未来を考え、見て、現在、明日を知る

<あのころ>初代「ウォークマン」発売 46年前の7月1日 1979(昭和54)年7月1日、ソニーが携帯音楽プレーヤーの初代「ウォークマン」(写真は同社提供)を発売した。録音機能はなかったが、カセットテープのステレオ音楽を、どこでも小型のヘッドホンで楽しむ新しいスタイルを生み出した。2012年には、次世代に継承していく意義を持つ「未来技術遺産」に選ばれた。(共同通信・2025/07/01)

 この新しい機器(装置)が売り出されて以来、ぼくは「虜(とりこ)」になったといってもいい。それまでは部屋の中に限定されていた音楽空間を、好きな時に好きな場所で聴くことができる、音楽の持ち運び自由というのは、ぼくには「革命」的であったのだ。もちろん、レコードやFMラジオでは浴びるほど聞いていたが、それを電車の中でも聴けるようになったのは驚きでした。以来、いったい何台の器械(機種)をぼくは買っただろうか。もちろん、当初はカセットテープで録音した音源だけが用いられた。だから、家では四六時中、録音作業にかかりきりになっていた。クラシック音楽では、一曲が一時間以上も要するものはざらだったから、長い通勤時間も苦にはならなかった。

 同時に、クラシック一点張りではなく、ジェイポップ(JPs)も歌謡曲も、ジャンルを問わずに聞き続けていたほどでした。この時代、西洋音楽の世界ではカラヤンが「帝王」の名を恣(ほしいまま)にしていました。ぼくはあまり好まなかったが、ソニーは彼にウォークマンを聴かせた。やがてカラヤン帝王は歩きながらウォークマンを耳にしているCMを流し出した。左の写真の一人は盛田昭夫さん。ウォークマンの開発者でした。このソニーという会社は、戦後の出発で、それまでの鉱石や真空管中心のラジオをトランジスタに切り替えて、新たな道を切り開いた企業だった。やがて、ソニーはオーディオ製品にも領域を広げ、素晴らしい音響技術を売り物にしてきました。(写真左:Akio Morita (Sony) and Herbert von Karajan. 15 april 1981)

 ある時期から、ぼくはソニーのオーディオ製品に心を奪われ、すっかりその音色に引き付けられていく。今では全く聴かなくなったオーディオ機器ですが、そのほとんどは、今もなお埃をかぶってですが、ソニー製品で揃っています。アンプ、チューナー、プレーヤー、スピーカーなどのすべてを備えて、悦に入っていたのだったし、その道を開いたのがウォークマンだったと言えます。今では、壊れたままの何台かの姿形が自宅には残されていますが、この小さな機械から、ぼくは実に長い時間(期間)、脳髄を刺激され続けてきたと言えます。

 やがて、時代はCD全盛時代に入りましたから、それ専用のウォークマンも、何台も買った覚えがあります。当初、ぼくは長くレコード派を名乗っていました。LPレコードの醸す雰囲気が、ぼくには軟らかく、音楽に求めていたものと符合していたのでした。一時期、収集したレコード枚数は千枚を超えたことがあります。その九分九厘はクラシック音楽でした。集めすぎたレコードを処分したことがありましが、その店はソニーの系列会社だった程。しばしば、銀座にあったショールームにも出向き、新製品が出るたびに耳を傾けた。もちろん、音響機器はソニーだけではなく、もっと高級品の部類もたくさんありましたが、ぼくの身の丈に合っていたのがソニーだったと言えます。

 ソニーの創業者だった井深大さん、盛田昭夫さんについても少し駄弁りたいけれど、今は止めておきます。二人の創業者は、郷里(愛知県)ではほんの数百メートルの近くで住んでいたという。後年、ぼくは井深さんが作られたある団体に呼ばれて、その仕事のお手伝いをしたこともありました。幼児教育に関する啓蒙団体だった。忙しさに紛れて、縁遠くなったのでしたが、晩年のかなりな期間、井深さんは幼児教育に大変な関心を持たれ、その方面の活動もされたことでした。今考えれば、ソニーやホンダが戦後に出発し、モノ作りを推進してきて、ために、この国の「技術立国」の方向性を決定づけた功績は大きかった。どちらの企業も創業者自身が技術者だったことは、今から見れば驚異的な幸運(奇蹟)だったと思う。

 企業が大きくなり、技術者が表舞台から消えてしまって、官僚的な人材が企業経営に携わるようになるにつれて、技術・モノ作りの思想がいつしか失われていったことと、この国が沈み始めた時期とが重なっています。科学(技術)工業と称しながら、技術開発に資源を割かなった報いは、なかなか克服できないままでいます。今やソニーの儲け頭が「銀行」「保険」「ゲーム機」などであるという実情が、この国の来しかたを示している、行く末をも明示しているようです。(若いころ、一時ソニーに在籍していた江崎玲於奈さんは、井深さんの葬儀の際に「温故知新、という言葉があるが、井深さんは違った。未来を考え、見ることで、現在を、明日を知るひとだった」と、弔辞で述べておられます。その江崎さんは、ソニー時代の発明「エサキ(トンネル)ダイオード」で、後年(1973年)、ノーベル物理学賞を受賞されました)

● 盛田昭夫(もりたあきお)(1921―1999)= 実業家。愛知県生まれ。1944年(昭和19)大阪帝国大学理学部物理学科を卒業し、海軍技術中尉に任官。戦時研究委員会の熱線探知機開発メンバーとなり、そこで井深大(いぶかまさる)と知り合う。第二次世界大戦後、1946年に井深と東京通信工業を設立し、常務となり営業面を担当。1955年同社開発のトランジスタラジオを「ソニー」ブランドで販売。1958年には社名をソニーに変更。以後、自ら駐在しアメリカ市場を開拓するとともに、世界各国に販売会社を設立し、ソニーを世界的企業に躍進させた。1959年副社長、1971年社長に就任、1976年会長。1986年から1992年(平成4)まで経済団体連合会(現、日本経済団体連合会)副会長。1994年ソニー会長を退任し、ファウンダー・名誉会長となる。著書に『MADE in Japan――わが体験的国際戦略』など。なお、1998年アメリカの『タイム』誌による20世紀にもっとも影響力のあった人物「20世紀の20人」に経済人として日本人ではただ一人選ばれた。(日本大百科事典ニッポニカ)

● 井深大(いぶかまさる)(1908―1997)= 実業家。栃木県日光に技術者甫(たすく)の長男として生まれる。1933年(昭和8)早稲田(わせだ)大学理工学部電気工学科卒業。すでに在学中「走るネオン」の発明で才能を示す。卒業後は写真化学研究所に入り、1937年日本光音の無線部長、1940年日本測定器の常務となる。第二次世界大戦後、1946年(昭和21)東京通信工業を創立し専務、1950年社長に就任。1958年ソニーと社名を変更、1971年会長、1976年名誉会長、1990年(平成2)ファウンダー・名誉会長、1994年ファウンダー・最高相談役に就任。同社は独自の製品開発を重視し、海外市場の開拓にもいち早く成功を収めた。彼は戦後の代表的な技術者経営者の一人であり、発明協会会長のほか、幼児教育にも関心が深く、幼児開発協会理事長も務めた。1992年文化勲章受章。(同上)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

賽(さい)の目の「一の裏は六」です

 確かに、本日は本年前半の最終日。でも、ハーフタイム(休憩)はなく、明日からいきなり後半が始まる。人によっては「前半」は終わらないかもしれないし、また人によっては「後半」はとっくに始まっている。いや、もう今年は終わっているとみなしている人もいるでしょう。ぼくはコラム氏のように「人生はバスケの試合」のようだとは思えないで生きています。都合よく、水が飲めたり、作戦タイムがあったり。あるいは十五分や二十分の「ハーフタイム」があるわけでもないでしょう。過酷な状況が続く人もいれば、「棚から牡丹餅」のような幸運に巡り合える人もいるでしょう。それも暗転します。

 「何より重要なのは諦めない気持ち」と言われるのは、その通りかもしれませんが、相手が見えない、手探りの戦いに翻弄されるのも人生の辛さでしょう。いつ果てるかもしれず、監督もコーチもいない、そんな人生もあるでしょう。明日から一年の後半というけれど、自分の生活は、前半も後半もない暮らしの連続ではないですか。試合なら、必ず「勝ち負け」がある。「引き分け」もある。それに対して、人生には「勝ち負け」があると、コラム氏は考えておられるのか、あるいは「引き分け」が人生にも存在すると思われているか。試合(勝ち負け)に参加できない人もいるでしょう。それもまた、人生です。

 「仕事でも勉強でも家庭生活でも、私たちの人生はうまくいかないことばかり。誰だって落ち込んだり心が折れそうになったりすることはある。それでも前を向いて進めば必ず状況は好転する」と。ぼくの勝手な思い込みかもしれないけれど、こんな風に人生を捉えたことはない。「人生はうまくいかないことばかり」というより、それが人生だと思っているところがあります。しばしばいわれるように「人間万事塞翁(にんげんばんじさいおう)が馬」とか「禍福は糾(あざな)える縄の如し」とか。「幸福」というのは<happen>なんですね。それが<happiness>に繋がる(重なる)のではないですか。「一瞬」とか「突然」のもの、起こるのも終わるのも。

 「(「人間万事塞翁が馬」とは)人生における幸・不幸は予測が出来ないということ。幸運から不幸に、不幸から幸運にいつ転じるかわからないので、一喜一憂する必要はないということ。昔、中国北方の塞(とりで)付近に住んでいた老人が馬に逃げられたが、その馬が立派な馬を連れて帰って来た。老人の息子がその馬から落馬して足の骨を折ったが、そのおかげで兵役を免れたという故事から。『人間万事塞翁が馬』ともいう」(ことわざ辞典オンライン)「(「禍福は糾える縄の如し」とは)わざわいと幸福は、より合わせた縄のように表裏一体を成しているということ。「糾(あざな)う」とは縄をより合わせること」(同前)。

【金口木舌】2025年のハーフタイム 数年前、バスケットボールの試合の中継を見ていたときのこと。前半戦で劣勢だったチームの選手たちが、ハーフタイムに「まだまだ後半がある。必ず盛り返せる」と話し合っていた▼なかなか流れをつかめない苦しい展開だったが、そのチームの選手の表情は明るかった。後半に入ると前半の劣勢がうそのように力を発揮して、相手を大きくリードして勝利をつかんだ▼多くのスポーツにはハーフタイムのように試合を区切る時間がある。前半の戦い方を振り返り、分析することで後半の展開を変えられる。そして何より重要なのは諦めない気持ちだと、多くの選手が証明してきた▼仕事でも勉強でも家庭生活でも、私たちの人生はうまくいかないことばかり。誰だって落ち込んだり心が折れそうになったりすることはある。それでも前を向いて進めば必ず状況は好転する▼2025年も半分が終わる。年初に立てた目標や計画が思うように進んでいないとき、今が1年の「ハーフタイム」と考えてみてはどうか。前半の経過を振り返り、後半に盛り返せると信じることで、最後に笑って過ごせる1年になるはずだ。(琉球新報・2025/06/30】

 「明日は明日の風が吹く」といい、「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」「楽あれば苦あり」「苦あれば楽あり」という。勝ち負けがあるのが人生なら、何をもって勝ちとするか、負けとするか。寿命が尽きるまでバスケットの試合が続くと考えたらどうか。ハーフタイムもなく、監督もコーチもいない。まして、応援するものもいない、実に孤独な終わり(勝ち負け)のない試合。ときには、一人で負け続けることもあるかもしれない、それが人生でしょう。

 「待てば海路の日和あり」というのは、確かだとして、どれだけ待てばいいのか。時化(しけ)続きで、人生を終わる人もいるでしょう。戦争の惨禍に翻弄された人はどれほどいるか。幸福の絶頂で侵略者の砲撃に消し去られることもあります。ぼくたちの生きている社会の歴史に、できれば背中を向けないで、何と言われようと、自分の歩幅と歩速で歩くしかないのです。「最後に笑って過ごせる1年になるはずだ」と仰(おっしゃ)る。人生は脚本のある「大喜利」「笑点」なんかではないと、ぼくは考えているのです。出口のないトンネルをトンネルというのかしら。トンネルなら必ず光が指すでしょう。さて、「人生はトンネル」なんでしょうか。

いちうらろく=さいころの一と六とが裏表であるように、生きていくうちには、よいこともあれば悪いこともあり、それが循環するものだ。(デジタル大辞泉)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

「徒然に日乗」(792~798)

〇2025/06/29(日)一日間違えた、かみさんの箱根行。猛暑日に当たり、しかも山にも上るというのだから。膝が痛いといつも言い続けている彼女の自覚の欠如、体を労わるのは自分であるという意識が極めて希薄。加えて年齢相応の行動にも気が回らないところがある。午後7時過ぎに一度電話があったが、うまくつながらなかった。「海ホタル」かららしい。茂原に着いたら、もう一度電話するといったが、電話はいらないから、気を付けて帰るように伝えた。案の定、帰宅早々(午後9時過ぎ)、「膝が痛い」との訴え。明日以降が気になる▶昼過ぎに、少しばかり除草作業を行う。少しばかり動いただけで汗が噴き出す。即座に中断、無理をしないこと▶イ・イ和平協定の行方は霧の中、と言うより、これまでの歴史をたどれば、こんな程度の茶番では、それは不可能だと思う。イランの核施設爆撃の程度にも疑問が沸きだしている。何よりも、大統領のあらゆる話の根幹が虚言で成り立っているという、悍(おぞ)ましさ。この大統領を承認し続けるのだろうか、アメリカも世界も。(798)

〇2025/06/28(土)昨夜、「明日は仲間と一緒に箱根に行く。朝早く集まって、バスで。もちろん登山もする」と。「天候がどうなるかわからないけれど、予報では猛暑だという、気を付けた方がいい」と言った。今朝、7時ころに出かけた。車で集合場所まで送ってくれと言ったが、自分で乗っていくがいい。帰りもいつになるかわからないから、駐車場に止めておくといいよ。帽子をもって、できれば日傘も」と言っておいた。車で出かけたが、一時間もしないうちに帰ってきた。中止になったのかと思ったら、「日にちを間違えた。明日だった」と。大丈夫かと、念押ししたくなる。ひどいものだと呆れるほかない▶日の出から、強烈な日差しが照り付けている。猛暑は明らか。すでに、九州四国関西東海などは「梅雨明け」だという。数日間で夏到来。この先が思いやられる▶昼前に茂原まで買い物。猛暑の中、店は混んでいた。一両日には関東地方も「梅雨明け」になるだろう。それはともかく、6月から、猛暑日は連続するのだから、いろいろな方面で支障が大きく出るだろう。(797)

〇2025/06/27(金)終日自宅内に。天気は回復、気温も湿気も高くなりそう。各地ではゲリラ豪雨が降りしきっている。落ち着きのない天候で、今後の作物や米作にも大きな影響が及ぶだろう▶梅雨らしい天気もなくて、梅雨の中休みというのだろうか。厳しい暑さが劣島を襲い、暑さの合間に激しい降雨が各地を襲う。線状降水帯という以上にゲリラ豪雨が各地で発生。一時間に数十ミリ単位の豪雨だ。中国のある都会の豪雨をもたらす、低気圧が、いずれ劣島上空にもやってくるだろうし、また太平洋上では台風が頻繁に発生し、激しい雨風を劣島にもたらすことだろう。稲作をはじめとする作物の収穫に大きな影響が出ることを恐れている。(796)

〇2025/06/26(木)昼過ぎに茂原まで買い物に▶曇天で、時には雨も落ちてくる天気だったので、本日も庭作業は中断。熱帯低気圧からの大雨かという予報は外れていた。湿気と高温で、体そのものがだるい。連日続く真夏日によって、生育中の稲がどうなるか心配。夏野菜は軒並み、たいそうな高温で日焼けし、水不足で生長が続かなくなっているらしい。高温の弊害は甚大かもしれない。とくに稲作への影響が大いに気遣われるところ。(795)

〇2025/06/25(水)昨夜からの雨が朝まで続いていた。時には強めに降ってはいたが、昼過ぎからは日差しも出てきた▶お昼頃に、猫缶購入のためにあすみが丘(土気)まで。いつも通りの「二種類」を買う。本日は高齢者のためのサービスデーのようだったが、あいにくの雨天で人出は少なかった▶「イ・イ和平問題」の経緯がよく分からないのは、仕掛け人があの人だから仕方もないが、さて、この先、どのように転ぶのか、むしろ、これからの展開が世界の仕組みの帰趨を決めることになるだろう。「瓢箪から駒」という言葉(表現)を、ここで使いたいが、その意味するところは単純ではなさそうだといいたい。いえることは「けいいはともかく、和平に至るなら」ということか。いのちを踏みにじらない戦争を、それだけを願う。(794)

〇2025/06/24(火)昨日は「華々しい軍事的成功」と狼煙を挙げたかと思うと、翌日は「イ・イ和平合意」と花火を挙げる。米大統領の軽薄すぎる虚実織り交ぜたパフォーマンスをどういったらいいのか。いろいろな意味で、彼はどうしても「TACO」だというほかない。自作自演ではなく、彼の場合は、台本作者は別にいる。たくさんいるようでもあり、ほとんど一人でもあるというべきかもしれないほど、背景にある姿勢はその時(日)暮らし。自作自演ミュージシャンは「シンガーソングライター」と言うが、政治では、殊に米大統領のことをどう言えばいいのか、ぼくには言葉が浮かばない。やはり「マッチポンプ」が一番適合しているだろうか。本当に「和平」が成立したかどうか、ぼくにはとても疑わしい。端から、それは彼には問題外のことだから。(793)

〇2025/06/23(月)八十回目の「沖縄慰霊の日」。八十年経ても、いささかも沖縄の置かれている地位は変わらないどころか、これまで以上に、多方面における負担が重く、厳しくなっている。つまり、沖縄県は本土政府や国民からも現状固定を強いられているということであり、軍事負担もかなりの部分を強いられている。沖縄は「日本」独立の試金石であり、このままではさらにそれは遠のいていくほかないだろう。▶昼過ぎに買い物で茂原まで。相変わらず陽射しも強く、気温も高い。東京都は連続6日間、真夏日だったというから、当地も同様の酷暑続きだったことになる▶午後には、溜まりに溜まっている剪定した枝葉や草類を燃やした。明日から、しばらく雨続きとの予報もあったので、かなり焼却できたと思う▶昨日は都議選があって、自民党は大敗だという。中央政界と同様、与野党が画然と分かれているとは思われなく、ごく一部を除いて、すべてが与党化しているとぼくは見ている。だから、政治そのものが歴然とした現状肯定主義が幅を利かせているのだ。ドングリたちが、1ミリの差を針小棒大にして競い合っているという無様。(792)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

MAGA demands Nobel Peace Prize for Trump

◎ 週の初めに愚考する(七拾六)~ 多言を要しません。駄弁も要らないでしょう。以下に、一本のヴィデオを紹介しておきます。昔からよく観ている番組です。その主張や批判のすべてにぼくは賛成しているわけでもないし、彼(ら)の論評が常に正しいと思っているものでもありません。時には、外れることもあり、間違えることもあるでしょうが、少なくとも現職大統領への評価に関しては、確かな指摘をしていると思って、ぼくは多くを教えられてきました。このMSNBCの番組の他のものも、ぼくは繰り返し観てきました。偏っていると言われたりしますが、その指摘が的外れでない限り、偏(かたよ)りは、それ自体で「正しい」ともいえるのです。この放送に出ているかなりの人々は共和党支持派だったとされるのは、ぼくには興味深くもあります。

 現実の米大統領の恥も外聞もない、著しい狂気・乱心をどう見ればいいのでしょうか。丸裸で、世界を闊歩、その裸体(nudity)を見せびらかしてさえいるのです。目の前に「ノーベル平和賞」がぶら下がっている、これを逃してなるものかと躍起になるのも判らぬではありませんが、「世界の平和」にとっては途轍もない迷惑な話。アメリカはこれまでに何度も繰り返し他国の政治に干渉し、政権を覆してきました。今回もその手を使っている。そして、彼のあらゆる発言の根底には「隠しようもない嘘(an unconcealable lie)」が横たわっているのです。それをしてまで、「何が何でも盗らねばもねばならぬ」と、まるで将棋界の鬼才坂田三吉ばりに形振(なりふ)り構わずに「平和賞狙い」の勝負に出ているのです。一個でも二個でも授けたらどうですと、ぼくは最初から言っています。

 どうしてこんなに拘(こだわ)るのか、不倶戴天の政敵(彼には唾棄すべき存在)のオバマ元大統領が先に授与されたからです。人種差別主義者の人間としては、許せない、看過できないことなのだ。あんな奴に負けるわけにはいかぬというばかり。(同じ民主党の大統領だったカーター氏も授与されている)中東であれ、どこであれ、その地域の「和平」も人名なんかも、どうだっていいんですね。この段階で、彼を抑え込めなければ、傍若無人がさらに昂進するでしょう。彼の周りで、彼に弓を引くものも、冷や水をひっかける(諫言する)ものも、誰一人いないのは、彼が怖いのではなく、自分が可愛いからなんですね。

 狂気狼藉ますます募り、遂に岩盤支持層までが彼から離反し始めているといいます。だからこそ、さらに狂気の度は進むでしょうね。

 ここに、MSNBCの三日前のビデオを紹介しておきます。題して<‘What peace?’: MAGA demands Nobel Peace Prize for Trump after bombing Iran>、コメンテーターはChris Hayesさん。(https://www.youtube.com/watch?v=OpVIu1LdYhE

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

今は世におしなべていちじるしきもの

【有明抄】会話の相手は? 若い頃赴任した多久・小城支局は一人支局。一人は誰にも気兼ねすることなく自由だが、原稿に行き詰まった時は話し相手が欲しくなる◆人は一人では生きていけない。この春、進学や就職、転勤などで家族と離れ、一人暮らしを始めた人は何気ない会話のありがたさを感じているのではないだろうか。話しかけた言葉に答えが返ってこないと気づいた時、人は喪失感に襲われる◆対話型生成AI(人工知能)のチャットGPTに「チャッティ」などと名前をつけ、会話を楽しむ人が増えているという話を耳にした。新聞製作でも講演の要約などAIの活用範囲が広がってきた◆そんな時代の流れに筆者は乗り損ねている。「サラっと一句!わたしの川柳コンクール」で目に留まった「AIの使い方聞くAIに」のレベルだ。AIはくだらないと思うような質問にも真剣に答えてくれるそうだ。考えてみれば、正解を求めて人と会話するわけではない。欲しいのはあいづちや「共感」の言葉◆きのう、佐賀県を含む西日本で梅雨が明けた。「ずいぶん早いね」「そうだね、暑いね」。チャットGPTならこう続けそう。「このまま確定すれば史上最速の梅雨明けだよ」。そんなうまい答えは返せなくても、せめて聞く姿勢だけは負けないようにしたい。自分が欲しいものは相手もきっと欲しいもの。(義)(佐賀新聞・2025/06/28)(ヘッダー写真「2024年に死刑を執行した国は15カ国と、過去最少を記録した。画像はマレーシア・クアラルンプール市内のシンガポール大使館前で、「死刑を廃止せよ」などと書かれたプラカードを手に死刑制度に抗議する人々」BBC・2025/04/09)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c77nnrlp1rgo

 本コラムの主旨は何処にあるのだろうか。ぼくにはよくわからない。どんな人も「会話の相手」を求めているというのでしょうか。それとも、…。ぼくはこれまでに一定期間、たった一人で生活した経験はある。4~5年になるだろうか。それこそ、誰とも話さないで、たった一人で一日を過ごすことが多かった。まして繁華な街の中ではなく、滅多に人も来ないような僻地での生活でした。その際に、「話しかけた言葉に答えが返ってこないと気づいた時、人は喪失感に襲われる」とコラム氏は言われる。自分の他に誰もいないのを知っていて、人は話しかけるのかどうか。何に向かって、話しかけるのか。淋しいとか悲しいという感情は誰にもある。でも、そうではなく「喪失感に襲われる」と言われると、ぼくはどきりとする。どんな事柄においても、人それぞれで、多くの時間を一人で過ごしたい人もいるだろうし、そうではなく、常に賑やかな笑い声や話し声の中で過ごしたいと思う人もいるでしょう。

 でもどうですか、どんな人でも、人が疎ましくなることもあれば、人恋しい時もあるのではないですか。相手がだれであれ、何であれ、話す相手になってくれる存在を求めているのなら、犬でも猫でも亀でも昆虫でも。あるいは小鳥や小動物だって、十分に相づちを打ってくれるでしょう。ぼくには未経験ですから、勝手なことは言えないが、今どきのことですから、「チャッティ」であることも大いにあるでしょう。外国では室内で育てている観葉植物なども、家族の一員と見為して暮らす人もいます。おふくろが元気だったこと、美しい花を咲かせてくれた植木に向かって「おおきに、ありがとう」と言葉をかけて、お礼肥えを施していたことを覚えている。

 「人は一人では生きていけない」とは、どういう場面を想定しておられるのだろうか。わざわざ、そんなことを言わなくてもそうであるに決まっているではないかと言いたくなりますね。生まれたばかりの赤ん坊は三日も放置されれば、生きるのは難しいでしょう。「生きる」ということなら、誰彼の世話やおかげを被(こうむ)って暮らすことを指すのでしょう。目の前に、あるいは自分の隣に確かにいるとは限らない、不特定の他人の働き・支えでぼくたちは生きているのですから、「一人では生きていけない」とことさらに指摘するのもどうかと思う。問題は、自分の頭で考え、自分の足で立つこと、そんな力を育てることをこそ、成長するというのであって、そんな「生きるための能力」を抑圧・阻害しないことをぼくたちは十分に注意する必要があるのでしょう。

 自分の無能を棚に上げて、コラム氏の記事に「いちゃもん」をつけているのかもしれないし、そうでないのかもしれません。二度三度読んでも、コラム氏の視点・主旨がぼくにはよく捉えられないもどかしさを、そのままの感情で駄文にしたら、こんな出鱈目な成り行きになったという次第。あえて「人は一人では生きて行けない」と断るまでもなく、たくさんの人々(その多くは赤の他人)によって支えられ、見守られているということを、少しでも感じることができるなら、それでひとまずは、何とか生きていけるんじゃないですか。

 「生の充実」というようなことは、不満や不平があってこその対価であるとぼくは感じている。その昔、作家の正宗白鳥さんは、逢う人毎に「つまらん、つまらん、この世は、つまらんことばかりだ」と言っていたそうです。それを聞いて、彼をとても尊敬していた文学者は、「口ではああいっているけれど、正宗さん、実はもっといい世の中に、もっとましなことがある世の中にと、それを念じているんだ」と、正宗白鳥さんの真意を知って驚嘆したと言っていた。「だめだ、だめだ」という口癖は「だめでないものがあるはず」と言うに等しい、そんな苦言や文句を口にできるようになりたいもの。周りや近くに親しい人間がいなければ、直ちに「チャッティ」に飛びつくのもいいけれど、ね。

*****

……                                                                    人はみなたつきのかたにいそしむを
われが上にも
よきいとなみのあれかしと
かくは願ひ
わが泪ひとりぬぐはれぬ

今は世に
おしなべて
いちじるしきものなく
――(「冬の日」三好達治「測量船」所収)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

泣く児と地頭には勝てぬ、だって

 どうか、何が何でも「平和賞」を差し上げてください、とぼくが依頼する筋はないけれど、こんなに欲しがっているのですから、あまり焦らすのはよくないとは思う。「ノーベル平和賞」受賞のためなら、「戦争も辞さない」という物欲しさの衝動は狂気そのもの。取り合わなければ、今以上に世界の秩序をいたずらに乱すのは請け合いだから、そのためにもノーベル委員会は、決断するべきではないですか。「一時的にも平和になる」という意味での「ノーベル平和賞」ですよ。できれば、ネタニヤフにもハメネイにも。加えて、「侵略」終了の期待を込めて、プーチンにもゼレンスキーにも授けられますように。集団授与。もちろん、その受賞・授賞は間違い(過ち、失敗)だったという事例には事欠かないのですから、それに一名、二名(一例)が加わったところで、平和賞の看板に傷がつくものでもないでしょう。「平和」というのは「戦争」と背中合わせ。生まれはいっしょの双生児です。戦争大好き人間が受賞することもあれば、平和心底愛好人間が受賞することもあります。そこで、どちら(だれ)の「平和賞受(授)賞」が理にも、情にもかなっているか、それを判断するのは正常な知恵の持ち主(「後世の歴史」ということ)です。(それにしても、EUの首脳たちも「同じ穴の狢」なんだな。挙って「TACO」にゴマすり)政治家と名の付くものは、すべからく「狢(むじな)」の類なんだね)

 何の分野であれ、さまざまな名誉や賞賛を伴う「褒章」「褒美」に事欠きません。そこには「やりたい人よりほしい人」が圧倒的に多数いるからでしょう。須(すべか)らくと言うと誤解されそうですが、あえて言いますと、「褒章というのは宝籤みたいなもの」で、中(あた)りはあるけれどきわめて少数、いわば運や不運が必ず付きまとうもの。そしていつだって「心清き人」が受賞するとは限らないし、悪人だって機会に恵まれるもの。それこそ、「宝籤(たからくじ)」のごとしでしょ。善悪、美醜混合なんだ。「ノーベル…」だって、変わりはないですよ。

+++

*「地頭じとうにはてぬ=聞き分けのない子や横暴な地頭とは、道理で争っても勝ち目はない。道理の通じない相手には、黙って従うしかない」(デジタル大辞泉)

*「泣く子と地頭には勝てぬ 道理の通じない子供や権力者とは、争ってもどうにもならない。[使用例] 泣く子と地頭にゃ勝てないというが、将棋界は、スポンサーである新聞社には勝てません。組織の一員にすぎない私が、どんなにわめき立ててみても、しょせんはゴマメの歯ぎしりです[升田幸三*名人に香車を引いた男|1980][解説] 「泣く子」と「地頭」が並列され、いずれも手に負えないものですが、主眼は後者にあります。江戸時代の「地頭」は、幕府や各藩が家臣に与えた知行(領地)の領主のことで、地域の徴税や司法に強い権限を持ち、「地頭に法なし」ともいわれました」(ことわざを知る辞典)

【小社会】平和観を映す 世界で最も名誉な賞といえば、真っ先にノーベル賞が浮かぶ。中でも平和賞は特別な存在といっていい。平和の実現は人類の共通の課題。運動家だけでなく佐藤栄作元首相やオバマ元米大統領ら為政者も受賞してきた。❖それだけ紛争があふれている証しだろう。政治の影響も大きい。ジャーナリストの池上彰さんは平和賞の歴史は「20世紀から21世紀にかけての現代史そのもの」だと指摘する(著書「ノーベル平和賞で世の中がわかる」)。❖歴史に名を残したいのだろう。トランプ米大統領が平和賞に執着している。先日も記者団に「平和賞を私に与えるべきだ」。イスラエルとイランの停戦合意も自分が「戦争を終結させた」と誇示する。❖世界の紛争解決にトランプ氏が前向きなのは否定しない。ただイスラエルに加勢してイランを攻撃し、武力で停戦を迫ったのもトランプ氏。攻撃は第2次大戦での日本への原爆投下と「本質的に同じことだ」とも正当化した。戦争が終われば、非人道的手段も許されるという価値観なのか。❖平和賞には過去、授与は判断ミスと評されている受賞者がいる。逆に、インドの非暴力の政治指導者ガンジーのように授与されず、悔やまれた例も。やはり時代の影響を感じる。❖さて、トランプ流「力による平和」は称賛に値する手法なのか否か。ウクライナやガザの戦闘も続く中、これも現代の平和観を映す鏡になりそうだ。(高知新聞・2025/06/27)

パキスタン、トランプ氏をノーベル平和賞に推薦 印パ停戦仲介で[イスラマバード 21日 ロイター] – パキスタンは21日、先月のインドとの停戦を仲介した功績を称え、トランプ米大統領をノーベル平和賞に推薦すると発表した。/パキスタンとインドは、係争地カシミール地方のインド側で4月下旬に発生した観光客襲撃事件をきっかけに攻撃の応酬となった。核保有国同士の交戦に国際社会で核戦争への懸念が高まったが、トランプ氏は5月10日、両国が「完全かつ即時の停戦」に合意したと表明した。/パキスタン政府は「トランプ大統領は、パキスタンとインド双方に外交的に強固に関与し、偉大な戦略的先見性と卓越した政治手腕を発揮し、急速に悪化していた状況を緩和した」とし、「その介入は、彼が真の紛争仲裁者であることの証だ」とした。/ノーベル平和賞は各国政府が推薦できる。米政府からの反応は今のところない。インド政府報道官はコメント要請に応じていない。(ロイター・2025年6月22日)

トランプ氏、ノーベル平和賞に選ばれないことに不満たらたら 功績主張【6月21日 AFP】ドナルド・トランプ米大統領は20日、首都ワシントンで交渉が行われたコンゴ民主共和国(旧ザイール)とルワンダの和平合意を自らの手柄とし、さまざまな功績を挙げているにもかかわらず、ノーベル平和賞を受賞できないと不満をこぼした。/紛争中のコンゴとルワンダは18日、共同声明を発表し、コンゴ東部の紛争終結に向けた合意に仮調印したと発表した。正式署名は来週、米首都ワシントンで行われる予定だ。/トランプ氏は自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」で「きょうはアフリカにとって素晴らしい日だ。そして率直に言って、世界にとって素晴らしい日だ!」と述べ、この進展を認めた。/だが、トランプ氏の勝ち誇った口調は暗くなり、インドとパキスタンの紛争やセルビアとコソボの紛争でも仲介役を務めたにもかかわらず、ノーベル平和賞の受賞者を選考するノルウェー・ノーベル委員会に功績を見落とされていると不満を漏らした。(↴)

トランプ氏は、エジプトとエチオピアの間の「平和維持」と、イスラエルと複数のアラブ諸国の国交正常化を目指す「アブラハム合意」の仲介についても、自らの功績だと主張した。/トランプ氏は2024年大統領選で、自身を「調停者」と位置づけ、交渉術を使ってウクライナおよびパレスチナ自治区ガザ地区での紛争を迅速に終結させてみせると豪語していたが、就任から5か月が経過した今も、両紛争は依然として激化している。/トランプ氏は長年にわたり、議員を含む自身の支持者からノーベル平和賞の候補者に何度も推薦されているが、受賞できていない。/この名誉ある賞を逃したことへのいら立ちを隠そうとすらしておらず、2月にはイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相との大統領執務室での会談でもこの話題に触れた。/バラク・オバマ元米大統領は2009年の就任直後にこの賞を受賞したが、トランプ氏は2024年大統領選の選挙戦中、オバマ氏はこの栄誉に値しないと不満をこぼしていた。(c)AFP(2025/06/21)

+++++++++++++

ノーベル平和賞【ノーベルへいわしょう】=ノーベル賞の一つ。ノーベル賞を創設したアルフレッド・ノーベルは,他の科学三賞と経済賞とは異なり,授与主体をスウェーデンではなくノルウェーに託した。したがって,選考はノルウェー・ノーベル委員会が行い,授与式もオスロ市庁舎で開催される。ノーベルの遺言の趣旨は平和への貢献にあるが,平和の概念自体が幅広くかつ歴史的,政治的に変化せざるを得ないため,ノーベル平和賞は,しばしば国際政治や外交問題の論争点にもなってきた。今日ではさらに,人権擁護,民主化運動,民族独立運動から環境保全まで,賞の対象とする分野は大幅に拡大しているため,政治的迫害を受けているか,受賞を機にさらに迫害が強まる可能性すら考慮に入れざるを得ない場合がある(1991年のアウンサン・スーチー,2010年の劉 暁波)。また特定の国内政治状況に,受賞を機に国際世論が介入することになる可能性もあり,受賞は常に国際的な議論を呼んでいる。2011年は,エレン・サーリーフ(リベリア大統領),リーマー・ボウィー,タワック・カルマンの三人の女性が受賞,話題となった。2012年は,EU(ヨーロッパ連合)が受賞。欧州の和解と平和への貢献が受賞理由だが,ユーロ危機,欧州債務問題が深刻化するなか,受賞は政治的に過ぎるという批判も出された。2013年は,OPCW(化学兵器禁止機関)が受賞。これまでにも赤十字国際委員会(1944年),国連難民高等弁務官事務所(1954年,1981年),国境なき医師団(1999年)など,国際機関や組織の受賞もある。2014年は女性が教育を受ける権利を訴え続けた17歳のマララ・ユスフザイ(パキスタン),子供の権利の活動家カイラシュ・サティーアーティ(インド)が受賞。(百科事典マイペディア)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

自分を知ること。教育は競争じゃない

【明窓】「◎○△」がもたらす気付き 自分を評価する際、ありのままを肯定的に認める「自己肯定感」という言葉が広く浸透したのは2000年ごろとされる。日本の若者は外国に比べて低いとされ、いつの間にか教育現場を中心に高めねばならないとの圧力が強まっている。❖こちらも自己肯定感を高める取り組みの一環という。岐阜県美濃市の小学校が1、2年生の通知表を廃止する。「◎○△」の3段階評価をやめ、代わりに文章で所見を書いた修了証を手渡す。総合教育会議で「児童が丸の数だけを数えて他人と比較し、自己肯定感が下がるのでは」といった指摘があったという。❖背景には、1年生が学校生活になじめない「小1プロブレム」がある。そこに評価が加われば、劣等感を覚えて不適合を起こしかねない。そんな子を一人でもなくしたい事情がある。一方で成長には「比較」が伴う。他人と比べたり、過去の自分と比較したりして初めて分かる気付きは少なくない。❖心理学者の榎本博明さんは「自己肯定感が低いのは悪いのか」と疑問を投げかける。褒めそやし、自己肯定感を促す教育は、今の自分を超えようともがく機会を失うと危ぶむ。❖日本人は「自分はまだ未熟だ」と謙遜の文化に身を置き、自己を高めてきた。良い意味での劣等感は幼い頃から体験させるべきだろう。通知表に子どもの魅力は閉じ込められないが、「◎○△」の記号がもたらすメリットは計り知れない。(玉)(山陰中央新報・2025/06/25)

 「文部科学省によると、通知表に法的根拠はなく、作成の主体は校長先生、様式や内容もすべて校長先生の裁量となっています。そして「保護者に対して子どもの学習指導の状況を連絡し、家庭の理解や協力を求める目的で作成。法的な根拠はなし」とされており、「文部科学省の関与なし」と定められています」(中略)

▽「評定(数字)」は必要だけど、その子の生活態度やクラス内でどのような存在か、というような「評価」は不要なのではないか、と正直思う。どうしても先入観や主観が入ってしまうし、それを文字に残すのは正直怖いです。だとしたら、面談など口頭で伝えられる時に詳しく話す方がいい。通知表は評定だけでいいんじゃないか、と思います。(公立小学校教員・Mさん)

▽実は、私の勤める学校(公立)でも通知表をなくしてはどうか、という意見が少数ですが出ています。まだ少数派とはいえ、私としては不安です。今の世の中、競争や順位付け、あるいは「何かに秀でていないと劣等感を持たせることになる」という風潮がありますが、やはり通知表はその学期にどのくらい頑張ったか、ここはもうちょっとなどの先生からのメッセージでもあり、数字や評価はモチベーションにつながることも多いです。もし通知表に不満があったり、「ちょっとここは」と疑問に思った保護者(あるいは子ども本人)が気軽に意見を言える雰囲気になっていけばいいな、と思います。理想論ですが…。(公立小学校教員・Hさん)」(まいどなニュース/BRAVA編集部・2022/07/13)

~~~~~~~~~~

 通知表には決まった形式や内容もなく、それぞれの学校が独自の判断で作成したり、しなかったりできるもの。しかし、この社会の「横並び」や「全体主義」の風潮からすれば、なかなか「独自性」を発揮することは困難なのでしょう。五段階評価でも、その基準や根拠は何かと問われたら、多くの人を納得させる理由を示すことはむずかしいでしょう。

 にも関わらず、ほとんどの学校ではすべての児童・生徒に「成績通知表」なるものを記録・作成し、子どもを通して親にその内容を示してきました。コラム氏が書かれている「自己肯定感」とはどんなものか、ぼくはこの言葉が好きではないし、あまり使った記憶がない。簡単に言うなら「自己評価」ということではないかと思うが、誰が何と言おうと、「自分は自分」という自己認識がある、それを「自己評価」というのでしょうが、残念ながら、ほとんどの場合は「他者評価」が、そっくりそのまま「自己評価」に居座っているという、情けない事態になっているようにぼくには思われる。

 「算数」の点数がいいから、自分は算数ができる、だから算数が好きなのだという、どこか腑に落ちない根拠らしいものが自己評価、あるいは自己肯定感にはあるのではないでしょうか。学校教育は、殊に他者による評価を求めさせる傾向が極めて高いと言えます。学校の役割は、どの子がどれくらい成績がいいか悪いかを明らかにする「成績判定」を担う機関とされてきました。学校の成績が悪ければ、社会的には劣等児(者)という刻印を押される。まことに嫌な風潮だけれど、学校の役割の基本の部分に「成績判定機能」があるのです。「学校で習った知識」には権威があるという錯覚が蔓延していないでしょうか。

 この「評価」問題にかんしては何度かこの駄文録で触れてきました。だから、繰り返すことはしない。問題の核心は、子どもであれ、大人であれ、「自分はどれほどのものか」という自己評価を何よりも大切なものとして、自分を把握する力を育ててほしいということ、それに尽きます。自分が足りない、ここがよくないところという「自己評価」があればこそ、それを矯(た)める必要性を認めるでしょうし、そのような自己訓練のために必要なものとして、競争や他人との比較も、時にはあるでしょう。肝要なのは、問題の順番を捉え損なわないことです。何よりも「優劣」を明らかにするために試験をしたり、競争させることが、教育の別名になるような、悍(おぞ)ましい事態を学校全体が放置・受任してきたことを忘れるべきではないでしょう。校長になるのも、級長になるのも、試験の成績順だというような風潮をこそ、ぼくたちは蹴飛ばさねばならないのだ。

 親について、一言。学校教師が作成した「通知表」を見なければ、自分の子どもの「現在」がわからないのは、親としてどうですか、と言いたいね。そんなもの(通知表)があっても、それに抗(あらが)って、子どもの成長力(可能性)を明らかなものとして掴んでいてほしいものだ。親の仕事は、子どもの力を曲げないこと、つまりは伸ばすこと、それに尽きる。そのための学校教育であり、教育の通知表であって、あくまでもそれは参考資料(意見)でしかないのですから。通知表や成績評価表の結果がどれ程不確かなものか、信憑性において怪しいものだったか、並みいる高学歴の所有者の言動・挙措を見れば一目瞭然としませんか。

IIIIIIIIIIIIIIII