本日は5月5日、「子どもの日」です。ぼくに何の思い出もありませんが、さて、この日に因(ちな)んだ唱歌は、少なくとも三曲ありました。以下の通り。それぞれの曲の沿革(えんかく)には、記すべきことがいくらもあります。しかし、それは別の機会に。この「唱歌」を眺めて(歌って)、直感するのは「子どもの日」とは「男(おのこ)の日」だということです。この日がまた「端午(端五)の節句」とされてきたことでもわかりますように、「男の子」の健康・成長を祝う習慣が前提になっていました。やかましいことを言うつもりはありません。こんなところにも、いまなお堂々と「男子万歳」主義が認められるというのは、面白いというか可笑(おか)しいというか。
・老いらくの端午の兜飾りけり(山口青邨) ・菖蒲の日一直線のレールかな(桂信子)
・老ぼれて武士を忘れぬ端午かな(村上鬼城)
◎ 「端午の節句=五節句の一。5月5日の節句。もと中国の行事。軒に菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ) を挿し、粽(ちまき)・柏餅を食べて邪気をはらう。近世以降、男児のいる家では鯉幟(こいのぼり)を立て、甲冑(かっちゅう)や武者人形を飾って祝うようになった。現在は、「こどもの日」として国民の祝日になっている。端午の節句。重五 (ちょうご) 。端陽。《季 夏》(デジタル大辞泉)
【いばらき春秋】五節句は年中行事を行う季節の変わり目である。きょうは年明けから3番目の節句「端午(菖蒲(しょうぶ))の節句」。十二支の「午(うま)の月」は5月で、端午は5月初めを指す。二十四節気だと、きょうは「立夏」に当たる▼端午の節句は、無病息災を願う中国の行事に由来するとされるが、男子の誕生を祝い、健やかな成長を願う日本独自の行事として定着した▼また、1949年からは国民の祝日「こどもの日」である。祝日法は「子どもの人権を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」(第2条)と掲げる。子どもに対する大人の責任のほか、母親への感謝というのはあまり知られていないのではないか▼この日の前後、伝統的に行われているのは、こいのぼりや五月人形(かぶと飾り)を飾る、菖蒲湯に入る、かしわ餅やちまきを食べる-が一般的ではないか▼ただ、子どもの人口は年々減り、子どもの姿がほとんど見られなくなった県内の地域も少なくない。伝統のうち一つでも毎年実行している家庭はどのぐらいあるのだろう▼こどもの日にあやかり、さまざまな記念日でもある。「こいのぼりの日」「おもちゃの日」、キッズ(子ども)の語呂合わせから「キズケアの日」というのもある。(斎)(茨城新聞・2025/05/05)
「こいのぼり」(1931年版)には暗い一面があります。長い間作詞者は不明(無名)とされていました。実作者の近藤さんが存命であるにもかかわらず、「作詞者不詳(無名著作物)」として扱われていました。近藤さんには、他に「チューリップ」もあったが、扱われ方は同じでした。(* 近藤宮子(こんどう-みやこ)1907-1999 昭和時代前期の作詞家。明治40年3月21日生まれ。藤村作(つくる)の娘。昭和7年日本教育音楽協会の募集に応じて童謡「こいのぼり」「チューリップ」などを作詞する。作者名が公表されずに出版されたため,のち著作権をめぐり同協会と争いとなり,平成5年裁判に勝訴し作詞者と認定された。平成11年4月8日死去。92歳。広島県出身。東京府立第三高女(現駒場高)卒」(デジタル版日本人名大事典+Plus)
細かいことを詮索すればきりがないのですが、「あの人が書いた」と知られて(わかって)いながら、「不詳」「無名」とする乱暴な行動はどうして見逃されてきたのか。今日のJASRAC(Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers)が糸を引いていたようです。この経緯についても、機会を見つけて書いてみたいですな。「背(せい」比べ」、作詞の海野厚さんは静岡出身だったから、「一はやっぱり富士の山」はご愛敬でしょうか。さらには、ぼく自身の「こいのぼり」の想い出についても触れてみたいのですが、これも別の機会に。
鯉のぼり
1)甍(いらか)の波と雲の波
重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり
2)開ける広き其の口に
舟をも呑(の)まん様(さま)見えて
ゆたかに振(ふる)う尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり
3)百瀬(ももせ)の滝を登りなば
忽(たちま)ち竜になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と
空に躍るや鯉のぼり
(作曲・弘田竜太郎、作詞・不詳。1913年 )
(「鯉のぼり」)(https://www.youtube.com/watch?v=ORO9_KMVy44)
背(せい)比べ
1)はしらのきずは おとと(ど)しの
五月五日の せいくらべ
ちまきたべたべ にいさんが
はかってくれた せいのたけ
きのうくらべりゃ なんのこと
やっとはおりの ひものたけ
2)柱にもたれりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背のび していても
雪の帽子(ぼうし)を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山
(作曲中山晋平、作詞海野厚。1919年)
(「背くらべ」)(https://www.youtube.com/watch?v=VIp4aJtZFZg)
こいのぼり
1)やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
2)やねより たかい こいのぼり
おおきい ひごいは おかあさん
ちいさい まごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
(作詞・近藤宮子、作曲・不詳。1931)
(「こいのぼり」)(https://www.youtube.com/watch?v=N2u7gdbPieU)
【小社会】こどもの日 男の子の成長を祝って古くから続く「端午の節句」。さらに現代では祝日「こどもの日」。きょう5日は少し紛らわしい日ではないだろうか。□こどもの日ができたのは戦後間もない1948(昭和23)年で、祝日法に盛り込まれた。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日とし、もちろん「こども」は男女を問わない。□日付を巡っては当時の国会でも論議になったようだ。複数案が浮上し、男女平等をうたう新憲法を意識しながらも、最終的に端午の節句に重ねたのはやはり時代の影響だろうか。「母に感謝する」との文言も、子育ては母親がするものという価値観を感じなくもない。□改めて条文を読むと、もっと気になる点がある。そもそもの目的「こどもの幸福」。77年たつが、実現できているだろうか。子どもが犠牲になる痛ましい犯罪や事故が後を絶たない。相対的に貧困状態にある子どもは9人に1人で、ひとり親家庭では45%近いという。□端午の節句にはかしわ餅を食べる風習がある。日本大百科全書によると、広まったのは江戸時代。カシワの葉は冬も枯れず「夏の新葉が出るころに古い葉が落ちる、つまり跡継ぎができた」と捉え、縁起が良い菓子になったらしい。□こどもの日がある現代なら、こう願いつつ食したい。大きなカシワの葉で餅を包み込むように、しっかり子どもを守り、育てられる社会を。(高知新聞・2025/05/05)
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もう一つの「子どもの日」考
<戦争が続く今こそ平和の意義感じて 沼津ゆかりの作家・西村滋さんの「お菓子放浪記」 朗読版、長女がユーチューブ公開>(東京新聞・2022/07/20)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/190728)
【日報抄】「西村滋さんに会いに行こう!」というウェブサイトがある。西村さんは9年前に91歳で亡くなった作家で、ことし生誕100年を迎えた。サイトには生涯を懸けて訴えようとしたメッセージが詰まっている。一貫して書き続けたもの。それは戦争孤児の物語だ▼自らも幼くして両親を亡くし、施設を脱走しては放浪する生活を送った。終戦後は東京の戦争孤児の収容所で補導員を務めた。「学校もろくに出ず文学的素養もゼロに近かった」のに作家を志したのは、親を戦争で殺された孤児と共に生きた人間の義務だとする▼駅地下道などの「狩り込み」で収容される浮浪児は、10代前半の男の子、女の子。けなげでいじらしい子ばかりではなかった。盗みをし、うそをつき、体を売るなどして生き抜いてきた。貧困と暴力にさらされ心を歪(ゆが)め、人間性をむしり取られた子もいた▼「戦争孤児が真面目に更生したら、戦争の好きなやつらは人間なんていくらいじめてもへこたれないと安心して、また戦争をおっぱじめる。だから俺は真面目になんかならないぜ」。そう啖呵(たんか)を切り反社会的な生き方を貫いた子もいたという▼「生半可なヒューマニズムでは歯が立たない」孤児一人一人の実像を見つめ、成人後の暮らしにも目を向け、本に刻み付けた▼「戦争に一番責任のない子どもたちが一番ひどい損害を被るということに我慢できなかった」。西村さんの言葉をウクライナやパレスチナにも当てはめてみる。戦後80年の「こどもの日」である。(新潟日報・2025/05/05)
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「徒然に日乗」(736~742)
〇2025/05/04(日)穏やかな天気になった。風もなく、しかし、日差しは徐々に強くなる。午前中、庭作業。小さな花壇を作ってあったが、すっかり荒れてしまって、草ぼうぼう(茫々)。大谷石を使った囲い(仕切り)を作り直し、多くの草・竹類も取り除いて、今からでも間に合いそうな「野菜類」を植えようかと考えている。少し大きめの「石ころ」が欲しい。石屋でいろいろと物色してきたいと考えている。このところ「ミノル」さんが来ないが、何かあったのだろうか。少し気にはなっているのだ。一時間半ほど作業をしたが、日差しも強くなり、すっかり汗をかいたので、本日はそこまで。(742)
〇2025/05/03(土)朝から快晴。風もなく、穏やかな一日だった▶ゴミ出し(6時半)から一日の活動を開始。昨日の強い風で、植木の枝や、サツキの花びらが道路上に散乱していたので、それを掃除▶昼前に買い物で茂原まで。帰宅後は、庭作業は止めて、ひたすらパソコンの前に座っていた▶宅急便の会社から電話あり。横浜の娘に届けた荷物(筍)が「不在」のために、その処理方を教えてほしいとの由、それを留守電に入れておいた▶午後三時ころだったか、横浜の娘から電話。宅急便の再配達の手配をするということだった▶本日は「憲法記念日」。国会の議論を経ないで、実質的には憲法を変えてしまった現在、いったいどこをどのように変えようというのか。憲法の「軍隊保持の放棄」「交戦権のための武器等の放棄」などを謳った条文(理念)形骸化したし、これまでにはなかった「集団的自衛権」という出鱈目な解釈による憲法の実質的否定がなされてしまった。強権的な憲法程時代の名残りがいまも続いている。最も大きな疑問は、この国は「いったいどこと戦争をする気なのだろうか」という現状認識だ。実に訝しいこと。憲法記念日、「なにを今さら」という気分でもある。(741)
〇2025/05/02(金)予報通りにほぼ終日降雨が続いた。時には激しく降り、強風も吹いたほど。雷はなかったが、まるで「春の嵐」のようだった▶お昼頃か、T君から電話。「どこにいるの?」と訊くと、高尾山だという。この春の雨の中、「付属」の遠足だとか。久しぶりに話をした。これまでの自由学園とはまた違った職場の雰囲気を語ってくれた。どこであれ、一長一短はあるものの、その学校独自の特質に由来する問題もあろうと、率直な感想を述べた。拙論で言うなら、何よりも付属は「実験学校である」ということの原点を想起すべきだという点、さらには付属学校の性格上、校長が数年ごとに交代するという、ある面での大きな欠点を有しているということ。その他、何かと問題点もあるだろうけれども、少なくとも五年程度は子どもと格闘してみるのは大切だなどと、老人の愚見を述べておいた▶午後、草加に住んでいる娘から電話。「筍」が届いたという。まだいくらかは掘れそうだが、今年の本格的な筍掘りの時期は終わろうとしている。前回の分を、色々と工夫して食べて、「とても美味しかった」と、嬉しい声を届けてくれた。(740)
〇2025/05/01(木)皐月朔日、世にいう「メーデー」でもある。その昔、ユニオンを動かす役回りにあった時代、何度もメーデーの集会に顔を出し、街頭行進(デモ)もしたが、それは何だったのか。一種の「運動」であったことは事実だが、決して世のため、人のためになっていたとは思われないし、当時もそう考えていたが、今ではなおさらにそう思うようになっている▶午前中に買い物で茂原まで。連休の中休みなのかどうか、それほど混雑はしていなかった▶昨夜、娘の電話があったので、朝7時ころに筍を、小さなものを4~5本ほど掘った。早速水煮にして、それをタッパーに詰めて送っておいた。横浜の娘にも。そろそろ、今年の筍も「旬」の終わりを迎えたようだ▶本日の庭作業は一休み。少しは続けたかったのだが、やや疲れ気味のためもあるので、無理をしないことにした▶予報では、明日は相当に強い雨が降りそうだという。乾燥させておいた草類や木々の枝葉など、残念だが、雨に濡らしてしまうことになりそう。予定していた焼却炉の修理(つみなおしとモルタルでの固定)も少し先まで、延期。(739)
〇2025/04/30(水)本日で4月も終わり。急展開で日々が過ぎてゆく。朝から凌ぎやすい好天。各地では後楽の人混みで一杯であろうか▶午前中から庭作業。庭にまで竹の根が入ってきており、それが時にはびっくりするほど突然に大きな筍(背丈)となって頭を出すこともある。そんなのが、もう今春は三本目だろうか、その始末もしたが、すっかり根を引き抜くことは不可能で、頭を出すのを次々に掘り出すほかに手はないようだ。裏庭の草取りは大作業で、それでも少しずつだが、何日目か、それなりに除草が進んでいる。横の林の中に頃合いの山吹の若木があったので、それを庭のどこかに移植しようと考えている。今度こそ、無理をしない程度に、庭を荒れるに任せないようにしたい。一時間半ほど作業を続けたが、汗もかき、体力も消耗してきたので、早々に引き上げ、シャワーを浴びて、今度は室内での作業に切り替えた▶午後9時直前に娘(埼玉県草加市)から電話。筍(タケノコ)があまりにも美味しかったので、もう少し欲しいのだがという話。早速明朝にでも掘って水煮にしたものを送ると約束した。(738)
〇2025/04/29(火)本日は、その昔の「天皇誕生日」、そして、今日は「昭和の日」(2007年改正)。その前は「みどりの日」(2006年まで)。敗戦直後までは「天長節」(1927年~1947年)だった。要するに「昭和(元号)」を記憶して(残して)おきたかったということ。それなら「明治の日(現、「文化の日」)」があって、「大正の日」がないのはどうしてだろうかと、疑問が残る。元号が著す内容や在していた天皇自身の評価に直結させているのは奇妙な話▶午前中は猫缶購入のためにあすみが丘へ▶帰宅後に庭作業をと思いはしたが、昨日以来の疲れや睡眠不足もたたって、少し体力消耗が気になったので、本日は中止▶4月から勤務先を変えたT君(T大学教育学部付属中・高校教員)の近況を訊ねるメールを出しておいた。(737)
〇2025/04/28(月)すでに世の中は「黄金週間」に入っているらしい。昔から、ぼくはこの時期、ほとんど遠出はおろか、外出することはなかった。何よりも「人混み」が死ぬほど嫌いだったから。子どもが小さいころでも混雑や雑踏は避けていた▶このところ、特に目を引くのは「交通事故」の多さである。高速道路を逆走していて事故を起こすなど、先ず従来は考えられなかったような「破綻(悲劇)」が発生している。また交通事故にも指摘でいるが、いわゆる「プロ(職業人)」とされる人々による事故は驚くほど多いということ。運送業に携わる人々が交通事故を起こすなど、あるいは工事現場などでの死亡事故の多発など、「プロ意識」というのか、本来備わるべき技術がいささかかけているのか、それとも、技術の劣化が著しいのか。実に「不注意な事故」が目に付くの▶昼前に買い物、茂原まで。時節柄、人出は多かった▶帰宅後、一時間半ほどだったが、庭作業をした。朝から曇り空だったが、雨が降ることはなかった。前庭の木々の剪定や除草を少しばかり進めた。夕方以降に降雨が予想されているので、燃やしてしまいたかったが、そこまではできなかった▶夜に入り、7時過ぎころから雨が降り出したが、明日は快晴の予報。(736)
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