「生きる権利」ってなんですか?

【金口木舌】「母さんが死んだ」 1987年1月に札幌市で起きた痛ましい出来事だ。30代のシングルマザーが真冬の寒い夜、天井を見つめながら息を引きとった。栄養失調の末の衰弱死。こたつの上には光熱費の請求書が幾枚もあったという▼3人の子を養うため仕事を掛け持ちし働き詰め。無理を重ねて体を壊したが、生活保護の受給に至らなかった。札幌テレビで当時記者だった水島宏明さんの著書「母さんが死んだ」が伝える▼それから38年。最高裁は先日、2013年から15年に生活保護費を引き下げた国の決定を違法とした。専門的知見を欠き減額理由が乏しい。いくら裁量権があっても逸脱し乱用だと断じた▼当時の減額前には自民党議員のこんな発言もあった。「生活保護を恥と思わないのが問題」。人の命に関わる制度を政争の具とする品性なき政治が嘆かわしい▼絶命した母の言葉が残る。「子どもたちがみんなおとなになったら、親子四人でお酒を飲みにいくの」。ささやかな願いも砕いた行為をむしろ恥と思う。受給申請さえ拒む「水際作戦」もあるという。判決を機に福祉の現場を手厚くし、裁量権の乱用にも歯止めをと願う。(琉球新報・2925.07/03)

 生活保護費引き下げは違法 裁判相次ぐ中 最高裁が統一的判断 国が生活保護の支給額を2013年から段階的に引き下げたことについて、最高裁判所は「厚生労働大臣の判断に誤りがあり、違法だった」として処分を取り消す判決を言い渡しました。
 同様の裁判は全国で相次いで起こされていて、統一的な判断が示された形です。
原告側は、減額された分をさかのぼって支給するよう求めていて、およそ200万人とされる当時の受給者への国の対応が焦点となります。(以下略)(NHK・2025/06/27)(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250627/k10014846161000.html

 「母さんが死んだ―しあわせ幻想の時代に」、初版は1994年、新装増補版が2014年に出されています(ひとなる書房)。三人の子どもの母親だった女性が餓死したのは1987年1月。以来、四十年近くが経過してきました。この「生活保護(受給制度)問題」の現状はどうなっているのでしょうか。つい先日、最高裁で「生活保護引き下げ」は違法であるという判断が出されました。本日の「金口木舌」の記事には、この国に蔓延る行政の無慈悲と社会の冷たい視線が指摘されているように、ぼくは読みました。「生きる権利」を保証する命の綱である「生活保護」制度。それをさらに充実させる政治家そのものが、率先して受給者たたきを繰り返してきた。「生活保護を恥と思わないのが問題」(片山さつき議員)という、自らの発言そのものを「恥と思わないのが問題」と言ったところで、その腐りきった性根は変わらないでしょう。まるで「生活保護」を受給するのは「犯罪」であり「犯罪者」であるかのような言動が今なお、政治や行政界隈で盛んに巻き散らされている。

 細かいことは言いませんが、いわゆる「生活保護受給水準」にある人が「受給」しているであろう「捕捉率」は2割程度。欧米諸国は9割に達しているのに、です。今日更に、追い打ちをかけるように、「弱者」「高齢者」等への心ない仕打ちが打ち出されているのはどうしてでしょうか。いかなる制度でも、それを悪用する不届き者はいる。だからその制度全体は間違いであるというのは、理屈の通らない話。不正受給は問題だからと言って、当然の権利を行使している人までを中傷し辱めるのは、いかにも劣等な感受性ではないでしょうか。「生活保護法」は「日本国憲法第25条の「生存権」の理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ必要な保護を行い、最低限の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とした法律です」(内閣府男女共同参画局)法律を作る側の人間が作った法律を「辱める」ような言辞を隠さないというのは、言うべき言葉を失う破廉恥行為ですな。

●生活保護法
(この法律の目的)
第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
(無差別平等)
第二条 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。
(最低生活)
第三条 この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。
(保護の補足性)
第四条 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
2 民法(明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
3 前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。(以下略)

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3人の子を抱え飢えた「シングルマザー」が“生活保護”を申請せず「餓死」を選んだ理由…「報道」が伝えなかった“国ぐるみ”の「適正化政策」の“弊害”とは? 今から38年前の1987年1月23日、北海道札幌市白石区で、シングルマザーとして小学生から中学生までの3人の子どもを育てていたコトミさん(仮名・当時39歳)が、遺体で発見されました。死因は「栄養失調による衰弱死」、平たく言えば「餓死」でした。/コトミさんは3人の子どもを抱え、生活保護を求めていたにもかかわらず、その申請を拒否されていたと報道され、当時の日本社会に大きな衝撃を与えました。/事件から40年近くが経過していますが、未解決の課題を、今を生きる私たちに問いかけるものだと思われるので、あえて本記事で取り上げます。(行政書士・三木ひとみ) 

                                                              社会を揺るがした「告発」と過熱する報道 1987年1月23日、札幌市白石区を管轄する白石福祉事務所へ、ナミエと名乗る女性(仮名)が2人の男性を引き連れて乗り込んできました。/用件は白石区の市営住宅でコトミさんが遺体で発見された事件に関するものでした。ナミエさんは大声で、「コトミさんが亡くなったのは福祉事務所の責任だ」などと20分ほど抗議を続けました。ナミエさんはコトミさんの元雇用主で、札幌市内で喫茶店を経営しているとのこと。/その後、ナミエさんの経営する喫茶店の関係者を名乗る男性から各新聞社に次々と電話がかかってきました。内容はすべて「福祉事務所が生活保護の申請を拒否したため、母親が餓死した、福祉事務所が母親を殺した」というものです。/ナミエさんはその日の午後に自身の喫茶店に新聞記者を集め、取材に応じました。内容は福祉事務所の対応への批判です。/明けて翌日の1月24日、毎日新聞を除く新聞各社がこの事件を報じます。いずれも大見出しで「母親餓死」の活字が目立つものとなっており、世間に衝撃を与えることになりました。 

                                                                 管轄の白石福祉事務所、本庁である札幌市役所の保護指導課には抗議電話が殺到し、本来の業務が遂行できなくなるほどでした。/この事件は「札幌母親餓死事件」と名付けられ、これ以降新聞のみならずテレビ・ラジオでの報道も始まります。STV(札幌テレビ)、HBC(北海道放送)、NHKなどで取り上げられ、それらにナミエさんが登場し、役所の批判を繰り返したのです。/事件から9か月後、STV制作のドキュメント番組「母さんが死んだ―生活保護の周辺」が全国放映され、生活保護行政の問題点を取り上げた作品との評価を受け、いくつもの賞を受けました。また1990年2月にはSTVのディレクター水島宏明氏によって「母さんが死んだ-しあわせ幻想の時代に」が出版されました。(以下略)(弁護士JPニュース 三木ひとみ著・2025年06月29日 08:48)

(左上写真、雨宮処凛(かりん)さん。もう何年前になるでしょうか。小生担当の授業に処凛さんが来て下さった。今日の活躍ぶりを遠くから見ていて、頭が下がる思いがします。「雨宮処凛がゆく 第292回『母さんが死んだ』――27年前の餓死事件、そして更に広がる子どもの貧困。の巻」(https://www.magazine9.jp/article/amamiya/12158/

 いまさらのように「生きる権利」の意味が問われています。ぼくにも、あなたにも、です。

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心頭滅却すれば火もまた涼し(快川)

 地球は燃えているというべきでしょうか。昨年の夏も猛烈に暑かったことをぼくの体は記憶しています。例年だと、少々の暑さでも何とか、除草作業などをやり終えるのですが、昨夏ばかりは、あまりの酷暑で、外に出ることすらできなかった。そのためもあって、拙宅前の空き地はすでに原野に戻りつつある。なん十本もの竹が成長し、桑の木が繁茂し(鳥が種を運んだか)、下草は、地面を厚く覆って、足を踏み入れることすらできない。今年は何とか、その土地に挑んで、風通しを良くしたいのですが、いかにも困難を予想させます。敷地の周囲の木々や竹が家全体を覆い隠さんとするばかりに枝葉を伸ばしている。電動鋸(のこぎり)や刈払機の新たなアタッチメントを揃えて、いざ作業開始という、その最中に猛暑・酷暑に襲われ、ものの三十分もすれば汗みずく。身の危険を感じて、大いに怯(ひる)んでしまう始末。(ヘッダー写真は「日テレ」・2025/07/01)

 極東の小島だけが極端に暑いのでないことは先刻承知でしたが、昨年以上に欧州各地も炎暑や酷熱に急襲され、いかにも生き絶え絶えの有様でした。いくつかの新聞記事を垣間見ただけで、わが身体から汗が噴き出してくる。いかにも「地球は燃え盛っている」のだ。スペインでは46℃を超え、6月の最高気温を記録したといい、バルセロナでは道路清掃の女性の死が伝えられた。

 東京都では、6月中の「猛暑日」は13回あったという。ぼくが心配しても仕方がありませんが、農作物の成長に甚大な被害が出てきそうです。稲の生育に必要な水が不足したり、高温続きでカメムシの大量発生が危惧されています。高温・水不足による野菜や果物の生育不良はすでに各地で発生している。もちろん、熱中症をはじめとする健康被害が大いに心配されてもいるのです。夏季の早期化および長期化が常態と化しているのではないでしょうか。少なくとも、今後、9月末までは夏の暑さが続くとすれば、一年の三分の一が「夏季」ということに、それも異常な高温状態の夏が続くとすれば、まさに異常・異様な事態の到来となるでしょう。極端に暑い夏季と極度に寒い冬季、この二つ季節が劣島の常の姿となることを想像するだけでも身も心も縮まります。

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欧州で熱波続く、スペインは46度を記録 ロンドンも連日30度超え ヨーロッパの広い地域が熱波に見舞われている。焼け付くような暑さの中で、多くの国が体調に注意するよう呼びかけている。イギリスでも暑い日が続いている。/最も暑さが厳しくなっているのがスペイン南部だ。同国の気象当局によると、エル・グラナドという町で28日に気温46度を記録。6月の最高を更新した。/バルセロナでは同日、道路清掃の仕事を終えた女性が死亡した。現地当局は死因などを調べている。/ポルトガル、イタリア、クロアチアの一部では、最高レベルの「赤」の暑さ警報が出ている。スペイン、フランス、オーストリア、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ハンガリー、セルビア、スロヴェニア、スイスでは、その次に高い「オレンジ」の警報が多数出ている。(中略)(↴)

欧州の一部地域では、今週半ばまで気温が上がり続ける。フランス、ドイツ、イタリア、イギリスでは今後数日間、気温が上昇するとみられている。/この暑さは、広い地域が高気圧に覆われ、乾燥した空気が下降して暖めることで引き起こされている。/そうした状態が何日が続き、気温は上昇した。高気圧は今後数日かけて東へと移動し、それとともに高温の地域も北や東へと移る。/個々の極端な気象を気候変動と関連付けるのは難しいが、熱波は気候変動の影響で、より一般的に、そしてより激しくなっている。/気候変動が極端な気象現象に及ぼす影響を分析しているワールド・ウェザー・アトリビューションの科学者らは、3日連続で28度を超える6月の熱波が、工業化以前に比べると約10倍発生しやすくなっているとしている。(左写真「イングランド南部ボーンマスのビーチには多くの人が訪れた」(29日)(BBC・2025年6月30日)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c1e00p7xd07o

「ちょっと溶けそう」…… 欧州各地で記録的な暑さ 強烈な熱波がヨーロッパの広い地域に気温上昇をもたらし、各国当局が健康被害への警告を発している。/スペインの国立気象局によると、28日にはスペインの町エル・グラナドで6月の新記録となる46度を記録した。/ポルトガル、イタリア、クロアチアの一部では、最高レベルの「赤」の暑さ警報が出ている。スペイン、フランス、オーストリア、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ハンガリー、セルビア、スロヴェニア、スイスでは、その次に高い「オレンジ」の警報が多数出ている。(略)(BBC・2025/07/01)(https://www.bbc.com/japanese/articles/cgq774pleepo

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心頭滅却すれば火もまた涼し」と言った坊さんがいました。言っただけではなく、そう唱えながら、火中に身を投じたというのです。なんという蛮行であることか。それはもうすでに狂気の域に入っているでしょう。「どんな困難でも、精神の持ち方次第で乗り越えられるということ。『心頭』は、心の中。心の中から雑念を消し去り、無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるとの意から。武田信玄に仕えた禅僧快川が、甲斐の恵林寺で織田信長の軍勢に攻められたとき、火中に正座して言ったとされる言葉」(ことわざ辞典オンライン)

 「禅の言葉に『心頭滅却すれば、火自ずから涼し』という言葉がございます。この句は元々、中国の詩人・杜筍鶴の詩にみられますが、日本で広く知られるきっかけとなったのは、臨済宗妙心寺派の禅僧、快川紹喜禅師の逸話にあります。/快川禅師は戦国時代、甲斐の武田信玄に招かれ恵林寺に入寺し、武田家の相談役も務めた名僧です。しかし、武田軍を攻めた織田軍によって恵林寺は焼き討ちに遭います。快川禅師は山門の上に逃げ集まった弟子たちに対して、『この機に臨んでどう法輪を転ずるか、一句言ってみよ』と投げかけ、弟子たちはそれに応えます。そして、いよいよ炎が迫った中で、最後に快川禅師が『安禅は必ずしも山水をもちいず。心頭滅却すれば、火自ずから涼し』と唱えて、燃えさかる炎の中に身を投じたと伝えられています」(大本山妙心寺「法話の窓」・https://www.myoshinji.or.jp/houwa/archive/houwa1809-1) 

 無茶苦茶なことを言い放つのが禅宗のお坊さんの得意とするところだったか。快川禅師、さぞ暑かったことだろうと、ぼくの心は寒々と冷えてきます。「暑さ寒さも心持ち(次第)」と言っておられる方は野蛮(乱暴)の輩だと指摘しておきたいですね。とにかく、ぼくは「無理をしない」「我慢しない」、それだけを心掛けているのです。「暑いの 暑いの飛んでけー」と誰かがはやす声が聞こえてきます。耳鳴りかあ、…。

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未来を考え、見て、現在、明日を知る

<あのころ>初代「ウォークマン」発売 46年前の7月1日 1979(昭和54)年7月1日、ソニーが携帯音楽プレーヤーの初代「ウォークマン」(写真は同社提供)を発売した。録音機能はなかったが、カセットテープのステレオ音楽を、どこでも小型のヘッドホンで楽しむ新しいスタイルを生み出した。2012年には、次世代に継承していく意義を持つ「未来技術遺産」に選ばれた。(共同通信・2025/07/01)

 この新しい機器(装置)が売り出されて以来、ぼくは「虜(とりこ)」になったといってもいい。それまでは部屋の中に限定されていた音楽空間を、好きな時に好きな場所で聴くことができる、音楽の持ち運び自由というのは、ぼくには「革命」的であったのだ。もちろん、レコードやFMラジオでは浴びるほど聞いていたが、それを電車の中でも聴けるようになったのは驚きでした。以来、いったい何台の器械(機種)をぼくは買っただろうか。もちろん、当初はカセットテープで録音した音源だけが用いられた。だから、家では四六時中、録音作業にかかりきりになっていた。クラシック音楽では、一曲が一時間以上も要するものはざらだったから、長い通勤時間も苦にはならなかった。

 同時に、クラシック一点張りではなく、ジェイポップ(JPs)も歌謡曲も、ジャンルを問わずに聞き続けていたほどでした。この時代、西洋音楽の世界ではカラヤンが「帝王」の名を恣(ほしいまま)にしていました。ぼくはあまり好まなかったが、ソニーは彼にウォークマンを聴かせた。やがてカラヤン帝王は歩きながらウォークマンを耳にしているCMを流し出した。左の写真の一人は盛田昭夫さん。ウォークマンの開発者でした。このソニーという会社は、戦後の出発で、それまでの鉱石や真空管中心のラジオをトランジスタに切り替えて、新たな道を切り開いた企業だった。やがて、ソニーはオーディオ製品にも領域を広げ、素晴らしい音響技術を売り物にしてきました。(写真左:Akio Morita (Sony) and Herbert von Karajan. 15 april 1981)

 ある時期から、ぼくはソニーのオーディオ製品に心を奪われ、すっかりその音色に引き付けられていく。今では全く聴かなくなったオーディオ機器ですが、そのほとんどは、今もなお埃をかぶってですが、ソニー製品で揃っています。アンプ、チューナー、プレーヤー、スピーカーなどのすべてを備えて、悦に入っていたのだったし、その道を開いたのがウォークマンだったと言えます。今では、壊れたままの何台かの姿形が自宅には残されていますが、この小さな機械から、ぼくは実に長い時間(期間)、脳髄を刺激され続けてきたと言えます。

 やがて、時代はCD全盛時代に入りましたから、それ専用のウォークマンも、何台も買った覚えがあります。当初、ぼくは長くレコード派を名乗っていました。LPレコードの醸す雰囲気が、ぼくには軟らかく、音楽に求めていたものと符合していたのでした。一時期、収集したレコード枚数は千枚を超えたことがあります。その九分九厘はクラシック音楽でした。集めすぎたレコードを処分したことがありましが、その店はソニーの系列会社だった程。しばしば、銀座にあったショールームにも出向き、新製品が出るたびに耳を傾けた。もちろん、音響機器はソニーだけではなく、もっと高級品の部類もたくさんありましたが、ぼくの身の丈に合っていたのがソニーだったと言えます。

 ソニーの創業者だった井深大さん、盛田昭夫さんについても少し駄弁りたいけれど、今は止めておきます。二人の創業者は、郷里(愛知県)ではほんの数百メートルの近くで住んでいたという。後年、ぼくは井深さんが作られたある団体に呼ばれて、その仕事のお手伝いをしたこともありました。幼児教育に関する啓蒙団体だった。忙しさに紛れて、縁遠くなったのでしたが、晩年のかなりな期間、井深さんは幼児教育に大変な関心を持たれ、その方面の活動もされたことでした。今考えれば、ソニーやホンダが戦後に出発し、モノ作りを推進してきて、ために、この国の「技術立国」の方向性を決定づけた功績は大きかった。どちらの企業も創業者自身が技術者だったことは、今から見れば驚異的な幸運(奇蹟)だったと思う。

 企業が大きくなり、技術者が表舞台から消えてしまって、官僚的な人材が企業経営に携わるようになるにつれて、技術・モノ作りの思想がいつしか失われていったことと、この国が沈み始めた時期とが重なっています。科学(技術)工業と称しながら、技術開発に資源を割かなった報いは、なかなか克服できないままでいます。今やソニーの儲け頭が「銀行」「保険」「ゲーム機」などであるという実情が、この国の来しかたを示している、行く末をも明示しているようです。(若いころ、一時ソニーに在籍していた江崎玲於奈さんは、井深さんの葬儀の際に「温故知新、という言葉があるが、井深さんは違った。未来を考え、見ることで、現在を、明日を知るひとだった」と、弔辞で述べておられます。その江崎さんは、ソニー時代の発明「エサキ(トンネル)ダイオード」で、後年(1973年)、ノーベル物理学賞を受賞されました)

● 盛田昭夫(もりたあきお)(1921―1999)= 実業家。愛知県生まれ。1944年(昭和19)大阪帝国大学理学部物理学科を卒業し、海軍技術中尉に任官。戦時研究委員会の熱線探知機開発メンバーとなり、そこで井深大(いぶかまさる)と知り合う。第二次世界大戦後、1946年に井深と東京通信工業を設立し、常務となり営業面を担当。1955年同社開発のトランジスタラジオを「ソニー」ブランドで販売。1958年には社名をソニーに変更。以後、自ら駐在しアメリカ市場を開拓するとともに、世界各国に販売会社を設立し、ソニーを世界的企業に躍進させた。1959年副社長、1971年社長に就任、1976年会長。1986年から1992年(平成4)まで経済団体連合会(現、日本経済団体連合会)副会長。1994年ソニー会長を退任し、ファウンダー・名誉会長となる。著書に『MADE in Japan――わが体験的国際戦略』など。なお、1998年アメリカの『タイム』誌による20世紀にもっとも影響力のあった人物「20世紀の20人」に経済人として日本人ではただ一人選ばれた。(日本大百科事典ニッポニカ)

● 井深大(いぶかまさる)(1908―1997)= 実業家。栃木県日光に技術者甫(たすく)の長男として生まれる。1933年(昭和8)早稲田(わせだ)大学理工学部電気工学科卒業。すでに在学中「走るネオン」の発明で才能を示す。卒業後は写真化学研究所に入り、1937年日本光音の無線部長、1940年日本測定器の常務となる。第二次世界大戦後、1946年(昭和21)東京通信工業を創立し専務、1950年社長に就任。1958年ソニーと社名を変更、1971年会長、1976年名誉会長、1990年(平成2)ファウンダー・名誉会長、1994年ファウンダー・最高相談役に就任。同社は独自の製品開発を重視し、海外市場の開拓にもいち早く成功を収めた。彼は戦後の代表的な技術者経営者の一人であり、発明協会会長のほか、幼児教育にも関心が深く、幼児開発協会理事長も務めた。1992年文化勲章受章。(同上)

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賽(さい)の目の「一の裏は六」です

 確かに、本日は本年前半の最終日。でも、ハーフタイム(休憩)はなく、明日からいきなり後半が始まる。人によっては「前半」は終わらないかもしれないし、また人によっては「後半」はとっくに始まっている。いや、もう今年は終わっているとみなしている人もいるでしょう。ぼくはコラム氏のように「人生はバスケの試合」のようだとは思えないで生きています。都合よく、水が飲めたり、作戦タイムがあったり。あるいは十五分や二十分の「ハーフタイム」があるわけでもないでしょう。過酷な状況が続く人もいれば、「棚から牡丹餅」のような幸運に巡り合える人もいるでしょう。それも暗転します。

 「何より重要なのは諦めない気持ち」と言われるのは、その通りかもしれませんが、相手が見えない、手探りの戦いに翻弄されるのも人生の辛さでしょう。いつ果てるかもしれず、監督もコーチもいない、そんな人生もあるでしょう。明日から一年の後半というけれど、自分の生活は、前半も後半もない暮らしの連続ではないですか。試合なら、必ず「勝ち負け」がある。「引き分け」もある。それに対して、人生には「勝ち負け」があると、コラム氏は考えておられるのか、あるいは「引き分け」が人生にも存在すると思われているか。試合(勝ち負け)に参加できない人もいるでしょう。それもまた、人生です。

 「仕事でも勉強でも家庭生活でも、私たちの人生はうまくいかないことばかり。誰だって落ち込んだり心が折れそうになったりすることはある。それでも前を向いて進めば必ず状況は好転する」と。ぼくの勝手な思い込みかもしれないけれど、こんな風に人生を捉えたことはない。「人生はうまくいかないことばかり」というより、それが人生だと思っているところがあります。しばしばいわれるように「人間万事塞翁(にんげんばんじさいおう)が馬」とか「禍福は糾(あざな)える縄の如し」とか。「幸福」というのは<happen>なんですね。それが<happiness>に繋がる(重なる)のではないですか。「一瞬」とか「突然」のもの、起こるのも終わるのも。

 「(「人間万事塞翁が馬」とは)人生における幸・不幸は予測が出来ないということ。幸運から不幸に、不幸から幸運にいつ転じるかわからないので、一喜一憂する必要はないということ。昔、中国北方の塞(とりで)付近に住んでいた老人が馬に逃げられたが、その馬が立派な馬を連れて帰って来た。老人の息子がその馬から落馬して足の骨を折ったが、そのおかげで兵役を免れたという故事から。『人間万事塞翁が馬』ともいう」(ことわざ辞典オンライン)「(「禍福は糾える縄の如し」とは)わざわいと幸福は、より合わせた縄のように表裏一体を成しているということ。「糾(あざな)う」とは縄をより合わせること」(同前)。

【金口木舌】2025年のハーフタイム 数年前、バスケットボールの試合の中継を見ていたときのこと。前半戦で劣勢だったチームの選手たちが、ハーフタイムに「まだまだ後半がある。必ず盛り返せる」と話し合っていた▼なかなか流れをつかめない苦しい展開だったが、そのチームの選手の表情は明るかった。後半に入ると前半の劣勢がうそのように力を発揮して、相手を大きくリードして勝利をつかんだ▼多くのスポーツにはハーフタイムのように試合を区切る時間がある。前半の戦い方を振り返り、分析することで後半の展開を変えられる。そして何より重要なのは諦めない気持ちだと、多くの選手が証明してきた▼仕事でも勉強でも家庭生活でも、私たちの人生はうまくいかないことばかり。誰だって落ち込んだり心が折れそうになったりすることはある。それでも前を向いて進めば必ず状況は好転する▼2025年も半分が終わる。年初に立てた目標や計画が思うように進んでいないとき、今が1年の「ハーフタイム」と考えてみてはどうか。前半の経過を振り返り、後半に盛り返せると信じることで、最後に笑って過ごせる1年になるはずだ。(琉球新報・2025/06/30】

 「明日は明日の風が吹く」といい、「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」「楽あれば苦あり」「苦あれば楽あり」という。勝ち負けがあるのが人生なら、何をもって勝ちとするか、負けとするか。寿命が尽きるまでバスケットの試合が続くと考えたらどうか。ハーフタイムもなく、監督もコーチもいない。まして、応援するものもいない、実に孤独な終わり(勝ち負け)のない試合。ときには、一人で負け続けることもあるかもしれない、それが人生でしょう。

 「待てば海路の日和あり」というのは、確かだとして、どれだけ待てばいいのか。時化(しけ)続きで、人生を終わる人もいるでしょう。戦争の惨禍に翻弄された人はどれほどいるか。幸福の絶頂で侵略者の砲撃に消し去られることもあります。ぼくたちの生きている社会の歴史に、できれば背中を向けないで、何と言われようと、自分の歩幅と歩速で歩くしかないのです。「最後に笑って過ごせる1年になるはずだ」と仰(おっしゃ)る。人生は脚本のある「大喜利」「笑点」なんかではないと、ぼくは考えているのです。出口のないトンネルをトンネルというのかしら。トンネルなら必ず光が指すでしょう。さて、「人生はトンネル」なんでしょうか。

いちうらろく=さいころの一と六とが裏表であるように、生きていくうちには、よいこともあれば悪いこともあり、それが循環するものだ。(デジタル大辞泉)

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「徒然に日乗」(792~798)

〇2025/06/29(日)一日間違えた、かみさんの箱根行。猛暑日に当たり、しかも山にも上るというのだから。膝が痛いといつも言い続けている彼女の自覚の欠如、体を労わるのは自分であるという意識が極めて希薄。加えて年齢相応の行動にも気が回らないところがある。午後7時過ぎに一度電話があったが、うまくつながらなかった。「海ホタル」かららしい。茂原に着いたら、もう一度電話するといったが、電話はいらないから、気を付けて帰るように伝えた。案の定、帰宅早々(午後9時過ぎ)、「膝が痛い」との訴え。明日以降が気になる▶昼過ぎに、少しばかり除草作業を行う。少しばかり動いただけで汗が噴き出す。即座に中断、無理をしないこと▶イ・イ和平協定の行方は霧の中、と言うより、これまでの歴史をたどれば、こんな程度の茶番では、それは不可能だと思う。イランの核施設爆撃の程度にも疑問が沸きだしている。何よりも、大統領のあらゆる話の根幹が虚言で成り立っているという、悍(おぞ)ましさ。この大統領を承認し続けるのだろうか、アメリカも世界も。(798)

〇2025/06/28(土)昨夜、「明日は仲間と一緒に箱根に行く。朝早く集まって、バスで。もちろん登山もする」と。「天候がどうなるかわからないけれど、予報では猛暑だという、気を付けた方がいい」と言った。今朝、7時ころに出かけた。車で集合場所まで送ってくれと言ったが、自分で乗っていくがいい。帰りもいつになるかわからないから、駐車場に止めておくといいよ。帽子をもって、できれば日傘も」と言っておいた。車で出かけたが、一時間もしないうちに帰ってきた。中止になったのかと思ったら、「日にちを間違えた。明日だった」と。大丈夫かと、念押ししたくなる。ひどいものだと呆れるほかない▶日の出から、強烈な日差しが照り付けている。猛暑は明らか。すでに、九州四国関西東海などは「梅雨明け」だという。数日間で夏到来。この先が思いやられる▶昼前に茂原まで買い物。猛暑の中、店は混んでいた。一両日には関東地方も「梅雨明け」になるだろう。それはともかく、6月から、猛暑日は連続するのだから、いろいろな方面で支障が大きく出るだろう。(797)

〇2025/06/27(金)終日自宅内に。天気は回復、気温も湿気も高くなりそう。各地ではゲリラ豪雨が降りしきっている。落ち着きのない天候で、今後の作物や米作にも大きな影響が及ぶだろう▶梅雨らしい天気もなくて、梅雨の中休みというのだろうか。厳しい暑さが劣島を襲い、暑さの合間に激しい降雨が各地を襲う。線状降水帯という以上にゲリラ豪雨が各地で発生。一時間に数十ミリ単位の豪雨だ。中国のある都会の豪雨をもたらす、低気圧が、いずれ劣島上空にもやってくるだろうし、また太平洋上では台風が頻繁に発生し、激しい雨風を劣島にもたらすことだろう。稲作をはじめとする作物の収穫に大きな影響が出ることを恐れている。(796)

〇2025/06/26(木)昼過ぎに茂原まで買い物に▶曇天で、時には雨も落ちてくる天気だったので、本日も庭作業は中断。熱帯低気圧からの大雨かという予報は外れていた。湿気と高温で、体そのものがだるい。連日続く真夏日によって、生育中の稲がどうなるか心配。夏野菜は軒並み、たいそうな高温で日焼けし、水不足で生長が続かなくなっているらしい。高温の弊害は甚大かもしれない。とくに稲作への影響が大いに気遣われるところ。(795)

〇2025/06/25(水)昨夜からの雨が朝まで続いていた。時には強めに降ってはいたが、昼過ぎからは日差しも出てきた▶お昼頃に、猫缶購入のためにあすみが丘(土気)まで。いつも通りの「二種類」を買う。本日は高齢者のためのサービスデーのようだったが、あいにくの雨天で人出は少なかった▶「イ・イ和平問題」の経緯がよく分からないのは、仕掛け人があの人だから仕方もないが、さて、この先、どのように転ぶのか、むしろ、これからの展開が世界の仕組みの帰趨を決めることになるだろう。「瓢箪から駒」という言葉(表現)を、ここで使いたいが、その意味するところは単純ではなさそうだといいたい。いえることは「けいいはともかく、和平に至るなら」ということか。いのちを踏みにじらない戦争を、それだけを願う。(794)

〇2025/06/24(火)昨日は「華々しい軍事的成功」と狼煙を挙げたかと思うと、翌日は「イ・イ和平合意」と花火を挙げる。米大統領の軽薄すぎる虚実織り交ぜたパフォーマンスをどういったらいいのか。いろいろな意味で、彼はどうしても「TACO」だというほかない。自作自演ではなく、彼の場合は、台本作者は別にいる。たくさんいるようでもあり、ほとんど一人でもあるというべきかもしれないほど、背景にある姿勢はその時(日)暮らし。自作自演ミュージシャンは「シンガーソングライター」と言うが、政治では、殊に米大統領のことをどう言えばいいのか、ぼくには言葉が浮かばない。やはり「マッチポンプ」が一番適合しているだろうか。本当に「和平」が成立したかどうか、ぼくにはとても疑わしい。端から、それは彼には問題外のことだから。(793)

〇2025/06/23(月)八十回目の「沖縄慰霊の日」。八十年経ても、いささかも沖縄の置かれている地位は変わらないどころか、これまで以上に、多方面における負担が重く、厳しくなっている。つまり、沖縄県は本土政府や国民からも現状固定を強いられているということであり、軍事負担もかなりの部分を強いられている。沖縄は「日本」独立の試金石であり、このままではさらにそれは遠のいていくほかないだろう。▶昼過ぎに買い物で茂原まで。相変わらず陽射しも強く、気温も高い。東京都は連続6日間、真夏日だったというから、当地も同様の酷暑続きだったことになる▶午後には、溜まりに溜まっている剪定した枝葉や草類を燃やした。明日から、しばらく雨続きとの予報もあったので、かなり焼却できたと思う▶昨日は都議選があって、自民党は大敗だという。中央政界と同様、与野党が画然と分かれているとは思われなく、ごく一部を除いて、すべてが与党化しているとぼくは見ている。だから、政治そのものが歴然とした現状肯定主義が幅を利かせているのだ。ドングリたちが、1ミリの差を針小棒大にして競い合っているという無様。(792)

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MAGA demands Nobel Peace Prize for Trump

◎ 週の初めに愚考する(七拾六)~ 多言を要しません。駄弁も要らないでしょう。以下に、一本のヴィデオを紹介しておきます。昔からよく観ている番組です。その主張や批判のすべてにぼくは賛成しているわけでもないし、彼(ら)の論評が常に正しいと思っているものでもありません。時には、外れることもあり、間違えることもあるでしょうが、少なくとも現職大統領への評価に関しては、確かな指摘をしていると思って、ぼくは多くを教えられてきました。このMSNBCの番組の他のものも、ぼくは繰り返し観てきました。偏っていると言われたりしますが、その指摘が的外れでない限り、偏(かたよ)りは、それ自体で「正しい」ともいえるのです。この放送に出ているかなりの人々は共和党支持派だったとされるのは、ぼくには興味深くもあります。

 現実の米大統領の恥も外聞もない、著しい狂気・乱心をどう見ればいいのでしょうか。丸裸で、世界を闊歩、その裸体(nudity)を見せびらかしてさえいるのです。目の前に「ノーベル平和賞」がぶら下がっている、これを逃してなるものかと躍起になるのも判らぬではありませんが、「世界の平和」にとっては途轍もない迷惑な話。アメリカはこれまでに何度も繰り返し他国の政治に干渉し、政権を覆してきました。今回もその手を使っている。そして、彼のあらゆる発言の根底には「隠しようもない嘘(an unconcealable lie)」が横たわっているのです。それをしてまで、「何が何でも盗らねばもねばならぬ」と、まるで将棋界の鬼才坂田三吉ばりに形振(なりふ)り構わずに「平和賞狙い」の勝負に出ているのです。一個でも二個でも授けたらどうですと、ぼくは最初から言っています。

 どうしてこんなに拘(こだわ)るのか、不倶戴天の政敵(彼には唾棄すべき存在)のオバマ元大統領が先に授与されたからです。人種差別主義者の人間としては、許せない、看過できないことなのだ。あんな奴に負けるわけにはいかぬというばかり。(同じ民主党の大統領だったカーター氏も授与されている)中東であれ、どこであれ、その地域の「和平」も人名なんかも、どうだっていいんですね。この段階で、彼を抑え込めなければ、傍若無人がさらに昂進するでしょう。彼の周りで、彼に弓を引くものも、冷や水をひっかける(諫言する)ものも、誰一人いないのは、彼が怖いのではなく、自分が可愛いからなんですね。

 狂気狼藉ますます募り、遂に岩盤支持層までが彼から離反し始めているといいます。だからこそ、さらに狂気の度は進むでしょうね。

 ここに、MSNBCの三日前のビデオを紹介しておきます。題して<‘What peace?’: MAGA demands Nobel Peace Prize for Trump after bombing Iran>、コメンテーターはChris Hayesさん。(https://www.youtube.com/watch?v=OpVIu1LdYhE

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今は世におしなべていちじるしきもの

【有明抄】会話の相手は? 若い頃赴任した多久・小城支局は一人支局。一人は誰にも気兼ねすることなく自由だが、原稿に行き詰まった時は話し相手が欲しくなる◆人は一人では生きていけない。この春、進学や就職、転勤などで家族と離れ、一人暮らしを始めた人は何気ない会話のありがたさを感じているのではないだろうか。話しかけた言葉に答えが返ってこないと気づいた時、人は喪失感に襲われる◆対話型生成AI(人工知能)のチャットGPTに「チャッティ」などと名前をつけ、会話を楽しむ人が増えているという話を耳にした。新聞製作でも講演の要約などAIの活用範囲が広がってきた◆そんな時代の流れに筆者は乗り損ねている。「サラっと一句!わたしの川柳コンクール」で目に留まった「AIの使い方聞くAIに」のレベルだ。AIはくだらないと思うような質問にも真剣に答えてくれるそうだ。考えてみれば、正解を求めて人と会話するわけではない。欲しいのはあいづちや「共感」の言葉◆きのう、佐賀県を含む西日本で梅雨が明けた。「ずいぶん早いね」「そうだね、暑いね」。チャットGPTならこう続けそう。「このまま確定すれば史上最速の梅雨明けだよ」。そんなうまい答えは返せなくても、せめて聞く姿勢だけは負けないようにしたい。自分が欲しいものは相手もきっと欲しいもの。(義)(佐賀新聞・2025/06/28)(ヘッダー写真「2024年に死刑を執行した国は15カ国と、過去最少を記録した。画像はマレーシア・クアラルンプール市内のシンガポール大使館前で、「死刑を廃止せよ」などと書かれたプラカードを手に死刑制度に抗議する人々」BBC・2025/04/09)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c77nnrlp1rgo

 本コラムの主旨は何処にあるのだろうか。ぼくにはよくわからない。どんな人も「会話の相手」を求めているというのでしょうか。それとも、…。ぼくはこれまでに一定期間、たった一人で生活した経験はある。4~5年になるだろうか。それこそ、誰とも話さないで、たった一人で一日を過ごすことが多かった。まして繁華な街の中ではなく、滅多に人も来ないような僻地での生活でした。その際に、「話しかけた言葉に答えが返ってこないと気づいた時、人は喪失感に襲われる」とコラム氏は言われる。自分の他に誰もいないのを知っていて、人は話しかけるのかどうか。何に向かって、話しかけるのか。淋しいとか悲しいという感情は誰にもある。でも、そうではなく「喪失感に襲われる」と言われると、ぼくはどきりとする。どんな事柄においても、人それぞれで、多くの時間を一人で過ごしたい人もいるだろうし、そうではなく、常に賑やかな笑い声や話し声の中で過ごしたいと思う人もいるでしょう。

 でもどうですか、どんな人でも、人が疎ましくなることもあれば、人恋しい時もあるのではないですか。相手がだれであれ、何であれ、話す相手になってくれる存在を求めているのなら、犬でも猫でも亀でも昆虫でも。あるいは小鳥や小動物だって、十分に相づちを打ってくれるでしょう。ぼくには未経験ですから、勝手なことは言えないが、今どきのことですから、「チャッティ」であることも大いにあるでしょう。外国では室内で育てている観葉植物なども、家族の一員と見為して暮らす人もいます。おふくろが元気だったこと、美しい花を咲かせてくれた植木に向かって「おおきに、ありがとう」と言葉をかけて、お礼肥えを施していたことを覚えている。

 「人は一人では生きていけない」とは、どういう場面を想定しておられるのだろうか。わざわざ、そんなことを言わなくてもそうであるに決まっているではないかと言いたくなりますね。生まれたばかりの赤ん坊は三日も放置されれば、生きるのは難しいでしょう。「生きる」ということなら、誰彼の世話やおかげを被(こうむ)って暮らすことを指すのでしょう。目の前に、あるいは自分の隣に確かにいるとは限らない、不特定の他人の働き・支えでぼくたちは生きているのですから、「一人では生きていけない」とことさらに指摘するのもどうかと思う。問題は、自分の頭で考え、自分の足で立つこと、そんな力を育てることをこそ、成長するというのであって、そんな「生きるための能力」を抑圧・阻害しないことをぼくたちは十分に注意する必要があるのでしょう。

 自分の無能を棚に上げて、コラム氏の記事に「いちゃもん」をつけているのかもしれないし、そうでないのかもしれません。二度三度読んでも、コラム氏の視点・主旨がぼくにはよく捉えられないもどかしさを、そのままの感情で駄文にしたら、こんな出鱈目な成り行きになったという次第。あえて「人は一人では生きて行けない」と断るまでもなく、たくさんの人々(その多くは赤の他人)によって支えられ、見守られているということを、少しでも感じることができるなら、それでひとまずは、何とか生きていけるんじゃないですか。

 「生の充実」というようなことは、不満や不平があってこその対価であるとぼくは感じている。その昔、作家の正宗白鳥さんは、逢う人毎に「つまらん、つまらん、この世は、つまらんことばかりだ」と言っていたそうです。それを聞いて、彼をとても尊敬していた文学者は、「口ではああいっているけれど、正宗さん、実はもっといい世の中に、もっとましなことがある世の中にと、それを念じているんだ」と、正宗白鳥さんの真意を知って驚嘆したと言っていた。「だめだ、だめだ」という口癖は「だめでないものがあるはず」と言うに等しい、そんな苦言や文句を口にできるようになりたいもの。周りや近くに親しい人間がいなければ、直ちに「チャッティ」に飛びつくのもいいけれど、ね。

*****

……                                                                    人はみなたつきのかたにいそしむを
われが上にも
よきいとなみのあれかしと
かくは願ひ
わが泪ひとりぬぐはれぬ

今は世に
おしなべて
いちじるしきものなく
――(「冬の日」三好達治「測量船」所収)

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