己が骨くずれゆくさまは目に見えねど

 現首相の広島原爆記念式典における「あいさつ(挨拶)」を聴きました。いろいろな評価があるのは当然で、だから、今回のものも例に漏れません。しかし、直近3人の歴代総理大臣のものとは根底において異なっていた、とぼくは思う。誰が書かれたものか知りませんが、そこに書かれている言葉を、首相は自分の心の裡にある思想(姿勢)として読まれたと思う。こんなことが評価されること自体、きわめて恥ずかしい限り。しかし、事実は事実、歴代の首相は役職柄からおざなりの「挨拶」はするにはするが、心ここにあらずという為体(ていたらく)、他人の書いた文章を読み下す、だから漢字が読めない「事件」も起こるのでしょう。恥ずかしい限り。ぼくは現首相を持ち上げているのではありません。他が屑だから、それに比べれば…、というだけのこと。(ヘッダー写真:毎日新聞・https://mainichi.jp/tpnw/

 しかし、「核兵器」「核戦争」に関しては何かと御託は並べたが、「核兵器禁止条約」に関しては片言隻語(へんげんせきご)も触れるところはなかったというお粗末さ。漫言(まんげん)を費やして心情を吐露したかに見えて、「核兵器禁止」には「腫れ物に触る」体であった事実は前例踏襲だったから、残念だけれども「日本国の総理大臣というのはこの程度のもの」と吐き捨てるほかないのです。原爆投下の惨(むご)さをいか程語ろうとも、「『核戦争のない世界』、そして『核兵器のない世界』の実現に向け、全力で取り組んでまいります」と型通りの文言を連ねてなお、多くの批判が出るのは当然のこと、「核兵器禁止条約」の即刻参加(調印)は無理としても、せめて締約国会議には「オブザーバー参加を」という多くの人々の悲願さえも無視してしまうのはなぜか。

 それもこれも、「宗主国」の御意向には逆らえないということでしょう。恥ずかしい限り。アメリカの軛(くびき)から一ミリでも二ミリでも外れることをこそ自らの使命にしていたのではなかったか。「おかしいことはおかしいとはっきり言う」と繰り返し口にしていたのではなかったか。と、それを、いまここで言ってはおしまいだとわかっているのだが。米国の尻馬には乗るけれど、その威光に盾突けないという現状認識を世界に白状したのですから、罪作りな総理、とぼくは言いたいですね。もちろん、「ないものねだり」はしないし、現状追認しか道が残されていない、それも知悉しているつもり。だから、情けなさは人一倍感じてしまうのです。

 (本日は長崎にての「記念式典」です。これまで三代の総理大臣は「広島版のコピペ」だと言われました。恥ずかしい限りだけれど、役目上のお座なりが習い症(性)なっている、それが被爆された方々の精神を踏みにじっていることに些かの感受性もないのです。中には「一ページを読み飛ばしても」気が付かない愚者もいました。別人の葬儀で「同一・同内容の弔辞」読む神経というもの、それは神経ですらないでしょう。この上なく、恥ずかしいこと。恥ずかしいこと、この上なし、ですぜ。現首相もまた…)

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【あのころ】長崎に原爆投下 7万4千人が死亡 1945(昭和20)年8月9日、午前11時2分、米軍が長崎市に原子爆弾を投下した。松山町の上空500メートルで爆発し、熱線や爆風、放射線を浴びた人々約7万4千人が同年末までに死亡した。広島市に続いての非人道的な核兵器の使用で今なお健康被害に苦しむ被爆者は多い。惨状は3カ月を経た11月の撮影。(共同通信・2011年08月09日 08時02分)(右ー写真も)

【金口木舌】学生の頃、市民が社会や政治を変えることなんて「できない」と悲観していた。為政者や権力者が牛耳っていて、市民なんて無力な存在だと▼その考えは変わった。沖縄県は広島県が主導して核兵器廃絶を目指す国際団体「グローバル・アライアンス」への加入手続きを進めている。長崎県も加入しており行政が中心に思えるが、24カ国の36団体、67個人が参加する▼ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の広島県組織もその一つ。戦争、核兵器使用で犠牲になるのは多くの一般市民だ。核兵器廃絶を求める声に押され、国際社会も変化しつつあるように思える▼今日で長崎に原爆が投下されて80年。平和祈念式典で長崎市長が読み上げる長崎平和宣言は被爆者や若者ら市民も参画する起草委員会による議論を経て作成された。「地球市民」との理念を打ち出し、核兵器廃絶の決意を表明する▼一方、日本は被爆国でありながら核兵器禁止条約を批准せず、7月の参院選では「核武装が最も安上がり」と発言した参政党の候補が当選。政治には期待できない。変革のため、希望を託せるのは市民だ。(琉球新報・2025/08/09)

【明窓】風化させない怒り きょうは長崎原爆の日 4月に熊本市内であった水俣病の講演会。地元のジャーナリスト高峰武さんは、水俣病の捉え方について切り出した。海に流した工場排水に含まれたメチル水銀が入った魚を食べたことで起きた、川で例えれば上流から下流へと汚染された事件と解されているが「違うと思う」と。「家族団らんの夕餉(ゆうげ)の魚が侵された、命の根源である食卓に起きた事件だということを考えたい」と訴えた。◇この言葉に、作家の林京子さん(1930~2017年)の長崎での被爆体験を基にした小説『祭りの場』を思い出した。「松山町の破壊された街を眺めたとき、私はフイゴを吹く老人を想(おも)い浮(うか)べた。七輪で鰯(いわし)を焼く家族の団らんを想い浮べた」「破壊も平和も私の場合家族にしかつながらない。国家は常に遠い存在だ」。◇松山町は爆心地。学徒動員中の林さんは1・4キロ離れた工場にいた。九死に一生を得たが、結婚や出産、子育てなどさまざまな場面でもたらされる被爆の影響に苦しみ、人類が犯した罪への怒りを小説に書き続けた。◇戦争を始めた国家の犠牲になるのは暮らし、破壊されるのは日常だ。「国家は常に遠い存在」と記した林さんは、文化庁主催の芸術選奨新人賞の内示を「被爆者であるから、国家の賞は受けられない」と辞退したという。◇あらゆる核がもたらす惨劇は今も絶えない。林さんをはじめ、被爆者の怒りを風化させてはならないと強く思う。(衣)(山陰中央新報デジタル・2025/08/09)(左写真も。「祭りの場」が芥川賞に決まり、喜びを語る林京子さん=1975年7月、東京都内のホテル)

 (若いころ、かなり熱心に林さんの作品を読みました。重い万感に籠る、そんな感情に浸されたことを懐かしく、そして悲しく思い出しています。「破壊も平和も私の場合家族にしかつながらない。国家は常に遠い存在だ」「被爆者であるから、国家の賞は受けられない」この時、国家という存在の理不尽さが作家を誕生させたし、その作家は、生涯を貫く「反国家」観を維持し続けたのではなったか。「破壊されるのは日常だ」という、ほとんどの犠牲者の声が林さんお作品の中で嗚咽しているように読んだものでした)

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 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式挨拶 今から80年前の今日、1発の原子爆弾が炸裂(さくれつ)し、十数万ともいわれる貴い命が失われました。一命をとりとめた方々にも、筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。/内閣総理大臣として、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊(みたま)に対し、ここに謹んで、哀悼の誠を捧(ささ)げます。そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心からのお見舞いを申し上げます。
 2年前の9月、広島平和記念資料館を、改装後初めて訪問をいたしました。80年前のあの日、立ち上るきのこ雲の下で何があったのか。焦土となり灰燼(かいじん)に帰した街。黒焦げになった無辜(むこ)の人々。直前まで元気に暮らしておられた方が4,000度の熱線により一瞬にして影となった石。犠牲者の多くは一般市民でした。人々の夢や明るい未来が瞬時に容赦なく奪われたことに言葉を失いました。/広島、長崎にもたらされた惨禍を決して繰り返してはなりません。非核三原則を堅持しながら、「核兵器のない世界」に向けた国際社会の取組を主導することは、唯一の戦争被爆国である我が国の使命であります。/核軍縮を巡(めぐ)る国際社会の分断は深まり、現下の安全保障環境は一層厳しさを増しています。しかし、だからこそ、国際的な核軍縮・不拡散体制の礎である核兵器不拡散条約(NPT)体制の下、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現に向け、全力で取り組んでまいります。/来年のNPT運用検討会議に向けて、対話と協調の精神を最大限発揮するよう、各国に引き続き強く呼びかけてまいります。また、「ヒロシマ・アクション・プラン」に基づき、核兵器保有国と非保有国とが共に取り組むべき具体的措置を見出すべく努力を続けてまいります。


 「核兵器のない世界」の実現に向け歩みを進める上で土台となるのは、被爆の実相に対する正確な理解です。
 長年にわたり核兵器の廃絶や被爆の実相に対する理解の促進に取り組んでこられた日本原水爆被害者団体協議会が、昨年ノーベル平和賞を受賞されたことは、極めて意義深く、改めて敬意を表します。/今、被爆者の方々の平均年齢は86歳を超え、国民の多くは戦争を知らない世代となりました。私は、広島平和記念資料館を訪問した際、この耐え難い経験と記憶を、決して風化させることなく、世代を超えて継承しなければならないと、決意を新たにいたしました。/政府として、世界各国の指導者や若者に対し、広島・長崎への訪問を呼びかけ、実現に繋(つな)げています。資料館の年間入館者は、昨年度初めて200万人を超え、そのうち3割以上は外国からの入館者となりました。日本だけでなく、世界の人々に被爆の実相を伝えていくことも、私たちの責務です。/「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」は、施行から30年を迎えました。原爆症の認定について、できる限り迅速な審査を行うなど、引き続き、高齢化が進む被爆者の方々に寄り添いながら、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策を進めてまいります。

 結びに、ここ広島において、「核戦争のない世界」、そして「核兵器のない世界」の実現と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを改めてお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊の安らかならんこと、併せて、ご遺族、被爆者の皆様並びに参列者、広島市民の皆様のご平安を心より祈念いたします。
 「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。「太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり」。公園前の緑地帯にある「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれた、歌人・正田篠枝(しょうだ しのえ)さんの歌を、万感の思いを持ってかみしめ、追悼の辞といたします。
                                             令和7年(2025年)8月6日
                                             内閣総理大臣 石破茂
                       (首相官邸:https://www.kantei.go.jp/jp/103/statement/2025/0806hiroshima.html)

◉ 正田 篠枝(ショウダ シノエ)= 昭和期の歌人被爆者。生年明治43(1910)年12月22日 没年昭和40(1965)年6月15日 出生地広島県 学歴〔年〕安芸高女〔昭和3年〕卒 経歴家業は製粉業。昭和20年8月6日の原爆で、爆心地から1キロの自宅で被爆、家は壊れ火傷を負った。小舟で宮島口に逃れた。悲惨極まりない地獄図絵を三十一文学の短歌にまとめ、「さんげ」と題し出版を考えたが、21年夏占領軍の検閲のため許可が取れず、私家版「さんげ」を秘密裡に出した。その後37年に「耳鳴り―原爆歌人の手記」として平凡社から出版された。(20世紀日本人名事典)

・雪の中をずぶ濡れの三吉が訪ね来て死の手術と知らず入院を告げぬ
・己が骨くずれゆくさまは目に見えねど死の恐怖感こころを去らず(正田篠枝)

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赤く蒼く黄色く黒く戦死せり

 「戦争が廊下の奥に立つてゐた」、白泉氏の名を一躍高からしめたこの句、詠まれたのは1939年。戦後は句作から離れて過ごされた。本日は余計な無駄話はしません。「ヒロシマ」「ナガサキ」原爆忌の間の時間、毎年のように、この忌日に、ぼくは思いを新たにし、さらに新たにします。その理由は、知己に被爆された方がいたというのでもなく、ぼく自身が被爆の危機を逃れたからというのでありません。原子爆弾の被害を避け得たのは、偶然の仕業、だから、広島・長崎の被爆犠牲者21万人の中に、ぼくもいたのだと思えてくるのです。戦争は惨(むご)いと、いまさらのように決まりきったことを言うのも憚(はばか)られますが、それだけ、惨たらしい「戦争」をどこか知らない他国と交えてみたい、そうしなければ、この国の沽券にかかわると狂った考えに毒された男も女も、一応に息を巻く、こんな「戦争を知らない(知ろうとしない)子どもたち」が社会の中核になる、わが国情に少しでも思いが至れば、非戦の刻々の永続せんことを、そう思うようになって何十年もが経過します。

 白泉さんのいくつかの句作品と、その句の解説を以下に引用し、ひたすら八十年目の「被爆忌日」に際して、頭(こうべ)を垂れて過ごすばかりです。(ヘッダー写真は、渡辺さんの県立沼津高校「教員時代」のもの)

「電車の中での高校生らしき二人連れの会話。「日本とアメリカって戦争したことがあるんだって」「うそ~、それでどっちが勝ったの?」……つい最近知った実話である。そんな彼等が修学旅行で広島へ長崎へ、遺された悲惨な光景に涙を流す。しかしそれは映画を観て流す涙と同質のものであり、やがて乾き忘れられていくのだ。体験していないというのはそういうことだろう。かくいう私も昭和二十九年生まれ、団塊の闘士世代と共通一次世代のはざま、学生運動すら体験していない。〈白壁の穴より薔薇の国を覗く〉〈立葵列車が黒く掠めゐる〉〈檜葉の根に赤き日のさす冬至哉〉鮮やかな色彩が季題を得て、不思議な感覚で立ち上がってくる白泉の句。しかし掲句にあるのは、燃えさかり、溢れ出し、凍え、渦巻く、たとえようもない慟哭に包まれた光景であり、それは最後に燃え尽きて暗黒の闇となり沈黙するが、読むものには永遠に訴え続ける。前出の会話は、宇多喜代子さんがとある講座で話されていたのだが、その著書『ひとたばの手紙から・戦火を見つめた俳人たち』の中で初めてこの句にふれ、無季だからと素通りすることがどうしてもできなかった。季題の力が、生きとし生けるものすべてに普遍的に訪れる四季に象徴される自然の力だとすれば、その時代には、生きているすべての命にひたすら戦争という免れがたい現実が存在していた。今は亡き、藤松遊子(ゆうし)さんの句を思い出す。〈人も蟻も雀も犬も原爆忌〉『ひとたばの手紙から』(2006・角川学芸出版)所載。(今井肖子)」(増殖する俳句歳時記)

◉渡辺白泉(わたなべ-はくせん)(1913-1969)= 昭和時代の俳人。大正2年3月24日生まれ。慶大在学中から「馬酔木(あしび)」「句と評論」などに投句。昭和12年「風」を創刊。新興俳句運動を推進したが,15年京大俳句弾圧事件で検挙された。戦後は俳壇をはなれて活動した。昭和44年1月30日死去。55歳。東京出身。本名は威徳(たけのり)。遺句集に「白泉句集」。【格言など】戦争が廊下の奥に立つてゐた(「白泉句集」)(デジタル版日本人名大事典+Plus)

◉ 無季俳句(むきはいく)= 俳句用語。季語・季感をもたない俳句のこと。明治末・大正初期の川東癖悟道(かわひがしへきごとう)らによる新傾向俳句、日野草城(そうじょう)らが活躍した昭和初期の新興俳句、金子兜太(とうた)らの第二次世界大戦後の前衛俳句にみられた。その主張は、伝統の季感が現代人の生活感情の表現に不適当とするものであった。多くの同調者を得たが、伝統的立場の水原秋桜子(しゅうおうし)・山口誓子(せいし)らは、これを排斥。新興俳句は当局の弾圧によって中断したが、戦後、桑原武夫の「第二芸術」論をきっかけに無季俳句がふたたび始まった。「見えぬ眼(め)の方(ほう)の眼鏡の玉も拭(ふ)く」(日野草城)など。(日本大百科全書ニッポニカ)                                                                                                                         

・万愚節明けて三鬼の死を報ず  
・鳥篭の中に鳥とぶ青葉かな  
・苗代につるす目のない鴉かな  
・街燈は夜霧にぬれるためにある  
・鶏たちにカンナは見えぬかもしれぬ 
・銃後といふ不思議な町を丘で見た 
・玉音を理解せし者前に出よ
(参照 「渡邉白泉」 Wikipedia)

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「都構想」も「副首都構想」もあかん

 本日は「立秋」、辞書風に言うと、夏の暑さの頂点で、この日以降は初秋の風が香る候、世間では「残暑」というのが慣わしでありました。「ありました」と言ったのは事実に基づいたからであって、これからも酷暑、いや猛暑は続くどこまでもというのが、昨今の状況でもあるからです。47都道府県で、連日史上最高気温のコンテスト(高温比べ)をしているようなもので、何(いず)れ、どこかが不正に温度を高めるということがあるかもしれないですね。気象台の観測はそれなりに一定の基準(条件)があるのでしょうが、それぞれが「手元の温度計」で計測するなら、おそらく、至る所では五十℃越えも珍しくないのではないですか。(ヘッダー写真は「『副首都』の旗降ろすな 万博、うめきたで都市力向上を」日本経済新聞・2020年11月2日)(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65745980S0A101C2LKA000/

 茹(う)だる、茹(ゆだ)るという感じ(感覚)はそのままに、人間社会にも当てはまる事態にあって、連日劣島では一万人超の「熱中症」疑いで搬送される善男善女が引きも切らないという繁忙ぶりです。夏の甲子園では高校野球が朝と夕刻の二部制で開催され、しかも野球狂の少年もまた「熱中症」で倒れたという怖さ。。数日前の横浜花火大会(どうして「大会」と銘打つんですか?)では「待機組」の花火に火が燃え移り、台船上で、自然発火の花火大会が見られたという。花火もまた、酷暑に出番を待ちきれなかったのだ。隅田川の花火大会では、衆愚合わせて95万人の見物客が頭をもたげて、天空の火花ショウに見とれたという。かつて住んでいた千葉県内のS市のある時期の市長選では「花火大会開催の是非」が争点になっていました。財政多端の折、資金不足で中止を余儀なくされて何年が経過しましたか。今日では「クラウドファンディング」なる寄付行為が「衆庶」を中心に人気を集めています。花火も病院建設もすべてが「クラファン」時代。いや、そもそも納税行為こそが、貴重な庶民の健気な「クラファン」ではなかったか。それこそ猫も杓子も「花火」だという、この現象は何処か変ですね。どこかが嬉しいですか、花火なんかで。

 とまあ、こんな埒もないことを書き殴るのも「酷暑」のせいだというつもりはありません。山間僻陬(へきすう)の地でも、遠慮会釈なく「酷暑」は押しかけて、我ら老々夫婦は、この何年間もリモコンを触りもしなかったのに、一昨日から遂にエアコンを「稼働」させました。「涼しいね」などと、一昔前(時代おくれ)の「冷房珍しがり」になりきっています。とにかく「室温28℃」設定で、一息も二息もついている。猫たちも、さすがに毛皮を脱ぐわけにもいかず、終日ぐったり。しかし偉いものですね、どれもこれも「食欲」は一向に衰えていないのですから。そのためもあって、懐は甚く寒く、当方こそが「青息吐息」ではあります。

 どうも極度の暑気あたりか、わけのわからないことを書き殴っています。(ただ今、午前6時半。室温29.9℃、湿度77%)主題は、以下の「日報抄」が触れている、つまりは「一極集中」という小さな国の、江戸時代以来連綿と続く、都市計画中、最大の愚策への憤りと、その愚に染まらないための「緩やかで継続的な都市計画」(田舎の再生論)を放言してみたいのだ。「関係人口」などという怪しげな表現が飛び交いつつあるらしい。初めて聞いたのは、自民党能天気議員が「運のいいことに能登に地震が起こり…」と口走った時でした。その愚漢議員が同時に口にしたのが「関係人口」でした。2拠点というか、1.5拠点というか。ほとんど何事も改善しない悠長な「物見遊山」政治を喧伝したのでした。愚作中の愚策ですな。

 それに引けを取らないのが、「ふるさと納税」でしょうか。これも元首相のない知恵を縛った、著しい悪政の発現でした。「ふるさと納税」というのは極めつけの悪制度だと、ぼくは最初から言い続けている。少しばかり金のある人間をさらに優遇する「ふるさと脱税」の勧奨政策だったと思う。本来の居住地に収めるべき「税」を、縁もゆかりもない「ふるさと」に出資し、おまけに「お土産」までせしめるというのです。詳細は省きますが、入るべき所得税や市民税が、よそに流れて困り果てている自治体があれば、反対に「思わぬクラファン」でホクホクの自治体もあります。間違った制度ですね。

 さて、本題に入るところですが、まだ余話が続きます。大阪府・市域の筆頭政治勢力(政党)が「大阪都構想」、「副首都構想」なるマヤカシを懲りもしないで敢行しようとしています。バカにつける薬はないという例え通り、手に負えないほどの愚人クラブが大阪府・市を牛耳っている不幸・不運を選挙民は考えてほしいですね。「都」とは「ミヤコ」であり、「京(みやこ)」であり「京都(みやこ)」であり、つまりは「天皇の住まい(皇居)のあるところ」を指します。「きょうキャウ【京】 皇居のある土地。みやこ。帝都。首都。また、特に平安時代の都、すなわち京都(現京都市)をいう」(精選版日本国語大辞典)。大阪に御所を作り、天皇遷都宣言をしなければ、「大阪都」にはなれませんで。それでも「大阪都」を名乗り続けるなら、おそらく、世が世なら、「不敬罪」に当たるでしょうな。「ふけい‐ざい【不敬罪】天皇および皇族・神宮・皇陵に対して不敬の行為をする罪。昭和22年(1947)刑法改正で廃止」(デジタル大辞泉)

 大阪府と京都府、これで「副首都」と言えるんじゃないですか。それで不満があるとすれば、なぜかと聞きたい。「名称」などどうでもいいようなものですが、由来歴史があるのですから、平仄(ひょうそく)は合わせた方がいいに決まっている。一都一道二府四十三県、このいれものもいよいよガタがきたのはまちがいありませんから、もう少し実態に即した郡県制なりの構想が考えられてもいいころでしょうが、まあ、答えが出る前に、この国は壊れはしないか、ぼくの直観では、どうも間に合わない気もします。

 大阪府知事の賤しい魂胆は、手短に言うなら「大阪市」の豊富な財政を吸い上げて、第二、第三の「カジノ」を目論んでいるだけの話。「一事不再議の原則」を知事たちは知らないはずもないけれど、それを、大阪府は何度でも試み、どうしても「大阪都」にしたいというのですが、住民投票の前に「宮内庁」に事情を聴いたらどうでしょうか。要するに、「大きいことは好いことだ」という「百年の錯誤」を繰り返そうとしているのでしょう。一極集中はよろしくないから、1.5極集中・2極集中を是が非でも実現したというらしいが、そのメリットは何ですかと問われて、「一度目」「二度目」の住民投票の際にも、まともな答えはありませんでしたな。こうなると、「精神の貧困」は、政治家(屋)の宿痾というほかなさそうですね。

 「マイホームが遠い都会暮らしに見切りを付け、地方移住という選択肢を見いだしてくれないだろうか。本県の不動産相場を東京駅に張りだしてみたくなる。その方が政府の関係人口づくりを待つよりも、地方活性化の早道になる気がする」(日報抄)是非そうしてください。先例は「越後湯沢」のマンション販売(投げ売り)がありました。都内や都心に「アンテナショップ」を作るという発想自体が小さすぎますね。大言壮語宜しく、「自然が一杯」「田圃もたくさん」「野生動物とも共生できます」とセールスに励む方が「天皇を我が府市にお迎えしよう」という空虚なアピールより、よほど現実味があります。「お隣さんまで五百メートル」というキャッチなんかもいいですね。

 一極集中とは、と問うまでもありません。日本の人口が東京都以外、すべての自治体で減少したという。昨年の人口減少は約90万人だったと報じられました。このままでいくと50年後には、おそらく日本の総人口は半減するかもしれませんね。それでも庶民は一極集中歓迎、アホな政治家は副首都構想を掲げ続けるんでしょね。行くところまで行きなはれ、そういうしかあらへんなあ。栄枯盛衰は世の習いです。いつまでも「栄えていたい」というのは無理がありますし、「いつだって衰退しているだけ」というのも不可解です。いろいろな坂がありますけれど、登りと下りがそろって「一丁前の坂」ですね。登りばかり、下りばかりの坂などないんですね。大阪(坂)はどっち?(右上図は「週刊エコノミスト」・2022年1月8日)(https://mainichi.jp/premier/business/articles/20220105/biz/00m/070/003000d

 今現在の、この社会の苦しみは、明治維新この方、ひたすら「坂の上の雲」をシャカリキに追い求めてきたツケでもあるのでしょう。ぼくは身の丈に合った生き方を探し続けてきました。「ほどほど」「分相応」、それがぼくには、心地よい生き方の姿勢だと気づいたのは四十を過ぎたころだったか。でも、遅すぎたとは思わないんですね。気が付いたことに幸運を感じたことでした。国の寸法(図体)だって、同じこと(分相応)が言えませんか。

【日報抄】「関係人口」という用語を聞く機会が増えてきた。その地に暮らす定住人口でなく、観光客のような交流人口でもない。「観光以上移住未満」と例えられたりする▼移り住みはしないが、継続的に地域に通う人々を指すらしい。この関係人口を増やそうと政府は言う。それが地方創生になるという。よその人が入り込むのは面白そうではあるが、地方創生の本筋はあくまで移住だろう▼今こそ移住促進の旗を振るときだ。調査によると、東京23区内の新築マンション1戸当たりの平均価格は1億3千万円に達したという。超高層の上層階の話でなく、全体の平均価格だというから驚くしかない。隣の神奈川県でも1戸7千万円だ▼建設のための人件費が上がり、円安によって資材費も上がり、資産としての人気も相まって首都圏の相場はどんどん上がってしまった。それを購入できる富裕層がいる一方、多くの人にとって新築マンションは高根の花だ▼分譲の購入は人々の選択肢から外れ、賃貸に住み続ける人が増える傾向にある。退去しない人が増えると、出回る賃貸物件は限られてくる。少ないパイの奪い合いが、賃貸の家賃上昇を引き起こす。首都圏に住みたい人にとっては、やるせない連鎖だろう▼マイホームが遠い都会暮らしに見切りを付け、地方移住という選択肢を見いだしてくれないだろうか。本県の不動産相場を東京駅に張りだしてみたくなる。その方が政府の関係人口づくりを待つよりも、地方活性化の早道になる気がする。(新潟日報・2025/08/07)

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「平和利用と抑止力」論の狡知

【日報抄】東宝の前身であるPCL映画製作所では黒澤明と同期だった。「きけ、わだつみの声」など戦争をテーマにいくつもの秀作を残した。国際的な評価が高かった映画監督の関川秀雄は、佐渡市で生まれ育った▼作品の一つに「ひろしま」がある。原爆が落とされた直後の広島を、徹底したリアリズムで描いた。ラストシーンを忘れない。スクリーンの奥から何人もの被爆者が歩み寄る。無言の訴えに胸苦しさを覚えた▼映画は戦後7年の広島市内の高校を舞台に、回想する形で構成された。教室で生徒が発言する。「原爆投下という非人道性を世界に知ってもらいたい。でもまず、日本人に、広島の人に、このクラスの人に知ってほしい」▼終戦から10年もたたない1953年に製作された。既に継承をテーマにしていたことに驚く。そして、もはや驚いてもいられない。自衛隊が台湾有事を想定した日米共同演習で、中国への核による脅しを米軍に再三迫っていた。昨年のことである▼核兵器禁止条約と距離を取る姿勢や核抑止論と根っこはつながっている。「核なき世界」の誓いが空疎に響く。安全保障を巡る各論に分け入れば、核共有や核武装にすら、もっともらしい理が見えてくるのだろう▼議論さえ否定するのは思考停止だと乾いた声も聞こえるが、核の拒絶は国是であるはず。理を解さぬ分からず屋であっても何が悪いか。世界で唯一戦争被爆の惨禍にまみれた国として、終戦から80年となる今も、訴え続けねばならないことがある。(新潟日報デジタルプラス・2025/08/06)

 今では想像もできないことになりましたが、ぼくはこの「ひろしま」を学校で見た記憶があります。いつだったか、詳しい年月日は曖昧になったが、京都の小学校(か中学校)で観た。映画公開は1953年でしたから、公開後まもなくのことだったと思う。画面から受ける印象は、とにかく陰惨なものだった。早い段階で、ぼく自身は「原爆」が齎す災厄の深刻さを身をもって教えられたと考えています。その当時、教科書で原爆投下直後の写真はもちろん、被爆された人々の被害の激しさもまた観ることができました。いつのころからか、原爆被爆関連(被害)の写真は「あまりにも惨(むご)すぎる」ので、「教科書掲載は禁止」となった。奇怪な話です。原爆反対を、教室(学校)で声高に述べてはいけないし、「憲法9条の内容に立ち入って教えるのはダメ」ということにもなった。いわば、教室が「原爆教育」「戦争放棄」(論はタブー)の治外法権地になって行ったのでした。

 どういうことでしょうか。核爆弾の被害は残酷に過ぎるから、それを子どもたちに明らかに示してはいけないという口で、「原発は未来のエネルギー」とばかり、その新増設を含めてさらに推進してゆくのが「国是」になったとまで言う。実に禍々(まがまが)しい限りです。ある時期の朱書は「原発」を輸出することを盛んに使嗾(しそう)していた。実に愚かな人間だったと評したい。原子爆弾と原子力発電は同根・同素、双子の兄弟です。いずれもが原子核の「核分裂」を起こさせることによって所期の目的を達する。核分裂が大都市や民衆の頭上で発生するか、あるいは原子炉格納容器内でのことか、それだけの違い。「核の平和利用」を最初に訴えたのは米大統領・アイゼンハワーでした。(日本原子力開発機構「Atoms for Peace」:https://www.jaea.go.jp/04/iscn/archive/pocketbook/pocketbook02-02.pdf)それを受けて、この国でも原子力平和利用論が持て囃され、核開発の一変形である「原子力発電」設置・普及に繋がります。

 平和利用の背後には「さらなる核開発」を意図していたことは紛れもない事実。2011年3月に発生した福島原発爆発事故発生直後は、原子力(原発)政策は著しく後退を見せたかに思われたが、時間の経過とともに、原発増設機運を盛り上げ、いっそうの電力需要にこたえる方向を強化してきたのが政・官・財でした。AI革新の機運に乗ずるためにも電力の大増強を謡い、新たな原発設置までのめり込んでいます。(米国も同様)原子力の平和利用を最大限に活用しようという魂胆でしょうが、その背景には何があるかを忘れてはならないと思う。この国の政策のおおよそは大国の意向を無視しては決められないのであり、原子力政策はその一大典型です。そして原子力発電所維持は核爆弾研究の一方法であるという点も視野に入れておくべきでしょう。「原子力」開発問題、原子力発電問題は、この国の一存で判断も決定もできないのだということは、この間の経緯を見れば一目瞭然。原爆と原発は「双子の兄弟」です。

◉ 核分裂(かくぶんれつ)nuclear fission=ウランやトリウムなどの重い原子核が,同程度の質量数をもつ2個以上の原子核に分裂する核反応。 1938年 O.ハーンと F.シュトラスマンが発見した。核分裂においては,非常に大きなエネルギーが放出される。代表的な核分裂は,ウランの同位体ウラン 235が熱中性子を捕獲して2個ないし3個の中性子を放出するとともに質量数 96と 140を中心とする2個の原子核に分裂する現象で,このとき2個の原子核の運動エネルギーとして解放されるエネルギーは約 200MeV に達する。放出中性子を他のウラン 235が捕獲すると核分裂が起り,次々に連鎖反応を引起す。この連鎖反応を一時に起すのが原子爆弾であり,制御しつつ進行させるのが原子炉である。核分裂で生成される原子核の多くは放射性で,β崩壊を2回ないし5回続けて安定な原子核となる。熱中性子のほかに低・高エネルギー中性子,重水素核,α粒子,γ線などにより原子番号 73以上の核種で核分裂が起ることがある。また通常の二体分裂の約 0.3%の割合で3個の原子核に分裂する三体分裂,約 0.03%の割合で4個に分裂する四体分裂が起る。粒子照射などによらない自発核分裂も起るが,その確率は一般にきわめて小さい。(ブリタニカ国際大百科事典)

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 本日は広島における「被爆80年の原爆の日」です。ほんの少し前まで、ぼくはテレビで式典の模様を見ていました。二人の小学6年生が「平和の誓い」を語っていました。優れたメッセージを世界に向けて届けていたと思います。この小学生ほどの「想像力」を持つなら、どれほど未来に明るさを持てることかと、深く感動しました。(ここに、小学生を駆り出すという「演出」に、ぼくは著しい胡散(うさん)臭さを嗅ぐものです。子どもの「平和利用」という、大人たちの「反核」偽装と言えば言葉が過ぎるか)

 「世界では、今もどこかで戦争が起きています。大切な人を失い、生きることに絶望している人々がたくさんいます。その事実を自分のこととして考え、平和について関心をもつこと。多様性を認め、相手のことを理解しようとすること。一人一人が相手の考えに寄り添い、思いやりの心で話し合うことができれば、傷つき、悲しい思いをする人がいなくなるはずです。周りの人たちのために、ほんの少し行動することが、いずれ世界の平和につながるのではないでしょうか」

 改めて、「平和とは何だろうか」と考える。単に「戦争」のない時代、瞬間を言うのでしょうか。恐らく、そうであれば、それはまずありえないことです。「平和とは戦争との戦いのこと」と、ぼくはとらえている。何と奇妙な、と思われるでしょうか。「たとえ一つの声でも、学んだ事実に思いを込めて伝えれば、変化をもたらすことができるはずです。大人だけでなく、こどもである私たちも平和のために行動することができます」そうです、戦争のない状態への行動に参加することで、それは「民主主義」への戦いと同質のものと言えるでしょう。

 「平和」を求める戦い、それこそが「平和に至る」、「平和に連なる」道を歩くことです。「平和」とは「平和への道を歩くこと」です。

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 平和への誓い
いつかはおとずれる、被爆者のいない世界。
同じ過ちを繰り返さないために、多くの人が事実を知る必要があります。
 原子爆弾が投下されたあの日のことを、思い浮かべたことはありますか。昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
この広島に人類初の原子爆弾が投下され、一瞬にして当たり前の日常が消えました。誰なのか分からないくらい皮膚がただれた人々。
涙とともに止まらない、絶望の声。
一発の原子爆弾は、多くの命を奪い、人々の人生を変えたのです。
 被爆から80年が経つ今、
本当は辛くて、思い出したくない記憶を伝えてくださる被爆者の方々から、直接話を聞く機会は少なくなっています。
どんなに時が流れても、あの悲劇を風化させず、
記録として被爆者の声を次の世代へ語り継いでいく使命が、私たちにはあります。
 世界では、今もどこかで戦争が起きています。
大切な人を失い、生きることに絶望している人々がたくさんいます。
 その事実を自分のこととして考え、平和について関心をもつこと。
多様性を認め、相手のことを理解しようとすること。
一人一人が相手の考えに寄り添い、思いやりの心で話し合うことができれば、傷つき、悲しい思いをする人がいなくなるはずです。
周りの人たちのために、ほんの少し行動することが、いずれ世界の平和につながるのではないでしょうか。
 One voice.
たとえ一つの声でも、学んだ事実に思いを込めて伝えれば、変化をもたらすことができるはずです。大人だけでなく、こどもである私たちも平和のために行動することができます。
あの日の出来事を、ヒロシマの歴史を、二度と繰り返さないために、
私たちが、被爆者の方々の思いを語り継ぎ、一人一人の声を紡ぎながら、平和を創り上げていきます。
令和7年(2025年)8月6日
こども代表
広島市立皆実小学校6年 関口(せきぐち)千恵璃(ちえり)
広島市立祇園小学校6年 佐々木(ささき)駿(しゅん)(中國新聞・2025/08/06)

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「暑さ寒さも彼岸まで」だって

 本日の共同通信「あのころ」という、ぼくの好きなコラムには「シンザン大往生 史上初の五冠馬」という見出しで、「1996(平成8年)年7月13日、史上初の5冠馬となったシンザンが死んだ。35歳余、人間なら100歳を超しサラブレッドの最長寿記録を更新中だった。東京五輪の64年に戦後初めてクラシック三冠を制し、競馬ブームの先駆けに。19戦15勝2着4回が全成績。牧場のある北海道浦河町で8月5日、追悼式が行われた」(共同通信・2011年07月13日)という古い記事が出ていて、思わずその写真に引き込まれました。亡くなったのが1996年7月13日で、その追悼式が行われたのが8月5日とありました。本日がその記念日ということでしょう。

 ぼくは競馬を含めて賭け事は一切やらない人間。ただ、中学生だったころか、存命中の親父が「競馬」の馬券を買ったことを覚えています。滅多にそんなことをしなかった父だったが、その時は「コダマ」という馬に入れあげたのでしょうか。ここからも、つまらない思い出話になります。その昔、もう半世紀近くになりますが、ひと夏、北海道に遊んだことがある。仙台からフェリーで苫小牧まで行き、車で方々を走り回った。主に、北海道の東南部を走りました。そのついでに、浦川の競走馬の牧場を目指しました。最初に訪れたのが「シンザン(961~1996)」の谷川牧場。次いでその奥にある「鎌田牧場」。実は、この鎌田牧場は、かみさんの従弟(だったか)が経営していたもので、そこには現役を引退していた「コダマ」(1957~1976)が存命だったと思う。競馬を知らないぼくでも、親父の一件と言い、当時の評判から「コダマ」は知っていました。訪問時にはコダマには会えなかったが、その後の競馬界で大活躍することになる仔馬を何頭か見ることができました。

 あまりにも懐かしくなり、起き掛けにネット上でコダマの雄姿を、何十年ぶりかで見ていて、込み上げてくるものがありました。馬体は小さく、とても中央競馬での活躍は期待されていなかったのに、あれよあれよという間もおろか、先行・追い込みと自在に走り、誰かれなくその名を知るようになった馬でしたね。国鉄(当時)の特急「コダマ」(日本初の電車特急「こだま」1958年登場。新幹線開通は1964年秋でしたから、「コダマ」は驚速の電車だった。東京・大阪間が6時間半でした。63年春に上京した時、ぼくは京都から夜行の急行列車に乗り、気分としては半日かかったように覚えています。)に因んで「暁の超特急」という期待だったかもしれません。たった一度の牧場見学でしたが、今はその「鎌田牧場」も当時の面影は消えているでしょうし、もちろん「コダマ」に連なる多くの馬や人も冥界の住人となりました。何かの折に、広すぎる牧場の朝露と夕霧に濡れた日のことを思い起こしたりするときがあります。競馬狂でも鉄道オタクでもない、平凡を絵にかいたような人間の、束の間にみた「夢」に触れました。ここまでは「余談」でした。

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【新生面】40度越え 作り話を書くのは、ジャーナリストの仕事ではない。『百年の孤独』で知られる作家ガルシア・マルケス氏がまだ週刊誌記者だったころ、それをやったことがある▼南米ベネズエラの首都カラカスが渇水に見舞われた。当局は早くから節水を呼びかけているが、市民は意に介していない。とうとう水がなくなり人々は混乱に陥る。脱水症状になったある男が、家の中でもうろうとしていると、外から突然歓声のようなものが聞こえた。大雨が降っていた-という筋書きだ。架空の記事でも、市民に警鐘を鳴らすため掲載したのだろう▼列島各地で渇水が心配されている。熊本市などできのう降った雨はひとときの涼をもたらしてくれた。水を待っている所には恵みの雨である▼この夏、国内で気温が「40度を超えた」という所が目立っている。兵庫県丹波市で先日、観測史上最高の41・2度を記録した。35度以上が珍しくなくなり、気象庁が「猛暑日」を予報用語に加えたのが2007年だった。40度以上の公式な名称はまだない。日本気象協会はとりあえず「酷暑日」と呼んでいる▼40度超えの頻度は「東高西低」で、西日本より東日本での観測が多い。内陸の方が気温が上がりやすいとされ、九州・沖縄でこれまで40度以上を記録した地点はない▼地球沸騰化の影響で海面水温が上昇し、気温40度が珍しくない世界が忍び寄っている。作り話ではない。れっきとした科学者らの予測なのだが、人類が本気で手を打っているように見えないのはなぜだろう。(熊日新聞・2025/08/05)

 ここからも余談は続きます。ぼくに、余談以外、何を語る能力があるというのか。さて、「灼熱地獄」の劣島、卒倒しそうな熱中症騒動です。生きとし生きる物がすべて「熱中症」に罹患しているという記事が方々の新聞に記載されています。つまりは、あまりの酷熱による人間界・動物界・昆虫界・植物界など、森羅万象ことごとくの「異変連鎖」です。いくつかの地方のダムが「貯水率ゼロ」という渇水報道もありました。台風9号がもたらしてくれることを願った降雨も、ほとんどが空振り。本日の気象予報では東北北海道ではかなりの降雨量が期待できるという。渇水に青息吐息の「稲」も「野菜」も一息つけるといいのですが。劣島のどこかで40度を超えたという異様な高温はこれで五日連続です。30℃の気温がなんだか涼しいという、とんでもない錯覚が蔓延しており、身体がその錯覚を受け入れないで、心身のバランスを崩す人が続出していると言う。「気象庁が『猛暑日』を予報用語に加えたのが2007年だった。40度以上の公式な名称はまだない。日本気象協会はとりあえず『酷暑日』と呼んでいる」とコラム氏。夏日・真夏日・猛暑日・酷暑日ときて、さて45℃以上はどう呼ぶのか。そんなことを心配しても始まりませんけれど、恐らく「灼熱地獄」とでも命名されるがいいでしょう。

 カトリックで多用されているのは「煉獄(れんごく)」で、天国と地獄の間にあるとされます。須(すべか)らく小さな罪を犯した人間が行くところです。ラテン語では Purgatoriumという。天国への中間点で、ここで身を清める?、そして「最後の審判」を待ち受ける場ともいわれる。その後に天国へ、ある人たちは行きつくのだ、と。ぼくはキリスト信者ではありませんから、その仔細には興味はありませんけれど、その教えに添うなら、さしずめ劣島の住人は、生きたままで「煉獄」「塗炭」の苦しみを味わっていることになるようです。茹(う)だるような灼熱の責めだとするなら、ぼくたちはまるで石川五右衛門の「釜茹で」に倣わされているかの如くです。誰が言いましたか、「暑さ寒さも彼岸まで」というようです。明後日(7日)は「立秋」で、やがて秋の彼岸がやってきます。

 俚諺の要旨は「残暑のきびしさも秋の彼岸ともなればめっきり衰え、余寒のきびしさも春の彼岸ごろにはいちだんと薄らぐものだの意。暑い寒いも彼岸まで」(精選版日本語大辞典)という習いのように、9月20日から26日までが「秋の彼岸(後の彼岸)」ですから、まだまだたっぷり一カ月半は、茹でられるがままになるのでしょうか。まさに「生き地獄」の苦しみというのも大げさではないと思います。それほどに、人間の振る舞い(経済活動など)は季節の巡りを狂わせ、大気圏の正常な空気の循環を掻きまわし、大海の潮の流れを狂わせてきたのですから、いまさら、「さあ、どうしましょう」と言っても始まるものでもないでしょう。カムチャッカの青年が寝返りを打った瞬間に大地震が発生し、その余波(津波)が太平洋上を駆け巡り、各地に大小の被害をもたらしたところ。極東の小島の少年少女がラジオ体操に駆り出されているその時刻に「南海トラフ」が劣島を襲うというのは「真夏の夜の悪夢」でしょう。でも「ゆめゆめ油断めさるな」と呼ぶ声が聞こえてくるのも確かです。

*「目覚めよと呼ぶ声あり(BWV645)」(Karl Richter BWV 645 Chorale Prelude Wachetauf, ruft uns die Stimme.)(https://www.youtube.com/watch?v=oecATCwOeLE&list=RDoecATCwOeLE&start_radio=1) 

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(参考:南海トラフ地震は、駿河湾から日向灘沖にかけてのプレート境界を震源域として概ね100~150年間隔で繰り返し発生してきた大規模地震です。/科学的に想定される最大クラスの南海トラフ地震(南海トラフ巨大地震)が発生した場合、静岡県から宮崎県にかけての一部では震度7となる可能性があるほか、関東地方から九州地方にかけての太平洋沿岸の広い地域に10mを超える大津波の襲来が想定されています。(気象庁:南海トラフ地震について)(https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/jishin/nteq/index.html)(*「トラフ」とは細長いくぼみのような海底盆地のことで、特に深さが6000メートル以下のものを指す。細長くないものは「海盆」で、6000メートルより深いものを「海溝」と呼ぶ)

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「猫も杓子も」が問題の発生源です

 どんな物・事にもいい面と悪い面がある。スマホが普及しだして20年余。驚くほどの速さで、世界の果てまで普及浸透しているのですから、それを用いた「悪行」「犯罪」が驚異的に、普及・拡散しているのでしょう。「盗撮」ばかりが問題視されているとは思わない。<SNS>の濫用は、ぼくのようなものにも目に余るほど、と言いたくなります。 ここで言えるのは、持ちなれないものを持てば、それを悪用する愚者が増えるし、それを悪用するために持ちたがる狂者が増加するということ。どなたにしても、それを持つことは、いい面でいうと、「鬼に金棒」だが、そうでなければ、ほとんどが「✖✖✖✖に刃物」になる。今問題にされる「盗撮」犯罪の増加は、何を示しているのか。恐らく、この狭い国(だけに限らないのは論を俟ちません)のいたるところでスマホは悪用されているのでしょう。「防犯(看視)カメラ」の普及もまた、この社会が酷く不健全な状態・状況にあることを教えている。

 面倒なことは言わないつもり。携帯電話(mobile)が売り出されたころのことを記憶しています。1990年代の初めから、自動車電話が広がり、やがて携帯電話が、異様な大きさのバッテリーを備えて売り出された。今あるスマートフォンの祖型の発売は2010年代。高価で、電波のつながりも悪く普及は漸進的でした。やがて、小型リチウムイオン電池搭載が可能になり、電波中継基地環境が普及整備されるようになって、爆発的に普及しだしました。まさに「猫も杓子も」、でしたな。サルも犬も。ところが、ぼくはこの「猫も杓子」もの中には入らなかった。乗り遅れたわけでも、買いそびれたわけでもありません。ぼくには「無用の短物」と即断したからでした。仕事の関係から、所持することを強いられたが、持たなかった。以来、ぼくは「無携帯」「ノンスマ」のままで生きている。ぼくには驚きですが、昨年の段階での普及率は、一定の年齢層では98%を超えているのです。まさしく「猫も杓子も」でしたね。(この表現の意味はぼくにはよくわからない)猫も杓子(しゃもじ)もとは、いかなる結びつきもないもので、だからそれを並べてどういうつもりか。ようするに「誰も彼も」、というだけのこと、挙(こぞ)ってスマホ、は時代の象徴なんでしょうか。

 「便利(convenience)」を最優先するなら、それは、ある人々には最適機器だろうけれど、悲しいかな、ぼくには「便利は不便(Convenience is an inconvenience)」という拭い難い偏見があります。物には二面性があるという唯物観です。拳銃は身を守る武器にもなれば、誰かを殺傷する凶器にもなります。同じ機器(道具)でも、使う側の意図と使い方でどちらにも転用可能です。スマートフォンもまたしかり。洗濯機や掃除機の普及は必然性もあれば、生活改善の格好の道具にもなった。冷蔵庫もそうでしょう。そして、洗濯機や掃除機を使って、悪質な犯罪を試みる人間はいない(とも限らない)か、あっても、その効果は極めて怪しいものですから、洗濯機や掃除機の使い方に関する「使用規制法」などという法規制は無用でした。

 ところが「スマホ」は諸刃の刃(諸刃の剣)でした。「効果は大きいが危険も大きい物事。利益を期待する一方、ダメージを覚悟しなければならない物事。『もろ刃』は両刃になっている刀剣のことで、『諸刃』と書く。諸刃の刃。また、諸刃の剣とも言う」(Weblio)要するに、護身用具にもなれば攻撃用武器にもなるというのは、機器としては「便利」でも、使う人間次第では、時に困ったことにもなり得るということ。「盗撮」問題の広範な社会問題化は、一つの典型的悪用例です。その昔、「馬鹿と鋏は使いよう」などという、ひどく偏った俚諺がありました。「切れない鋏にも使いようがあるように、ばかも使い方しだいでは役に立つ」(Wikipedia)ということなら、「愚者とスマホも使いよう」ということになるでしょうか。スマホは機器です。使い方を誤らなけれぼ優れた道具であるのは、自動車も同じ。しかるに、車の使い方(乗り方)を間違えれば、凶器になる。スマホは凶器だという認識がある人がどれほどいるのか。犯罪を敢行するには格好の道具と、誤った判断をしてしまう人間の側の問題ですね。撮るべきでないものに向けてシャッターを切ると、スマホが瞬時に壊れる、あるいは大音量で発信するなどという奇策が必要でしょうね。

 本日の「日報抄」(新潟新報)の指摘に「ストップ・ザ・競泳盗撮 県水泳連盟が対抗策 登録制打ち出す」とあり、県水連がその対策に乗り出したという記事が「1999年6月22日の本紙一面」であったと言われる。いつの時代でも「盗撮」が問題になっていたのでしょう。もちろん、カメラがない時代は直接本人が目を使っての「覗き」(別名は「デバガメ」)と言ったようです。「のぞき魔、のぞきの常習犯、変態、などの意味の表現。明治時代に登場した語」デジタル大辞泉)「覗き」のほとんどが「性犯罪」に繋がるのですから、こればかりは放置できない問題、ではあるのです。では、どうするか。スマホを持たない人間に、問題を解決する方法があるはずもないと言ったうえで、もう一度、スマホを原始形に戻す、あるいはそれを持たない、どちらかに限るだけでも、すこしは「犯罪の陰」は薄くはなるでしょう。そんなことは不可能だと多くの人が非難するのは分かっている。でもその非難、ぼくにはまるで核爆弾の廃棄はできない相談だというに等しい、愚論だと思う。人はスマホのみで生きるにあらず(People don’t live solely by their smartphones)。「糸電話」だってありますよ。

 「木を見て森を見ず」という現象をコラム氏は書かれている。「ある中学校の行事の取材に訪れると、玄関に行列ができていた。受け付けの教員から氏名、住所、連絡先を書くように求められた。わが子を撮る保護者も同様の対応だという。写真や動画の撮影許可は新聞社とて例外ではない。複雑な気持ちでペンを走らせた」という、じつにどうも、真面目にばかばかしい一席でした。

【日報抄】「ストップ・ザ・競泳盗撮 県水泳連盟が対抗策 登録制打ち出す」。盗撮が社会問題になっている今の話ではない。1999年6月22日の本紙夕刊1面にこんな見出しの記事が載った▼記事によると、会場での撮影希望者は身分を証明する物を示して住所と連絡先を記入し、3千円を払って許可証を受け取る。お金は後で返還されるが、不審者には事情を聞き、場合によっては警察への通報もある▼時は流れ、盗撮防止に向けたさまざまな取り組みがなされた。性的姿態撮影処罰法なる法律もできた。しかし、忌まわしい行為はなくなるどころかスマートフォンの普及で手口は巧妙になり、取り締まる側とのいたちごっこが続く▼かつては「聖職」とされた先生が徒党を組んで悪事に手を染めていた。女子児童を盗撮した画像をSNS上で共有したとして逮捕、起訴された。事実とすればその罪は大きく、限りなく深い。同じような犯罪は各地で起きている▼手元にある何冊かの国語辞典で盗撮という言葉を引いてみた。意外というべきか、見出し語に掲げていたのは1冊だけだった。最近のものを調べてみると載っている。多発する愚行の急速な広がりが、辞書からも見て取れる▼ある中学校の行事の取材に訪れると、玄関に行列ができていた。受け付けの教員から氏名、住所、連絡先を書くように求められた。わが子を撮る保護者も同様の対応だという。写真や動画の撮影許可は新聞社とて例外ではない。複雑な気持ちでペンを走らせた。(新潟日報・2025/08/04)

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「徒然に日乗」(809 ~ 815)

〇2025/08/03(日)ただ今、午後9時半。室温29.9℃、湿度80%。期待していたコメどころでの適切量の降雨がなかったのは残念。夏野菜には高温障害が出ている。早場米の収穫も始まっているが、これから本格化する銘柄米の出穂期に当たる今こそ、田んぼに水が、と祈願するばかり。もちろん当方は農家ではないが、その気持ちは十分にわかるつもり▶昼前に茂原まで買い物。帰路、H.C.で猫用のドライフードを求める。とにかく高温多湿の典型のような一日だった。6月7月が嫌になるほどの高温(酷暑)続きだったので、今頃は初秋の候と錯覚しそう。暑さはこれからが本番かと思うと、いささか気力が萎えるのだ▶内外の政治的混乱はいったい何を暗示しているのだろうかと、深く考え込んでしまう。ウクライナやパレスチナの戦闘に、それこそ意気が折れるばかり。つい先日、ガザの飢餓を乗り越える支援(国際NPOによる)に、いくばくかの寄付を送ったばかり。とにかく、戦争を終わりにするために、世界は何をしようとしているのか、やる気など微塵もないというのだろうか。一日も早い「終戦」の来たらんことを、祈るや切。(815)

〇2025/08/02(土)昨夜来の雨も上がり、想定していた強風も吹かず、静かな一日だったともいえる。気温は30℃を超えることはなく、その分、湿度は高かったので、じっとりするような、汗がまとわりつくような感じだった。ただ今、午後9時過ぎ。室温30.1℃、湿度77%。水不足だった地域にも適度な雨が降っただろうか。明日以降はまた高温多湿の日がしばらくは続くか。(814)

〇2025/08/01(金)ただ今、午後8時50分。室温27.5℃、湿度84%。台風9号の影響で、今は少し雨が強くなっている。風も勢いを増しつつあるか▶昼前に茂原まで買い物に。雨天でもあってか、店内はあまり混んではいなかった。日中、雨量はそれほどでもなかったが、夜に入り9時過ぎからかなり強くなっている。房総半島への最接近は明日未明との予報。最大風速は25㍍とある。明朝まで、風雨共に強くなるとの予報だ。勝手な望みだが、適当な雨量をもたらしてくれるだけで結構と言っておきたい▶午後3時ころだったか、京都の姉から電話。いつも通りのものを送った(「お中元」のつもり、そのお礼。姉は、三月に亡くなった姉より2歳年上。夫婦ともに元気のよし。結婚60数年を経過。曾孫もできたという。(813)

〇2025/07/31(木)週末に接近するように報じられている台風9号の影響か、適度に風があり、気温も30℃に届かなかった、そんな一日だった昼前に茂原まで買い物。いつも通りの品物を買ったのだが、やはりまだまだ物価高騰は続いており、この先が思いやられることを痛感している。目白押しで値上げが待っている由、いったい誰が、いかにして物価の高騰を抑えることができるのだろうか。政治や行政の出番がないのだろうか▶カムチャツカ地震による「津波」が列島南岸を総なめにしたといってもいい。決して高い波ではなかったが、それでも各地ではその被害が小さくないことが判明している。猛暑は、台風接近で一段落した感があるが、同時に東北上越地方での水不足による稲作の先行きが懸念されている。台風が適度の降雨をもたらしてくれるだろうか。(812)

〇2025/07/30(水)台風の影響が出て来たのか、それなりに凌ぎやすい日となった。午前8時半ころに、テレビでは地震報道をしていた。カムチャツカ半島でマグニチュード8.7の大きな地震が発生し、津波が日本列島にまで及ぶということだった。遠く離れた地で発生した地震だが、有形無形に大きな影響を及ぼしていたと思われる。さいわいに明確な被害が生じたわけではなかった(その後、いくつかの地域ではそれなりの被害が認められた)▶兵庫県丹波市では史上最高の高温を記録した。「気象庁によると7月30日午後、兵庫県丹波市柏原(かいばら)で気温41.2度を記録し、日本の歴代最高気温を更新した。/これまでの歴代最高気温は、埼玉県熊谷(2020年8月17日)と静岡県の浜松(2018年7月23日)の41.1度だった」(ITmedia・2025/07/30)。今週末からは台風9号の影響を関東地方は受けると報道されている。農産物の高温被害を考えれば「降雨」が欲しいところだが、さて、どうなるか。(811)

〇2025/07/29(火)群馬県で39.9℃ 今年の最高気温に並ぶ 猛暑日地点は過去最多に 今日29日(火)は西日本から関東、東北で猛烈な暑さになりました。今年一番となった所が多く、群馬県桐生市では今年の全国最高に並ぶ39.9℃を観測。猛暑日地点は2010年以降で最多です」(ウエザーニュース・2025/07/29)当地も例外なく酷暑地域の中に入っていたようだ▶昼頃に茂原まで買い物に。気のせいだったか、あまりの酷暑に店は閑散と(というほどではなかったが)しているといえそうな状態だった。ただ、幸いなことに気持ちの良い風が終日吹いていたので、少しは楽だった。昨晩は食事も摂らないで休んでいた。どうも軽い熱中症(気味)ではなかったか。朝も少し遅くまで休んでいたので、更に症状が悪化することがなかったのは幸いだった▶燃やせるごみが溜まっていたので、まだ暑かったが焼却した。そのついでに、裏庭の除草を少しばかり進めた。庭を取り囲んでいる樹木の枝が相当に伸びている、それを伐採するには本格的なチェーンソーが必要になるかもしれないと、いろいろと商品を見ているところ。素手の小型のものは所持しているのだが。暑さがすこし穏やかになれば、早速にこの作業を始めたい。昨年の夏があまりにも暑かったので、除草や伐採の作業をサボった、そのツケがここにきて、目の前を塞いでいるような気がする▶自民党の「総裁下ろし」が混迷を深めているような、やや方向を変えてきたような。「総裁」は引きずりおろすことは、自民党内で可能だが、首班の指名は国会の仕事。臨時国会は8月1日開会。どうなるのか▶兵庫県知事会見のライブを聴いていて、時事通信の女性記者が知事会見での質問のゆえに、帰社後、批判・非難電話が相次いだ、その翌日には「配置替え」を申し渡されたと訴えていた。問題は、知事支持者の暴力がまたも見られたということ、その暴力に時事通信社自体が屈服したとも思われる事態が起こったという、この惨状をどのように見るべきか。外部者からの「電凸」に社員(記者)を守るのではなく、その暴力に屈したとするなら、言う言葉を持たない。心ない「電凸」があったのは事実だろうし、それに対して、企業そのものの姿勢が明かされない以上は、暴力にひるんだとされても仕方はあるまい。いずれ、経緯は明かされるのだろうか。これもまた、方々で確認される、崖上の「小石の落花」の一例かもしれない。(810)

〇2025/07/28(月)日一日と暑くなる気配が濃い。本日も、冗談ではなく卒倒しそうな暑さだった。来週末は台風の接近が予想されるが、多量の降雨はなさそう。外に出る気がしないのだから、高齢だけのせいではないのだろう。本日は終日自宅にとどまる▶ただ今、夜9時過ぎ。室温は30.9℃、湿度は67%。予報では、明日は今夏一番の高温になるという。いよいよ「夏本番」とでもいうのだろうか。(809)

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