
【余録】米国で黒人差別に抗議する「公民権運動」の母と呼ばれたのがローザ・パークスだ。1955年に公営バスで白人に席を譲るように指示されたが動かず、逮捕された▲それより早い大戦中、米陸軍のバスで運転手の指示を拒否し、軍法会議にかけられた黒人少尉がいた。無罪判決を受けて除隊後にドジャース入りし、黒人初の大リーガーになったジャッキー・ロビンソンである▲3月に国防総省のホームページからジャッキーの写真やプロフィルが突然、姿を消して論議を呼んだ。ミスという釈明で復活したものの、軍の学校図書館からも伝記排除の動きが伝えられる▲DEI(多様性、公平性、包摂性)見直しに動くトランプ政権の意向が背景にあるという。きょう15日に変化はあるのか。デビューの日にちなみ、大リーグ選手たちが永久欠番の42をつける「ジャッキー・ロビンソン・デー」である▲昨年のワールドシリーズ優勝を記念した大谷翔平選手らドジャース一行のホワイトハウス訪問をめぐっても議論が起きた。ジャッキー以来の伝統でDEIを信条とする球団。記念日を前にしたトランプ氏表敬を批判する論調もあった▲「白人の坊やが上げた金切り声を一生忘れることはない」。72年の死の直前、自伝に記した。差別意識が強かった南部の街での試合。「すごいぞ、ジャッキー」という叫び声に緊張した雰囲気がやわらぎ、「勝った」と思った。その後も長く積み上げられてきた反差別の歴史である。簡単に揺らぐことはあるまい。(毎日新聞・2025/04/15)(ヘッダー写真:1956年の日米野球で来日したブルックリン・ドジャース(当時)のジャッキー・ロビンソン選手=東京都文京区の後楽園球場で1956年10月、東京本社写真部員撮影)
◎ ジャッキー・ ロビンソン(Jackie Robinson)1919.1.31 – 1972.10.24= 米国の野球選手。ジョージア州生まれ。本名 John Roosvelt Robinson。南カリフォルニア大学中退後、1946年ブルックリン・ドジャースに入団し、’47年一軍入り、アメリカ大リーグ初の黒人選手となる。’49年ナショナル・リーグ首位打者、最高殊勲選手となり、’56年現役引退。’62年黒人選手初の野球殿堂入りを果たす。’56ドジャースとともに来日。陸上競技選手のマシューは兄。(20世紀西洋人名事典)


◎ “リー”ローザ・ルイーズ・マコーリー・パークス(Rosa “Lee” Louise McCauley Parks, 1913年2月4日 – 2005年10月24日)は、アメリカ合衆国の公民権運動活動家。/1955年にアラバマ州モンゴメリーで公営バスの運転手の命令に背いて白人に席を譲るのを拒み[1]、ジム・クロウ法違反の容疑で逮捕されて著名となる。これを契機にモンゴメリー・バス・ボイコット事件が勃発。アフリカ系アメリカ人(黒人)による公民権運動の嚆矢となったことで、ローザは米国史における文化的アイコンと見なされ、米国連邦議会から「公民権運動の母」と呼ばれた。人権擁護運動の共有財産(共有遺産)として、その行動は国際的に高く評価されている。(以下略)(Wikipedia)
野球の技術が卓越していたという前に、ひとりの人間としての「尊厳」(当たり前に認められるべき「人間性の自覚」といっていい)を自らの内に秘めていたという点で、ロビンソンさんには人間の卓越性が認められるのではないでしょうか。人種や性別、家柄や宗教的心情はそれぞれの固有性を互いに認められて初めて、各個人は社会のなかで併存しうるのです。DEI(多様性・diversity:公平性・equity:包摂性・inclusion)を根底から否定する権力が、この時代にアメリカに存在するということ自体、社会倫理というか、道徳的価値そのものが、一直線に向上するものではないということを明らかに示しています。アメリカの現大統領は人種差別・性差別の意義を公言(広言)して憚(はばか)りません。少なくとも、アメリカ社会のかなりの割合が現大統領を支持しているという事実は、今なお根強く「偏見や差別」がアメリカ社会に厳存していることを示しているでしょう。

(上左写真:ドジャースの選手らとホワイトハウスを訪れ、トランプ米大統領と握手する大谷翔平選手(左)=2025年4月7日、AP)

少年時代、ぼくは一端(いっぱし)の野球少年でした。日本のプロ野球に引き寄せられたのは言うまでもありませんが、アメリカ野球の選手たちの何人もが、いわば大スターとして「異星人」の如く思われていた時代だった。その当時、ヤンキースがやたらに強く、やがて「くたばれヤンキース」という映画まで出来たほど。大リーグチームが何度か来日し、観光気分であったかもしれない遠征だったが、桁違いのスケールで日本のチームを圧倒したのを覚えています。まるでラグビースコアのような試合の連続。もう七十年も前のことになります。

以来、幾星霜。日本人選手が注目の的である時代が来るとは考えられもしませんでしたが、それでもなお、人種差別が続いていないかどうか。時々、アメリカのスポーツニュースを、現地報道で見ていて、きわめてやわな(一選手に依存した)「日本人選手ブーム」を感じてしまうのです。しばしば、アメリカは「人種の坩堝(るつぼ)(a melting pot of races)」と評されてきた。その意味は「移民によって成り立つ国」であり、「多民族・多人種」の国だということです。その多様性を真っ向から否定する政権が登場したのですから、ぼくにとっては驚天動地の出来事でした。ジャッキー・ロビンソン氏のことはかすかながら記憶している。「黒人第一号」のメジャーリーガーだったことは言うまでもありません。野球のセンスにおいても名選手の域にあったという事実。そして何よりも信念の人だったということです。
(下写真:ワシントン記念塔広場からリンカーン記念堂に至る一帯を埋める「仕事と自由を求める大行進」参加者に向かって手を振るキング牧師(1963年08月28日) 【AFP時事】)


アメリカ社会が人種差別や性差別に驚くほどほど「寛容」であったというのは、国の成り立ちから来ているのであり、それは歴史の事実です。あらゆる領域で、まず黒人蔑視・差別が法的にも罷り通っていた。今なおその明白な痕跡を残しているところがみられます。Black Lives Matter.の渦潮が巻き起こったのは、その今日的証明でした。差別は黒人に向けられたものだけではないのは言うまでもありません。「公民権法」獲得までに払われた犠牲は、アメリカの暗い歴史として忘れられないものです。「余録」氏は「その後も長く積み上げられてきた反差別の歴史である。簡単に揺らぐことはあるまい」と書く。

そうでしょうか。今も揺らぎに揺らいでいるのではないですか。いつだって「(人種・民族の)公平・平等」は風前の灯火と言ったらどうでしょうか。有り体に言うなら、「白人以外はアメリカ非国民」と言わぬばかりの「政権」が大手を振っている。その政権を、アメリカ国民の過半数が支持しているのです。「アメリカから移民を排除したら、何が残るのか」と言いたいけれど、そんなことお構いなしに、白人中心主義(white supremacy・white centrism)が傍若無人の振る舞いを見せている。もちろん、アメリカだけの問題でないのは言うまでもありません。極東の小島にだって、いわれのない差別や抑圧・暴力は存在しています。加えて、近年の外国籍の人々に対するヘイト主義の横行も。それを見るにつけて、「差別の無限連鎖」を考えてしまいます。差別と被差別の構造とまではいわないにしても、それに近い状況で生じている民族・人種差別、性差別などなど、枚挙にいとまがないのはなぜか。
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◎トミー・スミス(米国)=19秒83 メキシコ五輪200メートル表彰式。手袋をはめた手を挙げて米国内での人種差別に抗議するトミー・スミス(中央)とジョン・カルロス(右)。スミスは200メートルで金メダルを、カルロスは銅メダルを獲得した(1968年10月17日) 【AFP=時事】
*五輪の表彰台でこぶしを突き上げた黒人金メダリスト 半世紀を経て、BLMを語る 1968年のメキシコ五輪。陸上男子200mの表彰式に、2人の米黒人選手が臨んだ。/金のトミー・スミスと銅のジョン・カーロスが、台に上がった。靴は、はいていなかった。黒い靴下は、貧困を表していた。黒い手袋は、ブラックパワーと差別からの解放を意味していた。/そして、2人とも(訳注=米国歌が演奏され、国旗が揚がると、下を向いて)こぶしを突き上げた。/無言の抗議。「それは、自由を求める叫びだった」と76歳になったスミスは顧みる。/2人の陸上競技人生はその後、(訳注=米オリンピック委員会の処分などで)事実上閉ざされた。しかし、こぶしを突き上げる姿は、最も象徴的な歴史の一場面としてスポーツ史に残った。(以下略)・Globe・更新日:2022.11.29 公開日:2020.08.14)(https://globe.asahi.com/article/13628958)(この問題に関しては、どこかで触れています)
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