We can’t go on pretending day by day

 本日は7月7日、「七夕」だそうです。昨日は十年程前の卒業生が来宅された。女性が三人に、そのうちの二名は(男児一名と、女児二名の母親)、一歳半(男児)、二歳、そして六歳(小1)でした。拙宅は今や、猫屋敷ならぬ、猫ゼミ合宿所のようで、出入り自由、来るもの拒まず、去るもの追わずという「ゆるゆるセミナー」となっています。総勢何名になるのか、今は定かではない。まあ、ぼくに言わせれば、人生というのは「ゼミ」のようなもので、そこで何を学ぶか、学ばないかは、参加する側の問題であり、そもそも参加するかどうかも、規則ははっきりとしていないんですね。卒業生(人間です)も、長く無音を託っていた人が、突如子連れでやってくることもあれば、結婚などという、面倒なことにははまりたくないといさぎよくでしょうか、孤高を貫く御仁も居られます。

 昨日は、半日、小さな子どもたちの表情や行動を見ていて、その昔のゼミ生も、それぞれに親になったものだと感心していました。学生時代、ヘーゲルを読んでいて、「親から子どもが生まれる」のではなく、「子どもから親が生まれるのだ」と言っているのを読んで、ドイツ観念論の王様は、こんなばかばかしいことを言うのだととても感心したことを思い出していました。確かにそうですね。初めから親なんかいないはずで、誰もが子どもによって親になる(させてもらう)というのですから、子どもには大変な教育力があると気が付いたものでした。その伝でいうと、「先生から生徒が生まれる」のではなく、「生徒から先生が生まれる(育つ)」のでしょうね。それをほとんどの「先生当人」は錯覚しているんでしょう、自分は、資格を持っているのだから、最初から先生だと。

 小さな子どもたちの表情を少し遠くから観ていて、ぼくには<We Are The World>という音楽が流れていました。「みんないっしょ」「わたしたちはせかいなんだ」と、その一瞬の雰囲気を感じられただけで、人間がいて初めて、この地上(自然界、自然環境)は世界になるのであって、最初から「世界」という住処はなかったのだと、これまた、うかつにも気が付いた次第。とすれば、森羅万象は、それぞれの「世界」を生きているともいえるのであって、俺だけの世界、私たちの世界などとは口が裂けても言えた義理ではないかという真実をいまさらのように確かめたのでした。本日は、二つのコラムに込められた「意味」「真意」をくみ取られますように。(世界(のかなりの部分)は狂気が支配している。その中でも人間は暮らしているのです)

There comes a time when we heed a certain call
When the world must come together as one
There are people dying
Oh, and it's time to lend a hand to life
The greatest gift of all

We can't go on pretending day by day
That someone, somehow will soon make a change
We're all a part of God's great big family
And the truth - you know love is all we need

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let's start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
It's true we'll make a better day
Just you and me(以下略)

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➀【新生面】フェイク動画と参院選 トランプ氏やプーチン氏、習近平氏、金正恩[キムジョンウン]氏…。世界のリーダーが『ウィー・アー・ザ・ワールド』を歌っている。無論どれも偽者。生成人工知能(AI)で作られたディープフェイクの動画サイトにあった▼アフリカを飢餓から救うため1980年代に作られたチャリティーソングだ。世界情勢を知っていればあり得ないのは一目瞭然。しかし、精巧な動画を見れば現実と見間違う人がいるかもしれない。思わず苦笑したが、笑ってばかりもいられない気になった▼6月の韓国大統領選では候補者そっくりの偽動画が拡散され、社会問題になった。日本では総務省が交流サイト(SNS)の運営事業者に対して、参院選で投稿される偽・誤情報があれば候補者らの申し出に応じて削除の適否を迅速に判断するよう要請した▼同じ総務省の調査によると、SNS上の偽情報を正しいと誤認していた人が47%に上った。偽情報に接した人の25%は拡散もしていた。驚きが大きい情報ほど、人に知らせたくなるのだろうか▼うそや偽り、うわさが飛び交う昨今である。「7月5日に大災害が起きる」と心配した向きもあったろうが、情報の発信源だったサイトを見ると、むしろうわさを否定する動画が多かった▼トカラ列島近海での群発地震が関係しているのでは、との臆測も飛んだが、気象庁は関連を否定。「科学的知見に基づき判断を」と呼び掛けた。もしや参院選の候補者たちの主張にも、うそや偽りがないかと心配になる。じっくり目を凝らさないと。(熊本日日新聞・2025/07/07)

U.S.A. For Africa – We Are the Worldhttps://www.youtube.com/watch?v=9AjkUyX0rVw&list=RD9AjkUyX0rVw&start_radio=1)「ウィー・アー・ザ・ワールド1985年に発表されたアメリカのポピュラー・ソング。アイルランドのミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したチャリティー企画「バンド・エイド」の成功に触発され、アフリカの飢餓と貧困の解消を目的として作られた。曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作で、プロデュースはクインシー・ジョーンズ担当。スティーヴィー・ワンダーはじめ45人もの著名アーティストが「USAフォーアフリカ」の名義で参加している。原題《We Are The World》。(デジタル大辞泉)

➁【斜面】削除される未来 〈未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある〉。戦後長く立命館大総長を務めた法学者の末川博は、その言葉で始まる碑文を「わだつみ像」に寄せた。戦争で未来と命を奪われた学生の嘆き、怒り、沈黙を表したブロンズ像だ◆戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」の印税収入の一部で造られた。末川を先頭に、教員、学生ら大学を挙げての誘致活動によって、1953年、京都市内のキャンパスに建てられた。以来、教学理念である「平和と民主主義」の象徴とされてきた◆戦前への反省がある。国家主義に傾く時代のなかで、京都御所を警備する私設部隊を置いたり国防学研究所を設けたりと戦時体制づくりに進んで貢献した。京都大で教えていた末川も多くの学生を戦場で失った。「はらわたを断ち切られるような思い」だと自著に書き残している◆その立命館大が、学園の目指す方向を定めた憲章改定をめぐり揺れている。3日付の本紙に載った。「戦争の痛苦の体験を踏まえて」との文言を削る案に学生らが異議を唱えている。大学側は、社会情勢に応じた未来志向の表現が要るとしているという◆「時がたつ。それは人の記憶を奪ったり、惨禍を美化したり、真実をおおいかくしたりする」。遺稿集の序文に末川は書いた。そして若者に、過去の事実と苦悩に学び、「未来と生命」を守る決意を固めてほしいと訴えている。削除されようとしているものは、その未来なのかもしれない。(信濃毎日新聞・2025/07/07)

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「徒然に日常」(780~786)

〇2025/07/06(日)とても蒸し暑い一日になりそうだ。雲が垂れ込め、湿度はかなり高そうで、体力の消耗は避けがたいと感じている。このところの酷暑中の庭作業等で、老体は相当にガタが来ているようだ。無理をしないで、休息を十分にとる必要があろうか▶普段なら8時には起きてくるかみさんが10時近くになっても起きてこない。庭掃除を少し手掛けた段階で、寝室に顔を出すと、腹痛で唸っていた。おそらく、夏バテ(熱中症の気味があるのかもしれない)状態で、下痢が酷いという。間に合わせの整腸剤を服用させ、急いで新規に最近の整腸剤を買いに行った。少し様子を見ることにした。毎日のように車で出かける、夜中まで起きている等々、圧倒的に睡眠時間が足りていなしし、酷暑の連続での体力消耗が、体内の悪性細菌(ウイルス)を蔓延らせた結果だと思う。最近も、どうにもならない首や肩の痛みで苦しんだばかり。一向に自覚がないのだから、始末に困る▶ただ今午後10時。室温29.4℃、湿度81%。▶昼過ぎに予定の総勢6人が来宅。二年ぶりくらいだろうか。Aさん、Oさん、Sさん(いずれもゼミの卒業生)とOさんの子ども(男一歳半)、Sさんの長女6歳(小1)、次女2歳の5人組。話は尽きず、子どもたちも大いに機嫌よく遊んで(いたと思う)、帰宅は6時を過ぎていただろうか。レンタカーでの来宅だったので、おそらく、Aさん(運転手)は渋谷で返却するという。彼女も間もなく結婚されるらしい。相手はまだタイに滞在していて、帰国後に、ということらしい。人それぞれに「人生の諸問題」があることを、当然と思いつつ、それぞれが、万事に事なきを得て過ごしてほしいと願う。(786)

〇2025/07/05(土)暑い日が続く▶午前中に少し仮眠を取り、昼過ぎから庭作業に入る。明日、卒業生が何人か来宅する予定なので、県道からの入り口の町道にかぶさって伸びている枝類を落としておく。あっという間に木々が伸びて、放置しておくとまるでトンネル状態となってしまう。車高の高い貨物車や大型バンでは通りづらいだろう。切り落として、少しはすっきりしたと思う。敷地東側の孟宗竹や樫の木の枝を少しずつ切り落としたり伐採したりしているが、まだまだ終わらない。これまでに切り落とした枝葉などの焼却も続けている。溜まっている部分のかなりは、時間がたったせいもあり、土になりつつあるので、法面の土の少ない部分に穴埋め代わりに散布しておこうと考えている。今回は、思い切って法面のどこかに、モルタルで階段を作ることを計画している。自由に最下部まで下りられれば、木々の伐採や繁茂している孟宗竹の伐採には便利だと思う▶夕方、すこしばかりの時間を使って今回の参議院選挙に候補者を出している(一部)「政党」の成り立ちや主張などを調べてみた。なかなかに、胡散臭いのはどうしてだろうか。「キリストの幕間」の一派が勢力を伸ばしているらしい、その背景はなかなかに複雑だった。(785)

〇2025/07/04(金)朝から高温が続き、うんざりするほどの一日の始まり。洗濯機を回し、すこしばかりの洗濯ものを干す▶お昼前に買い物で、茂原まで。猛暑が続くが、人出は多かった▶帰宅後、暫時仮眠(昼寝)。疲労がかなり残っているようだ▶午後から陽射しが弱まった段階で、庭作業をする。溜まっている枯れ枝や落ち葉などを焼却。裏庭の除草作業をする。湿気は低かったが、気温が高く、軽く35℃を超えていたと思う▶ただ今、夜9時過ぎ。室温は29.2℃、湿度は67%。(784)

〇2025/07/03(木)午前6時半に、「燃えるゴミ」収集日だったので、袋に収納しておいた「ゴミ」を収集場に持参した。朝食後、暫時、睡眠をとる。連日の庭作業の疲労が重なっていたと判断したため。午後、木々の枝葉などの焼却をしつつ、隣地にあって伸び切っていて、拙宅敷地内にかぶさっている椎木の枝落としをした。かなり大掛かりな作業になる予定で、本日は下草を刈り取ったうえで、先行きの作業の前段階としての準備作業。かなりの本数の竹が伸びているので、少し伐採をしなければならないと思っている。その他、敷地内の除草作業を続けた▶作業中の外気温を測定はしなかったが、35℃は越えていたかと思う。きわめて厳しい暑さが続いている、この先も無理をしないよう作業を進めたい。(783)

〇2025/07/02(水)鹿児島県の吐噶喇列島ではこの十日ほどの間に800回ほどの有感地震が続いている。昨日と今日は、立て続けに震度5及び震度4の地震が起こっている。専門家でも皆目見当がつかないのが地震予測だが、この先、いかなる展開になるのだろうか▶午前中に猫缶購入のためにあすみが丘へ。なんの日だったか、やたらに混んでいるという感じだった。先日注文しておいた「老眼鏡」を、同じスーパー内にある眼鏡屋まで受け取りに行った。▶帰宅後、注文しておいたナイロンコードが来たので、さっそく取り付けて除草作業を試みた。かなり石ころなどを飛散させるので、装備はしっかりしないと怪我のもとだと感じた。除草予定地には石ころや木片などが多くあるので、十分注意を要するだろう。溜まっていた落ち葉や枝葉などを焼却した。それにしても軽く30度を超えているのだから、瞬間的に汗が滲(にじ)み出るという状況だった。夜に入り、少し雨が落ちてきたようだ▶この後は数日間、高温(酷暑)の日が続くという。日曜日に来ることになっている卒業生諸君の都合・具合を案じている。(782)

〇2025/07/01(火)終日、曇天が続き、夜に入って雨が降り出した。ただ今夜9時過ぎ。室温は30.5℃、湿度は74%。いやになるほど蒸し暑い。本日は7月1日。時間の経過とともに、政治も経済も社会情勢も含めて、まるで奈落の底に向かって突き進んでいるような気がする▶卒業生のAさんからメール(返信)が来ていた。7月6日に五名、車で来宅との確認。当日は酷暑でないことを祈るばかり。

▶大新聞だぞと、わが世の春を謳歌していたのかどうか知るすべもない、そんな(元大)朝日新聞だった会社の社長インタビュー記事。「記者の主張が入り込んで失敗してきた ――朝日新聞はもともと、リベラルなクオリティペーパーで左派寄り、あるいはネガティブな面でいうと「上から目線」といったイメージで長く語られてきたように思います。改めて今、どのようなメディアでありたいと考えていますか。/私は「3中」と言っているが、中心的メディア、中立、中庸でありたい。とくに中心的メディアでありたいと思っていて、そのために中立、中庸が必要になる。/えてして、朝日新聞の記事は記者の取材の中に主張が入り込むような形で、これまでいくつか失敗してきたというのが私の認識だ。今の人は、「朝日新聞の意見はいいよ」「ほかにこのテーマに対してはどんな意見があるの?それは自分が決める」というのが、メディアに対する視線だと思う。そういうときに強い主張を繰り返していくと、次世代の人たちに親しまれるメディアにはなれない。/私どもは私どもの取材結果を世の中に中立、中庸で出す。それに対し、社説も含めて「朝日新聞社はこう考える」ということは明確に出す。そして、「私どものほかにこういう考えもある」「あなたは自分の生活や学びの中で、どの主張を選びますか?」という姿勢を心がけないといけない」(以下略)(東洋経済・2025/06/25 5:40)(https://toyokeizai.net/articles/-/885509)人間の生涯の果ての際に「晩節を汚す(tarnish one’s twilight years)云々」と評されることがあります。「朝日」はどうなのか。晩節に相応しい「社長」はいるんもんだなと、痛感している(781)

〇2025/06/30(月)蒸し暑い日だった。一昨日刈払い機用のナイロンコード用部品が届いたので、試しにほんの少しばかり試用運転をしてみた。これまで以上に石や草屑が飛散し、ズボンなどはかなり汚れた。それなりに前掛けや顔面保護マスクなどを装備しなければ危険がつきまとうだろう。それを踏まえて、以前の金属刃よりも除草には適していると思う。ナイロンコード4㍍ルは、一瞬のうちに使いきってしまったので、改めて同じナイロンコード(100㍍)を注文しておいた。もちろん、このナイロンコードは根こそぎの除草をするのではなく、あくまでも地上に伸びている部分を刈り取る(千切り飛ばす)だけだ。(780)

‘We Are the World’ 2025 Anthem – World Leaders Unite in AI-Generated Song                                               (https://www.youtube.com/watch?v=TByd1jaye_I&list=RDTByd1jaye_I&start_radio=1

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恒産なきものは恒心なし、という

◎ 週の初めに愚考する(七拾七)~ 多言は無用です。昨日、暇にあかせて、いくつかの政党(かどうか、怪しいものがいくつもあるが)の選挙用の主張を比較考量した。驚いたことはいくつかありますが、どちらかと言えば右寄りの姿勢が目立って多かったこと。この社会は、軍国主義とは言わないけれど、ますます「自民族中心」「排外主義」「人種差別主義」(人権蹂躙「イデオロギートリオ」)の傾向が強まっているというのが、素朴な感情でした。一見すると、とても「偉そうな」態度を他国や他民族に対して誇示しているとも見られるのはどうしたことか。この傾向は、確かに欧米諸国の政治状況に似通ってきているという指摘は間違いないでしょうが、そのよって立つ根拠や理由には、よく分からないところが多くあります。

(ヘッダー写真「民主主義について研究する学者やグループから『民主主義を装った権威主義国家が多くなった』との指摘が相次いでいる。『選挙権威主義』とも呼ばれる体制だ。スイス公共放送のグローバル・デモクラシー特派員、ブルーノ・カウフマン氏によると、最近の動きは『強権化の第3の波』ともいわれ、軍事クーデターなど力による権力の奪取という従前型の手法ではなく、『やんわりと段階的に、ときに法改正によって進められる』特徴があるという。:産経新聞・2021/10/25 06:00)(https://www.sankei.com/article/20211025-UKE4FZW3TBIVPCDBSZXGPERDM4/

だつあ‐にゅうおう‥ニフオウ【脱亜入欧】=〘 名詞 〙 アジアを離れ、ヨーロッパの仲間入りをすること。アジアの軽視と、ヨーロッパの重視という姿勢をみせた明治以降の日本の風潮を評していう。(精選版日本国語大辞典)

*脱亜論(だつあろん)= ヨーロッパを「文明」、アジアを「未開野蛮」とみて、日本はアジア諸国との連帯は考えずに西欧近代文明を積極的に摂取し、西洋列強と同様の道を選択すべきだとする主張。「脱亜入欧」も同じ意味である。欧米列強の圧力下に開国を余儀なくされた日本は、明治維新以降、積極的な文明開化政策を採用し近代化への道を進んだが、欧米文明に対しては賛美、反発の屈折した意識をもつ一方、日本と同じ境遇にあった中国、朝鮮などアジアに対しては、同情、蔑視(べっし)の複雑な意識をもった。こうした意識のなかから、欧米列強の侵略に対し、中国、朝鮮と共同して対処すべきだとするアジア連帯論や、列強に追随せずアジア諸国とは友好を維持して日本独自の道を開くべきだとする小国主義論がおこった。しかし、維新以来の文明開化が成功したとする日本=文明国意識が高まるにつれ、アジア諸国の近代化は期待できないとみるアジア蔑視感も強くなっていった。それはとくに1882年(明治15)以後の軍備拡張、84年の清仏(しんふつ)戦争における清国の敗北、同年の甲申事変による朝鮮開化派の敗退、自由民権運動の衰退という内外情勢の急激な推移とともに国権拡張論が高まる状況のなかで強まっていった。85年3月16日には福沢諭吉(ゆきち)が『時事新報』の社説で「脱亜論」を発表し、「我国は隣国の開明を待て共に亜細亜(アジア)を興すの猶予(ゆうよ)ある可(べか)らず、寧(むし)ろ其伍(そのご)を脱して西洋の文明国と進退を共にし、(略)亜細亜東方の悪友を謝絶する」と論じた。以来、脱亜意識が国民意識をしだいにとらえ、日本人の対アジア認識をリードしていくことになる。(日本大百科全書ニッポニカ)

 単純に言うと、日本ファースト、日本人ファーストは今やトレンドだから、その流れに乗り遅れないようにしよう、ということかもしれない。あるいは、アメリカや欧州のいくつかの国の政治的主流となっている主張の受け売りでもあるでしょう。いろいろな点で「マイノリティ」とされる人々を非難し迫害するのが「国士」気取りの政治家の本性(ほんしょう)なのかもしれません。そして、その根っこをたどってみれば、「脱亜入欧(嫌な言葉遣いですね)」的な大時代的錯誤が充満しているのです。何よりも、根強い「アメリカ一辺倒」の政治主義から、どうして「日本国の独立」が生まれるのか、ぼくには判らん。矛盾や撞着を放置したままで、「排外主義」や「ヘイトスピーチ」を繰り返しておけば、選挙に有利だと判断しているのだろうし、選挙民(有権者)の民主主義の政治参加の意識の低さが大いに嘆かわしく思われます。

 この国は、全体がそうだというのではありませんけれど、かなりの人々は、明治維新以降の数十年間の上昇気分(「一等国」、「「坂の上の雲」への憧憬と希求)を一歩も出ていない、そんな気もしてくるのです。日和見主義と言えばそうでしょうか。選挙民(それ自体は、時と共に愚かになっている)に阿(おもね)る、迎合する、そのためには弱者を叩くに限ると言わぬばかり。それはまるで「SNS」で他者に対する誹謗中傷が吐き出され、それに煽られて、更に讒謗(ざんぼう)、雑言の山が築かれるのに似ています。他人を貶める度合いが多ければ多いほど、事の真偽に関わらず、フォロワーが殺到し、再生回数が増える、そんなのが「いいね!」だってさ、そんな痴呆的遊戯感覚の「政治(家)化」、寒々しい実態が透けて見えるようです。

 一党支配が長く続き、その政治が希代の悪政(アメリカ抱き着き)だったことを想えば、小さな国とはいえ、国家騒擾に似た状況が発生するものでしょう。だから、これからも悪政が蔓延(はびこ)ろるだろうという危険性はないとしても、政治的不協和・凸凹時代はしばらくは続くと思う。しかし、「昭和元禄」も「平成茶番」も、かならず終わりを迎えたのです。「戦争を知らない子どもたち」が、どこの国や勢力が相手かもわからないで「戦争をしたがる子どもたち」になりたがることはあり得ます。でも、いずれは「青菜に塩」という状況にはまることは避けられないと思っている。しばらくの「政治的デカダン」は、新たな精神を生むんじゃないですかと、「百年河清を俟つ」心境で、目を瞑(つむっ)ている。「令和の大茶番学芸会(政権奪取ごっこ)」ですから。

 本駄文のタイトル「恒産なきものは恒心なし」、これはある種の「なぞかけ」のようなものとして付けてみました。「恒産」「恒心」を持たないものは誰でしょうか。

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排外的な主張目立つ参院選、「権威主義と右傾化のつながりが進行」アムネスティ日本が懸念を訴え▣ 参院選(7月3日公示、20日投開票)をめぐり、人権団体「アムネスティ・インターナショナル日本」事務局長の田嶋俊博さんは7月4日の記者会見で、「権威主義と右傾化のつながりが進んできているのではないか」と懸念を表明した。
この日、同団体は人権課題に関する全候補者を対象にしたアンケート結果を公表した。
排外主義的な政策・主張を掲げる政党や候補者の動きについて、田嶋さんは「権威主義の世界的な広がりを注視しています。日本においては、権威主義と右傾化のつながりが進んできているのではないか。欧米とよく似た傾向が現れてきているのではないかと危惧しています」と述べた。
今回の調査では、性的指向・性自認に基づく差別禁止の法制化など、LGBTQ当事者の人権に関わる質問も尋ねている。
アンケートに協力したLGBT法連合会参事の西山朗さんは、「性的マイノリティに対するバッシングは、2023年のLGBT理解増進法の成立前後から強くなっている。各候補者や政党から今後どのような主張が出てくるかは、非常に注視しなければいけないこと」だと話した。
同じくアンケートの協力団体である難民支援協会の生田志織さん(渉外チーム政策提言担当)は、調査について「難民や移民の人々が選挙の当事者となり得ない中で、その人たちがスケープゴートになりかねない社会情勢に対し、一石を投じる取り組み」だと説明した。

質問リストの例は以下の通り。
▼難民・移民
Q.難民認定に関する入管庁から独立した組織や、難民保護に関する法律が必要だ
▼出入国管理における収容、送還
Q.迫害を受けるおそれがある国に難民申請者を送還するべきではない
▼LGBTQ
Q.性的指向・性自認に基づく差別禁止を法制化すべき
Q.日本でも同性婚を認めるべきだ
▼気候変動
Q.気候変動対策は人権にも影響を及ぼす重要課題なので、国際的な努力に貢献すべく日本は積極的に取り組むべきだ
(取材・執筆=國﨑万智@machikunizaki.bsky.social)(2025年07月04日 18時18分 JST)(https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_68678d0be4b0da7d95b99318)

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TACOに弄ばれている、この国をどうするか

 参議院議員選挙が始まりました。数日前に、拙宅にも「投票所入場整理券」が届いた。そこで、「君は選挙に関心がありますか」と訊かれれば、「ある」と答えはするが、どの程度関心があるかとさらに問われれば、まあ、「大した関心はありませんね」と答えるでしょうね。その程度の関心しか持てないけれど、投票場にはいく。これまでどれくらい選挙(国政・地方)があったか数えてはいませんけれど(100回は優に超えているでしょう)、ぼく自身の「投票(参加)率」はかなり高いと思っている。行かなかった記憶はほとんどないからです。「棄権」は零とは言わないが、一、二回だったのではなかったか。

 ぼくの投票行動を自己評価するのは難しい、今でもそう思う。極端に聞こえそうですが、これまでに投票した候補者の当選率は一割か、二割か。出したい人より、出したくない人をという心持で選挙に臨んだ結果です。あの人に入れよう、この人に当選してもらいたい、そんな気にさせてくれる候補者は皆目いないといっていい。魑魅(ちみ)も魍魎(もうりょう)も、とにかく当選したい、当選させてくださいと連呼する。当選して何をするか、そんなことをていねいに訴えかける候補者はゼロに等しいでしょう。嘘八役を並べ立てて、投票を強いる、そんな手合いがほとんどです。「安物を高く売る」とは、文字通り詐欺行為ですね。

 一昨日の東京新聞雄コラム「筆洗」に、「明治期のなぞかけに『国会議員の候補者とかけて俳優の親玉ととく』というのがある。歌舞伎ファンならお分かりか。その心はもちろん市川団十郎一門の『成田屋』。当選して議員に『なりたや、なりたや』」とありました。議員にナリタヤは、「お捻り」も戴きたがるという手合いです。明治期と寸分変わらない、議員ナリタヤ心理ですね。学歴詐称や経歴詐称も珍しくもなくなったこの社会、行く末を案じ切っても仕方がないか。

 今回の参議院選挙、大きな選択肢は何ですかと問われても、誰もまともに答えない。考えていないからでしょう。繰り返し言っているように「高物価対策」も大事、手取りを増やすことも大事。しかし、この国の行く末が危機的な状況にある時、物価を下げろ、手取りを増やせと、その程度の安直なことを訴えていていいのですか、とぼくは並みいる「党首」「党代表」「組長」連中に問いかけたい。アメリカ一辺倒、しかも自動車輸入の一本足打法。王貞治さんじゃあるまいし、一本足打法で、国益を守る、国富を増やすことなどできるはずもない。二足歩行を着実に、ですよ。

【卓上四季】風を読む 襟裳岬の名物といえばなにか。大海原の眺めはもちろんだが、風の強さを忘れてはいけない。お天気博士の倉嶋厚(あつし)さんは「風極(ふうきょく)の地」と呼んだ▼岬にある観光施設「風の館(やかた)」では人工的な強風を体験できる。かつて訪ねた記憶は鮮明だ。送風口から吹きつける最大25メートルの風。手すりを持って身構えても姿勢を保つのが難しかった。目は開けていられないし、声も満足に出せない。30メートル、40メートルと風速が増すと、一体どうなるのだろう。恐怖感はしばらく消えなかった▼さて参院選だ。最新の世論調査によれば、自公の過半数割れもあり得る情勢だ。石破茂首相が抱く危機感は強いことだろう。政権与党に吹く逆風は想像を絶する猛威に違いない。あらゆるものを根こそぎ吹き飛ばしてしまうイメージだ▼物価高、政治とカネ、日米関税交渉…。目の前にある数々の難題に有効策を打てない。前哨戦となる都議選の大敗は衝撃的だった。このままだと政権交代も視野に入ってくる。逆風をはね返す手はあるか▼野党に順風が吹いているかといえば、そうとも思えない。いかんせん政権をめざす連携は不十分だし、乱立する新興勢力がどう政局に絡むかも読みにくい▼選挙戦は始まったばかりだ。追い風、向かい風、それとも乱気流? どの党首が笑顔を見せるのか。風を見極める力量にかかっている。

 ただ今、日米関税交渉なるものが進められているが、その実態はどうなっているか。まったくアメリカは日本の存在を歯牙にもかけないような応対ぶり(ブラフの安売りだ)。これまで3%程度の自動車関税を十倍に、あるいは場合によっては20倍にするという。言うに事欠いて、「これまで日本を甘やかしすぎた」といってくる始末。単純化して言うなら、アメリカ軍隊を日本国内に駐在させていること指す。「アメリカの核の傘」を含めて、防衛ただ乗り論ですな。自分の国を自分で守らないような国、などと悪態をつかれる始末。(そうはいっても、アメリカには日本を守る気は、いささかもない)挙句に「防衛費」はGDPの3.5%、いや5%などと言う。単純計算では20兆円を超える計算。これを本気にする者はいないかもしれないが、大きく吹っ掛けて日本を威(おど)せば、おとなしく尻尾を振って言いなりになると見透かされているのです。TACOにも脳髄はあるのだと知るべし。

 国益を根底から損ねて、米国のご機嫌を取り、あろうことか、アメリカ産米を買えとまで言われる。国防(軍事と食糧)のすべてを米国に握られてしまうかもしれない瀬戸際で、物価を下げるには「減税」か、「給付」かと、各党はまるで呑気な床屋談議をしている。その政党の顔ぶれを見れば、驚くなかれ、欧州諸国顔負けの「超右翼」の割拠を許している。選挙民も舐められている、お話にならないくらいにお粗末のかぎりだと、ぼくは痛感する。江戸末期から少しも出ていないんだな。「高関税宣言」を大統領が発した段階(4月2日だったか)で、アメリカは孤立・自己中心国の道を選んだのであり、従来のアメリカの「死の宣告」でした。大統領が自ら死命を制したのです。どこの国とも仲良くしないと一端は言っておく。

 この国では、従来から憲法を改正すると威勢はいいが、何のことはない、明治憲法への回帰、いやそれを通り越して「男尊女卑」社会の再興を狙っているとしか思われない、そんな風潮(日本ファースト)です。夫婦別姓は罷りならぬ、家父長制厳守だというのだから、開いた口がふさがらないのだ。一時は「護憲」勢力が鎬(しのぎ)を削っていたが、いつの間にか「改憲」派が主流になる時代。お気軽憲法改正論の横行は、何を示していますか。自主・独立を大声で叫びながら、「アメリカの腰巾着」に甘んじているのはなぜだろうか。この自己矛盾を、神国に受け止めないとは驚くべきスカタン政治家たちです。中国には威勢のいいことを言いつつ、アメリカニキビ根っこを抑えられて、ぐうの音も出ないざま、不羈独立の気概が泣こうというもの。堕ちるところまで堕ちて、さらに落ちようというのですから、論外のこと。

◉ 腰巾着(こしぎんちゃく)=金銭や守り札、薬その他の小物を入れ、腰に下げて携行する巾着。江戸時代初期、女子は鼻紙袋として巾着を持ったが、男子はこれを腰に下げて用いた。このことから、つねにだれかの傍らに付き添って歩き、用を足したり、目上の人の機嫌をうかがったりする者を腰巾着というようになった。また腰巾着は、帯に挟んで腰に下げるのに便利で、落ちないように紐(ひも)の先に根付(ねつけ)をつけるが、これから腰巾着の者たちを根付衆とよぶようになった。(日本大百科全書ニッポニカ)
◉こし‐ぎんちゃく【腰巾着】=1 腰につける巾着。2 いつも、ある人の身辺を離れないで付き従っている人。現代では多く、目上の人に付き従い、御機嫌をとる者をあざける気持ちでいう。「部長の腰巾着」(デジタル大辞泉

 敗戦後八十年はいたずらに過ぎただけの時間だったかと、ぼくは卒倒しかけている。高齢者特有の眩暈(めまい)でもなければ脳軟化症の兆しからでもでもありません、多分。いわば、腹に据えかねているのですよ。誰一人(どの党も)、この国の自立や主体性を言わないのはどうしてか。寄らば大樹の陰、「親方アメリカよ」と縋(すが)りつこうとしても、その手を邪見に振りほどかれ、今にも足蹴にされかねない仕打ちを米国から受けているにもかかわらず、ものをいえないままで、尻尾を振り振り、「交渉」をしているふりしている始末です。「選挙戦は始まったばかりだ。追い風、向かい風、それとも乱気流? どの党首が笑顔を見せるのか。風を見極める力量にかかっている」(コラム「卓上四季」)。このコラムは今日の各新聞の右代表というべき能天気ぶり。アメリカの言いなり放題で、「憲法」、も「人権」もあるものかとぼくは言いたい。米(コメ)を守ると、誰も言わないのはなぜか。国防はアメリカ任せではなく自前の責任で、そんなことは当たり前ではないか。自分の尻をぬぐえないでいて、集団的自衛権の行使だと、そんな茶番を誰が受け入れるんでしょうか。

 明治初期、福沢諭吉さんは宣った。「一身独立して一国独立す」(「学問のすゝめ」)と。それはどういうことなんですか。

 アメリカファーストに対して日本(人)ファーストを叫ぶ。この先、他国との付き合いはどうなるか。ファーストもセカンドもないところから、付き合いが始まるんじゃないですか。「俺が一番」「私が最高」と言っているうちは、おむつが取れていない証拠。自分のことは自分でするところから、事が始まる。過去の歴史を曲解しないで、率直に自らを語るところから、政治は始まるのではないでしょうか。(本日は期日前投票に行く予定。投票先はすでに決めている)

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 ・・・日本については、「極めて大きな貿易赤字を抱えているため、30%や35%、あるいはわれわれが決める数字」の関税を課すことになるだろうと言明。 「合意に至るかどうか分からない。日本と合意できると思えない。彼らは非常に手ごわい」と述べた。
 トランプ氏は1日、米国産コメの輸入を受け入れていないとして日本への批判を強めた。自動車貿易についても不公平だと指摘していた。/大統領は4月に日本からの輸入品への24%の上乗せ関税を発表したが、90日間の交渉期間中は一律10%の基本税率にとどめている。/日本政府は米国との通商交渉で安定的かつ友好的な姿勢の維持に努めてきたが、トランプ氏が圧力を強め、その戦略は試練にさらされている。日本側は自動車産業をはじめとする重要分野での関税見直しを強く求めてきたが、慎重な交渉姿勢が裏目に出る可能性もある。/「私は日本が大好きだ。新しい首相もとても気に入っている」とトランプ氏は記者団に述べた上で、「だが、日本も他国と同様に、30年、40年もの間米国との不公正な貿易関係に甘えてきた。そのため、合意をまとめるのは非常に難しい状況だ」と語った。(以下略)(Bloomberg・2025/07/02)(https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2025-07-01/SYQIM0T0AFB400)

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どこまで行っても、人間は弱い存在

 不届き者とか不心得者は、何時の時代にもいるし、どんな社会にもいる。「[名・形動]心がけの悪いこと。わきまえのないこと。また、そのさま」(デジタル大辞泉」、こんな輩を「不心得者」というそうです。また「不届き」とは「〘 名詞 〙 ( 形動 ) ( 古くは「ぶとどき」とも ) 道や法にそむいた行ないをすること。不埒(ふらち)。(イ) 不法なことをすること。また、そのさま。(ロ)礼儀にそむいた行ないをすること。けしからぬことをすること。また、そのさま。無礼。失礼。不都合。 配慮・注意の行き届かないこと。また、そのさま。不注意。ふゆきとどき」(精選版日本国語大辞典)辞書に指摘されている「間違いを犯す人間」は、あるいは、時には素晴らしい仕事をしたり、人助けをすることもあるでしょう。不心得一方とか、不届きオンリーという人間はまずいないといっていい。「表の顔は教師」、「闇の顔は性犯罪者」、そんな「教師」が充満しているのでしょうか。

 だから、「魔が差す」という言葉を「世間知」派わざわざ生み出したのではないでしょうか。「悪魔が心に入りこんだように、一瞬判断や行動を誤る。出来心を起こす」(デジタル大辞泉)ゆだん、あるいは不注意ということです。車を運転している時の不注意がどんなに悲惨なことにつながるか、ぼくたちはよく知っています。

 そして、年中「魔が差す」ことに馴れてしまうと、「心得」と「不心得」が一人の中で逆転してしまう。ほとんどがそうでしょう。ドキドキとかハラハラという、ある種の「胸の疼(うず)き」、「良心の呵責(かしゃく)」が麻痺してしまうと、自分を抑制する箍(たが)が外れてしまう。注意力(attention)というのは、自分を抑制したり自制する素質であって、これは外的な圧力を加えられたからといって、正しく(適切に)育つものではなく、自らの中に「葛藤」「格闘」「矛盾」の意識があって初めて、抑制すべき物・事として、みずからに自覚されるものでしょう。初めて跳び箱の算段や四段に挑戦するときの心持を、誰だって知っているでしょう。注意深く、用心して、つまりは身体をうまく制御して、…。「盗撮やわいせつ行為など、教員による耳を疑う事件がこのところ相次いでいる」「報道などで明るみに出る事案は、氷山の一角との指摘もある」とされます。そうなんでしょうか。これは「大氷山」ですか、「小氷山」でしょうか。

 近年のかかる事態の多発報道に接して、ぼく自身も言葉を失ってしまいます。違法行為や児童虐待(child abuse)に当たるような事案(犯罪)は、その筋に任せるほかありませんが、こんな出来事が頻出しているとなれば、そうとばかり言って済ましてはいられないでしょう。教師=聖人論というのは、作りごとであり、むしろあり得ない空想(幻想)の裡に教師像を閉じ込めてしまった嫌いがあると思う。教師は労働者だという主張も、ことさらに大声をあげてまで強弁する必要もないと思う。そして、いまさらのように叫ばれそうな「教師だって人間だ」というのは、どういう意味なのでしょうか。間違いを犯すこともあれば、失敗をすることもある、教師はけっして四角四面の「模範人間」でありえないということかもしれないし、多くの人と同じように喜怒哀楽に欠けてはいないという意味では、怒りもすれば泣くこともあるというのでしょうか。殺人も窃盗もする、そんな「教師」もいるでしょう。

【産経抄】「しかく」なき者が教壇に立つ時代 苦沙弥(くしゃみ)先生の家を、旧友で実業家の鈴木君が訪ねてきた。世間話に花が咲き、鈴木君が講釈を始める。いわく、お金を作るためには「三角術」を使わなければならない。義理をかく、人情をかく、恥をかく。これが「三角」だと。▼『吾輩は猫である』の一節を引いた。なるほど角の立たぬ人付き合いだけでは、ビジネスは成り立たない。かといって、鈴木君の次の言いぐさにはうなずきかねる。「ハハハ教師は吞(のん)気(き)でいいな」。学校から非難の大合唱が聞こえてきそうである。▼寝食の時間を削ってまで、教育に心を傾ける教員は多い。学校の「働き方改革」は、義理を欠かず人情を欠かず、誠実一路に子供たちと向き合う教員を支えるためのものだろう。ところが、である。盗撮やわいせつ行為など、教員による耳を疑う事件がこのところ相次いでいる。▼先日は名古屋市と横浜市で、女子児童を盗撮した教員2人が捕まった。1人は学校行事で児童を日常的に撮影する立場だったと聞く。SNS上で数十点の動画や画像を共有した仲間約10人も、小中学校の教員とみられる。もはや、つける薬もない。▼親御さんも安心して子供を預けられまい。報道などで明るみに出る事案は、氷山の一角との指摘もある。逮捕者に限らず、性犯罪に関わった教員は全て実名を公表するなど厳しい対応が不可欠だろう。自覚、品格。大事なものが欠け落ちた者を、子供たちに近づけてはならない。▼「三角」ならぬ「しかく(資格)」を欠けばどうなるか。多くのまじめな教員にとって、重い他山の石である。戦後の一時期、「先生」と書いて「先(ま)ず生きよ」という読み方がはやったらしい。人としての生き方を忘れた先生が教壇に立つ時代とは、情けない。(産経新聞・2025/07/04)

 これまでも繰り返し駄文を重ねてきましたように、学校や教師にあまりにも近づかないこと、それをまず第一に、ぼくは言っておきたい。「学校の餌食になるな」「教師に評価されようとしないでほしい」ということです。自分自身を形成するには必要な姿勢・態度だと、ぼくは経験から学びました。どこか疚(やま)しさを隠している人間(教師)は、却って他の教師よりも教師らしい、面倒見の良さが目立つこともあるでしょう。「素晴らしい先生だった」とか「あの先生がそんなことをするなんて」と、多くは、事態が明らかになって初めて、驚きや非難をもって、対応に苦慮するのでしょう。「自覚、品格。大事なものが欠け落ちた者を、子供たちに近づけてはならない」と、厳しい忠告をコラム氏はなさっている。尤(もっと)もだという気もするし、そんなことを言ったら、ますます教師のなり手がいないことになると心配もされるでしょう。いまほど著しい「危ない時代」はなかったかもしれませんが、「人としての生き方を忘れた先生が教壇に立つ時代」は、決して今だけではなく、常のことではないでしょうか。「氷山の一角」とは空恐ろしいけれど、あるいは学校教育そのものが腐っているということかもしれないのです。今日横行する「性犯罪」は断じて許せないことですから、摘発されれば厳罰に処されるのは当然でしょう。

 それ以前に、教壇に立つまでに積み重ねられてきた長年にわたる「学校教育」の不首尾(歪曲)もまた糺されねばならないでしょう。犯罪を犯す教師たちに、ぼくは同情するのではありません。あるいは「一罰百戒」をもって事に当たるべしというのでもありません。「罪を犯した一人を罰することによって、他の大勢の戒めにすること」(デジタル大辞泉)なら、さらに悪質巧妙な教師の犯罪者を生む結果になるはずです。何よりも、自らにも自分を抑制する力(自制心という注意力)があることを、長い学校教育を通して育て上げることに尽きるのではないでしょうか。そのための算数や国語の学習だったんですね。どんな単純な計算でも、注意力を書いては間違ってしまうでしょう。成績や評価がのさばればのさばるほど、自制心や注意力は捨てられてしまうでしょう。「見つからなければいいのだ」という他者(世間)の間隙を狙う、卑怯な心情が心身に居座ってしまえば、それを排除するのは至難の業です。この部分は、「経験者は語る」というべきか。「教師だって人間だ」というのは、悪に奔る危険性に直面している人間の弱さを言っているんですよ。

 どこまで行っても、人間の弱さは完璧です。その弱さを克服して強くなれる方法はあるでしょうか。ぼくの拙い経験ですけれど、「自分は弱い」という事実を、自分に隠さないこと、それしか、自分をつかみなおすことはできませんでした。自分の弱さは、何時だってぼくについて回っている、その自覚を失ったとき、ぼくは自分を抑えられない、一個の「暴力」になっていたのです。「教師だって人間だ」というのは、「完璧な弱さを内に秘めている存在である」という自覚なんですね。間違ったら、それを糺せばいいじゃないか。「性犯罪に関わった教員は全て実名を公表するなど厳しい対応が不可欠だろう」と言うだけでは足りませんね。そんな過ちを犯した人間が教師であろうとする、その葛藤をこそ、大事にしたいもの。「厳しい対応」を求める心情は分かるけれど、それがまた「不埒」を許さぬ「聖職」「聖者」を求めるという過誤を生むのではないですか。

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「生きる権利」ってなんですか?

【金口木舌】「母さんが死んだ」 1987年1月に札幌市で起きた痛ましい出来事だ。30代のシングルマザーが真冬の寒い夜、天井を見つめながら息を引きとった。栄養失調の末の衰弱死。こたつの上には光熱費の請求書が幾枚もあったという▼3人の子を養うため仕事を掛け持ちし働き詰め。無理を重ねて体を壊したが、生活保護の受給に至らなかった。札幌テレビで当時記者だった水島宏明さんの著書「母さんが死んだ」が伝える▼それから38年。最高裁は先日、2013年から15年に生活保護費を引き下げた国の決定を違法とした。専門的知見を欠き減額理由が乏しい。いくら裁量権があっても逸脱し乱用だと断じた▼当時の減額前には自民党議員のこんな発言もあった。「生活保護を恥と思わないのが問題」。人の命に関わる制度を政争の具とする品性なき政治が嘆かわしい▼絶命した母の言葉が残る。「子どもたちがみんなおとなになったら、親子四人でお酒を飲みにいくの」。ささやかな願いも砕いた行為をむしろ恥と思う。受給申請さえ拒む「水際作戦」もあるという。判決を機に福祉の現場を手厚くし、裁量権の乱用にも歯止めをと願う。(琉球新報・2925.07/03)

 生活保護費引き下げは違法 裁判相次ぐ中 最高裁が統一的判断 国が生活保護の支給額を2013年から段階的に引き下げたことについて、最高裁判所は「厚生労働大臣の判断に誤りがあり、違法だった」として処分を取り消す判決を言い渡しました。
 同様の裁判は全国で相次いで起こされていて、統一的な判断が示された形です。
原告側は、減額された分をさかのぼって支給するよう求めていて、およそ200万人とされる当時の受給者への国の対応が焦点となります。(以下略)(NHK・2025/06/27)(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250627/k10014846161000.html

 「母さんが死んだ―しあわせ幻想の時代に」、初版は1994年、新装増補版が2014年に出されています(ひとなる書房)。三人の子どもの母親だった女性が餓死したのは1987年1月。以来、四十年近くが経過してきました。この「生活保護(受給制度)問題」の現状はどうなっているのでしょうか。つい先日、最高裁で「生活保護引き下げ」は違法であるという判断が出されました。本日の「金口木舌」の記事には、この国に蔓延る行政の無慈悲と社会の冷たい視線が指摘されているように、ぼくは読みました。「生きる権利」を保証する命の綱である「生活保護」制度。それをさらに充実させる政治家そのものが、率先して受給者たたきを繰り返してきた。「生活保護を恥と思わないのが問題」(片山さつき議員)という、自らの発言そのものを「恥と思わないのが問題」と言ったところで、その腐りきった性根は変わらないでしょう。まるで「生活保護」を受給するのは「犯罪」であり「犯罪者」であるかのような言動が今なお、政治や行政界隈で盛んに巻き散らされている。

 細かいことは言いませんが、いわゆる「生活保護受給水準」にある人が「受給」しているであろう「捕捉率」は2割程度。欧米諸国は9割に達しているのに、です。今日更に、追い打ちをかけるように、「弱者」「高齢者」等への心ない仕打ちが打ち出されているのはどうしてでしょうか。いかなる制度でも、それを悪用する不届き者はいる。だからその制度全体は間違いであるというのは、理屈の通らない話。不正受給は問題だからと言って、当然の権利を行使している人までを中傷し辱めるのは、いかにも劣等な感受性ではないでしょうか。「生活保護法」は「日本国憲法第25条の「生存権」の理念に基づき、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ必要な保護を行い、最低限の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とした法律です」(内閣府男女共同参画局)法律を作る側の人間が作った法律を「辱める」ような言辞を隠さないというのは、言うべき言葉を失う破廉恥行為ですな。

●生活保護法
(この法律の目的)
第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
(無差別平等)
第二条 すべて国民は、この法律の定める要件を満たす限り、この法律による保護(以下「保護」という。)を、無差別平等に受けることができる。
(最低生活)
第三条 この法律により保障される最低限度の生活は、健康で文化的な生活水準を維持することができるものでなければならない。
(保護の補足性)
第四条 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
2 民法(明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
3 前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。(以下略)

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3人の子を抱え飢えた「シングルマザー」が“生活保護”を申請せず「餓死」を選んだ理由…「報道」が伝えなかった“国ぐるみ”の「適正化政策」の“弊害”とは? 今から38年前の1987年1月23日、北海道札幌市白石区で、シングルマザーとして小学生から中学生までの3人の子どもを育てていたコトミさん(仮名・当時39歳)が、遺体で発見されました。死因は「栄養失調による衰弱死」、平たく言えば「餓死」でした。/コトミさんは3人の子どもを抱え、生活保護を求めていたにもかかわらず、その申請を拒否されていたと報道され、当時の日本社会に大きな衝撃を与えました。/事件から40年近くが経過していますが、未解決の課題を、今を生きる私たちに問いかけるものだと思われるので、あえて本記事で取り上げます。(行政書士・三木ひとみ) 

                                                              社会を揺るがした「告発」と過熱する報道 1987年1月23日、札幌市白石区を管轄する白石福祉事務所へ、ナミエと名乗る女性(仮名)が2人の男性を引き連れて乗り込んできました。/用件は白石区の市営住宅でコトミさんが遺体で発見された事件に関するものでした。ナミエさんは大声で、「コトミさんが亡くなったのは福祉事務所の責任だ」などと20分ほど抗議を続けました。ナミエさんはコトミさんの元雇用主で、札幌市内で喫茶店を経営しているとのこと。/その後、ナミエさんの経営する喫茶店の関係者を名乗る男性から各新聞社に次々と電話がかかってきました。内容はすべて「福祉事務所が生活保護の申請を拒否したため、母親が餓死した、福祉事務所が母親を殺した」というものです。/ナミエさんはその日の午後に自身の喫茶店に新聞記者を集め、取材に応じました。内容は福祉事務所の対応への批判です。/明けて翌日の1月24日、毎日新聞を除く新聞各社がこの事件を報じます。いずれも大見出しで「母親餓死」の活字が目立つものとなっており、世間に衝撃を与えることになりました。 

                                                                 管轄の白石福祉事務所、本庁である札幌市役所の保護指導課には抗議電話が殺到し、本来の業務が遂行できなくなるほどでした。/この事件は「札幌母親餓死事件」と名付けられ、これ以降新聞のみならずテレビ・ラジオでの報道も始まります。STV(札幌テレビ)、HBC(北海道放送)、NHKなどで取り上げられ、それらにナミエさんが登場し、役所の批判を繰り返したのです。/事件から9か月後、STV制作のドキュメント番組「母さんが死んだ―生活保護の周辺」が全国放映され、生活保護行政の問題点を取り上げた作品との評価を受け、いくつもの賞を受けました。また1990年2月にはSTVのディレクター水島宏明氏によって「母さんが死んだ-しあわせ幻想の時代に」が出版されました。(以下略)(弁護士JPニュース 三木ひとみ著・2025年06月29日 08:48)

(左上写真、雨宮処凛(かりん)さん。もう何年前になるでしょうか。小生担当の授業に処凛さんが来て下さった。今日の活躍ぶりを遠くから見ていて、頭が下がる思いがします。「雨宮処凛がゆく 第292回『母さんが死んだ』――27年前の餓死事件、そして更に広がる子どもの貧困。の巻」(https://www.magazine9.jp/article/amamiya/12158/

 いまさらのように「生きる権利」の意味が問われています。ぼくにも、あなたにも、です。

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心頭滅却すれば火もまた涼し(快川)

 地球は燃えているというべきでしょうか。昨年の夏も猛烈に暑かったことをぼくの体は記憶しています。例年だと、少々の暑さでも何とか、除草作業などをやり終えるのですが、昨夏ばかりは、あまりの酷暑で、外に出ることすらできなかった。そのためもあって、拙宅前の空き地はすでに原野に戻りつつある。なん十本もの竹が成長し、桑の木が繁茂し(鳥が種を運んだか)、下草は、地面を厚く覆って、足を踏み入れることすらできない。今年は何とか、その土地に挑んで、風通しを良くしたいのですが、いかにも困難を予想させます。敷地の周囲の木々や竹が家全体を覆い隠さんとするばかりに枝葉を伸ばしている。電動鋸(のこぎり)や刈払機の新たなアタッチメントを揃えて、いざ作業開始という、その最中に猛暑・酷暑に襲われ、ものの三十分もすれば汗みずく。身の危険を感じて、大いに怯(ひる)んでしまう始末。(ヘッダー写真は「日テレ」・2025/07/01)

 極東の小島だけが極端に暑いのでないことは先刻承知でしたが、昨年以上に欧州各地も炎暑や酷熱に急襲され、いかにも生き絶え絶えの有様でした。いくつかの新聞記事を垣間見ただけで、わが身体から汗が噴き出してくる。いかにも「地球は燃え盛っている」のだ。スペインでは46℃を超え、6月の最高気温を記録したといい、バルセロナでは道路清掃の女性の死が伝えられた。

 東京都では、6月中の「猛暑日」は13回あったという。ぼくが心配しても仕方がありませんが、農作物の成長に甚大な被害が出てきそうです。稲の生育に必要な水が不足したり、高温続きでカメムシの大量発生が危惧されています。高温・水不足による野菜や果物の生育不良はすでに各地で発生している。もちろん、熱中症をはじめとする健康被害が大いに心配されてもいるのです。夏季の早期化および長期化が常態と化しているのではないでしょうか。少なくとも、今後、9月末までは夏の暑さが続くとすれば、一年の三分の一が「夏季」ということに、それも異常な高温状態の夏が続くとすれば、まさに異常・異様な事態の到来となるでしょう。極端に暑い夏季と極度に寒い冬季、この二つ季節が劣島の常の姿となることを想像するだけでも身も心も縮まります。

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欧州で熱波続く、スペインは46度を記録 ロンドンも連日30度超え ヨーロッパの広い地域が熱波に見舞われている。焼け付くような暑さの中で、多くの国が体調に注意するよう呼びかけている。イギリスでも暑い日が続いている。/最も暑さが厳しくなっているのがスペイン南部だ。同国の気象当局によると、エル・グラナドという町で28日に気温46度を記録。6月の最高を更新した。/バルセロナでは同日、道路清掃の仕事を終えた女性が死亡した。現地当局は死因などを調べている。/ポルトガル、イタリア、クロアチアの一部では、最高レベルの「赤」の暑さ警報が出ている。スペイン、フランス、オーストリア、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ハンガリー、セルビア、スロヴェニア、スイスでは、その次に高い「オレンジ」の警報が多数出ている。(中略)(↴)

欧州の一部地域では、今週半ばまで気温が上がり続ける。フランス、ドイツ、イタリア、イギリスでは今後数日間、気温が上昇するとみられている。/この暑さは、広い地域が高気圧に覆われ、乾燥した空気が下降して暖めることで引き起こされている。/そうした状態が何日が続き、気温は上昇した。高気圧は今後数日かけて東へと移動し、それとともに高温の地域も北や東へと移る。/個々の極端な気象を気候変動と関連付けるのは難しいが、熱波は気候変動の影響で、より一般的に、そしてより激しくなっている。/気候変動が極端な気象現象に及ぼす影響を分析しているワールド・ウェザー・アトリビューションの科学者らは、3日連続で28度を超える6月の熱波が、工業化以前に比べると約10倍発生しやすくなっているとしている。(左写真「イングランド南部ボーンマスのビーチには多くの人が訪れた」(29日)(BBC・2025年6月30日)(https://www.bbc.com/japanese/articles/c1e00p7xd07o

「ちょっと溶けそう」…… 欧州各地で記録的な暑さ 強烈な熱波がヨーロッパの広い地域に気温上昇をもたらし、各国当局が健康被害への警告を発している。/スペインの国立気象局によると、28日にはスペインの町エル・グラナドで6月の新記録となる46度を記録した。/ポルトガル、イタリア、クロアチアの一部では、最高レベルの「赤」の暑さ警報が出ている。スペイン、フランス、オーストリア、ベルギー、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ハンガリー、セルビア、スロヴェニア、スイスでは、その次に高い「オレンジ」の警報が多数出ている。(略)(BBC・2025/07/01)(https://www.bbc.com/japanese/articles/cgq774pleepo

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心頭滅却すれば火もまた涼し」と言った坊さんがいました。言っただけではなく、そう唱えながら、火中に身を投じたというのです。なんという蛮行であることか。それはもうすでに狂気の域に入っているでしょう。「どんな困難でも、精神の持ち方次第で乗り越えられるということ。『心頭』は、心の中。心の中から雑念を消し去り、無念無想の境地に至れば、火さえも涼しく感じられるとの意から。武田信玄に仕えた禅僧快川が、甲斐の恵林寺で織田信長の軍勢に攻められたとき、火中に正座して言ったとされる言葉」(ことわざ辞典オンライン)

 「禅の言葉に『心頭滅却すれば、火自ずから涼し』という言葉がございます。この句は元々、中国の詩人・杜筍鶴の詩にみられますが、日本で広く知られるきっかけとなったのは、臨済宗妙心寺派の禅僧、快川紹喜禅師の逸話にあります。/快川禅師は戦国時代、甲斐の武田信玄に招かれ恵林寺に入寺し、武田家の相談役も務めた名僧です。しかし、武田軍を攻めた織田軍によって恵林寺は焼き討ちに遭います。快川禅師は山門の上に逃げ集まった弟子たちに対して、『この機に臨んでどう法輪を転ずるか、一句言ってみよ』と投げかけ、弟子たちはそれに応えます。そして、いよいよ炎が迫った中で、最後に快川禅師が『安禅は必ずしも山水をもちいず。心頭滅却すれば、火自ずから涼し』と唱えて、燃えさかる炎の中に身を投じたと伝えられています」(大本山妙心寺「法話の窓」・https://www.myoshinji.or.jp/houwa/archive/houwa1809-1) 

 無茶苦茶なことを言い放つのが禅宗のお坊さんの得意とするところだったか。快川禅師、さぞ暑かったことだろうと、ぼくの心は寒々と冷えてきます。「暑さ寒さも心持ち(次第)」と言っておられる方は野蛮(乱暴)の輩だと指摘しておきたいですね。とにかく、ぼくは「無理をしない」「我慢しない」、それだけを心掛けているのです。「暑いの 暑いの飛んでけー」と誰かがはやす声が聞こえてきます。耳鳴りかあ、…。

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