閑中閑あり、また苦しからずや

 唱歌「夏は来ぬ」は、ぼくの好きな歌の一つで、その歌詞の表現する情景は、いかにもある時期までのこの劣島の季節を目の当たりにしながら書かれたもののように思われます。作詞は佐々木信綱さん(1872〜1963)。その中で歌われていて、長くぼくには未知の樹木になっていた「楝(おうち)」、それが「栴檀(せんだん)」だとわかった(納得した)のは大学生になってからでした。「楝散る 川辺の宿の 門遠く 水鶏(くいな)声して 夕月すずしき 夏は来ぬ」(四番)とあって、なんだか知らないままで歌っていたものでした。1896(明治29)年の作。作曲は小山作之助さん(1864~1927)。ある季節になると、ぼくの脳髄の中で自然に、いろいろな季節の歌が鳴りだすのです。(「夏は来ぬ:https://www.youtube.com/watch?v=XQm1qk53suc)(*「賤(しづ)の女」についても、ある個所で問題性を指摘しています)

 その栴檀(せんだん)、実際に咲いているところを見た記憶がありません。この木を加工して置物や家具などの材料にしたもののいくつかは所有していますが、その品と楝(おうち)、栴檀(白檀)がぼくの中では一つにならなかったという、ばかばかしい話です。本日の高知新聞コラム「小社会」を、ぼくは面白く読んだ。コラム氏たちには申し訳ないのですけれど、滅多にないことで、嬉しくもありました。中でも飯田蛇笏さん作「栴檀の花うすいろに郷薄暑」に、懐かしさを覚えたのでした。蛇笏氏(右写真)については何度も触れています。ぼくは、この敷島の邦における無数の俳人の中で、最も好んで読んできた人でした。大きな望みを持ちながら、帰郷して家業を継いだ青年時代。息子を三人も、若死にさせた父親としての悔恨を持ち続けた人として、終生山梨に居住して、すべてを身のうちに包ん厳しい作句を旨として生きた。次男には飯田龍太氏(左下写真)がいた。その龍太氏にも「栴檀の咲き溢るれば亡き子見ゆ」があります。

 薄暑(はくしょ)も、近年ではめったにお目にかかれない言葉になりました。「初夏のころの、わずかに感じる暑さ。《 夏》」(デジタル大辞泉)この辞書(大辞泉)には久保田万太郎さんの一句が挙げられています「はんけちのたしなみきよき薄暑かな」(季語は夏)今朝も早くから鴬が鳴いています。ぼくは午前三時に起きましたから、まだ暗い中、少し明るみ始めたかと思いきや、もう鴬の澄んだ鳴き声が部屋に響いています。このようなひんやりした明け方、何とも熱い一日が予想されます。昨日も当地は25℃もありました。「この先も爽やかな気候が続けばよいが、あとひと月もしないうちに梅雨もやって来る」とコラム氏。

【小社会】薄暑 大型連休が明け、通勤で高知市の鏡川河畔を通ると、センダンの花が見事に咲いていた。気温も程よく上がり、薄紫色の花が清涼感を醸し出す。〈栴檀(せんだん)の花うすいろに郷薄暑〉飯田蛇笏。■野鳥が実をついばんでいたのがこの間のように思え、季節の移ろいは早い。この先も爽やかな気候が続けばよいが、あとひと月もしないうちに梅雨もやって来る。■早いと言えば、こちらは四季が2回も巡った。新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けが2023年のきょう変わり、季節性インフルエンザと同じ分類になった。いまも感染は続いており警戒は怠れないが、随分と平穏さを取り戻した。■2年どころか、もう20年になるのが、毎年5月に始まる「クールビズ」だ。先日の本紙にも載っていた。地球温暖化防止や省エネのため、ノーネクタイなど軽装での仕事を奨励。冷房を効かせ過ぎないようにする運動は、すっかり定着した感がある。■ただし、いまでは運動というより夏に必須の熱中症対策ではないか。当初提唱された室温28度も安心ではなくなり、言われなくなった。温暖化は20年前の想定を大きく超えて進んでいるようだ。■初夏には純白のドクダミの花も映える。〈どくだみの香にたつ土の薄暑かな〉西島麦南。広辞苑によると薄暑は「初夏の、やや汗ばむような暑さ」で、いま時分の気候をよく表している。温暖化が進む中、いつまで使い続けられるだろうか。(高知新聞・2025/05/08)

◎ せんだん【栴檀・楝】〘 名詞 〙 ( [梵語] Candana の音訳 )植物「びゃくだん(白檀)」の異名。[初出の実例]「清く涼しき林のせむだんのかげに」(出典:宇津保物語(970‐999頃)俊蔭) 「せんだんこう(栴檀香)」の略。[初出の実例]「薫り栴檀・沈水にしみかへり」(出典:栄花物語(1028‐92頃)もとのしづく) ( 楝 ) センダン科の落葉高木。四国・九州以西の暖地に自生するが、ふつう庭木・街路樹として栽植される。高さ七メートルに達し、樹皮は縦に裂ける。葉は二回または三回羽状複葉で長さ五〇~八〇センチメートル。各小葉は卵形または卵状楕円形で先がとがり、縁に鈍鋸歯がある。五~六月頃梢の葉腋に大型の複集散花序をつけ、淡紫色の小さな五弁花が群がって咲く。果実は長楕円形で五個の縦溝があり黄色に熟す。樹皮はジョウチュウの駆除薬に使い、果実をひび・あかぎれに用いる。材は建築・家具材になる。香木の栴檀とは別。漢名、楝。おうち。せんだ。あらのき。あみのき。〔訓蒙図彙(1666)〕 「せんだん(栴檀)の板」の略。(精選版日本国語大辞典)

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 このところ、天候のいい日には、午前中に限って庭作業に時間を使っています。雨が降り、その後に高温の日が続くと、たちまちのうちに草や木が驚くほどの勢いで枝葉や背丈を伸ばして、暫し呆気にとられるほどです。コラムには「どくだみの香にたつ土の薄暑かな」と麦南氏の句が引かれていますが、我が荒れ庭がまさにそうで、香に立つ土どころか、土の表面がすっかり隠されてしまうほどの「蕺草(ドクダミ)」の庭になっています。この草の根は深く、とてもそのすべてを「根こそぎ」にすることはぼくにはできません。だから根茎を残したままで除草するばかりですから、間を置かずにまた伸びてきます。「蕺(シュウ/どくだみ)」の字は、蕺(どくだみ)以外に使えるのでしょうか。またその強烈な臭いは独特のもので、言い表しがたい臭気を漂わせます。だからこそか、この草は貴重な薬草(生薬)として、今もなお用いられている。十薬(じゅうやく; 重薬、蕺薬)などと称されています。また、蕺茶(どくだみちゃ)としても長く愛飲されてきました。

 まるで「蕺苑(どくだみえん)」のような我が荒れ庭も、この草をいろいろな用途に使って有効利用しようかなどと愚考したこともありました菖蒲が咲き、山吹が香り、黄と白の、それぞれの木香薔薇(モッコウバラ)も方々に枝を伸ばして咲咲き競うように満開の壮観。その中で、いささか地味な蕺(どくだみ)は、実に清楚ともいえるような佇まいで咲いている。手に触れなければ、少し苦手なにおいも出さないのは、この植物の自己防衛の手段だったと気が付くのです。愛おしいとは言わないまでも、楚々として物言わずそこにある(いる)のは、この世の中の「自己主張」の強がりが物言う風潮に対峙して、自己流の抗うかに思わせる姿勢。下手に手を出すと、どうなるかね、と。

どくだみの思ひつめたる香りなる(中村房江)
どくだみや家それぞれの佇まひ(芝宮須磨子)
どくだみの匂ひにまみれ草むしり(岩松八重)
平家屋敷どくだみの花囲みをり(岡部名保子) 

わが苫屋やがて来て鳴く閑古鳥(無骨)
うき我をさびしがらせよ閑古鳥(はせお)

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「背に腹はかえられない」というのか

 *報道の自由、日本は66位 順位改善するもG7で9年連続最下位https://www.asahi.com/articles/AST513FPHT51UHBI027M.html)「国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は、2025年の「報道の自由度ランキング」を2日発表した。調査対象の180カ国・地域のうち日本は66位(前年70位)で順位を上げたが、主要7か国(G7)の中では17年から最下位が続いている。(以下略)(朝日新聞・2025/05/02)

 「報道の自由度」を測る尺度はいくつもあるでしょう。このような調査をする媒体の数ほども異なる結果が出てくるのは、ことの性質上からは避けられないと思う。第一、報道すべき「対象(権力の政治判断や権力行使など)」を報道する側の判断や姿勢も同じように多様でありえますから。何をもって報道の「自由度」かという点について、すべてが同意することは現実にはなさそうです。「当方は自由に報道している」といっても、他紙を並べると、その報道内容は180度も異なることは、毎日の新聞報道を見ていていやでもわかります。だから、この「国境なき記者団(RFS)」の調査結果も、一つの「資料」として見なければならないのは言うまでもないこと。その上で、日常生活で自らが感じている報道の在り方と照らし合わせて、報道内容から何が見えて来るか。それが問題となるでしょう。

  「今日のニュースメディアが編集上の独立性を維持するか、経済的存続を確保するかという二つの面からの挟撃をうけていることは明らかに認められる。(today’s news media are caught between preserving their editorial independence and ensuring their economic survival」)(RSF)メディアといえども、企業ですから、財政的な基盤がなければ、あるいは、相当に脆(もろ)ければ、当然のように「報道の自由」に危機的な状況を齎します。政治権力や経済資本の大きな力の態度によっては、報道の自由を犠牲にしてまで、自らの「存続」を図ろうと願うのはよくあることです。私たちの社会のメディアの「凋落」「頽廃」(と見る一部の人々の見方)も、経済的な背景に起因していることは明らかです。経済資本(財界)は、当然のこととして政治権力と二人三脚を組んでいますから、どちらから睨まれようと、「報道の自由」の維持は「風前の灯火(Light in the Wind)」となるのは明らかです。(そうではない、権力の側に立つ立場の人々もいますから、「報道の自由」は一筋縄ではいきません)

 「ジャーナリストたち(ジャーナリズム)が貧困に陥ると、報道の敵、つまり偽情報やプロパガンダを煽る者に対峙する手段を失う。( When journalists are impoverished, they no longer have the means to resist the enemies of the press — those who champion disinformation and propaganda)」「メディアの財政的自立・独立は、公共の利益に資する自由かつ信頼できる情報を確保するのに不可欠条件となる。(The media’s financial independence is a necessary condition for ensuring free, trustworthy information that serves the public interest)」(RSF)

 この島社会の場合、きわめて限られた広告代理店がメディア(テレビや新聞等)の生命線を抑えています。この状態は、おそらく戦時中から(淵源は「満州事変」からです)、ほとんど変わりなく続いており、時代と共にその支配力が異常に大きくなってきたと言えます。広告代理店と政治権力と大資本による、紛れもない癒着(structure of adhesions)の構造が出来上がっているからです。解決策はあるか。RSFも指摘しているように「財政基盤の確立」です。これに関しては方法はいくらもあるでしょうが、素人ながらも提示したいのは、企業(メディア)規模の適正化を図ることです。一新聞で千万部の部数を図るとは、狂気の沙汰。この小さな島国においてはなおさらです。都市化、一極集中化が、さまざまな危険因子を生んでいることは周知の事実。少子高齢化の原因は「極度の都市化」を進めてきたことの結果だと、ぼくは思っています。同じことはマスメディアの「一極集中」「一強多弱」傾向の助長が、新聞・テレビ界全体の弱体化(批判力の喪失)を齎したといえるでしょう。特に「全国紙」と称される「新聞」の「権力の広報媒体化」傾向は目を覆うばかりです。新聞が「権力への批判力・批判精神」を失えば、それは単なる「町内会新聞」「学級日誌」、つまりは皆さまへのお知らせ、「告知版(番)」に過ぎなくなるのは、毎日のこととして、ぼくたちは経験しています。

 いろいろな調査上の問題はありながら、この国が「報道の自由度」が、驚くほど低いという指摘は実感をもって、かつ真面目に受け止めるべきでしょう。逆に、低いとはいえ「報道の自由度」はあるのだというところに、ぼくは大いなる違和感を覚えてさえいる。「新聞(批判精神を旨とするメディア)のない政府(権力)」の、横暴な行為を伴う堕落には限界がないことは、ぼくたちは何年にもわたって、隣国の看過できない惨状として目撃しています。我が身の上のこととして。もちろん、ついこの間の戦争中においては、自国の「横暴」も見られたこと。ぼくたちは経験済みなんですよ。

RSF World Press Freedom Index 2025: economic fragility a leading threat to press freedom
Although physical attacks against journalists are the most visible violations of press freedom, economic pressure is also a major, more insidious problem. The economic indicator on the RSF World Press Freedom Index now stands at an unprecedented, critical low as its decline continued in 2025. As a result, the global state of press freedom is now classified as a “difficult situation” for the first time in the history of the Index.
At a time when press freedom is experiencing a worrying decline in many parts of the world, a major — yet often underestimated — factor is seriously weakening the media: economic pressure. Much of this is due to ownership concentration, pressure from advertisers and financial backers, and public aid that is restricted, absent or allocated in an opaque manner. The data measured by the RSF Index’s economic indicator clearly shows that today’s news media are caught between preserving their editorial independence and ensuring their economic survival.

 “Guaranteeing freedom, independence and plurality in today’s media landscape requires stable and transparent financial conditions. Without economic independence, there can be no free press. When news media are financially strained, they are drawn into a race to attract audiences at the expense of quality reporting, and can fall prey to the oligarchs and public authorities who seek to exploit them. When journalists are impoverished, they no longer have the means to resist the enemies of the press — those who champion disinformation and propaganda. The media economy must urgently be restored to a state that is conducive to journalism and ensures the production of reliable information, which is inherently costly. Solutions exist and must be deployed on a large scale. The media’s financial independence is a necessary condition for ensuring free, trustworthy information that serves the public interest.”

Anne Bocandé RSF Editorial Director(https://rsf.org/en/rsf-world-press-freedom-index-2025-economic-fragility-leading-threat-press-freedom
 日本の報道自由度66位 国境なき記者団、G7最低 【パリ共同】国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は2日、2025年の世界各国の報道自由度ランキングを発表した。対象180カ国・地域のうち、日本は66位で昨年から四つ順位を上げたが、先進7カ国(G7)で最下位だった。首位は9年連続でノルウェー。
 トランプ大統領が再選した米国は二つ順位を下げて57位で、G7で日本の次に低かった。ホワイトハウスからのAP通信記者の排除などを例に挙げ、報道の自由が後退していると批判した。ローカルニュースの著しい衰退も指摘した。
 日本については、報道の自由と多様性が一般的に尊重されているものの、政府と企業が主要メディアの経営陣に圧力をかけることが常態化していると指摘。昨年と同様、記者クラブ制度がメディアの自己検閲や外国人記者らへの差別につながっていると批判した。
 ウクライナは62位でロシアは171位。イスラエルは112位。中国が178位で、北朝鮮は179位。最下位はアフリカのエリトリアだった。(共同通信・2025/05/03)

 「背に腹はかえられない➀」という。「武士は食わねど高楊枝➁」ともいう。新聞やテレビには「使命感」や「大義」というものがあるのでしょうが、それは何のため、誰のためかという、肝心要(かなめ)の勘所(目的・存在理由)を失うと、元も子もないことになります。紛れもなく、現状がそうではないですか。目も耳も塞ぎたくなるような酷さですね。「権力に皆でにじり寄れば正義になる」とでも思ってるんですか。

 ➀「《五臓六腑 (ろっぷ) のおさまる腹は、背と交換できないの意》さし迫った苦痛を回避するためには、ほかのことを犠牲にしてもしかたない」(デジタル大辞泉)。➁「武士は貧しくて食事ができなくても、あたかも食べたかのように楊枝を使って見せる。武士の清貧や体面を重んじる気風をいう。また、やせがまんすることにもいう」(同前)

 新聞もテレビも、自分たちは永遠に続くと考えているんじゃないですか。まさかと思うけれど、どうもそいう不遜・不埒なことを狙っているから、「親方日の丸」「寄らば大樹の陰」という、情けない首尾(守備)になっているんでしょうね。

 「楽しくなければテレビじゃない」、「大部数の購読がなければ新聞じゃないよ」、かね

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愁ひ身にあれば紫雲英の野は白し

 「ひらいた ひらいた なんのはなが ひらいた ♪」今時、こんな童(わらべ)唄を歌いながら、遊戯をして遊ぶ子どもたちがいるのでしょうか。もう半世紀以上も目にも耳にもしたことがありません。でも、この年齢になって、このような童歌を覚えているというのも、さては小さいころに、女の子たちに交じって手をつないで踊ったことがあるからでしょうか。あるいは幼稚園辺りではいまもなお定番の遊戯として存在しているのかもしれません。今は昔、もう半世紀以上も経過しましたが、ぼくは若いころ、先輩の経営している幼稚園の(名義貸し)理事をしていました。時々、園に行ってはいろいろな行事(運動会など)の手伝いをしたり、園児を家まで送っていくようなことをしばらく続けていました。そんな中でも、この「ひらいた ひらいた」を見たことも聞いたこともありませんでした。

 それはともかく、各地の保育園や幼稚園、あるいは小学校、(ひょっとして老人ホーム)などではまだまだ現役の「遊戯」としてカリキュラムの中に入っていることでしょう。この「レンゲ」、ぼくの好きな草花で、それこそ、シロツメ草(クローバー)とともに、何時も身近にありました。可憐な花、加えて薬草としても大層利用されてきましたし、農家にとっては貴重な緑肥でした。(「緑色の生きている植物を田畑の土中にすき込んで肥料とすること。また、その植物。空中窒素固定を行うマメ科のレンゲソウ・ウマゴヤシ・シロツメクサや青刈りダイズなどが用いられる。草越 (くさごえ) 」デジタル大辞泉)今日のように、化学肥料がまれで高価だった時代、農家にとって大切な草肥としてかなり長い間、田畑の生産物確保には欠かせなかった。田植え前の「レンゲ」咲き乱れる田んぼで「三角ベース(野球)」などに興じていたことが記憶に残っています。

 それをすっかり目にしなくなったのは、化学肥料が大量に出回り、わざわざ緑肥を使う必要性がなくなったからでしょう。拙宅付近は、農業を営む人がたくさんおられますが、田んぼにも畑にも、まずこんな「雑草」は絶えて見られなくなりました。草茫々(ぼうぼう)、ひたすら荒れるに任せているという麗しくない風情であります。なにかしら「荒(すさ)んだ」「放置された」という、穏やかならざる印象を持ってしまいます。その「荒び」が年々、広範囲に及んでいるように感じてしまいます。

ひらいた ひらいた
なんのはなが ひらいた
れんげのはなが ひらいた
ひらいたと おもったら
いつのまにか つぼんだ

つぼんだ つぼんだ
なんのはなが つぼんだ
れんげのはなが つぼんだ
つぼんだと おもったら
いつのまにか ひらいた
— わらべうた「ひらいた ひらいた」


れんげ れんげ
つぅぼんだ つぅぼんだ
やっとことっちや つぼんだー
ひーらいた ひーらいた
やっとことっちや ひーらいたー ひーらいたー

蓮華 - 行智「童謡集」(江戸期文政3(1820)年ころ)

(ヘッダー写真を含めて、いずれも「そうじゃのミライ」より)(https://soja-no-mirai.jp/news/7790.html)                                      (「ひらいた ひらいた なんの花が ひらいた」)(https://www.youtube.com/watch?v=O6tjCR-ubW0

◎ レンゲソウ (蓮華草)(milk vetch・Astragalus sinicus L.)= 春の草花として最も親しまれている植物の一つで,中国原産のマメ科の越年草。レンゲ,ゲンゲともいう。緑肥として全国で広く栽培され(最盛期は全国で30万ha),今日では田畑,野原,土手,道端などの日当りのよいやや湿った土地に野生化している。高さ10~30cm。葉は互生し,羽状複葉で9~11枚の奇数個の小葉をつける。4~6月に葉腋(ようえき)から10~15cmの花柄を伸ばし,先端に7~10個の蝶形花をつける。この様子をハスの花に見立て蓮華草とよんだ。花は長さ12~14mm,紅紫色で内面に白斑がある。果実は細長い円筒形で先はくちばし状にとがり,長さ2~2.5cm,無毛,黒色に熟する。近年は九州を中心に1万haばかりが栽培され,緑肥のほか,牧草ともされる。種子や全草を薬用として,利尿,解熱,リウマチなどの治療に用いる。若芽をゆでて食用とするほか,蜜源植物としても重要である。(⇙)

 ゲンゲ属Astragalus(英名locoweed,milk vetch)は約2000種あり,世界に広く分布する。日本には8種が自生している。タイツリオウギA.membranaceus Bungeは北海道と本州中部地方に生える多年草で高さ40~70cm。7~9月に多数の黄色花を穂につける。果実はやや膨らんだ楕円形で,長さ3~4cm。果実が果柄についている状態を,鯛を釣り上げた様子に見立てて,和名となった。オウギは中国産ゲンゲ属の黄蓍(おうぎ)で,薬用植物として知られている。モメンヅルA.reflexistipulus Miq.は日本固有の植物で,北海道と本州の山ろく草地に生える。高さ30~80cmの多年草。6~8月に黄色花をつける。果実は細い円柱形で長さ3.5~4.5cm。ムラサキモメンヅルA.adsurgens Pall.は北海道と本州(中部以北)の高山岩場などに生育する多年草で,高さ10~40cm。7~8月に紅紫色花をつけ,果実はやや膨らんだ狭楕円形で,長さ約1cm。(改訂新版世界大百科事典) 

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 庄原の田んぼでレンゲ見頃 夢ファーム永末 広島県庄原市永末町で農業を営む「夢ファーム永末」の田んぼ約3ヘクタールで、レンゲの花が見頃を迎えている。/レンゲを肥料にして昔ながらの稲作を取り入れる同社は、昨年秋に種をまき、例年より1週間ほど遅い4月末に開花。のどかな田園の中でかれんな花々が春風に揺られチョウたちが飛び交う。/10日ごろにはすき込み、田植えに備える。レンゲを肥料に栽培したこしひかりは、特別栽培米「夢のひかり」として販売。加藤政利社長(81)は「甘みが強い優しい味が人気」と話す。(桜井邦彦)(中國新聞・2025/05/04)

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 勝手な推測ですが、西日本(九州・中国・四国)方面にはまだまだ「レンゲ畑」や「レンゲ田んぼ」が多いようにも思われます。時季(気候)的な要素もあるのでしょうが、田畑一面に「レンゲの花」が咲いているのは、見事でしょうね。蒲公英(タンポポ)や菜の花、あるいはコスモスの花盛りも見事ですが、この可憐な薄桃色の蓮華草は、ことのほか。ぼくには美しいものに思われてきます。耕作放棄地(休耕田など)が相当に増えている現在、ますます「レンゲの花がひらいた」となることでしょう。レンゲ(蓮華・蓮花)は、また「ゲンゲ」とも呼ばれてきました。「紫雲英」「翹揺」などと書きます。

 いつ、どこで、どうして覚えたのか、こんな句(もどき)が頭の隅に残っています。

・手に取るなやはり野に置け蓮華草(播磨の漂水) ・置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)

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・愁ひ身にあれば紫雲英の野は白し(三橋鷹女)
・紫雲英編むなるほど恋に後れたる(大石悦子)
・げんげ野に寝てふるさとの山と空(稲葉光音)
・風の吹くまゝに紫雲英を蒔きにけり(小松水花)
・紫雲英草まるく敷きつめ子が二人(田中裕明)
・げんげ田に寝て白雲の数知れず(大野林火)
・見え渡る遠きげんげの紫も(山口誓子)
・捨ててある紫雲英の束や夕日射す(中村苑子)
・吉備路行くれんげ畠にわらべ唄(朝日千尺)

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ゆたかに振う尾鰭には物に動ぜぬ姿あり

 本日は5月5日、「子どもの日」です。ぼくに何の思い出もありませんが、さて、この日に因(ちな)んだ唱歌は、少なくとも三曲ありました。以下の通り。それぞれの曲の沿革(えんかく)には、記すべきことがいくらもあります。しかし、それは別の機会に。この「唱歌」を眺めて(歌って)、直感するのは「子どもの日」とは「男(おのこ)の日」だということです。この日がまた「端午(端五)の節句」とされてきたことでもわかりますように、「男の子」の健康・成長を祝う習慣が前提になっていました。やかましいことを言うつもりはありません。こんなところにも、いまなお堂々と「男子万歳」主義が認められるというのは、面白いというか可笑(おか)しいというか。

・老いらくの端午の兜飾りけり(山口青邨)                                                                      ・菖蒲の日一直線のレールかな(桂信子)
・老ぼれて武士を忘れぬ端午かな(村上鬼城)

◎ 「端午の節句=五節句の一。5月5日の節句。もと中国の行事。軒に菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を挿し、粽(ちまき)・柏餅を食べて邪気をはらう。近世以降、男児のいる家では鯉幟(こいのぼり)を立て、甲冑(かっちゅう)や武者人形を飾って祝うようになった。現在は、「こどもの日」として国民の祝日になっている。端午の節句。重五 (ちょうご) 。端陽。《 夏》(デジタル大辞泉)

【いばらき春秋】五節句は年中行事を行う季節の変わり目である。きょうは年明けから3番目の節句「端午(菖蒲(しょうぶ))の節句」。十二支の「午(うま)の月」は5月で、端午は5月初めを指す。二十四節気だと、きょうは「立夏」に当たる▼端午の節句は、無病息災を願う中国の行事に由来するとされるが、男子の誕生を祝い、健やかな成長を願う日本独自の行事として定着した▼また、1949年からは国民の祝日「こどもの日」である。祝日法は「子どもの人権を重んじ、子どもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」(第2条)と掲げる。子どもに対する大人の責任のほか、母親への感謝というのはあまり知られていないのではないか▼この日の前後、伝統的に行われているのは、こいのぼりや五月人形(かぶと飾り)を飾る、菖蒲湯に入る、かしわ餅やちまきを食べる-が一般的ではないか▼ただ、子どもの人口は年々減り、子どもの姿がほとんど見られなくなった県内の地域も少なくない。伝統のうち一つでも毎年実行している家庭はどのぐらいあるのだろう▼こどもの日にあやかり、さまざまな記念日でもある。「こいのぼりの日」「おもちゃの日」、キッズ(子ども)の語呂合わせから「キズケアの日」というのもある。(斎)(茨城新聞・2025/05/05)

 「こいのぼり」(1931年版)には暗い一面があります。長い間作詞者は不明(無名)とされていました。実作者の近藤さんが存命であるにもかかわらず、「作詞者不詳(無名著作物)」として扱われていました。近藤さんには、他に「チューリップ」もあったが、扱われ方は同じでした。(* 近藤宮子(こんどう-みやこ)1907-1999 昭和時代前期の作詞家。明治40年3月21日生まれ。藤村作(つくる)の娘。昭和7年日本教育音楽協会の募集に応じて童謡「こいのぼり」「チューリップ」などを作詞する。作者名が公表されずに出版されたため,のち著作権をめぐり同協会と争いとなり,平成5年裁判に勝訴し作詞者と認定された。平成11年4月8日死去。92歳。広島県出身。東京府立第三高女(現駒場高)卒」(デジタル版日本人名大事典+Plus)

 細かいことを詮索すればきりがないのですが、「あの人が書いた」と知られて(わかって)いながら、「不詳」「無名」とする乱暴な行動はどうして見逃されてきたのか。今日のJASRAC(Japanese Society for Rights of Authors, Composers and Publishers)が糸を引いていたようです。この経緯についても、機会を見つけて書いてみたいですな。「背(せい」比べ」、作詞の海野厚さんは静岡出身だったから、「一はやっぱり富士の山」はご愛敬でしょうか。さらには、ぼく自身の「こいのぼり」の想い出についても触れてみたいのですが、これも別の機会に。

 鯉のぼり

1)甍(いらか)の波と雲の波
重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり 

2)開ける広き其の口に
舟をも呑(の)まん様(さま)見えて
ゆたかに振(ふる)う尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ姿あり

3)百瀬(ももせ)の滝を登りなば
忽(たちま)ち竜になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と
空に躍るや鯉のぼり
(作曲・弘田竜太郎、作詞・不詳。1913年 )

(「鯉のぼり」)(https://www.youtube.com/watch?v=ORO9_KMVy44

 背(せい)比べ

1)はしらのきずは おとと(ど)しの
五月五日の せいくらべ
ちまきたべたべ にいさんが
はかってくれた せいのたけ
きのうくらべりゃ なんのこと
やっとはおりの ひものたけ

2)柱にもたれりゃ すぐ見える
遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
てんでに背のび していても
雪の帽子(ぼうし)を ぬいでさえ
一はやっぱり 富士の山
(作曲中山晋平、作詞海野厚。1919年)

(「背くらべ」)https://www.youtube.com/watch?v=VIp4aJtZFZg

 こいのぼり

1)やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる

2)やねより たかい こいのぼり
おおきい ひごいは おかあさん
ちいさい まごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
(作詞・近藤宮子、作曲・不詳。1931)

(「こいのぼり」)(https://www.youtube.com/watch?v=N2u7gdbPieU

【小社会】こどもの日 男の子の成長を祝って古くから続く「端午の節句」。さらに現代では祝日「こどもの日」。きょう5日は少し紛らわしい日ではないだろうか。□こどもの日ができたのは戦後間もない1948(昭和23)年で、祝日法に盛り込まれた。「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日とし、もちろん「こども」は男女を問わない。□日付を巡っては当時の国会でも論議になったようだ。複数案が浮上し、男女平等をうたう新憲法を意識しながらも、最終的に端午の節句に重ねたのはやはり時代の影響だろうか。「母に感謝する」との文言も、子育ては母親がするものという価値観を感じなくもない。□改めて条文を読むと、もっと気になる点がある。そもそもの目的「こどもの幸福」。77年たつが、実現できているだろうか。子どもが犠牲になる痛ましい犯罪や事故が後を絶たない。相対的に貧困状態にある子どもは9人に1人で、ひとり親家庭では45%近いという。□端午の節句にはかしわ餅を食べる風習がある。日本大百科全書によると、広まったのは江戸時代。カシワの葉は冬も枯れず「夏の新葉が出るころに古い葉が落ちる、つまり跡継ぎができた」と捉え、縁起が良い菓子になったらしい。□こどもの日がある現代なら、こう願いつつ食したい。大きなカシワの葉で餅を包み込むように、しっかり子どもを守り、育てられる社会を。(高知新聞・2025/05/05)

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 もう一つの「子どもの日」考    

 <戦争が続く今こそ平和の意義感じて 沼津ゆかりの作家・西村滋さんの「お菓子放浪記」 朗読版、長女がユーチューブ公開>(東京新聞・2022/07/20)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/190728

【日報抄】「西村滋さんに会いに行こう!」というウェブサイトがある。西村さんは9年前に91歳で亡くなった作家で、ことし生誕100年を迎えた。サイトには生涯を懸けて訴えようとしたメッセージが詰まっている。一貫して書き続けたもの。それは戦争孤児の物語だ▼自らも幼くして両親を亡くし、施設を脱走しては放浪する生活を送った。終戦後は東京の戦争孤児の収容所で補導員を務めた。「学校もろくに出ず文学的素養もゼロに近かった」のに作家を志したのは、親を戦争で殺された孤児と共に生きた人間の義務だとする▼駅地下道などの「狩り込み」で収容される浮浪児は、10代前半の男の子、女の子。けなげでいじらしい子ばかりではなかった。盗みをし、うそをつき、体を売るなどして生き抜いてきた。貧困と暴力にさらされ心を歪(ゆが)め、人間性をむしり取られた子もいた▼「戦争孤児が真面目に更生したら、戦争の好きなやつらは人間なんていくらいじめてもへこたれないと安心して、また戦争をおっぱじめる。だから俺は真面目になんかならないぜ」。そう啖呵(たんか)を切り反社会的な生き方を貫いた子もいたという▼「生半可なヒューマニズムでは歯が立たない」孤児一人一人の実像を見つめ、成人後の暮らしにも目を向け、本に刻み付けた▼「戦争に一番責任のない子どもたちが一番ひどい損害を被るということに我慢できなかった」。西村さんの言葉をウクライナやパレスチナにも当てはめてみる。戦後80年の「こどもの日」である。(新潟日報・2025/05/05)

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「徒然に日乗」(736~742)

〇2025/05/04(日)穏やかな天気になった。風もなく、しかし、日差しは徐々に強くなる。午前中、庭作業。小さな花壇を作ってあったが、すっかり荒れてしまって、草ぼうぼう(茫々)。大谷石を使った囲い(仕切り)を作り直し、多くの草・竹類も取り除いて、今からでも間に合いそうな「野菜類」を植えようかと考えている。少し大きめの「石ころ」が欲しい。石屋でいろいろと物色してきたいと考えている。このところ「ミノル」さんが来ないが、何かあったのだろうか。少し気にはなっているのだ。一時間半ほど作業をしたが、日差しも強くなり、すっかり汗をかいたので、本日はそこまで。(742)

〇2025/05/03(土)朝から快晴。風もなく、穏やかな一日だった▶ゴミ出し(6時半)から一日の活動を開始。昨日の強い風で、植木の枝や、サツキの花びらが道路上に散乱していたので、それを掃除▶昼前に買い物で茂原まで。帰宅後は、庭作業は止めて、ひたすらパソコンの前に座っていた▶宅急便の会社から電話あり。横浜の娘に届けた荷物(筍)が「不在」のために、その処理方を教えてほしいとの由、それを留守電に入れておいた▶午後三時ころだったか、横浜の娘から電話。宅急便の再配達の手配をするということだった▶本日は「憲法記念日」。国会の議論を経ないで、実質的には憲法を変えてしまった現在、いったいどこをどのように変えようというのか。憲法の「軍隊保持の放棄」「交戦権のための武器等の放棄」などを謳った条文(理念)形骸化したし、これまでにはなかった「集団的自衛権」という出鱈目な解釈による憲法の実質的否定がなされてしまった。強権的な憲法程時代の名残りがいまも続いている。最も大きな疑問は、この国は「いったいどこと戦争をする気なのだろうか」という現状認識だ。実に訝しいこと。憲法記念日、「なにを今さら」という気分でもある。(741)

〇2025/05/02(金)予報通りにほぼ終日降雨が続いた。時には激しく降り、強風も吹いたほど。雷はなかったが、まるで「春の嵐」のようだった▶お昼頃か、T君から電話。「どこにいるの?」と訊くと、高尾山だという。この春の雨の中、「付属」の遠足だとか。久しぶりに話をした。これまでの自由学園とはまた違った職場の雰囲気を語ってくれた。どこであれ、一長一短はあるものの、その学校独自の特質に由来する問題もあろうと、率直な感想を述べた。拙論で言うなら、何よりも付属は「実験学校である」ということの原点を想起すべきだという点、さらには付属学校の性格上、校長が数年ごとに交代するという、ある面での大きな欠点を有しているということ。その他、何かと問題点もあるだろうけれども、少なくとも五年程度は子どもと格闘してみるのは大切だなどと、老人の愚見を述べておいた▶午後、草加に住んでいる娘から電話。「筍」が届いたという。まだいくらかは掘れそうだが、今年の本格的な筍掘りの時期は終わろうとしている。前回の分を、色々と工夫して食べて、「とても美味しかった」と、嬉しい声を届けてくれた。(740)

〇2025/05/01(木)皐月朔日、世にいう「メーデー」でもある。その昔、ユニオンを動かす役回りにあった時代、何度もメーデーの集会に顔を出し、街頭行進(デモ)もしたが、それは何だったのか。一種の「運動」であったことは事実だが、決して世のため、人のためになっていたとは思われないし、当時もそう考えていたが、今ではなおさらにそう思うようになっている▶午前中に買い物で茂原まで。連休の中休みなのかどうか、それほど混雑はしていなかった▶昨夜、娘の電話があったので、朝7時ころに筍を、小さなものを4~5本ほど掘った。早速水煮にして、それをタッパーに詰めて送っておいた。横浜の娘にも。そろそろ、今年の筍も「旬」の終わりを迎えたようだ▶本日の庭作業は一休み。少しは続けたかったのだが、やや疲れ気味のためもあるので、無理をしないことにした▶予報では、明日は相当に強い雨が降りそうだという。乾燥させておいた草類や木々の枝葉など、残念だが、雨に濡らしてしまうことになりそう。予定していた焼却炉の修理(つみなおしとモルタルでの固定)も少し先まで、延期。(739)

〇2025/04/30(水)本日で4月も終わり。急展開で日々が過ぎてゆく。朝から凌ぎやすい好天。各地では後楽の人混みで一杯であろうか▶午前中から庭作業。庭にまで竹の根が入ってきており、それが時にはびっくりするほど突然に大きな筍(背丈)となって頭を出すこともある。そんなのが、もう今春は三本目だろうか、その始末もしたが、すっかり根を引き抜くことは不可能で、頭を出すのを次々に掘り出すほかに手はないようだ。裏庭の草取りは大作業で、それでも少しずつだが、何日目か、それなりに除草が進んでいる。横の林の中に頃合いの山吹の若木があったので、それを庭のどこかに移植しようと考えている。今度こそ、無理をしない程度に、庭を荒れるに任せないようにしたい。一時間半ほど作業を続けたが、汗もかき、体力も消耗してきたので、早々に引き上げ、シャワーを浴びて、今度は室内での作業に切り替えた▶午後9時直前に娘(埼玉県草加市)から電話。筍(タケノコ)があまりにも美味しかったので、もう少し欲しいのだがという話。早速明朝にでも掘って水煮にしたものを送ると約束した。(738)

〇2025/04/29(火)本日は、その昔の「天皇誕生日」、そして、今日は「昭和の日」(2007年改正)。その前は「みどりの日」(2006年まで)。敗戦直後までは「天長節」(1927年~1947年)だった。要するに「昭和(元号)」を記憶して(残して)おきたかったということ。それなら「明治の日(現、「文化の日」)」があって、「大正の日」がないのはどうしてだろうかと、疑問が残る。元号が著す内容や在していた天皇自身の評価に直結させているのは奇妙な話▶午前中は猫缶購入のためにあすみが丘へ▶帰宅後に庭作業をと思いはしたが、昨日以来の疲れや睡眠不足もたたって、少し体力消耗が気になったので、本日は中止▶4月から勤務先を変えたT君(T大学教育学部付属中・高校教員)の近況を訊ねるメールを出しておいた。(737)

〇2025/04/28(月)すでに世の中は「黄金週間」に入っているらしい。昔から、ぼくはこの時期、ほとんど遠出はおろか、外出することはなかった。何よりも「人混み」が死ぬほど嫌いだったから。子どもが小さいころでも混雑や雑踏は避けていた▶このところ、特に目を引くのは「交通事故」の多さである。高速道路を逆走していて事故を起こすなど、先ず従来は考えられなかったような「破綻(悲劇)」が発生している。また交通事故にも指摘でいるが、いわゆる「プロ(職業人)」とされる人々による事故は驚くほど多いということ。運送業に携わる人々が交通事故を起こすなど、あるいは工事現場などでの死亡事故の多発など、「プロ意識」というのか、本来備わるべき技術がいささかかけているのか、それとも、技術の劣化が著しいのか。実に「不注意な事故」が目に付くの▶昼前に買い物、茂原まで。時節柄、人出は多かった▶帰宅後、一時間半ほどだったが、庭作業をした。朝から曇り空だったが、雨が降ることはなかった。前庭の木々の剪定や除草を少しばかり進めた。夕方以降に降雨が予想されているので、燃やしてしまいたかったが、そこまではできなかった▶夜に入り、7時過ぎころから雨が降り出したが、明日は快晴の予報。(736)

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喜びに胸を開け 大空仰げ(なぜ命令?)

◎ 週初に愚考する(六拾八)~ 共同通信のコラム<あのころ>にラジオ体操復活の記事が出ていました。(以下の記事を参照)今に続く「ラジオ体操」にはほぼ百年になろうかという長い歴史がありました。そもそも「体操」という言葉自体にもなかなかの来歴が認められます。詳細は省くとして、「体操」「体育」という言葉にはある種の色彩というか、重たい印象がつきまとっていると、ぼくは見ています。学校教育のつきまとう、強制生徒も重なるものです。「体育会系」というのに重なるイメージです。また、国民と体育が並べられると「国民体育大会=国体」となり、それはまた「国体明徴」を喚起するでしょう。「国体」という語は「 特に日本では天皇統治の観念を中核とした国のあり方をいう。幕末から第二次大戦前にかけて、民族的優秀性を示す概念として用いられた」(精選版日本語大辞典)という歴史事実があるんですね。

 「国体明徴(こくたいめいちょう」=1935年の天皇機関説テロ事件から発した政治問題。菊池武夫貴族院議員の美濃部達吉攻撃に便乗して,政友会は岡田内閣打倒のため軍部と結託し,天皇機関説排撃の世論操作を行なった。このため政府は美濃部の著書『逐条憲法精義』『憲法撮要』などを発禁処分とし統治権の主体は天皇にありとする国体明徴の訓令を発するにいたった。しかし問題は収まらず軍強硬派は岡田首相の妥協的な事態収拾方法を攻撃し,ついに軍内部の皇道派と統制派の派閥抗争へと発展,また平沼亀麒一郎枢密院副議長は機関説支持派一木喜徳郎枢密院議長を攻撃するにいたった。このため政府は2度にわたって国体明徴声明 (1935.8,10.) を発せざるをえなかった。この事件によって軍強硬派,右翼勢力は政治的進出を果す重要な突破口をつくることができた。(ブリタニカ国際大百科事典)

 また「ラジオ体操」にも楽しい思い出(記憶)がありません。無理強いされた活動という印象に彩られています。今でも子どもたちは強いられているのかどうかわかりませんが、夏休みになると、必ず早朝に駆り出されて「足を挙げろ」、「背中を伸ばせ」「息を深く吸え」などと無体な命令をされていたのでした。眠い目をこすりながら、半覚醒の状態で駆り出された記憶ばかりが残っている。楽しくなければ「体育」じゃないという思想がぼくに芽生えた大きなきっかけになった「ラジオ体操」参加でした。(今はなくなりましたが、少し前までは、「ラジオ深夜便」を聴き続けていて、その流れで朝5時、6時と時間を送っていました。そして6時半になると(たぶん今も)、「ラジオ体操の歌」がいきなり聞こえてきます。ぼくは咄嗟にラジオのスイッチを切る癖がつきました。忌まわしい「あたらしいいあさがきた きぼうのあさだ」(歌・藤山一郎さん)という歌詞とメロディ、一瞬たりとも耳に入らないように習慣づけられたのです。「三つ子の魂」と言うのか、何とも怖いですね。

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<あのころ>ラジオ体操が復(ママ)(「活」字が欠落) ファシズムと一時中断 1951(昭和26)年5月4日、復活するラジオ体操に備えて練習するのは東京・世田谷の祖師谷小学校の児童(ヘッダー写真)。NHKラジオ体操は1928年に始まったが、戦後は連合国軍司総令部(GHQ)にファシズムの象徴とみなされ中断していた。この時新しく作られた「ラジオ体操第1」のスタイルが現在まで続いている。(共同通信・2025/05/04)

◎ ラジオ体操(らじおたいそう)= ラジオを通じて伴奏音楽と号令にあわせて行う体操。正しくは「国民保健体操」といい、国民の毎日の健康の保持増進を目的につくられた。ラジオ体操というのは日本放送協会(NHK)のラジオで放送され、国民に広く親しまれていることからくる俗称である。1928年(昭和3)逓信(ていしん)省簡易保険局長であった猪熊貞治は、当時アメリカにおいて、保健事業の一環として、ラジオによって体操が放送され、国民の健康を増進していることに着目し、当時文部省体育課長であった北豊吉と相談し、NHKのラジオ放送によって体操を実施することを企画した。大谷武一ら数人の委員が十数回協議を重ねた結果、11月1日から放送が始められた。この体操はきわめて基本的でわかりやすく、年齢・性別を問わず、だれにでも手軽にできるうえ、ユニークな音楽のリズムと放送指導を担当した江木武彦指導員の個性的な放送が国民に受け、各方面で大歓迎された。(↴)

 NHKはとくに8月には早朝ラジオ体操会を催し、また専門の指導員を派遣するなど普及に努めたので、愛好者はいっそう増加していった。さらに1930年、全日本体操連盟(現日本体操協会)によって、第一体操よりやや高度な第二体操が作成された。第二体操は第一体操に比較して内容も多く、運動もやや複雑であるが、振動形式が多くリズミカルである。占領期間中一時中止されたが、第一体操が1951年(昭和26)、第二体操が52年装いを新たにして再開した。1957年にはNHKテレビでのテレビ体操も始まった。ラジオ体操は国民の健康増進と体操の普及に大きく貢献している。(日本大百科全書ニッポニカ)

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ラジオ体操の歌(作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎。1956年)(https://www.youtube.com/watch?v=2A0bHqFrMms)                           *ラジオ体操 第1 ジャズバージョンhttps://www.youtube.com/watch?v=602hi0Dhbgs)  

▶ぼくは小学校段階から「夏休みのラジオ体操」に参加することを強いられていました。いつだって睡眠不足のままで、起き出していたのを、とても嫌な記憶として残しています。いまでもなお、こんな強制参加(参加強制)が為されているのでしょうか。この体操の伴奏(演奏)として、この「ジャズバージョン」「サンババージョン」などを取り入れてみるとどうでしょう。自由自在に身体が動くはず。各自の体が自然にリズムを取りだし、ウキウキしながら勝手に動くこと請け合いです。好きな時間にできるように工夫されるといいですね。現行の「格式のある」、つまりは「窮屈な」「おしきせがましい」ものと入れ替えて、このバージョンで体操をするようにするといい。自分たちで、自由に振り付けて「体操しませう」ということ。(「ラジオ体操 アレンジいろいろ by Kenji Nkatani」(https://www.youtube.com/playlist?list=PL25920FDED40D1A2E

(⇧ https://jinomonta.blog.fc2.com/blog-entry-280.html)(昭和10年 長野県諏訪神社境内で)

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茶々を入れたり、お茶を濁したり

 本日は5月3日。言わずと知れた「憲法記念日」です。「『日本国憲法の施行(1947年5月3日)を記念し、国の成長を期する』趣旨の国民の祝日。同日が施行日となったのは、46年(昭和21)11月3日の明治節を公布日とし、半年の準備期間を置いたため。48年7月制定。この日、護憲・改憲両派が大会や講演会を開くが、政府行事は三木武夫(たけお)内閣の76年、24年ぶりに記念式典を行ったにとどまる」(日本大百科全書ニッポニカ)単に「憲法記念日」といっただけでは足りず、たくさんのことが「憲法」について語られる必要があると思う。ぼくがいいたのは、この現行憲法は「大日本帝国憲法」が改訂されてできたということ。旧憲法と「地続き」と言ったら言い過ぎでしょうか。

 第二次世界大戦に敗戦した結果、紆余曲折を経て、新しく生まれ変わった証(あかし)として「新たな憲法」が制定公布されたのではなかったところに、ぼくの記憶は釘付けになってきました。以来、七十八年。この間、さまざまな方面から「憲法改正」の衝動が湧き上がり続けてきた。その意図するところは「戦争放棄」をうたったことの現行憲法の「占領国の強制」、アメリカ勢力に押し付けられた憲法だという、ある種の(現実離れした)「屈辱感」だったと思う。そして「先祖返り」を果たしたいという宿願もあった。しかし、何はともあれ、今すぐにでも「憲法改正」をという、改正前夜のような状況がこの何年かは続きましたが、辛うじて「護憲」「改憲阻止」という姿勢は「土俵際」、それも「徳俵(とくだわら)」(左写真)に片足を載せているような、まことに危機的場面を迎えているのです。よく憲法は「不磨(ふま)の大典(たいてん)」などと大仰な表現で「不可触」「不可侵」の「聖典」の如くに見られるが、それは正しくないでしょう。

【日報抄】ちょっとした拍子にその言葉が出た途端、たちまちその場の空気がこわばり、それまでの和やかな気分がうせて場がしらける。作家の井上ひさしさんは「憲法」とはそんな言葉だと書いている(共著「日本国憲法 を読み直す」)▼そもそもが、憲 (おきて)の中の法(おきて)という単語の成り立ちだ。「憲法という言葉がいかめしすぎるからいけないのである」ということになる▼今ある憲法を鉄のよろいで覆わずに、意味や価値を日ごろ意識し、口にできるようにできないものか。井上さんは「この国のかたち」と読み替えることを提案していた。日本がどういう国であるのかを文字で表したもの-。憲法の一番正しい定義だとしている▼日本国憲法の三大柱は言わずと知れた「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」である。前述の著書で共著者である憲法学者の樋口陽一さんは、三本柱をさらに束ねる大原則が「個人の尊重」だと解説する。条文で言えば13条になる▼「この世に生まれた一人一人が自分が自分であることを尊び、自分が自分でなくなることを恐れる、という意味で個人を大切にする原理」。樋口さんは13条をこう読み解いた。言葉がすっと頭に入る▼おそらく私たちは、人生の節々で憲法に守られてきたのだ。そして、守られてこなかった現実もすぐ近くにあることを思う。個人の尊重が踏みにじられる国や紛争地が今も存在することを心に留めつつ、この国のかたちを考える。憲法記念日をそんな日にしたい。(新潟日報・2025/05/03)

 憲法と雖(いえど)も、時代の子(産物)であり、時代と共に成長・成熟する(腐敗・堕落もする)性質のものです。だから、憲法改正には絶対反対という態度をぼくは取らない。現行憲法にも幾か所もの改正すべき条文・条項はあります。そのいちいちをテーマにして、時代にふさわしい憲法を作り上げていくことも重要な政治課題であり、それは国民の政治参加の最も貴重な機会でもあるのです。残念ながら、国会はそういう地道な作業をしてこなかった。

 本日のいくつかの新聞コラムには、当然のように「憲法記念日」に即した内容の記事が掲載されていました。もちろん、その数は極めて少ないという印象すら持つほどに、現行憲法の「改正問題」は有権者(選挙民)の間では見事に風化していると、ぼくには映ります。憲法改正に賛成か反対かというアンケートもいくつか見られますが、今日では「賛成」の方が多数を占めているのも、「憲法問題」の空洞化の表れだとぼくには思わるのです。何をどのように変えるのか、そんなことにはお構いなしに、「改正」に賛成か反対かと言われれば、時代相がそのままに反映されるのも不思議ではないでしょう。(その典型例が、右上のアンケート)

 (右上図表は読売新聞・2023/05/03)(https://www.yomiuri.co.jp/election/yoron-chosa/20230502-OYT1T50232/

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【新生】お茶でも飲もうか お菓子にラーメン、ビール、たこ焼きまであるというから、引っ張りだこの印象だ。抹茶を使った食品や飲料が独特の苦みや風味を背景に増加の一途。抹茶フレーバーのアイスの新商品も相次ぎ登場し、市場は熱い▼お茶で話題沸騰は隣県の鹿児島か。昨年の荒茶生産量が初めて全国トップになった。地元紙「南日本新聞」によると、一番茶では長年のライバル静岡県が上回ったが、二番茶以降、好調なペットボトル飲料向けに生産を盛り返した▼鹿児島市内で「日本一」を記念した感謝祭が開かれるなど快挙を喜ぶ動きが見られた。ただ資材の高騰など課題を口にする生産者もいて、少し渋い表情も。急須で入れる茶葉の消費は減っている。抹茶好きが多いというインバウンド(訪日客)や輸出の伸びが追い風になるといいのだが▼立春から数えて88日たった今時分は新茶の収穫の最盛期である。今年の熊本県産茶は3月下旬からの低温で例年より生育が遅れたものの、霜の害もなく良好な品質とか。さて今年の荒茶生産の全国順位は静岡が首位に返り咲くのか。昨年7位の熊本がどこまで伸びるか▼トランプ米政権の関税政策をむちゃくちゃと感じたり、夏の参院選を意識してか大衆迎合的な政策も見え隠れする国政が茶番に映ったりしている方も少なくなかろう。そんな方々は大型連休後半、新茶を一服の清涼剤にするのもいい▼5日まで日本茶業中央会制定の「グリーンティーウィーク」でもある。飲めばストレス解消など多くの効能があると聞く。(熊本日日新聞・2025/05/93)

 立春から数えて「八十八夜」目、今年は5月1日でした。全国各地で「新茶摘み」がさかんなことでしょう。ぼくは、お酒も好きでしたが(今は呑まなくなりました)、お茶はもっと好きというか、人生のすべての場面で、日本茶がそばにありました。今でも毎日毎朝、それこそどれくらいの量を飲むか、よくぞ飽きもしないで、お茶を飲むものよと、自分で感心します。何時に起きようが、必ずお湯を沸かし、愛飲の日本茶を急須(万古焼)で淹(い)れる。息をしている限り、毎日毎朝、これを続けています。そのお茶の友には「日の出」(旭日)があれば言うことなし。使う茶葉はほぼ決まっています。この先、嫌いにならない限り、それを飲み続けます。半世紀ほども呑んでいたお酒も「銘柄」はほぼ一定。飲み馴れたり使い慣れたりした「品物」には、時間の経過とともに「愛着」が湧くというのでしょうか。そうなればしめたもので、あれこれと「気が移る」「浮気をする」などという心配は皆無です。

 しかし、このところ、「どこそこのお茶ですよ」と言われても安心できません。時代ですね。日本ソバの原料が米国産や豪州産となるのが当たり前の時代です。お茶は京都、京都は宇治に限りますね、と言って暢気に構えていると、実はそれは「静岡産」だったり、いや中国産だということもあるでしょう。それで美味(うま)ければいいのですが、どうでしょう。お茶を飲んでいるのか、「宇治」を飲んでいるのか。この何十年は、もっぱら静岡は掛川産茶(O川園)です。そう書いてあるからそうだと思っているだけで、それも疑わしいとなれば、自家栽培するほかないでしょうね。自給自足です。国産に限るとは言わないが、飲んでいて飽きない、不味(まず)いと思うことがないなら、それはそれでいいのではないでしょうか。お茶の一杯が生活・暮らしの「潤滑油」だとぼくは思っています。高価なものではないし、手間暇もかからない、自分流に淹れて、自分流に満足する、それが何よりだと思うのです。

 つまり、ぼくの言いたいのは、「憲法」もまた、本来なら「自家栽培」、それが適(かな)わなければ「他家栽培」でも構わない、生産(制定)するに際して、他人(他国)の手や知恵が入っていても、長年使い慣れるに応じて、国情になじみ、愛着が湧くというもの。しかし、だからといって何が何でも「これでなければ」とは言いません。直す(治す)べきところや時期が来たら直(治)せばいいではないですか。ぼくにとって「憲法」というのは生活の安全弁になってくれるものです。お茶が潤滑油であるように、日々の暮らしに安心感が伴うための必需品、そんなものであってほしいと思ってきました。だからこそ、とっかえひっかえ、目先を変えていては、安心も安全もものかわ、不安の種にすらなるでしょう。現行憲法は「押し付けられた」という人が多い。確かにその面が皆無ではないとは、ぼくも認めます。

 でも、自分の連れ合いになる人が、だれかに「押し付けられた」としても、きっかけはともかく、時間の経過と共に「相思相愛」と言うんですか、「あなたなしでは生きていけない」というようになることだっていくらもあるでしょう。「憲法」もそういう連れ合いになるといいなあと、思い続けてきました。その「現行憲法」に関して、いくつもの思い出、忘れられない出来事がありました。そのうちのたった一つだけ、ここに出しておきます。もう十年以上も前のことです。国会(予算委員会)中継をテレビで見ていて、質問者が時の首相に憲法問題について質問していました。

 野党議員が「基本的なことを伺いますが、憲法何条の条文・条項はどういうものですか、総理」と尋ねたところ、首相は烈火の如く怒りだし、質問者を威(おど)しつけたのでした。「人を侮辱するような質問をされて、どういう魂胆ですか、馬鹿にするにもほどがある」という趣旨の悪態をついたので、質問者は怯(ひる)んだ。それを視ていて、「総理は図星を衝かれたな」「この御仁は憲法を読んでいないな」と確信したし、実に驚いた。確かに彼は憲法14条や21条を、彼は知らなかったのだと、ぼくは直観した。ぼくの勘違い(早とちり)かもしれないと思いはしたが、もし日常的に憲法に慣れ親しんでいたなら、どういう理由があるにせよ、「人を馬鹿にするな」と怒ったり、現行憲法を幾重にも骨抜きにするような「暴挙」はなしえなかったと確信したのです。

 この元総理について、同じような逸話がありました。この憲法問題よりも少し前になりますが、ある野党党首が質問に立ち、「首相の脱税問題」を質(ただ)しました。親からの相続(数億円)を申告しないで「(相続税を)脱税」したという「週刊誌報道」をもとに質問した際にも、彼は「怒髪天を衝く」ほどの怒りようだった。「週刊誌如き報道をもとにして、かかる質問をするとは何事か、恥ずかしくないのか」と体を震わせ、たいそうな剣幕で相手を威(おど)しつけた。質問者は「週刊誌報道の何が問題ですか、この報道が事実かどうかを訊いているだけ。虚偽報道であれば、名誉棄損などで週刊誌を訴えればいいではないか」と反論すれば、それで終わっていたと思う。しか質問者は「週刊誌如き」を材料にしたことを謝罪してしまった。まさしく「仲間」「同類」(同じ釜の飯を食っている同士)であると、ぼくは、情けなさを感じたのでした。質問者も元総理も「憲法21条」を知らなかったというほかない。

 というわけで、憲法改正問題を国会議員だけに任せてはいけないというのが、ぼくの指摘したかったこと。改正には反対しないが、どこをどう変えるかが明らかでなければ賛成も反対もしようもないでしょう。これもまた、長年連れ添った「連れ合い」に対する態度と同じ。憲法を真面目に受け止めていないのが、現実の国会(議員)であり、内閣だとすると、この国の先行きは、さらに危殆に瀕するばかり。何にしても、憲法の精神に背理するような政治だけは止めにしてほしい。何事にも真面目に、誠実にやってほしいものだ。5月3日の愚感です。

 (何年も前に、ぼくは国会に呼ばれ、衆議院憲法調査会だったかで、「教育を受ける権利」問題に関して、同趣旨の愚見を述べたことがある。すき込んでいったのではなく、友人の依頼で仕方なく。ぼくのいくような場所じゃないなと痛感しました)

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