「折々のことば」(左囲み)、少し古いものですが、五年ほど前の樋口恵子さんの発言を引用しておきます。樋口さんは1932年5月生まれという。「九十を超えて、なお矍鑠(かくしゃく)(年をとっても丈夫で元気の様子)として活躍されています」、という言い方は適切ではないという気もします。それはともなく、お元気で、「老い」をしなやかに、否、しとやかに、それも否、しぶとく受け止めて、世の趨勢に向けて、反転攻勢の勢いで活動されていると見受けます。
(ヘッダー写真「婦人之友社『老いとは何かを伝えたい』新福尚武著:https://www.fujinnotomo.co.jp/book/senior/b6508/ )
もう何年前になるか、樋口恵子さんにお会いしたことがありました。都内のホテルの「利き酒会」だったか、友人に誘われて出向いた。友人と樋口さんは親しい仲。友人はぼくを「〇□さんです」と紹介してくれた。と、すかさず樋口さんは「お名前は存じ上げておりました。いろいろと学ばせていただいております。これからもよろしく」とスラっと言われた。ぼくはもちろん初対面。樋口さんが知るはずもない貧書生だったから、半ば仰天したことでした。会が終わってから、友人曰く「樋口さんは、どなたに対してもいつもああなのよ。凄いでしょ」と。ぼくは呆気(あっけ)にとられてしまいました。「しぶとい人」という強烈な印象を持った。「生き方の流儀」として、ぼくは、文字通り粛然としましたね。かれこれ二十年も前になるでしょうか。だとすれば、樋口さんは70台前半だったことになります。年譜を見ると、ちょうど70歳で都知事候補になっておられる(結果は大敗。相手は石原某だったか)ぼくとはちょうど一回り年齢差があることになります。
もう一度は、彼女は東京家政大学に勤めておられたが、同大学に所用があって、偶然にお会いしたことがあった。たったそれだけのすれ違いでしたが、八面六臂の活躍ぶりをみていて、彼女の貪欲な興味や関心の払い方には肝をつぶしたといってもいい。細かいことは省きますが、「人生百年時代」と名付けられたのは彼女だと、ご自身も言われています。なんだか有言実行の趣があって、ほとほと感心するのです。八十数歳で家を新築(改築?)されたと聞いた。もっと快適に暮らそう、だって。
樋口さんの「生き方」「老い方」に学びましょう、学びたいというのではない。そう簡単に他人の「生き方」「老い方」が学べるはずもない。それぞれが自分流に生きる(老いる)ほかないのが現実です。いろいろな方々の「老人の記」を読んでいますし、どれもが参考になるといえばいえます。でも、それを自分のものに移し替えることはまずできないと考えた方がいい。いろいろな条件や事情がそろって「今の自分」「老いてゆく私」がある・いるからで、どこまで行っても自分流に生き、自分流に老いるほかないと言えます。あくまでも他人の「老い」は参考(鏡だったり、他山の石だったり)にするだけであって、自分の老いを少しでも、自他ともに快適に(自他ともに、できだけ不満を待たないで)、そうするための「老齢・自由自在」のようなものではないですかね。
昨日の「有明抄」に、なかなか得難い・なり難い「老いのかたち」が出ていました。寝たきりの高齢女性に「今、健康だと思いますか?」と尋ねたら、返ってきた答えは「元気だよ」だった。「こんなに健康なの、私くらいだよね」とも。コラム氏は「老いとは、見た目では分からないものなのかもしれない」と書かれているが、「老い」に対する偏見が「他者の老い」を見えなくさせているのに、研究者もコラム氏も、つまり多くの人は気が付かないのですね。100歳の人に「今日は何月何日ですか?」と訊いて、「ここ(新聞)に書いてあるから、これを見れば何日かわかるんだ」と返した。固定観念(偏見)の眼鏡で「老い」を睥睨し、「認知症」を呪う、そんな図式が手に取るように見える。いやだな。
何月何日何曜日がわからないから「認知症」なんですか、とぼくは逆に聞きたい。知る必要があれば、誰だって知るでしょう。という具合に考えると、物を忘れるというのは、はっきりとした「理由」があるはず、にもかかわらず、ぼくたちは(自分は認知症じゃないと自己判断して)、その「理由」が解せないのだ。それを「認知症」というのですかと、ぼくは医者と喧嘩したことがある。十年ほど前、血圧がかなり高かったので、近所のクリニックにかかったことがある。いろいろとデータ(数値)を見て、その医者は「あなたはきっと、八十を過ぎると『認知症』になります」と断言してくれた。その見立てを聞いて、ぼくは即座にクリニックを出た。二度と行かなくなりました。まるで中学校の教師が「Yよ、お前は英数国がとんでもなくできない。このままでは将来、碌な者にはならへんで」と言われたようなもの。癪にさわったが、中(あた)らずとも遠からずとも思った。医者の場合は、えげつなかった。「あなたはきっと死ぬでしょう」と名診断したような特異顔をしていた。阿保かいな。つまり、医者そのものが「認知症」を弄んでいたのだ。コラム氏も書いている、ある大学の研究チームが「認知症」が死因のトップになったという報告したと。「死因トップ」とはどういうことなのか、ぼくには理解できません。(このコラム氏には、以前にも電話で注文(不明朗なところを指摘した)みたいなことを伝えたたことがある。今回はしないつもり)
日付がわからなかったり、人の名前が思い出せない、だから「死ぬのですか」と問いただしたいですね。もしそうなら、犬猫はぜーんぶ「認知症じゃん」と。認知症を正確に規定することは不可能でしょう。個々人の誤差というか「病気の幅」が広すぎたり、まちまちでありすぎますから。なんだか、猫も杓子も「認知症」にしてしまうような、反対にいうなら、医者たち(彼や彼女)は「認知症」に弄ばされていると、ぼくは見なしている。「有明抄」に築地正子(ついじまさこ)さんの短歌(啖呵)が出ています「のび盛り生意気盛り花盛り 老い盛りぞと言はせたきもの」 築地さんは東京生まれでしたが、ご両親の事情で、心ならずも熊本に移り、そこで生涯を閉じられた方(1920~2006)。「ひとり、そこに立つ(屹立する)」という、毅然とした姿勢を通した方だったと思う。ここ(彼女の作品)にも凛とした、しかし老いの辛さが見えるような、そんな一人の「人生の春夏秋冬」が描かれているように思われます。
「紫の花咲かせずばその草の名を知らずしてこの世過ぎけむ」 (築地正子)「生まれる・生きる・死ぬ」というのは、そういうことではありませんか、それがまっとうなんじゃないですかと、歌人は訴えているような趣があると、ぼくには思われます。(もちろん、彼女は、そう思って生きたかどうか、別の問題です)
【有明抄】老いのかたち 人の心は不思議なものである。寝たきりの90代の女性に、研究者が枕元で質問した。「今、健康だと思いますか?」。答えは「元気だよ」。起き上がることもできず、状態がいいようには見えないのに。「こんなに健康なの、私くらいだよね」◆老いとは、見た目では分からないものなのかもしれない。別のとき、100歳の男性に尋ねた。「今日は何月何日ですか?」。答えが出てこない。それでも毎日読んでいる新聞を指さし、「ここに書いてあるから、これを見れば何日かわかるんだ」。日にちが覚えられないくらい何でもない、と◆認知症の話題を記事にする際、つい「患者」と書いてしまうことがある。精巧にできた体の不具合が「病気」なら、それも間違いではなかろう。ただ、本人がそう感じていない、老いの「状態」のひとつにも思えてくる◆慶応大などの研究で日本人の死因は2015~21年、脳卒中を上回って認知症が最多になった。社会全体で向き合わねばならない時代である。「患者」として医療や介護だけに問題を押しつければ、地域で生きる「隣人」としての姿を見失う◆〈のび盛り生意気盛り花盛り 老い盛りぞと言はせたきもの〉築地正子。いかに老いるかは人それぞれ。誰もが生涯現役でいられるわけでもない。それでもいいと肩の荷を軽くして人生を楽しめたらいい。(桑)(佐賀新聞・2024/04/06)
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「徒然に日乗」(708~714)
〇2025/04/06(日) 朝から曇り空。午後には一雨来そうだとの予報。▶お昼頃に京都に電話。兄がでた。彼とは十数年前に京都に帰ったときに会って以来。その時も友人が京都市議選に出ていて、その応援演説を頼まれたための帰郷で、ゆっくり話す時間もなく、別れた。二番目の姉が亡くなる直前、姉の病状などを話して、会っておくことを勧めていたが、昨年の12月、入院中だった姉と面会し、話すことができたと言っていた。兄は、ぼくより7歳年上だから、今年の誕生日(10月10日だと、初めて聞いた)で、八十八歳になる。健康であってほしい。時々は電話するよと、そして再会を約束して終わる。▶米国の相互関税発動の第一段階が始まる。10%分、さらに残りは9日に予定されている。日米の株価の下落は驚愕の範囲であり、この先も恐ろしいことになるのではと杞憂される。日米ともに、4万円(ドル)をはるかに下回って、猶、底値が見えないのだ。予断が許さない状況が続くだろう(714)
〇2025/04/05(土) 数日前から右目が不調だ。恐らく、昔風に言えば「ものもらい」だろうか。睡眠がどうしても不足しがちなうえに、パソコンに向かう時間がかなり長いので、目を酷使しているのは間違いない。少し腫れもあるが、さらに悪化する気配があるとは見えないと、自己診断をしている。もうすこし睡眠時間を確保して、目を注意して使いたい。さらに悪くなるようなら、医者に行かねばならないかもしれない。▶猫缶購入のためにあすみが丘へ。同じ缶詰を長く与えている。そのためか、あるいは缶詰以外の食餌(ドライフードなど)を与えすぎなのか、缶詰に空きが来ているように見える。あるいは、缶詰ではない食餌を要しすべきか、少し検討を要する。▶久しぶりに天気が好転し、日照時間も長かった。気分的もすっきりする。来週の前半にはまた天気が崩れると予想されている。▶裏庭に植えた「一本のサクラ」が満開である。恐らく「山桜」かと思うが、もう少していねいに見ないと間違えてしまう。最近、これも品種は未確認だが、一本の「枝垂(しだれ)桜」を植えた。まだ、苗の段階だが、少しばかり蕾が開きそうである。十分に成長した姿を見ることができるだろうか。(713)
〇2025/04/04(金) 何日ぶりかで好天となった。気温も上がり、寒さは和らいだ。しかし予報によれば、また寒さが戻ってくるという。▶お昼頃だったか、元同僚のT氏から電話。昨年、当地で歓談した折、本年も、さらに友人を交えて会いたいものだと話していたように、できれば4月中に、我々二人とIさんKさんを加え、茂原あたりで一席設けようではないかとなり、連絡等をTさんにお願いすることになった。▶米大統領の積年の「執念」となっていた高関税賦課を世界各国にという方針が本朝に公表された。まず各国に10%、次に、それぞれに追加関税をと。日本は計24%という。それを受けて本日の各国マーケットは、ほとんどが大暴落。日本もおよそ1000円近く値下げ。ダウも同じように1680ドル近く下げた。この先どう展開するか。「世界貿易戦争」と言われるが、それぞれに打つ手があるのかどうか。日本では「対抗関税」策を出せるとは思えないが。この先の展開を見るほかない。「トランプ米大統領が大規模な関税措置を打ち出した後であれば、企業にとっては不確実性が下がるはずだった。だが実際には逆の効果をもたらし、リセッション(景気後退)のリスクも高めたとエコノミストはみている。/ブルームバーグが2、3両日に実施した調査では、エコノミスト54人のうち約76%は、広範にわたる関税賦課が企業の意思決定にとって貿易政策を巡る不確実性を高めると回答。また、今後12カ月の米リセッションリスクが高まると約92%が答えた」(Bloomberg・2025年4月4日)(712)
〇2025/04/03(木) このところ雨続きもあって、ゴミ出しを控えていた。しかしそれにも限界があって、けさ6時半に集積所に持っていく。この十年余、いつも朝6時半前後にゴミ出しをしている。この間、近所(と言っても7、8軒ほどしかない)の人に出会ったことがない。ごくたまに朝のジョギングに精を出しているTさんぐらいのものか。週3も要らないが、1~2度は必ず。マメに出すことを心掛けている。そして月1の「ビン・カン類」(主としてペットボトルと猫缶)は決してサボれない。あまりにも量が多すぎるので、一回も抜かせないのだ。ペットボトルはよく行くスーパーでも受け入れてはいるが、アルミ缶以外はまず無理。理由は不明ながら、猫缶は受け入れ不能なのだ。ごみ集積場の手前の家の庭に大きな空木の木が育っている。道路際にある。今朝見たら、木全体がかなり白っぽくなって、今にも可憐な花が咲きそうな気配があった。▶午後8時前に京都の姪から電話。昨日送っておいたものが届いたとの由。(711)
〇2025/04/02(水) お昼前に買い物。昨夜からの雨が続く。強く弱く、長時間降り続いている。▶京都の姪(亡くなった姉の子)に香奠を送る。本来なら仏前に額ずいて「お線香」を立てたいのだが、当方も年寄、兄弟は皆八十を超えている。葬式を省いたような「お見送り」を姪たちがしたのだ。暖かくなったら出向きたいもの。▶夕方4時ころまでには雨も上がったようだが、気温は低いまま。予報は明日も雨と出ている。低気圧が関東地方南岸に居座っている状態が続くか。山梨・河口湖辺りにも積雪があったよう。(710)
〇2025/04/01(火) 終日雨、南岸低気圧の仕業だということで、関東地方でも降雪があった。気温の高低差が激しい。サクラ開花も、時を措かずたちまちに満開になったが、この降雨で今期の桜は終わったか。拙宅の裏庭の桜が見事に咲いている。何種類かあるので、時間ずらしながら楽しめそうだ。冬に逆戻りのような気配。終日自宅にとどまる。(709)
〇2025/03/31(月) お昼頃に買い物で茂原まで。やや雨模様の一日だった。▶午後一時ころに、京都の姪から電話。ぼくにとっては二番目の姉(姪の母親)が、二日前(今月29日)に亡くなったとの連絡。密葬などは終えたので、お葬式はしないとのことだった。八十四歳。昨秋には、年明けまでは無理のようだと聞いていたが、余命を保って、ここまで来たのだと考えると、いろいろな想い(思い)が重なる。▶民放テレビ局の週刊誌報道から始まった「N醜聞」に、第三者委員会報告書が出され、担当弁護士の記者会見があった。その触り部分を見ただけだったが、あまりにも出鱈目なテレビ会社の人権(希薄)意識に目を(耳を)覆いたくなったほど。即刻、監督官庁は、この会社に対して「放送免許」取り消しをすべきだと思う。「公共の福祉に資する」企業ではありないと断定できるからだ。(708)
*(老いる側の、当事者の「老い」に処する姿勢や覚悟も大事なのは言うまでもありません。それと同じように、重要なのは、「老い」の身近にいる人の付き合い方・接し方・口の利き方・手の出し方の質が問われるんですね。そんなことも細々と、ぼそぼそと呟いてみたい。ぼく自身が当事者なんです、「老いる人間」であると同時に「老い」のごく身近にいる人間でもありますから。妻85歳、夫80歳)
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