
桜、ふわりと高知市で開花 3年連続全国トップ、昨年より7日早く 高知地方気象台は16日、高知城のソメイヨシノが開花したと発表した。岐阜、甲府と並んで全国で最も早く、高知は3年連続のトップ。開花日は昨年より7日、平年より6日早かった。/この日、三の丸にある標本木で宣言の基準となる「5、6輪」を満たす6輪が開花。前日は3輪しかなかったが、連日の陽気にふわりとほころんだ。気象台職員によると、この冬は平均気温が平年並みで推移。「ちゃんと冷え込んだ後に暖かくなり、咲きやすかったのでは」と話した。1週間ほどで満開を迎えるという。/開花宣言の場には報道陣のほか、近くの丸の内高校音楽科の1年生10人も居合わせ、中田結斗さん(15)は「花びらの中に濃いめのピンクがあってかわいらしい」とにっこり。見物に来た高知市の男性(49)は「一杯飲みたくなるね」と早くも花見酒を楽しみにしていた。(森本敦士)(高知新聞・2026.03.16)

全国トップ、岐阜市と高知市でソメイヨシノ開花 岐阜は平年より9日早く 岐阜地方気象台は16日、岐阜市でソメイヨシノが開花したと発表した。平年より9日早く、高知市、甲府市と共に、全国の観測地点でトップの開花となった。同日の開花は1953年の統計開始以来、89年、2021年、23年と並び最も早かった。/岐阜市では16日午前、清水川堤の標本木で、開花の基準となる5~6輪が咲いているのを気象台職員が確認した。気象台は「「2月中旬から平年に比べて気温が高く推移しており、早い開花につながった可能性がある」としている」(中日新聞・2026/03/17)
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WBCでは中途半端な「盛り上がり」ならぬ「盛り下がり」で、いささか消化不良気味だった、この劣島、彌生半ば過ぎ。(ニュースなどでも「サムライなんとか」が想定外に早く敗退したのを残念がっていましたが、ぼくには、精神の健康上はいいことでした。「ほかに何か伝えることがないのか」といいたくなるほどに、この島のメディアは「国民を愚か者にしたい」という、わけのわからない企みで、時を択ばず「五輪」や「野球」をのべつに報じている。そんなこととは露知らず、気づけば、ガソリン代は1ℓが200円超になっており、物価は鰻登りの狂乱の巷(ちまた)です。
「政治はどこにあるのか」と探しても見つかず、ようやくアメリカ経由で、「どうやら日本はイラン戦争に参戦するらしい」と伝わってきます。「知らぬが仏」というか「知らぬは亭主ばかりなり」というべきか。よそでどんなことが起こっているのか、「知れば腹も立つが、知らないから仏のように平静でいられる。また、本人だけが知らないで平然としているのを、あざけっていう語」(デジタル大辞泉)だそうです。(「侍ジャパン」の面々、世が世なら確実に招集され、「兵士として、戦場へ」となるに違いありません。「世が世」はすぐそばまで来ているような。「知らぬが仏」なんて呑気な話じゃありませんよ)

いいことも悪いことも、できれば「知らぬが仏」でいたいものですが、そうであればなおさら、最後は「仏の顔も三度まで」ということになるのではないでしょうか。「《いかに温和な仏でも、顔を三度もなでられると腹を立てるの意から》どんなに慈悲深い人でも、無法なことをたびたびされると怒ること」(デジタル大辞泉)といわれます。果たしてこの国は、アメリカという「ならず者」にいいようにあしらわれ、それでも「尽くし足りない私が悪い」(都はるみ「大阪しぐれ」)と、それこそ健気に、痛々しいほど「物心両面」で、分を超えた「年貢(「カタログギフト」という)」を差し出してきました。(「大阪しぐれ」:https://www.youtube.com/watch?v=yf-QRA6wQKo&list=RDyf-QRA6wQKo&start_radio=1)
昨日の国会審議を見ていても、とてもではないけれど、素面(しらふ)では見ておれない、不真面目な場面が続きます。ペルシャ湾を航行する石油タンカーの護衛(escort)をアメリカから命じられたにもかかわらず、「そいう要請は来ていない」と噓をつく首相の、毎度おなじみのお始末。「答弁は面倒」「国会審議は時間の無駄」という素ぶりがありありです。実に高慢に、傲岸に、不遜に構えているのが見てとれました。これぞ「独裁の姿勢・態度」だとぼくには痛いほど感じられた。強弱には関係なく、その姿勢には、他者のいうことを聞く耳を持たずに、やりたいことだけを好き勝手にやるだけという「乱暴狼藉」を働くこと。醜いし、国民からすれば許しがたい「醜悪」「不埒」な態度に見えます。(「知らぬが仏」の類語には、「 人生字を識るは憂患の始め」「 聞かぬが仏、聞くは気の毒、見るは目の毒」「 世間知らずの高枕」「 見ぬが仏、聞かぬが花」「 知らぬが仏、知るが煩悩」とまあ、わかったようなわからないような)

今回のアメリカ・イスラエル共同謀議(実体は「イ主ア従」だった)の「イラン爆撃」は、どこから見ても「国際法」の明らかな違反。そして、国是ともなっているらしい「力による現状変更」は断じて認められないとする従来の政府の立場からも、どう転んでも自衛隊はもちろん、警察力(海上保安庁)だってペルシャ湾に派遣し、アメリカの露払い(尻拭い)をする理由(根拠)は出てこない。
まるで「針の穴にラクダを通す」ような無理筋を政府・首相は考えているようだが、世界の笑い者・除け者になるだけ。アラブ諸国の多くは反イスラエル・反アメリカですから、その「両国愚連隊」に日本が加担し、与することは、彼(アラブ)の国々には不愉快この上ないこと。しかし、すでに「自衛隊を出す」とアメリカ大統領に「告げてしまっているらしい」のですから、前門の虎・後門の狼で、この窮地にあって、少しでも知恵が残されているなら、首相はまた「仮病(feigned illness)」を言い出すしかないんじゃないですか。昨年の秋に「首相就任」してから、いったいこの女性は何度「仮病」「偽りの言動」という常套手段を使ったことでしょう。訪米を回避する(「飛んで火にいる春の虫」にならないために)、唯一の得意芸を、ここでこそ使うべきでしょうよ。(彼女は、故元首相の近くにいたから、実に巧妙に「仮病」や「虚言」を使いますな。まるで、故首相そっくりですよ。ところが、事情通に言わせると、「故元首相は彼女が嫌いだった」は、なんとも気の毒というか、魂胆があっての交流・厚情紛いなんですね)「嘘も方便が、この首相の習い性になっているのですから、何も驚くほどのこともないのですが、このまま居座る限り、ただでさえ減り続けている「国益」は「スッカラカン」になるはずです。
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昔からことわざの如くに「三日見ぬ間の桜かな」と申します。元句は「世の中は三日見ぬ間に桜かな」で、作者は大島蓼太(おおしまりょうた)さん(1718-1787)。この句が人口に膾炙(かいしゃ)したのかどうか、「三日見ぬ間の桜」が定着してしまい、まるで「ことわざ」扱いされてきました。世の移り変わりは、まるで「咲いて散る桜」のようで、早いのなんのって、とまあそんな具合に語られてきました。しかし、元句は「三日見ぬ間に」とあります。「見ぬ間の桜」と「見ぬ間に桜」とでは全く意味・気配・心持が違ってくるでしょう。これ以上は言いませんが、なかなかに「見ぬ間に」は含蓄がありますね。
もう一、二の蓼太句を。「鹿もよく寐て 朧なり奈良の月」「むつとしてもどれば庭に柳かな」などがあります。「むつと」は「むっと」なるやつです。「カッとなる」ほどのようには血圧は上がらないでしょうが、「この野郎」という感情の荒(すさ)びは変わりません。この二句、何んとも「おかしい」「滑稽」でしょう。芭蕉復興を唱えた人だけあって、その作風はなかなかに洒脱であり、しかも句形も整っているのですから、いうことなしでしょか。洒脱とは「俗気がなく、さっぱりしていること。あかぬけしていること。また、そのさま」(デジタル大辞泉)咲くのは早いが、散るのも早いという桜、はたして「三日見ぬ間(の・に)」の桜は「咲く前か」「咲いた後か」と、余計なことを空想してしまいます。「奈良の鹿」もなかなかに深み・悠揚迫らず、という雰囲気があるでしょう。三百年前の「奈良の鹿」はぐっすり寝られたんですね。今日は大いに「喧噪」に巻き込まれています。「鹿同士」、あるいは「鹿と人間」の喧嘩が絶えないとも聞きます。
ぼくは大島氏については、いくつかの作品以外はほとんど知るところがありませんから、先覚知識に教えられています。「東西の吟行50余度、俳書の編著200有余、文台(ぶんだい)を許した者40余人、門人2000余に及んだという。芭蕉(ばしょう)復帰を唱え、その研究と顕彰、江戸俳壇の刷新、俳諧の普及など、天明(てんめい)期(1781~1789)の俳諧復興に果たした功績は絶大」とあります。学びたいですね。

◎ 蓼太(りょうた)(1718―1787)= 江戸中期の俳人。大島氏。本姓吉川(きっかわ)氏。名は陽喬(ようきょう)。通称平助または平八。別号雪中庵(せっちゅうあん)、宜来(ぎらい)、空摩居士(くうまこじ)など。出生については木曽(きそ)、松代(まつしろ)、江戸などの説もあるが、信濃(しなの)伊那(いな)郡大島(長野県上伊那郡飯島町)が最有力である。蓼太の幼少時に一家は江戸に出て幕府の御用縫物師を勤めた。初め点取俳諧(はいかい)をしていたが、雪中庵2世吏登(りとう)に入門、しだいに頭角を現した。その間、奥羽、関西を行脚(あんぎゃ)、各地の俳友と交流し見聞を広め、1750年(寛延3)に雪中庵3世を継いだ。『続五色墨(ごしきずみ)』結成や『雪おろし』によって江戸座宗匠の旧態を批判し、江戸俳壇に地位を占めた。その後、宝暦(ほうれき)・明和(めいわ)・安永(あんえい)期(1751~1781)の活躍は目覚ましく、完来編『藤衣(ふじごろも)』(1787)によれば、東西の吟行50余度、俳書の編著200有余、文台(ぶんだい)を許した者40余人、門人2000余に及んだという。芭蕉(ばしょう)復帰を唱え、その研究と顕彰、江戸俳壇の刷新、俳諧の普及など、天明(てんめい)期(1781~1789)の俳諧復興に果たした功績は絶大であった。俳風は平明を理想としたが通俗的な傾向もみられる。編著は『ほうぐ袋』(1743)、『七柏(ななかしわ)集』(1781)など多数ある。天明7年9月7日没。(日本大百科全書ニッポニカ)
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閑話休題 この国は米国の「下駄の雪」であることが「国是」となってしまいました。でも、この「下駄の雪(まるで、ある諸氏にとっては「憲法」のようでもある)」も壊れる時が来ているという感慨をぼくは強くしています。「踏まれても 蹴られても ついて行きます 下駄の雪」は、誰がいつ作ったかよく知りません。ありそうな話はいくらでも出せますが、ようするに、「下世話な話」のなれの果てのようにも思われます。日米関係の経過とその事情が「敗戦後(八十年前から)」、徐々に明らかになるにつれて、この「与太話」は深刻になり、今では西に向かって「三拝九拝」するほどになりました。詰まりは「西岸遥拝」ですね。いつのころからというなら、敗戦直後から、ですが、これほどまでに、酷くなったのは K.純一郎首相以来でしょう。その程度がますます異様になってきて、今は極端に「米様、一辺倒(complete devotion to one side)」です。アメリカ一本鎗、そのためには国民にも、国会議員にも、言うべきことを言わないままで、首相の心はワシントンに一直線。「心ここにあらず、ワシントンにあり(My mind is elsewhere, I’m in Washington.)」、国会審議を見ていて、ぼくはそう勘繰りました。嫌になりますね。(左は鈴木春信画「下駄の雪取り」18世紀)
聞くところによると、与党内部では「次の首相選び」が始まっているそうです。圧倒的多数の議席を占めていながら、その権力を行使できない首相(権力者)とはどういう存在でしょうか。権力行使、権力維持のためには万難を排して「仮病」を使い、「虚言」を弄し、党を売り国まで売る覚悟だと見透かされたからの、謀反の発生だといえないでしょうか。国防(軍事)費に国家予算の五分の一近くも浪費し、果たしてどこと戦うのか。軍備を整え、いざ「戦闘開始」となった段で、資源(油)はどうするんですか、基本の基、大問題が残されていました。あらゆるものを動かす燃料はどうしますかね。誰かが「都合」「調達」してくれるんでしょうか。戦車や爆撃機を装備したところで、それを動かす「燃料」は、切羽詰まれば米・中に塩梅してもらって、そういうことがあったとして、さていったいどこと戦うつもりか。馬鹿も休み休みにしてくれませんか、とぼくは言いたくなっています。「頭隠して尻隠さず」というのではなく、日本にとって、「備え(早苗)あれば憂い(国難)あり」ではないですか。再び、三度、「君、国を売りたまふこと勿れ」といいます。

(⁂ Sister Act- I Will Follow Him:https://www.youtube.com/watch?v=VPpd-6X3tEo&list=RDVPpd-6X3tEo&start_radio=1)(When Jesus spoke again to the people, he said, “I am the light of the world. Whoever follows me will never walk in darkness, but will have the light of life.” John 8:12New International Version)

(⁂ Little Peggy March – I Will Follow Him (Audio)(https://www.youtube.com/watch?v=zUMqnS_y9kI) (◎ 「愛のシャリオ」(Chariot, 英題:I Will Follow Him 伊語:Sul mio carro)とは世界的にヒットしたスタンダードポップスである。別題で「恋のシャリオ」もある。「フランク・プゥルセルとポール・モーリアが1961年にJ.W.ストール(=プゥルセル)およびデル・ローマ(=モーリア)の変名で発表したインストゥメンタルであり、翌62年に欧州ではペトゥラ・クラークによるボーカル曲「愛のシャリオ」としてヒットし、日本とアメリカではペギー・マーチによるボーカル曲「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」として世界的にヒットした」)(Wikipedia)
I will follow Him Follow Him wherever He may go, And near Him, I always will be For nothing can keep me away, He is my destiny. (Omitted) There isn't an ocean too deep, A mountain so high it can keep, Keep me away, away from His love
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