「学歴」で「市長」に選んだ、か

 どんな選挙であれ、候補者の「学歴」を基準に候補者を選ぶことは皆無ではないとしても、まず本筋ではないでしょう。だから、いい加減な「学歴」を書いていいというつもりはありません。恐らく、この社会のさまざまな「議員」さん、いったい何万人おられるかわかりませんが、「学歴」詐称を問われるべき人はそれなりにいるのではないでしょうか。入社応募の際には「卒業証書」(「成績証明書」もあるか)の提示(出)を求める企業はあるでしょうから、それなりに書面上は「体裁」を整えることが条件となります。また、時に教員免許状を所持しないで教員を名乗る(教職についている)人もあり、詐称や偽称が判明すれば解職されるでしょう。「人間(じんかん)、イタルトコロ虚偽アリ」、つまりこの社会には嘘と偽りが充満しているということです。「嘘も方便」と言い、「


(ふもうごかい)」(「妄語」とは仏教語でいう「嘘」で、それはいかんぜよという戒律)という。つまりはどっちを取るか、時と所を選んでということでしょうか。「嘘」も時宜を選びなさいと、ね。

【新生面】学歴詐称 公職選挙法235条は、当選を得るため虚偽の経歴を公にした候補者は2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金に処すると定めている(虚偽事項の公表罪)▼公職に立候補する際に学歴は問われない。問われるのは、うそやごまかしのない「ありのままの自分」で選挙を戦うかどうかだ。当然だろう。経歴を粉飾する不誠実な人物には、地域のこれからを託したくない▼静岡県伊東市の田久保真紀市長が、近く辞職して出直し選に立候補する意向を表明した。5月の市長選で初当選したばかり。大学を除籍となっていたのに市の広報誌などで卒業と紹介されていたことなどが問題視され、市議会が全会一致で辞職勧告決議を可決していた▼市長選の際に報道各社が配布、回収した経歴調査票に大学卒と記載していた、との指摘もある。経歴報道は基本的に自己申告に基づいており、よほどの疑義や情報がない限り厳密な真偽確認はされないケースが多いようだ。田久保氏が“卒業証書”を持っていたことも混乱に拍車をかけた▼不明な点もあるが、田久保氏は社会に出る前に身に付けておくべき何かが“未履修”だったのかも。出直し選には費用もかかる。市民の失望と怒りは想像に難くない。引き続き支援する市民もいるのだろうが▼一方、参院選には選挙区350人、比例代表172人の522人が立候補している。公示日の翌日、本紙に載った候補者一覧をにらみながら夢想した。経歴とともに、「正直さ」などのレベルも数値で分かるといいのに。(熊本日日新聞・2025/07/12)

 公職選挙法の「虚偽事項公表罪」に問われれば「2年以下の拘禁または30万円以下の罰金」とあります。問題の所在は、学歴を詐称・偽称してまで「当選」したいという候補者の問題ですが、「学歴」を重視して候補者を有権者は選んでいないと思われますから、この「学歴詐称」という、候補者の「姑息な過ち」を伊東市民はどう判断するか、というところに、問題の落としどころがあるのではないですか。「いいじゃないか、それでも」ということになれば、市長継続だろうし、それは許せないとなれば「市長再選挙」になる、余計な金が使われるけれど。(伊東市の担当者に電話取材をしたところ、選挙費用としてはおおよそ3000万円弱を予定しているという)彼女が再選されれば、五月の市長選ってなんだったん?

 と、ここまで来て、それでは「都知事」の場合はどうなのか。知事選挙に一度ならず、三度までも当選しており、選挙の都度「学歴詐称」が問われていました。この女性知事、「生来の嘘つき」と評判はされて、これまでも危ない橋を渡ってきた人です。伊藤市長はまず最初に、同様(詐称・K池氏にすれば些少か)の疑惑を尻目に、堂々と世間を闊歩している都知事に指南を仰ぐべきだったと思う。日本の首都の代表が「学歴詐称」を問題視されても、言葉巧みに問題の行方をくらます、尻尾をつかませない、その政治力は天性・天稟のもの。そして重要なのは、いくら「学歴詐称」を追及されたところで、三度までも「都知事」に選出されているのです。選挙民の信任が篤(あつ)いということ。一体、選挙って何なの?

 この国には「仏の顔も三度」という諺(ことわざ)がある。「(「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」の略 ) どんなに温和な人であっても、無法なことをたびたびされればしまいには怒る」(精選版日本国語大辞典)「都知事」選の場合、「仏」は誰でしょうか。恐らく「有権者」です。候補者は有権者を甘く、あるいは虫けらのように見なして、「当選すれば、それまで」と高を括っている・いたか。有権者を尊敬していない(見きびっている)ことだけは事実ですね。でも、仏である「有権者」は何度撫でられようと、痛くも痒くもないどころか、心地いいと感じているのかもしれません。あろうことか、その知事には、有象無象、贔屓筋(政財官界)が腐るほどいるのです。伊藤市長に足りないのは「厚かましさ」「開き直り」「弱音を吐かぬ」、そのような「政治家」であるべき三条件が著しく欠けていた? ぼくは伊藤市民ではないから、詳しくは分からないけれど、市議を一期だったか勤められていたようですから、詐称はお手の物だったろう。なかなかの「猛者」と見受けました。

 現段階で、この問題の帰趨は判然とはしないが、「出直し選挙」の公算は大と見られている。その先例には兵庫県知事選がありますから、ぜひ、それを参考に「二馬力」で再選を目指されればいかがですか。ぼくは現職市長を応援する義理もなければ趣味もありません。(伊東市からは「固定資産税」を徴収されているが)自らの履歴を偽称して、発覚するまで「しらばくれる」という醜状はなんとも認めがたい。だから当該選挙の有権者なら、「ぜひお辞めください」と声を上げるでしょう。でも、また同じような輩が出てくるかもしれないと思うと、学歴なんかどうでもいいじゃん、と思ってしまうのですよ。何大学を出ていようが出ていなかろうが、大した美点でも汚点でもない、まあ、洋服についた滲(し)みみたいなもの、それで本体(それを着ている人)が損なわれるはずもないでしょうに、その程度に思っている。

 今回の騒動が起こりだした際、ひとりの支持者がいみじくも語られていました、「あなたを学歴で選んだのではないから」、だから「どうこうしてほしい」とは言われなかったが、言わず語らずで、ぼくにはその支持者(女性)の意とするところは分かった気がしました。「あなたの人柄を認めて投票したんですから、再出馬したらどうか」という趣旨だったと思いますが、「それにしてもツマラン間違いを犯したものね」と言いたげでありました。何度でも繰り返します。「人間は間違いを犯す出来損ない」「性懲りもない輩」ですから、取り返しのつかない間違いもあるかもしれない、でも取り返せないと決めつけることはできないのもまた、人間の弱さの表れではないでしょうか。

 都知事や伊東市長の「詐称」疑惑を必要以上に重く見るのではありません。(もちろん、「学歴詐称」を認めれば、選挙に出ることは憚られるでしょうね、それでも出るかしら)学歴詐称を厳しく問うなら、諸々の教育機関の資格そのものも問われてきます。ことは面倒ですから、ほどほどに、と思う。つまり、自らの「学歴」に必要以上に重きを置かないことですよ。他人の学歴がその人をどれほど語るか、そんなことより、直に当人を見れば済むこと。ぼくは大学は出たけれど、何よりも「そんな悪場所に入るべきではなかった」という負い目を持っています。だから、ぼくの学歴は「高卒」、そうしたいと考えている。でも最終学歴を問われれば、嘘を付くわけにもいかない。しかし、言いたくない(書きたくない)気持ちが根強くありますから、履歴書を書く必要に遭遇しないようにしてきました。

 「公職に立候補する際に学歴は問われない」のは当然ですね。「学歴が仕事をする」のではありませんから。「公職」とは「公的な性格をもつ職の総称。重要な公務員の職。国会議員、地方公共団体の議会の議員および長の職、農業委員会や境域委員会などの委員の職をも含む」(精選版日本国語大辞典)元総理大臣だった田中角栄氏は、自ら「高等小学校卒」と公言しておられたが、最終学歴は「中央工学校卒」だった。その当時(1936年)、同校は認可公認されていなかった)

 これまでも、何度も何度も「学歴」の記載を履歴書に求めないという企業が出ては消え、消えては出ました。不要だと、どうして決められないのでしょうか。細かいことは省きますが、あらゆる職が「公職」に近づくことを願いますね。年齢・性別・学歴・国籍等は一切不問、そんな時代はもう、すぐそばまで来ているのですが、そうなればなったで、「揺り戻し」「逆転現象」などが発生します。困った集団ですね、人間社会は。

 「経歴とともに、『正直さ』などのレベルも数値で分かるといいのに」(「新生面」)とコラムは冗談めかして(と思う)述べられている。数字や文字に語らせるから、さまざまな問題が生じているのに。嘘・偽りは「模範」「手本」の口や手から出てくるんですよ。「人を見る」ということを、ぼくたちはもっと重要視しないとだめですね。「『人を見る』人」を見ることこそが問われているのですからね。

 それにしてもだ、この社会の「首長」には得体のしれない「怪物」「怪人」「怪盗」「怪漢」が多すぎるのはどうしてか。いちいち挙げればきりもなくなるから、それはしないが、きっと選挙民は「怪しい」人間が好きなのでしょうか。とするなら、選挙(投票)は民主主義の、ある種の「隘路」(「ここは何処の細道じゃ」)ですね。「百年河清を俟つ」ても、「怪しい」は消えることはなさそうですから。今では使われなくなった警句でしょうが、「怪我と弁当は自分持ち」というのがありました。民主主義に払うべき「怪我と弁当」は高くつきますし、際限がないのが空恐ろしい。「民主主義とは、地平線に向かって歩を進めること」

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「日本人ファースト」は野蛮・蒙昧だ

 「塀の中の懲りない面々」という著書が多くの人に読まれたことがありました。塀の中の体験者でもあった安倍譲二さん(元ヤクザ)の自伝的作品。1986年刊、文藝春秋社。いわゆる累犯者の刑務所暮らしのさまざまを扱ったものでしたが、何度でも同じ過ちを犯す、いろいろな累犯者がいることは間違いのない事実です。この語は、本来は同一人物の累犯のことを指すのが本当でしょうが、時代や社会が違っても、人間たちは同じ間違いや過ちを繰り返すという意味では人類(人間たち)もまた「懲りない面々」であり、塀の中であると否とに関わらず、歴史的には、実に困った人たちの困った行状の繰り返しであるというべきでしょうか。ここでいう「懲りない面々」の「繰り返される過ち」とは何かというと、特に今選挙運動の真っ盛りにある参議院選におけるいくつもの「政党」の看板主張ともなっている「排外主義(xenophobia)」、「自民族中心主義(ethnocentrism)」というドグマであり、独善です。直言するなら「ファシズム」でもあります。それはまた、ある種の「愛国主義(jingoism)」に重なります。もちろん、これは今日、世界規模で起こっている現象で、まるで季節風(モンスーン)のように、時を定めて吹き荒れることが屡々でした。「自民族」を第一に、「他民族」を第二に扱うというのはどういうことか、ぼくにはよく分からない心情であり、姿勢ですな。(ヘッダー写真は日経ビジネス「『日本人ファースト』が破壊する日本人が住みやすい環境」by 松浦・2025/07/04)(https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00562/070200099/

【筆洗】差別を憎む人には少し残念な実験結果がある。自分とは異なる人種の顔写真を見たとき、脳はどんな反応をするかをカナダの大学が調べたそうだ▼顔写真を見ると恐怖や不安など否定的な感情と関係する扁桃(へんとう)体という部分が活発化することが分かった。普段、差別や偏見を嫌う人の脳内でもやはり同じ反応が出る。人間は自分と異なる人たちを見ると、無意識のうちに警戒し、攻撃的にもなる「仕組み」を持っているようである▼無論、脳にはこうした反応を抑制する機能も備わっているというからホッとする。だが、普段はコントロールされているはずの偏見や差別が解放されてしまうこともあるという。研究者によると選挙もその引き金になりやすい▼移民対策を訴えたトランプ大統領が最初に出馬した米大統領選、移民規制が争点になった英国の欧州連合離脱を巡る国民投票。いずれの場合も差別による憎悪犯罪の発生率が急上昇した▼選挙中、排外的で差別的な言葉が公然と語られるうち、差別はいけないという社会常識のタガが緩み、結果、抑制されていた悪感情を爆発させる人も出てきてしまう▼外国人規制問題が争点にもなっている参院選が心配である。冷静な論戦なら構わない。なれど、外国人をひとくくりに攻撃するような心ない発言は厳に慎むべきである。差別は許さぬ。その当たり前のタガだけは外したくない。(東京新聞・2025/07/10)

 「移民対策を訴えたトランプ大統領が最初に出馬した米大統領選、移民規制が争点になった英国の欧州連合離脱を巡る国民投票。いずれの場合も差別による憎悪犯罪の発生率が急上昇した」(「筆洗」)し、今なお、その傾向は強化されて広まっているのです。欧米に遭って、それはは単なる季節風にとどまらずに、政治権力を握ってもいる。平時は蓋をされていたマンホールが、一端集中豪雨に街中が襲われると、突然土中から雨(他民族排除)が溢れ出し、遂にはマンホール(政治的抑制力)そのもの突き破るような暴れ方をする。「選挙中、排外的で差別的な言葉が公然と語られるうち、差別はいけないという社会常識のタガが緩み、結果、抑制されていた悪感情を爆発させる人も出てきてしまう」(同前)のは不思議でも何でもない。今般の参議院議員選挙で、驚くほど「排外主義」や「移民排斥」につながるような言動が政党(候補者)の間に浸透してきたし、その主張に丸ごと捉えられて、「外国人出て行け」紛いの怒号を絞り出す、 この社会の、醜悪な老若男女の出現・振る舞いを見ると、おいおい、よせよ、なんとも「懲りない面々だな」と言いたくなります。

 同じ人間が繰り返す過ちや犯罪行為ではなく、先祖代々の歴史的継承(遺伝的・genetic)ともいうべき「懲りない」なんですな。父祖からの伝統、あるいは前々世代からの受け継ぎが、ここにきて爆発しているのです。いくつかの政党の候補者や代表の演説を聞いていて、聞くに耐えないのは言うまでもなく、何を喚(わめ)こうが反撃できない悪口雑言の的を外国籍の人たちに縛って、集票争いに参戦・狂奔しているからでしょう。実に困った、恥辱しらずの面々と言いたいところですね。このような兇状の持ち主はこの国の歴史を一切無視しているのであって、これまでの歴史において、海外在住の「同胞(日本人)」が排斥され、犯罪人扱いされたこと、拘束されて自由を奪われた経緯があることをすっかり失念しているのです。いい気なものだと、ぼくは呆れるばかりだし、このような排外主義は、やがて、身内同士で排除し合うことになるに決まっています。なぜここにきて、「排外主義」が嵩じているのか。国力の衰えが、裏目に出るんですね。

 その理由は何か。端的に言うなら、この国が「落ち目の三度笠」だからでしょう。給料は上がらない、物価はただただ高騰する、生活は苦しい、世界の参等国以下に成り下がった、それらの怒りのはけ口が見つからない。そんな閉塞状況を打破するのに選挙があった。こんなにこの国が落ち目であり続けるのは誰のせいか。政治が悪いとは、政治家自身は言わない。「天に唾する」ことがわかっているからでしょう。外国人、とりわけ不法移民がこの国の弱体化を齎していると、まるで根拠のないいいがかりに飛びつく、そんな選挙民を観ていると、「懲りない面々」は健在どころか、狂喜し乱舞している醜状が見えてきます。百年前の歴史をはっきりと想起している。国内が振るわないと、外敵を捏造し、憂さを晴らす、暴走する。それが選挙の投票に向かうように、政党党首たちは煽りに煽るし、選挙民は煽られるに任せる。時あたかも酷暑・灼熱地獄の日々ですからなおさら、煽られれば燃え上がる・茹で上がる。という次第で、思わない地殻変動が選挙に現れるという予測が頻(しき)りです。  (左図:毎日新聞2025/07/07)

 熱を下げろ、目を覚ませ、まさしく「極右」がこの国の明日の政治を動かそうとしているのだ。フランス・ドイツ・イタリアの過激な排外主義政党を、この島国のメディアは「極右(extreme right)」と誹謗し、蛇蝎視していました。ところが、わがことになると、かかる「名称」は一切見られないどころか、新勢力現れるとか、希望の星の如くにおべっかを使っているほど。それもまた「懲りない面々」ではないでしょうか。満州事変から続く十五年戦争時代のメディアでは「極右」という言葉は禁句だった。「皇国」「報国」一色に染まっていましたね。いまでも、「極右」政党をまるで「救国勢力」の如くもちあげ、そのに尻馬に載っています。「大政翼賛会」よろしく、あるいは「各種報国会」よろしく、前方を支援する銃後の備え役に徹している。もうすでに「救国諸勢力」は選挙後の大同団結を約束しているのではないですか。「自民族中心主義」「他民族排撃」勢力の背後に、一つの亡霊が漂っているように、ぼくには見えます。「美しい国 日本」を標榜(詐称)していた元総理の「果たせなかった野望」を、この「懲りない面々」は担っているつもりになっているのでしょうか。

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 参院選「日本人ファースト」連呼におびえる人々 「外国人が優遇されてるなんてあり得ない」…リアルを語る 参院選では一部政党の排外主義的な主張が、街頭で、交流サイト(SNS)で毎日のように飛び交っている。これに不安を感じているのは日本で暮らす外国人たちだ。日本人と同じく納税義務があるものの選挙権はなく、「外国人が優遇されている」状況にもない。「デマのような情報が、表立って言われるようになったのは怖い」。同じ日本社会の一員を排除する政治がまかり通っていいのか。(森田真奈子、池尾伸一)外国人が牛耳ってる…あり得ない/参院選が公示された3日、神奈川県内の公共施設で働く40代の在日コリアン女性は、職場のテレビで「日本人ファースト」を訴える参政党の街頭演説を目にし、思った。「ついにここまで来たかと恐ろしかった」/8日、排外主義を扇動する動きに反対を表明した在日外国人を支援する団体の代表者ら=東京・永田町で、須藤英治撮影/韓国籍の名で生活し「外国人」と見られるだけに、「問題を起こさないように」と時に居心地の悪さも感じてきた。職場で電話に出て名乗ると、「公的機関は外国人が牛耳ってる」と言われたこともある。実際には外国籍だと国家公務員になれず、地方公務員にはなれても管理職になれない。「『優遇されてる』なんてあり得ない。それを信じる人が増えているのは怖い」(以下略)(東京新聞・2025/07/09)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/419185

 自民族中心主義は、次の段階では「自民族内分断・差別」に至るでしょう。いわゆる「優生思想(主義)・eugenicism)」に必ず行きつくはずです。今だって、その傾向は現れています。「社会的弱者」の排除はいつだってみられるからです。悍(おぞ)ましいというだけでは足りない、差別政治の「愚行」「蛮行」はすでに始まっています。少し考えてみれば、方々に認められる「民族主義」「日本人ファースト」は「野蛮・未開」であることは一目瞭然あって、その反対に、「多民族共生(multi-ethnic coexistence)」こそが「文明」の取るべき進路だということがわかるんですよ。

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悪いのは「王様」、私たちは騙された

【天風録】○番目の悪者 10年余り前に刊行された寓話(ぐうわ)絵本「二番目の悪者」が描く世界は、ネット時代の選挙を予見していたかのようで空恐ろしい。舞台は動物が暮らす国である▲国王が亡くなり次の王を国民が選ぶことに。金色のたてがみをなびかせる自信家のライオンはわれこそ次の王だと張り切っている。だが国民の人望があついのは、心優しい銀色のライオン。王座を狙う金のライオンはライバルをおとしめようと卑劣な策に出る。デマを流したのだ▲ほかの動物はいぶかしみながらも真偽を確かめず拡散し…。結果、どうなったか。一番の悪者は金のライオンだとして、二番目の悪者は誰なのか▲参院選のさなか、ネットには真偽不明の情報や、事実をゆがめる編集を施した切り取り動画が飛び交う。それを引用した投稿もしばしば見かけるようになった。主張を異にする政党の支持者が繰り広げる非難の応酬も▲共同通信の調査では、選挙でSNSなどの情報を重んじる有権者が4割近くいる。昨年の首長選では、SNSで広まった情報が結果を左右したともいわれる。どう活用するか、有権者も問われている。図らずも「○番目の悪者」になってしまわぬよう、気を引き締めなくては。(中國新聞・2025/07/10)

 2014年刊行された「二番目の悪者」(小さい書房刊)、著者は林木林(はやしきりん)さん。社会風刺のきいた絵本ということでしたが、ぼくには少し理屈が勝ちすぎていると思われ、風刺というよりは教訓めいていると感じられた。それはともかく、「火のない所に煙は立たぬ」というように、いかなる噂も「本当らしさ」の欠片(かけら)を持っているとみられがちです。この世の中に存在するのは「嘘」と「本当」の二つであって、その見極めこそが大事なのだというのが相場です。そうであれば事は簡単、ではありませんが、いずれ「嘘」は「嘘」、「本当」は「本当」として誰彼にも明らかになるでしょうから。

 でも、世の中はそういう具合にはなっていないようです。例えば、真っ白と真っ黒なら、誰にも見分けがつくでしょうが、白に近い黒、黒に近い白と、実に微妙なグラデーションがあります。別の事例を出してみます。どなたかが、窃盗や殺人の容疑で逮捕され、裁判にかけられたとします。簡単に有罪・無罪であると判断されることもありますけれど、多くは真偽定かならず、有罪無罪をめぐって長期間にわたって争うのが大抵でしょう。嘘か真かをめぐって、何十年にもわたる争いが絶えないというのは、それだけ明白に「嘘」、単純に「本当」とは決められないことがあまりにも多いからです。

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 何が正しいか、自分でよく見極めること、そんな風に多くの人はいとも簡単に真偽の判断を自分に委ねなさいという。そんなことができるんでしょうか。そして、その多くは人任せが実際であって、はたしてそんなとでいいのかと大きな疑問を抱きます。「それはデマです」と言えば言うほど、そうでないことを信じたがっている人は「デモではありません、本当のことです」と意固地になるでしょう。今の時代や社会は「狂信状態」に陥っているようにも見受けられてきます。「本当はそれが正しいのがだ、君には判らない」などというようになると、もはやことは一筋縄ではいきませんね。正当かどうかも怪しい新出来集団が、ものすごい勢いで、参院選挙では躍進しているというようなことを知らされると、そこまで来たか、この国も、とぼくは思ってしまう。メディアも、きっとそれを「歓迎している」のでしょうね。阿保草。

 昨年の兵庫県知事選挙はその代表例となりました。真偽織り交ぜた噂話が一瞬の間に、SNSなどが武器となって拡散された。「現知事は苛(いじ)められている」「知事は可哀そうだ」などとまことしやかに呟かれ、その言説に飛びついた多くの人(大半は「善意」のかたまりのような人間ですね)が選挙の結果をひっくり返しました。当選すれば、それが正義だとなるのかどうか。再選された知事の、選挙期間中やその後の行状は、いろいろな調査報道や第三者委員会などの報告によって、公選法違反や公益通報者保護法違反など、多くの法規を逸脱していたことが指摘され、やがて公権力の手に委ねられようとしている。それでも「S知事は正しい」と、「君も私も」主張する、その根拠は何処にあるか。誰もそれを示し得ないのではないでしょうか。ぼくの判断ではS知事は司直によっていくつかの法律違反行為を取り調べられるはずです。もちろん、これは、兵庫県外に住んでいる人間の、S知事の言動を、多くはネット上で見てきたものの判断です。そうならないことは断じてないとぼくは判断しているが、驚天動地(無実ではなく、無罪)は起こるかもしれない。

 これは仮定の話です、と断ったうえで。再選された現知事が失職したなら、先の選挙でS知事に投票した有権者の行為はどうなるのでしょうか。今でもS知事は正しい、間違っているのは公権力だと主張するのですか。それとも何が正しいか自分は分からなかったが、多くの人が彼は間違っていないと言った、その発言に従ったまでだから、私は悪くない、そういうでしょうか。いや、自分は十分に真偽を見極めることをしなかったから、結果としては自分は間違っていたと、自らの非を認めるのでしょうか。この知事選挙をめぐって、あるいはその起因となった公益通報者保護法問題にかかわって、すでに数人の犠牲者が出ています。

 何が正しいか、きちんと見極めよう、事の真偽を自分で確かめなさいと人は言う。言うは易く、行うは難し。「この国は神の国だ」「必ず神風が吹く」と信じなければ、信じたふりをしなければ官憲に捕まる時代をこの社会は経験してきました。誰が判断できるのか、判断を誰かに委ねて事の正否を誤ったこともあります。この候補者の言っていることは正しい、あの候補者の主張は間違いだと、黒白が明らかであれば、事の判断は困難ではありません。でも、「日本人ファースト」「外国人は犯罪を犯す」と、何の根拠もなしに言い捨てられ、その主張に賛成するのも、一つの、怪しい態度です。でも、それは間違っていると同意しないというのも一つの選択でしょう。この時、誰が判定者になるのでしょうか。金色のライオンは「王様」の地位を得る。やがて、「新王様」による政治(統治)が進められてゆくにつれ、国の衰退はひどくなるばかり。

 その時、彼(金色のライオン)を選んだ人たちは「二番目の悪者」だったといってどうなるものでもないでしょうに。選挙が不正に行われたとするなら、少なくともよく知らないで投票した人もまた「悪者」になるのではないでしょうか。悪者とか善人などという分け隔ては、この際には正しいとは思われません。嘘を付く人はよくないとはいえますが、嘘つきは「悪者」だと断定はできないでしょう。どう見ても明日は晴れそうなのに、「明日は雨だ」と断言すれば、結果から判断して、それは嘘だったことになりますが、嘘を付いた人は「悪者」と断じられないからです。

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 自らの利益を得るめに他人を貶めるのは犯罪です。結果的には他者を傷つける(名誉棄損など)行為は犯罪です。だから、嘘も噂も伝聞も、その根拠や真偽を確かめもしないで真に受ければ、過ちを犯すことになるでしょうし、結果としては他者を傷つけることになります。いま参議院議員選挙の「嘘つき合戦」酣(たけなわ)です。ぼくは、申し訳ないが、政治家は須(すべか)らく、大なり小なり嘘つきだと経験から学んだ。許されない嘘が多すぎますね。子どもの付く嘘や、他愛ない嘘は許せるし、政治家や総理大臣の付く嘘とはその性質も程度も異なるでしょう。だから「政治家は一番目の悪者」と、ぼくは言うのではない。本当の悪者には「一番目」も「二番目」もない、悪者だけがいるのです。噂話や虚言を信じる人は「悪者」ではなく「愚か者」であります。投票の際には、せいぜい「愚か者に」ならないように心したいと思っている。

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「ロンパールーム」は花盛りですか

 その昔テレビ放送で「ロンパールーム」という番組があったことは知っている。まともに見たことはなかったが。要するに子ども向け番組だったので、少し大人になりかけていたぼくには無用だったのだと思う。もっとも古い記憶に類するのですが、ぼくには残念ながら幼稚園や保育園に行ったという記憶がない。もちろん小学校低学年時代に、何を考えていたか全くの記憶喪失状態です。同級生たちと遊んだという記憶が皆目ないのです。だから、ぼくはロンパールームの雰囲気を経験してこなかったと断言できる。

【滴一滴】「論破」に惑わされないで 「論破」という言葉を耳にする機会が増えた。人工知能(AI)と議論できるスマホアプリまで登場している。「住むなら都会か地方か」をテーマに、論戦を挑んでみた▼当方はもちろん地方派だ。まず、都会は生活費が高いと切り出すと「働く場所が多く、給料の良い会社を選べる」と反論された。ストレスが多いのでは、と問うと「出会いや娯楽が豊富でストレスを忘れられる」という▼都会は人間関係が希薄だ、と攻め込むと「それはあなたの意識次第でしょう」と返される始末。地方は自然の中で心豊かに暮らせる、と訴えても「それってあなたの感想ですよね」と一蹴された▼何を言ってもすべて否定され、ひたすら都会の優れた点を主張してくる。次第にいら立ちが募り、結局「分かり合える相手ではない」とあきらめた▼昨年あたりから、論破をもてはやす風潮を批判する本が相次いで出版されている。意見の異なる相手を封じる論法は、対立をあおり社会の分断を生むだけだ。立場を超えて協力する姿勢こそ問題解決には欠かせない、といったことが書かれている▼政治家の発言にも、こうした論法が潜んでいることがある。歯切れよく聞こえるが、あまり惑わされない方がいい。議論は本来勝ち負けを競うものではないからだ。スマホアプリに打ち負かされた負け惜しみではない。(山陽新聞・2025/07/08)

*『ロンパールーム』は、1963年10月7日から1979年9月28日まで日本テレビ系列局で放送されていた子供向け番組。当初は月曜 – 土曜の放送だったが、1975年9月27日を以て土曜日での放送を終了している。番組開始当初はモノクロ放送だったが、1964年4月22日からカラー放送化したものの、カラー化当初からしばらくは、カラースタジオが確保できず、時々モノクロ放送の日もあった。/アメリカの同名の番組“Romper Room”を参考にして製作された番組。同番組のフランチャイズはフリーマントルメディアによって行われ、アメリカ国内のボルチモア(オリジナル)、ニューヨーク、シカゴ、ロサンジェルスをはじめ、カナダ、オーストラリア、北アイルランド、イギリス、プエルトリコ、香港でも放送されている。題名の“Romper”とは「腕白・やんちゃ」を意味する言葉、および子供用のつなぎ服“rompers”(ロンパース)から取られた。(以下略)(Wikipedia)

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 コラム「滴一滴」の記者は「AI」と論争して、「『分かり合える相手ではない』とあきらめた」とあります。君は正気ですか、とぼくは問いたくなる、つまらぬことをするものだと思った。「政治家の発言にも、こうした論法が潜んでいることがある。歯切れよく聞こえるが、あまり惑わされない方がいい。議論は本来勝ち負けを競うものではないからだ」とも。この筆者は新聞記者ではないのかもしれませんが、どちらにしても、(都会か田舎か)議論して、勝っても負けても、そこから何か得るものがあるのかどうか。それぞれが長短を持ちながら、人は住み分けている、それが事実、論破されても、論破してもそれだけなら「ただの遊び」「時間の無駄」、じゃないですか。確かに、テレビでも多く見かける場面でしょうし、国会ではなおさらそうかもしれない、と思った瞬間、これを楽しんでいる連中は、その昔の「ロンパールーム」時代の申し子だったんだと思い当たった。つまらぬことに「勝ち負け」を持ち込むな。「あなたは犬派、それとも猫派」とね。どっちだっていいじゃんか。 この国の「民度」というものがあるとするなら、相当に程度は低いに決まっている。

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 大学の教師みたいなことをやりだして、学生たちに授業の進め方を任せたら、多くの学生たちがやりたがったのは「ディベート」(教育ディベート)でした。そんな「遊び・ごっこ」があるとも知らず、何をするのかと彼や彼女たちがやるのを見ていて、ぼくは教室を逃げ出したくなった。確実に時間の無駄かもしれず、これでは開始前と開始後では、いささかでも賢くなる気遣いはないと断言できた。学生たちがやりたいようにやらせるのも授業の一方法だと思っていたから、やりたいという時は、「ディベート」なるものをやってもらっていたが、ぼくにはまったくその効用がわからなかった。つまり、学生が狙っていたのは「ロンパ」、そうです「論破」だった、相手をとにかく打ち負かすことだったと思う。彼らは賢くなりたくなかったんですね。なんともつまらない「遊び」だった。大学のいくつかの教室は、間違いなく「ロンパルーム」だったと思う。今はもっとひどいかもしれぬ。

ディベート(debate)とは、ある公的な主題について異なる立場に分かれ議論することをいう(広義のディベート)。討論(会)とも呼ばれている。/ディベートは、語史としては古期フランス語の古フランス語・中世フランス語-debatre-ドゥバート(「戦う」こと)が中期英語の古英語・中英吾に移入したもので(debaten)、ディベートという語のもつ語義は「相手を打ち負かそうと公式の場で」討論することであり、ディスカッション(discussion)や単なる議論とは異なるものを指すのであるが、一般にはこれらの区別なく「ディベート」ないし「討論」と呼ばれることが多い(最広義のディベート)。この語法は既に定着している部分もあるが、誤った使い方であるとの見方も根強い。/様々な教育目的のために行われる教育ディベート(educational debate)が、単に「ディベート」と呼ばれることもある(狭義のディベート)。特に、教育ディベート関係者の間では、「ディベート」といえば通常は教育ディベートを指す。/教育ディベートでは、その多くが説得力を競い合う競技の形で行われる。競技として行われるディベートを競技ディベート(competitive debate)という(最狭義のディベート)。多くの異なったスタイルがあり、目的に応じて選択される。(以下略)(Wikipedia)

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【滴一滴】日米関税交渉 きのうに続いて「議論」について考える。米国草創期のジャーナリスト、ビアスの「新編 悪魔の辞典」(西川正身編訳)を引くとこうある。「他の人びとの思い違いをいよいよもって強固なものにしてやる方法」▼現代の日本の風刺は違う。作家筒井康隆さんの「現代語裏辞典」には「酒の一種。これに酔うと結論がどうでもよくなる」と記している▼楽しい酒席の後のようにうまく収まることを願ったが、ここはかの国の語釈が当てはまるようだ。日米の関税交渉である。交渉とは言いつつ、激しい議論が交わされていると想像する▼トランプ大統領は関税の上乗せ分の停止期限を延ばした上で、来月から25%の関税をかけると明らかにした。貿易赤字解消の要求は語釈のように強固というか、執(しつ)拗(よう)に思える。例えば、日本が米国の自動車を受け入れないという例の不平はやはり思い違いだろう▼だが、トランプ氏は先月、日本製鉄のUSスチール買収計画では、反対から承認に一変した。来年の中間選挙などを考えて、巨額の投資を確保し経済発展の期待を高める方が得だと考えたとされる▼「一政党の有力者たちによって選ばれ、強奪品を自分たちだけで分け合うことを目的とする」。ビアスの辞典による「大統領」である。強奪した先には、繁栄ばかりが待っているとも限らないだろうに。(山陽新聞・2025/07/09)

 時々「クイズ王」とか「論破王」などという聞きなれない言葉が目につくことがある。つまりは内容は空無、得るものなしというまことに寒々とした風景が広がっていると感じます。クイズ王もロンパ王は得意満面であり、敗者はがっくりなんでしょうか、ぼくにはいささかの関心もない。バカに付ける薬はどこを探してもないけれど、馬鹿は感染するんですかね。日本全体が論破ルームになり、クイズ王争い一色、とは言わぬが、それに近い異様なトランス状態にありますな。

 同様に考えると、トランプ大統領は、いわば「ロンパールーム」時代の弱虫であった可能性は強い。いかにも腕白でいたずら小僧だったようにも見えますが、実は弱虫だったそうです。いくつもの証言がある。彼はロンパースなるつなぎ服を着て、腕白どもの遊びを、少し離れて、指をくわえて観ていたに違いありません、「今に見ていろ!」って。「徒弟時代」を経験して、彼は「論破王」になり「ディベート」を得意とするようになった。いつでも話題の内容は空疎・空虚で、論争の方法は「脅し」「強請(ゆすり)」だった。勝ち負けは、最初から論外だった。

 そんなヤクザとまともに戦う理由もなければ、効果もない。しばし捨て置け、いずれ「TACO」になるのだから。法と正義に基づいて、外交・交渉という仕事(政治)をすればいい。勝手に関税をべらぼうに上げて、それを認めろというのは交際法違反。もし本当に戦うのなら、相手と同じ関税をかけるべきだというのが、ぼくの意見。これは「クイズ王」争いでもなければ「論破王」になるための空疎な議論ではありません。一国の将来、あるいは、国民の生活が懸かっている真剣勝負。「ロンパールーム」遊びでは手が出ない話ですね。今や日米安保体制にガタが来ているんですから、それが壊れても構わないではないですか。さて、I 総理、パッチリと目を覚ましてほしい、政界においては窮地に追い込まれている感のある君には「千載一遇」の好機到来ですよ。相手は「AI」ではない、性根の悪い人間ですから、どんなことを言おうと、「それってあなたの感想ですよね」と答える気遣いはないさ。世間にはこんな言い草もあるし。「皮を切らせて肉を切り、肉を切らせて骨を切る」、とね。

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時間です 待ったはありません

   トランプ氏、日本からの輸入品に25%の関税賦課へ-8月1日発効 トランプ大統領は米東部時間7日、日本からの輸入品に25%の関税を賦課すると発表した。4月に発表した税率を1ポイント上回る水準だ。発効日は8月1日で3週間ほどの猶予期間が与えられた。/トランプ氏は石破茂首相に宛てた書簡のコピーを自身のソーシャルメディア、トゥルース・ソーシャルに投稿。書簡の中で「8月1日から、米国に入るあらゆる日本製品にわずか25%の関税を課す。セクター別の関税はこれとは別になる」と説明。/「貿易赤字の不均衡をなくすのに必要な関税に比べれば、25%という数字ははるかに低いことを理解してもらいたい」と主張した。/「日本や日本企業が米国で生産するなら関税はなくなる。承認が数週間で得られるよう全力を尽くす」とする一方で、日本が米国に対する関税を引き上げるなら、25%の関税率を一段と引き上げる意向も示した。/発表を受けて、円は対ドルで一時1%余り下落、この日の安値に下げた。トヨタ自動車の米国預託証券(ADR)は一時4.3%安、日産自動車のADRは同7.6%下落した。/トランプ政権は4月、日本に対して基本税率の10%に加え、14%の上乗せ税率を加えた合計24%の関税を課すと発表。9日が同関税の一時停止期限だった。/今回の発表で税率は1ポイント引き上げられた。日本政府には発効まで3週間程度の猶予期間があり、今後の対応が焦点となる。7月20日には参院選の投開票も控えている。/米関税措置を巡る交渉を担う赤沢亮正経済再生相は、これまでに7回訪米し、米国の交渉担当者と協議を進めてきた。3、5両日にはラトニック商務長官と電話会談を行い、日米の立場を改めて確認。引き続き米側と精力的に調整を続けていくと発表した。/一方、ベッセント財務長官は6日、FOXニュースの番組で、日本は素晴らしい同盟国だとの認識を示した上で、日本側が話す内容の多くは立法措置を必要としているため、参院選の結果を見る必要があるかもしれないと述べていた。/米国は日本からの自動車や自動車部品に対して25%、鉄鋼・アルミに50%、全ての輸入品に対しては10%の基本税率を課している。トランプ大統領は1日、「30%や35%」といった関税率を挙げ、「日本と合意できるとは思えない」と発言。米国産コメの輸入を受け入れていないとして日本への批判を強め、自動車貿易についても不公平だと指摘していた。(Bloomberg・2025年7月8日)

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 日米関税交渉の「カード」が切られたのか、これしかない、米国にとって最強の「カード」だったのか。あるいは、これまで通りのコケ脅し(bluff)だったか。いずれ、この島国の態度によってすべてが明らかになります。これまでの交渉役は、訪米7回、まるで「朝貢外交」よろしく、相手側の御機嫌伺いに日参しました、使い走り役(パシリだったでしょう。何も手土産をもっていかなかったせいか、精一杯焦らされて、コメを買え、アメ車も入れろ、防衛費(アメリカの武器買い)をGDPの5%に増額しろと、言われたい放題。手ぶらであった証拠だというべきか。さて、仕切り直しで、今回が制限時間一杯になったか。トランプゲームも最終段階に入りました。

 この相撲(交渉)での行司役は誰か。衣の下に鎧が見える、それが行司だというのだから、奇怪な話。吹っ掛けられた関税はおおむね輸出品すべてに25%だ(「米国は日本からの自動車や自動車部品に対して25%、鉄鋼・アルミに50%、全ての輸入品に対しては10%の基本税率を課している」)。それを下げてくれと言うのが交渉だと考えているのが本邦政府筋か。手の内を見せるのも交渉なら、相手の出方を見守るの交渉。米国製品に25%の関税を賦課するというべきではないか。さすれば、相手国は日米安保条約の存続自体を云々するはず。これも何度も言っている通り、アメリカ軍は万が一の(有事)際にも、日本を守ることはあり得ない。安保条約や日米ガイドラインの内容から、日本は「自分で自分の国を守れ」と書かれている。安保条約は世界戦略に必要な米国極東基地の役割を日本が財政負担している片務条約。(詳細は略す。いずれ触れるだろう)

 日本はアメリカの属国ではないと、はっきり主張すべきです。車を売る相手は他にも、いくらでも輸出国はあるのですから、その姿勢(アメリカ一辺倒の一本足打法)を変えるべきでしょう。「台湾有事」は「日本有事」とはどういうことか。日本が言うべき事柄ではないと思う。アメリカは中国と事を構える気はまったくない。ましてトランプはそうです。もちろん、台湾を死守するのはアメリカでも、日本でも、台湾ですらない。(台湾は)国際法上は中国の領土の一部です。台湾自身がそれを認めている。日米安保体制が揺るがされるなら、それに十分対応すべきではないでしょうか。相手が喧嘩を吹っ掛けてきたのだから、黙って殴られていい理由はありません。殴り返せばいいではないか。そんな乱暴は、などと寝言を垂れている場合ではないでしょう。

 4月2日に米大統領が高関税賦課宣言をし、「アメリカ黄金時代の幕開け(アメリカ解放の日)」と見えを切ったけれど、実際はこれまでのアメリカの国際(自由貿易体制)社会における役割を放棄したのです。「自国中心」「アメリカファースト」というのは、それを言わなければならないほどに国力が衰えたことを認めた証拠もありました。池に落ちた犬を棒で叩け(「打落水狗」)、魯迅はそう言った。今アメリカは溺れかかっている、それなのに強がりを止めないのですから、そんなならず者との縁切りを、いや縁を結び直す機会ではないかとぼくは考えている。敗戦後80年は、いたずらにやり過ごすべきではないでしょう。参議院選挙のさなか、この問題こそ、選挙の争点の第一に据え直す必要があるのではないですか。

 「制限時間一杯」だという。力士兼行司は「時間です」「待ったなし」「手をついて」と、煽り続けています。今では行司の装束を脱いで鎧姿で、相手を急かせる始末。焦る必要はありません。自分の呼吸で立てないら、当然、「待った!」でしょう。

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We can’t go on pretending day by day

 本日は7月7日、「七夕」だそうです。昨日は十年程前の卒業生が来宅された。女性が三人に、そのうちの二名は(男児一名と、女児二名の母親)、一歳半(男児)、二歳、そして六歳(小1)でした。拙宅は今や、猫屋敷ならぬ、猫ゼミ合宿所のようで、出入り自由、来るもの拒まず、去るもの追わずという「ゆるゆるセミナー」となっています。総勢何名になるのか、今は定かではない。まあ、ぼくに言わせれば、人生というのは「ゼミ」のようなもので、そこで何を学ぶか、学ばないかは、参加する側の問題であり、そもそも参加するかどうかも、規則ははっきりとしていないんですね。卒業生(人間です)も、長く無音を託っていた人が、突如子連れでやってくることもあれば、結婚などという、面倒なことにははまりたくないといさぎよくでしょうか、孤高を貫く御仁も居られます。

 昨日は、半日、小さな子どもたちの表情や行動を見ていて、その昔のゼミ生も、それぞれに親になったものだと感心していました。学生時代、ヘーゲルを読んでいて、「親から子どもが生まれる」のではなく、「子どもから親が生まれるのだ」と言っているのを読んで、ドイツ観念論の王様は、こんなばかばかしいことを言うのだととても感心したことを思い出していました。確かにそうですね。初めから親なんかいないはずで、誰もが子どもによって親になる(させてもらう)というのですから、子どもには大変な教育力があると気が付いたものでした。その伝でいうと、「先生から生徒が生まれる」のではなく、「生徒から先生が生まれる(育つ)」のでしょうね。それをほとんどの「先生当人」は錯覚しているんでしょう、自分は、資格を持っているのだから、最初から先生だと。

 小さな子どもたちの表情を少し遠くから観ていて、ぼくには<We Are The World>という音楽が流れていました。「みんないっしょ」「わたしたちはせかいなんだ」と、その一瞬の雰囲気を感じられただけで、人間がいて初めて、この地上(自然界、自然環境)は世界になるのであって、最初から「世界」という住処はなかったのだと、これまた、うかつにも気が付いた次第。とすれば、森羅万象は、それぞれの「世界」を生きているともいえるのであって、俺だけの世界、私たちの世界などとは口が裂けても言えた義理ではないかという真実をいまさらのように確かめたのでした。本日は、二つのコラムに込められた「意味」「真意」をくみ取られますように。(世界(のかなりの部分)は狂気が支配している。その中でも人間は暮らしているのです)

There comes a time when we heed a certain call
When the world must come together as one
There are people dying
Oh, and it's time to lend a hand to life
The greatest gift of all

We can't go on pretending day by day
That someone, somehow will soon make a change
We're all a part of God's great big family
And the truth - you know love is all we need

We are the world, we are the children
We are the ones who make a brighter day
So let's start giving
There's a choice we're making
We're saving our own lives
It's true we'll make a better day
Just you and me(以下略)

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➀【新生面】フェイク動画と参院選 トランプ氏やプーチン氏、習近平氏、金正恩[キムジョンウン]氏…。世界のリーダーが『ウィー・アー・ザ・ワールド』を歌っている。無論どれも偽者。生成人工知能(AI)で作られたディープフェイクの動画サイトにあった▼アフリカを飢餓から救うため1980年代に作られたチャリティーソングだ。世界情勢を知っていればあり得ないのは一目瞭然。しかし、精巧な動画を見れば現実と見間違う人がいるかもしれない。思わず苦笑したが、笑ってばかりもいられない気になった▼6月の韓国大統領選では候補者そっくりの偽動画が拡散され、社会問題になった。日本では総務省が交流サイト(SNS)の運営事業者に対して、参院選で投稿される偽・誤情報があれば候補者らの申し出に応じて削除の適否を迅速に判断するよう要請した▼同じ総務省の調査によると、SNS上の偽情報を正しいと誤認していた人が47%に上った。偽情報に接した人の25%は拡散もしていた。驚きが大きい情報ほど、人に知らせたくなるのだろうか▼うそや偽り、うわさが飛び交う昨今である。「7月5日に大災害が起きる」と心配した向きもあったろうが、情報の発信源だったサイトを見ると、むしろうわさを否定する動画が多かった▼トカラ列島近海での群発地震が関係しているのでは、との臆測も飛んだが、気象庁は関連を否定。「科学的知見に基づき判断を」と呼び掛けた。もしや参院選の候補者たちの主張にも、うそや偽りがないかと心配になる。じっくり目を凝らさないと。(熊本日日新聞・2025/07/07)

U.S.A. For Africa – We Are the Worldhttps://www.youtube.com/watch?v=9AjkUyX0rVw&list=RD9AjkUyX0rVw&start_radio=1)「ウィー・アー・ザ・ワールド1985年に発表されたアメリカのポピュラー・ソング。アイルランドのミュージシャン、ボブ・ゲルドフが提唱したチャリティー企画「バンド・エイド」の成功に触発され、アフリカの飢餓と貧困の解消を目的として作られた。曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーの共作で、プロデュースはクインシー・ジョーンズ担当。スティーヴィー・ワンダーはじめ45人もの著名アーティストが「USAフォーアフリカ」の名義で参加している。原題《We Are The World》。(デジタル大辞泉)

➁【斜面】削除される未来 〈未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある〉。戦後長く立命館大総長を務めた法学者の末川博は、その言葉で始まる碑文を「わだつみ像」に寄せた。戦争で未来と命を奪われた学生の嘆き、怒り、沈黙を表したブロンズ像だ◆戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」の印税収入の一部で造られた。末川を先頭に、教員、学生ら大学を挙げての誘致活動によって、1953年、京都市内のキャンパスに建てられた。以来、教学理念である「平和と民主主義」の象徴とされてきた◆戦前への反省がある。国家主義に傾く時代のなかで、京都御所を警備する私設部隊を置いたり国防学研究所を設けたりと戦時体制づくりに進んで貢献した。京都大で教えていた末川も多くの学生を戦場で失った。「はらわたを断ち切られるような思い」だと自著に書き残している◆その立命館大が、学園の目指す方向を定めた憲章改定をめぐり揺れている。3日付の本紙に載った。「戦争の痛苦の体験を踏まえて」との文言を削る案に学生らが異議を唱えている。大学側は、社会情勢に応じた未来志向の表現が要るとしているという◆「時がたつ。それは人の記憶を奪ったり、惨禍を美化したり、真実をおおいかくしたりする」。遺稿集の序文に末川は書いた。そして若者に、過去の事実と苦悩に学び、「未来と生命」を守る決意を固めてほしいと訴えている。削除されようとしているものは、その未来なのかもしれない。(信濃毎日新聞・2025/07/07)

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「徒然に日常」(780~786)

〇2025/07/06(日)とても蒸し暑い一日になりそうだ。雲が垂れ込め、湿度はかなり高そうで、体力の消耗は避けがたいと感じている。このところの酷暑中の庭作業等で、老体は相当にガタが来ているようだ。無理をしないで、休息を十分にとる必要があろうか▶普段なら8時には起きてくるかみさんが10時近くになっても起きてこない。庭掃除を少し手掛けた段階で、寝室に顔を出すと、腹痛で唸っていた。おそらく、夏バテ(熱中症の気味があるのかもしれない)状態で、下痢が酷いという。間に合わせの整腸剤を服用させ、急いで新規に最近の整腸剤を買いに行った。少し様子を見ることにした。毎日のように車で出かける、夜中まで起きている等々、圧倒的に睡眠時間が足りていなしし、酷暑の連続での体力消耗が、体内の悪性細菌(ウイルス)を蔓延らせた結果だと思う。最近も、どうにもならない首や肩の痛みで苦しんだばかり。一向に自覚がないのだから、始末に困る▶ただ今午後10時。室温29.4℃、湿度81%。▶昼過ぎに予定の総勢6人が来宅。二年ぶりくらいだろうか。Aさん、Oさん、Sさん(いずれもゼミの卒業生)とOさんの子ども(男一歳半)、Sさんの長女6歳(小1)、次女2歳の5人組。話は尽きず、子どもたちも大いに機嫌よく遊んで(いたと思う)、帰宅は6時を過ぎていただろうか。レンタカーでの来宅だったので、おそらく、Aさん(運転手)は渋谷で返却するという。彼女も間もなく結婚されるらしい。相手はまだタイに滞在していて、帰国後に、ということらしい。人それぞれに「人生の諸問題」があることを、当然と思いつつ、それぞれが、万事に事なきを得て過ごしてほしいと願う。(786)

〇2025/07/05(土)暑い日が続く▶午前中に少し仮眠を取り、昼過ぎから庭作業に入る。明日、卒業生が何人か来宅する予定なので、県道からの入り口の町道にかぶさって伸びている枝類を落としておく。あっという間に木々が伸びて、放置しておくとまるでトンネル状態となってしまう。車高の高い貨物車や大型バンでは通りづらいだろう。切り落として、少しはすっきりしたと思う。敷地東側の孟宗竹や樫の木の枝を少しずつ切り落としたり伐採したりしているが、まだまだ終わらない。これまでに切り落とした枝葉などの焼却も続けている。溜まっている部分のかなりは、時間がたったせいもあり、土になりつつあるので、法面の土の少ない部分に穴埋め代わりに散布しておこうと考えている。今回は、思い切って法面のどこかに、モルタルで階段を作ることを計画している。自由に最下部まで下りられれば、木々の伐採や繁茂している孟宗竹の伐採には便利だと思う▶夕方、すこしばかりの時間を使って今回の参議院選挙に候補者を出している(一部)「政党」の成り立ちや主張などを調べてみた。なかなかに、胡散臭いのはどうしてだろうか。「キリストの幕間」の一派が勢力を伸ばしているらしい、その背景はなかなかに複雑だった。(785)

〇2025/07/04(金)朝から高温が続き、うんざりするほどの一日の始まり。洗濯機を回し、すこしばかりの洗濯ものを干す▶お昼前に買い物で、茂原まで。猛暑が続くが、人出は多かった▶帰宅後、暫時仮眠(昼寝)。疲労がかなり残っているようだ▶午後から陽射しが弱まった段階で、庭作業をする。溜まっている枯れ枝や落ち葉などを焼却。裏庭の除草作業をする。湿気は低かったが、気温が高く、軽く35℃を超えていたと思う▶ただ今、夜9時過ぎ。室温は29.2℃、湿度は67%。(784)

〇2025/07/03(木)午前6時半に、「燃えるゴミ」収集日だったので、袋に収納しておいた「ゴミ」を収集場に持参した。朝食後、暫時、睡眠をとる。連日の庭作業の疲労が重なっていたと判断したため。午後、木々の枝葉などの焼却をしつつ、隣地にあって伸び切っていて、拙宅敷地内にかぶさっている椎木の枝落としをした。かなり大掛かりな作業になる予定で、本日は下草を刈り取ったうえで、先行きの作業の前段階としての準備作業。かなりの本数の竹が伸びているので、少し伐採をしなければならないと思っている。その他、敷地内の除草作業を続けた▶作業中の外気温を測定はしなかったが、35℃は越えていたかと思う。きわめて厳しい暑さが続いている、この先も無理をしないよう作業を進めたい。(783)

〇2025/07/02(水)鹿児島県の吐噶喇列島ではこの十日ほどの間に800回ほどの有感地震が続いている。昨日と今日は、立て続けに震度5及び震度4の地震が起こっている。専門家でも皆目見当がつかないのが地震予測だが、この先、いかなる展開になるのだろうか▶午前中に猫缶購入のためにあすみが丘へ。なんの日だったか、やたらに混んでいるという感じだった。先日注文しておいた「老眼鏡」を、同じスーパー内にある眼鏡屋まで受け取りに行った。▶帰宅後、注文しておいたナイロンコードが来たので、さっそく取り付けて除草作業を試みた。かなり石ころなどを飛散させるので、装備はしっかりしないと怪我のもとだと感じた。除草予定地には石ころや木片などが多くあるので、十分注意を要するだろう。溜まっていた落ち葉や枝葉などを焼却した。それにしても軽く30度を超えているのだから、瞬間的に汗が滲(にじ)み出るという状況だった。夜に入り、少し雨が落ちてきたようだ▶この後は数日間、高温(酷暑)の日が続くという。日曜日に来ることになっている卒業生諸君の都合・具合を案じている。(782)

〇2025/07/01(火)終日、曇天が続き、夜に入って雨が降り出した。ただ今夜9時過ぎ。室温は30.5℃、湿度は74%。いやになるほど蒸し暑い。本日は7月1日。時間の経過とともに、政治も経済も社会情勢も含めて、まるで奈落の底に向かって突き進んでいるような気がする▶卒業生のAさんからメール(返信)が来ていた。7月6日に五名、車で来宅との確認。当日は酷暑でないことを祈るばかり。

▶大新聞だぞと、わが世の春を謳歌していたのかどうか知るすべもない、そんな(元大)朝日新聞だった会社の社長インタビュー記事。「記者の主張が入り込んで失敗してきた ――朝日新聞はもともと、リベラルなクオリティペーパーで左派寄り、あるいはネガティブな面でいうと「上から目線」といったイメージで長く語られてきたように思います。改めて今、どのようなメディアでありたいと考えていますか。/私は「3中」と言っているが、中心的メディア、中立、中庸でありたい。とくに中心的メディアでありたいと思っていて、そのために中立、中庸が必要になる。/えてして、朝日新聞の記事は記者の取材の中に主張が入り込むような形で、これまでいくつか失敗してきたというのが私の認識だ。今の人は、「朝日新聞の意見はいいよ」「ほかにこのテーマに対してはどんな意見があるの?それは自分が決める」というのが、メディアに対する視線だと思う。そういうときに強い主張を繰り返していくと、次世代の人たちに親しまれるメディアにはなれない。/私どもは私どもの取材結果を世の中に中立、中庸で出す。それに対し、社説も含めて「朝日新聞社はこう考える」ということは明確に出す。そして、「私どものほかにこういう考えもある」「あなたは自分の生活や学びの中で、どの主張を選びますか?」という姿勢を心がけないといけない」(以下略)(東洋経済・2025/06/25 5:40)(https://toyokeizai.net/articles/-/885509)人間の生涯の果ての際に「晩節を汚す(tarnish one’s twilight years)云々」と評されることがあります。「朝日」はどうなのか。晩節に相応しい「社長」はいるんもんだなと、痛感している(781)

〇2025/06/30(月)蒸し暑い日だった。一昨日刈払い機用のナイロンコード用部品が届いたので、試しにほんの少しばかり試用運転をしてみた。これまで以上に石や草屑が飛散し、ズボンなどはかなり汚れた。それなりに前掛けや顔面保護マスクなどを装備しなければ危険がつきまとうだろう。それを踏まえて、以前の金属刃よりも除草には適していると思う。ナイロンコード4㍍ルは、一瞬のうちに使いきってしまったので、改めて同じナイロンコード(100㍍)を注文しておいた。もちろん、このナイロンコードは根こそぎの除草をするのではなく、あくまでも地上に伸びている部分を刈り取る(千切り飛ばす)だけだ。(780)

‘We Are the World’ 2025 Anthem – World Leaders Unite in AI-Generated Song                                               (https://www.youtube.com/watch?v=TByd1jaye_I&list=RDTByd1jaye_I&start_radio=1

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