日本と日本人、単なる名称(入れ物)です

【日報抄】戦後80年の今年、全国の地方紙と連携した企画「あの時私は」が本紙に随時掲載されている。空襲や強制疎開など、戦争体験者の生々しい証言に胸が痛む▼印象的だったエピソードに、京都市の建物疎開がある。空襲などの延焼防止を目的とし、男性は突然、自宅からの立ち退きを命じられた。取り壊された家の跡地は戦後も返還されず、復興の名の下に五条通の拡幅に使われた▼男性の母親は終生、自宅跡地を訪れなかったという。その胸中にはどんな思いがあったのだろう。幅50メートルとなった五条通は国道1号となり、同時に9号にも指定された▼沖縄にも、かつて1号線と呼ばれた国道がある。那覇市と鹿児島市を結ぶ道路だ。戦後、沖縄を軍政下に置いた米軍が、最初に取り組んだのがこの国道の整備だった。沖縄の人々も工事に駆り出されたという。南部の軍港から島内各地の基地へと物資を運ぶ主要道路だった▼1972年の本土復帰後に、国道58号となった。今も島の南北を結ぶ重要な幹線道路だ。先日、その58号を通る機会があった。遠くには新しい住宅地が見えた。米軍の軍用地が返還された跡地だという。商業施設の建設も進み、軍用地だったころより大きな経済効果をもたらしていると、地元紙の記者から聞いた▼米軍駐留は一定のインフラ整備や雇用創出に寄与したかもしれないが、「基地が沖縄経済を支えてきた」という見方は一方的で現実とかい離しているという。節目の年、沖縄の人の語る言葉に耳を澄ませたい。(新潟日報・2025/07/18)

● 建物疎開 = 空襲による火災の延焼を防ぐため、空襲を受ける前に建物を取り壊し、空間をつくること。東京や京都、大阪など各地で行われた。広島市では内務省の告示により、1944年11月以降に実施。広島原爆資料館によると、原爆が投下された45年8月6日には、国民学校高等科や中学校、高等女学校などの動員学徒8200人以上が作業に当たっており、うち6200人以上が死亡したとみられる。(共同通信ニュース用語解説)

 無謀な戦争は無謀な犠牲を国民に負わせます。第一、なぜ戦争するのか、已むに已まれぬ事情があって、というのは後智慧で、たいていは為政者や権力者の口先(舌先)三寸、メンツや自己保身のためであることが多いのは「国家による戦争」にあっても事情は変わらないでしょう。「学童疎開」は大掛かりな国家(学校)行事でしたけれど、建物もまた、時には国家の都合で疎開させられるというのは嘘で、実際には破壊されるのです。これは今に続く国家(公共)事業による「立ち退き」「追い払い」に等しい。鉄道や道路、あるいは空港、ダムや原発施設などの、公益上重要な施設建設に際しては、国家は必要な「土地収用」を行うことができるとされる。誰が見ても納得できる場合もあれば、これは理不尽であると疑問を呈さざるを得ない時もある。これに関してたくさんの資料やデータがあるが、詳細は省く。

 近年では「成田空港」の場合がそれに当たろう。いくつかの候補地から、現在地が選ばれ、そこに居住し就労していた人々の多くは「成田反対闘争」を展開しました。ために、飛行場建設工事は大幅に遅れ、きわめて変則的開業になったうえに、今なお、土地収用問題では裁判が続いています。「ここに決めた」と言われる側には納得がいかないことが多いけれど、多勢に無勢で、その願いや望みは踏み潰されてきました。ぼくは、生きている限り成田空港は絶対に利用しないと腹に決めました(虚仮の一念)。いまだに空港に足を踏み入れたことはない。国や国の実施する計画の前に、いとも簡単に「個の権利」「人権」は踏み潰され、蹴飛ばされる。ぼくには許しがたい蛮行と移ります。(ある種の「召集令状」に等しい行為です)

 人間が住んでいた土地や建物を「国家・公のため」という理屈で「収容」するというのは、そこにかかわる人々の歴史や生活を踏み壊すということです。「公用」が錦の御旗となって、「私用」を凌駕し、圧倒する、そんなことが何人かの権力者によって画策されてきた、それが国家の行うことでした。この社会(「国」と同じではない)には公私混同というか、公は私を飲み込むのに抵抗がないのはぼくには信じがたい。まさしく「滅私奉公」、そんな価値観が空気となって社会に席捲しているからでしょうか。これでは、いくら努力しても「民主主義」は育たないというべき。その時「民主主義」は看板ではあっても、実際の内容を表していないのは明らかです。

● 蜂の巣城闘争= 1958年(昭和33年)、建設省九州地方建設局は松原・下筌(しもうけ)ダムの実施計画調査を開始。水没予定地に住む住民への説明会を実施した。だがこの説明会はダム建設の必要性のみを説明し、住民の最大関心事である補償問題について何一つ語られることは無かった。この説明不足に対して、室原知幸(むろはらともゆき)を中心とした住民は、建設省に不信感を抱き、やがて小国町において「建設絶対反対」の決議を採択することになった。/これに対し建設省は、ダム建設を早期に進めるため土地収用法に基づく立木伐採を行おうとした。この立木地主の中に室原が居たが、建設省の強引な対応に態度を硬化させ、今後一切の交渉断絶を宣言した。住民は玄関に「建設省関係者立ち入り禁止」の張り紙を貼り組織的な抵抗を図った。抵抗運動は更に加速し、1959年(昭和34年)に下筌ダム建設予定地の右岸に監視小屋を建設し、住民が絶えず常駐して監視を行った。これが「蜂の巣城」である。(以下略)(Wikipedia)

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【滴一滴】選ばれる日本か 私事で恐縮だが、高齢の祖母が入居する施設でインドネシア出身の若者から介護を受け始めた。物腰の柔らかい人だそうで「よそさまから来てくださって」と、ありがたがっている▼顔を合わせてあいさつしたい…。改めてそう思ったのは、岡山県矢掛町で働く外国人技能実習生が七夕行事などを体験したという記事の影響だ。きのうの本紙にあった▼実習生の国籍はミャンマー、ベトナム、中国。身の回りでは既に多くの外国人が暮らす。そんな一人一人と向き合い、日本語を教えるなどして地域生活を支えてきた人々もおり、共に社会を支えている▼参院選は終盤に入り、外国人関連施策のあり方が主要争点に急浮上した。人口減少が加速する中、彼ら抜きでは福祉の現場も製造業も、農業も漁業も立ちゆかない。だから共生を進める。だけど規制も強めるー▼考えはそれぞれあろう。だが、実態に沿わぬデマが拡散されていることは見過ごせない。例えば医療や生活保護で外国人が「優遇されている」とのうわさは厚生労働相自ら否定し、外国人刑法犯の摘発件数も「右肩上がり」ではない▼データに基づくなら、経済発展を背景としたタイやベトナムなどの急速な少子化の方がよほど心配だ。アジアの国々が「よそさま」の人材を奪い合う未来が現実味を帯びる。その時、日本は選ばれるのか。(山陽新聞・2025/07/17)

 はからずも、連日、同じ問題の指摘と再検討が続きます。「コラム(「滴一滴」)では「選ばれる日本か」と題されていますが、はなはだ杞憂をお持ちの雰囲気が濃厚に伝わります。国家は大事、「外国人は無用」と、簡単には結びつかない道理を無理やり結びつけて、「日本人ファースト」を論(あげつら)っている、今日のこの状況は、ぼくには国家と国民の間に一寸の隙間もない、実に息苦しい、個人の死刑宣告に等しい風潮だと見えます。「日本人ファースト」とは言いながら、それは選挙期間限定のコマーシャル、本音のところ、結局は「日本ファースト」であるのは目に見えている、と言うより「顔に書いてある」のですから。人より型(入れ物)を大事にする等であり、個人を尊重しないと宣言しているんですね。実に卑しい根性であり、貧しい魂胆だと思う。「日本人」というかたまりを出汁にして、一日本人を惑わせているのが見えないんですか、と言いたいね。

 これは「参●党」ばかりではありません。公私混同とはこのことか、自分たちの主張の都合で「公私」を一緒くたにして「日本人」と言っているにすぎません。この政党のキャッチコピーは「これ以上日本を壊すな」です。誰が、それを言うんですか。この主張は、いわば右代表で、他も大同小異の「日本(入れ物)ファースト」でしかない。「国家主義」、ファシズムですな。アメリカでは黒人と白人の結婚は1967年の「ラヴィング対バージニア州裁判」に対する連邦最高裁判決(異人種間結婚禁止は憲法違反)」が出るまでは、驚くべき時代錯誤が続いていました。こんな問題が起こる時、先ず前提となるのが「白人宣言」でした。「白人とは…」というのと同じように「日本人とは」という資格(定義)が憲法に規定されているという「参●党」。おそらくジョークだろうと思う。それを放置していると、いずれ「人間とは」という定義が出されるだろうから、ますます、この社会は奇怪な国としてしか見られなくなるはずです。

 「身の回りでは既に多くの外国人が暮らす。そんな一人一人と向き合い、日本語を教えるなどして地域生活を支えてきた人々もおり、共に社会を支えている」(コラム「滴一滴」)。ぼく自身は、今日の右に靡く現状を諦めているわけではありませんが、自らが「過ちを経験したい」というのですから、一蓮托生の身とあれば、行くところまで行くほかないでしょう、というばかり。政権交代か、「寄せ集め政権」か。なるようにしかならないんでしょうね。国民の大多数が選んだ「間違い」というのは取り返しがつかないとは思わないが、やらない方がいいに決まっているんですがね。

 まあ、要するに「集団催眠」にかかっているうちは、滑稽だと見られようが、理不尽だと言われようが、それだけ一層固まってしまうのですから、ここはまず、一端は失敗しましょうということですかね。その失敗を乗り越えるのは大変だし何十年もかかるでしょう。でも、国(日本)や国民(日本人)が、少しでも賢くなるためには「試練」を避けるわけにもいかない。それにしても、選挙で論じられているのは「日本」「日本人」をめぐる争い、というよりは「先陣争い」「先駆けの功名争い」のように思われます。それは「滅私奉公」、ありていにえば、そうなるんじゃないですか。

 必要以上に強調されている「日本」とか「日本人」というのは単なる名称であり、一つの「入れ物(抽象物を入れる容器)」に過ぎません。中身より入れ物を大事にするのは、詐欺商法の手口ではないでしょうか。「公」とは「私人(private)同士」から生まれる概念(場所)、つまりは公共(public/society)であって、それは官(国・government)とは異なる。公共の意識がないか、きわめて弱いから、いきなり「国」が「私」を襲うんですね。私(personal)ー公(私たち)(social・public)、そして国(container)。そんな関係をぼくは考えている。個人や集団が、突然の襲う雨風をしのぐ入れ物(傘みたいなもの)が国という物の機能ではないでしょうか。

 公園というのは「官営」ではない、「公共の場(public state)」です。こんな問題が今頃になって課題となっているというのも、迂闊と言えば迂闊。成長していない民意と言えばそうなんですね。(断る必要もありませんが、ぼくは「参●党」を槍玉にあげているのではありません。まあ、時代の風潮の「右代表」という程度の捉え方で論(あげつら)っている。この風潮は、例えるなら「カスミ」か「クモ」か、やがて消えますよ。ある種の「ジャN-ズ」タレントの如し、でもないか。未経験や経験不足の学級委員たちが「国政(government)」に参加するんですから、混乱は避けられませんね。その「混乱」こそが私たちがすべき経験だという考えをぼくは持っています。

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「日本主義」なる空気が充満している

 ぼくの性格なのだと思いますが、好きな作家や評論家がいても、それに入れあげるということはほとんどない。たぶん、根が不精という話で済むのですよ。でも時には、ぼくとしては「魔が差した」ように、誰かの講演会に出かけることが、稀にある(正確には、あった、です)。今だって数え上げられるほどの人数、片手で済んででしまいそうな少なさです。そのほとんどは学生時代の出来事。入学した大学は「課外講演」というものが頻繁に行われていましたから、その影響もあったでしょうか。正確な年代は覚えていませんが、そんな頃にたった一度だけ、山本七平さん(右写真)の講演会に赴いたことがあった。会場は産経ホールだった(大手町)ように思う。今から考えれば、まことに「奇遇」でした。」山本さんは当時もかなり右翼・保守の論客としては高名で、ベストセラー本を何冊か書かれていた。その代表作は「空気の研究」だったと思うが、その山本さんが訳されたものとして、「イザヤベンダサン」(なんという筆名)という外国(ユダヤ)人が書かれた「日本人とユダヤ人」や「日本教について」(いずれも山本七平訳、山本書店刊)がありました。山本さんは書店も経営されていた。聖書研究家でもありました。

 その山本さんの講演会に出かけた。テーマは「鈴木正三」だったと記憶しています。どうして出かけたか、背景はすっかり忘れたし、山本さんに惹かれていたというのでもなかった。「鈴木正三」は元徳川家康の側近で、後に禅僧になり、何冊かの書物を書いた。恐らく、その著作を、たまたま読んでいて、もう少し知りたかったからかもしれなかった。(それ以上に、ぼくには「心情右翼」的な部分が濃厚だったからかもしれません)肝腎の山本さんの講演の記憶(話の内容)はまったく消えています。ただ、山本さんと鈴木正三との結びつきだけが残り続け、その後、正三の本を思い出したように読んだ。それだけのことでしたが、今でもなお、ぼくには江戸の禅僧スズキショウサンは不思議な人として思い出されます。

 以下は、余話のようなもの。希代の仏教学者だった中村元さんの功績を讃えて作られている研究所の方々が「慈しみの心」という連載を長年続けられています。時々目にする程度でしたが、本日のそれは鈴木正三でしたので、ここに書き留めたというばかりの瑣事です。これは勝手な空想ですが、山本さんは自らを正三に準(なぞら)えていたのではないかとも考えてみたりします。それと、今日のような右翼勢力の伸長の根っこに、なんだか山本七平さんの蒔いた種の、その後の姿があるような気もしている。もちろん、鈴木正三も、今日の「日本主義」「保守派」現象に関しては、決して無関係ではないと思います。

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【慈しみの心(No.3435)】 生者(しょうじゃ)必滅(ひつめつ)の理、口に知って心に知らず。(鈴木正三)

<解説>生者必滅の道理を言葉ではいろいろと語ることもあるけれども、自分のこととして心から受け止めるのは難しい。無常であり変化していくあり方を、あたかも他人事のように思っている。しかし、思っているだけで、実際は他人事ではないから、生死が苦しみになる。(服部育郎・中村元東方研究所専任研究員)(山陰中央新報・2025/07/17)

〇鈴木正三(すずきしょうぞう)(1579―1655)= 江戸初期の仮名草子作家、僧侶(そうりょ)。名は重三(しげみつ)、九太夫(きゅうだゆう)とも。法号は俗称を音読して正三(しょうさん)。石平道人(せきへいどうにん)、玄々軒(げんげんけん)とも号した。三河国(愛知県)の武家に生まれ、徳川家康(とくがわいえやす)・秀忠(ひでただ)に200石をもって仕え武功があった。1619年(元和5)剃髪(ていはつ)して曹洞禅(そうとうぜん)を修め、世法即仏法(せほうそくぶっぽう)を説き仁王(におう)禅を提唱した。諸国遍歴ののち故郷の石平山恩真寺に住したが、島原の乱に従軍、のちに天草で寺を建立してキリスト教根絶を志し、『破吉利支丹(はきりしたん)』を著した。1648年(慶安1)江戸へ出て、牛込(うしごめ)に了心庵(あん)を結び、教化と述作に従ったが、77歳で末弟重之(しげゆき)の家に没した。彼の説法を弟子の恵中(えちゅう)(1628―1703)が筆録した『驢鞍橋(ろあんきょう)』や、その著『盲安杖(もうあんじょう)』『麓草分(ふもとのくさわけ)』などは仏教啓蒙(けいもう)書であり、『因果(いんが)物語』『念仏草子』『二人比丘尼(ににんびくに)』などは典型的仮名草子と称せられている。(日本大百科全書ニッポニカ)

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山本七平(やまもとしちへい)[生]1921.12.18. 東京 [没]1991.12.10. 東京 出版人,評論家。代々クリスチャンの家系に生れる。 1942年青山学院高商部卒業後,陸軍に入隊し,フィリピンで第2次世界大戦の終結を迎えた。現地で捕虜となり,47年復員。 58年翻訳書を中心に聖書関係の書籍を刊行する山本書店を設立する。 70年に出版したイザヤ・ベンダサン著・山本訳『日本人とユダヤ人』がベストセラーとなり,第2回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。この本をめぐってベンダサン=山本七平説がマスコミをにぎわしたが,本人は否定。これを機にみずから言論活動を開始し,戦争体験や日本人の行動と思想を解析,新保守主義をリードする論客と目された。おもな著書に『私の中の日本軍』(75),『論語の読み方』 (81) ,『「空気」の研究』 (77) などがある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 山本さんや鈴木正三について、更に駄弁るところですが、本日は、あまり気が向かないのでここで止めておきます。図らずも、山本七平さんが「小林秀雄命」だったというところに逢着し、ぼくはある種の感慨に襲われています。学生時代からの十数年、何を隠そう、ぼく自身も「こばやしひでおいのち」だった(それと並行して「ミヤコハルミイノチ」だったことも隠しません)。ある時期まで、ぼくは自他ともに「心情右翼」と任じていました。決して「行動右翼」であったことはなかったのは事実です。街宣車などに載ったこともない。そこは雨宮処凛さんとは違う。ぼくの惰弱なところでしょうか。若いころは本当に熱心に小林秀雄さんのものを読み続けていましたが、やがて、「おや、それはどうかな」と疑問に思うところが屡々でした。「考えるヒント」は長く続いた連載物でしたが、その中のところどころに「日本主義」「国粋主義」的な部分があって、おそらく小林さんの心情から発していると思ったこともありました。窮屈な考えだなあ、そんな感想を持ちました。そして、最晩年の「本居宣長」に至るのです。「国学」の大成者だったかもしれませんが、小林さんはそれにどっぷりとはまっておられた。

 その日本主義の性格ですが、単純化して言うなら「天皇主義」だと思います。ぼくは「天皇制」には賛成したことはない。小林さんは晩年になるほど、「天皇制大事」、「天皇の臣」というようなところに入って行かれたと思う。もっと言うなら、彼は「日米戦争」賛成でしたね。「国民は黙って戦争に従った」とまで言われたことがある。呑気なぼくでも、それは賛成できませんでした。とまあ、このように駄弁りだすといくらでも時間が過ぎるので、駄弁もここで止めておきます。つまり、小林さん、山本さんに関心も持ったし、教えられもしましたが、「保守派」の領域の奥深くへは入ら(れ)なかったという「お粗末」の一席です。(機会があれば、この駄文の続きを)

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ラストがトップになる事態もある

 少し時間が経ちましたが、見逃せないコラムだったので、(五日遅れで)ここに引用しておきます。「ラストの地から」という高知新聞の「小社会」の記事はずっと考えている問題を簡潔にして要を得た書き方で、ぼくには身に染みている。毎日のように買い物に出かける国道沿いには、何か所もの「介護施設」があります。デイサービスや訪問介護などの諸施設の何軒かは、ここ一、二年で閉所になっています。あるいは、小さな鉄工所などもありますが、通りすがりに「溶接作業」の場面に遭遇することがありますし、防護マスクを外した職員さんが全員外国籍の人だと気が付いていまさらのように驚いている。

 (ヘッダー写真はテレビ大阪ニュース「人が来ない」:https://www.youtube.com/watch?v=nVNN3y-pjQw

 今現在、この国には約370万人ほどの外国籍の方がいる。滞在の資格はさまざまでしょうが、全人口の3%未満です。「違法移民は全員強制送還」と大掛かりな移民拒否対策を打ち出したアメリカは15%ほど、ドイツに至っては20%超です。「日本人ファースト」といい「外国人の総量規制」などという「驚くべき政策」を訴える政党もある。この数年間に限っても、いずこの政党も、ていねいな「外国人(処遇)政策」を掲げていたとは、迂闊(うかつ)だったか、ぼくは知りませんでした。もちろん、この社会における在日外国人問題の歴史は古い。少なくとも戦後に限っても「在日韓国・朝鮮人」問題があったし、その周辺には常に「ヘイトスピーチ」や「差別」につながる排斥運動が仕掛けられていました。それが今や、外国籍の人すべてに及ぼうかという「おぞましさ」であります。金や太鼓を打ち鳴らして「外国人排除」「日本人ファースト」とは、いかにも軽薄千万の乱痴気です。

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【小社会】ラストの地から 私事になるが、親が施設に入った。医療と介護を行き来し、当方のような素人がケアできるレベルを過ぎ、おそらく終(つい)のホームへ。面会のたび、いやでも衰えに気づいて心が揺れる。スタッフの献身に救われている。▣そんな支えの輪に外国籍の人もいる。流ちょうな言葉に驚く。「彼ら(外国人)がいないと、もう現場は回りません」。高知市で施設を営む役員のそんなコメントが本紙に載っていた。▣きついイメージのある介護の仕事は、人手不足なのに県内の全産業平均より賃金が低い。今後も人は減り、高齢者の割合は高まる。介護に限らず、どの産業もサービスも日本人だけで乗り切れそうにない。▣厳しい現実が迫る中、「○○ファースト」という言葉をよく耳にする。米国の指導者しかり、都議会しかり。今の参院選でもちらほらと。政治の潮流なのだろう。勇ましげに発せられることが多いのも特徴だが、ともすれば共通する属性を持たない人らを外へ追いやりがちな思想にも映る。福祉、共助といった言葉が染みる身には遠く響く。▣本紙はまた、都会との賃金格差から県内の介護職場で外国人の流出が始まったと伝える。こんな地方の姿を先頭集団は気づいているだろうか。米国や東京が第一なら、おそらく高知は…。▣いや、都会でもいずれ起きそうな未来がクリアに見えている点で、ここが最先端だと強がってみる。ラストの地から熟慮の1票を投じよう。(高知新聞・2025/07/11)

 最後尾(ラスト)が、実はその分野(課題)の最先端の問題に喘いでいるということはいくらもあります。いずれ、それは「トップ」を謳歌している地域や社会に及ぶことを明示しているんですが。いろいろな意味で、「明日は我が身」どころか、「今の今こそ我が身」なんですのにね。

 「小社会」は介護の場面について述べられているのですが、それと同じように、外国籍の存在を抜きにして成り立たない職種や職場が少なくありません。寧ろ、そのような現実の場面に関して、いかなる仕組みを作り、問題の解決を図るかということ、それこそがぼくたちに問われているし、現下の政治課題となっているにもかかわらず、声高に「排除」「非難」の的としてしか見ていないのは、まさしく政治的怠慢とぼくには映ります。まるで、過ぎし日の「日比谷焼き討ち事件」のような後味の悪さだけが目立ちます。人気取り、議席獲得の安易かつ近道として「外国人問題」を扱っている風潮が漲(みなぎ)っているんですね。いかにも軽薄であると同時に、身の程知らずだというほかありません。

 「本紙はまた、都会との賃金格差から県内の介護職場で外国人の流出が始まったと伝える。こんな地方の姿を先頭集団は気づいているだろうか。米国や東京が第一なら、おそらく高知は…。」というくだりは象徴的であると思います。少し前には、「外国人労働者」はこの国には来ない、他国の方が賃金が高いからだという、いくつかの新聞に小さな記事が出ていて、いささか驚いた経緯がありました。そこまで、落ち目になったかという感慨を催したのでした。。国内の「高低差」に敏感な人なら、国際間の「高低差」にも気が付いているはずです。勇ましいことを言っては太鼓をたたいているうちに、並みいる外国籍の人たちは、この国に寄り付きもしなくなるのは目に見えています。

 展望があるかと問われれば、ありそうもないと答えるほかありません。ではどうするか。「働く」「労働する」という事柄の原点に立ち戻って、それぞれが「社会的役割」を再確認することが求められているのではないでしょうか。危機的な事態にありながら、そんな話題なんかはどこ吹く風と、無責任な空騒ぎや他者への誹謗中傷に明け暮れている「SNS」にかぶれ・痺(しび)れてしまった、この社会の「現実」にもまた、ぼくたちは、やがて(間もなく)裏切られるに違いありません。(参考 2025年に介護を必要とする高齢者は743万人に達するとされています。その2025年現在、介護職員の不足数は32万人と言われています。この先、更に不足数は急増していくという。(*「みんなの介護求人」(https://job.minnanokaigo.com/news/kaigogaku/no1372/

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選挙を「競馬並み」に貶めるのは誰だ

 全国の新聞は軒並み「競馬新聞」になっているようです。これもまた選挙の季節の風物詩というのでしょうか。同じ選挙報道(だとご当人たちがが思っているなら)でも、他に報じようがありそうではないですか。自民・公明過半数割れ、国民・参政党は伸びると、新聞もテレビも喧(かまびす)しいこと限りなし、です。それぞれの党派が主張するものの中に聞き捨てならないものがあるようにぼくには思われますが、その点には触れず、当たり障りのない意見ばかりを寄せ集めて報道している。◎、▲、〇、✖等を候補者につけることが報道の主眼というのは、情けない話です。

 ある政党の党首の第一声は「外国人は徒党を組んで悪いことをするから、この国の治安が乱れる。我が党は日本社会の治安を守る(外国人を入れない)」と、何よりも「日本人ファースト」「人種差別」「排外主義(xenophobia)」を盛んに売り込んでいたのだが、メディアはそこにはまったく触れない。別の党も「外国人が日本の不動産を買い漁っている。価格が上がって日本人は買えない、実に怪しからんことだぞ。我が党は、これを明確に規制する」との大音声。民衆を煽り、その単純大仰な排他主義の扇動に乗せられるのだから、選挙民も尻軽というほかないね。

 この社会がバブル絶頂のころ、N.Y.のエンパイアステートビルを買い取ったのは日本の特異な経済人だったH.Y.氏だった。米国の音楽・映画などの大企業を買収し、わが世の春を世界に誇示していたのは「世界のSO✖✖」でしたね。オーストラリアやスペインで広大な土地を買い漁って、「シルバーコロンビア計画」と大宣伝して、「隠退組の移住計画」をでっちあげた役所がありました。ぼくの知り合いも、浮かれ話に乗って移住しました(その後はよく知りません)日本の「老人村づくり(ゲートシティ)」は大きな批判・非難を受け、計画段階で萎(しぼ)んでしまったようです。

 成金会社がパリ市中のマンションやアパートを買い漁ったのも同じようなな時期。当時、当該国では日本批判がどのように起こったか、詳細は知りませんけれど、「ジャパンマネー」の評判は悪かったのは確か。そして「失われた三十年」の後、今は「外国人叩き」が選挙の争点になっているのです。「移民は認めない」と怪しい政策を振りかざしては「安い労働力」としてしか見てこなかった、その「排外主義」「日本人ファースト」が、ここにきて急激に持て囃されているというのですから、阿保草と言うしかありません。「斜陽国」の見苦しい遠吠えですか、気弱な「内弁慶」なんでしょうね。(左図は、それぞれの年度の企業の時価総額ランキング・btrax:https://blog.btrax.com/jp/jp-innovation/

 外国人観光客が溢れるほど来るのは、日本が貧しい・安い国になったからであり、その原因や理由は「政治の貧困」にあるということがどうして問われないのでしょうか。「輸出産業は自動車一本足打法」と揶揄されているうちはまだよかったが、米国の高い関税賦課で、そのなけなし・虎の子の稼ぎ手も、今や風前の灯火です。どうして、メディアはこの国の現状と将来の方向を示さ(示せ)ないのでしょうか。「極右」が大声をあげて「外国人排撃」を言っている、それでいいのかと、なぜ批判しないのですか。批判しない(できない)のは、「極右」に片足を突っ込んでいるからだと言えば、どうでしょう。本命・対抗・穴馬などと知った風なことを言いますが、ぼくはまったくの競馬音痴です。競馬新聞の幹部連が知り合いで、何かと教えられたものでしたが、ついぞ馬券は買うこことがありませんでした。今では「AI予想」が流行中とか。並みいる選挙予想紙も、「何人に聴きました」とかなんとか言っているけれど、その実は「AI」で予想を立てているに違いないのです。それならば、何百億という税金を使うことを止めて、選挙予想はすべてAIで、ということにしたらどうでしょう。政治そのものも「AI」で、だよね。

  「ダークホース(黒馬)」と目されている政党党首は、次の衆議院選挙では「政権(与党)入りを目指す」と言っている。いよいよ「極右」の本格登場となるかどうか。近隣諸国をはじめ、アジアの国々は、右翼勢力の擡頭(選挙結果次第では)をどう見るのでしょうか。

🔴 極右 = 極端に右翼的な思想。またはその思想を信奉する人。明確な定義はないが、自分が属する民族は崇高な文明と歴史を有しており、他民族より絶対的に優れていると信じる人々を指すケースが多い。周辺民族を嫌悪するなどレイシズム(人種差別)と結び付きやすい。民族精神や愛国心に究極の価値を置く。考えに従わなかったり、疑問視したりする人を「外国の手先」「非国民」とみて攻撃対象にする。戦前日本の軍国主義やドイツのナチズムは、これに当たると理解される。(共同通信用語解説)

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  「マリヤが、たとい夫の子でない子を生んでも、マリヤに輝く誇りがあったら、それは聖母子になるのでございます。
 私には、古い道徳を平気で無視して、よい子を得たという満足があるのでございます。
 あなたは、その後もやはり、ギロチンギロチンと言って、紳士やお嬢さんたちとお酒を飲んで、デカダン生活とやらをお続けになっていらっしゃるのでしょう。でも、私は、それをやめよ、とは申しませぬ。それもまた、あなたの最後の闘争の形式なのでしょうから。
 お酒をやめて、ご病気をなおして、永生きをなさって立派なお仕事を、などそんな白々しいおざなりみたいなことは、もう私は言いたくないのでございます。「立派なお仕事」などよりも、いのちを捨てる気で、所謂悪徳生活をしとおす事のほうが、のちの世の人たちからかえって御礼を言われるようになるかも知れません。
 犠牲者。道徳の過渡期かときの犠牲者。あなたも、私も、きっとそれなのでございましょう。
 革命は、いったい、どこで行われているのでしょう。すくなくとも、私たちの身のまわりにいては、古い道徳はやっぱりそのまま、みじんも変らず、私たちの行く手をさえぎっています。海の表面の波は何やら騒いでいても、その底の海水は、革命どころか、みじろぎもせず、狸寝入たぬきねいりで寝そべっているんですもの」(太宰治「斜陽」新潮文庫版)

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 自公で過半数割れの可能性 1週間前より与党に厳しい情勢に 国民・参政が躍進の可能性 JNN中盤情勢【参議院選挙2025】 今月20日に投開票が行われる参議院議員選挙について、JNNが中盤情勢を分析した結果、自公で参議院の過半数を割り込む可能性があることがわかりました。1週間前より与党に厳しい情勢となっています。/今月3日に公示された参議院議員選挙について、JNNではおとといときのう(12~13日)インターネット調査を行い、取材を加味して中盤の情勢を分析しました。/それによりますと、自民党と公明党はいずれも議席を減らし、非改選を合わせて過半数となる50議席を割り込む可能性があることがわかりました。/カギを握る32の「1人区」のうち自民党が優勢なのは8選挙区にとどまり、1週間前より与党に厳しい情勢となっています。(以下略)(TBSテレビ・2025/07/14)(右図表はNHK:2025年7月14日更新)

「ダークホース」は、カリフォルニアの名門ワイナリー「E.&J.ガロ・ワイナリー」のプレミアムワイン。
土地の気候・土壌(テロワール)にこだわらない品種選びなど、独創的な考え方でつくられる濃厚な味わいが特長です。
商品名には「常識破りで予想外なことに挑戦し続けたい」というつくり手の意思が込められており、パッケージにも「ダークホース」の顔をイメージしたアイコンをあしらっています。
ダークホース・レッド・ブレンドは、カリフォルニアの400を超えるブドウ農家から、最適な熟度に達した優良品質のブドウのみを選定してブレンドしています。/黒い果実やカラメルのような香り、しっかりとしたタンニン。
甘さを感じさせる濃縮した果実味が広がり、多品種ブレンドならではの、飲み始めから終わりまで、時の経過で変化する味わいが堪能できる濃い旨の代表格と言えるワインに仕上がっています。(https://www.miraido-onlineshop.com/item/1-dh-big-red-os/)

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名利に使はれて、静かなるいとま…

 「嘘にはうんざりだ」「騙されない秘訣を」と、明晰な知性を総動員して「フェイクニュースの見分け方」というベストセラー新書を書かれた著者が、何年間かにわたって、見事に「詐欺」に遭っていたという現実をぼくは知っています。いわば、経験者語るということだったでしょうか。著者はフリーのジャーナリスト(元A新聞記者。中途退社したのも、要するに、その新聞社の「嘘」が見抜けなかったからなのだが)で、にもかかわらずというべきか、福島原発事故の「顛末」を一貫して追跡し続けて、素晴らしい仕事をしている方です。どんなに用心深い人でも、きっと「詐欺」「虚報(言)」の罠にかかるのですから、素人は「騙されるもの」と腹をくくって生きていく時代です。「私は騙されたことがない」と言い切れる人は、「生きていない」ということでしょう、赤子を見よ。生きていれば、きっと騙される。もちろん騙されやすい人の方が騙す人よりも多いから、世に「騙し」は成り立つのでしょう。物を買って損をしたという経験のある人の大半は、騙されたことなるでしょう。「騙す」のも、「騙される」のも人間であればこそ。人間は騙す動物であり、同時に「騙される生物」でもあります。

 ぼくはスマホなるものを持ったことがない人間です。だから、「騙される」危険性はそれを所有している人よりも、いくらかは少ないでしょうが、それも比較の問題であって、何も余計な機器類(騙しの道具)を持たない人でも「詐欺」や「フェイク」に、ころりとひねられることが絶無とは言えません。「どうして騙してやろうか」と無い知恵を絞っている人間に、現在社会の通行手形ともいうべき「スマホ」は「鬼に△△」であり、「▼▼に刃物」というべきでしょう。それは騙しの道具であると同時に、騙される道具でもある。「便利な道具(useful tools)」を持った無防備の時代((defenseless era))か。ちろんスマホばかりではない。ぼくは頑ななデスクトップ型パソコン派ですし、毎日、それなりにネットニュースやYouTubeを見る。そこにはデマや偽情報が、まるで「夢洲」のゴミの如くに蓄積され、拡散され、果てしなく再生産されているのが手に取るようにわかります。そんな出鱈目が金になる時代。ネット上に溢れている数ある番組の中で、ぼくはわずかの番組しか見ないようになっています。

 騙す人より、騙される人に、というか、人間には騙され(てい)たいという一種の感情(本能)があるのかもしれません。「君を死ぬほど愛している」と彼氏から言われて舞い上がり、挙句の果てには捨てられた(その反対もある、彼女に騙され捨てられたという男も実に多い)。そんな時、多くの人は言うでしょうか、「どうせ私を だますなら だまし続けて 欲しかった 」(「女心の歌」)と。その結果は悲惨なものになることもしばしばです。「俺を騙したな」と、遅まきの覚醒に至って、兇状に及ぶのもよく見る悲劇です。これは嘘か真か、見極めることはおそらく困難だと思っていた方がいいのではないでしょうか。深い森の中で迷ったら「歩き回るな」「直進しなさい」とデカルトは言った。悪足搔きはしない方がいい。情報の杜(もり)や海で遭難したらどうする。救助を待つか、諦めるか。肝腎要(かんじんかなめ)の行動は、それが情報であろうがなかろうが、のこのこ、手ぶらで触らない、近づかないことです。それが何より。下手にスマホなどを持っているからこそ、深みへと連れて行かれるんですよね。

【産経抄】虚実の見極めを、SNSと参院選 「馬がものを言った」という噂が、江戸の町に広まった。元禄6(1693)年、徳川5代将軍綱吉の時代である。当時の文書いわく「馬のもの言うことには、そろりころりという煩いが流行(はや)る」。コレラ流行の予言とみられる。▼世の中の不安をあおる流言を、お上は聞き捨てにできなかったらしい。仁科邦男著『「生類憐(あわれ)みの令」の真実』によれば、調べを受けた町民は35万人を超えた。噂を流したかどで縄目にかかったのは筑紫団右衛門という浪人で、死罪になっている。▼首筋にひやりとしたものを覚える現代人は多かろう。根拠のない情報や、人を陥れるための悪意に満ちた噓が、瞬く間に広まる電脳空間の暗部である。舌戦が過熱する参院選でも、SNS上で候補者本人になりすました偽のアカウントが確認されるなど、騒動が絶えないと聞く。▼本来は、選挙と有権者の距離を縮める利器だろう。若者との親和性は強く、投票率の向上にも役立つに違いない。他方、自身の好みに偏った情報や主張だけが目に触れるフィルターバブルの罠(わな)もある。過激なもの言いや虚実ないまぜの情報も、隣人としてすました顔をしている。▼見聞きしたものをうのみにし、クリック一つで広めてしまうことが一番危ない。情報社会に生きる一人一人が、真偽を確かめる努力を忘れたくないものである。馬が合うはずの選挙とSNSを「混ぜるな危険」の仲にしてしまってはもったいない。▼ものを言う馬は、梅干しを煎じて飲めばコレラにならないとも語ったとか。八百屋惣右衛門という者が、仕入れた梅干しを高値で売るために団右衛門と一計を案じ、でっち上げた話だった。情報の上っ面に踊らされると憂き目に遭う。現代に通じる教えだろう。(産経新聞・2025/07/13)

 蛇足 飽きもしないで「日乗(日記)」を続けて二年余が過ぎました。毎日書く内容にほとんど意味がないのは、自分の生活は、実に取るに足りないもの(無意味)で成り立っているということの証明(確認)であり、ひいては、それがぼくという人間の「空っぽさ」の証明でもあると、何ともお恥ずかしい限りでした。「今日は何をしたか」と思い出すのも困難な、老いの日々を過ごしている。まさに「よしなしごと(trivial matters)」ばかりでぼくの日常(ordinary)は出来上がっているし、それに不満や不平を覚えるのではない。そう考えると、長い人生もまた『とるに足りないことばかり』と思えてくるのですから、ぼくのようなふしだらな人間でも、それなりに考え込んでしまう。そんな「とるに足りない事柄」にいのちを擦り減らすというのも、また「人間の状況・条件」ですね。「日々、これ事(異)もなし」と知るだけが、駄文を書いて得る報酬でもあるんでしょうか)

 「名利に使はれて、静かなる暇無く、一生を苦しむるこそ、愚かなれ。/ 財(たから)多ければ、身を守るに貧(まど)し。害を買い、累(わずら)ひを招く媒(なかだち)なり。身の後には、金(こがね)をして北斗を拄(ささ)ふとも、人の為にぞ煩(わづら)はるべき。愚かなる人の、目を喜ばしむる楽しみ、また、あぢきなし。大きなる車、肥えたる馬、金玉(きんぎょく)の飾りも、心有らん人は、うたて、愚かなりとぞ見るべき。金(こがね)は山に捨て、玉は淵に投ぐべし。利に惑ふは、勝(すぐ)れて愚かなる人なり」(「徒然草 第三十八段」)(*「金をして北斗を拄ふ」とは、白楽天の「勧酒」にある「身後堆金拄北斗」、「身後金を堆(うずたか)くして北斗を拄ふとも…」による。死んだ後に北斗星を支えるくらいの莫大な金玉を遺したところで、そんなものは、「不如生前一樽酒」、生きているうちのひとたるの酒の値打ちもないじゃないか」に倣う。兼好さんの思想でしたね)

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「徒然に日乗」(787~793)

〇2025/07/13(日)曇り空が続き、気温も25℃を少し超えたような塩梅だった。午後も遅くになって雨が降り出し、今も降り続いている。(ただ今、夜9時過ぎ。室温28℃、湿度77%)これは梅雨前線の影響ではなく、南海上に発生した熱帯低気圧(台風5号に代わる見込み)によるものらしい、明日には房総半島に接近する、そのための先触れの降雨だろうと思う。幸いなことに風速は強くなく、最大でも30㍍以内、大きな影響があるとは思わないし、そう願っている▶午後何時ころだったか、横浜の娘から電話。「今京都・清水寺にいる」「明日は万博に行く予定」という。おりしも京都は祇園祭の季節(宵山だったか)、混雑しているかと思いきや、そうでもないという。とにかく「熱中症」に気を付けて、無理をしないようと伝えておいた▶参議院選挙も投票日(20日)が近付いている。事前の予想もいろいろと報道されているが、自民党・公明党の与党が過半数割れ確実と報じられているし、「極右」政党が大きく勢力を伸ばすと予想されている▶日米関税交渉の決着はどうなる(つく)のか、方向も結末も予測不能だと思われる▶中国の習近平主席が健康不安から失脚したらしいとの報道が出ている。Bricks(7月7日)への出席を取りやめたり、動向報道が中断されていたり。健康不安説や内部(軍事委員会)闘争説も出ていたところ。胡錦涛氏の画策が糸を引いているとの情報も。対米、対中関係の今後に留意せざるを得ない。(793)

〇2025/07/12(土)午前中に茂原まで買い物に。夏休み前だったが、やや混雑していた。帰宅後は少し仮眠をとる。睡眠不足と体の疲れが残っているようで、いくら休んでも気力・体力が戻らない感じ。▶気温は低く、梅雨前線の影響が顕著だった。気温は25度未満だったと思う。なお、南海上に熱低が発生しており、明日には台風5号に発達するとの報道。2019年の台風19号の記憶が離れなくなっている。(792)

〇2025/07/11(金)昨日に続いて、気温は高くなく、凌ぎやすい一日。時には雷鳴もとどろき、短時間、少雨もあったようだ。雷の発生がわかると、直ちに停電に備える習性がついている。PCの電源を切り、用心をすることにしている。雷鳴の轟は短時間。直ちに現状復旧、PCの前に座る▶本日は終日、自宅に籠っていた。疲れが抜けきらず、このところ、少し仮眠をとることが続いている。ほんの短時間だけ、除草作業をしてみたが、器械の調子も今一つで、直ちに中止。このところ、庭作業もしばらくは中断状態。(791)

〇2025/07/10(木)前線の関係で、昨日より10℃以上も低い、むしろ肌寒い一日だった。ただ今、夜9時。室温25.4℃、湿度71%。明日は一転して晴天らしい。南方海上に熱低(台風5号になりそう)が発生、大荒れの天候が続くか▶参議院選挙では特に「排外主義」「日本人ファースト」が叫ばれて、異様な事態を迎えそう。この「右翼ブーム」が一過性のものか、永続して政治勢力として存在するようになるのか、少なからず注目されるだろう。ある種の世界の政治現象の劣島における発現としてみるとどうなるのか、今少し検討を要する課題ではある▶日米関税問題がどうなるのか、更に展望が見えてこない。これまでも指摘しているように、急いでアメリカに懇願も媚諂(こびへつら)いもせず、相手の出方を見る必要があるだろう。この国も、対米関係においては今ある形や姿を変えるきっかけにもなりかねない問題なのだから。(790)

〇2025/07/09(水)灼熱の予感。このところ全く雨の気配すらないが、別の土地では驚異的な豪雨が襲っているという異常さ。この十日ほどは雨が一滴も降っていないかもしれない、それほどの高温多湿な天気が続いている。さすがに、これまでの疲れ(何をしたわけでもないのに、ただ息をしているだけで熱中症になりそう)のためか、体が重く、疲れが激しい▶昼前にあすみが丘へ、猫缶を買うために出かける。帰路、自宅の横を素通りして緑ヶ丘に生き、業務用スーパーで「麦茶500㎖」×24本を購入。とにかく、庭仕事をしないでいても水分補給は欠かせない。一日当たり、2㍑は摂取するだろうか▶参議院選挙の状況をほんの少しばかり見る。大半はネット上で探すが、目に留まる情報は皆無秩序・虚偽情報氾濫状態。日一日と情報の質が酷くなるのが手に取るようにわかるのだ。物凄い、手に負えない事態になってしまったと思う。これを、いろいろな面で立て直すのは容易ではないとおもう。間違いなしに、落ちるところまで落(堕)ちるのだろうか▶対米関税交渉の先行きも展望は開けていない。(789)

〇2025/07/08(火)朝から酷暑の予感。猫たちは外で過ごす時間が多くなる。朝4時起きしたが、その時には、いくつもの猫たちは外で休んでいた▶朝から睡魔が襲って、何もできない状態。朝ご飯抜きにして仮眠をとる。睡眠不足ばかりではなく、体力の消耗が激しいと感じる。本格的に眠ってしまったようだ▶ほとんど終日自宅内にとどまり、ひたすら休息をとることにした▶昨日、日本への関税が25%であるとの報道があった。細かいことは抜きにして、従来の日米関係を基本的には考えなおす必要が出てきた段階に入ったと思う。「25%の関税を少しでも下げてほしい」という懇願外交ではなく、「アメリカの輸出品にも25%の関税を」と提案したらどうか。そのさきにはさまざまな変容が生まれるだろうから、それに惑わされずにていねいに進路を探るべきだろう。恐らく、この先にも<TACO>である人間と、まともに付き合うことはできないと思う。日米安全保障条約を再考すべき好機ではないか。(788)

〇2025/07/07(月)本日も朝から酷暑の様相。昼前に少し仮眠をとる▶午前中に買い物で茂原まで。ついでに昨日の出前の寿司樽を勢寿しまで返却に行く▶かなり疲れが残っていると思う。あまりにも暑いこともあって、日差しが弱くなるまで外には出なかった。ほんの少時感、除草作業をする。「ナイロンコード」を使用した刈払い機の試用のつもり。十分ばかり作業をしただけで汗が噴き出してきた。作業終了後、シャワーを浴びて、汗を流す。まだまだ酷暑が続く予感がする▶鹿児島吐噶喇列島近辺の群発地震域がさらに「拡大・膨張」したかと思われるほど。おそらく能登半島地震と同じようなメカニズム(隆起と陥没)が地下で働いているのではないかと疑っている。ただ今、午後9時40分。室温29.9℃。湿度75%。(787) 

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「汝、気概はありやなしや」

【小社会】なめられてたまるか 政治評論家の故岩見隆夫さんに「なめられてたまるか」と題した随想がある。1990年代後半。貿易摩擦に伴う米国のジャパン・バッシング(日本たたき)がパッシング(素通り)に転じた、とささやかれていた。❖時のクリントン大統領が、異例の9日間にも及ぶ日程で訪中した。日本はまさに素通り。岩見さんは、米国の真意を探っているようには見えない外交当局を「お粗末」と断じる。❖米中交渉では、貿易赤字の削減を迫る米国側に中国の首相がこう切り返していた。「中国にあるあなた方の工場を全部撤収すれば、中国貿易は間違いなく黒字になる。しかし、米国内の物価は上がりますよ」。岩見さんは「なめられてたまるか」の気概と書く。むろん、中国の覇権主義が今ほどあらわではない時代だが。❖参院選で、石破首相が発言した「なめられてたまるか」が波紋を広げている。トランプ米政権との関税交渉を巡り「同盟国であっても正々堂々言わなければ」。強い指導者を演じ、劣勢を脱したい焦りともされる。❖反応はさまざまのようだ。どう翻訳されてトランプ氏に伝わるか。「交渉のハードルが上がった」という心配も。かたや「国内に言わず米国に言え」という声にもうなずくところがある。❖土佐弁でいえば「なめたらいかんぜよ!」か。現首相に限らず、言うべきことを言えているかは日米関係の宿題とも思える。たんかを切る必要はないにしても。(高知新聞・2025/07/13)

◎ 週の初めに愚考する(七拾八)~ 「なめる」とか「なめられる」とか、あまり美しい物言いではありません。けれども、已むに已まれず言い放つ、そんな「啖呵」にも聞こえてきます。この場合、時の総理大臣が、並みいる野党(実は、その大半は与党の補完、二軍・三軍)に向かって吠えたともとれるし、身内(自民党・公明党)の、よからぬ姦計(謀反)をたくらんでいる連中に向けた「捨て台詞」的放言でもあったでしょう。でも、実際のところは、いかにも無謀・無礼限りない米国大統領に投げつけた、喧嘩も辞さない投げ科白(せりふ)だと受け取られたのですから、当人としては「してやったり」だったかもしれない。そして、この暴言が米国にどのように伝わり、大統領の耳に届くかが思い図られます。あるいは、日米現行体制にひびが入るかもしれないが、ぼくには願ったり叶ったりですね。

石破総理「なめられてたまるか」日米関税交渉めぐり|TBS NEWS DIG(https://www.youtube.com/watch?v=ypaHv9OXAK4

 「これは国益をかけた戦いです(This is a battle for national interests.)」「なめられてたまるか(I can’t stand being looked down upon)」「わたしたちはたとえ同盟国であっても正々堂々言わなければならない(We must speak up, even to our allies)」「守るべきものは守っていかなければならない(What needs to be protected must be protected)」

 その言やよし。図体のでかさに似合わない虚弱体質としては精いっぱい、虚勢を張ったというべきです。「なめられてたまるか」というのは総理の万感の思いを、処方に向かって吐露した一言であって、なにも米国向けであると取る必要もないのです。それは本音なのかというなら、今は亡き、岩見隆夫氏の指摘するように、ある種の「気概(spirit)」だったと思う。もちろん、そんなことを言って、却って総理には「危害」になると思われもしますが、乾坤一擲、イチかバチかで発した肺腑の言だったんじゃないですか。そしてこのような「捨て台詞」を言わしめたのが、なにあろう千葉県は船橋の一場(選挙演説会場)だったことを、ぼくはある種の感慨を持ってみていました。さもあらん、千葉県に来ると「(やくざ並みの)血が騒ぐ」のでしょう。詳しくは言わないが、房総半島は「暴走半島」で、これまでにもたくさんの「やくざ」の出入りがありました。中でもぼくがが好きなのは「平手造酒(ひらてみき)」(本名は平田三鬼)。彼を謡った流行歌「大利根月夜」も大好き人間。「利根の流れをながれ月」と詠むのは藤田まさとさん。M大出の作詞家。長津さん(H大出)にも惹きつけられていた時代があります。この両氏は「やくざ歌」コンビでした。

◉平手造酒 (ひらて-みき)=講談・浪曲の「天保水滸伝(すいこでん)」の登場人物。江戸時代後期の剣術家。千葉周作の門下。酒がもとで破門され,胸の病におかされながら下総(しもうさ)で博徒の親分笹川繁蔵の用心棒となる。天保15年飯岡(いいおか)助五郎一家との大利根河原(おおとねがわら)の決闘で奮戦,重症を負って死ぬ。平田深喜(みき)という実在人物がモデル。(デジタル版日本人名大辞典+Plus)(*田端義夫「大利根月夜」https://www.youtube.com/watch?v=NmNLXy7jtn8&list=RDNmNLXy7jtn8&start_radio=1

大利根月夜 作詞:藤田まさと 作曲:長津義司
歌唱:田端義夫 制作:滝野細道(昭和14年)
(一)
あれを御覧と 指差す方(かた)に
利根の流れを ながれ月
昔笑うて ながめた月も
今日は 今日は涙の 顔で見る
(二)
愚痴じゃなけれど 世が世であれば
殿のまねきの 月見酒
男平手(ひらて)と もてはやされて
今じゃ 今じゃ浮世を 三度笠
(三)
もとをただせば 侍育ち
腕は自慢の 千葉仕込み
何が不足で 大利根ぐらし
故郷(くに)じゃ 故郷じゃ妹が 待つものを

 コラム「小社会」氏が挙げられている岩見隆夫氏(元毎日新聞社記者)「なめられてたまるか」は、時の朱鎔基氏(中国首相)がアメリカ大統領クリントン氏に対してなげつけた「気概」だったというのはその通りで、1998年6月段階の米中関係を如実に表している場面だったと思う。変われば変わるもの、今ではアメリカ大統領が「なめられてたまるか」と言い放ちながらも、「なめられている」始末。問題は日本の総理が、この当時の中国首相の「科白」を知っていたかどうか、知らなかっただろうという可能性は強いが、よしや、それでも止むに止まれぬ「気概」を吐いたとアメリカにではなく、国内向けと受け取られればしめたもの。どんな表現にせよ、「言うべきことを言う」のは外交の大前提。I 総理の悲劇は党内基盤が極めて薄弱だし、そのことは諸外国の首脳にも知られている。だからこその「やけくそ(desperation)」的放言だったと思う。もちろん、それは計算の上でのこと。選挙の情勢は極めて劣勢だと報じられている。その通りかもしれないが、彼一人が責任を負うべき筋ではない、歴代の自民党政治そのものが国民を、それこそ「なめてきた」ツケがここにきて露見しているだけ。 

 彼が自民党総裁に選ばれたとき(2024年9月)、「じたばたするな」「梃子でも動かなければ三年(任期)は持つ」とぼくは断じました。実際その通りで、下手に動けば、揚げ足を取られる。もちろん、二世議員でもある彼を、ぼくは評価していない。確かに一言居士(しゃべるだけ)ではあるが、勇気がない、腰が据わらない、惰弱壮士だから、という理由によって。選挙は一種の「討ち入り」のようなものですから、彼が平手造酒になれるかどうかはともかく、啖呵の一つや二つを口にしてもおかしくはありません。問題は筆者にもある、…。こんなところに「大利根月夜」が出てくるのですから、ぼくには根っからの「やくざ」の気性があるんだと痛感している。「男平手ともてはやされて」「今じゃ憂き世を三度笠」というのは、いかにも落魄著しい、老残の身に利根の川風が冷たいんですね。

 日米の同盟関係を揺るがしてでも、これまでの隷属外交による属国意識を蹴飛ばす好機だと思うが、どうだろう。とても無理だということは確信しています。そしていま、にもかかわらず「日本人ファースト」を叫ぶというちぐはぐぶり。「弱きを挫(くじ)き、強きを助ける」という卑怯千万。要するに、この時代の政治家は、おしなべて「内弁慶(brave at home)」なんですな。

 蛇足 本音を言うなら、現総理は「泣いてたまるか」(TBSテレビドラマ、 1966~1969)と叫びたかったんだ。主人公役の渥美さんの演技は秀逸だった。「男はつらいよ」なんか、比べることもできないほどの素晴らしさでしたと、ぼくは評価していた。人間、時には「泣いてたまるか」と意地を張るんだね。強情であることは大事ですよ。それこそ「人間の沽券(こけん)にかかわるんだ。「なめられて…」より、はるかに弱い人間の本性(ほんしょう)が出ていますね。

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