
「蔦のからまるチャペルで祈りを捧げた日 夢多かりしあのころの思い出をたどれば なつかしい友の顔が一人ひとり浮かぶ 重いカバンをかかえてかよったあの道 秋の日の図書館の ノートとインクの匂い 枯れ葉の散る窓辺 学生時代…」(「学生時代」平岡精二(詞・曲)/ ペギー葉山(歌)1964年)この曲はよく知っていたし、平岡さんもペギーさんもよく聞いていたのでした。大学に入った年に発売され、大流行していたものでした。舞台は今もある青山学院で、平岡、ペギー両氏も通ったことのある場所だった。当初は「大学時代」という曲名だったが、まだ大学進学が普及していなかったというペギー氏の指摘で「学生時代」に変更されたと言います。因みに1964年の大学進学率はおよそ15%だった。まだ大学がある種の「幻影」の時代だったかもしれません。ぼくの実感は、実にはっきりしていて、わざわざ東京まで来ての大学進学は「大きな間違いだった」という素朴な感情でいっぱいになっていた。この感情は、今もなお、残り続けてきましたね。
歌謡曲の「学生時代」は、本日の主題とは無関係だと、一応は言っておきます。しかし、そのおおよその衰退現象は大学と雖も、時代の趨勢とは無関係ではないし、人口減少の荒波は至る所で、港湾や岸壁を破壊し、海岸線を侵食しているという意味では、国や社会の屋台骨を朽ちらせていることに無関心ではいられません。人でも家でも町(街)でも国でも、時間をかけて坂道を登り、頂上に着いたと思えた瞬間にはすでに下り坂に踏み込んでいるというのが実情だったでしょう。登れば必ず降(くだ)る。登りが急坂であれば、降りは、それに輪をかけたように激しくなるものでしょう。この国の人口の推移をたどれば、近代化を短時日で達成しようとし、急坂を汗水たらして登り切って、更にこの先もと思い込んだ瞬間が下り坂の始まりでした。その後、降り坂はずっと続いています。

【北斗星】♪つたのからまるチャペルで―と始まる「学生時代」は故ペギー葉山さん以降、多くの歌手により歌い継がれてきた。秋に紅葉したつたに彩られた洋館はさぞ風情があることだろう▼ただ、つる性の植物が茂りっぱなしの空き家となれば全く別物。詩人の故茨木のり子さんの作品「廃屋」は「つるばらは伸び放題」で、「戸さえなく」なった「山中の廃居」の朽ち果てたありさまを容赦なく描く▼15年ほど前、仕事で県境近くの山村集落を訪ねた。山あいの田んぼを維持し、清流を活用してワサビ栽培やイワナ養殖にも取り組んでいた。集落まで車で往復した際、所々に廃屋を目にして胸が痛んだ。集落の高齢化はさらに進んだことだろう▼秋田市郊外でも最近、「売物件」の札が立つ空き家をよく目にする。一方で立て札こそないが、全体の様子から人の出入りが途絶えていることが察せられる家屋も珍しくない。市街地にクマが出没する昨今、全く手入れされていない庭の草むらに野生動物が潜んでいないかと不安がよぎる▼1人暮らしの親が介護施設に入所後、実家を10年余りも空き家にしていた知り合いもいた。空き家にはそれぞれ事情があることはよく理解できる▼茨木さんの詩は「人が/家に/棲(す)む/それは絶えず何者かと/果敢に闘っていることかもしれぬ」と結ばれる。高齢化の波を受け、果敢な闘いを続けられなくなる家屋は増え続けるだろう。地方自治体だけでなく、国の問題として知恵を絞りたい。(秋田魁新聞・2025/09/29)

コラム氏は書く。「15年ほど前、仕事で県境近くの山村集落を訪ねた。山あいの田んぼを維持し、清流を活用してワサビ栽培やイワナ養殖にも取り組んでいた。集落まで車で往復した際、所々に廃屋を目にして胸が痛んだ。集落の高齢化はさらに進んだことだろう」と。限界集落(marginal villages)と呼ばれ、消滅集落(vanished villages)と称される町や村は留まるところを知らぬ勢いで増加しています。その半面で、都会への一極集中(concentrated)はまるで、田舎を捨て去り、逃げ出す人々の溜まり場(hangout spot)のように増加の一途をたどり、ここでもまた、さまざまな問題を生み出しています。都市も人も同じように歳(年)を取ります。社会インフラの老化(硬直・機能不全)傾向には目を覆うばかりのものがあります。「都市が栄える」「田舎は朽ちる」という合わせ鏡は、年々歳々著しい対照現象を映し出しているのです。そして、この合わせ鏡現象を「打開する」、そんな政治や行政はまず施されていないのです。
コラム氏は茨木のり子さんの「廃屋」を引用されます。家のことを「住まい(housing)」と言うほどですから、「住まわない」になると、家々は一瞬のうちに荒廃する。「たちまちに蚕食される/何者かの手によって」「何者かの手荒く占領する気配」「人が家に棲む それは絶えず何者かと果敢に闘っていることかもしれぬ」と詩人は書く。住むとは生活するということ。生活するとは、住まいに息吹をかけ、人間の存在している気配を漲(みなぎ)らせることです。逆に、人が住まなくなるというのは、家から「生活」の匂いが消えることであり、それに替わって「荒涼」「荒廃」の気が迸(ほとばし)ることでしょう。それを、「自然に帰る(還る)」と言い換えてもよろしい。

人間の生活は、可能な限りで「自然臭」「野性味」を脱してきました。快適と便利が人間の生活価値となったのは、つい最近だったけれど、脱自然が進めば進むほど、実は人間の心持の不安や落ち着きのなさが露見するのは避けられないことでもあった。若いころに読んだパスカルの「パンセ(随想録)」に、「壊れた家は悲惨ではない」とありました。なぜか、廃屋は「自分が悲惨であることを知らないからだ」というのがパスカルの理解でした。自分がどんな状況にあるかを自覚できなければ、それは愉快でも不快でもない、あるがままなんですね。人跡未踏の「自然界」には地震が起ころうが、津波が襲おうが、そこには災害もなければそれを悲しむ存在もいない。自然災害というのは、ことばの文(あや)で、そこに人がいなければ、それを災害と考えるものもいないのですから、「自然災害」ではなく「自然現象」とでも呼ぶほかないのです。これは災害だという存在、これは悲劇だと自覚することができる存在は、おそらく人間が筆頭でしょう。

詩人は「人が家に棲む それは絶えず何者かと 果敢に闘っていることかもしれぬ」と結ばれています。「何者」かというのは「自然回帰(return to nature)」「自然へと引き戻す引力の働き」という現象でしょう。卑近な例で言うなら(不謹慎であることを承知で)、2011年3月の福島原発爆発事故で、「放射能汚染」地域が拡散・拡大し、今なお足を踏み入れることが困難な地域が存在しています。住居は荒れ果て、農地も荒廃するに任せています。「自然に帰った」と言うべき事態・状況でしょう。人間の生活の痕跡が失せると、原初の自然が回復するのでしょうか。つまりは、人間が「文化」や「文明」というものを武器にして「自然を破壊」(開発)してきたこと、その(文化・文明)生活が消滅すると、たちまちのうちに元の自然(野生)状態に戻るというのでしょう。
「廃屋」
人が
棲まなくなると
家は
たちまちに蚕食される
何者かの手によって
待ってました! とばかりに
つるばらは伸び放題
樹々はふてくされて いやらしく繁茂
ふしぎなことに柱さえ はや投げの表情だ
頑丈そうにみえた木戸 ひきちぎられ
あっというまに草ぼうぼう 温気にむれ
魑魅魍魎をひきつれて
何者かの手荒く占領する気配
戸さえなく
吹きさらしの
囲炉裏の在りかのみ それと知られる
山中の廃居
ゆくりなく ゆきあたり 寒気だつ
波の底にかつての関所跡を見てしまったときのように
人が
家に
棲む
それは絶えず何者かと
果敢に闘っていることかもしれぬ

存在するすべてのものには「年齢」「経年」があります。人でも物でも、機械でも自然でも。それぞれの「対象物体」には「耐用年数(寿命)(lifespan)」というものがあるでしょう。これは自然界においても妥当します。樹齢数千年と言われる樹木がいくらも数えられています。もっと言えば、地球という惑星もまた「耐用年数」という限界があるはずです。人間はどうか。今日では声高に「人生百年時代」と称されています。実際に百歳を超えてなお健康で人間らしい生活を営むことができている人の数は増加傾向にあるという。
百歳人口が、まさに十万人になろうかという時代に、ぼくたちは共時・生存しています。そのすべての人が健康で丈夫な生活を営んでおられるかどうか。この一方で、高齢者の急激な増加によって「認知症(dementia)」(「老化という自然現象」)とされる症状(状態)に支配される人も急激に増加しています。「廃屋」と「認知症者」を同一視するのは論外であると、筆者も考えますが、しかし、現実を直視するなら、あながち荒唐無稽だともいえない事情(事態)もあると思われます。「壊れた家は悲惨ではない」というパスカルのことばの含むところは、「自分は悲惨であると知ることができない」からだというのでした。自分の状況・状態を自覚するかしないか、とても大きな差異があるでしょう。

識字教育の実践において大きな成果を記(しる)した、ブラジル出身の教育学者は、農民との対話の中で、「あちらにある森の中に一本の松がある。そこは『世界』だと言えるだろうか」と一人に質問した。問われた農民は「『これが世界だ』という人間がいなければ、そこは世界ではない」と答えたといいます。農民たちが永い間、地主に「搾取され、支配され、抑圧されていた」時、「これが搾取である」と地主との関係を言い当てる表現を持たなかったがゆえに、「搾取」「支配」「抑圧」こそが当然(自然)の日常であって、地主のおかげで自分たちは生きていられると、思い込まされて(思い込んで)いたのです。状況や事態を言い当てる言辞を持つことこそ、支配・抑圧関係を破るきっかけになった。支配階級からすれば、迷惑なことだったでしょう。無知蒙昧な農民が「目覚めた」のですから。これを「教育」というなら、あらゆる段階の「無知の状態」からの解放をこそ、ぼくたちは果たさなければならないのではないでしょうか。「学歴」に終始する教育なんか、糞喰らえ、ですね。
表現はひとまず置いておいて、「自分は認知症」であるという自覚を失わないことはとても重要だし、果たして、それは可能なのかという大きな課題がぼくたちに課されていると思う。「無知」に陥る落とし穴は、日常のいたるところに準備されています。「認知症」で困るのは、罹患しているご当人ではなく、周りにいる人びとであるのがほとんどなのだ、ということを熟考したい)
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