クマよりも厄介で危険なウィルスが

【小社会】クマからダニまで 自宅のある高知市郊外の住宅地で数年前から野生動物に出くわす頻度が増えてきた。夜、タヌキが平然とうろつき、警戒心が強いはずのハクビシンや野ウサギも見かける。🔷小型の動物なので、鉢合わせしても逃げ出すのは向こうだが、もし相手が大きかったらどうだろう。北海道や本州で人がクマに襲われる例が相次いでいる。先日も北海道の羅臼岳で登山者が死亡した。🔷身の危険は感じなくても近年、シカやイノシシ、サルなどによる山や畑の食害が拡大し、社会問題化している。動物と人はいにしえより多少の緊張関係はあったにせよ、持ちつ持たれつの関係であったはずなのだが。🔷専門家は「動物と人との親密な関係は、植物とともに、神を仲立ちとして、自然と文化をとりもつ重要な役割を果たしてきた」とする(長沢武著「動物民俗Ⅰ」)。その「親密な関係」が次第に損なわれつつあるのかもしれない。🔷これも余波だろうか。マダニが媒介する厄介なウイルス感染症「重症熱性血小板減少症候群」の年間累計患者数がことし、早くも過去最悪となった。しかも本県が全国最多というから穏やかではない。🔷吸血するマダニは「シカやイノシシ、野ウサギなどの野生動物が出没する環境に多く生息する」と国立健康危機管理研究機構。温暖化で繁殖しやすくなったともいわれる。いまや私たちは、大きなクマから小さなダニまでも敵に回してしまったのだろうか。(高知新聞・2025/08/21)

 数日前に動物病院に行って驚いた。狭い院内の数か所に、「マダニ注意」の張り紙がペタペタと貼ってありました。「マダニ除(よ)けの処置をしていない犬や猫は診察しません」と(書いてはいなかったが)、いかにも言いたい書きぶりでした。連れて行った猫にはその数日前にマダニ駆除用の点滴液をつけておいたので、問題はなかったが。じつは、この数か月前に、三重県の獣医さんだったか、マダニに感染していた猫の手術をした際に、マダニが媒介するSFTSウィルスに感染し死亡というニュースがあったばかりでした。もちろんぼくも知っていたし、動物医の界隈では大きな話題になっていたことと思われます。

 拙宅ではもう何十年も前から「保護(野良)猫」をたくさん育ててきましたし、もちろん動物病院にも常にかかわりを持ってきましたが、少なくとも5年ほど前まではこの「マダニ」に関する情報は一切なかったし、それへの対応も求められませんでした。詳細は省きますが、マダニ対策に、ほとんどの獣医が進めるのがドイツ製の「フロントライン(FRONTLINE)」です。そのほかにも諸種の薬品はありますが、これが「一番」というくらいに勧められました。ところが、実に高価で、月一回当てが処方の基準とされており、拙宅では猫の数が多いので、トータルでは約2万円近くかかります。費用はともかく、点滴しなければならないと、毎月、それこそ悪戦苦闘、なかなか触らせなくなったものもいくらもいるし、すっかり外で暮らして、食事だけを摂りに来るのもいくつかいる。これまでにも、あるいはマダニかと思われる虫に咬まれている猫が何匹かはいました。その時は見つけられたからよかったと思ったが、手を抜かないで「駆除剤」の処置をサボらないことだと強く思いました。「咬まれていた猫」には、当然点滴薬を処方しました。

 面倒だからと放置もできないので、まことに厄介なことになっています。外に出ない犬や猫ならやや安心でしょうが、拙宅の猫たちは出入り自由にしているので、この点滴をしないわけにはいかないのです。もちろん上記の薬はマダニだけではなくノミなどの駆除にも有効だと言われています。自分では「保護猫」が趣味だとは思わないし、誰かが世話をしなければ仕方がないという思いで猫と暮らしていますので、それこそ、なにかと手がかかる。このところ喧嘩で怪我をすることも、いまのところなくなったし、これまでは何匹かが「蛇」に咬まれたのか、大きく腫れて心配したが、大事に至らなかった。昨日は、二、三匹がそろって、小さな蛇を「弄んでいた」ので、それを引き放して、野原に逃がしてやった。後で、あれは「ヤマカガシ」だと気が付いたが、もう見えなくなっていました。

 森や林が多い分、多くの野生動物が棲息しています。時には敷地内に「侵入」しては庭を荒らすこともある。ほとんどはイノシシですが、キョンもいればハクビシンもいる。もちろんタヌキも先住民です。というわけで、野生動物と暮らしているようなものですが、それらが大半が「SFTSウイルス」の媒介をしていますし、自らが感染して死亡することもあるといいます。いずれにしても、根本的な解明がなされることを待望するばかり。

マダニに噛まれたら「付けたまま」皮膚科へ!致死率最大30%の感染症SFTSから身を守るために知っておきたい知識 
感染者の10人に1人が死亡
マダニが媒介するSFTSの感染が拡大しています。感染エリアも拡大傾向にあり、昨年までは西日本エリアに感染者がほぼ集中していましたが、今年に入ってからは東日本エリアや北海道でも感染者が見つかっています。/じつはSFTSウイルスの存在が確認されたのはごく最近のことで、2011年に中国で発見されたのが最初です。ウイルス自体はそれ以前から存在していたと思われますが、それまではおそらく原因不明の風土病的な扱いだったのでしょう。近年、遺伝子解析の技術が進んだことでようやく謎の病の原因があきらかになったというわけです。/日本では2013年、山口県で国内初のSFTS感染例が報告されました。当初は致死率が30%以上にもなり世間を震撼させました。近年の致死率は10%前後を推移しているようですが、それでも年間100人以上が感染し、感染者の10人に1人程度は亡くなっているわけですから、命にかかわる怖い感染症であることに変わりはありません。
森や林だけでなく住宅街にも生息
まずはSFTSウイルスを媒介するマダニの生態について説明しておきましょう。/部屋の布団やソファの中に潜んでいる一般のダニ(イエダニ、ツメダニなど)とマダニを混同している人も多いようですが、別物です。/普通のダニは小さくてほぼ肉眼では見えないのに対して、マダニの成虫は3〜8ミリほどの大きさなので肉眼でも十分確認できます。またマダニは家の中ではなく、野山や草むら、田んぼのあぜ道など野外に生息していて、シカやイノシシなど野生動物の血液を吸って生きています。/都市部にはほとんど存在しないと考えられていたのですが、実際には住宅街や近所の公園にもマダニは生息しています。とくに近年はシカ、イノシシ、クマ、サルなどが山から住宅街に降りてくることも多くなり、子供たちの遊び場となっている自宅の庭や公園の草むらでマダニに噛まれるリスクも高まっています。(以下略)(dmenu・FNNプライムオンライン2025/08/16)(右写真も)
ネコ治療した獣医師死亡、マダニ感染症疑い 獣医師会が注意呼びかけ マダニを通じてウイルスが哺乳類に感染する重症熱性血小板減少症候群(SFTS)について、感染したネコの治療にあたっていた獣医師が死亡していたことが、わかった。獣医師も感染していた疑いがあるという。/関係者によると、亡くなったのは三重県内で動物病院を開業している獣医師。検査でSFTSと確認されたネコの入院治療にあたった後、5月に呼吸困難などSFTSの症状がみられ、病院に搬送。数日後に亡くなった。マダニにかまれた形跡はなかった。ほかの動物病院関係者や飼い主らに症状はないという。/日本獣医師会は三重県獣医師会からの報告を受けて事案を把握。6月12日付で、各都道府県の獣医師会に対し、診療時の留意事項などについて注意喚起するメールを送ったという。/SFTSは、森林や草むらのマダニが媒介する。マダニにかまれるほかに、感染したネコやイヌを通じてヒトに感染する。6~14日の潜伏期間の後、嘔吐(おうと)や下血、発熱が起きる。ヒトでの致死率は最大3割、ネコでは6割が死ぬとされる。
飼い主に感染するリスク 日本では2013年にヒトへの感染が初めて確認された。国立健康危機管理研究機構のまとめでは、25年4月末までに1071例の患者が報告され、117人が死亡した。21~24年は毎年100例以上、23年には過去最多の134例の患者報告があった。(以下略)(朝日新聞・2025/06/13)

 コロナ感染症もいまだに発生中です。まだまだ人類にとって未知のウィルスが多く存在するという明らかな証拠ですが、この感染症はコロナよりも致死率が高いという情報が出るのですから、動物好きには穏やかならぬ事態です。SFTS感染症に対する研究にも、ぼくは大きな関心を持っているのですが、ようやく病原菌の正体がわかりそうだという報道もありました。そこから進んで、更に有効なワクチンの開発も進められていることだと期待はしています。「猫と暮らせば」いいことばかりではないということ、身命を賭して猫や犬と暮らす覚悟が必要ですね。(ただ今11時30分。室温32.1℃、湿度66%。少々疲れていたので、仮眠をとっていました。何事においても「老化」を知らされている)

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主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。

 痩せても大新聞、枯れても全国紙と自称・他称し、されている二つの新聞が、そろって、競馬新聞ではないが、大外れ(予想)記事を流した。一方は号外まで出すはしゃぎようだったし、他方は、負けじと先陣を切る勢いで「石破退陣へ」と大々的に活字を躍らせた。およそ一カ月近く前のこと。まるで今日か明日にでも「退陣」という似非(えせ)記事を書いた手前、それ以降の報道は実に締(し)まらないものになっていると、ぼくには思われました。パンツをはいたままで「小便を垂れる」類で、書く方も読むほうも気色(気持ち)が悪いのではないですか。一カ月近く、「誤報」だったとは認めないし、当然「訂正記事」も出さないと決め込んでいるのは、ぼくには笑止千万です。(ヘッダー写真は「石破首相 退陣意向で号外配布 JR札幌駅近くで」読売新聞・2025/07/24)

 「何月何日に辞める」と書いたのではないから、訂正の必要は認めないというのでしょうが、冗談も休み休みにしろ、と言いたいくらいです。ぼくは現首相を評価などしていません。戦後の首相で唯一、「政治家」として評価に値するのは石橋湛山氏だけと、これまでも何度か述べてきました。石橋さんは二カ月足らずの首相在任期間でしたから、首相の任に相応しかったかどうかは、評価を下すにはそぐわないと考えてきました。もちろん、湛山氏は傑出した経済ジャーナリス(「東洋経済」の中心人物でした)だったし、政治家として(大蔵大臣として)戦後復興期の重要な仕事を果たした人です。その湛山氏にして「禍根を残した」と思われる「間違い」の大きなものが「二つ」あったとぼくは考えています。

 その一は、総裁選挙で争ったときに、第二位になった I さんを閣僚にしなかったこと。あろうことか「戦犯」政治家をその代わりに選んだことでした。その人を登用するのは政権運営に資すると考えた「妥協」だったか。そのために、彼が就任早々に病に倒れた時、後任首班に「戦犯」政治家が任命された、それがその後、今に至るまでの「日米安保条約」下の日米(隷属)関係が固定されるきっかけを作ったのでした。その二は、病床にあった際、側近は「潔く、辞任を」と強く求めなかったら、彼はだらだらと「首相任期」をいたずらに引き延ばす恐れがあった。時の官房長官 I 氏は、強く辞任を求めて短命のままで首相を辞任したのでした。湛山氏にして「権力」に魅されたかと思われます。

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● 石橋湛山 (いしばしたんざん)生没年:1884-1973(明治17-昭和48)= 評論家,政治家。のちの身延山久遠寺法主杉田湛誓の長男。東京に生まれ山梨で育つ。早大文学部哲学科で田中王堂の影響を受ける。《東京毎日新聞》を経て1911年東洋経済新報社に入り,24-46年,主幹,専務,社長として同社を主宰。同社の急進的自由主義の伝統を継承,内における民主的政治体制の樹立と,外における帝国主義外交の廃止,とくに植民地放棄の主張をもって,大正デモクラシーの思想的頂点に立った。早くからケインズ理論に学び,30年,浜口雄幸内閣の金解禁は経済界に打撃を与えると反対し,経済評論家としての名声を高めた。満州事変後戦争拡大に反対し,言論の自由を唱えつづけた。敗戦直後日本自由党に入る一方,山川均主唱の民主人民連盟世話人にも加わった。46年第1次吉田茂内閣蔵相としてケインズ流の積極財政を展開,翌年代議士に当選直後,占領軍との対立により公職追放となる。52-63年代議士に返り咲き,鳩山一郎を助け吉田茂と対立,54年日本民主党結成に参画。鳩山内閣の通産相に就任。56年自由民主党第2代総裁に当選,首相となり,向米一辺倒の否定,1000億円減税など清新な政策を掲げたが,病のため2ヵ月で辞任。進退のいさぎよさが世論の賞賛をよんだ。以後日ソ協会会長,日本国際貿易促進協会総裁などを歴任し,中国,ソ連との友好関係維持につとめた。全集15巻(1970-72)がある。(改訂新版世界大百科事典)

【水や空】8月の石破色 彼が読まないのは「空気」だけ-と、いささか無遠慮な人物評をそう言えばどこかで目にした覚えがある。石破茂首相が大の読書家として知られることをあらためて思い起こした▲6日の広島では〈太き骨は先生ならむ/そのそばに/小さきあたまの骨あつまれり〉と歌人・正田篠枝さんの短歌であいさつを締めくくった。9日の長崎は〈ねがわくば、この浦上をして世界最後の原子野たらしめたまえ〉と永井隆博士の言葉を引いた▲首相として初めて臨んだ8月の被爆地だ。あいさつは「あいさつ」でしかない。それでも、広島と長崎の地名を置き換え、数字や日付に必要な手直しを加えて、あとはコピーとペースト…の歴代の首相たちの言葉とひと味違って聞こえたのは事実▲「終戦の日」の戦没者追悼式では「進む道を二度と間違えない。あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません」と式辞で述べた。首相が久しぶりに「反省」に言及したことがこれも話題を呼んだ▲党内の強い退陣圧力に抗うかのように発揮される石破色は、何とか風向きを変えたい気持ちの表れなのか、「最後の意地」と読むべきか▲そんな中…石破首相の進退について「辞める必要はない」との回答が5割を超えた、とする世論調査結果を全国紙が昨日報じていた。(智)(長崎新聞・2025/08/19)

 現首相は石橋湛山さんを高く評価している。どこを評価されているのか、ぼくにはよくわかりませんけれど、胆力の鍛え方だけは学ばなかったに違いない。また湛山氏と決定的な違いは、現首相は二世議員であるということ。世襲がよくないというつもりは(かなりあるにはあるが)、あえていうなら、それはないけれど、おおむね、「ハズレ」が多い確率は高いのは周知の事実。現首相も「ハズレ」組だと思う。だからどうこういわない。他の候補者「よりはマシ」という程度でしょう。「よりわるい」よりは「よりマシ」を選びたくなるのは当然だと思っている。

 ぼくは、どんなものでも、必要以上に「世論調査」を重視することはしない主義です。調査の仕方で、正反対の結果が出ることはいくらもあるし、調査そのものの「信憑性」はどうなのかという不信感があるからです。「早期退陣」を報道した二紙、その後の報道姿勢を観れば、まるでお茶を濁すような記事や調査結果を報じている。質(たち)が悪いというか、程度が低すぎるというべきか。「オールドメディア」は終わったとかなんとか言われながら、「政局がらみ」になると、全国紙は俄然元気が出るし、他のメディアも注目するのはどうしてでしょうか。つまりは、この国の政治は、偏向(偏見)新聞や「偽情報満載」の各種マスコミの格好の餌食にはなっているが、読者が求める「事実」報道には程遠いということではないでしょうか。「報道の自由度」ランキングが発表されています(国境なき記者団)。(右は毎日新聞・2025/08/19)

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 「子曰、君子不重則不威。學則不固。主忠信、無友不如己者。過則勿憚改。」(「論語 学而-8」)

 この社会がいかなる事態・情勢にあり、この国がどんなに低劣な政治状況の中で呻吟しているか。それを正確に報道する側に「謙虚」というか「誠実さ」というものが欠けていれば、どんなにひどい状況に埋没するかは言うまでもありません。「時代や社会の風潮に掉さす」ような、そんな報道機関ならいっそのことない方がましですね。幼稚園の子どもにも分るような「箴言(しんげん)」があります。「過則勿憚改」。または、「馬鹿は死ななきゃ治らない」とも言います。天下の新聞社が、堂々と「誤報」を打ってまで、「石破おろし」に躍起になっているのはなんでやねんと、馬鹿らしくなります。天下国家を論ずるに忙しい「知識人」集団が、「間違いを改めるのに逡巡している」のか、それとも「あれは誤りではなかった」と、ここに来ても言い張るのか。どっちにしても救いがたい報道機関だというほかないですね。「石破首相は辞任するべき」というより前に、「Y」・「M」新聞」は「今からでも遅くない、過則勿憚改」ということを実践してくださいな。

 「学び方が足りないと意固地になるさ」「仕事は忠と信を旨としなければ」「自分と同じかそれ以下のものとつるんではダメだよ」「過ちだと気がついたなら、それを糺すのに間髪入れなさんな」ということ。これを「社則」というか「社訓」にしたら如何でしょうか。こんなばかばかしいことに付き合うのですから、「国民」でいるのも疲れます、本当に。「書きたいこと」ではなく、「書かねばならぬこと」を、ぜひ記事に認(したた)めてほしい。

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米露両首脳に「平和賞」を!

 「恥も外聞もない」とは「恥ずかしいいと思って尻込みしたり、人からどう見られるかを気に掛けたりすることなく、なりふり構わずに物事を行なうさま。体裁を気にしないさま」(デジタル大辞泉)というらしい。逆に言えば、たいていの人は「恥ずかしい」と思ったり、「他人はどう見るか」を気にするということでもあるでしょう。「なりふり構わず」「体裁も気にしない」で、この大統領はどうしても欲しいのだ、「ノーベル平和賞」が。その理由は、ここに書くのも憚られる、それこそ恥ずかしくて書くことを躊躇する、そんな隠されたわけがあるのです。(小さな声で囁くとするか。「オバマが貰っているじゃないか。あいつには負けたくないのだ。しかも彼は白人じゃないぞ」、というのですから、箸にも棒にもかからない、愚者だと思う)

 昨日のアメリカ発のあるニュースに、クリントン元国務長官が「ウクライナ和平が実現するなら、T 大統領に平和賞を」と言ったとか。彼女に「ガラスの天井」が破れなかったのはこの大統領に負けたからだが、昨日の敵は今日の友ということか。ぼくが数日前に見た「夢」は、欧州首脳たちは挙って米大統領を持ち上げて、平和賞受賞を後押ししている・いたというもの。あるいは、それは「悪夢」ではなく、「正夢」という意味では好結果を齎すか。これが「政治(家)」というものですかね。問題児は「棚上げ」するに限るということか。

~~<ヒラリー氏「ウクライナ侵略終結ならノーベル賞を」 トランプ氏「彼女を好きになるかも」 ロシアとウクライナの停戦への道筋を示すことができなかった15日の米露首脳会談を前に、ヒラリー・クリントン元米国務長官はポッドキャスト番組で「トランプ大統領がウクライナでの戦争終結に貢献すれば、ノーベル平和賞に推薦する」と発言していた。ヒラリー氏とトランプ氏は2016年の大統領選で戦ったライバル。/ヒラリー氏は条件として「ウクライナの領土を渡さないこと」とし、ノーベル賞推薦について「私の目標はプーチン氏への屈服を許さないことだからだ」と述べた。/これに対し、トランプ氏はFOXニュースのインタビューで「それはいい。また彼女を好きにならなきゃいけないかもしれないね」と語った。トランプ氏はこれまで度々、ノーベル平和賞受賞の意思を示している>(產經新聞・202508/18)~~

【余録】「独逸(ドイツ)の国もゆきすぎて 露西亜(ロシア)の境にいりにしが さむさはいよよまさりつつ ふらぬ日もなし雪あられ」。明治期に流行した軍歌「波蘭(ポーランド)懐古」。18世紀末から周辺の大国に分割統治されたポーランドを哀れんだ▲第一次大戦後に独立を回復したものの、ナチス・ドイツの侵攻で第二次大戦の発火点に。戦後は東部がソ連領、西部の旧ドイツ領が新たな領土となり、地理的中心が西に約250キロも移動した▲国境線を決めたのはやはり大国だった。米英ソ首脳のヤルタ会談でソ連の主張を認める一方、ポーランドにドイツ領を割譲することで妥協が図られた。全領土回復を求めたポーランド亡命政権の意向は無視された▲米露首脳のアラスカ会談にヤルタ、ポツダムと続いた80年前の巨頭会談を思い浮かべた。侵攻されたウクライナのゼレンスキー大統領が不在の状況で「即時停戦」から「包括的和平合意」を目指す方向にかじを切り、領土割譲まで議論の俎上(そじょう)に載ったという▲2度の世界大戦の反省から国連憲章は「武力による威嚇や武力行使」を戒め「正義及び国際法の原則」に従うことを求めた。戦後秩序の出発点が揺らいでは「弱肉強食」の世界が復活しかねない▲ゼレンスキー氏や欧州首脳がワシントンに飛び、トランプ米大統領からじかに話を聞いて話し合う。当事者の意向を無視できる時代ではあるまい。和平は望ましいが、プーチン露大統領の思惑に操られるようではトランプ氏が熱望するノーベル平和賞も遠ざかるだけである。(毎日新聞・2025/08/19)

 「余録」氏が書いているようなことは、米大統領の「停戦交渉」仲介問題が起こったときにぼくは想定したし、そのことを駄弁った記憶があります。どんな権限があって、「この地(州)とこの地(州)をロシアに渡せ」と命じるのだろうかと、ぼくは大いに訝るが、大国の、それも独裁者だからこそというのかもしれない。「ヤルタ会談」の結果は、この東海の小島にも無関係ではなかった。今ある国土に制限されたのは当然のことで、「武力による現状変更」は許されないことだという鉄則があるのだから。それを無視すれば、どんなこともできるし、大国や強硬派はいつだってそうしてきたのだ。世界地図のかなりの部分は長く落ち着いているが、地球の火薬庫のようになっているいくつかの地域は、確かに大国が当事国を抜きにして土地の割譲や山分けをしたところ。パレスチナ問題もしかり。「北方領土」返還問題はどうなっているのか、なってしまったのか。

 今、アメリカがやろうとしているのは「大統領」の体質と気分によるだろうから、仮にそう決まったところで、いずれまた紛争が再発することは避けられません。「2度の世界大戦の反省から国連憲章は『武力による威嚇や武力行使』を戒め『正義及び国際法の原則』に従うことを求めた。戦後秩序の出発点が揺らいでは『弱肉強食』の世界が復活しかねない」(「余録」)というより、復活しているのですよ。国連の存在如きは歯牙にもかけないのが「アメリカファースト」であって、アメリカ抜きでやれるものならやってみろと言わぬばかりのスゴミ様です。NATOもまた、その意味では風前の灯火。要するに「ノーベル平和賞受賞」を妨げるものは何であれ、目の敵にするという勢いで大統領を勤めているのだから、話にもならないし、手にも持負えない「悪態の権化」になりきっているのではないですか。この暴漢を阻止することができるのはP 大統領だけだという印象はさらに深まったのではないでしょうか。

 以前にも書いたことだが、米露大統領に「平和賞」同時授賞を決断することをノーベル賞委員会に提案したい。それも一つや二つではなく、米大統領には三つでも五つでも。ウクライナ問題、パレスチナ問題、その他、目下戦闘中・紛争中のほとんどに米大統領は、自己流の「停戦」「和平」実現に関心(色気)を持ち、確信とやらもありそうです。これまでも当該国首脳たちは、彼の平和賞受賞の推薦を隠さないでいます。「当事者の意向を無視できる時代ではあるまい。和平は望ましいが、プーチン露大統領の思惑に操られるようではトランプ氏が熱望するノーベル平和賞も遠ざかるだけである」とコラム氏は書かれているが、果たして、そうでしょうかね。動きは反対の方向に、ではないですか。

 「米露」がアラスカで会談したという事実、それこそが、今風「平和の証」となっているように思う。「二人はできている、つまりは、魚心に水心なんだ」と見られますが、如何か。

 ここでいう「和平」「平和」は、「戦闘」「侵略」の束の間の「休戦」間のこと、「一瞬の停戦こそが平和」なんですよ。世界の歴史はそれを示していないでしょうか。一瞬とは三日間か、一カ月か、三年のことか。あるいは五十年か百年か。戦争の中にも平和があるし、平和の中にも戦闘は絶えないのが、人間集団が創り出してきた歴史の実相です。

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「ドイツ人の戦争責任に終わりはない」

【小社会】「反省」 ドイツで16年にわたって政権を率いたメルケル元首相は「ドイツの母」「欧州の盟主」の異名を誇る敏腕政治家だった。同時に戦後生まれながら、ドイツが背負った歴史問題に正面から向き合ってきた人でもある。🔷「虐殺を行ったのはドイツ人。この責任に終わりはない」。ナチスによるユダヤ人の大量虐殺を繰り返し謝罪した。大罪を犯しながら、ドイツがいま、世界で確固たる信頼と地位を獲得しているのは、工業力だけが理由ではないだろう。🔷日本の政権与党にも、日本はもっと中国や韓国との歴史問題に誠実に向き合うべきだと説いた重鎮がいた。官房長官や自民党幹事長を務めた故野中広務氏である。🔷その思いは強く、政界引退後も時の政権にこう注文を付けた。「(日本が犯したかつての侵略行為を)もっと冷静に謙虚に受け止めて反省をしてくれなかったら、この国の将来は危うい」(岩波書店編集部編「私の『戦後70年談話』」)🔷石破茂首相が全国戦没者追悼式の式辞で「反省」に言及し、自民保守派が反発している。「反省」や「謝罪」は2015年に当時の安倍晋三政権が出した戦後70年談話をもって終止符を打ったとの認識らしい。🔷ドイツとの意識差に言葉を失う。野中氏は18年に他界するが、党内の空気を憂慮していたのだろう。「このままでは、死んでも死にきれない」とも述べている。迎えた戦後80年。いまも泉下で同じ思いに違いない。(高知新聞・025/08/18)

 (ヘッダー写真は「東条英機(前列左から3人目)内閣の閣僚ら。有権者が選んだ衆院議員は一人もいない。発足約2カ月後に太平洋戦争が始まった=1941年11月16日」(毎日新聞・2024/08/04)

 朝鮮侵略 (韓国併合・1910年)以降、「 満州事変」を経て、 日米戦争突入から1945年8月15日に「敗戦」を迎えるまでの、我が国が関係した戦争の歴史を「十五年戦争」と呼びます。恐らく、この呼称は、今日では一般的なものとされていると思われます。「韓国併合」を起点にすれば、およそ35年の長きにわたる戦争を極東の小国は継続してしてきたことになる。さらに遡(さかのぼ)って、日清・日露戦争を含めれば、半世紀以上に及んで他国と戦争をしてきたことになります。異様とも異常ともいえる「好戦国」だった。

 その理由は何だったか。本来、この国は戦争大好き国でも暴力礼讃国でもなかったのに、なぜだか、「明治維新」以降、まるで空中に舞い上がった塵芥のように、国是として「脱亜」「脱亜入欧」を無謀・無体に成し遂げようとしたのではなかったか。つまるところは、欧州列強(「一等国」と漱石はい言った)の仲間入りを(ごく一部の権力者が)願ったということです。そのならず者に唆(そそのか)されて、無知な国民(民衆)は煽られ、宙を舞ったというのが、無謀な戦争を始めて泥沼の深みにはまりきってしまった理由だったろうと思う。被害や犠牲が自国にとどまっている限りは、対外的にはそれほどの問題は生じなかったが、残念なことに、あらぬいちゃもんをつけて、他国に土足で侵入し、国土を侵略し、人命を奪ったのでした。「戦争責任」は、日本人の誰にもあると言えば誤解されそうですが、「戦争責任」に無関係ではありないことは認めなければならないのではないですか。

 「虐殺を行ったのはドイツ人。この責任に終わりはない」」と独首相だったメルケル氏の姿勢をコラム氏は評価されているが、それは当たり前のこととして評価しているのであって、そうしなければ、ドイツは少なくとも欧州では生きていけないことは確かだったからだ。「戦争責任」に終わりはないのも事実として認めた方がいいでしょう。そうしなければ、何時だって「責任を問われる」(「責任問題を蒸し返される」という人もいるが、「責任を問われる」のと同じこと)、そこには切りも果てもないのです。「こんなに謝ったのだから、もういいでしょう」、「もういいかい」などと、まるでかくれんぼの囃し言葉のように、加害者が言うべきではないことを々明らかにしておきたい。(内側に向かって)威勢のいいことは言えても、果たして被害を与えた国や国民に対して、もう「謝罪外交」は一切しないと「啖呵」を切れるのか。(左写真「1970年12月7日、ポーランド・ワルシャワ市内のユダヤ人慰霊碑前でひざまずく西ドイツのブラント首相(中央)」(DPA=共同)

 (余談として この問題は「靖国参拝」と事情は重なります。国家権力に連なる政治家が、いくら「個人として」といいながら、実態は政治家何某、国務大臣何某として参拝意図を表明して神社に出かけるのだ。「個人の内面の問題」というけれど、自分の都合ばかりを主張して、他者の「内面の問題」をまったく顧慮しないというのは、どう考えても理屈に会わないし、感情問題としてもすっきりしないでしょう。「参拝」の是非は個人の自由だから、それまでもぼくは否定はしないが、言うまでもないが、(特別)公務員の身分を辞してから参拝すべき。わざわざ、「戦争犯罪人」を祀る神社に出かけること自体、「戦争責任」を真っ向から否定する態度でしょう。もう少し他者に対して「誠意」を示したらどうですか。集団参拝に及んでは言うべき言葉ももたない、愚劣そのもの)

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● 十五年戦争(じゅうごねんせんそう)= 1931年(昭和6)の満州事変から、1937年の日中戦争、1941年の太平洋戦争を経て、1945年の敗戦までの足掛け15年間の戦争をいう。/従来、第二次世界大戦における日本の戦争は、大東亜戦争、太平洋戦争といわれてきた。前者の呼称は、太平洋戦争開始直後の1941年12月12日、東条英機(ひでき)内閣が日本の戦争目的は、米英など白人帝国主義からアジアを解放し、日本を盟主とする「大東亜共栄圏」の建設にあるとし、今回の戦争を「支那(しな)事変を含めて大東亜戦争と呼称す」るとして決定されたもので、公権力決定の呼称によって、日本の侵略戦争を「聖戦」として美化したものである。一方、後者の呼称は、敗戦直後の連合軍の占領下でアメリカによって採用された。1946年(昭和21)4月、連合国最高司令部(GHQ)民間情報教育局の資料提供による『太平洋戦争史』(中屋健弌訳)が、「太平洋戦争」の表題をもつ最初の本で、以降、太平洋戦争という呼称が一般化した。しかしこの呼称は、第二次世界大戦における日本の戦争を、もっぱら日米戦争に限定し、中国戦線における日本の敗北、中国などへの加害責任をあいまいにする問題をはらむものであった。/ こうしたなかで、第二次大戦における日本の侵略戦争を、ばらばらに切り離してみるのでなく、密接不可分の関連のもとにとらえ、とりわけ中国や東南アジア諸民族への侵略戦争を重視してとらえる視点にたった戦争認識の呼称として、1931年の満州事変を起点とする十五年戦争という呼称が広く使われ始めた。(日本大百科全書ニッポニカ)

● ごぞく‐きょうわ【五族共和】 中国で、清末の辛亥(しんがい)革命当時、清の帝政を廃し、漢・満・蒙・蔵・回の五族の共和体制樹立のために、俉廷芳らが唱え始めた標語。 昭和初期、満州国建国の際に、日本政府の大陸侵略のうたい文句となったスローガン。五族は日本・朝鮮・満州・漢・蒙古を指す。(精選版日本国語大辞典)

● まんしゅうこく‐きょうわかいマンシウケフワクヮイ【満州国協和会】= 満州国発足直後の昭和七年(一九三二)七月に、満州青年連盟を母体として結成された官製国民組織。関東軍の指導の下に、「王道楽土・五族和協和」のスローガンを掲げ民衆の教化宣撫にあたった。昭和二〇年(一九四五)消滅。(同上)

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「徒然に日乗」(823~829)

〇2025/08/17(日)一週間ぶりにあすみが丘へ猫缶を買いに出かけた。相変わらずの混雑ぶりで、酷暑の故もあって、地下駐車場は満杯だった▶昨日とは変わって、驚くほどの高温多湿。(ただ今午後10時。室温29.9℃、湿度76%)全国的にも驚くほどの高温状態が続いている。お盆も過ぎようかというのに、真夏そのものと言うべきか▶米露の茶番会談がアラスカで行われたよう。予想通り、米露は抱きあっていている風を見せているのだ。ウクライナの存在などは、両首脳の眼中にはないと言うべき。それにしても、アメリカ大統領の物欲しそうな振る舞いには呆れ果ててものが言えない。彼の最大の関心事は「ノーベル平和賞」受賞だけ、それ以外はまったく興味がないのだ。二つでも三つでもやったらいいと思う。世界の不幸の種を早く消したいものだ。ロシア大統領は国際刑事機構から指名手配されている身、それを迎え入れるのだから、アメリカも舐められたもの。米大統領の振る舞いは、世界の現実には百害の源となっているし、まさに「狂気の沙汰」そのものだといいたいね。(「プーチン氏に対しては、オランダ・ハーグに本部を置くICC。(国際刑事裁判所)が昨年(2024年)3月に逮捕状を出している。2022年2月24日のウクライナ全面侵攻開始以降に、同国の子どもたちを違法にロシアに強制移送した戦争犯罪の疑いがあるとしている。ICCの加盟国は、逮捕状が出ている容疑者を拘束することが求められている。だが、それを強制する仕組みはない」)(BBC News JAPAN・2024年9月4日(829)。

〇2025/08/16(土)珍しく、午後には雷鳴とともに俄(にわ)か雨が降り、一気に気温が下がった。二、三度稲光がして雷鳴がとどろいた。直後に激しい雨が降ってきた。ほんの数分間だったが、これで一気に気温が下がり、驚くほどの涼しさがやってきた。稲妻と雷鳴の発生の瞬間、急いでパソコンの電源を切る。とはいうものの、終日、高温多湿で体の疲労が取れないままである。まだまだ酷暑が続く気配だ▶株価が4.3万円を超えたが、国内外に、何か「株価高騰」の材料があるのだろうか。インフレ、円安はさらに続くとなると、この先の生活苦は著しいものとなるだろう。日米関税の具体的影響はこの後に明らかになるし、異常気象による農産物の不作状況が明らかとなって来たのでこの先の展望は容易ならざる方向を取るに違いないと思っている▶政治停滞は著しく、国会の存在もないに等しいのだ。政治経済の不調和が長引くのだから、いよいよ、この国の先行きは暗さを増してくるだろう。(828)

〇2025/08/15(金)まさに「敗戦後八十年」日だった。いろいろな感想を持つが、八十年をひたすら生きてきて、結局は敗戦前の国に戻ったかの感がするのだ。「戦前」の復活と言ってもいい。ここへきて、「排外主義」「ファシズム」「全体主義」という驚くべき独善的な教条主義が蔓延(はびこ)ってしまった、その理由は何だったか。たぶん、経済的に振るわなくなって数十年、多くの国民が抱いた「閉塞感」と「外への爆発願望」があいまった結果だったのではなかったか。そして、「戦前」になかったのは「宗主国」を持ってしまい、その驥尾に付すことしか、この国の選択肢がないような状態にしてしまった、政治選択の過ちがそこにあるだろう▶昼前に茂原まで買い物。昨日とは打って変わって、驚くほど高温多湿の一日だった。まさしく「真夏の盛り」というべき程の酷暑だった。老体にはことのほか応える一日でもあった。決して無理をしないが、それでも少しずつ疲労が溜まっているのがわかる。油断しないように留意したい(827)

〇2025/08/14(木)爽やかな風が吹き、思いのほか心地いい日になった。かみさんと娘たちは、朝食後、親戚が所有している九十九里海岸片貝にある「別荘」まで行ってくると言って出掛けた。かみさんの姪っ子家族が数年前に購入したという。当方は未見。片貝の別荘見物からかみさんたちは5時ころに帰宅。その後、娘親子は成田飛行場に出かけてから横浜へ帰ると言っていた▶大阪万博会場では大変な事故が起こっていた。夢洲までの観客の足となっているメトロ線が電気事故で停車。帰宅できなかった人が約三万人だという。「順調に突発事故に対応できた」と博覧会協会。どこまで行けば、万博は大失敗だったという自覚が働くのか。あれこれ事故だらけの万博後には、ごみの島に描かれているのは「スマートシティ構想」だという。副首都構想に都構想を取り下げないままで、ごみの島を有効利用。カジノビルは25階が、2階建てに変更ということになった。地盤沈下の恐れありとの理由。あれこれ含めて、維新の「ゴリ押し」の政治の失策だというべき。バカな政治家が徒党をなすと何をするかわからないという、今日正常のの典型的見本だ。(826)

〇2025/08/13(水)朝から庭仕事をし、高く伸びていた草を除去した。陽射しがやわらかく、それほど暑くもなかったので、仕事をしだしたが、徐々に強い日光が戻ってきて、小一時間もすると汗びっしょりになって、続けることができなくなったほど。ナイロンコードを使ったので、十分には除ききれなかったが、高温と多雨では、すぐに草は伸びだすだろうと思い、無理に根こそぎとることはしなかった▶午後1時ころだったか、お盆のためもあって、横浜から娘親子がやってきた。千葉市内の霊園にある祖母(かみさんの母)行く予定だったが、明日に回し、今晩は一泊することになった。(825)

〇2025/08/12(火)ただ今、午後9時。室温28.9℃、湿度82%。温度も湿度も、一日中変わらないままに、雨は降らなかったが、昨日に続いて超高温超多湿の一日。本日は「日航機墜落事故」40年目の追悼記念日。何度か触れたことだが、ぼく自身にとっても、記憶に鮮明に残り続けている事件だった。飛行機自体が内包していた機体損傷修理の後遺症からの墜落だったかどうか。今になっても「事件の真相」は闇に包まれたままである。この闇の晴れる時が来ることを願う。この「闇」は日米安保体制の必然的に有する対米追従外交に接続している問題である。(824)

〇2025/08/11(月)「お盆」前線の関係で、夜来の雨が少し残っていた。熊本をはじめとする九州方面では大変な豪雨の襲来で、繰り返し「線状降水帯」が発生したという。住宅や道路など被害や、何人かの人命も失われた。この後も、各地で線状降水帯の発生が予想されている。「晴れれば酷熱、降れば土砂降り」を見せつけるような、季節外れの「梅雨前線」の荒れようだった▶五月に家に来た子猫の、避妊手術前の検査のためのワクチン接種。体重は2.1㌔キロほど。次回は9月8日で、再度ワクチンと術前血液検査。そして、何事もなければ避妊手術は9月18日の予定。帰路に、猫缶を買うためにいつものH.C.へ。いつも通りの品ぞろえで、計1.8万円強。これで、約一週間分だ▲午後にはすっかり雨も上がり、実に蒸し暑い日となった。九州方面における豪雨の被害が明らかになってきた。まだしばらくは「梅雨前線」は日本劣島の日本海側に張り付いているので、同じような集中(短時間記録的)豪雨が心配される。(823)

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戦後の謝罪外交に、終止符を打ちたい

◎ 週の初めに愚考する(八拾参)~  日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。(中略)/ 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります」(「内閣総理大臣談話」平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣 安倍 晋三)(右写真は產經新聞・2015年2月15日)

(ヘッダー写真は<戦後80年の夏に「首相談話」は出せる?出せない? 安倍晋三氏の高い壁が、石破首相に立ちはだかる>東京新聞・2025/02/04)

 敗戦後の節目ごとに、この国の総理大臣は「首相談話」を発表してきました。その代表は戦後五十年目の村山談話であり、七十年目の安倍談話でした。それに倣って、現総理も「首相談話」をと望んでいると言われるし、それは断じてならぬと息巻く人々も、自民党の内外にいる。以下に引用したものは昨日の「産経抄」(產經新聞)に記されたものです「石破戦後80年『見解』で謝罪外交復活は勘弁」と銘打たれていました。コラムの内容に解説はいらないでしょう。戦争の惨禍をもたらされた他国に、我が国はこれまで十分に謝罪してきたのだから、ここらで「謝罪外交は終わらせたい」そして、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」(「首相談話」)というのが眼目でした。(左は產經新聞・2015年2月18日)

 だから「もう80年、90年談話は必要ない」とまで言って、故首相同様に產經新聞も、後続するであろう「首相談話」は不要だといいたかったのです。どうしてでしょうか。時の総理大臣であれ、「もう謝るのは辞めた」と、どうしていえるのだろうかという大きな疑問がぼくには消えない。秀吉による「文禄の役=壬辰の倭乱(1592年)」と「慶長の役=丁酉の倭乱(1595年)」出さえ、どうかすると日朝間で持ち出されるのです。時間がどれだけ経過しようが、起こされた事件は消えないし、なかったことにはできないのです。「謝罪外交」などと、よく言えた義理だとぼくなどは思ってしまうのです。8月15日の「終戦記念日」の「挨拶」で、現総理は反省」という言葉を13年ぶりに使ったといって、新聞種になっています。気色のの悪いことを言うものですね。天皇も使われていた「反省」は、このような機会にこそ、使うべき言葉ではないでしょうか。確かに、この国の政治世界には大きく狂いが生じているのは確かでしょう。

【産経抄】石破戦後80年「見解」で謝罪外交復活は勘弁 10年前の8月14日夕、当時の安倍晋三首相が戦後70年談話を発表する記者会見に臨む40~50分前だったか。抄子は突然、首相官邸5階にある首相執務室に呼び出された。2人きりになると、安倍氏は安倍談話の全文を抄子に手渡し、切り出した。「戦後の謝罪外交に、終止符を打ちたい」。▼そして、西ドイツのワイツゼッカー大統領が敗戦40年の1985年に行った有名な演説「荒れ野の40年」の次の抜粋部分を示した。「自らが手を下していない行為について自らの罪を告白することはできません」。安倍氏は、真剣な面持ちでこう説明した。「談話はこの演説を下書きにした」。▼当時、左派文化人らが「ドイツは過去を誠実に謝罪したが、日本は過去と向き合っていない」と批判する際に、お手本のように引用したのがワイツゼッカー演説だった。安倍氏はそれを逆手に取って利用したのである。▼演説の抜粋部分は、実際の安倍談話ではこう記されている。「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。安倍氏は後に周囲に語った。「もう80年、90年談話は必要ない」。▼石破茂首相は15日の全国戦没者追悼式の式辞で、野田佳彦元首相以来13年ぶりに先の大戦に対する「反省」の語句を復活させた。反省の対象はアジア諸国への戦争加害ではなく、進む道を間違い、戦争へと進んだことだとした点では野田氏らと異なるが…。▼首相は、戦後80年の節目に自らの戦争への「見解」を発出する意欲を失っていない。せっかく70年談話で安倍氏がけりをつけた話を蒸し返し、時計の針を後戻りさせることにならないか。謝罪外交はこりごりである。(產經新聞・2025/08/16)

 「謝罪外交」とはどんな外交を指すのだろうか。「済みませんでした」「申し訳ありませんでした」と頭を下げ続けることには耐えられない、これだけ誤って来たのに、まだ謝れというのかという態度にある種の「開き直り」が見て取れます。その証拠に、対韓国・北朝鮮や対中国に対する外交姿勢は、(あったとしたら)「喧嘩腰」「敵視」姿勢が目立っていたのではなったか。「謝り続けるにもほどがある」というものでした。これを当たり前の「外交」の姿勢というのかどうか、ぼくは実に怪訝に思うばかりです。「謙韓」「謙中」などと称して、威勢のいい言葉をぶつけていただけではなかったか。「台湾有事は日本有事」と言ったのも「70年談話」の主だった。つまりは、台湾を出汁(ダシ)にして、対中国敵視政策を米国とすり合わせてきたのが「アンチ謝罪外交」の中身だったと言えます。理屈の通らない「集団的自衛権」もまた、「媚米」外交の実践だったでしょう。ひたすらアメリカの「腰巾着」、「核の傘」にというのが、長期政権の成し遂げた「(対米)土下座外交」の要諦・核心ではなかったか。紛うかたなく「無能政治家の二枚舌」だったと思う

 ぼくは問題を次のように見てきました。他国を植民地支配し、さらに間違った戦争を起こす、その結果、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いたうえに内外に多数の犠牲者を出した。少なくとも他国に与えた人的物的損害に対しては「謝罪」は不可欠だし、「もういいだろう」と相手国が言うまでは謝罪は続けるのが当たり前ではないか。「いつまで誤り続ければいいのだ」というのは加害者の言うことではないでしょう。敗戦後八十年、国内においても戦禍に巻き込まれ多くの犠牲者がでました。その多くの犠牲者もまた、「謝罪」を求めて生きて来られたが、いくつもの裁判でも国は「謝罪」を避けて(門前払いして)来たのではなかったか。

 また、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とも「首相談話」は述べている。どういう意味でしょうか。「あの戦争に何らかかわりのない」人がいるのかどうか。大なり小なり、誰もかれもが「戦争と関わり」を齎(もたら)されてきたし、今も齎されているのではないでしょうか。「戦争を起こした(直接の)責任」は問われないとしても、有形無形の「影響」は被っているのです。それを「責任」という言葉で表現するかどうかは問わない・問われないのであっても、「戦争とのかかわり」は否定しようもないでしょうに。(右写真:「石破首相が追悼の式辞に「反省」復活 2012年から一度も使われなかったキーワードをあえて入れたワケ」東京新聞・2025/08/16)

 「首相は、戦後80年の節目に自らの戦争への『見解』を発出する意欲を失っていない。せっかく70年談話で安倍氏がけりをつけた話を蒸し返し、時計の針を後戻りさせることにならないか。謝罪外交はこりごりである」という大政翼賛新聞の主張はそれとして。(現首相)退陣を隠さない反リベラル一辺倒新聞の主張はそれとして、その意とするところをぼくは認めますが、それはまた「戦争責任」を追うべき国の態度や姿勢とは別のものであると指摘はしたうえで。少なくとも、第二次大戦によっ齎された「人的被害」の驚くべき数字を前にして、ぼくは言葉を失う。一人の独善的・強弁首相の「談話」でけりがつく問題ではないだろうと考えるものです。現首相が「談話」を出すかどうか、ぼくにはどうでもいいこと。総理大臣として「言うべきこと」は言えばいいだけのこと。しかし、「戦争の犠牲者」に対して、戦争当事者が「けり」をつけるということの奇怪さは拭い切れないのです。「謝って済む」問題ではなかろうにと思いますけれど、「謝罪の姿勢」を持ち続けるのが礼儀ではないですか。。

 ぼくは敗戦時、十カ月余の乳児だった。その乳児にも「日本という国家」が起こした戦争の「責任」があるとは思いませんが、「一人の日本人」として、歴史の事実や経緯を知るようになった段階からは、無関係とは言い切れないと思ってきました。東南アジアの人たちと知り合いになった際にも、「一人の日本人」としての「謝罪」の言葉が自ずから口をついたことを記憶しています。間違いを犯したら、関係する人に「謝罪」するのは当然でしょうし、間違いを犯したことを認めるのが付き合いの前提になりませんか。

 「戦後八十年」は、いろいろな面で、現に今ある状態になる・するために使われてきた時間だったとするなら、なんだか、多くの面では残念でなりませんねえ。何が足りなかったのか、どこが間違っていたのか、ぼくは、しきりにそのことを考えている。

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馬鹿は死んでも治らない、か

【社説】週刊誌の差別コラム 新潮社の人権感覚を疑う
  自分と意見が異なる外国ルーツの人を標的にした排外的なコラムである。掲載した大手出版社の人権感覚を疑う。
 新潮社が発行する「週刊新潮」7月31日号に掲載されたジャーナリスト、高山正之氏の連載だ。/外国ルーツの作家や研究者、俳優の名前を挙げ「日本も嫌い、日本人も嫌いは勝手だが、ならばせめて日本名を使うな」と攻撃した。「創氏改名2・0」との題は、植民地支配下の朝鮮半島で人々の名前を日本式に改めることを強制した政策から取られている。/多様性を否定するもので、外国人の排斥につながりかねない。名前は個人のアイデンティティーの一部である。その変更を迫るような言説は、言語道断だ。/「世界文学の一端を担っていくはずの出版社が、レイシズム(人種差別主義)を放つとはどういうことか」。名前を挙げられた深沢潮さんが記者会見を開き、新潮社に謝罪を求めた。朝鮮半島にルーツを持つ作家として、在日コリアンが抱える葛藤を描いてきた。/日本ペンクラブは「排外的言論の横行を懸念します」という緊急声明を出した。作家らからも抗議の声が上がっている。(⇙)

(⇗)新潮社は会見を受け、深沢さんに対し「心を傷つけ、多大な精神的苦痛を負わせた」との謝罪文を自社サイトに掲載した。「(執筆者に対して)必ず世論の変化や社会の要請について詳しく伝えていく」とも約束した。/だが、最新号に掲載されたコラムで高山氏は、この問題についてまったく触れていない。/新潮社は2018年にも人権軽視の寄稿を掲載したことがある。当時、自民党衆院議員だった杉田水脈氏が月刊誌「新潮45」で、性的少数者のカップルは「生産性がない」と主張した。社会問題となり、雑誌は休刊に追い込まれた。/より良い社会の実現に貢献するのが出版社の本来の責務だ。にもかかわらず、人権をないがしろにする問題が繰り返された。その背景を徹底的に検証すべきだ。/社会はさまざまなルーツ、文化的背景を持った人々によって成り立っている。出自を理由に異論を受け付けないような主張がまかり通れば、人々の権利が脅かされ、社会の萎縮を生みかねない。(毎日新聞・225/08/14)

(ヘッダー写真は「『週刊新潮』差別むきだしコラムは、なぜ掲載されたのか 廃刊に懲りないメディアに突きつけられる表現の自由」東京新聞・2025/08/07)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/426776

 このような「差別問題」では、新潮社は前科何犯なのだろうか。繰り返し繰り返し、同じような「偏見と差別」をばらまいて、しかも恬として恥じない、その態度をどう見たらよいか。ぼくはその昔は、週刊誌は毎週3~4誌は読んでいました。もちろん「週刊新潮」も。軽佻浮薄人間の証拠だったと、今でもその記憶は忘れていない。それぞれの週刊誌には得意ネタがあったものだが、近年は、外からしか見ていないので間違っているかもわからないが、「~砲」などと称され「暴露記事」がほとんどで、時には「誤報」や「虚報」がつきものだなどと、世間は「プライバシー」問題の暴露を許容している風潮があると思う。作家などの文化人たちが新潮社は文藝春秋者に対して、時には批判や抗議をのげんじをろうしたりします。けれども、ほとんどの人たちは、あるいは「新潮社」や「文藝春秋社」への原稿執筆を拒否すべきだと思うけれども、寡聞にして、そんな骨のある文学者や評論家がいないのは、この世界の貧寒ぶりを示していないでしょうか。品位や誇りがどこにあるのかな、と思ってしまいます。

 今回の偏見コラムを書いたT氏、產經記者時代から、その分野では高名だった。繰り返し書いてきたように、ぼくはかなり前から產經新聞を読んでいました。いくつかの理由からでしたが、やがて「偏向記事」とぼくには思われる記事が満載になる事実を経験して、購読も立ち読みもやめてしまいました。それでも「産経抄」などのコラムは読んできましたが。なぜ、こんな問題が途絶しないで発生するのか。これにもいくつかの理由があります。偏見を、差別を売り物にする書き手がいるのが第一。そのような差別主義者を呼び込む出版社が存在するのが第二。そして差別や偏見に満ち満ちた記事やコラムを待望している「(情けない)読者」がいることが第三。順番は不同です。要するに「三位一体」となって、万世一系の「差別主義」は延命するのでしょう。

 何よりも「変(偏)見自在」などというタイトルをつけて喜んでいる(と思われる)雑誌側(あるいは執筆者側)の低劣・胡乱(うろん)な教条をこそ打つべきではないですか。「創始改名2・0」という歴史の事実を揶揄せんばかりのサブタイトルに、売れればいいという、ふざけ切った態度が顕現しています。他者の心中に土足をもって踏み込む、倒錯した快感を持っている証拠です。根っからの差別主義、排外主義を堂々と公表し、それを受け入れる土壌をこの社会が持っていることの方が、ぼくには不快であり、深刻な状況だと考えるものです。

 ぼくが若いころに学んだ米国の社会学者マートン氏が白人の黒人に対する差別問題に関して、驚くほど大胆な意見を述べていたのに驚愕したことがあります。このことについては、どこかで触れています。「偏見(考え)(prejudice)」と「差別(行為)(discrimination)」の組み合わせで4類型(パターン)を設定し、それぞれに解説を加えていました。詳細は省きますが、偏見もなく、だから差別もしない人々は「本当にリベラルな人」であるという。まずどこかにいるとはとても思われない一群です。次に、偏見はあっても差別しない人たち、これを「偽善者」と(マートンは言っていたかどうか、ぼくの記憶は曖昧)する二群。そして、もっとも質の悪いというか、問題の追及が困難なのが、偏見はもっていない(と自分では思っている)が、結果的には差別してしまう第三群。恐らく、このような付和雷同型の人々は最も数の多いグループです。「自分は差別なんかしていない。みんなと同じようにしているだけ」と。差別を指摘されると、きまって不満を述べるはずです。そして最悪の人間たちが第四群。偏見を持っているから当然のように差別する。差別主義の確信犯。この類型の人たちに対して、マートンは、いろいろと教育をしても無駄で、「差別主義者として逮捕」すべしといっていました。

 今回の差別問題を生んだ当事者(T氏と出版社)は、言うまでもなく「第四群」ですから、逮捕・拘束に値するとマートンに倣って言いたい気もする。表現の自由、出版(販売)の自由は、当然認められるべきですが、差別を確信し、他者を害する行為はであり、それを目的にするような執筆や出版行為は許容できないものです。確実に「人権侵害(名誉棄損)」に該当するでしょう。問題が発覚してからの当事者の態度(応答)を見ていると、「反省の色」もなければ、「謝罪の誠意もない」と見えます。ならばどうするか。恐らく裁判に訴えるほかなさそうだし、そこまで行かなければ、累犯の虞(おそれ)は拭(ぬぐ)えないのです。(左写真はT氏。産経新聞から) 

 世はdemocracy(デモクラシイ)ではなく、demacracy(デマクラシイ)の波状攻撃にいたく傷つけられている、そんな「濁世(じょくせ・だくせい・だくせ)」ですな。少数意見を尊重するなどという面倒なことは厭うけれど、あることないこと(デマ)を針小棒大に誇張・拡販する、嘆かわしくも愁いに満ちた時代です。にもかかわらず、怯(ひる)むではないぞ(Nevertheless, we should not be afraid.)。

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