
◎ 週の初めに愚考する(八拾弐)~ まるで梅雨末期のような天気図の描かれ方を見ていて、実は、今が本当の梅雨の終わりではなかったか、「梅雨明け宣言」は気象庁の勇み足(早とちり)ではなかったかとついつい思ってしまう。九州各地の集中的豪雨(線状降水帯)の次々の発生・襲来に、打つ手があるとは思われないまま、ひたすら豪雨の止むのを待つばかり、あるいは危険な暑さが再来しないことを祈るばかりという、実に不本意なお盆前の旬日を送っています。「勇み足(rashness)」「早とちり(hasty conclusions)」といえば、全国紙と準全国紙の二紙が、とても恥ずかしい「誤報(misinformation)」を流しました。Y紙(7月23日に号外を)とM紙(7月23・24日)は、早々と「首相退陣へ」と大々的な半鐘(大鐘)を鳴らしたのです。その結果はどうなったか。

「早鐘」連打から2週間以上経過しても「退陣」の様子は見えないのはどうしたことか。「祈る!退陣」「退陣祈願!」という願望や期待を、いかにも確信ありげに、はっきりした証拠(本人への取材をしたうえで)も上げない、予想記事は、これをフェイク( 偽物)という。それなら、ぼくだって書けるさ。大・中新聞が時代の悪流行や悪弊に染まって(動かされて)ニセ情報を出したのだから、その間違いについて一言あって当然ですね。ところが、「一言、お詫び・訂正があった」という話がないのは、まだ誤報の続きの中で記事を書き新聞を売っているということです。確かに、遠からず首相は辞めるのだから、「退陣へ」と書くのは間違いではないとでも強弁するつもりか。腐った根性とはこのことを言う。「総裁選前倒し」を連呼している連中は、何十年という時間をかけて、選挙民や国民の顔に唾を吐きかけてきた輩ではなかったか。裏金議員などと言われる盲者だったり、派閥解消を申し合わせたにも関わらす、「我が派は解散などはせん」と口を歪めて規則破りを宣言するなど、恐れ入るばかりの魑魅魍魎たち(Demons and monsters)。

要するに、政治を遊び(遊戯)ごとにし児戯にまで貶めた面々、民衆を食い物にしてきた「政治家の風上にも置けない」輩たちだといっておきたい。高知新聞のコラム「小社会」が異なことを書かれている。絶えず少数派閥を率いる政治姿勢はバルカン諸国に準(なぞ)えられて「バルカン政治家」と綽名された三木氏。(バルカン諸国には通常アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、ブルガリア、クロアチア、コソボ、北マケドニア、モンテネグロ、ルーマニア、セルビア、ギリシャ、そしてスロベニアが含まれるとされる)小国ゆえの国家運営の厳しさを、この国の政党内における小派閥領袖の悲哀をこめて読み替えてつけられた「バルカン政治家」。その三木武夫氏は、別名「クリーン三木」とも称されたが、果たしてどうだったか。

今日の「バルカン政治家」は現首相こそお似合いだとみるとどうなるか。派閥を結成するも大きく育たず、結局は解消したり再結成したりのケジメめのなさ。党の内外から「辞めろコール」と叩かれる始末だが、本当に叩かれているのだろうか。自党の瓦解作用は積年の金権政治のとどのつまり、それが選挙に現れただけのこと。「総裁選」をするのもいいが、「総理大臣」はどうする、という戦略も持たないで、騒ぐだけの茶番劇、それをお膳立てしているのは派閥固持政治家と裏金盲者たちなんだから説得力もあったものではないでしょう。何度も言うように、ぼくは現首相を応援などしていないし、政権与党も大嫌いです。だから、「コップの中の争い」大いに結構だといいたいほど。どんどんやりなはれと、無責任な岡目八目に徹している。そうこうしている間に手垢で汚れ、あちこちにひびが入っている「(自民党なる)コップが割れる」のは、時間の問題、不可避です。
コップには酒か水でも入っているのならまだしも、薄汚れた政治家連中だけがごちゃごちゃなんだから、ジュリーのように「勝ってしやがれ」です。「壁際に寝がえりうって 背中できいている やっぱりお前は 出て行くんだな」「悪いことばかりじゃないと 想い出かき集め 鞄につめこむ気配がしてる」「行ったきりなら しあわせになるがいい 戻る気になりゃ いつでもおいでよ」(これを「腐れ縁」といい、「合従連衡」というらしい)

ところが、この割れかけているコップのなかに新聞社が入り込んでのてんやわんやなのだから、さあ、お立会い。報道する側が、自らの社運を賭けて、石破下ろしに加担するという前代未聞(見もん)です。新聞は落ち目と言われて幾久しいが、落ち目どころではないでしょう。落ち目とは「下り坂」にかかっているということ。しかし、この政党は「落ち目」ではなく「落(堕)ちた(sunset)」ですよ。散々、たらふく「税を食いつぶし」「公金を私し」、その挙句に「堕ちた」「落ちた」「墜ちた」です。それに新聞社が、何を血迷ったか、頭から飛び込むのだから「見下げたもんだよ、ブンヤの気質(瓦版屋)」というべきでしょう。
【小社会】信なくば立たず お隣、徳島出身の三木武夫元首相には家庭での口癖があったそうだ。「いったん玄関に入ったら、威厳は全部君にあげる。僕は威厳はいらないよ」。そう言われた睦子夫人は、夫にもはっきり意見を言う「肝っ玉夫人」のあだ名がついた。◇自民党内の政局といえば、「三木降ろし」が名を残す。ロッキード事件が発覚した1976年。徹底解明を誓った「クリーン三木」に、「はしゃぎすぎ」「惻隠(そくいん)の情がない」と党内から猛反発が起きた。◇睦子さんは夫の没後も憤りが収まらなかったようだ。著書「毎日あきれることばかり」には、三木氏が金権政治に終止符を打つための改革案を用意していたと書く。「そんなことをされたら困る人たちが大勢いたのです」◇別の逸話も過去の本紙にある。テレビの討論番組。CMに入ると、睦子さんは後に首相になる政治家に食ってかかった。「政治改革なんて、きれいごとばっかり言って。あなた、三木降ろしみたいなことやったでしょう」◇自民党の「石破降ろし」も外堀が埋まってきたようだ。両院議員総会では総裁選の前倒しを検討することに。ただ、降ろす側に「裏金議員」が目立つのはいまだに釈然としない。石破首相も商品券配布で染みついた金権体質をさらし、決して「クリーン」ではないが。◇家の外の三木氏は、「信なくば立たず」を座右の銘とした。半世紀を経ても自民党は同じ言葉に直面しているように映る。(高知新聞・2025/08/10)
子貢問政。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。民無信不立。
(「子貢政を問う。子曰わく、食を足し、兵を足し、民之を信にす。子貢曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の三者に於て何れをか先にせん。曰わく、兵を去らん。子貢曰わく、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何れをか先にせん。曰わく、食を去らん。古自り皆死有り。民信無くんば立たず。
(「論語」顔淵第十二07)(参考 WEB漢文大系:https://kanbun.info/keibu/rongo1207.html)

さて、ここからが主題です。「信なくば立たず」だって。どいうことですか? 出典は「論語」の「顔淵第十二」です。上に引いた元の文章を見てください。解釈も解説も不要でしょう。弟子の子貢が先生に尋ねました(この弟子は現実の政治家でもあった)。「政治の要諦は何ですか」と。「食を足らし、兵を足らし」、食料も軍備も十分にして「民之を信にす」、庶民が安心して暮らせるようにすることだと。さらに訊ねた、「食・兵・信」の三者で、どうしても残すべきものはどれでしょうか、と。「論語古義」の中で伊藤仁斎さんは「言うこころは食は人の天、食無ければ則ち死す。然れども死は人の必ず有る所なり。信無ければ則ち人道立たず。故に食は去る可くして、信は去る可からざるなり」と捉えました。
もう一人の儒者だった荻生徂徠さんはどうだったか。「民之を信ずとは、民其の民の父母たるを信じて疑わざるを言うなり。食を足し兵を足すに由りて之を信ずるに非ず。然れども食を足し兵を足すに非ざれば、則ち民も亦た之を信ぜず。故に食を足し兵を足すは前に在るのみ。……民の父母たるは、仁なり。上(かみ)仁にして民之を信ず。是れ之を信ずるは民に在り。故に民信ずること無くんば立たずと曰う」(「論語徴」)と解した。少し理屈が勝った理解のようでもありますが、ぼくにはとても面白く受け取れるのです。その昔、もう半世紀も前に若い人といっしょに,上記二著を仲立ちにして「論語」を熟読したことを懐かしく思い出します。

政治に「信」という「道徳価値」が失われて、どれほど経ちましたか。しばしば都合よく間違えて「民 信なくば立たず」と馬鹿が口にします。「民衆の信頼が失われれば、政治家としては立たない」と、だってさ。本当にそう思うなら、ほとんどの政治家は「立ちなさんな」「立てないだろうよ」といわれるべきでしょう。「民の父母たるは、仁なり。上(かみ)仁にして民之を信ず」というのは徂徠さんです。「仁義礼智信」の五常の、最上・最良のものが「仁」、すなわち「他者を思いやる心」というもの。そもそもが政治家自身、あるいは政治行為そのものに「仁」が備わらなければ、どうして「人道」が興るでしょうか、と徂徠は言うのです。端的明快に言うなら、「民信なくば立たず」とは、「社会」に仁が横溢していなければ、人間関係は滅ぶでしょう。「信なければ即ち人道立たず」とは、まさしく、ぼくたちの生きている社会の今の今の、殺伐とした状況を言い当てているのではないでしょうか。嘘で塗り固めた「政治虚偽信条」をばらまいていて、果たして「人道」「道義」が無事であるでしょうか、と。「義理が廃れば この世は闇だ」という、その「闇の世」が今だというのですが、そう思われませんか。
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● こう‐し【孔子】[前552~前479]= 中国、春秋時代の学者・思想家。魯の陬邑(すうゆう)(山東省曲阜)に生まれる。名は丘(きゅう)。字(あざな)は仲尼(ちゅうじ)。諡(おくりな)は文宣王。早くから才徳をもって知られ、壮年になって魯に仕えたが、のち官を辞して諸国を遍歴し、十数年間諸侯に仁の道を説いて回った。晩年再び魯に帰ってからは弟子の教育に専心。後世、儒教の祖として尊敬され、日本の文化にも古くから大きな影響を与えた。弟子の編纂(へんさん)になる言行録「論語」がある。くじ。(デジタル大辞泉) ● しこう【子貢】[前520ころ~?]= 中国、春秋時代の人。孔子十哲の一人。衛(河南省)の人。姓は端木、名は賜。弁舌に巧みで、諸国を巡遊して政策を授け、魯と衛の宰相となった。貨殖の才でも知られる。(デジタル大辞泉)
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