自然が人間のために書いた童話だ

 「五月」は誰にも訪れる、特別の季節の贈り物でした。今は昔、「五月」はまるで生まれたてのように新鮮な空気と青い空と緑の景色を持っていた。だから、誰もが、五月には詩人になるのだ。何気なく暮らす日々に、いかにも変調をきたすような五月がやってきました。間の悪いことですが、本日は「土砂降り」だという予報です。縁起でもないと思いつつ、「卓上四季」(北海道新聞)を読んで、そこに「竹内てるよ」さんが出ていたので、奇妙な邂逅だと、四時起きの目がすっかり覚めた。彼女については、どこかで触れている。その「竹内つながり」で、竹内浩三さんにも触れてみたくなりました。「五月のように」一篇で、竹内さんという存在の性情が分かるような気もしてきました。彼に関しても、どこかで触れていますので、ここには何も書かない。一人は、96歳まで生きた女性であり、もう一人は25歳で、戦地で行方不明(戦死か?)となった男性。二人とも、異常とも思われるほどに、「何のために生きる」を真摯に問い続けた詩人でもありました。

【卓上四季】五月のうた うっすらピンクのサクラの花びらが春風にそよぐ。足を止めて見上げたり、写真に撮ったり。札幌・大通公園ですれ違った人々は柔らかな表情を浮かべていた。きのう北海道は好天にめぐまれた。まさに五月晴れの一日だった▼<五月は/不思議な月だ/そしてなつかしい季節だ/まだ成長のはじめの日に/窓にうつるアカシアの若芽をながめた日から/五月は 人生に深い謎を持つ>▼札幌生まれの詩人、竹内てるよ(1904~2001年)の「五月のうた」。北国に育まれた感性が描く春の賛歌だ。<バタカップの花がすっかり開き/とおい羽虫の羽音や/明るい青空にあるこの世の夢がわかった日にも/五月はいとおしい季節である>。バタカップとはキンポウゲのこと。金色の花が幼い夢を映す▼道東の厚岸で10歳まで過ごし、東京に移る。<まだ幼い日/故里の海は春の濃霧にとざされ/たえまなく汽笛のなる/そんなたそがれがあった>(「春の濃霧」)。はるかな土地にあって、ふるさとの記憶を大切にした▼結核のため、何度も死線をさまよった。貧しさに負けず、身近な生活や自然を見つめて書き続ける▼冒頭の作品の結びを引きたい。<ああ五月/五月はすべてに新しい月だ/誰にも 思い出の一つはある月だ/そうだ 五月は/自然が人間のために書いた一つの童話だ>(北海道新聞・2025/05/02)

◎ 竹内 てるよ(タケウチ テルヨ)= 昭和期の詩人,児童文学者 生年明治37(1904)年12月21日 没年平成13(2001)年2月4日 出生地北海道札幌市 本名竹内 照代 学歴〔年〕日本高女中退 主な受賞名〔年〕文芸汎論詩集賞(第7回)〔昭和15年〕「静かなる愛」経歴・結婚後脊椎カリエスのため婚家を追われて東京へ出る。3年間の婦人記者生活を経て結婚するが、結核のため25歳で離婚。以後、病苦と貧困に耐えながら詩作を続け、主としてアナキズム系の詩誌に発表。その間、神谷暢と協力して、昭和4年渓文社を創設。戦後は人生をテーマにした詩や童話などを執筆した。詩集に「叛く」「静かなる愛」「生命の歌」など。自叙伝「海のオルゴール」はテレビドラマ化された。また自らの数奇な人生を語るビデオ「生きて書く―てるよおばあちゃんの話」がある。平成14年皇后美智子さまが国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会で“子どもを育てている時に読み忘れられない詩”として竹内の詩「頰」を朗読されたことから再び注目を集め、「海のオルゴール」が25年ぶりに復刻された。(20世紀日本人名事典)

五月のように   竹内浩三

なんのために
ともかく 生きている
ともかく

どう生きるべきか
それは どえらい問題だ
それを一生考え 考えぬいてもはじまらん
考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる

こまる前に 次のことばを知ると得とくだ
歓喜して生きよ ヴィヴェ・ジョアイユウ

理屈を言う前に ヴィヴェ・ジョアイユウ
信ずることは めでたい
真を知りたければ信ぜよ
そこに真はいつでもある

弱い人よ
ボクも人一倍弱い
信を忘れ
そしてかなしくなる

信を忘れると
自分が空中にうき上がって
きわめてかなしい
信じよう
わけなしに信じよう
わるいことをすると
自分が一番かなしくなる
だから
誰でもいいことをしたがっている
でも 弱いので
ああ 弱いので
ついつい わるいことをしてしまう
すると たまらない
まったくたまらない

自分がかわいそうになって
えんえんと泣いてみるが
それもうそのような気がして
あゝ 神さん
ひとを信じよう
ひとを愛しよう
そしていいことをうんとしよう

青空のように
五月のように
みんなが
みんなで
愉快に生きよう
(「竹内浩三全作品集 日本が見えない 全1巻」藤原書店)

◎ 竹内浩三 (たけうちこうぞう)= 1921-1945 昭和時代前期の詩人。大正10年5月12日生まれ。日大芸術科にまなぶかたわら,同人誌「伊勢文学」に詩や散文を発表。昭和17年繰り上げ卒業で入隊し,茨城県西筑波の滑空部隊に配属され,20年4月9日フィリピンで消息をたった。25歳。戦後,遺稿をまとめた「愚の旗」「筑波日記」「竹内浩三全集」などが出版された。三重県出身。【格言など】戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/遠い他国で ひよんと死ぬるや/だまつて だれもいないところで/ひよんと死ぬるや(「骨のうたう」)(デジタル版日本人名大辞典+Plus)

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「誰かの仕事」と「誰かの仕業」と

【小社会】誰かの仕事 「世界は誰かの仕事でできている。」。コピーライター梅田悟司さんが10年余り前、世に放ったCMのコピーだ。街歩きをしている時にふと、このフレーズが浮かぶと楽しくなる。あの生け垣はどんな職人が剪定(せんてい)したのだろう。この店のユニークなデザインにはどんな意図があるのか。▷目に映る「誰かの仕事」に熱量を感じ、その技にくぎ付けになる。私たちの生活や豊かさは多くの人の仕事で支えられている。こうした実感が幸せな気分にしてくれる。▷だが、そんな多幸感を一瞬にして萎(な)えさせるのも「誰かの仕事」である。きょうもスマートフォンに大手証券会社や米国企業を装って、フィッシングサイトに誘導しようとする偽メールが届く。▷SNS(交流サイト)をのぞけばフェイク(偽物)とヘイト(憎悪)の言葉があふれている。デジタル空間だけではなく、世界を成立させてきたさまざまな信頼関係が崩壊しようとしている。▷「私たちは他者や自分の外側にあるものを信頼できなければ生きていけない。外界への信頼を失い、自分の口や鼻をふさいでしまえば呼吸すらできない」。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリ氏はこう指摘。「テクノロジーを媒介にした上で、人間同士の信頼を築く方法を考え直す必要がある」と説く。▷生命の基盤が崩壊し、顔の見えない「誰かの仕業」で覆われる世界など誰も想像したくないだろう。私たちの知恵が問われている。(高知新聞・2025/04/29)

 誰だかは知らないけれど、必ずそこには人間の技の痕跡というか、蓄積があるという、そんな仕事(work)でぼくたちの生活文化(ways of life)が成り立っていた時代は長く続きました。「文化(culture)」というのは、多様な色合いがありますけれど、端的に言えば、「自然(界)」への働きかけ・人工活動(art)」だといえます。荒れ地を耕し、いろいろな種(タネ)を播き、水や日光を与えて、収穫(結実)を見る。この一連の働きかけが「文化」とされていたものでした。いわば「耕作」とか「栽培」と言われるものがそれだったし、それこそ第一の文明(「文明」とは「文化」の普遍性が認められるもののこと、一義的には機械化・機器化によってもたらされる)の波」(第一次産業)だった。(この後の、面倒な歴史話は省きます)

 確かに「世界は誰かの仕事」で出来上がってきました。その誰かは、確実に「人間・人間たち」だったと断言できます。つまりは文化生活は自然とともに、自然の中で、人間がささやかな工夫や利用を旨として開発してきたし、環境に見合った生活を生み出してきました。「SNS(交流サイト)をのぞけばフェイク(偽物)とヘイト(憎悪)の言葉があふれている。デジタル空間だけではなく、世界を成立させてきたさまざまな信頼関係が崩壊しようとしている」とはコラム氏の嘆です。ぼくは「(一人の」今日的文明人」であることを、潔くではなく、消極的に拒絶して生きている。だから、ぼくの動き回る世界(Welt・world)は極めて狭いものです。「ここでのお支払いは電子マネーだけです」とか、「当店はキャッシュレス決済です」などという看板があれば、ぼくは端から入店を拒絶します。スマホは「現在生活人」である保障(証拠)のようになっているのが、ぼくには受け入れがたいんですね。そんなものがなくても、っという、一種の恥じらいなんですな。

 今頃になって、「現金」は汚い(もともと汚いし、汚れている)とか、「財布は盗まれたり、落としたりする危険がある」とか、時代に迎合する能書きを垂れる人ばかり。だが、銀行員が「悪事」を働くのは今に限らず、何時でもあったが、スマホを使って「詐欺」を働くのは、いかにも今日流です。コラム氏は、それもまた「誰かの仕事」と言われるが、仕事なんかではなく、「仕業(詐術)」ですよ、それは。仕業(為業)は「しぎょう」「しわざ」と読みます。仕業(しわざ)とは「 したこと。行為。所業。所為。現代語では、多く人にとがめられるような行為についていう。「あいつの—に違いない」(デジタル大辞泉)その「あいつの仕業(しわざ)」の手段は、スマホ(スマートではないフォン)であって、それ一台あれば、誰(無知蒙昧)(愚か者)(幼児園児)だって何かと便利だし、便利を通り越して、悪行・悪辣の格好の手段にもなる。鬼に金棒ではなく、何とかに刃物ですよ。

 「私たちは他者や自分の外側にあるものを信頼できなければ生きていけない。外界への信頼を失い、自分の口や鼻をふさいでしまえば呼吸すらできない』「と、高名な歴史学者(ハラリさん)は解読します。「テクノロジーを媒介にした上で、人間同士の信頼を築く方法を考え直す必要がある」と仰(おお)せですが、さて、できますか。その「仕業」「為業」をどうするかは課題のままで現実の「悪行・悪業」はさらに前進・増大していく。大々的に人を「殺戮」するのも「最大の悪行」の犯罪行為だし、テクノロジーを駆使できる人間(を駆使できるの)が「英雄」「大統領」「独裁者」として持ち上げられる時代。それは間違いなく、人間性の果てしない劣化の暁に見られる、歴史的現実でしょう。まさか、車を使って「人間を轢き殺す輩」はいないだろうという、大々前提で自動車産業は成り立っている。しかし、その産業は別の工場で、同じ技術を駆使して「殺戮」を目的にした兵器を作っている時代でもあります。

 それは何処の国でも同じ。民用は軍用から転じられたものです。この国の「M菱重工」は戦前は一大軍需産業だったし、その歴史は今に途絶えていません。今日あるスマホなどの機器・計器類は、民用目的で開発されてきたのではない。ロケットしかり、ドローンしかり。ぼくは何を言おうとしているのか。いろいろと紆余曲折はあろうが、人間は苦心や苦労を重ねて、ようやく幸福(文明)の絶頂に立ち得たと思った瞬間に、実はそれは滅びの道の入り口だったということだし、それに気が付いたところで、すでに時遅しであることは疑えないのです。人間の愚かさ、個人であれ、集団であれ、その愚かさは完璧だというのは、ぼくがこれまでに生きてきて得た、「悪の真実」のひとつではないかと愚考している。自分もまた、その、愚かな人間のひとりです。(右写真は軍用ドローン)

 愚かしい人間・人間集団にしてなお生き延びる道があるでしょうか。それが切実な問です。あるいは残された「誰かの仕事」の最良のものになるかもしれません。このことについて、ぼくは実に単純に愚考する。「人間の仕事」「人間の手仕事」を再び取り戻すこと。(自分の足で歩き、自分の頭で考えるのが根っこに鳴ければ)時間はかかるだろうし、失敗が続くことは間違いない。それがぼくたちにできる、ひょっとして最良の仕事ではないかとさえ思っている。

 これは驚くほど昔からキリスト教会間に伝わる「フェイク」かもしれませんが、宇宙が現れ、地球が生まれ、生命が誕生して、人間の登場によって驚異的な文明が築かれてきた、その結果、奇妙なことに、地球が滅び人類が破滅し、生命が途絶えた。これが「宇宙史である」と。こんな歴史を何百回何千回と繰り返してきたという。これは本当かどうか、ぼくには分からないが、今の状態では、地球(生命)滅亡は避けられないと思う。今もなお次々に、数多くの生命体(含植物類)が「絶滅種」に数えられているのが、何よりの証拠でしょうね。人間だけが生き残って、さてどうしますか?

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駄目もとで、「まず隗より始めよ」だ。

【地軸】部活動 憧れの中学校教員になった友人。美術部出身なのに初めて任された部活動は、バレーボール部だった。詳しくない競技に戸惑いながらも、生徒のため懸命に向き合う姿が印象に残る。▷「練習試合があるんよ」。土日もなかなか休めず、疲れをため込む様子に心配が募った。多忙な中でどうやって授業の準備をしていたのだろう。応援する一方で、私生活を顧みることができない教員の働き方に違和感を覚えた。▷先日の紙面で、そんな昔の記憶がよみがえった。部活の顧問をするかどうかを選べる環境づくりを目指す教職員組合の設立が、愛媛など28都道府県で相次いでいるという。▷「掛け持ちを強いられた」「押しつけで成り立っていた」。記事には長年の慣習への悩みや憤りがにじんでいた。積極的に関わりたい人へのサポートも含め、持続可能な形で続けるための工夫が不可欠だ。▷長時間労働は教員が心身を病む一因になっているとみられる。国は改善に向けて、公立中の部活をスポーツクラブなどに委託する「地域移行」を進める。ただ指導者や安全の確保といった課題は山積。導入は一朝一夕にはいかない。▷「いい試合だったんよ」。慌ただしい日々でも、部員の活躍を語る友人の口調はうれしそうだった。負担が軽くなったとしても生徒の活動機会が損なわれてしまっては、手放しでは喜べないだろう。誰もが納得できる落としどころを、社会全体で見つける必要がある。(愛媛新聞・2025/04/30)

 学校教育における「部活」は生徒にとっても教師にとっても課題であり続けてきました。看過できない問題で(が)あることはわかっていながら、それを十分に解決することもできない(しない)ままで、何年も問題を抱えながら学校教育は休みなしに続いている。知り合いの何人もの教師が、まったく未経験の「部活」の顧問をやっている(実情は、「やらされている」のだが)のを見聞きするにつけ、何とかならないかという気持ちばかりが膨らむのです。ぼく自身は中・高の教員生活をしたことがないので、部活担任の大変さや責任の持ち方は分からないところがたくさんある。しかし、中途半端な位置づけで、部活の責任ばかりを押し付けられている個々の教師たちの精神状態、過重労働に関しては、現状にはあまりにも不合理な面がありすぎると考えている。これは決して「部活動」に限らないのであって、教員生活のあり方、教員労働の適正な位置づけを関係当事者が十分な受け止め方をしてこなかったからでもあるでしょう。

 何よりも、教員の長時間勤務の実態を放置してきた行政当局の怠慢がある。企業社会では労働時間(もちろん超過勤務も含めて)に関する法的規制(拘束)があって、それに違反すれば処罰の対象になる。まだまだ不十分なままの部分は残されているが、時間外労働に関する勤務条件は法的な裏付けがある。しかし、教員の場合はどうか。長時間勤務は日常茶飯に類していながら、それを労働法の求める補償の対象にしてこなかったのだ。従来から問題にされてきた「サービス残業」的な扱われ方は、今なお教職の世界では厳存している。部活などはその代表格ではないでしょうか。

 教科外活動の一環である「部活」の意義は十分に認めたうえで、その実態はどうかと考えれば、聞くと見るでは大違い、そんな場面ばかりが目につくのではないか。第一、教師の生活(労働)に明確な「公私の区切り」のないことがあるでしょう。9時~5時と、判で押したように勤務が整えらるならまだしも、生徒たちを相手にする仕事であってみれば、単純に時間では切れない活動が求められる。その解決を図るためにも、旧態依然とした「学校の憂鬱」を根底から覆すような改革が物心両面において実行されなければならないのは誰も分っていり。それには紙切れ一枚で事は済ませられない、地域や個々の学校の実態に応じて、問題を抉(えぐ)る作業は欠かせないと思う。どうして教師も子どもも「忙しい」のか、ぼくにはそれが理解できない。忙しくして(させて)いるのではないですかと、減らず口を叩きたくもなる。

 教師にとって何よりも「プライバシー」の確保、それが必要不可欠です。私生活にまで、「学校教育」が波及・侵入しているような状況では、それこそ「自立」した人間性の涵養も話にならないというもの。何にしても「絵に描いた餅」ではなく、私生活を取り戻すことです。週休二日だったものが、いつの間にか旧に服している、その現状を打破するべく、関係者が乗り出す必要性を訴えたい。小学生段階から学校にいる時間が長すぎるという指摘もある。教師も同様で、まるで「コンビニ」のような勤務実態だと揶揄さえされる。それは決して褒められたことではなく、むしろ人権感覚の鈍麻として、恥じるべき事柄だと思う。教師を大切に受け止めないような学校は生徒もぞんざいに扱うことになる、つまりは学校教育自体を大きく毀損しているのだ。そんなヤバい教育の結果、受験に特出した学校が、その成績(結果)において社会的評価を得ているのは、社会そのものの堕落であり、あえて言うなら、恥じ入るべき「人間抑圧」だと、あえてここでも言っておきたい。

 部活問題の根本にも、「学校とは?」「教育とは?」「教師とは?」という問題が等閑に付されてきたという背景があります。いわば、現実の社会への適応だけが過大評価されて、学校全体が歪み切ってしまっているのです。「学力」においても「競争原理」が幅を利かせているし、部活(殊に運動部など)においても、その傾向はいっそう顕著です。相手に勝つための「勉強」など、勉強の内には入らないし、勝利至上主義も、運動(スポーツ)精神の頽廃を齎(もたら)します。これまでは、このような偏った教育観やスポーツ観に突き動かされて、「全体が一丸になって」無理を重ねて来たのではなかったか。その結果が、今日の殺伐とした社会の現実を生んでしまったかと思う。

 問題は「部活」にあったのではなく、それを使って「競争原理」に突き動かされてきた人間の意識の中に「勝ち負け」に拘る価値観が根を張ってしまっていたのです。「まず隗より始めよ」という。「隗(かい)」は、どこにでも存在しているし、自分の隣りにいるのです。いや、自分こそが「隗」であるのですよ。「《中国の戦国時代、郭隗(かくかい)が燕(えん)の昭王に賢者の求め方を問われて、賢者を招きたければ、まず凡庸な私を重く用いよ、そうすれば自分よりすぐれた人物が自然に集まってくる、と答えたという「戦国策」燕策の故事から》大事業をするには、まず身近なことから始めよ。また、物事は言い出した者から始めよということ」(デジタル大辞泉)、そうなんですよ。囲炉裏ろな批判はありますが、「まず隗よりの、買いは私だ」と乗り出してみませんか。ダメモトで、「私は隗です」と。

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 新卒採用試験で、合格者の7割が辞退したという高知県の現実、現場が嫌われている状況をどう変えるか。それもまた「まず隗より始めよ」ではないですか。これは特定の自治体に限らない現実です。方々で教師候補者は逃げ出しているし、現職教師も次々に離脱しています。学校は沈みゆく船のようです。尻尾を巻いて逃げ出すのではなく、留まって踏み出すためにも、「まず隗より始めよ」

 高知県教委 小学校教員採用試験で合格者の7割超が辞退 「高知県教育委員会がことし行った小学校教員の採用試験で、合格にした280人のうち7割を超える204人が辞退したことがわかりました。ほかの自治体と併願する人が多いことが要因の1つで、県教育委員会は2次募集を行う方針です。/高知県教育委員会は130人程度を採用する計画でことし6月に小学校教員の採用試験を行いました。採用試験は県内と大阪府で実施し、547人が受験して平成以降最も多い、280人を合格にしましたが、辞退者が相次ぎ、6日までに7割余りに上る204人が辞退したということです。(↴)

(↺) 県教育委員会によりますと、ほかの自治体と併願する人が多いことが要因の1つで、県外から受験した人は地元を選ぶ傾向にあり、毎年、辞退者が相次いでいるということです。県教育委員会はこうした状況を受けて新たに13人を追加で合格としたほか、来月に2次募集を行い、さらに40人程度を採用することにしています。/また、地元の高知大学に出向いて、教育実習を終えた学生たちに仕事の魅力を発信する場を設けることも検討しているということです。/県教育委員会は、「ここ3年ほど辞退率が7割前後の厳しい状況が続いている。若年教員へのサポートを充実させるなど、人材確保の取り組みを進めたい」と話しています」(NHK・2024/11/07)

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大坂夏の陣、闘いの火蓋は切られた

 大阪・関西万博が始まりました。「いのち輝く未来社会のデザイン」がテーマで、そのコンセプトは「未来社会の実験場」だといいますから、なかなかの「悪い冗談好き」な方々が、どうしても「万博」をこの「夢洲」(浮島ならぬ、沈下島)で開きたかったかがわかります。この万博の後には、いよいよ明日の社会の実験場たる「IRカジノ(博打場)」も待っています。こちらこそが本願でしたね。その限りでいうと、万博オタクたちは、おしなべて「壺振り(ツボフリ)」の気(け)があったんでしょうね。「ばくちで、采 (さい) を入れた壺皿を振って伏せること。また、その役」(デジタル大辞泉)その寺銭(「ばくちなどで、場所の借り賃として、出来高に対する一定の割合で貸元または席主に支払う金。寺。てらぜに」デジタル大辞泉)この際、貸元は誰で、どれくらいの「寺銭」が発生したか。これはすべて、「税金」だとしたら、国民は、賭場に入らなかったのに、「寺銭」や「掛け金」をふんだくられている勘定ですね。怒らないんですか。

 ぼくは万博にはいささかの興味もない。ひたすら、その「コンセプト」が気になって仕方がないから、報道等に耳をそばだてているのです。「空飛ぶ車」だったか、試験飛行でプロペラが破損した。未来社会の実験ですから、そういうことがないようにという警鐘だったのでしょうか。またこの「此花区夢洲」(ぼくは小さいころから、この区のことや四貫島についてはよく知っていた)はそれこそ「メタン・その他の有機化合物(毒)の宝庫」ですから、方々で「爆発」が起ることも予想されています。あくまでも未来社会の実験のためですから、爆発があっても、どうかご了承を、という感じですか。これくらいの生ごみや汚泥に塗(まみ)れた人工島で、たくさんの人々が蝟集している時にメタン爆発が起これば、どれくらいの犠牲者が出るか、そんな実験場ですかね。「きつねうどん(そば)」一杯が3850円というのも、将来の食料自給率の極度の低下によって起こるであろう飢饉の際の実例ですよ、と万博協会。そして、この島、一日も欠かさずに「沈下」しているという、これも実験ですかあ。

 ある報道によると、4月24日、大阪市内の気温予想が20℃だったのに、この「夢洲」は38℃もあった。この日、ひとりの女性が倒れて病院に搬送、そこで亡くなられた。これも緊急搬送の実験だったのですか。(亡くなられた方に向けて、合掌)この事故の隠ぺいを指摘されるまで、報道管制、万博真っ暗協会ですな。昨年3月、トイレ工事中の現場でメタンガス爆発が起こり、当初、万博協会は事故や事態を伏せていましたが、後日、指摘されてから明らかにし、写真を公開(後掲)しました。高濃度のメタンガス発生個所の、十メートルほどの近くにあるトイレが爆発の現場でした。その事故発生もあって、会場内は「全面火気厳禁」という。その規則を知りながら営業しているのが、爆発現場(今もなお、メタンガス等が発生中)の横で並んで営業している「キッチンカー」軍団。営業許可を出した万博協会は、どんな集団ですか。場内は「全面火気厳禁」ですが、「キッチンカーの火器(プロパンガス)」は安全ですと、宣言しているんですよね。とても臭い。

 あらゆる産業廃棄物や汚泥(下水)の処理・埋め立てで作られた島(夢の島)ですから、さまざまな毒性を含む化学物質が発生していますし、海の埋め立て人工島ですから、あらゆる廃棄物が、乾燥することで巻き散らされる「粉塵の宝庫」でもあります。すでに、何度か会場に出向かれた人の中で、ひどく喉をやられた方が何人も居られるといいます。くれぐれもマスクを。

【海潮音】古代中国の杞という国に心配性の人がいた。ある時「天が落ちてくるのでは」と不安に駆られて夜も寝られないほどになった。周囲が説得して事なきを得た。ここから取り越し苦労を意味する「杞人天憂」略して「杞憂(きゆう)」という言葉が生まれたそうだ◆大阪・関西万博が開幕して2週間が過ぎた。関西パビリオンの一区画に出展している鳥取県も砂丘を再現し、中東のヨルダンと「砂同盟」を締結するなど盛り上げに一役買っている◆県だけでなく古代ローマ時代の彫刻「ファルネーゼのアトラス」を展示しているイタリア館など興味深いパビリオンが多数ある。パレスチナ館やウクライナ館など紛争、戦争に苦しむ国や地域を間近に感じることもできる。各国の名物料理もある。取材した記者に話を聞くとおおむね好評だ◆では実際に見に行くかとなると、個人的には二の足を踏んでいる。会場の夢洲(ゆめしま)は軟弱地盤の埋め立て地。中心部へのアクセスは2本の道路や1路線の地下鉄など限定されている。大地震が発生した場合、長期間取り残される可能性がないとはいえない◆南海トラフ巨大地震の発生確率は30年で80%程度。かの杞人は「地が崩れるかも」とも心配したそうだ。万博への懸念を「杞憂」と笑い飛ばしてくれるだろうか。(椎)(日本海新聞・2025/04/28)

(上写真・爆発事故があった建設現場(写真=大阪・関西万博公式HPより))

(上写真・メタンガスが検出されたマンホール。営業中のキッチンカーが近くに並ぶ=夢洲で)(この写真右側にある「トイレ」の工事中に爆発事故が発生(昨年3月)・一枚上の写真参照)(このトイレは、現在、たくさんの人が利用しています)(会場内のいたるところで「メタンガス」は噴出中)この金網囲いの場所は「撮影禁止」だそうですが、広報はされていないで、ある人がしきりに映していると、「撮影禁止です」と忠告。「なぜ?」と尋ねると、「反抗的態度」の不心得者と、本部に連絡されたという。「どうして禁止ですか」とさらに聞かれると「理由は言えません、聞くな」という。「そう言えと命じられているんですか」と質問すると、「こちらかはそれは言えない。でも、まあそいうことです」と警備員氏。万博協会は「インパール作戦本部」のようですね。

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 この先、半年間大過なくやりおおせて、無事に閉幕することができるのを、ぼくは祈るばかり。同じ大阪市内が20℃の時に、この人口の「島」が38℃。大阪市内が30℃超の「真夏日」には「夢洲」は46℃になるという怖さ。史上最悪の酷暑・酷熱の人工島・夢洲、ブラックユーモアですか。「夢洲殺人事件」犯人は万博協会。ついに逮捕者が出た、業務上過失致死傷という、などと「小説」ができますね。熱中症予報が連日出されるとき、それでも、夢洲ばかりは無関係と集客に努めるんでしょうか、万博協会は。あるいは、「不要不急の外出は避けてください」、と大阪も万博協会も連呼するのでしょうか。しないでしょうねえ。

 「大坂 夏の陣」の戦闘開始です。前回(500年も前のこと)は豊臣方が完膚なきまでに徳川に打ち負かされました。「元和元年(1615)夏、徳川方が冬の陣の和議の条件に反して大坂城内堀を埋めたため豊臣方が兵を挙げ、徳川家康らに攻め落とされた戦い。淀君(よどぎみ)秀頼の母子は自害し、豊臣氏は滅亡」(デジタル大辞泉)「令和七年 夏の陣」の帰趨や如何に。主人公は「メタンガス」ですね。登場人物はだれだれですが、単に徳川と豊臣の争いなんかではなく、日本そのものの存亡の危機だということを早く気付いてくれませんか「白黒」をつけるなんて無茶は言わないで、「戦闘中止」しかないでしょう。その後で、「関係者(A級戦犯)」の処分を断行すればいい、まずは何よりも退却というか、「撃ち方やめ―」ですね。そんな中でも島は沈んでいるし、メタン等は発生中です。

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「哲学するとは死の練習」と人は言う

 二日前(4月26日)は「哲学の日」だという。不思議な「記念日」もあるものですね。ソクラテスが死んだ(毒殺された)日と言わないで、「哲学の日」などと誰が名付けたのでしょうか。ソクラテスの親類縁者でしょうか。三十三回忌とか五十回忌とか、それぞれの句切りの年(年忌)に祖先を祀る風儀は何処にもあるでしょうし、この国では法然上人遠忌何百年、あるいは親鸞聖人生誕何百年祭などという気の遠くなるような「忌日祭」がありますから、ギリシア哲学の始祖の忌日を祀るのも悪くはないかもしれません。ここまで古くなると、ぼくにはどうでもいいことですが。ソクラテスが西洋哲学の歴史の中で重んじられてきたのは、哲学問題を、ひとえに人間の倫理の問題に結び付けたという点でした。彼以前の「哲学」者は、ほとんどが自然科学と称されるべき事柄に関心を示し、それを研究していたと言われていました。「人生問題」とは一言で表現するなら「人間とは何者か?」ということでしたね。それはまた、「紙とは何か?}ということと同義だった。思考方法もまた、帰納法という以上に演繹法を深めて行ったのが、彼の「問答法」「対話術」というものでした。

 そのソクラテスについて、ぼくは何も知らないままで生きてきました。もちろん彼の弟子にあたるプラトンが書き残したいくつもの著作を(翻訳で)読んで、なるほどそうかと納得したり感心したことはたくさんあります。でも、それは翻訳者の訳業を通してしか知り得なかったことですから、それはぼくの「知識」ではないことになります。この国における「ソクラテス研究」にも、明治以来の長い歴史がありましたから、ソクラテスに関するすべてを、ぼくは先行する研究者の恩恵を受けて学んだことになります。その中のたった二人を挙げると、田中美智太郎さんと林竹二さん。二人は、思想研究のスタイルはまったく異なりましたが、ぼくは多くの教えを受けたと思っている。

 「無知の知」とは? いろいろな受け取り方ができますが、その根っこには人間の「知識」「知る働き」というもの、あるいは人間の物事を知りうる能力というのは、元来が非常に貧しいものであって、全知全能の神(とソクラテスは考えていたようです)と比べれば、実に取るに足りないものだった。人から聞いたことも、本で読んだことも、それは他人の「知り得たこと」だとするなら、その他人もまた、誰かから聞いたのだとするなら、それを聞いたり読んだりするのは「また聞き」であって、自分で考えたことではないと、ソクラテスは言うのです。つまりは、遅く生まれてくるものは、あらゆる事柄を先学が書き残したり言い残したりしたことしって、それをこそ「自分の知識」と錯覚しているだけのことになるでしょう。人間という存在は、もともとが「無知」そのもの、「知」に対しては何も持っていないのだという「自己認識」こそが、実は「知」そのものだといっていいくらいに、知ることに対する畏れがないことを激しい言葉で表現したものでした。「物知り」とは、借り物の知識を、自分のものと錯覚している人のことでした。「私は無知です」という人が、哲学者だと、あるいはソクラテスは言いたかったんでしょう。

 知っているというのは、「人から聞いて」、あるいは「他人の本を読んで」知っているだけのこと。ほとんどすべてはそうでしょう。自前の知識など何一つ持っていないという自己認定(規定)こそが、人間のできる最大の「知」的到達だとさえ言っています。「無知であることを知る」という思想、つまりは態度が哲学になるのですね。それで言うなら、他人からの「伝聞」や「世間の常識」などは、ソクラテスに言わせれば、「ドクサ(doxa)」であって、「(汚れた)(間違った)借り物の知識」で、まさしく「臆見」「通念」などとされるものです。あるいは社会常識」もそれに当たるでしょうか。「(ドクサとは)プラトンが、イデアによる知識であるエピステーメーに対し、一段下の感覚による知識(根拠のない主観的信念)をさして呼んだ語。臆見 (おっけん) 。思い做 (な) し」(デジタル大辞泉) 世間で通用するのは「ドクサ」であって、それを本物の知識と思い込んでしまうことの「愚」と「危険」をソクラテス(=プラトン)は身を賭して示したともいえます。

 残念ながら、このようは「臆見」「通念」「常識」が、社会や国においては幅を利かせているのであり、その「偽物の知識」を刷り込むのが「教育」「学校」の仕事になって来たんですね。ソクラテスの生き死にしたギリシア・アテネの時代と、事情は少しも変わらない、「紛い物の情報が溢れかえっている社会」に、ぼくたちは齷齪して生きています。「ドクサ」から解放されることがなければ、人間は幸福にはなれないというのがソクラテスの「肺腑の言」だった。「吟味しない生活は、生きるに値しない」というほどでした。

 (きりがないテーマですから、本日はここまでにします)(ソクラテスに言わせた、プラトンの言葉だったか、ぼくにはとても怖い遺言がありました、「哲学するとは、『死の練習』をすることなのだ」というのです。「パイドン」という著作にあります)(人間にとって、たった一日だけが「哲学の日」なのではなく、毎日が「死の練習」ではないですか)(禅の語録に「百尺の竿頭、進一歩」というのがあります。これなどはまさしく「死の練習」を超えた、「死そのもの」ですね)

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【日報抄】古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、思想の流布を通じて治安を乱した罪で死刑判決を受けた。「悪法も法なり」。そう言い残し、毒を飲んで命を絶つ。紀元前399年4月27日のこと。かくして今日は「哲学の日」とされる▼「無知の知」はソクラテスが唱えた代表的な概念である。自分が知らないということを自覚し、己の愚かさを心得ることを思想の起点にするべきだと説く。「汝(なんじ)自身を知れ」も格言として残る。知は追究し続けるもの。思い上がりを戒める言葉として受け止めたい▼ソクラテスは、ちまたの「賢者」らが知を過信するさまを知るに及び、無知の知を悟ったという。では、その賢者らの無知を知り、無知の知を説くソクラテスの知が、そもそも揺るぎない知であり得るか…▼そんな思索にふける過ごし方もあるだろうか。ゴールデンウイークに入った。今年は物価高もあって巣ごもり派が多いとされる。普段は忙しい人も心静かに自分と向き合う時間を持てたらいい▼期間の後半は4連休が控える。登山やスポーツを楽しむアウトドア派も多いだろうが、体力過信は禁物である。熱中症予防のドリンクとともに「汝自身を知れ」の言葉も携えたい。事故のない連休を▼ちなみに、ソクラテスの妻は悪妻だったという。人類屈指の哲学者の悲哀を伝える名言がある。「セミは幸せだ。ものを言わない妻がいるから」。己のことをよく知るためには、あれこれ言ってくれる人が近くにいるのは幸せなこと。そう考えるべきか。(新潟日報・2025/04/27)
【いばらき春秋】「不知の自覚」という言葉を聞いたことがある方は多いだろう。哲学の祖といわれる古代ギリシアのソクラテスが残した代表的な言葉である▼「自分は何も知らないと自覚していること」の意味とされる。「知」に向き合う際、不知を自覚している人は、無自覚な人より優れていると解釈されることが多い▼きょうは「哲学の日」。紀元前399年、死刑判決を受けたソクラテスが獄中で毒を飲んで死亡した日とされる。ソクラテスは著作を残さず、弟子のプラトンらによって思想が継承されてきた▼哲学を難しいと思っている方は少なくないだろう。筆者も例外ではない。哲学=人生論という見方も根強いとされるが、現代の哲学者の多くは人生論を問題にしていないという▼「自分の生きている時代を捉えるために、哲学者は現在へと至る歴史を問い直し、そこからどのような未来が到来するかを展望する」。人工知能や遺伝子工学、格差社会、環境といったあらゆる問題を介して未来を展望する▼直面する問題についての捉え方や展望をまとめた岡本裕一朗さんのベストセラー「いま世界の哲学者が考えていること」(朝日文庫)に教わった。哲学の日、現代の思想に触れてみるのもいいのではないか。(斎)(茨城新聞・2025/04/27)

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◎ 『ソクラテスの死』 (ソクラテスの死)、仏: La Mort de Socrate, 英: The Death of Socrates)は、1787年にフランス、新古典主義の画家ジャック=ルイ・ダヴィッドがキャンバスに描いた油彩画である。当時ダヴィッドは古典を主題にした作品を多く生み出しており、『ソクラテスの死』もまた、プラトン著『パイドン』の、ソクラテスの処刑の物語に基づいている。/この物語でソクラテスは、アテネの若者を堕落させ異教の神への信仰を説いた罪で有罪判決を受け、ヘムロック服用による死刑を宣告されている。ソクラテスは、機会があっても敢えて逃亡せず、自分の死を弟子に対する最後の教授として、穏やかに死に向かう。ソクラテスの死を描写した『パイドン』はまた、ソクラテスの4回目にして最後の問答で、哲学者の最期の日について詳述している。このテーマについては、『エウテュプロん』『ソクラテスの弁明』『クリトン』でも語られている。/作品中、白いローブを着た老人がベッドの上にまっすぐに座っている。その右手をカップに伸ばし、左手は身振りを示している。彼はさまざまな年齢層の男性に取り囲まれているが、そのほとんどは苦悩の表情を浮かべており、冷静な老人とは対照的である。カップを手渡す若い男性は目を背けており、片方の手で顔を覆っている。別の若い男性は、老人の腿を握りしめている。初老の男性は、ベッド際にぐったりと座りこみ、自分のひざを覗き込んでいる。作品の左側の壁はアーチになっており、そこにも男性の姿が見える。(Wikipedia)

◎ 無知の知(むちのち)Bewusstsein des Nichtwissens= ソクラテス哲学を特徴づける有名な言葉。哲学者 (愛知者) という意味でのギリシア語 philosophosは,ピタゴラス,ソクラテス的意味では,神だけが知者 sophosであるとの立場から,知者でないがゆえに知 sophiaを愛求する有限的存在としての人間の本質規定であった。したがってphilosphiaは,いわゆる賢者や知恵の本性が神と比すれば無にも等しいものであることを明らかに自覚することに始る。本来的な知のイデーのもとにおける自己の無知の自覚が無知の知にほかならず,ソクラテスの優越は,だれよりも深くこのことにおいてすぐれていたことによる (『ソクラテスの弁明』) 。しかも無知の知は,消極的側面にとどまらず,かえって迷妄をはらし真実の知への扉を開くのであり,かかる自覚を自己の本質的契機としてこそ,「能うかぎり神に似ること」が philosophosの目標として措定されることになる。それゆえにまた教育者としてのソクラテスは,人々にこの自覚を与え本来的な知のイデーヘ視座を転換するように努めるのであり,そのことはプラトンの対話編に印象的に示されている。(ブリタニカ国際大百科事典)

◎ ひゃくしゃく(百尺) の 竿頭(かんとう)に一歩(いっぽ)を進(すす)む。[初出の実例]「古人の云、百尺の竿頭に更に一歩を進むべし、此の心は、十丈のさをのさきにのぼりて、猶手足をはなちて、即ち身心を放下せんがごとし」(出典:正法眼蔵随聞記(1235‐38)六)「《「伝灯録」から》百尺の竿 (さお) の先に達しているが、なおその上に一歩を進もうとする。すでに努力・工夫を尽くしたうえに、さらに尽力すること、また、十分に言を尽くして説いたうえに、さらに一歩進めて説くことのたとえ」(デジタル大辞泉)

 「Gelassenheit(放下・ほうげ)」というドイツ語は学生の頃にとても気になりました。ハイデッガーには「ゲラッセンハイト」という著書もありましたね。信仰者においては「我執を捨てて、神に身を委ねる」「帰依」という意味でした。エックハルトという神秘家によると「それゆえ私たちの主はこのように言ったのだ。私の弟子になりたい者は、自分を捨てなければならない」と、神の言を受け取っています。この「自らを捨てる」が、禅の示す「放下(ほうげ)」になるんでしょうね。「百尺の竿(さお)の先にたどり着いても、そこで留まっていてはならぬ、猶、一歩進みなさい」と。生の執着から離れなさいというのでしょうか。「死して生きる」というらしい。

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「徒然に日常」(729~735)

〇2025/04/27(日)お昼前に「天然水」(2リットル×6)を10ケース、何時もの業務用スーパー(茂原市緑ヶ丘)で購入。文字通り「業務用」の商品がそろっているので、いつも通りのスーパーとは趣が違うが、天然水などは、いくらか廉価だと思うので、物によっては時々利用している▶帰宅後、庭作業。前庭の一角の除草と花類の植え替えをした。明日は雨天らしいので、例え短い時間でもできるときに作業はやっておくつもり。この後にはさらに大掛かりの作業が控えている。竹や樹木の枝落とし、さらには屋根の樋などの清掃作業である。本日もかなり気温が上がり、少しやっただけで体力の消耗が著しいのがはっきりと感じられた。枝落としは相当量あるので、果たしてやりおおせるかどうか。また車庫と書庫の屋根のトタンの葺き替えもしなければならない。あるいは、業者に依頼することになるのだろうか▶二人の娘のところに土曜日に送っておいた筍が届いたという連絡があった。(735)

〇2025/04/26(土)このところ二回ほど時間が遅れて「生ごみ出し」を見送っていたので、本日は、それでも7時過ぎに出しに行った。いつもは6時半ころと決めているのだが、なぜだか駄文書きが手間取ることがあって、時間切れ(7時過ぎ)になることがあった。それでも十分に間に合う。当方はできるだけ、6時半には持っていきたいのだ。我が家専用のごみ箱(かなり容量は大きい)がある。各自も、自家用の器を用意している。カラスなどの対策用でもある。ごみ袋は「30㍑用」を使っている(10枚で500円と高価である)。昼前に買い物で、茂原まで。土曜日だったからか、かなりの混雑だった。必要なものだけを購入して、Uターンするのが吾輩流。あらかじめ買う品物も覚えておくので、時間のロスはまったくない。これと正反対のが、かみさんだ。買い物と言いながら、常に3時間や4時間は帰ってこないのは、何をしているのか。暇つぶしを喫茶店などで、「気分転換」をしているのだろうか▶万博会場で初の死者が出たという。事情の詳細はわからないが、24日午後、救急搬送された病院で亡くなったという。60歳代の女性。ある報道によると、当時の会場内温度は37℃を記録したという。熱中症で搬送される人も続出しているというから、この先が思いやられる。事故の詳細は直ちに報じるべきだろう。(734)

〇2025/04/25(金)午前中に買い物で茂原まで。行く途中で、宅急便の依頼を営業所にて。二人の娘のところに昨日の朝掘り出した筍を夜のうちに茹でて、水につけておいたものを小さなタッパーに詰めて包装したもの。明日には着くという。クール便にした。今年は、たくさんの収穫があるようだ。隣のIさん宅には連日大勢が来て、掘りだす声が聞こえてくる。何の手入れもしないままだが、なかなかの豊作が続いている。掘り出さないままで放置しておくと、驚くほどの高さに成長し、始末に困るほど。当地の竹は孟宗竹だというからなおさらに、整理は大変だ。(733)

〇2025/04/24(木)駄文書き殴りに心奪われて?今朝の「生ごみ出し」の時間が遅れた。通常はほぼ6時半に出す。それが本日、時計は八時になっていた。出せば間に合うのだが(収集車は8時半に来る)、本日は止めにし、土曜日にまわす。ごくたまにこういうことがある。大雨だったり、駄文のネタがなかなかない時には、迷わず(「ゴミ出しを」)次回回しに。ぼくは自治会には未加入。(加入するつもりで申し込んだのだが、数日後にどうもごくの感覚とは異なる「自治会(町内会)」(昔風の地域会合)だとわかったので、取り消したという経緯がある。そのことはどこかで書いた。どこの自治会だったか、未加入のものには「ゴミ出し」料金が年間1.5万円納入すべきという判決が出されたと、数日前の報道であった。市民税などを払っていても、ゴミ出しは町内会の仕事(かどうか)だから、迷惑料は払うべきという恐るべき時代錯誤の判断が出たものだ。行政の管理の下の公共サービス(業務)だからという理屈が、どこかへ飛んでしまっている▶昼前に買い物。天候ははっきりしないものだったが、雨は降らないままだった。帰途には近所のH.C.に寄って猫用のドライフードを三袋購入。今のところ、猫缶4種類と、このドライフード(通称、カリカリ)を5種類。いくらかかっているか、計算すると腹が立つので、全くしていない▶米国大統領の判断力がいよいよ末期的になってきている。関税問題では一向に定見はないし、ウクライナ問題ではまともに「和平」を考えているとはとても思われない、いい加減な提案(ロシアの意向を受けた内容。Pは足元を見ている)を出したり引っ込めたり。お山の大将そのものの、無能大統領の能天気で「世界の秩序」がかき回されるのだから、世界各国の指導者の程度は知れているのだ。アメリカも本当に堕ちたものと、ほとほと実感・痛感している。(732)

〇2025/04/23(水)朝方まで雨が続いた。それ以降は雨も止んで、穏やかな天候となる▶お昼前に買い物。茂原まで。毎日のように買い物をしているが、たいしたものを買うわけではない。それでも、一度の食材購入で5千円が当たり前になった感がある。このままで物価高騰が続くようだと、二年先とは言わず半年後が怖いと、ぞっとする。ガソリンも180円(1㍑)が当地で安定してくるようだとどうなるのだろうか。間違いなしに、物価上昇は増税そのものだと声を大にして言わねば。参院選前の選挙対策で「減税」が現実味を帯びてきたが、その政治的賭を別にして、「国民生活」を守るという姿勢を明らかに示しほしいものだ▶予報では明日も雨らしい。筍(たけのこ)も、草木も最も伸びる時節だ。その後の作業が厳しくなるのが目に見えている。(731)

〇2025/04/22(火)曇りがちの天気だったが、時折陽射しもさしている。その陽光を頼りに洗濯機を回し、かなりの量の洗濯ものを乾した。洗濯機の便利さは、それこそ、家電製品の中でも特筆すべきものだったろうと思う▶午前中に猫缶購入のためにあすみが丘へ。コンスタントに7~10日ごとの購入が続いている。缶詰類と乾燥フードの併用で、なんとか食餌の供給が続いている▶庭作業を続けて行い、取り除いた草や切り落とした枝などを燃やした。良く働いてくれている焼却炉だが、よく見ると、少し形が変形し、隙間があいているのが目に付く。地震等の影響もあるのかもしれない。近いうちに、手直しをする必要があるだろう▶日米の株価が相変わらず上下している。加えて、極度のドル安と、それに伴う円高(139円台)が生じている。日米両国ではインフレ(物価高)が昂進している。この先の経済の動向が心配される。米国の高関税世界同時発動を明確に中止しなければ、この経済不安・混乱は終わらないだろう。(730)

〇2025/04/21(月)午前中、ほんの短時間だったが草取り。庭には今を盛りにたくさんの花々が咲き競って(誇って)いる。木香薔薇(もっこうばら)、山吹(やまぶき)、躑躅(つつじ)、石楠花(シャクナゲ)、その他。恐らく、この家の庭では、今が一番華やかな季節かもわからない。この後すぐに咲きだそうとしているのは皐月(サツキ)だ。今からでは遅すぎるが、庭土に肥料を少し加えようと考えている。また、今が筍(たけのこ)の最盛期か。家では二人しかいないので、なかなか掘り出そうという元気も出てこないが、少なくとも何人かには贈(送)ってやりたい▼午後一時前、茂原駅まで。元の同僚、K、T、両氏を迎えるため。時間通りに外房線列車が到着。Kさんとは何年ぶりだろうか。Tさんとは、このところ、二年続けて、当地で逢っている。いつも出掛ける茂原の「勢寿し」に。一時から四時過ぎまで、ゆっくりと他愛もない話に時間を費やした。それぞれは、定年後の気ままな生活を送っているらしいのが、よく分かった。それにしても、こうして久しぶりに会って話してみると、少しも変わらない「素」がそのまま浮き出て、ある面で、人間は変わらないものだという感想を強く持つ。寿し店を出て、暫時拙宅に来てもらい休憩。かみさんとも再会した。Kさんは四十年ほど前に一度かみさんとは逢ってている。夕方の五時過ぎに土気駅まで送る。(729)

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減反(生産調整)政策が続く怪?

◎週初に愚考する(六十七)~ コメの価格高騰が続いている。いくつもの背景があってのことだが、その主因は突き止められるにもかかわらず、誰も明らかにしようとはしない。はっきり言うなら、悪徳人は分かっているのに、公表しないという、最も消費者を愚弄する姿勢が方々に見られるのだ。それこそが「政治・政治家」の汚いところである。挙句に、アメリカ産米の輸入枠の拡大を正当化しようという政治的戦略さえ窺える。もちろん、「外米」の大量輸入に、農家やJAは大反対であるのは誰にも理解できるが、高騰する米価に付け込んで、日米関税交渉、実は貿易不均衡問題の解決策の一つに数えようとする、何時もながらの政治判断が働くのだろう。農家に減反を強いながら、米国産米を輸入するという、破廉恥な政治・行政を恥じるところがないのだから、始末に悪い。「コメ問題」は何度も触れて来たから、ここでも同じことしか言えないし、言わないつもり。最悪の政策が「減反」導入にあったのは誰もが指摘する。2018年に「廃止」されたというが、それは建前であって、実質的な減反政策はなお続いている。米価の低落を防ぐために、必要以上に米作りを制限(生産調整)してきたのだ。収穫能力が1000万㌧かそれ以上あるにもかかわらず、それを700万㌧程度に抑えている。

 その理由は、常に品薄状態を現出・維持させて、ことあらば、米価格のつり上げ(高値)を正当化するという政治的配慮(犯罪に等しい)が働いているからだ。あまりにも穿った見方だと思われそうだが、日本の農業の在り方を根本において決定する最後の砦、それが「減反政策」だったろう。農業経営の大転換(小規模から大規模へ)を図るつもりだった。まだ、その緒に就いたばかりで、何も進んではいない最中の「コメ不足」を理由にした「(仕掛けられた)米価高騰」だった。

⁂ヘッダー写真:「倉庫内に積まれた政府備蓄米=2月、埼玉県内(KYODONEWS)」(https://news.yahoo.co.jp/articles/95782c0842b47655f6cf50b23436183cb451fc9d/images/000

 今回のコメ不足騒動から発した異常な米価高騰の原因は何処にあったか。異常気象や自然災害が発生してコメの収穫量が大幅に減ったわけではなかったし、急激ににコメの消費量が増大したわけでもあるまい。いささかの要因にはなっているだろうが、それは決定要因ではない。誰かが、米価高騰を願って仕組んだ「コメの出し渋り」だったということではなかったか。1960年代末から始められた米価維持政策だった「減反政策」は2018年に廃止されたというが、いまなお、その伝統(方針)は続いている。米価の低下を避け、生産調整を続けることで、農家の収入水準の確保を図るという表向きの理由、そのための政策導入は、一面では間違いではなかったろうが、一方では農家の政治や行政に対する不信感、加えて巨大な「農協(JA)」の独善性も相まって、今や、この社会の農政(従来は「金配り」政策)は、実質的には「ノー政」となっているきらいが明らかだ。作りたい米を作るのは違法だと罰則を課し、政府の言いなりに減反に応じると保証金が出るという、生産活動に求めるべきではなかった、「減反政策」というあるまじき悪政の帰結が、今日の混乱をもたらしていることは想像に難くない。政府の代理として幅を利かせている「農協」と「自治体」が組んで、農政をどうしようというのだろうか。

【大観小観】▼高騰したコメの価格が下がる様子がない。コメばかりか、あらゆる食品が値上がりしている。最近、衝撃を受けたのは、コンビニのおにぎりの価格が200円以上がザラになったこと。ランチにおにぎり2個と飲み物を買うとワンコインでは済まなくなった。これは、のりの価格も高騰しているからだ。そのため回転ずしでも1皿100円の巻物が減った▼のりの生産の5割以上が、有明海のある佐賀、熊本、福岡の3県に集中。この有明海ののりが、近年、温暖化による海水温の上昇で生産量が激減。3年前は1枚の平均単価が10円前後だったが、いまは3倍の30円超え▼本県ものりの生産地で、県別ランキングでは第8位。伊勢志摩と桑名周辺の伊勢湾で良質ののりが生産されているが、いずれも生産量を落としている▼コメ(ご飯)、のりとなれば、やはりみそ汁。しかし、みそもコメが原料だけに価格が上昇中。お手頃のお弁当の定番と言えばのり弁だが、これも値上がり。このままでは、日本人の食生活は大きく変わる。すでに朝昼はパン食と麺が主流。おコメが主流なのは夕食だけだが、いつまで持つだろうか。(伊勢新聞・2025/04/26)

* 備蓄米放出後も…コメ高騰、農家が抱く危機感「農家数が減少、農村守る政策を」 卸売業者「JA全農が用意できないという話」【報道特集】「日本の主食、コメ。備蓄米が放出されたあとも値上がりが続いています。背景には何があるのか。国の政策を振り返りながら、これからの日本の農業について考えます」(https://news.goo.ne.jp/article/tbs/business/tbs-1881166.html

* 「“コメの生産減りすぎ”が本当の問題」専門家が指摘」https://www.youtube.com/watch?v=s5M4D9KaWpg

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◎ 減反政策=コメの生産を抑制するための生産調整政策。生産過剰となったコメの生産量を調整し、コメの代わりに麦や大豆などへ転作させる。国が地方自治体を通じて農業者に生産目標量を配分し、転作支援の補助金を支給することによって調整を行う。農業者にコメの作付面積の削減を指示するものであることから、一般に「減反政策」と呼ばれる。試験的・緊急的な実施を経て、1971年度に本格導入され、半世紀にわたり日本の水田農業の構造的な対策として実施されたが、国による生産目標量の配分は2018年に廃止された。(↴)

(↻)コメの生産調整は、1960年代末にコメの生産が過剰となり古米の在庫増加が問題視される中で、国が生産目標量を定めて休耕・転作を奨励する対策として始まり、数年ごとに見直されて継続してきた。95年に食糧管理法が廃止され食糧法(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)が施行されると、生産調整はコメの需給均衡を図り価格を安定させる手段と位置付けられた。しかし、需要に応じた生産対応が進まない点や、生産調整への参加・不参加による不公平感、米価が下落し続けている点などの問題があり、2009年1月、当時の石破茂農林水産大臣が見直しの必要性に言及したことから、生産調整のあり方が議論された。その後の民主党政権の個別所得補償制度では、生産調整の不参加者に対するペナルティーが廃止され、所得補償の補助金を受けずに自由に生産する選択肢ができた。

(↺)更に政権交代を経て、13年に国が地方自治体を通じて農家ごとに主食米の生産量を割り当てて価格を維持する減反を5年後に廃止する方針を決定。生産調整に参加する農家への補助金を段階的になくすと同時に、転作補助金を増やして米価の急落を防ぎながら、農業者が自らの経営判断で生産できる農業を打ち出した。これにより18年産から国による目標量の配分はなくなったが、自治体や農協などが中心となり生産量の目安を示して急な増産を避けている。(知恵蔵)

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