【記者コラム】時刻表通りに進まない 駆け込んだ博多駅で列車を逃して電光掲示板を見上げると、意外な言葉が表示されていた。<この卒業は次の列車に乗るための切符です>。吸い込まれるように続きを読んだ。<自分で選んだ行き先を信じて、自分のペースで進んでください>▼受験生向けにJR九州が企画した粋な計らい。コンコースの黒板には<人生は時刻表通りに進むものではありません>。傍らには通行人が記した一言集も掲示され、ハングルで<日本の未来を担う皆さんの前途を祝します>という激励も▼頑張った分だけ、喜びも失望も大きいもの。そんな心模様を映してか、駅を行き交う人たちの足取りは時に軽やかで、時に重い。その足音がメッセージの前で、ふと止まる。知らない誰かを励まし、励まされるために。掲示は13日まで。(西日本新聞・2026/03/11)

ぼくは一度も使ったことはありませんけれど、「駅の伝言板(掲示板)」には、しばしば見惚(と)れていたことがあります。スマホ万能時代に、まだ健在だというのは、実に意味深ですね。西日本新聞の H 記者のコラム「時刻表通りに進まない」というのは、当たり前に思われますが、きわめて暗示的でありまして、予定(時刻表)は狂うためにあるというようなものでしょう。人生の階段とかエレヴェーター・エスカレーターなどといっても、誰もが乗れるだけのものではないし、仮に乗れたとしても途中下車というか、降ろされてしまう人も出てきます。ぼくのように、そんな階段やエスカレーターに乗ることがなかった人間も、もちろんいるのですから、「向こうのお山のふもとまで、どちらが先に駆けつくか」というような競争ではないことは、「人生」を少し考える人にはとても大事じゃないでしょうか。
「うさぎとかめ」という童謡は1901年(明治34年)に『幼年唱歌 二編上巻』で発表された。作詞の石原和三郎さんには「金太郎」や「花咲爺(じじい)」などがあり、作曲の納所弁次郎さんには「桃太郎」などがあります。学校教育開始の早い段階で、唱歌が導入されたのですが、それは考えられる以上に強い影響を子どもたちに与えたと思われます。「善因善我」「因果応報」、いうところの「勧善懲悪」などという「徳目」の「注入(インプリンティング))だったのではないでしょうか。それはともかく、人間にはウサギ型とカメ型がいて、いずれも相手を負かすことに鵜の目鷹の目、または戦々恐々としているという風に考えられがちですが、果たしてどうでしょう。第一に、ウサギとカメが駆けっこをするということそのものが荒唐無稽でしょう。「油断大敵」とも、「負けるが勝ち」とも異なる人生の歩き方があるといいたいですね。いつのころだったか、この「ウサギとカメ」を歌っていて気になりだして、それ以降は呑気に歌えなくなった想い出がありました。つまり、「ここらでちょっとひとねむり」しているウサギを横に見ながら歩いていくカメの振る舞いに、ぼくは違和感を感じたからでした。「どうして声をかけて、起こさないのだろうか」と思った。相手の失敗や油断をいいことに「勝つ」というのはあまり美しくないというふうに考えられた。

そんなことでしたから、多くの「唱歌」はぼくには美しいものではなかった。「桃太郎」など、何も意地悪をしていない「鬼」を「退治」するために出かけていくという、大義のない侵略ではないですか、まるでどこかの暴力大統領のようで、ぼくは好きにはなれませんでした。ぼくは仕事柄、半世紀近く「卒業式」(「入学式」)に付き合ってきました。なによりも「式」というものが大嫌いですから、ぼくはいつだって普段着のままの言動を通しました。ぼくを除いて、他の教員はすべて「皆さん、ご卒業おめでとう」と決まり文句を言いますが、ぼくはそんなことすらできなかった。「卒業? 何がめでたい」という感覚でしたね。口先だけの「常套句」が言えませんでしたね。

<自分で選んだ行き先を信じて、自分のペースで進んでください>というJR博多駅の計らいはなかなか粋ではないでしょうか。ウサギはカメと競争して、勝って当たり前でしょ、たぶん。カメにはカメの筋があり歩き方があります。「どこまで先に駆けつくか」というところ(勝ち負け)に、人生の意味は存在しないと思います。「勝負」というのはどういうことでしょうか。大人が子どもと勝負して「勝った」というのも大人げないでしょうし、一流とか名門学校に入った、入れなかったという、そんなチャラいことで人生は図れないですよと、ぼくは自分にも、あるいは誰彼にも言い聞かせてきた気がします。ある時の「卒業式」(「入学式」)に、多くのスタッフ(教員)たちは「君たちはエリートだ」などと、本当に歯の浮くような嘘を多用していて、ぼくは落胆しきりでした。こんな連中と席を同じくするというのは、よほどぼくは悪いことをしてきた報いからだと、つくづく情けなくなった。
「(この名門大学に入学された諸君、)入学おめでとう」と何の衒(てら)いも躊躇(ちゅうちょ)もなく言ってのけた連中の心境を思って、ぼくはゾッとしたこともありました。こんな「(ゴミみたいな)一流大学に入ってきて、こんな(クズのような)一流の教師(自分たち)から学べる」、なんという幸せなことか、と言っていたに等しい(悪い冗談)、まさしく「天に唾していた」んでしょうね。正しく言い直すなら「こんなダメな学校によくぞ来てくださって、どうもありがとうございました」でしょうね。ぼくは、いつもそんなつもりで「来てくださって、ありがとう」とお礼を言っていました。

だから、ぼくはいつだって学生たちに「偉くなろうと思うな」「他者に勝りたいと考えるな」「当たり前に生きることは、思いのほか難しいということを知ってほしい」などというばかりでした。半世紀近くも教師紛(まが)いの仕事をしていて、ぼくは一度として「入学おめでとう」「卒業おめでとう」と口にしたことはなかった。実際に「めでたい」ことはいささかもなかったからです。他の教師たちはずいぶんと立腹していたことだと思います。連中の素振りでよくわかりました。(同じ物言いは「結婚式」においてもありました。ぼくはほとんど他人の結婚式に出たことはないので、想像でいうのですが、外れていないでしょう。「本日は、ご結婚おめでとうございます」と、誰も彼もが祝福する。「結婚」がその日で終わるならいざ知らず、長く続くものと思えばこそ、「何がめでたい」となりませんか。お気の毒、そんな気分にならないか。昔の先輩たちは「結婚は人生の墓場」だなどと言っていました。人を「挙式」に呼んでおいて、こちらの知らないうちに離婚することはいくらもあります。無責任に「おめでとう」といえますか)(「結婚」ではなく、「結婚式」こそが目当てで、呼ばれた側も「式」に祝意を述べるんでしょうねえ。ならば、「入学式」「卒業式」もおなじ水準で、「式」に漕ぎつけて「おめでたい」となるのも道理です)
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ぼくの印象では、最近の様子では「経済の日経」という看板には偽りがありますが、本日のコラム「春秋」にはぼくは感心させられました。こういうコラムを書く人もいるんですね。余計なことは言わない、再読三読してくだされば、それでいいですよ。「宗教戦争の困難な時代を生きたモンテーニュが『エセー』の終章に、特別なことをしなくても、生きてきただけでこの上なく立派なのだと書いており、同感だ。震災後の15年を生きた人たちに敬意を表したい」 と書かれています。本当にそう思いますね。当たり前に生きる、それは思いのほか難しいと、ぼくはこの何十年も痛感し続けてきました。「すごいことをしたから、人生には価値があり」、「目立った働きもしなかったから、人生には光るものはなかった」と、世間は言うかもしれないけれど、ほとんどすべての人々は、「身の丈に合った人生」を生きようとして、それでもなお悪戦苦闘するのです。思い通りにはいかないんですよ。

それがモンテーニュの言わんとするところでしょう。「特別なことをしなくても、生きてきただけ」、そこにおいてこそ、「あなたの生き方(人生)」には値打ちがあるんだというのでしょう。「生まれたばかりの赤子」は何もできない、けれどもその存在には大きな意味があると、誰もが見抜く。こんなことは言わずもがなですが、身長がもう五センチ高かったら、自分の人生は異なっていたろうという人がいるでしょうか。たった「五センチ」に人生の価値を賭けるんですかと問いたい。ある精神分析の医者が経験したことでした、彼はウィーン大学病院の医者だった。
ある時、元高名な刑法学者が、重篤の病で、片足を切断していた。その人が術後、初めてベッドから降りて自分の片足で立つ段になって、さめざめと泣いたので、周りの者は驚いたという。「この先、こんな状態(片足)で生きていかねばならないと思うだけで、情けなくて」と泪の理由を語ったそうです。看護師たちはくだんの精神科医を呼んだのでした。F 医師は患者のそばに立ち、「先生、何か勘違いされていませんか」と尋ねた。「これからマラソンの選手にでもなるなら、先生の嘆きはわかりますけど」といったそうです。元刑法学者は、はっと気が付いたんでしょう。「そうでしたね。ぼくは勘違いをしていました」と、自分の間違いを詫びたといいます。とても印象的な逸話だったので、ぼくはよく覚えていました。
これ以上、よけいなことは言う必要はないですね。人をだましてまで、自分を生かそう(みせびらかそう)とする、そんな人を見ると、ぼくは回れ右をするのです。ここまで生きてきて、自分自身の生涯は「取るに足りない人生」だったと、ぼくは痛感しているのですが、そのような人生に対してこそ、「それこそが大したものなのだ」と思いたくなるんですね。「駅の伝言板」は特定の人が特定の人に伝言するのが第一義ですけれど、その伝言を第三者が「見て・読んで」、何かを受け取ることがあるというのはいいですね。さらにいいことは「六時間後に消します」とあるところです。いわば「一語一会」ですからね。そのようにして、人はだれかと、知らないままでもつながり、支えられているんですね、きっと。最初のコラム氏は書かれている、「知らない誰かを励まし、励まされるために」と。
【春秋】先週、石巻を訪ねた。歩き回るうち日和山(ひよりやま)という小高い丘に行き着き、眼前に開けた海辺の被災地区の光景に言葉を失った。胸が詰まって、声を出すと涙が出そうだった。15年前の3月11日、ここでどんなことがあったか。知ったような気でいては失礼になると思った。▼方々に気持ちのいい人がいた。宿の食堂で朝6時「おはようございます」と調理のおばちゃんがはきはき言って一日の元気をくれた。陸前高田の津波伝承館では無料施設なのに帰りしな「ありがとうございました」と言われた。大船渡に行って翌朝、川辺で休んでいたら散歩のおばあちゃんにねぎらうような挨拶をされた。▼三陸鉄道の人には乗り継ぎを丁寧に教えてもらった。同乗したたぶん保線の人の、すっとした所作もなぜか印象深い。釜石では偶然入った「ご近所新聞」展で、大槌の人が、転居先で海が見られないのは寂しいけど水門ビューもいいよと笑っていたという記事を読んだ。癒えぬ悲しみを抱える人も、なかにいたかもと思う。▼宗教戦争の困難な時代を生きたモンテーニュが「エセー」の終章に、特別なことをしなくても、生きてきただけでこの上なく立派なのだと書いており、同感だ。震災後の15年を生きた人たちに敬意を表したい。また行って名産を食べたり土産を買ったり、見聞きしたことを人に話したり、自分もできることをしていきたい。(日本経済新聞・2026/03/11)

墓標(はかじるし・ぼひょう)、あるいは墓碑というものは、「(伝えきれないほどのものを伝えてくれる)伝言板」だと、ぼくには思われてきます。「墓碑は建立する」けれど、それに向かっていささかの敬意すら示さない輩が、あまりにも多すぎます。「安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませんから」という墓碑に、なんと唾をかける、嘘を吐きかける輩(政治家を含めて)があることをどうしましょうか。おそらく、イランにおける戦況を考えれば、自衛隊の海外派兵と武力行使は避けられない事態に向かっています。「過ちは繰り返さない」といったのは「私ではない」と現首相なら悪びれもしないで嘯(うそぶ)くでしょう。(「1 とぼけて知らないふりをする。2 偉そうに大きなことを言う。豪語する。3 猛獣などがほえる。鳥などが鳴き声をあげる」)(デジタル大辞泉)

広島や長崎の「伝言板」(墓標)は、「六時間経過したら消します」というわけにもいかないのです。
本日は東日本大震災から十五年を経過した日でもあります。
「物言わぬ慰霊碑のメッセージを後世まで継がねばならない」(「談話室」)(合掌)
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【談話室】▼▽津波被災地に立つ慰霊碑には1万5千人余りの名前が記されている。先日石巻市で手を合わせたその碑には、詩も刻まれていた。「春の足音が近づいていた頃/愛する我が子が/明日をも見れず突然旅立つ」と始まる。▼▽15年前の地震の後、4~6歳の子どもたちが乗った日和幼稚園のバスは、高台にいたにもかかわらず海側に向かってしまう。そこに大津波が押し寄せ、火災も起きた。市内の施設に遺品が展示されている。小さな上履きは、真っ黒に焦げていた。どれだけ苦しかっただろう。▼▽慰霊碑は、同じような悲劇が繰り返されないために伝承を続ける遺族が建てたものだ。詩はこう続く。「暗闇さまよう私の心に/亮光降り注ぎ/再びあなたと私 結ばれる/太陽の下で一緒に見た/梨の花・桜の香り/懐かしく思い出される/あなたの笑顔にまた会いたい」▼▽どれほど時間がたとうと変わらぬ思いだろう。詩には亡くなった4人の名がちりばめられている。「愛梨」「春音」「明日香」「亮太」。幼子たちは、焼け焦げたバスの外で抱き合うような姿で見つかったという。物言わぬ慰霊碑のメッセージを後世まで継がねばならない。(山形新聞・2026/03/11)



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