【春秋】人の目にも、鹿の澄んだ目にも恥じぬ政治を 異国の暮らしで感じた驚きや喜び、将来の夢。先日、福岡都市圏に住む外国人によるスピーチコンテストがあった。アジア圏9カ国の13人が日本語で生き生きと語る姿に聴衆は温かい拍手を送った▼中国から来日して2年の女性は鹿にまつわる体験を語った。将来への不安で心が沈み、気分転換で訪れた紅葉の奈良。宿へ戻る夜、背後からカツ、カツと足音が近づいてくる。「幽霊や変態だったらどうしよう」。背中のリュックに何かがぶつかった。「いや!」と叫んで振り向くと大きな鹿が。月明かりに輝く瞳に「びっくりしたよ」と声をかけると、鹿はお辞儀をして歩き去った。「鹿が私を見守ってくれていた。あの日、鹿は教えてくれました。君は1人じゃないよと」▼以来、日本語教室の仲間との時間や仕事帰りの夕焼けに小さな幸せを感じ、前向きに福岡で日々を過ごしている▼「逐鹿(ちくろく)」とは帝位や政権を得る争いを、鹿を逐(お)う狩りに見立てた中国由来の言葉だ。逐鹿戦を制して、奈良出身の高市早苗首相が誕生した▼奈良に鹿を蹴り上げる外国人がいた-。日本初の女性宰相は先の総裁選で、根拠の不明な主張をばらまき、なりふり構わぬ姿勢を見せていた。右に偏る新政権。「鹿を逐う者は山を見ず」との故事が戒めるように、大局を見据えてほしい▼憧れの国で鹿に励まされて暮らす外国人もいる。人の目にも鹿の澄んだ目にも、恥じない政治を。(西日本新聞・2025/10/22)

夜来の雨が続いています。ただ今午前6時。室温17.8℃、湿度69%。北海道や東北地方では雪が降ったという。そんな寒さに、老衰いちじるしい脳裏に、ふと「秋の暮」が浮かびました。まるで今の自分のようでもあると感じたのでした。表題句は芭蕉作。この句についてもいろいろと詮索がなされていますが、ぼくはただ、その句境を実感したいと思うばかりです。一説には芭蕉37歳ころの作とされます。まるで漢詩文の世界のを思わせます。そして、この俳聖にとって、「秋の暮」は特別のものだったでしょうか。思いつくままに挙げても、いくつも出てきます。 「この道や行く人なしに秋の暮」「物言えば唇寒し秋の風」「秋深き隣は何をする人ぞ」「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」「人声やこの道帰る秋の暮 」旅に出ても、そのほとんどは旅寝であり、友も少なく、一入孤独の侘しさがが身に染みていたのでしょう。

⦿ 秋の暮= ① 秋の季節の終わり。暮れの秋。暮秋。晩秋。《 季語・秋 》[初出の実例]「さりともとおもふ心も虫のねもよわりはてぬる秋のくれかな〈藤原俊成〉」(出典:千載和歌集(1187)秋下・三三三)「しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮」(出典:俳諧・野ざらし紀行(1685‐86頃))② 秋の日の夕暮れ。秋の夕べ。《 季語・秋 》[初出の実例]「すぎにしもけふわかるるも二みちにゆくかたしらぬ秋のくれかな」(出典:源氏物語(1001‐14頃)夕顔)(精選版日本国語大辞典)
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コラム「春秋」は昨日行われた首班指名に結び付けて、かすかながらもこの国の政治と政治家に「想いを託す」風情です。駄目で元々、裏切られるのは承知しているが、それでもなお、…と、はかない願いを静かに述べられていると、ぼくには読めました。「人の目にも、鹿の澄んだ目にも恥じぬ政治を」と、ね。ことば(「奈良の鹿は日本の誇り、大事にしなければ」と宣ったのはご当人でした)とは裏腹の「逐鹿(ちくろく)」功を奏し、「奈良出身の高市早苗首相が誕生した」のは、何はともあれ、めでたいことと言いますか、本当にめでたいか。女性初の宰相とくれば、もろ手を挙げて万歳三唱の体でも不思議ではありませんけれど、なぜだか、心弾まないのはどうしてか。ぼくはこの女性をかなり前(政治家になる以前)から、それなりに知っていました。どこかで触れましたが、彼女はサッチャー元英首相がお手本だというが、好見本はもっと身近にいる、「(年齢違いの)双子の姉」とも頼ったのが現東京都知事だったのではないか、とみていました。瓜二つの政治行動は気持ちが悪いくらいだったし、いろいろな梯子(はしご)を踏み台にして高みに駆け上る姿もよく似ていました。
前首相を鹿に見立てた「追い落とし」に始まり、幸いにも権力の座にたどり着いた、そのことごとくに「男」がいたと言えば、顰蹙(ひんしゅく)を買うこと請け合いですね。でも、それを忘れるほど愚かなことはないでしょう。これをして「傀儡(かいらい)」という。その謂わんとするところは「 1あやつり人形。くぐつ。でく。2自分の意志や主義を表さず、他人の言いなりに動いて利用されている者。でくの坊」(デジタル大辞泉)。しばしば政治権力においてはよく認められる「二重権力」の姿がだれの目にも明らかでした。「女性初の宰相」も、一皮むけば、これまでの前例に変わりはなかったともいえそうです。「第二次 ❍× 政権」と指弾される所以(ゆえん)です。その「傀儡」実現を側面から応援支持したのは「メディア(特にY新聞やM新聞)」だったという事実も忘れてはならないでしょう。メディアが権力と結託したといっていいでしょう。なにはともあれ、困難を極めるでしょうが、自らの主体性において、「政治」を遂行して戴きたい。
それはともかく、なにがなんでも「頂点」にたどり着くには担ぎ手は選んでいられないという色気をむき出しに奔走されていたようでした。「奈良の女」を標榜されますが、ぼくは「奈良の女」をたくさん知っているわけではないから、確かなことは言えません。ごく少数であれ、知人にはいましたが、実感はとにかくどこの出身であろうとも、人それぞれ、ですね。男女を問わず、人として度量が広いというか、寛容の精神に富んでいるというか、そういう品性をぼくは大変に尊重しますが、この人はどうでしょう。世間にごまんといる「アリビスト(立身主義)」の一人であることは間違いないし、それも飛び切り「自己宣伝」に長(た)けている方と見受けてきました。政治家たるものはそれが当たり前ですが。

あまり仰々しく書きたくないのは、元より彼女のお里が知れているからです。威勢のいいことを言って、大向(右翼)を唸らせるパフォーマンスが目立ちますね。もともとはもっと「中道付近(リベラルと言うらしい)」にいたのですが、永田町の地勢図(地政学)を学ぶうちにおのずと右旋回(右折)したという趣です。「双子の姉」にそっくりです。「憲法改正」「スパイ防止法」「軍備増強」「積極財政」などなど、まことに勇ましすぎるきらいがあるとぼくは見ています。加えて、弱い者いじめが得意の政党とつるんだのですから、見ものですね。加えて、対外的には近隣との交友があっての極東小島の社会ですから、余りいきりたっても始まらないのではないですか。
どちらにしても、時は秋、それも暮方(evening)でしょうか。ここは風波があまりたたないような、秋の暮に相応(ふさわ)しい政治、嘘ばかり、出任せ・ハッタリばかりで成り立つ政治ではないことを希(こいねが)うばかりです。大きくも小さくも、新内閣の政治哲学とその実践に、ぼくは期待はしない。堕ちるところまで堕ちるているこの国の、今時分、さあ、戦闘開始です。腐った政治家には腐った政治ばかりが分相応ですか。余計なことだけはしてくださるなと、一言。
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「秋の暮」がお似合いなのは芭蕉に限りませんでした。並みいる俳人は、挙(こぞ)って「秋の暮」合戦のような、しかし物寂しい佇まいを詠まれています。二十句でも五十句でも出したいのですが、悪ふざけは止めておきます。以下、年代も含めて順不同。どれとどれがいつの時代のものか、判然と区別がつかないところが俳句でしょうか。新政権への「餞(はなむけ)」の意も込められているかもしれませんね。
・反故焚いてをり今生の秋の暮(中村苑子)
・さびしさや一人にあまる秋のくれ(子規)
・何事にもおどろかぬ顔秋の暮 (桂信子)
・まつすぐの道に出でけり秋の暮(高野素十)
・あやまちはくりかへします秋の暮(三橋敏雄)
・去年より又淋しいぞ秋の暮 (蕪村)
・寝て起て又寝て見ても秋の暮 (服部嵐雪)
・木には木の人には人の秋の暮 (原田喬)
・別れてはひとりひとりの秋の暮 (能村登四郎)
・何事も胸にをさめて秋の暮 (久保田万太郎)
・石となり阿修羅となるも秋の暮(楸邨)
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