「あすはわが身」ではなく、…

 ただ今午前4時半。室温は26.3℃、湿度76%。不快指数=76.5、体感:やや暑い。〈不快指数 DI (Tは乾球気温℃、Hは湿度%)(DI=0.81T+0.01H×(0.99T−14.3)+46.3) 

 各地で熱中症警戒アラートが鳴り響いているようです。(ヘッダー写真は熱中症アラートではなく、本物の「ミサイル発射(爆撃)アラート」です、イスラエルとイランの戦争の行く先はどうなるのか)たくさんの人がいろいろな症状で救急搬送、不幸にして亡くなられる方も後を絶ちません。コメ不足だ、米価高騰だと大騒動している、その傍らで、まさに「災害」そのものともいうべき「猛暑」「酷暑」「炎暑」「厳暑」「灼熱」…、いかなる形容をもってしても表しきれない「熱地獄」「煉獄」の苦しみに、この地球上は襲われているようです。気候温暖化どこ吹く風、とひたすら化石燃料を燃やし続け、緑の球体を炎の上のフライパンの如くに熱し尽くし焼き尽くし、そのフライパンの中に閉じ込められて森羅万象は、まるで生き地獄に放り出されているが如くでしょう。そのような炎暑盛んなる時節に、殊もあろうに地球の火薬庫視されてきた中東で、二重三重の戦闘が重ねられている。

 ぼくの感覚では、すでに「世界戦争」(第三次(大惨事)になるのかしら)の火ぶたは切られている。 表向きは中東諸国・諸勢力の戦いのように見えて、その実はまさしく代理戦争の趣きを示しています。安易に帰趨を語るべきではないのは当然だとして、定見も見識も持たないときの権力者の今の今の巡り合わせの不運・不作をぼくは深く嘆息するものです。(今の今、この時にぼくはあの悪夢の「ニューヨーク中心街のビル爆破」(「同時多発テロ」という)(9.11)をはっきりと視野・視覚に入れています。。ボンクラ為政者たちは何を考えているのだろうか)

・いろいろなこと気がかりに水無月往く(無骨)

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 京都市で熱中症が急増、今週に入り60人超を搬送 6月史上初の2日連続36℃超え 高気圧に覆われてよく晴れた19日、京都市中京区で最高気温36・1度を観測し、2日連続で猛暑日となった。高温となった今月16日以降、京都市内は熱中症搬送者数が急増し、今週だけで60人以上が搬送されている。日差しの強い屋外だけでなく、屋内での搬送も相次いでいる。/気象庁によると、午後5時までの最高気温は京都市中京区で36・1度で、18日の36・5度に続いて猛暑日となった。京都市で6月に2日連続で36度を超えたのは観測史上初めて。京田辺市35・3度、福知山市34・5度など、各地で厳しい暑さとなった。(以下略)(京都新聞・2025/06/19)(左写真も:「強い日差しの中、日傘を差して行き交う観光客たち(2025年6月19日午後2時1分、京都市東山区・清水坂)=撮影・山本健太)

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【射程】認知症を支える 2月に熊本空港から乗った羽田便の隣席は、いつも通販CMで「しゃちょ~う」と値引きをせがまれている「夢グループ」の社長だった。❖前夜の「夢コンサート」に出演した所属歌手、橋幸夫さんの姿も。元気そうに見えたが、アルツハイマー型認知症の発症を先月公表した。認知機能の衰えは近くにいる人でないと気付きづらい。社長はかねて病状を心配していたと明かし、82歳の歌手活動を支えると約束した。❖認知症特有の行動症状に「徘徊[はいかい]」がある。元気に歩けていると見過ごされがちだ。警察庁によると、2024年に認知症の行方不明者は約1万8千人、発見時に死亡が確認されたのは491人に上った。高齢社会の深刻な課題と言えよう。❖警察庁は今回、死者発見時の詳細を初めて公表した。約8割が最後に姿を確認された場所から5キロ圏内で見つかった。その場所は▽河川・河川敷▽用水路・側溝▽山林-の順に多かった。おぼれたり、転落したりしやすい場所を重点的に捜し、不明者の保護につなげてほしい。❖命を守るには速やかな通報が欠かせないが、1人暮らしだと難しい。行方不明に気付けず、通報が遅れてしまう。本人や家族が認知症だと知らないケースもありそうだ。❖認知症の「見守り力」強化を急ぎたい。スマートフォンなどを使えば衛星利用測位システム(GPS)で位置情報を取得できる。熊本県内の自治体では、あらかじめ認知症の人の服などにQRコードのシールを貼っておき、発見と連絡を促す試みも広がっている。積極的に活用すればリスクを減らせるに違いない。❖人口減が加速しても、認知症は増え続けると推計されている。不慮の死を減らすには高齢者を見守り、認知症を早めに察知し、行動をサポートするしかないだろう。家族ら周囲の負担は重いけれど、あすはわが身と考えたい。(田口貴一朗)(熊本日日新聞・2025/06/19)

 本日の午前中、ぼくは免許更新のための講習と認知機能検査を受験することになっている。「今日は何年何月何日何曜日か」、知ってるかと訊かれることになっている。たくさんの絵を見せられて、トマトだ、機関銃だ、スカートだ孔雀だと答えさせられる。決して個人の脳力・能力を尊重するための試験(検査)などではなく、高齢者から免許証を取り上げるための儀式となっているように思われます。好き好んで事故を起こすものはいないだろうし、可能ならば、運転などは卒業したい、そんな高齢者は山ほどいるでしょう。ぼくもその一人。何せ、半世紀以上も車と付き合ってきたのですから、いい加減で車とは縁を切りたいと願うけれど、生活と環境がそれを許さないなら、必要最低限度の運転は避けるわけにはいかないのです。

 その昔は「老人性痴呆症」呼んでいたが、あまりにも尊大な呼称ではないかと、ある時期から「認知症」と呼び変りました。どちらにしても、認知能力の毀損や障害(障礙)の程度が問われるようになった。コラム「射程」には高名な歌手の認知症発症の事例が書かれています。82歳だから、どうこうというのではありません。何かと差し障りがあっても、大事(おおごと)でない限り、ご当人の意向を最大限に尊重すべきだとは思うけれど、殊はそれほど簡単ではないのだから、油断大敵ということなのかもしれません。

 繰り返し放言しているように、ぼくがこの「駄文殴り書き」を始めた最大の理由は「記憶力減退」の、確かな自己認識のためだったと、今でも考えています。3と5を足せばいくらになる、そんなことを知らないなら、「人間止めますか」と誰が言うのかと思う。要するに、高齢者時代を迎えたけれど、個々の「高齢模様(ぶり)」には科学も医学も社会学もなす術もなく、ほとんど手を拱(こまね)いているのが現実ではないかと思うばかりです。コラム氏は「徘徊」を書かれておられるが、ぼくなどは「俳諧」ととなり合わせだと愚考している。現住地でも有線放送で「だれされさんの行方が分からなくなった」と報じることがごくたまにあります。以前に住んでいたところでは頻繁に「防災無線」が安否確認の報知をしていました。田舎と都会地の違いかどうか、その回数は驚くほどの差がある・あったように感じている。

 「人口減が加速しても、認知症は増え続けると推計されている。不慮の死を減らすには高齢者を見守り、認知症を早めに察知し、行動をサポートするしかないだろう。家族ら周囲の負担は重いけれど、あすはわが身と考えたい」コラム氏の実感でしょうか。まだお若い方かもしれませんね。ぼくなどは「明日は我が身」どころか、「今日も我が身」と思えばこそ、ろくでもない「駄文」「雑文」を書き殴るのです。でも、広く見渡して、つくづく感じるのは、この時代、この世界、いたるところで認知機能が壊れかかっている、壊れている、そんな人たちは、年齢性別に関係なしに増産されていると思うばかり。その原因は何処にあるのでしょうか。都会と田舎では、「認知症発症」の差は歴然としているとぼくは感じているのですから、そこにも何かヒントがありそうではないでしょう。

 余計なことですが、誰が見ても「人倫に悖る」ことをしでかし、それを苦にされて、あろうことか事案の一方の関係者の一人が「自死」されたという問題を抱えた一人の元政治家(現弁護士)、ご当人は「それを否定しているような肯定しているような」塩梅で、驚くべき不誠実を隠さないのですが、その女性がある政党から国会議員選挙に立候補しようとして、非難の集中砲火を浴びたという件(醜聞)が過般にありました。国会議員とは、そんなにひどい人間、驚くべき頽廃の徒がなるものなのだろうかと思ったとたん、彼女を持ち上げた連中も含めて「認知機能が壊れている」、そう思いたくなった。世界の指導者を任じている連中には、かかる手合いが多すぎるというのは、世は「認知毀損」の酷さ比べのようではありませんか。「今日は我が身」と自覚すればこそ、他者への尊敬心は失くないと希(こいねが)っている。人命を殺戮する・して、いかなる痛痒も感じられない人間が大手を振る世界、そんな世界に、身の丈に応じて「抗う」のもまた、老骨の大事な奉公なんだな。

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G2の馴れ合い?盾と矛の覇権争い?

【夕歩道】「今年の十大リスク」という年初の外電記事を思い出した。米国の著名な国際政治学者イアン・ブレマー氏らが毎年発表しているもので、2025年の第1のリスクは「Gゼロの国際社会」だと。
 サミットは50年前、日米欧6カ国で始まり、翌年からカナダも入ってG7に。その後、ロシアを迎えて一時G8となったが、14年の一方的なクリミア併合を許さず、ロシアを除外して再びG7に。
 「G6+1」と心配された第1次トランプ政権期を経て、返り咲きの今回は初日で早退に及び、G7としての首脳宣言も首脳声明もなし。なるほど「Gゼロ」か。ほくそ笑んでいるのは誰だろう。(中日新聞・2025/06/18)

 「G7」という互いに「脛に傷もつ」諸国会議は、何ら得るところなく終わった。いや成果はあった、「G7」は無用のお飾り(張り子)だという現実を自他に明らかにしたから。アメリカ第一を標榜するのは「自分を再び偉大に」と狼煙を上げ続けているT大統領ご本人。「イスラエルvsイラン戦争」の行方を左右するのは自分だけだと自らの政治力を誇示。実はこの戦争「表向き当事国」、実際には米・露の代理戦争の顛末は誰でも知っている。つまるところ、世界は「無法者G2」が取り仕切っていると錯覚しているのだ。その「自分はG1」と自認しているそれぞれが、自分こそが「第一だ」と自惚れなのか、錯乱なのか、世界のすべてを尻目に「世界の富(領地)」の山分けを狙っているのだが、その実、「自分こそ一番」という、歴史的錯誤を膨らませているのが実態だろう。大も小もなく、世界がこんなに複雑に絡み合い、互いが身動き取れない関係を結んでいる現在、はたして「覇権主義」を貫徹しても成算はあるのだろうか。一難去ってまた一難だな。

 国威を発揚するという「原始自己主義」は、何時までも残るだろうが、それだけで世界諸国は動くとは考えられない。一国覇権主義は成り立つはずもないけれど、集団的覇権主義もなおさら見込みはないと知るべきだろう。国家という怪奇な存在が世界各地を徘徊しだしてどれくらいの時間が流れたか。そして今、国家は「幻想」であり、「虚構」だというリアリズムがはっきりと芽生えてきたのだ。国という、ひたすら図体のデカさだけを他に誇示するような「見せ掛け」国家主義はもはや通用しないのが現実。剥き出しの自己顕示だけで、何事かが動くなどということはあり得ないのだ。一時の「強権」は、遂には終わりのない「混沌」に突き進むほかないのだと知らねばなるまい。歴史を知り、歴史から学べば、誰だって(どの国だって)謙虚にならなければならないんだがな。

 世界の各地で噴火が起こり、それに煽られて新たな火種が燃え出そうとしている、そんな不穏な情勢にあって、ほんの数日間、どこかで集まって「宴会」をしながら「世界平和」を語るなどという呑気さがたまらなく愚かに思われる。まるで、問題山積の学校の「級長会」みたいなもので、任期終了となれば、お次と交代。その程度のものなら、お気業な会議などない方がましだし、要らぬ気遣いをしなくて済むから、ぼくたちも気は楽だ。死に物狂いの「戦争終結」活動も、終わってみれば、またぞろ「あの戦争が懐かしい」という馬鹿さが首をもたげてくる、それが政治家になりたがる連中の「国家は自分」だと錯誤する大きな理由のひとつだ。「朕は国家なり(L’État, c’est moi.)」という認知機能崩壊の政治家が多すぎる。ある種の人々にとって、「国家は獲物」であると同時に「それは魔物なんだ」ということ。(ぼくは、年来久しくの「アナーキー」です)

社説:G7サミット 米頼みで空洞化、直視を
国際社会が築き上げてきた秩序に背を向けるトランプ米大統領の身勝手さが、目に余る。
開幕した先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、2期目に入って初めて出席したトランプ氏が、初日で切り上げて帰国した。
サミット2日目は、イスラエルとイランとの交戦で緊迫化する中東情勢が優先課題だっただけに、議論を避けたと見られても仕方あるまい。トランプ氏は停戦への働きかけより、先制攻撃をしたイスラエルを支える言動が際立つ。ウクライナのゼレンスキー大統領との首脳会談も見送りになった。
日米首脳会談は開かれたが、関税交渉で合意に至らなかった。
深まる米国との溝を踏まえ、議長国のカナダはG7の共通目標を示す「首脳宣言」は見送り、個別課題ごとに共同声明を作る方針という。G7を先導してきた大国のトップ不在では、事実上、会議自体が空洞化するに等しい。
発足から半世紀を迎えたG7サミットは、世界の分断を象徴する事態に向き合わねばならない。(以下略)(京都新聞・2025/06/18)

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碧い空極暑の雲は朝も輝る

 ただ今、午前五時半。室温27.1℃、湿度76%。不快指数=77.8、体感:やや暑い。

 つい先ほど、月に一度のビン・カン類の収集日のために空き缶とペットボトル類を収集用の袋に入れて、収集場に持って行ったところ。この十年余、真面目に「ごみ出し」作業をこなしてきました。この先も、何とか、自分たちの出した「塵(ごみ)」は自分たちで始末できるように続けたいと願っている。以前は、スーパーなどの回収箱に持って行っていたが、今は、近所の庭先に収集場を設けてもらったのを利用している。生ごみも週三回、拙宅は1~2回ですが、これもまめに処理してきました。大きなものは直接「処分場」に持ち込んだことも何度もある。家庭から出るごみの処分の始末がどれ程大変なことか、知人が体験学習のためにやっていたのを見ていたから、よく分かるつもり。回収する側に立って、ゴミを出すことを心掛けているのです。

 細かい雨が降っているようでしたが、湿気はむんむんで、本日も猛暑日、いや酷暑日の予感がします。今時から35℃を軽く超えているのですから、この先、どんなエゲツナイ暑さが襲うのか、かなり怖気づいています。老齢だからと、身を案じているのではなく、それ以上にようやく育ち始めた「早苗(稲穂)」の行く先が心配で心配で。この数年来、これからの猛暑でもっとも危惧されているのが「カメムシ」による被害。(右写真・イネカメムシ成虫)

 「千葉県の水稲栽培で問題となる斑点米カメムシ類のなかで、最近はイネカメムシの発生数が増加傾向にあります。県内での本種の生息は古くから確認されていましたが、平成30年以降、従来の優占種であったアカスジカスミカメやクモヘリカメムシなどを上回る発生が認められています。本種の発生が目立つ地域は限定されていますが、これらの地域においては年によって多発生し、減収の原因となります。/本種は他の斑点米カメムシ類と生態や加害様式が異なるため、従来の斑点米対策からの変更を検討する必要があります」「アカスジカスミカメやアカヒゲホソミドリカスミカメなどのカスミカメムシ類は、基本的には水田内では増殖せず、主にイネ科雑草上で越冬した成虫が水田周辺の雑草地で増殖し、水田に侵入して稲穂を加害します。『雑草派』カメムシともいえるこの特徴により、広大な雑草地の近隣に位置する水田において被害が多くなります。(以下略)」(千葉県「イネカメムシの生態と防除」:https://www.pref.chiba.lg.jp/ninaite/network/field-r5/sui-2023-06.html#:~:text

 よく散歩をしていた時期、田植え後の草刈りが盛んに見られたものでしたが、要するに、カメムシ退治の第一歩としての除草だったことがわかります。カメムシの被害は多いところでは収穫減は2割や3割ではとどまらないと言われます。時節柄、本年産米が不作だったら、いったい「主食」はどうなるのか。この数週間のうちに矢継ぎ早に、鳴り物入りで放出されてきたため、およそ100万トン近くあった「備蓄米」が底をつきそうです。新米が収穫されるまでにはまだ数か月ある。この間のでたらめ農政のツケが、猛暑の進捗と同時に襲ってくると、その惨状は目も当てられないことになります。まずは、カメムシの発生防御の奏功を祈るや切です。(左写真・基部斑点米の被害の発生した玄米)

【天風録】コメの出来を占う おにぎりが今、外国人観光客にも人気という。おいしい米と多彩な具材の組み合わせ。私たちはいつから食べてきたか。きょうはおにぎりの日。38年前、能登半島にある弥生時代の竪穴住居跡で「日本最古のおにぎり」が出土し、地元が制定した▲炭化した米の塊はほぼ三角形で片手に収まる。ちまきのように包んで蒸したらしい。神様への供え物とみられる。来年もたくさん収穫できますように―。祈りを込めたおにぎりのようだ▲豊作か不作か。今ではコメの作況指数が、1反当たりの収穫量見通しを分かりやすく示す。過去30年の傾向と比べ、はじき出す手法。約70年続けてきたこの指数を廃止するという▲猛暑など気候変動の影響で、最近は実態とのずれが目立つ。「平年並み」とした2024年産の指数に対し、農家は「実感と違う」。業者も「量が足りない」と。ずれが米騒動の一因という批判もあり、小泉進次郎農相を統計見直しへと動かしたか▲統計は国家の基本―と重要性を説く政府。だが農相は統計を見直して、「農業政策の新たな基盤を確立したい」。もちろんおにぎりではなく、AIなどを使い、収穫量を予想する。コメ価格安定の願いは届くか。(中國新聞・2025/06/18)

【産経抄】夏の味覚は待ち遠しいが 明治・大正期の詩人、山村暮鳥に『西瓜(すいか)の詩』という一編がある。畑で取れたスイカを家族として遇し、しまいには<みんな/あつまれ/あつまれ/西瓜をまんなかにして/そのまはりに/さあ、合掌しろ>。丸々太った実を真っ二つ。▼スイカは初秋の季語だから、詩人が詠んだのは、もうひと月かふた月後の光景かもしれない。実の熟し具合や甘さは「積算温度」に左右される。開花してから1日の平均気温を足し続け、大玉なら1000~1100度、中玉なら900度前後が収穫の目安だといわれる。▼今年の品質はどうなるだろう。ここ2日ほどは梅雨の晴れ間で、日差しの強さと気温は、月めくりのカレンダーを2枚はがした感がある。真夏日や猛暑日になったところも多い。収穫の目安へと、足し算が一足飛びに積み上がりそうで気にかかる。▼すでに気温が体温を上回った場所もあり、6月中旬とは思えぬ危険な暑さになっている。体を慣らす間もなく、蒸すような外気に当てられた人は多いのではないか。熱中症による医療機関への搬送も増えている。異変を感じる前に、手を打ちたい。▼スイカの前で手を合わせ、よく詰まった実に包丁を入れる季節は確かに待ち遠しい。さりとて夏の味覚は健康な体があってこそ楽しめる。厳しい暑さが列島の上から去るまでは、気温と湿度には要注意だろう。熱中症警戒アラートにも耳をそばだてた方がよさそうである。▼都々逸いわく<色で身を売る西瓜でさえも/中にゃ苦労(黒)のタネがある>。温室育ちのスイカには、猛暑の前倒しは冷や汗どころか大汗ものの苦労かもしれない。いや、産地の農園は抜かりなく温度管理をしていよう。こちらの心配が余計なお世話であればいい。(産経新聞・2025/06/18)(右下写真も。「大型の日よけが設置された万博会場」=16日午後、大阪市此花区)(南雲都撮影)

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 昔から果物類は大好物でしたが、近年はあまり口にしなくなりました。何よりも「糖度」が高くなりすぎたと感じるからです。甘すぎるんですね、ぼく自身の「甘さ」によく似ている。柑橘類でもブドウやイチゴ類でも、ぼくには甘くてとても食欲をそそらない。メロンやスイカにしても同様で、時々高価のものを無理して買ってみるが、甘すぎて気分も胃袋も楽しまないんですね。何でもかんでも甘くなっているのが近年の傾向なのでしょうか。酸っぱいとか、辛いとか、「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」「うま味」を五つの基本味というらしいが、塩分が多いとか、糖分を摂りすぎるとか、専門家たちがいろいろなことを話していますから、さて、どうしたものかと迷うほかないでしょう。

 味覚はどなたにも備わっていると考えられますが、果たしてどうなのか。人それぞれに味の好みが違いますから、一定の数値をすべてに当てはめるのは考え物。それでもなお、果物類は、総じて「甘すぎる」という感想をぼくは持っている。自分に合った「味覚」の品物を適宜に摂取するためにはどうすればいいのか。「産経抄」の記事内容に合わせてか、猛暑の独壇場となりそうな大阪万博会場の写真が出ていました。海中埋め立て「塵の島」で開催されている万博。30℃を越えたら「閉鎖」などをしないのでしょうか。まるで、好き好んで「火炙(あぶ)り」に遭いに行くようなもの。焼き殺されたい人がそんなにたくさんいるとは思われませんが、よく分かりません。今もなお、メタンガスは噴出中ではないのでしょうか。レジオネラ菌充満の海水ショウで、中毒になりたい人もまた、そんなにたさんいるとは知りませんでした。

 欠陥や危険だらけの万博。それでもなお強硬開催を続行する主催者たちは何をたくらんでいるのでしょうか。IR(カジノ)竣工貫徹が言われますが、ぼくにはそれだけではないような気がします。もっと恐ろしい、人体実験をこそたくらんでいるのだ、と。どこまで虚仮にしても大丈夫かと、人民の忍耐力・寛容さを試し、この後の悪政の材料にでもしようという魂胆か。悪逆な人民統治の周到な実験を強行しているのではないでしょうか。

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 表題句(「碧い空極暑の雲は朝も輝る(あおいそらごくしょのくもはあさもてる)」)は日野草城氏(1901~1956)作。早くに「ホトトギス」に拠ったが、一面において、あまりにも過激すぎて虚子より除名される。加えて、大方の俳人の囂々(ごうごう)たる非難を享けました。その後は独自の句境を開いた感があります。連作「ミヤコホテル」で大いに物議を醸した人としても名がありました。その十句を以下に。昭和九年(「俳句研究」4月号)の春宵一夜のことでした。これをとやかく言うほど、ぼくは野暮ではないつもり。俳句にあるまじき所業と宣ったのは虚子先生だったか、あるいは久保田万太郎氏や中村草田男氏だったか。いずれも、誤読されたんではないでしょうかね。なにを勘違いされたのかしら。犀星は草城を表面から応援した人だった。この程度の「写実?」で、「ホトトギス」から除名だ、出て行けというのは。犀星さん曰く「俳句は老人文学にあらず」という非難にさえも背を向けたことになりませんか。要するに「趣味」の問題なんですよ。もちろん、連作は「フィクション」だとされます。「ノンフィクション」であっても一向にかまわんじゃないか。「趣味」の問題、好き嫌いで判断するべきなんですよ。

 ミヤコホテル
・けふよりの妻と泊(とま)るや宵の春
・春の宵なほをとめなる妻と居り
・枕辺の春の灯は妻が消しぬ
・をみなとはかかるものかも春の闇
・薔薇匂ふはじめての夜のしらみつつ
・妻の額に春の曙はやかりき
・うららかな朝の焼麵麭(トースト)はづかしく
・湯あがりの素顔(すがほ)したしも春の昼
・朝食後に再戦か。昼の湯上り。すっぴん。
・永き日や相触れし手は触れしまま
・うしなひしものをおもへり花ぐもり

● 日野 草城(ヒノ ソウジョウ)=大正・昭和期の俳人 生年明治34(1901)年7月18日 没年昭和31(1956)年1月29日
出生地東京市下谷区山下町(現・東京都台東区) 本名日野 克修 学歴〔年〕京都帝大法律学科〔大正13年〕卒 主な受賞名〔年〕大阪府知事賞(第1回・文芸)〔昭和24年〕 経歴大正7年「ホトトギス」雑詠に入選し、9年「京鹿子」を創刊。13年「ホトトギス」の課題句選者となり、昭和2年「草城句集 花氷」を刊行し、4年「ホトトギス」同人となる。7年頃から台頭した新興俳句運動を指導し、10年「旗艦」を創刊。連作俳句、無季俳句を主張したため「ホトトギス」を除名される。15年の京大俳句事件で「旗艦」を廃刊し、俳壇を去るが、戦後復帰して21年「春」を刊行。24年「青玄」を主宰し、また第1回大阪府知事賞を受賞する。29年朝日俳壇選者となり、30年「ホトトギス」同人に復帰。他の句集に「青芝」「昨日の花」「人生の午後」などがある。(20世紀日本人名事典)

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老害とは、これ如何に?

【日報抄】先日の本紙にこんな見出しが。「働き続けるシニア 『老害』化防ぐには」。同僚の間でも、ひとしきり話題になった。皆、そう呼ばれることを恐れているらしい▼過去の実績をかさに着て威圧的な態度を取る、時代錯誤の言動で若手の取り組みを阻害する-。特定の顔が思い浮かぶ方もいるだろうか。組織や家庭の中でこんな場面になると「老害」扱いされることがある。先達をさげすむような嫌な言葉だが、現役世代にすれば迷惑この上ない▼本人はよかれと思っているようだから始末が悪い。聞き流そうにも「お前のためを思って言っているのに」などと、かえって言動に拍車がかかることさえある。自由な発想を妨げ、一種のハラスメントにもなりかねない▼冒頭で掲げた見出しの記事によると、相手への敬意の有無が「老害」化するかどうかの分かれ道という。求められた以上に助言しようとして、余計なことを口走る失敗例も紹介していた▼一方、高齢者がいわれのない非難を浴びることもある。レジで支払いに時間がかかる人を揶(や)揄(ゆ)するような行為は「いじめ」と言っていい。心身の衰えが引き起こす問題は迷惑行為とは明らかに異なる。人生の先輩への敬意を欠いてはなるまい▼何かをする時、高齢だからと遠慮する必要などはない。周囲に迷惑をかけないよう心がけるのは、どの年代でも共通のマナーだ。誰もが年を取る。誰もが「老害」に陥る恐れがある。だからこそ、他者を思いやる姿勢を忘れたくない。自戒を込めて。(新潟日報・2025/06/17)

(ヘッダー写真は「レタスクラブ」:https://www.lettuceclub.net/news/article/1236174/

 体力・気力の差異は、人それぞれであり、ひとしく「年齢」で区切るのはどうなんでしょう、そんな疑問や不信の念をもって生きてきました。人は誰でも、「偏見」というか「先入観(主)」をもとにして物・事を見がちだと、自らの拙い経験から学んできました。勤めていた職場の「定年(停年)」は長い間「70歳」と決められていた。偶然のきっかけで就職が決まったとき、ぼくは25歳だったから、この職場に停年まで勤めあげるなど、微塵も考えられなかった。その当時、数歳先輩から「これから停年までいるのだから、仲よくしよう」というようなことを言われて、ぼくは驚嘆したことがありました。驚きも交じっていた。果たして四十数年先まで、この職場が残っているか、それ以前に自分のいのちや勤労意欲が持続するか、まことに心許(こころもと)なかった。ぼくは六十くらいで辞めて、別の仕事をしたかったし、その準備なども考えていたが、結局はグズグズしてしまい、停年の一年前にやっと辞めた。これは、ぼくの大きな失策・失敗でした。

 個人の経験だから何ほどのことも言えませんが、何事においても、「人それぞれだなあ(It depends on the person)」という実感だけは強く持たされました。もちろん「老害」という現象を否定するのではありません。自分自身で、ある年齢を境にして「いかにも衰えたな」と感じる時があったからです。物忘れなどは、どなたも経験するでしょうが、同じことを繰り返すという「弊害(an abuse)」は常に気を付けていたことでした。授業の際に、まったく同じことを同じ言葉使いで話すということはなかったでしょうが、「この話は、前にも言ったかもしれないが」と断りを入れて喋るという為体(ていたらく)だった。年間30週、科目数10科目、つまりは計300回の授業を担当していたことになり、それは四十年近くに及びました。もちろん、同じ科目名もあったし、異なる授業でも同じ履修者もいたのですから、同じ話を、前後の脈絡無関係に、喋り散らしていたことがあったかもしれない。(「この老害め」と断じていた履修者もいたかもしれない)

 今では「働き続けるシニア」は、70歳をはるかに超えているでしょう。元気であれば、80歳でも若者と遜色はない人もいよう。職種によっては、いくら逆立ちしても若い人はかなわないという高齢(経験)者もいる。だから、一概に「年寄りだから老害」ということには無理があります。「相手への敬意の有無が『老害』化するかどうかの分かれ道」と指摘されているという。そんなことなら、何も年齢に限らないのであって、これもまた人それぞれだと思う。もちろん、年を重ねると、そんな傾向が強くなることは否定しない。総じて、この社会は「相手に対する尊敬心」を欠いている、著しく欠いていると、ぼくはこの傾向を大いに嘆じています。「袖すり合うも他生の縁(Even chance meetings are the result of karma.)」という気配が消えてゆく社会には空恐ろしさを覚えもする。

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 「レジで支払いに時間がかかる人を揶揄するような行為は『いじめ』と言っていい。心身の衰えが引き起こす問題は迷惑行為とは明らかに異なる。人生の先輩への敬意を欠いてはなるまい」と、コラム氏は指摘される。ぼくはほぼ毎日買い物に行きますから、このような場面によく遭遇する。最近は機械化が進んでいるのでレジの前に立つと、「ボタンを押せ」、「金をいれろ」、「もっとお金をいれよ」、「お釣りは忘れろ」などと、のべつに自動音声が流れてくる。いかにも「客を急(せ)かせる」などという、器械にあるまじき振る舞いに、ぼくはつねに店員に注文を付ける(当然、カスハラ、ローガイと受け取られよう)、その都度「器械の調節をしておかないと」、「もっとゆっくりとした客への対応を器械に言いつけてほしい」などと。どこへ行っても、ぼくは「注文」を付ける。レジの店員さんをイジメることは断じてありません。店の責任者に「注文」「切望」します。

 無人(セルフ)レジが導入されだした際、「どうしてこのシステムを導入したのですか」と、その理由を店員を通して店の担当者に尋ねるのだが、まともに答えてくれない。「万引き」が増えており、店の対策として必要だからというようでしたが、それをはっきりさせないのは、別の魂胆もあったからでしょう。「無人レジ」導入で、以前よりも、これぐらい「万引き事件が減少」したというデータがあるんでしょうかと尋ねた。

 どうしても「万引き」を防ぎたいなら、有人レジをもっと導入すべきであって、こんなことでは「いずれ無人レジは廃止」となるはずだともいいました。予言通り、そのような傾向(有人レジ化)が各所で生じているようです。人件費の節約は当然であっても、客を須(すべか)らく「万引き犯」と疑惑の目で見る(客商売)って何だといいたいのですが、ここまでくると、「完璧な老害」と認定されるでしょうか。(よく万引きジーメンなどという「万引き発見のプロ」がテレビなどで放映される。隠れていて犯人を生み出すのではなく、その場で、万引き行為を防止するように、なぜジーメンは行動しないのか、ぼくにはとても不愉快だし、客商売としては失格だと思うと、いかにも「老害ぶり」ですね)

 生きている限り、「誰もが年を取る。誰もが『老害』に陥る恐れがある。だからこそ、他者を思いやる姿勢を忘れたくない」とコラム氏。改めて「老害」という、この汚い呼び方に嫌悪を催す。元来は「企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実験を握りつづけ、若返りが行われていない状態」(デジタル大辞泉)を言い当てた言葉でしょう。それがいつの間にか、すべからく、だれでも歳をとることが「老害」の素因になり、「老害」という害悪を巻き散らす犯人と見なされるのです。それを別の表現で言い換えるなら「認知症(dementia)」というレッテル貼りの横行です。社会の風潮がそうじゃないですか。ぼくは今週の金曜日に、運転免許証更新のための「高齢者講習」を受講します。とにかく社会全体から「老人は免許返納せよ」と急かされるし、少しの違反でも「嫌がらせの講習の義務付け」を課しているよう。警察庁(国家公安委員会)自体が「老害退治」に乗り出している気がします。交通違反はよくないし、まして「老害種族」による交通事故は大事故になるとされる。多発するブレーキとアクセルの踏み間違いは困りものですが、よくよく考えれば、それは車自体の欠陥(クラッチ版をなくしたことが主因)じゃないんですかと問いたい。また、いい若い者が血相を変えて「老人は集団自殺を」とほざく。こんな不躾な発言の主をして「若害・中害」と、なぜ言わないのか、と八つ当たりしても無意味ですね。

 大会社が左前になったり、市場から退場を余儀なくされるのは、何も「老害」のせいばかりではないでしょう。いくつになっても「引き際」を自覚しない輩は「権力亡者」であって、それをして老人の陥る「症例」などと安易に言ってもらいたくないね。たった一人の「権力亡者」を防げない集団の側にこそ問題があるんじゃないですか。(政治の問題なら、投票する有権者にも相応の欠陥があるということ)誰それの存在を「老害」と蔑む姿勢や態度こそ、社会(集団)の病み具合を示す指標になっていないでしょうか。誰もが、生きている一日一日を初めて経験しているのです。年寄りを侮蔑する気配・雰囲気があること自体、その集団(社会)は病んでいるといえます。もちろん、「老人」自身も、しっかりと「自分は衰えた」という自覚を持っていたいね。(この嫌な風潮の「ハシリ」は、あるいは「シルバーシート」「優先席」なるものを設けたところ辺りにあるとぼくは考えている。「特別扱い」という名の「ある種の排除」に繋がっていたんですから)

 80代の老人が20代の若者と同じように早く走れないのは恥ずかしいことではないと思い知ることこそが、「亀の甲より年の劫」なんだ。(「《「劫」はきわめて長い時間。「甲」と「劫」と音が通じるところからいう》長年の経験が貴重であるということ。亀の甲より年の功」デジタル大辞泉)

 「やがてくる、赤子戻りも年の劫」(無骨)「老害は消え去るのみと老者言い」(無骨)「老害こそ世に憚りたい高齢社会」(無骨)

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 *ただ今の室温29.0℃、湿度80%。不快指数=81.3(体感:暑くて汗が出る)(午前9時)

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無理が通って道理になるものか

 ただ今、午前4時半過ぎ。室温25.8℃、湿度81%。不快指数は79.9 。じっとりとした皮膚感覚が萌しており、とても気持ちが爽やかではない。拙宅にはエアコンは3台あるが、ほとんど使うことはない。かみさんはピアノ練習(防音)室に籠って弾くのが日常・日課ですから、多分、何時だってエアコンは使用しているでしょう。しかし、それ以外はまず使うことはありません。 真夏日などに客が来ることがあれば、湿気を取り「不快指数」を下げるために使用することはありますが、それもめったにない。我が家は大変に安上がりにできているのかどうかわかりませんが、それだけでも環境としては恵まれていると思います。

 今時は、以前ほど頻繁にお目にかかれなくなりました「不快指数」(a temperature-humidity index・THI; a discomfort index・DI)という文字。「体感温度の一。気温・湿度の関係式から求める数字で、人体の感じる不快感の程度の目安とするもの。70以上では一部の人が、75以上では半数以上が、80以上では全員が不快を感じるとされる」(デジタル大辞泉)DI= 0.81T+0.01H×(0.99T−14.3)+46.3 DI=0.81T+0.01H×(0.99T−14.3)+46.3(Tは乾球気温℃、Hは湿度%)

 梅雨入りしたとたん、さまざまな要因で「不快指数」はうなぎのぼりです。物価高騰は一向に収まらないどころか、収まる手立てがどこにありそうなのか、政治や行政はまったく示してくれない。コメ高騰は常態になりそうな気配です。早くも刈り入れの済んだ「新米」は、驚くほどの値が付いたという。「備蓄米放出」という名の「裏技・禁じ手」と見える悪手段を、政治パフォーマンスの表芸にしている政治茶番をマスメディアは大いに浮かれた放送祭りの鉄面皮、庶民は「安かろう 不味かろう」という為体(ていたらく)。「備蓄米」など、まるで「お宝」のごとく行列してようやく手に入るような代物あつかいで追っかけなくても。

 コメはある、あるところにはあるんですね。何度言ってもいいけれど、「備蓄米」は、今回のような放出は、いつどのような理由でどれだけの量を放出したことがあったのか、その記録を見て見たい。その具体例は払底しています。通常は年間、二十万㌧を備蓄用に回し、常時百万㌧(五年分の総計)程度を確保。無事に新米収穫が滞りなく終われば、「備蓄米」は、やおら名前を変えて「餌米(えさまい)」になってきたのです。鶏などの家畜の食糧です。その家畜の糧秣を、本年は人間どもが横取りし、いかにもそれは「政治的決断」だと煽っている向きがあるのだから、世も末とは言いたくなりそうです。この国のお米事情を知るにつけ、いささかの政策や計画もデータがないことに、素人のぼくは腰を抜かします。行き当たりばったり、それが「ノー政」だった。

(*備蓄米とは、その名の通り「緊急時に備えて蓄えておく米」のことです。1994年、主要食糧の受給及び価格の安定に関する法律で条項として定められました。これは1993年に起きた「平成の米騒動」(記録的な冷夏により米の供給が不足した)の経験をふまえたものであり、また豊作時の供給過剰を防ぐ、調整保管の意味合いも込められています。/農林水産省HPにある「こどものそうだん」によると、現在国は100万トン(10年に1度の不作にも備えられる量)を備蓄しているとのこと。またコメ不足が起きなかった場合には、5年の貯蔵が過ぎたコメを主食以外の用途(飼料用など)で販売することになっています。「農業の未来を実現する」;https://www.kaku-ichi.co.jp/media/tips/legal-system/stock-rice

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 昨日の「筆洗」を嫌な気分がさらに嵩(こう)じるのを痛感しながら読んでみました。「三人言いて虎を成す」という。「戦国策」には「三人、市虎を成す」とあります。同じ書に「曽参、人を殺す」ともあります。孔子の弟子で親孝行で名が知られていた曽参(そうしん)が、「人を殺した」と、一人だけではなく三人までもが口の端に乗せた。初めは信じなかった曽参の母は、ついにその噂を真に受けて深く驚愕したとされる。

【筆洗】ある男が王にこんな質問をした。「市場の真ん中にトラがいると言ったら信じますか」。王は「信じない」と答えた▼男は重ねて、「トラがいると2人が言ったらどうですか」。王は「信じない」。「3人ならどうですか」と尋ねると王は「それなら信じるかもしれない」と言った。『韓非子(かんぴし)』にある「三人言いて虎を成す」。市場にトラがいるという真っ赤なウソも広まれば誰もが事実として信じてしまう。教えているのは流言のやっかいさだろう▼東京都議選が始まっている。全国的に注目されるのはその結果が7月の参院選の行方を左右しかねないためで、与野党は国政選並みに力を入れる▼都議選での各党の勢いが気になるところだが、有権者にとって、この選挙は実際はいない「トラ」との一戦でもあるのだろう。SNS上に拡散される偽情報や根拠のない中傷などにどう惑わされずに1票を投じるかという闘いである▼応援する候補が有利になるように、あるいはお金のため、SNSにウソの「トラ」を平気で放つ者がいる。ひとたび広まれば「トラがいる」と言いだす人は3人どころではすまないのがネット時代のウソで、存在しない「トラ」が群れをなし、事実に爪を立て、民主主義の根幹である選挙をねじ曲げてしまう▼情報を正しく見極め、投票していただきたい。参院選を控えた「トラ退治」の前哨戦でもある。(東京新聞・2025/06/15)

 「事実ではないことでも、多くの人が同じことを言えば、やがては信じられるようになることのたとえ」として古来、この故事は重宝されてきたのではなかったか。さすれば、ネット時代・SNS時代の魁(さきがけ)は前漢時代の中国に、すでに盛んだったことがわかります。「三人寄れば文殊の知恵」ならぬ、「嘘つき三人、偽を真に変換する」ということだったでしょう。曰く、政治とは「市場にトラが」という真っ赤な嘘を、繰り返し言い伝えて、遂には「真実みたいなもの」にしてしまう「裏技・裏芸」のことと見られますね。その裏技(禁じ手)が、何時しか「表芸」となり替わることを「為政」というのでしょうか。SNSは「何とかに刃物」の感がしませんか。

 「応援する候補が有利になるように、あるいはお金のため、SNSにウソの『トラ』を平気で放つ者がいる。ひとたび広まれば『トラがいる』と言いだす人は3人どころではすまないのがネット時代のウソで、存在しない『トラ』が群れをなし、事実に爪を立て、民主主義の根幹である選挙をねじ曲げてしまう」(「筆洗」)、それが、残念ながら、世界の現実です。果たして「トラ」の正体は何か。空虚・空無ではないですか。情けないことに、この国や社会(「国(官)」の重力・圧力を押し戻す・撥ね返す働きをするのが「社会(公共)」だと思うが、情けないことに、社会は国に吸収・併呑されている体ですね)の底なしの付和雷同性(主体性喪失)は留まるところを知らないようです。

 「トラがいるぞ」の三人組の悪だくみは、「聚蚊成雷(しゅうぶんせいらい)」ともいう。「ちょっとした悪口でも、たくさんの人が言えば大きな害になりかねないことのたとえ。また、ごく小さなものでも、数多く集まると、大きな力を発揮することのたとえ」(故事成語を知る辞典)コラム氏は極めて陳腐なことを書いて「筆洗」の水を濁し、やおらの「トラ退治」とコラムを結んでいます。それしか言えないのでしょうか、言わないのでしょうか。「情報を正しく見極め、投票していただきたい」だってさ。つまるところ、「情報を正しく見極め」る方法を貴殿はお持ちでしょうか。ぜひともご教示していただきたい。

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「徒然に日乗」(778~784)

〇2025/06/15(日)朝から昼過ぎまで降り続く。いかにも本格的な梅雨の気候だ。終日、そのためもあって自宅に閉じこもり。暇にあかせて、誰それの本を読み、コメ不足(高騰)問題に関する情報をネットの波の中に見る。そのときに、いよいよ激しくなってきていることが痛切に感じられるのは、「フェイクニュース」の満艦飾。いずれ、このままだと、ネット放送はがんじがらめの規制を受けることになるだろうと思う。人権侵害や名誉損行為の花盛りなのだから。ネット時代の隆盛に応じて、いくつかの単語が多用されるようになったが、中でも「誹謗中傷」、「名誉棄損」が飛びぬけているのではないか。SNSが、AIの進展と相まって、まず悪質という観点で槍玉にあげられるに違いない。真偽の判断(区別)はすべからく放置され、いわば「玉石混交」そのままの垂れ流し、と言いたいところだが、何のことはない、ネットに浮遊する8、9割が「偽」なのだから始末に悪い。もはや野放しにはできない状況にあると思うのだ。(784)

〇2025/06/14(土)何とか夜になるまで雨も降らなかったが、7時ころにはそれなりに降雨があった▶終日室内にいたので、暇にあかせてネット番組を見てしまうが、日一日と「フェイク」「誹謗中傷」番組が増加している、特にネット動画では顕著にこのことを実感する。新聞テレビのニュース報道はそれほどでもないだろうが、ネット版の報道などでは、ごく一部を除いて、本当にひどくなっていると思う。もちろん、既存のテレビや新聞の報道が、本来の役割を果たしているとはとても思われないのだ▶物価高騰が一向に収まらない状況下にあって、来るべき参議院議員選挙を前に安易な票稼ぎに奔っていることはあからさま。コメ不足と価格高騰の歴史的経過を伝えるネット番組があったが、それを観ていて実感したのは、時代の変化にいささかも即応しないままで、諸官庁、官僚は自己権益を維持・保持するばかり、政治家は選挙の時の票田の確保・維持に奔っているだけという、そんな事情が透けて見える。つまりは、数十年も続いた、固定したままの政策を護持するばかりなのだ。ここにも「国体護持」が巣食っている。(783)

〇2025/06/13(金)終日晴天。外出はせず、室内に籠りつつ、駄文を書き、読書を続ける。ゆっくりと読んでみたかったのが「宮武骸骨」だったが、積年の宿題が果たせないままで、ここまで来た。今度こそ、ゆっくりと読むつもり。小沢信男氏の「暗き世に爆ぜ 俳句的日常」(みすず書房、2021年刊)を再読する▶「【エルサレム、テヘラン共同】イスラエル、イラン核施設を空爆 軍トップ死亡、報復宣言 イスラエル軍は13日、イラン各地の核関連施設を含む数十カ所の軍事施設を空爆したと発表した。カッツ国防相はイランを先制攻撃したと表明。イランメディアは13日未明に首都テヘランや中部ナタンズなど国内5カ所が攻撃を受けたとし、核開発に重要なナタンズのウラン濃縮施設から黒煙が上がる様子を伝えた。革命防衛隊トップのサラミ司令官や複数の核科学者が攻撃で死亡したとも報じた。イランは報復を宣言。米国は攻撃への関与を否定した」(共同通信・2025/06/13)この当事国の背後、いや前面には米露両国がいるのだから、何をかいわんやだ。すでに、「世界戦争」は始まっているのだ。結局は来るところまで来てしまったのだと思う。どこも何もしないままで放置していたのはなぜだろうか。「宗教」というものが、いかに人間の愚かさの滋養剤・強壮剤にしかならないことを証明しているみたい。(782)

〇2025/06/12(木)本日は快晴だった。朝6時半に「燃えるゴミ」出し。終日、自宅に籠る。庭作業は中断▶「関税ゼロのミニマムアクセス米、前倒し輸入の検討示唆 小泉農相 小泉進次郎農相は6日午後、高騰するコメ価格の抑制のために関税ゼロで輸入するミニマムアクセス(MA)米のうち主食用の輸入時期の前倒しを検討する可能性を示唆した。農林水産省で記者団に『例年9月の入札(時期)をどうするか考える』と述べた」(日経新聞・2025/06/06)と、すでに例年より早く輸入する方策が検討されていた。この問題は、今後の農政(米作)に根底から変化をもたらすかもしれない。この先も減反政策を続行する魂胆なのだろうか。政府備蓄米の放出に加えて供給量を増やす手段に言及し「価格を抑えるにはあらゆる選択肢を考える」姿勢を強調した。6日午前の記者会見ではMA米の活用に加えて緊急輸入にも触れ、聖域なく対策を進めると説いていた。はっきり言うなら「備蓄米は家畜の餌米」だと政府や官僚自身が決めていたものではなかったか。(781)

〇2025/06/11(水)本日も朝から一日を通しての雨降り。激しく降るのではなかったが、間断なく降り続いた。雨足が弱い時を見て、茂原まで買い物。普段より、店内は空いていた。帰路、HCで猫のドライフードを購入。「子猫」はまだいるようで、しかし一匹は姿が見えないのはどうしたことか。買い物に出かけるときに確認したら、車のエンジンルームに入っていた。何度か、拙宅でも「事故」があったので、細心の注意を払っているつもりだが、道路南側の前の家(会社の事務所・営業所らしい)には常時、三、四台の車が駐車しているので、その中に紛れ込んで、事故に遭ったのか。本日は、会社の人は出社していないようだが。(780)

〇2025/06/10(火)待望していたのではありませんが、関東地方も「梅雨入り」で、当地は朝から降雨が続いている。どのくらい続くのか、短いとも報じられているが、九州(鹿児島など)では梅雨入り早々の「豪雨」(線状降水帯)に見舞われている▶二、三日前から、自宅の軒下で子猫を見ている(キジトラ2匹)。昨晩から今朝がたまで、泣き声を聞かなかったが、昼近くかみさんが「二つ居る」と知らせる。昨日も書いたように、隣のIさんのところで、三月ころに生まれたのだろう。最近はあまり子猫を見なくなっていたが、どうなっているのか。(「これは野良ネコであって、うちのものではない」と言っている人だ)彼はていねいに面倒を見ているとは思われない。どうしたものか。子猫なので、車のエンジンルームに入って事故に遭う危険性も心配している。(779)

〇2025/06/09(月)曇り空が終日続き、午後に入って、途中から雨が降って来た。西日本・近畿・東海各地では「梅雨入り」が報じられた。当地でも一両日中には梅雨入りの予報▼本日も午前中から庭仕事。まずは二か所あるモッコウバラの剪定。とても生命色の強い植物で、毎年剪定しているが、あっという間に枝が混み合ってくる。庭には黄色と白の二種類があり、それぞれがよく育っている。さらに夏椿(ヒメシャラ)を、今が開花期だが、今年はまったく開花しないので、これまた思い切り剪定。さらにはプラム(あんず)の古木。まったく実がつかなくなったが、枝葉ばかりが育っているので、これまた深く剪定。次いで、植え込みになっている槙(まき)もと、手を出しかけたが、疲れが酷くなったので、本日は中断。溜まり溜まっている伐採した木や枝葉の焼却を進めた。午後になってもさらに焼却を続ける。途中で弱いながらも雨が振り出してきたので、本日はここまで▶お昼過ぎ、軒下に駐車してある車の近くを子猫が走ったのが見えた。よく見ると二匹。三月ころに生まれたのだろうか。恐らく隣のIさん宅のものか。事故に遭うことなく、家に戻れればいいが、どうなるだろうか。(778)

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梅雨永し読めて書けない漢字多々

◎ 週の初めに愚考する(七拾四)~ 夜来の雨がさらに強くなりだしている、午前5時過ぎ。まさに「梅雨」の面目躍如というべきか。昨日は快晴ではなかったが、何とか夜まで天気はもった。しかし、さすがに「湿度」は高い。連日70%をはるかに超えています。昔から、雨は嫌いではなかった。それは今でも同じ。言い伝えに、「朝雨に傘いらず」と言われますが、本日はどうでしょうか。今年の「梅雨」は短いとも報じられていますから、あるいは、「雨過天晴」となりますかどうか。適度の雨は欲しいが土砂降りや豪雨は御免蒙るというのも、人間の勝手な都合で、自然現象はそうはいかないというのでしょう。でも、その自然現象を大本で左右するのも、いまや心ない「人為」だとするなら、豪雨もまた、天をも畏れぬ人間どもの「無謀」ということになります。

 本日の「日報抄」、面白いですね。「同じ字を雨雨雨と雨で読み」。まるで今時の「古米古古米古古古米」のはしりであり、「なに隠そう古古古古米は餌米の由」のようで、人間たちの為すことは語るに落ちることばかりと言いたくなります。これをして「問うに落ちず語るに落ちる」というらしい。「古古古米は餌米」だと口にして大いに非難された恥ずかしい政治家がいましたが、何を隠そう「餌米(えさまい)」とは行政常用語で、農林官僚のお偉いさんから聞いた話。「備蓄米」と言うけれど、運よく天災(凶作不作)の襲来がなければ、それ(備蓄米)はすべて「餌米」になっていたのだ、と。

 「古米」ではなく「古川柳」です。さすがに川柳作者はただものではないという証明になります。「同じ字を雨雨雨と雨て読み」と置いて、その心は「同じ字をアメ・サメ・ダレとグレて読み」となる。なんという蘊蓄かと、昭和生まれの小生も頭を垂れるばかり。「アメ」「ハルサメ」「サミダレ」ときて、ついには「シグレ」となるのですから、今どきのパソコン(ワード)一辺倒の向きには思いもよらない趣向・洒落ではないでしょうか。「雨」の一字が「千変万化」するのをその漢字そのもので抑えるなど、なかなかの手練であり、事情通ではあります。

 表題句は池田澄子さん(「思ってます」所収、ふらんす堂・2016年刊)毎日毎朝、性懲りもなく駄文雑文を書き殴っていますが、ワードプロセッサーがあればこそ。もし「あの字」「この字」を辞書引き引きなら、とてもじゃないが、三日と持たない「駄文制作」のお粗末だったでしょう。便利を通り越して、愚鈍の坂をまっしぐら、そんな思いを抱きつつの駄文雑文書き殴りなんですね。その自覚はまだあります。

【日報抄】漢字遊びの古川柳がある。〈同じ字を雨雨雨と雨て読み〉。どう読むのか。ヒントは春雨(ハルサメ(・・))、五月雨(サミダ(・)レ(・))、時雨(シグレ(・・))である。いわく、雨という字の異なる読み方をつなげて〈同じ字をアメ・サメ・ダレとグレて読み〉となる▼読みの難しさにグレてしまったという戯(ざ)れ言だろうか。雨は「ウ」とも「アマ」とも読む。その多様さに日本語を学ぶ外国人は戸惑うかもしれないが、語感や言葉が持つ風情は大切にしたい▼時に雨には色も付く。白雨は明るい空から降るにわか雨で、黒雨は空を暗くするほどの大雨を指す。緑雨、翠雨はまぶしい新緑の時季。春の花々に降り注ぐ雨は紅雨と称する▼降る音が心に響くときもある。小林麻美さんが歌う「雨音はショパンの調べ」は松任谷由実さんが詞を付けた。詩人の八木重吉は「雨」と題し〈あのおとのようにそっと世のためにはたらいていこう〉とうたった。コツコツ地道に働く姿が浮かぶ▼嗅覚も刺激する。〈藤の花雨の匂ひの客迎ふ〉と新潟市江南区の北方文化博物館の句碑に刻まれる。俳人でもある角川春樹さんが詠んだ。ちなみに学術的にペトリコールと呼ばれる雨の匂いがある。地面の植物性の油分などが降り始めの雨によって拡散されて生じるという▼雨に降られて日々に潤いと深みが増す。陽の光ばかりでは少し疲れる。今朝の県内は雨空だろうか。梅雨に入り、豪雨災害への備えは怠れない。しっとり。しとしと。その程度に降ってくれたらいいのだが。(新潟日報・2025/06/15)

 「雨過天晴(うかてんせい)」とは鬱陶しくもある長雨の後にはきっと心も晴れる青空が来るという印なのだから、雨もまたよき先ぶれだと。あるいは「雨晨月夕(うしんげっせき)」とも。「朝雨は傘はいらない」の例え通り、夕方には月が出るのだという気象予報でした。「晨」は「朝」です。ただ今6時を過ぎました。「雨、車軸の如し」と降りしきっている。「雨に降られて日々に潤いと深みが増す。陽の光ばかりでは少し疲れる。今朝の県内は雨空だろうか。梅雨に入り、豪雨災害への備えは怠れない。しっとり。しとしと。その程度に降ってくれたらいいのだが」と結ぶコラム氏の心持は、小生のものでもあります。「降れども、ほどほどに」と願うばかりです。

 インドの地で旅客機が離陸直後に墜落、機上及び地上合わせて、270余の命(いのち)が奪われたという。櫂未知子さんの句に「一瞬にしてみな遺品雲の峰」がありました。驚くべき災厄もまた、天上天下に満ち溢れているのです。どなたも、くれぐれもご健勝にて過ごされますように。イスラエルとイランで先端が開かれました。両国の背後には「米・露」が蹲踞(そんきょ)しています。「戦争」「殺戮」を手玉に取っているような、不埒千万の為政者の上にこそ、「雨雨降れ降れ もっと降れ、もっともっともっと降れ」

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