緊急銃猟地とは、どんな居住地ですか

 このところ、各地の熊情報が頻繁に出されています。恐らく、日本劣島のどこに出没しても不思議ではないほどに、たくさんの熊が街中にまで出向いては、人を襲い、農作物等に多くの被害を齎(もたら)しています。この社会の熊退治は、ひたすら「駆除」という処分法の一本槍でした。銃撃を担う猟師の数不足というか、それ以上に熊の個体数の増加が著しいので、はかばかしい「駆除」の成果が上がっていないようです。(一面では願わしいことと思う)そして猟師たちも、街中で「熊に発砲」を、という自治体の判断に、いくつかの理由で二の足を踏んでいるのです。この問題に関しても、すこしばかりの雑文を書いたことがあります。「駆除」「撲滅」だけが人間と野生動物のあるべき関係維持のために求められる方策ではないことは誰も知っている。しかし、現実に人間の生活世界に熊が出没し、その多くの場合には人間に危害を加えるのだから、「銃殺」するしかないのだという、その一本やり打法は、緊急事態とは別のところで十分に議論が尽くされるべきでしょう。

 愛媛新聞のコラム「地軸」には、熊ならぬイノシシが出ていました。「実りが近いからか、イノシシと遭遇した。夜の散歩中、犬が山際の茂みにうなる。目を凝らすと大きな黒い影。慌ててリードを引いて立ち去ろうとしたら、道路に飛び出し向かってきた」「正対して『こらっ』と一喝すると、横っ飛びで山の方に消えた」と、事なきを得た経験を語られておられる。全国で、野生動物との関係が取り沙汰されてきましたけれど、「これぞ、名案」というものはないに等しい。どこまで行っても人間中心主義を貫く限り、いかにして、「退治するか」という桃太郎や金太郎のマッチョの世界を一歩も出ない、智慧も愛情もない人間集団の為体(ていたらく)です。言うまでもないことで、ぼくにも名案があるのではない。名案はないけれど、「駆除」「銃殺」以外の方法がないものかと、それこそ岡目八目、素人考えを捻(ひね)ってはいるのです。

【地軸】イノシシ 9月の声を聞いても猛暑は一向に衰える気配がない。それでも稲穂は黄金に色づき、柿の木には青い実が膨らみ始めている。▶実りが近いからか、イノシシと遭遇した。夜の散歩中、犬が山際の茂みにうなる。目を凝らすと大きな黒い影。慌ててリードを引いて立ち去ろうとしたら、道路に飛び出し向かってきた。背中を見せては危ない。正対して「こらっ」と一喝すると、横っ飛びで山の方に消えた。▶改正鳥獣保護管理法がきのう施行され、条件を満たせば市街地での「緊急銃猟」が自治体判断で可能となった。対象の「危険鳥獣」はヒグマとツキノワグマ、イノシシの3種。▶だが、のっけから暗雲が漂う。北海道猟友会は、ハンターが自治体の発砲要請に応じないことを容認する方針を示した。かつて会員が行政の要請でヒグマを駆除した際に銃の所持許可を取り消され、不信感が根深いとされる。日当の額、人身事故が起きた場合のハンターへの補償を巡っても不満の声が上がる。▶野生を熟知するハンターと一般の意識の隔たりが表面化したとも言える。法改正を機に、いま一度野生生物との向き合い方を考えたい。▶愛媛県はホームページでイノシシに出合った際の注意を呼びかけている。慌てて走り出すのも、大声を出して威嚇するのも刺激してしまい危険だという。「犬を連れている場合、犬と飼い主を敵と判断し襲ってくる可能性がある」とも。つくづく無知は恐ろしい。(愛媛新聞・2025/09/02)

 「改正鳥獣保護管理法」の改正が施行されたというのです。そのポイントは左表のとおりです。どこから見ても、「人間目線」「人間中心主義(ヒューマニズム)」でしょうか。人間の生命・生活を犯す恐れがある時は、「緊急銃猟」が可能になるというものでした。反対に、熊などを筆頭とする「鳥獣」の側からすれば、とんでもない法改正ということになります。「動物愛護」を、一方では麗々しく掲げながら、他方では「人間の日常生活」が危殆に瀕すると判断されたときには「発砲」「銃殺」は当たり前に認められるというのです。

 何よりも人間生活が脅かされる限りは、熊や猪は「駆除」してよろしいとなったのですが、どうしてだか、ハンターの面々から異議が出されたと報じられています。そもそも「銃猟」がこんなに簡単に容認されていいのかという、根本の議論が抜けてはいませんか、という疑問があるのではないでしょうか。表向きの理由はコラム「地軸」にある通りです。しかし、根本は、人間の都合で「銃殺」していいという判断が、おかしいというのではないでしょうか。同じような場面であっても、ハンターや自治体によって異なる判断が出るとしたらどうでしょうか。ぼくは、コラム氏のお説に同意します。「法改正を機に、いま一度野生生物との向き合い方を考えたい」と。

 誰もが納得すること答えは出ないかもしれません。だからこそ、その地域の状況を見据えて、徹底した議論が必要ではないでしょうか。結論が出ないかもしれませんが、繰り返し議論を重ねることが大事だという気もしています。

 ところで、「危険鳥獣」に指定されているのが「ヒグマとツキノワグマ、イノシシ」だというのも、ぼくには違和感があります。これも議論のあるところ。なぜこんなイチャモンをつけるのかと言うと、その昔、鴇(とき)は「稲」を食い散らす害鳥だというので、それこそ劣島から「駆除」された歴史があります。ぼくが住んでいる町に「鴇谷(とうや)」という地番があります。町の歴史書によると「以前は多くが棲息していたが、稲を食い荒らす害鳥だというので、木片や竹竿を使って撲滅した、今はその名残の地名だけが残っている」というのです。日本全体でも、今では絶滅。どういうわけか、1952年に「特別天然記念物」に指定され、佐渡のトキセンターなどでの人工増殖・人工飼育で辛うじて保護されているのです。

 「危険鳥獣」と指名手配をして、逮捕監禁ならぬ「駆除」「銃殺」をしてまで、撲滅しなければならない理由は何だろうかと、ぼくは他から攻撃・駆除されることを承知のうえで、大きな疑問を投げかけたいのです。

 (これまでにも何度か触れていますが、拙宅の荒れた庭には頻繁にイノシシが出入りしています。植木の根元を掘り起こし、竹の根を食い荒らす。何度か「家庭菜園」計画を立てては見るも、その都度、イノシシの食餌を作るのかと思って、沙汰止み状態。野良猫やアライグマも顔を見せます。さらに、…。というわけで、狸やカラスや、蛇やキョンにと野性味はたっぷりの混合生活を強いられている。野生動物の側からすれば、彼・彼女らこそが「先住民」だというでしょうね)(When in Rome, do as the Romans do(に入りては郷に従え))

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● トキ(Nipponia nippon; crested ibis)= ペリカン目トキ科。国際保護鳥(→保護鳥)。全長 75cm。羽毛は白色でやや薄い桃色を帯びる。後頭に房状の冠羽(→羽冠)がある。嘴は長く,下方に湾曲する。顔と脚は赤い。繁殖期には頸部と背は暗灰色を帯びる。山地の林をねぐらとし,木の高所に枯れ枝で大きな巣をつくって 3~5個の卵を産む。山間の水田や湿地で小魚,タニシなどをあさる。季節による移動はあまりしない。「ぐぁ,ぐぁ」と鼻にかかった声で鳴く。日本,朝鮮半島,ウスリー,中国などに分布し,繁殖もしていたが,今日では中国以外の在来のトキは絶滅した。中国では 1981年にシェンシー(陝西省のチンリン(秦嶺)山脈で 9羽が確認され,その後人工増殖などの試みによって野生に放たれ,2010年には 1000羽以上に増えた。日本ではかつて全国で見られたが,明治期以後乱獲されて減少し,1952年に国の特別天然記念物(→天然記念物)に指定された。1995年4月,新潟県佐渡島の佐渡トキ保護センターで飼育されていた最後の雄が,2003年10月には最後の雌が死に,日本産トキは絶滅した。その後,中国から譲り受けた鳥の人工増殖に成功し,野生復帰を目指す放鳥も実施され,野生での生息数も少しずつ増えている。(ブリタニカ国際大百科事典)

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熱ストレスや物価高ストレスに晒され…

 本日は長月朔日。八月の続きが九月で、何が変わるわけでもなく、気の狂いそうな、体が溶(とろ)けそうな酷暑・灼熱の陽射しに、我が身は行き場を失って、辛うじて家中で倒れ伏している有様。コラム「海潮音」には、①健康リスクには「熱中症、脱水症、腎機能障害、神経障害などがあり」、➁「猛暑とともに収まらない物価高。出回り始めた新米は高値が見込まれ、味覚の秋は懐に厳しいものになりそう」とあり、さらに➂には「給付か減税をめぐる物価高対策の国政議論は停滞。参院選大敗を受けた自民党内の党内政局がずるずると続く」とあります。いずれも「自然災害」などではなく、かといって「人災」そのものだというにはあまりにもバカ臭くなるような、沸騰止まぬ「劣島の晩夏(late summer)」です。われにも人にも「つける薬はない」と言うべき惨状に、怯(ひる)む心をなんとしよう。(ヘッダー写真は:https://tenki.jp/suppl/k_kashima/2023/09/18/32095.html

・紅くして黒き晩夏の日が沈む(誓子)

【海潮音】厳しい残暑と共に9月に入った。気象庁の予報では、この先もしばらくはかなり高い気温で推移するもようだ。「暑さ寒さも彼岸まで」は、暑さや寒さに苦しむ人々を慰めることわざだがきょうびの暑さは違う◆世界保健機関(WHO)と世界気象機関(WMO)が、猛暑が労働者にもたらす影響に関する報告書を発表した。2024年は記録上、最も暑い年だった。気候変動で猛暑の頻度と強度が急激に増加する傾向にあり、熱中症は世界的な社会課題だ◆報告書は、気温が20度を超えて1度上昇するごとに労働者の生産性が2~3%低下すると指摘。健康リスクには熱中症、脱水症、腎機能障害、神経障害などがあり、いずれも長期的に健康と経済に影響を及ぼすと警告する。生産性の低下、健康影響は日々実感するところだ◆一方、猛暑とともに収まらない物価高。出回り始めた新米は高値が見込まれ、味覚の秋は懐に厳しいものになりそう。国民は熱ストレスとともに物価高ストレスにもさらされている◆にもかかわらず、給付か減税をめぐる物価高対策の国政議論は停滞。参院選大敗を受けた自民党内の党内政局がずるずると続く。イライラは熱中症の初期症状の一つでもあるが、国民のそれは沸点に達していると認識したほうがいい。(久)(日本海新聞・2025/09/01)

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「徒然に日乗」(837~843)

〇2025/08/31(日)本日も嫌になるほどの高温多湿日和▶お昼前に土気駅まで。ここ数年は拙宅訪問が年間行事のようになっている卒業生のFさんを迎えに。もう何年(何回目)になるのだろうか。Fさんは、都下の中学校の社会科教師。キャリアは8年になるという。なかなかの向学人で、もともと教師志望ではなかったようだが、いろいろと大変な課題に直面しながら教師の仕事が続いている。お昼ごろから、午後4時直前まで在宅。なかなか公立学校の現実は心地よくないし、劇的に変わる気遣いもなく、教師集団の現実の状況もいい方向に変化するとは思われない。それだけ、学校環境がこの百五十年の歴史の上に今があるのだから、一足飛びに飛躍的に変わることはまずありそうもないと考えられるのは残念至極。何かと無駄話をして、それなりに楽しいひと時を持つことができた。(ただ今、午後10半過ぎ。室温30.2℃、湿度73%)(843)

〇2025/08/30(土)「気温ランキング 国内では8月6日以来の40℃超 東京は今年最高を更新 今日30日(土)は関東や東海で危険な暑さになっていて、三重県桑名市と埼玉県鳩山町では国内で8月6日以来となる40℃以上を観測しています。東京都心も38℃を超えて今年最高気温を更新しました。/東日本は背の高い高気圧に覆われていて、気温が急ピッチで上昇しています。西寄りの風によってフェーン現象の発生している所もあり、一部では40℃前後に達する危険な暑さです。/14時00分の時点で全国最高となっているのは三重県桑名市で40.5℃。次いで埼玉県鳩山町が40.3℃、埼玉県熊谷市と静岡県浜松市・天竜で39.8℃、名古屋市で39.0℃まで上がりました。国内で40℃以上を記録するのは8月6日以来で、39℃以上となった地点は8地点、35℃以上の猛暑日は214地点です。」(2025-08-30 14:08 ウェザーニュース)▶昼前に猫缶購入のためにあすみが丘へ。猛暑のなか、地下駐車場は満車、やむなく、屋上へ。下車した途端に汗が噴き出してきた。必要なものを買って、短時間で切り上げて帰宅。▶少し頭痛がするので、室内で安静に。とにかく湿気も多く気温は異常に高いので、心身を直撃された感じがする▶「米連邦控訴裁判所は29日、トランプ米大統領が各国からの輸入品に課した「相互関税」などについて、違法だとする判決を出した。関税を「違法で無効」とした5月の一審判決を支持するものだ。トランプ大統領は同日、判決を不服として、連邦最高裁に上訴する方針を明らかにした」(朝日新聞・2025/08/30)相互関税は違憲だと素人判断で考えていたことが現実になって、アメリカの一審二審ともに「違法」との判断。この先の展開が注目されるところ。無理押しが通ってはならないのは、何事であれ、当然だといいたい▶「生成AI」の基本問題を学び、今日の課題を少し考えてみたが、いずれこのことについては駄文を書いてみたい▶ただ今9時半。室温30.8℃、湿度66%。(842)

〇2025/08/29(金)ただ今、午後9時過ぎ。室温30.0℃、湿度70%。本日は、昨日の心地よい気候が一転して、従前の酷暑に戻った感がする一日だった▶昼過ぎに買い物で茂原まで。灼熱地獄の中を歩くような感覚で、何ともやりきれない状態だと思うばかり。この先も猛暑・酷暑は続く予報が出る中、すこしばかりは秋の気配が出てきたのかもしれぬと、ぬか喜びをしそうな塩梅である。(841)

〇2025/08/28(木)ただ今午後10時過ぎ。室温28.2℃、湿度64%。何日ぶりだろうか、このような三十℃に達しない夜を迎えたのは。朝から気温もそれほど上がらず(それでも30℃は越えたろう)、適度の風もあって、爽やかともいえそうな一日だった。あまりにも体が疲れていたので、お昼前後に仮眠する。まだ疲れは残っているが、気温の低さで、少しは救われているように思われる▶読売新聞が驚くべき「誤報」を出した。国会議員が秘書給与を搾取したかどで強制捜査を受けたという報道で、あろうことか、嫌疑をかけられている国会議員の名前を「取り違えた」というのだ。直ちに「訂正」記事を出したが、記事そのものは取り消されなかった。勘繰るなら、検察からのガセネタをつかまされたのか、あるいは、順番を間違えて、次に強制捜査の対象になっている議員を先に出したのかどうか。それにしても検察と組んだうえでの読売新聞全体の「過ち」だと思う。だれが責任を取るのだろうか。間違えられた人たちの「名誉」はどうするのか、つまりは、今回はしなくも犯した「人権侵害」をどのようにしてとるべき責任で果たそうというのかが問われている。(840)

〇2025/08/27(水)ただ今午後9時半過ぎ。室温30.8℃、湿度69%。東京都では猛暑日が十日連続だったという。あまり神経質にはなってはいないけれど、当地でもそれと同じか、それを超えるような猛暑日続きだろうと思う。本格的な颱風も来ないうちに9月になりそうで、いやな予感がしている。天候に不平も不満も通じないし、祈りを重ねてもどうしようもないだろうが、それにしても地球を包む大気圏がすっかり壊されてしまったようだ▶昼過ぎに買い物。車内は30℃を超えている。当方はもともと車に乗ってもエアコンは使わない主義。いかに高温でも窓を開放して乗るだけ。地下鉄の冷房にも閉口した人間、だからどうということもないが、機械(器械)や電力で、「自然に似た環境」を生みだすこと自体が、環境破壊だし、言うまでもなくガソリン車に乗ること自体が何よりも環境への負荷をかける第一歩だと分かっているのだから、この苦しみはやはり「煉獄」だというほかない。「猛暑と止まれ」と言って、どうなるものでもないのだが。(839)

〇2025/08/26(火)ただ今午後9時半。室温30.1℃、湿度71%。相変わらず超高温超多湿の一日。昨日の短時間作業の疲れが残っていて、朝食後に暫時仮眠。恐らく、この猛暑の期間に何とか持ちこたえておられるのも、「仮眠」のおかげだろうと思っている。「一勤一休」体制を取っているような気分だ。しばらくの間、敷地の内外がどうなっているかの確認を怠っていたので、日に日に、イノシシが土を掘り返している凄惨な状況に唖然としている。(838)

〇2025/08/25(月)ただ今午後8時半過ぎ。室温30.5℃、湿度74%。前日と比べると比較的凌ぎやすかったが、相変わらず猛暑で、多湿の一日だった。お昼前に買い物で、茂原まで。毎日痛感することだが、ほんの数品目を購入して五千円を超える不条理。いつも買う豆せんべいが、売り出しの初期は140円ほど(消費税込み)。それがこの高物価時代に遭遇して買う方にとっては実に悔しいけれど、なんと消費税込みで280円。この二年ほどで2倍になっている。他は推して知るべし。新米も市場に出てきたが、高いままで並んでいる。行くたびに「値上げ」があって、買う側はそのたびに「音あげ」するほかない。売る側も儲けがなければ始まらないから、まだまだ当分は高物価は続くだろう。「増税なき増税」を仕組んでいるのは政府・財務省か▶日が陰ってから、久しぶりに刈払い機を使っての除草。相当に背も高く幹も太くなった雑草たち、簡単には刈払われてはくれない。およそ一時間もやったが、猛烈に汗が噴き出す。散らかった草のゴミを清掃、その段階でもう限界を感じたので、そこで中断。なんという暑さかと思う。まだこの先もしばらくは猛暑が続くという予報が恨めしい▶これを書く直前、庭先で猫の争い。追い払ったが、組み合ったままで闘争継続。竹藪に場所を移してなお喧嘩。かなりの執拗さ、家の猫と野良猫と。暗がりを懐中電灯をもってひき放しに出かけてあが、急坂あり、竹藪に足を取られて、こちらが音を上げそうになる。両者は取っ組み合いから離れたようだが、さらに遠くまで行った模様。汗びっしょりになって、今度は暗闇の急坂を昇るのに往生した。猫たちが怪我をしていなければいいが。(837)

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「臥薪嘗胆」は消滅してしまったか

◎ 週の初めに愚考する(八拾五)~ 日露戦争ではありませんけれど、「日米関税戦争」で、この国の政府は担当大臣を交渉のためにこれまで重度近くも派遣し、その内容がほとんど明らかにされないままで、「交渉妥結」といい、しかもなお交渉継続が図られています。交渉の「合意文書」も交わさない、一方的な高関税(相互関税と言いながら)を吹っ掛けられたままで、事態はアメリカの言う方向に推移していく状況に奇怪な感想を持ってきました。当初から、ぼくはべらぼうな、一方的高関税賦課は「国際法違反」だと指摘してきましたが、それを問題視するメディアは、残念ながら、ほとんど見られませんでした。ただであえ不況下の物価高に喘いでいる中での「高関税賦課」に、少しでも低ければいいという、卑屈な姿勢しか見せないままの交渉経過に、ぼくは驚き呆れていました。「50%」の関税をかけるなら、当方もそれに応じて「50%」を持ち出すべきだとまで、素人の小生は言っていた。

 大統領の権限に関して、五月の下級審の判断が、高裁段階でも認められた。大統領令の無効性を判定し、「そのほとんどが大統領の権限を越えた違法行為だ」としたのです。もちろん、最終決着までまだ一波乱も二波乱もありそうですが、相手の「言い値」で交渉が成り立つというのなら、何をか言わんやでしょう。この「関税」は理不尽であるというなら、その問題性を、筋を通して相手側に言うべきであって、二国間交渉のイロハを踏みにじっているのは明らか。世界の多数の国の政府も問題点を指摘しないで、文字通り「没交渉」という「交渉」で米国のわがままを認めているのです。(ブラジルは同じ関税をかけると敵対的でした)大国の横暴を、小国と雖も許そうとはしないことこそが、国の独立の証です。(右写真は読売新聞・2025/08//30)

 日米関税交渉(問題)が起こった段階で、この国が置かれている「日米従属関係」を段階的にでも是正すべき絶好のチャンスだと、それを見逃すべきではないとぼくは言いました。まあ、ある種の寝言のようなものですけれど、ぼく自身は「夢は夢でも、まぎれもない正夢」のつもりで、願いを込めて言ったこと。「敗戦後80年」は、残念なことに日米片務関係・従属関係の歴史でもありました。この不均衡関係は時代を下るにつれて一層激しいものになり、「ついて行きますどこまでも」という、実に見下げた「参勤交代」外交、「朝貢外交」に終始してきたのです。歴代内閣が、前例踏襲を繰り返し、そのたびに属国・隷従の関係に深入りしてきた、その中での「関税交渉」でした。宗主国のご機嫌を損ねないために、この国は国そのものを売ったのでした。国内の経済不況そっちのけで、アメリカに莫大な投資を求められ、重要産業の国内空洞化を招いてまで、主人に尾っぽを振る始末。「もの言えば 唇寒し 猛暑の季」、抵抗しないのなら、「交渉」の名に値しないし「日米関係」などと殊勝な言葉を使わない方がいい。

  トランプ米大統領が世界各国・地域に発動した関税について、米連邦高裁はそのほとんどが大統領の権限を越えた違法行為だと判断し、審理を行うよう下級裁判所に差し戻した。そのプロセスが進行中は関税の効力は維持可能だという。
  連邦高裁は29日、米国際貿易裁判所が5月に下した「違法で無効」との判断を支持した。ただ、それが関税の影響を受けるあらゆる当事者に適用されるのか、それとも訴訟の当事者に限られるのかを下級裁判所で審理し直すよう命じた。
  連邦高裁における賛成7、反対4での今回の判断により、トランプ氏の関税措置が最終的に維持されるかどうかをめぐる不透明さが一層長引く可能性がある。米政権は、これまでトランプ氏の主張をおおむね支持してきた最高裁判所に上訴し、最終判断を求めることができる一方で、国際貿易裁判所での差し戻し審理を優先させることも選択可能だ。
  高裁判断を受け、トランプ氏は自身のSNS「トゥルース・ソーシャル」で、「全ての関税はまだ有効だ!」と投稿した。さらに「本日、極めて党派的な高裁がわれわれの関税は撤廃されるべきだと誤って判断したが、彼らは米国が最終的に勝利することを分かっている。これらの関税が撤廃されれば、国にとって完全な大惨事になる」と主張した。
  今回の訴訟には数兆ドル規模の世界貿易が影響を受けており、最終的にトランプ氏の関税措置が違法とされれば、同氏が誇示してきた貿易協定は根底から覆されることになる。また政権はすでに徴収した関税の返還請求にも直面することになる。
  国際貿易裁判所は5月、トランプ氏が貿易相手国・地域に対する関税に1977年の国際緊急経済権限法(IEEPA)を不当に適用し、従って輸入関税は違法だと結論付けていた。(Bloomberg・2025年8月30日)  

【余録】作家の司馬遼太郎は評論「この国のかたち」(文芸春秋)で、戦前の日本が暗転する転換点として、日比谷焼き打ち事件を挙げている。1905年9月5日、日露戦争に勝利しながら賠償金などを得なかったポーツマス条約の内容に世論は憤激していた。講和に反対する人々が東京・日比谷公園で開かれた大会をきっかけに暴徒と化した▲暴動や大会を巡っては、大正デモクラシーの起点として評価する分析もある。だが、司馬は「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせた」「安っぽくて可燃性の高いナショナリズム」と辛辣(しんらつ)だ。当時、講和批判をあおったメディアの責任にもふれている▲多くの死傷者が出た暴動は、大会開催禁止に反発した人々と警察の衝突から始まった。やがて講和に理解を示していた「国民新聞」などを襲い、派出所襲撃や路面電車の破壊に発展する▲当時、対露強硬派の標的となった人たちにはロシアのスパイを意味する「露探」のレッテルが貼られた。状況と背景は「都市と暴動の民衆史」(藤野裕子著)に詳しい▲今週、事件から120年を迎える。ネットの影響力が増し、政治のポピュリズム化が国を問わず指摘されている。多くの情報が得られる一方で、デマや感情的な主張が広がりやすくなっている▲司馬は、為政者が国民に(講和の環境が厳しい)手の内を明かす勇気が乏しかったとも評している。国民に情報を開示して理解を得ることの大切さも、日本初の政治的な都市暴動は教えている。(毎日新聞・2025/08/31)

 ここからが本論のようなものですが、ぼくの結論はすでに出ています。毎日新聞の本日のコラム「余録」を読んで、ぼくはいろいろと考えました。今から120年前の「長月五日」、日露戦争後の「講和条約」に不満を覚えた民衆が「日比谷焼討事件」を起こした日とされています。もちろん、民衆自身の自発的運動が「焼き討ち」に至ったというのではありません。各種新聞が、一面では民衆を煽りに煽ったという前段がありました。「政府の弱腰外交」を非難し、これを奇禍として「排外主義」を扇動したものだったと思う。この間の事情と経過は「余録」に譲ります。そこに司馬遼太郎さん(1923~96)が出てきました。彼の死後、それを待っていたかのように「司馬史観」というものに対する批判や論評が噴出・錯綜し、一時の「国民作家」の看板はやや色褪せてはきましたが、それでもなお圧倒的支持者がいます。ぼく自身、若い時は、それこそ「耽読した」と言ってよいほどの入れ込みようでしたが、年齢を重ねるとともに「小説は小説です」というところに落ち着いた感がありました。

 ただ、「暴動や大会を巡っては、大正デモクラシーの起点として評価する分析もある」「日露戦争の勝利が、日本国と日本人を調子狂いにさせた」「安っぽくて可燃性の高いナショナリズム」という司馬さんの立場を紹介し、「当時、講和批判をあおったメディアの責任にもふれている」と、コラム氏は付記している。この時代のメディア(そのほとんどは「新聞」だった)の影響力は、今日考えられる以上に大きな力を持っていたと言えそうで、それだけ、対露戦勝で浮かれていた日本の国民を、更に浮かれさせるだけの論調あったのでしょう。詳細には触れないけれど、事メディアに関しては今昔の感に堪えないところがあります。この日比谷焼打事件をどのように評価するか。一面では「大正デモクラシー」の淵源になったとの指摘は否定すべきものかどうか、ぼくには単純には言えないけれど、「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」などという排外主義が強くなったきっかけになったという事実は否めないでしょう。

 日清戦争に勝利したこの小さな国は「遼東半島」割譲を三国交渉によって断たれ、その中心となっていたロシアには「臥薪嘗胆」の炎を燃やしていたのでした。「臥薪嘗胆」から「鬼畜米英」まではほんの数歩の距離でした。いい悪いの感情は別にして、いまでもなお「臥薪嘗胆」や「鬼畜米英」の憎悪・復習の念は民衆の間にあるのでしょうか。「排外主義」は声高に唱えるけれど、「拝米主義」がその背後に控えているというのは、どういう構造なんでしょうか。

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● 臥薪嘗胆 (がしんしょうたん)= 元来は中国の《史記》〈越世家〉などに見える〈復讐(ふくしゆう)するため艱難(かんなん)辛苦する〉ことを意味する成句であるが,日本史上では,日清戦争後ジャーナリズムを中心に流布したスローガンとして知られている。戦後,国民は戦勝気分にひたっていたが,1895年5月10日,遼東半島還付の詔勅がだされ,三国交渉に日本が屈したことが明らかになると,〈勝って驕らざるのみならず,前後の事情を忖度(そんたく)するときは,所謂胆を嘗め薪に坐して大いに実力を培養するの必要あることは,此際国民一般の感ずる処〉(《東京朝日新聞》同年5月15日,社説)などと主張され,〈臥薪嘗胆〉の声が国民の間にも広がった。この標語は,政府が挙国一致の維持をはかり,軍事力の強化をめざす戦後経営で増税,公債発行などに国民の協力をもとめるうえで,うってつけの言葉となり,国民にロシアへの報復という思想をひろめる役割を果たした。(改訂新盤世界大百科事典)

● 日露戦争【にちろせんそう】= 朝鮮(大韓帝国)・満州の支配をめぐる日本とロシアとの戦争。ロシアは,1900年の義和団事件を機に満州に15万の兵を送り,事件後も撤兵せず満州の独占支配と朝鮮進出の具体化に着手し,日本の利害と衝突するに至った。1903年6月元老・主要閣僚の御前会議で開戦覚悟の対露交渉方針を決め,8月以降数次にわたりロシアと交渉したが,ついに妥協点に達せず,1904年2月8日日本側の仁川沖,旅順港奇襲で戦争開始,10日宣戦を布告。陸軍は4軍に編制,総司令官大山巌,総参謀長児玉源太郎のもとに満州軍総司令部を設けて全軍を統轄。戦闘は8月遼陽会戦,10月沙河会戦と苦戦ながら日本が勝利。他方旅順後略は乃木希典を司令官とする第3軍の3次にわたる総攻撃で死傷者5万9000余の損害を出し,ようやく1905年1月に占領。3月には両国とも30万前後の大軍を奉天に結集,会戦の結果日本軍が勝利(奉天会戦)。以後戦闘は膠着(こうちゃく)状態となった。海軍は5月に日本海海戦で勝利し,これを機に,米国大統領T.ローズベルトの講和勧告を受諾。8月にポーツマスで講和会議が開かれ,9月に日本全権小村寿太郎外相とロシア全権ウィッテが日露講和条約(ポーツマス条約)に調印。(百科事典マイペディア)

● 日比谷焼打事件(ひびややきうちじけん)= 日露戦争講和条約反対に端を発する民衆暴動。1905年(明治38)9月5日、ポーツマス条約に不満をもつ対露同志会を中心とする講和問題同志連合会が、日比谷公園において国民大会開催を計画。政府は事前に大会を禁止、実行委員を検束、公園を封鎖したが、集まった数万人の民衆は大会を強行した。終了後、街頭に出た民衆は投石を行い警官隊と衝突、また御用新聞の国民新聞社や内相官邸を数千から万を超える民衆が包囲したため、ここでも警官隊と衝突、抜剣した警官により多数の負傷者が出た。夕刻には民衆は東京市内の警察署、派出所、交番を襲い、2警察署、6警察分署、203派出所・交番を焼き打ち、破壊。翌6日も騒擾(そうじょう)は続き、焼け残った警察署、交番が襲撃され、キリスト教会13、電車15台が焼かれた。/ このため政府は東京市および府下4郡に戒厳令を敷き、新聞・雑誌の発売禁止・発行停止を行った。7日にも警察官署2か所が襲われたが、ようやく騒ぎが鎮まった。市内約7割の交番・派出所が焼かれ、負傷者2000人、死者17人、検束者2000人(うち起訴者308人)に及ぶ大きな騒擾であった。参加者は職工、職人、人足など戦争のしわ寄せをもっとも受けた都市無産大衆で、日比谷焼討事件は一面で排外主義の要素をもつものの、藩閥専制政治に抗した運動であり、この後の大正デモクラシー運動の出発点に位置するといえる。非講和運動は全国に波及し、約1か月間、各地で騒擾を伴いつつ展開された。(日本大百科全書ニッポニカ)

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外箍難収(外れた箍は収め難し)ですか

 日本社会の現状を、人はいろいろに論評しています。ある人は「底が抜けた」と言い、またある人は「箍が外れた」と評しました。いずれの意味も、あるべき制約(規制・規範)が失われ、弱肉強食や優勝劣敗の如き、闘争状況を来している様を言い当てようとしているのでしょう。もっとわかりやすく言うなら、自分の周囲一ミリのことにしか考えが及ばず、自分さえよければという「利己主義」に支配された人々が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)(「]悪者などが勢力をふるい、好き勝手にふるまうこと」デジタル大辞泉)している事態にあるというのです。当たらずと雖も遠からず、そんな気もしてきます。簡単に言うなら、「自制心」「惻隠の情」がなくなった、「不注意な人間」がのさばっている、そんな混沌社会が出現しているというのです。原因は何処にあるか。言わなくても、自分で考えればいいといいたいのですが、さて、それで事が済まないから、多くの人は困っているんですね。十日ほど前、神戸市内で驚くべき「殺人事件」が起こりました。一人の男が、通行中の女性を「見染て」「好みのタイプと思い」、執拗に後をつけて、遂には女性の住むマンションのエレベーター内で殺害したという事件でした。もちろん、この殺人犯は「狂人」で、「殺すことに快感」を覚えていたのかもしれません。あるいは「ネクロフィリア(necrophilia)(死体愛好症)」に接近した症状を持っていたのかもしれないと思う。いささかの「善悪の感情」も持ち合わせていなかった(壊されていた)と言うべきでしょうが、二度三度と、同じような事案(未遂を含めて)を起こしてなお、社会生活を許されていたというのも、この社会は底抜けに恐ろしい状況にあると、ぼくには思われました。もちろん、これは今だけの現象でないことは言うまでもありません。

 本日の山形新聞のコラム「談話室」では、同県の長井市がアフリカ・タンザニアとの国際交流を結んだことを、大きく勘違いし、「外国人移民受け入れ」は怪しからんと、抗議が役所に殺到している状況を慨嘆されている。千葉県木更津市においても同じような事案が起こっています。自らの理解不足・誤解をそのままに、「曲解」「歪曲」「考え違い」をストレートに「外国人排除」「日本人ファースト」に結びつけて、「移民が大量に来る」「治安の悪い国の人を入れるな」と、まさに思い違いも甚だしい抗議・非難の束が降って湧いているのです。長井市に寄せられた、この低劣な「排外主義」を評して「箍が外れる」と、コラム氏は表現された。「底が抜けてしまった」と言っても言い過ぎではないでしょう。

 縦(よ)しんば、「移民受け入れ」を歯牙表明したとして、それを歓迎こそすれ、排除する根拠がどこにあるのかと言いたくなる。「日本人以外はお断り」という看板は、時として世上に現れます。「お断り」されるのは、以前には「沖縄の人々」だったり「在日コリアン」だったり。今では「クルド人」「ブラジル人」等々の定住者に対しても排除の矢を向ける、無節操にも「箍が外れ」「底が抜けた」夜郎自大な輩が跋扈しているのです。少しばかり遠目が効くなら、日本人が異国の地で定住したり、一定期間住んでいる状況を思い描けば、何が見えて来るか。「日本人お断り」と排撃されて、住むことも観光見物に行くこともできない状況にあるとしたらどうでしょう。一体全体、「日本人ファースト」を叫んで何をしているのかと、情けなくもなります。

 この国は「観光立国(tourism-oriented nation)」で生きるのだと、(四代前の)故元総理が「国是」にしました。にもかかわらず、今の短兵急な「排外主義」「独善主義」がのさばるなら、遠からず「外国人、来るな」「インバウンドはお断り」ということになるでしょう。もう始まっているところがあります。さすれば、再び世界の孤児よろしく、仲間外れを恬として恥じない社会や国になることは請け合いです。その一員であるぼくは、この国人の「容赦のない排撃かぶれ」に抗すべき方途を持たないことを残念に思うばかりです。

 「社会が共生で成り立つ現実の一方で、不安のはけ口を外国人に求める風潮に『失われた30年』で顕在化したひずみを実感する」「あるべき箍が外れてしまったのか。世にはびこり出した排他的思考が、これ以上広がらないよう願う」(「談話室」)

 いわれるところの「排外主義」も「排他的思考」の間はまだしも、それが具体的な行動(ヘイトクライム・hate crime)になってしまうとなると、問題に蓋をすることもできなくなります。つまりは、今日ただ今の、この社会における外国人に向けられた「偏見と差別」の具体例が、天下に晒されることになる・なっているのです。この国の少子高齢化がこのままで進行していくならば、やがて人口減少は目を追うべくもない事態になります。年間百万人からの人口減少を続けるような現状をどのように見るのでしょうか。明治期の7千万人規模の人口規模を受け入れるのか、それとも、…。この先、外国人を受け入れるというのではないとしても、異民族との共生を選ぶほかないのだとしたら、何が必要かは、犬や猫だってわかろうというもの。犬・猫は「排外主義」を摂らないだけでも、人間よりも優れているんじゃないですか。

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 お笑いを一席。「たがや」です。高座は誰にしましょうか。ぼくは志ん生さんですね。 つい最近も江戸の大川(隅田川)の「花火大会」が済んだばかりです。見物は100万人近くに及んだというのですから、恐ろしいばかりの夏の夜景でしたね。(https://www.youtube.com/watch?v=rykGrtMBITY

「『たがや』川開きの花火見物で両国橋はごった返していた。桶(おけ)のたがを抱えたたが屋が人混みで押されたはずみに丸めてあったたがが伸びて跳ね上がり、馬で通り掛かった殿様の笠(かさ)を飛ばしてしまう。平謝りに謝るたが屋だが、殿様は「手打ちにする!」と息巻く。花火見物に水を差す刃傷沙汰が勃発! その結末は−。◇ 両国の花火は今も昔も変わらぬ夏の風物詩。私もこの時季は寄席で「たがや」をかけて、夏の訪れを客席に届けます。たがは竹を割き編んで輪にしたもので、バラバラにならないよう桶などの外側にはめて使います。緊張が解けて羽目を外す意味の「たがが外れた」のたがです。/「鍵屋」と「玉屋」、江戸の二大花火師の花火で盛り上がる中で事件は起きます。たが屋はいくら謝っても許してもらえないため、「斬るなら斬れ!」と開き直ります。供の者たちが刀を抜いて斬りかかると、かわして刀を奪い、何と逆に斬りつける。群集はたが屋に味方して殿様に悪口雑言を吐き、小石まで投げ付ける。怒った殿様は馬から下りて、たが屋めがけて槍(やり)を突き出し…サゲは寄席で聴いていただきましょう。/今も昔も偉そうな人は大勢います。「たがや」は、今の出来事に差しかえて膨らませることができるネタでもあり、そんな人が関係する“事件”が起きれば、時事ネタとしてこの噺に取り入れます。演者もその都度演出をかえるので、お客さまも新鮮に聴くことができます」(東京新聞「新釈 古典落語図鑑 三遊亭兼好・2022/07/13)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/189264

【談話室】▼▽「箍(たが)」は桶(おけ)や樽(たる)の板を固定する輪のことである。円環状に並ぶ側板を、竹や金属の輪が外側から締め付けることで形状を維持した。これがないと崩れてばらばらになる。「箍が外れる」は形を保てない様子に由来する。▼▽慣用句は、人や組織の規範が緩んで歯止めが利かなくなった状況を指している。失敗談にはつきもので、身に覚えがある方も多いのではなかろうか。とはいえ、仲間うちでの少々大胆な言動ならばご愛嬌(あいきょう)で済むかもしれないが、相手を貶(おとし)める極論や暴言ならば論外であろう。▼▽タンザニアと国際交流の深化を図る「ホームタウン」に認定された長井市に批判や抗議が殺到している。現地英字紙の誤情報を発端に、事業によって「移民が大量に来る」と曲解されたからだ。寄せられる内容も「治安の悪い国の人を入れるな」など表現が先鋭化している。▼▽在留外国人は昨年末で370万人を超えた。社会が共生で成り立つ現実の一方で、不安のはけ口を外国人に求める風潮に「失われた30年」で顕在化したひずみを実感する。あるべき箍が外れてしまったのか。世にはびこり出した排他的思考が、これ以上広がらないよう願う。(山形新聞・2025/08/30)

長井市の国際交流に関する報道について(市長コメント) 長井市の国際交流に関しまして、数多くのご意見を頂戴しております。/タンザニアのニュースサイトである「TanzaniaTimes」で使用された「Japan dedicates Nagai City to Tanzania」という表現について「捧げる」という誤訳として広まったものであり、一部SNS等で報じられているような、本市がタンザニア連合共和国の一部になるであるとか、移民を積極的に受け入れるといった事実は一切ございません。/今回の情報拡散の発端となった2025(令和7)年8月21日に開催されましたJICAアフリカ・ホームタウンサミットについては、これまでの様々な事業を通じて育んできた、アフリカ各国と地方自治体の交流をさらに深めていくことを目的とするものであり、長井市は、この会議の中で、JICAより、タンザニアのホームタウンとして認定されたものです。/本市としても更なる国際交流の機会創出は地域活性化や人材育成の重要な視点と捉えており、今後もJICAはじめ関係機関と協力しながら、市民の皆様をはじめ関係者等の皆様にも丁寧に説明しながら交流を進めてまいりたいと考えております。/事実と異なる形で情報が伝わっていることについて大変残念に思っております。/ご心配をいただいております皆様におかれましては、その点をご理解いただきたく存じます。 長井市長 内谷 重治 (長井市・2025年08月25日)

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今は「ものが言える時代」ですか

【国原譜】自由にものが言えない世相の中で、自分の意思を明示し、行動するのはたやすくない。森まゆみさんの「暗い時代の人々」(亜紀書房)であらためて思った。🔷大陸での戦闘の本格化から太平洋戦争終結までの時期を中心に、権力による言動の抑圧、国を覆う一方向への流れに対して自由を求めて戦った人々に敬服し、希望を感じた。一方で、同様の状況になった時の覚悟も問われた気がした。🔷体制にあらがった人々のほとんどが幾度も逮捕、拘束され、命を奪われもした。時流に逆らうことは、口で言うほど簡単ではない。🔷弾圧の中で思想を曲げた人の記述もあり、名前を見て驚きもした。色々な考えがあってのことだろうし、むしろ貫くことの厳しさを突き付けられた。🔷同書は、終戦の日の頃に戦争関連の本を読む毎年の習慣の中で手に取った。戦後80年の今年、県内の図書館や書店でも戦争を伝える書物の特集は例年以上だった。あの時代を再考した県民はより多かったろう。🔷8月が過ぎると戦争に関する報道、番組は減り、世間の関心もやや薄れる。季節的な物事ではないのだけれど。(智)(奈良新聞・2025/08/29)

(ヘッダー写真は「所沢ナビ」・https://tokorozawanavi.com/sakuratown-miyukinakazima20240502/

 「自由にものが言えない世相の中で、自分の意思を明示し、行動するのはたやすくない」とコラム氏は書く。反対に、「自由にものが言える時代」とは、どんな時代を言うのでしょうか。ぼくにしてみれば、「自由にものが言えない時代(世相)」も、「自由に言いたいことが言える時代」も、ひょっとしたら、ある人々にとっては同じことではないかと、つい思ってしまうことがあります。早い段階で読んでいたものに、ハンナ・アレントの同名の書(「Men IN Dark Times」)がありました。もちろん、その内容(時代背景も世相も)はまったく異なりますが、「暗い時代」に生きることの「切実さ」は同じだということがわかります。(両著とも、ちくま学芸文庫版で読める)

 「暗い時代」と言われる日常を人々はいかにして生きていたか。両書のどちらも、その大半は社会的に著名な人たちの思想と生活を抉(えぐ)ろうとします。このような「ものが言えない時代・社会」を、一面では果敢に生き抜こうとした先人たちの軌跡は、ぼくたちの、日常の生き方の参考になるのは確かでしょうが、どのようにして参考になるのか、簡単には語り尽くすことはできそうにありません。「今はこんな時代」「今は暗い時代」と、誰もが気が付いた時には、もはや「世の中は真っ暗だった」と言えそうですが、それでもなお、「真っ暗なんかではない「木オブの時代」と狂気にも感じている人々もいるのが世の中です。「明るい時代」と「暗い時代」と、誰にだって判別できると思いがちですけれど、どうもそんなに事情は単純ではないというのがぼくの実感です。

 森さんが書かれている9人の人たち(上記写真著書「帯」に記されている)、あるいはアレントの扱かった10人(レッシング、ローザ・ルクセンブルク、ヤスパース、ヘルマン・ブロッホ、ベンヤミン、ブレヒト、アンジェロ・ジュゼッペ、アイザック・ディネセン)は、いずれも名だたる思想家であり哲学者であり、政治家であり、文筆家であり、…。読んで参考になるのは、確かだけれど、それはまるで「歴史を学ぶ」「座して学ぶ」という姿勢にこそふさわしい学び方でしょう。でも、ぼくたちは、自分がどのように生きているか、それこそが「明るい時代」、「暗い時代」を問わすに、問題にされていることなのだと知るべきではないでしょうか。

 昭和戦前期、あるいは戦時下にあって、評論家「山川菊榮」はどう生きていたか、画家の「竹久夢二」はどうだったか。それを知るというのは、あるいはそこから学ぶというのは、彼や彼女が自分の生き方を貫こうとした、あるいは貫かなかった、その「生き方」において彼流・彼女流であったように、ぼくたち自身もまた「自分流」を貫く、生き方の方法を生み出すことだとは言えないでしょうか。デカルトを学ぶというのは、デカルトが自ら作り出した、自らの「生き方の方法」によってデカルトであったように、自分もまた「自分の生き方」を生み出すために彼に学んで(倣って)、自分の方法を見つけることだと思う。

 今はどういう時代でしょうか。ものが言える時代だと思う人もいれば、言いたいことが言えない時代だと感じている人もいるでしょう。いつもそうです。「自由の精神を貫く」にはとても難しい時代だと感じる人がいる一方で、何だって言える素晴らしい自由な時代だと思い込んでいる人々もいる、そんな「現代」を、ぼくは齷齪(あくせく)しながら生きています。マスメディアにあって「言うべきこと」を抑えられる人がいるかと思えば、「好き放題に喋れる時代」だと、表現の自由を謳歌する人々もいるのです。その違い(差)は何でしょうか。端的に言うなら、「権力」につながると考える・考えられる人々と、反権力(権力批判)に位置する人々との「立ち位置」の差ではありませんか。新聞でもテレビでも、この現象は顕著に認められるでしょう。

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 読売新聞は世界一の発行部数を誇る「大新聞」です(一部の「国」を覗いて)。全国テレビ網も組織しています。その大新聞が「誤報」を垂れ流し、翌日には「記事は誤報 おわびします」と「謝罪」したかのような記事を出しました。「公設秘書給与不正受給嫌疑」をかけられた「議員名」を取り違えたという。本当にそんな「ありそうもない」ことがある・あったんですか。「本命」は間違えられた議員じゃなかったんですか。検察のリークがそうなっていたから、記者はそれを真に受けて書いた。デスクもキャップもその事情を知っていたから、記事にしたということだったらどうでしょう。書きたいことを書いた、何でも書ける「自由な時代」という状況下、「誤報」は自由な風潮を謳歌した結果だったというのが実際ではなかったか。検察と仲良く肩を組んで作られた「誤報」だったという疑念が拭い去れない。「大河原化工機事件」は、そのようにして生み出された、驚くべき「冤罪」でした。あまりにもお粗末な「事件の組み立て」だったから、公判前に、検察側は裁判(起訴)を忌避(取り下げ)したのです。この「冤罪事件」を、早い段階から指摘し続けてきた「報道(メディア)」はあったのでしょうか。不勉強のぼくは知らないまま。マスコミは検察のリークを鵜呑みに「冤罪生み出し」に加担していました。つまり、権力に取り入り、仲良くなれば、報道の自由、「誤報の自由」さえもが限りないという時代、それを「明るい時代」というのでしょうか。悲しいことに、かかる事例は数限りなくあります。

 書きたいこと、言いたいことを書ける・言えるのは、条件があるという意味です。反権力・権力批判の立場で己を貫くことは、時代の性格・明暗を問わずに厳しいのは当たり前なのかもしれない。繰り返したくなりますね、「今はものが言える(書ける)時代ですか?」と。「誤報・虚報」は、何も読売新聞だけではありません。いちいち挙げませんが、ほとんどのメディアは「脛に傷持つ」身であるという自覚・自省があるのかどうか。ぼくは、きわめて疑わしいと思っている。嘘八百を繰り返し、名代の悪政「安倍のミックス」を取り続けた失政を、「王様はパンツをはいていない」と、正面切って批判してきた新聞テレビ(メディア)が果たしてあっただろうか。権力の片隅にでも潜り込むことが、自らの使命であるとでも錯覚しているのではないかと、ぼくは考えてしまう。つまらぬ逸話ですが、ぼくが勤め人時代、大学の代表者は「政府・行政の審議会委員にならなければ」などと嘯(うそぶ)いていました。学者として一人前ではないというのです。ぼくは頑として、半人前を貫いてきました。また「科研費」を採れないようでは話にならないという風潮が蔓延していた時代に、ぼくは「話にならない教員」であることを恥ずかしいと思ったことはなかった。国から「雀の涙」のような金を貰うことに必死になっている教授たちを見ていて、ぼくは、この社会は腐っているなと、この腐敗は終わらないなあと、つくづく思い定めていた。

 自慢話でも自己卑下しているのでもないのは当然で、ぼくは正気(のつもり)です。「国家」「権力」というものを信用していない人間あることに、ぼくは矜持(faith in myself)をもっていようとしてきただけ。だから、学校という小さな社会(組織)は、ぼくには息苦しいものだった。教員である期間は、一貫してそうでした。「言うべきことを言う」ために苦心したのは事実です。大学経営のおかしさ(現実は「教育・学生本意」ではないと考えていましたから)には、それこそ常に批判を止めなかった。それがぼくの存在の理由だと感じていたからです。言いたいこと(書きたいこと)ではなく、言うべきこと(書くべきこと)を本分として貫くことに意義を覚えない新聞記者や大学教師は、ぼくには取るに足りないものでした。

 彼らからすれば、ぼくなどは「物の数にも入らない塵(ごみ)のような存在」と見なされていたでしょう。一寸の虫たるぼくは、権力の匂いを嗅ぐことに汲々としている輩から評価されることは、談じて許しがたい行為と考えている「五分の魂」を失いたくなかった。誰にとっても「ものが言える時代」はあるんですか。誰にとっても「ものが言えない時代」は、本当にあるのでしょうか。いつだって「言うべきことを言う」、それは簡単ではないという直感(直観)を持ちながら生きてきました。「君はどこに立つのか」によって、「時代」は、「明るくもあり、暗くもある」というのは事実じゃないですか。

 「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡邉白泉・1939年作)(白泉さんは、戦後は俳句を作らなかった、発表をしなくなった)

【筆録】「戦争が廊下の奥に立つてゐた」は、渡辺白泉の1939年の句である。日中戦争のさなかとはいえ、国民の多くにとって戦禍がまだ対岸の火事だった頃、いち早くそのにおいをかぎとっていた。2年後、日本は第二次世界大戦に参戦する▲俳句につきものの季語がこの句にはない。その代わり戦争に振り回される庶民の心境を17文字に込めた。こうした作風は「銃後俳句」に分類される▲句を詠む文化こそないが、ウクライナではツイッターがその役割を担う。亡き人を悼み、ロシア軍の攻撃におびえ、救いを求めるSOSである。侵攻前後にウクライナ語で発せられた約9850万のつぶやきを東北大が分析した▲心身の健康への脅威や非常事態を表す303の言葉を含むツイートは、侵攻前に比べて4倍以上に増えていた。「糖尿病薬」「採血」「出産」の急増は医療資源の逼迫(ひっぱく)を物語る。「レイプ」「埋葬」「死亡」などを含むつぶやきも3~5倍に増えたという▲研究チームが懸念するのは、心の健康への影響だ。6月ごろから「不眠」「疲れる」「思い出したくない」「感情がない」という内容が目立って増えている。長期化が人々の心を少しずつむしばんでいるのではないか。胸が痛む▲「ウクライナでは災害級の厄災が日常であり、終わりが見えない。うつ病や自殺を防ぐ、息の長い支援が求められる」と、分析した専門家は指摘する。リアルタイムで届く人々の声に耳を澄ませたい。いま、何が必要なのか見えてくるはずだ。(毎日新聞・2022/12/28)

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「漱石枕流」と「誤報(御用)新聞」

 手の負えない「負けず嫌い(強情っぱり)」の輩をして「鷺を烏と言いくるめる」という諺が用意されました。同じように「自らの過ちを認めようとしない、往生際の悪い者」には「這っても(動いても)黒豆(と言い張る馬鹿)」という短刀が突き刺さります。負けず嫌いはまだ許せますが、あからさまな間違い(誤り)を直ちに認めないというのは、人間としては失格に値すると思う。「過ちては改むるに憚ることなかれ」とはけだし、人間救済の常道であります。「白い鷺を黒い烏」と言い張り、「動いてもなお黒豆と、譲らない」のはなぜでしょうか。恐らく、「自分は間違っていない」という確信があるのか、「過ちを認めるのは沽券(こけん)にかかわる」とでも誤解しているのでしょうか。「沽券」とは「土地や山林の売渡証文」のこと、それが「人間の値打ち、体面、品位」などと言われるようになったもの。簡単に「過ちを認める」のは「体面」「品位」にどうしてかかわるのでしょうか。素直に認めた方が値打ちが騰がるんですがねえ。

 ヘッダー写真は読売新聞の「大誤報」の「お詫びと訂正」です。どうしてこんな初歩的・あからさまな誤報が生じたのか。理由は明白単純。新聞社が新聞社でなくなり、新聞記者が新聞記者でなくなったからで、それ以外の何物でもありません。つまり、読売新聞は「政治権力の一部」だと自認し、「検察権力の一部」と過信していた証拠です。誤って済むなら、警察も検察も要らないですね。先月末の読売の「石破首相辞任へ」も、誰が見ても「誤報」「虚報」だったにもかかわらず、今もって「誤報であることを認めない」態度を貫いているのは、反石破派の一角に位置していると自覚しているからでしょう。腐っているというべきですが、なにもそれは今に始まったことではないし、今もなお腐敗中で、その証拠はいくらもあります。バカ臭いから言いたくないだけ。人権も個人の尊厳もどこ吹く風、まさにヤクザなブンヤ稼業に成り下がってしまいました。(この「虚報」は政治部にいる一記者の誤り間違いではない。記事にするかどうかは「デスク」が決めるのだから、政治部全体、いや新聞社全体が「誤報」を承認していたことになる。堕ちるところまで堕ちているという紛れもない証拠です)

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 夏目漱石の筆名は『晋書』(646年成立)の「孫楚伝」にある「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」から盗られたのはよく知られています。「西晋」の政治家だった孫楚(そんそ)(生年不詳 – 293年)の若いころの逸話がもとになっています。負けず嫌いの孫楚は若くして引退し、「漱石枕流」(石で漱(くちすす)ぎをし、流れをを枕にして暮らしたい)といったところ、同郷の先輩だった王武子(王済)が、ただちにそれは間違いで、「枕石漱流(ちんせきそうりゅう)」というのだと糺した。ところが、強情な孫楚は「流れを枕にして耳(世俗の汚れの入り口)を洗い流し、石で口を漱ぐ(汚れた歯を洗う)ような、そんなそんな隠遁自然の生活をしたいのだ」といい募ったらしい。理屈があっているような言い分に聞こえるから不思議ですね。小説家・夏目金之助さんは、どういうつもりで「漱石」を採用したんでしょうか。

【小社会】行き合いの空 時候は処暑なのに、盛んにスマートフォンから熱中症警戒情報ですと人工的な声が聞こえる。春と秋が短くなる日本の「二季化」もいわれる昨今。とはいえ、処暑は厳しい残暑の中にも秋の気配が漂い始める季節になる。🔷この時季に、「行き合いの空」という言葉がある。空を見上げると、夏を代表する入道雲と、はけで掃いたような秋の筋雲やうろこ雲が同居する。夏は地面と上空の気温差が大きく、雲はすぐにむくむくと成長する。秋は気温差が小さく湿度も低いため、ぼんやりとした雲になるそうだ。🔷古くは、新古今集に〈夏衣かたへ涼しくなりぬなり夜やふけぬらむ行合ひの空〉。行く夏と来る秋。いまは上空でも季節がせめぎ合っている最中なのだろう。🔷こちらのせめぎ合いは盛夏からもう1カ月以上も続いている。参院選大敗を受けた自民党内の「石破降ろし」。直近の世論調査では、首相は「辞任は必要ない」が「辞任するべきだ」を逆転した。退陣要求が相次ぐ党内と世論のずれが伝わる。🔷長引く党内政局で困るのは、人々の暮らしに直結する政策論議が滞っていることだろう。物価高対策の現金給付やガソリン税の減税。自民党の体制が落ち着かなければ、話は前に進むまい。9月早々の選挙総括を経て、次の局面に移るのかどうか。🔷過日の本紙「出放題」に〈物価おろしが先です!―世論〉とあった。「行き合い」の後は、国民の方を向いた政治を。(高知新聞・2025/08/28)

 天下の大新聞と自称・他称されるものが、自らの「誤報」「虚報」を率直に認めないどころか、さらに決定的な「誤報」を続発しました。検察の捜索対象の議員名を取り違えるというのですから、何でや?というほかない。この「誤報」で書かれ議員と関係する多くの人たちの「人権侵害」や「名誉棄損」に対する責任を、この新聞社はどうするつもりでしょうか。(名前を間違えました。五年なさい)というレベルではなく、書かれた「誤報」記事をすべて「取り消し」しなければ済まない問題だとは考えていないというのでしょう。もう新聞記者や新聞社を廃業したらどうでしょうか。不動産取引業で十分に事業経営は成り立つそうですから。あるいは野球場建設やカジノ経営も手掛けるらしいとも噂されています、築地で。世界に冠たる新聞発行数(1000万部超)を誇っていたのは、ついこの間のこと。それは昨年度では半減しました。二番手に甘んじている新聞社も800万部超が三分の一近くも、最盛期からは部数減。他はもはや全国紙とは言えない状況。なぜか、理由はいくつかあるが、ここでは言わない。ネット時代だから新聞(活字)を読まなくなったのは一面では正しいが、要するに「読むに値する記事」がなければ、どんな記事を書こうが読む人(読者)は減るというばかり。まして、「鷺を烏と言いくるめる」とか、「這っても黒豆」と意地を張るだけなら、だれも見向きもしなくなります。 

 かつてその存在の大きさを誇った百貨店が苦戦し、大きなスーパーが閉店整理に追われている今、新聞やテレビにだって、明るい見通しはなさそうです。「(敗)戦後八十年」経過して、元の出発点(1945年8月15日)に、この社会(国)は「身も心も」立ち戻った心地がしてきます。謙虚になろう、すがすがしく、そして正直に歩こうではないか、と。

 何でも一番を目指すことは好いことでしょうか。一番、一番と煽られているうちに「日本人ファースト」などと「咆哮」する政党まで出てくる始末。この「一番病」は、能力も努力もないくせに上に行きたがる人々の「宿痾(しゅくあ)」みたいなもので、この傾向は企業でも国でも同じような病に罹患しがちです。「泰然自若」でも「悠々自適」でもなく、「自己本位」でさえなく、「とにかく一番」、「何が何でも一等国」などと、それこそ明治時代の漱石先生が、この国の来し方行く末を閲し案じて「この国は滅びるね」と直言された、状況にまた逢着しているようです。他国・他社・他人と比べなくとも、自分の値打ちを育てればいいではないかと、ぼくなどは愚考しています。「大きいことはいいこと」ではないし、「小さいことは恥ずかしいこと」ではありません。他社への尊敬心を失わないで、生きていく、それは人間の「品位」にかかわる事柄です。

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