犯したとされる憲法違反までも数えられています。そのことごとくを指摘されるたびに、知事自身は「身の潔白」を主張し、結果的には虚偽の見解を流布させてきたと言えます。このような自治体首長が、方々で生まれるなら、地方からデモクラシーは崩壊し、ひいては国家の瓦解につながる恐れもあるでしょう。一知事の「権力乱用」を諫められない議会や選挙民が各地域で生み出されるとき、はたして、この社会では何が起こるのでしょうか。

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 漏洩認定の井ノ本氏だけでなく片山元兵庫県副知事も 側近の証言「斎藤知事の指示」で一致 斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発者の私的情報漏洩(ろうえい)問題で、県の第三者委員会に漏洩を認定された井ノ本知明氏は斎藤氏の最側近として知られた。第三者委の報告書や漏洩先となった県議の証言から浮かぶのは、斎藤氏らの指示の下、告発者をおとしめて疑惑を払拭しようと躍起になる井ノ本氏の姿。かつての側近の証言が「知事の指示」で一致する中、斎藤氏だけが否定を続けている。/第三者委の報告書によると、漏洩の経緯はこうだ。/総務部長だった井ノ本氏が昨年4月上旬、疑惑を告発した元県民局長の男性=昨年7月に死亡、当時(60)=の公用パソコン内に、男性の私的情報に関する文書があったと斎藤氏に伝えた。/「そのような文書があることを議員に情報共有しといたら」。井ノ本氏の報告を受けた斎藤氏はこう述べたという。さらに、この場に同席した県の理事(当時)が、片山安孝副知事(同)に斎藤氏から指示があったことを伝えると、片山氏は「そらそうやな。必要やな」と応じた。

 第三者委の調査では、こうした指示を巡って斎藤氏とほかの3人の説明は割れた。/井ノ本氏は斎藤氏や片山氏の指示があったとし、理事は「『私的情報も含めて、議会の執行部に知らせておいたらいいんじゃないか』という趣旨と理解できる知事からの発言があった」と斎藤氏の指示を認めた。/さらに、片山氏も井ノ本氏や理事の説明に沿う証言をした。「『知事から井ノ本氏に対し、私的情報について議会と情報共有しておくようにとの指示があった』と聞いたので、特に反対もせず根回しするよう指示した」/一方、斎藤氏は第三者委に「私的情報の報告はあったと思うが、その処理に関して何か指示したことはない」と否定。だが、第三者委は、3人の説明の時期や内容がほぼ一致していて信用性を否定できないとし、斎藤氏の証言は「採用することが困難というべきだ」と結論づけた。(以下略)(產經新聞・2025/05/28)

【産経抄】苦しい「自己の正当化」、斎藤兵庫県知事 よく実ったブドウの房に、おなかをすかせたキツネが手を伸ばす。おいしそうだが届かない。▼イソップ寓話(ぐうわ)集の知られた一節だ。あきらめたキツネは去り際に言い捨てた。「どうせまずい」。矛盾した2つの状況がもたらす不快感を、心理学の世界では「認知的不協和」と呼ぶそうである。キツネはブドウへの認識を「おいしそう」から「まずい」に変えて、腹が満たされぬ未練を断とうとした。▼要は、自己の正当化である。気のせいだろうか。キツネの論法に、斎藤元彦兵庫県知事の口ぶりが重なる。自身のパワハラを文書で告発された昨年春、告発者捜しを命じ、元県幹部の行為と断じて公表した。公益通報者の保護をうたう法律に触れる可能性を指摘されたものの、「可能性というからには他の可能性もある」。そう強弁した姿が記憶に新しい。▼一連の問題では、告発者の私的情報が漏洩(ろうえい)してもいた。県の第三者委員会は知事の側近だった元総務部長の行為と認定し、「斎藤知事の指示」だった可能性が高いと指摘した。私的情報をさらすことで告発者の人間性を疑わせ、告発文書の信用性を貶(おとし)める狙いがあった―。第三者委はそう難じてもいる。「告発者潰し」を知事が進んで行った、とも読める。▼斎藤氏は「指示したという認識はない」とリークへの関与を否定し、なお平然としている。すでに告発者ら2人が亡くなっており、いずれも自殺とみられる。「県政を前に進める」意欲と、資質は分けて論じた方がよい。ただし自己肯定感が途方もなく高い人である。進退の判断を迫ってもうなずくかどうか。▼昨秋の出直し選で審判を下した人々が、身の処し方を厳しく問う手もあるだろう。いまの県政のあり方は正常に見えない。(産経新聞・2025/05/29)

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大川原化工機事件 そもそも犯罪が成立しない事案について、会社の代表者らが逮捕・勾留され、検察官による公訴提起が行われ、約11か月もの間身体拘束された後、公訴提起から約1年4か月経過し第1回公判の直前であった2021年7月30日に検察官が公訴取消しをしたえん罪事件。噴霧乾燥器と貨物等省令の改正  2013年10月、貨物等省令が改正され、一定の要件を満たす噴霧乾燥器は兵器転用が可能になるため、これらを輸出する際に、経産省の許可を要することとなった。なお、大川原化工機株式会社(以下「大川原社」という。)は噴霧乾燥器メーカーのリーディングカンパニーとして、法改正にあたって経産省や安全保障貿易情報センター(CISTEC)に協力してきた。※噴霧乾燥器(スプレードライヤー) 液体を乾燥し粉体にする装置。液体を細かい霧状に噴霧し、熱風と効率よく接触させることで水分を蒸発させ、乾燥製品にするもの。 牛乳を噴霧すれば粉ミルク、コーヒーを噴霧すればインスタントコーヒーなどさまざまな液体を粉にすることができる。食品、医薬品、セラミックス、化成品などさまざまな用途に応用されている。 

 警視庁公安部による捜査の開始 2016年6月2日  大川原社は汎用機である噴霧乾燥器(RL-5)を輸出した。2017年5月ころ 警視庁公安部は大川原社について経産省の許可を得ずに噴霧乾燥器を輸出した被疑事実(外国為替及び外国貿易法違反)で捜査を開始した。2018年2月21日 大川原社は汎用機である噴霧乾燥器(L-8i)を輸出した。2018年10月3日 警視庁公安部はRL-5の輸出に関し、大川原社および代表取締役の自宅らに対して捜索・差押えを実施。2019年8月8日 警視庁公安部はL-8iの輸出に関し、再度捜索差押を実施。 この間、代表取締役O氏を含め社員に対して任意の取調べが継続的に行われ、代表取締役O氏は39回、常務取締役S氏は35回、相談役A氏は18回もの取調べに応じ、捜査へ協力した。その他、会社関係者47名が任意の取調べに協力し、その回数は述べ291回に及んだ。 

逮捕・勾留 2020年3月11日、警視庁公安部は外国為替及び外国貿易法違反(RL-5の輸出)の事実で代表取締役のO氏、常務取締役のS氏、相談役のA氏の3名を逮捕した。その後、13日に東京地方裁判所刑事第11部の裁判官は3名について勾留決定および接見等禁止決定をした。17日には勾留決定に対する準抗告も棄却された。なお、東京地方検察庁検察官は接見等禁止決定のうち、家族との面会だけを認めるよう求める弁護人の申立てに対して、弁護人が黙秘を指示していること、会社がウェブサイトでコメントを掲載したことについて「会社ぐるみで口裏合わせを行っている可能性が極めて高い」などの理由から反対意見を提出している。 2020年3月27日、勾留理由開示公判において代表取締役O氏は「私も会社の人間も、これまで何度も警察の出頭要請に応じて捜査に協力してきました。今さら逃亡したり関係者に対して不当な働きかけを行ったりするはずがありません」「(取調べで黙秘権を行使することにについて捜査機関から「なぜ黙秘するのか?弁護士に言われたからか」「弁護士の言うことを聞くと損する」「弁護士は正しいとは限らない」などと不当な働きかけが行われたことについて、)私は憲法上認められている黙秘権を行使したに過ぎない、正当な黙秘権行使に対して非常に不快な思いをした」などと意見を述べた。(以下略)(日弁連・https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/visualisation/falseaccusation/case4.html

【小社会】こねる 音読みでは難なく読めても、訓読みになると戸惑う漢字がある。例えば苦労の「労」。「労る」で「いたわる」。進捗(しんちょく)の「捗」は、「捗る」で「はかどる」。字の意味からも納得の読み方だろう。/では、捏造(ねつぞう)の「捏」で「捏ねる」は? 以前、酒席でそんな質問が飛び出し、恥ずかしながら答えられなかった。正解は「こねる」。捏造からは想像しにくい読み方だが、辞典で調べて合点がいった。/手偏に「日」「土」を組み合わせて捏。日を「臼」とする表記もあり、こねるをよく表している。捏造も本来、土などをこねて物の形を作る意味があり、転じてでっち上げを指す言葉になったらしい。
 警視庁公安部が経営者らを犯罪者に仕立てた「大川原化工機」(横浜市)を巡る冤罪(えんざい)事件。捜査員から「捏造」発言も出る中、社長らが東京都と国に賠償を求めた訴訟は控訴審の東京高裁も支払いを命じた。改めて逮捕・起訴の違法性を認めた。/この事件では、長期にわたる勾留後に1人が病死している。「いやしくも日本国憲法の保障する個人の権利及(およ)び自由の干渉にわたる等その権限を濫用(らんよう)することがあってはならない」。警察法は警察の職務遂行をそう戒めるが、あまりにむなしい。/公安捜査の特殊性はあるだろうが、真面目に職務に励む多くの警察官のためにも、警視庁は真相を明らかにすべきだ。言い訳や理屈までこねるな。もちろん検察や裁判所の責任も重い。(高知新聞・2025/05/29)

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 この二つの事案に関する拙論に結論はありません。まあ、結局は、この先もなるようになる、あるがままに任せておくほかないとぼくは考えています。自浄作用は皆無なら、然るべき力を借りて矯正作業に入るでしょう。公安や検察はどうするか。まともな組織になろうという一縷の可能性(望み)があるなら、トップを始めとする関係者は首を差し出し、組織の立て直しを図るでしょう。兵庫の場合はどうか。出直し知事選か、議会解散か。そのいずれの挙に出るにも、その前に事件にかかわったと判定される人間たちはすべて刑事告発されるべきであり、刑事事件として公判廷で裁かれる必要があるでしょう。それなしでは、出直し(start again)にはなりませんから。

 それにしても、「権力は腐る、どんな権力もきっと腐敗するものだ(Power corrupts, and all power corrupts.)」という政治権力の悲しい性を、ぼくたちは片時も忘れさせてはもらえない社会に住んでいることを痛切に感じている。この場合、腐るのは、いうまでもなく「権力」ではなく、持ちなれない権力を握った「人間」なんですね。人間が腐るのだ。そんな「腐った人間」を、いつまでも見せられ続けるのはたまりませんね。

 <Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.><Great men are almost always bad men.>(アクトン卿Lord Acton)(1834~1902)

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Never argue with stupid people, they will …

 米大統領は自らの意向に沿わない、従わないあらゆる勢力を黙らせる(服従させる)ことができるし、そうしてきた(と錯覚してきた))。権力の威光を最大限に自分に重ねてきた人物です。つまりは目障りな奴は踏み潰せというわけで、GAFAをはじめとする、並みいるAI関連の新興勢力たちも、ことごとく大統領の前で「膝を屈した(bent one’s knee)」のだから(実は「面従腹背(face submission back)」だったろう)。このうえは、さらに目立つ、気に障るのはいくつかの私立大学だし、しかもそれらは国家から高額の資金を得ているのだから、なんとしても言うことを聞かせなければならない。C大をはじめ、いくつかの有力大学は恭順の意を示した。今行っている強硬愚策は何の目的で、どこまでやるかという見通しは持っていないだけに、いつ何時、振り上げた拳を、誰も知らない間に、そっと下ろすかもわからない。これまでの諸政策、とりわけ「難民狩り」や「高関税政策」の見せ掛け強硬導入を見ればわかるでしょう。「こけおどし(bluff)」が分相応の異称だとみなしているんでしょうね。

 この東洋の島国(社会)でも好まれてきた「孫子」という兵法書に「百戦百勝は善の善なる者に非ず」という箴言(格言)があります。その大意はあらゆる戦いに勝つというのは決して優れた兵法の実践ではないというのです。勝つために戦うと、味方は手傷を追う。兵隊を死なせるからだ。最も優れているのは「戦わずして勝つ」で、それに勝る戦法(兵法)はない、と。「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」ということです。はたしてこんな「兵法」「戦法」が米国大統領に通用するかどうか、ぼくには判りませんが、土台無理な話だとは思います。要するに、脅し、強請(ゆす)り、恐喝し、脅迫すると、大抵のものは従順になるのだと、この大統領は自らの不動産取引経験(哲学)から学んだ。嘘をつくならつき通せ、やがてそれは「本当」になる、自分にも他人にも。言い出したことは、どんな無茶でも、言い続けろ、それもやがて、相手が草臥(くたび)れて折れるから。こういう「強盗まがい」の手法に彼自身は味を占めて生きて来たが、脅された相手は不動産を買うような、いわば「脛に傷」の連中でした。そんなのばかりが取引相手ではないなら、どうだろう。今のところ、H大学の孤軍奮闘(fighting alone)ぶりが目立つが、もう少しで片が付くと、ぼくは見る。根拠も証拠もないけれど、これまでの「deal」の実際を検証すれば自ずから結論は見えて来る。

 誰かと喧嘩をするかしないかの判断基準は、相手に勝てそうだとみるか、相手は強いとみるか、その優劣の、一瞬の自己判断(直感)が何より重要でしょう。しかるに、この大統領はかなり焼きが回って来たと思う(間違いなく、年齢のゆえです)(加えて、アメリカ大統領という記号の有していた威力(power)を過信しすぎている)。これまでなら身近の取り巻き世界での「王様」であり続けられたが、今や相手はそれこそ、その道の百戦錬磨の兵(つわもの)ばかり。「バカも休み休みにしろ」と言われるか、気が付くか。アメリカファーストという意味が、文字通り、世界一という話なら、それはもうあり得ないことだし、アメリカはアメリカだけでやってゆくということなら、それは可能だ、ほんの一年か二年間は。つまり、アメリカは「白人優位の社会」という人種差別的傾向を帯びた者たちだけで国が出来上がるという夢想(幻想)。現大統領が誕生した段階から、さまざまな白人至上主義者たちは息を吹き返しています。その主張の根っこには「多様性(DEI:diversity, equity, and inclusion)」への反発があったでしょう。

 今回の大学弾圧には、それなりの根拠がありそうで、しかし実際にはよくわからない。「反ユダヤ主義」(「反イスラエル」ではありません)を野放しにしているから怪しからんというのでしょうか。その場合の「ユダヤ主義」とは何を指しているのか。軒並み留学生狩りをやることと、反ユダヤ主義とは無関係ではないだろうが、同じではないでしょう。また、新中国は気に入らないという。思想信条の権利を反故にしたいのは、独裁者の常套手法です。つまり、盾突く奴を攻撃するのに「根拠」なんかいらない、いうことを聞け、聞かないから息の根を止めるぞと脅す、そういうことです。ドイツのボンヘッファーは「愚かさに対して我々は無防備である」と述べています。だから「理性」をもって「愚かさ」を宥めても有効性はないでしょう。相手は狂犬(mad dog)ですから。「愚かな人は悪意のある人とは対照的に、完全に自己満足しており、すぐに怒りっぽくなり、攻撃的になることで危険となる」のですが、その先はどうか。(弱い犬ほど大声で吠える)たった一人の「傍若無人(arrogance)」なら、倒れるまで攻撃するでしょう。しかし大統領と雖も「単独犯行」とはいかないのです。必ず「折れる」「膝を屈する」、自分から、「参った」とは言わないで。

 デビッド・ブルクス氏がNYT紙に「愚かさについて」のコラムを書いた時から、半年が経過しました。そこに書かれていた「愚かさ」の持ち主の動向は、この6か月間でどのような振幅を見せたでしょうか。猛烈に進行しているように、一見すると見えますけれど、実は大いに後退しているように、ぼくには思われる。「さあ進むぞ」と叱咤しつつ、「後退(退化)している」のだ。現大統領の手法は今なお有効性を持っているか、それとも、徐々に神通力(supernatural powers)は失われつつあるのでしょうか。新鮮味も珍しさも色褪せてきたのは事実で、そうなれば「お里」が知れるのも時間の問題です。彼は根っからの「小心者(timid person)」ですから、威勢のいいことを口にし、やれもしないことを言いふらしてきました。ウクライナ和平に関して、露のPは彼の足元を見透かした。だからDは、Pに対して腹を立ててみせるのだが、また、彼に胡麻をすることになるでしょう。それでうまく行きそうにないと見極めれば、「和平仲介」など放り出すだけのこと。

 「世界は日没を待っている(The world is waiting for the sunset)」、そしてまた新しい一日は始まる。(S.Y.)

*superfluityNever argue with stupid people, they will drag you down to their level and then beat you with experience.” ― Mark Twain(愚か者と議論をしてはならない。奴らは、自分たちのレベルにまで君たちを引きずり下ろし、自分たちがやってきた経験によって君らを打ち負かすだろうからさ」(マーク・トウェイン)

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【談話室】▼▽鑑賞した昨年秋は分断を極端にデフォルメしているのでは、と思っていた。しかしその後の事態を見るにつけて現実の方が追いかけているようにも感じてしまう。映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」のことだ。▼▽独立を求める諸州と政府の間で内戦が勃発。記者はチームを組んで取材に向かった。さまざまな勢力が入り乱れる無法地帯を通過する途中、武装した男が尋問する。「おまえの出身は」。「ミズーリ」「コロラド」。続いて「香港」と答えた記者に、容赦なく銃口を向ける。▼▽こちらも度が過ぎた排外主義にしか見えない。トランプ政権がハーバード大に対し、留学生を受け入れる資格を取り消すと通知した。ガザの戦闘を巡り反ユダヤ的活動を容認したからという。学生たちが、ガザでのイスラエルの非道に対し抗議デモを行ったのは間違いない。▼▽だが、なぜ留学生が一律に報復されなければならないのか。そもそも人道に悖(もと)る戦闘への批判は悪なのか。連邦地裁が資格取り消しを一時差し止めたことにも政権は反発する。国を支えてきた知の拠点を弱体化させればどうなるか、かの人だって分からないはずはあるまい。(山形新聞・2025/05/27)

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Principle 5: Stupidity is nearly impossible to oppose. Bonhoeffer notes, “Against stupidity we are defenseless.” Because stupid actions do not make sense, they invariably come as a surprise. Reasonable arguments fall on deaf ears. Counter-evidence is brushed aside. Facts are deemed irrelevant. Bonhoeffer continues, “In all this the stupid person, in contrast to the malicious one, is utterly self-satisfied and, being easily irritated, becomes dangerous by going on the attack.”
原則5:愚かさに対抗することはほぼ不可能です。ボンヘッファーは「愚かさに対して我々は無防備である」と述べています。愚かな行動は意味をなさないため、常に予想外の事態を引き起こします。理にかなった議論は無視されます。反証は無視され、事実は無関係とみなされる。ボンヘッファーは続ける。「こうした状況において、愚かな人は悪意のある人とは対照的に、完全に自己満足しており、すぐに怒りっぽくなり、攻撃的になることで危険となる。」

Principle 6: The opposite of stupidity is not intelligence, it’s rationality. The psychologist Keith Stanovich defines rationality as the capacity to make decisions that help people achieve their objectives. People in the grip of the populist mind-set tend to be contemptuous of experience, prudence and expertise, helpful components of rationality. It turns out that this can make some populists willing to believe anything — conspiracy theories, folk tales and internet legends; that vaccines are harmful to children. They don’t live within a structured body of thought but within a rave party chaos of prejudices.
原則6:愚かさの反対は知性ではなく、合理性である。心理学者キース・スタノヴィッチは、合理性を、人々が目的を達成するのに役立つ意思決定を行う能力と定義している。ポピュリスト的な思考に囚われた人々は、経験、慎重さ、専門知識といった合理性の有益な要素を軽蔑する傾向がある。このため、一部のポピュリストは、陰謀論、民話、インターネット上の伝説、ワクチンが子供に有害だといったものなど、何でも信じてしまう傾向がある。彼らは構造化された思考体系の中で生きているのではなく、偏見に満ちたレイブパーティーの混沌の中で生きているのだ。

As time has gone by, I’ve developed more and more sympathy for the goals the populists are trying to achieve. America’s leadership class has spent the last few generations excluding, ignoring, rejecting and insulting a large swath of this country. It’s terrible to be assaulted in this way. It’s worse when you finally seize power and start assaulting yourself — and everyone around you. In fact, it’s stupid.(New York Times columnist David Brooks)(nyt・2025/01/30)結び:時が経つにつれ、ポピュリストたちが達成しようとしている目標への共感がますます深まりました。アメリカの指導者層はここ数世代、この国の広範な層を排除し、無視し、拒絶し、侮辱してきました。このように攻撃されるのはひどいことです。ついに権力を掌握し、自分自身、そして周りの人々を攻撃し始めると、さらにひどいことになります。実際、それは愚かなことです。(ニューヨーク・タイムズ紙コラムニスト、デビッド・ブルクス)(nyt・2025/01/30)

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ハーバードvsトランプ政権、対立激化──認可取消と提訴の応酬                                                  <ハーバード大から留学生が消えるかもしれないというニュースに、全米だけでなく日本、そして世界が衝撃を受けている>
トランプ米政権は5月22日、米ハーバード大学に対し留学生受け入れ機関としての認可を取り消すと発表。新規に留学生を受け入れることはできず、現在在籍している学生は他校に転学しなければ在留資格を失うことになるという。
パレスチナを支持する活動や多様性・公平性・包摂性(DEI)の排除をトランプが求めたのに対し、ハーバード大学が公然と拒否したことで対立が深まっていた。これまでに約30億ドルの補助金や契約を凍結。さらにトランプは、非課税の優遇措置を取り消すとSNSに投稿している。/国土安全保障省(DHS)によれば、今回の決定は同大が暴力や反ユダヤ主義を助長し中国共産党と協力しているのが理由だという。「ハーバード大学は政府の要求に応える機会が幾度もあったにもかかわらず、それを拒否した」
ハーバード大学は4月、助成金凍結の取り消しを求めトランプ政権を提訴。留学生受け入れ阻止には、連邦地裁が一時差し止めの判断を下した。(NEWSWEEK・2025/05/26)  

(ヘッダー写真は「米ハーバード大学で行われた親パレスチナ派の集会(2023年10月14日撮影)。(c)Joseph Prezioso/AFP

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砂上の楼閣じゃなく、塵山の狂楽園か

<あのころ>空襲の焼け跡で食事 戦争末期の東京 1945(昭和20)年5月27日、空襲で焦土と化した東京の青空の下で座り込んで食事するのは家族だろうか。前年11月からの半年間、米爆撃機B29による東京への空襲は100回以上続き、市街地の半分以上が焼失。下町を襲った3月10日の大空襲は、わずか2時間半で32万発の焼夷弾を投下し街を火の海にした。(共同通信・2021/05/2)

 ヘッダー写真は八十年前の都心の焼け野原の跡地で食事をし話題に花を咲かせている風景と見受けられました。戦時の中の平時(日常)と言えるでしょうか。恐らく、この劣島のいたるところで「戦時の中の平時」が認められたことだと思う。生活のあらゆる局面が「戦時一色」に塗り込められるということは、いかにもありそうですが、そうではないでしょう。人間の生活が戦争一色に塗りつぶされたとしても、どこかにきっと「平時」がある、必ずあるからぼくたちは自分を失わないでいられるのです。そして、この戦時下の「女子会」は、いまもなお日々闘いに襲われている戦時中の「ガザ」や「ウクライナ」においてもきっとみられるに違いありません。人間の持つ健気さでしょうか。「おはよう」「お休み」という挨拶をかわす、そんな日常に戦争は襲いかかかるが、人間性の「平時」は奪われないのだ。

 人間のいのちを粉々にしているのは狂気に支配された政治家・権力者たちです。平和を口にして、和平を仄(ほの)めかしてはミサイルや焼夷弾を民衆の頭上に落とすことにいささかの躊躇(ためらい)も感じていない。喜びさえ覚えているかもしれない。何のための殺戮かというなら、それは他でもない「我が闘争(Mein Kampf)」という語るに落ちた決論でしかないのです。我が名誉、我が地位、我が権力、そんなもののために、無辜の人間のいのちを粉砕しているという政治、それが権力者の平時でしょう。ぼくは、毎日のように、過去と現在の「戦時の中の平時」を活写した写真を一瞬であっても凝視することを続けています。「戦争と平和」は我が心の「在りよう」だと思うからです。

 戦争請負人(戦争という生命殺戮を弄ぶ人間たち)がいるとするなら、和平請負人(平和を弄ぶものたち)も必ずいる。時には、ひょっとして、これらは同じ人間どもではないかと疑いたくなることもあるのです。「戦争と平和」という「マッチとポンプ」です。自作自演あり、見せ掛けの和平あり。それは人間の仮面を被る「人間もどき」というべきでしょうか。八十年前の劣島戦時の一光景は、八十年後の他国の戦時の一場面にそっくり重なります。集まり参じて、人は変われど、その根底にある「人間性」はいささかも変わらない。人を助けもすれば、人命を捻りつぶしもする。同じ人間です。ぼくたちの中にはいつだって「戦争と平和」は共存・競争しているのだから。

 どんな写真でもいいから、「平時の戦時」「戦時の平時」を訴えてくる、そんな写真を毎日の紙面のどこかにに乗せてくださることを、各地各紙にお願いしたい。

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 翻って、当たり前の「平時」に浮かれている劣島の現在はどうでしょう。ぼくは行くことはありませんが、時々、ただ今開催中の「関西・大阪万博」の様子をネットなどで見ています。どうしていま、「いのち輝く未来社会」なんでしょうかと、何とも間の抜けた政治ショウに呆れもし、驚嘆もしています。しばしば「砂上の楼閣」などと危ない・脆(もろ)いことのたとえにつかわれますが、この「夢洲(塵の山)」はどうでしょうか。「塵(じん)上の狂楽園」、あるいは「ユスリカの舞う水辺の城郭」とでも言えばいいでしょうか。何億円もかけたトイレの半分が使えないという。一斉に使用すると水圧が低下しすぎて排水が流れないのだそう。日々、毎時、メタンガスや硫化水素が噴出中(これは非常時などではなく、日常茶飯事なんですね)、だから消防車はつねに巡回している危険地帯。よくぞこんなところで、人間を集めて金をふんだくることを企んだものです。こんな政治家こそ、ユスリカ(強請か)、鷺(サギ)か。これこそがこの国の現実です。そしてこれが平時だとするなら、戦時なんかは少しも怖くないでしょう。毎日が平時の中の戦時を、庶民は経験させられているのですから。

〇 メタン【methane】 の解説 = メタン系炭化水素で最も簡単なもの。無色・無臭の可燃性の気体。天然ガス・石油分解ガスなどに多量に含まれ、炭坑内にも発生して爆発の原因となる。沼地・湿地などからも有機物が腐敗・発酵したときに発生し、沼気とよばれる。水素や他の炭化水素と混ぜ、都市ガスなどの燃料として用いる。化学式CH4(デジタル大辞泉)

【明窓】イベント立国の万博風景 漫画家で文筆家のヤマザキマリさんが、ある対談で語っていた。「欧米人が日本に来て驚くのはイベントの多さ。一年中何かやっているから」と。宗教色は何処(どこ)へやら。祭りも神楽もハロウィーンも今では訪日客誘致の追い風だ。/先週、大阪・関西万博に行った。前回1970年万博の「太陽の塔」のような巨神的シンボルがない代わりに、パビリオンを囲む木造世界最大の大屋根リングには文明が交差する「城塞都市」の雰囲気があり、多国籍バザー風の楽しさがある。
 ただ「並ばない万博」とは名ばかりで炎天下、入場ゲートは早朝から大混雑。ネット予約はすぐ埋まり、行列に耐えて1日5、6カ所巡れれば良い方だ。公式マップは使い物にならず、食事場所にも一苦労。大屋根の日陰が唯一の避難所だった。
 空飛ぶ車やアンドロイドが登場する「いのち輝く未来社会」にはたどり着けなかったが、各国の建築や映像展示は素晴らしかった。ゲームやアニメがけん引し、ものづくり立国からイベント立国に変貌しつつある日本。その飾らない日本の「現在」は案外楽しい。
 汗だくで一生懸命案内してくれる日本人、外国人スタッフのおもてなし精神にも好感が持てた。これから夏にかけ熱中症対策など心備えが必要となるが、また行きたいかと問われれば、答えはイエス。国策の「クールジャパン」を体感しに、今度は涼しい夕方にでも行ってみようか。(裕)(山陰中央新報デジタル・2025/05/27)(右写真:多くの人でにぎわう大阪・関西万博会場の大屋根リング=22日午後、大阪市此花区の夢洲)

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